はてなキーワード: てんこもりとは
https://anond.hatelabo.jp/20240703191053
ワイ、昨日書いた増田が250以上ブクマされ、ビビり散らかす。まあ逆張り&背伸びしたい勢は想像以上にいるってことなんだろうか。それにしても「百年の孤独」文庫版マジで見つからんな、4件本屋行ったが見つからん。だからまあアレだ、今度は“「百年の孤独」文庫版売ってないのでもういっそ「百年の孤独」は読まないで逆張りしたい人に薦めるラテンアメリカ文学”というテイでお薦めするわ。逆張りしてる/したいやつ、そもそも「百年の孤独」読まんよな。
アウグスト・ロア=バストス/吉田秀太郎「汝、人の子よ」(パラグアイ)
まず名前カッコよすぎだろ、アウグスト・ロア=バストスって。ラテンアメリカの小説家で一番カッコええよ。まあそれは措いといて、これはパラグアイの現代史とかそういうの描いてんだけど、語り方がめちゃ混乱してる。1人称で進んでたと思ったら3人称語りになったり、日記の文章出てきたり。時間軸もめっちゃ変わる。何かググったらロア=バストス、映画の脚本家でもあったらしいけど、脚本っぽさが違和感の理由かもしんない。こういうわけで読んでて何回もは?とかなるけど、その錯綜っぷりがパラグアイの現代史なのかもね、知らんけど。
そう、日系ブラジル人のナカザトさんが書いた日系移民についての小説。月並みなんだが日本の知られざる歴史ってやつを、ある移民の家族史を通じて教えてくれてめっちゃ面白いよ。これ読んでたら、戦前とかにブラジルだけじゃなくパラグアイとかペルーとか、あと他の地域の国とかに行って生きたり死んだりしてた日系移民めっちゃ多かったんだろうなとかしみじみしてしまったわ。水声社から出てる現代ブラジル文学コレクションで一番好きやね、これが。
ある時起きたら見知らぬ部屋にいて、ドアを開けたらまた別の部屋が広がっていて、その部屋のドアを開けたらまた別の部屋が広がっていて……こういう悪夢みたいな状況を描いた作品がこれなんだけども、こっからまた別の意味で変なことが起こっていって、変なことのバーゲンセールが開催されながらも文章は結構淡々としてて、この素っ頓狂さをどこまでも真顔で書いてる作者の顔面が自然と浮かんでくる。訳者によるとウルグアイは“奇人の国”らしい。これ読むと、まあ納得や。
ソル・ケー・モオ/吉田栄人「穢れなき太陽」(マヤ/メキシコ)
これはラテンアメリカの先住民の1つ、マヤ人の小説家が書いた小説集。マヤ語とスペイン語の2か国語で、先住民社会とか女性差別とかそういうのを描いてる。マヤ人の社会やら文化やらについて当事者が書いた本は少ないし、そういう意味でもかなりオススメ。ていうか俺は、ラテンアメリカ文学の入門としてこの人の作品も出てる「新しいマヤの文学」がマジでうってつけだと思ってる。フェミニズムやら、ファンタジーやら、魔術的リアリズムやら色々てんこもりで、薄めでしかも字もデカいから読みやすい。図書館とかじゃスペイン語文学の棚じゃなくて、海外文学の最後のその他の文学の枠に置いてある時多いから注意な。
ラテンアメリカ文学好きは“三大独裁者小説”って聞いたことあるかもな。カルペンティエールの「方法異説」とロア=バストスの「至高の我」とガルシア=マルケスの「族長の秋」ね。この本はそこに並んでもいいようなブラジルの小説だけど、またクソ分厚いわ、出した出版社がそこまで有名じゃないわで。日本じゃ全然知名度がない。てか翻訳過程がオモロイ。訳者、実は三菱UFJ銀行の元理事で、若い頃にこの本読んで感銘を受けて、50年越しに翻訳したらしい。すげえ執念だ。まあこれは俺の文章より、ラテンアメリカ協会の書評読んだ方がええ。https://latin-america.jp/archives/55186
ソル・フアナ・イネス・デ・ラ・クルス/中井博康「抒情詩集」(メキシコ)
前にスペイン語勉強してた時、メキシコの人に「スペイン語話者にモテたいなら、この詩人を読んでスペイン語での口説き方を学べ」って言われてこの人を教えられた。で、図書館行ってとりあえず見つけたこの日本語版の詩集読んでみたんだが……いや全然そういうのじゃなくね!?一体全体何を以てこれ読んで口説き方を学べと言ったんか、それともジョークで言ったんか、マジ分からんが、詩を諳んじられればメキシコひいてはスペイン語圏でモテるってことかね?日本じゃ現代短歌読めればモテる、みたいな。
マヌエル・プイグ/木村栄一「このページを読む者に永遠の呪いあれ」(アルゼンチン)
ブコメでマヌエル・プイグの話が出てたが、プイグったらこれやろ。「このページを読む者に永遠の呪いあれ」やろ、これくらい印象に残る本のタイトルないやろ。この本の表紙の写真と、何か一言だけつけてXで呟けば一発でバズるやろ。というか多分、もうバズってるやつはいるやろ。内容に関しては、忘れた。前の「ポーランドのボクサー」パターンのやつや。今回はタイトルだけ異常に際立って覚えてるやつ。だって「このページを読む者に永遠の呪いあれ」やん、忘れられんやろ、これは。
