「ハイコンテキスト」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ハイコンテキストとは

2020-11-17

今日をもってはてな卒業します。いままでありがとう

私の人生の目的は、幸福になることです。

そのために日夜いろいろな取り組みをしています

その中の一つとして、はてなサービスの利用もありました。

ブコメスターをもらったり、増田ホッテントリはいったりと、それは人生幸福一助になっているはずでした。

しかし、今は「いらだち」の方が強い。これは幸福には近づかない。だからやめます

毎日毎日新しい「嫌がらせの別名」を作って、「これは○○だ!糾弾してよい!叩け叩け!」。はっきり言って受任限度じゃね?ってこともほつれを見ればみんなでブコメしてスター付けあって。

人を叩くのは楽しいんだよね。殺人犯殺人犯の顔をしていろ、というけど、それは君たちにこそお似合いの言葉じゃないかな。特定弱者を盾に使って後ろから石投げて。

そんでもってすげーハイコンテキスト。「そういう議論がすでにあるでしょ」と。知らんがな。そしたら「勉強不足」。アボガド

海外でやっていることが正義だとしがちだし。さいあくだよ。

からやめますさようなら

2020-09-18

anond:20200918234800

増田ですが

v豚はオタクの中でも特にハイコンテキスト集団なので、わかる人が少なすぎると思います

もうちょっとこうかわいいエッセンスを持ちつつ、それさえ理解できれば楽しめる曲くらいにしてもらいたいものです。

2020-06-20

anond:20200620095943

じゃあ最大限善意を持ってそう解釈するとしても、他のVや3Dやってる人を差し置いて自分の分野が一番高度だとかいうのはあまりにも世間が狭い気がするけど。明言してはないけど比較対象として述べてる時点で言ってるようなもの。それに高貴ってんなら(もしかすると洒落っ気のつもりかもしれないけど)どちらかといえばハイコンテキスト文学に当てはまることで、挿絵付きで想像予知を奪う同人小説ラノベに言うのは違うような。

それと個人的見解なんだけど、いわゆるマニア蒐集タイプの人は面白い作家であることもある、程度の話だと思う。こういう人たちの作る話は緻密で圧倒的な話になる傾向はあるけど、ぶっ飛んだ表現や飛躍した表現という意味では直感的な人には及ばない。そればかりか設定ばかり前面に出てきてつまらない話を作ることだってある。最善の読み手や最善の批評家が最善の書き手にはならんのだよね。これはちょっと悲しいことなんだけど。つまり勉強しても報われない人もいるということ。

そんで絵描き界隈舐めてるようだけど、増田は絵を描けるの? 知識マウントとろうとしてない?

2020-03-06

anond:20200305183712

ちゃちゃっとググった感じ、"古典アートに対するアンチテーゼ"的なやつだな。

まりこれまでアートだと思われていなかったものに「これもアートなんじゃねぇの?」と問いかける作品

最初に発表された現代アートとして「ただの便器」が挙げられてる。

まず古典アートありきで出てきたものなのでハイコンテキスト作品というのは確かだろう。

ただ学問で言ったら"新しい仮説"みたいなものなので

「これはこういう点がアートだ」

「いやこんなもんアートとは認められない」

と喧々諤々やるのが"正しい扱い"なんじゃないのコレ。

なんでぽっと出のものが何でもかんでも認められる前提なのか、そこが分からん

2020-02-25

anond:20200225011114

お前のような他人小馬鹿にする性根のやつは入ってこなくていい。

ファンが感動できるのは、あちこちメディアイベントで張り巡らされたコンテキストを汲み取れているからに他ならない。異様に素直とか好意的に見えるのはそういう理由だ。

今の若者は、複雑怪奇ソシャゲの諸システムを全部理解した上で攻略をやり込むような、コンテキスト理解力や練度に対するアンテナ感度が高い。そしてアイドル作品というのも大概はその類の超ハイコンテキストコンテンツだということを忘れるな。

