はてなキーワード: ボランティア活動とは
俺は疲れました。
中産階級の家庭に生まれて、食べ物や着る服に困ったことはありません。受験のための塾代や、その結果通うことになった私学の高い学費も親が全部出してくれました。
両親も祖父母もまともで、どちらかと言えば教養に富んだ人達です。暴力を振るわれたりなんて、1度もありません。ああ、それはちょっと嘘でした。一度だけ、ピアノの練習に飽きてしまいピアノの前で寝そべりながらただをこねる俺の頬を父が引っぱたいたことがあります。でもそれだけです。暴力を肯定するわけではありませんが、家庭内の躾の範疇に収まる話だと思っています。
友人も、友人と言っていいのか分からないけど、俺が一方的に友人と思っている人物も好人物ばかりで、俺みたいなのに声をかけてオンラインゲームやカラオケに誘ってくれます。
多分、俺みたいな生活すら出来なくて苦しんでる人達は沢山いるのでしょう。アフリカの恵まれない子供たちでなくとも、この日本にはきっと俺より苦しんでる人がいます。
ニュースでも見ました。親が宗教にハマっていたり、DVに晒されていたり、奨学金の返済に苦しんでいたり、日々暮らすだけの食い扶持にすら苦労している人がいるそうですね。
すごく可哀想だと思います。なにかしてあげたいけれど、何ができるかよく分かりません。
俺は大学生で、そこまで金を持っていません。ボランティア活動もどうやったらいいか分かりません。コミュニケーション能力が低いので、あまり人と関わるのを避けて生きてました。人を喜ばせたいと思っても、慰めたいと思っても、なんて言えばいいのか分かりません。人と話せはするのですが、自分でもよく分からないタイミングで言葉に詰まってしまうことが多々あります。言葉を紡ぐのは嫌いじゃないんです。日記を書くのは楽しいです。でも瞬発力がないので、テニスのラリーと同じくらい会話が下手くそで、いつしか苦痛になっていました。そんな人間なので、ボランティア活動みたいな崇高なものには手を出さず、バイトで稼いだ金を思い出したように募金するのが精一杯です。
よく分からないけれど、俺がコンビニで募金箱に入れる釣り銭がなにかの役に立っていたらいいなと思います。
俺は疲れました。
将来は何がしたいの?
そう聞かれる度に俺は真綿で首を絞められるような気持ちになります。
俺は何がしたいんですかね。よく分かりません。
趣味は読書と映画鑑賞です。別に読書家でも映画マニアでもありませんが、平均と比べればそれらに多く触れている方だと思います。週に1冊は小説を読みますし、月に数冊漫画を買います。2ヶ月に1度くらいは映画を見るので、元が取れるからとTOHOシネマズの会員です。よく笑い、よく泣く方です。最近ではスパイダーマンNWHで号泣しました。
でも別にそれらを職業にしたいと思いません。物語なんて書けないし、接客も上手く出来ません。
俺が進んだ大学が少し知名度のある大学だからでしょう。運良く俺は中学受験に成功し、そこからエスカレーター式に大学へ進学しました。大学の入学を祝って身内からかかってきた電話の喜色に満ちた声を覚えています。彼らはなんの悪意もなく、ただ俺の未来に期待しています。
幼い頃は弁護士になりたいと言っていました。本当は名探偵や怪盗になりたかったのです。夢水清志郎と怪盗クイーンとシャーロック・ホームズに憧れていましたが、小生意気なガキだった俺は、それらが存在しないことを知っていたので、周囲に喜ばれる職業を触れてまわったのです。
弁護士になるんだろ、と言われていたのは中学生の時までです。それ以降はやりたいことをやりなさいと言われるようになりました。少しずつ将来に疑問を持ち始めた俺を気遣うように、それでも親族は肯定して応援してくれました。
今俺は大学生です。本当に申し訳ないのですが、かなりのクズ野郎です。
