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はてなキーワード: 性的少数者とは

2020-04-21

anond:20200421072919

児童女性外国人少数民族障がい者、お年寄り性的少数者まともな男性などと比べればキモくて金のないおっさん価値が低く付けられるのは自明の理だよ。

その価値の落差を覆せるエビデンス何か持ってる?

2020-01-13

実在人物やその周辺を取り扱う二次創作について

はじめに

かれこれ15年以上、実在人物に関わるBL創作をしており、今はよく荒れる界隈の、わりと近くの界隈で過ごしている。

「荒れる」とはどういうことか。

記事では、「SNS閲覧制限を掛けずにカップリング名やキャラ俳優名を出して萌え語りや創作をするアカウント(以下、鍵パカ)が出現すること」とする。

鍵パカが現れると、閲覧制限を掛けているアカウント(以下、鍵垢)が回覧板のように注意喚起を回し、

各自スパム報告・ブロックをすることで、当該アカウントを凍結させようとする、という流れが確認されることがある。

この流れが、某ジャンルではここ数ヶ月頻繁に起こっている。

わたし自分が関わるところの事例しか知らないが、活発なジャンルであればよく起きていることだと思う)


鍵パカはなぜ鍵パカでいるのか。

彼らが注意に対して反論するとき、以下のような言葉を使うことがある。

BLから隠れろというのは性的少数者に対する差別だ。

当事者が傷付くというが、傷付いたという事例がない。

二次元にいたときは隠れろと言われなかった。

1では、これらの反論についてわたし個人的な考えを記す。

2では、そもそもなぜ鍵パカをやめてほしいのか、注意する側の視点から記す。

なお、本記事実在人物やその隣接区域を取り扱うジャンルについて主として述べるものであり、

述べていないことについては触れていないか問題ない、思うことがないというわけではない。

同じようなジャンルで過ごす方々にとって、本記事が何かの思考一助となれば幸いである。


1.鍵パカによる反論について

本項では「はじめに」で述べた鍵パカによる反論について、ひとつずつ私見を述べる。

(1)「BLから隠れろというのは性的少数者に対する差別だ」

そもそも注意する側は「『BLから』隠れろ」とは言っていない。

「『他人意志勝手妄想し、時には性的な部分まで考えているから』隠れろ」である

誰かを想うこと、特に性に関わる部分は、人の思考の中でも極めて繊細だ。

それを勝手他人に決めつけられたり、自分のいないところで話されていたりしたと知ったとき、ショックを受けるひともいる。

我が身に置き換えて考えてほしい。

ただの友人であるAとの仲について、別の友人Xが「Aのことが好きなんでしょ?」と言ってきた。

あなたには全然その気がないので否定する。

けれど、Xは「またまたそんなこと言って」、「否定すればするほど怪しい」と言って、あなたの言うことを一切信じない。

そのようなことがあったときあなたは一切不快に思わないだろうか。

また、Xは共通の友人であるYやZにも「Aが好きらしいよ」と話す。

次第にその話はあなたの手の届く範疇を超えて広がっていく。

別の友人から「Aのこと好きなんだって?」と聞かれる。ついにはAからわたしが好きなのか」と問われる。

友人としては好きだが、恋愛対象ではない。

周りにそう噂されても、あなたもAもお互いに今まで通り振る舞えるだろうか。

わたしは今までどおり振る舞える」というひともいるだろう。しかし、相手がそうだとは限らない。

そうでなくとも、他人から勝手恋愛対象定義付けられることで不快になることも十分考えられる。

性的指向が異性であるひとが同性との恋愛妄想されたら。

性的指向が同性であるひとが異性との恋愛妄想されたら。

恋愛感情を持たないひとが他者との恋愛妄想されたら。

こういうことを伝えると「不快にならないかもしれないではないか」と返すひとがいる。

間違いではない。不快にならない確率は確かにある。

