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はてなキーワード: 明治通りとは

2018-10-10

上半身ヒョロガリ下半身デブおっさんです

ユニクロTシャツの上から無印パーカー羽織ってGAPスキニー穿いて、ABCマートで売ってたVANSデッキシューズ履いて出かけるのが、いつもの私服

大昔は明治通り沿いのセレクトショップやら路面店やらに、月何回も行ってたのが嘘のような現在生活

美容院だけは行ってるが、もっぱら白髪を隠すのが主目的

気がつけば独身のままでカネもないし、歳は取りたくねーな。

2018-10-05

anond:20181005010830

皇居を芯円にした環状網の道路と、地方へ向かう主要国道蜘蛛の巣メッシュ情報東京地理を覚えているのだが、それで説明しても東京人にはさっぱり通じない。

(例:渋谷明治通りR246、新宿明治通りR20、池袋明治通りR254みたいな)

2018-08-03

時代が変わった事は認識しているが

アラフォーの俺が若かった頃は、服のイケてる買い方は

だった。

そして靴やバッグその他小物は

だった。

ちなみにセレクトショップに行くのは、一定以上の服の品質保証されているなんてのは大前提で、その上で「オシャレなお店で買う事そのものステータスであり、目的化していた」と言っていい。

またブランド小物についても、マニアでもない限りブランドコンセプトの理解二の次三の次、大事なのは実物を手に取って「さすが定番と言われているだけある」と感心し納得して買うという行為だった。

したがって、必然的に服や小物の買い物=明治通りまで出かけるというのが公式化していた。

少なくともメンズは。


さて、そんな話も今や結構遠い昔。

ながーいデフレ不況のせいかファストファッション全盛となり、買い物は基本ショッピングモールユニクロZARAに靴はABCマートという流れが定着して久しい。

気が付けば俺も、休日丸々かけて明治通りなんて何年もご無沙汰で、いつもは地元ユニクロZARAを見て回り、ごくたまに複数セレクトショップABCマートプレミアステージが入った、東京近郊のデパートに行く程度になってしまった。


はいえ、やっぱり若い頃に身に付いてしまった買い方がクセになっている。

オシャレってのはイケてる店だよ定番ブランドありきだよって感覚が、折に触れてリフレインする。

でも、自分が若かった頃のアイテムの買い方は、今や


中途半端ダサい

モノ・マガジンバイブルっぽいキモさがある」


らしい。

なんかもう、タワレコHMVミリオンセラーCDを買う事が化石化した話と同等な扱いになっているっぽい。

別に俺はファストファッションを見下してないどころか、ファストファッションだけでオシャレなんて、全身ブランド品なんかより遥かに凄いしイケてると思う方だ。チープシックいいじゃん。

それなのに、昔は正義とまでは言わないが、イケてると言われていた行為が、ダサいおっさん嘲笑対象というのが腹立たしい。

そこまで滑稽に見えるのか…と凹み気味だったり。


何がそんなに可笑しいのか、教えて欲しい。

2018-05-27

新宿アパートから池袋ジュンク堂

自転車で行くにはけっこう遠くてつらい

明治通りを通るバスは便数が少なくてなかなか来ないし

2018-05-26

渋谷はなまるうどん多すぎ問題

明治通り

UFJの横(東急百貨店の向かい)

センター街(ABCマートの近く)

渋谷公園通り

4軒目はこの間見つけたんだが、多すぎない?

2016-04-22

前略、はてな様。(前編)

まずは、大変遅ればせながらはてな上場おめでとうございます。2ヶ月遅れですが。

私は一、はてな無名ファンです。

先にお断りしますと、この文章は長いです。12,000文字近くあります。そう言えば最近「長すぎて読めない」ってタグ見なくなりましたね。

元々は数日前に自分のブログに投稿したのですが、アイコンを見てもIDを見ても誰にも認識されていないであろう私がこんなことを書いているのも気持ち悪いような気がして、衝動的に消してしまいました。そんな文章ですが、せっかく書いたので思い返して増田に投下します。それでも交流のある僅かな方からは、「あ、あいつだ」とすぐバレると思いますが、全く構いません。

大げさな振りをしてしまいましたが、この、はてなの世界からゆるやかに距離を置こうと思いまして。

ハイコンテクストな話題で、関係者でも有名ユーザーでもない私が語るには随分と分不相応であろうことは承知しているのですが、私は人知れず長年このはてなという会社とそのサービス利用者でした。たぶん、相当熱心なファンのほうだと思います

しかしこのはてなという界隈、おそらく長年世間一般的には「俺ははてなが大好きなんだー!!」とはなかなか言い出しづらい雰囲気と言いますか、一部一種のギークナードか?)臭さみたいなものから逃れられないセグメント感があったために、公の場であまりそれを声を大にして語る機会が無かったという状況があったような気はしています

勝手な想像ですが、よく言われるとおり先日上場した株式会社はてなとしてはきっと、そういった閉鎖的なカルチャーからの脱却を図る必要があるのは事実なのであろうと考えています

私は「はてな界隈」という自然発生的な、「インターネット好き」が作ったプラットフォームコンシューマージェネレイテッドなコンテンツが組み合わさってできた若干マニアックな文化がとても好きで、かつてインターネットに期待していたワクワク感のようなものを自分の感性ともっとも近い形で目指している会社だなと思っていたので、はてなを好んで使っていた理由も、今これを書いている理由も、サービスが向かう方向性とのギャップが発生したということで仕方ないのかな、と考えてはいます

回りくどい書き方ですが、つまり、ここ最近(数年)の急激な利用者層の変化、人気ブログホッテントリに上がってくる記事とその使われ方の変化、新たな利用者層との精神的摩擦に疲れて消耗するのが嫌になった、ということです。

私は自分の楽しみのために自分が面白いこと書き、読むっていうスタンスで自分のスペースを使ってきたので特定のユーザー群を非難するのはその趣旨とズレるし、メタな「ブログ論」を書くつもりは無いんです。なのでわかりやすバズワードは書きませんけど、要は、そういうことです。お察し。


ここまで書いておいてから自己ツッコミを入れますが、私がここでこんなことを書いていても、おそらくそれほどの価値は無いのでしょう。

私は長年使っているとは言いながらも、所謂はてな村」と言われるような有名ユーザー層に所属するようなアカウントではないし、特別人に見られるコンテンツを上げていたわけでもコミュニケーションを取っていたわけでもないし、こんなことをグダグダ書いていても「知らない人。気持ち悪い。」で片付けられてしまうような気はします。

コンテンツもお金も落としてもいないアカウントですので、ある意味運営側の立場から見れば、「うるさいことだけごちゃごちゃ言って全くサービスに貢献しない面倒くさいアカウント」あるいは「フリーライダー」と言われても仕方がない気がします。

これは別に被害妄想を語っているわけではなくて、自分がサービスを利用して得たメリットと、お客さんとしての価値を第三者的に見た時、そういう風に判断されてしまっても仕方ないかな、と冷静に思っただけです。

最近はてなブログブクマを見ていて、「これは自分には合わないな」と思ってケチを付けたくなる機会が多くなってきたことと、でも、ケチを付ける発言力(あるいは権利)のバランスを天秤に掛けて、ああ、もう自分が楽しく見ていられる場所ではないのかな、と感じることが増えてきたことと、単なる1ユーザなのにそんなことを考えてしまうこと、考えさせられてしまうことが嫌になってきてしまったということがあって、こりゃ、私の居場所はもう無いのかもしれないな、と思いつつあるということです。