虚言癖があります。嘘をつくのは嫌いな方だと、そう思っていました。しかし自分でも無意識のうちに見栄を張るための嘘をついては、その日の夜に自室のベッドの中で後悔します。
先延ばし癖があります。提出の課題は完成度60%で締切二分前提出か、もしくは1週間近く遅れて提出します。テスト前の詰め込み作業すら先に延ばすので、とうとうまともな成績は取れなくなりました。昔は、小学生の頃は、平均点より上どころか満点に近い答案を持ち帰っては「別にこれくらい普通だけど」みたいな顔をする小生意気なガキでした。親も喜んでくれていました。今では成績表が送られてくるたびにずらりと並ぶCやFの文字を見て、遠慮したように「卒業を目標にしようか」と言ってくれる母に本当に申し訳ないです。
約束を守れません。先延ばし癖の亜種だと思います。友達と交わした集合時刻を守れた試しがありません。酷いときには存在を忘れます。申し訳ないのでそういうときは後日飯を奢ったり何かの形で詫びをしますが、そんな人間と縁を切らずにいてくれる友人たちには頭が上がりません。
でも俺はなにかに熱中したり、さんざん苦労して何かを掴み取るということが出来ません。ダイエットや勉強のような、目に見える成果がすぐに現れない事柄に対して、まるで集中力を示せません。唯一小説や映画のような物語の中に入り込んでいるときだけは無類の集中力を発揮できますが、他人が作り上げたコンテンツを消費するときの集中力なんてなんの取り柄にもならないと知っています。
将来の自分が想像できません。資格や専門性のある知識もなく、愛嬌も人徳もありません。
看護師である母のような、人の役に立つ仕事を尊敬していますが、自分にはそんなことは出来ません。
変に理屈っぽく、でもどこか夢想家で、コミュニケーションが不得意な社会不適合のクズが、どうやって生きていけばいいのでしょう。
俺を産んで愛して育ててくれた母に、土下座して詫びたいと思います。俺がこんなにカスなのは俺の責任であって、あなたは何も悪くないんだと言ってやりたいです。
なんのために生きているのかよく分かりません。ひとつなぎの大秘宝の謎や工藤新一と毛利蘭が再び高校生になって幸せに暮らせるのかどうかは気になりますが、別にそのために明日を生きようとは思いません。
友人とやるマインクラフトやAPEXは楽しいですが、別にそのために明日を生きようとは思いません。
小説や映画は好きですが、別にそのために勉強や、ゆくゆくは就くであろう仕事に精を出そうとは思えません。
俺が死ねば誰かの命が助かるのなら、今すぐにでも死にたいです。俺の臓器は多分健康なので、太り気味で多少脂肪がつきすぎているかもしれませんが、俺よりも生きたい人の役に立てるのならあげたいです。他人の役に立ちたいという気持ちもあります。でもそのために自分が骨を折ったり努力するのは嫌です。最低ですね。知ってます。
俺がまだ死んでいないのはひとえに母親のためです。世界で最も俺を愛してくれた母親に、お前の子供は自分の人生を無意味と断じたのだ、などと突きつけたくないのです。愛してくれました。大切にしてくれました。俺がクズすぎて、彼女の愛を生きる理由に変換できなかっただけです。もしも母がいなければ、俺は既に何らかの手段で能動的に自死を試みていたかもしれません。
母親には幸せになってほしいです。でも彼女のたった一人の子供がこんなクズで可哀想です。だから早く死んで楽にしてあげたいけど、自殺するような子供を持たせるわけにもいかないのでまだ死ねません。長生きしてほしいけど、早く死んでほしいと思います。最低ですね。知ってます。
精神衛生に良くないと知っていて、ヤフコメやTwitter、匿名掲示板などを眺めてしまうことがあります。
政治やジェンダーの話は特によく眺めます。建設的な討論をしている人たちに混じって、明らかに知性の劣る人間が(もしくはそれに擬態した悪意ある知性の持ち主が)議論を掻き乱しているのを見て苛立ちます。そんなことしか考えられない脳で、恥ずかしげもなく生きていられるなといっそ感心すら覚えます。そしてそんな考えを持った自分を恥じます。蔑まれるべきは俺の方なのですから。
善く生きようとしました。俺の家は父の影響でややキリスト教が主流なのですが、それとは無関係だと思います。せいぜいが食前のお祈りをするくらいです。献金とかも無いですし、俺はもう日曜に教会にも行っていません。父が目を閉じて食前の祈りを捧げている間に、俺は目を開け足を組んで食後にやるゲームのことを考えます。俺に信仰はありません。俺には神様は必要ないと思ったので、父の信仰を尊重はしますが、天国に行くために善く生きようとは思いません。それでもできる限り理性的に、誠実に生きようとしました。物語の登場人物に憧れたからです。でも俺には出来ませんでした。こんなクズになってしまいました。
疲れました。俺より疲れている人がいるのに、俺がこんなことを言うのは間違っている気がしますが、それでも俺は疲れました。
明日も、また明日も俺は生きるのでしょう。この果てしなく続く鬱屈を抱えて、死ぬに死ねずに息をするだけの日々を送るのでしょう。
もしもこんなポエムじみたクソ文章をここまで読んだ人がいたら、あなたがなんのために生きているのか教えてほしいです。
2025年。安倍元総理の国葬に端を発した議論は世論を真っ二つに割り、収まることを知らなかった。「生前の功績を考えれば当然である」「法的根拠がない」「国会の議決があれば充分だ」「基準が不明瞭で恣意的であり、つまるところお手盛りではないか」「俺だって国葬をやってほしい」――その対立は混迷を深め、デモ隊は国会前を埋め尽くし、街宣車の怒鳴り声は霞が関に響き渡り、もはや正常な国家運営は不可能かと思われた。しかし官僚はどこまでも優秀であり、また柔軟であった。瓢箪から駒が出るがごとく、あるいは彗星のごとく、突然「厚生労働省組織令等の一部を改正する法律」が可決・成立、厚生労働省に葬儀局が発足したのだ。通称「誰でも国葬法」である。
国葬はこのような流れで行われる。自分の葬儀を国葬で執り行ってほしいと望む希望者は、生前のうちに国葬希望届を市区町村に提出する。もちろん国葬を行う理由も求められる。人生の総決算なので――もちろん国葬を求めるような人種にとっては、ということだが――気合を入れて書かねばならない。「個人病院を経営し、地域を経済面・健康面の双方で支えた」とか「長年にわたるボランティア活動を通じて人々に希望を与え、他人を慈しみ思いやる心を身をもって示した」とかそんな立派な感じのことを原稿用紙10枚分ぐらい書く。自分で書いてもいいが、役所の人間は誤字脱字に極めて敏感なので代筆業者に頼むのが確実である。却下と再提出を繰り返しているうちに死んでしまったら元も子もない。
参列者数の見込みも書く。少なすぎると却下されるが、あまりにも非現実的な数字を書いても撥ねられるので、実数の2倍から3倍ぐらいとするのが良い。その程度ならバレない。死亡予定日も書く。親切なことに書類に目隠しシールが付いているので、医者に頼めば記入後に目隠しシールを貼って返してもらえる。その日を知ってしまって心穏やかでいられる人はあまりいない。自分で記入する豪胆な人もいるらしい。その日になったらどうするのだろうか。
費用は前払いである。葬儀のグレードに応じて価格が違う。一番下から3番目ぐらいまでのグレードはそこらへんの葬式と何も変わらない。それでも申し込みは引きも切らない。ここら辺の人々は国葬を単なる前払い式国営ワンストップ葬式パックとして見ている。難しいことが全て前払いの明朗会計になっているのだから無理もない。いったい葬式とは何なのか改めて考えさせられる。
