はてなキーワード: 京セラとは
「日本の」メーカーが続々と事業縮小しているのは値上げの前から
っていう話だけどさ、これは日本のメーカーの製品やサービスに競争力がなかったわけじゃなくて、中国は補助金つけたり(アメリカからはダンピングだと言われた)
してこの産業を自国で獲るという明確な政策を置いて産業経済戦に勝利したわけだよ。日本はいろんな税金を払いながら国内基準で普通にビジネスをしていたのでどこも勝てるわけなかった。ドイツもそう。アメリカもそう。産業経済戦に負ける原因のは産業政策を語れる学官が貧弱なこともあるが(いいかげんなコンサルの狩場)、液晶もそうだけど、太陽光はシャープ、三洋、京セラ、カネカ等関西メーカー主軸だったし、15年位前は「雨が降ると発電できないものなんてつかいものになるかよ、やっぱ原子力だよ」みたいな風潮があった。学会もこれに加担したところもあると思う。蓄電池もそうだけど、「世界の製造コストはこれくらいが標準」と補助金てんこ盛りで大産業になった中国生産基準の価格で「この値段でつくれないなら産業競争力ないんだから撤退か高付加価値化を考えろ」という話をしていた。とうてい国内工場で国内の倉庫や国内の雇用を維持できない価格基準なのでそりゃみな撤退していくよ。最近になってようやく、国の基幹サーバがAWSでいいのか?とか蓄電池産業も全部中国でいいのか?という議論が出てきたけれども。
ロッテ・佐々木朗希投手(20)が24日のオリックス戦(京セラ)に先発登板し、2回の投球中に白井一行球審がマウンドへ歩み寄る場面があった。
ストライクボールの判定に不満そうな態度を見せた佐々木朗に対し、注意をしに向かったとみられるが、この場面について、NPB元審判部副部長の五十嵐洋一氏は「白井くんらしいなと思いましたよ。彼はまじめで熱いところがありますから。ただ、何かあるとパワハラだとか言われるいまの時代だとどうなのか…」。
五十嵐氏は続けて「私が現役でやっていたころなんて、しょっちゅうありましたよ。ボール判定を不満に思い、私のほうを振り向いた捕手に対して『前向いてやれ!』と一喝したり、やじを飛ばしてきたベンチに『文句たれんとやっとけ!』と注意したこともありました。あんまり頭にきたときには『次にど真ん中投げてきてもボールにしてやろう』と思ったこともあります。どんな状況でも冷静、正確に判定しなければいけないのが審判ですが、そこは私たちも人間です。私たちの先輩審判たちの時代には『(判定で)プロの厳しさを教えてやったぜ』なんて話も聞いたことがありますし、白井くんにはそんな昔ならではの審判気質が残っているのかもしれませんね」。
ナニコレ?
バルミューダフォンは高い、Snapdragon 765で10万円台とか中華スマホだったら3万円だぞ、とか、この値段だったらiPhone13mini買うわ!みたいな投稿がわんさか出て、なんでわかってないのかなと思った。
みんな、なんであの高価なiPhoneがあんなに売れるかわかってる?Aプロセッサの性能がいいから?いやいや、普通の人はプロセッサが何使ってるかなんて見ない。スペックなんぞ気にするのは一部の人だ。私が言いたいのは、はてなとかITmediaとかインプレスとか見てるような人が購入の条件にすることと、普通の人は違うってことだ。
普通の人は、iPhoneは使いやすくてデザインが良くてカメラがいいから高くても買う。じゃあ実際に使いやすいのか。そんなことはない。指紋認証がついてないのでマスクからいちいち鼻出さなきゃならないし、デジタルコンテンツはいちいちSafariに戻ってログインして買わなきゃならないし、カーソル移動ひとつとっても裏技みたいな機能を使わなきゃできない。未だに充電コネクタも独自のやつだ。iPhoneは全然ユーザー体験を大事にしてなんかない。デザインだってでっかいノッチに分厚いレンズが野暮ったいし、カメラはたしかにいいけど、別に飛び抜けていいわけでもない。ギラギラ光る夜景を派手に撮るにはいいけど、そんなもんすぐに飽きるだろう。
iPhoneは「使いやすくてデザインが良くてカメラがいい」のではなく、「使いやすくてデザインが良くてカメラがいい」という物語を作るのに(特に日本で)成功したってだけのこと。大半の人はそれで買ってる。ちなみに私自身はOSのサポートが長かったり、OSXとの連携が優れているので多少の欠点には目をつぶってiPhone使っている。でも大半の人は2年でスマホを交換して半額になるプログラムで買うからOSのサポートなんて関係ない。Mac持ってる人だって少ないだろう。たんに「これ使っときゃ間違いない」という物語を信じているだけなんだよ。
バルミューダも実はそれをしてきた。バルミューダが最近出したものにスピーカーが有る。Bluetoothでつなぐよくあるやつなんだけど、スピーカーが上を向いていて、アクリルのランタンみたいなのが下についてて、LEDランプが音楽に合わせてピカピカ光る。そんだけのもの。自分も聞いてみて、モノラルのフルレンジで音はそこそこいいけど別に飛び抜けていいわけじゃない。これが35,000円。どう考えても高い。中華メーカーが「令和最新版 ランタン風スピーカー」とamazonで売ってても違和感ない程度のもんだ。でもレビューは絶賛でしっかり売れている。
コスパ悪いよね。でも買った人はクリエィティブやANKERあたりが出している5000円くらいのスピーカーと比較して、「音質たいして変わらんやんけ!」と怒ったりするような人じゃない。バルミューダが精魂込めて作ったのだからいいもんだ、という物語を買ってる人なんだ。バルミューダフォンも同様である。
バルミューダフォンの売上見込みは30億円という。Softbankにいくらで卸しているのか知らんけど、台数にして3万台くらい、国内シェアにして0.5%もない。国内でスマホを使っていて、小さくて他の人と違うスマホがいいけど、中華Androidとかを買うのはちょっとやだ、いいものがほしい、と思ってる人に届けばこのくらいだろう。そして端末は「お返しプログラム」で買えばそんなに負担にもならない。第一これらの人はコスパがどうだスペックがどうだなんてことはほとんど気にしない。スマホは普通に動けばいいと思ってる。
そして重要なのは、人間はこだわりのある高いものを買ったら、よっぽどその商品がダメダメな場合を除けば、かえって「これは高いからいいものに違いない」と思い込むことだ(認知的不協和という)。だから5万円くらいで出したらかえってダメなんだよ。バルミューダフォンを製造するのは京セラ。みんな知らないかもしれないけど、実は小ロットで個性的な端末をしっかり作り込むのに長けたメーカーである。国内メーカーとしっかり打ち合わせして、こだわりのあるスマホを相場より高めにだして、0.5%くらいの人に確実に届けて続けていく。さすがはバルミューダは手堅い連中だと思う。その後、おそらくワイヤレスイヤホンとかスマートディスプレイなんかの周辺機器も出してくるだろう。