ラブライバー感性が他の集団と著しく異なるなんていうのは、冷やかしの外野が「そう思いたい」だけの思い込みにすぎない。

2019-10-31

主体性と客体化について。

https://anond.hatelabo.jp/20191031141650 の補記の続き


主体性と客体化に関する言及が多く見られた。この観点重要なのではあるが、正直に告白すると、複雑すぎて細かい議論から逃げてしまった。

たとえば、以下のような2つのケースは、比較的論じるのが簡単である

前者は「女性の客体化」であり、認められない表現だという人もいるであろう。今回の宇崎ちゃんポスターは、ポスター批判派にとってはこれにあたる(露出度ではなく、乳袋だが)。

後者は「主体的」な露出であり、前者を認めない人も、こちらを認めるケースが多いであろう。下着広告の大半はこれにあたる。

では、以下のケースはどうであろうか。

これは言い換えると「主体的な客体化」であるが、このケースはどう判断されるのだろうか。

さらに次のケースはどうだろうか。

段々と即答が難しくなってくる。次の例はどうだろうか。

これはコメントでも多く言及されていたが、女性誌の一部などで発生しているケースである。宇崎ちゃんが認められない場合、男女を入れ替えただけのこのケースも認められるべきではないように思われる。

次のケースはどうだろうか。

ここでいう団体は、具体的には赤十字である赤十字には、恐らく女性を客体化する意思存在していなかった。今回のケースでは、たまたまコラボレーションをした作品に、女性を客体化した要素が含まれいたことになる。もう少し正確に表現するならば以下だろうか。

さら思考実験を勧めよう。

このケースからは、なんとなくまずそうな雰囲気が漂っている。情報によると、セーラームーンはこのパターンらしい(anod:20181007164838)。セーラームーン露出度の高い服装が、男性編集者による女性の客体化に由来しているという文脈考慮するのであれば、セーラームーン全面的に認められなくなるかもしれない。セーラームーンは認められると考えている方は、どう判断するだろうか。キズナアイも、もしかするとこのケースに入るという人もいるかもしれない。

このケースを、少しいじってみよう。

セーラームーンが認められやす理由は、セーラームーンキャラクターたちにはっきりとした自己が見られるから、という説は一定説得力がある。似たような例といて、次のケースはどうだろうか。

ナミや峰不二子はこのケースだろうか。自己がはっきりとしていると、多少の露出度の高さは認められる傾向があるように思われる。あるいは、露出度の高さは、「貞淑であるべし」というジェンダーロールからの開放と見なされることすら有り得る。ここで興味深いのは、これらのケースでは依然として、男性による女性の客体化がベースにあるということだ。

このケースの考察は、個人的には、非常にクリティカルであると考えている。もし、ナミや峰不二子、あるいはセーラームーンが認められるとすると、「客体化」や「主体性」は、実は判断基準としては重要ではないという可能性が出てくることになる。むしろ重要なのは、「自己をはっきりと持つキャラクター」と表現の外形であり、言い換えれば「異性に媚びてない」見た目であれば、その誕生経緯はどうであろうと、問題ないという判断になりえる。

「宇崎ちゃんは嫌だが、セーラームーンは許せる」という人は、「宇崎ちゃんは異性に媚びているが、セーラームーンは異性に媚びていないようにみえる」からという心理理由かもしれない(もちろん、違うかもしれない)。これが正しい仮説だとすると、表現の是非の判断が、外形が許せるか許せないか、という問題帰着してしまう。さらに、an・anの表紙にも違和感を覚えない人であれば、「同性が異性に媚びている表現は嫌だ」という結論になる可能性がある。

私自身は、このような表現判断基準の持ち方は、どちらにしても問題ないと考えている。なんらかの経緯により、このような判断基準に至ったとしても、それは個人自由である。一方で、客体化あるいは主体性表現の是非に影響を及ぼすという観点妥当性は、必ずしも明白ではない、とも考える必要があるのではないだろうか。

いずれにせよ、表現誕生経緯を勘案することは非常に難しい。セーラームーンの例にしても、男性編集者存在など、そもそも知らなかった人も多いだろう。これはつまり、外形のみでセーラームーン表現の是非を勝手判断していた人が、それなりに存在しているということだ。私自身は、このような理由もあり、客体化あるいは主体性といった要素を表現の是非に持ち込むことには慎重になるべきだと考えている。

もし、何らかの理由で客体化に触れたい場合は、例えば「過剰に異性に媚びた表現は、性的搾取セクハラ助長につながるのでNG」といったように、むしろ外形をベースとした基準にしてしまったほうが、理解も得られやすいし、運用が楽なのではないだろうか(もちろん、「過度に」とはどの程度か、とか、「異性に媚びた表現」が果たして本当に性的搾取セクハラ助長につながるかどうか、「異性に媚びることは悪いのか」などの別の議論必要である)。

2019-07-01

2019上半期面白かったマンガ

うたかたダイアログ 3 稲井カオル

面白かったのに3巻で終わりかあ。売れてないわけじゃなかったと思うんだけど。

ダラダラ続いて欲しかったと思う反面、密度高いまま終わって良かったのかな。とも思う。





須波優子と百合な人びと (MFC) 綿桐 さや

面白かった。百合ギャグ個人的に引っかかる物が少ないので、これで終わりは惜しい。

チノさんが出てくる話が面白い。




姫乃ちゃんに恋はまだ早い 1巻 ゆずチリ

面白かった。ズレたまま並行して走っていく感じが上手い。

先生大人視点が入るとまた味わい深くておかしい。






きな子めがねを忘れた 1,2巻 藤近小梅

まだ出るか。って感じのミニマル系イチャラブだけど、これは意外と新鮮だった。

ミニマル系イチャラブは男女のやり取りがハイコンテキストでそこが面白作品が多い気がするんだけど、

本作は逆を行きつつ成立してるのが新鮮で上手い気がする。クラスメートの反応と相まってほっこり感ある。




球詠 5巻 マウンテンプクイチ

ヒリヒリしたゲーム展開でまるっと一冊。安定して面白い。

画は毎ページみどころいっぱいで最高。カッコいいしカワイイし。

百合スポーツ良いわあ。もっと流行ればいいのに。

まあこのレベルで動きのある画を描ける人いないって話だろうけど。






薄花少女(5) 三浦靖冬

時代の空気を完全に再現した背景が最高で、毎巻楽しみにしてた作品だったので残念。

これだけ強固に作品世界を成立させている背景は、一般的意味で背景と呼んでしまうのは作家申し訳ない気になる。

何巻だったか忘れたけど給水塔と桜の画が記憶に残ってる。

あと、最後エピソード最後にふさわしくて良かった。






放課後ていぼう日誌 4 小坂泰之

安定して面白い。

話としてそんなに起伏があるわけではないけど、それぞれの釣り面白さが出てて飽きない。





1518! イチゴイチハチ!(7) 相田裕

7 巻でおわりかあ。こういう作品はダラダラ続いてさ、何世代も入れ替わって行ってさ、ついに終わる時に「ああ、最初の頃カラスヤとかいたなあ。」なんて思って喪失感に浸るのが正しい楽しみ方だと思うんだけど。

残念だけどまあ7巻まで出て環会長は送り出せたのでそれなりに区切りはついたのかな。






水は海に向かって流れる(1) 田島列島

田島列島復活。めでたいですね。内容はさすが。面白い。





さめない街の喫茶店 はしゃ

2017 らしいけど、自分が読んだのが最近なので。

モノの画が最高。カットされたフルーツとか、ラップされたケークサレとか、ガラス器とかその中の液体とか、あらゆる画が楽しい

人も魅力ある。表情も良い。特に双子は良い。

マンガとしてもヒューマン?一つまみファンタジー小さじ1の食べ物マンガって感じ。

オーブン使う料理ばっかりなのはわりと新鮮かも。まあ洋菓子いからそれはそうかって話だけど。





メタモルフォーゼの縁側(2)(3) 鶴谷 香央理

なぜか2巻をスルーしてて、3巻が出たタイミングで2,3読んだ。

個人的には王道若者の成長記録モノに見える。

うららは苦しんでもいるけど基本的には(大人や友人に、直接に間接に、)救われていて、そんな中でどこかに向かおうとするあり様や、愛されっぷりがグッとくる。




廃墟のメシ1 ムジハ

面白かった。あっちで見たアレや、こっちでみたアレがふんだんに盛り込まれB級SF食べ物マンガなんだけど、画力があるので独立して十分面白し、カレーを探すってオモシロ設定も楽しい

最後の展開は正統派SFぽい意外性があって期待感をあおる。でも演出オフビートでそこもまた良い。

品質B級SFグルメマンガSF好きはマスト






ストロベリー(1) サライネス

オーイエー!おれたちのサライネスが帰ってきたぜー。

前作も悪くなかったけど、やっぱりこのノリすよ。

「誰も~」を楽しんでたオッサン/オバサンは迷わずBUY。若者もぜひトライしてみて。

父ちゃん記者会見する話、超好き。しょうもない話にさらにしょうも無い話を何段も重ねてくるの最高。

この作品視点のものちょっとスポーツ新聞ぽい気も。平和で良いと思います





蜘蛛ちゃんフラッシュ・バック(4)植芝理一

4巻にして動き出しましたー。良いっす。

個人的には母さんは母さんにしか見えなかったので、今までちょっと評価しずらかった。

おれが実ぐらいの年齢なら別な見え方していたのかもとは思う。

画は常に最高。毎ページ見どころしかない。空間とモノ/ヒトとか、人体とか、服のしわの一つ一つまで見どころ。

なんなら線の端のインクまりまで好き。

電書版の画質は1巻と比べると多少マシになった気がするけど、もう少し綺麗になるとうれしい。

アフタは電書版の画質が他誌(他社?)と比べてイマイチな気がする。

2019-05-22

追ってないはてブブーム

ヴィーガンデモ

小規模デモ基本的にくだらない

 

夢見りあむ

アイマスハイコンテキストすぎる

 

虐待

定期ネタすぎるし不毛だし、ブコメキモい

 

最近政治ネタが少ないな

2019-03-21

バックアップも削除したらデータは復旧できなくなりますよと言おう

バックアップも削除したら、データは復旧できなくなりますよ」と言う

バックアップも削除したらデータが復旧できないのは当たり前の話であるしかし「バックアップを削除する」ことの意味をあまり理解していない人が相手とき、この言葉は効力を発揮する。

データを削除してください」→「バックアップもですか?」→「お願いします」

というやり取りを見たときふつうの人は「完全に復旧できないことは承知の上」ということを想定する。でもそうならないこともある。

なので

バックアップもですか?」→「お願いします」→「一応確認なんですが、今後一切データを復旧できなくなっても構わないということで間違いありませんか?」

と念押しすることが大切だ。こう聞くことで「えっ、それは困るかもしれない……確認してみます」→「削除しなくていいそうです」となることもある。

ごくまれに、こうした確認に「当たり前のことを聞いてくるな!」と憤る人がいるけれど、それは「お箸つけますか?→手で食えっていうのか!」メソッドなので、あまり気にしなくていいと思う。

コミュニケーション根本的に難しい

多くの人は、よくわからなくても会話を続けることができる。

試しに、誰も聞いたことがないような難しい四字熟語をなんとなく会話に紛れ込ませてみると、意味を聞かれることも多いものの、案外つっこまれないものだ。「へ〜、いんかんふえんですね〜」みたいなことを言っても「そうなんですよ〜」と返されてビビることがある。他人ばかりでなく自分が知らない言葉を使われても案外聞き流してしまものである。みんな人の話を一言一句集中して聞いていないし、絶えず集中して聞くこともできない。いんかんふえんではないだろうか。

ほとんどの場合、人が使う言葉には感情もくっついてくる。

「おまえ本当に使えないよな〜」という言葉を聞くと、「おまえ…」「本当に」「使えね〜」「よな」「ぁ〜あ」のように、どれもが侮蔑的な音声として聞き取れる。

「おまえ本当にいいやつだよな〜」という言葉ときは、「おまえっ」「ほんっとうに」「いーやつ」「だよな〜〜〜!」となって、どれもが褒め称える音になる。

人はそういう感情を容易に読み取れる代わりに、そこに乗っている情報を汲み取るのが苦手だと思う。

バックアップも削除するのですか?」という言葉を聞いても、認識が以下のように異なることがある。

自分がよく知っている言葉を、他人が同程度に知っていると思うのは、コミュニケーションの失敗のはじまりだと思う。

かと言って「相手は何も知らない」と斜に構えて話すのはまた違う話で、尊敬の念を持って相対しなければいけないと思う。でなければ、単に冗長確認ばかりする嫌な奴になってしまうからだ。

人に自分の思っていることを正確に伝えるのは、とてつもなく複雑な行為だと思う。

おまけ

日本語/日本人ハイコンテキスト云々の話ではないです。

※ 「いんかんふえん」とは印鑑敷衍しているという意味です。

2018-10-17

anond:20181017095247

なるほどハイコンテキスト

きゃりーぱみゅぱみゅが騒がれた時みたいなものだろうか。

かに俺はコンテキストへの理解ゼロだ。

流れて聞く曲が全てで、バントメンバー容姿すら知らない時あるし。

俺の聞き方の方が悪いのかもしれないな。

anond:20181017094044

横だけど、音楽というのは世界観人間性コンテキスト、そういったものから逃げられない存在だと思う。

いか音楽それ単体で評価しようとしている人でも、それらの影響を無意識に取り込んでいる。

その事実シビアに受け入れるなら、却ってその部分を積極的音楽評価に取り入れようという姿勢も正しい。

そう考えた時、世界観物語性を魅せることに長けたハイコンテキスト文化の申し子であるアイドルに一目置けるようになる。

そういう流れを汲み取って聞けば、アイドルがくり出してくる曲にこそ、重いパンチを感じられるはずだ。

アイドルの曲は、意外と反権力的で、メッセージ性が強かったりする。知的な人は、知的に受け止められる。

もちろんそうでない人も、そうでない表象的な受け止め方ができる。

それらが入り混じった混沌とした悪趣味さこそが、アイドル音楽音楽たらしめている。

仮に陳腐な音作りの曲だったとしても、そこに哲学的だったり虚無主義的だったりする意味を見出だせる。

しかし実際には、(アニソンなどもそうだが)プロスタジオミュージシャンが作っているものなので、品質は安定している。

逆に、一端のバンドでは表現できないような多様な音楽表現を見せてくれて、曲によってはその音楽ジャンルの専門誌で取り上げられるような事もある。

音楽を通して世界を見ようとするときアイドル音楽ほど奥深いものはない。

2018-10-08

anond:20181008102122 は何なんだろう?

可能性1

皮肉や嫌味を理解しない人。そういう人が増えているとニュースになっていたやつ。荒れていると言われるブコメ機械的判断できる罵倒語が飛び交うことは少なく、皮肉ハイコンテキスト表現を用いて攻撃する人が多い。

可能性2

わざと誤ったことを書く、ツッコミ待ちブクマ稼ぎ手法を使っている。

可能性3

数万ID中の数百ID存在しないも同然と冷静に見てる人。

可能性4

過激サヨク左翼から見ると右翼に見えている。過激ウヨク右翼から見ると左翼に見えている。

2018-09-18

anond:20180917092103

キモいとかグロモンスターを見て、たぶんキモいよりも「テンション上がる」が先にきてるよね。日本人でも、相当ハイコンテキストな訓練を受ければ、例えばジェイソンが出てきたら手をたたいて喜ぶようなノリの奴はいっぱいいるけど。

逆に言ったら、あいつらめちゃめちゃ訓練されてるんだろうな。

日本人で言ったら何かな? バラエティ番組暴力見て笑うような感じ?

