「漁港」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 漁港とは

2023-09-17

anond:20230915195423

ウニももホタテも鮮度がいのち

美味しく食べたいなら、朝までいきてたやつを昼に食べるくらいの環境でないとダメ

それはもう漁港の近くじゃないと無理。

2023-09-09

anond:20230906192754

農地には所有権があり固定資産税があるからまだ占有が許されるけど

海は漁師のものでもないのに、勝手自分たち縄張りと考えて漁業権余所者新規を締め出して海洋資源自分のものとして売り捌くって納得できないんだよな。

漁港漁師の持ち物みたいな顔してるけど国や自治体が作ったもので、漁師格安の停泊料払ってるだけだし。

漁業は基本国営にすればいいのに。

2023-08-27

どの辺がプロパガンダanond:20230827111233

まずここで逃げを打っている点あと、それぞれの考えとか言いながら全くそれぞれの考えを許容しない点

処理水海洋放出に関して、私の考えは以下です。

(先に補足しておくと、これは私個人の考えであり、会社の総意ではありません。社内外でも当然、それぞれの考えや価値観があることだと思います。)

結論が示されていない

海洋放出はせざるを得ないと思う

IAEAお墨付きにならない。江戸時代人間でしょうか?

・処理水の安全性科学的に示されているし、第三者機関(IAEA)にもお墨付きを得ているのに、なぜ騒ぐの?

腐るほど代替案はあります。ないと思っているあんたは何だよ

・処理水の放出反対を言い続けている人は、何か他の代替案はあるの?

放出反対こそ有力な風評被害を抑えます

・処理水の放出反対活動をするよりも、風評を起こさないような活動をして力を貸していただけないか

海洋放出する前は風評被害はありませんでした。なので海洋放出しないほうが風評被害は出さないといえます

自然災害は防げないけども、風評被害は未然に防げるよね。

すでに中国が禁輸しているので風評被害は起きています

風評が起こっ“たら”、等のたられば論で未来不安を煽ることが新たな風評に繋がるであろうことにまだ気づかない?

福島問題でないどころかまともな反対をしないあなたのような人間がいる理由があり得ない

福島だけの問題ではなく、日本国全体の問題だと思う。だからこそ、みんなで手を取り合って前向きな発信しませんか?

そもそも処理水をこのまま流せるのは33%に過ぎないので前向きな解決でも何でもない。

福島漁連は令和3年3月まで漁を自粛しており、わずか2年しか経過していない、しか放出に反対している

・ふくしまの魚は「常磐もの」(じょうばんもの)と呼ばれており、最高に美味いです。

東日本大震災直後は、福島沖で漁ができなかったので我々鮮魚店は、福島“以外”の魚を売るほかありませんでしたが、その時に気付きました。

“やっぱ福島の魚ってうまかったんだな”って。

福島県の漁業について

 東日本大震災震災福島第一原子力発電所の事故から12年が経過しました。

 この間、本県の沿岸漁業漁船施設等の復旧と試験操業に取組み、生産流通体制の再構築と出荷した魚介類市場等での評価調査を行って参りました。また、放射性物質自主検査体制の構築と県等と連携したモニタリング検査により、福島県産魚介類安全安心の確保と情報発信を行って参りました。

これらの取組みによって、

1 漁船漁港市場等の生産流通体制については一定程度復旧しました。

2 震災前に行っていたほぼ全ての漁法が操業可能となりました。

3 福島県沖の漁場については、一部の自粛海域を除き震災前と同様の海域が利用可能となりました。

4 放射性物質検査体制が構築され、福島県産の海産魚介類安全性が確保されており、また、令和3年3月末現在放射性物質はほぼ検出されなくなっております

5 出荷先都道府県数は、震災前とほぼ同様に回復しており、市場において一定評価を得ております

 以上のように試験操業の目的は達成されたこから、令和3年3月末で試験操業を終了いたしました。

 今後は、原発事故等の影響による、風評被害等で停滞した本県の水産業生産流通震災前の水準に回復するため、作成したロードマップを基に課題解決を進め、地区毎、漁業種類毎に出来るところから、水揚量・流通量の拡大を目指します。

