はてなキーワード: ナマズとは
他所様のキャラクターをパクリ扱いする前に自分がそのまんまのパクリ連発じゃねーか。
フシギダネ→🐸
バタフリー→🦋
スピアー→🐝
ポッポ→🕊
ラッタ→🐀
フーディン→フーディーニー
サワムラー→沢村
レディバ→🐞
ドータクン→銅鐸
オドシシ→🦌
うーん……人のパクリを責める前にまずは自分のパクリについて反省すべきだね。
動植物をカートゥーンに上手く落とし込んでいるキャラクターもいるにはいるが、元の動物のデザインをそのまま流用しておいて「これオリジナルなんでパクらないでください」は流石に苦しいだろ。
人様にパクらないでと頼めるに足る最低ラインのオリジナリティに達してると胸を張って言えるキャラクターだけ作ってるならともかくさあ……。
誰でも思いつくようなものを作っておいて「これなんか俺のに似てるんだけど💢」は例の事件の犯人と同じことしてね?
まあ火をつける所までいかないうちはセーフだけど、オリジナルであるという主張が通らなかったときに暴れ出したら同じレベルやぞマジで?
https://www.hitohaku.jp/material/kids-toolbox/namazue.pdf
地震鯰をモチーフに世の中を風刺する色刷り瓦版(鯰絵)が大量に出まわり、江戸庶民に地震を起こす鯰=地震鯰のイメージが定着しました。
こうして息を吹き込まれた地震鯰は、幕末の激動期をへて明治時代の中頃まで、庶民の間で生き続けることになります。
鯰絵から生まれた「世直し」や「万歳楽」という大地震に対するイメージも庶民の間に深く根付き、明治・大正の世になっても大地震が起きると、人々は「世直り」とか、「万歳楽」と叫んで外へ逃げ出したということです。
江戸期でも明治大正でも、メカニズムの説明として信じられていたというよりミームとして流行っていただけのような気がするけどなあ
コロナ退散アマビエアマビコ言ってる記録を後世の人が発見して令和日本人は妖怪の実在を信じ病魔退散を祈っていた
鯰説の根拠は物識りに聴かなければ確かとしたことは分らぬけれども、志那傅來であることだけは疑ひもない。
「地下のナマズが暴れると地震が起きる」説はいつごろ廃れたのか、について調べていた
おおよその流れは掴めてきたので一旦ここにまとめる
結論から言うと、明治元年(1868年)ごろから急速に地震鯰信仰は失われたと思われる
オランダの辞典をもとに、地震がなぜ起きるかを科学的に説明した内容を翻訳した
鯰絵が大流行した
しかし「鯰絵が流行した=民衆は地震の原因を鯰だと信じていた」と等号で結んでいいのか?という点はちょっと怪しいと思っているのだが……
というのも江戸時代末期の時点で、江戸の町民はお化けや妖怪の実在をどうやらあまり信じていなかったように資料を見ていると思えてくる
お化けや妖怪の実在を信じない人が地下の大鯰を信じるというのは不自然に思える……という感覚は21世紀に生きる人間の感覚だろうか
『泰西地震説』は学者が読むような専門書で、一般民衆にはあまり読まれなかったのだろうか?
江戸時代にもいくらかは民衆が読むような蘭学書が流通していたようなのだが、地震の原因を科学的に解説するようなものはなかったのだろうか?
当時は陰陽五行思想を信じる人が多かったはずなのだが、この思想では地震をどのように説明している?
鯰絵について語られた本でKindleで買えるものが無いため、追加調査は図書館か本屋で資料を入手してからになる
小幡篤次郎、後の慶應義塾長、『学問のすゝめ』を福澤諭吉と共著した人物
地震の原理について、『泰西地震説』で解説された内容とだいたい同じ説明がされている
こういう本をわざわざ出版する必要があったということは、これに書かれた知識は当時広く知られていなかった……とみることができるか
西欧に追いつこうという強い意欲が見える気がする
明治初期の就学率は今と比べると低くはあるが、この本によって一部の若者に対して啓蒙が行われた
これによって明治に生きた若者は地震鯰を迷信と見なすようになったのであろう
「私の父は地震鯰のような俗説を信じていてやれやれだ」みたいな記述がこの時代にもし存在すれば嬉しいのだが……
また、教科書ではなく大人が読むような啓蒙本はどのようなものがあったのだろうか?