しかし、それは「不快になること」の可能性を否定するものではない。

二次創作をする場合妄想する対象はえてして(広義で)自分の好きなひとであるはずだ。

その対象不快にさせる確率が決して低いとは言えないとき、それでもそのような行動を取るのだろうか。

不快にならない」と自信を持って言えるひとは、ただのファンにすぎないのに対象の何を知っているというのだろうか。

おそらく「自分はただのファンにすぎない」という自覚も無いのだろうが。

(2)「当事者が傷付くというが、傷付いたという事例がない」

適切な事例を知らないので自分語りをする。

高校生のころ、ジャンルは違うが腐女子仲間がいた。彼女創作をする腐女子だった。

当時、わたしには片思い相手(以下、Pとする)がいて、彼女にも相談に乗ってもらっていた。

ある日彼女が「あなたとPの恋愛小説を書いたから読んでみる?」と言ってきた。

当時のわたしは深く考えず「読む」と答えた。

その日、メールで送られてきた文章を読んだが、あまりにも気持ち悪く、落ち込み、彼女とは数日後に絶交した。

内容の詳細は省くが、性的描写が伴っていた。オプション特殊性癖が付いてきた。

共通の友人である子(仲直りをさせようとしてきた)には、ざっくりと話したが、ほかの友人には話せなかった。

内容について、想像させたくなかったかである。これ以上、Pを誰かの勝手妄想で穢したくなかった。

今ここに書けているのは匿名からだ。

この件につき、わたし当事者である

当事者として言う。他人勝手妄想されるのは、性的に消費されるのは不快である気持ちが悪い。吐き気がする。

Pがわたしの想い人だったかわたしの受けたダメージも書ける程度のものなのだろうが、

これが全くどうでもいいひとだったら、あるいは友人だったらと思うとぞっとする。

これは、明らかなセクハラである

わたしが「BLに限らず隠れろ」と思うのは、この実体験に基づくところも大きい。

(3)「二次元にいたときは隠れろと言われなかった」

わたしアニメマンガゲーム等の二次創作を通ってきていないので、界隈のことは知らない。

そのため、一般論を語ることは避ける。

個人的な思いで言えば、アニメ等を扱う二次創作についても原作者一般ファン二次創作をしないファンというべきか)のことを考えれば

公式で触れていないレベルのものについては隠れた方が良いのではと思う。

ただし、アニメ等の創作をする鍵パカにいちいち注意したりスパブロを行う義理は別界隈の人間にはない。


2.なぜ鍵パカをやめてほしいのか

萌え語りや創作の公開に関して閲覧制限を掛けるというのは、何もSNSになってからのことではない。

わたしの知る限り(00年ごろ~)でも、個人サイトパス制、クイズ制、URL請求制はよく見られた。

htmlタグロボット検索避けを埋めているサイトも数多くあった。

すべては「本人や関係者二次創作を好まないファンに見せないため」である

これは「ルール」とまでは言えない。

しかし、そもそも二次創作には著作権肖像権を犯す恐れが充分にある。

鍵パカを注意する側は「外部から権利侵害を訴えられることや、それを理由二次創作禁止されること」を危惧している。

鍵パカはこれらふたつの可能性を高める。だからやめてほしい(「隠れろ」と言う)のである

なお、言うまでもないことであるが、これらの可能性の「有無」について適切に回答できるのは公式(本人、関係者)だけである


おわりに

以上、わたしの考えを綴ってきたが、決して他者押し付けものではない。

納得できないひともいるだろうし、ジャンル内の自浄作用には限度があるだろう。

わたしだって上記経験をしながら、当時から変わらずずっと実在する人物を餌に創作を続けている。

(だからせめて、本人の目に触れるようなことは絶対避けたいと思っている)

個人的には、どこの界隈も荒れることな創作節度を守って、公式から目溢ししてもらえればと思う。

初めに述べたように、創作公式距離を考えるひとにとって、何かの思考のヒントになれば幸いである。

(非常に感情的で読みづらい文章最後までお読みくださったあなたには感謝しかない。ありがとうございました。)

