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はてなキーワード: 自然的とは

2019-11-10

自分男性不信について考える。

根本にあるのは父の存在

うちは父がほぼ空気だったので男という存在に私が慣れていない。

そして母の存在

そんな父に私が生まれる前に愛想をつかした母は父以外のいろんな男に堂々とうつつをぬかしていた。私の絶対的支配である母が安易に男には媚びる様。その嫌悪

ここかなと思う。

男性不信」について何度目かのサーチ

きっかけは人それぞれだ。

性的理由が一番多いかと思う。

また極端に潔癖な女性もいる。

男女それぞれ言い分ががあるしのっぴきならない事情もある。

しかし私の嫌悪感はインターネットにあるものとはちょっと違う気がする。


「女だから頼りないなー。ああわかるお前も不安だよな?大丈夫俺が従わせてやるから安心して身を任せろよ。お前も嬉しいだろ?」

とそんなセリフを シミだらけ、ほつれだらけの服を着、イオンで買ったようなボロボロシューズを履いた小太りで出っ歯口呼吸男性臭い息を吐きながらなにかでベトベトな手でこちらに触ってくる 感じ。

それが私の男イメージ


・・・・・・・・・結論的にろくな男性に合ったことがないだけのような気がする。

あと私は面食いなのだろうか・・・・?

私自身は偉そうにより好みできるような顔面はしていないのだが。)

しかし悲しかな印象に残るのはそういうやばい、強烈な男性ばかりなのだ

父の不在により生まれつき男性というものに私は慣れていない。学校はかなり女子が多かったし職場女性だらけで。

そこで出会った男性は少しずつ↑のような人だらけで、それが男だと思ってしまった。

接客業とかアパレルとかの職に就けばまた変わったのだろうか?

だけど私は技術職で。

就いた技術職はことごとく女性ばかりで、そうなると自然な流れで女性会合にばかり参加することになり、女性主体会合で堂々と参加されるのはどうしても悪目立ちをする男性が多く(具体的にいうと話に女性同士の会話に無理やり入ってきて長時間つばを飛ばしながら一方的いか自分がすごいか自分の話ばかりする人だ。女性主体会合はまとも?な男性の参加率は低いし、参加されたとしても空気を読んで女性主体の輪を壊さぬようにアシストしてくれるのだ。それはあまり自然的だから印象的に残らないのかもしれない。)

から男は「こう」だと思ってしまうのかもしれない。


ぐたぐたと書いたがつまり私は男性に興味を持ってないのか?

から変な男性ばかり印象に残ってしまうのか?

差別をしてるのは自分自身だ。

ようするに私は男性について「愛」がないのか?

じゃあどうしたら男性に「愛」を持てるのか?

自分が唯一知っている方法は、母のやり方。嫌悪のケース。子供に平気で暴力を振るう強すぎる女がそこらへんのおじさんに弱く家庭的な女アピールする、あれ。参考にならない。しかしあれしか知らない。

誰か教えてほしい。

しかし現状それを教えてくれそうな男性思い当たるのは上のような勘違い男性しかかばないのだ。負のループ。困った。

そしてもうひとりの私が言う。「今まで私を支えてくれたのは女性ばかりだったよ。(女性ばかりの世界で生きてるので実は傷つけてきた人だって女性ばかりなのだが)男性って本当にいるの?今で十分幸せじゃない?」と。

だけど世界中の1/2の人達に不信を持つのはあまりもったいないもったいないのだ。わかってる。いやしかし、

例えば鎧をまとえば変われるだろうか。もっとブリーチを掛けて舌にピアスでも開けようか。そうすると普通男性は避けてくだろう。こっちが普通じゃないんだから。ああ、どこまでも負のループ

2019-10-18

anond:20191018005740

さら若い世代だと、巨乳でも貧乳でも、単なるキャラ付けひとつくらいに感じられないはずで、たとえば身長や髪の色、そういうものと大差ない属性であって、即座にそこに性的ニュアンスを見出すことは、かえって難しいはず。

擁護する人間現実巨乳を引き合いに出す人が多いのもそういうことで、

ごく自然的自明の理として「皆違って皆いい」という認識を持っているから、

批判する人がレイシストしか見えないんですよね。

2019-10-16

anond:20191016230745

表現の自由が、誰かを害することがない限りという前提のもとであると考えます

フランス人権宣言が好きなので引用します。

自由とは、他人を害しないすべてのことをなしうることにある。したがって、各人の自然的権利行使は、社会の他の構成員にこれらと同一の権利享受を確保すること以外の限界をもたない。これらの限界は、法律によってでなければ定められない。」

2019-10-11

いっそ『奴隷』という種族を作ったらよくね?

選択交配とかDNA手術で遺伝子的に奴隷向きのホモ・サピエンスあんまりやったらもう違う生き物?)を作ってソイツラを奴隷にしたら、この社会から不幸な奴隷はいなくなると思うんだよね。

今どうして奴隷問題になっているかと言えば、奴隷として生きるのが幸福だって思えない生き物が奴隷をさせられているのが駄目なわけでしょ。

から頑張って禁止しようとしているけど、今度は普通労働者奴隷っぽい感じで働かされてて結局解決してないのが現状じゃん。

そこでもう法学だけじゃどうしようもねえからロボットで補おうっていうのが工学的なアプローチなわけだけど、じゃあここは農学生物学的なアプローチとして奴隷に向いてる人間を作ろうっていう方向もありなんじゃね?

