はてなキーワード: 世田谷とは
・23歳
・東京在住
・年収650万
・慶應卒
・勤務
・身長170cm
・童貞
どれだけマッチし、どんな良い出会いがあるだろうかと期待に胸を膨らませながらアプリをインストールし、プロフィールを書いた。
しかし、蓋を開けてみるとまったくいいねはもらえず、なんとかマッチしても会話が続かない。針の穴を通すような難関を突破して実際に会ってみても次に繋げられることはなかった。
どうしてだろう。
悪くないスペックだと思う。
サピックスでは常にα2かα3だったし、第一志望の進学校にも受かった。
慶應に進んでからは、意識の高い学生団体に顔を出したりする一方で適度に授業をサボったりもして、手際よく立ち回ることもできた。
コロナで暇になってからは就活もちゃんとやって戦コン内定して、そこでなんとか一年生き残れている。
年収はサラリーマンとしては投資銀行や外資IT以外の人間にはおそらく負けないし、伸びしろもかなりある。
どうすればよいのだろう。
悪くない人生だと思う。
大手デベロッパーの父親と短大卒の母。現代日本社会における幸福の模範解答のような世田谷の一軒家で誕生した私は、正しく愛されて、正しく成長した。
心理的安全性と経済的安定性が完全に担保された家庭の庇護のもと、それなりに努力もした。
つまるところ私は、適切に投下される経済/非経済資本と良質な遺伝子を器用さに活かして、受験や就活などあらゆる競争で常にそれなりの結果を出してきたのである。
就職を機に借りた南麻布の小綺麗な1Kのベッドに腰掛けて、返ってこない"いいね"を送り続けながら考える。
自分に備わったピカピカの経歴と、恋人という平凡な幸福の欠落について。
なんとかマッチした人の一人から「おやすみの日ってなにしてるんですか?」と聞かれたことがある。
私は休みの日に一体何をしているのだろう。これまで何をしてきたのだろう。何をやりたかったんだろう。
その時はじめて、私には"何もない"ないこと気づく。
私は、誰かが敷いたレールをできるだけ滑らかに素早く走り抜けてきただけなのである。
マッチングアプリを始めたのだって、社会が前提とする若者の"正しい"最小単位がカップルであるから彼女が欲しかったためで、要するに私の正しさの証明書として彼女が必要だっただけであったのかもしれない。
他人を恋人たらしめるほどの正しい魅力を証明し、日常での呼吸を楽にすること。それができない人を見下すこと。
港区とか世田谷とか人気エリアじゃなくて東京駅渋谷駅新宿駅みたいなど真ん中にクソ古いマンションを買って住んでいる。
今は子供が3歳と1歳なんだけど子育て世代がそれほど多くないので、
新しいマンションはどう考えても価格的に無理なので、ほぼ土地値で価値が下がる余地がないギリギリ新耐震のマンション100平米を探そう。
初台にあるpelmeni kitchen。初台は来る機会あるって思ってるだろうけど「いい意味で」わざわざ関西から予約してくる店じゃないのよね。ちょっとクセ強めなので入るのに勇気いるかもしれんけど。そういう意味でもわざわざ関西から行かない店。
競馬に興味あればJRA競馬博物館。府中ってわざわざ行かないよね。府中市郷土の森博物館が梅シーズンになるからセットで行くといいかも。大國魂神社にもお参りしてくるといいよ。
JAXA関係で、調布航空宇宙センター、相模原キャンパス、筑波宇宙センター。調布なら調布飛行場、プロペラカフェ、武蔵野の森公園にある掩体壕をセットで回ると面白いかも。
警察博物館、消防博物館、りっくんランドもなかなか面白かったよ。
最近行ったなかでは、農大の「食と農」の博物館がよかったよ。世田谷あたりで突如キツネザル(レムール)とバオバブが現れてびっくりしたよ。スナネズミもかわいかった。館外の小屋には鶏もいるし。朝うるさくないのかなあ?
まあ増田なら行ったことありそうだし、どこも今のうちに行っておけ!って類の施設じゃないけどね。
どこも転勤で関東にもどってきたとき、暇にまかせて子供と行ったところ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/9599edbf619675c7778472038762833cf87b262a
障害者グループホーム、横浜・金沢区で開設断念 住民反対「こんな施設ができるなら、お金があれば引っ越したい」
こども食堂、フリースクールなど、社会的に排除されやすい人の受け皿がなかなか見つからないので、
特にグループホームとなると、今回のように感情的な住民の反発が出やすいので、受け皿が見つかりにくいだろう。
そこで、多様性を重視する論を展開するリベラル知識人にかけあうのはどうだろうか。
杉並、世田谷、武蔵野、国立あたりの知識人の自宅を改装して、そこを居住・作業所共通スペースにできないだろうか。
中学受験や医学部受験に取り組む知識人の子弟も、1階のスペースで一緒に勉強すると刺激を受けることができる。
社会福祉の光景を身近で目にした経験は、将来医学部に進学したあとにきっと役に立つ。
どこぞの政治家じゃないけど、HDDにドリルで穴を開けて捨てた。Macのディスクユーティリティで8回フォーマットしたけど、念には念を入れて電動ドリルで穴まで開けた。
パソコン本体ではなく外付けドライブ。USB2.0で500MBという時代遅れでバックアップにもテレビの録画にも使えないやつが3台。一昨日大掃除をしてたら、押入れの箱から古いPC周辺機器の山と一緒に出てきた。
WANが100BASE-TのWiFIルーター、複数のボタンが潰れたキーボード、電源ボタンが潰れたテレビのリモコン、HDMI1.4にしか対応していないドックステーション、何年も前に文鎮化したKindle FireとNexus 4、500GBのHDDレコーダー。メルカリに出しても売れないガラクタ類。
近所の公民館の小型家電回収ボックスに持ってこうと思ったけど、年末でもう開いてないのでリネットジャパンに申込んで送ることにした。PC本体がないので有償だけど、ほとんど送料負担ぐらいで引き取ってもらえるのはありがたい。
荷造りが終わってくたびれたので夕飯を食べながらぼーっとテレビを見てたら、何でも直すので有名な家電修理職人の今井さんと所さんが世田谷ベースで話しててなんとも言えない気持ちになった。
毎年3月11日や9月11日を不謹慎だという連中や、「何らかの記念日だし普通の日とすべきだ」と書かれたアンサイクロペディア、全てにぶちぎれた増田が1年全ての日付(8月32日や11月31日なども含める)を不謹慎の日と扱うリスト
それがオールアンラーッキーデイズ(All anrakki days)だ
このリストに著作権なんかねぇから、日めくりカレンダーも薄い本もなんだってしてもらってもいいぜ
以下の順番でその日に起きた出来事をチェック
基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件や事象の場合や、不謹慎がない場合は海外も対象に入る
実家のスナックの仕事を手伝わされてる美人ヤンキーが顔面にあざを作って登校してきた日に
父子家庭の誰某は中学卒業後は建設現場で働くらしいって話を聞いて
意味不明な臭いの酷い駅前の商店街をワンカップ大関片手に屯するおっさん達の脇を足早に通り過ぎた
みたいな青春ではないんだ
スタンド・バイ・ミーやイージーライダーが青春映画だと言われて今は納得出来る。中学高校の頃にそう言われてもピンとはこなかったと思う。へえ。青春とは死体を探して線路の上を歩くことなんですか。しょーもな。って。
例えば土曜の部活をサボって多摩川をチャリで下った思い出がある。
車のディーラーやファミレスがセーブポイントのように点在するばかりの幹線道路。歩いていてここは自分の居場所じゃないと思ってしまうような他所の住宅街。近くをウロウロしていても楽しくはない。Googleマップで面白そうな場所を探しても、近しい範囲に目ぼしいスポットはない。晩飯の時間もあるしそう遠くは行けない。
フラフラとチャリを漕いでいたらデカい川に辿り着く。見飽きた退屈な通りに比べたらなんだか妙に魅力的に見える。今日は半ドンで時間もあるし海でも目指してやろうって思う。
最初は楽しいけれど、すぐに川の流れも見飽きてくる。陸側の景色も「無」のような国道を挟みつつ、マンションか物流の倉庫か謎の事務所かの繰り返し。全部やたらと横にデカい。大きめの駅があるらしい、高い建物の密集する地帯が時々近付いては遠ざかっていく。
途中休んで水切りでもしてやろうかと思うけど、良さげなスポットは釣り人や浮浪者や遊び回るガキがいて近寄り難い。陰気な高校生が一人で水遊びするのもなんだか気恥ずかしい。
段々海を見ようと息巻いた気持ちも静まってくる。楽しさもなくなってただチャリを漕いでいると、段々漠然とした焦燥感のようなものが湧き上がってくる。「こんな事してる場合か?」って気持ちになる。先駆的覚悟だとか自己実現だとか、そんなような根源的な焦りや不安。大人になったら人から借りたそういう陳腐な言葉で片付けてしまうようなもの。常日頃感じつつ蓋をして押さえつけていたものが暴れだす。
焦燥感に駆られてペダルを漕ぐまま、結局晩飯の時間を考えて世田谷辺りで折り返した。海というゴールを迎えてればまた少し違う思い出になってたかもしれない。
後日友達にチャリで多摩川を20km下ったんだよと言って、バカでえと笑われた。その時はその程度の出来事だった。
後になってスタンド・バイ・ミーという映画を観て、それが青春作品に分類される事を知った。死体も拳銃も劇的な出来事も無かったけれど、華やかなものではなかったけれど、あれは紛れもない青春だったのではないかと思った。
川沿いを走るでもなく死体を探すんでなくても、別な形で同じ様な青春を過ごした人は沢山いるのかもしれない。抽象的な焦りではなく、進路考えないとだとかもっと具体的だったり切迫した悩みだったかもしれない。あの時の思い出はおれだけの宝物だと思っているけれど、誰でも似たようなことを経験するからこそ青春という言葉があって、スタンド・バイ・ミーも青春作品として支持されているのかもしれない。
先週大学をサボって多摩川をほっつき歩いてみた。あの頃感じた焦燥感が薄かった。
今は門限もなければ外食代くらい訳ないし、電車に乗れば海へ行くのも造作ない。自己実現が僅かにでも進んでいるから焦りが減ったのかもしれない。諦めたか、妥協を受け入れてしまったか、忘れ去ってどうでもよくなってしまったのかもしれない。
ナイーブな悩みにあまりしがみつきすぎない方が良いと思える程度のバランス感覚は手にしたような気がするし、それをすっかり捨てたら人間として終わってしまうような気もしている。
茜色の夕日を見て、短い夏が終わったのに子供の頃の寂しさがないことを少し思い出した志村正彦も似たような気持ちだったんだろうか。
青春と銘打って鮮やかに彩色してしまいがちだけれど、当時抱いた決して明くはないあの気持ちは忘れずにとっておきたい。それを忘れてしまったら、あの頃忌み嫌っていた、お前は子供エアプなのかよと思うような大人になってしまいそうな気がする。
明るい結末に終わらないアメリカンニューシネマも後味が悪い所はあるけど、その居心地の悪さは当時体験した青春への誠実さだと思うのでおれは好き。