民俗学方面からばかり攻めていたが、明治維新に関する読み物を探すのもありか?
M5.5程度で揺れはそこまで大きくなかったようだ
この地震を体験したジョン・ミルンというイギリス人が地震研究に関心を持ち日本地震学会を創設した
濃尾地震
科学者が地震調査のため派遣された、のような記事が新聞に載っている
ただ「鯰絵が描かれた=民衆が地震の原因を鯰だと信じていた」にはならないだろう
『江花叢書』第1巻
当時のエッセイ的な読み物
関東大震災に対する四方山話からの流れで「地震と大鯰」という題が名付けられた項がある
一部引用する
鯰説の根拠は物識りに聴かなければ確かとしたことは分らぬけれども、志那傅來であることだけは疑ひもない。大地の下には大鯰が生棲して、平生は辛抱強くじつとして動かぬけれども、どうかした拍子に其の尾鰭を動かすと大地が震動するのであると云ふので、我邦では正直に之れを信じ、
「正直に之れを信じ」という表現から、今は信じる人はいないというニュアンスを読み取る
「おじいちゃんが子どもの頃は地震の原因は鯰だと思っていてね」と語る人がいてもおかしくない年数だ
科学とか西欧合理主義が流行った結果、地震鯰信仰のような俗説が廃れたんだろうなあ
ひと段落したら明治大正を生き延びた俗説で何か面白いものがないか調べてみたい
先に読んだ方が民俗学的視点が備わって調査の全体の見通しがたつかもしれない
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明治時代より前の時期の日本において、「なぜ地震は起きるのか?」のような原理の解明を目指した学者がどうにも見つからない
あるいは調べ方が悪いのか……
幕末の日本人は地震ナマズを信じていなかった、ではいつ頃まで信じられていたのか?
もしそうだとすると「地震の原因がナマズというのは俗説だ。本当はこのようなメカニズムだ」という探求が行われていてもいいではないか
見つけることができない以上、ナマズ説を信じていたのかもしれないと消極的にだが認識せざるをえない
儒教においては「陰だか陽だかの気が地面から噴き出る時に地面が揺れる」のような説明がされているらしい
日本の儒学者はそれを信じていた?だとすると江戸の民衆のその説をどの程度認知していた?
あるいは「ナマズが原因ってことはないだろうけど、本当の原因が何かと聞かれると分からんなあ。詳しいことは学者先生に聞いてくれ」というスタンスが大多数か
日本人の宇宙観を調べた時にも思ったが、当時の天文方は観測と暦の作成にばかり注力していて「なぜ?」という問いを立てない
調べることだらけだ、学生の頃に日本史や世界史を選択しておけばよかった
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また、火山、雷雨、地震の3つセットを司る龍神がいるという信仰もある
ナマズが俗説ってそういうこと?