脳科学心理学の方向から人間を調べていって、突然変異なり自然的遺伝なりで生まれてくる超奴隷向き人間を交配させていって、奴隷になるためだけに生まれ奴隷として生きるのが一番幸せになれる種族奴隷」って感じのを量産して、ソイツらを奴隷にすればさ、名前だけ奴隷じゃないけど実質奴隷にされてる労働者はいなくなるじゃん。

もしも種族奴隷」の中で突然変異的に奴隷じゃない方幸せな「奴隷」が出てきたら、そいつ人間として扱ってやればいい。

人間奴隷から想像できないけど、それをみて「奴隷」は羨ましいとは思わずしろ可愛そうにって思うんだろうね。

デブ専みたいな扱いかな。

どうだろう。

奴隷

作ってみないか

2019-07-11

男にも剃り毛文化が浸透して欲しい

人間って文明が進むにつれて、例えばちょんまげからザンギリのような

自然的風貌欲求するようになる。そして最終的には、機能的に要らない部分の毛を除去することを欲求するようになる。

女性は事に外見文化合理化においては男より進んでいて、例えばスキニー等の女性もの10年程遅れて男にやってくる、そういう性質を持っている。

そう考えると男にも剃り毛文化が浸透するはずなのだが、スネ毛処理が一瞬流行っただけで、女性けがくそ流行も過ぎ去ってしまった。

正直スネ毛はズボンの繊維に絡まって痛い。腋毛も腋汗を増やし体臭拡散させるだけ。ちん毛、ケツ毛こそ一番害悪で、不衛生な上に巻き込みが起きたり

トイレに散らばったりして非常に汚いし非常に非合理。にもかかわらず、毛の処理はスキップされてデオコが流行る始末。

男の子はみんなつるつるになりたいと思ってる。でも毛を処理するとキモイと言われる。ジレンマ

まず毛がキモイって価値観を普及させてほしい。女の人も、毛がもじゃもじゃはキモいよって言ってあげて欲しい。

質的ものでなければ、傷つかず多分喜んでつるつるにしてくれると思う。

髪の毛が薄い僕も救われるし、毛はキモイ、これは男に押し付けるべき価値観だと思う。

2019-06-27

anond:20190627165811

差別

さべつ

discrimination

特定個人集団に対して正当な理由もなく生活全般にかかわる不利益強制する行為をさす。その差別行為対象となる基準自然的カテゴリー (身体的特徴) の場合もあれば,社会的カテゴリー (所属集団) の場合もあるが,いずれにせよ恣意的な分割によって行われる。現代フランス社会学者 R.ジラールスケープゴート (贖罪山羊) 化の理論によって差別現象メカニズムを解明した。それによると社会危機状況にみられる相互暴力カオス回避するために,無際限な暴力拡散恣意的選択された特定個人あるいは集団に集中させる犠牲論理 (第三項排除) が差別現象根底にあるとされる。たとえばドイツ社会不安に乗じてナチス政権が利用した反ユダヤ主義関東大震災直後の朝鮮人虐殺などがスケープゴート化の現象として考えられる。こうした原初排除効果制度化されたものとしてアパルトヘイトなどにみられた居住地域や交通機関における差別待遇がある。現在アメリカ公民権運動の成果から人権観点に基づく差別撤廃の動きが世界的な規模で展開されつつある。


ヘイト差別のもの

てか、「ヘイト」な。勝手に「ヘイトスピーチ」にして範囲狭めてんなよ

2019-05-18

anond:20190518133851

じゃあ政治家にでもなって、その政策推し進めろよ。出来っこないだろ。馬鹿げてるからだよ。現代日本人家族子育てをしたいんだよ。

日本人である前に人類であるから本能に従って子を産み育てる権利がある。それは個体としての権利だ。

同時に日本人として育んできた現行の子育てシステムを守る権利もある。一時の政策によって、長い時間をかけて作った子育てシステムを壊すのは文化破壊である。と、同時に人間として、進化過程で身につけた子育て方法を壊すこととなる。(子育てのような行動が、遺伝に基づくか文化に基づくかというのは一概には言えないが、家族子育てするのがコンフォートと感じるお国柄は地理的に分断された進化でないかと俺は考える)

人類として生きる生物であり、文化に生きる日本人から強制的育児形態を変えるのは、生命現象への冒涜であり、人権侵害なんだよ。

から、家庭か共同体の2択であろうと無かろうと、現行家庭で子育てすることが日本人にとって自然であるのだから、別の方法強制するのは反自然的な行為だ。

そもそも子供を1所に集めて集約的に子育てすることは今までだって行われてきている。ヨーロッパの寄宿学校文化なんかもろにそれだろ。でも日本では流行ってない。それは日本人がそうしたいと思わないからだ。その感情文化でもあるし、日本人的な生物行動だから尊重すべきだ。

国家なんてつまらないものにとらわれていいものではない。

2019-04-23

anond:20190423231427

優生保護法なんてなくとも

自然的性淘汰で十分劣等遺伝子は淘汰されてくのではないのかね

2019-03-26

小指

小指を立てたりするとバカにされることがあるけど、

意識せず立つという事もあるのにバカにされるのがよくわからない。

立たないようにできないかって行きつけの病院で聞いてみたんだけど、

小指が立ってしまうのは、体のバランスを取ったりする際に起こってしま自然的な行動で

よっぽど意識して立てない限りは男でも普通に立ててしまうことが多いんだって

から、これをバカにする人は体の仕組みをよく知らない人だから気にしないほうが良いと説明された。

そう言われてから、小指が立ってしまった時にあれこれニヤニヤしてバカにする人を見るたびに

あいつは何もしらない愚かなヤツなんだなぁと思ってる。

2019-02-08

anond:20190207004137

児童相談所 拉致 静岡市」などと検索すれば、当事者(親)が発信する記事を閲覧することができる。Twitter実名発信すら行っている。

彼らの主張と、裁判所認定事実とを対比しながら読めば、恐ろしさが伝わってくると思われる。

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損害賠償請求事件

東京地方裁判所平成21年(ワ)第25349号

平成25年8月29日民事第44部判決

口頭弁論終結日 平成25年4月25日

       判   決

(第1,第2 省略)

第3 争点に対する判断

1 認定事実

 前提事実に加え,後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

(1)本件小学校入学前後の経緯

ア 原告Q1は,原告Q2及びQ9との同居を始めた平成19年2月頃,Q9が時間を守らないこと,嘘をつくことを矯正させる必要があると考えて,原告Q2との間でQ9へのしつけの方法について話合い,その結果として,原告らは,Q9が小学校入学した同年4月頃から,Q9が上記の点について原告らの口頭での指導を守らなかった場合には体罰を与えることとした。

 原告らの体罰は,当初は頭を軽く叩く程度であり,その後顔を平手打ちするようになり,同年6月頃からは,Q9に木製の子ども用バットを持ってこさせて,臀部をバットで叩くことなどがあった。

(甲4,75,原告Q1本人)

