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はてなキーワード: 新劇場版とは

2021-04-21

https://anond.hatelabo.jp/20210420101223

新劇場版の流れとして本流だろうなあと思ってたのは、以下のような流れでレイと結ばれるエンドだな。

レイクローンとしてではなくレイ本人としての個性が出てくる(「破」まで)

 ↓

その個性ではなくユイ母性に惹かれたシンジだが、それを否定される

 ↓

この辺でなんかクライマックス展開(ゴルゴダオブジェクト破壊とか)するとともに、

シンジユイクローンとしてではなくレイ本人の個性と向き合う

2021-04-17

43歳でアニメ見始めた。

https://anond.hatelabo.jp/20210417175712

アニメを1シーズン通して読んだ記憶がなかった。見下していたんだ、アニメを。

で、去年から出自粛するようになってアニメを見始めた。アマプラ、月500円。

それでまあみんな知ってるんだろうけどアニメって面白いな。

とりあえずアニメをいっぱい見た。

最初に見たのは『鬼滅の刃』と『呪術廻戦』。とりあえず話題からアクションシーンがすごい。かっこいい。

次に『進撃の巨人』。かなり分量あるけど一気に見てしまった。漫画も全巻買った。

それから新劇場版の『エヴァンゲリオン』。アマプラにはTV版がなかったので、Netflixにも加入して見た。その後映画館に『シン・エヴァンゲリオン』を見に行った。

シュタインズゲート』、『魔法少女まどかマギカ』も見たけどやっぱりすごくて一気に見た。古さを感じさせない面白さがあった。いや、シュタインズゲートは古いなとは思ったけど。

ガルパン』もよかったぞ。

ゆるキャン△』、『のんのんびより』、背景が写実的で、現実アニメ境界曖昧になってくる。アニメで見る意味がすごいある。

あと気に入ったのは『ゾンビランドサガ』、『ドロヘドロ』。本当に素晴らしかったな。評判どおりMAPPAは安定してレベルが高い。

『リゼロ』、『乙女ゲーム破滅フラグしかない〜』異世界生モノにも初めて触れた。

今は『スーパーカブ』が気に入っている。

布団かぶってスマホアニメ見るのは好き。

2021-04-03

2021年アニメお気持ち長文2

https://anond.hatelabo.jp/20210403173914

これが長くなったので続き

シン・エヴァンゲリオン劇場版

映画という形式を採ったのにテレビと似たような話をやった時点で、エンタメ云々という御題目は死んでいた。旧世紀版最大のエンタメである使徒ぞくぞくシリーズ映画にするには、総集編にするしかいからだ。

実際に『破』ではやってくる使徒迎撃するネルフ作戦は添え物と化し、使徒以外(続編に向けての謎撒きやポカ波食事会など)のドラマ要素を積み上げ、お馴染みの3号機登場によって終わりの始まりを迎えることが映画の中心になって、「ぬるいな」「ああ」は消滅した。

その続編たる『Q』で荒れる人らを見て、こいつらは何を期待してたんだと思った。3号機の件が起きたことで、新劇場版方向性ははっきりしたではないかシンジが前向きになったところで、話は暗くてよくわからんメタファだらけの補完計画へと向かうのだ。

だいたいにして『エヴァ』に明るく楽しいエンタメを求めるなら学園エヴァ系や『ピコピコ』のように本編から離れたスピンオフに行くか、スパロボプレイするか、パチンコを打つか。そんなことは、1020年の単位で『エヴァ』を追ってる人なら分かっていたはずだろうに。

ヱヴァンゲリヲン』は所詮エヴァンゲリオン』でしかないんだよ。

そういう冷めた気持ちを抱えて観たせいか、『シンエヴァ』を見て出た感想

東宝キラキラ東映のザパーンとか怪獣変身ヒーロー映画かよすげえ!」

大人プラグスーツ姿が超卑猥!」「うわマリおっぱいすっげえ揺れてる!すっげえ揺れてる!」

「白ウナギより酷いなこの余りパーツ流用軍団」「ビクンビクンしてるのエロアニメみたい」

「『ゲイサディスト』って言葉シンジに対する庵野秀明に向けられないの不思議

太陽使者ヴンダー」「新2はJAアーマーと武装男の子してるなぁ」

「あっこいつトウジの妹だ!」「今のシーン『この沢城みゆきがすごい!2022』アニメ編1位決定」

シンジくんみんなが見てる前で全裸になったしみんなもシンジくんの全裸を見たのか……」

「もじゃ波ママかよ……ママだったわ……」「式波さんすっかりエロスーツ要員だな」

「動撮好き」「原撮好き!!!」「コンテ撮と台本撮きらいだからよかった」

「うっわ濡れ透けワイシャツエッロ!!!

などの超低レベルものばかり。熱心に追い続けて分析考察、もしくはこの四半世紀の総括・卒業解放・解毒・解呪・葬送をできている人らが羨ましい。

それはそれとして、この映画エロすぎでしょ。なんかケツとか脚とかめっちゃ映る。あと裸とプラグスーツのシーンも多くて、しかもケツが映る。だって裸なら止め絵で喋ってても画面保つからね!みんなおっさん割れた面や変な模様入り板切れなんかより、胸の大きい良い女の裸の方が見たいでしょ。俺は見たい。見れた。嬉しい!100点!

プラグスーツ飲尿ピンクの指摘を待つまでもなく、旧世紀版のテレビ放送時から裸以上の超どスケベ衣装だったわけだけど、エヴァエロ絵ってだいたい脱がす。公式でさえ脱がした。結果本編が一番どエロなの本当にどうかしてる。あの超だるだるのスーツがプシュってしてピッタリになるやつめっちゃ猥褻なのでアニメでも実写でも一般的描写になってほしい。破れプラグスーツ?あれはあれでエロだけど、俺はプラグスーツマットプレイを前提として見てるので破れてなくて透けてもないのが良い。そういうの誰かなんとかしてほしいけどコミケ中止とガイドラインが全てを阻む。おのれ……おのれ……。

さよならはまた会うためのおまじないから、全てのエヴァンゲリオンはまだ続いていくだろう。庵野秀明はもうやらないってだけで。

『シンエヴァ』はガンダムにおける『∀』すなわち終着点として存在するから、そこに至るまでの世界は何をしてもいいだろ?という解釈を俺はした。たぶん関係各社もそう考えてるし、だからこそ最近の『シンカリオン』への登場も旧世紀版準拠だったんでしょきっと。これからもQの嘘予告に相当するシンジ物語の中では語らなくていい話を何らかの媒体で出すとか、ヒロインマリがいる育成計画とか、その他各種グッズとパチンコスパロボほかゲームへの参戦……まあ色々やるだろう。ガイドラインが出た今、どれだけ公式プラグスーツ摂取できるかの勝負がこれから始まる。

2021-04-01

今日シン・エヴァンゲリオンを観に行く

タイトルの通りである。今更感のあることを偉そうにと思われるだろうが、自分気持ちの整理のためにも映画を「観る前」の記録として残しておきたかった。もちろん本作については、何のネタバレも含まない。

私は30歳であるエヴァンゲリオン第一話はリアルタイムテレビで見た。見たが、なにせ当時5歳である。新しいロボットアニメが始まるんだ、という程度の認識しか無い子供が観て楽しいお話しでは全くなく、なんかこわい、という感想とともに一話でドロップアウトした。私はあまり子供のころのはっきりした記憶はないのであるが、これについては、不思議と覚えている。そこから時が流れ、大学生になってようやく本格的にエヴァを観始めた。そういう意味で歴は浅いし、リアルタイム熱狂した人間ではないかも知れないが、アニメ版、旧劇場版漫画版など様々な作品を何度も観て、いろんな考察を考えたり見たり、サウンドトラックフィギュアも買ったりと、一つコンテンツを深く楽しんできたという点において、自分にとっては、かけがえのない作品の一つである

その中でも何か一つ取り上げるとすれば、私は旧劇場版Airまごころを、君に」が好きである。鬱々とした展開であり、非常に難解、いや難解というより、もしかしたらそもそも解は不在なのかも知れないが、それでもこの映画を観た後の心の感覚が好きで、何度も観てしまうのである一般的には、謎を解き明かすことな抽象的な展開とともにぶん投げた、後味が悪い、観客にダメ出しするなんて何様だ、などと酷評も多いが、この映画自分には響くのは事実である。もしかすると、決められたレールの上で、常に自身を大多数の側に置くことで安心してきた自分が、周囲の人間の声とは無関係自分はこれが好きでいいんだ、と声を大にして言える作品出会たことが嬉しかったのかもしれない。

そういう思い入れがある作品だけに新劇場版ももちろんチェックしてきた。破については劇場で3回ほど観た。旧劇場版とは確実に別のベクトルの話であるが、これもまた自分の大好きな作品であるしかし、そこから急にエヴァンゲリオンに対して、距離ができた。Qが公開されたとき大学4回生で、公開日から1か月ほどは海外におり物理的に見れなかったが、帰国後もまだまだ上映期間中だったし、お金時間も余裕があったので観ようと思えばいくらでも観れた。しかし、この時は世間のあまり酷評に足が向かなかった。勢いで公開と同時に観てしまえばよかったのかもしれない。しかし、破があまりに好きすぎて、その続編に対して勝手に抱いていた自分の「こうなって欲しい」という期待を大幅に下回ってそうだ、ということを受け入れられなかったのである。この子供じみた感情によりそれっきり観ることがなくなってつい最近まで至ってしまった。仲の良い友人と些細なケンカをしたとき、どちらともなくすぐに謝ればまた仲直りできるのに、どっちも意地を張って謝らないと、どんどん謝るタイミングを失っていき、ついには口も利かなくなってしまう。そんな風にして、エヴァンゲリオンに触れることもどんどん少なくなっていった。さすがに漫画版の完結は見届けたが、それでもQを観る気にはならなかった。

そんななかでついにシン・エヴァンゲリオン劇場版が公開されることになった。「これでエヴァは完結」という点だけで観に行くしかない、という気持ちになった。大仰に言うと、自分の中で大切な作品ちゃん区切りをつけるにはちゃんと見届けるしかないと感じたのである。今や家族がいるので好きに観に行けるわけではないが、許しを得て序から復習を始めた。まだ自分一人暮らしだったら、アニメ版の一話からだらだら総復習したのだろうな、などと思いながら。序、破、ときて、いよいよQである。完結作続いていて、もうすぐ観れるのだ、という心の余裕もあり、落ち着いて観ることができた。結果、旧劇場版とは別の意味難解な展開であったが、思っていたほど支離滅裂とは感じなかった。むしろこれまで気になっていた新劇場版世界観に対し、ある程度の解が提示されたことで、次が期待でき、悪くない、いやむしろ良い、と思った。同時に、自分としてもエヴァンゲリオンの完結にちゃんと近づけたような気がした。もちろん今日シン・エヴァンゲリオンを観るまで話は完結していない。ただ、それまで勝手喧嘩別れした気になっていた作品に対して、自分があれから歩んできた人生でもって改めて向き合い、理解し、申し訳ないという気持ちになり、整理をつけた、ということである。これで心置きなく物語の結末を観ることができるのだ、という思いになれて嬉しかったのである。そしてそれをここに記したかった。

シン・エヴァンゲリオン劇場版を観終えた後は自分の中でゆっくり咀嚼して、完結した事実を受け入れていくのだろう。今はただその時が楽しみである。30歳にもなって楽しみで眠れないことがあるだけでも、幸せというものだ。

2021-03-29

「シン・エヴァ卒業式なんですよ!」

「シン・エヴァ卒業式なんですよ!」

岡田斗司夫のchで言ってたんだけど、まぁ確かにそうだなって思った。

ちょっとタイミングが遅れたんだけど、先週末にやっとこシン・エヴァを見てきた。エヴァとの距離感って年代によって大分差があると思う。自分は30代半ばだ。30代半ばと言えばリアルタイムでも無い微妙な期間だと思う。自分スパロボとか、ムーブメントの後にやってきたタイミングから知っていたと思う。

その頃の「エヴァ」はたぶん今よりももっと一般人的には「アンタッチャブル」なものだったと思う。

エヴァを見てるようなやつ」っていうような扱いというか。オタクである事は恥ずかしいというような風潮というか。

まぁそういう世代なわけで。

その世代からするとここ20年、10年ぐらいのそういう文化大衆化ってすすんだよなーと思う。その一番分かりやすい例がエヴァンゲリオンだと思う。

今回、エヴァを見に行くにあたって5歳ほど違うパートナーと一緒に見に行った。パートナーは明確に新劇場版:序からしか見た事が無い世代だった。行くにあたって、これまでのエヴァの流れや歴史みたいなのを凄く熱く語ってたと思う。

内容もそうだけど、当時のゴタゴタ感とかそんなんをひっくるめて。

ナディア庵野監督で、新劇ではナディア音楽とかも使われてるとか、なんか全体的な雰囲気みたいなのはナディア以前のトップを狙えとかっていうOVAの頃から雰囲気とか用語とか共有かしててその辺がオタクにビンビン刺さる部分で…

的な。これは多くの人が感じると思うんだけど、エヴァ語りをしだすと自分でも感じるぐらいキモくなるんだ。

まぁ、そんなアレコレもパートナー面白いと感じてくれたらしく「じゃあ尚更今回のシン・エヴァは楽しみなんだね!世の中の騒ぎ方はそういうことなんだねー」っていうザックリ理解をしてくれた。

んで、当日作品を見たわけだが。作品自体は本当に良かったと思う。いや、正確には「よく終わった」って感じか。

色々意味わからん部分だったり、自分記憶とかが曖昧でつながらない部分とかが無い事もなかったが

そういうのひっくるめて「終わった」から「良かった」

んで、一緒に見たパートナーも「凄く良かった!」とテンション上がって感想をアレコレ言っていた。

鈴原妹のシンジに対する複雑な感情の部分とかがすごく刺さったらしい。Qはまったく意味が分からなかったけど

今回のシン・エヴァ意味が分からない事もいっぱいあったけど、わかりやすかった。楽しかった。

というような感じだったらしい。テンション上がっているパートナーは俺にも感想を求めてきたんだが

対照的自分は何故か「無」というか、凄くフラットというか。

何か「何も言いたくない」っていう感覚になってしまった。

あんだけ見に行く前は色々語ってたのに何で見た後その感じなの?!」

と聞かれたが、何か自分でもよく分からない。面白かったし、終わって良かったし、ネガティブ感情はそこには無いんだけど

何故か「何も言いたくない」

映画館から出ると、自分よりもかなり若い子達がアレはどーだったとか、アレはこうなんじゃないのかとめちゃくちゃ盛り上がってた。本来はあーなるのが普通だよなーと思ったんだが。

ここで気づいたんだけど、自分はもう30半ばなんだよなっていう事。

アニメ版の「おめでとう」から旧劇の「きもちわるい」のゴタゴタを知っている層なわけで

エヴァ」っていうコンテンツ時代時代の引っ掻き回しを見てきた層だ。

散々かき回されたし、それによってこれまで沢山あーだこーだ反応してきてしまっていた。

ももう今回ので何か終わったし、これ以上騒いでも何も出てこないっていう事に

たぶん自分フラット気持ちになってるんだなってわかった。

繰り返しになるが、今後もう何も出てこない。

2021-03-26

エヴァンゲリオンは未見なオレが解説をする

エヴァンゲリオンはついに完結した、という人と、結局終わっていないという人がいるようだ。そこいら中で感想文が書かれているので、映画見なくてもなんだかわかる。

キャラクターたちは自分の居場所確立して日常に帰って普通に生きていくことになりましたとさ、という終わりだったんだろうな、と。

誰と誰がくっついたとか、誰と誰がどうなったとかそういう細かいのはもちろんわからないけど、このオチに対して、納得している人から拒絶している人まで様々だ。

前の映画でもアニメでも庵野はおそらく同じことを言っていると思う。ただその時の人間としての成熟度とか、監督映画のつくり手としてのスキルから違って見えるかもしれないんだが、結局「もう自分の殻に閉じこもって被害者ヅラしてないでとっとと出てきて日常をおくれ」ということなんだと思う。

そして、「エヴァンゲリオンは結局終わらなかった」という人たちはこの「日常にもどれ」というのが受け入れられないのだろうな、と思う。

もうちょっと言うと「日常がこんな退屈なものであって良いはずがない、自分が送っているこの日常と呼ばれる退屈極まりない過去から未来の流れは偽物でどこかに本物のエキサイティング日常があるはずだ、せめて物語の中だけでも良いから見せてくれよ」ということなのかもしれない。

シンジは確かに退屈そうな日常を送っている少年だ。いっつも部屋に閉じこもってふてくされて音楽ばっかり聞いている。それをある日父親に(父親自らの殻を破るという代理戦争名目で)無理やり引っ張り出される。そこにエヴァンゲリオンという文脈を載せてしまい、内容も哲学的にしてしまったがゆえに「こじらせた人々」を量産した。

小林よしのり戦争論ネトウヨがガーッと盛り上がった(当然それより前にそういう人らはいたが)り、そんな感じの時代であったようにも思える。

今の新劇場版からエヴァンゲリオンを見た人たちと、TVから呪縛に囚われた人たちの期待値も違ったことだろう。

ついに新劇場版で俺達の納得行く結論が見られる!という人たちは多かっただろう。納得の行く結論がなにかもわからないままに。

結局庵野テレビ劇場版新劇場版で3回同じことを言った。25年間囚われたままの人たちが納得できるはずもない。もうもはやわけのわからないイデオロギーしかないだろう。「このアニメには俺達の何かを打ち破りなにか新たな世界に導くそんななにかがあるに違いない」と思い込んでしまった人たちは残念だったけど、結局エヴァンゲリオンは「シンジくんがここにいても良いんだって思える物語」というTV版かなんかが終わった直後に庵野が言ったこれ以外の答えはない。

そこに至るまでに父親とは決裂したのか、和解したのか、人々は残ったのかそうでもないのか、本人がぶっ壊れたのかそうでないのかと言った違いはあるが。

そういうわけでエヴァンゲリオンの言いたいことは「生きていくしかない」ということなんだろうと思う。

新劇場版ではどうやら後日談的なことも盛り込んでいて、庵野が「生きていくしかなくなった主人公たちは結局どうなったのか」まで思いをはせられるようになった、もうちょっと言うとシンジ視点からゲンドウの視点になって客観的に彼の人生俯瞰できるようになった、ということくらいだろうか。

そんなわけで、見に行きたいが長そうで躊躇している。

2021-03-24

エヴァに興味のないエヴァ世代

中学生時代エヴァTVアニメが直撃したアラフォーおっさんです。

当時はそりゃハマりにハマり、

学校ではオタ系の友人とエヴァ話題で持ちきりだったし、

シト新生Air/まごころを君に、なんか何度も見に行っちゃって限定テレホンカードとかも買っちゃうようなアレだったんですが自分にとってエヴァってそこで終わって過去のものになっていて、新劇場版も見る気が起きず、その後のエヴァをなにも知らずに今日に至っております

エヴァ見た?見に行くでしょ?」

最近辛い会話のひとつです。

もう興味ないって言いにくいの、なんでだろ。

2021-03-21

ネタバレあり】シンエヴァ雑感

先週シンエヴァを観た

そろそろネタバレ感想書いても大丈夫そうな雰囲気なので雑感

増田エヴァ歴】

TV版を2話からリアタイ視聴

・旧劇場版2作、新劇場版序破Qは観たがそれぞれ1回ずつしか観てないので細かい設定は覚えてない

【雑感】

・まずは「無事に終わってよかったなぁ」という感慨が何よりも先にあって、シンジ君が成長して声変わりするとかマリとくっつくとかに関しては「そうなんだー」って感じで特に異論はない。無事に終われない可能だっていくらでもあったんだしそれに比べればなんぼか

子どもレイに渡した絵本が『オチビサン』ってそういうとこだぞ庵野お前ホントそういうとこだぞ

バンダイワンダースワンGUNPEYのセットを販売してください(アスカカラーの赤で)

人間ドラマ苦手なのに無理をするから台詞になりがちなのはしょうがない

・QのCG特にヴンダーまわり)がわりとしょっぱいなー、でも時間なかったっていうからしょうがいかなーと思ってたけど9年後のシンエヴァCGわりとしょっぱかったので時間のせいじゃなかったのかなーって

・後半はまぁ書き割りってことでわざとちゃちい感じの戦闘シーンにしてるのかとも思ったけどどうなんだろうね

・ていうか終盤ほぼギャグだよね、ドクロの顔のエヴァとか首なし白素体ゾロゾロ歩くとことか笑うとこだろ

ミサトさんは死んだ旦那名前そのまま息子につけたりしないやいって思っちゃう

とはいえミサトさんシンジくんを庇って撃たれたら自動的に涙が出るし最終的には「無事に終わってよかった」「おめでとう」「おめでとう」「ありがとう」という感じではあった

なんだかんだで楽しめたので25年分の供養にはなったと思う

(ネタバレ)新劇場版しか見てないんだけどシン・エヴァ面白かった

TV版、旧劇場版を全く見たことなくて序破Q→シン・エヴァだけを見た人間ネタバレ感想です。

序を見てみようと思ったきっかけは覚えてない。最初から話を語り直すよという点が後発組としては見やすいというか、せっかくだから見てみるか!くらいの軽い気持ちだったんだと思う。

序の感想は「あれ、思ったよりも全然わかりやすい?」だった。もっと難解な話だと思ってたので、意外にとっつきやすくてびっくりしたし、何より絵が見てて楽しい戦闘シーンにワクワクした。

破の感想は「あれ!?なんかめちゃくちゃ面白くない!?」だった。爽快感があった。ウジウジしてることで日本一有名な中学生シンジくんが、アスカレイと協力して使徒を倒してて感動したし、ラストシーンは自らの意志レイを救うために突き進んでて、そんな明確な自我の発露できる子だったんだ?!ってびっくりした。あそこでかかる翼をくださいは怖かった。

でも、Qの感想は「…やべえ何だコレ全然わかんねえ!」だった。まじで一気に何もわからなくなって、シンジくんばりに放り出された気分になった。ピアノいたことないはずなのにがっつり連弾できとるの嘘やろ?になって笑ってしまった、カヲルくんとのピアノのシーンばっかり印象が強くて、あとは正直なにも覚えていない…!

そして今回のシン・エヴァの公開。インターネット考察感想で賑わいまくっていて、せっかくならネタバレを経ずにちゃんと見たいなと思い、映画館に行くことを決める。そしてあまりにも話を忘れていることに気づいたので、まずはもう一度序破Qを全部復習した(まじで大半を忘れていたので、見てよかった)。

9年ぶりのQはやっぱしんどかった。見ててとにかく「ディスコミュニケーションは本当に良くない」ってそればっかり思った。シンジくんには、本人にはどうしようもない14年間の空白があるのに誰もそれを埋めてくれなくて、突き放したり否定的言葉を投げつけるばっかで、ようやくすべてを説明してくれたのはよく素性を知らないカヲルくん。とにかく優しい彼にすがるように何か前に進まなきゃ!ってなるシンジくんだけど、あろうことかカヲルくんは目の前で首ぶっとんでしんじゃうし、あまりにもひどすぎる。いや誰かもっと序盤で説明したれよ!みんな、頼むからもっとコミュニケーションをとってくれよ…。でも、「たぶんそういう『他者とのコミュニケーション』がままならないゆえに苦しんでいる話だよな…それをいっちゃあおしまいだよな…」って思って、最後に何を見せてもらえるのかを待とう、って改めてQを見直しながら決意。

そうして復習してから見たシンエヴァなんですが、すごく面白かったです。そして冒頭に、「これまでの新劇場版」を丁寧に振り返る数分間があってずっこけました。復習タイムのいらない親切設計だとは知らなかった。

今回、一番の感想としては、先述の「ディスコミュニケーション」が徹底的に解決されていたところにとても感動したというか、安心させてもらえた。

ものすごく真正から、愚直過ぎるのでは?って思うくらい丁寧に、他者とのコミュニケーションの有り様が描かれていて、見ていてこちらまで肩の荷が下り気持ちになった。

まず第3村の描写、あれこそがずっとシンジくんに足りなかったものだと思った。どうしようもなく傷ついて一人でいたいとき、突き放さず、過剰に干渉せず、でも一人きりにはしないあの距離感大人になったトウジやケンスケ、内面大人アスカシンジに接するあの姿は、Qまでの世界の中でシンジが一度も与えてもらえなかったものから、あの時間物語を終わらせる上で、シンジを立ち上がらせる上で重要なのは納得感しかなかったし、見ていてこちらも癒やされる感覚があった。あの尺は絶対必要だったと思う。でも、加持さん死んどるのはつらすぎた…。

「これが最後だと思うから」って明確に言葉に出してシンジと会話をしに来るアスカ。いやお互いにめっちゃ話通じてるやんけ…ってなって泣いた。

甲板でのミサトさんとのお別れのシーンは、「行きなさいシンジくん!」の呪いから、静かにお互いを解放できている感じがして、どうしたって泣いた。もう会えないことが薄々わかってる、いってきます/いってらっしゃいは辛い。そのあとミサトさん犠牲になるのもえーなんで!?って思ったけど、後を託されたリツコが全く動じずに「ベストを尽くすわ」って引き受けるところ、そのものわかりの良さが辛くて泣いた。

ゲンドウとの対話は、お父さんいつからそんな喋れるようになったん!?ってくらいめちゃくちゃどストレートに心情吐露するからただただびっくりしたし、「いやそれでこの物語成立する?大丈夫カタルシスまれる?」って一瞬ヒヤヒヤして醒めた感じになりかけて見ていたのに、それでも!幼いシンジを抱きしめて謝るシーンは、やっぱりぼたぼた涙が出た。おとうさーん。。気づくのおせ~よ!!!

最後シンジの内側からユイが出てきて守ってくれるところも、そんな都合よくていいんかー!?とも思ったけど、抱き合う両親を後にして自分人生に改めて旅立つことができたシンジくん…って思ったら、いや何よその解放と祝福、って気持ちでまた泣いてしまった。

レイアスカカヲルそれぞれと会話してじゃんじゃんケリをつけていくところも、シンジくんがそんなふうにしっかりとした自我を持って、他者のために自分言葉を使おうとできてる事実が尊くて泣いた。

まり、かなりしょっちゅう泣いて見てました。でも別に「泣かされてる!お涙頂戴だ!」って感じではなくて、物語の持つ情動というか、エネルギーうねりみたいなもの、エンドマークに向かって絶対にこのでかい塊を運んでいくんだっていう意志、そういうものを感じたりもして、ええもん見たな…って涙だった。半ば説明がつかないような、見てると勝手に出てくる涙って感じだった。

ラストシーン、あのシンジくんが!?大人になった姿…!14歳の姿から逃れて、自立した大人として最後に現れるのって、なんて力強く、全力の「今を生きること」の肯定なんだろうと思う。そこでマリが隣にいることには、何故かわからないけど、とてもすんなりと納得がいった。そして何より、海が青くて嬉しかった。

鑑賞後に色んな考察を読んだけど、リアルタイム世代の人とは見ているものバックグラウンドが違いすぎるから、その観点の違いだけでも面白かったです。アスカ名前が変わったことと、旧劇場版ラストとを絡めて、惣流/式波ふたりともきっと救われている、っていう考察複数読めたのが特にしかった。そして宇部興産全然からなかったので知識が増えました。戦闘シーンが物足りないという意見はなるほどと思った。たしかに序破で感じた絵的なカタルシスはなかったかもしれない…というか、シン・エヴァ戦闘シーンは全体的に画面内の情報量が多すぎて、ついていけなかったかも。。

大量の新用語とかカヲルくんの立ち位置の謎っぷりとか理解できてないところも正直たくさんあるんだけど、それでも「楽しかったなー!」って思った。

こんなふうに屈託なく(といったらいいんだろうか?)楽しまれる作品であることを、果たして過去監督作品自体や、はたまたファンが望んでいたのかは正直わからないんだけど、

新劇場版しか知らない人間のひとりとして、最終地点を物語として楽しめた!という感想でした。見てよかったなと思う。せっかくだからなにか感想を書こうと思ったらけっこう長くなってしまった…

2021-03-19

シン・エヴァ

シン・エヴァの(特に後半以降に関する)最大公約数的な解釈として「この映画虚構!」「もう何も残っているものはない」「お前らも現実に帰って結婚したら?」という見立ては、おそらくおおむねその通りの解釈可能だと思います。それは至極まっとうな話ではあるんですが、しかしそれを物語登場人物に託すことなく、また映像演出的にも暗喩をもちいることなく、かなり直接的な表現(具体的には特撮撮影スタジオで動くエヴァンゲリオンや登場人物たち・あるいは宇部興産)として出してしまう(ゴルゴダオブジェクトなる代物を出す、あるいはマイナス宇宙なんて大層な世界まで行ったのに!)、そういうことをやってしま制作者たちがこれから手掛けるであろう「映画」や「物語」がつく嘘は信用することが出来るのだろうか。

映画/物語の作り手・物語世界に対して最も重い責任を負う立場人間が、映画/物語もつ現実やその確からしさを一切合切放棄する・新劇場版4部作の物語世界に対する不義理を、「よくやった庵野秀明さん」「成長したな庵野秀明さん」「やっと解放された庵野秀明さん」あるいは「エヴァってもともとこうだから(笑)」「あれのよさが分からん劇場版至上主義(笑)」「早くお前らも成長したら(笑)」と考える人びとが思いのほか多いのでかなりつらい。いいのか...

「この映画物語虚構」というのをその物語世界のなかであからさまに出してしまった、撮影セットの中でエヴァシンジ綾波に演技をさせてしまった(ここは旧劇場版では比喩的表現としてギリギリ踏みとどまっていたように思います)、この演出制作側のだれも疑問に思わなかったのだろうか。事象の地平線まで行った先がミサトさんの酒瓶だらけの部屋で暴れるエヴァ2体なの、あまりあんまり映像じゃないですか?

前述のような物語世界現実性に対する不誠実と思える演出や、碇ゲンドウ下車以降の「アスカ、おまえはケンケンといけ」「綾波、お前は田植えしろ」「カヲルはもうええ」というような、(カウンセラー碇シンジにとって)一切葛藤も迷いもない、エヴァ完璧に終わらせるための物語進行や、あるいはエヴァ世界に対する「他者」としてのマリ(初手で乳を押し付けてくる顔のいい「他者」、これ世間一般で言えばかなり視聴者に対して都合のいいアニメキャラ虚構のものでは?)の導きによる物語進行と宇部興産エンド、こういった要素がそのまま映画としてでてきてしまう状況(誰も「いやマイナス宇宙まで行ってエヴァミサトさんの部屋で動いたら笑うだろ」「ゲンドウ以降のカウンセリング早すぎないか」「冬月研究室出身と乳がでかい以外の来歴がいっさい不明キャラがなぜこのような大立ち回りを演じられるのかの部分っていつ説明したのか」とならなかったのか)、それに突っ込み入れず「よく終わらせた!」で肯定的に受け止めるファン含め、現状は庵野秀明さんにとって、旧劇場版シンジくんが否定した「自分他人存在しない曖昧脆弱世界」「他人の恐怖が存在しない世界」そのものになってないですか

追記)マイナス宇宙ゴルゴダ、これウルトラマン特撮スタジオの進行か、いやそれって庵野秀明さんが好きだから以上に選択できる演出なのか?シン・として必要だったのか?

2021-03-18

エヴァ劇場版、本当にこれで終わりなの?(ネタバレあり)

Yahooはてなブログでの高評価を見て期待して劇場に足を運んだ

でも自分としてはこれは単なる未完成か投げっぱなしENDにしか思えなかった

本当にこれがあの好きだったエヴァシリーズ最後映画なのか?

納得がいかなかったのでここでぶちまける事にする

後半になるにつれて意味が分からなくなる

前半の村パートは分かりやすかったのに対して後半のネルフとの決戦は半分以上意味不明だった

知らない用語が次々と出てきては、はい次と進行していきぽかんと置いてきぼりを食らった

本当に熱心なファンであれば設定を熟知してなるほどと理解できているのかもしれない

でもTV版と旧劇と新劇を見た程度の自分にはとんとついていけなかった

ゴルゴダオブジェクトがどうのこうの希望の槍カシウスがとか一体何のことなのか

最終的に劇場の中で理解は諦めてなんとなくのストーリーを追うしかなくなったのである

勿論TV版や旧劇場版にもこういう訳の分からない用語と言うのはあったがこれほど酷くは無かったように思う

アスカの扱いが悪い

綾波アスカ、どっちが好きかと言えば自分は断然アスカである

それを差っ引いて聞いて欲しい

アスカシンジに対して投げかける言葉は始終辛辣な物であった

ケンスケやトウジが年齢を重ねて落ち着いており、シンジに対して優しさを示したのに対する対比かと思えるほどの当たりの強さだった

シンジが突然未来世界に目覚めたのに対してアスカはその間も生きていた訳である

ならその分の成長と言うかシンジに対する心情の軟化があっても良かったのではないか

シンジ親友二人の成長に対してアスカはよく言えば昔のまま変わらずであり悪く言えば何も成長していないと感じられた

セリフでは先に大人になったのとか言っていたが全くそうは思えなかったのである

そして最終決戦で使徒化してまで13号機を封印しようとしたのに失敗し、逆にゲンドウに利用されて取り込まれ

その後シンジに助け出されてしゅぽんと脱出する

旧劇の様な八面六臂の活躍を見せる訳でも無く、本当にえっと思うような退場であった

その上シンジの事は好きだったと過去形ケンスケといい関係になっているのである

これはもう半分NTR物を見せつけられている気分になったしとてつもないショックであった

エヴァと言うのは極端に言うとシンジ綾波アスカ物語である

100歩譲って加持さんならまだ分からなくもなかったが何故ここでケンスケなのか

ぽっと出の奴とまでは言わないがケンスケとそういう関係になったアスカは見たくは無かった

その上最後シンジを迎えに行くのは綾波ですらなく謎の人物マリである

マリって一体だれなんだよ?

本当にマリって言うのは誰なのか

言うまでもなく新劇場版から登場人物である

しか最後重要役割を果たす割にはこのマリという人物の人となりや目的バックボーンなどの殆ど不明なのである

綾波クローン命令だしアスカは親に見捨てられて褒められたいと言う動機というかキャラクター性がマリにはない

最終盤でなぜかユイや冬月やゲンドウの近くに描かれていたりはしたが何故年を取っていない様に見えるのかの説明もなく余計に謎が増えただけである

分かる事と言えば何やら突然出てきてシンジ臭いを嗅いだと思えば若干寒いセリフを言い続けるエヴァパイロット

この掘り下げも何もない様なキャラが最終盤でシンジを迎えに行く重要な役に割り当てられ挙句に成長したシンジと仲睦まじい様子を見せられてもぽかんとするしかなかった

アスカマリの事をコネメガネと呼んでいたがそのコネが何なのかすらも判明しなかった

そして最後に駅のホームでのシーンからの実写ENDである

これで納得しろと言う方が無理ではないか

最後

残ったのは喪失感と大きな不完全燃焼感であった

そしてもう一度見ようだとか考察しようだと言う気力が湧いてこないのは何とも言い難い感情であった

何にせよこれで四半世紀続いたエヴァは終わったらしい

と言う訳で次は予告でもやっていたガンダム映画を見に行く事にする

anond:20210318020117

出てくるけど『で?』って感じやで

マンガ版飛び級したレズで冬月のゼミにいてユイに恋慕してるがその設定ブン投げてるし

なんなら新劇場版アスカ百合営業してたのもぶん投げた

2021-03-17

結局エヴァにさえ見捨てられてしまったおたく

エヴァが、おたく達へのメッセージとして結局、「普通にしてさえいればいいんだよ」ということしか言えなかったのが悲しい。そりゃ俺も、きっとほとんどの大人も、他に何も思いつかないわけで、だからこそおたくは、どうしようも無くおたくな訳だけど。

あんまり拗らせずに、ただ普通にしていればいい。普通にしていれば、普通力学がはたらいて、普通に周りの助けを借りて、あるべき所に収まることが出来る。心配しなくても、あなたの出番、あなたしか出来ない仕事というもの絶対にやって来る。それも、誰の目にも、もちろん、あなたの目にも明白な形で、やって来る。」っていうメッセージは、悩み一般テーマにした物語の結末としてはよくあるし、実際、ほとんどの”元・拗らせてた”大人は、そういう結論を通って、まともになったんだと思う。

うそういう結論しかエヴァを終わりに出来なかったって言うのも分かるし、庵野新劇場版を始めた意図全然違うところなのかもしれないけど、やっぱり26年おたくを待たせておいて、最後最後でいつもの「納得感」をフルスクリーンで叩きつける、っていうのもどうなんだろう。

アスカケンスケとのあれこれだっておたくを舐めているとしか思えない。アスカケンスケと過ごして居心地良いのは納得できるけど、ある一つの言葉アスカを救ったような描き方をするのは辞めて欲しい。エヴァは「人を劇的に救う、核心的な一言」みたいな安いドラマアンチテーゼではなかったのか。

安易な「この世界の片隅に」みたいな場面も、本当にエヴァでやる必要があったのか?どんな状況でもしたたかに暮らす人々の力(に触れたアヤナミ)でしかシンジを立ち直らせることは出来なかったのか?エヴァは「人をやがて救うのは、時の流れと日々の暮らし」みたいな、安いドラマアンチテーゼではなかったのか?

庵野、結局お前さえ結論を出せなかったせいで、おたくたちは今でも、どこで聞いてきた言葉なのだろうか、”他者の痛み”がどうだとか言ってエヴァを語っているぞ。おい見ろよ、「ガフの扉」だとか「ゴルゴダオブジェクト」だとかの話は凄く厳密に考察できるのに、心の問題になるといきなり、曖昧言葉でなんとなく語ることしか出来ないおたくありさまを。心の問題は、「絵コンテにはこう書いてある」だとか、「ウルトラマンオマージュだ」だとか、とにかく情報を集めていけば解明できるような事じゃなく、おたく自身がその”他者の痛み”とやらにしっかり向き合って、「普通に自分の心を見つめ直していかなければいけないのに、おたくはそれが分からないんだよ。そもそもシンジだって、そういう面倒臭い奴として描かれていたのに、結局、じゃあそんなシンジが(そしておたくが)どうすれば救われるか、庵野、お前にも、結局分からなくて、急遽シンジ一定時間黙らせて、それから人格シンジやらせることにしたんだろ。それであんなに、シンジの心の動きが追えないような造りになってしまったんだろ。庵野あんまりじゃないか庵野ほとんど前田真宏が作ったって言うのは本当なのか、庵野。本当にあれで、シンジシンジのまま救うことがないままで、いいのか庵野

『シン・エヴァ感想なぐり書き【ネタバレ

遅ればせながら『シン・エヴァ』観ました。個人的感想メモネタバレあり)。ちなみにTVから観ている39歳男です。

アスカの救済

・旧劇場版シンジアスカがお互い傷つけあったのは「二人は他者から、触れ合えば傷つくのは必然なんだ」と受け止めてた。それに対する『シン・エヴァ』の回答は「あれは二人の相性が悪かったせい。それぞれ別の人とくっつけば幸せになれるよ」ってことだと理解した。マジか、と思いましたね。あまりに身も蓋もなさすぎて。しかし言われてみれば確かにそう。こうなってみると、もうこの終わり方しか考えられない。

・旧劇場版アスカって、エヴァの全編を通してみてもトップクラスに酷い目にあってたと思う。肉体的にも精神的にも。見ていて居たたまれなかった。なので、浜辺のシーンで惣流のほうのアスカも救済してくれて嬉しかった。

カヲル君の正体

・それにしても、まさか渚カヲルゲンドウの分身(別人格)だとは思ってもみなかった。これが一番衝撃的だったかも。

・でもよく考えると、TV版の時点でカヲルレイに「君は僕と同じだね」って言ってるんだよね。レイユイクローンだとして、じゃあカヲルは誰の分身なのかと考えれば、論理的にはゲンドウしかありえない。なんで俺は25年間その可能性に気づかなかったのか、ということのほうが今となっては不思議

カヲル君の「歌はいいねえ」という台詞シンジ君のウォークマンが、25年の時を経てゲンドウというキーワードひとつに結びつけられる展開は震えた。

第3村

庵野さんの鉄道に対する愛情が全開で、鉄オタの俺、歓喜

・あそこに置かれていた鉄道車両は、庵野さんの故郷山口あたりで昭和時代に走っていたやつが多かったと思う(あとは天竜浜名湖鉄道?)。あの村が箱根そば2029年ごろに存在しているとすると、明らかに時空が歪んでいる。この時点ですでに庵野さんの心象風景に片足を突っ込んでいると理解した。あの村全てが仮想空間とも受け取れる。

作画もあの村の場面の一部だけ、なんか質感が違いましたよね?

TVから存在していた夕闇の電車の中での自分との対話シーン。あれはあの旧型国電の中でやってたのか。あの車両庵野さんの地元宇部線で長く走ってた形式。なので単に懐古趣味で旧い電車を出してたのではなく、自分故郷の、おそらく青春時代によく乗っていた電車の中でずっと自問自答していたわけね。なんというか、本当にエヴァって私小説だ。

・村の人がレイを「そっくりさん」と呼び続けるの、普通に気持ち悪いよ! 初日だけならともかく、その後もずっと。同僚に対してその扱いは酷くないかレイ視点から悪意がないように受け取れるけど、実際にはあれは村社会新人イビリなんじゃないの。エヴァは「誰が誰をどういう名前で呼ぶか」について極めて意識的作品なので、こういう「気持ち悪さ」も織り込み済みでやってそう。

レイはやっぱり個体によってかなり人格が違う。にしてもTV版の「ばーさんは用済み」のあの子だけは極端に性格悪かったな。あれは何だったのか。

シンジ君が嗚咽するシーンは緒方恵美さんの一世一代の名演。

ミサトさんとか

ミサトさんは「自分大人じゃないけど、それでも大人の役をきちんと果たすんだ」と決めた人。TV版と旧劇場版ではそういうちゃんとした大人ミサトと加持ぐらいだったけど、新劇場版ではリツコとヴンダークルー達も付いてきてくれていて、そこが良かった。

・にしても生命種の種を満載した船で最終決戦に突っ込むのは、リスク管理としてやばすぎ。そいつらはどっか安全場所に厳重保管しておくべき。

ミサトさんが息子とずっと会わないと決めたこと。それってユイゲンドウと同じ過ちを繰り返してるんじゃないの、と思えて複雑だった。ユイも「自分選択を息子はわかってくれる」みたいなことを言って死んだけど、息子の側からしたら親に捨てられたと思っただろうし、その葛藤を描いてきたのがまさにエヴァという物語なので。これは「シンジ物語が終わっても全てが解決するわけじゃない。親子の葛藤は次の世代にも続いていく」というメッセージだと受け止めた。

新劇場版の全体を通して、リツコさんの物語はほぼカットされちゃった。新劇から見た人にとっては、あの人はミサトさんの有能な副官というだけの存在になるのかな。まあ尺もあるし仕方ないか

新劇場版での冬月が何をしたかったのか全然からない。旧劇場版まではユイとの再会だよね? 今回は違うの? あんた何なの?

ゲンドウとシンジの取っ組み合いのケンカは笑った。庵野さんって、映画の前半で綿密にリアリティーを積み上げておきながら後半で暴走するよね。『シン・ゴジラ』の無人在来線爆弾ときも思ったけど。

・「ユイ、お前はずっとシンジの中にいたのか」って、そんなの当っったり前だろうがー!! そんな凡庸結論に至るまでに人類を3回も滅亡の淵に追いやるんじゃねえよ。

エンディング

庵野さんはエンディング巨匠だと思っている。「全ての子供達に、おめでとう」と「気持ち悪い」。観た人の記憶に刻み込まれエンディングを2つも作ったのは神業

・そして今回のエンディングも後世に語り継がれる素晴らしい出来だと思った。俺は泣きました。

大人になったシンジ君、イケメンだなあ。声は神木君だしパートナーは素敵な人だし。この話って結局「ただしイケメンに限る」ってやつじゃねーの、という思いもよぎる。

チョーカー現実世界でもずっとつけてたのは、思春期呪縛はそれだけ強いものなんだという意味合いかな。それとも単にマリチョーカーを外す場面が撮りたかっただけ?

マリ鶴巻和哉の色が濃いっていう評を見たけど、確かにフリクリから飛び出てきたみたいなキャラ。『フリクリ』も大好きなので嬉しかった。鶴巻さんもありがとう

・でもこの結末って言ってみれば「夢オチ」だよね。それでも自分も含めて肯定的感想が多いってことは、要するにたいがいの人は登場人物人間関係に決着がつくことを何より重視していて、そこに整理がつけば夢オチでも構わないと思ってるってこと…?

・「One Last Kiss」最高。天才の曲。宇多田ヒカルエヴァ関連の仕事は全て文句のつけようがない。こんな荒唐無稽物語にかっちりハマりつつ、なおかつ宇多田ヒカルらしさを失わない曲をよくぞ3曲も作ったものだと思う。宇多田ヒカルさんもありがとう

・で、『Q』で出てきたトウジの制服は何だったの? とかそういうことを考えだすとキリがないので、もう考えない。

余談

劇場自分の前の席に高校生集団が座っていて、終わった後で「どうだった?」「わかんねー(笑)」と、まさに自分高校生で旧劇場版を観た時と同じような会話を繰り広げていた。そのことに何だか感動してしまった。

庵野さん、カラーの皆さん。世代を超えて人の心を動かす作品を作ってくれて、ありがとうございました。

anond:20210315212739

できるだけ状況証拠から推測できる内容で書いてみます

マリ基本的に謎だらけですが、コミック最終巻でユイと同じ研究室であることと、Qで冬月に見せられた写真マリっぽい人がいることで、「世代としてはユイゲンドウ世代」。また、シンで「式波」がクローンだったことは、「波がつく名前クローン」を示唆していると思われるため、真希であるマリクローン、と考えて良いと思います

問題は年齢ですが、綾波レイの子バージョン存在することを考えると、クローンの年齢は好きにいじれることになるので(仮に0歳から育てなければならないとしたら、ユイが死んだ後に作ったレイシンジと同じ年にはならないはず)、マリはどこかのタイミングクローンになった、と考えられます

エンディングで何故か年を取ったマリですが、ここはもう推測ベースで、エヴァ世界を終わらせたことで止まっていた時間流れるようになり、14歳か16歳だったマリはそこから年を取った。一方、シンジが送り出したレイカヲルアスカも駅のホームにいたらしい?)は人生をやり直して0歳スタートになり年齢の差が付いてしまったのではないでしょうか。レイカヲルの年齢は遠くにいるので外観だけでははっきりしていないのですが、「線路ホームで別のところにいる」という描写が「シンジマリとは別の世代で生きている」ということを示しているのかなと思いました。

ループについては、テレビ版では青い海が新劇場版では赤い海になっていることからループというより時間だけは過ぎているけれど、インパクトが起きたことで世界がやり直しになっていているのでしょう。地球はそのまま年を取っているけど、人間はその記憶がなくリセットされたので西暦とかも自分たち記憶で使っていて、実際の西暦ではない、とか。

カヲルは第1使徒、つまりアダムという特殊使徒なので、世界が変わっても記憶は持ち越せているのだと思います。何度も死んでいるけど記憶だけは持ち越せて、だから死ぬのも恐くない?

冬月先生の行動は推測でしかありませんが、ゲンドウ同様ユイが好きだったことは判明しているので、ゲンドウにつきあってユイに会える人類補完計画応援してたけどどこかで悪いことしているという自覚があり、最後ゲンドウの味方もしつつ自分の心に従ったのでは。

マリエヴァをいっぱいたべたのはよくわかりません。

アスカのシーンも2枚会ったの自分確認できてなかったのでこれもスキップで。

惣流はテレビ版で死んで、式波は波シリーズクローン、なんだとおもいます

アスカは破で使徒化してしまい、中から出てきたのはあれを取り出すことで使徒化できたので、使徒化を抑える存在だと思います

加持さんはまったく描かれてないので今後のスピンアウトに期待。破の最後に出てきたQ予告が実際には予告じゃなくて、破とQの間の14年間を表現しているようです。司令服のカヲルくんとか、山に登ってるゲンドウと冬月とかいるので。

SEEDはみてないのですみませんよくわかりませんでした。

2021-03-16

20数年前の田舎で1人エヴァが好きだった女

まだオタク馬鹿にされる時代田舎から余計に。

周りは結成したばかりの嵐やら安室ちゃんやらタイタニックの話ばかり。

なんでアニメだけバカにされるんだろうって思いながら過ごしてたあの頃。

家でインターネットができるようになってエヴァサイトがたくさんあることを知ったあの頃。

そんな時代からエヴァ好きだった人と、新劇場版から好きになった人では受け止め方が違って当たり前なのに

不満な点を言うと老害、厄介な古参オタク扱いされるので言えない。

つらい。

シン・エヴァ劇場版非難している奴の大半はキモくて金のないオッサン

わかるか?何でお前が「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を否定しているか、俺が教えてやる。お前は単に嫉妬してるだけ、ルサンチマンを抱いているだけだ。否定対象をシン・エヴァに向けてるが、それはお前の人生が満たされていないことの裏返しなんだよ。

※以下、シン・エヴァネタバレを含むからよ、観てない人は閉じてくれていい。

何でお前がシン・エヴァ否定的か、それはお前の潜在意識深層心理にある。

戦闘シーンがどうのこうの、展開がどうのこうの、難癖付けて講釈を垂れてるが、その嫌悪感や納得できないという感情の端緒は、ラストシーンにある。

端緒なんだけどラストシーンなんだよ。

なぜならラストシーンは、ネオンジェネシスされた世界

すなわち旧劇の人類補完計画後の世界の変わりに提示された、別の理想の世界からだ。

どうだった?旧劇と違ってたよな。

人類補完計画は行われず、宇部興産就職したシンジが、マリイチャイチャしてたよな。

この世界シンジは、お前に持ってないもの、全て持ってるだろ?

いい仕事といい女、どちらもお前は持ってない。

シンジ創造した新世紀が、これだった。

よくありそうな現実

だけどお前にとっては現実ではなく、むしろ実現が非常に難しい、フィクションに近い世界

幸せ雇用関係と男女関係、それが理想新世紀。

「これが、新世紀なのかよ…」お前は愕然とする。

もう既に齢30代半ば、40代半ば、50代…還暦独身

いい仕事にもありつけず、安月給をちまちま貯め、たまに風俗に行って憂さを晴らす日々。

「シン・エヴァ氷河期世代は救われない」https://anond.hatelabo.jp/20210309164507 と誰かが言ったが、その通りよ。

誰もが皆、シンジのようにいい仕事パートナーを得られるとは限らない。

からラストシーンを見て、口にはしないけど、不快に思った。

現実シンジが作った新世紀と全く違うほど、残酷な日々だということを。

お前は「新世紀に存在しないもの」として、無視されたんだよ。

ラストシーン新世紀の映像に、お前のような輩は、写ってたか

安物のB〇arのダウンジャケットを着て、一人とぼとぼホームを歩くオッサンは写っていたか

秋葉原で買ったアニメ絵プリントされた紙袋を両手に、汗臭いネルシャツ着たデブは写っていたか

競馬新聞とワンカップ片手に短波ラジオ聴いてるオッサンはいたか

摂生もしくは貧乏で、歯が抜けても直さず、活舌の悪いオッサンはいたか

からフケが落ち、スーツの肩の部分に粉ふいてるオッサンはいたか

写ってないよな?俺は観なかったぞ。

からお前の人生は「新世紀には存在しないものとして扱われた」「写す価値のないものとして省略された」ということだ。

だけどお前の人生は続く。

提示された新世紀とは全く違う、いい仕事もいい女もいない、無為で、非生産的で感動が希薄な日々。

こんなことなら…もう…そうだよな。

人生を悲観したことだって、一度や二度ではなく、たぶん人並みよりも多いだろうよ。

から旧劇の人類補完計画を、どこかで肯定してるんだよ。

人と人との境目がなくなり、単一生命体になることは、格差がなくなるということ。

愛する対象とも一つになれる。

そういうシーン、旧劇にあったよな。

からも愛されないキモくて金のないオッサンでも、人類補完計画後の世界では、愛する人と一つになることができる。

だけどシン・エヴァネオンジェネシスされた人と人の境目がある世界においては、キモくて金のないオッサンは、ただただ孤独な日々を死ぬまで続けて、風呂場で汁になって腐乱死体発見されるのが関の山だ。

からお前はどこかで、嫌悪したんだよ。

今回の新劇場版で完結した世界が、納得できなかった。

お前はサルベージされないからな、旧劇の世界とは違って。

エヴァクオリティとかではなく、本当は、お前の内面日常問題なんだよ。

作品八つ当たりして逃げてるんじゃねえよ。

「逃げちゃダメだ」ってシンジも言ってだろ?

でもお前は逃げた、自分の糞溜めみたいな人生直視せず。

作品批判で悦に浸り、閲覧数を稼いで、ちっぽけな自尊心を満たした。

それでいいのか?これ読んで目が覚めたか

わかったら今すぐ作品批判をやめることだな。

シンジは言ったよな。

「やってみるよ、ネオンジェネシス

お前はやってみたのか?

今までの人生で、何かをやってみるという生産的な営み、行動力のある実践、大してやってきてないはずだ。

その帰結が、今の、キモくて金のない残酷オッサン日常なんだよ。

自己責任論を言ってるわけではないぞ。

まれ育った環境の違いや社会の状況も、成功の可否に影響することだってあるよな。

だけど、自分人生を棚に上げ、あーだーこーだと作品批判、カッコ悪いだろうが。

内罰的なシンジを見習うべきよ。

何でもいいから、お前が生きていたという人生の爪痕、人や社会迷惑をかけること以外で。

加地リョウジのように生命の種を残すみたいな大げさなことでなくてもいいからよ。

特殊清掃作業員死体で見つけられる前に、考えて、汗水垂らしてやってみろや。

「僕はここにいてもいいの」という問い

エヴァネタバレを含むし曖昧記憶を頼りにしているクソ文章です)

「僕はここにいてもいいの」はTV版、旧劇場版で大きなウエイトを占めていた問いだ。

しか新劇場版であまり出てこない。というか、出てきた記憶がない。

Qのヴンダーにおいてシンジは「エヴァにだけは乗らんといてください」だし「何もしないで」、だが保護されるという「ただここにいろ」という扱いを受ける。ネルフに行ってからは連れてきたけどとりあえず待機で放置という扱いを経て、カオルに連弾を誘われる。「ここにいて、これをしよう」という提案に対し何か知らんけど超絶スピードピアノを上達させる。承認を受け花開いてるともいえる。

それで結局なんやかんやでカオル殺してしまう。そこにあるのは行為に対する後悔であり、「何もしなければよかった」だ。その延長には「存在しなければよかった」があるけど、直接的ではない。

んでシン・、第3村でトウジ、ケンスケに「いつまでもここにいていい」と受け入れられる。これまでにないほど優しさを供給され、何もしたくなかったシンジが優しさを返済し始める。「ここにいていい」の究極形である好意を与える綾波(黒)の死を経て、いてもよい場所である第3村から、いても何もしてはならないヴンダーに自らの意志で向かう。

「ここにいてもいいの」という承認欲求から、求められていない場所での自己実現に向かう、ということかと思う。

そこが、旧とシンの決定的な差異ではないか

--

メタ的に、観客に突きつけられていた問いとしての「ここにいてもいいの」は、結局この約20年をなんだかんだ生き続けてきた現実が回答になっていると思う。生き続けてきたこ現実肯定しよう、スゲーな生き延びたぞお前、という話をされたように感じた。

2021-03-15

anond:20210312213210

あのねぇ、オッサンの言う通りに純粋映画だけを楽しんだら

間違いなく「駄作」なわけで

から庵野で盛り上がってんでしょ

 

新劇場版ですら、解説無かったら序の時点でゴミ同然

そういう独りよがりのクソ作品をどう褒めるかっつったらね?

作者の思想とかを褒めるしかないのよ

作品は思わせぶりなスカスカから議論余地もない

 

稀代の糞映画監督評とか見てみ?

作品のものより監督哲学の方が面白おかしく取り上げられてるだろ

そういうもんで、ゴミ映画ってのは監督ガー!監督ガー!で盛り上がるしかないんだよオッサン

キャラ萌え映画は復習の後で

農村部分の押しつけがましい価値観イマイチ演出ストーリーの雑な回収に全然共感できなかった。

旧劇新劇全て観たけれど、今回はエンタメとしては特に楽しいものではなく、クソ映画とは言いすぎにしても、駄作ではあったと思う。

プロットには何の驚きも捻りもなかったし、わざとにしても前半の農村は書き割りというか単調というか、演技も大根だし、後半のSci-Fiも格好良くはなかったな。最後の親子の戦いだってセルフオマージュにしても絵面的にきついものがあった。

振り返ってみれば、エヴァQはまだ新規性意外性やディストピアっぽさ、あと絵面の面白さはあったと思う。うろ覚えだけど。

庵野監督私小説とかはどうでもいい民なので、もう少しエンターテイメントとして楽しめるものであって欲しかったです。

あるいは、「アニメ映画として楽しめない」ことを狙った映画なら事前に「これはつまらなく作った映画です」と言ってほしい。間違ってもそんなことはないと思うけど。

そんなわけで月曜日の「プロフェッショナル」は怖い物観たさで録画予約した。

今回のは、登場人物に対するキャラ萌えとか以外の楽しみ方をするものではないと思った。

あのアニメ映画を楽しみたいなら、少なくとも新劇場版を全て復習してから劇場へ足を運びましょう。

そうしたら各キャラストーリー回収に大団円共感くらいはできたかもしれない。

しかしもう一度観に行くのも億劫だし、とても残念だ。大まかなストーリーくらいは覚えてたんだけど、キャラ愛が足りなかった。

2021-03-14

庵野はシン・エヴァ作ってよかったのかな

新劇場版を始めてから完結させるのに14年かかったわけだけど。

年齢でいえば庵野はもう60歳なんだよね。

60歳といえば宮崎駿だと崖の上のポニョ富野だとキングゲイナー作ってた年齢よ。

働き盛りから還暦を迎えるまで、新作を出せずにずーっと旧作のリメイクをしていたわけ。

庵野が新作を出し続けた世界線があったら……って考えちゃうわな。

エヴァンゲリオンを全く知らない人が見て討ち死にしたシンエヴァ感想

いやー、なんかすげえ映画だな~と思いました(こなみ

知っている情報シンジとかアスカとかの主要人物の名前使徒ってやつが人類を滅ぼしにくるんで何とかするみたいな雑なあらすじぐらいの情報テレビシリーズ、旧劇場版未観賞、新劇場版テレビやっていたのを少し見たぐらいで観賞。

なんかヴィレ?の人たち空気悪そうだなあ、アスカってやつシンジ君に当たりきついなあ、んなこといったってしょうがねえだろ、シンジ君死なせてえなら早くてめえで殺せや、なんて思いながらの序盤。

専門用語が多くて分からん!けどシンジ君前半より顔がシャキっとしてきたなあの中盤

なんかよくわからねえけど人類ピンチやべえ、みんなかましたれや!の後半、あ、そういう締めなの!の終盤となんやかんや楽しめました。砂の器やバキを思い出すシーンもあったりして面白かったです。

まあ、小学生みてえな感想しか出てません。ていうか出ません。これを読んでいる方でシリーズたことないけどこれから見ようって人がいましたら言っておきます

まじで予習必要なやつです。シリーズ25年の積もり積もったものがあるんで作品に浸るのにそれなりの予習が必要なやつです。盛り上がるシーンもあるし、楽しめたけどいきなり見ると情報量の多さに訳分からんくなるし、しっかり作品の味噛み締めたいなら事前情報しっかり集めて観賞した方がもっと楽しめるかと思います

正直、頭の中?ばっかだったけど宇多田ヒカルはいいなあと思ったエンディングでした(まる

シン・エヴァ見てきた

5回ぐらい泣きそうになった

結局、エヴァ新劇場版4部作、全部映画館で鑑賞したことになる

anond:20210314051145

新劇場版も上映しだしてから10年近くになるわけだけど「胸がでかくて不快」って意見今日始めて見たんだよ

10年経ってるからいい、は価値観アップデート案件では・・・

anond:20210314045651

夜中にこんだけ大騒ぎしてるけどその内容が「エヴァの胸」って俺の中では凄い意外に思えたんだよね

今の世の中でもこのキャラデザ全般おかしくないって思うけど

それって異常なことか?

会社女子社員のケツ触るくらい異常なこと?

新劇場版も上映しだしてから10年近くになるわけだけど「胸がでかくて不快」って意見今日始めて見たんだよ

から具体的に何がどうおかしくて大きいから許せないというならどれくらい小さければOKなのか

脱線するかもしれないが、現実範囲内と思われるエヴァキャラの胸のサイズについてなぜ許せないのか

現実女性でも不愉快なのか

個人的には気になります

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