2019-12-23

anond:20191223210819

弱者度」が何に基づいて算定されるものかは一概になんとも言えなくて、現時点ではうまく扱いかねるが。

シスヘテ女性は、生殖を通じてこの社会の中では必要な部分として社会構造上必ずみなされる。

そこがマイノリティでありつつも、マジョリティとしての権力性に近しいところ。

母性主義的な主張は子を抱え込む母としての立場を、国や社会が認めざるを得ないところを接点として出てきている。

日本フェミニズム」は主流は今も昔も圧倒的に「日本人の」「母性表象をもって主張されてきた。

からこそ、90年代性的少数者からの、在日女性からの異議申し立てがなされた。

2000年代バックラッシュ騒動の時にもそこは必ずしも改善されず。

2010年代にはトランスへイトを煽動する勢力をそのうちから排泄した。

歴史的健忘症に陥りやすいツイフェミが、「私は一時期ネトウヨだった」とか平然とブログに書いてるのを見れば、何も学んでないんだな、と思う。

2019-12-01

実写版シティーハンター同性愛を笑い物にしている

嗅いだ人が、それをつけていた人に惚れてしまうっていう強力な特殊効果を持つ香水をめぐる攻防なんだけど、それによって男が男に惹かれるっていう場面が笑えるシーンとして何度も描かれる。

性的少数者の中にはこれを見て傷つく人もいるかもしれない、っていう議論があるかと思いきや、ゲイ映画を見る習慣がないから誰も声を上げないんだよな。

で、ひとたび議論が着火すると、映画を見てもいないのに批判するんだよな。1,300円と2時間くらい投資してから騒げっちゅうねん

性的少数者を救済したいヘテロメサイアについて

性的少数者一枚岩ではない。

性的少数者自体意外と語が広い。立場や細かい多数派との違いは意外と多岐に渡る。

そもそもその辺の属性を一回抜きにしても、人間が2人そこに立っていたら意見が完全一致する方が少ない。

例えば性的少数者普通かどうか・普通にしたいか議論はわりかし盛り上がるし、意見も分かれるところだ。

キャラと女キャラ恋愛を表すオタク用語であるNL」というのはノーマルラブの略称である

この一言で「同性愛アブノーマルだって言うのかよ!?」「男女恋愛普通というのは時代遅れだ」「この単語が無くなるぐらいまで偏見をなくしたい」という人もいる。

一方で「でも多数派ヘテロなら、ヘテロ普通なのは事実だ」「そこまで普通になりたいとは思わない」「言葉狩りはしたくないなあ」というタイプも居る。

大きく分けて、普通になりたい人と普通でなくても良いという人がいる。

後者にも「でも同性婚制度必要かな」「教育はあった方が良い」という折衷案的なタイプもいれば、それすらなくて良い構わないでくれと考える一切無しの人もいる。

先日、普通じゃなくていい派である anond:20191129143254 のような投稿を見た。

自分異性愛者のくせに可哀想可哀想とよってたかってくる人間がうざい。

理解しているふりをして近付いてくる人間がうざい。

自分折衷系の普通じゃなくてよい派なのだが、「わかる…」と思った。

別のトラバについているメサイアコンプレックス、これがそうなのだろう。

もう既にこれを表す単語があるのなら無知でごめんなさいなんだが、今回の投稿ではこいつらを「ヘテロメサイア」と呼ぶ事にした。

ヘテロメサイア繊細チンピラとかお気持ちヤクザとか呼ばれている人種に近いと思う。

まあ意見こちらに寄っているのだから有難いは有難いし、制度化には認知第一歩という点においては重要な事だ。

だが自分ヘテロメサイアに絡まれた事がある。

ハッキリ言ってそれがすごくトラウマであり、上記投稿に短くトラバとして纏めればよいものを長々と語ってしまっているのはこれが言いたかたからだ。

自分は前述の通り普通になる事に重きを置いていない派なので、普通じゃない事を前提にした発言をする。それがヘテロメサイアに見つかった。めちゃくちゃに叩かれた。

理解が足りない!ゲイの人が見たら悲しむだろ!この差別主義者!現代価値観適応できない人間死ね

色々言われたけど、どれもなんか酷い言葉だったというのは覚えてる。

面白い事に、それだけ罵倒された挙句に「ふーんまあ当事者なんですけどね」と告げると土下座の勢いで謝られた。

そうだよね。あなたメサイア可哀想性的少数者を救う救世主なんだもんね。

救世主が間違って可哀想な人を叩いちゃったんだもんね。

ここで述べたヘテロメサイアに限らずフェミニストとかもそうだけど、最近ちょっとメサイアコンプレックスを拗らせてる人が多いんじゃないかなと思う。

メサイア自分欲求の為に人を利用する存在なので、救いの手を差し伸べたつもりの対象が本当に嬉しい事ばかりをする訳じゃない。昨今女性からフェミニズム批判の声が上がるのを見ていると似たようなものを感じてしまう。