イ(ア)Q9の所属するクラス担任であるQ12教諭は,平成19年4月頃,Q9の顔に痣があったこから,その痣について聞いたところ,Q9は,タンスの角にぶつけたと述べた。Q12教諭は,その後,Q9の顔の別の位置に痣があることを発見した。

 Q12教諭は,同年5月下旬頃,Q9が忘れ物をして登校してきたため,どうしたら忘れ物をしないようにできるか尋ねたところ,Q9は泣き出して,自分学校の支度をしていることのほか,原告Q1は殴るので恐いこと,原告Q2はQ9を守ってくれなくなり,原告Q1と一緒に怒ってばかりいるが,以前はそうではなかったことなどを述べた。そこで,Q12教諭は,Q9に対し,先生はいつも君の味方であり,先生が守ってあげるなどと述べた。

 原告らは,同月31日,本件小学校担任教諭保護者との間での連絡帳に,Q9から先生が守ってあげるという発言があったと聞いたが,その発言真意確認を求める旨の記載をした。

(イ)本件小学校のQ13教頭は,同年6月5日,原告ら宅を訪れ,原告らと面談した。その際,Q13教頭は,虐待の疑いがある場合についても適切な対応をとる必要がある旨述べ,原告らは,今までQ9はしつけを行われずに育ってきており,Q9を良くするのは今しかないこと,しつけの方針として,悪いことをしたら殴ること,虐待を疑っていることは理解していることなどを述べ,Q12教諭上記(ア)の発言について,Q12教諭からの直接の謝罪要求した。これを受け,Q13教頭は,一旦本件小学校に戻り,Q12教諭と共に再度原告ら宅を訪れ,Q12教諭上記(ア)の発言について,誤解を招く発言であったとして謝罪した。

 Q9は,同日以降,Q12教諭に対し,先生が来てくれてから殴られなくなったと述べた。

(ウ)Q9は,同年6月29日,右大腿部,右肩に赤色の跡があり,Q12教諭が,Q9がプールに入る際にその跡について聞いたところ,Q9は,原告Q2から叩かれたと述べた。

 また,Q9は,同年7月2日,右目の下部に痣があり,Q12教諭からその痣について聞かれたところ,原告Q2に殴られたと述べたが,Q13教頭からその痣について聞かれた際には,Q9は転んで怪我をしたと述べた。そこで,同日,Q13教頭原告ら宅に架電したところ,原告Q2は,Q9が2日続けて許せない嘘をついたこから原告Q2が殴った,私も人間から感情的になると述べた。

 原告Q1は,同月3日,本件小学校架電し,Q13教頭に対し,原告らは冷静にQ9をしかっていること,同じ状況であれば原告Q1であっても殴っているはずであり,原告Q2も同じ方針であることなどを述べた。これに対し,Q13教頭は,殴らないで育てることをまず考えるべきであるなどと述べた。

(エ)Q12教諭は,同月4日,原告から,本件小学校教育方針等についての意見記載された手紙が送付されたため,同日午後3時頃,原告ら宅を訪問した。その際,原告ら及びQ12教諭居間にいて会話をしていたところ,原告Q2は,一旦居間を離れてQ9の部屋に行き,Q9を叩き,居間に戻ってきた際に,「今私,Q9のこと,叩きましたから,守って下さい。叩きました。嘘ついたから。」などと述べた。

 その後,本件小学校のQ14校長教務主任及び生徒指導主任原告ら宅を訪れ,原告Q1から学校で行う教育と家庭で行う教育区別をしたガイドラインを示してほしいという要望があったため,Q14校長ガイドラインを示す旨述べて,同日午後8時30分頃にQ14校長らは原告ら宅を離れた。

(甲11,17,18,乙ろ2の12,乙ろ15,証人Q13)

(2)本件一時保護に関する経緯

ア Q14校長は,同月6日,静岡市教育委員会に対し,前記(1)イの経緯を報告した。静岡市教育委員会は,同月10日,静岡市α区の要保護児童対策地域協議会児童福祉法25条の2参照)の定例実務者会議において,Q9を要保護児童として提示し,Q13教頭が前記(1)イの経緯をまとめた報告書(乙ろ2の12の1ないし6丁)を提出した。上記会議に出席した静岡市児童相談所の所員は,同日,本件小学校に対し,Q9は保護を要する児童であるため,今後Q9に痣等があった場合には児童相談所に通告するように指示した。

イ Q9は,同月13日の登校の際,左顎及び左目下部に痣があり,Q14校長がその痣について聞いたところ,Q9は,嘘をついたことを原告Q1に怒られて殴られたと述べた。そこで,同日「Q14校長は,静岡市児童相談所架電してQ9について通告した。また,同日のプールの授業の際,Q9の大腿部及び背中に痣があることが確認された。

 静岡市児童相談所は,同日,上記通告を受け,子ども虐待対応の手引き(平成19年1月23日付け雇児総発第0123003号厚生労働省雇用均等・児童家庭局総務課長通知。乙ろ2の10)及び静岡県中央児童相談所作成家族支援ガイドブック(乙ろ2の11)に基づき,上記アの会議に参加していた所員等による緊急受理会議を開催し,Q9に行うべき支援及び援助の内容を判断するための虐待処遇アセスメント指標(乙ろ2の6)で判定をしたところ,虐待の程度は,5段階の上から2番目(打撲,広範囲の軽外傷等)であり,調査格付は,生命を脅かす(又は高い可能性がある。)状態として,直ちに立入調査を行うこととなる「R-1」と判定された。また,静岡市児童相談所のQ15主任主事ケースワーカー)等の所員3名が,本件小学校に立入調査をして,Q9の顔から足にかけて痣があることを確認し,Q9に聞き取りをしたところ,Q9は,原告からは,Q9が時間を守らないという理由毎日殴られること,原告Q2の方が多く殴ること,原告Q1からおもちゃバットでいろいろなところを殴られ,原告Q1から殴られた際に血が出たことがあることなどを述べた。静岡市児童相談所は,上記立入調査をした所員からの報告を受け,上記虐待処遇アセスメント指標及び所員の合議に基づき判定をしたところ,Q9の支援・援助格付は,直ちに一時保護必要となる「AA」と判定された。

 静岡市児童相談所長は,Q9に痣があり,Q9も原告から殴られていることを認めたこと,本件小学校から家庭訪問をした後も原告から虐待継続していることが確認できたことに基づき,Q9を一時保護し(本件一時保護),その後に原告ら宅に架電し,原告らに対して本件一時保護したことを告げた。

 Q9は,同日,静岡市静岡病院のQ16医師の診断を受けたが,同医師作成診断書には,「全身に打撲によると思われる皮下出血を認める」として,〔1〕両下眼瞼,〔2〕左顎部,〔3〕右肩甲骨上,〔4〕左大腿背側,〔5〕右下腿膝下部前面及び〔6〕両殿部について,「いずれも鈍器,または靴による打撲跡と考えられる」,「上記外傷について全治一週間と診断する」との記載がある。

 静岡市児童相談所は,同日,静岡県中央児童相談所の一時保護施設にQ9の一時保護委託した。

(甲11,乙ろ2の4ないし6・12,乙ろ15,16,乙は3の1・2,証人Q17,証人Q13)

(3)本件一時保護開始後の経緯

ア 原告らと静岡市児童相談所は,本件一時保護が開始された平成19年7月13日以降,電話等でやり取りをしたが,次のとおり,原告らは,Q9に対する体罰虐待ではなく,親である原告らの意思無視して本件一時保護継続することは不当であるとの意見を繰り返し述べた。

 原告Q1は,同月20日,静岡市児童相談所のQ15主任主事との電話で,虐待はしていない旨述べ,暴行肯定されると考えているかとの質問に対して「ええ,肯定されますよ。当たり前じゃないですか」「一時的感情だとかそんなことで虐待を繰り返してきているわけじゃないんだ」,「責任ある体罰っていうのだってあるんだ」などと述べ,静岡市児童相談所のQ18統括主幹との電話で,同月27日,「Q9をおたくらに任せますけど,やつが20歳ぐらいになったときにまともな,私らが考えているような大人になってなかったら,抹殺しますんで。おたくらも含めてよ。」,同月30日,「子どもがこう,おれらの考えてたとおりに教育できなくなったときに,おまえらどういう責任とる。とらなかったときは,おまえ,リンチしてもいいか」,同年8月1日,「根本からお前らの育て方とか教育論が間違ってるのに,何で間違ってる奴らと俺らが話し合わなきゃいけないんだよ。」などと述べた。また,原告Q2は,同年7月23日,Q18統括主幹との電話で,「私達は少なくとも体罰体罰だって考えてるんですね。私の思う虐待と言うのは自分憂さ晴らしですね。」,「体罰っていうのは暴力とは違う」などと述べた。

 静岡市児童相談所のQ19主任主事心理士)及びQ15主任主事は,同月20日から同年8月31日まで,一時保護施設を訪れてQ9と面談,行動観察,心理テスト等を行った。Q9は,同月8日以降の面接で,原告らと会いたくなく,施設から帰りたくない旨訴えた。Q19主任主事は,Q9について,同年9月20日開催の静岡市健康福祉審議会児童福祉専門分科会児童処遇審査部会に「現段階では,本児の家庭に対する拒否感が強く,両親と距離を置き,守られた環境下で,本児の話に耳を傾け,個別には母性的で受容的な対応が望まれる。」,「これまでの養育環境により本児の情緒面での成長が阻害されてきた結果が示されており,今後,両親の養育態度に改善が望めないようであれば,家庭との分離はやむを得ず,児童養護施設への入所が適当であると考える。」との心理診断の結果を提出した。同部会では,Q9の入所措置承認を求める申立てを行うことに異議は出なかった。

 静岡市児童相談所のQ20所長は,上記原告らの発言心理診断の結果及び上記部会の結果を踏まえ,原告らによる暴力継続される可能性が高く,Q9も帰宅拒否していることから児童養護施設への入所が適当であるとして,同年9月25日,入所措置承認を求める申立て(本件申立て)をした。

(甲11,14,乙ろ7の1ないし7)

イ 原告らは,同年9月28日,静岡市児童相談所を訪れ,Q20所長,Q17参事平成20年4月1日に静岡市児童相談所長となった。以下「Q17」という。)等の所員と面談した。この面談の際,Q20所長らは,本件一時保護の経緯や,Q9については児童虐待防止法2条1号所定の暴行が行われたもの判断していると説明したが,原告らは,「体罰虐待はこれ別物ですから」,「しつけの段階で,あざができるほどたたかなきゃいけなかった」などと述べてQ9の返還を求め,静岡市児童相談所はこれに応じなかった。

(甲9,10,乙ろ7の10)

ウ Q20所長ら及び原告Q1は,本件承認審判及び本件勧告がされた後である平成19年12月21日,静岡市児童相談所面談した。原告Q1は,本件承認審判の「二度と虐待に該当するような体罰をさせない」という文言から虐待に及ばない体罰については容認されたもの解釈している,体罰主体にしない努力はするが,目的によっては必要なこともあるなどと述べたのに対し,Q20所長は,しつけ自体否定するわけではないが,体罰を伴うしつけは子ども心理的な影響があり好ましくない,本件勧告を受けて,静岡市児童相談所から原告らに対する指導方法について年明けに提案する旨述べた。また,原告Q1が,原告らがQ9の通学している安西小学校に面会等を申入れることは問題となるか確認したのに対し,Q20所長は,今の状態だと問題となる旨述べた。

 静岡市児童相談所は,平成20年1月頃,上記提案として,Q9と原告らの家族統合に向けた「ご両親への支援プログラム」(以下「支援プログラム」という。)を作成した。支援プログラムでは,〔1〕目標は,「Q9君が安心して生活できるような家庭づくり。」であり,〔2〕方法として,原告らが静岡市児童相談所を訪れ、概ね1か月に1回2時間程度を目安に面接実施し,面接以外にも課題の提出をお願いすることがあること,〔3〕2月から3月頃にQ9の気持ち確認し,写真ビデオレターなどを通した親子交流を始めること,〔4〕Q9が原告らに会いたいという気持ち確認し,5月から6月に児童相談所内で原告らとQ9との面会を実施し,6月から7月初旬に親子での外出を実施すること,〔5〕面会・外出時の親子の様子,Q9からの外泊希望確認し,児童相談所所員による家庭訪問実施した後,7月初めに家庭への外泊を開始すること,〔6〕外泊が繰り返される中で,良好な親子関係が認められ,引取り後の支援のあり方について共通理解が得られれば,家庭引取りとなることが記載されている。

