はてなキーワード: 家族史とは
先日、『ポケットピカチュウが欲しかったけど、ポケットハローキティがクリスマスに届いた』っていう話を書いたら思った以上に反響があった。正直驚いた。
私もだわという声もあって、一人じゃなかったんだなあと、心に刺さった棘がちょっと小さくなった。
https://anond.hatelabo.jp/20220818181739
»ポケットピカチュウを手に入れていたら、今の私は何か違ったんだろうか。
について掘り下げる。
どうしたらポケットピカチュウを手に入れることができたんだろう。
1. クリスマスまでに親を説き伏せてポケットピカチュウもらう
2. クリスマスにポケットハローキティを贈ったのは間違いだったと気づかせて、別のタイミングでポケットピカチュウをもらう
私の親は、ポケモンは暴力的なゲームで子どもに悪い影響がある かつ ちょっとした流行りものと認識していた。
2022年に「ポケモンは暴力的なので我が家では禁止しています」という親がどれくらいいるか分からないが、1999年にはどうやら一定層いたらしい。
子供の頃の記憶と、さっき5分くらい調べたGoogle検索の結果なので間違っているかも知れない。
ーーーーーもし、2022年の私が1999年の私に会えたら、何てアドバイスをすればいいか。
・友達を1人ずつ連れて行って、ほら、みんなポケットピカチュウを持っているでしょ。と、[エビデンス]を突きつけてみるのはどうだろう。
・もしくは、うちでポケットピカチュウ通信会を開催して、私だけ持ってないでしょ、と教えるのはどうだろう。
・・・と思いついた。
おそらく、当時の親は周りの子どものことが見えてなかった。見る習慣がなかった。
私は第一子だったので、幼稚園に通うまでは「子」と「お母さん」だけの【家】という最小コミュニティで成り立っていた。
それが、幼稚園に通うようになって、「子」と「お母さん」と「幼稚園の同級生」と「ママ友」という【地域】コミュニティに膨らむ。
子が成長するに従って、親はぶつぶつ言い始める。
『〇〇ちゃんはもうバイエルやってるんだって』とか『〇〇ちゃんは進学塾に通っているそうよ』とか『〇〇ちゃんは結婚したって』
と、否定されたことはないので、親にとっては「今日は晴れていたね」くらいの日常の会話、近所の近況報告だったかも知れない。
肯定的に捉えると、周りの子どもと比較するということは、周りの子どもを見る余裕ができたということだと思う。
私が幼稚園に通うくらいの頃は妹が生まれたばかりだった。親は心に余裕がなかったと思う。
自分を通してのママ友はあまりいないが、妹の友達のママ友はいまだに付き合いがあるくらい長い付き合いだ。
なので、公園の片隅で
「うちの子ポケモンなんかに興味を持つのよ。女の子なのに。やあねえ。」
「え、知らないの?ポケモンって今とってもはやってるのよ。女の子も男の子もみんな持ってるんだから。〇〇ちゃんも買わないと置いていかれちゃうわよ。」
なんて話している余裕は私が子どもの頃はなかったんだろう。
あの頃は、「私」と「妹」と「お母さん」だけの【家】で小さく暮らしていた。
私だけが幼稚園という広いコミュニテイに先に出てしまったのだ。
周りの子と自分を比べても、あまり良い説得材料にはならなさそうだ。
ピカチュウはちょっとした流行だと捉えていたことについては思うところがある。
当時ハローキティはキャラクターとしてはかなりの地位を得ていた。1974年にデビューしたそうなので、1999年に25周年を迎えていた。
対してピカチュウは1996年に誕生しており、1999年時点ではたった3周年だ。
2022年にはピカチュウが誕生してから26年になるが、未だに老若男女誰に聞いても「このキャラクターは何?」「ピカチュウ」と回答が返ってくると誰が想像しただろうか。
あなたが「どうせ、これもすぐ終わる流行でしょ?」と手を振り払ったそれは25年後常識になっているかもしれませんよ。
ーーーーサンタさんが良かれと思ってプレゼントしたものを開けた瞬間、子どもがしくしく泣き出したら?
サンタさんはさぞ慌てふためいたと思う。自分が良かれと思って変更したプレゼントは間違っていた、と気付くことができる。
本来であれば25日の朝のプレゼント開封でクライマックスを迎え、幸せなクリスマスになるはず。
ところが、25日の朝にポケットハローキティが出てくることで、家族史上最も気まずいクリスマスになる。
「何が違ったの?」「どうしてダメだったの?」「そんなにピカチュウが欲しかったの?」と聞いてくれたかも知れないし、
「ああ、この子が主張していたものを勝手に変えるのは良くないんだな」と気付いてくれたかも知れない。
人と人はぶつかり合ってお互いの理解を深めるというが、親と理解を深め合う最初のチャンスが5歳のクリスマスだったのかも知れない。
3000円のポケットピカチュウはお菓子のように気軽に買えるというほどではないが、
ちょっと食費を削ったり服を1枚我慢したりCDを1枚我慢すれば、手に入らない金額のものではない。
在庫薄だったかも知れないが、周りの子がみんな持っていたのを考えるに、郊外特有の、ちょっと大きいトイザらスが在庫を持っていたと想像する。
私が親だったら、しくしく泣き出してしまったクリスマスの悲しい思い出を払拭するために、ポケットピカチュウを手に入れようと頑張るだろう。
26日の朝に「あれー!サンタさん今日もプレゼントくれたみたい」と急いで挽回するか、元旦にお年玉の代わりに渡すか、数週間後にある誕生日のプレゼントにするか。
なんらかのタイミングでポケットピカチュウが私の手に入ってハッピーエンドだ。
アラサーになって、ビールを飲みながら、はてな匿名ダイアリーでちまちま記事を執筆することもない。
前回の記事で、ポケモンに触れずに大人になってしまった哀れな人と思われたかもしれないが、安心してほしい。
ポケットハローキティ事件の数ヶ月後に、ひょんなことからゲームボーイカラーとポケットモンスター銀を手に入れることになる。