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2019-09-16

故郷を思い出したので自分語りしてみる。

ふと生まれ育った町の情景を夢で見て、多少思うところがあったので気持ちを書き留めようと思う。

静かな入り江からさな漁船が海の彼方へ消えゆくような、そんな夢だった。

最近よく見かける「田舎で非知識階層に囲まれて育ったけど、地元に馴染めずなんだかんだで都会に出てきて過去ホームタウンを思い返すたびに多少絶望する」という散文的な自分語りであることを先に断っておく。

ただの個人経験であり、エスノグラフィのようなものだと思って読んでもらえれば嬉しい。

この日記結論はこうだ。

かに東京人間想像することも出来ないような社会」が日本のどこかには必ずあって、学ばないことが規範と化して社会再生産されているということ。

自分東海地方の海沿いの寂れた漁師町に生まれた。

名古屋まで電車で1時間半以上、文化的施設といえば聞いたことのない演歌歌手がたまに来る小さな市民ホールと、小さな本屋が2軒あった。

2軒の本屋万引き被害額が大きすぎて自分が町を出た後に潰れた(跡地はセレモニーホールという名の葬式場になった)。

1時間に一本しか電車のこない駅から伸びるメーンストリートで今でも開いている店は、年金暮らし年寄り趣味でやっている畳屋と宝くじしか無かった。

街中でスーツ姿の人は見たことがほとんどなかったし、そもそも人が出歩いている記憶すらない。

家族母親と母方の祖母のみ。

高卒で一度も町からたことのない母親は、漁師相手にする場末スナックで働いて自分を育てた。

同じ町で漁師をしていた父親フィリピンパブ出会ったフィリピーナに入れ込んで、小学2年生くらいの頃に母親離婚した。

それより前には「キミの父親不倫をしているんだ」と小学校の同級生母親から聞かされた。

相手は近所に住んでいた太ったおばさんだったので、あんデブとなぜだろうとその時は疑問に思ったけどすぐに忘れた。

最後父親と会ったのは、父親が家を出て半年後くらいに小遣いをやるからと呼び出された紫煙で視界の悪い雀荘だったと記憶している。

その後は行方不明で、風の噂では今はマニラに住んでいるらしい。

こんな家庭環境は、東京自分が属するコミュニティでは聞かない。

なぜそんなことにわざわざ触れたかというと、自分の家庭は何も特別ではなく、周囲を見渡せば程度の差はあれどどこもそんなものだったから。

親が大卒同級生なんてクラスに1割も居たかという感じだったし、自分が通った地元中学校には200人くらい同級生が居たがそのうち大学に進んだのは20人くらい。

自分博士まで進んだが、マスターレベルですら聞いたことがない。

あとで詳しく触れるが、そもそも勉強をするとか考えること自体忌避するという一貫したスタイルがあらゆる局面通底していた。

さて、シングルマザーの家庭はクラスに3割は居たし、両親が揃っていても母親父親違いの兄弟姉妹が居るなんて話も珍しくない。

世代職業漁業水産加工町工場自動車修理で、小中学校教諭公務員の子息は格の違いを醸し出すスーパーエリートの家庭扱いだったし、家も小綺麗だった。

スーパーエリート以外は、トタンの壁が海風茶色く錆びて、汲み取り式のトイレから伸びる煙突の先がクルクル風で回っている文化住宅か、古民家カフェを思いきりボロボロにしたような都内なら廃屋だと思われるような家に住んでいた。

町工場に勤めている人たちで指が無くなったなんて話もよく聞いたし、どこそこの家が生活保護受給とかという話もよく聞いた。

クラスメートが学校を翌日休む理由が、その前に起こした暴力事件家裁に呼び出されているからとかもよくある話だった。

そんな彼らが余暇にすることといえば、スナックフィリピンパブギャンブルセックスくらいしか聞いた限り思いつかない。

かに、成人した兄がいる同級生の家に遊びに行った時には、真昼間から居間同級生の兄と派手な格好をした若い女性がセックスをしていたし、パチンコ屋には毎朝人が並んでいた。