こういう人をおまいらは「情弱」というのかもしれないけど、ウェブの記事を穴が空くほど読んだりベンチマークの数値を気にしてスマホ買うような層はメジャーじゃないんだ。おまいらが考えるようなことはバルミューダだって考えてる。彼らがやりたいのは最新最高のスマホを出すことでもなく、中華メーカーと手を握ってハイコスパマシンでシェアを分捕ることでもない。個性があって、ちゃんとしっかり使えるという保証があって、ブランドがあって、そういうのをほしいと思ってる人をうまく掘り起こす物語を作りたいのだ。おそらく彼らはこれからもスマホをデジタル製品の中核に据えて地道に新製品を出して、それは多くはないけど確実に一部の人には使われていくだろう。バルミューダフォンはその意味で成功する。おまいらは何もわかってない。
ただし、俺は買わないけど。
https://anond.hatelabo.jp/20211026193844
で、「iPhoneがなぜ日本人に受け入れられたか」を書いた増田です。ブクマが1600もついていてびっくりしました。いままでどんな気合い入れてブログを書いてもブクマ100もいったことがないのに、勢いに任せて書いた増田が1600とは…こういうのみんな知らなかったんですかね。
いろいろ言及してくれた人がいるんで、答えられる限り答えていきたいと思います。
まあ、隠す必要ないよね。そうです。ハイ。名古屋の工業系の大学を出て入りました。あの頃の三洋はすごかったんだ。二次電池、太陽電池、デジカメ、無線通信など、地味に覇権取ってた技術分野がいくつもあった。新潟で半導体も作っていたし、有機ELだって開発してたんだ。パナからは下に見られていたけど、社風はちょっと緩くて、でも活気があっていい会社だった。守口に本社ビルが建ったときは誇らしかったんだ。なんでこの大企業がこうも容易く瓦解して消滅してしまったのか、今となってもよくわからない。新幹線の窓から見えるソーラーアークに「SANYO」とあったのが、「Panasonic」に変わっているのを見たときの衝撃は、今も忘れることができない。
あ、これはまあ、そうですね。事実上の消滅、といったらいいかな…
>日本メーカーのAndroid端末開発の悲喜こもごもを教えて
俺は携帯絡みの仕事で最初にやったのがPHSのCS(基地局)だったんだ。今や三洋が基地局を作っていたなんて知る人も少ないんじゃないか。DDIPocket(その後WILLCOM、そしてSoftbank…)でその仕事していて、CDMAを手伝ったあと、KCP+というクソみたいなプラットフォームでみんなが死んでいるのを横目で見つつ、横須賀で次世代通信の基礎研究みたいなことをやっていた。なので端末の開発はあんまりやってないんだ。でも、三洋の携帯は良かったんだよ。そりゃパナやNECに比べたらブランドや知名度で劣ったけど、中身は全然負けてないつもりだった。ワンセグをつけたのも有機ELディスプレイを付けたのも三洋が最初だし、何より俺らはあのアメリカでしこたま売ってた。
だがいつの間にか三洋の携帯事業はだんだん先行きが怪しくなっていて、ノキアと合併するという話をずっと聞いてたんだけど、なんかしらんけど結局京セラに売られることになった。京セラは厳しいけど温情あるところだったらしく、残ってパナに身売りされた部門よりかはずっと良かったんじゃないかな。俺は京セラには行かず別の会社に移籍してLTEとかしてたんだけど、そこでiPhoneの発売でいろんなもんがすっちゃかめっちゃかになるのをやや離れた場所から見ることになった。その後は凋落する日本の携帯業界とともに生きてきますた。
>iPhoneが出たときにガラケーにかなわないと思ったのはお前の見る目がないからだ
(笑)まあ、そうだよね。それは本当にそうだと思う。ただ、当時出たばかりのiPhoneは、ちょっと重たいサイトを見るとすぐにブラウザが落ちたし、孫さんはこれで仕事が捗るぞみたいなこと言ってたけど、こんな不安定なもの仕事に使えっかよと思ったのも確か。ガラケーのほうがずっと安定していたんだ。その後iPhoneが急激に改良されていったのはご承知の通り。当時はiPhoneの未来性を語るギークも多かったけど、女子高生がNECの二つ折りにじゃらじゃらとストラップをつけて、あらゆる機能を使いこなし超高速でケータイ打ちしてたような時代で、別にメニュー階層なんかもそう複雑でもなく、これがiPhoneより使いにくいなんて思わなかったんだ。先見の明がなかったことはそのとおりだと思う。
>Androidの出始め、海外メーカーのはそんなにダメ端末ではなかったよね
はい、これもそうですね。HTCやサムスンは当初からしっかり作り込んだいいのを出していた。日本メーカーが安定した端末を出せるようになったときには、すでにiPhoneの覇権が確定していたのは前に書いたとおり。ただ、ソニーだけは例外で最初からそこそこ安定したものを出していたし、途中まではグローバルマーケットでガチで戦っていた。とはいえ、確かソニー・エリクソン(後にソニーモバイル)って当時英国の会社だったような。
>iPhoneが普及したのは端末や操作性がAndroidに対して洗練されていたからで、キャリアの戦略や日本メーカーの不手際だけで語るのはおかしい
これも、そうだとは思う。ただ日本だけが突出してiPhoneのシェアが高い(2位以下に10ポイント以上の差をつけている)理由は、キャリアの戦略や日本メーカーの不手際が原因と言っても差し支えはないと思う。
でも、iPhoneが洗練されているってのはどうもやっぱり納得できないんだよな…確かにiPhone5くらいまではそうだったかも知れない。ただその後はUIなんかもひたすらAndroidで先行しているものを取り込んでいったでしょう。通知エリア、戻る機能、大画面化、アイコンのグループ化、ウィジット、カーソル移動…iPhoneがAndroidと比較してそんなに洗練されたものなら、どうしてAndroidのマネをする必要があったのか。また端末はどんどん重くメタボリックになっているし、ノッチはデカく指紋認証も不可で、充電端子の統一もできず未だにデジタルコンテンツのアプリ内購入もできない。それで最高のユーザー体験とか聞くと、寝言は寝てから言えよと思ったりするよな、正直。俺はよく画面分割してYoutubeを再生しながらLINEとかするけど、それすらまだiPhoneはできないんでしょ?
以前はAndroidが高機能高性能で推してiPhoneはユーザー体験がすごいんだと言われてきたけど、今はどちらかと言うとiPhoneのほうがAチップの高性能を売りにして、ユーザー体験は変な所にこだわっておおよそ実用的ではない。その点もAndroidが優れていると言い切っちゃうと荒れそうだからこのへんでやめとくけど、ぶっちゃけ大して変わらんと思うよ。
まああとは、AppleWatchやiPadやMacとの連携が優れてるみたいな話になるんだろうけど、そのへんは使ってないのでよくわからない。個人的な思いで言えば、個人情報から決済から操作性から何から何まで一社に依存するってのは怖くないんかなって思う。Appleは個人情報保護が優れてるって人もいるけど、実際のところは彼ら中国政府にベッタリで、その要請に従って中国企業に個人情報の管理とか任せたりしてるぞ。
俺が本当にこいつらすごいなと思ったのは、Appleではなくサムスンやファーウェイだった。サムスンはGSMとかから今のスマホの時代に至るまで、グローバルに君臨しつづけているほぼ唯一のメーカーだ。そりゃ過去には日本の技術を盗むとかもあったかも知れないが、日本を追い抜いたあともずっと成長を続けているし、しかも端末のコア部品の大半を内製できて、それらがみな競争力を保っている。こんなオバケみたいな連中は他にいない。
ファーウェイは基地局でとてつもない技術力と競争力を持っていたのもあるが、端末だって短期間にすごいのを出してきた。SoCも内製していたし(製造はtsmcだったけど)、その設計思想や性能はAppleに劣らないくらいだった。そして安かった。安く作れるってのはそれ自体がすごい技術力なんだ。実は俺はファーウェイが躍進して、高慢ちきなAppleを奈落に落とすことを密かに期待していたんだけど、そうはならなかったね。でも彼らはきっといつか這い上がると思う。それが日本にとっていいことかどうかわからんけど。
思うに、日本でiPhoneのシェアが高止まりなのは、中韓に対する根強い差別意識もあるような気がする。日本人はアメリカの作るものは大好きだが、中韓については未だに彼らの技術や製品を認めたくない思いがあるんじゃないかな。欧州なんか行くとサムスンやらXiaomiやらのスマホの機能やデザインを褒める声を聞くけど、日本でそういう人はあまり見ないよね。
>老害め
このコメントが結構あったね…iPhoneが出たときに俺は40歳前後。若くはないけど老害じゃないだろうとは思う。ただ今の若い人は、僕らみたいな年代の人間が日本の産業を焼け野原にしたと思っているのかも知れない。まあそれはそれで確かにそういう一面もある。でもまあ、なんというか、この20年、日本はやるべきことは必死にやってきたと思う。
いま話題の半導体だって、パナとルネサスは共同で微細化の研究に取り組んで世界の先端を行っていたし、富士通は最新の工場を三重に建ててファウンドリビジネスにも取り組もうとしていた。ASMLの独壇場であるEUVリソグラフィだって、実は日本が先行して産学共同で先駆的開発をしていた、なんてもう言っても誰も信じないんだろうな。プラズマや液晶だって有機ELだって、実際のところ日本企業は果敢に攻めていた。世界で求められるキーデバイスは何かはちゃんと把握していたし、それでなんとか世界の一角に残ろうと必死だった。後からならなんとでも言えるが、その時々での判断が遅かったとか合理性を欠いていたとは思えない。でも、なぜかその大半が裏目に出てしまった。技術はあった、人もいた、行動もした。でもダメだった。
太平洋戦争の歴史を読んだりするのが好きなんだけど、あれも途中からやることなす事の大半が裏目に出るようになるんだよね。インパール作戦や特攻のような不条理な作戦もあったけど、全部が全部そうでもなくて、その時はこういう道しかなかったのだろうと思えるものもたくさんある。でも、どうしてかその大半は裏目に出てしまう。そんなときは人生にもあるし、国にもあるんだろう。
俺は、あの三洋電機があっというまに崩壊していったのを見ているから、いま世界を席巻しているAppleやらサムスンやらtsmcだって、いつどうなるかわかったもんじゃないよなって思うよ。富士通やNECみたいに卓越した技術を持っていても、長い時間をかけて凋落していった企業だってある。逆に言えば、ほんの20年くらい前までAppleなんてニッチで時代遅れのPCメーカーだったんだ。日本だっていつまでもダメな国じゃない。社会が変わるときは一瞬で変わる。老害って言われるのは悲しいけど、でも君らと一緒にまた上がっていける日は来ると思うな。
追記:iPodのことを何度か書いている人がいるけど、俺の周囲の人たちでiPodを使っている人は殆どいなくて(ちなみに言うとWalkmanだっていなかった)、大体が中韓の作ったmp3プレーヤーを使っていた。格段に安かったし、iTuneとかいうできの悪いソフトを使わないでも、フォルダごと音楽ファイルを放り込めば再生してくれたからだ。俺も名前忘れたけど韓国メーカーのやつを使ってたと思う。これって自分の周囲があらかた理系でメーカーだったから、割と特殊なのかも知れない。ただ全く無関心なのではなく、飲食店で注文を取るお姉さんがiPod touchを端末に使っていたのを見て、ああイノベーションってこういう形も取るのかと感慨深く思ったのを覚えている。ちなみに当時auはガラケー向けに音楽配信サービスをしていて、もちろん三洋の端末も対応していたんだけど、実際それで音楽聞いてる人を見たことなかったな…(ぶっちゃけ、ビットレートが低く、音もそんなに良くなかった)
なので、iPodを使ってた人がiPhoneを受け入れたという説は、そうかも知れないけど自分にはわからん、となるのであった。ごめんね。否定しているわけじゃないんですわ。こうやって現場の人に周りが見えてなかったってのも、我々の敗因のひとつなんだろう。
最近増田でホットなAndroidとiPhoneの罵り合い。楽しいですね。
なんとなくこの業界に関わってきたので、どうして日本でこんなにiPhoneが支持されるようになったのか、ちょっと書いてみたいと思う。ちなみに俺は今は亡きS社(今は完全に消滅して、かつての本社は市役所になっている)でPHS(みんな覚えてる?)の開発に携わったのが最初。その後は出向で三浦半島の先の方で怒りのデスロードみたいな経験をしたり転職して某関西のメーカーでAndroidやったり。当時一緒にやってた人たちの一部は京セラに行ったけど、大体はどこに行ったか知らない。とにかく日本の一大産業であった携帯電話や基地局の生産や開発に一通り関わってきて、その衰退とともに生きてきました。
で、よく知られているように日本の携帯電話は1999年のiモードの導入から劇的に進歩し、ネットが見れるだけでなく、カメラも付きラジオも聞け非接触決済もできて音楽を聞いてテレビまで見れて、もちろん防水でアプリまで動かすことができた。カッチリ作られた二つ折りやスライド機構は触ってるだけで楽しかったし、こんな携帯は日本メーカー以外どこも作れなかった。
まあそれがガラパゴスと言われて後々の衰退につながるんだけど、実際はドコモはガラパゴスを良しとしてなくて、iモードを普及させようとして海外の携帯キャリアにガンガン出資していたし(その大半が失敗して莫大な損失が生じた)、ドコモの進出と同時に日本メーカーは高機能な携帯を世界に売り込もうとした。でも結局どれもうまく行かなかった。なんとか海外に地盤を築いていたのはソニー・エリクソンと三洋くらいで、三洋はアメリカのスプリントにCDMA携帯を輸出してそこそこのシェアを取っていた。ライヴァルであるモトローラとかサムスンの携帯を買って研究していたのが懐かしい。
後にAndroidやiPhoneがすごい勢いでエコシステムを世界に広げていくのを見ると、どうしてiモードにはそれができなかったのかなと思ったりする。まあでも日本メーカーの小さな筐体にぎっちりと機能の詰まった携帯は、個人的にはサイバーでありジョリーグッドで今でも好きなのだが、海外ではいまいち受けなかったし、ドコモにおんぶにだっこで儲けていたNECやらパナやら富士通は、お付き合い程度にしか海外進出をする気もなかったようだ。
当時すでにスマートフォンは海外ではそこそこ普及しており、SymbianとかPocketPCとかBlackBerryなんかの端末は結構海外のビジネスマンは使っていた。しかし日本ではいわゆる「ガラケー」のデキが良すぎてほとんど普及せず。シャープがWindowsCEを積んだW-ZERO3を出してたくらい(持ってた)。
で、2010年(追記:2008年の間違いだった、申し訳ない)ついにiPhoneが日本で発売。もちろん俺は買った。当時ソフトバンクの独占発売だった。よく知られているように、当時の論調は「iPhoneより日本のガラケーの方がずっと高機能」で、こんなものは驚異にはならないという話だった。確かにiPhoneはすぐに電池が切れるし、FeliCaも防水もワンセグもなし。文章のコピペもできないダメケータイだった。実のところ俺自身も使ってみて、こんなダサいものが日本の携帯に勝てるもんかと思った。しかしソフトバンクがiPhoneの未来イメージとシンプルで安い料金プランでガンガン攻めてきて、auやdocomoは対応せざるを得なかった。
まもなくシャープや富士通東芝、ソニー、NECなどが次々とAndroidスマホ発売。このあたりの大混乱の思い出はブコメでもよく見るけど、未だにどうしてこうなったんだと思わざるを得ない体たらくだった。iPhoneに対抗するためにキャリアがワンセグやFeliCaの搭載を求めたために、開発は難航。第一Androidの開発をしたことがある人なんていなかったし、そもそもスマホなんて作ったことなかったのだった。納期に間に合わせるためにやっつけて作ったソフトは不具合連発。一体何であんなもんを作ったのか未だにわからない、メガネケヱスと言われて1円でばらまかれたシャープの端末、まともに動いた時間のほうが少ないと言われたレグザフォン、ホッカイロスマホと言われ東京湾に在庫が沈められたと噂されたアローズ。この頃俺は端末の開発からは遠ざかっていたけど、何人が死んでるんだろうと思うくらい現場は悲惨だったようだ。
それでも各社はなんとしてでもiPhoneに抗おうと必死だったようだ。AndroidとiOSはほぼ同時期に出てきているんだけど、端末開発では若干iOSが先んじたが、実際のところ世界ではスマホのシェアはあっという間にAndroidがiPhoneを抜き去っている。しかし日本のAndroid勢はソニーエリクソンを除けば総崩れで、iPhoneを扱うソフトバンクへの流出が止まらない。まずauがiPhone4を扱うことに。docomoは当初ツートップ戦略というサムスンとソニーのスマホで推す作戦に出たが、それによってパナやNECといった古くから携帯を作ってきたメーカーが脱落。その後2013年にAppleに屈した。その契約は屈辱的な内容だったらしく、日経は「不平等条約」と書いた。専用の売り場を設けたりといったよく知られている事に加えて、一説によると販売する端末の3~4割がiPhoneでなければならないとか、iPhoneのために莫大な広告宣伝費を負担するなどである。未だに日本ではiPhoneが発売されるとauやdocomoがiPhoneのCMを流すが、あれにはAppleは1銭も出していない。全部キャリアの持ち出しである。彼らの強欲なやり方を告発した、「アップル帝国の正体」という本が出たのもこの頃だ。
結局の所キャリア各社はこの契約を履行するために、iPhone用のお得な料金プランや分割購入プランを作り、窓口でも積極的に売り込んだ。初期のAndroidスマホのできの悪さを見聞きしてきた人たちは一斉に乗り換えていった。キャリアはいままで苦楽をともにしてきた日本メーカーをあっさりと見捨ててAppleを推しまくった。この頃はAndroidの開発もこなれてきて割とマシなスマホを日本メーカーも作れるようになってきたが、もうキャリアも消費者も見向きもしなかったのだ。実際iPhoneは使いやすかったし、膨大なCMと提灯記事とキャリアショップのど真ん中で扱われたことで、もうスマホを買うことはiPhoneを買うことと同じくなっていく。
もうこうなるとiPhoneなしでは全くキャリア戦略は成り立たない。今に至るまでAppleと契約した屈辱的な関係を捨てることはできず、結局の所3キャリアはAppleの言いなりになって莫大な国富を貢ぎ続けた。まあ彼らのやり方がうまかったといえばそうなんだが、こんな事になってしまった国は日本くらいで、いまやアメリカをもしのぎ世界で最もiOSのシェアの高い国である。他の国ではiPhoneは一部の富裕層の持ち物であり、安くて高性能なAndroidスマホがとっくに主流になっている。iPhoneはそのCPUを除けばもうすでにイノベーションからは周回遅れであり、中国メーカーの作るAndroidがいまや先端を突っ走っているが、日本ではなぜか多くの人がiPhoneを最先端で最高性能と信じ続けた。