グレードが上がっていくにつれて費用の桁も増えていくが、それだけ扱いが豪華になる。一番上のグレードは費用も審査も厳しいが、扱いは一般市民としては最上級のものになる。外国の大使も参列する――もちろん応じてくれればの話だが。不偏不党の原則によって与党だけでなく野党の党首なども呼ばれる。厚労省の副大臣あたりも参列する。YouTubeの厚労省チャンネルで生中継も行われる。ニコ生でも中継される。式典のフォーマットは完全に決まっているため――何しろお役所仕事なのだ――走る自動車に完璧に合わせて「⊂ニ(^ω^ )ニニニ⊃」のAAが投稿されたりする。咎める人は誰もいない。いったい葬式とは何なのか改めて考えさせられる。
近頃は葬式だけでなく誕生についても国がまとめて面倒を見るべきだという議論がある。人間は誕生と同時に人権と戸籍と国籍が与えられるのだから、赤ん坊の誕生は単にその親の私的なイベントではなく、歴然とした公的性質を帯びている、というわけだ。人生の始まりと終わりが国によって管理されるとき、その人生の所有者は果たして本人なのだろうか、それとも国家なのだろうか。
【マン毛教との関わり】
マン毛教は17世紀にオマンコ教から分派した宗教であり、マン毛教信者は陰毛が美しく生えそろった状態の女性器こそが至上であると信じている。
マン毛教においては、陰毛を植毛したアリスの像の前で信者たちが自慰行為を行うことが習わしとなっており、このアリス像は「たわしのアリス」と呼ばれている。
オマンコ教とマン毛教の関係は、19世紀から20世紀中期まではかなり険悪なもので、当時のオマンコ教の信者はマン毛教の教会がある地域には立ち入れないようになっていた。マン毛教が支配する地域では陰毛検査が強制されており、両教団の関係は極めて悪かった。
しかし、21世紀に入ると両者の関係は改善し始め、現在では、オマンコ教の信者がマン毛教の教会を訪れることも珍しくない。特に、互いの教会が合同で開催しているチャリティイベントなどでは、オマンコ教の信者たちがマン毛教の教会でボランティア活動を行うこともある。
法学部卒で就活をなめていて全滅し、小さな編プロに入ったものの、ボスもアスペで誰とも仕事が続かない方だったので、私もミッション途中で解雇。
業務委託契約で雇用保険も未加入だったので、日雇いで食いつなぎ、京都リサーチパークの小さなコンサルにアルバイトで入社。
Web制作が商売になり始めた頃でしたので、織物産業系の会社にホームページを売り歩いて実績を積んで正社員になったものの、社長が会社を解散。
その後ポリテクセンターを利用して雇用保険で食いつなぎながら、就活してリクルートの制作会社に入り上京。
でも遠距離恋愛でメンタル悪化して、早々に退職して数年実家で引きこもり。
このままではヤバいと思い、農業実習生に行ってみたけど、休憩時間に水も飲めず挫折。
その後はボランティア活動に参加するようになったら、ITスキルを買われて、研究員として再生可能エネルギーの実証実験に参加。
GISを使った資源量調査の学会発表や共同特許取得の経験を積んだものの、上司と研究データの抽出方法でもめて離職。
しばらく考えて、あえて障がい者枠で福祉施設の支援員になるも、ずさんな経営に憤りを感じて、離職。
文科省のモデル事業でとある学校の支援員をしながら、通信制の専修学校で社会福祉士の勉強をして、合格。
福祉の道を歩もうと思い、福祉施設を立ち上げたいという営利企業に雇われ、作業所を設立。
でも作ってから、運営方針でまた役員ともめてパワハラを受けて、離職。
それならいっそ営利企業ではなく社会福祉法人で働いてみようと、家から近い法人に就職。
相談員の資格を取得したものの、保守的な法人の運営方針と、社会福祉士の倫理綱領との乖離に会社に行くのが辛くなってしまいました。
だって入社式でマスクの色まで指定して、少しでも違った人はその場で交換させるなんて、多様性が重んじられる福祉業界であり得なくない?
毎日仕事のことを考えると歯を食いしばりすぎて、歯神経が痛みを発するようになっています。
抗不安剤を勧められるけど、ベンゾ系の薬は卒業したので今さら飲めず。。。
転職しようにも、地元は田舎なんでほぼ最低賃金に近い仕事しかなくて、福祉でやっていこうと思っていたけど、まともな法人はもう通える範囲で求人がないのが現状です。
お付き合いのある自治体で雇ってくれる話もあるけど、会計年度任用職員なので、これまた最低賃金レベル。
ITに疎い業界だと重宝がられるけど、今さらIT業界に戻ろうとしても、ブランクもあり、厳しいかな。
IT系の資格は取得してないけど、以下のようなしょぼいスペック。
サーバーたてたりはLinuxとかでFTPサーバーやWebサーバーをたてて遊んでいたレベル。古い時代でごめんなさい。
Webはhtmlは読める。デザインもできる。WordPressは分かる。ディレクション経験は大昔ならあり。
経理:売上1億円レベルの小さな企業の給与計算、法人の決算は経験あり。
助成金申請・報告書作成:1,000万ぐらいの案件までなら経験あり。採択実績も複数あり。
法務:名義変更登記とか不動産登記はできる(無資格・図面はイラレで書ける)。
コンサル:福祉事業所の設立や運営のコンサルは単年度で受注実績あり。
でももう福祉系を諦めて、他の士業の資格を取得するのも検討中。
どの職場も同じだと思いますが、仕事はグループ長を含め5人のグループ単位で行っています。グループと言えど各人の仕事は独立しており、相互に影響を及ぼすものではありません。
その中に一人、私より年齢も階級も遥かに上のとんでもなく仕事ができない人間がいます(以下A氏とします)。私は社会人2年目なので、こんなに仕事ができない人が何故生き残ってるのか疑問が湧くほどに、仕事ができません。その愚痴を書き始めると、はてなダイアリー史上最長の文章になるので語るのは控えます。
今回は、社会人2年目の「若者」と言う視点から見た仕事ができない人間への思いや、対処法を始まりとし、「若者」の仕事観について考えたいと思います。
A氏は私の直属の先輩に当たります(30歳上なので上司とも捉えられる)。しかしとにかく仕事ができないので、絶対に終わらなければいけない仕事を完了させることができません。そうなると誰かがやることになるのですが、比較的余力のある私がA氏の仕事を行うことになります。本来の業務に加え突然現れたA氏の仕事を行うので、夜は遅くまで働くことになり、A氏の仕事だけで建物から締め出される時間まで働くことも多々あります。しかし、A氏からお願いしますとも申し訳ないとの言葉は一言もなく、A氏はしっかりと定時になると帰っていきます。また、A氏から私の作成したものに対して苦言を頂くこともあります。
こういったことに対して周りからは「よく怒らないね」とか「あんなこと言われたら怒ってもいいよ」と言われます。
しかし、私がA氏に対して抱く感情は「諦め」です。彼が仕事ができないのは遡れば大量採用時代の弊害ですし、これまでの仕事教育の失敗です。
これまでの文章表現も気をつけてきましたが彼は「仕事をやらない」のではなく「能力的に仕事ができない」んだと思っています。(能力的にできても、仕事をやらない人も、「やれない」という意味で仕事ができないのだと思います)そんな人間に怒りの感情を持つのが誤りです。誤解を恐れない表現をしますが、人は飛べないですし、犬は喋れません。それと同じで彼は仕事ができません。
○対処法
私は諦めの心が強いので動じませんが、腹が立つ人もいると思います。そんな彼に対して、最も平常心を保って残業する対処法は「ボランティアだと思う」です。ボランティアと言う言葉の意味が全てを説明してくれていますが、こういう人を相手にするときはボランティア活動として社会貢献をしていると考えて働くのをおすすめします。ボランティア活動は社会貢献プラス周りからの評価を高めることもできます。ぜひ心持ちとして活用してください。技術的に言えば、二択でしか答えられない質問をしてヒアリングすることです。「好きな色は?」と聞くと、気がついたら宇宙の真理を話し始める可能性があるので「赤か青、どちらが好きですか?」と聞くように心がけましょう。そうすることで心穏やかに且効率的に働けます。
○若者
ここで拡大し主語を「若者」と変えますが、若者は諦めるのが早いと思います。この「諦め」とは努力をやめるという意味ではなく「期待しない」という意味です。これは社会組織から一定距離を置く傾向が強いことに繋がるように思います(いわゆる若者は飲み会を嫌うです)。若者は組織からの見返りを特段求めていませんし、自らのやるべきことを行っているだけです。なぜ期待しないような感性が育ったのかは難しいですが、子供のときから社会との接点が少なくなったことで大人からの期待への答えを得た経験がないこと、などが考えられます。
話が乱雑になってきましたが、無能な上司と諦めの若者は日本社会を確実に衰退させていきます。確実にです。諦めの若者が無能な上司を見て思う気持ちはより強い諦めです。「何だこれ」と思います。私は思っています。
私は日本を憂いています。若者が生き生きと生きていける世の中はどこにあるのでしょうか?努力を正当に認められ、「頑張ろう」と思える世の中は来るのでしょうか?努力は認められると思う世界は来るのでしょうか?
子供時代の教育も重要ですが、社会構造の改革も必要です。変えるのは「上司」です。腹くくってください。頼みます。腹立ってきたのでやめます。
何が違うんだ
学費を納めた学生に1時間ちょい授業することに給料貰ってんだろ?「知の商品化は防ぐべきだ」ってのは、ご立派な考えだと思うよ
学費を払えない市民にも知を享受する機会を与えたいんだろ?ホント見上げた考えだ
でもさ、
なんで勤務時間中にやろうとするの?
なんで勤務先の設備を使ってやろうとするの?
勤務先の設備使って、勤務時間中にボランティアしようとするなよ
ましてや、授業にわざわざお金払って聞いてくれてる学生に対して『最近の学生は自分が損しなくても他人が得するのが許せない器の小さいクズ』とか唾はいて
「学生は知の商品化を防ぐためにモグリを許容すべき」とかいってんじゃねえよ
何百万も授業料払わせといて何言ってんだよ
単位認定料じゃなくて、授業料の名目で取ってんだろうが!知を売ってる当本人が学生に言う事じゃねえだろ!
あのな、
授業を無償で提供したいなら、YouTubeで無料公開する手間ぐらいかけろ
そんなゴミ人間とデートするこの男も、持って生まれた低スペックと努力が報われない環境に長くいたために
魅力のない人間になってしまった奴であることは想像に難くない。
それよりも、優しさの基準が、地域のボランティア活動、寄付、困っている人を助けるってあたりに
男女の優しさの認識の大きな分断を感じる。
こんなの優しさと言うにはあまりに薄っぺらくて、偽善や承認欲求と紙一重の活動なんだよ。
眠くなったらあくびするとか、エロい女を見たら股間がおっきするみたいな、単なる本能でしかない。
弱者男性は、自分自身がそうだから「共感されにくい弱者」という存在を常に意識する。
共感されやすい弱者が優しさを与えられるのを横目に、そのすぐそばで共感されにくい弱者が苦しいままでいることを確信している。
その両者にフェアに救いを与えるのでなければ自己満足でしかないと感じる。
弱者に何かを与えるだけの余裕がないけれど、「共感されにくい弱者」の存在を常に意識している自分は
本来人間を育てるのに向いてなかった人間が、「なんとなく世間がそういう感じだから」ってノリでボコボコ子供産みまくってしまったのがそもそもの間違いなんだよな
それはただ単に俺みたいな社会不適合人間が量産されるだけだったんだよ
今この年齢になったからこそよく分かる
不適合とか言いながらちゃんと働いて納税してんのにクソ老害毒親とクソニートキ〇ガイ兄に顔あわせるたびに責められながら生きる意味って何だろうな
働いてるからえらいとは思わんようにしてっけど、少なくとも社会に何も貢献してない(※つまりボランティア活動さえ二桁年、1mmもやってないクソニート)人間よりは偉いんじゃないかなと自分で自分を褒めてないと気が狂いそう
親、外見こき下ろし+人格否定してくるけど、そのクソみたいな人格の俺を生み出したクソ遺伝子はてめーらから来てるんだがそのあたりはきれいさっぱり忘れているんだよな、不思議なことにな
マジで早く〇ね
凄く学校に協力的な人がこういうことにうるさい人だったりすることは良くある話。
寄付金を集めてくれる人だったり、ボランティア活動の先導者だったり、自治会の役員だったり。
その対応を間違えれば協力関係が無くなるのは、それこそ学校の活動を制限するようなもので、地域に根差した例えば見守り活動が活発だとかであればあるほど対応が難しい。
で、こういう校則に反対派が別に学校の活動(PTAなども含む)にあまり協力的でない人ばかりで、一緒にこの問題の対応をしてくれるかっていうと、全然してくれないなんてのもよくある話。
逆に言えばそういう調整とかで足を使って活動もしたりしていてくれるから、地方議員での草の根活動をしている政党の人(自民党とか共産党とか)が強いのもまたよくある話。
なんでかなぁと考えてみると、自分はゲームやアニメは技術革新にワクワクしていたのと、漫画はキャラへのガチ恋オタクだった。でも、年齢を重ねてそう言ったことが苦痛になってしまった。
ゲームやアニメ、もう見た目やシステム部分ではすでにマックスまで到達していて、あとは拡張現実の方向になってくると思う。でも自分はリアルとの融合に関しては全然興味が持てない。
そして自分がロールして何かをしたりするのも面倒くさい。
漫画のキャラたちは、自分から見たらただ一生懸命に生きてる子供で、彼らの恋愛を想像することすら苦痛。昔のように絵柄へのこだわりもなくなり、今はストーリー構成の面白さだけで選んでいる。
こういうの、言ってる事と実態は多分違う
ゲームもアニメも漫画も、大して好きじゃなかったんじゃないかな?
オタ活してると、必ず出会う、「キョロ充的オタク」だったんじゃないかな?
当時の自分はそれを本当に好きだと「思っていた」のかもしれない
けど、歳をとって環境が変わってくると、その誤差に気が付き始める
好きだった事実を肯定したまま、好きになれない自分も肯定しなくちゃいけない
そうすると、こういう感じの文章が出来上がる
ともすれば反転して「美少女の消費」などと言いながら、当時オタクだった自分の体験を赤裸々に語りつつフェミ側に行くこともあるくらいだ
こういう手合いになると「オタだった自分の否定」もフェミ的活動で満たせるため、とてもイキイキする
ま、それはともかくとして
彼らは総じて、居場所から疎遠になったり喪われた時に、自分は変わってない、対象が変わったのだと嘯く害悪さんなので
その場からいなくなって欲しいと切に願う
この夏から僕は、とある衆議院候補の応援でボランティア活動をしていた。15年ほど勤めていた会社が廃業することになったのと、その会社の社長の好意で独立させてもらったこともあり金銭的には余裕はないけど時間に余裕があったから結構、どっぷりボランティア活動をした。
事務所の人からすると突然の解散は大迷惑だったらしい。春の終わり頃から用意していたはずなのに、ポスターとかパンフレットとかあらゆるもので準備不足が目立っていた。そんな状態をどうにかしようと、事務所の関係者の人が菅野完を呼んできた。昔からの知り合いらしい。といっても、菅野完が事務所に来たのは3回ぐらい。あとはZOOMとかリモートで会議するぐらい。候補者も菅野完の存在は知らないとと思う。一度も菅野が候補者と話しているところを見たことがないし候補者がリモート会議に出る時間なんてなかった。菅野も「別に候補者を紹介してくれなくてもいいです」とかいってた。ひょっとしたら候補者は最後まで菅野と話すらしてないかもしれない、それぐらい、菅野はうっすらとしか来てなかった。
リモート会議での菅野はタバコ吸いながら話をするいやなヤツだった。最低だと思った。でも最低だと思ったのは、僕たちボランティアの企画内容を菅野がいったんは「面白い」と褒めるのに公選法の細かい規定を持ち出して「やったら大変なことになる」と全部却下したからもしれない。後から聞いたが確かに僕たち素人がやろうとしていたことは確かに法律に抵触するものだったらしい。だけどそれが納得できたのは選挙が終わった後で選挙の最中はやりたいことに文句をつける嫌なやつでしかなかった。
いやなヤツだなと最高に思ったのは、ポスターをどうするかを決めるとき。ボランティアの中に本業がデザイナーがいてその人が試作として作ったポスターを菅野は推してた。その試作ポスターは、僕の目からはデザインが殺伐すぎて怖いと思った。選対の役員(県議とか国会議員とか)も僕と同じように怖いからといっていて、地元の印刷業者がデザインしてきたものが採用されていた。せっかくみんなで話し合って決めたのに菅野はポスター変えた方がいいと言い続けていた。最後は候補者の妻がなぜか菅野に同調して怖いポスターが採用された。ポスターの決定が出た時の菅野が「よかったですな」といった時はモニターをぶち壊そうかと思ったぐらいムカついた。菅野を連れてきた事務所の人は選挙が公示されてから連絡がつかなくなって菅野は電話にも出ないかったのでだいぶあせったらしい。土曜日のミーティングでZOOMで参加した菅野は「もうあのポスターだし、大丈夫ですよ。パンフレットもあのデザイナーさんがデザインしたものだし、勝ったも同然。こんな田舎にこんな天才デザイナーがいるのは素晴らしい」とかいってこれも殴り飛ばしてやりたかった。選挙の時に田舎とか言う必要ないし、相手の自民党の候補は強いのにヘラヘラ笑ってるのが許せなかった。「ネットなんかいまさらやる必要ないですよ」とか「動画撮影してる暇あったら掃除したほうがまし」とか偉そうに言う。その日の夜、リモート会議が終わった後菅野を連れてきた人は菅野と2時間ぐらい電話で話をしていた。次の日からボランティアのやることがつまらないことだらけになった。電話をかけたり掃除をしたり意味のわからない指示がとぶようになって、こんなものなんの意味があるのかわからなかった。最後の金曜日にZOOM会議があって菅野は弁当食べながら映ってるのに一言も話しないからほんとうにムカついた。殴りたいと思ったしこんなことで選挙に勝てるわけがないと思った。選挙カーのルートで議論したり電話の内容を検討したり菅野の出してきたレポートをもとにみんな話してるのに、弁当食べてるしやってることは馬鹿だと思った。でも、日曜日になって22時ぐらいに当確が出た。菅野の指示でネットを一切動かさなくなったのに勝てる意味がわからなかった。でも勝ったから、この時、一番ムカついた。 あんなことでなんで勝てたのか全く今もわからない。菅野を連れてきた人が今日、東京へ向かう新幹線の中で、菅野が選挙前に送ってきてくれたというエクセルを見せてくれたが、そのエクセルの見込み得票数とほぼ同じ結果になっていた。余計腹が立ったし、今日、初登院で候補者と一緒に東京に行ったら、もうすでに祝いの花が菅野から届いていたのでキモかった。全く何をやるのか意味がわからないのはきもち悪いんだよ。
Twitterで検索したら菅野完ほど嫌われてるヤツも珍しいが僕もその気持ちはわかった。なにかよくわからないのに、なんだか上手くいってるのは、一番人を不安にさせる。昔、Twitterで菅野をフォローしてた時も同じだったのを思い出した。単なるサラリーマンなのに数万人のフォロワーがいるのも謎だったし本だして売れてるのが意味わからなかったのと同じだ。嫌われる要素満載だ。よくわからないのに成果出す姿は人をいらつかせるのだと学習した
自治体の議会議員の選挙だった。真面目に投票には行ったけど、結果を見ないまま、何週間も経っていた。
立候補者の少ない選挙だったので、落ちたのは一人しかいなかった。圧倒的少得票数で現職議員の一人が落選しており、まあ妥当な感じ。
普段は当落の結果がわかればまあいいやってなるのだけど、今回は初出場の人に投票したので、得票数も気になった。
立候補者の多くは無所属ということになっている。実際はどこかの党がバックに付いているんだけれども。党の代表として出ている人は、やっぱり得票数も多かった。彼らが最も票を得た三人のうちの二人だ。
最も票を得た三人のうちの無所属の候補者に私は投票した。彼女は趣味ともガチともつかないボランティア活動を多くしている人で、彼女の子供とうちの子供が顔見知りなせいで私も彼女と会ったことがある。彼女は私みたいな、ママ友集団からは「付き合う価値なし」と切って捨てられるタイプの人間にも気さくに話しかけては会話をしようとするので、変わった人だなと私は思っていたが、政治的野心を持っている故に誰にでも分け隔てない対応をするのだと知って、なるほどなと思った。
多くの人に好かれたいという欲望を持っている人は多くいるけど、そういう人でも大概は利害関係で他人を選り好みするものなので、票が欲しいという一心にしても誰彼構わず話しかけるのはすげーなと思う。
社交性とボランティア活動のために顔が広く、しかも実はバックに某野党がついている。こんな人が議員になったらなんかすごいことが起きたりするのだろうか、と思って投票してみたら、ものすごい得票数で当選していた。三位をかなり引き離しての二位だった。女性であるという最大障壁は軽く吹っ飛ばしていた。
地方議会議員の選挙では、普段の行いが見えるぶん現役世代が強いという話も聞いたことがあるけど、まさかあの人があんなにも支持されるとは思わなかったので、驚いたのと同時に、この町には政治に変わって欲しいと思う人が多いのだなあと感心した。