ギャンブルパチンコ電話投票する競馬が主流だったが、甲子園の季節になると地元暴力団が元締めをする高校野球賭博流行っていた。

暴力団偽ブランド品も売りさばいていて、軽自動車スウェット姿だけど鞄は高級ブランド(偽物)という出で立ちの女性をよく見かけたものである

まぁこんな感じでつらつらと思いつくまま挙げてみたが、自分身の回りで溢れていたのは、キーワードでいえば貧困、性、暴力ギャンブルだった。

そもそも大人たちがそんなスタイルだったので、子供達も似たような社会フラクタル図形のように構成していた。

小学校の頃には駄菓子屋コンビニでの万引きが横行していて、後に刑務所に入るような子供たちはその時代からすでに盗んだタバコを吸って、やっぱり盗んだバイクに乗っていた。

暴走族(ゾク)に入って大人たちを殴ったり大怪我するほどのゾク同士の喧嘩をする中学生たちが小学生のヒーローで、ゲリ便が出る時のような音を撒き散らすバイクに皆憧れていた。

そんな時に暴力的な彼らは、異質な存在排除することが大好きで、異質とみなされた同級生は徹底的に排除された。

小学6年生のとき教室に入ったらメガネをかけている子が素っ裸で椅子に縛り付けられて頭にバケツを被らされていた。

メガネは弱いもの象徴で、勉強議論をするような人間排除対象だった。

文革かって感じ。

反対に、野球が上手いか、足が早いかケンカが強ければヒエラルキーの上部に君臨できる。

動物的に強弱を判別できることがそのままヒエラルキーの源となっていたし、意思合意感情とその時の雰囲気で決まっていた。

そして中学生になると、今度は成績が良い人が排除対象となる。

真夏に水を飲まずに走りこんで泣きながら試合に負ける部活に打ち込むことがすべてに勝り、もしくは非行に走ることがある種の中学生らしさであるというコンセンサスを伴って正当化されていた。

授業中には廊下自転車が走り、思い出した頃に校庭に暴走族野良犬があらわれる。

トイレにはタバコの吸い殻が落ちているし、たまに窓ガラスは割られていた。

教師はたまに殴られたり、殴り返したり、車を壊されたりしていた。

一方で登校している生徒にとっては、校則フーコーパノプティコンも真っ青な規律自動化させるもので、髪型男子坊主女子は肩まで。

他にも細かい校則がたくさんあって、破れば容赦無く教員から殴られる世界だったし、皆が一緒であることを望んでいたので、逸脱すれば容赦無く告げ口されていた。

校則を破らなくても、目立てば排除対象になりうるので、いつしか自分も誰かが見張っていると意識して、いかに溶け込むかを重視するようになっていた。

そして積極的に学んだり考えることが嘲笑対象であったので、そこでもやはりセックスしたことがあるかとか、バイク知識があるかとか、そういう分かりやす尺度ヒエラルキー構成されていた。