 Q20所長ら及び原告Q1は,同年1月11日,静岡市児童相談所面談した。静岡市児童相談所のQ21心理士支援プログラムについて説明するなどしたところ,原告Q1は,支援プログラムは本件勧告無視したものである原告らは体罰をしているのであって虐待暴力ではない,一時保護自体間違っている,おれは日常生活の中で普通にやっていく中で必要であれば絶対体罰は使う,まずはQ9を帰してもらいたいなどと述べた。そこで,Q20所長は,再度提案をする旨述べた。 

 Q20所長ら及び原告Q1は,同月24日,静岡市児童相談所面談した。Q17が,本件勧告に基づいてQ9を帰宅させるためには,虐待に該当するような体罰はしないことが条件になる旨述べたところ,原告Q1は,裁判所原告らが虐待をしていないと認めており,Q9をすぐに返してもらった上で静岡市児童相談所による指導を受けるというのが原告らとして譲歩案の全てである静岡市児童相談所原告らの意見を聞かずに一方的な主張をしているなどと述べた。

(甲9,10,乙ろ5の2,乙ろ7の11・12)

エ Q9は,平成19年12月31日,静岡ホームで転倒して頭を打ち,CT検査をしたが,脳に異常は認められず,頭部挫傷と診断された。

 静岡市児童相談所は,原告らに対し,上記転倒事故を通知せず,原告らは,平成20年3月7日に静岡市個人情報保護条例に基づき開示を受けた文書により,上記転倒事故の発生を認識した。

(乙ろ1)

オ 原告Q2は,同年2月1日,静岡市児童相談所に対し,Q9の毎日の詳しい言動や様子を報告しない理由等の回答を求める質問状を送付した。また,原告らは,同月8日,静岡市児童相談所を訪れ,本件抗告棄却決定に対して特別抗告申し立てた旨伝えるとともに,親権行使するとして,Q9の毎日の一時保護施設及び小学校での言動を報告することを求めた。さらに,原告Q1は,一時保護期間の7か月でQ9の身長が2.4センチメートル体重が1キログラムしか増えていないという理由で,Q9への精神安定剤等の投与を疑

2019-01-23

最近独り言オカマ言葉になってるんだけど

これってイマジナリーフレンドみたいなイマジナリーワイフが自然的に醸成されてきたってことなんやろか。

2019-01-21

「男らしい」は報酬である

突き詰めると男性女性の違いは妊娠出産の可否、それに伴う月経以外に無い。体格や性格など男女で傾向は明確にあるが、それも妊娠出産能力に伴うものである

そうした時、女性は命がけで激痛に耐えることを強いられる。

翻って男性はどうか。

出産と同等の痛みと死亡率が存在する物事に同頻度であたることが自然的にあるだろうか。

無い。

無くて良いのか。良い訳がない。男性は代わりに危険仕事を引き受けるくらいしか出来ない。

しかし誰が好き好んで痛くて死ぬ可能性があることをやりたがるだろうか。

男女共にネガティブな面を意識せずポジティブな面を見て行動する。報酬があるから目指すのである

ここで「男らしさ」が生まれる。

「俺、妻のためにマンモス狩ってきたわ。」

マジで。お前すごいわ。儂も頑張らんとな。」

「オラ、サーベルタイガー追い払ってくっぞ。」

「にいちゃんすげー!僕もにいちゃんみたいな強い男になる!」

男が成すことを男が評価するたび、「男らしさ」が確立していく。相互に「男らしさ」を評価することで満たされる。

現代では命の危険のある仕事は減り、命の危険自体も小さく抑えられてきている。そういう意味では「男らしい」という報酬不要になってきている。

しかしながら女性妊娠出産に対するもの男性には無いことに変わりない。男性は代わりに出来ることを出来るだけやっていかなくてはならない。

それを実現している男性に対して「男らしい」という報酬は与えても良いのではないだろうか。

2018-12-24

鍵のついた部屋

物心ついた、小学生高学年の頃に引越しをする事になったが、新居の親の寝室には鍵がついていた。

ドアノブを回しただけでは開かないので、内側から鍵を開けて貰う必要がある。

小さい子供が眠れずにぐずって親の寝室を訪れるような描写をたまに見るけど、そんな物は我が家にはない。そのくせ、自分の部屋には鍵はないのでプライバシーは筒抜けだ。弟が突然扉を開けて来たり、父親勝手漫画を読んでいたりする。

もう少し子供の思いを汲んで、中学校も行きたい中学に行かせていてくれたら、私はもう少し親元に滞在していたかも知れない。でも私達子供はいつも蔑ろにされて、親の支配下に置かれていた。

塾や習い事だけは頻繁に行かされたが、辞めたいと言っても決して許されなかった。

子供を交えた会話も少なく、その影響か、自然的グループの中での対話を諦める癖がついていた。

家族を題材にした作品は多い。それが観衆の心を打つのは、結局家族も人と人との集まりしかないという反証ではないだろうか。虚構の中に真実を求めているから、何十回も何百回も、家族大事だと繰り返すのだ。

家族愛を銘打った題材に触れる度、私はあの父のいない冷たい家庭と、鍵がかけられて何が起きているかからなかったあの部屋を思い出す。

2018-11-23

フェミニズムが考えなくてはいけない思想

はじめに

人がある思想を持つとき、ある程度の一貫性を持たねばならない。

日本人を殺してはいけないという思想を持つ人が、外国人なら殺しても良いとする思想もつというのは難しい。

反原発を叫ぶときに、反自民にならなければいけないというような一貫性要求されるときに私達は困難に直面する。

かに自民党原発肯定派であったとして、原発に反対するのであれば自民党に反対しなければ一貫性を保てないことになる。

この困難がそうであるように、思想上でもある思想を持っているのであれば、別の思想を持っていなければならないといういことがある。

私が考えた中でフェミニズムが持たなければ一貫性を損ねてしま思想リストアップする。

反原発がそうであるように、自民党肯定していてても反原発は主張できる。

しかしこういった困難は先に見えていれば冷静さは装うことはできる。その意味では無駄ではないのだ。

世界主義国家主義

女性性と男性性の違いを述べるときにそれは文化社会によって違いが異なる。

例えば日本では、女性性の特徴であるものが、海外ではそうではないことがあるかもしれない。

そうなると主張が弱くなるので、国内限定にするか、全世界を射程に収めなければならない。

世界主義的に考えるのであれば、女性性を普遍的に考えなければいけないだろうし

国家主義的に考えるのであれば、女性性を特殊的に考えなければいけないだろう。

人間中心主義自然主義

女性権利を拡大を目指すときに、男性性、女性性を語らなければいけない。

そういったときに、男性性、女性性を語ることが女性性を規定してしまう時がある。

女性とはこういう存在、それ以外は違うという風に。

すべてを包括する女性性など不可能なので、男性が持つ権利人間が持たなければいけない権利とし

女性権利を向上させる。

こういった思想を持つと、人間という種族肯定しなければいけないし、世界主義へ接近することになる。

また自然的女性を原点とし、現代自然より劣っている部分を論点とし女性権利を拡大する。

こうなると自然的もの肯定しなければいけない。

2018-10-02

タバコの死と文化の死

タバコ生理学的な物という認識批判されているがタバコ文化的な物だった。吸っている大人はかっこいいなどなるほどまったく根拠がない。しかしその無根拠意味けがまさに文化定義のものだろう。

物には物理的な機能性と別に概念による意味づけによって価値が出てくる。たとえばアート作品に何千万円という価値があるのは歴史的背景=過去の人達が意味づけした価値がその物の概念価値を基礎づける。ピカソの絵が物理的に変な絵だという批判は真であり同時に概念的に素晴らしいものだという「妄言」もまた真なのだ

原爆ドームなどもさびれた建物だがそこに僕達は意味を見出す。あるいは恋愛なども同様のことがいえる。

あなたや僕の彼女彼氏配偶者自然的妥当性などない。愛が素晴らしいのは科学的根拠と別領域でただ僕達が勝手に、無根拠に、意味づけることができるからだ。事物には概念を与えることで意味を持って彩りを与えてくれる。それが文化定義だろう。物理的な価値だけを認める物質主義タバコ概念価値駆逐した。

根拠意味けがタバコ文化的価値を支えていた。タバコ物質的に害をもたらすことが真であると同時にタバコ概念的に意味づけされた物「だった」ということもまた真なのである

2018-09-26

anond:20180926112026

× 助太刀に来るライバルキャラ

○ ドズル・ザビ

これが「老練で立場上の違いか主人公とは対立するが、戦いの中で諸々主人公の為になることを教えてくれる」とかだとランバ・ラルになるのでちょっと目はあるんだが、

パパ属性だとどうしてもドズル系になるから人気としては下から数えた方が良い系。

というか、今の説明だとヘタするとデギン・ソド・ザビにもなるから人気あんま高まらないのは自然的物理現象のソレじゃないか

LGBTと性欲とゾーニングのこと

まず、昨今のLGBTQの動きと性の多様性を認めようという動きにわたし賛同している。

休刊が発表された新潮45ではLGBTと題しながら、同性愛クローズアップされて語られた。それは、同性愛が性欲の話になるからだと思っている。

両性愛からすると恋愛を、同性しか愛せない、異性しか愛せないと語ることは、人格ではなく性別恋愛対象をふるいにかけることを肯定しろという発言性差別にも思えるある種暴力的な言説ではあるが、それでもその言説が支持されるのは、性的欲求対象個人の理性でコントロールすることは、人間もまた性的動物であり不可能であることを認められているからだ。

人間の性欲を尊重しようということだと思っている。

フランス1789年人権宣言宣言したように

第4条(自由定義権利行使限界) 自由とは、他人を害しないすべてのことをなしうることにある。したがって、各人の自然的権利行使は、社会の他の構成員にこれらと同一の権利享受を確保すること以外の限界をもたない。これらの限界は、法律によってでなければ定められない。
第5条(法律による禁止) 法律は、社会有害行為しか禁止する権利をもたない。法律によって禁止されていないすべての行為は妨げられず、また、何人も、法律が命じていないことを行うように強制されない。

他害しない限りは自由は守られるべきことであり性欲はその人そのものに根差すものだ。だから性愛対象区別する権利、性欲を他者に抱かない権利、すべての対象に性欲を抱く権利、性欲を抱かない権利を、加害性がない限り肯定されるべきことだと思っている。

日本明治以前は同性愛に寛容だったのは性欲を悪とする価値観がなかったからだ。明治以降のキリスト教的な価値観によって性欲が恥ずべきものにされていった。

まり生産目的ではない快楽を求めるためだけのセックス道徳的によくないという価値観だ。このセックスを楽しむためだけのセックス道徳的でないといった価値観新潮45の論説に繋がる。

彼らにとって痴漢同性愛もはしたない行為であり道徳的ではないから同じなのだ

そして昨今のラノベの表紙もまた同じ問題になる。

子供性的ものを見せない配慮とは、責任を果たせない子供セックスをすることを推進しないためなのと、過激暴力描写現実ファンタジー混同やす子供には良くないといった理由であり、それは必要であると思っている。

ただ、それらを推進していない女性の体が強調されているだけの絵については、問題はないと考える。

気持ち悪いと切り捨て道徳を持ち出すことはかつて同性愛者を弾圧した言説と同じだ。

サイゼリヤボッティチェリヴィーナスの裸体のレプリカ絵が許されるように、露骨性的表現がされていない表紙も許されるべきである

性欲で誕生した我々が性欲を否定することは愚かでしかない。

日本では明治以降に抑圧された女性の性欲を漫画が勝ち取ってきた歴史がある。

ずいぶんと長いこと女性向け男性同士のポルノヤオイと言って山なしおちなし意味なしと卑下しなければならなかったが、そのポルノ自体卑下からはようやく脱却し、自らを腐ってると自虐することに移行してきた。その自虐自虐ではなくなったきて、堂々と宣言しはじめてきたのを見ると女性ポルノと性欲を勝ち取ってきたのだと思える。

今でこそ形骸化してる雑誌アンアンセックス特集最初の衝撃はすさまじく、女に性欲があることを宣言する一つのターニングポイントだった。

気持ち悪いと道徳モラルを持ち出して性欲と性的まなざし否定し、ゾーニングを推奨する人々をわたしフェミニズムだとは思わない。

anond:20180926105206

いやだからヤオイBLとなってその創作物自体卑下する段階を抜けて、それを愛好する自分への自虐に移行していったことを言ってるので、同一視はしてない。

JUNEがまた別であることもわかっているよ。

アンアンの衝撃については鴻上尚史著作と当時の新聞評論からなので、間違ってたら申し訳ない。あとアンアンについてはポルノとは言ってない。

anond:20180926113659

24年組風と木の詩からの流れを持ったJUNE女性二次創作が爆発的に増えたキャプ翼聖闘士星矢で広がったヤオイが元々が別なのはわかっているよ。

ここらへんの知識中島梓の「コミュニケーション不全症候群」の影響が強いので絶対とは言えないが、違ったことは知っている。

ただそれらがBLに吸収されるより前にまだヤオイと広く使われていた時代腐女子自虐の広がりは同時期だったと認識してる。

追記14:21

性的まなざしを通した視点性的欲求自身に齎す存在表現することを「主体性のないモノ」扱いにしていると否定規制させようとすること自体が、性的抑圧行為同意味だと思っている。

そして性的まなざしを通した表現は男女に差がなく溢れている。なぜそれが正常な状態ではないと断言できるのかその根拠がわからない。

2018-09-06

anond:20180906154014

差別(読み)さべつ(英語表記)discrimination

翻訳|discrimination

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典解説

特定個人集団に対して正当な理由もなく生活全般にかかわる不利益強制する行為をさす。

その差別行為対象となる基準自然的カテゴリー (身体的特徴) の場合もあれば,社会的カテゴリー (所属集団) の場合もあるが,いずれにせよ恣意的な分割によって行われる。

(後略)


男性男性というだけで乗れる車両を減らされている」は差別

キモい」と思うのであれば、増田を見なければいいのでは?

2018-07-07

anond:20180707110210

死刑になったのは、人権を持つ市民です。

「死んだほうがいい」と思われていても人権はあります

「生きていてほしい」と思う人がいなくても人権はあります

 

wikipedia説明でいうところの第一の方です。

人権保障には2つの考え方があるとされる[5]。その第一は、いわゆる自然権思想に立つもので、個人には国家から与えられたのではない、およそ人として生得する権利があるのであり、憲法典における個人権の保障はそのような自然的権利確認するものとの考え方である[5]。広辞苑では、実定法上の権利のように剥奪されたり制限されたりしない[1]、と記述されている。その第二は、自然的権利確認という考え方を排し、個人権利憲法典が創設的に保障しているとの考え方である[5]。18世紀自然権思想19世紀に入ると後退し法実証主義的ないし功利主義的な思考態度が支配的となったとされ[2]、1814年のフランス憲法などがその例となっている[5]。

2018-06-03

近年,片仮名侮蔑意味を持つようになっている(追記あり

政治的,それもかなり下品言葉だけど,「なんでも安倍総理責任にする人」を一部のネット民が「アベノセイダース」と呼んだり,逆に「野党の答弁を盲目的に批難する人」を「ヤトウガー」と呼んだりするのを見かけるよね。彼らはどちらも対象卑下揶揄する目的で前述の言葉を使っている。今はこの言葉の真偽可否ではなく,〝片仮名にすると馬鹿にした印象になる〟という現象のものを知りたい。国語文法教科書Wikipediaを見ても,片仮名役割に“相手侮蔑する”なんていうのは載っていない。とするとあくま予測だが極めて新しい言い方なのではないか

そもそもなぜ片仮名文章が人を小馬鹿にした印象を与えるのだろう(っていうか与えてるよね。僕はそう感じるんだけども,僕の感性おかしいだけだったり……)。当て推量だし,なにより言語学には暗いので大いに錯誤しているかもしれないが,僕の持論はこうだ:

(1) 片仮名は,平仮名と列んで,漢字が読めない幼児知的障碍者や非日本語圏の人間に向けて漢字かな混じり文を平易にする目的で用いられることがある。そこから平仮名片仮名に対し〝子供じみている〟とか(これも非常に汚ない言葉だが)〝知恵遅れ〟といった印象が付随するようになった。例えば「いってることがよくりかいできない」なんていうブコメからは,「言ってることがよく理解できない」というブコメより揶揄の成分を強く感受する。

(2) もともと女性が使い始めた言葉だということを知ってか知らでか,平仮名には世間一般に〝柔らかい〟〝自然的〟といった好感が持たれている。その一方片仮名は〝冷たい〟〝人工的〟など,(どちらかというと)否定的文脈で用いられることが多い。例えば擬声語でも「頭をぽかぽか叩く」のと「頭をポカポカ叩く」のでは全射が素手で行為に及んでいるのに対して後者が何か道具(といっても軽そうな品ではあるが)を使っている印象を受ける。

(1), (2) の両論を併せると,片仮名記述された表現からは〝思考なく機械的に繰り返される幼稚で,取るに足りない文〟という印象を受けるのではないか

上述の理屈が正しいとして,新たに疑問が生まれるのだが,それは「なぜ最近までその表現が無かったのか」と言うことだ。(1)も(2)もずっと昔から片仮名に備わってきた性質であるのに,それらが複合しただけの表現が生成されなかったのはかなり不思議だ。もっと辞書には掲載されていないだけで昔からあるのかもしれないが。

追記

b:id:triggerhappysundaymorning​様,出典ありますでしょうか。当方では見付かりませんでした。(高慢ちきな言い草になりすいません。あとID名が長すぎてリンクが効きません)

追記2)

「アベ」や「フクシマ」はそれらが孕む確執が多すぎて荒れる原因になる(少なくとも僕は「フクシマ」に関して〝侮蔑〟の印象は受けない)と判断し例に挙げませんでした。が,もうすでに荒れ気味なので具体例に追加します。

追記3)

かなり昔(一部ブコメによれば江戸時代から)そういう用法はあるみたいですね。ただ素人が読める文献がなかなかないのでは。片仮名の持つその他の意味実体を把握しない憧れとか)について論じてる文章は見掛けるんだけどなァ……。