サルバドール・プラセンシア/藤井光「紙の民」(メキシコ/アメリカ)
これ、ラテンアメリカ文学として紹介されてるの見たことなくて不思議だわ。英語で書かれてるけども、著者がメキシコ出身で主人公たちもメキシコから移住してきた家族だし、土星戦争みたいに常軌を逸した出来事の数々が起こってる感じ、ラテンアメリカ文学求めてる人に面白がられそう。だがこれが曲者なのが、内容や文章も実験的なら、文字のレイアウトでまで実験しまくりなことで、本引っくり返したりしないと読めない部分すらある。だから本のフリをした現代美術を楽しむノリで読むというか、体験すべきというか。
エリザベス・アセヴェド/田中亜希子「詩人になりたいわたしX」(ドミニカ共和国/アメリカ)
これも英語作品だけども、作者がドミニカ共和国出身で主人公も同じ境遇の少女や。で題名通りに主人公が詩人になろうと色々と頑張るんやが、それが詩の形式でめちゃ改行しまくって書かれてるんだよ。これ読んだ時、マジでビックリしたわ。そんな風に小説書いちゃっていいの?みたいな。内容と合ってるのはもちろん、ドミニカ共和国の伝統音楽も出てきて、そういうリズムも感じられんだよな。もち読みやすいし、こん中じゃ一番気軽に薦められるやつ。みんな、児童文学も読めよ。それが周りの読書好きに対する逆張りや。
フェルナンド・デル・パソ/寺尾隆吉「帝国の動向」(メキシコ)
すまんが、1冊まだ読み切ってない本を薦めるわ。ラテンアメリカ文学のクソデカ本の頂点はロベルト・ボラーニョの「2666」だけど、それには全然劣りながらもページ数880でしかも字がめっちゃ小さい。メキシコ第二帝政時代の皇帝マクシミリアンとその妃シャルロッテのクソデカ悲劇を描いたクソデカ歴史小説で、マジで何度も読むの挫折してる。「百年の孤独」関連じゃ“読むの挫折した”って悲鳴をXで何度も見てきたが、俺にとってのそういう本だ。俺の代わりに読み切ってくれ、ホンマに。
あと友田とんの「『百年の孤独』を代わりに読む」もちろん知ってるで。でもいきなり早川で再販されて、何かサンダンス映画祭でやりそうな面白いインディー映画作ってた監督が、いきなりMarvel作品の監督に抜擢された感じで、嬉しいけど寂しい感じやな。その後にMarvel映画作んなくてもずっとハリウッドで大作作り続ける監督とかザラだし、今後はずっとそういう感じで新作も大手から出し続けんのかね?
わざわざ俺にTwitterアカウントを教えてくれた。
・コロナを機に目覚めた
などてんこもりだった。
昔父親がハムスターの動画を見たいと言うので俺が作ったyoutubeアカウントでニュース番組に1000件以上コメントしていた。
弟の配偶者に「日本が中国に占拠される日は近く、女性は全員去勢手術をさせられるから今のうちに子供を産め」とLINEし、弟からはほぼ絶縁されている。
陰謀論者は仲間意識が強いので、父親がツイートしたらリプがつく。「◯◯さん、お疲れ様です」と言ってくれる。自分の発言を素晴らしいと褒めてくれる。
誰かがスペースをしたら聞いたり参加したりできる。人の生の声を聞ける。
父親にとってここまであたたかい場所は陰謀論界隈以外に存在するんだろうか。
弟はやめさせろと言うが、俺はこのまま放置しようと思う。
Twitterやyoutubeのコメント欄で暴れているだけで実際に誰かに危害を加えることはないし、父親の世話を陰謀論者のお仲間たちがしてくれるのだからこれ以上の環境はないと思う。
やめろと言うのはあまりに酷な気もする。父親から陰謀論を奪ったら、残るものは元妻にも子供にも会うことができず友達もいない1人暮らしの現実の生活のみである。
今は流行りではないかもしれないが、文章の書き方を示すいわゆる文章読本というジャンルがあった。
図書館でそういったものを漁っても80年代とかのが主になってしまっているから廃れているのだろう。
それらをひもといてみると、「一文が長すぎる」とか「助詞の使い方が間違っている」「主語と述語の間でねじれが起こっている」みたいな文例がてんこもりに載せられている。
(もちろん誤字脱字みたいなのはちょくちょく見るが、知識不足によるミスは少ないと思う)
こういう本の文例は昔隆盛だったカルチャースクールとか文章教室みたいなところの中高年の生徒から採られる。
今ネットに書き込んでいるような人間との相違点は、文章をカルチャースクールで教わる気があるような世代ではない、当時中高年だった人間ではない、ということだろう。
昔は大学進学率が低かったことと関係するのだろうか。今ネットに書くような人間は大学で最低限の作文のリテラシーを身に着けてしまっている人が多いのかもしれない。
またカルチャースクールでは「最近感じた季節の変化について雑感を書け」「身近で見つけた人の優しさについて書け」みたいなお題に沿って文章が「生産」されるものだが、ネットではそんなものはない。
背伸びする意思もなく肩肘張るつもりもなくただ書きたいことを話すように書き捨てるだけだ。
そういう態度で書かれた文には、文芸的に書こうと意気込まれた文と違って文法や、読みやすさへの配慮に関する理解不足が顕在化しないのかもしれない。話すように書いてるだけだから。くっちゃべってるときに助詞を間違える日本人なんていないでしょう。
批判的なブコメが多いみたいだが、良く出来たリストであると思う。
いくつか思うところもあるけれど、これらの作品を網羅できていれば、いわゆるマニアとの会話に困ることはあるまい。
もしも『こち亀』で中川や麗子が邦画キチの取引先と盛り上がるために一夜漬けするという回があったとして、そのときに両さんが作ってくれるリストとして出てきてもおかしくないものだ。
取引先「なんと、きみは『感染列島』でも『64-ロクヨン-』でもなくそんな作品を……面白いヤツだ!」
麗子「なるほど……」
もちろんリストを記憶した麗子の会食が両さんのせいで上手くいかないのがオチになるわけだが、それは今回全然違う話なので、リストの話に戻る。
そもそも100本は多すぎること。100本選ぶ流れなので仕方ないけど。
サイレントやアニメ、ドキュメンタリーなどは不得意そうなジャンルが見受けられる。
なので、高校生に最適なリストだとは思わないけれど、いいリストであることは間違いないと思う。
おそらく箸にも棒にも掛からない作品はないだろう(全作鑑賞済ではないので補償はしかねるが)。
年代順で丁寧なリストなのだが、重要度とかでのつまみ食いはしずらく、そういう点ではキネ旬とかのオールタイムベストの使い勝手の良さが逆に光ってしまう。
https://anond.hatelabo.jp/20210131233828
お前めっちゃやりこんでるじゃねえかw
女の子にはステータスがあって、働かされ続けると「メンタル」のゲージが下がる。「妊娠」してしまったりもする。メンタルが下がったり妊娠した女の子は使い物にならないのでポイする。
妊娠させないアイテムとしてピルも存在するけど、女の子の価値と消耗品であるピルの価値を比べて、ピルを消費するのがもったいないなと思ったらピルなしで女の子を店に出して妊娠したらポイする。
公式HPの「ゲーム」タグの説明読んでもピルの説明すらないぞ。
とはいえ、2周目以降そんなプレイしてる奴いないと思うがな。7枠くらいはアイテム使ってステータス高い奴維持した方が楽だろ。
そもそも2周目以降はもうハルウリには飽きてるから作業プレイになってるけどな……。
いやーすごいね。近年インターネットでここまでの罵詈雑言飛んでるのウヨサヨ界くらいだと思ってたけど、Instagramなんてキラキラ空間で人種差別に死ね死ね呪うに逮捕されろのヘイトスピーチてんこもりが見れるとは思わなかったね
女性利用者が多いから自然とヘイトが煮詰まって(エコーチェンバーっていうんだっけ?)こうなるんだろうが、木村花氏がインスタグラムの誹謗中傷で自ら生を手放したことがなーーーーーんにも響いてないんすねこの人達。いやはやすごい。
それはさておき、昨今の三浦春馬に関する陰謀論の盛り上がり方は異常だと思う
まあね、突然のことだからね、悲しみに暮れたり一生懸命前を向いたり、受け止め方は色々あるさ。
ただね、それで誰かを傷つけちゃならんと思うし、情報も精査してほしい。
見てると「病院の関係者」「元警察OB」なんて陰謀論の定番モノから、「自称竹内結子の従兄弟」「自称霊と話せる女」「著名なイタコ」「占い師」と何でもかんでも「三浦春馬の死はおかしい」と言う人の言葉を鵜呑みにする
特にイタコだの占い師だの常識的に考えたらおかしいだろ!?なんで信じるの!?と思う。私も思う。でも奴らは信じる。
誰かが「きっとあのドラマの主役は春馬キュンなのに○○が盗ったのかもしれない!」と「願望」を呟けば、それがいつの間にか「あのドラマの主役は春馬キュンなのに○○が盗 っ た」と「確定事項」になる
そしてそれをどんどん広めて、該当の○○を叩く。
木村ひさし氏も、アミューズもそうだ。誰かの描いた「かもしれない」が、誰かの妄想の補強にはうってつけで、いつのまにか事実になっている。
ガスライティングてそれ極度の被害妄想のことですよ?精神病よ?お前ら春馬キュンメンヘラにするのか?
多分ずーーーっとこの調子なので、もはや彼女たちが望むとおりにアミューズや演出家が会見しようと彼女達は納得しないだろう。自分達の思い描いた「事件の真相」出ない限り、嘘を付くな!何かを隠している!とほざきまわるだろう。