授業中に教師から指名されて小難しい答えを言ったり、発音記号通りに英単語発音しようものなら3日は真似をされてイジられるのは御多分に洩れず自分地元も同じだった。

テスト期間は早く帰れるので皆喜んで下校後に遊ぶレベル勉強に対する姿勢で、将来は男子工業高校女子商業高校に通ってそのあとのことは何も考えないのが一般的だった。

ここまでは自分ライブで触れた15歳くらいまでの環境の話で、せいぜい15年くらい前の話だ。

はっきり言えば、そのような環境はまっぴら御免だし、そんなところで自分の子供を育てたくはない。

ただ、地元の話は中々難しい問題はらんでいる。

ここからは冒頭に述べた「社会再生産」について触れたい。

さて、経緯は知らないが、自分幼稚園の頃にIQテストを受けた。

そのあとに、あなたの息子は知能指数が高いから相応の教育を受けさせてあげてくださいと園長先生から母親コメントをもらったらしい。

大学のことすらよく知らない専門学校卒の母親だったが、自分都内海外の全寮制の学校小学生のうちから預けようとした。

だが、当時の自分はこともあろうに泣き叫んで拒み、結局は地元に残ることを選んだ。

当時のことはよく覚えていて、理由友達と離れたくなかったから。

その時に知りうる限りの世界を取り上げられることに対する極端な不安が何よりも勝っていて、母親は息子の気持ちを優しくも汲み取って折れた。

ただ、結論からいえば、自分結果的に完全に故郷を捨てた。

小学校に上がった時、小1か小2くらいの頃から、本を読み始めた。その頃に三島由紀夫島崎藤村やら、古い作品から新しい作品まで縦横無尽に慣れ親しんだ。

早朝に登校して空いた時間や、ジャンケンで負けて押し付けられた図書委員時間図書室でひたすら本を読んだ。

そのうちに、自分生活する社会根本的に異なる社会、つまり学び、考えることが重要であるという社会存在することを知った。

哲学思想系の本はもちろんのこと、西洋美術画集建築写真集に心を揺さぶられたし、マーラーCDを初めて聞いた時の感動は死ぬまで忘れないと思う。

めちゃイケを好むふりをして、自分加藤周一の羊の歌に感銘を受けて、とりあえず東大に行こうと中学の頃には考えていた。

そして周囲に迎合しつつも高校に進んだ。いわゆる地方公立トップ校だった。

他にも理由はあったと思うが、中3の時には成績が良いという理由ものを隠されたり上履きにガムが入っていたこともあった。

通っていた高校地元から電車を乗り継いで1時間は掛かる。

入学から1ヶ月もしないうちに、明らかに新たな社会社会階層自分は組み込まれたと自覚した。

同級生の親の職業は、医者弁護士会計士大企業社員ばかりだった。

誕生日には名古屋デパートの上層階のレストランだったり、どこぞで伊勢海老を食べるだのとそんな話もたまに聞いた(成金的な家はあまり無かったけど)。

彼らの親は旧帝国大学出身はざらにいたし、兄が東大、今はオックスフォード留学中とかそんな話も当たり前にあった。

幼い頃からピアノバイオリン書道バレエスイミングなんかをやっているのがマジョリティだったし、週末に美術館やコンサートホールに足を運んだという話も決してレアな話ではなかった。

彼らと出会ってとかく感動したのは、好きだった本や芸術の話を初めてリアル人間とできたことだった。

そして何より彼らは、自身解釈や、見解を示してくれたし、自分のくだらない議論にも向き合ってくれた。

もちろん性やギャンブル暴力ワンピースの話もたまにはあったが、それ自体享受するだけでなく、思考対象としても話題を取り上げることががあった。

高校以来、自分は学び、思考する人しか存在しないかのように振る舞う社会に身を置き続けている。

今にして思えば、もっと早く外の世界に出た方が良かったのではと素直に思う。

ただ、当時の自分には、その選択肢はなかった。

なぜなら、受動的に与えられたその社会自分のすべてだったから。

母親母親であるように、生まれ育った社会は生まれ育った社会であって、代替がきかない。

自分たまたま自分が立っていた社会と違う社会を知りうるきっかけを子供の頃に得たから今があるのであって、その機を逃せば一生地元に居ただろう。

なぜなら、考えることや知ることを拒むことが規範となる社会では、外の世界があるということ自体を知りようがないのだから

自分は考えることも、こうして頭の整理をすることも好きだ。

パチンコ新台や、友達奥さん不倫をして旦那相手と殴り合いの喧嘩をしたとか、そういう動物的な話題を「それ自体」をただ消費する社会に少なくとも自分は興味がない。

もちろん、そういった社会自分経験したような)を否定する理由はどこにもない。

ただ、自分故郷を捨てたように、その社会に残るのは、その社会適応しきった人々である

有り体にいえば、将来の選択肢存在すら意識できないのが自分体験した社会であり、どのような選択肢があるのか獲得しようする営みそのもの封建的否定される強い構造を伴っている。

からこそ、自分田舎はいつまでも同じ姿を留めることに成功しているのだと思う。

もちろん、その社会自体が恐ろしいぬるま湯であり、外には異なる社会存在することを予期している人も稀にはいることだろう。

幼い息子を外の世界に出そうと考えた母がそうだったように、おそらくそれに気付いた時に自身好転させるにはあまりにも遅い場合が大半である自分は思う。

そして、自分は今更何があったとしても、地元の彼らと交流することはできないし、するつもりは一切ない。

それくらいに共通言語がもはや異なっている。

母はもう二度と戻ってくるな、お前の居場所はもうここにはないと電話口でことあるごとに言う。

一方で、開成筑駒から東大に進んだ都内組は何も捨てることなく、安定的自分が望んだ社会享受してその上に今も生活を営んでいる。

それは誰でもそうであるように、最後最後に拠り所となり得る自らの地域的なアイデンティティをきちんと持っているということである

自分依拠すべき地域地元)を自己実現と引き換えに失ったのであって、願わくば我が子には地元を与えるか、もしくは地元がなかったとしてもサバルタンとなり得ない思想的な土台を築いて欲しいものである

そして同時に、自らの強みは故郷がない事であり、海外に出ることも辺境の地に赴くことも、自分さえ許せば可能となり得る。

今朝の夢に現れた、小さな漁船はきっと自分自身だったのであろう。

2019-08-21

anond:20190821011942

若者燃えるような意志があっても

生産性金銭)に結びつかず

インスタや炎上に使うしかなくて不幸やなって話だからなー

数十年前みたいに町工場就職して黙々と働いたりする、

とかのほうがまだ使いみちが有ったはず・・・

2019-08-10

少年スポーツ選手故障を絶賛してるのは民衆の側じゃね?

