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はてなキーワード: 一面的とは

2021-06-24

anond:20210624005602

ちょっと世に流れた一面的情報で、そういうよく知りもしない人間人生

自分意見のための都合のいい補強材料に使おうとすることの非人間的な感性ヤバイ

反出生主義のような観念的なことを語るよりも、よほどヤバイ

2021-06-19

anond:20210619224510

なんか恐ろしい仮定をされたので一応言っとくと作者じゃないよ、どうやったらそんなふうに考えが働くんだ

全ての舞台装置必要からそうしてるわけではないでしょ、どんだけ不寛容なんだよ

作者の意図云々というより(そんなもん作者に聞け)、あなた思い込みが過ぎるよねと言いたい

not for meはそのとおりなんだけど、読み方が一面的すぎてもったいないなーと思う

最後の一文は抽象すぎて何が言いたいのかわかんねーや

2021-05-09

追記です。弱者男性を名乗る一部の?人達精神障害者女性サンドバッグにしてきたことについて

anond:20210506234730追記しようかと思いましたが、思いの外長くなったので別にしました。

 

わたしの見たこと、聞いたこと、知っていることは①発達障害男性をはじめとする多くの男性弱者男性自称した②弱者男性自称する人々は「障害持ちでも女は理解のある彼くんがいるからイージー」と言い③弱者男性自称する人の中に苦言を呈す人が殆ど、全くと言っていいほどいなかった。ということだけです。

全ての弱者男性でないことはわかります。誰よりも「こんなこと言うのは一部の人だけだ」と思いたかったです。でないと、辛すぎるじゃないですか。でも残念ながら、思えませんでした。今は一部ではなく、半分もしくはそれ以上だと思っています

 

発達障害と躁鬱に対して、前向きに対処し、生きていくために、Twitterで同じように障害を持つ人たちとつながっていました。同じ困難を抱える仲間だと思っていました。

ある日「理解のある彼くん」のあのツイートが流れてきて、それ以降男性フォロワーが口々に「女の方がイージーだ」と言い始めました。皆それに同調し、下衆なツイート積極的リツイートしはじめました。彼らがいいねをつけたツイートが山ほど流れてきました。誰一人否定する男性がいないことが、とても残念でした。

リアルであったことのある男性で、アセクシャルを打ち明けた人さえそちら側でした。分かり合えたと思っていましたが、間違いでした。

 

発達障害ではない男性アカウントで、苦言を呈してくださった方が1人だけいましたが、弱者男性から「ちんぽ騎士」呼ばわりされ晒されていました。それをリツイートしたのも、リアルでも知り合いの男性でした。

「女には股を開けば理解のある彼くんがゲットできるだろ」という発言が正しく、それを耳にする女性気持ちを慮るのは性欲目的以外ではあり得ないと思っていたのだなと知って、気持ちが悪くなりました。

その発言のあった頃から、もう、弱者男性というもの嫌悪を覚えるようになりました。仕事で関わる軽度の障害のある男性に対しても、この人もそうかもしれないな、あのツイートいいねしてたのかもしれないな、と考えるようになりました。

 

弱者男性を名乗って精神障害持ち女性サンドバッグにする人たちがいたとしても、わたしは「全ての弱者男性ではない」と信じ、嫌な思いをさせられても「辛いから仕方ないですよね」と許す「べき」だったんでしょう。そう出来ないわたしが悪いです。多くの人の心は差別してしまもので、わたし例外ではないのだと思います。(それについては、わたし自身、残念に思います。)

 

 

 

「全ての弱者男性ではない」と主張する人は、「すべての障害持ちの女性に彼くんがいるわけではない」とは言いませんでしたよね。なぜ弱者男性自称する人達が、女性精神障害者を叩いているとき一言でも止めなかったんですか?あの「女はマンコパワーがあるから」と言い張る下衆な人達弱者男性でないなら、何故そういう人たちを野放しにし、弱者男性社会的信頼を貶めたのですか?わたしには、全く理解できません。

 

全ての弱者男性が悪いわけではなくとも、弱者男性を名乗る人に攻撃される側がどう思うか想像してみてほしいです。

全てでないことはわかります

理屈ではなく、気持ち問題です。

それでいて、論理的な話だと思います

ある属性を名乗る人たちに何度もバッシングされたら、その属性の人々を嫌いになるのが、多くの人間基本的感情の在り方ではないですか。

 

沈黙は同罪、共犯というつもりはありません。

弱者男性を名乗る人が「女は彼くんがいるだろ」という中で、弱者男性あなた沈黙していたら、弱者男性犯人に見えます

わたし増田へはこんなにも反応できるのに、なぜ、あのとき沈黙したのですか?

 

男性の困難を語る上で、男性場合女性より支えになるパートナーが得にくい(これは必ずしも事実でないようにわたしは思いますが)ことを受け止め、真剣に考えていくのならば尚のこと

その言説をねじ曲げて、精神障害持ちの女性への当て擦りやバッシングに使われることを憂い、否定していくべきではないですか。

弱者男性差別されるように仕向けているのは、弱者男性自称して他の人達を叩いてる人じゃないですか。

これはわたしの我儘ですが、パフォーマンスでもいいから、「弱者男性ですが、私はこれに反対です」と言って欲しかったです。そう言っている人を信じたかったです。

 

わたしのことはどうでもいいです。福祉仕事をしていましたが、離れることを決めました。転職活動コロナが明けるまで様子を見ようと思いますが、弱者男性への嫌悪が芽生えてしまった状態で続けていくのは無理だと思います。(給料の安さや、鬱がマシになったかステップアップを目指したいなど他の理由もあります。)

わたしは、あれを無かったことにしたくなかっただけです。

改心するつもりもないです。トーンポリシングだとも思ってないです。だって弱者男性いくら態度を改め「わきまえた」ところで、もう耳を貸すつもりはないですから

 

ただ、みなが「すべての弱者男性ではない」と思ってくれる聖人ではないと思いますよ。

弱者男性」という言葉を使って、「女はマンコがあるからイージーなんだ」「弱者男性女性よりもずっと辛いんだ」という人たち、弱者男性自称して発達障害持ちの女性の辛さを矮小化する発達障害男性たち、「女の自殺未遂は気を引くため。女の自殺自殺未遂の失敗。」と叩く鬱持ちの男性たちを放っておくかぎり、わたしのような狭量で愚かな人間が「すべての弱者男性はこういいう人間なのだ」と思うようになるでしょう。いい気味です。

いい気味です、が、同じ障害者として、障害者への風当たりを強くする言動迷惑です。

ですからやはり、弱者男性を援護するならば、弱者男性として、女性精神障害叩きに反対して欲しかったです。

あれは俺たちじゃないから、全員が言ってるわけじゃないのに、といっても「言ってる人が沢山いること」はきちんと受け止めてくれませんか?

あなたたちがあれを野放しにしてきた結果、1人の障害者の女に嫌われるようになったというだけの話です。

女の1人や2人、障害者の1人や2人、どうでもいいですよね。それならそれで結構です。

 

sekiryo 弱者男性確証もないし全員というデータも出せないのに同一視するの?それやめてって言われてるのにまた聞く耳持てないの?悪人を叩いてもgrgdsやらのヘイト愉快犯が善人にはならないし罪は消えないぞ?向き合えよ。

弱者男性という確証はありませんが(そもそも弱者男性自体定義不明ですし)自称しているのだからそうなのだろうと思いました。弱者男性のフリをしている偽物か、「極一部」の弱者男性なのかもしれませんが、わたしには判別不能です。(発達障害男性弱者男性に入りますか?発達障害ウソかもしれませんが……。)

同一視したくはありませんが、彼らは日本のどこかで生きているわけで、今目の前で関わっている人が「それ」の可能性があることは、常にわたしの頭によぎってしまます聞く耳は持たないです。今は持ちたいとも思わなくなりました。

全ての障害女性の彼くんがいるわけじゃない、データもないのに、漫画で見ただけのくせに、やめてと言ってるのに……わたしも思いましたよ。

あなたのような人が、女性精神障害者叩くのはやめようよと言ってくださればよかったです……。

 

madogiwahirasyain 別に積極的に手を差し伸べてくれなくても構わない。弱者男性からという理由迫害しなければそれでいいけど、この増田弱者男性全体に精神障害者を叩いてきたというレッテルを貼って迫害しようとしてるのでアウト

全体にレッテルを貼って迫害しようとはしてません。全体に対して嫌悪感があるので、もう関わらないで生きていこうとは思います

弱者男性全体は女性精神障害者を叩いていませんが、弱者男性を「名乗って」女性精神障害者を叩く人々が大勢いて、弱者男性を名乗ってそれを止める人が殆どいなかった。というのは、わたしが見た一面的事実です。いわゆる弱者男性論壇に立つ人も、それを批判したり咎めたりしませんでしたよね。

わたし私怨から、このことは記して置かなければならないと思いました。

deamu 増田私怨により貶めたい属性があって、それを根拠なく主語にしてサンドバックにしようとしてる増田行為は新たな差別。男憎しで差別正当化する増田が連日投稿され、いつもの人達同意を繰り返す加害性の祭り

根拠はあります。どのように提示すれば気が済むのか教えていただければ可能な限り対応しようとは思いますサンドバックにしようとはしていません。私怨により弱者男性貶めたいわけではなく、私怨により「弱者男性を名乗ってこちらをバッシングしてきた人々」の存在を周知したいです。

弱者男性は〜なんて言っていない」という主張を数多く見ました。そう主張する人々は、あれが目に入らないか批判しないのか、目に入っているのに批判しないのかずっと疑問でした。弱者男性論壇の方に、「理解のある彼くん」の件を周知し、批判していただきたかったのが1つ。無かったことにされるのが腹立たしかったのが1つですね。

差別正当化はしていないつもりです。わたし差別的な感情が芽生えるに至る過程を書きました。そうすることで、弱者男性差別を解消しようとする人や弱者男性当事者が、自分たちの主張が誰かの心を踏み躙っていることを自覚し、やめてくださるかもしれないと考えたからです。特にASD男性には伝えなければ分からないのかもしれないと思いました。

また、わたし感情を中心に書いたのは、それが明白な事実からです。女性障害者を叩く人が本当に弱者男性なのかは分かりませんが、弱者男性を「名乗って」女性障害者を叩く人の発言を読み、わたしが嫌な気持ちになったことは事実です。そのことを受け止めていただきたかったです。

 

 ただ、わたし差別的な感情正当性はありません。その事は明記しておくべきでした。すみません

 

わたしに関して言えば、男性別に憎くはありません。ただ恋愛感情を抱かない以上、深い関わりが女性相手よりも持ちにくくはあります

あの増田を書いたのは、男性が憎いからではありません。「女は理解のある彼くんがいるから」と言う人達が憎いから書きました。そこは混同して欲しくないです。弱者男性を名乗ってやってきたこと、(それが貴方でないなら)やってきた人たちがいたことは受け止めて欲しいです。

 

一部の人おかしなことを言うのはどこでもあり得ることです。それに対して、他の人たちが咎めなかったことが1番残念です。今からでも咎めて欲しいですが、過去のことは水には流しません。

 

最後にずっと、思っていたのは

女に生まれればイージーだった、遺伝子レベル運命を呪うのならば、「そもそも障害者に生まれなければよかった」でいいんじゃないですか。なぜ、女性障害者ばかりがターゲットされるのかわからないです。健常者の男性は狡いと言えばいいじゃないですか。

女性には理解のある男性が現れやすいとして、だから何なんですか。男性あなたには現れないと思うのならば、現れないなりに対処していくだけの話でしょう。現れないなりの福祉を求めていくだけの話でしょう。「女はこうだけど」と言うことに何の意味があるんですか?

