はてなキーワード: ハイコンテキストとは
「庭の草刈りや雨漏り等の対応で疲労困憊なので売りたい」「今の家は広すぎるから小さいアパートに引っ越したい」と増田母が明言しているにもかかわらず、なぜかトラバでもブコメでも「増田母は増田一家と同居したいのでは?」という意見を持っている人が多くて戦慄している。
「庭の草刈りや雨漏り等の対応で疲労困憊なので売りたい(庭の草刈りや雨漏り等の対応で疲労困憊なので売りたい)」「今の家は広すぎるから小さいアパートに引っ越したい(今の家は広すぎるから小さいアパートに引っ越したい)」じゃなくて、
「庭の草刈りや雨漏り等の対応で疲労困憊なので売りたい(息子夫婦と同居して庭の草刈りや雨漏り等の対応は息子に任せたい)」「今の家は広すぎるから小さいアパートに引っ越したい(息子夫婦が建てる一戸建てに引っ越して一緒に住みたい)」なの?
羅列されているものは正しいけど、並べ方が違う。50点。
これね。
1 少しずつ大きくなる
↓
↓
3 突然小さくなり始める
↓
4 十分小さくなったらまた大きくなり始める
このループを繰り返している。
流行と言えるものを構成するあらゆる要素がこういった「少しずつ味付けが濃くなる→バランスが崩れだした所で急激なシュリンクが起きる→また少しずつ強くなっていく」の繰り返しだよ。
それぞれの要素においてバラバラにこれらが起きているから全体を見ると漠然とした「時代ごとの流行り」に見えるんだけど、部分部分を取り出していくと再現性のあるループ構造になってる。
それがなぜ「前世代のものはダサイ」に繋がるかと言うと、シュリンクしたあとの世界から見た肥大化した状態には強い異常さを覚えるから。
バランスが崩れたら一気にシュリンクするといったけど、このバランスが崩れたって状態は「ブームに従って強くすることのプラスとマイナスで、マイナスの方が大きくなった」という意味のバランスであり、トータルでみたバランスはブームを抜きにすればとっくに崩れたあとなの。
それと同時に、強くなっていく過程から余りに大きく遡ってると今度は弱すぎて違和感を覚えることもある。
たとえば、今は激辛ブームでどんどん激辛料理のスコビルが強くなってるけど、これで激辛を食べ慣れてない人がいきなり最新のヤバイのを食べたらヤバイことになってるけど、この状態は新規参入も見込みにくいからトータルバランスではマイナスに傾きつつある。
そこで中途半端にマイルド方面に行っても「激辛」ファンからさえ見向きもされなくなるから、どっかで「味とのバランスを両立させた激辛」みたいな感じで軟着陸なビッグクランチを起こすんだろうなってことは分かるでしょ?
もしもこのループが終わった後の世代が今の基準の激辛を食べたら「辛すぎて味がしないだけじゃん。馬鹿なの?」みたいになるわけだけど、この「なんでここまで強くする必要があったの?」が世代間ギャップなのよ。
でも同時に、このループがまだ終わらずに激辛が強くなり続ける流れがあったなら、その次世代からしたら今の激辛なんて「この程度で激辛だったの?全然感じないけど、意味ある?」ってなるだろうね。
つまり、肥大化が続いてようがリセットされようが、結局は「ハイコンテクスト化の加速と急激な縮小」のループを原因としてギャップは生まれるってこと。
でもこれが大きく大きく時代が離れていくと、どっかの段階で今のループ状態とちょうど重なりあうぐらいの時期になる事がある。
まあでも全体として同時並行で色んな流行があるから、やっぱ古いものってのはどっか今の時代から見ると浮いちゃうんだけど、その浮きっぷりが強烈になると物差しを飛び越えて「そういうもの」として受け入れられたりするわけな。
「ちょうど良い」と「そういうもの」の両方が重なった絶妙な趣が、「凄い古いものだと何故か大丈夫」の正体だったりするわけよね。
ブームの復刻に法則(?)があるのってわかる?誰かが言ってるわけではないと思うけど
・基本的に親世代、祖父母世代で流行ってるものは古臭くてダサいという認識がある
・それより前に流行ったものは先入観がなくなるので本質的な価値で判断される
・ブームが若い世代で復活した場合でも、親の世代はダサいと思ってるので取り入れることが出来ず、若い世代にとっては新しいものとして復活する
ただし流行は
・本質的な価値以外で流行ったもの(インフルエンサーの存在とか)
など、復活できないものもある
みたいな感じ
一巡するのは何年くらいだろう?
あるいは、子供の頃は「親がそれ着てた」「お婆ちゃんの家にあった」とかがあるか
30歳 → 35年前、今だと1990年(平成2年)より前はセーフ
40歳 → 45年前、今だと1980年(昭和55年)より前はセーフ
50歳 → 55年前、今だと1970年(昭和45年)より前はセーフ
60歳 → 65年前、今だと1960年(昭和35年)より前はセーフ
みたいな感じ
てか、そう考えると昭和30年台ネタが流行ったのって、一巡したからなんだろうか?
今は昭和40年台、50年台(1970年台、1980年台)が解禁されてるので
また、今の10代は2000年台に流行ったものを平気で「良い」って使い始めるが
おじさんおばさんはそれに耐えられないという現象も起きる
地雷系なんてまさにそうだよね、ヒラヒラは1980年代に流行った結果、1990年あたりから20年以上厳しくなった
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食器とかは昭和40年台のものが最近流行ったというのを見た、上司の世代にはめっちゃ反対されたらしい
https://www.tokai-tv.com/tokainews/feature/article_20220718_20248
バブル世代の服とかは特殊だったのか未だに来ないね、肩幅が広いやつ
ギャルとか茶髪は今ダサ期に入ってる気がする、あとミニスカもダサ期なんかな?
ヒラヒラした服は復活期、でも地雷量産は既に食傷期に入りつつあるのかな、リズリサとか方向性変えたらしいじゃん
ハイプサイクルみたいだな
流行期 → 浸透期 → 食傷期 → ダサ期 → 忘却期 → 復活期 → 流行期 (ただし世代によってズレがある)
UIにおける3Dボタンも今ダサ期なんだよね、立体風のグラデーションがかかったボタン見ると古いって感じちゃう
あと創作物のジャンルやストーリー展開も、サイクルがあると思うんだけど
幼馴染とか復活するんだろうか?
あと復刻してももう一度前回クラスに流行るかはその時次第っていうのもあるのと
最近はこういう復刻の法則に気づいて商品展開してる人らが居るためか、常に混ざり合ってきてる感じもする、過度な流行が生まれづらい?
海外の今どきの流行りを見ると、例えば20年くらいズレてると強烈にダサく感じるんだよね、一周してると逆に斬新に感じるからおもろい
でも現地人てきにはその感覚が多分逆なんだよ
H&MとCOMIC LOの件
前段階に「幼女への性的虐待の事件があったことで過敏になっていた」があったらしいし
(これかな https://news.yahoo.co.jp/articles/eb5147993bec33865c19a25060cc0ff8476833f7)
そっからの「一見すると問題ないように見える画像のオマージュ」でエロ漫画家が「あくまでエロくはない画像」を投稿するっていう
これさどう足掻いてもコンセンサスも取れないし、記事にもできないんだよね
性犯罪は問題だろうけど、H&Mは「H&Mのファッションで注目を浴びよう」しか言ってないし
これで炎上はやり過ぎっていうのはヤフコメですらそうだったからね
ここでもしエロ漫画家が画像をエロ絵にしたら「実在のモデルを性的に描いた」で燃やせるんだけど、言うほど性的ではない(扇情的ではある)し
これ突っ込むと誰かが言ってたけど「LEONはじゃあアウトなのか問題」っていうややこしい話になってくるから
いやー燃えないっすわ
記事にするにあたってCOMIC LOを説明しなきゃならないし、そしたら本旨ずれるし
無理だね
とにかくメッセージを伝えるために歌ってる
まぁ日本語がハイコンテキストで短い文字数で意味を持たせやすいっていうのがあるんだけど
基本的にメロディーやリズムよりも歌詞を重要視してるのが日本の音楽
昔のJ-POPも同じでスピッツは雰囲気の歌詞とか言ってたけど、あれでも全然意味がある方
パフィーとかはマジで意味が無かったけど、それでも聞き手にとっては意味があるように聞こえるのが日本語の不思議
一方で海外というかアメリカの音楽なんて昔から歌詞の意味はどうでもよくて音楽を聴かせる方がメイン
EDMもリズムを聴かせるのがメインで歌は楽器の一つに過ぎない
英単語の語感がいいものを適当に選んで歌詞にしているだけだから歌詞の内容なんてめちゃくちゃ薄っぺらい、というか意味なんてない
歌詞に意味を持たせてるのはミュージカル系の音楽だけど、向こうじゃ全然売れないよね
多分だけど「聞いててしんどい」っていう感覚になるんだろうなぁ
そもそも商品企画って「買う人」がターゲットなのであって「使う人」はターゲットじゃないのよ
そんで日本で家電を買うのは男だから男が好きそうな家電にするわけよ
全く機能は同じなのに毎年家電をアップデートして「最新型!」とかやるのもそれ
男もそういう戦略なのは分かってるんだけど買っちゃうっていう悔しい生き物なのよ
それにしても何十年も作り続けてるのに一向に改善しないのは何故か、っていうと、そういうノウハウが継承されないから
JTCにありがちなきめ細かな人事異動があるから技能継承されない
まぁ実はそれは海外でも同じなんだけど、日本は特にドキュメント化が苦手
英語は厳密に書けるけど日本語はハイコンテキストで、「空気読め」っていう感じでしっかり伝わらない
識字率は高いけどなぁなぁで理解してるから文章読んでる方も理解できてない
昔からそんな感じだな
増田は発達障害なのか、主語述語5W1Hすべてが文章に含まれていないと話が理解できない。
一つでも省略されると混乱する。
仕事の都合で今は東北に来ているのだが、こちらの人たちの話はハイコンテキストすぎて何を言っているのかわからない。
寒いから喋りたくないのか、シャイだから喋りたくないのか、ワイが嫌いだから喋りたくないのか知らないが、相手に「察して」を求めるのはやめてくれ。
例えば、東北の人の多くはありとあらゆる語を省略して話す。
嘘かと思うかもしれないが本当の話だ。
誰が・いつ・何を辞めるのか、さっぱりわからないので、説明を求めるとかなりめんどくさがられる。
しかも、増田は耳があまり良くないので、東北の人のボソボソとした早口を聞き取れない。
「すみません、聞き取れないのでもう一度おっしゃっていただいてもよろしいですか。」とお願いするだけで機嫌を損ねてしまうのでめんどくさい。
とりあえず、
1.補聴器を買う
2.発達障害の診察を受ける
細かなネタの面白さとか描写の丁寧さとか設定の上手さとか色々あるんだけど
結局の所「数年努力したが実力を発揮できなかったコミュ障ぼっちが成功へ駆け上がっていく」というカタルシスがメインの作品だと思う
障害を克服して
仲間と
成功する
それをいかに解像度高く、面白おかしく、主人公に感情移入できる形で表現できるか
ただそれだけなのかもしれない
とは言えカタルシスは毎回用意できないのでベースが面白くなきゃならないから様々なテクニカルは必要だと思うけど
ベースは良いけどその様々なテクニカル面で抜けきらなかった作品は山ほどあると思う
ぼっち・ざ・ろっく!が序盤で注目されていなかったのはその証左だと思う、この設定でホームラン打つと思わなかったし
ゾンサガのときは「キャラ一回死ななきゃインパクト的に足りないのか」と思ったが
丁寧にやればまだ一般的な設定でもできるんだなと感心した
とは言え序盤での遅れ分を回復するだけの評価にするにはなかなか大変だったろうし簡単には再現できると思えないが
結構ハイコンテキストだと思ったけど良さを理解しているというのは嬉しい、ネタが音楽っていうのもいいのかも?
個人的にはバンド・ライブ周りの解像度が他の作品より鮮明で面白かった
自分の見た中では一番だったと思う、普段デフォルメしてる部分をあえて描いてた
Youtubeで「ここはこういうこと」って解説してる人もたくさんいるし
キャラの解像度はさすがに「漫画キャラ」なんだけど、りょうの行動はちょいちょい「こういう奴居るわ」を攻めてたと思う
ちょっとドラマ・邦画っぽい文脈もあるよね、下北沢ってのがよかったのかも、アニメオタクと親和性なさすぎてブルーオーシャンだったのか?
実際のバンドやってる人にとってはファンタジーだろうけど、個人的には丁度いいリアル感だった
こういうのって他ジャンルでも攻められると思うんだけどどうかなあ?
風邪の原因がウイルスに感染したことであるのは仮定でもなく社会に必要とされる便宜的な定義でもなく科学的検証に基づく観察の結果だよ。
あなたがここで挙げた例は全てが「取り決め」ではないことをまずご理解されたい。
そして、私が言う思い込めてしまう正しさは「取り決め」の方だ。ただ、科学的整合性、妥当性は思い込みの正しさではないものの、やはりその正しさに依存することは十二分にあり得るが、それはハイコンテキストなのであなたが理解している「正しさとは取り決めである」という定義に基づいて話そう。
あなたが例に挙げた
風邪ひいた人間におかしな治療をしたらその確率の壁を超える選択をした合理的な理由を求めるでしょう
風邪をひいた人に何の意味もなくいきなり高血圧の薬を無根拠に投与したら下手すると死ぬよ
と言う4つのうち、社会的な取り決めに違反していると言えるのは傘の例だけだ。なので、この例を題材にして自分が正しいと思い込むことがどのようなことか説明したいと思う。
この例からは傘を盗んだ人を特に意味もなく死刑にするのは正しくないとあなたが考えていることが窺える。
では、傘を盗んだ人は正しいだろうか?
社会的な取り決めからすると、人のものを盗むのは正しくないとされている。
これは2000年も昔から問われていることがわかる問いだ。有名な「罪のない者だけが石を投げよ」だ。
ここで迷いなく石を投げられてしまうメンタリティを、私は「自分を正しいと思い込む」と呼んでいる。
つまり、私が批判する「正しさを盾にした他責思考」というのは、奇しくもあなたが例に挙げた傘を盗んだ人を特に意味もなく死刑にする社会を招くものでもあるのだ。