苦しみながらも投げぬいたぞ感動!とテレビは囃し立てる

俺は今なんだよ!とジャンプは語り

コロコロコミックですらボロボロになりながら練習することを尊い子供洗脳する

スポーツの持つ最も素晴らしい側面が苦痛に耐えながら勝利を目指す自己犠牲精神であるかのように喧伝することを許してきた者は誰だろうか?

国民国民ニッポン国民

スポーツ選手の持つ最高の精神性は自分の将来よりも目先の勝利を優先することであるという物語を好んできたのは誰だろうか?

万民万民!我らが万民

そうだ!これは我々の罪だ!

我々がスポーツに対して冷酷ショーであることを求めた結果だ!

それを今更になって自分たち以外の誰かが悪いなどと言うのは卑怯者のすることだ

私は逃げない

ハッキリ言ってやろう

脳味噌筋肉スポーツ中毒者どもよ!貴様らがこの世界提供できるのは感動ポルノだけだ!

感動ポルノ提供できるのならば死ぬまで球蹴りやカケッコをして生きる道も許してやろう!

貴様らが我々に提供すべきはメダルポルノゴシップだ!それを否定するのならバイトでもしろ

水遊び障害物競走で金がもらえる生活を続けたければ諦めて感動ポルノの生け贄になる道を選べ!

それが嫌ならスポーツで食っていくなどという与太をほざかずに近所の町工場にでも頭を下げて雇ってもらえ

これは我々普通の国民の総意だ。

肝に銘じよ。

2019-07-25

京アニはずるい

もしも現場京アニじゃなくて田舎町工場だったら、こんなに寄付金あつまらなかった。

程度は違うが、放火されて被害にあってる人、会社日本中に沢山あるのに不公平だ。

つまるところ、うまいこと分配されてほしい。

こんなこと考えてるの自分だけなのか?

2019-07-18

私たちが騒然としているのは、「京アニから」ではないという話

第一報を見た時は、まさかこんな大火災になるだなんて思いもしなかった。

から、「京アニ火事」って聞いた時、

制作中の作品とか、

原画等の資料とか、

そういうもの心配をしたよ。

令和のこの時代しか京アニなんて新進気鋭の大手が、まさか防火設備が整ってないなんて思うわけない。

まして梅雨時で、朝方には、京都市とはいえ雨も降ってたし、ちょっとやそっとの火事なら大事にはならないでしょう、ぐらいしか思ってなかったたよ。

でも、紙にしろPCしろ作業のもの価値のある資料には、多かれ少なかれ被害はあるだろうなーぐらいの認識だったよ。

まさかガソリンぶちまかれて火付けられたとか、誰がそんなこと想像できるんだよ。

京アニなんていう有名で、話題のある会社だったから、「火事」っていう報道の段階から盛り上がってだけ

火災放火の全容が見えたら、たぶん現場がちっちゃい町工場だったとしても、これだけの話題にはなったと思う

緊急事態にかこつけて、「京アニ特別視して騒いでるオタクはどうかと思う」って1歩引いたような態度とってるの、クソ寒いしズレてるからやめた方がいいよ

2019-06-25

anond:20190625003226

10時過ぎくらいにそこらの町工場の休憩所覗いてみればいいじゃん

おっさん下ネタパチンコ若造スマホゲームの話で盛り上がってるぞ

2019-06-14

anond:20190614202806

町工場社長の月収が60万円なら減らせるじゃん

anond:20190614202437

大企業はな

そもそも時給にしなきゃ良いし

問題中小企業だよ

町工場社長が高額報酬貰ってると思うか?

