はてなキーワード: 経済格差とは
https://www.keidanren.or.jp/journal/times/2022/0519_07.html
欧米の少子化対策は、(1)一人暮らしが多く、結婚・同棲に経済的メリットがある(2)女性は差別されず、仕事で自己実現を求める(3)恋愛が盛んである(4)子育ては成人まで――の4点を前提としている。そのため、子どもを育てながら働き続ける条件を整えればよく、収入が不安定な男性でも結婚できる。
一方、日本では親と同居の独身者が多く、特に地方で女性差別的な慣習が残る。また、恋愛感情は重視されず、将来にわたり親に子育ての責任がかかる。このため、欧米のような両立支援だけでは効果的な少子化対策にならない。
若年男性の経済格差が拡大し、女性が十分な収入を得ることや働き続けることが難しいなか、「男性が家計を支える」という意識が続けば結婚は増えない。今後の少子化対策は、「収入が不安定な男性をどのように結婚までもっていくか、そのような男性と結婚しても大丈夫という女性をどう増やすか」にかかっている。
欧米流の少子化対策が有効でなかったのは、日本に合っていなかったのだというのが山田の見立て。
経団連なのでお前ら経営者しっかり環境整えろや、と言うことで結論づけているが、著書の方では、日本の欧米化を前提にエリート共が意識改革を待っていたから手遅れになったんであって、日本にあった方法をやれと、おれは、ずっと、言ってきただろう!??(意訳) みたいな話になってる。
以下のくだりが、とても印象的だった。
その時にわたしの出身地の名産が好きで、通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね、とさりげなく話題をそらしてくれた年配の男性がいた。
その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分も神戸出身でさ」と言われた。
恥ずかしい話、「神戸出身だから」と言われて私は何も分からなかった。
私は自分が地震と津波の被災者で、東北で育った私たちが一番の被災者で、今後数十年はわたしたちが一番のかわいそうな立場だという感覚を持っていた。
「なぜ急に神戸?」とポカンとして「はぁそうなんですか…」と雑に返した気がする。
その後、関東に戻ってしばらくしてから、何がきっかけか覚えていないがオウム真理教の話になったとき、
上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウムの事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて
やっと気づいた。
ひとの災害経験というのは、ほんと様々で、一概にかわいそうな被害者としてのっぺらぼうな面をみるわけにはいかないよね。
自分だけが被害者面していたかも、という気づき。こういうちょっとワンクッションおいて、時間が経って考えること、こういうのが大切なんだと思う。
ただ、被害者という言葉で共通項を見出したとしても、阪神淡路大震災を経験したひとと、東日本大震災を経験した増田がこうして、何かのきっかけでお互いの体験の共通部分に触れようとしたときでさえ、お互いが経験したものの奥行や背景は全く違う。でもそれは、もっと言葉を交わさなければみえてこないもの。
多分、増田は上記の言葉を交わしたとき、その手前でふと立ち止まって考えたんだと思う。
ひるがえって自分の親戚の話。自分語りをトラバに混ぜるのはなんだかな、と思うところもあるが、テーマの性質上書かせてもらう。津波から数日後、東北のもっとも大きな漁港のひとつで、親戚が経営していた漁業関連会社と生産工場が全滅したとの一報を受けた。一方、杜の都に住む息子娘世代は全員無事だったという朗報にほっとしたことを思い出す。
しかし、それよりも震災から半年くらい経って、父が一言つぶやいた言葉のほうが忘れられなかった。
他界した親戚一家は、さかのぼると、昭和8年の津波の前から漁港で生計を営んでいた。1933年の津波で多くの財産を失った親戚は一から再建する際に、同じ場所でやり直すのはやめるべきだと再三にわたって、周囲から助言されていたという。しかし、結局、同じ場所で人生をやり直し、次世代が引き継ぎ、そして次第に事業規模が大きくなり、津波の記憶が遠ざかっていくなかで、そのまた次世代の方々が財を成し、地元の名士として羽振りよく、親族のなかで存在感を持つに至る。そんななかで、半世紀以上前、東京に出て行った東北の令嬢が結婚前の父と出会う。
大切な令嬢(大地主の長女)をどこの馬の骨ともわからないよその県の小作人の末っ子風情に嫁がせるわけにはいかない、という大反対の嵐。本家筋からなにから親戚中の冷たい目線。結局、結婚は許されて、父は母の家系に婿として入ることになるのだが、その時に受けた屈辱を忘れられないらしく、東日本大震災で全滅した親戚に対して、天罰、という言葉で自身のつらみを含ませて表現したのだった。
父にとっては、かわいそうだね、では決して片づけられない感情。
個人的には、なにより、貧しい者も栄華を誇った者も等しくなぎ倒した大津波の、客観的な、物理的な力に圧倒せざるを得なかった。
たとえ、誰と震災の経験の話をするとしても、このようなパーソナルヒストリーの違いによる温度差は避けることができない。そう思っている。
震災を経験していようがいまいが、あるいは同じく焼け出された隣人でも同じではない。大地震大津波の破壊力を前には、あの家は無事だった、無事でなかった、そういうさまざまな経験がそれぞれにあるにすぎない。
こうしたファミリーヒストリーな視点でそれぞれの思いがある一方で、
上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウムの事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて
やっと気づいた。
という上司の言葉。そして、「やっと気づいた」という言葉。このつながり方は、大変興味深い。「あの年は~」というのは個々の経験の違いを超えた、歴史を振り返った俯瞰的な総括を含んでいるからだ。1995年という時代、そういったマクロな視点での気づきをもたらすのも災害だ。
そして、それが何かの理由で、自分自身のファミリーヒストリーや神戸出身者とのちょっとした会話と結びついたのだとすれば、それは自分のある意味「かわいそうな」私的な思いを、歴史の一コマのなかに着地させようとする、そういう覚醒だったのかもしれない。
実をいうと、よりマクロな視点で、それぞれの災害にはそれぞれの社会的な背景があり、その脆弱性が被害を増幅させている、という視点を最初に提起したのは、阪神淡路大震災だった。
1990年代以前は、災害被害者というのは、災害管理の文脈で救援対象として、比較的ステレオタイプに捉えられていた。しかし、その認識を大きく変え、都市の社会構造の脆弱性に関心が高まったきっかけが1995年の震災だった。こう書くとなにやら上から目線風だけど、阪神淡路大震災が自分が仕事として防災の世界に入るきっかけを作った。
神戸の都市としての成り立ちは、明治の初め、神戸港が開港された時から始まる。以降、港湾労働者が多く流入、低所得層が脆弱な埋め立て地や条件の悪い内陸部へ集住するようになる。他方で、20世紀の鉄道の時代に入ると、阪神間の交通網が充実し、六甲山ろくに高級住宅地が開発されるようになる。高度経済成長期には六甲の開発で切り崩した丘陵地に住宅地を建設、その残土で海岸が埋め立てられ、工場用地や港湾建設が進められていく。おりしも公害問題が深刻化した時代、都市の生活環境はますます深刻化していった。そんななか、オイルショックを契機に産業構造の転換という時代の変わり目を迎え、神戸の産業のシンボルであった造船、鉄鋼は停滞してゆく。それは関連する神戸の零細地場産業を苦境に陥らせ、今度は人口流出が起こり都市部の空洞化が始まった。都市部に残っているのは、流動性の低い層つまり高齢者、低所得者ばかりとなった(インナーシティの形成)。
これに対して1980年代、神戸市の政策的な対応としては、財政問題の打開が先行した。バブル前の当時の考え方では、大規模開発こそが地域経済の再生をもたらすと信じられていた。埋立地の利用による、ポートラインラド、六甲アイランド建設、物流機能強化のための明石大橋建設、最先端技術産業の誘致、ニュータウン建設など、新たな付加価値の創出が事態打開の切り札だった。
その一方、社会の脆弱層への支援、行政による市街地の再生は後手に回っていた。
オイルショック後の産業構造の転換で取り残された低賃金労働者の町、老朽化の進んだ木造住宅密集地域、長屋建ての住宅の占める割合の多い市街地(長田区のスラムのようなオールドタウン)は新陳代謝が進められなかった。地震対策の上でも洪水対策の面でも取り残された街となった。どのような地域であったかは番町地区で検索をしてほしい。
このような経済格差や脆弱性が生み出された、マクロな構造変動のなかで襲ったのが1995年の大地震であり、被害が社会経済的に脆弱な人々に集中した。暴力団員が懸命に救助活動していたエピソードを覚えている人もいるだろう。そういう街だった。
社会学的な視点でみれば、この地震の教訓として、被害が高齢者、低所得者に集中したのは、ある意味、歴史的必然だ。格差が生み出された背景などのマクロな政治的・経済的な動向と切り離せないということだ。
そして、このような格差や脆弱性という切り口でみる構造分析は先月発生したトルコとシリアの大地震でも、当てはめることができる。
このように、可哀そうな存在というのを社会学的に脆弱性として構造的にとらえる、ひとつのきっかけは、やはり他の災害を知るということであるし、昔の災害を知るということだと思う。
パーソナルヒストリーとしてお互いに触れあうことで、お互いに違うバックグラウンドにあることがうすうすわかってくる、それもまた、大切な気づきなのだと思う。
また、パーソナルなコミュニケーションが、例えばまさに「通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね」みたいな会話、これが実はマクロな特性を知るうえでも、その人のパーソナルヒストリーをしるうえでに、もっとも重要なエントリーポイントだったりする。仕事上、ひとから話を聞くときにいつも気に留めていることでもある。
だから、トルコとシリアで現在進行形の震災について全体状況を大きな視点理解している国際機関よりも、よりミクロな視点で、特定の家族や地域の人たちにコンタクトがとれる小規模のNGOや支援団体に私自身は微力ながら支援金を送付している。たまたまシリア難民支援をしている人と知り合いの知り合いくらいの関係でSNSでつながっていたのがきっかけだ。アサド政権が物資を止めてしまう現状も現地の声としてより関心を持つようになった。そのほうが確実に、受け取った人の顔がみえ、困っている状況がミクロにもマクロにもわかってくる。自分が支援したお金が支援先の一家族あたりの支援額(しかも第一バッチ)の1/4にも満たないことを知る。こういうことも大切だと思う。
そのように、何かをきっかけに、他の災害に対して接点を持つ機会を大切にしたい。
というのは、居酒屋のトイレの洗面所とかで何気なくかわす会話、とか想像していたのだけど、そういうのが大切だよね。そういうのが心の残って覚えている、ということがさ。もちろん完全にひとのことを理解するなんてことはどんなに会話を交わしてもない。でも覚えてさえいれば、そのなぜか覚えていた思いを何かにつなげることができる。その「きっかけ」というのはとても大切に思う。
災害を忘れない、というのはそういうことだと思うので。
これは分かるわ
美人で気遣いができる優しい女が、イケメン金持ちに「こんな素敵な女性に払わせる訳ないじゃん。経済格差だってあるし、フェアじゃないよね?それに綺麗になるためにはお金もかかるんだし僕に払わせてよ」って女性をエスコートして、女性に感謝されまくってお返しに色んなプレゼントを貰って、みたいな上流階級強者の世界と戦ってんだよな
ここにいきなりキモイオジが出てきて「無料で○○チャンとお話ししたいナ!ワリカンがいいな!オジサンって若い子の間で結構モテちゃうんでショ?オジサンにもチャンスあるカモナンチャッテ!女はキレイでエロくなきゃダメだヨ!」の乞食が集りまくり、これに苦言を呈する美女たちに、金なしキモオタが「女は金目当て!男性差別!」などと噴き上がる構図だと思ってる(貧乏オタク女はワリカンされてるがキモブスなのでオタクの目に入らない)
そもそも経済格差のある現状は、基本的人権の差別の禁止に反する重大な憲法違反であって、奢り問題なんかで容易く影響されるような政治指針ではありません
人間以外が知識に基づかない考えと偏見を撒き散らすんじゃねえよ、差別きめえんだよ
経済格差を作ってる人たちは「女性が奢ってほしがるから、男性社員にモテてほしいから」という理由で男性の給料を水増ししてるわけではありません
自民党の「昔ながらの協会的家族観」を重視した政策もあって差別が保存され続けています
なくなるわけないwwww
「あっちゃいけない差別」がある大問題がまず最優先の解決課題である問題ですよ?なくなるわけないって意味わからん
あって良い差別なんてないが?学のないキモオタってマジでキモすぎるんだよな
人権意識もないし、経済格差がない国を見たことないから妄想でめちゃくちゃ言うしかないよね
生きてる価値ない
女の大半が自分と同等以上の収入の相手としか付き合いたがらないのに男女の経済格差なんて無くなる訳ないじゃん
こう言う言ってる本人も本気で信じていない様な嘘を平気でつく奴ってマジでムカつく。
まだ素直に「奢ってくれる男じゃないと嫌」って正直に言う奴の方がマシ。
女性だろうと年下で自分より経済的に劣る相手になら普通奢るし、一般的に稼いでる人間には男性が多くて女性はそこまで稼げてないイメージがあるからってだけの話
ここではあまり盛り上がらない話題だなと思ったけど、投稿は結構あるね。
後で見てみよう。
…
格差社会 (7)
格差社会 (877)
希望格差社会 (8)
賃金格差 (736)
給与格差 (70)
資産格差 (7)
1票の格差 (7)
格差 (6895)
価格差別 (5)
健康格差 (5)
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東西格差 (3)
格差拡大 (252)
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格差問題 (194)
価格差 (189)
教育格差 (186)
世代間格差 (178)
一票の格差 (166)
地域格差 (164)
所得格差 (152)
情報格差 (147)
地域間格差 (13)
格差肯定論 (1)
人生格差犯罪 (1)