2018-08-19

どうやって頭をよくするか。そしてウェルプ文とは何か

前々から少しずつ考えていたこなのだけど、最近ファイル圧縮技術の1つとしてハフマン符号化とかいうのがあることを知ってついに着想を得た。

ハフマン符号化とは、頻度が多い記号に少ないビット数を与えて、頻度が少ない記号には多くのビット数を与えることで、もともとの情報の多さを抑えるというものだ。

こうした説明こそがそのハフマン符号化の1つの例だ。「ハフマン符号化」という符号によって、他者に伝達する文字列が少なくなる。ただし符号化したものを復号できる知識がなければ、ハフマン符号化と言っても伝わらないところが難点だ。ちなみに、逆に、頻度の多さから意味を解析していく頻度解析というのもある。

ともかく、上記のようなこうしたハフマン符号化のような概念で長い情報圧縮して短い情報にしてしまうことをぼくは「ハフる」と呼ぶことにする。

ハイコンテキストで使われる言葉専門用語ジャーゴンスラングは、すべてハフられた言葉である

ここで、ハフられた言葉のことをぼくは「ハフワード」と呼ぶことにし、ハフワードが多く使われていることを「プレハフ(plehuff)である」と形容し、プレハフな文は「プレハフ文」である表現することにする。

プレハフ文を使うことで、概念は事細かく整理することができるようになる気がしている。プログラミングでの関数変数への上手な命名によって全体の扱いが容易になる事象と似ている。もちろんしっちゃかめっちゃかなハフワードばかりのプレハフ文は誰にも理解されないものになってしまうが、丁寧にハフられた言葉が多い文は人に新しいインスピレーションを与えたり、複雑な事象簡単に扱えることができるようになるのではないかと予想している。こういった丁寧に構成されたハフワードを「ウェルハフ(wellhuff)」、ウェルハフが多く使われていることを「ウェルプ(wellp)」、丁寧に構成されたプレハフ文を「ウェルプ文」と呼ぶことにする。

ちょっと復習をしてみよう。

「この文は確かに多くハフられているがウェルプ文では決してない」

これをもともとの日本語で言い直すことは難しい。どうしてもどこかでニュアンスが抜けてしまうからだ。

ひとまずウェルプ文という概念を得たので、一度これを実際の文に適用してみよう。

適当増田から文を拾ってきたので、これを勝手にハフってみることにする。もともと日本語にあるものはそのまま日本語にハフることにする。

元増田の指摘は、20世紀以降の科学哲学の基本だ。

 

問題は、大多数の人間はそういう考えをベースコミュニケーションが取れないことだ。

彼らは、自分の身近にいる人間たちの「常識」を普遍と思いつつ世界解釈している。

(それ以外は、変な人くらいに思っている。)

 

一方、元増田意見20世紀以降の科学哲学の「常識」であり、上の「常識」と特になんら変わりはないという話もある。

とりあえずいったん、ふつうにハフってみる。

元増田の指摘は、現代科学の基礎だ。

問題大衆はその基礎がないのでコミュ障になっていることだ。

偏見常識領域普遍的だと世界解釈している。

領域外は変人だと解釈する)