結果として、この給料のまるで上がらない国で、値段が上がり続けるiPhoneは売れ続け、日経が「最新のiPhoneは日本人平均給与の6割」という記事を書くまでになった。まあ別に何を買おうと勝手なのだけど、貧困女子といったタイトルがつく報道でカップラーメンをすすっている人が持っているスマホが、10万円近いiPhoneだったりするどこか歪んだ社会になってしまった。最近も同僚から「家族みんなでiPhoneを買い換えるので40万かかる」との嘆きを聴いた。OPPOあたりにしとけば全員分買っても10万で済みそうなのだが、その選択肢は彼らにはない。
とにかく日本のキャリアは総務省の顔色を伺いながらiPhoneを売るだけのAppleのポチになってしまった。auもdocomoも傲慢な連中だったが(もっと言えばNECもパナもry)、Appleはそれに輪をかけて傲慢でクズな会社である。彼らが電気電子産業が壊滅した焼け野原の日本から、ケツの毛一本までも利益をむしり取っていく現状は悲劇としか言いようがない。一社が支配的な力を持つ市場はろくなことにならないという証左であろうが、もっともそのクソに完膚なきまでに負けたのも我々である。ほんとすみません。
俺は岐阜のS社の研究所と虎ノ門のDDIポケットの本社を往復してた時代から、百花繚乱のごとく日本の携帯が咲き乱れた黄金期を生きて、それらが全部Appleになぎ倒されていく歴史の中に身を置き、どうしてこうなってしまったのか、どこでどうしたら良かったのかと今も思う。しばらくはiPhoneに使われる部品も日本製が多かったが、今や台湾や韓国にも負けてしまった。スマホのCPUを作れたのはルネサスだけでそれも一世代で消滅。メモリも液晶もだめになって、今やNANDとMLCCくらいか。最終製品を失った日本にもう一度半導体をと言っても虚しく響く。
まあ、もう50すぎのおっさんの独り言です。ちなみに私が使っているのはかつてアメリカ市場で我々とCDMA携帯のシェアを争ったサムスンのGalaxy。妻とむすめはiPhoneです。二人は絶対にiPhoneじゃなきゃいやだ、Androidは使いにくいといいます。おっさんはそんなことないと思います。でも、何言ってももう彼女らは「iPhone」なのです。
名古屋や京都、大阪の連中と比べても、嫌がらせをしてこないのは、感度高い。
- ナチュラルボーン、性格のゴミの再生産を生み出す元凶で進化心理学の良い手本の人種。
- 実力があると受け入れる素養はあると思う。京セラとかオムロンとか。
- 「ザ・グレート・田舎っぺ」という感じが嫌い
- 感度が高いが、働かない人が多めという感じ
- なんというか、大阪の企業が東京に行くのは理由があると本気でわかる。なんか「ここにいると、落ちぶれる」という感触がすごい。長くいたくない、と思った。
- 左翼のフリをした保守が多いイメージ。原爆のせいだろうけど、闘う平和を追求している気がする。
- なんというか、日本の未来がここと同じようになる、という辛さがある。
- なんか、失礼だけど、中国人にすら相手にされないって、終わってるてると思う。
線状降水帯の雨にも負けず、日本に急接近した数十年に一度クラスの台風にも負けず、コロナの冬の感染力にも気候変動により年々最高記録を更新する夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち、五輪打ち上げで宴会を開きたい欲は無く、メンタリストの炎上商法にも決して怒らず、いつも静かに笑っている。
一日にオーガニック雑穀米10杯と「天皇献上の栄誉を賜る」日田醤油の最高級味噌と少しのヴィーガンフードを食べ、あらゆることを自分を勘定に入れずによく見聞きし、分かり、そして忘れず外出時にマスクをつけ、森宮野原駅が最寄りの小さな2Kの部屋に帰宅する時には顔と手を洗い、3密を避け、GoToせず、避けられない会食でも一口ごとにマスクを口にあて、トングに触らず、手すり・つり革を利用せず、カラオケではマスクを付けたまま小声で歌い、焼肉屋には一人で行き、パチンコ店では台にのみ向かい、入店時には手指消毒をかかさず、リモートワークをして、リモート飲み会をして、リモートUターンで実家に帰り、リモート墓参りで先祖に感謝し、毎朝血中酸素飽和度を測り、スポーツマスクを付けて朝のランニングをして、精神面・栄養面に気を払い、健康的な生活を心がけ、ワクチン接種予約にはムキにならず、Twitterでは炎上や誹謗中傷に加担せず、はてブでは人気エントリーのコメント欄を開かず、増田では書くことしかせず、YouTubeではホロライブオリジナル楽曲のMidnightバージョンかPeaceful Cuisineの料理ASMRしか聴かず、よく野菜を食べ、よく瞑想をし、自分でも料理をし、Uberイーツは使わず、切れ味の鈍くなった包丁は京セラのセラミックロールシャープナーでこまめに研ぎ、食材は出前館を利用して新鮮なうちに使い切り、東京に新型コロナウイルス感染症の祖父あれば行って看病してやり、西に疲れた介護福祉施設職員あれば行ってその要介護者の体を負い、南に急性肺炎で死にそうな人あれば行って怖がらなくてもいいと言い、北に台湾を国家と呼んだことによる炎上あればつまらないからやめろと言い、日照りのオリンピックのときは感動の涙を流し、豪雨の夏はおろおろ避難し、コロナ脳と呼ばれ、感染対策を万全にしても褒められもせず、感染対策を人に強要しないため苦にもされず、そういうものに私はなりたい。
※この旧版になります。完全版は無料でnoteで公開中ですので、是非そちらの方をご覧下さい。
https://note.com/syosin_kai/n/nb97f2a0a193a
ちょっとゲームの歴史をかじったことがある人なら聞いたことがあるだろう言葉『初心会』。
とにかくこの言葉へのイメージは最悪だ。「真っ黒組織」「ゲームヤクザ」「歴史の闇」「悪の秘密結社」etcetc。
そんな初心会だが、はたしてどれだけの人が正確に初心会とはなんなのか、どのような悪どいことをしてきたのか、そして最後はどういうふうに消えていったかを語ることができるだろうか? おそらく、ほとんどいないのではないだろうか。
この初心会について、私が調べたことをゲームの流通の歴史を絡めてまとめて書き出すぞ。これで君も初心会マスターだ! ちょっと長いけど勘弁な!