2019-06-13

こんな書き込みつけました。怖いです

9年ほど前、地方都市の小さな町工場経営していた父が亡くなり、家族と古株社員に説得され、地元に戻って27歳で後を継いだ。元々継ぐ気はなく、大学以降ずっと都内で過ごしていたので、地元に馴染めず苦労した。仲が良かった友達ほとんど地元を離れていたし、社員や親戚とは話が合わず友達を作ろうとスポーツサークルに入ってみたら元ヤン達が幅を利かせていてすぐ辞めた。

おれは孤独だった。

 そこに青年会議所の誘いが来た。何をやっている団体なのか全く知らなかったが、地元祭り花火大会を盛り上げたり、まちづくりボランティア活動ビジネスセミナーなどを通じて経営者として勉強して、地元中小企業経営者同士のネットワークを構築するのだという。活動内容にはピンと来なかったが「経営者には経営者同士しかからない悩みと孤独がある。それを共有できる仲間ができる」という言葉が突き刺さった。入会金1万円と、1年分12万円の年会費を振り込み入会した。

 1年目。子供達のサッカー大会運営に携わった。市民と一緒にゴミ拾いをした。花火大会ポスターやチラシを検討する部会に入り、自分意見採用されると誇らしい気分になった。居酒屋バーに行く仲間ができ、バーベキューをしたり、地元でようやくリア充的な日々が送れて嬉しかった。

 2年目。市長国会議員100人以上のOBが集まる新春懇談会運営するスタッフになった。

自分自身が拡張されるようで、嬉しくなった。

 3年目。4年目。だんだん色んな役職を任された。後輩ができ、教える立場になった。

 5年目。国内で国際会議が開催されることとなり、その運営に携わる委員になった。大変だったが、充実の日々だと自分に言い聞かせた。

 6年目。ブロック役員をやった。ブロック内の新入会員に、青年会議所ビジョンミッションバリューを叩き込む役割だった。トップであるブロック会長の教えは厳しく、ブロック内の理事長達が集まる会議に提出した議案は「背景・目的手法乖離している」と叩かれてボロクソに言われたが、意地を張って徹夜修正し、通した。理事長達に「成長したな」と言われて涙を流した。

 7年目。地方青年会議所を束ねる上位組織日本青年会議所スタッフになった。トップに立つ会頭言葉絶対で、役員と一緒のエレベーターに乗ることは許されず、奴隷のような扱いをされながらホテル缶詰になって上からの指示を徹夜でこなした。

 8年目を迎える直前の年末、母が倒れた。会社はいつのまにか赤字に転落していた。売り上げが落ち、接待交際費交通宿泊費が激増していた。来年理事長相談した。その人を支える女房役となる専務理事を引き受けていたからだ。役目を引き受けるのは無理だ、JCは休んで仕事に専念しないと会社が危ないと話した。次年度理事長は言った。逆境が人を強くする、それはその人に与えられた試練だ、人は乗り越えられない試練を与えられることはない、だから仕事JCも死に物狂いで頑張れ。そう言われた。

 こいつは何を言ってるんだ。

 バカなのか?

 おれが今までどれほどJCのために頑張ってきたと思っている。

 少しくらい休むことも許されないのか? こんな状況なのに?

 そしてすうっと冷静になり目が覚めた。

 それでおれは、退会届けを出した。引き止めは強烈だった。携帯が鳴り続け、会社に何度も色んな人が来た。時に優しく諭され、時に怒鳴られ、時に泣かれた。父の友達だったというOBまでやってきた。地元の集まりに顔を出しにくくなるぞと脅されもした。どんどん青年会議所が怖くなり、嫌いになり、おれは意思を貫き退会した。

 

青年会議所には、入会前のおれのような人間が陥りやすい罠が待っている。孤独を埋めてくれる仲間と、彼らと一緒にわざわざ作られた苦労を乗り越える経験から得られる高揚感だ。ほどほどで満足できるうちはまだ良いが、のめり込むとだんだん、周りが見えなくなる。入会前に母が「JCはやめておきなさい」と言ったのを聞いておけば良かった。

統一教会よりマシか?