一方、元増田意見現代科学の基礎で、現代科学の基礎も偏見常識領域範疇である説もある。

元増田意見」というのは増田ではありふれているしハフる。「元増見(もとますけん)」と言おう。また「ありふれているからハフる」ということを「ハッフルパフ」と言う。

現代科学の基礎」もハッフルパフしよう。「現基(げんき)」とする。

「その基礎がない人々」→「無現人(むげんにん)」

偏見常識領域普遍であるという考え」→「オマオマ」

元増見は現基だが、問題は無現人のコミュ障だ。

無現人は、世界をオマオマで、オマオマ外は変人解釈する。

一方、元増見も現基で、現基=オマオマ説もある。

文を組み替えてみる。

元増田は有現人だが、問題は無現人はオマオマゆえにコミュ障で、有現人を変人だとするところ。あと有現人=オマオマ説もある。

このようにハッフルパフしまくってみただけで、かなり綺麗なウェルプ文ができあがった。若干文意が損なわれてしまったが。

十分ウェルハフされたことによって、たとえば「オマオマ」はそれなりに高度な概念ながら日常的にも使用可能になる。

「うわお前オマオマかよ」「出た。無現人乙」だけで人を揶揄でき、また、言葉に気をつけどのように律すべきかということを伝えることができるようになる。

さらに、こうした一連の流れを「オマラダイム」と名付けてしまえば、オマラダイムに取り残される人が後に老害となることは容易に認識できるようになる。

まり賛同は得られないかもしれないけど、ぼくはこのようにウェルプ文が増加して、人類思考が洗練されることを期待している。もちろん、他者にハフワード意味が通じなければコミュニケーションとして成り立たないけど、より高速に思考ができるようになることは間違いない。たぶん。

こうしたぼくが提唱するイデオロギーを「ウェルプ=オマライズム」と命名したので、ぜひこれを活用していってもらいたいです。いやマジで

2018-01-18

anond:20180118220212

そういう時代伏線みたいなものもあるんだろうか

優秀なアニメスタッフってアニメ以外もよく見てるよね

 

視聴者の目が肥えたってのは俺も考えた

ハイコンテキストなところが受けてるのかなって

ただ、最近海外ヲタアニメ実況まとめを見るんだけど

皆同じように笑って同じように怒って同じように泣くんだよね

から「分かる人にしかからない」でもないのかもしれないと思った

まあ彼らもガチヲタから実際には分かんないんだけどw

2017-10-23

ゆゆ式見れない奴はクソ雑魚だろ

タイトル煽り気味になったのは申し訳ない。とりあえず以下に私の見解を述べたので、それを、元に1話を見直すなり、スルーするなりして欲しい。

ゆゆ式の魅力とは『空気を読む会話劇』である

空気を読み合う会話劇』とは脚本家インタビューを少し引用する形で解説すると以下のようなものである

普段、我々の会話劇は何らかのロールが存在する。それは聞き手であったり、ツッコミ役であったり、はたまた悪役だったり、解説役だったりだ。そしてそれが表面上の会話劇とは別に昨日何を話したとか、自分のロールとか様々な要素を加味し、目まぐるしく変わる、所謂ハイコンテキストな会話劇が行われている。そしてその変わる関係性は会話している人物達の仕草から推察できる。これが空気を読み合う会話という行為である

ただのJKの会話劇が現実世界では大体上のように行われているのだが、アニメでそれを扱った作品は無い。だからこそ興味深く、面白いと思う人は面白いと思う。

よく国語問題登場人物の心情を答えろって問題があるが、あれが目まぐるしく会話劇とは並行して成り立っているのが、ゆゆ式だ。そこを汲み取るのが俺は楽しかった気がする。

そして、一応売り文句として『何も無いがある』ってのがゆゆ式だった気がするが、所謂日常系作品群の中でもトップクラスイベントが『何も無い』しかし、本当の日常淡々と繰り替えしながらも、確実に流動し積み重ねられた日常ゆゆ式には『ある』のだ。

その累積とハイコンテキストを楽しむことのできる作品という意味で高評価を受けているのかもしれない。少なくとも俺はそう感じている。

長くなったが、以上である

anond:20171022231330

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん