「経済的」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 経済的とは

2024-01-31

anond:20240131092257

前提知識皆無だから手探りでいろいろ聞いてるんやで

じゃあ一点集中がだめ、過疎地域があるのもだめなら、どういう人口分布経済的ないし地政学的に理想なんや

2024-01-30

anond:20240130210901

三重県って意外と経済的に豊かなんだよな

給与自体は高いわけじゃないが、所得から基礎支出を引いた自由に使える金額ランキングだと全国でもかなり上位、東京より実質豊か

東京給与高いが支出も多いので実は平均的にはみんなカツカツだったりする

2024-01-29

anond:20240129144850

おでんなんか自分で作るよりコンビニにも出来合いのをだしごとパックしたやつが売ってるからそれ鍋で温めたほうがよっぽど経済的だし効率的

スーパーでも売ってるよ

自業自得では無い学歴コンプレックスが苦しい

はてブでも度々見かけるインフルエンサーの人の学歴煽り

https://twitter.com/Hidetoshi_H_/status/1751610092128997864

こういう学歴煽り差別を見かけると本当に悲しくなる。

自分はハッキリ言ってこの近畿大学と大差無い、いや寧ろ低い偏差値大学出身だ。

世間的には完全に低学歴だ。


今でこそ年齢の平均以上の年収は得ているし、それで家族も養っている。

仕事もやり甲斐があり、世間的には恥じる事の無い人生を送っている…と思う。

しか学歴だけを見ると「◯◯大の分際で!」と愚弄される様な立場なのだ

恐らく増田高学歴が多いだろうから、実際に言うかはさておき本音の部分では先のインフルエンサー意見同意する人間の方が多いだろう。

堂々と実名を掲げて馬鹿にする人間もいるご時世だ。

低学歴且つ地方出身は、それだけで「見下し馬鹿にして存在のもの否定しても良い存在」に成り下がる。


今の会社の部下達は当然自分よりも高学歴で、新卒なら尚更。

スカウトされる様な形で入社したし、成果も出しており会社での立場にも恥じる様な事は無い…と思っている。

でも、出身大学の話なんかをされる度に、いつ「◯◯さんはどこの大学を出ているのですか?」なんて聞かれるのが怖くて堪らない。

聞かれるだけならまだ良い。聞かれた上で、心の中で「ああ、こいつは所詮低学歴なんだな」と見下されるのが怖い。怖いというよりも悔しいのかもしれない。


自分学力怠惰の結果が低学歴なのは仕方無いだろう。

でも自分場合はそうじゃなかった。

申し訳無いけど勉強は出来た方だと思う。偏差値だけで言えば早慶辺りも難なく入れただろう。

けれど家庭の状況がそれを許さなかった。


家は裕福な方では無かったけど、父は真面目な働き者で、母は優しい人だった。

しか高校の時に父が突然の重病になり、休職からの失職。

職場復帰どころか自宅での静養を余儀なくされる事になった。

母は元からまり心が強くないタイプではあったが、それでも父の医療費介護費用を稼ぐ為に必死で働き、それでも生活ギリギリで、遂には心を病んでしまった。


大学入学するのは両親の希望だったが、経済的には俺が高卒就職した方が余程良かった事だろう。

しか経済的理由男女差別的な理由で共に大学進学を断念した経験のある両親にとって、自分達(俺と弟)の進学は悲願だったに違いない。

自分達の事は何とかするからお金の事は気にしなくて良いから、進学してくれと言われた。

しか生活の窮状とそれに伴う両親のメンタル悪化を見るに、そんなのは到底無理な話だった。


両親の実家(祖父母)らも亡くなっているか今で言う毒親な為縁遠く、頼れない。

経済的にも孤立した状況で父の介護をしながらパートを二つ掛け持ちしながら更に単発でのバイトも入れていた母の負担を少しでも楽にさせたかったのもあるし、

恐らく母は遠くない内に限界が来て働けなくなるだろうという予想があった。

(この予想は悲しい事に的中し、母は自分大学三年の時に自立神経失調症から来る鬱病により完全に外では働けなくなってしまった)


結局、地方にある自宅から通えて、返済不要奨学金が使えて、尚且つバイトもフルで入れる進学先となると

俗に言う地方F欄大学世間的には「低学歴」とされる大学しか残っていなかった。



結果的低学歴とは言え進学した事自体には後悔は無い。

最初就職した地方中小企業ですら「大卒以上」が必須だったからだ。

母の不調を見続けた父も「自分のせいで申し訳無い、迷惑をかけ続けたく無いか死にたい」と希死念慮を口にする様になり

色々な意味で目を離せなかったから、結局両親が亡くなるまで子供部屋おじさんで居続けた選択肢も仕方ないと思っている。

自分が25歳の時に父が、後を追うかの様に28歳の時に母が亡くなるまで、ロクにデートも出来ない自分に長年付き合ってくれた

両親の事が落ち着くまで待たせてしまった妻(当時は恋人)には大変申し訳無かったけど、それでも彼女を両親にも紹介出来たのは数少ない救いだったと思いたい。


自分人生に今更不満を言う気も無かったのだけれども、世間では今も昔も「低学歴」は被差別対象なんだな、と感じる時がある。

先のインフルエンサー学歴煽りを見かけた様な時は、特に


その方は以前にも学歴煽りをしており、法政レベルでもF欄扱いしている。

(めいろまさんをフォローしていたので知っていた)

https://twitter.com/Hidetoshi_H_/status/1632700941651820546


恐らく増田高学歴が多いだろうからめいろまさんの様な立派な経歴を持つ方ですら「学歴」という一点で見下し愚弄する人の方が多いだろう。

実際は口にしないだけで内心見下しているだろうし、自分からすれば遥かに高い法政ですら「低学歴」となるのだから

自分の様な地方の聞いた事も無い学歴など最早学歴としての価値すら見出さないだろう。

そう思ってしまうぐらい被害者意識が強くなるのは、自分には学歴コンプレックスが今も強くあるし、それも自業自得では無い理由が原因だ、理不尽だ、という思いが強いからだろう。


だってさ、父が病に倒れて仕事を失ったのも、母が介護メンタルを病んでしまったのも、頼れる身内がいなかったのも、もう本当に運が悪い、不運だったとしか言いようが無いじゃないか

誰が悪いのかと言われたら天命だろう。そう思うしか無いだろうよ。

二人とも決して成功した社会人では無かったかも知れないけれど、それでも兄弟二人を真っ当に育て上げたのだから、何故こんな仕打ちをしたのかともし神がいるのなら恨みたい。

両親は地味ながらも真面目に生きてきたし、自分特に悪さもせず勉強に勤しんでいたタイプだった。

弟は俺よりもっと成績が良く頭も良かったから、普通の家庭で、関東出身だったら、東大にすら行けただろう。

地方出身差別されるべき属性なのか?「自業自得」と言われるべき恥ずべき産まれなのだろうか?

