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2020-07-28

anond:20200728115931

貴方がどう思おうが、政府の布マスクは役に立ってますよ。

あれが配られ始めてから国民が「仕方ない、布マスクでもいいんだ」と思って自作し始めました。

その結果、不織布マスク医療機関にも不足しなくなりました。マスク転売や品薄も解消されました。物事一面的に見ちゃいけません。

もちろん、国費の投入に見合った効果があったかどうかはなんとも言えませんが。

三浦春馬と同い年だった

三浦春馬と同い年だった、いずれ過去形になってしまうのが悲しい。

彼が亡くなってからふとした瞬間の悲しみがある、会ったことも話したこともない存在なのになぜなのだろう。

多分最初出会いは『14才の母』だ、

とても流行っていたドラマで、家族で見ていた。

あの頃は志田未来がとにかく話題で、「シュッとしたイケメン」くらいにしか思っていなかった。

成人してからは印象が変わった、

CMで歌を披露しているの見て、良い声だな〜と思ったり、ダンス舞台もやっているそうで、何でもできる多才なひとなんだなーと思うようになった。

とはいえもっとも彼を知るきっかけになったのは、NHKの「世界はほしいモノにあふれてる」だ。

MCJUJU三浦春馬で、世界中を飛び回るバイヤーが紹介する雑貨インテリア、食などさまざまなモノを紹介する番組、これが良かった。

彼のことを追っかけたり、ファンとしてドラマ映画を見ていたわけではないので一面的だろうけど、この番組では素のような三浦春馬を見ていた。

そもそもJUJUも素のような感じで、調子の良いことを言ったり三浦春馬をイジったりするのだが、彼は彼で、子供のような純粋な表情をしたり、真面目な顔で何か感じ取ろうとしていたり、表情を見ていて楽しい番組だった。

かいことを言うと番組時間帯が映ってから面白さが半減し、あまり見なくなってたのだけど、それでもJUJU三浦春馬の掛け合いが見たくて見ていたような番組だった。

そんな中であの訃報だった。

出先で速報を見て、信じられず混乱した。

速報からしばらくしてNHKアプリに彼の顔写真トップに来ているのを見て、何だか変な気持ちだった。

出先から帰る電車の中で、なんだか胸が苦しくなってくるのを感じた。

言ってなかったが俺は男で、彼に対して何か特別な思いがあるわけでもない、と思っていた。

けどとにかく悲しくなってきた、友人がいなくなってしまったような、感情を共有してきたひとが消えてしまったような、そんな気持ちだった。

とにかく暗い気持ちになってきて、誰かと話したいと思った。

予期しない喪失感にとにかく面食らっていた。

1人でいると、気が沈む。

妻がいるので、帰宅してきたところを駅まで迎えに行って、ポツリポツリ話し始めた。

他の話題を挟みながら家まで帰り、ニュースを見ながらまた思い出話をしていたら、不意に涙が溢れてきた。

自分でも何故だかわからない、彼のファンでもないし、追いかけていたわけでもない、よく知っているわけでもない。

でも何故かとにかく悲しくなって泣いていた、あとで彼が自宅のクローゼットの中で亡くなっていたと聞いて、余計に悲しくなった。

何故彼は1人で、クローゼットの中なんてところで亡くなってしまったのか、自殺報道の在り方についてガイドライン重要性をはじめて感じた。知りたいけど知らない方がいい情報もあるのだとはじめて実感した。

勢いで書いてしまった、とにかく悲しい気持ちが続いていてこんなことははじめてなので、ここに書き出すことにした。

YouTubeでみた彼の歌が忘れられない、頭の中をグルグル回る。

今日会社ミーティングで、30歳の部下を評するのにこう言った人がいた、

三浦春馬と同じ、悩める30歳です」

少し笑いが起き、同時に「それは不適切ですよ」と嗜める声が上がった。

もつられて笑ってしまった、けど私も30歳だ。

三浦春馬と同じ、30歳だ。

何故か今はそれが悲しい。

2020-07-20

anond:20200720164706

んで男性向けだとそういうのがない。

それは男性向けだと需要がないからだろうし、需要がないのはリアルでそういう悩みを持つ人が女性と比べてずっと少ないからだろう、ってこと。

解釈主観的一面的で一方に寄り過ぎじゃないですか。

2020-07-07

やはり一般的な布マスクやサージカルマスクは糞

朝日新聞の『布マスクの「漏れ率」100% すきまからウイルス侵入』という記事批判されているけど一面的批判と思うんだよね。

かに批判の通り、無自覚感染者が他人に移さないようにマスクを着けることが重要なのであって、他人から移されないようにマスクを着けるわけじゃない。

からブコメなんかは漏れ込みのことなんてどうでもいい話って雰囲気になってるじゃん。

でもさ!今までずっと花粉ウイルスの除去率99パーセントフィルタとかパッケージに大きく書いて花粉患者に売ってた訳!

マスクの横などから花粉がノーガードで入ってくるのに99パーセント防いでくれるみたいな優良誤認させる売り方はダメだろ。

俺はそういう企業姿勢や今までそれをツッコまなかったマスメディア姿勢に腹が立つんだけど。

花粉対策効果のないマスクを何年もつかまされ続けた俺は恨んでるからね!

 

別にすべてのサージカルマスク漏れ込みをなんとかしろと言う気はないけど、

漏れ込みを考慮しているちゃんとしたマスクは高いしまだ手に入らない感じなので、

普通のサージカルマスクフィット性を向上させて漏れ込みを抑えてくれるアタッチメント的な製品欲しいわー。

 

マスクの「漏れ率」100% すきまからウイルス侵入朝日新聞デジタル

https://www.asahi.com/articles/ASN7430PVN72UBQU00B.html

2020-07-03

女性向け同人の4つのタイプ

※免責:4つとも自己体験です(書く&無個性にはなれたことはないけど)ので「アンタ失礼な」って怒らないでね。自省の文とおもってください。

<書く&個性

二次個性ってのは結局注目してる部分だけ念入りに書くということだとおもう。

初心者は多かれ少なかれそうだ。小学生似顔絵だってゆがんだ黄色輪郭に5個の黒い部品かいて「ピ●チュウ」ってタイトルつけてドヤ顔して「ねえねえ似てる?」って同級生に聞いてまわるやつ。おまえにはこの目にあたる黒い点が特に美しくみえたのだな、しっぽはわりとどうでもよかったんだな、ってのがひと目でわかるタイトルがなければひまわりキリンにもみえるとかあるある

原作知名度や、デザインの美しさを奥底まで噛み砕けず記号的に借りられる部分だけを借りて自分の願望を開放することになる。

(仕方ない部分もある。原作キャラデザと塗りと動画声優脚本がわかれてるようなチームワークの商業作品だ。個人ちょっとやそっとで真似できるわけはない。)

それって結局作品をとおした承認欲求しかならないのでは?となる。承認欲求が鼻につくうちはおいしく見えない。

ただ下手絵、下手文の時点でも運良く褒めてくれる赤の他人がみつかれば、その人とは原作のどこに注目しているかが同じ確率が高い。趣味があうのでけっこう長続きする気がする。(余談だが人生での友達の作り方もそんなとこある。社会人になって自分をとりつくろえるようになってからだとやっぱ外面が好きなの?自分の本性じゃないんだけどな、ってなりそう)