こういうのが一番根っこは差別主義者なんだよね。

2019-11-24

anond:20191124045655

増田の言ってることは適当だけど、BLものって(中に例外はあるとしても)単に男が「(いわゆる)男役と女役」をやってるだけのものが多くね? って意味では、そもそもBLもの性的少数者の側に立つことはないし、従来の性的役割を強化こそすれそれを軽減するようには働かないよね、っていうのは当然じゃないかと思う。

2019-11-04

anond:20191104142158

Cornellの議論は、ポルノグラフィ危害を認める一方で、ラディカル・フェミニズムの主張するような形での危害を相対化する。「さらに言えば、マッキノンによると、ポルノグラフィ男性レイプへと駆り立てることによって産業の外においても女性への直接的な暴力を引き起こす原因になるという。これから見ていくように、私はポルノグラフィの直接的効果としてレイプ輪郭づける因果モデルの適切性を疑問視する。……私は原因―結果モデル自体に関して疑問を呈したいのである。これほどまでに複雑で多層的に象徴が刻み込まれているセクシュアリティ世界でこのようなモデルを使うことは難しい。しかし、このモデルはドゥウォーキン/マッキノンの条例案の基礎として決定的な意味を持っているのである」 。実際に、McKinnonのポルノグラフィ観は、その表象性を(意図的に)無視したものであり、その点について法による規制という強力かつ一方的手段を用いることには強い疑問がある。「……しかし忘れてはならないのは、ポルノグラフィーは、「グラフィー」という接尾辞が示すように、何よりもまずひとつ表象、ひいては表現作品で……ある。人種差別と同列に語りうるのは性差別であってポルノグラフィーではない(性差別は様々な形をとりうる)。ところがマッキノンらにとっては、結局のところ、ポルノグラフィーと性差別同義語なのである彼女らが、ポルノグラフィーにおいて重要なのはそれが「する」ことであって「いう」ことではない、行為であって思想ではないと、ことさらに強調するのはそのためである。……ある表現物が「いう」ことは、なにも(一義的な)「思想」や「メッセージ」に限られるわけではない。言語というものは、自然言語であれ映像言語であれ、ある奥行きをもった立体であり、そこには多重な意味作用が畳み込まれうる……。マッキノンらの議論は、……ジョン・R・サールが「間接的言語行為」と呼んだような現象をいっさい捨象した議論である」 という批判は、言語行為の間に明確な区別を設けずに、ポルノグラフィ性差別のものであるという一種イデオロギー依存した議論に対する批判のものである

もちろん、McKinnonらの条例案は、ポルノグラフィという言葉制限的に定義することによって、そうした一般的議論ではなく、特に女性に対して酷薄もののみを定義域に含めている。しかし、それですらなお表象問題は不可避であり、言語行為限定なく同一視する立場には、疑念がある。まして、直接的効果が後年の研究によって疑問視されている状況にあって、規制根拠果たしてどこまでの力を持つといえるだろうか。仮に、McKinnonの主張がなされた当時においてそうした言語行為が一致するような時代的状況が存在したということを承認したとしても、その射程は現代日本には必ずしも及ばないだろう。つまり日本におけるポルノグラフィ製作必然的にそうした女性虐待表彰ではなく行為として含み、またそうして製作されたポルノグラフィ表象必然的に(fuckerとしての)男性レイプに至らしめ、(fuckeeとしての)女性従属化を固定化する構造を持っているということが実証的に明らかでない限り、法による規制という手段は困難であろうと考えられる。

また、Cornellの依拠するポストモダンフェミニズムは、立場としてのポストモダン主義を前提としており、そこでは、男性性/女性性といった二項対立的な概念整理はそれ自体批判対象となる。McKinnonらの議論は、女性解放というフェミニズム根底目的に対して、一定文化コードとしての女性性を再定義し書き込むものである、というのがCornellの分析である。そしてこれは、ポストモダニズムコミットするか否かというメタ的な問題を抜きにしても、汲むべきところのある議論であろう。つまりポルノグラフィ規制根拠として、加害者/fuckerとしての男性被害者/fuckeeとしての女性を暗黙裡に前提し、それを基盤として提示される議論は、必ずしも現代において盲目的に首肯されるべきものではないというところである