(増田ネットでの地方差別を見るに限り、そう思う人間は少なくないと痛感している)


京大出身だけど人生失敗した、高学歴だけど人生がうまくいかない、といった増田も度々見るが、そういった高学歴自虐風自慢的な話を見る度に

その学歴を、いやその学歴を得られた環境を当時の俺らにくれよ!と言いたくなる。

どうしようも無い不運が原因で望んだ学歴を得られなかったのに、自業自得では無い理由低学歴になってしまったのに

せっかくの学歴とそれを得られる環境無駄使いしている様にしか見えない連中を見ると、最早怒りすら湧いてくる。

(件のインフルエンサーも親が海外大学学費用まで全額負担しているらしく、それも自分が見ていて辛くなる理由の一つだろう)



昨日、母の13回忌を終えた。

元の実家改装した、本来もっと華やかな、一流と呼ばれる企業で働いていた筈の弟の家でこれを書いている。

結局弟も実家からは離れられる状況では無く、地方公務員になった。

弟も俺と同じ地方のF欄の学歴にすら値しない様な低学歴だ。

世間的に見れば、高卒の両親からまれ低学歴の、負け組兄弟しか無いだろう。

弟も弟であまり表には出せれないけれど、少しでも不運が無ければ、もっと良い人生を送れたかも知れないのに、という思いはあるそうだ。

現状がそこまで不満では無いだけに、尚更思うという。


弟の妻は法政よりは上の大学出身で、兄ながらよく結婚出来たと思うが、学歴の事は「話題にも出来ないよ、恥ずかしくて」と言う姿は俺に重なった。

良い大学を出たのにまともな正社員経歴が無く結婚するまでは非正規だった妻とその子を、一馬力で支えている人間ですら、その立場を誇れないのだ。

自分達の様な低学歴は、この先、どんな社会的地位を築き上げたとしても、家族を得て安定した生活を送っていたとしても

学歴が劣る者として「◯◯大学の分際で!」などと、人前ですら愚弄され、差別される存在なのだ

学歴という、ただ一点において。



自業自得なら仕方ないのかも知れない。

頭が悪かったとか、成績が悪かったとか、勉強をサボっていたとか、そういう自業自得では無い理由で、低学歴に甘んじてしまった。

そのコンプレックスは一生ついて回るだろう。

学歴を「得る事が出来る」立場にいた人間から一方的に、少なくとも自分達にとっては理不尽理由差別される苦しみ。

関東で生まれ育った高学歴の連中には一生分からないだろうな。

2024-01-28

anond:20240128031950

ちょっとネガティブすぎるなーと思うけど、実態としてはそんな感じなのかな。

リベラルの人たちは能登についてしばらくちょっと黙っててほしい

という話だけど、

「馳さんは外のもんにいじめられて可哀想や」

能登の暗いところばっかりニュースにしていやらしい」

これを能登人間が言っている事実についてちょっとは考えてくれ

ない想像力を働かせて考えてみる。

谷本県政時代から引き続く工業団地などの企業誘致北陸新幹線。そして延伸へ向けた馳知事の尽力、などなど。

こうした地域経済振興観光アピール公共事業、過疎対策をいろいろやってくれたからなのかな。県政評価は高いと思う。

県民しては、とりわけ28年も知事を務めた谷本には強くお世話になった感が強いのだろう。

でも谷本さん自身は当初、革新政党系の支持を受けて初当選したというのをさっき調べて知った。当時、森喜朗推していた農林族の対抗馬を破った経緯もある。

2003年能登空港の開港小松空港国際線就航などは、森喜朗が尽力したといわれているけれど、谷本とは不仲だったという。

2022年谷本知事引退の際に、再び新たに農林族の山田出馬することになり、保守分裂という事態に陥ったが、森喜朗自分が育ててきた馳を推すことに決めた、という内容の記事もさかのぼってみた。そして行政側は第一次産業への理解が厚い山田を推す動きがあった一方、谷本事実上、馳に自分の後継として信を託したという記事もみた。

そう考えると、保守王国石川県というけれども、一枚岩じゃなかったけれども鋭く対立もしていなかったというのも今後の復興を考えるうえでは、いろいろと興味深いと思った。

そんなところへ、ワイドショーやらSNSで、インテリ風吹かせた連中が、能登限界集落は遅かれ早かれ滅びる運命だったのが早まっただけで

この際、復興過程では、そういうところを切り捨てて優先順位をつけるべきだ、とかいう雑な議論が耳に入ってくると、それは地域人間としてはイラっとくるのかもしれない。

想像だけど。



余談ーー

また初動に関して、「馳知事はよくやっている」論も、わからなくもない。

馳氏は谷本県政時代に後回しにされていた地震被害想定など、災害リスク軽減のための取り組みを見直そうと着手していたことは事実で、

今回の震災に間に合わなかったいうのは事実だとしても、馳知事だけの責にするわけにはいかないだろうと思う。

あと、今回初動の遅れの原因のひとつとして、石川県北陸地整が本来事前に取り組むべき道路啓開計画が未整備だったという指摘もある。

総務省は去年の段階でいくつかの地整や県に対して是正勧告を出していたから、いくら県政2年目の新人知事といっても知ってはいたと思う。

これって建設業者など指名業者と事前協定をし、迅速に予算執行するうえで超重要なんだけど、結果としては後回しになってしまった。

ただ、去年から道路啓開計画に着手していたとしても間に合わなかった可能性が高い。

そういう意味では、馳知事はよくやっている、あんまり叩くな、という県民気持ちはわかる。

一方で、発災直後の対応外野があれこれ批判しているうちに、交通インフラ問題は解消しつつあり、あれよあれよという間に復興モードスイッチが入っていく。

復興初期段階のスピード感というのはものすごく早いので、初動の問題はいろいろあったにせよ、そんなことの検証にあまり時間を割いている余裕はなく

これからがれきの処理やら広域の自治体間協力も必要になってくるなど、馳知事には復興の手腕が問われることになる。

という感じであるので、震災後一ヵ月になろうとしているこのタイミングでは、

県民もっとポジティブに前向きに物事をとらえたほうがいいんじゃないかと思う。

多分、震災3か月後には初動の失態なんて議論過去のものになって、もうしていないと思う。

disられていじけて、保守ますます保守に、というルサンチマン丸出しのネガティブスパイラルもわからなくもないけど、

からと言って、何も知らない外野がわーわー騒ぐのは止めようもない。ましてやネット空間なんて。

しかし、外野意見なかには、今後国や行政がどう動こうとしているのかのヒントもあるのも確かなはず。

そこは地元人間だけではルサンチマンを越えられないかもしれないけれど、災害復旧のプロセスで入ってくるさまざまな他者民間支援企業だったり、NPOだったり、コンサルだったり)との対話の機会が今後増えてくると思う。

よそからきた民間経験などを踏まえて、外部の冷静な視点意見を再整理してゆく、ということもまた大切と思う。

そして、実際、国や行政復興モデルに着手し始めると、とりわ予算をつけることが前提となると、行政としては長々と議論してもらいたくないので、予算執行を急ぐのが世の中の常。

復興公営住宅にしても行政が「これならすぐに着工できますが」と提示されたものから復興が進んでいくなかで、ただでさえ経済的に苦境に陥っている被災者に、地域を出てゆくか、受け入れるかの二者択一で選べという形で行政主導が突き付けられる、というのが東日本の教訓としてある。

しかスピード感のある復興とか国や県はかっこいいことを言い出すに決まっているので、恐らく震災半年後くらいには被災者決断を迫られる。え?そんなこの状況でまだ決断できない、という被災者も多かろうに、行政は「受け入れるひと、この指とまれ方式なので、行政提案を受け入れた人だけが救済を得られ、地域を出て行った人はどうなったか統計すらないというのが実態となる。

それこそ、発災直後はヒーローみえていた馳知事が、復興期には被災者に苦渋の選択を急がせる役人顔をするかもしれない。

心理的メカニズムとして馳はヒーローだというマインドがどんどん強固なものになって、ますます保守保守していくなかで、次に復興の話がやってくる。

ルサンチマン的な心理的メカニズムから解脱して悟りを開いている人が何人か周りにいればいいんだと思う。

そういうことの萌芽を、今の時点で何も知らない外野がわーわー騒ぐ言葉の端々にちょろっと見出せることがあるかもしれない。

先日、被災地域ではようやくボランティア活動が本格的に開始されることになった、というニュースをみた。

外部の人間がこれからわんさか入ってくる。これまで入っていただいていた100くらいのNPO団体も含めて。

そのなかには、東日本含め、過去復興経験を持つ人も多くいるはずで、そういう方々と交流をする機会が増えるんじゃないかなと思う。

外部の人間玉石混交で、なかには、インテリ風な意見を持つ人もいるかもしれない。

間垣の里なんてどうでもいいんだよ、堤防なんだよ生命安全第一なんだよ、とかね、中にはいるかもしれない、例えばだけど。

そういうときに、その意見ちょっと違うよね、と言ってくれる人もまた外部の人だったりするので、不協和音のなかだからこそ貴重な意見も拾える。

そのときに、いちいちルサンチマンに陥っていると、聞く耳をもたなくなって、聞けるはずの意見にも耳を閉ざしてしまうことにもなりかねない。

はいっても、これといってどうしようもないことかもしれないけれど。

被災地の人にはこのままルサンチマンを深めながら一方で公助への依存を強め行政から提案を待っていると、

最終的にあんまりいい結果にならない気がするので

玉石混交の外部の人が入ってくる機会をチャンスととらえて、復興の話を進めていったらいいんじゃないかなと思う。

anond:20240128171946

東日本大震災の時の宮城も同じだったよ

仙台はもう観光来てもオッケーなんだけどずーっと焼け野原気仙沼を引き合いに出されて今じゃないと言われる

気仙沼ならまだいいけど岩手福島の話まで引き合いに出されて数年はイライラしてた

今だから言えるけど

その空気が続くうちに店畳んだ人もいた

よくは知らないがおそらく熊本もそんな感じだっただろうと思う

来てほしいならうるさいくらい現地から声上げた方がいいよ

あの時まだ遊びに行くな東北は大変なんだと言っていた人達経済的に苦しくなった人の責任とってくれたという話は聞いたことないしね

下方婚増田はいい加減理解して欲しい。

女性より経済的立場的に下の男性社会から可視化されるので、統計上は存在しないことを。

まり下方男性との結婚と言う概念存在しないのだ。何故なら、女性の下方に位置する男性は「存在しない」のだから

2024-01-27

anond:20240127183622

問題を正しく認知できないと前に進まないので

 

定期放送サンデルの『実力も運のうち 能力主義正義か?(原題:The Tyranny of Merit)』を読もう

キミら本好きって設定でしょうよ。ベストセラーになったぞ

 

図書館に置いてるのでネット図書館の蔵書を調べよう 

Google検索例:図書館 蔵書 鹿児島市

 

AIちゃんによる要約★

実力も運のうち 能力主義正義か?(The Tyranny of Merit)は、マイケル・サンデル教授が著したノンフィクションの本です。この本では、アメリカをはじめとする先進国で広まっている能力主義(meritocracy)という考え方が、どのようにして社会の分断や不平等を招き、共通善common good)を損なっているか分析しています

 

能力主義とは、個人の才能や努力に応じて報酬地位を与えるべきだという考え方です。能力主義は、公平で正義に基づいた社会を実現するための理想として、多くの人々に支持されていますしかし、サンデル教授は、能力主義が実際には、以下のような問題引き起こしていると指摘しています

 

サンデル教授は、能力主義問題を具体的に示すために、2019年に発覚したアメリカ不正入試事件college admission scandal)を取り上げています。この事件では、ハリウッドの有名女優富裕層の親たちが、大学入試試験不正に受けたり、スポーツの推薦枠を買収したりして、子供たちを名門大学入学させていました。この事件は、能力主義がもたらすエリート傲慢さや不正行為、教育不公平さや劣化社会の不信感や不満を象徴するものだと、サンデル教授は述べています

 

サンデル教授は、能力主義に代わる新しい社会のあり方を提案しています。それは、共通善観点から、人々の才能や努力だけでなく、運や環境にも目を向けることです。サンデル教授は、人々が自分成功や失敗に対して謙虚で寛容になり、教育知的な喜びや道徳的目的を取り戻し、政治が多様な声や利害を反映するようになることを期待しています

 

長文読むのがなんらかの理由で困難な人なら、Amazonオーディオブックのサブスクに『実力も運のうち 能力主義正義か?(原題:The Tyranny of Merit)』があって

確か無料だったような気がするのでそれを聴こう

 

共通善というものを扱う性質上、キリスト教というか神学から入るが、興味がなければそこは斜め読みしても問題ない

でも、共通善は、『おかげさまで』、『いただきます』、『生かされている』、『八百万の神付喪神』の宗教価値観を持つ日本人にとって馴染みやすものだと思うぞ

創作活動神聖視し過ぎなんだよな。

anond:20240126020048

から著作権を非常に強く、頑健な権利だと勘違いしてしまっている。著作権なんて所詮特許の亜種であり、それは経済的権利に過ぎず、しかもその社会厚生的な根拠再生産の維持(パクリが横行してオリジナルが金にならないならそれを創作していく人の生活が維持できず、次の創作活動が行われなくなる)であってそれ以上のものではない。社会厚生的にはあんまり強くなれば単に独占の弊害が出るものから、それこそAIなど新技術が出ればいくらでも弱められ得るものなわけだ。でも、創作活動そのものが何よりも尊いと思う人にとってはそれを守る著作権もとても神聖もので頑健なものに感じてしまうからか、これを掲げて闘って負けるわけがないという、とんでもなくずれた感覚でいてしまってるんだよな。

2024-01-26

anond:20240126183251

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

 〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法である。これは、山口和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。

 私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法からの流れの中で位置づけるべきだと考える。

 同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊合憲化(57)、③日本経済的地位に見合った国際貢献必要性、④国連軍国連警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリスト武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から護憲立場から改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである

 同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲である。同提言軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから北朝鮮中国軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラル過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである

 佐藤が語る、愛国心必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである佐藤饒舌から私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。

 馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事平和維持活動において殉死殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊追悼施設必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。

 ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツ独自イラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたかである。翻って日本場合多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国国際社会理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。

 元国連職員吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍軍事活動積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである

 なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実国際政治の中で、山川ソ連侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。

10.おわりに

 これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮アルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略植民地支配反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的保障する国家先進国主導の戦争積極的に参加し、南北格差固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である

 大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派大国路線に対抗して、日本経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪補償必要とした路線が、東アジア諸国民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合破綻といった状況に規定された、リベラル左派危機意識から生じている。九〇年代東アジア諸国民衆から謝罪補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本私たちが、進んで過ちを正しみずから正義回復する、即ち日本利益のために」(69)(傍点ママ歴史清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争植民地支配可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立リベラル左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である改憲後、蛹は蛾となる。

 ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル左派意図的計画したものと捉えているわけではない。むしろ無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力からあいもつあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治立場から期待されている人物統合象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴人物の未分性という日本政治特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディア追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリスト発言力を確保しようとする学者、無様な醜態晒す本質的には落ち目思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからあいもつれあって」、集団転向は進行している。

 ところで、佐藤は、「仮に日本国家国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家同胞日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまたからには、自国国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間異端者扱いするのが目に見えている。

 この佐藤発言は、安倍晋三首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族配慮するという意図からだろうが、アメリカ一丸となって事件対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである国益からむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)

 文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ総連弾圧をめぐる日本言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したこと物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本リベラル左派安倍政権ときに敗北したのである

 〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである侵略植民地支配過去清算在日朝鮮人人権擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア世界平和にとって大きな災厄である(73)。

改憲戦争国家体制拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア知識人等を徹底的に批判すべきである

(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。

(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。

(3)ただし、編集者佐藤右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。

(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。

(5)インターネットサイトフジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37

金光翔 『<佐藤優現象批判

インパクション』第160号(2007年11月刊)掲載

目次

1.はじめに

2.佐藤優右派メディアでの主張

 (1)歴史認識について

 (2)対北朝鮮外交について

 (3)朝鮮総連への政治弾圧について

3.佐藤優による主張の使い分け

4.佐藤優へ傾倒する護憲派ジャーナリズム

5.なぜ護憲派ジャーナリズム佐藤を重用するのか?