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しかし本来は本業に関する勉強をして給料を増やす努力をすべきなのだろうが、仕事と関係ない本ばかり買って読んでしまう
悲しいね
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トラバやブコメにあまり反応しないようにしているのだが(そこそこの確率で不毛なので)、今回は必要を感じた
鯰絵はアマビエブームと近いものを感じるという意見には強く同感
ただ、いろんな本や資料に「昔の日本人は本気で地下にいるナマズが地震の原因だと信じていました」と書かれているんだよな……
これに強い疑いを抱く
しかし、アマチュアの私が思いつくようなことをプロの研究家が思いついていないわけがない……
なにか根拠があるはずと信じる
清書の予定は……調査がひと段落したときにあるいはありえるかもしれない
追加調査は資料入手待ちとか頓挫とか色々な理由でできていないことが多い
追加調査の結果を追記しようとすると買った本の内容丸写しみたいになりかねず、倫理的にどうなの?という気分を拭えず自分の中だけで調べた結果を味わうこともそこそこある
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先行研究
神や仏に敬虔に祈りを捧げない一方で迷信深い、この点は現代日本と地続きに感じる
この庶民の信仰の深部に最も接近した欧米人は、明治に来日したアメリカの女性教育者、アリス・ベーコンであろう。彼女は「村を見おろしている岩の頂上は天狗が作った」。「天狗はもうこの森から去って今はいない」。さきほど「山の神様の使いである大きな黒蛇が、いましがた、ここを通った」と説明する陽気な老女に接し、「神秘で不可思議な事物に対する彼女のかたい信念は、かしこい人々はとっくに脱ぎすてているものだけれど」、「すべての自然が深遠な神秘に包まれている文化のありかたへの共感を私たちの心に湧きあがらせてくれた」と表した。
考えてみれば迷信深いお婆さんは昔は迷信深い若き女性だったかもしれないわけで、幕末だとその考えがスタンダードだった可能性があるわけだ
この引用箇所は別の文献からの孫引きになるのでこういうことするのは本当はよくないのだが……
該当箇所は『逝きし世の面影』という本からの引用……kindleあるじゃないか、買います
これを書いた渡辺京二という方の著作はすべて読んでもいいかもしれない
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現代を生きる信心深いキリスト教徒にとって「神は実在する」と「妖精/人魚/ドラゴンは実在しない」の考えは矛盾なく両立するのではないか
(「実在」という言葉の定義をしっかり言語化しないととまずい気配を感じる……)
同様に幕末の江戸町民にとっても「神/仏/龍神/大鯰は実在する」と「妖怪/お化けは実在しない」の考えは矛盾なく両立する可能性がある
別に幽霊じゃなくてもいい、今の科学の説明の外にある現象……思念、怨念、呪い、妖怪
死者の怨念が現世に何か影響を与えると認識している、と言っていいのかどうか
「祟りは信じていない。しかし祟りを信じている人の信頼を損なうので祟られるような行為はしない。」というスタンスはありえる
「祟りは信じていない。しかし何か起きたときに祟りだと言われて面倒になるので祟られるような行為はしない。」というスタンスもありえる
では龍であればどうか
「池に石を投げる/泳ぐ/汚すと祟られる。龍神様が住む池だからだ。」という謂れがある池のタブーを信じるかどうか
実在を信じる人もいるかもしれないが、おそらく多くの現代人は龍神の実在を信じはしないけれどタブーも侵さないだろう
いや、これは本当に自信が無い
ルールだから何となく守るだけで深く考えていないという線もありえるし
シンプルに池を汚すのは良くないことだから、という認識があるので龍とか関係ないという話はもちろんあるだろう
これは例えば江戸時代や明治時代の史料を調べていて、祟りだとか龍を見たとかいう記述があったとして、それを文字通りに受け取っては不味い気がするという話
箱根以東の江戸側には野暮な人間と化け物はいない、という田舎をバカにする言い回し
これだって「化け物はいるかもしれないが江戸の周りにはいないよ」という含意があるのか
それとも「化け物なんてどこにもいないよ」という含意なのか
また、「郷とお化けは見たことがない」という言い回しも存在する
この言い回しはいつ頃の時代から言われたものなのか未調査なのだが……
南北朝時代の郷という刀工が作る刀には銘が無かったため、後の時代で無銘であるが郷だろうと言われるものしか存在しなかったらしい
そのため前述の「郷とお化けは見たことがない」というフレーズが出てきたようだ
こういう言い回しがある時点で当時既にお化けの実在は信じられていなかったのでは?と感じる
でもそんなこと言いながら地震が起きたら鯰絵が大流行するんだよ
お化けや妖怪は信じないのに地下の巨大ナマズは信じるのか?それとも信じていなかったけれどお話として楽しんでいたのか?
当時の人々にとってのリアリティがどのようなものか、を調べていきたい
江戸という都会だと例えば河童なんかはリアリティがなかったのかもしれない(未調査)
しかし、原理不明である地震には説明が求められたので大鯰が語られリアリティがあった?
竜巻あたりも同じ話だ
明治時代の錦絵に竜巻を眺める人々の様子を描いた「怪雲現る」と題されたものがある
貴重資料展示室050 市井の天候資料 - 国立天文台暦計算室
その絵には
怪雲現る 明治廿三年六月十八日午後三時半頃東天に當て黒雲現れ其中央より遥に地下に向て尾を曳き螺形に捲上げ動揺きて見へしハこれぞ謂る龍の昇ならん道行人は皆一時ハ立とゞまりて眺めけり
という文も添えられている
この文から当時の人が龍の実在を信じていたかどうか読み取ることが出来るだろうか
「(龍はおそらく実在しないけれど)いわゆる龍の昇天と呼ばれている現象だ」という文意なのか
あるいは「あれこそ龍が昇天するときの現象だ」という文意なのか
「龍の伝承,とくに東海地方の竜巻と台風について」という論文によると、
との記述がある
ユニコーンの話でいうとシェイクスピアの『テンペスト』の作中に
なんでも信じたくなる, 一角獣が実在することも,. アラビアには不死鳥の王座と呼ばれる樹があって,. いまもそこに一羽の不死鳥が君臨しているという話も。
というフレーズがあるようだ
だいぶ古い!
やっぱりかなり古い時代から疑ってはいたようだ、実在も不在も決定的な証拠が無かっただけで
グリフィンなんかはこれより少し後の時代に実在を否定する人が出てきたようだ(しかし実在派から反論を受けている)
『図説 世界の神獣・幻想動物:ファンタジーの誕生』(原書房) - 著者:ボリア・サックス 翻訳:大間知 知子 - ボリア・サックスによる本文抜粋 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
グリフィンの実在を否定した作家のトーマス・ブラウンに反論して、スコットランド人聖職者アンドリュー・ロスは17世紀半ばにこのように書いている。
グリフィンは想像上の生き物だと他の著述家が言ったとしても、彼らがそう言ったというだけでは、証明するには不十分である。なぜなら世界にはそのような多数の「混成された疑わしい」動物が存在するからである。アコスタ[スペインのイエズス会士で博物学者]は、一部はロバに、もう一部は羊に似たインディアン・パコス[ラマ]という動物について述べている。レリウス[フランスの探検家]はブラジルのタピルス[バク]について述べている。これはロバと未経産雌牛に似た動物である。その他に、飛ぶ猫や飛ぶ魚、キュノケファロスと呼ばれる犬の頭部を持つ猿のように、混成動物に関する多数の記録がある。コウモリは一部は鳥で、一部は獣である。
そうなんだよな、やっぱり不在証明って難しいんだわ
なお『図説 世界の神獣・幻想動物:ファンタジーの誕生』は買って読んでいる最中だがなかなか難解で読み進めるのが大変だ
こんなところか、いったん今の考えをまとめた結果
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国立〜三鷹が似てるって言うけど、わりと個性があるんじゃないかな。生まれ育った身近な環境だからこそ見えないものがあるのかな。まあ確かに武蔵小金井/東小金井/武蔵境は駅名も駅付近の雰囲気も似てるかもしれん。駅名はともかく、雰囲気が似てしまうのはディベロッパーのビジョンの無さが悪いと思うわ。
国立は一橋大のある学園都市で、かつ多摩地区屈指の高級住宅街でもある。ただ、線路沿いを歩くとわからないかもしれない。線路から少し離れると豪邸がたくさんあって高級車が並んでる。
国立駅前には大正時代に建てられた貴重な木造駅舎が修復されて復元されている。市の予算でやったらしい。誰でも無料で入ることができて、人々が休んだり待ち合わせしたりしてる。原宿駅は復元しないのかな。渋谷区民はどう思ってるんだう。
国立駅から西国分寺駅方面に向かう線路沿いにも、沖本亭という昭和初期に建てられた屋敷が現存している。最近カフェとして営業しているので、建築に興味がある人はぜひ行くといいと思う。
久保田早紀さんの異邦人という歌は国立駅前の光景を歌っている。増田は全く世代ではないけど、今聴いても色褪せない不思議な歌だと思う。あそこでうたわれてるような憩いの光景がずっと残るといいなと思う。
国立駅の北側は南側みたいにデザインされた街ではないけど、鉄道総研があって、新幹線ひかりが開発された街として有名。それにちなんで街の名前を光町に変えたらしい。0系後継の試作として作られた951形が展示されてる。あとその近所にラーショがあるんだけど、ラーショの中では一番美味いと個人的には思う。
国立駅と西国分寺駅の間には、武蔵野線支線の出入り口がある。運がいいと貨物列車が地下に潜っていくところを見ることができる。鉄道輸送の意外な要所。貨物列車には一般人は乗れないが、国立駅からむさしの号というやつに乗ればこの地下には潜ることができる。ちなみに増田は甲種輸送?だか配給輸送?だかのスーパービュー踊り子が地下からグワッと出てくるところに偶然出くわして、めちゃくちゃ興奮した。撮り鉄はなんであそこ狙わないのかな。国立駅で駅員に叱られてるのを見るたびに不思議に思ってる。
西国分寺駅はちょっと面白い構造をしている。国分寺周辺はハケと呼ばれる丘陵地帯になってるんだけど、中央線はそこを東西に掘削して開通している。丘陵の上を南北に走る武蔵野線がここで中央線を跨いで直交する。西国分寺の駅舎は丘陵の上(武蔵野線の高さ)にあるため、中央線では珍しいホームが改札より低い位置にある駅ということになる。
西国分寺駅と国分寺駅の間は野川という川が流れていて、そこだけ丘陵を削るようにグッと低くなっている。水源は線路北側の日立の敷地内にあるらしい。川を下って調布の方まで行くとオイカワや夜はナマズなんかが釣れるとのこと。
西国分寺からすぐのところには、都内に2つしかない都立図書館の片方がある。ここではあらゆる雑誌が読める。地方ではとても望めない圧倒的な贅沢。それと、ちょっと南側の方に行くと多摩総合医療センターというクソデカ総合病院がある。こういうのがある地域ってのはほんとに恵まれてる。
それと、武蔵国分寺跡という史跡がある。付近は公園になってて、小春日和や秋晴れの日にこの辺りを歩くとなんとも言えない良い気分になる。歴史の趣というか諸行無常感みたいなものを感じるし、それに対して昔から変わらないであろう草木の臭いとか小川の音がいいんだろうな。色んな想像が広がるし、逆に頭の中空っぽにもなる。
国分寺駅周辺は古き良き中央線の猥雑な雰囲気が(なんとか)今でも残っている。村上春樹が若い頃にジャズ喫茶をやってたこともあってか、今でもジャズ喫茶だったり中古レコード屋だったりがちょっとだけある。こういう街の空気感はこれからも失われないでほしいけど、難しいだろうな。
国分寺市の際立った特徴として、大学進学率が90%を超えているらしい。全国平均は50%とかで頭打ちしてるはずだから、凄い外れ値だ。たしかに早稲田実業とかあるけど、なにがそんなに国分寺を勉強熱心な土地柄にしてるのか不思議。
武蔵小金井/東小金井/武蔵境は似てると書いたけど、そういえば武蔵小金井にはラーメン街道というのがある。その名の通りラーメン屋がたくさん軒を並べてるんだけど、正直おすすめの店は特にない。あと、ラーメン街道ではないけど、大勝軒の新しい一番新しい分派の武蔵小金井大勝軒というのができていたりする。
そんなラーメンが盛んな武蔵小金井に対して、東小金井と武蔵境は油そば屋が多い。油そばの発祥の店の珍々亭が武蔵境にあって、そこから広まったらしい。ただ、油そば発祥の店には別説があって、それは国立にある三幸という店なんだけど、国立に油そば屋専門店は全く無い。この違いはなんだろうな。この三幸の油そばはかなり美味いのでおすすめ。
つらつらと書いてきたけど疲れたな。三鷹以東とか、高尾〜立川とか、青梅線沿線とか、まだまだ色々あるけどもう終わりにするか。明日も仕事だしな。
最後にひとつだけ、東京農工大の馬術部が売ってる馬のLINEスタンプがおすすめだから馬好きな多摩地区民は買おう。中央線から見えるあの馬たちだ。
ラディスラウーッス
本日は世界友情の日、日本において猫の日、行政書士記念日、忍者の日、食器洗い乾燥機の日、竹島の日、ナマズの日となっております。
学校とかに動物がやってくるとお祭りのような空気感になることがあります。
まぁ物珍しさで集まってくるのでしょうね。
とはいえ、あんまり人に群がられるとプレッシャーを感じるのは動物も人間も同じですからね、
程良い距離感でいきましょう。
友情というのも、毎日暑苦しく背中バシバシやるようなのが友情という人もいるかもしれないし、あんまり合わないけど久しぶりに会ったら昔と同じように話し合えるのも友情なのかもしれません。
適切な距離感は人それぞれなので、お互いしんどくない距離感を大事にしていきましょうね。
ということで本日は【適切な距離感よいか】でいきたいと思います。
やあ、フェス楽しかったね!あんなに人数に偏りがあったのにヨビ祭を制したひまつぶし派は本当に強かったね。
さてスプラ3から始めた人は、スーパーサザエ?ギアパワー?とかって状態じゃないかな。
でも、YouTubeの動画を色々そんなに見てる暇ないよ……って人向けに簡単に解説しようと思う。
結論から書くと、 "ギアはオシャレ最優先" 、 "スーパーサザエは非売品のレア度上げに使う" のがオススメ。
そういえば、次のフェスはマクド、モス、バーガーキングじゃないかな。
そして、このギアにくっついているのがギアパワーというヤツだ。
ギアパワーは、”バトルがほんのちょっと変わる”フシギパワーだと思ってくれて良い。
最初に大前提になるのだけれども、ギアはオシャレやカッコイイを第一に選んで大丈夫。
スプラ3のバトルは、どのルールでも一番重要なのは立ち回り。つまり知識と努力。
そんなわけで、まずはギアの傾向を抑えておこう。
ブランドごとに特徴があるので、ブランドをぼんやり抑えておくと良い。
意識してなくても、自分が好きな服ってよく同じブランドから出てるなーとかあったんじゃないかな?
そういえば、次のフェスは、コーラ、ペプシ、ドクターペッパーかもしれない。
さて、ファッションブランドについて簡単に触れたので、次はギアパワーだ。
ココではスマホアプリのイカリング3の表記に合わせて説明する。
追加ギアパワー1個が、基本ギアパワー0.3個分の効果になる。
ギアに1個ついてる大きいのが基本ギアパワーで、ココにしかつかない効果もある。
追加ギアパワー4個も付けたら基本ギアパワーをちょっと超える。(0.3x4個=1.2個分)
ギアパワー、いろんな種類があるよね。
広場にたむろってるイカタコの中には、全部同じギアパワーにそろえた猛者も出てきている。
ギアには、レア度があって、追加ギアパワーを付けられる数が違う。追加ギアパワーが最大3個まで。
これがアタマ、フク、クツの3ヵ所で、合計が基本ギアパワー5.7個分(基本3.0 + 追加0.3 x 9ヵ所 = 5.7)。
でも、どのギアパワーでも1個よりは効果はあるけど、全部そろえても5倍にはならない。
基本ギアパワー1個がキホンのパワーで、ココが一番使い勝手が良くなってる。
これらは、基本ギアパワーのみで、部位も専用なので、かなり限られる。
この中で特にスプラ3からでギアパワーに慣れてない人に試してもらいたいのは、"イカニンジャ"。
もう素人目にもわかるくらいイカ移動速度が落ちる代わりに、ほんとにスイーっと移動が見えなくなる。(音はするよ)
ほえー、こんなにギアパワーって効果あるんだーってわかりやすいのでオススメ。
正直に言って、バンカラマッチでウデマエがA帯(A-, A, A+)に入るまでは、見た目重視でも全然問題ない。
そして、A帯になると、例えばイカニンジャとか付けててもフツウに見分けはつくし、相手も見つけてくる。
とはいっても、やっぱりタコイカにも得手不得手はあって、「あとちょっとコレがあればなあ」みたいなのを埋めてくれるのがギアパワー。
そして、ちょっとの使い勝手の差で勝率をあげられるな、と自分で気が付く状態までくれば、必要なものは自分でわかる。
逆に言えば、アドバイスが必要な時は、立ち回りを向上させる余地があるのでそっちの方が優先度が高い。
そう、オススメはキミしだいだ!
ニガテを埋めるも良し、トクイを伸ばすも良し。
なんで、XXは必須級、とか、XXはあんまり効果が無い、みたいに断言しないかって?
スプラトゥーンは、定期的にゲームバランスに調整が入るので、ある時期に強い組み合わせが、急に使い勝手が変わったりする。
だから、個人的にはスプラ3からできるようになったメインギアパワーの付け替えはあんまりオススメしない。
(そんなに熱心にギアパワーを付け替えできるくらいやりこんでるなら、アドバイスはそもそも不要だろうしね)
それよりは、お店に並ぶギアをちょっとづずでも買い集めてオシャレを楽しんでおくのが良いと思う。
スマホアプリのイカリング3でアネモさんからゲソタウン経由で買うこともできるけど、1.5倍~2.5倍ほどする。
広場にいるイカタコの装備品を、スパイキーに取り寄せてもらうこともできるけど、4倍くらい割高だ。
ゲソタウンは店売りとは違う基本ギアパワーがついてるし、スパイキーはサブスロットを埋めた状態で取り寄せてくれる。
まあ、暴利じゃないと思うな、取り寄せだって手間がかかるんだし。
そういう意味では、「これはカワイイ!いますぐ欲しい!」という時に取り寄せて、それ以外は店売りを使ってオシャレを工夫しよう。
追加ギアパワーのガチャは、面白いし、今まで埋まってた追加ギアパワーはギアのかけらとして手に入るけど、
ギアパワーのかけらは10個でやっと1ヵ所付けられるだけ。正直オススメしない。
(同じギアに同じ追加ギアパワーを付けようとすると20個、30個と必要なかけらが増える)
ちなみに、お店は持っているギアが店頭に並ぶとゲソ(お金)でレア度をあげてくれる。
(アネモさんの店で取り寄せた基本ギアパワーが違うギアでも名前が同じならレア度をあげてもらえる)
レア度は3以降は考えなくて良い。(真の意味でのレア度な所ある)
そして、非売品(今のところクマサン商会、アタリメイド、amiiboの3ブランド)は店に並ばない。
なので、スーパーサザエは、非売品のレア度上げに取っておくのがオススメだ。
非売品はどれもなーという場合は、自分の好きなオシャレギアのレア度をあげよう。
ここまで辛抱強く読んでくれたタコイカなら、ギアやギアパワーの優先度は自分次第ってことがわかると思う。
そのうえで、オススメは何かと聞かれたなら……
ナイスできるくらいには味方の行動を見えるようにしておいて、
うっかり倒されたらやられた!は押す癖をつけて、
例えばガチアサリならゴール前でカモンを押す流行にノッて行く、みたいな。
ロビーにある端末からアクセスできるメモリープレーヤーは"対戦相手の視点でも見られる"ので、すんごい強いなー上手いなーって人がいたら、その人の視点で試合を見ると学びが大きい。
黙ってこれを付けておくのが良いと思うな。
これで、なんかカムバック付けてるのモッタイナイナーって思ったら違うのにしてみる、くらいがちょうど良いと思う。
ギアはオシャレ最優先で行こう!
あれダメこれダメって言うより、良いところを見つけてナイスしていこう!
ロッケンベルグのクツが好き、とかブランドに愛着が生まれると、オシャレもより楽しくなるぞ!
試合はチームでやるので、最善を尽くしても勝てるとは限らないけど、そういう時は切り替えて勝ち筋を模索しよう。
負けるときはギアパワーが揃ってないからじゃなくて、戦況が見えていないからってことがほとんど。