ただし、それはグーグル使ってタグごとうまく探せる場合に限る。ナマモノなどは違法著作権じゃないぞ)だから検索がきかない(ようにしなければいけない)。

検索されないと趣味範囲が狭い上にリターンが少ない。となれば活動期間が少なくなりがち。

ぶっちゃけ、探し当てたときにはもう活動していなかった。あるいは疲れて離脱しそうなタイミングだった。というケースが増えてしまう。

というわけで書く&個性&あまりうまくもないってのは自由ではあるがいばらっぽい道であるといえる。

作風をさっさと人生の早い段階で固定できて、なんでも自分なりにじっくり読んで正しく噛み砕け、速攻で次の本を出せる本物の個性技巧派は、それにあった原作が次々みつけられそうならそうしているようにみえる。たぶんそれはいばらではなく自分の道だろう。

底力があって技巧やネタの引き出しがたくわえられた上で個性エロ方面に振れてたり、純愛方面にフレてたり、恋愛テーマに沿って万人受けしてたりすると意外と化けてデビューして売れっ子になる人も。(男性向けだとそういう人が多い)

たとえば「素材」といえばAさん、「インモラル小説」はBさん、って看板さげていろんなジャンル渡り歩き、悪くても島中誕席~オンリーでは壁サー、といったサークルさんがこのタイプに見える。

 

<書く&無個性技巧>

うまくなるのって癖を抜きながら技巧でひとをひきつけられるということなんだろうとおもう。自分個性である癖を完全に抜いて良い技巧だけのこすのって、手間暇もかかるしなにより辛いことなので、めちゃくちゃ努力家さんが多い気がする。

というか、後天的にそうならざるを得ない場合もある。二次で「逆カプ」にドーンとはまった場合だ。評価を受けにくい(アンチを招きやすい)ので、「このカプの魅力が伝わらないのは私が悪いのだ」と思いこんでしまって地味な努力、癖を抜きつつ絵を磨く努力にいってしまう。

あなたの絵もお話もすごくいいですよっていいたい。けど1人で100人分の感想を書くことはできないのでいかんともしがたい。私は私のフィルターしかものがみられないし一面的しか褒められない。ラブレター代筆感想やさんを雇いたくなるのはこの人。

そのうち技巧派さんはジャンルに見切りをつけてあっさりオリジナルBLジャンル商業デビューしたりする。しかデビュー後にオリジナルやるとなんとなく埋没しがち。あれだけ上手い人が酷評ばっかりかよ!ってびっくり。

それはおそらく元ジャンルでの活躍を知ってた人が逆カプにアンチしたい一心で「受けの行動がおかしい、好みに合わない」と酷評していたり。または、元ジャンルでの活躍を知らない人がゆっくりつみあげてドンデンするのが上手な人の試読部分だけ読んで「絵が上手いだけの人」と思い込んでいまいちな評価だったりする。

または、とことん癖を抜かされすぎてしまっている(編集ェ!)。

「ねえその人、元●●ジャンルの人だからその無表情サド攻めは実は純情って展開ガチますよ。このカシオミニを賭けてもいい。」っていいたい。言ってみたい。ああ~せっかく自由に羽を伸ばせるできる新天地でがんばってらっしゃるんだからどんどん売れてくれぇ。みつけたら応援票は入れる。努力家なんて絶対幸せになるしかない。

 

<読む&雑食>

雑な舌をしているので何を食べても幸せ。この人には個性はいらない。というか見えてない。

原作から二次抽出により共通化された記号がある程度とらえられていればそれで原作の感動をかぶせて満足できちゃう

サビは何百回くりかえされてもいい。供給がどんどん出てくる。ドキドキしっぱなし。幸せ同人マン

雑食の弊害は「どなたがどれを書いているか認識しづらい」。

ひどいことになると逆カプでも絵柄やハンドルネームが似ていれば同一人物おもいこむ

感想送ったのに怒られたのなんで?っておもってるやつ。

人は必ず個性があって、努力がある。

間違うと怒られるよ。ほんとに。

さっきのたとえ感想で「純情」といってるのも書いてる本人は純情とはおもってない確率が高いのに本人に言っちゃう

逆カプを褒めるにも「最大手カプに負けず劣らず良い」という言い方をしてかえって傷つけたり。

ワーディング一つで深い認識断絶が露わになる。

まり舌が雑なくせに好みがあるとおもいこんで1人だけターゲティングして粘着するなよ。

「2位ではだめなんですか? どこが駄目ですか?」ってよく自分の好みを掘り下げてから発言したほうがいいとおもう。

 

<読む&偏食>

みつけられたら天国出会わなければ普通の人でいられる。仕事を通して社会に貢献しよう。

はまったら自分の口にあう料理ができるまでつくるほうにはまらないといけないんだからそれだって幸せだ。

だれかに好みの作品をつくってもらえたら全力で感謝しよう。

 追記:ただ勝手に神扱いしてエモ感動ポルノ手紙送ると怖がられるから気をつけよう・・。相手もヒトだから信仰するのはやりすぎ

anond.hatelabo.jp/20200703185426 みたいになるぞ

 

※4つとも自己体験です(書く&無個性にはなれたことがないけど)ので「アンタ失礼な」って怒らないでね。自省の文とおもってください。

血液型占いくらいのいいかげん度だからな? 言葉通りうけとめてなにかあっても責任は負いません

2020-05-15

anond:20200515220838

オタクというのは本質的リベラルであるはずなんだよ。

多様な価値観を多様なネタ、多様な萌えに変換して消費・受容できる懐の広さと、多面的感受性を備えているから、フィクション作品に没入できるわけ。

から保守的視野を狭めるような一面的作品というのがそもそもまれない。一見保守的テーマを描くように見えても、必ず多面的俯瞰的見方ができるようになっている。少なくとも商業作品は。ゴブリンスレイヤーだってそうだ。

2020-05-06

anond:20200506233108

ノン。

はてなーとは正誤を超越した存在

正しいとか間違ったように見えるのは、一面的表象に過ぎぬ。

2020-04-27

偏見は(ある一面の)事実からまれ

見方一面的すぎる=偏っていることを「偏見」という。

2020-04-23

anond:20180811233724

なんかマック女子高生とか、電車の子供とか、片言の外国人みたいな純粋さの権威象徴(他の星の金髪純粋王子様withキラキラしたイラスト)に自分意見を代弁させる嘘松みたいなものを感じるんだよなー。

すごく強くよくわかる。その点では、「星の王子さま」は文学作品というより、「もしドラ」とか「チーズはどこへ消えた?」みたいな寓話を利かしたビジネス書に近いと思ってる。

唐突共感できない寓話設定に、居酒屋説教みたいな支離滅裂でタメにならない教訓が混じって、読んでてウエッと吐き気がする。

星の王子さま」って結局、王子さまが死のうが生きようが好きになろうが傷付こうが、サン=テグジュペリにとっては心の底からどうでもよくって、勘違いと世の中への恨みツラミを書いただけの本だと思う。王子さま以外のキャラクター一面的すぎてマジで嫌い。

から要は、こんなのノンフィクションで書けよって思う。フィクションの力に頼んな!!って強く言いたい。「それはお前の勘違いだよ」って言われるのを避けるためにフィクション化したようにしか思えない。

本当、「星の王子さま」がなんで名作とされてるのか、大人になった今でも未だにわからない。子供ができても絶対薦めたくない。

2020-02-09

文章が読めない日本人(ハフポスひろゆきインタビューについて)

ハフポスのひろゆきインタビュー↓について、ツイッターはてブで「こりゃひどいなー」って反応を見たのでそれについて書く。

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5e3cb7f5c5b6b70886fd0627

 

「昔から女性インターネットにいた」

ツイッターで一番見たのがこの反応、「昔のネット特に2ch)はミソジニーが酷かったか女性男性のふりしてただけだよ」ってヤツね。

この反応、実体験に即して記事批判してるように見えて、むしろ記事の論旨を強化してしまってるんだよね。

記事の主張は「新聞等のネット以前のメディア男性主体だった、でもネットは男女両方を読者として想定している(ただし初期は男性が多かった)」なわけで、()内を否定しても意味無いというか、むしろ大筋の論旨に反してしまう余計な枝葉をそぎ落として、親切にも元の主張を強化してしまってるんだよ。「昔からネットは男女両方が読者だった」ってね。

結構この人は信頼できるだろうと思ってた人もこの反応してて驚いた。そんなに読めないかね、これ。

あとこれは蛇足だけど、記事での主張は「居なかった」ではなく「少なかった」なんだから個人実体験だけではそもそも否定できてないんだよね・・・

 

女性の生きづらさが見えてない」

専業主婦のくだりとか、「女性は顔がある程度かわいければ、そこそこまともな結婚ができて一生食いっぱぐれない」とか、自分も「うわ、きっつ」って思ったんだけど、ちゃん日本語を読むとこれに対する大半の批判は成立してないんだよね。

まず「女性は顔がある程度かわいければ、そこそこまともな結婚ができて一生食いっぱぐれない」の方なんだけど、この文の前と後に

 

前:「日本男性には「生まれ変わったら女になりたい」っていう人、そこそこ多いと思うんですよね。」

後:「そういう男の人には、女の人の生きにくさは見えていないし、」

 

って文があるの、つまり女性は顔がある程度かわいければ・・・」は、ひろゆきの思ってることじゃなくて、「日本男性に~そこそこ多い」「そういう男の人」の思い込みであって、ひろゆきはそれを客観的に「女の人の生きにくさが見えてないな~」って思ってる立場なの。

わかる?これを「ひろゆきがそう考えている」って読むの日本語が読めてないレベル誤読なんだけど、やっぱ文章読めない人は読めないんだなーって思った。

 

次に専業主婦のくだり、専業主婦ラクだと言ってたり、↓のように自分偏見吐露する部分はフェミニズム的に批判対象になり得る部分だと思う。

ただ母親を見ているので、「そうは言っても女の人の方がラクだよね」ってのはどこかにある。母親が働いている家庭に育っていたら、その専業主婦イメージは湧かなかったでしょうね。

ただ、↑の直後に↓の文が来るのね。

他人経験や本などから学習できる人って少数派で、自分経験からしか判断しない人はやっぱり多いと思います。そういう意味では、「自分と違う人は見えない」というのが多数派で、それはなかなか変わらないんじゃないかなぁ。

これ、つまりひろゆき自身が「自分経験からしか判断しない人」であり(少なくともその一面があり)、だから「女の人の生きにくさが見えていない(という事自体は見えている)」、って言ってんの。つまり自分視点を相対化してんのよね。

からこそ「母親が働いている家庭に育っていたら、その専業主婦イメージは湧かなかった」なワケ。前述の偏見普遍的に正しい話では無く、育った家庭で変わってしまうような一面的な「見え方」でしかない、と。

そもそもこの部分のタイトル女性の「生きづらさ」が見えない理由」だからね?

こういう自分に見えてる景色を相対化する文を全部すっ飛ばして、「ひろゆきは(素朴に)女性ラクだと信じているんだ」と読み取るの、マジで国語テストだったら0点だと思う。

(なおこの部分、「自分と違う人は見えない」と普遍化していて、「女性男性の生きづらさ見えてないよね?」とも読めるようになってるの、強かだな、と思う。ここは反論できればするべき箇所かもしれない)

 

過激派区別、への反応の無さ

これまで挙げたような反応は多く見られる一方で、この記事のメインとも言える「今の日本では“フェミニズム”って言葉を使わないほうがいい」理由、つまりフェミニズムミサンドリー過激派を「自分達とは違う」と言えない問題については批判からあんまり反応が見えなかった(少なくとも自分からは)

それそのもの象徴的だよね、あっ、そっか、この人たちはこれからもそこは直すつもりないんだ……って思ったわ。

記事にあることを読めばフェミニズムの現状は「本来保守ネトウヨを自らから切り離せず、「あれは違う」と言えてないような状況」だとまで言われてる(と読める)のに、そこはもう放置なんだ、って。

まぁ分かるよ。

今後フェミニズムは絶っっっっっっっっっっっっ対に過激派ミサンドリー批判出来ないだろうし、する気も無いんだろうね、それは今回の記事に関わらず良く分かる。そんなこと絶っっっっっっっっっっっっ対に無理だよね、凄く良く分かる。貴方達には無理だよ。

 

フラット」の意味

この記事への・での「フラット」の意味については批判側も擁護側も読めてないのが多かった。

とりわけハフポスの編集者が↓のようなツイートをしてたのは驚きだったね。

フェミニズムに関心がない人の目線から、そこそこフラットに語ることができるひろゆきさんに聞くから理解できる層が広がるという取り組みのはず。彼の見解賛同できないものはもちろんあるけど。

いやあん自分とこの記事ちゃんと読んでる?????

記事の中で髙崎さんが「とてもフラットに見ていますよね」って言ってることを批判してる人もだけど、この記事で「フラット」はポジティブ形容じゃないからね?????

読めばわかるけど、フラットと言われて「男女の立ち位置にそんなに違いはないと思ってる」と言うひろゆきに対し、

髙崎さんは「フェミニズムはまず「男と女立ち位置が違っている」というところから始まっているのですよね」「もともとフラット関係じゃない」と言ってるの、

まりひろゆきの「フラット」な現状認識のものフェミニズムから見れば間違ってる、と言ってるの、わかる?

から少なくともこの記事の中で・この記事言及するときに「フラット」はネガティブ意味で使われてると理解するべきだし、ポジティブ意味で使うのは間違ってるの。

 

べつに今更なんだけど、マージ文章が読めない日本人って結構(この人は信頼できると思ってた人でも)居るんだなって実感したわ。

(なお、これをここに書いたのはツイッターで書くのは怖いなと思ったから。少なくとも自分自身論理的な読解だと思ってるけど、そうだったとしてもフェミニズムからは「敵に与した」としか理解されないんじゃないか、という危惧があった。今のフェミニズムにはそういう怖さがある、と思う)

2020-02-04

馬鹿にしてる方が馬鹿っていう一番恥ずかしい奴

『今年のチョコレートケーキは、○○○○革命の味。』洋菓子店POPに書かれていた不穏なキャッチコピーに震え上がる人々「鉄分たっぷり摂れそう」

https://togetter.com/li/1464208

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1464208



フランス革命食文化の関連などちょっとググれば出てくる程度のメジャーな話であり

ケーキフランス革命?どういうこっちゃ」とググれば新しい知識を得られただろうに馬鹿はそれをしない

ネット知識マウントするイキリオタクありがちなのだが彼らの持っている「知識」は「フランス革命=血みどろ」みたいなネットで話題になったキャッチートリビアであり

非常に一面的薄っぺらい。にもかかわらず彼らはそれだけで普通の人は知らない特別知識を得たと勘違いし、キーワードに反応するbotのごとくそれをひけらかす(「月が綺麗ですね」とかその典型

つの事柄でもどういう観点から見るかでいろんな見え方があるとわからず「ケーキフランス革命?血の味がするのか!」とかアホなことを平気で口にする

そんな馬鹿が集まり馬鹿披露しあうまさに馬鹿エコーチェンバーネット地獄である

2019-12-02

anond:20191202122159

容姿に優れた男性に好感を抱く」と「男性に対する感情相手容姿によって決まる」は違うからな。

人間感情は複雑なものなのに、それを「容姿」や「本能」のせいにして一面的解釈してしまうのが問題なんだよ。

2019-11-17

保内さんのnote読んで思ったやつ(フェミニズム関係ないやつ)

他者キャラ化したい人たちと自己キャラ化されたくない人たちの対立

言い得て妙表現

この表現には2つの大事ポイントが含まれている。

1.「他者キャラ化する」ということは、自分の知のあり方の一面を披露することである

2.誰しも自分単純化されたくないということ

1について。

他者キャラ化する」ということは「こいつはこういう性質存在である」という定義付けをして単純化する、ということであるから、その定義付けに際しては定義者が対象をどのように捉えているかが問われる。対象をどのように捉えるかは、すなわちその人間の知覚のあり方を示していて、認知が偏った人間はおおよそ常人思考とはかけ離れた枠組みで物事を捉えようとし、何を見ても一面的な捉え方しかできない視野の狭い状態になったりする。一方でこの定義けが上手い人間は、「キャラ化する」ことを通じて新たな視点提示したり、今まで人々が上手く言語化できなかった部分を補完して共感を呼ぶことができたりする。つまり物事他人共感させるような定義付けには、幅広い知識や的確な言語センス重要になってくるわけで、それは普段その人間世界をどう認識しているかという問いに対する答え(の一面)にほかならない。「キャラ化」とは戦略的に行った場合大喜利のような知的総合力の結集体ともいえる。

2について。

上記のように、「キャラ化」とはその人の知的成果であり、使いようによっては人々に影響を及ぼすことができるわけだが、そのためには表現が洗練されている必要がある。冗長ポイントを外した表現共感を呼ばないし、あくまで簡潔である必要がある。しか人間という存在は誰しも複雑であり、一面的に捉えられるような存在ではない。一見同じような存在に見えても、人によって趣味嗜好や成育環境は異なっており、それぞれの微妙な違いが結果として多様性・複雑性を生んでいる。そういった背景を無視して「あいつはこうだ」と決めつけることは一般的には無礼行為であり、まして人間関係を持たない赤の他人にされるのは誰しも不快に感じるだろう。「キャラ化」とはそういった攻撃性を孕んだ上で成り立っているのである

討論において、論敵をキャラ化するということは聴衆の共感を得るのに効果であるというメリットの他に、上に述べたように相手を軽んじているという態度を表出するという攻撃的な効果もある。これがメリットであるデメリットであるかは、議論をどういう目的でどこに着地させるかによって大きく異なるわけだが、この手法を選好して用いるということは基本的は論敵を侮辱してやるという「メリット」をとったということだろう。こういった敵対的な態度で行う議論生産性はなく、何か成果らしきものがあるとすれば、「あ、なんとなく分かってはいたけどこいつとはやっぱ相容れないんだわ」とか「こういうやり方で討論やってても現実問題解決は遠のくだけなんだな」とい諦め半分の気づきくらいなんではなかろうか。

端的に言うと「こうなんのみんな分かってたよね?分かっててなんでやったん?なんで?ヒマなん?」って感じなんだが、わざわざこういう徒労に時間を費やしてくれている人がいるおかげで世界更新されているんだと思うので尊重するようにはします。行動力ある人えらい。

2019-11-11

韓国ナムウィキの「大正ロマン」の記事機械翻訳にかけてみた

anond:20191109191407で紹介されているやつな。機械翻訳にかけたあと適当修正しただけなので誤訳勘弁。

1. 概要

大正ロマン大正浪漫)。日本大正時代 (1912〜1926)をロマン化した(romanticized)視点表現する風潮のこと。

2. 詳細

(中略)

3. 韓国での批判

本来大正ロマン韓国特に批判される要素がなかった。しかし、2016年の『アイドルマスター ミリオンライブ!右翼議論の後に、大正ロマンが間違っているという主張が一部のオタクの間で提起され、急速に伝播されて、いくつかのインターネットコミュニティを中心に大きな議論を呼ぶようになった。

3.1 いくつかのインターネットコミュニティ観点

韓半島歴史的には、大正ロマンの前半は、日本植民地時代の武断統治期、あるいは文化統治期初期に該当していた時期で、躊躇なく野望を曝け出した民族抹殺統治期よりは相対的に良いが、知ってのとおり制服を着た日本憲兵/巡査韓半島悪名を轟かせていたので、大正時代をひたすら肯定的にのみ見ることには無理がある。軍服だけ除けばどうかという人もいるが、明治以降西洋化日本政府と軍隊が主導して民間に広がったものであり、また大正ロマンにおいて日本軍と制服は概ね必須要素だ。それが無ければぎこちなく感じられる。少なくともマント羽織った学ランは出なければならない。

これらの背景には、日韓両国時代を眺める視点の違いがいくつかあるが、韓国帝国主義時代日本全体を否定的に見る傾向があり、日本軍部政権を掌握した昭和時代以前の帝国主義については一面的否定的評価をしない。そのために、日本メディアでは「あの頃のように帝国主義に戻って大きく強く豊かな日本を作ろう」といった極端なメッセージを含んでおらず、単に「ユニークで美しい時代だった」という意味しかなくとも、周辺国では拒否感を覚える場合がある。

3.2 一般的観点

本来韓国大正ロマン批判される要素ではなく、いくつかのインターネットコミュニティを除けば、大正ロマン批判はない。特に植民地支配擁護する要素がないのであれば、韓国一般人にとって大正時代何の変哲もない時代であるだけだ。ポン・ジュノ監督は、鈴木清順大正ロマン3部作ブルーレイBOXを購入したとインタビューで述べたが、誰も問題にしなかった。日本へのパッケージツアー大正ロマンのコンセプトカフェに行くこともあるし、大正ロマンを題材にした日本文学作品流通することもある。そもそも韓国でもこのようなもの存在することを知らない人が大半である

韓国でもその時代を扱った作品を見ると、大正ロマン必須要素がすべて登場する場合が多い。大正ロマン説得力のある描写とされている要素が、日帝時代特に1920〜30年代舞台にした作品でも、同様に美化されて描写される。主に日本植民地時代時代背景にした作品の中で、日本の悪行や独立運動のような重い素材ではなく、恋愛芸術などの軽い素材を扱った作品で、このような要素が著しく現れる。パク・チャヌクの『お嬢さん映画)』の衣装監督は、最初から大正時代の反物を探して駆け回った。しかし、これをもって、その時代を美化したと批判する人はいない。これは、韓国でも三・一運動から太平洋戦争以前の時期までは、文化統治経済の好況という流れがあったからだ。

実際、韓国オタクのなかでも、大正ロマン批判をする風潮は、あまり古くからあるわけではない。2000年代後半、さら2010年代初頭までは、韓国オタクたちも大正ロマンは良いという話を公然とした。この時期に、韓国でよく挙げられた代表的作品としては『るろうに剣心』がある。ツイッターなどを検索すればログが残っているので確認可能である大正ロマン問題視され始めたのは2010年代中盤だと言うことができ、この時期に起きた事件は、2016年1月舞台あんさんぶるスターズ!右翼議論である。正確に何をきっかけに突然大正ロマンタブーになったかはわからないが、概ね韓国の成長と民族主義化、日本右傾化が原因と思われる。

とりあえず、昔からタブー視されてきた日本帝国日本軍服要素に対する批判が、大正ロマン全体に対する批判拡張されたものと思われる。大正ロマン批判的ではないコミュニティでも、日本軍の要素については批判的な態度をとる場合ほとんどである

また、『ヘタリア』(ウェブコミック) 、『進撃の巨人』(作者がプライベートにおいて自分政治的歴史的見解発言した)などの後に、「避難所ドットコム」などの女性向けのコミュニティで、右翼的な要素が徹底的に検閲された影響もある。おりしも2010年代中盤に入って際立ったコミュニティの先鋭化も少なからぬ影響を及ぼした。現在は、男性の多いコミュニティでは日本軍服など軍国主義要素は批判しても大正ロマンに対しては問題を感じない人々が大半だが、ツイッターおよび女性の多いコミュニティでは大正ロマン軍国主義の美化および戦争の美化と同一視して、徹底的に排斥しなければならない要素として扱われている。

(後略)


まりこれ腐女子の学級会案件なの?

2019-11-09

ディベートモンガーと化したネット論客学者へのレクイエム

多面的常識を相対した事で名声を得た人が

ツイッター一面的常識他人論破することに必死になっているのを見ると

正しさで人をやり込めた末がトランプ召喚だったことに思いをはせる

2019-10-21

追記日赤ポスター宇崎ちゃん

https://anond.hatelabo.jp/20191019021148

を書きました.たくさんのコメントありがとうございます.もう食傷気味かもしれませんが,追記します.

ただ,この追記基本的コメントに対するものではなく,前増田が長文になりすぎたために書けなかった部分についてです.論点はここ数日で既出のものリンク)に近いかもしれないです.

https://anond.hatelabo.jp/20191018230535

結論は,「フェミニズム性的表現非難する時には,非モテ男性に与える不平等感について自覚配慮し,主張をするべきである」というものです.いわば,私が前増田で書いた主張と対になる主張をします.

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増田では,「『公的な場で,女性男性目線性的に描くことには,女性規範に悪影響を与えるリスクがある』という認識が共有されるべき」と主張した.これは,当然,絵のみでなく,コンパニオン女子アナ芸能等の実在人物にも平等に主張されるべきだ.一方で,「では,なぜ絵には、とりわけフェミニズム非難が集中するのか」を疑問視する立場がある.この論点重要だ.

まず,前増田説明したフェミニズム非難の内容を再確認する.公的な場で,男性目線性的女性を描くことは「女性は,男性から見て性的存在であるべき」という社会的規範を強化する.この規範の例は,

だ.男性目線性的存在として女性を繰り返し描くことで,それが『通常』と認識され,規範となる.規範は,そこから逸脱する女性自由を制約する(例:「女性は皆,お酌をしている.自分もお酌をしなければ,普通じゃない生意気な女だと思われそうだから,お酌をする」).

規範特に問題となるのは,相手男性性的魅力がない場合である.例えば,「女性は,通常,『好意がある男性には』お酌をする」という規範と,「女性は,通常,『好意がない男性にも』お酌をする」という規範では,後者の方が,女性意思に反するだろう.このような規範を強化するのは,「性的に魅力のない男性非モテ男性目線で,性的に描かれる女性像」である.件の献血の絵の問題点は,前増田で述べた通り,公的な場における性的表現であるため,「女性存在は(一般に)男性目線で魅力的であることが『通常だ』」という規範を強化することであるしかし,それだけではなく,オタクであるために,「女性は,非モテ男性にすら性的に振る舞い,消費されるのが『通常だ』」という規範を強化しうることも問題なのだ.このように,非モテ男性向けの性的表現が,一般向けの性的表現よりも忌避されるのは、感覚として自然である.(これは、「単に非モテ男性作品自体を嫌っている」のとは似て非なることには注意が必要である)

このため,ある性的な絵がフェミニズム的に非難されるとき,「性的表現の程度(例:胸の大きさや強調され方)」だけではなく,「画風,タイトルセリフ知名度などを総合して,一般人にとって,『非モテ男性向け』なイメージがある絵かどうか」によって非難の程度が変化する.しかも,判断基準客観的事実(実際に非モテ男性がそれを性的に消費するか)ではなく,主観的事実一般人にとって,非モテ男性がそれを性的に消費しているイメージが湧くか)である.なぜなら,その社会の誰かが,非モテ男性女性性を消費するイメージを持った段階で,その人の主観においてその規範が繰り返され,強化されると想定されているかである峰不二子セーラームーン芸能人の有害性よりも,オタク絵の有害性が強調されるのは,一定数の人は,知名度の低いオタク絵に対し「非モテ男性向けの性的表現」というイメージを持つからである

ここで最も重要なのは上記フェミニズム文脈におかれた,非モテ男性立場配慮することである上記を雑に換言すれば,「モテ男性の好みの女性像は,多少性的表現されても問題になりにくい」「非モテ男性の好みの女性像は,少しでも性的表現されれば問題になりやすい」ということだ.しかも,それは,しばしば,事実と異なるイメージにより一方的判断される(例:「実際にはエロの要素が少ないマンガでも,作品を知らない人から一方的に,絵柄からオタク性的に消費する姿が想起されるために公的な場には不適切だと判断される」).つまり男性の間には,女性モテる/モテないの格差に上乗せして,好みの女性像が持つ市民権にさえ格差がある.非モテ男性立場からすれば,これは控えめに言って不平等であり,もっと言えば差別的である社会から女性差別的規範排除する試みは,自然に,非モテ男性差別的な側面を持つことを認識するべきである

フェミニズムがこの差別的側面を無視するのは得策ではない.無視するための手段としてよく見られるのは,性的表現非難する際,もっぱら「性的表現の程度(例:胸の大きさや強調され方)」だけを議論し,「表現対象非モテ男性向けか,一般向けか)」の影響は無視するというものだ.一見,これは,非モテ男性だけを問題視しない,公平な態度であるしかし,表現対象に依らず,同程度に性的表現の全てを非難するのは現実的でない.なぜなら,主張する本人すら必要性を実感していない様々な対象非難する必要があるからだ(例:オタク絵への非難正当化するために,峰不二子非難する.しかし,本人も実際には,峰不二子には不適切さを感じていない).すると,フェミニズム非難は無関心層・中間層には実感として理解されにくく,建前や自己目的化、更には単なる嫌悪表現と誤解される.当然,社会から性差別規範排除するためには,この無関心層・中間層から理解必要であるフェミニズムは,非モテ男性向けの表現特に問題視するということを認めなければ,社会から女性差別的規範排除することは難しい.

以上からフェミニズム性的表現非難するときには,まず,「非モテ男性向けの性的表現特に問題視する」という立場を認めるべきである.その上で,非モテ男性に与える不平等感について自覚配慮し,主張をするべきである.どちらの立場にとっても,一面的正義を主張することは,火に油を注ぐだけである

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10/21 12:49 加筆・修正

10/21 22:00 加筆・修正

2019-10-17

anond:20191016163058

その論は一面的しか語っていないと思う。不自由を語っていない。

最も恐れるべきは積極的不自由ということには皆合意すると思う。

それはホロコーストとか、富の偏りが大きくなる傾向の中で緊縮財政を敷き金銭が回りにくくなっているところに逆進課税を進めるとか。

消極的不自由を行ったところで大したことはない。

不自由になる人々のことを考慮していないんだ。

消極的自由が達成される範囲の中で積極的自由を行うことが正義なのでは?

2019-09-22

anond:20190922052710

残念だ。お前は俺の言いたいことも知りたいことも持ってないようだ。お前のように一面的で、暴力的思考しか持ち得ないですんだら俺も楽だったのに。もういいよ、ありがとう

2019-08-18

「どうして障害者のことをかわいそうだと思ってはダメなのですか?」という問いに答えられなかった話

「どうして障害者のことをかわいそうだと思ってはダメなのですか?」

私が参加していたアクセシビリティの授業で、こう問いを発した学生がいた。

そのとき現場には衝撃が走った。問われた講師も、明確に答えられてはいなかった。確かに、なんとなくそう思ってはダメなことは知っているが、なぜだろうか。

私は障害当事者なので、密かにその言葉にショックを受け、なんとなく見下されていると感じた。そのことを悶々と考えた軌跡を忘れないうちに書いておこうと思う。

その思考きっかけとして、24時間テレビから始めてみた。

今年も24時間テレビが始まる。障害者の方がなにがしかチャレンジし、芸能人24時間走るらしい。毎年のことで、私のTwitterのTLには良い反応は流れてこない。当事者の間で、この番組が好きだという人はあまりたことがない。かくいう私も好きではない。当事者でなくても、批判している人は多い。NHKでは「バリバラ」という裏番組放送し、それが24時間テレビ揶揄したような内容で話題になった。

障害」のことを知ってもらうという役割はあるかもしれないけど、それにしたって切り取り方があまり一面的であるもっと理解につながる番組だったらいいのに。

私もそう思う。でもそうならない。なぜ?たぶん、それがウケるからで、視聴率が取れるから

私が24時間テレビ良く思っていないのは、この構図をまざまざと見せつけられるからだ、と気づいた。障害者ががんばる、それを見て感動する。だけどそこに、私や私の大切な人がああならなくてよかったという感情がないと言い切れるか。私の人生はそんなにいいものじゃないけど、下には下がいる。その人たちが頑張っている!私はまだマシだ、明日から頑張ろう。そう思ってなんかいないと言い切れるか?

障害者を取り巻く「上下」の構図を「感動」というもので見せつけられている気がしてならない。もっと悪く言えば、感動のための道具で、人間扱いされていない。そういう番組世間ウケる

その構図を突き付けられる事件は、ここ最近頻発しているように見える。おそらくSNSの台頭がきっかである視聴率というオブラートにまだ包まれていた刃よりも、個人意見という生身の刃があちらこちらに存在している。相模原障害者施設殺傷事件ときの、あのしらけた雰囲気京アニ事件との反応の差を指摘した意見もあった。参院選での、れいわの舩後靖彦さん、木村英子さんの当選公費負担に対して巻き起こる議論。信じられない…と思わざるを得ないツイートに何万件ものいいね

障害者のことを人間扱いしないということが、時には感動として、かわいそうだとして、反応の差として、議論として、いいねの数として現れてくる。それは結構辛い。自分はその世界に生きていることが、恐ろしく思えてくる。エグい現実だ。結局、差別用語禁止なんかで見た目はそれらしく変わったように見えても、障害者積極的排除してきた頃から根っこは何も変わっていないのじゃないか

だけど、ちょっとした希望もある。それは、れいわのお二人が当選して、参議院の改修や制度検討についてすごいスピードで進められていったこと。知人と、当事者がいるとあんなに早く進むんだねという話もした。現場にいると分かるが、変化というものはそんなにすぐは訪れない。前例が、予算が、人手が、時間が無いといって。その間に私の時間はどんどん減っていくのだけれど。まあそれはおいといて、変化は起こせるものなのだということを実感できたことはすごく勇気づけられた。

問いに自分なりに答えてみる。

なぜかわいそうと言ってはいけないのか?かわいそうという言葉がまずどこから来ているのか考えたほうがよい。たとえ何もやましい気持ちがないという結論になっても、その言葉当事者を下に見る、人間として対等に扱っていませんという文脈を予想させる。それで世の中は溢れている。それが君個人言葉として、より鋭利に変化して当事者を刺すこともある。障害を「欠落」としてみるのではなく、「異なる」部分を持つ人として見てほしい。

2019-06-27

フェミニストだけど「女は貞淑であるべき」だと思っている

よくフェミニスト叩きの文脈で、女に貞淑さを要求するのは本来フェミニズムじゃない!ってレッテル貼りを見掛けるけれど

それってフェミニスト観が一面的過ぎると思う。

私はフェミニストだけど、「女は貞淑であるべき」「男との性行為は極力避けるべき」だと思っている。

だって男女の身体性の違いはどうしたって無視できないし

女性が無計画な性行為自分自身が痛い目を見るだけならともかく、妊娠しようものなら子供という第三者迷惑をかける。

から女性は軽々しく性行為をすべきでないと思っている。

ちなみに男性貞淑でなくとも問題ないと思っています

女性貞淑であるべきだと思っていますので、男性の性欲は是非とも男性同士で解消して、どーぞ。

2019-06-19

令和時代財政の在り方に関する建議の文教科学技術に対するコメント

気になったので読んでコメントしてみた。(個人の感想です)

令和時代財政の在り方に関する建議

令和元年6月19日

財政制度等審議会

https://www.mof.go.jp/about_mof/councils/fiscal_system_council/sub-of_fiscal_system/report/zaiseia20190619/index.html

更にはその成果は使った「量」に見合うものであったのかといった議論に焦点があてられることはほとんどなかった。

しかしながら、本来、「量」は教育政策科学技術政策目的を達成するための手段であることから、これでは本質的議論とはならない。

えっ。あるけど都合が悪いか無視しているだけじゃね。

政策に生かされなかったが正しい文面じゃね?

話ずれるけど消費税とか年金とかで

政策目的を達成するための手段であることから、これでは本質的議論とはならない。

とか言うべきだよね。増税する前に。

教育は一人ひとりに対するものであるという観点から、在学者一人当たりで見れば、OECD 諸国と比べて、教育支出は高い水準にあり、公財支出に限っても遜色ない水準にある。


教育は一人ひとりに対するものであるという観点」がズレている気がする。

よくわからないけど、塾とかの費用は含んでいるのか?正しいのか?

教職員数については、少子化の進展に伴う自然減や平成 29 年度の法改

正に基づく基礎定数化を勘案した見通しによれば、定数改善を行わなく

とも、児童生徒当たりでは増加することとなる。また、主要先進国と比

べても教員一人当たりの児童生徒数は遜色がない。〔資料Ⅱ-3-4参

照〕

したがって、更なる定数改善必要か否かは、定量的かつ客観的なエ

ビデンスや PDCA サイクルの確立大前提として考えるべきである

主要先進国と比べても」あるけど仕事の内容が同一じゃないから比較するのは明らかにおかしい。

PDCA サイクルの確立学校とかじゃなくて政策のだよね。

加えて、教育上のデメリットが指摘されている小規模校(1学校当たり 11 学級以下の学校)が半数を占めている実態もある。

あいまいに書くことでなんか言いたいような文章だけど。具体的なデメリットの内容がわからない。よくわからないけど金銭的なデメリットというだけじゃないの。

近所にあるとか。そのようなメリット無視した文章だと思った。

(5)国立大学法人等への公的支出

公的支出の総額について

まず、国立大学への公的支出の総額については、このうち国立大学

営費交付金だけを取り出して、平成 16 年度の国立大学法人化以降、約

1,400 億円減少したとする指摘がある。しかしながら、この指摘は、教職

員の退職に応じてその都度別枠で補助してきた退職金相当額が退職者の

減により減少したことなど教育研究に直接影響しない減少を含んでしま

っている一方で、教育研究向けの補助金の増額を含んでいない表面的・

一面的ものである

これらを勘案した実質的教育研究向けの公的支出の総額を見れば、

法人化以降、約 600 億円増加している。

競争資金割合が増えたせいで安定した運営となる基盤の財源の割合が少なくなっていることとか書かれていない気がした。

払わなければならない学費の増加と関係しているのに。

昨秋の建議において、こうした現状を温存することなく、社会ニーズに応じた教育水準やグローバルレベル通用する研究水準を確保するための全学的なマネジメントが行われるよう、

教育研究にかかる共通定量的な成果指標による相対評価50に基づく配分を徹底し、

評価に基づく配分額をまずは国立大学運営交付金10%程度、1,000 億円程度にまで拡大

する必要があると指摘したところである

1つ目はいいと思うけど。大学場合、小中高の共通ないようによるテストはないので手法として難しい気がする。またこ評価実行の金銭時間コスト政策側が負担すべきものだろう。

2つ目は危ういと思う。新分野の教育について最初評価は低くなりがちで革新を抑えるため、さら教育が硬直する危険性がある。

一人ひとりの学生研究者でみれば教育研究の成果が現れるには一定時間がかかるという主張もあるが、全学としてみれば、教育をした卒業生を毎年度送り出し、また、日々グローバルにしのぎを削っている多くの研究者を抱えている。

こうした過去から努力の積み重ねとして毎年度現れてくる成果を適時適切に評価することなくして、評価やそれに基づく配分といった既得権長期間固定してしまえば、新陳代謝切磋琢磨を阻害し、ひいては国際競争の後れにもつながりかねない。

しろ過去から努力の成果を毎年度適切に評価することによって、教育研究の質の向上を促すべきである

悪意を持って研究評価教育評価と混在させた議論をしているように感じた。

時間スケールの異なることを議論して都合のよい部分だけをつまみ上げた文章である

当たり前だけど教育研究は別々に評価すべき。

日本主要先進国並みの研究開発の生産性を確保できれば、日本トップ 10%論文数のシェア主要先進国を上回ることができる。科学技術関係予算

の「伸び」が課題とされることが多いが、こうしたことを考えると、真の課題研究開発の「生産性の低さ」であると言える。〔資料Ⅱ-3-31~34 参照〕

研究開発の生産性の低さの要因について

大学における研究環境の硬直性・閉鎖性が研究開発の生産性が低い要因であるということは、大学内外から指摘され続けてきた。実際、

・ 分野ごとの論文数のシェア学部学科の定員のシェアが長期にわたり硬直的であることや、

日本研究人材の国際流動性や国際共著論文数が主要先進国の中で劣っていること、

は明らかである

雑務が多いと言われているので「勤務時間」を分母とした場合では生産性は明らかに低いことは同意する。

研究にかける時間に対しての評価」に対しての生産性議論をせず、単に研究生産性(研究者が悪いと決めつけた議論)へすり替わっているのが気になった。

このため、まず、科学技術分野における戦略プロジェクトを設定・

実施する際に、

研究予算多寡などの研究に使う「量」(インプット)を目標とするのではなく、これにより得るべき研究成果を相対的定量的評価可能指標として目標化するとともに、

・ そのうえで、重点化する分野、いわゆる「ハリ」の分野のみを提示するのではなく、過去総合科学技術会議科学技術予算についてSABC の4段階評価55を行っていたように、温存しない分野、いわゆる「メリ」の分野も提示し、厳しい優先順位付けを明確にするべきである

2つ目は悪名高い「選択と集中」。しかも、ここで評価をしたからといって全体の予算が増えるかどうかとの関係性は述べられていない。

全体の予算が増えない状況でこのようなこと時間をかけて行うモチベーションが湧くのか?非現実的方法と思った。

加えて、官民の適切な役割分担・連携重要である日本企業部門研究開発投資主要先進国の中でトップクラスの水準にあり、また企業部門流動資産過去高水準にある。

[要出典]

ほんとなの?特許数とか論文数とかでも???

2019-06-17

怠慢育児教ちゃちゃこ正直クソババアお母さんとNO科学者に箸を、いや

箸の持ち方やマナーに関して何やら揉めているようだが

こんなもので大騒ぎになる事自体不思議でならない。

ちゃちゃこ正直クソババアお母さんという下品ハンドルネームの女や

もじゃもじゃ頭のNO科学者が「持ち方の自由」を主張している。

だが、騒ぎの本質は「正しい」という表現への脊髄反射。それだけ。

これが子供ではなく、いい歳した大人の態度というのだから驚きだ。

動作操作に関しては「適切なフォームポジション」が存在する。

私は筋トレ趣味だが、いわゆる「正しいフォーム」というのがあり

その「正しいフォーム」とは「数多の先人達による膨大な試行錯誤経験則から

「平均的、あるいは好ましいフォーム」として定まったと解釈している。

そして「正しいフォーム」は自ずと美しく見える。

もちろん平均から外れる人もいる。私も種目によっては正しいフォームが合わない。

しかし、それは大抵微調整で済むレベル

「正しいフォーム」を頭ごなしに否定自由で良いんだと言うのは

一時的かつ一面的しか物事を捉えていない脊髄反射人間だ。

無粋で無責任で無作法で無節操

結局「使いやすければどんな持ち方でも良い」を突き詰めれば

必ず、前述した「数多の先人達による膨大な試行錯誤経験則」の繰り返しになる。

箸の基本形状と構成は変わらないのだから当たり前だ。

フォームポジションというのはそういうもの

「正しい」とされるに至るプロセスを辿らず表面だけ見ているとそんな事にも気付けない。

料理下手が陥るのもこのパターンだ。

基礎を禄に学ぼうとしないのに「なんとなく」「雰囲気で」調理する。

そして「アレンジ」を加えて「独自性」を出そうとする。

満足しているのは自分だけ。

こんなのに料理を出された方はたまったものではない。




ただ「正しいとされたきた」全てを肯定しているわけではない。

例えば「下半身強化には走り込みが常識」という主張には反対だ。

走り込みというのは有酸素域の運動であり

それは「過負荷の原則」及び「漸進性の原則から外れ

筋力が上がるどころか下がるリスクの方が高いというの学んだからだ。

強化の観点からすれば走り込みは裏付けのない根性論しかないとわかる。

ちゃちゃこ正直クソババアお母さんとモジャモジャNO科学者

マナー・エチケットフォームポジションなどをご破算にし「自由」の行使を主張するなら、

今後、他者無礼や無作法を「自由」の名のもとに受け入れる覚悟があるということか。

どうせ立場が変われば批判対象と同じことをやらかすだろう。

お前が言うな」と嘲笑されても甘んじて受け入れるか見ものだ。

従来の正しさを葬ったところでまた独自の正しさを押し付けてくるのは明らか。

それが予想できないペラペラ人間には、モジャモジャ毛の生えたハートに箸を、いや釘を刺して

「いっぺん死んでみる?」と言ってやりたくなる。

こいつらは、なぜ過去からの積み重ねを検証せず

現代に生きる自分が必ず最良の選択していると勘違いするのだろう。




私は、恥ずかしながら食事所作をまともに教わった事がなく

中学生時代スプーンの持ち方を同級生非難された。

「親の躾がなっていない」と。私は酷く憤慨した事を覚えている。

今思えば憤慨は恥ずかしさを隠すためだった。

20代前半、付き合っていた女性が箸で簡単に豆を掴んだり

魚や肉を綺麗に切り分けたりしているのを見て

同じ箸を使っているのにどうして自分にはできないのだろう、

そんな疑問が浮かび訊いてみた。

答えは簡単あなたの持ち方がおかしいのよ」。たったそれだけ。

私は愕然とした。持ち方が違う?まさか

それから懸命に持ち方と動かし方を真似て練習。するとどうだろう。

今まで何となく不便を感じていた箸がまるで最適な道具になったかのよう。簡単に物を掴める切り分けられる。

米粒でも豆腐でもツルツルした煮豆でも容易く掴むことができた。

正しいフォームを反復練習するだけで、こんな大きな違いになるのか、

自分なりに使いこなそうとしていたのはなんだったんだと、己の視野の狭さと浅はかさに唖然とした。

今、私は中学時代同級生と当時の恋人感謝している。

フォームポジションの大切さを教えてくれた恩人。

そして何より箸を考案し正しい持ち方までも無償提供してくれた昔の人にありがとうと思った。

ちゃちゃこ正直クソババアお母さんという女、ちらっと見ただけでも

浅い、煩い胡散臭い、あつかましいなど、何拍子も揃う。

子育ての大変さを軽く見積もっていたくせに

その覚悟もなく子作りをした結果、子育てに窮し不平不満を爆発させ

ブログSNSで当たり散らしているというのが実態だろう。

どうせ子育てについて「正しさ」「適切さ」に反発して碌な情報収集勉強もせず

「己を犠牲にしない自由育児」なんてアホなお花畑思考だったのではないだろうか。

この女は悪知恵も働くようだ。

子育てしている主婦なら誰でも直面する不安を不平不満に転換させ肥大化正当化を煽る。

悪いのは夫だ!親だ!環境だ!社会だ!と責任を他に求めるよう誘導

あなたは一人ではありません、私のサロンで仲間と学び人生謳歌しましょうと

思考麻痺した人から金を搾り取る。弱みにつけこむ強欲女。

夫のことを平気で「旦那」なんて呼べる品の無さと

「正直さ」と「あつかましさ」を履き違えたデリカシーの無さは見苦しい。




ネットで消耗している暇があれば家族に全力出せ。




こんなのがチヤホヤされているのを見ると

未だに橋下や堀江を有難がっている人がいるのも頷ける。

「正しい持ち方」は効率的使用法の情報提供に過ぎない。

どうした訳かそれを突っぱね修正アップデートもしない。

これが現代人のやることなのか?

何の検証考察もせず、既存価値観概念否定したり壊せば

明るい未来が待っているなんて幻想しかない。

それも過去から学べるはずだが。

箸の持ち方ひとつとってもこの有様なのだから

まともな日本人の皆さんは危機意識を高めたほうが良いと思う。

おかしな輩が暴走したら取り返しがつかない。




【対案を出せ!】中野剛志改革バカをぶった斬る【大阪都構想

https://www.youtube.com/watch?v=EduqZb9Xf0o&feature=youtu.be&t=79

西部邁

論理性をなくす背景に、新しいこと、普通改革と言われている「Change」

「New Change」は何か良い事をもたらすはずだという漠たる…

中野剛志

変化を恐れるなとかですね。

西部邁

それがずっと続いているんですね。

中野剛志

セリフ同じなんですよ。

起爆剤!!」とか「突破口!!」とかですね。

お前起爆してやるっていうw




西部邁ゼミナール戦後日本の自滅願望【1/2】

http://www.nicozon.net/watch/sm20102492

17:42~

佐藤健志

そしてこれまでが全部悪かったんんだ、これまで全部否定して良いんだと言って始まった人達

行き詰まってくると、またそれをやりたくなる。

これ言葉があるんですよね。

英語では「The Myth of the Clean Slate」って言うんですが

日本語で言いますと「ご破算で願いましては神話」。

今のシステムチャラにして1からやり直すのが一番良いという発想です。

これをやりだすと大変なことになる。

今あるシステム全部壊すことなんです。

で、壊すと言うことは何やら「現状に風穴を開ける」ということで

それだけで自分達が建設的なしているという錯覚に浸れると。

2019-05-23

anond:20190523234047

そういう一面的な話じゃなくてさ。

それだけでなく「脊椎動物を優先的に保護して何が悪いの?」っていうのが例の増田の主張なわけ。

ヒトに近い生物を優先的に保護することは、平等ではなく功利主義に基づく差別行為だと自覚しているのだから

平等なんてものハナから相手にしてないよ。

やってることは平時におけるトリアージ

2019-05-12

anond:20190511173955

なんで? アンケートときで真の「幸福度」が図れるとおもってるほうがおかしくないですか? 

だって不幸な女との交際を欲しがらないんだから無理にでも幸福になっておくのも一つの処世術でしょ

ネットによくある「メンヘラ女は地雷」言説が典型的

結婚して母親になったら次は「泣いてないで強くならないと夫が、子供がかわいそう」言説。

強くなれ賢くなれ一人でもできるできる

ってどこまででも要求されピーターの法則家庭内出世をさせられる

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87

それらを内面化し「自由に不幸がってはいけないのだ」と学習させられた女は

「悩みがあって幸せでなくてももっと不幸な人を仮定してそれよりは幸せなふりをするよう強制」される。

 

その状態理解してるくせに一面的アンケートとやらをうまいことつまみぐいしてるのがそのツイッターアカウントですよ

一方で今は「男だから泣くな強くなれ」なんてことは軍国主義じゃあるまいしと否定されるから自由に不幸がれる。

今の世の中、男のほうが誰はばからず不幸がれていいですねとしか

 

きりとってんのはどっちだろうね

2019-04-21

文字や音声などによってある一定時間のうちに言葉で表すことができる世界一面的ものに過ぎないことを知ってから、あらゆる言葉に対して感じる重要性が減った気がする

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