 (1)ナショナリズム

 (2)ポピュリズム

 (3) 格差社会

 (4)「硬直した左右の二項対立図式を打破」―〈左〉の忌避

6.「人民戦線」という罠

 (1)「ファシズム政権樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤擁護する

 (2)「論壇」での生き残りを図るために、佐藤擁護する

7.「国民戦線」としての「人民戦線

8.改憲問題と〈佐藤優現象

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

10.おわりに

1.はじめに

 このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。

 だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディア排外主義のものの主張を撒き散らしている。奇妙なのはリベラル左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。

 佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場記述検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。

 「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動共鳴する特定編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチ共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社カラーや論壇の左右を超えて小さなリスク共同体が生まれ編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞社会面を中心に、従来型の検察官邸主導ではない記者独自調査報道が始まる。」「この四者(注・権力民衆メディア学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論公共圏形成していく。」

 馬場見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点であるある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義体制下の護憲派が、イスラエルリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。

 以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮武力行使在日朝鮮人団体への弾圧必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的ものである。「戦後民主主義」が、侵略植民地支配過去とまともに向き合わず在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象しか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。

 私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤右派メディアで主張する排外主義を、リベラル左派容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在ジャーナリズム内の護憲派問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。

 馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である佐藤自身は自ら国家主義であることを誇っており、小谷野敦言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本右翼なんか一人もいない」。

 佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店朝日新聞出版物では、排外主義ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?

 この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。

2.佐藤優右派メディアでの主張

 まず、佐藤排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。

(1)歴史認識について

 佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本ロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立日清戦争日露戦争引き起こした。もし、日本ロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮にらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージ金正日に送るのだ」。朝鮮植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのもの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢反論することは当然のことだ。」と述べている。

 特に大川周明テクスト佐藤解説から成る日米開戦真実大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本近現代史に関する自己歴史認識開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である

 「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国アメリカイギリスによる植民地支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種棲み分け理論である日本人はアジア諸民族との共存共栄真摯に追求した。強いて言えば、現在EUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカ日本妥協を繰り返せば、結局、日本アメリカ保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民活動家の眼には、日本列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリスアメリカはつけ込んだ。日本こそが中国植民地化と奴隷支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。

 右翼たる佐藤面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。

(2)対北朝鮮外交について

 佐藤は、「拉致問題解決」を日朝交渉大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエル国権侵害でもある。人権国権侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在北朝鮮ミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義選択肢には戦争問題解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題解決」においても、戦争視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。

 さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮米ドル札偽造問題が、アメリカ自作自演だった可能性が高いという欧米メディア報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカ情報源情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証根拠も示さずに(反証必要性を封じた上で)、「北朝鮮情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤現在右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。

(3)朝鮮総連への政治弾圧について

 佐藤は、「在日団体への法適用拉致問題動く」として、「日本政府朝鮮総連経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネス利益を得ている勢力牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。

 漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件摘発拉致問題解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮日本交渉する気にさせるのが警察庁仕事。そのためには北朝鮮資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関民族学校などへの強制捜索に理論根拠提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。

3.佐藤優による主張の使い分け

 排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。

 佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。

 一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループサイト上での連載である地球を斬る〉では、「慰安婦問題をめぐるアメリカ報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的立場から日本政府謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題 Permalink | 記事への反応(1) | 18:32

2024-01-24

経済的貧困者だけ優遇されてるの何なの?

経済的貧困者も支援する必要があるなら、性的貧困弱者男性に女をあてがうべきだよね?

2024-01-23

子宮を切除したい

はじめに。

人によっては不快に感じる話なので(特に不妊治療中や子どもを諦めざるを得なかった方など)、読み進めるのは自己責任でお願いします。しかし、私自身にとっても深刻な悩みで、どこかに吐き出したいので書いています

学生時代生理痛が非常に重かった。社会人になり自由になるお金が増え、保険適用ピルを飲むようになって生活やすくはなった。しかし、生理間中身体ダルさや眠気は相変わらずあるし、二日目にイブクイックを飲むことはまだ辞められてはいない(学生時代ピル存在は知っていたが保険適用だと知らなかったし、知っていたとしても親は気合いで乗り越えなさい!タイプだったので通院は無理だったと思う、医療費通知でバレる)。

自分は元々、この世に生まれてきたかった訳でなく、生まれしまたか死ぬのも怖いし仕方なく生きているタイプ人間だ。また、人それぞれ考え方はあるのは前提で、私は「子どもを産むのは完全に親のエゴ」だと考えるタイプである

そんな自分大学生の頃、絶対子どもはいらないと考えていた。しかし、自身結婚環境の変化、身近な人の子どもと触れ合う機会等を経て、最近は少しだけ子どもって可愛いなー、良いなーと思う自分がいる。また、生きてて良かったな、楽しいなというこれまでの経験の積み重ねも、気持ちの変化に影響していると思う。初めは自分でもこの変化に戸惑ったが、時とともに人の気持ちは変化するもんだと思えるようになった。まあでも、これまで生き辛さを抱えながら生きてきたし、今もそういった部分は消えていないので、そんな自分子ども産み育てたいと思う瞬間もあることに対して矛盾を感じてもいる。

しかし、一つの命をこの世に生み出す責任の重さを考えるとどうしても「産みたい!」「産むぞ!」という気持ちになれない。また、メンタルが強くないので、妊娠出産子育てで大いに病む自信しかないし、問題を抱え込みやすく周りに上手に頼れる性格でもない(プラス、両実家は遠方)。器用な人は両実家が遠かろうが何だろうがやってのけるんだろうし、そうじゃない人もどうにかやるしか!の精神で乗り越えるのだろうけども。

ただ、遠方に住んでいる姉の子育ての話を少し聞いただけで、「わ、私には無理だ…」と感じることが多すぎる。ワンオペの多い姉は「私がやらなきゃ誰もやる人がいないからやるしかない」と淡々と話すが…。勿論、話を聞いたり、みてねに上げられる写真を見たり、実際に会ったりすると甥っ子は非常に可愛くて癒されるし、子どもって良いなと思う瞬間はある。でもそれ以上に、人ひとりを育てる大変さ、責任の重さを考えてしまう。

それに加えて、円安だし、税金右肩上がりだし、不正をした政治家が裁かれないような日本に生まれることは果たして幸せなのだろうかとか考えてしまう(どの国に生まれてもそれぞれ、様々な問題があるでしょうが)。親が考え得る、子ども幸せを全て叶えてあげようとするのは傲慢だし、無理だとは理解していても、一度立ち止まってしまう。

また、我が家家計が毎月カツカツという訳ではないけど、めちゃくちゃ余裕がある訳でもない。もし仮に、非常に経済的余裕があったとしたらこんなに悩まずに産むのかなと考えたこともあったが、その時でも私は悩みそうだと思ったので金銭理由よりもメンタル的な理由の方が大きそうである(メンタル関係する問題で、金銭解決できることも一部ありそうではある)。

親しい友人は、私の子ども絶対いらない期(大学生時)の気持ちも、今のあやふや気持ちも知っていて「世の中、みんなそんなに考えてから子ども産んでないよ」「ただ可愛いから産んでる子もいるよ」「〇〇(私の名前)は考えすぎだよ」と言う。でも私は、元々生まれてきたかった訳ではなく生まれしまたから生きてるタイプ人間だし、そういうことを人より深く考えてしまう。

夫には付き合っている時から、今後変化するかもしれないが現時点で子どもを産みたいとは考えていないと何度か伝えており、それを了承の上で結婚した(因みに、夫自身子どもが欲しいかどうかは「分からない」らしい…。子どもが身近にいないとそういうもんなんでしょうか)。この先、やっぱり子ども欲しい!って言われたら、まあその時はその時だよね(知らんけど)という精神で今はいます。一応、こちら側の意思表示説明責任(?)は果たしている。こちらの気持ちの変化の可能性もあったので(実際に変化してる)、婚前契約までは結んでません。

で、タイトルに戻りますが。いっそのこと子宮を除去できたらなと思うようになってしまいました。なんかもう、疲れてしまって。自分の中で、己のキャパ的に今世では子どもを産み育てるのは無理だわと分かりつつ、微妙に揺れ動いてしま感情に振り回されることや、産むなら早い方が体力的に良いとか自分勝手タイムリミットを感じて、決断を急き立てられるような気持ちになること、両実家からの表立っては伝えてこないけれど、ふとした瞬間に緩やかに感じる孫への期待だとかに。それならばもう、子宮が無くなってしまえばそういったことに悩まされることもないよねと。子宮がなくなればめんどくさい生理も来なくなるし(夏のナプキンのムレは本当に不快)。

もし万が一、子宮が無くなったとしたら、「あ、私はもう子どもは産めないんだ」と喪失感に駆られるかもしれないなとは考える。めちゃくちゃ自分勝手だけど、人間ってそんなもんでしょう、とも思う。

可能性を排除して、考えなくて良くなりたい。色んな自分自分を苦しめているしがらみから解放されたい。考えることに疲れてしまった。

おわり。

2024-01-22

anond:20240122192258

中国アメリカが怖いから今はやらないだけ。

やったとしても緩めの統治経済的繁栄謳歌させて、次は沖縄って目論見だと思う。


朝鮮半島統一そもそも中国ロシアも許さないんじゃないの。

統一されたら人口日本と同規模でかつ核保有する隣国が増えることになるからね。

森奈津子好きだったんだよなあ

子供の頃、漫画は読んでたけど、文章主体の本ではじめて読んだのは多分森奈津子お嬢様シリーズ

時代を先取りしすぎた悪役令嬢もの

主人公綾小路麗花は、古典的少女漫画を読んで、けなげで清廉な主人公よりも、きらびやかで意地悪で最後には潔く負けを認め「フッあたくしの負けよ」と言うような悪役令嬢に心惹かれて悪役令嬢をロールプレイしている

綾小路麗花はお金持ちのお嬢様なので、悪役令嬢の方が境遇が近くて感情移入して悪役プレイをしているが、根は育ちがよくお人好しなので悪役プレイにボロが出まくる

爽やかイケメン彼氏百合な従者やホモ男の娘が出てきてわいわいやる楽しい学園ラノベ

縦ロール萌えになってしまったのは綾小路花の影響が大きい

不登校になった時期があるため、不登校児が題材の「グースカ夢見る問題児」には救われた

不登校児たちが夜に眠ると、夢の世界架空学校に集められ、北海道沖縄など遠く離れたちに住む子供たちがその学校内で交流を持つという設定が、インターネット普及前の時代に斬新に思えた

今だったらSNSで他県の子とつながるのなんか簡単だが、あの時代雑誌文通相手募集するぐらいしか手段なかったんじゃないか

お嬢様シリーズレモン文庫という学研レーベルから出版されていたが、1996年レモン文庫は突如消滅

森奈津子お嬢様シリーズの連載構想がブツ切れになり、他に拾ってくれるラノベレーベルもなく「ラノベ界に棄てられた」と感じたという

ラノベに見切りをつけ、レズビアン寄りのバイセクシャルであることをカミングアウトし、百合小説執筆するようになった

東京セクシャルマイノリティ事情について語るエッセイなども発売

女性セックスについては語るがオナニーについては秘す。もっとオナニーについて語れ。私は女性オカズにできる本を書く」

官能小説を書き、また百合精神性重視のものが多い中で官能百合を書く

百合SFエロSFなどを手掛け、「SF定義についてうるさい奴がいるが、エロ本はチンコが勃てばエロ本なのであるSFチンコが勃てばそれはSFなのである」と主張

小説業界の中で森奈津子は「おもしれー女」として扱われ、ミステリ作家西澤保彦森奈津子主人公とするナツコシリーズを出した

百合ジャンルやTL小説はその後盛り上がっていくが、森奈津子はそのムーブメント中央はいられなかった

悪役令嬢ものが早すぎたように、ジャンル自体への需要はあってもいまいち世相と噛み合わず第一人者にはなれなかった

森奈津子男性結婚した

バイなのだから異性とも恋ができるのは当たり前なのだが、「ビアン寄りのバイ」としてのキャラ立ちは失った

「女が男と恋愛して男と結婚するなんか普通じゃん、所詮なんちゃってじゃん」という扱いになる

ビアンバイやノンセクとして活動していた女が普通結婚して、経済的安定を得て家庭の中に埋没して表舞台から消えていくのはよくあることだ

それは謗られるべきものではなく、幸せならいいことだ

だが結婚してしばらく、森奈津子の夫は重度身体障害者になってしまった

夫を介護し、夫を養わなければいけない立場になった

そんな身の上になった森奈津子からすれば、「若くて健康だけどセクマイから辛い」「セクマイにも安定した結婚生活を得る権利を」などと言っている、かつての仲間は甘えたクソガキにしか見えなくなったのだろう

かつてはセクマイの集まりの中で生きていたのに、「同性婚不要だ」と言い切り、その手の活動家を批判する側になった

その手の活動家の中に過激で頭がアレな奴がいることは確かではあるが、明らかに矛先は「一部の過激な奴」だけではなく穏健派にも向けられている

小説耽美なわしら」の中でノンセクを肯定的に描いていたのに、今や「異性婚しない独身おじさん」すら叩いている

普通に男と結婚した」ことでフェードアウトしていったかつての支持者への当てつけで、「普通結婚できない同性愛者・独身主義者非モテ」は敵になったのだ

そういう活動によって本を出したり団体活動したりで生計を立て森奈津子は夫との暮らしを送ることができている

あなた発言LGBT差別では?」と言われたら「いえ、私はLGBT当事者です」と森奈津子は答える

作者を嫌いになると作品自動的に嫌になって避けるタイプなのだが、それは作品の方もそれほど深く好きだったわけではないから起こる現象

森奈津子本人は今は明白に嫌いにはなっているが、作品を愛好していた時代のほうが長いので、お嬢様シリーズは今でも好きだ

レモン文庫崩壊前、作家として食っていけるようになり希望を持っていた頃の森奈津子は今の森奈津子とは別人のようだ

今の森奈津子の全てを否定するわけではなく、一理あると感じた発言もないではないが、がっかりすることの方が多いのでブロックしてなるべく見ない

だが最近新しく裁判やってるそうでスクショが流れてきて森奈津子を思い出す

ヘイト界隈って不寛容の極みであるように言われるけど、淫夢界隈と似たようなもんで「合言葉」を一緒に唱えさえすれば誰でも受け入れてくれるというある種の寛容さはある

反ヘイトの集まりなんてのはすぐ正しさを巡り喧嘩するけど、ヘイトの集まりはそうでもない

ラノベセクマイSFやら、あちこち排斥された者でも受け入れてくれる寛容で優しい人達のもとで居心地はいいのかもな

綾小路麗花は結局は優しいお人好しで、誰かと対立しても最終的には和解するいい子で、金網に風船が引っかかったとかで泣いてるガキがいたらエナメルの靴をガビガビにしてでも金網登って風船取ってやるんだよ

うそんなキャラ書けないよな

2024-01-21

日本AVモザイクレスなら日本人はPornhubみたいな海外アダルトサイトなんてみないだろうな。

やっぱ日本プロダクションが作るAVクオリティって高い。

女の子レベルもそうだし単純に映像がきれいで見やすい。

海外サイトとかで見れるモザイクレス日本人のAVってそういうのと比べるとやっぱり負けてるんだよな。

もちろん中には突出していいものもあるんだけど平均的に見ると劣っている。

基本的個人撮影規模のスタッフでやってるからそれは当然で当たり前で文句を言うつもりはないしいつもありがとうございますと思いながら見てる。

でもさ、もしも日本AVプロダクションが作るAVモザイクレスなら、これを俺は見てるかな?とも思う。

多分、見てないだろうな、と。

これ、何が言いたいかと言うと結局日本人のお金が何らかの形で海外に流れてしまっているということだと思うんだよね。

そういう部分がちょっともったいないというか。

逆に日本ハイクオリティエロ動画モザイクレスなら強烈に外貨を稼ぐ機会になるとも言えるわけで。

その部分がホントもったいないなあ、とあくま経済的観点から思う次第です。

anond:20240121133103

お前が自分を「弱者男性」と呼ぶように、感覚根拠なんかない。

ただ言えるのは昇進率、給与においても女である方が社会的に不利だ。

それを鑑みても、生物学的に男女が平等だとしても経済的には女性の方が弱者だ。

から弱者男性なんて存在しない。それは低学歴低所得なのであって弱いのではない。

強さがないと思い込んで自分レッテル貼りすんの止めろよ。

anond:20240120230915

ご苦労様。

自治体同士は、災害時の支援協定などが地域防災計画に明記されていることが多いか

増田みたいに派遣されたり、という活動は、特に四の五の考えるまでもなく、自動的に動き始めることができる。

一方、社協はどうなんだろうね。社協ネットワークはやっぱり期待されるべきだろうかね。

今後の雪や寒さ、土砂崩れなども心配だし、

避難所集約や二次避難学校再開

集団移転をすべきなのか、

問題も山積で、自治体は本当にキャパオーバー

地元社協もとてもとても。

例えば、福井富山岐阜など近隣県の

社協が、被災自治体ごとに入るとか

なんとかならないのだろうか。

本来は、こういう起こるべき事態を想定して、地域防災計画に事前に災害対応と復旧のシナリオが描かれてないといけない。

その場で答えを考えようとする余裕は、発災直後の現場リーダー行政職員にはないと考えるべきで、

その前提で、いざというとき自動的に決まったことを運用できるよう、ありとあらゆる判断基準を決めておくことが本当は計画で一番大切だった。

いざというとき現場判断にかける負担を少しでも減らすのが計画というもの本質から

まるで老々介護だし、このままで持つとは思えない。

事前にこんなことがわかっていれば、何をやったかを考えると、、

例えば、保健師介護士の派遣とか、そのテーマで考えてみても、

孤立した地域に踏み止まっている老健施設老人福祉施設に一人や二人派遣してもほとんど力にならず、意味ないってわかる。チームを派遣する余裕もない。

支援によってベーシックニーズを満たすという優先目標が達成できるかどうかを先に考えるべき。

神戸行政の方々が、能登現実をみて、都市型の集中管理型が通用しないといって、くじけてしまった、というのはわかるんだけど、

でもだからといって「送る」「派遣」型の支援は無理ありすぎじゃないか

やっぱり山古志式の全村民避難三宅島全島民避難のやり方が安全だし、時間や人のリソースをきちんと生かせる。

一般ボラ立場からみても、支援したい人が陸の孤島と化している能登の奥のほうにいけない、という状況を打開するには、支援されるべき人を連れてくるほうがまし。

地域コミュニティごと、施設ごと、まるごとその単位で連れてくる、ということを最初から地域防災計画に予定しておいて、

平素から地域住民コミュニケーションをとっておく、ということになるんだろう。

ただ、かつての山古志式のリーダーシップは、平成の大合併前の小さな自治体首長地域住民と顔の見える関係を築いていたからできた、ということも改めて思う。

からこそ国は市という今となっては大きくなりすぎた行政単位でなく、地区防災計画という形での防災も平行して進めてきたところだったが、北陸では果たしてどうだったか

追記

被災者に寄り添う支援であるべきだ、という意見トラバであった。ただ、その支援によってベーシックヒューマンニーズが満たされないなら、そうあるべきだという理想にうっとりしたいだけの単なる自己満足じゃないかい?

→嫌味な言い方だったかもしれないが、そうも言いたくなる。

https://anond.hatelabo.jp/20240121103729

eternal_reflection なんと言うか国家公務員的な意見だなぁって。計画集団避難記載して平時コンセンサスを得るってのもかなり理想論だと思う。結局そこで集落と調整する事をやらない人の意見だよね。人間相手から難しいんだよ…

というブコメもあった。そうだね。頭でっかちだとは思ってるよ。

高齢者の2次避難は実際のところ、実は解決のしやすタスクの部類。もっと難しいのは生計もつ世代生活者地域人間関係社会的にも経済的にもより強い世代

高齢者生計の切断を無視してでも対処しうるけれども、働く世代はそうはいかない。例えば、地元取引先があるのに、それを差し置いて自分だけ避難できない、といって車中避難を続ける被災者の言葉を紹介するニュースを目にしたとする。イメージとしては漁港の箱詰工場のひとだとか、除雪作業員でもなんでもいいんだけど、自分が逃げたら他の関係する取引先に影響を及ぼしたり、地域の状況がより悪化したりするひとってたくさんいるよね。

そのとき、じゃあ事前にどうすべきだったかを考えられるかというと、なかなか答えは浮かんでこない。

2024-01-20

anond:20240120204544

発達障害男の多さからして、理解のある彼くんより理解のある彼女や嫁や母は圧倒的に多いはずなんだよ。

そんな訳無いじゃんw

男の発達障害が表に出やすいのは、就職就労後や恋愛の段階で躓いて発覚する事が多いから。

逆に仕事人生比重を男ほどは置かなくて済む女、恋愛では受け身でも許される女は発達障害が目立ちづらいだけ。

理解ある彼くん漫画でも交際中に発覚しちゃいましたテヘペロ的な展開も見かけるよね。


それが全く発達障害から表に出ないのが闇深いなと思う。

ハッキリ言って良い?

男は基本的正社員として仕事にかなりのリソースを割く必要があるからエッセイ漫画なんて描いてる余裕なんかねーんだよ。

理解ある彼くん漫画描いてる女って大半が理解ある彼くんやら夫くんに経済的依存してるじゃん?

余裕があるから世間に発信できちゃうんだよ。分かってて煽ってんでしょ?性格悪っw


男はよく女は理解のある彼くん居ていいよなーと揶揄してるが、発達障害女は男に感謝をするけど、発達障害男は女に感謝しないって話にすぎないのではないか

はいただのミサンドリー

これだから女って駄目なんだよな~、な典型例ですね。

韓国ではなぜ男性嫌悪女性嫌悪が増えているのか?

ChatGPT4「韓国におけるミサンドリー男性嫌悪)とミソジニー女性嫌悪)の増加と過激化の原因は、社会的経済的政治的な複合要因によるものです。

ミソジニー女性嫌悪)の増加は、特に若く教育を受けた技術精通した男性によって推進されています。彼らは女性フェミニズムを、高い青少年失業率、急上昇する住宅価格、成長する経済的平等など、社会的経済的困難の原因として非難しています

これにより、女性移民性的少数者障害者に反対する韓国オルトライト運動形成されました。これらの感情保守的政治家によって強力な公的武器に変えられています

また、女性への違法撮影などのデジタル性犯罪が増加していますが、これらの犯罪に対する起訴率は低く、特に警察司法システムにおける男性支配問題となっています​​​​。

 

一方、ミサンドリー男性嫌悪)の出現は、普及するミソジニーへの反応の一部です。

女性の権利を擁護するオンラインコミュニティは、フェミニズムミサンドリー同義であるという誤解を生み出していますミソジニーに対抗するために設立されたウェブサイトMegaliaやWomadでは、時に過激男性嫌悪議論が行われています

これにより、フェミニスト運動本質的過激で反男性であるという誤解が生じ、ジェンダー平等のためのキャンペーンを複雑にしています​​。

 

したがって、韓国におけるミソジニーミサンドリーの増加と過激化は、国の社会経済的および政治的状況に深く根ざし、フェミニズムの誤解と誤解によって悪化し、さら権力ジェンダー経済的闘争ダイナミクスによって複雑にされています。」

 

 

まりChatGPTはフェミ

2024-01-19

anond:20240117213207

これ、電気自動車の充電問題について不正確で偏見のある主張なので、反論を列挙する。

ソース

https://insideevs.com/news/705075/uber-lyft-rideshare-electrify-america-charging-ev-disaster-chicago/?s=09

そもそも引用元FOXニュース共和党寄りのメディアだし、バイデン政権電気自動車普及政策に対して批判的な報道をしている。

FOXは、バイデン政権電気自動車普及政策に対して、その効果必要性を疑問視したり、その副作用リスクを強調したりする傾向がある。これは、共和党の主張と一致しており、FOXニュース政治的立場を反映してる。

元増田は、電気自動車の充電問題について、事実に基づかない、あるいは一面的見方をしている。

電気自動車が、環境に優しく、経済的で、快適な乗り物であることに変わりはない。充電問題は、技術インフラの発展や、ユーザー理解や協力によって、解決可能だ。

anond:20240119162959

男は50代になると経済的に余裕ができるし性欲も減退して性的にもギラツキがなくなって女にとってちょうどいい存在になる

若い女が群がってきて困るぐらいになるぞ

中高年世代良識日本ヘイトについて

日本人男子ホームステイで不人気すぎる。

https://anond.hatelabo.jp/20240116194927

はてなで久々にアレな躍動が見られている。

  

かつての日本にはこういう

他称左翼自称リベラル、その実態はただの反日レイシスト

みたいな人々が相当のボリュームで棲息していた。

 

彼等はもう一番若くてアラフィフで上は棺桶後期高齢者絶滅する種族から

若い人のために「こういう生物がかつて日本に居ました」と言うことを書き残しておきたい。

  

     

1.戦後良識派が何故反日をするか      

まずそういう反日文化がわからない現代若者

元増田読んでも「何を言いたいのかよくわかんないな、なんだこれ」と思ったはず。

翻訳するとこれが伝えたいのはジャップがこんなに海外で嫌われてるぞザマーミロってことなのね。

    

昔はこういうのでボルテージ上がる「左翼」とか「良識派」とかい日本人が大量に居た。

彼等はとにかく日本日本人に敵意を持っていて、日本日本人馬鹿にしたり貶めたりする情報があると嬉しくてたまらなくなる人達だった。

    

その成り立ちとしては

戦後の「進歩思想」とか「良識」というかいもの薄っぺらさと貧しさなんだけど、

彼等はあらゆる悪いことの根を日本に求めたわけ。

   

左翼が「反戦」て言いながら戦争からかなり遠い仕組みの日本ばかり叩いて

日本よりはるか戦争が出来る中国とか北朝鮮とかロシアとかを批判しないのは何故か?

戦争と言う悪は日本に由来するに決まってるから

中国日本領海侵犯すれば日本を「軍国主義!」と非難するような行動パターンが出来上がっていった。

  

  

元増田もそういう日本人叩きの具に供するべくニチャアって顔で書いたんだけど

もう令和なので反応が期待通りの日本人ヘイトの流れにならず

「は…?普通に差別では?」「そのホスト大丈夫?」「てか斡旋してる奴等も大丈夫?」 と言う意見多数派になってしま

老人たちの日本ヘイトが満たされなかった。

  

    

2.ヘイト二回戦

何でやろうと思ってTwitterホームステイ日本人男子検索してみたら、

https://anond.hatelabo.jp/20240118205341

それで復讐戦がこちら。

Twitterで具体的な情報を取ってきましたとのこと。

   

ブックマークでも「今度こそジャップ叩きが出来る!」って感じで盛り上がってるんだけど

増田おかしいしブックマークおかしい。

  

若者はこの意味不明さにただ圧倒されてビビるだろうし

オール世代はこれが普通過ぎて疑問を持てなくなってる。

   

以下ポイントごとに指摘と解説を入れていく。

引用ブックマークは人気の高いもの

   

  

3.「否定しないということが答え合わせ」

a_dogs 何が答え合わせって、反発してる人含めて日本人男子留学生がこんなひどい態度とるわけないって意見ほぼほぼないとこ

人気トップだがこれは典型的な言い掛かりで

もしも「朝晩騒音出しながら礼拝をした」「隣家の犬を煮て食った」ぐらいまで言われれば「それは日本人はやらない気がする」と言えるけど、

家事を手伝わなかった」とか「ホストを叩き起こして早朝に牛乳を買いに行かせた」とか言われたって

「ん…?それは日本人からしても相当非常識な行動なんだけど『そんなことする奴いるわけない』とまでは言えないな」って話でしょ?

   

友達でもなんでもない同じ日本人ってだけの留学生が何するかなんかわからいか

「そういう奴がいた」って主張に反論する手立てはない。

つうかそもそも「そういう奴がいた」自体が何の根拠も示されないTwitter発掘の転載伝聞だぜ?

   

これさあ、朝鮮人井戸に毒を入れたって話と何が違うのよ。   

その当時締め上げられた可哀想朝鮮人でも「俺はそんなことやってない」っていうのが精いっぱいで「朝鮮人はそんなことやらない」とは言えないだろ。

同じ朝鮮人ってだけの他の奴のことなんか知らんし。冷静に誠実に答えるほどそうなる。

 

そしたら噴き上がって

「あー!こいつ「朝鮮人はそんなことやらない」とは言わないみたいだ!やっぱり朝鮮人ってそういう奴等なんだな!」って言ってる感じなわけよ。

反論する方法反論する意味もないただの卑劣な言い掛かりなんだよね。

   

(ていうかTwitterでもそうだが「答え合わせ」とか言ってる奴だいたい非論理的バカじゃね?

 「論破」並みのバカ検出ワードだと思う)

   

  

4.「素直に反省出来ないのが不思議」  

hatsumoto こういうの読んだ時、色々言い訳したり反発してしまい、ただ素直に気をつけようってならないの不思議

これもね。

  

いやいやいや、

「本当にそういうデータがあるなら」

ホームステイ留学生を統括する機構かなんかで」

注意喚起でもすりゃいいと思いますけどね。

   

「Tiwitterソース流言飛語で」

ホームステイなんかする歳じゃない中高年はてなで」

何に気を付けて反省しますの?

 

ちょっと落ち着いて考えるだけで言ってることが1から10までおかしいでしょ?この人。 

オッサマオバサ世代はてなブックマークで「ホームステイ先では気を付けよう」ってやる意味は何?

(このブクマを書いた人や☆つけてる人達本当の動機・内在的な欲望はなんだろう?って考えながらこの先を読んで欲しい)  

  

  

そもそもだけど

よその国の人間に比べて日本人マナーが良いとか悪いとかはデータが無ければ何も言えない。

そして元の話が、身元も動機も怪しい奴がTwitter採取した(笑)という何のソース提示されない話なので

こんなもんそもそも事実確認すらしようもないんだけど「いいか反省しろ!」「素直に!」ってくるわけ。

これが手ね。

 

反省するってことはその前段階で事実と認めることになるわけで

要するにここでの狙いはこの未確認日本人ヘイト情報事実と確定させることなわけ。 

 

反省させてしまえば「ソースTwitter」でも「ソース吉田清治」でもどうでもよくなるわけ。

「いいからとりあえず反省しろ」&「反省したってことは認めたはずだろう」のセット戦法。

こういうことをある種の「良識日本人」は本当に数十年連綿延々とやってきたわけ。

 

から先ほどの設問の答えも

「何かの現実に対する建設的な改善や「気を付けよう」ではなく

 日本人不道徳な恥ずかしい民族だと認めさせたいこそが真の動機・内在的欲望であった」

ということ。

   

(ていうかリアルでもそうだが他者に向かって「素直になれ」とか言ってる奴だいたいヤベー奴じゃね?

 自分の好む通りの行動を「素直」「常識」、自分の気に食わない反応を「反発」「言い訳」と呼んでそう)   

   

    

5.良識反日メリット   

で、ある世代から上の良識的な方々が何故日本人ヘイトが好きなのかと言うと

これはものすごく楽なんだよね。

精神的にも経済的にも認知的にも。

  

「全ての悪は日本から発する」「日本人世界で一番軽蔑されている劣等」が基本ドグマから

それなりに豊かで快適な日本に住みながら日本人ヘイトしてるだけで良識に関する仕事をすべてクリアして、

世界やこの世が直面するあらゆる困難にも対処出来ていることになるわけ。

   

要するに太い実家で部屋住みやってる坊ちゃんちゃんみたいなものから

常に自分の家や親に不平を鳴らして、それだけ言ってれば現実対処仕事が終わり。

   

家の外の悪や悪意は徹底的に見ないことにして全部自分の家と親に文句を言う。

近所のたち悪い大人トラブルがあれば、むしろ心情はそちらに加担して一緒に自分の親を非難する。その方が怖いことが無い。

世界とかこの世とかのあらゆることを憂うにあたって日本を叩いて蔑んでいれば仕事が完結する。

これは人生が楽。  

  

戦後知識人というのの大半はこの信じられないほど単純なパラダイムベースにしてて

人生の全ての思索を太い実家の子供部屋で過ごしたとっちゃん坊や老人なわけ。

そしてその影響下にある良識市民も同じ認知思考パターン持ってる。 

  

(蔑んでる一方で誇大妄想愛国者並みに日本という存在やその知名度・影響力を大きく見ていたりする。

 その精神世界の全てを日本(家・親)が占めてるってとこも不自由ない家の中学生共通してるよね)

  

  

6.そもそこれただのヘイトレイシズムなんだけど

ここでやってる一連のことを、

韓国人とかベトナム人とか任意外国人に置き換えてみいよ。

特定国籍の人の個別の悪行を拾い集めてパッチワークして「韓国人は~」「ベトナム人は~」ってやるの、

建設性のないヘイトレイシズムとしてしか機能しないことはわかるでしょ。

  

しかもまともな比較データすら下敷きに存在しない。

そもそも個別の悪行」自体ネット採取した伝聞、

どういう方向性のどういう素性の人物が言ってるのかの確認も無し、

どういう方向性のどういう素性の人物がまとめたのかの確認も無し。

 

これで「韓国人ってホームステイで避けられてるみたい(ニヤニヤ)」「ベトナム人は素直に反省しなよ(ハァ~ア)」って言ってたら

あっただのレイシズム娯楽だなって直観するでしょ。

〇〇人が何人でも同じことじゃない?

 

これを日本人相手ならバレない咎められないって思ってずっとやってきたのが戦後良識派で、

段々と反日常識を共有しない世代から普通に咎められるようになって、吠え面かきながら大分アップデートしてきたり死んで減ったりしてきたけど、

まだ「突如怪しげな根拠日本人を蔑み反省を求める」という発作は残ってるわけ。生態的にも世代的にも。

   

はてブでもかつては「ジャップは~」みたいな差別ワード丸出しで居直る直球レイシストが沢山いたんだけど

 同じ利用者から窘められたり議論まれたりして顔真っ赤になって消えたり言葉遣いを改めたりしてきた。)

 

見てきたようにこれは建設的な批判とか論理的なクリティークとは別物の、ただの感情的な発作でありヘイトからね。

有害無益から気軽に同調してはいけないし看過もしてはいけない。

     

   

7.男性差別フェミニズムもまじってるよね 

こういう論法の何が問題って、

いないかいるかで言えばなんだってそりゃ「いる」からだよ。

 

フェミニズム臭も出てるから男女反転もしてみるけど、

海外在住時に知り合いの日本人女が売春してたなんて人は「いる」だろうし、

海外旅行中に近くの町で日本人女が売春してるって話を聞いたなんて人はもっと「いる」だろうし、

更にTwitterでそういうワード検索すればそういうtweetしてる人は一定数「いる」さ。

でもそういう話ばっかり集めて「日本人女はフシダラ」「海外では日本人女=売春婦」って言ってる奴いたらどう?しかもなんか嬉しそうなの。

 

それ言ってる奴は別に事実の話をしたいわけでもなく、

何かの建設議論をしたいのでもなく、

単に日本女を蔑みたいヤベー奴なんだなって直感にわかるでしょ?

    

それで更に

「誰も否定しない!答え合わせ!」とか「日本人女はどうして素直に反省出来ないの?」って言ってたらどう?

おっキチガイやんけと思うでしょ?

  

そもそも大多数の売春したこともない女や海外行ったこともない女が

日本人女という共通点だけで何に気を付けて反省するの?

反省求められること自体おかしいよなあ?

  

結局こんなレベルのどうしようもないヘイト言説を延々やってるだけなのよこのタイプ良識派は。

 

 

8.まとめ

こういう実態的にただの言い掛かりやヘイトしかないことを延々やりながら「自分良識派である」と任じる人現実に居て、

日本では特に戦後のあれこれと絡めてアラフィフオーバー世代にいっぱいいます

と言う話でした。

 

もうすぐ勝手に片付く奴等だから若い人たちのこれからにはあん関係ないけどね。

生き残りがヘイト娯楽やろうとしてたら遠慮なくぶちのめしていこうね、意義のあることなんか何も言ってないから。

  

おしまい

2024-01-18

anond:20240118100803

はてなーって言うほど自助いかな?

比較高学歴都市住民ITエンジニアのようなスキルアップ転職年収を伸ばしやす職業の人が多いイメージがある。

俺は自助努力で今の経済的に恵まれ地位を手に入れたのだという自負が強い人々なのではないだろうか?

しかし極端に経済格差が広がったり絶望的な貧困放置されたりすれば治安が悪くなり自分たちの身の安全も脅かされるので福祉必要理解していてリベラルでもある感じかな。

このスレッドでもNISA日本人が豊かになれば治安が良くなるからという意見を見かける。

anond:20240118133229

全然積んでないと思う。

あなたが支えて、健康的をサポートすりゃいいじゃん

支えるってのは精神的にも経済的にも。

一緒にジムにいくなり、AGAのお医者にいくなり、男性用のスキンケア化粧品を進めるなり、色々できる事たくさんあるじゃん

究極だと結婚して「私が経済的に支えるからあなたがかっこよくいられる仕事転職しよう」ってできるじゃん。

そうすると、増田だけじゃ無くて彼もむっちゃ幸せになれるじゃん。

ただ……AGA遺伝的な要因も結構あるので、最悪の場合ハゲでも愛せるようにするなり、ウイックを使うなりは選択肢にしておいてほしい。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん