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2024-06-30

関西ミュージアム巡り

関西に限ってみるぜ! 行ったことがある中で、特に印象に残ったところ(あるいは定期的に足を運んでるところ)をリストアップ増田は今は阪神間在住なので行きやすいところがどうしても多くなる。

京都府

京都国立博物館
企画展もいいし、コレクションとしても優品たくさん持ってるんだけど、いかんせん明治古都館の耐震工事の目処が立たないので常設展企画展どっちかしか開催できないのが痛い。近世歴史的遺構(方広寺)の上に近代歴史的建築明治古都館)建てるんじゃないよ全く。
京都市京セラ美術館
ここもMUCA展とかキュビスム展みたいにいい企画展がどんどん回ってくるけど、やっぱりコレクションも見たいので、コレクション展やってないとちょっと落胆する。年パスコスパよくて、ミュージアムズ・フォーが割引になるのも嬉しい(特にかいのMoMAK)。
京都国立近代美術館
ここもコレクションがいい。でもMoMATみたいなところかと思って行くと小ささにびっくりするとは思う。
京都鉄道博物館
さいたまに劣らず展示は充実してると思う。京都水族館が近い。
宇治市源氏物語ミュージアム
鳳凰堂行くついでに寄りたくなる。最近大河ドラマで混んでるのかな。
神社仏閣の宝物館
これを入れると、もう京都市なんかどれだけ行っても尽きない。まずは延暦寺は当然。あと、広隆寺とかもいい。

大阪府

国立民族学博物館
大正義首都圏ミュージアムが集積してることに対する嫉妬を「吹田には民博あるもん!」って収めることができる。とにかく面積広くて収蔵品が多いだけじゃなくて、ビデオテークとかでみれるAV資料も充実してる。先日は仮面展のついでに、桃太郎の各地方言の朗読聴いて、「地元にはこんな綺麗な方言しゃべる人いなくなっちゃったなー」って物寂しくなってた。タクティクスオウガ聖地としても知られる。
JT生命誌研究館
小さいけどかなり展示がしっかりしてる。入館料無料も嬉しい。
大阪市立東洋陶磁美術館
油滴天目もいいんだけど、なんというか、コレクション全体を通じてかつての大阪経済の力を感じる。
中之島香雪美術館
近くにいっぱい公立ミュージアムあって、しか中之島とか年パスコスパがいいので、比べると高いなーとか思っちゃうんだけど、つい企画展に行っちゃう
大阪市立中之島美術館
市の持ってる現代美術駐車場に置いてるくらいなので、企画展しかやってないのが気に食わないが、結構いいのが回ってきたりしてる。テート展もとても良かった。TRIO展楽しみ。
国立国際美術館
企画展もいいが、関西現代美術常設展見るとしたらまずはここ。と思ってメキシコ展帰りに常設展見てきたが、気づいたら常設展中之島美術館との間の橋作る工事のせいの雨漏りのため突然中止、会場閉鎖になってた。いつ開くのだろうか……?
大阪市立科学
現在改装中でもうすぐ開く予定。科博とか名古屋ほどじゃないけど、関西随一の科学館としての格はある。神戸市青少年科学館が改装でどんどん壊れた実験器具捨てて映像ばかりの展示になってるのが誠に遺憾なのだけど、大阪がそうならないことを願ってる。
海遊館
わざわざ大阪まで水族展示見に来る価値はあるよね。環太平洋っていうテーマ設定も良い。
大阪歴史博物館
ここも江戸東京博物館ほどではないにせよ、難波宮大極殿復元とか、大阪歴史博物館として一度は見てみていい。
大阪市立美術館
来年春まで休館中。ここもかつての大阪経済の力で成立。中之島と市立美術館2館体制になってどういう感じで棲み分けるんだろう。
あべのハルカス美術館
中之島香雪に同じ。
大阪市立自然博物館
ちょっと展示の古さが気になるし(キャプション更新されてる)、子どもが多いけど、関西一の自然史系博物館。今度はクジラ骨格標本作らせてもらえて、しか費用も半額以下で済んでよかったね。
堺市博物館
堺も歴史ある街だし、しかもここに来ると必然的大仙古墳も一緒に見ることになるのでいい。大仙古墳は外から一周回って「デカっ!」って言うだけだけど。

兵庫県

伊丹市昆虫
阪神間には結構特色ある小規模ミュージアムがいくつもあって良い。
西宮市大谷記念美術館
小さい美術館だけど、日本画が充実してて個人的にはすごく好き。
芦屋市美術博物館
上に同じ。芦屋は「具体」の聖地なので、こっちは現代美術大谷記念から2kmないので、増田はよく歩いてハシゴしてる。
灘の酒造資料
菊正宗とか白鶴とか各社色々ある。入館料無料楽しい
兵庫県美術館
ここもキース・ヘリングみたいにいい企画展たくさん来てる(ゴッホアライブみたいにクソなのも来てる)が、やっぱりコレクションがいい。
阪神・淡路大震災記念人と防災未来センター
元祖災害伝承館。増田震災後に阪神間移住したけど、何年かに一回は行かなあかんなあと思った。県美のすぐ近く。
竹中大工道具館
増田神社仏閣とか城郭かに行くのも好きなので、なるほどこんなふうに作ってるのかとすげえ面白い
神戸市博物館
リニューアル前は大英博物館展みたいな大型企画展がたくさん来てたけど、リニューアルして歴史展示が微妙になった気がする。企画展も、洋物は今度のデ・キリコ展くらいから?
明石市天文科学
テーマ系の科学館としてはここもいい。プラネタリウムが実働機で日本最古だとか。

奈良県

大和文華館
ハルカスと同じく近鉄系列だけど、ハルカスよりもオタク向け展示でよい。
奈良国立博物館
正倉院展はやっぱり毎年行くよね。解説読んでると、ちょっと仏像見方が分かってくる気がする。京博とか行くとだいたい曼荼羅展示してあるけど、こないだ空海展に行って初めて曼荼羅見方が分かった。
平城宮跡の展示施設
いくつかある。京都と違って一旦都の跡が忘れ去られたおかげで色々掘り出せて良い。
奈良文化研究所資料館(平城宮飛鳥
平城宮上記かぶる。考古資料が見たくなったらとりあえず奈文研行っとき安心感はある。
神社仏閣の宝物館
とりあえず南都七大寺春日大社鉄板。定期的にしか開かないけど、彫刻好きなら北円堂の無著・世親像は一度は見ておくべきだと思う。法隆寺は混んでても、隣の中宮寺は空いてるので、教科書の半跏像を気が済むまで堪能できる。

その他

京阪神奈良以外は日頃の行動範囲に入ってないので、だいぶ適当

滋賀県立琵琶湖博物館
公共交通機関でのアクセスはとても悪いけど、自然から人文から水族展示まで、琵琶湖を題材に色んな角度でまとめてて秀逸。
伊賀流忍者博物館
展示は古いが、面白かった。近くに芭蕉翁記念館があるのも良い。
神社仏閣
高野山吉野三井寺あたりは外せない。石山とか粉河とかも気になるけどまだ行けてないのでなんとも。熊野はなおのこと。

こんなところからなあ。MIHOミュージアムは興味はあるが、遠くて行けてない。

疲れたので、また思い出したら追記する。

anond:20240629060352

2018-10-17

聚楽第歴史改変

オタク戯言です。

刀剣乱舞イベントおめでとうございますー!楽しみです!

聚楽第なら秀次生存ルートかなと嬉しくて舞い上がっていたらフォロワーさんに破却されていない聚楽第という情報だけで秀次天下と捉えるのが分からないと言われたので、徒然なるままに三分を書かせてもらいました。

分かりやすさは放棄しておりますのでお許しください。また、あくま妄想ですので批判等はお控えください。


1.聚楽第とは

聚楽第とは豊臣秀吉天正15年(1587年)9月京都にて完成させた建物であり、文禄4年(1595年)7月秀吉自らの手で破却させている建物である。その期間四年余。その為、建物自体現在に残ってはいないが、聚楽第図(広島市中央図書館所蔵蔵浅野文庫諸国古城図』)を始めとする絵図や京洛の社寺などには移築したと伝わる建物などが存在する。

元より聚楽第という名は楽しみをあつむるやしきと言う意味であり、宣教師ルイス・フロイス聚楽快楽歓喜の集まり意味すると記している。見た目も絢爛豪華で…と語っており派手好きな家康の片鱗を垣間見ることができるだろう。見目を伺うために伝わっている平面絵図がいくつか存在する。例を下記に連ねる。

浅野文庫

尊経閣文庫

三井文庫

国立国会図書館文庫

桜井成広所蔵本

聚楽教育会所蔵

三井家所蔵「聚楽第図屏風」

堺市博物館所蔵「聚楽行幸図屏風」

三井文庫所蔵「豊公築所聚楽城之図」

①〜⑤は周囲の大名屋敷名称バラツキはあれども構造が似通っているものである。⑥は後世の天保14年になり名倉希言が作成明治17年に書写されたものになる。⑦〜⑧は景観を描いた屏風になる。それぞれの内容や絢爛さなどは自らの目でお確かめください。そんな聚楽第の意義とは一体何だったのだろうか。桜井成広氏の『豊臣秀吉居城』及び中井均氏の『聚楽第』にて述べられている①京都に於ける政庁役割であったと考える。しかし、秀吉政治に関して大阪城聚楽邸を行き来していたことがある。中井均氏はこれを聚楽第公家としての居城であり、大阪城武家としての居城であると書いている。

聚楽第が破却になったのは文禄四年の秀次滅亡後の秀吉による破壊である

秀次の死は切腹であったが、それは秀吉によるものである秀次秀吉に謀反を企てているとあらぬ疑いをかけられ、関白の座を追われて高野山追放高野山人質切腹を迫られたためせざる得なかったのである。これは秀頼誕生後に相続問題から疎遠になり秀吉との仲が冷却されたとともに目立つようになった不謹慎な性行なども関係していると考えられるだろう。更に秀吉親族切腹まで命じており、元より秀頼を溺愛していた秀吉秀次の謀反に対しての怒りを感じる。そして、秀吉は譲った聚楽第を破却。縄張り意識を中心に考えると、歴史から秀次を完全に消し去ろうとしたといえる。

2.天正15年(1587年)9月〜文禄4年(1595年)7月迄に起こった歴史重要

今回のイベント於いて歴史修正されたのは豊臣秀次生存であり、ひいては豊臣政権の存続だと考える。

まずこの4年間に起こった大きな歴史的要項を挙げよう。大きな出来事のみの抜粋は天下が歴史修正に置いて影響すべきところを考えたためである

朝鮮出兵

豊臣秀次切腹事件

それでは順に述べていこう。

朝鮮出兵

朝鮮出兵聚楽第存在時にあった秀吉が行った大きな出来事である大陸領土拡大を目指し、進行したものであるが敢え無く敗北している。歴史改変をする事が出来る場所とも考えられますが、否定として「歴史改変された聚楽第」と本家PVで言われていることをあげる。この“された”と言う言葉には「何かしらの作用や影響を受けているさま(weblio)」であり、この場合、影響をうけているのは聚楽第であり、朝鮮出兵は直接関係がないのでこの案は没になる。

(飛ばしてくれても構いません。閑話休題に余談ですが、憶測に過ぎないものであり、またステ本丸出来事のためあくま私的妄想範囲を出ない考察ですが、舞台刀剣乱舞において歴史修正主義者が関わる場面は必ず天下が関わってる気がします。それは、歴史修正主義者は人の強い思いと呼応して呼ばれている(と個人的に考えている)ので、朝鮮出兵関係ないと思います歴史修正主義者も刀も人の思いに応え現れてくれる。代わりに見る人によって善悪が変わる世界です。聚楽第において正史側の審神者と刀は歴史修正主義者になってしまう…。つらい。話を戻しましょう。)

秀次切腹事件がなかった世界。用に謀反の疑いがかけられなかった世界理由としては前項で述べた聚楽第歴史改変を受けていると言うところが大きい。まず聚楽第存在したのは4年間であり、大きな出来事といえば

1587年 京都聚楽第完成

1592年 秀次聚楽第を与える

1595年 秀次切腹と共に破却

しかない。その為、聚楽第が直接影響を受ける可能性があるのは1595年と考えたい。また、聚楽第が影響の象徴となるならば存在がある事が歴史改変であるとも言える。

この事から聚楽第存在するには秀次生存必要であり、切腹事件が起こらない過去改変が行われていると考えられる。

 
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