2017-12-30

anond:20171230111228

自然主義誤謬もっと丁寧に使ってほしいな。

子供を作ることに一定合理性があるから子供を作る。

私たちはそれを自然的な正しい行いだとして、合理的判断隠蔽してしまうが、その隠蔽された合理的判断が誤りである、と言うことだ。

そしてその一部の合理性は間違っており、増田の言う合理性を正しいと信じる理由はまるでない。

増田子供を産む人には合理性などないとしたいが、実際には合理性はあるのだ。

そしてそれを否定するのであれば、自分合理性否定しなければならない。

2017-11-16

anond:20171115235406

承認欲求を満たすって言い換えたら「奇を衒う」でしょ。承認欲求って言葉使うと、さも食欲と同等のような言葉使って自然的な本意と言おうとしているか、そんなことなんも考えてないかのどちらかなので高が知れる。

存在価値ないとか本気で言ってる人見たことないし、それが目的ならそれでいいと思うよ。

一番を目指して走ってた人がいつかキリ番目的に走るようになるみたいな、そういう自己満足においても狭いものでしょ。

音楽ってもっと楽しいものだと思うけど、まあ色んな楽しみの層ってあるだろうからね。

2017-10-27

anond:20171027161634

少なくとも、それを社会的義務とみなすのはもう時代遅れになってしまいました

これは思想の左右とは関係なく、市場要請=売る相手が居なくなると国内経済が困るから、であって、政治思想とは関係ないのでは。

強いて言えば、財界≒右なので、右サイド(持てる層)の人たちの「認識不足」だと言えなくもないですが…。

リベラル式に弱者へのケアとみなすには

リベラル弱者保護というよりも、多様性の許容という理屈立てだと思います

信じられないかもしれませんが10年ぐらい前は、子を産んだ女は「いったん社会から強制退場」だったので、そうじゃない「人生多様性」を獲得したい、という主旨だと思います

増田さんはそこを根本的に勘違いしておられるようです。

「産んだ人=弱い=守らねば」ではなく、「産んだら退場」=扶養家族増えたのに稼ぎ口減る=社会的弱者」、という、もう一段階前の存在を忘れないでほしいです。

そして、出産義務を課しているわけでもない。ご自身でも仰っているように、出産義務と見なしているのは右でしょうね。夫婦別姓も大嫌いな人たちですし。

結婚も育休も強者権利と思える部分がある

このように考えてしま理由は、恋愛(ここでコミュニケーション弱者が発生)→結婚(ここでは主に経済弱者が脱落)→出産

というヒエラルキー想像しているのかもしれませんが、この「自然的市場」を否定するのであれば、

社会主義革命か、もしくは地球全土が中世ぐらいまで生産性を下げる(必然的生殖行為生産性向上に直結するはず)ぐらいしか方法が思いつかないですw

なので、本増田は、絶対的ものとしてこのヒエラルキーを想定するのは、人間としてい続けるためには(ワンオブ生物であると開き直るなら別ですが、私はそれは人間とはみなしません)

間違っていると思いますし、むしろ人生多様性」を広げることで、野生生物ヒエラルキー意味を削いで行くことが可能だと考えています

ただし、何しろ人間という「生物」は、かれこれ1億年ぐらい、「産む=生産性」というシンプルかつ野生な環境でやってきたので、簡単に変わるとは思いませんが…、

少なくとも多様性志向=産んだあと一旦退場しなくてもよい先達の存在、は、居ないよりは多様性に多少は近づくと思います

くだくだと申し上げましたが、簡単にいえば、ルサンチマンに浸ってるのは気持ちいいですか?って感じです。

2017-09-12

虚無感

私は某戦車娘達が好きなので、パチンコはやりたくないが娘達を見たいが為に渋々打ちに行った。

まれて初めてのパチンコだった。

2万円買った。

扇情的な音や演出自然的に興奮し7が揃った時の脳内麻薬は確かに凄かった。

私は調子に乗ってまた娘達に会いに行った。

1万円負けた。

時間お店にいて、結局何も残らない。何も得ていない。

私が働いて稼いだ1万円は何の意味も無く消えた。

その時感じた虚無感が凄かった。

私はもう二度とパチンコをしないと思った。


勝てば増えるが、負ければお金は水の泡。

そんな気分を何度も味わいながらも打ち続ける人の気持ち理解出来ない。

anond:20170910231734

2017-08-29

日向市PR動画賞賛するフェミニストに思ったこと

話題日向市PR動画見たけど、個人的にはすごく好感の持てるPR動画だと思った。あの動画いかなる程度であれルッキズムが潜んでいることは否定しようがないけれど、僕個人としては社会的抑圧の一切を否定した社会はハクスリー的なディストピアしかないと思ってるので「海、似合ってないね」程度の抑圧は彼と同じく「ほっといてください」と言って許容出来る範疇 にある。‬しかし、それでもやはり肥満体型と似合う似合わないという価値判断を結びつけている以上そこにルッキズムという抑圧が存在していること自体は疑い得ない事実である。ところがその事実すら否定したがる一部のフェミニストたちがいるらしい。

サーフィン練習を重ねた結果として体が引き締まることを自然の結果だと言うなら、なるほど一般的に言うルッキズムもある程度自然根拠を持つものだと言えるだろう。しかし、海に似合う男が体の引き締まった男性なのだとしたら、つまり自然身体の一致を以ってして似合っていると呼ぶのであれば、男女で所与の身体的条件に差異存在しているのも自然になるわけで、したがって生理妊娠などによっても社会活動制限のかかる女性社会進出を目指すことは女性に「似合っている」とは言い難いように思う。それは当然女性社会進出を訴えてきたフェミニストには受け入れ難い主張かもしれない。

思うにフェミニズムという思想が上述したようにいくらかは自然根拠を持っている社会的分業に反対するものとして登場した思想であることを考慮すれば、その根底においてフェミニズムは反自然的性格を備えていることがわかる。それはつまり自らの生物としての女性性に対する根源的な自己嫌悪とも言える。このように考えた場合フェミニストがこのPR動画におけるサーファーの「海、似合ってないね」というセリフを見てそこに普段から自分たち解放されることを望んでいるのと同種の自然の軛を見ずに、あまつさえ他方にあってはその軛を肯定して自らの軛から解放手段にしてしまうのであれば欺瞞も甚だしいと言わざるを得ないだろう。

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