もともとの任天堂は花札屋であり、そこからトランプやおもちゃを売り出したことは知っているかな? 創業は明治時代だ。
1960年代前半の任天堂は問屋を通じてテリトリー別に小売店を団体で集め、トランプやかるたの特売セールの景品といった形で温泉招待旅行などを行ったりしていた。そうした中、「ダイヤ会」という親睦会が問屋内で自然発生する。このときはあくまでローカルな親睦団体という形でしかなかった。
1973年2月、光線銃といったヒット商品が出始めたのをきっかけに、このダイヤ会を全国規模のきちんとした親睦会の形にしようとして生まれたのが初心会だ。ファミコンが生まれるずっと前だ。そしてファミコンはこの初心会に参加している問屋(59社加盟、その中でゲームに力を注いでいたのは30社ほどだったそうだ)を通じてのみ、流通させようとした。これには理由がある。
ファミコンのゲームはROMカセットだ。ROMカセットはCDと違って作るのが大変だ。発売日の三ヶ月前にはどれくらいつくるか数字を決めなきゃならない。一本つくるのに1000円以上かかる。もちろん任天堂は自前の工場を持っているわけではないから、他社の工場にお金を払って作ってもらうわけだな。(ドラゴンクエストシリーズは京セラがつくっていたらしい)
つくってもらったゲームソフトを売る。売れればいい。残ったらどうするか? ROMカセットはとにかく廃棄しづらい。体積があるから倉庫の在庫としては大変だ。処分するにも金がかかる。そのため在庫なしの売り切りスタイルであることが求められた。第一、このときの任天堂に「日本全国どこでどれほど、どのファミコンゲームが売れるか」という予測を立てる能力はまったくなかった。
それゆえ当時の任天堂社長山内は初心会の力を借りることにした。ファミコンとゲームソフトは全量初心会への返品なし買い切り制。在庫は持たず、追加の注文が重なってきたら再販というスタイルだ。ファミコンの専売権を与えるかわりに返品は勘弁してくれということだ。初心会は全国にその配下の二次問屋があるので、彼らを通じて全国の小売店にファミコンを売りだした。ちなみに当初の初心会参加問屋の意見としては「こんなもの絶対に売れない」だったそうだ。
ややこしいのがこの後、ファミコンの登場に衝撃を受けたハドソンとナムコがサードパーティとして参加することだ。当時の任天堂はサードパーティが現れることを予測していなかった。というか、まさか他社がファミコンソフトを作れるとは思っていなかった。そのためサードパーティ参加用の契約書をあわてて作る羽目になったという。(このときアメリカにてアタリがサードパーティであるアクティビジョンを販売差し止めで訴えていたが、後に和解し、サードパーティが合法化された経緯があるため、そもそもサードパーティを認めない、という選択肢はなかったものと思われる)
このときのナムコは簡単だった。ナムコは自前でROMカセットを作ることができたからだ。アーケードの雄はハードウェアを扱う力に長けていた。ナムコに対しては自社生産を認め、1本100円のロイヤリティを収めてくれれば問題ないという契約を交わした。
ハドソンが問題だった。ハドソンは能力こそずば抜けていたが、なにぶん会社の規模が小さかった。とても自前でROMカセットは作ることができず、任天堂に頼ることになった。
任天堂からしたらさらに想定外の事態だ。どうやればスマートにサードパーティ用のソフトを流通させることができるのか。任天堂はリスクを負うことなく、かつゲーム市場が適正に伸びていくための方法を模索する必要があった。
最終的な仕様は、まずサードパーティは一括して任天堂に製造委託費を払う。その中からロイヤリティを差っ引き、任天堂は工場にROMを発注する。作る数は任天堂、サードパーティ、初心会の3つで相談して決める。初心会はサードパーティが任天堂に委託したROMを全数買取、支払いする。これで決まった。
もちろんこれが全てではない。年末はクリスマス商戦を狙って多数のソフトメーカーがソフトを投入してくるので、思ったような数が生産できないので任天堂が拒絶する場合もある。初心会の見込み以上に売れると意気込んだサードパーティが、自前で在庫を抱えてリピートを狙う場合もあった。ROMカセットは作るのにとにかく時間がかかるから、リピート発注が来てもそのとき在庫がなければ応えられるのは早くて三ヶ月後だ(半導体の在庫事情によっては半年待たされることもあったらしい)。そうなればすでに需要は中古で落ち着いてしまう。そういう理由で初心会の注文数よりも多くつくるメーカーもあった。そのままリピート注文が来ず在庫になった? その場合は大特価で二次出荷するしかない。君はかつてゲーム屋でファミコン版グラディウスが新品980円で売られているところを見たことはないか? あれはつまり、そういうことだ。
この中で任天堂を非難する流れがあった。サードパーティがソフトを出すにあたり、任天堂はなんのリスクもなくロイヤリティを徴収していると。しかしこれはそもそもファミコンという当たるかどうかわからないプラットフォームを立て、リスクを負った会社が得るリターンとしてはむしろ当然ではないだろうか。不満があるならセガのように自社プラットフォームを出せばいい。ナムコも自社プラットフォームを計画していたらしいが、結局世に出ることはなかった。
ファミコン時代の流通はこういうことで決まった。このあたりの動きでは初心会があまり悪の組織っぽくなくて意外かもしれない。こんな証言がある。スクウェアの創設者鈴木尚が2003年岡山大学にてインタビューを受けたときの発言である。
>初心会っていう問屋集団が、ある時期は全くファイナンスの役割を果たしてくれてたわけですよ。あまりに量が大きくなると「すみません、お金ないんですよぉ」って言うと手形をくれるわけです。その手形を担保に銀行からお金を借りるわけです。実質的には、ある日突然ファミコン・ブームが終焉しない限りは、返ってくるだろうという。
この時期はスクウェアがファミコンに参入したての頃を指す。任天堂はROMの製造委託費を前払いで求めてくるので、どこかが銀行の代行をしなければならない。そこで初心会が(正確にはその中の一つの問屋だろうが)その役割を果たしていたということだ。
スクウェアはこの後ファイナルファンタジーで有数のRPGメーカーとして名を馳せることになるが、実は完全覚醒するまでにはもう少し時間がかかった。初代ファイナルファンタジーの初回出荷数は40万本で、これが最終的には80万本まで伸びる。次回作ファイナルファンタジー2にて70万本超えの実績を得たが、実はこれ、途中でかなり問屋内で在庫が残って大変だったという。しかしファイナルファンタジー3では初のミリオン超え(最終的には140万本)を果たす。それに伴い過去作も売れるようになって、リピードがかかったというわけだ。このあたり初心会はうまくスクウェアのバックアップに動いているように見える。