2019-05-20

生きづらい

最近、思った事をつらつら書いていく。

SNS暇つぶしに見て、タイムライン話題になってたりするのは暗い内容だったり過激な内容だったりする。

実際、良い話より悪い話の方が目立つし、注目されやすいと思う。

老人が子供や親子を車で轢いて悲しみを生むとか。

そんな話題ばかりだと世間は悲しいものだと思った。

でも、それは一部であって広く見渡すと良いこともきっとある

ゲーム受け売りだけど、「捉え方一つで世の中は天国になったり、地獄になったりする」

なるほど、大事なのは物事の捉え方で、どの様に向き合っていくかが重要だと学んだ。

私は工業高校卒業地元企業就職した。

住んでいる所は自動車関連の企業が多く、テレビ広告を流すほどの上場企業もあった。

それなりの中堅企業に入れば安泰みたいな感じ。

仕事の内容は金型を生産したりプレスしたりする、プレス工だった。

紆余曲折あって辞職して、職探しをしてる。ハローワーク求人の酷さに驚いたり。

求人見学先の町工場では、従業員の半分が外国人労働者であること。

高校生の頃には感じなかった社会への不安が一斉に来た。

自分立ち位置労働者の中でも下位の方だと思っている。派遣ハローワーク求人では安定した生活が出来なさそうだと感じた。

個人的社会の印象はこんな感じ。

以外と生きづらいものですね。

私よりも大変な人、頑張っている人はたくさんあるはずだ、と考えると少しは元気が出て前に進めそう。

からもっと世の中から辛さが消えないかなて思う。

2019-03-31

田舎貧乏人を初めて見た話』を読んだ貧乏田舎出身女子大生

こんばんは。

身に覚えのありすぎる世界の話だったのでなんか言いたいなと思いました。

私は同じ市内や隣の市の人ぐらいなら皆家族の誰かの知り合いの知り合いで、すぐに情報が得られるくらいの田舎で生まれ育ちました。

母はパートで、父は町工場で働いています。100円の回転寿司チェーン店ファミレスでの食事特別な日の外食だと思って育ってきました笑

食べログにのるようなお店は旅行中にしか行きません。

正直、都会から来た投稿者さんが田舎生活していた当時に身の回りにいたら『うざっ』て思ってしまうと思いました。

親の金で気飾ってることを鼻にかけてる都会から来た何か偉そうな気取った女に見えているからです。

周りと違うことをする人は田舎では悪ですからね。

きっと私も馬鹿にしてたと思います

後、お金がないかパス、とか今回は安いとこにしよーというのは、ごくごく普通にありふれた会話だったので、その発想がないこと自体に驚きました。

私たちにとっては、気持ちよく友人関係を続けるための言葉でもありました。気遣いみたいな意味もあったと思います

あ、そうそう。ブランド品を持っていたとして、田舎でどこに持っていくのでしょうか?

田舎ではブランド品を持っていくのにふさわしい場所も使うタイミングもないです。

から田舎ブランド品を身に付けている人や高級車に乗っている人は『意味の無いこと・無駄なこと』をしている人に見えるのです。だから目につきます

水泳大会スーツの人で泳ごうとしている人が居たら笑うでしょう?

それと一緒です。

田舎ではみんな一緒がデフォルトです。

何故かは分かりませんが。

田舎らしくない、TPOを弁えない服装言動は正当な理由がない限り、受け入れられません。

そして残念ながら、そんな田舎では、人の噂話が最高の娯楽です。

都会の人には信じられないかもしれませんが『村八分』という文化(と言っていいのか?)も未だに普通に存在しています

平等ですね。世の中は。

私は田舎出身ですが、田舎が心底嫌いです。

しかし、スローライフ自給自足だなんだと田舎に憧れをもって引っ越して来るような人たちがあとをたちません。馬鹿だなぁと思ってみています助け合いでの生活なんて幻想です。待っているのは相互監視と足の引っ張り合いです。おすそ分けにくる優しそうなおばあちゃんスピーカー搭載のスパイだと思ってください。

どうか騙される人がこれ以上でませんように。

話がごちゃごちゃになってしまった気がしますがこれで失礼します。

2019-02-26

知り合いがクビらしい (5)

https://anond.hatelabo.jp/20190220123505 の続報。

昨日彼と飯を食ったんだが、何か困った顔をして現れた。聞くと、やはりいい求人がないらしいんだが、その中でひとつ迷っている案件があると。聞いてみると、いわゆる町工場で、そこでしかできないような技術を持ったところがあるらしい。金銭待遇はそう悪くないし、そこの業績はかなり良いらしいんだが、彼はもう完全にオーバースペックなんだな。人材紹介サイトにその案件があったんでポチったら、向こうさんは速攻でメール送ってきて、もうすぐに採用するから面接いつにしようか?みたいな勢いらしい。

食う為だけならそこに行くのが一番安直だろう。俺も色々調べたんだが、よくしてもらえそうではある。でもアイツが作業服工場で力仕事込みの日々……というのは、俺にすら想像がつかない。いや、それ位オーバースペックなんだよな。俺も一晩考えてしまった。

2019-02-20

anond:20190220104528

相手がどう思うかまで考えているなら、相手がどうだろうが自分から声をかければいいなんてできない

残念ながら、いずれ入れ替わるパートナーには挨拶しなくていいと考える基地外/中二な老害レガシー大企業にはまだ生息していると聞きます

でも大抵の職場では昭和町工場建設現場かな?って言う挨拶運動が組み込まれているはずなので

挨拶しないのは(それだけでどうこうは出来ずとも)アウトです、みんなちゃんと見ています

相手挨拶しなくともあなた積極的挨拶しましょう

もしあなたプロパー社員なのに老害挨拶を返さないとか、

あるいはパートナー所属元の会社もこの現場のこともどうでもいいわとかなら

人事に言いつけましょう、いくらなんでも仕事すると信じたいです

2019-02-10

飛び抜けて特殊になりたい人は環境作りもした方がいい

頭の良さが飛び抜けていても、それを評価できない社会なんかいくらでもある

町工場偏差値70が働いても ちょっと器用で覚えがいいけど話は通じないし付き合いも悪いやつ、くらいの評価をされて 給与も職位も底辺のままってことはザラにあるよ

頭の良さに自信があるのなら、まずそれなりに偏差値の高い社会所属しないと その能力評価されない

能力を伸ばす機会にも恵まれない

その社会に属する人間評価するだけの能力を持たないか

落ち着いた底辺で人と関わってのんびり過ごしたいだけ、というならそれも人生なんだろうけど

2018-11-08

anond:20181108130524

私の記憶に色濃く残っているのは、富山レース生地製造工場長。どんなものづくりもそうだと思うけど、レース生地の「良さ」って、その生地の注文主のニーズによって定義が変わる。繊細な柄行みたいな品質のみが価値なわけではなくて、少量生産対応できたり、強度が保てる強い糸が使えたり、製造速度が早かったり、織り傷の発生頻度が少なかったり、何を大事に作るのかが毎回違う。

例えばその工場長は、サンプル反を安価に気軽に作りやすくするために、30メートルくらいある織機を半分に分断して(!)、試し織りをに出来るようにリビルドしていた。初めて聞いたときは繊維メーカー仕事範疇とは思えなくて、何度も聞き返したよ。お金のないデザイナー要望するような生地もこれなら挑戦しやすいし、そういうニーズに応えることで自分たち技術の幅も広がるからやったんだと言ってた。可憐レース生地の仕上がりと、つなぎを着て織機の歯車に油をかけるおじちゃんギャップ尊敬の念を抱いたよ。

ちなみに、高価で高性能なレース織機はフランス製造されてて、今はもう中国あたりの大資本がそれを買ってヨーロッパ顔負けの高品質生地を作れるんだって。糸と機械がよければ、人が工夫しなくても一定基準以上のプロダクトは場所を選ばず製造できる。それなら間接費が安い場所拠点を持ったほうが理に叶うよね。でも、小さな会社はそう簡単場所を移すことはできないし、今いる場所収入を得ていかないといけない。だから古びたシンプル機械に手を入れ続けて製造可能性を広げることに余念がない。そうしないと質✕コスト評価軸だけではすでに中国に負けてるからって言う。若く野心的なデザイナーの難題に応えたり、飛び込んできた短納期生産を叶えたり、それ以外の多様な「良さ」を備えるためは機械を加工することは必然なんだって溶接跡が残り、アルミテープで巻かれ、絶妙サイズの木っ端が噛まされた機械なんかを見るたびに、職人さんにとっての「手」とは機械や道具までのことだなって思う。このレース工場特殊なわけではなくて、全国の町工場でも類する工夫を見かけたよ。併せて、多様であることは資本ない人々がそれぞれの実りを目指せる方法なんだとも思った。働いている現場の人にとっては当たり前すぎてピンとこない発見かもしれないけど、出来上がったものを買ってただ使うことしか知らない私には衝撃だった。

おっちゃんたちは勉強熱心で、必要とあらば60を過ぎてもプログラミングを勉強してマシンに応用してたりするけれど、やはり使われている情報が高度になりすぎると力及ばなくなるのは想像できる。(そんな高度なマシン中小企業が装備できるかっていう別の問題もあるけど)だから、人にアレンジされ易い余白を残す製造機器や道具が残る方法はないかなって個人的には願っている。発明大企業ラボだけで独占されるべきではなくて、市井製造現場努力を重ねる人々の手にも生まれるほうが面白いと思う。創造はいだって喜びに溢れてるし働きがいになる。安価・高性能・高効率な完成された機械だけじゃなくて、人と一緒になって発明を生みだすような余白のある機械ガジェットがこの後も人類と共にあるといいよねって。

2018-11-07

「高スキルに高い給与を払えば人材確保できる!」

ベテランドライバー運転なんて誰でもできるし低賃金でしょ。」

キャリア20年の農家?1次産業がみんな低賃金は当然。」

熟練工?町工場なんてAI以下なんだから低賃金は当たり前。」

2018-11-06

そこでしか作れないようなニッチ部品製造してる町工場熟練工の給与ってどんなもんだろ

2018-09-29

安倍下ろしが広がらないのって結局今がそんなに悪くないからでしょ

一番大事自分生活ということを考えた場合今はわりと良い感じな人が多いでしょ

はてなの人は大企業しか恩恵受けてないって言うけど、うちみたいなしがない町工場でもここ10年で一番いいよ

ほんとに求人難だからそれをどんどん従業員還元していかないと辞められたら立ち行かなくなるって危機感もあるし

それが安倍ちゃんの功績かはさておき、一番大事なことがそこそこうまくいってるのに大きな変化を望む人なんていないよ

2018-09-19

anond:20180919001146

いやだから農村から都会に集団就職したその時(1960年代中期)はいいけど、その後(1970年代中期以降)に産業構造の変化で重厚長大第二次産業は衰えて、炭鉱や大規模製鉄所が倒産したり、町工場が閉鎖された事例がすごく多いんだよ

最初からホワイトカラーなら何とかなったろうけど、30歳前後ブルーカラー失業とか当時は大変やぞ

完全失業率が3%超えるような非完全雇用状態になったのはバブル崩壊以降であって、1970年代なんかはまだ完全雇用状態だったようだ。([完全失業率 時系列]とかでググれば分かる)。勤め先が潰れても、働く意思がある人間はおそらくなんらか仕事にはありつけていたということ。

なんか一個一個に反証入れてくのがだるくなったんで割愛するが、もうちょっと調べてから発言したほうが良いぞ。そんでは。

anond:20180918235742

>この世代高卒中卒は、今の世代高卒中卒と比べたら悲壮感まったく薄いでしょ。金の卵なんて言われて農村から都会に集団就職して重宝がられた時代もの

いやだから農村から都会に集団就職したその時(1960年代中期)はいいけど、その後(1970年代中期以降)に産業構造の変化で重厚長大第二次産業は衰えて、炭鉱や大規模製鉄所が倒産したり、町工場が閉鎖された事例がすごく多いんだよ

最初からホワイトカラーなら何とかなったろうけど、30歳前後ブルーカラー失業とか当時は大変やぞ

しか1970年代高卒中卒貧乏人だ、住まい風呂なしが当然、クーラーもない、カラーテレビもない、たぶん固定電話すら個人じゃ所有してないぞ、今の高卒中卒より幸福だったと断言できるかは難しい

それでも、現代比較すれば社会全体は上向きでみんな成長の継続を信じられたって言うだろうけど、それ全部後づけの話で、オイルショックの起きた1970年代中期からしばらく「日本はどうなるんだ?」て深刻ぶってた奴はすごく多い

そして、その後バブル期が来ても株や不動産土建全然関係ない仕事から特段良い思いもしなかった団塊中年大勢いる、うちの親とかw

2018-09-14

anond:20180914120612

町工場旋盤工のおっさんなんかは仕事中にいろいろイタズラしてるで?

2018-07-13

anond:20180713165024

君はそうやって難しい事言えば黙らせられると思ってるだろ

飲食店町工場で片手間に自社サイト作ってるならともかく、曲がりなりにもWeb系の会社でこんな事言ってくる人間バグ報告上げられる立場にいる時点でダメでしょ。Web業界なんて動きがめちゃくちゃ激しいのに、何も学ぼうとする気がないわけで。

今すぐじゃなくてもいいか転職考えたがいい。

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