 

わたしあなたと同じですよ。理解のある彼くんはいませんが、自分で働いて自分で生きていくつもりですよ。

ただ障害者だからって、みんながあなたと同じなわけではないんですよ。女性の、既婚の精神障害者は、障害者のくせにいい目を見てる狡い人達ではないです。同じ障害者でもあなたと同じように不幸になる義務はないです。

2021-05-08

貞操逆転世界フェミニズム入門とか言ってる腐れマンコがイたけど

マジで本当に全くわかってなかったんだな。

主人公市川は、貞操逆転後の世界基本的に馴染めず、良いとは全く思ってないんだよ。

ただ戸惑いながらも順応しようとしてでもダメだー!というのが面白キモなわけで

2巻のアオリなんて「女としての自分価値がどんどん暴落していく」という表現があるわけで、

要は女の性的魅力は貞操観念に依存してて、そして自分の女としてのアイデンティティ貞操観念に支えられた妄想産物依拠している部分が多分にあるのでは、というのが主題なんだよね。

少なくともフェミマンコどもが言いたくてうずうずしている「男の抑圧がない!『サイコー!!』」ではまったくないということ。

たまに男の性的視線を逆転させるとどれほど滑稽かってのがあって、フェミマンコはそこにだけフォーカスしたがるけれど、

まあマンコでものを考える女の浅はかな見方、ってことなんだろうなー。

女のマンコにどれだけ価値が置かれているのかってことを客観視させるための道具立てなんだよこの漫画は。

もともとエロ本でズリネタに利用されていたのだが、

そのズリネタあくま男目線

男のチンポに価値のある世界だったらウヒョー!!となる。

男目線ならズリネタになる。

これは女目線

女目線だと、貞操観念が逆転しても、女はウヒョーにはならないよねということ。

ってことは、今の世界がウヒョーなんじゃね?って反問が想定されるわけで。

まあもちろん漫画からね、女の実社会の不利な要素なんて排除してるただの娯楽なわけだから

女=即ウヒョーなわけねーだろってのは百も承知

だが、そんな単純で表層的で一面的な娯楽に過ぎないこの漫画フェミ教科書とか言っちゃうバカマンコって、

どれだけ単純で表層的で一面的なモノの見方しかしてないんだろ、って話になるわけなんだよねー。

そもそもフェミ価値観によって貞操逆転世界を作っても、

娯楽にも社会作品にもならないだろうな。

単純で表層的で一面的しかいから、物語面白みや厚みを加えることなんて絶対できないもの

ま、…そういう意味じゃ、単純で表層的で一面的価値観一本槍で、よくぞここまで権力拡張できたなってところだと思う。

進化袋小路にハマった文化には、ある意味ここまで粗雑でも利用価値が見いだされるということなのかもしれないね

2021-05-02

人生が楽しくないやつに足りないのは人を憎む心

上っ面で生きてるから人生がつまらないんだよ。

俺は人生毎日楽しいよ。

人間が憎いからな。

ボケがあああああああああああああ!!死ねやあああああああああああああ!!

って心の中で常に叫んでいる。これ書いてる時もな。定期的にキーボードキーが吹き飛んで困る。

とにかく、世界が憎い。人間全てが憎い。

赤ん坊が泣いてればうるせえから憎いし、赤ん坊が静かにしてれば赤ん坊らしくなくて憎い。

群れてる若者が憎いし、1人でいる若者が憎い。

ものを知らない中年が憎い。知識マウントとってくる中年も憎い。

無駄に力を持っている老人が憎い。か弱い老人が憎い。

男が憎いし、女が憎い。日本人が憎いし、外国人も全員憎い。

人間様に配慮しねえ自然が憎いし、自然を傷つける人間が憎い。

何より社会が憎いね。俺が5000億円持ってて、全ての人間奴隷扱いできない社会は間違っていると真面目に思ってるよ。

俺は1000年生きたいし、この世の全ての場所に行ってみたい。美味い物を喰って面白いこと全部やって、綺麗な景色も全部見たいね

そんなんだからスティーブ・ジョブズが死んだ時、「ざまああああああ!!」って手を叩いて喜んだね。

俺はあの、俺より稼いでて尊敬されてた、いけすかねえハゲ野郎が知らない世界未来を見られるんだからな。

一面的に、俺はジョブズに勝ったと思った。嬉しかったね。祝杯あげちまったくらいだ。ま、祝杯用に温存してた山崎焼酎が不味かったからそこの酒は二度と飲まねえって決めた日でもあるが。

人間なんてのはこのくらい身の程知らずで、自分勝手でいいんだよ。

高望しろよ。お前達に足りないのは原初的エネルギーだ。根本的に、世の中のためだとか人を喜ばせようとか、そういう、クソみたいな意識があるからだめなんだ。

自分を満たすために生きろよ。自分の不足を憎め。他人の全てを憎め。人を憎んで、世界を憎めば人生はよりよくなる。

ゲームがつまらないとか言ってたけど、要は憎しみが足りないからつまらないんだ。

俺はゲーム面白いよ。ミスったら自分を憎んで戦えるし、自分より上手いやつの存在が憎いからやりこもうって気になる。

ゲームなんてのはキャバクラみたいなもんだろ。ちゃんと俺を接待しない製作者も憎いね

わかるか?お前達の人生に足りないもの憎悪だ。憎悪人生を豊かにする。

俺はずっとコンプレックスを抱いて生きてる。他人は俺より恵まれていると感じる。その衝動が俺の人生を突き動かしている。

この世は不幸に満ちていて、世界の人々は理不尽に晒され続けるんだからな。

不条理他人を焼いていると思うと、心の底から俺は幸福を感じる。

からこの世界は俺を喜ばせるために存在しているかのようだ。でも、そんな倫理観の無い世界が憎い。

赤の他人を心の底から憎めるようになれ。そうすれば人生張り合いが出てくるもんだ。

まあアレだ。正しいとか間違ってるとか、そういうレベルの低い話じゃねえんだよ。

人生なんてのは死ぬまでのゲームに過ぎないんだからよ。せめて自分楽しいゲームにしなきゃだめだろって話だ。

どうせ死ねば終わりなんだから自分のために都合よく解釈していこうぜ。

そのために必要エネルギー源を見つけろ、俺は憎悪がお手軽で良いと思うよって話。

2021-05-01

anond:20210501112004

彼らを「体格が大きい」という一面的身体的特徴を抜き出してデブ呼ばわりすることこそが差別なのです。

彼らの脂肪の下は分厚い筋肉で覆われており、単なる怠惰生活帰結として脂肪を身にまとってしまっただけの肥満児とは全く別物、長く血の滲むような鍛錬の果てに競技最適化された肉体を手にしたプロフェッショナルなのですよ。うんぬん。

2021-04-30

anond:20210429172030

タピオカ屋あっただろ? 俺はあいつらブームが終わったらどうしてるんだろう、とブームから心配してた。

でも後から聞いた話じゃ、それは一面的過ぎる物の見方で、タピオカ屋の中でも上手いやつらは、そもそもブームが終わったら畳むつもりで店を出しているから、ブーム中に黒字になったらそれでよくて、次は何か新しいブームにどんどん乗っかっていくんだってさ。

 

お前も別にブームに骨を埋めるつもりがあるわけでなし、総じて黒字を得られればそれでいいんじゃあないのか。

YouTuberが、君の趣味なのか、ブラック仕事脱出希望なのか、もはやアイデンティティなのか、わからいから何をもって黒字とするのかわからんけど。

 

2021-04-16

anond:20210416133204

でも童貞から一面的しか見ていないとも言えない。むしろ片面だけでもよくみている気はする。

全部の面を俯瞰しているとはいっても要所要所を抑えていないのがブクマカでもある。

2021-04-12

anond:20210411175131

生きている場所や何に価値を置いて生きるかによって男が有利か女が有利かってメチャクチャ変わるよなぁ。

しかも上流・中流下流みたいな大雑把な階級による差じゃなくて、ホントちょっと立っている場所が違うだけで変わる。

それに気づかず「日本女性差別が酷い」とか反対に「女は人生イージーモード」とか言って一面的見方しかできない奴らが男女間の対立を加速させている。

真面目なツラした社会活動家気取りにもけっこういるけど。

2021-04-08

いい意味ダブスタネトウヨっているよな

人種差別はするけど障害者差別は許さんとか

女性差別するけど労働問題に熱心とか

ほぼ反リベラルだけど一面的リベラルみたいな。

たまにネトウヨ同士で喧嘩してて、怪獣同士で戦ってるみたいな面白さがある

2021-03-25

anond:20210325202226

元増田です。真面目に読んでくれてありがとう

自分スタンスを明示していなかったけど、各論としては選択夫婦別姓に反対はしてない。細かい制度設計で気になる点はあるけど。

元増田文意は、「リベラルってこれでいいの?」という疑問にあって、個別制度自体の是非についてはあまり議論モチベはない。

文化伝統』を守りたいというのは個人自由だし、そこはマイノリティであろうがマジョリティだろうが尊重するつもりだよ。ただそれは、あくま他者自由を阻害しない範囲でやってもらいたい。

文化伝統を守る自由』ってのは本当に『別々の姓を名乗る自由』の侵害無しには成り立たないのか? 選択夫婦別姓制度が(極端な例だが、"人を殺す自由"を認めた場合の様に)社会に著しい害をもたらすというなら否定するのもわかるし、考えるべきだと思う。だが少なくとも『損なう可能性』や具体的でない『デメリット』のみでは納得感が薄い様に思える。

理解を示して妥協点を探るべき』という考え方には個人的には共感するし、リベラルが先鋭化しているというのは多分そうなんだろうけどな。

ただ、『選択夫婦別姓』という考えを『バッサリシャットアウト』しているのは『文化伝統』を重んじる層ではないのか? この辺卵が先か鶏が先かの水掛け論になりそうではあるが…。

というか保守派は『文化伝統』に基づけば他者自由侵害することもやむ無しと考えているのか? だとすればそれは先に挙がった『リベラルの基本理念』と根本的な部分で相容れない様に俺には思える。『他者自由を阻害しない範囲』を越えた『自由』だからだ。



別姓制度を単体でみたときに、メリデメ合理的に考えればそうなる、という点で同意

ただ、「文化伝統の維持」という主張に対する反論としては、議論のずれというか噛み合わなさを感じる。

そもそも保守思想というのは、人の考えうる「合理性」などたかが知れている、というスタンスであり、それゆえに伝統現状維持)を志向するんだと思ってる。

かに各論でみれば選択夫婦別姓に反対する理由はないんだけど、そういった部分最適を積み重ねた結果、本当にみんなが幸せ未来自由侵害が最小化された世界)が来るのか、あるいはなんらかの予測しえなかった機序が働いて、もっと深刻な差別が発生するかもしれない、という懐疑論なのね。

そうすると、懐疑だけじゃなくて根拠データで示せよ、お気持ちじゃねーかよ、ってリベラルは主張するわけだけど、保守からすれば、そもそも人間データ化して認知予測できる世界なんてまだまだ不十分だ、というのが基本スタンスなわけ。

実際に現代科学でも株価も天気も予想できないじゃん。なら歴史に学んだ方が「合理的」だ、と。

なんで、「自由侵害」を各論レベルしか考えない反論、というのは、保守的な問題意識とは噛み合わんなーと思うわけです。「文化伝統」というのは総論から

まあ保守側も「伝統を損なう」みたいなふわっとしたことうから、なかなかまともな議論にならんのですけどね。これは現状維持バイアスこそが保守みたいなとこあるんでしゃーない。

でもそこで、「保守を”ただの不合理なお気持ちバカ”とみなすような言説」がリベラル(?)に目立つんで、それはちょっと相手を見くびりすぎだし、多様性相互理解標榜するリベラルとしてどうなん?ということが言いたかったのでした。

君の言い分をまとめれば、「リベラルは『他者自由を阻害しない範囲思想信条自由尊重されるべし』という理念を守ってないんじゃね?だって保守派の主張を全面的に不合理なものとしてバッサリ斬り捨ててるし。理念に基づいて妥協点を探るべきだろ」となる。(合ってるよね?)

しかしそこに齟齬があった。

実際には保守派理念は『他者自由を阻害しない範囲』を越えて自由振る舞うことをよしとするものだった。当然リベラルにとってそれは自らの理念に外れるから、受け入れられない。理念に外れるもの尊重する必要はない。となり、過激な叩きが横行するんだろう。俺の想像だが。

だとすれば(叩きの是非はともかく)リベラルは自らの理念にどこまでも忠実である。とすら言えそう。

という結論にひとまず到ったんだけど、どう思う?



うーん。まあ前段はそうなんですが、私は保守派理念をそこまで悪意的なもの解釈していません。はてな左派言論において、保守思想に対する悪意的解釈が多くみられるように感じているので、それを指摘したい、というのが私の意図ではありました。

保守の言いたいこと汲み切れてないんじゃない?保守の主張が「一面的他者自由を損ねることをよしとする言説」に読めるのは、読解が足りないかバイアスかかってるんちゃう?ってことをリベラルに言いたい。

2021-03-22

やっぱ庵野って昔からオタク現実を見ろとは言ってなくね?

現実で生きれてないオタク勝手庵野自己投影しててちょっと自分と違う世界をもってる庵野を見せつけられて裏切られたって勘違いしてそういう解釈安心してるだけじゃないか

そんでその解釈庵野発言エヴァの画面から無理くり読み取ってなんとかそういう作品だという説をまとめ上げてるだけに見える

実際の庵野発言とかエヴァの画面からはそんな一面的なことで納められるようなことは言ってないし表現されてないよな

なんかこういうオタクたちはZUN結婚してたとき発狂してた人たちとイメージが被って心がザワザワする

2021-03-06

シグロ氏の発言について、ある左翼かつリベラルから見た感想(続き)

前半はこちら↓

https://anond.hatelabo.jp/20210306213555

結局のところ、このイシグロ氏のインタビューの浅さ、つまらなさは、インテリ向けの文学芸術業界という自分の属する世界世界全体であるかのように錯覚して語っているところにある。

その上で、あくまでもそういうインテリ業界文学芸術業界への提言、また自戒としてイシグロ氏の発言を読むなら、部分的同意できないこともない。イシグロ氏は「リベラル以外の人たちがどんな感情や考え、世界観を持っているのかを反映する芸術必要です」と言う。必要かどうかはわからないが、非リベラルの人が思想感情表現した芸術があってもいいというのはその通りだろう。リベラル原則からしても、非リベラルの人の表現自由制限するのは筋が通らない。ただしその表現批判する自由もあり、表現する以上は批判を受けるリスクは負うべきだというだけだ。

しかしここでもやはりイシグロ氏との現状認識の断絶は感じる。イシグロ氏から見ると世界リベラルが作った芸術ばかりらしいが、少なくとも私は日本に生まれ育って、「リベラル以外の人たちがどんな感情や考え、世界観を持っているのかを反映する芸術」の方を圧倒的に多く目にしてきたと思う。そもそもポリティカルコレクトネスなどが日本で多少とも意識され始めたのはごく最近のことであり、それ以前の言論にせよ芸術にせよ、今の視点で見れば差別偏見にあふれているもの普通だ。

たとえばイシグロ氏と同じくノーベル文学賞を受賞した川端康成という作家がいて、日本はいまだに高く評価され、小さな書店にも文庫本の数冊くらいは置いてあるだろう。私も過去にいくつも作品を読んできたが、同時に忘れられない言葉がある。ある時私の母親が言った「若い時に川端康成を読んで、女は芸者しか出てこんのかと思った、芸者にならにゃいけんのかと思った」というものだ。私は芸者という職業否定しないが、ここで問題なのは芸者の側ではなく、女性を極度に美化しつつあくまでも鑑賞される客体として描きがちだった川端康成視線の方である現在の目で見て、こういう川端康成視線女性蔑視的要素を含まないということは難しい。

また私は十代の頃に太宰治を読み、貧しく教育のない芸妓を買い取るようにして妻にした挙げ句、その妻が他の男と寝ていたというので絶望し、何やら自分が裏切られたかのように荒れている主人公(これは作者自身体験に基づく)の思考回路がよくわからないと感じたことがある。しかし当時の私はまだ、そんなものはわからなくていいと突き放すことができなかった。そこであれこれ想像力を駆使しつつ、そういう「苦悩」に何とか共感できないかと努めた記憶がある。ずいぶんと「理解しがたい他者」に耳を傾けようとしたものだ。その後フェミニスト批評に触れたりする中で、共感できなくて当然だったといつしか思うようになったが。『男流文学論』や『妊娠小説』を笑いつつ興奮しつつ読んだ日を思い出す。

私の世代には、そういうフェミニスト批評のように、また女性自身による新しい表現のように、男性作家視点を相対化してくれるだけの「他者の声」が辛うじてあった。その他の多様なマイノリティ視点から作られる芸術も探せばそれなりにあった。しか古典とされるようなものは言うまでもなく、世間で人気のあるもの話題になっているものは多くがリベラルでも何でもなく、機械的に「差別語」を排除したりする他はポリティカルコレクトネスにも多様性にも無配慮なのが普通だった。それにもかかわらず、「逆差別」だの「自虐史観」だのとリベラル側の価値観攻撃する言説は早々と巷にあふれていた。私は左翼だが、小林よしのり作品をいくつか読んだことがある。周りで流行っていたからだ。小林よしのりは「じいちゃんの死は無駄だったというのか」といったまさに感情に訴える手法保守派戦争観を広め、当時の若い世代にかなり影響を与えた。

シグロ氏の周りはどうなのか知らないが(と皮肉を込めて言うが)、日本書店というのはいまだに「嫌韓本」が山積みにされたり、保守論客歴史本がベストセラーになったりしている。イシグロ氏の小説を読むようなインテリ層の一部はそれに眉をひそめるかもしれないが、現実として、日本にはずっと「リベラル以外の人」の表現があふれ、どこにでもいる「リベラル以外の人」がそれをのびのびと享受している。「ストーリーを語ることはリベラル側の専売特許である社会などいったいどこにあるのだろうか。私は見た覚えがない。

小説であれ、大衆向けのエンタメであれ、もっとオープンになってリベラル進歩的な考えを持つ人たち以外の声も取り上げていかなければいけないと思います。」そう思うのかもしれない。「私は人生の大半を進歩自由主義的な考えのもとで心地よく過ごしてきた」と言えてしまうような人は。この言葉移民であり民族的マイノリティであるシグロ氏の口から語られることは、イギリス社会成熟を示すものでもあるだろう。

しかあいにく、私の住んでいる世界はイシグロ氏の世界とは違う。イシグロ氏の世界にしても、単にイシグロ氏に見えていないだけで、リベラル価値観の過剰ではなくその不足に苦しんでいる人がまだたくさんいるだろうと私は思う。私はリベラルとして非リベラル発言権を奪えとは言わないし、またその声に耳を傾ける人がいてもいいと思うが、私が日本社会でより多く耳を傾けたい声は、やはり非リベラル社会が長らく抑圧してきた、今も抑圧している声の方である

ところで、私は川端康成太宰治作品差別的な要素があると言ったが、かれらの本を絶版しろとも、教材に入れるなとも、子どもに読ませるなとも思わない。差別的要素があるからといって作品全体が否定されるべきだとも思わない。私は川端康成文章の美しさも、太宰治小説面白さも理解することができる。それに価値がないとは言わない。

キャンセルカルチャー」という言葉が指す状況を私は詳しく知っているわけではないが、作者がある場面で「政治的に正しくない」言動をしたからといってその作品全否定したり、市場から完全に追放したりすることは私は支持しない。差別思想公的な表明は批判されるべきだが、芸術表現を直接的に規制したり、作品を抹消したりすることは慎重であるべきだと思っている。

この点はおそらくイシグロ氏の考えと私の考えは近いだろう。芸術総体として愛するならば、自分の嫌いな作品理解しがたい作品が生まれてくる可能性も含めて愛さなければならない。私は現在視点川端康成太宰治表現の一部に批判をもっているが、その批判を表明する方法作品を焼いたり隠したりすることでは決してなく、批評や新たな作品で相対化していくこと、注釈を書き加えていくことだと思っている。

ただし同時に、かれらの作品にも行動にも現在から見て許しがたい要素があること、それは当時には自覚も変更も難しかたかもしれないが、今後の社会に引き継ぐべきではないこと、そこを否認するつもりもない。作品は消さないが、今後も読まれ続けるのなら、そういう観点から批判作品自体と同じくらいに読まれ、語られるべきだと思う。もし川端康成教室で読むのであれば、教師にはその美しさだけでなく、その女性の描き方が一方的であったり一面的であったりすること、フェミニズムを通過した視点でどう見えるかというようなことにも学生の注意を促してほしいと思う。これが過剰な要求であるとは私は思わない。

最後に、イシグロ氏が述べている「感情」というものについて少し違う角度から見ておきたい。最初に書いたように、私は政策決定などにおいて事実科学的根拠より感情が優先されるような事態は望まない。この点ではイシグロ氏に同意する。

しか人間感情というもの社会のあらゆる場面で抑えられるべきとも、それが可能とも思えない。イシグロ氏の主張を大きくまとめると、現在世界(実際はイシグロ氏の属するインテリ業界)はリベラル側の感情を優先しすぎるものになっているので、感情優先を抑えると同時に非リベラルももっと発言の場を与えるべきだ、と読める。私はこれには同意できない。

まず現状認識が違い、芸術世界リベラルに席巻されているようには到底見えない、というのが上に書いたことだが、それとはまた別に文学芸術世界でまで政策議論場合のように感情排除する必要はないだろうと思う。イシグロ氏は小説家として、感情を重視する文学トランプ支持のような不合理に加担した可能性を反省しているのかもしれない。しかし思うに、それはそれで文学の買いかぶりというものだ。感情に訴え、感情を揺さぶもの文学芸術の他にもいくらでもある。むしろ現実生活が多様な感情を強く喚起するからこそ、それを芸術表現し直すことが対象化や客観視の手段になりうるのだ。そして文学芸術は、合理性を追求する世界からこぼれ落ちる感情思想避難所としての役割をもっている。人間が完全に「合理的」な存在に変化しない限り、この役割がなくなることはないだろう。科学エビデンスに基づいてワクチン政策を決めるように自分人生を生きられる人はいない。そんなことを個人に求めるべきだとも思わない。

また、イシグロ氏の言う「リベラル」に人種的民族的性的その他の抑圧されてきたマイノリティが含まれるのだとしたら、かれらが時に強い攻撃性をもってその感情、蓄積されてきた恨みや怒りの感情表現することを私は一律に非難したくない。被差別者表現が時に復讐的な攻撃性をもっていたり、「逆差別」と見えるような偏見を含んでいたりすることはある。それ自体はたしかに「良いこと」とは言いがたい。しかしこれもまた現状認識問題になるが、今の社会マイノリティマジョリティ攻撃するような表現公然と行えば、より危険さらされるのはマイノリティの方である。だから圧倒的多数マイノリティはそんなことをせず、むしろ感情抑制に非常に長けている。

BLMを暴力的だと言って眉をひそめる人を数多く見たが、私が以前から思っているのは、もし黒人たちがその何世代にもわたる奴隷制怨恨復讐としてそのまま投げ返したなら、アメリカ白人社会はすでに何度廃墟になっているかからないということだ。しか現実はそうなっていない。現実マイノリティは、時に攻撃的に見えることがあるとしても、総体として恐ろしく理性的で自制的で、そして寛容なのだ。何一つ復讐も、感情表現することもできずに埋もれていった膨大な被抑圧者の忍耐の上に今の社会は維持されている。多くの被差別者は、深い痛みを抱えながらも、求めるのは復讐ではなく次世代幸せになることだと穏やかに語る。その中から時に感情的な表現が投げかけられたとして、それを感情的だと単純に排除することを私はためらう。

ずいぶんと長くなってしまったが、ふと書く気になったので書いた。まだいくつか書き残している気もするが、土曜も一日つぶれたことだしこのへんで。

2021-03-03

anond:20210303195727

あーわかった。

まり増田は一点突破仕事に全部捧げるのが「男の強さ」だと思ってるわけだ。

俺はそれは強さでもあるけど弱さでもあると思っている。

なぜかというと環境が変わったとき対応できないからね。

それが一面的な強さと多面的な強さというやつだ。

清原を見てみろよ。

野球一点突破で強い男の象徴のような人だったけど、それは弱さでもあった。

人間老いるし時代も変わる。これは単なる事実しかない。

弱さを認められるという強さもあるんだ。

悩みがあるときにすぐに知り合いに愚痴ったりカウンセリングにかかっている人は弱そうに見えるけど、すぐに相談できる人は自殺するまで鬱を悪化させにくい。

それは生きのこるという面では強さだ。

大変な仕事に取りかかって文句も言わずやり抜こうとする真面目なやつは強いやつだが、鬱にはなりやすい。

これは生き残るという面では弱さだ。

増田立場がよく分からないんだけど、

なにかを成し遂げるとか、資産を築くとか人生に抱く幻想はいろいろあるけど、なにをおいても生き残ることが重要だというのが俺の立場だよ。

anond:20210303185552

強者男性っていうのも一面的見方だと思うんだよね。

最近も、世間的には成功している男性自殺ドラッグ中毒が報じられてるじゃん。

強者男性こそ、何かの弾みで失敗したときに脆いと思わない?

当たり前だよね、一番勝ち続けるプレッシャーさらされてるのが強者男性なんだから

強いは弱い、弱いはつよい。

れいは汚ない、汚ないはきれい。なんだよな。

しらんけど。

2021-02-22

ウォッシュレット・温水洗浄便座の危険性指摘記事への疑念

 YAHOO現代ビジネスから記事を、つい先ほど読んだ。思い返すと一年ぐらい前からだろうか、ネットで温水洗浄便座での洗い過ぎに注意という文言を見かけるようになったが、先の現代ビジネス記事はより強く危険性を指摘するものだった。

 温水洗浄便座は登場から四十年近く経つもので、私も三十年以上使用している。そしてその間に、私はなんの支障もなく過ごしてきた。洗浄してもらう場所に不調を覚えたこともない。

 同じく四十年間、昨今のような危険性を言う声をほとんど聞いたことがない。販売初期から普及期にかけて、最近に指摘されるような事が報じられた記憶もない。十年経っても、二十年経っても、周囲の人から噂話にも、そんなことがあったと聞いたことも無い。

 つまりこの四十年間の実績は、普通に使用する分には、何ら心配必要がないものである

 なぜ今になって、突然に、唐突に、危険ものと言われるようになったのだろうか。

 私はもうテレビ新聞といった大手メディアがまともではないと思っている。物事への知識理解がなく、もの評価一面的で、人への批判定型である商品評価は、販売元の意向に沿っているか販売向上の手助けに終始している。

 そして洗浄便座の不都合を言い、危険を指摘するのは、単なる消費者への啓蒙的な注意喚起ではないであろう。一年以上かけて繰り返し、度を増していくのを思うと、ますますそう思うのである

 大きく言えば、これは産業破壊である。少し古い例だが、同じことが「割り箸」で行われたことがある。割り箸のために森林破壊されているという大袈裟な嘘が、マスメディアで大々的に流されて、間伐材需要がなくなった日本林業から国内工場までが大打撃を受け、現在中国などの外国製にとって変わられた。

 大人しく穏やかに言えば、用い方や手入れやで普通でないことをし、特別な体質への考慮をせずに起きる事態を、一般的に生じる危険性のごとく記すような記事が、また一つ、マスメディアのどうしようもない劣化事実を積み重ねたと言うべきだろう。

2021-02-21

anond:20210220231839

ネット愚痴とかじゃなくて実社会に影響のある形で)ジェンダーギャップみたいな社会問題について叫んでいる人達って総じて意識高い系の人たちだからね。

社会問題という枠組みで語られる幸福価値基準はそういう人達基準に偏っている。

から「みんながみんな出世したいはず」みたいな一面的価値観でばかり差別が語られてしまっている。

2021-01-16

anond:20210116011436

そんな一面的ものでもないし分かるやつは投資金持ちになってるやろ

共和党への大企業献金取り止めは効いてるとは思う

アメリカが実質一党独裁になった以上支持しない人もそりゃいるやろ

2021-01-10

anond:20210110191542

>信頼できるソースでなければ話半分未満で聞くようにしている。

これは非常に重要だと思うけど出来る人はとても少ない。というか出来る人はネット意見を言わない。

一面的情報振り回して騒ぎ立てる人の相手なんかしたくないから。

その種を撒くワイドショーSNSは本当に有害

2020-12-28

自分より詳しい奴がいる」ことへの恐怖

ネット意見を発信するときに怖いのは何だろうか。クソリプ炎上個人情報特定、色々懸念すべき点はあるだろう。

でも一番怖いのは「自分より詳しい奴がいる」ことではないかと思う。

自分より詳しい奴から反論に、自信を持って自説を貫ける人は少ない。

例えるなら、ゼミ教授ゼミ生の論文研究発表に立ち会っているようなものだ。自分より知識経験も上の人間が、「私はこんなこと発見しましたよ!」という青二才プレゼンに常に目を光らせている。プレゼンが終われば詳しい奴による質疑応答時間であり、考えもしなかった多角的視点からロジックの穴を突いてくる。

もちろん、自身経験談を語る程度であれば何も問題ない。身に起こった出来事当事者感性から描いたエッセイは、第三者には得難い貴重なエッセンスが含まれており、自分世界で一番詳しい情報になるからだ。

しかし、経験談以外の「主張」に対してはそうはいかない。主張には多かれ少なかれ反論が来る。その主張が中道ではなく擁護批判の側に寄っていればいるほど、反論の数は多くなり論説も激しいものになる。

誰かを批判するとき批判される覚悟を持て」というが、こっちは一人で相手無限

どう考えてもフェアな殴り合いではないだろう。

そんなこんなで、自分より詳しい奴は数人から数万人までたくさん存在している。

こんな世界自分意見を表明するというのは、実はとても勇気のいる行為ではないだろうか。

常に「自分が言っていることは正しく、反論に耐えうるものなのか?」という疑念に苛まれ事実関係に間違いはないか自分の論拠と相対するデータが出てこないか、細心の注意を払って文を書いていくことになる。そうして苦心しながら書き上げた主張を詳しい奴らが一刀両断するのだ。

「君の言ってることは一面的見方にすぎないよね?」と。

そしてタチが悪いことに、ネット上では自分意見簡単に見られ、識者も気軽に集まれしまう。

ゼミ内発表」という閉じた空間での出来事ならまだ優しい。教授ゼミ生の発表にも、「よく調べてあるね」という寛大な言葉を投げかける(もちろん教授によるが)。その言葉の前には「学生にしては」という枕詞が隠れているが、決しておくびに出すことはない。

ところがネットはそうは行かない。発信者が青臭い学生かいい年したおっさんだかなんて関係なしで、間違えば容赦ないツッコみが来るし、内容次第では炎上する。しかゼミのような内輪の場ではなく完全なるオープンの場である

自分卒論一億人に見られると言われたらどう感じるだろうか。私は最悪の気分になる。主張は的を得ておらず、構成はちぐはぐで論拠はずさん。内容は知識の薄い素人データを継ぎはぎした妄想の延長線上であり、はっきり言って人目に耐えられるものではない。

ネットには語る人間がたくさんいる。twitternote増田といった匿名SNSがある。

匿名者だけではなく、落合陽一、オリラジ中田会社看板を背負ってnewspicksコメントする人間など、専門外が顔出し名出しして、これから世界」について自信満々に語っている。

自分より詳しい奴がいる」という事実に対して、ふと怖く感じるときはないのだろうか。

anond:20201226231316

畜産制限したとして、畜産従事している人々の雇用はどうなるのか? 補償を行う場合その財源はどの様に確保するのか?

畜産によって齎される物は食肉だけでなく、皮や毛など現代社会においても未だ重要資源供給源でもある。これらの代替可能なのか?

批判対象になりがちな牛の飼育だが、牛糞は主要な肥料の原料の一つであり一部の地域では燃料としても利用されている。それらの代替可能なのか?

素人考えでも3つくらいは疑問点が出てきます

また代用肉の原料として挙げられる大豆連作障害を引き起こす作物です。

連作障害対策には大量の肥料必要であり、少なくとも現状においては畜産によって得られる動物の糞は大豆生産にも不可欠です。

おそらく現在畜産従事している方、畜産を専門に研究している方などは、もっと具体的かつ鋭い(或いは切実な)疑問が浮かぶ事でしょう。

この様な疑問をただ愚かさ故と切り捨て、一面的科学事実を突きつけるだけでは問題解決しません。

畜産古代から続く主要な産業の一つであり、単なる産業という枠を超え文化面でも大きな影響力を持っています

人類社会の様々な要素を歯車に例えるならば、畜産はとても大きな歯車です。

その大きな歯車を取り除く、或いは小さな歯車に変えようとする事は人類史に残るであろう大事業です。

多くの人の知恵を集め、多大な労力を払わなければ達成できないでしょう。

そうである以上、より多くの人と議論を重ね価値観を共有していく事が必要だと私は思います

2020-12-17

ブクマカはお前がブコメを残す意義をもっと考えた方が良い

やれ首相が会食しただの、やれDHCヘイトスピーチ掲載しただの、叩きやすニュースが転がってる中で、付くブコメ付くブコメ、みんな軒並み同じようなことしか書いてない。(しかも思慮が浅いか一面的に叩く。まぁこれは別問題だけど。)

そうじゃなくて、お前ならではの切り口とか、お前だからこそ見えることについて書くのが、お前がわざわざブコメを残す意味なんじゃないのか?

他のブコメが既に書いてることを焼き直して社会的に無価値文章にしたためる中で、お前の人生はどんどん無意味に削れて死んでいくんだよ

その意味もっとよく考えろ

ネットハゲイナゴども

2020-12-16

anond:20201216163157

それってほんとに富野主義の話か?

富野キャラクター没入型の作品作りをしないから一つの作品に強い女だったり昭和少年だったり多様な人物像が混在して描かれることが多いと思うが

たとえばあるキャラクター男尊女卑発言をして物語内で咎められないというだけで作家の男女観や家族観を判定するといったタイプの間違いを犯しているというわけではないんだよな?

その上で、主人公格のキャラクター一貫性が感じられないという話ならば、富野アニメ時代においてはアニメ主人公として選ばれる年代である思春期少年少女にアンビバレントさが盛り込まれているというのはごく「自然」なことのように思われる

というのは物語志向されていた時代においては、特に富野のような作家がめざしていそうな「現実に即した」少年少女たちというのは、常に変化し続ける生き物として描かれるからで、そこに現代にみられるような少年少女が特定の「キャラ」という固定化した役割を担うことで状況をシミュレーションするタイプの作劇を念頭に置いたキレイで一貫した解釈を当てはめても一面的になりすぎてうまくいかなくなるのが当たり前な気がする

こういう時代物語においては、女に対して苦手意識の表出をするような少年が「キャラ」変のイニシエーションシークエンスを挟まずにいつのまにかだんだん女と仲良くなっているというのはかなり素朴な描写として「自然」で「現実的」なものであり、少年が女嫌いのような言動をとるのはそれがそういった主義や「キャラ」を持っているからではなくて、たまたまある期間そのような過程にあるということが「現実」の少年によくあるという時代了解のもとに表れているものだと思う

逆に女に対して永遠に拒絶的であるというような描写があるとしたらむしろそれはなにがしかの強い主義のもとに描かれていて「不自然な」少年像として提示されていて、それならばのちの時代に「キャラ」として表出するフレームと同じものとして解釈するのはうまくいくかもしれない

富野アニメに出てくる少年少女の人物像がそうした「キャラ」としての造形であるという解釈をするにはかなり強い根拠となる描写検討必要になると思うが、そういうのはあげられるだろうか?

一般登場人物言動が作者の主義の純然たる反映だという解釈はかなり危なっかしいのと、富野主義厭世主義や反出生主である表現から読み取れることと物語登場人物物語においてそれに違反した言動をとることは両立するということがあり、たとえば時代要請する規範がどれだけ描写に影響を与えるかということとかもそうだし、逆に違反してみえ言動が読み取った厭世主義や反出生主義のアンチであるという解釈にもどれくらい正当性があるのか考えるとというあたりに議論必要になる話題だと思う

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