そもそもポルノグラフィは、男性のみによって消費されるものではない。これは、少なくとも現代日本においては議論に際して念頭に置かれてよいことであるように思われる。レディースコミックと言われるジャンルは、1980~90年代ごろから女性向けの(広義での )ポルノグラフィとして書店に並ぶこととなった。また、同人誌として、いわゆる「やおい本」や「BL」というジャンルもこの頃から一定勢力として存在していた。これらは全く女性使用し、消費することを前提に(そしてその多くは女性たちの手によって)制作されたものである。ここでは、ポルノグラフィ概念として当然に前提されていた男性消費者ということさえもが相対化されている。それは、女性性的欲望セクシュアリティがfuckeeとして規定されていたこから解放であるとも評価できるのではないだろうか。そこでは、主体として性的願望を抱く女性が前提されている。ここでは、主体-男性/客体-女性というメタ二項対立接続否定されている。これは、ポルノグラフィ危害論において、根底を掘り崩す事実であるのではないか、と考える。これに対して、メインストリーム男性製作し、男性が消費するポルノグラフィであるという反論はまた、十分に考えられる。しかし、仮にメインストリーム男性向けであって、女性けがサブストリームであるという主張を容れたとしても、なおポルノグラフィ必然的に男女を社会的構造化し、差別を直接的効果として助長し、あるいは引き起こすものであるという根本主張は、強く相対化されたものとしてとらえられなくてはならなくなるということは言ってよいように思われる。

4. 結び

前章において、ポルノグラフィの及ぼす危害について、その直接性が少なくとも現代日本においては相対化されるべきであることを示し、また、McKinnonやDworkinの議論それ自体に潜む女性性のコード化はフェミニズムの本義からしてなお批判可能性を有するものであるというポストモダンフェミニズム見解を紹介した。そのうえで、表現の自由という価値原理ポルノグラフィに対していかに向き合うべきかということを簡単に整理する。

日本において、表現の自由の価値は高く見積もられる 一方で、定義づけ衡量のもとでポルノグラフィを含む一定表現について規制肯定する。そして、ことポルノグラフィにおいてはそれが善良なる性風俗や最低限の社会道徳の維持という目的のもとに正当化されてきた歴史判例上有する。McKinnonらの議論において革新的であったのは、ポルノグラフィ規制道徳的な問題と訣別し、女性に対する危害の面から規制検討されるべきである、ということであった。この指摘は、法と道徳可能な限り切り分けようとする立場をとるならば高い妥当性を持つものであり、その危害現実的に認められる限りにおいて表現の自由に対する制約は当然に許されるものとして考えられる。しかし、この危害に関しても、「(リューベン・)オジアンの著作[ポルノグラフィーを考える(2003):筆者註]は、ポルノグラフィーに対する道徳哲学の立場からアプローチであるという点で注目に値する。彼は、ジョン・ステュアート・ミルの「危害原理harm principle」……の流れを汲む自身の「最小倫理éthique minimale」に基づいて、ポルノ規制正当化する議論……に反駁している。ポルノグラフィーがもたらすとされる「危害」について、オジアンが反ポルノフェミニストとは大きく見解を異にしていることは容易に想像できるだろう。興味ぶかいのは、オジアン同様「善」ではなく「正義」の問題として……ポルノグラフィーをとらえたはずのフェミニスト議論すらじつはある「善」概念を暗黙裡に前提していると彼が指摘している点である」 という指摘がある。つまり特定の善概念に基づいた特殊的な危害が主張されているに過ぎないのではないか、ということである。例えば、守旧派的なキリスト教における「善」の概念同性愛を悪と断じたことを考えれば、一定の善が前提されたうえで主張される危害は、相対化してとらえられるべきであろう。

こうした危害についての理解は、法規制についてネガティヴであるさらにMcKinnonらの主張には逆行することとなるが、むしろその主張における「道徳から危害へ」の転換は現在規制すら過剰なものであるという結論への親和性を有している。もちろんこれは、女性に対してポルノグラフィ制作現場において発生する暴力虐待を許容せよということを決して意味しない。むしろ、そうした事態が発生した場合に、適切に法が救済を与えることは、考えるまでもなく必要なことである。そのためにいかなる手段妥当であるかが問われるべきではないだろうか。

一部のフェミニストが主張するように、ポルノ出演や売春を含めたセックスワーカーである女性が、法規制対象となるのではなく、むしろつの職業」そのものであり、合法であるという社会的及び法的な認知必要となるのではないだろうか、と考える。それが社会的正業である認知されることは、その「職場」におけるハラスメント虐待を看過しないことにつながりうる。問題が発生した場合に、自らの「クリーンハンド」において司法の救済を要求することが可能となる。そして、そうした「解放」は男女(あるいは性的少数者性)を問わずに自らのセクシュアリティに対して真剣に向き合うことを要求する。それによって、直接的は生じないものの、間接的にあるいは無意識的に発生しうる「危害」は社会的に相対化されうるのではないだろうか。

以上のポルノグラフィ規制緩和論が、法が向き合うべき一つの筋道ではないだろうかという主張をもって、本レポートの結びとする。

参考文献

キャサリン・マッキノン,アンドレア・ドウォーキン中里見博,森田成也訳「ポルノグラフィ性差別」(青木書店, 2002)

・ドゥルシラ・コーネル仲正昌樹監訳「イマジナリー領域」(御茶の水書房, 2006)

大浦康介編「共同研究 ポルノグラフィー」(平凡社, 2011)

キャサリン・マッキノン森田成也ら訳「女の生、男の法」(岩波書店, 2011)

スーザン・J・ヘックマン著 金井淑子ら訳 ジェンダーと知 : ポストモダンフェミニズムの要素(大村書店,1995)

2019-10-24

サウスパーク腐女子

腐女子ネタは単なるお遊び要素で、真のテーマは「LGBTに関する人権意識が過剰に膨らみすぎて、当人達の意思を離れつつある実態なのは、誰の目から見てもわりと分かりやすいとは思うんだけど

最後の、トーマスクレイグに語りかけるシーンの意味が、よく分かってなかったんだよね。

でも今日観返して、「大切なのは指向への迎合ではなく、個々人をありのまま受け入れる事である」って伝えたかったんだろうなって思った。

トーマスは話中、最後まで息子がゲイであることを好意的に捉えられなかったし、性指向に対する知識もめちゃくちゃなままだった。人がゲイになるのは日本のせいで、それはトンキン湾事件が原因で、ゲイにはお金を与えていれば良い、そんな出鱈目な知識そもそも息子が本当にゲイなのか否かすら分かっていない。

でもトーマスは、クレイグのありのままを受け入れる、とクレイグに示すことができた。正しい知識はなくても、息子の全てを受容する、それを相手に伝えられた。大事なのはLGBTに感する知識でも、応援でも、運動でもない。性的少数者という括りを取っ払った、その人自身を受け入れること。その人に、「この人なら自分を受け入れてくれる」と思ってもらうこと。

結局クレイグはトゥイークと付き合うことを選んだわけだけど、楽しそうに遊んでるし、後のシーズンでもお互い支え合いながら仲良くやってる。クレイグはゲイゲイじゃないかは兎も角として自分幸せを掴む事には成功してるんだよね。

ジャンル分けの成否は関係なくて、その人自身幸せならいいんじゃないかって、そんなテーマが隠れてるんじゃないかな。

サウスパークは、初期の何も考えてなさそうな不条理ギャグ時代の印象が強すぎるんだけど、最近深読み深読みを重ねてもまだ足りない作品が多い。

2019-09-04

anond:20190904115504

セクシャルマイノリティ様は「LGBT」と名乗って他の性的少数者を切り捨て、差別する側に回りましたね。

2019-08-08

anond:20190808203550

調べたけど分かりやす説明している資料ネットでは見つからなかった

だけど、性的志向異性愛に変えろ、性自認身体と一致させろと性的少数者強制するひどい歴史があって、変えようもないものを変えさせることが人権侵害だった

それに対する反論として先天性の話が出てきたみたいだね

2019-07-02

anond:20190702164504

一部の性的少数者自己満足以外では一切求められていない。必要がない。

anond:20190702162848

お前馬鹿だろ

極僅かの性的少数者以外は誰も求めてない穴の話なんかしてねーんだよカス

2019-07-01

anond:20190701145713

「穴」って言ってるのを物理的な穴のことだと思ってる愚か者

一部の性的少数者以外から需要がない

2019-06-23

なんでだよ!なんで俺の記事が伸びねえんだよ!

いい記事じゃねえか!

そりゃまあ完璧じゃねえのかもしれねえよ

夜中に思いつきで1時間で書いた記事だよ

何が駄目だったんだよ!

時期だってのがしてたよ

語りだすのが半年遅かったよ

面白くもねえ逆張りかもしれねえよ

でも伸びていい記事だろうが

なんでこれが伸びねえんだよ

貧乏人の叫びだとか性的少数者の憤りとかそういうのばっか伸ばしてんじゃねえよ

パンティーだのうんこだのの話ばっかじゃねえか

なんで俺のは伸びねえんだよ

伸びてくれよ

伸びてくれないと誰も読まねえんだよ

誰かが読んでくれねえとその話は始まらねえんだよ

最後には誰かがバージョンアップしてソイツが機嫌を主張しても良い

から伸びてくれよ

俺の話したいネタが伸びてくれよ

2019-05-22

PNZを犯罪者扱いするなら

LGBBへの理解と寛容さは日に日に増している様に感じる。ここ増田でも、先日同性婚に関する記事がバズったばかりだ。そんな同性同士の結婚なんて話が出来るまでに、社会LGBT存在を認められるようになったのか。

それはそれでまあ喜ばしい事かも知れないけどさ。

そんな動きの一方で、アメリカ地方議員ケモナー性的指向がバレただけで辞職に追い込まれた、なんて話を聞くと暗澹たる気持ちになる…。

何故認められないん?LGBTは認められて、何故PNZ他の性的少数者迫害されなきゃならないん?

こう訊くと「PNZは性欲を満たす行動そのもの犯罪になるから」ということらしい。

この言にはある程度の正当性があるかも知れない。確かにペドフィリアが実際に幼児に手を出したら事件になる。それは認めるわけにはいかない。

しかし実際にはケモナー議員の様に、『絵』を嗜むだけでも迫害対象になりうる。この矛盾をどう説明するのか?

性的欲求を満たす行動が犯罪になるなら、行動しなければ良いだけである。又は代替行為我慢する。そんなことも許されないのか?人間セックスのみに生きているわけではない。

加えて言えば、合意の下性的発散が出来ないのは、相手がいないヘテロLGBTとて同じことだ。何故「いい歳して童貞の男は必ずレイプ魔になる!」と言わないのか?いや言って欲しいわけではないが。

LGBTは認めるがPNZは認めない、という人に質問です。

・何故PNZを認めないのですか?

・何故PNZは必ず実際の行為に及ぶと思うのですか?

・何故合意的に性欲を発散出来ないヘテロLGBT迫害しないのですか?

2019-05-20

anond:20190520133232

性的少数者である」ということだけを理由としてませんので安心してください

ペドフィリアに対してはそれだけの理由性的な行動を禁じてるじゃないか

性的接触もっと一般に繊細な合意の上で行われるべきなんだよ。

マジョリティってなぜかペドフィリアばっかり目の敵にしてるけど、

言語コミュニケーションに拠った空気とか雰囲気とか曖昧言い訳で好き放題セックスしまくった結果がデートDVとかの問題だろと。

まず自分らの不始末をどうにかしろよ。

これに関してはまぁわからんでもない

「繊細な合意」が全然具体的でないという以外は。

anond:20190520132409

性的少数者である」ということだけを理由として

ませんので安心してください

性的接触もっと一般に繊細な合意の上で行われるべきなんだよ。マジョリティってなぜかペドフィリアばっかり目の敵にしてるけど、非言語コミュニケーションに拠った空気とか雰囲気とか曖昧言い訳で好き放題セックスしまくった結果がデートDVとかの問題だろと。まず自分らの不始末をどうにかしろよ。

anond:20190520132152

性的行為は許されるべきだが、性的接触は許されるべきでない」というのが現実的な落としどころだろう。

現実的な落としどころ、という名の差別ですねわかります


性的少数者である」ということだけを理由として生涯にわたって不利益を負わせ続けるってことに鈍感なのはマジョリティ故か。

anond:20190520111120

書籍でいえば大島薫の同性婚あたりかな

n=1

しかに「一部」ではあるよね。n=1

ペドはLGBTが同性婚を訴えてるのがそんなに気に食わないのかw

×「同性婚を訴えてるのが気に食わない」

〇「同じ性的少数者差別しているのが許せない」

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