最新の自主検査結果についてはこちらです。

http://www.fsgyoren.jf-net.ne.jp/

海洋放出開始に対する県漁連会長声明

 8月22日、政府廃炉汚染水・処理水対策関係閣僚会議において、ALPS処理水の海洋放出の開始が判断され、放出開始日は24日を見込むと公表された。

 ALPS処理水の海洋放出開始は、国家見地から国が全責任を持って判断したものと思料するが、これまで一貫して申し上げてきた通り、漁業者・国民理解を得られない海洋放出に反対であることはいささかも変わるものではない。

 一方で、IAEAによる「国際的安全基準に合致する」とする包括的報告書廃炉までの安全性確保へのコミット等、安全性における漁業者や国際社会への説明を通じて、科学的な安全性への理解は深まってきたことも事実である

 しかしながら、科学的な安全社会的安心は異なるものであり、科学的に安全からと言って風評被害がなくなるわけでない。

 廃炉に向けた取り組みは数十年の長期に及ぶことから漁業者の将来にわたる不安を拭い去ることはできない。

 我々漁業者は、生まれ育った前浜事故以前のように安心して漁業継続することが唯一の望みである

 今回の決定は、廃炉作業プロセスの一つに過ぎず、今後数十年にわたるALPS処理水の海洋放出に伴う国内外風評被害運用面も含めた安全性担保等に対する国の対応確認・見極め、緊張感をもって事業監視しながら、最後の一滴の放出を見届けるまで、漁業者の受け止めは予断を許さない。

 この間、国においては、科学的な安全性のみならず社会的安心を確保し、本県の漁業者やその後継者が子々孫々まで安心して漁業を続ける環境が損なわれることがないよう、「漁業者に寄り添い、必要対策を取り続けることをたとえ今後数十年の長期にわたろうとも、全責任をもって対応する」との岸田総理約束を確実に履行していくことを、強く求めるものである

2023-08-24

スゴイいいこと思い付いたんだけど

福島県産水産物って警戒されているけど

あれ漁船が他の県の港で水揚げされたら

例えば千葉県なら千葉産になるので、

普通に福島沖で獲って他の漁港で水揚げしたらよくね?

太平洋沖で河豚獲ってきたのを下関で水揚げして方が高いってらしいしね。

ざらにあるらしいよ。

そう言う工夫した方がいいのでは?って思う。

2023-08-19

anond:20230817140048

定置でとったATPつきた死にかけの魚より俺が釣ったやつの方がうまい

魚好きなら漁港に来い

2023-07-25

漁業権って既得権益は何であるの?

海に所有権はないし、漁港も国の物だし

海洋資源うんたら言っても稚魚を金で買って放流してるだけだし、漁協所属して負担金払えば誰が参入しても良いと思うんだが。

2023-07-10

anond:20230708012636

北九州出身で、大学進学で上京して以来20年以上東京に住んどるんやけど、日々の食事でそんなに口に合わんっち感じたことはない。

言っても東京は、いろんな土地のもんが寄せ集まっとるけん、昔から東京江戸)の味みたいなもんに遭うことは、あんま無いかもしれんね。

ラーメン普通に豚骨を食っとるし、ここ十年くらいでうどん讃岐うどん系(香川の人には異論あるかもしれんけど)がメインになった感があるね。

日本のものだけやなくて、本格的な海外のも食べられる店がたくさんある。

フレンチイタリアン中華はもとより、スペインロシアタイインドアラブ、実にさまざま。自分はどれもそれぞれに好き。ナポリピッツァを食いたくなるときもあれば、無性にグリーンカレーを食べたくなるときもある。

いろんな土地うまいもんが食べられるのが東京の良さやと思っとるよ。

やけど、これが昔から東京の味なんやろうなぁ、と思うもの出会うと確かにそんなに好きじゃないのかも、と思う時はある。

佃煮とか天ぷらとかが甘辛く味付けしてあるやつなんかは、口に合わんなと感じる。

もんじゃ焼きは、味は好きちゃあ好きやけど、焼くのめんどいお好み焼きでよかろうもん、と思う。

だけど、これだけは言っておきたいのは、寿司江戸前に限るってこと。

しかに、ネタの新鮮さで言えば漁港近くがいいかもしれんけど、それを美味しく食べるなら刺身で良い。

寿司として食べるなら、職人仕事を楽しむもんやと思う。その職人の練度で言うと、やはり江戸前が一級品やね。豊洲で食べちゃり。

あと、自分地元のものがすごく好きかと言われると、別にそうでもなかった。

筑前煮とか全然きじゃないです。

2023-06-06

食レポかいう悪しき文化

どれもこれも見てられねーんだよ

特に若い奴は言葉のぎこちなさや表現薄っぺらさが気になって仕方がない

いつから番組の試練みたいなコーナーになってんだよ

やめちまえばいいのに

いつから流行り始めたんだ?

おいしいです、でいいんだよ

口が裂けても「まずいです」とは言わないクセに

独特な風味?

健康に良さそうな味?

無理に笑顔作ってまで綺麗な言葉で褒めなくてもいいよ

誰が得するんですか

晒ししかならんだろ

…ったく

えーというわけで本日京都府はてな漁港にやって参りました。先ほどから少し冷ややかな風が吹いていますハイ、そしてこちら、先ほど増田湾で収獲されたばかりの新鮮なアジをですね、お刺身でご用意して頂きましたので食べていきたいとおもいます。いやあ実においしそうですね~。見てくださいこの輝き!では早速いただきまーす。むしゃむしゃ。ンンーッ!おいしい!このコリっとした歯ごたえ。とても弾力があって、プリプリの食感です。また青魚特有の臭みも全く気になりません。新鮮ですね!いくらでも食べられそうです。

2023-05-01

anond:20230423154617

多様性を許容するって意味では、高い寿司屋もあっていいと思うよ

キャバ嬢をアフターで連れてくには高くないと意味ないし

うまいかって言われると、高級回転ずしでもそんなに変わらない

大きな漁港近くの寿司屋の旬のネタのほうが全然うまい

2023-04-30

anond:20230430130048

嗜好に走ればいいよ!地方だと漁港JAショップとか道の駅かに旬の美味しいもの沢山あるよね。街中のコーヒー自家焙煎とかのレベルも上がっているし。いまだと新茶いいね!八女茶知覧茶嬉野茶最高。

2023-04-15

わーくにってホントやってる感しか出せないよな

安倍晋三が撃たれた翌日はビビり散らして金属探知機だの手荷物検査だのやってたのにな

喉元すぎればーなのか何なのか知らんが、首相の足元に不審物投げ込まれた時点で終わってるじゃん

それでもSPはよーやった、漁港おっちゃんはよーやった、で妙な美談にしておしまい

これがわーくにの限界かと思うと泣けてくるな

2023-03-28

anond:20230326153754

英語でも日本語でもそういう正確に表現しないといけないから条件付けがたくさんあって読みにくい文ジャンルってのはあるんだよ

で、英語さらに、

タイトルで煽っておいて」

「次に一字一句間違えず正確に政府企業広報発表文を引用してみせてから

「ハッ、要するにこういうことだろ?って言い換え要約しながらつっこみ・罵倒をする」という形の文章新聞記事などに多いんだ

最初からもうガチガチによみづれえなぁ、この文は。

っておもったやつ、2パラグラフくらい先を読んでからまた冒頭に戻れよ。はあ、なんだこういう話か、たったこれだけのことを現地人(お役所科学者企業発表…)だけはこんなに大げさにいってたのね~。ってなる

(まあ論文なんかは最後まで童貞みたいなガッチガチ文章も多いけど論文書いてるのは専門科学オタクからしょうがない)

ちなみにタイトルだと、文字制限があるため一見して意味がわからないことが多いのも日本ネットニュースと同じだ。

沖縄漁港で今年もスク水揚げ」みたいなやつ。

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/55298

2023-03-11

anond:20230311085306

以下のくだりが、とても印象的だった。

その時にわたし出身地名産が好きで、通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね、とさりげなく話題をそらしてくれた年配の男性がいた。

その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分神戸出身でさ」と言われた。

恥ずかしい話、「神戸出身から」と言われて私は何も分からなかった。

私は自分地震津波被災者で、東北で育った私たちが一番の被災者で、今後数十年はわたしたちが一番のかわいそうな立場だという感覚を持っていた。

「なぜ急に神戸?」とポカンとして「はぁそうなんですか…」と雑に返した気がする。

その後、関東に戻ってしばらくしてから、何がきっかけか覚えていないがオウム真理教の話になったとき

上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウム事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて

やっと気づいた。


ひとの災害経験というのは、ほんと様々で、一概にかわいそうな被害者としてのっぺらぼうな面をみるわけにはいかないよね。

自分けが被害者面していたかも、という気づき。こういうちょっとワンクッションおいて、時間が経って考えること、こういうのが大切なんだと思う。

ただ、被害者という言葉共通項を見出したとしても、阪神淡路大震災経験したひとと、東日本大震災経験した増田がこうして、何かのきっかけでお互いの体験共通部分に触れようとしたときでさえ、お互いが経験したものの奥行や背景は全く違う。でもそれは、もっと言葉を交わさなければみえてこないもの

多分、増田上記言葉を交わしたとき、その手前でふと立ち止まって考えたんだと思う。

ひるがえって自分の親戚の話。自分語りをトラバに混ぜるのはなんだかな、と思うところもあるが、テーマ性質上書かせてもらう。津波から数日後、東北もっとも大きな漁港ひとつで、親戚が経営していた漁業関連会社生産工場が全滅したとの一報を受けた。一方、杜の都に住む息子娘世代は全員無事だったという朗報にほっとしたことを思い出す。

しかし、それよりも震災から半年くらい経って、父が一言つぶやいた言葉のほうが忘れられなかった。

父は東北我が家家系からすると、よそから婿養子だった。

その父が他界した親戚をふりかえってぽつりとこうつぶやいた。

「あれは天罰のようなものだったんだろうね 」と。

期待していない予想外の冷徹つぶやきに私は動揺した。

他界した親戚一家は、さかのぼると、昭和8年津波の前から漁港生計を営んでいた。1933年津波で多くの財産を失った親戚は一から再建する際に、同じ場所でやり直すのはやめるべきだと再三にわたって、周囲から助言されていたという。しかし、結局、同じ場所人生をやり直し、次世代が引き継ぎ、そして次第に事業規模が大きくなり、津波記憶が遠ざかっていくなかで、そのまた次世代の方々が財を成し、地元の名士として羽振りよく、親族のなかで存在感を持つに至る。そんななかで、半世紀以上前東京に出て行った東北の令嬢が結婚前の父と出会う。

大切な令嬢(大地主の長女)をどこの馬の骨ともわからないよその県の小作人末っ子風情に嫁がせるわけにはいかない、という大反対の嵐。本家からなにから親戚中の冷たい目線。結局、結婚は許されて、父は母の家系に婿として入ることになるのだが、その時に受けた屈辱を忘れられないらしく、東日本大震災で全滅した親戚に対して、天罰、という言葉自身のつらみを含ませて表現したのだった。

父にとっては、かわいそうだね、では決して片づけられない感情

個人的には、なにより、貧しい者も栄華を誇った者も等しくなぎ倒した大津波の、客観的な、物理的な力に圧倒せざるを得なかった。

たとえ、誰と震災経験の話をするとしても、このようなパーソナルヒストリーの違いによる温度差は避けることができない。そう思っている。

震災経験していようがいまいが、あるいは同じく焼け出された隣人でも同じではない。大地震大津波破壊力を前には、あの家は無事だった、無事でなかった、そういうさまざまな経験がそれぞれにあるにすぎない。

こうしたファミリーヒストリー視点でそれぞれの思いがある一方で、

上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウム事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて

やっと気づいた。

という上司言葉。そして、「やっと気づいた」という言葉。このつながり方は、大変興味深い。「あの年は~」というのは個々の経験の違いを超えた、歴史を振り返った俯瞰的な総括を含んでいるからだ。1995年という時代、そういったマクロ視点での気づきをもたらすのも災害だ。

そして、それが何かの理由で、自分自身ファミリーヒストリー神戸出身者とのちょっとした会話と結びついたのだとすれば、それは自分ある意味「かわいそうな」私的な思いを、歴史の一コマなかに着地させようとする、そういう覚醒だったのかもしれない。

実をいうと、よりマクロ視点で、それぞれの災害にはそれぞれの社会的な背景があり、その脆弱性被害を増幅させている、という視点最初に提起したのは、阪神淡路大震災だった。

1990年代以前は、災害被害者というのは、災害管理文脈で救援対象として、比較ステレオタイプに捉えられていた。しかし、その認識を大きく変え、都市社会構造脆弱性に関心が高まったきっかけが1995年震災だった。こう書くとなにやら上から目線風だけど、阪神淡路大震災自分仕事として防災世界に入るきっかけを作った。

ざくっとまとめると以下のような歴史神戸にはある。

神戸都市としての成り立ちは、明治の初め、神戸港が開港された時から始まる。以降、港湾労働者が多く流入低所得層脆弱埋め立て地や条件の悪い内陸部へ集住するようになる。他方で、20世紀鉄道時代に入ると、阪神間交通網が充実し、六甲山ろくに高級住宅地が開発されるようになる。高度経済成長期には六甲の開発で切り崩した丘陵地住宅地建設、その残土で海岸が埋め立てられ、工場用地や港湾建設が進められていく。おりしも公害問題が深刻化した時代都市生活環境はますます深刻化していった。そんななか、オイルショックを契機に産業構造の転換という時代の変わり目を迎え、神戸産業シンボルであった造船、鉄鋼は停滞してゆく。それは関連する神戸の零細地場産業を苦境に陥らせ、今度は人口流出が起こり都市部の空洞化が始まった。都市部に残っているのは、流動性の低い層つまり高齢者低所得者ばかりとなった(インナーティ形成)。

これに対して1980年代神戸市の政策的な対応としては、財政問題の打開が先行した。バブル前の当時の考え方では、大規模開発こそが地域経済再生をもたらすと信じられていた。埋立地の利用による、ポートラインラド、六甲アイランド建設物流機能強化のための明石大橋建設最先端技術産業の誘致、ニュータウン建設など、新たな付加価値の創出が事態打開の切り札だった。

その一方、社会脆弱層への支援行政による市街地再生は後手に回っていた。

オイルショック後の産業構造の転換で取り残された低賃金労働者の町、老朽化の進んだ木造住宅密集地域長屋建ての住宅の占める割合の多い市街地長田区スラムのようなオールドタウン)は新陳代謝が進められなかった。地震対策の上でも洪水対策の面でも取り残された街となった。どのような地域であったか番町地区検索をしてほしい。

このような経済格差脆弱性が生み出された、マクロ構造変動のなかで襲ったのが1995年大地震であり、被害社会経済的脆弱な人々に集中した。暴力団員が懸命に救助活動していたエピソードを覚えている人もいるだろう。そういう街だった。

社会学的な視点でみれば、この地震の教訓として、被害高齢者低所得者に集中したのは、ある意味歴史的必然だ。格差が生み出された背景などのマクロ政治的経済的な動向と切り離せないということだ。

そして、このような格差脆弱性という切り口でみる構造分析は先月発生したトルコシリア大地震でも、当てはめることができる。

このように、可哀そうな存在というのを社会学的に脆弱性として構造的にとらえる、ひとつきっかけは、やはり他の災害を知るということであるし、昔の災害を知るということだと思う。

パーソナルヒストリーとしてお互いに触れあうことで、お互いに違うバックグラウンドにあることがうすうすわかってくる、それもまた、大切な気づきなのだと思う。

また、パーソナルなコミュニケーションが、例えばまさに「通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね」みたいな会話、これが実はマクロ特性を知るうえでも、その人のパーソナルヒストリーをしるうえでに、もっと重要エントリーポイントだったりする。仕事上、ひとから話を聞くときにいつも気に留めていることでもある。

からトルコシリア現在進行形震災について全体状況を大きな視点理解している国際機関よりも、よりミクロ視点で、特定家族地域の人たちにコンタクトがとれる小規模のNGO支援団体に私自身は微力ながら支援金を送付している。たまたまシリア難民支援をしている人と知り合いの知り合いくらいの関係SNSでつながっていたのがきっかけだ。アサド政権物資を止めてしまう現状も現地の声としてより関心を持つようになった。そのほうが確実に、受け取った人の顔がみえ、困っている状況がミクロにもマクロにもわかってくる。自分支援したお金支援先の一家族あたりの支援額(しか第一バッチ)の1/4にも満たないことを知る。こういうことも大切だと思う。

そのように、何かをきっかけに、他の災害に対して接点を持つ機会を大切にしたい。

その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分神戸出身でさ」と言われた。

というのは、居酒屋トイレ洗面所とかで何気なくかわす会話、とか想像していたのだけど、そういうのが大切だよね。そういうのが心の残って覚えている、ということがさ。もちろん完全にひとのことを理解するなんてことはどんなに会話を交わしてもない。でも覚えてさえいれば、そのなぜか覚えていた思いを何かにつなげることができる。その「きっかけ」というのはとても大切に思う。

災害を忘れない、というのはそういうことだと思うので。

2023-01-30

anond:20230130150536

女と男には違いがある

男はほぼ顔と年齢しか見ないので、モテない女と付き合うのは、単に容姿が悪いことしか意味しない。

悪女も良い女もあんまり関係ない


しかし女はモテ要素として男の性格、顔、年収センスなどを幅広くみるため、顔が悪くても顔以外が良ければそれなりにモテる。モテない男と付き合うというのは、ただ容姿が悪いだけとは限らないんだよな。


次のような要素のうち複数を持ち合わせてる奴の確率が高いか非モテ妥協して恋愛を望む場合、見極める能力が高くないとかなり危険可能性がある。

性格がクソ悪い、頭が悪くて容姿キモい無能、幼稚、発言不快、低収入、酒癖が悪い、借金持ち、暴力を振るう、男尊女卑、強烈なマザコン他責思考努力が嫌い、ギャンブル中毒レイパー、歯が黄色衣服から異臭がする、人の話を聞けない、体臭がドブとクミン漁港アンモニアを足した感じ、致命的に不潔、共感性が低い、攻撃的、プライドバカ高い、床を汚しても掃除しない、トイレの紙はちょいのこしして絶対に補充せず次の人間押し付ける、失礼な弄りを面白いと思ってる、他人の絵を自作発言して炎上する、謎の情報商材を信じて課金している、アムウェイにハマっている、某学会員恋愛工学徒、クレカリボ払いしてる、など

合コン男性ラインナップ

・A君 26歳

千葉大学医学部卒、千葉大学医局

パパの病院を継ぐ予定。合コンが大好きでパパが節税用に買ったマンションをやり部屋にしている。スピリタス入りカプセルを常に懐に忍ばせる。

身長ぽっちゃり、童顔。

・B君 26歳

東京大学法学部卒、警察官僚

貧しい家庭から猛勉強して官僚になった。減点主義警察組織長官となるため、部下が不祥事を起こさないかビクビクしている。

中肉中背、普通

・C君 26歳

東京大学教養学部卒、オックスフォード大学修士)、外交官

華族出身。「スケジュール」と言うと「シェジュール」、「エレベーター」と言うと「リフト」、「このビルの3階だよね?」と言うと「2階ね」と訂正してくる。

高身長細身、薄顔イケメン

・D君 26歳

九十九里中学校卒の漁師

腕っ節が強い。船の上では頼もしいが陸に上がると何もしない。漁港女性たちが営む定食屋かお婆ちゃんの営むスナック漁師仲間たちと過ごす。

高身長筋肉質、濃顔イケメン

2023-01-12

anond:20230110224423

日本漁港で水揚げするより、中国船と海上瀬取りするほうが儲かるのかもね

2023-01-06

漁港の肉子ちゃん

デブ不細工でやたら声が大きくて惚れっぽくて金取られたとかで

流れてきたらしく、また惚れて金で問題起こして消えていったって

地方スナックホントに見た景色を思い出したけど。

小学校中学校クラスに2~3人いた圧倒的にお勉強ができない

子が大人になった姿なのかもな、と思った。

あと顔を変にしちゃう癖というか症状の子もいた。近所で知り合った

アカデミック職の人にその症状があって忘れてたことに気付いた。

なんかこう説明のしにくい居たたまれなさを自然にお芝居した、

ココミやるなぁというのが感想です。

2023-01-03

濱大樹幸一郎(第211代横綱

濱大樹幸一郎(はまたいき こういちろう 2320年4月3日 -  )は、北海道広尾郡大樹町(現:釧路國広域行政区大樹)出身の元大相撲力士。第211横綱本名は濱田幸一郎。

来歴

相撲とは無縁の生い立ち

天興24(2320)年4月3日北海道広尾郡大樹町浜大樹で漁業を営む家に生まれる。実家に近い大樹町漁港宇宙港は、内陸にある中心市街と対比して浜大樹と呼ばれており、のちの四股名の由来になっている。代々の家業である漁業と大樹宇宙港での不安定重力下での積荷の上げ下ろしを繰り返し強靭な足腰を鍛えあげた。大樹高校卒業後に家業を手伝うも、専門知識技術を身につけたいと上京を決意。新新とかち帯広空港から羽田大気圏空港に降り立ったところ、別の入門者の到着を待ち構えていた宮城野部屋力士に、その筋骨隆々で偉丈夫の姿から入門者と間違われ部屋まで連れてこられてしまう。事情説明し去ろうとしたところ、女将からの説得を受け入門を決意した。

順調な昇進と火星独立運動への従軍、そして綱取り

如上の経緯から序の口から出身となったが、漁港宇宙港重力下高層域および大気圏外での積卸の経験による筋力とバランス感覚の良さで順調に昇進。入門後4年ほどで十両に昇進した。ところが2342年に勃発した火星独立運動に突然単身従軍。これは大樹時代の思い人が火星移住していたことが遠因と言われる。そこで右ふくらはぎレーザー銃による貫通創を追う。紛争後、3年のブランクののち宮城野部屋に戻った濱大樹は火星から連れ帰った弟弟子布雄母巣(フォボス)と泥茂巣(デイモス)らとともに再び猛稽古に励み、2349年に大関TOYOTA場所で13勝2敗、秋場所11勝4敗、九州場所で13勝2敗と安定した成績を収め、横綱に昇進した。横綱審議委委員会では第24内館牧子委員の熱烈な推薦の一幕もあった。

1度だけの優勝と航空事故

横綱昇進後も安定した成績を収めたが、生涯には1度しか優勝の機会に恵まれなかった。これは当時土星木星力士の全盛期に当たっていたためと言われる。同時代横綱土星山(どせいさん)や丸輪花(まるわっか)、名大関の大赤斑ら、高重力下で鍛えた力士たちが鎬を削っており、たびたび優勝決定戦での激戦が繰り広げられた。2352年の優勝の際には、21年ぶりの地球惑星出身力士の優勝となり、列島はもとより出身大樹町では住民たちが7昼夜にわたり祝宴を催し、漁船及び宇宙港船のデジタル大漁旗の皓々たる明かりは月世界から確認できたという。さらなる活躍が期待された濱大樹であったが、2355年の冥王星巡業へ行く途上、日本宇宙航空分解事故により、天王星沖で消息を絶つ。

人物エピソード

方面からの人気

先述の通り土星木星力士全盛の時代に、普通重力下で育った力士として出世したため、地球からの人気が高かった。また火星への従軍経験から火星人類にもファンが多く、くわえて戦傷したことから傷痍軍人からの人気も得ていた。さら土星木星人のなかに地元出身力士ライバルとして語り継がれるなど、惑星植民時代力士象徴存在として言及される。

重力土俵の普及

日本大相撲協会の火星巡業で現地を訪れた際、土俵上が火星重力のままである経験をした。当時は重力制御のためのエネルギーが十分でなく、先述の土星木星系は高重力であり、火星や各惑星衛星植民地や小惑星帯植民地は程度の差こそあれ低重力下での生活を強いられていた。濱大樹はこうした現状を目の当たりにし、「まずは土俵から」と一重力土俵土俵内部に重力制御装置を埋設したもの)を低重力植民圏各地の小学校に設置する運動を始めた。その運動は濱大樹の消息不明後も宮城野部屋により継続された。一重力土俵普及運動はその後各地の生活圏一重力獲得運動へと展開し、現在の様な地球と変わらない生活環境の実現に一役買うことになる。

フローラ地軸事件

2352年に行われた、木星火星中間位置する小惑星フローラの巡業にて行った土俵入りの際、あまりに強い四股のためフローラの地軸が0.8度ほど傾いた。移動式一重力土俵を用いての巡業だったこともあり、宮城野部屋NASAから厳重注意を受けた。ただし当時の在フローラからは大変好評でフローラ毎日新聞には「この土地に箔がついた」の見出しが躍った。またこの一件は、火星歌人である種田オリンポス山頭火(明治から昭和にかけて活躍した種田山頭火とは別人)により

やはりこの 相撲人なり 天地を うごかしたるは 歌読みでなし

と詠まれた。

思い人への墓参り

大樹での幼少期に濱大樹が思慕していた女性は、大樹宇宙港から火星に赴いた。その後火星事変中に火星結核によりこの世を去っている。濱大樹は火星巡業の際には必ず立候補し参加しており、巡業中にはヘラ平原の無天蓋墓地にアホみたいな大きさの特製対外活動服で墓参りする謎の人物の姿が度々目撃されている。

コールドスリープと夢の横綱対決

日本宇宙航空分解事故の際、乗客乗員の多くは緊急脱出ポッドに乗り込む時間的猶予があったと言われている。実際に機体の通信記録からは緊急脱出ポッドの相当数の稼働履歴が検出されている。その中でも特に注目するべきは連結ポッドである。2つ分の緊急脱出ポッドを連結されたものが8機射出された記録がある。これは冥王星巡業で当地に向かった力士の人数と合致しており「関取」ならぬ「席取」により生存可能性を知ることができる。このため宮城野部屋及び日本相撲協会は、太陽系外縁を航空する機体に今もなお周知活動をしており、懸賞金もかけられている。

もし無事に脱出ポッドに乗り込んでいた場合、濱大樹の身体コールドスリープ状態にある。ただし、当時の科学水準においては現在のような2000年単位での冷凍睡眠技術確立されておらず、独自統御をなすAIも搭載されていない。ポッド寿命は持って300年程度と言われる。乾徳49(2517)年、エリス天文台の宙域スキャンにより、脱出ポッド可能性のある古い時代物質が検出され、地元大樹でも話題になった。第389代横綱大譚(たいたん)はこのニュースを受け「もし復帰されたら胸を借りたい」と述べ、世紀を超えた名横綱対決が実現する可能性もある。

観光スポット

濱大樹の業績を称え、大樹宇宙港の地上部に横綱濱大樹伝承記念館があり、当時の低重力火星土俵再現横綱手形や化粧回しなど展示があるほか、濱大樹の立ち合いの威力や得意技のけたぐり威力体験できるコーナーがある。また宇宙港高層域にも濱大樹資料室が存在する。さらに濱大樹の巨大なブロンズ像宇宙港正面入口所在し、この地の宇宙開発の立役者である堀江貴文顕彰記念碑と肩を並べており、宇宙港を訪れた際の撮影スポットになっている。

2022-12-19

anond:20221218231723

地方漁港に行けばその場で魚介類を買って備え付けの七輪や卓上コンロで焼いて食う店あるでしょ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん