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はてなキーワード: 町工場とは

2019-02-10

飛び抜けて特殊になりたい人は環境作りもした方がいい

頭の良さが飛び抜けていても、それを評価できない社会なんかいくらでもある

町工場偏差値70が働いても ちょっと器用で覚えがいいけど話は通じないし付き合いも悪いやつ、くらいの評価をされて 給与も職位も底辺のままってことはザラにあるよ

頭の良さに自信があるのなら、まずそれなりに偏差値の高い社会所属しないと その能力評価されない

能力を伸ばす機会にも恵まれない

その社会に属する人間評価するだけの能力を持たないか

落ち着いた底辺で人と関わってのんびり過ごしたいだけ、というならそれも人生なんだろうけど

2018-11-08

anond:20181108130524

私の記憶に色濃く残っているのは、富山レース生地製造工場長。どんなものづくりもそうだと思うけど、レース生地の「良さ」って、その生地の注文主のニーズによって定義が変わる。繊細な柄行みたいな品質のみが価値なわけではなくて、少量生産対応できたり、強度が保てる強い糸が使えたり、製造速度が早かったり、織り傷の発生頻度が少なかったり、何を大事に作るのかが毎回違う。

例えばその工場長は、サンプル反を安価に気軽に作りやすくするために、30メートルくらいある織機を半分に分断して(!)、試し織りをに出来るようにリビルドしていた。初めて聞いたときは繊維メーカー仕事範疇とは思えなくて、何度も聞き返したよ。お金のないデザイナー要望するような生地もこれなら挑戦しやすいし、そういうニーズに応えることで自分たち技術の幅も広がるからやったんだと言ってた。可憐レース生地の仕上がりと、つなぎを着て織機の歯車に油をかけるおじちゃんギャップ尊敬の念を抱いたよ。

ちなみに、高価で高性能なレース織機はフランス製造されてて、今はもう中国あたりの大資本がそれを買ってヨーロッパ顔負けの高品質生地を作れるんだって。糸と機械がよければ、人が工夫しなくても一定基準以上のプロダクトは場所を選ばず製造できる。それなら間接費が安い場所拠点を持ったほうが理に叶うよね。でも、小さな会社はそう簡単場所を移すことはできないし、今いる場所収入を得ていかないといけない。だから古びたシンプル機械に手を入れ続けて製造可能性を広げることに余念がない。そうしないと質✕コスト評価軸だけではすでに中国に負けてるからって言う。若く野心的なデザイナーの難題に応えたり、飛び込んできた短納期生産を叶えたり、それ以外の多様な「良さ」を備えるためは機械を加工することは必然なんだって溶接跡が残り、アルミテープで巻かれ、絶妙サイズの木っ端が噛まされた機械なんかを見るたびに、職人さんにとっての「手」とは機械や道具までのことだなって思う。このレース工場特殊なわけではなくて、全国の町工場でも類する工夫を見かけたよ。併せて、多様であることは資本ない人々がそれぞれの実りを目指せる方法なんだとも思った。働いている現場の人にとっては当たり前すぎてピンとこない発見かもしれないけど、出来上がったものを買ってただ使うことしか知らない私には衝撃だった。

おっちゃんたちは勉強熱心で、必要とあらば60を過ぎてもプログラミングを勉強してマシンに応用してたりするけれど、やはり使われている情報が高度になりすぎると力及ばなくなるのは想像できる。(そんな高度なマシン中小企業が装備できるかっていう別の問題もあるけど)だから、人にアレンジされ易い余白を残す製造機器や道具が残る方法はないかなって個人的には願っている。発明大企業ラボだけで独占されるべきではなくて、市井製造現場努力を重ねる人々の手にも生まれるほうが面白いと思う。創造はいだって喜びに溢れてるし働きがいになる。安価・高性能・高効率な完成された機械だけじゃなくて、人と一緒になって発明を生みだすような余白のある機械ガジェットがこの後も人類と共にあるといいよねって。

2018-11-07

「高スキルに高い給与を払えば人材確保できる!」

ベテランドライバー運転なんて誰でもできるし低賃金でしょ。」

キャリア20年の農家?1次産業がみんな低賃金は当然。」

熟練工?町工場なんてAI以下なんだから低賃金は当たり前。」

2018-11-06

そこでしか作れないようなニッチ部品製造してる町工場熟練工の給与ってどんなもんだろ

2018-09-29

安倍下ろしが広がらないのって結局今がそんなに悪くないからでしょ

一番大事自分生活ということを考えた場合今はわりと良い感じな人が多いでしょ

はてなの人は大企業しか恩恵受けてないって言うけど、うちみたいなしがない町工場でもここ10年で一番いいよ

ほんとに求人難だからそれをどんどん従業員還元していかないと辞められたら立ち行かなくなるって危機感もあるし

それが安倍ちゃんの功績かはさておき、一番大事なことがそこそこうまくいってるのに大きな変化を望む人なんていないよ

2018-09-19

anond:20180919001146

いやだから農村から都会に集団就職したその時(1960年代中期)はいいけど、その後(1970年代中期以降)に産業構造の変化で重厚長大第二次産業は衰えて、炭鉱や大規模製鉄所が倒産したり、町工場が閉鎖された事例がすごく多いんだよ

最初からホワイトカラーなら何とかなったろうけど、30歳前後ブルーカラー失業とか当時は大変やぞ

完全失業率が3%超えるような非完全雇用状態になったのはバブル崩壊以降であって、1970年代なんかはまだ完全雇用状態だったようだ。([完全失業率 時系列]とかでググれば分かる)。勤め先が潰れても、働く意思がある人間はおそらくなんらか仕事にはありつけていたということ。

なんか一個一個に反証入れてくのがだるくなったんで割愛するが、もうちょっと調べてから発言したほうが良いぞ。そんでは。

anond:20180918235742

>この世代高卒中卒は、今の世代高卒中卒と比べたら悲壮感まったく薄いでしょ。金の卵なんて言われて農村から都会に集団就職して重宝がられた時代もの

いやだから農村から都会に集団就職したその時(1960年代中期)はいいけど、その後(1970年代中期以降)に産業構造の変化で重厚長大第二次産業は衰えて、炭鉱や大規模製鉄所が倒産したり、町工場が閉鎖された事例がすごく多いんだよ

最初からホワイトカラーなら何とかなったろうけど、30歳前後ブルーカラー失業とか当時は大変やぞ

しか1970年代高卒中卒貧乏人だ、住まい風呂なしが当然、クーラーもない、カラーテレビもない、たぶん固定電話すら個人じゃ所有してないぞ、今の高卒中卒より幸福だったと断言できるかは難しい

それでも、現代比較すれば社会全体は上向きでみんな成長の継続を信じられたって言うだろうけど、それ全部後づけの話で、オイルショックの起きた1970年代中期からしばらく「日本はどうなるんだ?」て深刻ぶってた奴はすごく多い

そして、その後バブル期が来ても株や不動産土建全然関係ない仕事から特段良い思いもしなかった団塊中年大勢いる、うちの親とかw

2018-09-14

anond:20180914120612

町工場旋盤工のおっさんなんかは仕事中にいろいろイタズラしてるで?

2018-07-13

anond:20180713165024

君はそうやって難しい事言えば黙らせられると思ってるだろ

飲食店町工場で片手間に自社サイト作ってるならともかく、曲がりなりにもWeb系の会社でこんな事言ってくる人間バグ報告上げられる立場にいる時点でダメでしょ。Web業界なんて動きがめちゃくちゃ激しいのに、何も学ぼうとする気がないわけで。

今すぐじゃなくてもいいか転職考えたがいい。

2018-04-27

今は本当絵うまい人がどんどん増えて

絵を描くモチベーションが保てる人とダメなっちゃう人の差がすごそう。

さびれた町工場みたいにどんどん潰れちゃう人が多そう

2018-03-06

日本青年会議所を退会した(自己保存用)

変更前

 9年ほど前、地方都市の小さな町工場経営していた父が亡くなり、家族と古株社員に説得され、地元に戻って27歳で後を継いだ。元々継ぐ気はなく、大学以降ずっと都内で過ごしていたので、地元に馴染めず苦労した。仲が良かった友達ほとんど地元を離れていたし、社員や親戚とは話が合わず友達を作ろうとスポーツサークルに入ってみたら元ヤン達が幅を利かせていてすぐ辞めた。おれは孤独だった。

 そこに青年会議所の誘いが来た。何をやっている団体なのか全く知らなかったが、地元祭り花火大会を盛り上げたり、まちづくりボランティア活動ビジネスセミナーなどを通じて経営者として勉強して、地元中小企業経営者同士のネットワークを構築するのだという。活動内容にはピンと来なかったが「経営者には経営者同士しかからない悩みと孤独がある。それを共有できる仲間ができる」という言葉が突き刺さった。入会金1万円と、1年分12万円の年会費を振り込み入会した。

 1年目。子供達のサッカー大会運営に携わった。市民と一緒にゴミ拾いをした。花火大会ポスターやチラシを検討する部会に入り、自分意見採用されると誇らしい気分になった。居酒屋やバーに行く仲間ができ、バーベキューをしたり、地元でようやくリア充的な日々が送れて嬉しかった。

 2年目。市長国会議員100人以上のOBが集まる新春懇談会運営するスタッフになった。はじめての出向も経験した。それまでは市単位活動だったが、県内各地の青年会議所と一緒に委員会を作って活動するのだ。遠方まで出かけ、はじめて行く町で真面目に会議をし、そのあと楽しく飲んで仲良くなった。自分自身拡張されるようで、嬉しくなった。

 3年目。4年目。だんだん色んな役職を任された。後輩ができ、教える立場になった。隣県で開催されるフォーラム京都での会議横浜でのカンファレンスなどに参加した。たまに動員に協力させられる憲法領土問題などのセミナーや、いろんな署名活動のお願いなども、積極的とは言えなかったが協力した。

 5年目。国内で国際会議が開催されることとなり、その運営に携わる委員になった。全国あちこちで開催される会議に毎回参加した。横断幕バナーを持つためだけにヨーロッパにも行った。会社は何とか軌道に乗っていたし、自分勉強にもなると説得されて役目を承諾した。大変だったが、充実の日々だと自分に言い聞かせた。

 6年目。ブロック (都道府県レベル組織) の役員をやった。ブロック内の新入会員に、青年会議所ビジョンミッションバリューを叩き込む役割だった。トップであるブロック会長の教えは厳しく、ブロック内の理事長達が集まる会議に提出した議案は「背景・目的手法乖離している」と叩かれてボロクソに言われたが、意地を張って徹夜修正し、通した。理事長達に「成長したな」と言われて涙を流した。

 7年目。地方青年会議所を束ねる上位組織日本青年会議所スタッフになった。トップに立つ会頭言葉絶対で、役員と一緒のエレベーターに乗ることは許されず、奴隷のような扱いをされながらホテル缶詰になって上からの指示を徹夜でこなした。なにしろ国民的な憲法議論喚起するという大切な事業遂行するのだ。何度も壁にぶつかったが、委員長常任理事アドバイスもあって乗り越えた。素晴らしい先輩達に恵まれたと感じ、あの人達のようになりたいと思った。

 8年目を迎える直前の年末、母が倒れた。会社はいつのまにか赤字に転落していた。売り上げが落ち、接待交際費交通宿泊費が激増していた。来年理事長相談した。その人を支える女房役となる専務理事を引き受けていたからだ。役目を引き受けるのは無理だ、JCは休んで仕事に専念しないと会社が危ないと話した。次年度理事長は言った。逆境が人を強くする、それはその人に与えられた試練だ、人は乗り越えられない試練を与えられることはない、だから仕事JCも死に物狂いで頑張れ。そう言われた。

 こいつは何を言ってるんだ。

 バカなのか?

 おれが今までどれほどJCのために頑張ってきたと思っている。

 少しくらい休むことも許されないのか? こんな状況なのに?

 そしてすうっと冷静になり目が覚めた。

 おれは友達が欲しかった。それと、しぶしぶ継いだ会社だったが、なんとか頑張ろうと思って、その役に立つと思って勉強しようと思った。そんな中、せっかく誘われたことだし、青年会議所がどんなものか分からないけどやれるだけやってみようと思って、やってくる機会にチャレンジしていた。そしたらいつの間にか、おれは青年会議所が命じたままに憲法改正領土領海問題他人に説き、偉い偉い役員様が海外スピーチする時のガラガラの席を埋めるためだけに自腹でニューヨークオランダに行く人間になっていた。そして家族会社が不幸になっていた。

 それでおれは、退会届けを出した。引き止めは強烈だった。携帯が鳴り続け、会社に何度も色んな人が来た。時に優しく諭され、時に怒鳴られ、時に泣かれた。父の友達だったというOBまでやってきた。地元の集まりに顔を出しにくくなるぞと脅されもした。どんどん青年会議所が怖くなり、嫌いになり、おれは意思を貫き退会した。

 青年会議所には、入会前のおれのような人間が陥りやすい罠が待っている。孤独を埋めてくれる仲間と、彼らと一緒にわざわざ作られた苦労を乗り越える経験から得られる高揚感だ。ほどほどで満足できるうちはまだ良いが、のめり込むとだんだん、周りが見えなくなる。入会前に母が「JCはやめておきなさい」と言ったのを聞いておけば良かった。ごめん。病院のベッドに横たわる母に謝ると、彼女テレビから目を離さずにこう言った。

「それよりあのイチゴおいしそう。食べたいから買ってきて」

 買えたのは韓国産でなく国内産イチゴだったが、母はもりもり食べて元気になり、きのう退院した。

変更後

Facebookメッセンジャーで脅されたので、全文晒して真っ向勝負しようかと思いましたが、戦っても1円にもならないので削除します。コメくれた人、読んでくれた人、すいません。

偉大なる元増田

https://anond.hatelabo.jp/20180306002045(削除済)

魚拓

https://megalodon.jp/2018-0306-0620-50/https://anond.hatelabo.jp:443/20180306002045

archive.is

http://archive.is/uWKMu

日本青年会議所を退会した #日本青年会議所 #JC

 9年ほど前、地方都市の小さな町工場経営していた父が亡くなり、家族と古株社員に説得され、地元に戻って27歳で後を継いだ。元々継ぐ気はなく、大学以降ずっと都内で過ごしていたので、地元に馴染めず苦労した。仲が良かった友達ほとんど地元を離れていたし、社員や親戚とは話が合わず友達を作ろうとスポーツサークルに入ってみたら元ヤン達が幅を利かせていてすぐ辞めた。おれは孤独だった。

 そこに青年会議所の誘いが来た。何をやっている団体なのか全く知らなかったが、地元祭り花火大会を盛り上げたり、まちづくりボランティア活動ビジネスセミナーなどを通じて経営者として勉強して、地元中小企業経営者同士のネットワークを構築するのだという。活動内容にはピンと来なかったが「経営者には経営者同士しかからない悩みと孤独がある。それを共有できる仲間ができる」という言葉が突き刺さった。入会金1万円と、1年分12万円の年会費を振り込み入会した。

 1年目。子供達のサッカー大会運営に携わった。市民と一緒にゴミ拾いをした。花火大会ポスターやチラシを検討する部会に入り、自分意見採用されると誇らしい気分になった。居酒屋やバーに行く仲間ができ、バーベキューをしたり、地元でようやくリア充的な日々が送れて嬉しかった。

 2年目。市長国会議員100人以上のOBが集まる新春懇談会運営するスタッフになった。はじめての出向も経験した。それまでは市単位活動だったが、県内各地の青年会議所と一緒に委員会を作って活動するのだ。遠方まで出かけ、はじめて行く町で真面目に会議をし、そのあと楽しく飲んで仲良くなった。自分自身拡張されるようで、嬉しくなった。

 3年目。4年目。だんだん色んな役職を任された。後輩ができ、教える立場になった。隣県で開催されるフォーラム京都での会議横浜でのカンファレンスなどに参加した。たまに動員に協力させられる憲法領土問題などのセミナーや、いろんな署名活動のお願いなども、積極的とは言えなかったが協力した。

 5年目。国内で国際会議が開催されることとなり、その運営に携わる委員になった。全国あちこちで開催される会議に毎回参加した。横断幕バナーを持つためだけにヨーロッパにも行った。会社は何とか軌道に乗っていたし、自分勉強にもなると説得されて役目を承諾した。大変だったが、充実の日々だと自分に言い聞かせた。

 6年目。ブロック (都道府県レベル組織) の役員をやった。ブロック内の新入会員に、青年会議所ビジョンミッションバリューを叩き込む役割だった。トップであるブロック会長の教えは厳しく、ブロック内の理事長達が集まる会議に提出した議案は「背景・目的手法乖離している」と叩かれてボロクソに言われたが、意地を張って徹夜修正し、通した。理事長達に「成長したな」と言われて涙を流した。

 7年目。地方青年会議所を束ねる上位組織日本青年会議所スタッフになった。トップに立つ会頭言葉絶対で、役員と一緒のエレベーターに乗ることは許されず、奴隷のような扱いをされながらホテル缶詰になって上からの指示を徹夜でこなした。なにしろ国民的な憲法議論喚起するという大切な事業遂行するのだ。何度も壁にぶつかったが、委員長常任理事アドバイスもあって乗り越えた。素晴らしい先輩達に恵まれたと感じ、あの人達のようになりたいと思った。

 8年目を迎える直前の年末、母が倒れた。会社はいつのまにか赤字に転落していた。売り上げが落ち、接待交際費交通宿泊費が激増していた。来年理事長相談した。その人を支える女房役となる専務理事を引き受けていたからだ。役目を引き受けるのは無理だ、JCは休んで仕事に専念しないと会社が危ないと話した。次年度理事長は言った。逆境が人を強くする、それはその人に与えられた試練だ、人は乗り越えられない試練を与えられることはない、だから仕事JCも死に物狂いで頑張れ。そう言われた。

 こいつは何を言ってるんだ。

 バカなのか?

 おれが今までどれほどJCのために頑張ってきたと思っている。

 少しくらい休むことも許されないのか? こんな状況なのに?

 そしてすうっと冷静になり目が覚めた。

 おれは友達が欲しかった。それと、しぶしぶ継いだ会社だったが、なんとか頑張ろうと思って、その役に立つと思って勉強しようと思った。そんな中、せっかく誘われたことだし、青年会議所がどんなものか分からないけどやれるだけやってみようと思って、やってくる機会にチャレンジしていた。そしたらいつの間にか、おれは青年会議所が命じたままに憲法改正領土領海問題他人に説き、偉い偉い役員様が海外スピーチする時のガラガラの席を埋めるためだけに自腹でニューヨークオランダに行く人間になっていた。そして家族会社が不幸になっていた。

 それでおれは、退会届けを出した。引き止めは強烈だった。携帯が鳴り続け、会社に何度も色んな人が来た。時に優しく諭され、時に怒鳴られ、時に泣かれた。父の友達だったというOBまでやってきた。地元の集まりに顔を出しにくくなるぞと脅されもした。どんどん青年会議所が怖くなり、嫌いになり、おれは意思を貫き退会した。

 青年会議所には、入会前のおれのような人間が陥りやすい罠が待っている。孤独を埋めてくれる仲間と、彼らと一緒にわざわざ作られた苦労を乗り越える経験から得られる高揚感だ。ほどほどで満足できるうちはまだ良いが、のめり込むとだんだん、周りが見えなくなる。入会前に母が「JCはやめておきなさい」と言ったのを聞いておけば良かった。ごめん。病院のベッドに横たわる母に謝ると、彼女テレビから目を離さずにこう言った。

「それよりあのイチゴおいしそう。食べたいから買ってきて」

 買えたのは韓国産でなく国内産イチゴだったが、母はもりもり食べて元気になり、きのう退院した。

記事 https://anond.hatelabo.jp/20180306002045

2018-03-02

anond:20180302145607

間違ってるのはお前。

生産性の低い人間解雇されるわけではなく、人件費の占める割合が高い会社が潰れていきます

外食や小売などですね。古くて値段がつかないような機械しか持ってない町工場なんかも潰れます

機械によって労働力レバレッジをかけられる会社や単に高価な設備を持ってる会社労働力が集まります

2018-02-28

下町ボブスレー

往生際悪すぎだろ

何だろうね、日本人のこういう特性

真面目にやってて、

技術力が高い町工場も勿論あるけど

それに便乗する無能が出てくる

でも、声は大きい

2018-02-22

下町ボブスレー補助金は誰が受け取ったか

町工場おっちゃん達は無償でやってくれたんでしょ?政府から補助金が出たというのは真実なの?ならそれは誰が受け取ったの?

2018-02-13

下町ボブスレーNHKドキュメンタリーを見た

https://www.youtube.com/watch?v=YF1h1CQuhbQ

4年前の2014/2/25放送だそうだ。

正直この動画みただけではそんなに細貝に嫌悪感は抱かなかったが、設計してなんとか作ったものにいきなり五輪で乗ってもらえる的な妄想があったようにみえた。

改善要望のあったリアフレームも、図面どおり作ったら選手モモに当たってあざになるとか、そりゃお前いきなり採用は無理だろって

町工場のオッサンが「設計の段階でこれがいいものだと思って信じて作っているのにどうなんだ」的なことをいうのに下ボブは精神論しかいわない。このままじゃ終われない、くやしい、大田のものづくりの心を伝えたい

でもまぁそれ含めてもそんなに嫌悪感無いんだよなこの番組自体は。ここから4年たっての一連の騒動はもう擁護できないほど酷いって感想しか抱けないが

NHKには是非この4年間の下町ボブスレーの軌跡もドキュメンタリーとして放映してほしいもんだ

2018-02-12

下町ボブスレーよ恥を知れ

漫画

ボブスレー協会ボブスレーのソリを無償で作って!」

町工場おじさん「文化祭じゃねえんだぞ!馬鹿にするな!」

町工場にいさん「いや!金にならなくても必要なことだ!」

ドラマ

ボブスレー選手「ソリを作ってください」

町工場「しゃーない、作ってやるわ」

ボブスレー協会あなたたちを大会に参加させられません……」

現実

下町ボブスレープロジェクトボブスレー作ったで!使ってや!」

ボブスレー協会「開発協力もしたし問題点を挙げたりしましたが選考テスト外国製のソリのが優れてたので残念ながら今回は外国製のソリを使わせていただきます……」

下町ボブスレープロジェクト「はぁ!?オールジャパン体制で挑まんと盛り上がらないやろ!せや!ジャマイカチームに使わせて結果だしたら

メディア扇動して『何故ジャマイカが使って日本は使わないのか』という世論にしてボブスレー協会に使わせたろ!」

だいたい違約金取ってそれどうすんだよ

町工場はタダで働かせてるし

補助金がっぽりぶっこんでんだろ

ほんと最悪のビジネスだなこれ

下町ボブスレー騒動の勝者

それは、大田区町工場下請けで使っている大手完成品メーカーである。彼等には技術力がないことが世界的に認められたので、下請け代金の値下げ交渉がしやすくなったからだ。

具体的なメーカー名の記載は避けるが、大手自動車家電オーディオメーカーの数々だ。

大手メーカー政権から求められている賃上げを実現するためには、下請け代金の値下げが必要だ。下町ボブスレー騒動はこの課題解決に大いに寄与する。

2018-02-11

ラトビアボブスレー

ラトビア

エース選手が怪我で引退を余儀なくされ、失意から酒浸りの日々を送る。

そこへ小さな町工場社長が声をかけた。

「今度はお前が次の世代のために速いソリを作ってみないか

自暴自棄だった選手は一念発起し、昔の情熱を取り戻して第二の人生に打ち込んだ。

お金も人出もない中、経験と工夫、そして情熱をかけたソリはいしか世界最高峰品質を誇り、

今でも従業員わずか6名の小さな町工場世界中トップ選手たちから愛され続けている。

大田区町工場技術力はない

下町ボブスレー問題が騒ぎになってるが、昔その界隈で働いてたので実態を話そう。

基本的に、彼等は大手メーカー下請け工場に過ぎない。

大手メーカーから指定された機械と、材料と、手順と、部品の許容スペック(幅は何ミリからミリまで、バリの許容レベルなど)に従って、日々ものつくりしてるだけなんだ。

作業者しか過ぎず、IT業界プログラマーより裁量範囲がない。エンジニアなんて呼んだら笑われるレベル

もちろん技術力が皆無ではなく、やろうと思えば一から設計することは出来る。ただ一線からは離れてるので、日本サッカーで言ったらJ3レベル技術力だ。

そんな彼等が集まったところで世界に対抗できるわけではないのである

anond:20180211015614

特集ドラマ

下町ボブスレー

https://www6.nhk.or.jp/drama/pastprog/detail.html?i=bobsleigh

第1回「ボブスレーってナニ?」

東京大田区一角にある小さな町工場矢島製作所。矢島孝一(蟹江敬三)と息子の健太郎(青柳翔)のもとに、ある日、ボブスレー選手を名乗る柳田美樹(南沢奈央)が現れ、ソチオリンピックボブスレー競技用のソリを作って欲しいと申し出る。マイナー競技ゆえの苦労にひるむことなく、明るく前向きな美樹。彼女情熱に動かされた健太郎は、町工場職人仲間とボブスレー製作に乗り出す。


下町ボブスレーを作ってと頼んだのは日本人選手じゃないん?

下町ボブスレーにたいして思うこと

下町ボブスレーについて思うことがいろいろある。

人にたいして伝えられるかたちになるとは思わんが整理するためにも書いとく。

まず、自分趣味レベルであるが機材スポーツを楽しんでいる。

そのスポーツプロがどのような生活なのかもなんとなく知っている。

ボブスレーについてはまったく知らないが共通する部分はあるんじゃないかな。

あと、この話題なんだかなぁって思いながら見てて深く見る気になれないところがある。それゆえ間違った認識をしている部分もあると思う。

下町ボブスレーの言い分、なぜ訴えるか。

これは理解できるんですよ。

無償提供したとはい契約は交わしているはず。

なのでその契約反故にするならペナルティを与えるのは自然

ジャマイカ

レースに間に合わなかったのでエストニアのもの使用した。

それでタイムが向上しオリンピック予選も負けるわけに行かないのでそのまま使用

オリンピック直前になっても肝心のボブスレー検査に通らず使えない。

なので本番もエストニア製を使うことにした。

やむを得ないですよね。

機材がダメなんで辞退しますなんて言い訳たつかね?

というわけで両方の言い分は一応理解できます

しかし、しかし、これやっぱ下町ボブスレー側がアレなんだろうなぁ。

まず下町ボブスレーは数年前に立ち上げられてソチ日本代表に使わせようとしたんでしょ?

しか日本ボブスレー協会とは違うところで勝手にできたプロジェクトで出来上がったものはこの時も検査に通らない。

なのでその後日本選手とのパイプは完全に切れた。

で、狙ったのがジャマイカ

若い人はあんまり知らないかもしれんけど南米ジャマイカボブスレーチームって雪の無い国が冬季オリンピックに出場したと映画化されたりもしたのよ。

なんでジャマイカボブスレーってすごくネームバリューがある。

日本ダメならジャマイカにしたらいいじゃん

みたいなノリだったんじゃないかなと。

もっというと豊かな国でもないし機材スポーツって本当に金がかかるから多少性能が悪かろうが機材提供はありがたいのよ。

なんで断るわけないよなって足元見てオファーしたんじゃないかと。

本だしてドラマ化して、もしかしたら映画化もするつもりだったのかもしれない。

そこで金を回すためにボブスレーを使ったんだろうね。

おそらくジャマイカからも予選でエストニア製を使うことは連絡されててそれを黙認したんじゃないかと思う。

オリンピック本戦に出れなかったら意味がない。

予選で間に合わなくても本戦で使えたらストーリーとしては問題がないからな。

本戦になっても検査通らない、ジャマイカも使わないで焦って訴えることでなんとか損失を押さえようとしているんじゃないかなって思ってんだよね。

なんかねーボブスレーどうでもいいんだろうね。

なんでボブスレー

町工場で作れるもの話題になりそうなの

町工場のものオリンピックでるとかどう?

ボブスレーのソリなら作れんじゃねぇの?

みんな知ってる競技だしちょうどいいじゃん。

みたいな。

ほんとスポーツに対する愛情情熱が感じられない。

話題ありきで動いてる感じ。

もうクソですわ。



悪文だなぁ

読みにくいし取り留めないし想像悪口書いてるし。

まぁ便所の落書きっすよ。

2018-02-10

下町ボブスレーって、部品屋がシステムを作ろうとしたのかな? システムアーキテクト無しで

東京大田区の町工場が作った、いわゆるボススレーを、ジャマイカチームが遅いから使わないと言って揉めているよね。そもそも大田区町工場はどうしてボブスレーを作れると思ったんだろう?

部品は作れるけどシステムは作れないってのはよくある。部品屋はシステムを舐めているところがあって、この部品とあれとこれ組み合わせれば最終製品ができるとか、この部品はすごくいいからこれを使えばいいものが出来上がるって思っているんじゃない?

ボブスレーのソリの勘所ってどこなんだろう?

大田区町工場の人たちって、ソリがスベスベに磨かれていればいいとか思ったんじゃないかな?ウチの磨きの技術スパーって滑っていくみたいなイメージで。

システムを知らないと、ボトルネックや勘所、部品への要求スペックって分かんないんだよね。それなのに、部品屋がシステムを作る時、自分部品が良ければシステムの性能が上がると思いがち。その部品ボトルネックじゃなければ、その性能を上げてもシステムの性能は上がらないのにね。

下町ボブスレーチームに、アーキテクはいたんだろうか?

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