そう見えるのは、それはスクウェアが一流メーカー入りを果たしたからだった。ファミコン末期の他のメーカーはどうだったか? 1990年8月晴海にて「ファミリーコンピュータ・ゲームボーイ展示会」「スーパーファミコン発表会」が行われた。年末発売のソフト中心に初心会や小売店に対して各ゲームメーカーが披露する展示会だ。この展示会自体は1988年からやっている。
しかし1990年ではついに「受注ゼロ」のソフトが出始めたのだ。しかも一つや2つではなく、この展示会で並んだソフト(約100タイトル)のうち、3割が受注ゼロだった。この時点でファミコン市場は売れるソフトと、そうではないソフトの差が尋常ではなく離れていた。
この場合、メーカーには2つの道がある。一つは発売中止。もう一つは「任天堂には最低限の発注を行い、初心会には最大限の営業活動を続ける」というもの。もちろん初心会に対して売る気を見せるために大規模な広告活動をやれば発注はくるかもしれないが、その分当然損益分岐点はどんどん高くなる。もっとも有効なのは卸値自体を下げてしまうことかもしれない。
そうしてギリギリの攻防が続けられなんとか出荷したゲームはどうなるだろうか? 端的にいうと、人気ソフトの添え物として扱われた。初心会問屋は二次問屋や小売店へ向けて1本の人気ソフトに対してこういった不人気ゲームや、在庫の売れ残りゲームが抱合せで売りつけた。このときのレートによって「1対3」「1対4」などという言葉が生まれた。(場合によっては1対8なんてのもあったらしい)
さらにはバッタ屋ルートなるものも存在した。問屋の不良在庫を捨て値で買取、独自のルートで小売店に売る。このときの小売店はゲーム屋とは限らない。スーパー、ディスカウントストア、リサイクルショップと様々だ。なかには「お楽しみ袋問屋」なるものもでてきて、中身が見えないファミコンソフトの詰め合わせが一山いくらの世界だったそうだ。こういった不人気ソフトはワゴンセールをとてもよく賑わしてくれた。
ちなみに抱合せ販売は違法なので、公正取引委員会による排除勧告が初心会問屋に入ったことがある。ドラゴンクエスト4の頃だ。そのためかわりに「新作ドラゴンクエストの受注を行います。なおドラゴンクエストの他にあの大人気ソフト郡(大人気とは言っていない)のリピート販売を行いますので、ぜひ同時注文してくださいね」なんて手法が取られた。
これらの状況を任天堂は当然良く思っていなかった。もともと任天堂はアタリショックを目の当たりにして、「クズソフトの氾濫は市場を殺す」と認識していた。そのため、サードパーティには本数制限をかけた。が、サードパーティ自体が増えれば意味がなかった。子供向けのおもちゃであるために表現規制を敷いたが、クオリティチェックはまだこの時行われていなかった。どんどん増えるソフトと初心会の流通在庫は市場を殺す材料になりえた。どこもが不良在庫を減らそうとやっきになって価格をディスカウントしてしまえば、プレイヤーは適正価格でゲームソフトを買おう、という意欲が損なわれる恐れがある。
そこで任天堂はこの状況を打破すべくスーパーマリオクラブという組織を立ち上げる。一般のモニタープレイヤー2000人超を使い、彼らに発売前のゲームを二時間実際にプレイしてもらい、どこがどう面白いのか、つまらなかったのかを評価をする。評価は項目ごとに点数付けされ、集計されたデータは問屋や小売店に送られる。このデータは雑誌ファミリーコンピュータマガジンなどにも送られ掲載されていたので、知っている人は多いんじゃないかな。そしてこのスーパーマリオクラブはソフト売上の予測も立てるようになった。意外なことにこの素人集団の予測が的中した。後年はマリオクラブの参加者自身が慣れてきてしまい、その予測が外れるようになってしまったが。余談だがマリオクラブはこの後正式な任天堂の品質管理部門となった。さらにその後分社化が行われ、マリオクラブ株式会社となった。
任天堂としてはスーパーファミコンを機に一度市場をリセットしようと試みた。品質管理に売上予測、あまりに多くなりすぎた流通在庫。今ではピンとこない話だが、当時のゲームメーカーは「いったいどれほどのゲームが実際にプレイヤーの手に渡っているのか、どれほど流通在庫が眠っているのか」を把握する方法がほとんどなかった。商売相手は小売店やプレイヤーではなく、あくまで初心会だからこんなことになったわけだ。
当時の任天堂社長山内はこう語っている。「どれほどのソフトが売れるか、我々にはわかりようがない。流通のプロに任せるしかない」。これは初心会オンリーの流通を自己弁護した言葉と思われた。しかしこの言葉には「流通のプロでもわからないのなら、任せる意味がない」ということを含んでいる。この言葉の本当の意味はこの後判明する。
そうして新たなスタートをきったスーパーファミコン市場だったが、これは結論からいうと、なんら変わらなかった。むしろますますカオスになっていった。このあたりからいよいよ初心会の初心会らしい悪行が目立ち出す。厳密にいうとこの美味しい市場に目をつけた業者が、なんとか流通に入り込もうとし、初心会の中の一部(ここはもしかしたら一部ではないかもしれない)が彼らと手を組んだ結果なのだが。
・スーパーファミコン本体がほしい場合はアクトレイザーとの抱合せで(違法? 知りません)。しかもスーパーファミコン自体の掛け率は98%。場合によっては小売超え。別売りのケーブル(スーパーファミコンはAVケーブルが別売りだった)を売るほうが利益がでる状況だ。
・80万本の出荷実績があるサッカーゲームの第二弾が登場したとき、初心会のとある問屋一社が初回出荷数50万のうち25万を買い占めた。この25万は発売日に大量には卸さず、自前で在庫として抱え、市場在庫が枯渇して小売店や二次問屋が注文してくるのに対し、他のクズソフトとの抱き合わせ(違法? 知らない子ですね)で売りさばいた。
・とある問屋がメーカーに対して「うちは来週から社員旅行にでかけるんで、申し訳ないのですけど一週間早くソフトを卸してくれませんか?」と要望があった。それに応じて一週間早くソフトを送ると、なんとそのまま発売日よりも一週間早く小売店にソフトが並んでいた。社員旅行なんてそもそも嘘だった。
・メーカーに対してゲームソフトを大量に仕入れることを約束する見返りとして、その担当者個人の口座にリベートを送るように要求した。
(続く)
https://anond.hatelabo.jp/20210504185958
これ
https://www-asahi-com.cdn.ampproject.org/c/s/www.asahi.com/amp/articles/ASP3R4W0MP3LUTQP01J.html
この方が京セラで実業団選手として走っていたとき、社員食堂で出されるのはうどんやそば、それも半玉だったと書いている。同時に体重を増やさないよう水分も節制していたとあるのだが、驚いた。
炭水化物は1グラムあたり3〜4倍の水を体内に溜め込む性質がある。体重を増やさないよう水分すらカットしてる時にうどん、そばはないだろう。実業団選手の環境がこのレベルなんか?!とビビる
富士ゼロックス、リコー、キヤノン、エプソン、ブラザー、京セラ、シャープ、東芝、OKI
これ以外だと海外メーカーはHPくらいなんだよ(富士ゼロックスが半分外資だから正確には2社なんだけど)
そういうことなのよ
「集約しない日本企業と、集約する海外企業」という視点で見ていくと、面白いものが見えてくる
ちなみに富士ゼロックスの親会社のゼロックスは、富士フイルムと喧嘩別れして、速攻HPに買収提案してるんだよねw
アメリカはとにかく買収が活発で統廃合が盛んだよね
CPUはインテルとAMD、GPUはnVidiaとAMDみたいにだいたい2,3社に集約されてる
最近はFPGAの企業であるザイリンクスとアルテラが買収されたし、サンディスクはウェスタンデジタルに買収されたし
PCは、アメリカはDELL,HPの2社に集約(アップルという独自路線もあるけど)
日本はなぜかそれをせずNECと富士通と東芝とパナソニックが共存してたけど
結局レノボがNECと富士通のPC部門を買収する形で整理が始まった
東芝のPC事業も結局シャープ(ホンハイ)が手掛けることになったし
その時俺は、なんで日本企業同士で合併しなかったの?って思ったよね
鉄道車両メーカーは日立、川崎、近畿車輛、総合車両製作所、日本車輌製造と5社もある
世界じゃ中国の中国中車、独のシーメンス、仏のアルストム、加のボンバルディアに集約してるんだけど
日本は小さい国で5社もある
ちなみに中国は元は中国南車と中国北車に分かれてたんだけどさ、二つに分かれてただけなのにさらに合併させて集約に意欲的
https://response.jp/article/2014/12/31/240726.html
造船メーカーは今治、ジャパンマリンユナイテッド、大島、三菱、名村、川崎、三井、定石
こんだけひしめき合ってる(調べたらもっとあると思う)
韓国じゃ世界シェア1位の大字と2位の現代が合併して、さらに統廃合を推し進めているのに
デジカメメーカーはキヤノン、ニコン、ソニー、フジ、パナソニック、オリンパス、リコー(ペンタックス)、シグマ
ようやく2018年になってカシオが撤退したし、ようやくオリンパスも撤退した(だけど別会社で再出発するらしいから数は変わらない)けどさ
そうなる前にもっと海外みたいな前向きな合併がないのおかしいと思う。結局いつも我慢比べ後に、失意の撤退で統廃合が日本だよね
化学メーカーは三菱ケミカル、住友化学、旭化成、信越化学工業、三井化学、昭和電工、東ソー、日東電工、三菱ガス化学
最近ようやく、日立化成が昭和電工に買われたけど統廃合は全然進んでいない
ちなみに例によって中国は化学も国策で合併を進めていて、シノケムとケムチャイナの統合で圧倒的世界1になった
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63352340S0A900C2FFJ000/
何社あるんだよってくらいアニメ会社あって、年間200本もアニメ作って過当競争起こしてるんだよね
それで食えないと、はてブの馬鹿なアニメオタクが国が支援しろとかふざけたこと言ってくる
あほすぎでしょwまずは会社を統廃合してアニメーターを減らさなければいけないんだよ
そういえば珍しく携帯電話は寡占化できてたのに菅のバカが高すぎる!ってポピュリズム丸出しの政策して値下げを強制した
この5年でMVNOも日本だけで1000社になってしまったし、いかれてるよ
どういうつもりで1000社も参入するかね
なんちゃらpayも多い。なんでだよwってくらいに多くの企業がpayに参入したよね
適当に始めて終わらせることは不得意でグダグダちんたらするwおまえら80年前の大日本帝国かw
馬鹿みたいにモノづくりに意識が向いててさ、それでどいつもこいつも冷蔵庫作って洗濯機作ってテレビ作って
どいつもこいつもおなじもの作るからパイの奪い合いで小さくまとまってしまって、狭い業界、衰退する業界でひしめき合ってるわけ
結局それで韓国とか中国みたいに、自国で寡占化して利益をだせる会社が日本に進出してきて価格競争で負けるわけ
そのくせサービス業をおろそかにして、ITは全部アメリカに持ってかれてモノづくりでもサービスづくりでも居場所がなくなった
給料上がるわけないじゃん
MMT/ケインズでインフレにするだけでは確かに不足だ。例えば、原住民への教育だとか、原住民が新しい商売をする前に色々調べ物をする間に金を出してやることが必要だ。
インフレには供給由来インフレというのもあるからな。例えばオイルショックのように資源が足りなくなったとか、産業が弱まり経常赤字化して外貨借金が増えて輸入ができなくなるとかだ。
だけど、新自由主義は政府の緊縮では基礎萌芽研究投資をしなくなり、大規模経済危機後に企業が保身化して金を貯め込むことと、不景気を温存することにより設備研究投資をしなくなることとで、むしろ産業劣化からの輸入困難なインフレに導く。
現にケインズ主義の末の1990年頃には京セラやソニーや日本電産のようなメガベンチャーを生み、多くの産業で世界トップシェアを誇り、トップ1%引用論文を多く出し、一人あたりGDPが世界2位にまで至った。
だが、1990年バブル崩壊と、同時に起きた新自由主義化で不景気30年と基礎萌芽研究投資の崩壊、保身化で設備研究投資不足が起き時折貿易赤字が出るほど産業衰退してしまった。
「政府がすべて管理したほうが良い」のマルクス主義は失敗だったが「政府が何もしないほうが良い」の新自由主義もこれまた誤りだ。まず金融、財政、税制で経済をマイルドインフレに調整した上で、政府が何をして何をしないというのは永久に人類の課題だろう。
だが、今はコロナで経済が猛烈にしぼんでるから、財政出動を多くしたほうが良い。特にコロナを早く収めることと、食い詰める企業、個人の救済をすることな。今食い詰め度合がひどいと、コロナが去ったあとに金を貯め込む意志が強くなるから。
それから、「借金の返済は資金市場への資金の供給」なので、コロナ後の反動の一員ともなるので、程々政策金融も返済免除=給付への切り替えをしたほうが良い。
ああ、あと企業がリスクを取れる前の科学投資は重要な。そもそも、探して、見つけたやつをしばき倒せば起業が増えメガベンチャーが生まれるんだって幻想はいいかげんにしろと言いたい。
規制緩和は何も産まないよ。
そもそも規制はその昔になにかこれは守らないとならないということで生まれた。
だいたい、規制があればイノベーションが起きないというのなら、1980年代日本が数多くの産業でシェアトップをとり、京セラ、ソニー、日本電産のようなメガベンチャーを抱える国だった理由が説明できない。
だって、現行ベースじゃめちゃくちゃ規制の多かった時代だったから。
市場を生むのは新しい商品を作ることについて金と時間をかけること。国と企業の研究投資、設備投資。
だけど、バブル崩壊後、保身に入り金を貯め込み設備研究投資をしなくなった。さらに、フリーハンドの法人税減税や、設備研究投資に紐付いてると言えない金融分離課税でどんどん金を貯め込む厚を強くした。