かつての掲示板サービス群から始まってブログランキングやら、SNSやら、インターネットサービスではいろんなところでこのような文化の変遷みたいな場面は見てきたはずなのだけれども、思ったより自分の生活の大きな部分にはてブが入り込んで浸透していたことに自分でもかなり驚いていますね。

前提としてなぜ、こんなマイナーキャラの私がそこまで一、ネットサービスに入れ込んでいたのかについてちょっと語らせてください。長くてすみません

私のはてな歴は12年くらいです。長かったらどうだというわけでは無いのですが、はてなを知ったのはまだ人力検索しか無かったころで、自分が実際にユーザーになったのは例の「日本人にはブログより日記」のちょっと後、「はてなダイアリーはてなブログに名称変更」とかエイプリルフールネタでやっていたころです。最古参ではなくて、ブログブームの頃に「はてな界隈」を意識するようになったので第2世代くらい、ということになるのでしょうか。

その後アカウントが一回変わっていて今のIDは5、6年くらい前に取りなおしたものなので、おそらく古参ぽさは無いですね。

はてなには他社のサービスと比べてとりわけIT系ユーザー比率が高いと思いますが、私もそうです。一貫してネット関連ですが完全な同業というわけではなく、何度か変遷を経て今は流通系事業会社インターネット事業担当になったというキャリアです。

はてなのサービスを認識した時はちょうどMovableTypeの2.6あたりが日本でも流行りだした頃で、「Web日記がhtml無しでこんなに簡単にできるなんて!」「コメントとかトラバとかすげー!コミュニティ作れまくり!」とかっていう話題で日々興奮していたのを覚えています90年代後半からネットは見ていたけれど、これからいよいよ「普通の人」にもオープンに普及していくんだなー、と夢描きながら仕事で、あるいはプライベートでどう活用しようか考えていたんですよ。「Web2.0」より2年前くらいのことですね。

その頃、ちょうどあるECサイトコミュニティサービスの担当をしていたんですね。いろいろやりましたよ。掲示板サービス炎上して閉鎖に追い込まれたり、画像著作権で揉めたり、ブログが使えるようになってからは、「ブログ商品の宣伝を書いてリンクを貼ってくれたら100ポイント!!」とかい現代であればGoogle警察が1日でぶっ飛ばしにくるようなプロモキャンペーンもせっせこ考えては公開してました。更にその後はOpenPNEベースのmixiっぽいSNSをやったりとか。

今考えるとうわーっていう企画も多かったのですが、おおらかながら大真面目にやってたんですよ。まじめに、ライトユーザーに使ってもらうにはどうしたらいいかとか、コアユーザーがどう伝搬してくれるかとか考えてました。その頃は(ネット上のマーケティングにおいては)セグメントの乖離とかそういう問題も今ほどは研究されていなかったし、たぶん自分でもまだ十分理解できてなかったんですよね。私はそんな感じの人間です。


自分語り方面脱線したので話を戻しますが、ブログブームちょい前の頃、世の中で出始めたブログアカウントを片っ端から取っては試すということをやっていたんですよ。ココログはてダから始まって、livedoor、goo、ExciteSeesaaJugem、FC2、楽天、MSN、ドリコムウェブリブログドブログYahooヤプログ、アメなんたら……

でですね、そのときにはてなの特異性に気付いたわけです。

なんだこりゃ、殺風景サイトだなぁ、なんか研究室みたいだなぁ、システム屋くさいなぁ、ってのが当時の正直な印象です。まったく間違ってないと思いますが。

ダイアリー以外の他のブログサービスはだいたい大手キャリア系か、大手ポータル系か、大手ホスティング系のいずれかじゃないですか。実際仕事で関わることがあったのはそういった会社さん達だったわけだったんですけど、私個人的にはこのはてなダイアリーってやつにとても興味を持ったんですよね。

純粋にIT系オタク集団(失礼)がコミュニティで勝負するっていう構図のサービスがすごく面白いなって思いまして、当時から実際にIT系のギーク技術記事とか、濃厚なネットのいざこざとかそういうのがぐちゃぐちゃと集積されつつあって、うわぁ危険と思いながらもはてなだけは明確に識別して見に行く感じになってたんですよね。

人力検索もそうですが、アンテナとか、キーワードとか。私はネットコミュニティをやりたくてこの世界に入ってきた人間なので、人と人をつなげるサービス、というコンセプトに対して面白いことをやろうとしている人達がいるんだなーって思ってたんです。こんな殺風景非コミュ論壇だらけのサイトなのに。なんだかそのギャップがまたすごく居心地が良くてね。よく閉鎖的って揶揄されるはてなですけど、私はそんな風に思ったことなかったな。

そう、私は村感というよりは、僻地の秘境だけどここは自由でオープンだ、っていうように感じていたんです。

今はなおさら顕著ですけど、その頃って既にインターネットサービス外来大手サービスに集約されつつあったじゃないですか。ブログにしたってMovableTypeWordpressも外から来たものだし、MySpaceとか、Facebookもそうだし、その後の流れって周知のとおりって感じじゃないですか。強いて言えばmixi……はやっぱべつにいいや。

そんな中、日本ドメスティックな小さなネットベンチャーが純粋なコミュニケーションの仕組みだけで世界観を醸成して、しかも生き残るっていうことに夢を感じたんですよ。まあ、ドメスティックっていう部分について言えば、jkondoさんが渡米した時期とかあったなぁ、とかあるんですけども。

はっきり告白しますけど、私のような自分で新しいプラットフォームを開発するほどの実力が無い中途半端ネット屋にとって、超恥ずかしながら彼らはヒーローだったんですよ。jkondoさんやnaoyaさんは私とほぼ同い年ですけど、勝手に同世代ヒーローだと思ってたんですよ。

はてなブックマークソーシャルブックマークという概念を身近に体験した時は「単なる『お気に入り』じゃなくて、興味を持ったものについて何時でも語り合える世界が作れるんだなあ」ってリアルに衝撃を受けたし、スターが登場した時は(FacebookTwitterより前に)これ、シンプルだけどもしかして世界を幸せにする機能じゃね?って感動したりしましたよ。

だいたい、jkondoさんはすごいんですよ。私など勝てる要素が無いですよ。スプリントでもロングでもヒルクライムでも絶対勝てないですよ。山も強いし、みんな山手線一周1時間48分てできます??サラッと書かれてたけど、メチャクチャ速いよ!!俺も何度もやってるけど、大真面目にやっても3時間切るのだって大変だよ。明治通り中央通りはともかく、田端駒込あたりの裏路地とかどうしてたんでしょうね。メッチャ危ないよ!!つか、あの頃の自転車クラスタみんなどこ行っちゃったんでしょうね……

何の話でしたっけ。そうそう、趣味が合いそうな人達が集ってるっていう話でしたね。

私の文章は、テキストサイトからアルファブロガーあたりまでの文章にめちゃくちゃ影響を受けていると思いますちょっと極端なことを書いたら「フロム先生の真似か」とツッコまれてドキッとしたり、写真クラスタの真似をしてやたらでかい写真を並べてみたり。最近は年に一回お正月だけに現れるmk2さんの文章を見ると涙が出そうになります。長文には慣れています。必死に調べないとついていけないような技術論議や、内蔵をさらけ出して書いたような、編集が入った本では読めないようなブログを読みたいし、そういう記事でみんなが共感していく世界が見たかったんです。

はてなブログ目次記法は便利だと思うんですけど、他所ニュースサイトに貼られた記事を引っ張って目次を並べていかがでしたか?なんていう記事を、私は単純に面白く読めないんですよ。「参考になりました!」じゃねーよ!!ならねーよ!!残念すぎるだろ!!なんて思ってたんですよ。

ここまでで既に5,000文字を超えてしまいましたが、話が飛んでしまったので一旦元に戻します。

まり、そういった「自分の好きなものを好きと言う」「好きなものを選んで、好きなものを見て共感する」という、人の本能的なコミュニケーションの楽しみの源泉のようなものを、私は求めていたんだと思います。自分の背中に正直な、泥だらけのスニーカーで追い越すような体験を期待していたんです。

もちろん、どんな時代にだって人と人のコミュニケーションにはいろいろあって、変わらないものがたくさんあるんだとは思いますよ。パソ通の時代だって、BBSの時代だって、初期のブログだって、「読みました。記念カキコ☆」はあったし、コメント欄で交流が繋がって新たな友達ができるという興奮だってあったし。

最近はてなだって、今、その興奮を新たに体験して純粋に喜びを感じている人達がいるはずだしそれはもちろん喜ばしいことなんですけど、さすがにこの情報過多なご時世なので、ツールと場所の管理と運営をしっかりやっていかないと、純粋な喜びを埋もれさせず、コンテンツの品質を保つのは相当に厳しいなという実感はありますね。

一般化、大衆化、というものはだいたいそうで、単純に「この村も昔は良かったのに」っておじいさんが言っているっていうような話ではないと思うんですよ。

こんなことを話している私自身が既にネット上では「古い側」の人間になっているのかもしれませんが、個人的には、「はてな村」とかって言われている界隈にそれほどイライラするような内輪感を感じたことは無いんですよね。実際にひどい攻撃的な言葉が飛んできて嫌な思いをしたことだってありますし、慣れ合いとかってのは昔も今もあるわけなんですけど、だいたいは好きなことを好きなように書いた、っていうモチベーションによって書かれた記事は、面白ければ当たるし、面白くなければ流行らないわけじゃないですか。読む側だって気に入ったら読めばいいし、気に入らなかったらスルーすればいい。だいたい、広い世界で見ればごく一部のできごとだっていう側面もあったわけじゃないですか。

だから、一定の、嘘を嘘と見抜ける程度のネットリテラシーさえあれば、海水浴場の中に浮かぶ邪魔漂着物があっても、農耕地が石だらけで荒地になっていても、単に避ければいいだけだって思ってたんです。

むしろ、良い記事にフォローが集まったり、ひどい記事はひどい記事でそれに集まった批判が有益だったり、そうやってやり取りを応酬する中で集合知として収斂されていくという光景は、みんなで海を掃除したり、畑を耕していくような感覚を覚えていつもネット醍醐味であり爽快ですらありました。


……でもね。最近の例の動向はちょっと様相が違っていて、私のようなユーザーにとってはもうちょっと見ているのが厳しいな、というのが本音です。商業的なまとめサイトが場を汚染している、というような話であればユーザーコミュニティによるチェックと自浄作用が働きますはてブうまいことそういう機能果たしてきたと思うんですよね。

でも、ユーザー側のほうで「良いと思ったから良いと言った」というお気に入りによるキュレーション機能が働かず、返報性の原理によるコミュニケーションが中心の場になってしまったら、今のままのはてブでは、(コメントツールとしてはともかく)少なくとも情報ツールとしての価値は大きく毀損されます。これは、ユーザーモラルもありますが、サービス構造上の問題として避けられなかったことだと思うんですよね。


海や畑が全部「あれ」になったら、もうどうしようもないでしょう。もう去るしかない。

この問題についてはさんっざんぱらたくさんの人に書き尽くされているのでここでは書くつもりないんですけど、小遣い目的で面白くない記事が量産される、共有のヘッドライン専有されて他のユーザーに影響を及ぼす、内容に関係なく相互フォローする、これらは本人の意識あるなしに関わらず、関係ない人から見たら無益です。

これについてルール違反がないのならば、サービス品質を維持するための運営/システム側の構造課題を疑ったほうが良いし、ユーザー側についても、一部の炎上チャリーンで喜ぶようなやつは単なるスパムなのでこれは単純な絶対悪ですよ。

別にネットの世界で今始まったことじゃないんですよ。むしろはてブ牧歌的で今まで性善説でよくやってこれたなっていうレベルじゃないかと思いますTwitterでも「相互フォロー推進委員会」とかあったなあ。一方的に何百人単位でフォローしてきて、ふぁぼりまくって、こっちが反応しないと砂をかけて去っていくようなのが……

ただそういう人達ごにょごにょ楽しくやってるだけならどうだっていいんですけど、今はホッテントリが明らかに使いづらくなっていたり、更には他のSNS経由でこの界隈の記事が流れてきて反応したらおかしなことになったり、実際にそういうことが発生しだしているんですよね。これが結構精神的にくるものがあるんですよね。

というわけで、そういう一団がこのサービスのほんの数%、もしかしたら0.数%の人達であり、ほとんどの普通の人は何も気にせず普通に自分の日記を書いているんだ、てことはわかっていても、でももう気持ち的にこの界隈と一緒の世界でブログを書くのは無理かもしれない。既に古参と言われる人達がかなり去っていっているし、生き残っている人達も読者層が急激に変わっていたりとかして、なんていうか、見ててつらい。

最近、ある有名人ブロガーブログを読んでいて、半年前にも同じテーマで書かれたことがある記事がホッテントリに入っていたのを見たんですけど、ふとブコメを見てみたら、半年前の記事と反応のコメントが全然違くてびっくりしたことがあったんですよ。よく見ると、並んでいるアイコンがガラリと変わっていることに気づきました。読者層が急激に入れ替わっているんですね。

この人はムラ社会に寄る人では(読者から見たイメージでは)無いし、長い人とも新しい人ともバランスのいい関係を築けていてすごいなあ、と思っていたのですが、図らずも急激に「有名人」として新規層の神輿に乗せられているように見える状態になってしまって、一方で彼自身は広告収入で儲けているようなブロガーではないし、内心複雑な気持ちなんじゃないかな、とか勝手心配をしていたりします。そういう人、何人かいますよね。余計なお世話すぎるとは思うのですが。

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すみません、長すぎて登録すると切れてしまうので、途中で切ってトラバで繋げます

2015-08-01

わたしたちー いわゆるアイドルー 週末テロインー 星色クローバー しねーーーーーーー

ニュー山王ホテル

ニュー山王ホテル

ニュー山王ホテル(ニューさんのうホテル、New Sanno、ニューサンノー、New Sanno U.S.Force Center、ニューサンノー米軍センター])は、

東京都港区所在する、在日米軍施設である管理者アメリカ海軍)。


概要

この施設ホテル形態をしており、アメリカ軍関係者東京訪問した際の宿泊施設、及び在日米軍のための保養所、社交場として機能している。さらに、駐日アメリカ大使館関係者にも開放されている。

日本人は勿論、アメリカ人であっても軍と無関係民間人は、原則として立ち入ることは不可能である施設内で使用される言語英語通貨米ドルとなる。当施設では他の在日米軍基地と同様、日本人雇用例もみられる。利用や宿泊の条件は、アメリカ海軍規定に拠って厳しく規定されているが、とりわけ週末には満室となり、宿泊予約が取れないことが多いという。

日米地位協定などについての協議を行う、「日米地位協定各条に関する日米合同委員会」の会合が開催されることでも知られる。

歴史

第二次世界大戦終結後の1946年昭和21年)、アメリカ軍旧日本軍山王ホテル士官宿舎(東京赤坂)を接収、以後占有した。

1983年昭和58年10月、同地は旧山王ホテルオーナーであった安全自動車などの所有者に返還された。その代替として日本政府からアメリカ軍提供されたのが、現在のニュー山王ホテル土地建物である

所在地は、安立電気本社跡地であり、部屋数(149室)、床面積(15万平方フィートから駐車場台数(74台)に至るまでのすべてが、移転前の旧山王ホテルのそれらと同一となっている。1981年6月建築着工され、1983年6月に完成、同7月閣議決定と日米間の政府協定の締結を経て、同年7月16日アメリカ軍提供された。

1983年11月に、日本の国の関係機関、ニュー山王ホテル代表地元町内会から構成される「ニューサンノー米軍センター地域連絡協議会」が設置され、定期的な協議が行われている。

2004年から2006年にかけて、内外装に対する大規模な改修工事が行われた。作業は大成建設施工し、特別大理石を敷き詰めたロビーを始めとする重厚で華やかな仕様工事には、1,000万ドル以上が費やされたという。


施設概要

住所:東京都港区南麻布 4-12-20

開業1983年10月

客室数:149(全室禁煙

土地面積:7,249平方メートル私有地

建物:地上7階、地下1階

管理部隊極東海軍施設技術部隊(アメリカ海軍横須賀基地司令部

売店

和食洋食レストランカフェ、バーラウンジ

スイミング・プールフィットネスセンター

会議室パーティー/宴会

銀行ATM

なお、アメリカ同時多発テロ事件以降、テロ対策理由施設前のパーキングメーター撤去された。


アクセス

鉄道

東京メトロ日比谷線広尾駅徒歩約12

自動車

明治通り天現寺交差点:約150メートル

首都高速道路2号線天現寺出入り口:約50メートル

2014-04-14

http://anond.hatelabo.jp/20140414105512

昔は男の服でまともなアイテムを探そうと思ったら、関東在住であればそれこそ明治通りまで行かないと無理だったわけで。

それが真実だとしたら、わざわざ苦労してまで「まともなアイテム」を探そうとする奴は今よりはるかに少数だったということになり、すると世間には今よりもずっと「まともじゃない」服の奴があふれていたということになり、あふれているということはつまり一般的だったということで、他人からどうこう見られることもなかったのでは?

http://anond.hatelabo.jp/20140414104313

それ「他人からどう見られるか考えるのが無駄」と言ってるようにしか聞こえないんだけど。

まあ、ある程度時間を割く必要はあるにしろ、今時ならファストファッションのお店を回るだけで無難にまとめられなくもないので、金銭的コストは昔程じゃないと思う。

昔は男の服でまともなアイテムを探そうと思ったら、関東在住であればそれこそ明治通りまで行かないと無理だったわけで。

あと今の時代、身だしなみに掛けるコストまで切り詰めて何かをすることは、社会的デメリットが多くて難しいと思う。

料理を作るとき「わあ美味しそう!」がないと作り手的に大損みたいな。

2014-03-09

首都圏の主要道路の変遷メモ

明治~現代の各時代の古地図が見れるサイトを見つけて、古地図&道路フェチとしましては、むさぼるように見入ってしまいましたとさ。

■今昔マップ on the web 首都圏編

で、主要道路がこれまでどんな変遷をたどってきたのか、知ることができた内容をメモ代わりに。



【おもな放射道路編】

東海道国道1号・15号)

池上通り

中原街道

綱島街道

  • 1900ごろ時点で綱島~六角橋の区間が原型存在。現在では旧綱島街道としてほぼ残っている。
    • 綱島以北は現ルートに相当する道はなく、代わりに、矢上を経由してガス橋通りに相当する道と、高田・子母口へ通じる県道106号に相当する道に分岐していた。
  • 丸子橋~綱島間は1940ごろ開通。ちなみに東横線開通のほうが先で1930ごろ。
  • 大豆戸~菊名間の新道は1940ごろ開通。菊名~浦島丘間は1960ごろ開通。

目黒通り

駒沢通り

国道246号方面(青山通り六本木通り・大山厚木街道

世田谷通り津久井

甲州街道国道20号



【おもな環状道路編】

内堀通り

  • 1900時点から現在と同じ道が存在している。
  • ただし二重橋前地域は、1970ごろ以前の地図では道路なのか広場の一部なのかがはっきりしない。

外堀通り

  • 淡路町鎌倉橋間に道ができたのが1930ごろ。それ以外の区間はほぼ全線に渡って1900時点で市電が走る道路だった。

外苑東通り

外苑西通り

明治通り

  • 古川橋渋谷区間。1900ごろ時点でほぼ原型あり。広尾付近は1930ごろに市電開通とともに1本の道として整備。
  • 渋谷~新宿区間。1900ごろ時点では、明治神宮前代々木付近に若干道があるのみでそれ以外は道らしき原型はなし。
    • 渋谷駅付近は、1960ごろに宮下公園東側が開通するまでは山手線西側の道につながっていた。
  • 神宮前新宿区間は1940ごろまでに開通。
  • 新宿~池袋区間は、1950ごろに開通していてそれ以前は道らしきものはほとんど無し。
  • (以東は省略)

山手通り

  • 北品川~大崎区間は、1920ごろに開通。1950~1960ごろにかけて大きな道へ整備。
  • 大崎~五反田間は1900ごろにはすでにあり、大崎駅の陸橋は1920ごろに陸橋化されて、その後何度か形状改良されている。
  • 五反田~大橋間は1950ごろまでに開通。
  • 鑓ヶ崎~神泉の現「旧山手通り」区間は、1900ごろ時点で現道と若干異なっているが原型が存在し、1920ごろにほぼ現道のルートで開通している。
  • 神泉~熊野町の区間は、1940~1950にかけて、もともと道がなかったところに一気に開通。
  • 渋目陸橋・菅刈陸橋ができたのが1960ごろ。それまでは、初台方面から南下すると現「旧山手通り」にのみつながっていて、中目黒目黒方面とは直結していなかった。
  • 熊野町~仲宿区間は1960ごろに開通。

都道420号

  • 現在進行形で今も絶賛整備中のこの道路。1900ごろ時点で存在するのは下記区間。
    • 戸越~五本木(現在と多少異なり武蔵小山を経由)、下馬~三宿~大山(北沢)、中野駅付近、哲学道~大山(板橋)
    • ルート上に「大山」という地名が2箇所あるため、ここでは「大山(北沢)」「大山(板橋)」と記述する。
  • 大井町付近は、1920ごろの大井町線敷設以降に徐々に整備。仙台坂トンネル開通は1990ごろ。
  • 戸越小・戸越公園の一角は、1950ごろまでの地図は「三井邸」と記されている。この下にトンネル開通させて大井町駅方面へ直結させる計画が2010時点着工中。
  • 国道1号中原街道目黒通り間の現道が開通したのは1960ごろ。
  • 目黒通り駒沢通り(=五本木)間は現在2014年時点で新道着工中。
  • 五本木~下馬区間は2000ごろ開通。
  • 下馬~三宿区間は、1960ごろに既存道路を拡幅・延伸して整備。
  • 三宿~大山(北沢)区間は、現在420号指定されている狭隘道路は1900時点ですでに存在する。拡幅&新道の計画があり、拡幅工事は現在着工中だが新道についてはまだ未整備。
  • 大山(北沢)~笹塚区間は2010ごろ開通
  • 笹塚~中野五叉路区間は1960ごろに開通。
  • 中野五紗路~新井付近1930ごろ現道開通。
  • 新井付近~哲学道区間の開通が1960ごろ。
  • 哲学道~大山(板橋)区間は1900ごろ時点から道があり、徐々に整備されている。

環七通り

環八通り

府中街道大師道・南部沿線道路・川崎街道

尻手黒川道路

  • 1900ごろ時点で原型が存在するのは、末吉橋およびその周辺、矢上~梶ヶ谷~清水台区間、柿生黒川区間。
  • 川崎駅末吉橋区間は、何度かルート変更されたのち、1960ごろに現道完成。
  • 末吉橋~子母口区間は1940~1960ごろに現道完成。
  • 子母口~梶ヶ谷~清水台区間は1960~1970ごろに現道完成。梶ヶ谷貨物駅完成が1970ごろ。東名川崎IC完成が1970ごろ。
  • 清水台~稗原区間開通が1980ごろ。稗原~王禅寺ヨネッティ付近は、神木本町方面からの道路として1960ごろ先に開通。
  • 王禅寺~山口台区間は1980~2000にかけて開通。
  • 山口台~津久井道区間は2010開通。
  • 津久井交差点から黒川方面へ直結させる短絡ルートが2010現在事業中。
  • その他、2006に元住吉付近で東横線と立体交差を逆にする工事実施

横浜麻生道路

  • 1900ごろ時点で、多少現道と異なるが全線で道路が存在。柿生から先は鎌倉街道府中方面・八王子方面へ直結していた。
  • 1930ごろ、東神奈川六角橋間の現道完成。当時は市電が走っていた。六角橋北側の一部区間の現道完成は1960ごろ。
  • 1960ごろ、津久井道交点が現在のようなT字路に路線変更
  • 1970ごろ、新川向橋付近の現道完成。
  • 1980~2000にかけて、池辺町~市ヶ尾間の新道完成。
  • 2000ごろ、市ヶ尾~鉄町間の新道完成。

国道16号八王子街道・町田街道方面



【その他、概況】

地形・丘陵

河川

2013-06-18

毒男的都会のデパート価値

男のくせに服を見るのが好きで、特に「何が売ってるかなー」的ワクワク感が楽しみだ。それで惚れ込めば買って帰ると。

なので20代の頃は北関東南部(←わかりにくい表現すんません)の田舎から月数回は明治通り路面店まで買い物に行っていたのだが・・・30代も半ばになった今は面倒くささが先に立ち、殆ど行かなくなってしまった。

面倒というのは、もはや年々足が遅くなる一方の年齢という体力的な問題もあるけど、非コミュであっても趣味を幾つか続けていれば、それらの用事で休日スケジュールが埋まるくらいにはなると。


そこでデパートですよ。デパートは歩いたって建物の中で完結するので超便利だし、都会のデパートだとメンズの品揃えも悪くないとこがある。

仕事帰りでも定時に上がれればそれなりにお店回れるし。

典型的なのは言わずと知れた新宿伊勢丹メンズ館。あとは二子玉の高島屋とかかな。

しかし30代やアラフォー独身男が気軽に買えて楽しめる所はまだまだ少ない。

銀座有楽町?あそこは既婚者向けってイメージがプンプンするのでダメ


もう一緒に服見る彼女や嫁が出来る可能性は殆どないし、こういう生臭くなり始め系男子()は結構いそうなので、そういう層向けのショピンゾーンもっと増えて欲しいと思う。

まだまだ「ウジ湧いてる男やもめのオッサンです」と開き直りたくないというか、未だにカッコ悪いことはしたくないので、カッコつけてられるうちは・・・という感じ。

2011-08-07

から仕事を干されているのですが、」という相談を受けた

タクシードライバーをやっている関係で、いろんな人と会話をする。

おねいちゃんや、ビジネスマン小学生から高齢者政治家芸能人。だいたい天気のような他愛のない会話が多い。

少し前、少しイケていない感じの会社員新宿に近い明治通りで乗せた。

客 乗っていきなり「話をきいてもらえますか?」

こんな話の切り出し方は初めてだ。「なんかあったんですか」

客『4月からいままで3ヶ月、会社仕事を干されてしまったんです。雑用程度のことしかさせてくれなくなったのです。」

俺 理由もなくですか?

客 4月風邪で辛くて休ませて欲しいと電話したら、認めてくれなかったのですが、私は出勤しなかったんです

  そしたら部長が怒って、私に仕事を与えるなという指示が出て、現在に至ります

  今の会社ひどい会社だと思いませんか。 実は転職するつもりでこれから面接なのです

俺 

2010-08-05

新宿の夜の散歩道5ルート

当てもなく新宿を夜ブラブラするときに素敵な散歩

東南口(Flags前)を出て、甲州街道沿いにてくてく歩く。右側の高い位置に道路、左側に汚い飲み屋が続き、それが過ぎると家具屋とかギター屋がある。ギター屋の横には下着屋もある。明治通りとの交差点に出て、渡って新宿高校側へ。新宿四丁目のビジネスホテル街の昭和の雰囲気もいい。一泊2000円で泊まれる。そこから新宿高校前を通るとすぐ新宿御苑の横の道へ。歩いていくと四谷三丁目まで比較的すぐ。

東口を出て、騒がしい交番の前を通り、アルタ前の左側の混んでいる道を抜けて靖国通りへ。フルーツ屋の角からの道は、あやしいお店とか楽器屋とか、布とか売ってて、真ん中にはホームレスが拾った漫画雑誌を売ってるごちゃごちゃした雰囲気で楽しい歌舞伎町一番街の門を越えると焼肉屋とか飲み屋が続き、コマ劇があった広場へ。うろうろしてると客引きに声をかけられるけれど、比較的まだ安全なゾーン。となりのさくら通りとか区役所通りのほうが危ない人たちが闊歩してるイメージ。むかし高校のときにさくら通りの飲み放題の店でややぼったくられた。歌舞伎町を見たら戻って区役所の横からゴールデン街へ。ごちゃごちゃした小さなお店が並ぶ。時が止まったかのような人たちが毎日飲んでいる。ゴールデン街を抜けてすこし行くと花園神社。危ないという話もあるけれどお祭りやってるときは楽しい

南口を出て信号渡り動く歩道がある高島屋への道を歩く。2階からは向かいにあるハンバーガー屋とかジーンズ屋とかが見える。高島屋をつっきり、ハンズの横の道から外に出て、紀伊國屋のところまで行って代々木方面を見ると代々木まで300mと書いてある看板があり、近いなあと思える。ちなみに代々木駅階段はかなり急だ。橋を渡りサザンテラスに行くと、並ぶドーナツ屋が見える。francfrancなどのお店もあるので駅に戻る方向に歩く。駅に近いところに地方物産館みたいなのがあり、その逆側はカップルが座る植木になっている。

西口を出て、地上に出ると右側に小田急ハルクにはいったビックカメラが見えるのでそこにいく。ビックカメラ比較最近できたけれど、いいお店。夜遅くなると誘導されて出ることになる。2階あたりには耳栓売ってるスポーツ用品店とかがある。そこを出ててくてく南に歩いていくとヨドバシカメラ。その昔、新宿には淀橋浄水場というのがあった。ヨドバシ、というのはここの地名のこと。ビックカメラなどができて見劣りするけれど、それでも新宿西口と言えばこれ。そこから歩いてひたすら行くと都庁の後ろに新宿中央公園がある。都庁きれいな夜景をみた後は、公衆便所の上で飲みましょう。

西口を出たら、旧さくらやの横の東口との連絡路方面へ。そこで立ち止まるとあやしいビデオを売る店、ペットを売る店、謎のスーツ屋、などの間に入るところがあり、そこが思い出横丁。10席も座るところがないようなお店が焼き鳥とかうどんとか売ってる。道が狭くて素敵な店が並ぶ。便所は共同。思い出横丁を出て青梅街道沿いに東へ行って南側を見ると高層ビルが並ぶ。だいたいの高層ビルは屋上だけ開放しているので、展望台にいって夜景を見よう。それぞれのビルの高さが見える。その高層ビル群から少し北の道へ入るとこちらも時代に取り残されたような民家が並び、その歴史を感じる。大阪阿倍野飛田の間を思い起こさせる。

2009-05-21

http://anond.hatelabo.jp/20090521165955

先週末、明治通り同性愛の人たちがデモしてたんだけどさ、

五人か六人しかいなかったよ。警備の警官より少なかったかも。

スピーカーで何か伝えようとしてるんだが、

よく聞こえない。

「いいぞーいいぞー」「同性愛!」

「いけないいけない」「XXX!」

バリエーションがいくつかあって、

そのうちひとつが「ホモフォビア」だって、ようやくわかったんだけど、

もうちょっと世間にも分かりやすい言葉を使った方がいいというか、

日本ゲイをするのは、おそろしくマイナーなんだ、という感じがした。

2009-03-15

僕の知り合いに天才がいます

自分ブログに書いても誰もたどり着かないので、ここにも書く。

僕の知り合いに天才がいます今日、ばったりとその人に会ったので、その人の話しをします。

頭がいいな、賢いな、と思う人はたくさん知っていますし、とても性格が良い人は少し数が減りますが知りあいに何人かいますですが「この人は天才なんだ」と思わせる人はその人だけです。彼だけは他の誰とも違うのです

彼は大学の先輩で、3年生の春休み出会いました。そのとき彼は5メートルくらい離れたところに立って、とても難しそうな話しをしていました。連続体仮説がどうの、とか、そういう話し。話しの内容はよく聞きとれませんでしたが、ぎょろっとした大きな目と、視線がまっすぐ前を向いたまま微動だにしなかったことがやけに印象に残っています

僕は4年生から研究室の後輩として彼の指導を受けました。彼が天才であることと、教育者に全く向いていないことは指導を受けるようになって3日でわかりました。彼は、研究室の誰もが答えの糸口すら見いだせない問題に、ものの10分足らずで解を与えることができました。10分のうち、8分は問題がなんであるかを彼に説明することに費やされました。それを聞いた彼は、20秒ほど黙り、そして解を述べました。そして、1分ほどまた黙り、なぜその解が正しいのかを30秒で説明しました。問題によって10分が5分だったり、たまに数日かかったりしましたが、おおよそこんなものでした。

要するに、問題を理解した瞬間、彼には答えがわかってしまうのです。彼によると「答えが降ってくる」のだそうです

彼は修士課程の2年生でした。4月中旬ごろに、システム開発をやっている会社内定を取ったということを彼から聞いたとき、「よく○○さんに内定をだす企業がありましたね」と軽口をいいました。てっきり彼が冷やかしで就職活動をしているのだと思っていたのです。彼が博士課程に行くのだと決めつけていたのですしかし彼は真面目な顔で「本当だな。なんとか死なずにすんだよ。」と答えました。彼はよく真顔で冗談を言うので、そのときの僕は笑って受け流したのですが、後から助手先生に「彼は××社にいくらしいね。」という話しを聞いたときには、少し混乱しました。本当に就職するということを理解するのにおそらく10秒ほどかかりました。そのあと、彼でも混乱することがあるのだろうか、という疑問が浮かび、きっと無いだろうな、という結論を1秒もかからずに出しました。

彼はとても順調に研究成果を出し、最後の数ヶ月に同級生たちが苦しむのを尻目にあっという間に論文を書いて卒業していきました。その年は、学部卒業式大学院卒業式が合同で行われましたが、彼の姿はありませんでした。風邪をひいて休んだのだと彼の同級生は言っていました。

その年の初冬、僕は彼に再会しました。彼に声をかけられたとき、僕は彼が彼だと確信を持てませんでした。彼の顔から表情は失われ、頬が少しこけ、彼が天才であるというただ一点のために発せられていた存在感がすっかり消え失せていました。僕は驚きました。人が10ヶ月もしないうちにこうも変わるのかと。

彼と僕は、明治通りから少し奥に入ったところにある喫茶店で30分ばかり話しをしました。日曜日原宿だったので喫茶店は人でいっぱいだったのですが、僕たちが入っていったときに、たまたま学生とおぼしきカップルが席を立ったので僕たちは運良く座ることができました。なぜかBGMモーツァルト作曲オペラがかかっていて、それがひどく間の抜けた空気をあたりにまき散らしていました。

はじめの10分間、彼は黙ってコーヒーを飲んでいました。僕は本当に彼が彼なのか、まだ信じられずにいました。学生時代の彼はとにかくよく喋りました。話題の90%が研究の話しで、残りの10%が最近寝た女の子の話しでした。その90%の部分で僕は彼に嫉妬を感じ、残りの10%でもっと嫉妬を感じました。

一度僕は「なぜそんなに色々な女の子と寝られるのか」と彼に聞いたことがあります。そのとき彼は「女のほうが数が多いからじゃないか。」と真顔で答えました。ぶん殴ってやろうかと思いました。

・・・きっかり10分して彼は深いため息をつき、そして口を開きました。

ーーーーーーーーーー

彼はやっと絞り出すといった風で口を開いた。

「とてもシンボリックな話しがあるんだ。」

間の抜けたモーツァルトを聞きながら、僕は何も言わずに次の言葉を待った。

「俺の会社は昼寝をしたら怒られるんだ。」

「僕の中学もそうでしたよ。高校は放任主義だったけど。」

僕の言うことを無視して彼は続けた。間の抜けたことや間違ったことを僕が言ったと感じると、学生時代からはいつもそれを無視した。

「自慢じゃないが、俺は生まれてから大学卒業するまでの22年間毎日欠かさずに昼寝をしてきた。それも、毎日午後4時ぴったりに寝て、15分後に目が覚めるんだ。まあ、たまに3時45分に寝て4時10分に目覚めることもあれば、4時30分に寝て4時40分に起きることもあるんだが、それでも昼寝していることには変わりない。とにかく俺がいいたいことは22年間毎日昼寝をしてきたということだ。」

壮大なんだか、アホらしいのかよくわからない前フリだと僕は感じていた。たぶん両方だろう。

「俺が一番他人に誇れるのは集中力なんだ。俺はその集中力を6時間完璧に維持することができる。逆に考えると、6時間しかもたないんだよ。きっかり6時間たつと、俺は猛烈に眠くなるんだ。そこで、15分間だけ眠るんだ。すると、また頭が冴えて6時間集中できるんだ。集中している間は、食事をとろうが、テレビがついていようが、100%の能力を発揮できているんだ。それは俺にとってとても幸せ時間だし、親も教師も研究室助手だって悪い気はしなかったと思う。俺は1日に2回あるその6時間で、テストで良い点をとり、研究成果をあげ、そして女を口説いていた。」

彼が集中力の途切れる夜10時までにセックスを済ますのか、それともセックスにはその集中力が必要ないのかを考えながら僕はうなずいた。

「そして、その22年間の幸福な習慣が終わりを迎えたんですね。」

「そう。そうなんだ。この話しを聞くとたいていの理系の男はこういうんだ。半分の時間が失われたんだねって。昼寝した後の6時間が集中できなくなったと考えるわけだ。でもそれは違う。習慣が崩れるというのはそういう簡単な話しじゃないんだ。1たす1が2という計算ばかりやってきた連中がそういう発想しかできないことには憐憫の情を感じないわけではないが、違うものは違う。答えはな、ゼロなんだよ。全てが失われてしまうんだ。」

彼は淡々とそう言って、言い終わると小さくため息をついた。学生時代、彼は最もため息から遠いところに存在していた。だが今は違っていた。ため息で作った洋服があったら、今の彼にはとても似合うだろうなと僕は考えた。

「昼寝をしなくなってから、何かが狂い始めたんだ。俺が言うことに誰も耳を貸さないんだ。集中力が失われてしまっていても、いままでと同じように正しい答えを出しているはずなんだ。問題が何なのかを理解し、そして解が閃く。解が正しいことを確認するためにしばらく考えて、解が正しい理由を言う。何も変えちゃいない。自分で言うのもなんだが、解が間違ってるわけじゃないはずなんだ。周りの連中が俺の言うことを無視するもんだから、さすがに不安になって後で何度も考えたよ。間違えてるんじゃないかって時間をかけてとても慎重に考えた。でも、やっぱり正しいんだ。俺は混乱した。」

そのときの僕は、彼の話しが安っぽいミステリー小説のようになってきたとだけ感じた。そうじゃない。今の僕にはわかる。彼が言っていたことはとても本質的なことだったんだ。

「俺はイライラしたよ。俺を無視して1時間ときには3時間もかけて無駄なおしゃべりをして、そのあげくに出す答えがなんとも唾棄すべきものなんだから。そして、俺はその唾棄すべき答えに従って仕事をし、唾棄すべきものを世の中に排泄するんだ。」

話している彼も、とてもイライラしていた。とても無表情だったし、異常なほど淡々と話していたが僕にはわかった。彼のイライラの原因は、間の抜けたBGMのせいでも僕のせいでもなかった。たぶん。

ーーーーーーーーーー

そして、今日、彼にまたしても原宿駅のそばでばったりと出会いました。前回出会ったときは昼下がりでしたが、今日は夜の10時をまわっていたと思います

彼に声をかけられたとき、僕は彼が彼だと確信を持てませんでした。彼は宗教家のようなとても穏やかな表情をしており、すこし肉付きがよくなっていました。

筋トレを始めたんだ。」

がっしりしましたね、という僕の質問に彼はそう答えました。

「この間会ったときはすまなかったな。俺の愚痴ばかり聞かせてしまったな。」

「いえ。」

「本当にあのときの俺は幼かったよ。まあ、あの状況は遅れてきた五月病だったんだな。」

彼は頭を掻きながらそう言いました。

五月病が結局のところなんなのか、いまだによくわからない僕は曖昧にうなずきました。

「久しぶりに会ったんだ。お前さえよかったらちょっと飲んでいかいか?」

まり気乗りしなかったので、とても丁寧にお断りをしました。ちょっと疲れて胃の調子が悪かったことと、次の日の仕事の量を無意識計算したんだと思います

「なんで、○○さんは就職されたんですか?てっきり僕は研究の道に進むんだと思ってました。」

別れ際に、ずっと疑問だったことを思わず聞いてしまいました。聞いてから自分デリカシーの無さに少し辟易しましたが。でも彼は特に嫌そうなそぶりは見せず、思慮深くしばらく考えてから

「うん。まあ、そうすべきだったんだよ。いま振り返れば正しい選択だったと思ってるよ。」

と答えてくれました。彼は薬指に指輪をしていました。

彼と別れてから花粉症対策でいつも着けているマスクを外して僕は深呼吸しました。もう3月も中旬。春の匂いがとても濃密だったことに驚きました。いつもそうであるように、とても間の抜けた春の匂いでした。

2009-01-17

今更、マクドナルドの簡易包装ですが・・・。

http://anond.hatelabo.jp/20081210230300

私も経験しました。

12月頭に、渋谷明治通り沿いのマクドナルド

セットを1つ注文した所、紙袋2つで渡されました。

買い物帰りで両手が塞がっているため、手さげ袋にまとめて欲しい意向を伝えた所、

「袋が2つ以下の場合は、手さげ袋はお渡しできません。」と言われてしまいました。

そこで、既に買物袋を3つほど持っているため、

物理的に持ち手のない袋を2つも持てない点を説明の上、

再度お願いしましたが返答は同じでした。

それでも、流石に持ち帰れないのは困るので、

手さげ袋を購入させてほしいとお願いした所、

ようやく袋を出していただけたのです。

商品をいただくタイミングで100円をカウンターの上において立ち去ろうとしたところ、

はき捨てるように「お金はかかりませんのでお持ち帰りください。」と言うのです。

流石に腹が立ったためそのままお店を出てしまいましたが、

一向に店員がお金を返しに追いかけてくる様子もありません。

その方は黒い制服を着た中年男性の方でどうやら店長さんのようでした。

この対応から推測するに、当初一律で紙袋2つ以下の場合は、

手さげ袋を渡してはならないと通達されていたのではないでしょうか。

その後、あまりに評判がよくないため希望者には手さげ袋を渡すよう修正したと考えられます。

根本的に問題なのは、CSRとしてのエコHPでも店頭でも謳っているのに、

その実、実際にその費用を負担したのはお客側である点です。

元々、マクドナルドの包装は、

ドリンクが倒れないようにする型紙

・片手で持てるビニールの手提げ袋

の2点がお客様効用として提供されていたはずです。

この効用企業側で取り除いたにも拘らず値段を据え置いているのであれば、

これは実質的な値上げに相当します。

大手スーパーなどでは

レジ袋の有料化

・マイバック持参の客には値引き(もしくはポイント当のサービス

のどちらかを行っています。

有料といった形でお客さんに費用負担を求める点をきちんと説明する。

もしくは、協力いただく方には企業側が費用負担してサービスを提供する。

これはどちらも誠実な対応であると言えます。

また、お客さんに対して今までと同等のサービスを得るための選択肢も提供しています。

マクドナルドの手法は、実際は経費削減で自社の利益のための行為であるにも関わらず、

表面を「エコにご協力ください。」とさもお客側の選択であるかのように偽装しているのです。

更に、「ドリンクが袋の中で倒れない」という今までのサービスを受けることもできなくなっています。

また、実際のCO2削減量に関しても、HP上で年間6200トンのCO2削減を目標に掲げていますが、

これは、多数の店舗を抱える飲食チェーンとしては高い目標とは言えません。

ローソンのCO2削減の年間目標は約6万トン、マクドナルドの10倍近くです。

また、その削減の手法も、LED照明の導入や、店舗の空調・冷蔵システム改善

共同配送による配送回数の見直しなど、企業努力地球環境のための投資とも言える取り組みです。

もちろん、これらの取り組みは電気代・配送費等を抑えることで

経費削減を目指した側面もあるでしょうが、

投資による経費削減は企業活動としてまっとうな選択であり、誠実で高い目標です。

その点、マクドナルド店舗での取り組みは、

現在のパティ調理器が“創業当時!971年)のもの”と比較して56%CO2削減」

といったあまりに詐欺的な記述で取り組みを紹介しており、簡易包装の不誠実さといい、

企業姿勢そのものに問題があるとしか思えない会社といえるのではないでしょうか。

2007-11-17

韓国人の声はでかい

夜。新宿から明治通りをてくてく歩いて家に帰る途中、大久保交差点のあたりで自転車に乗ったおばちゃんとすれ違った。

すれ違いざま、おばちゃんが、やたらとデカい声で何か叫んだので、なんだこの野郎文句あんのかよと振り向いたら、自転車に乗りながら携帯電話で話しているようだった。

その叫びが(多分)韓国語で、そういえば大久保駅から大久保交差点に歩く時にすれ違う韓国人も声がでかくてうるさいな、と思い出した。

なるほど、これはつまり韓国人というのは声がデカくてうるさいのだ。俺の経験からいって間違いない。

そうだ、ネットで見たぞ。確か唐辛子の食い過ぎがカプサイシン韓国人は声が大きく激しやすいのだ。確かそうだ。

あいつらは世界で自分が一番偉いと思っているからな。まったく韓国人はけしからん。まったく。

そうおもってプンスカしながら歩いていると、そういえば高田馬場駅近辺にいるワセダの学生も声がデカくてうるさいな、と思い出した。

なるほど、ワセダの学生韓国人は声がデカくてうるさいのだ。

待てよ。大久保通りですれ違う韓国人ってのは若い……多分大学生くらいのヤツが多いな。しかも酒を飲んでいる。

そういえばワセダの学生もよく酒を飲んでいる。つまり酒を飲んでいる大学生というのはうるさいのだ。

まったく酔った大学生ほど迷惑なものはない。けしからんな。

いやでもバスの中で集団を形成しているワセダは酔ってなくてもうるさいな。

あいつらは世界で自分が一番偉いと思ってるのだろう。ワセダ程度に入ってエリート気分だ。

ワセダかどうかわからないが、うるさい大学生風を見たらワセダだと認定することにしているので多分ワセダだろう。

学習院女子大なんかは実におしとやかだ。おしとやかな女子大生風を見たら学習院女子大生だと認定しているので間違いない。

酔っぱらいといえば団塊は本当に声がでかくて迷惑だ。電車の中でうるさく騒いでいるのは大抵団塊だ。

あいつらは世の中で自分が一番偉いと思っているので実に態度が悪い。けしからん。

だいたい団塊はすぐ最近若者マナーがなってないとか言い出すが、電車の中でマナーの悪いヤツといえば8割が団塊だ。俺の経験からいって間違いない。団塊は酒臭く煙草臭く、さらにはセンスの悪い香水やらポマードやらの悪臭を撒き散らし、満員電車の出入り口付近で意味もなく足を踏ん張っては流れを悪くし、腕を組んで新聞を読んでは肘を周囲を攻撃する。団塊は最悪だ。

サラリーマンといえば新入社員ほどうっとおしいものはいない。まさしく社会空気が読めていない。

どこにでもあるようなくだらない人生論や会社論を声高に喋る。自分が世界で一番不幸か、あるいは頭がいいと思っている。

実にみっともない。これだからゆとりは。

入社5年目くらいの先輩が一緒にいるともう最悪で、吐きそうに陳腐な人生訓やライフハック(笑)説教風に語り続ける。

あれじゃあ鬱陶しいのは新入社員じゃなくて先輩のほうか。28くらいのヤツはなんて呼ぶんだ? SPA!世代?

ちょっと会社に慣れたくらいで世界のことがなんでもわかったような顔をしていて、非常に馬鹿らしい連中だ。

そういえば老人もうるさいんだよな。耳が遠いせいか声がでかいんだ。

それに動きがスロー邪魔バスが時間通りに運行しないのは大抵老人のせいに違いない。

だいたいあいつらは世界で自分が一番偉いと思っているから態度が悪い。

それに比べればよく言われる中高生子どもなんてのは別にたいしてうるさくない。

まてよ、俺が乗る真っ昼間や深夜の電車の中にはそういうガキどもはいない。いても少人数で疲れ切っているので騒がない。

つまり、夕方や夜の早い時間、朝なんかではうるさいんじゃないか。そういえば昔はうるさいと思っていた気がする。

じゃあやっぱりけしからんな。でも幼女世界の宝だ。中国人ももっと幼女生産するべきだ。

しかし腹を立てる対象が増えすぎて散漫だな。結局日本人はみんなうるさいのか?

いやそもそも俺が怒っていた対象は韓国人のはずだ。よくわからんな。

そこまで考えてたら家についたので、とりあえずワセダが悪いことにした。

高田馬場早稲田周辺の住人ならみんな同意してくれるだろう。ワセダは迷惑!

2006-11-26

ちょこらびーびー

私は昨日日比谷でお弁当を食べた。

その後、おーいお茶でちょこらびーびーを流し込んだ。胃の奥底へ。私の中枢へ。私の体躯へ。きらびやか体躯へ。

Alexaトラフィック数を数えながら、昼寝をする。

永遠に。

そして即座に起き上がり、シャボンの泡の向こう側に夕日を眺め、満足げにシャムネコを撫でる。撫でる。永遠に撫でる。撫で返す。撫でられる。

Terry Rileyの音楽を聴きながらゆっくりと歩き出す。向こう側に行くためにだ。そうでなければ私は歩かないかもしれない、いやぁ、きっと理由なんて必要ない。

向こう側へ行くことに、いや、踏み出すことに理由など必要ない。

歩けるのだ。可能である。

行くのだ。だから私は一歩足を踏み出し二歩目も踏み出す。止まらない。これが人間の性なのか、と思う。

思わずにはいられなかった。東北まで二キロ。夢見心地。

気づかぬうちに10年、20年、あの頃からずいぶんと遠くまで来た。あの頃の自分が創造していた大人ではない。子供の部分はまだ残りつつ、遠くまで着たなと涙ぐむ。

この先どうなるのだろうかと思いながら、だが遠くまで来て、もう戻れないのだと、また違う涙が黄金の目に貯まる。

貯金はすり減りながらも、涙は貯まっていく。

だが、その涙も乾く、夜景を眺めながら、私はあの日、シャワーを浴びてから自宅を一歩踏み出した。

明治通りを走り、新目白通りを走り、外苑東通りを走り、四谷三丁目に驚き、信濃町に安らぎ、赤坂御用地で冷たい空気を感じた。

Roppongi,Akasaka,Kasumigaseki,Kokyo,Ginza,Kanda,Ochanomizu,Iidabashi.

神田川に始まり、神田川に終わる。私の涙が神田川に流れれば、一筋の虹が弓なりの空気に写し込まれる。

 
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