「タイムアウト」を含む日記 RSS

はてなキーワード: タイムアウトとは

2023-09-04

我が社の勤怠用WEBツール、みんながアクセスする時間帯になると平気でタイムアウトしたりするので、勤怠時間がズレる。

これほんとにポンコツ過ぎてしようがない。

今も5分前から手を変え品を変えてアクセスしようとしてるけど、一向に繋がらないときている。

2023-07-30

はてブを見なくなってだいぶQOLが上がった

かれこれ7~8年近くははてブを見ていたと思う。最初自分の書いていたブログに異様なまでのアクセスが来ることがあり調べてみたらはてブ経由だったから。そこからブクマ匿名ダイアリーアカウントも作ってだいぶ活動していたけど、今年に入って見るのやめた。ブクマアカウントも消した。匿名ダイアリーアカウントも今後消そうと思う。

見なくなった理由は、あの底辺扱いされている5chやTwitter以上に時間無駄いかつ偏ったサイトからだ。今ではだいぶマシになったが、ヤフコメが右に偏って社会事象に「けしからん」と物を申す反知性主義コミュニティーならば、はてブとは、左に偏って社会事象に「けしからん」と物を申す反知性主義コミュニティーに他ならない。

そもそもはてブしか得れない情報というのはほとんどないし、そういうのは大抵がろくでもない記事である。またサービス性質的に、いまTwitterエコチェンからボロクソに敵視されているコミュニティノートと同じようなもので、外部の離れたところからあなたは間違っている」と石を投げるような感じで、ひたすら社会のあらゆる事象に対して「お前はけしからん」と物を申すスタイルであり、とにかく扇動的で人を上から目線で腐すコメントばかり上位にやってくる。ヤフーAPIとか使ってアルゴリズムを変えたらしいが、大きな変化はなく、結局のところ、はてブ左翼の集まりであり「左翼に受けるような正論」を書き込めばスター数を稼げてしまう。もちろん俺自身も何年に渡りそういうコメントをつけてきた事もある。近年は過疎化してきたのかブクマの早い段階で「こいつはけしからん」みたいなコメントすれば簡単に上位になってしまっていた。もちろん、トップコメになったとしても何一つ報いはない。

匿名ダイアリーは更に質が悪いが、そもそも自分が書いた記事反響が来ることはほとんどないし、それを期待してもいけない。偶発的に書いた記事に突然反響がやってくる感じで、記事検索したら大抵の場合タイムアウトするし、サービスとしてそもそも成り立っていないと思う。

1日ではてブ増田を見ていた時間は30分にも満たないが、それでも1日の1/50程度ではある。資格試験勉強に費やしたり運動時間を増やしたりしてみたが、何より、自分人生と直接関わりのない事象に対して、いちいち義憤して上から目線で偉そうなコメントを書く不毛行為をやめたことは、人間として間違いなく成長させてくれていると思う。

さらば、はてな。お前を利用していたのは時間無駄だった。

2023-07-28

増田全体の検索最近は毎回CDNタイムアウトエラーになるんだけど、回避する手段はあるのかなー…

2023-07-10

anond:20230710174233 anond:20230727144853 anond:20230913125452 anond:20230913130114

自分用の検索なら死んでないか検索し放題やぞ。『(ユーザー名)の日記』のボタン(文字リンク)を押して、

ようこそ Masuda_2020_07_10 さん                Masuda_2020_07_10の日記  日記を書く  ログアウト  

 

自分日記のみが表示される画面に切り替わったら、そこで検索するだけやで。タイムアウトすることもあるが死んではいない

 

あとタイトルに[]をつければカテゴリータグになっていつでも見返せるぞ

見本↓

[増田しぐさ]

 

ブクマ大好きチュッチュじゃなきゃ使う必要性無し

ワイは一度も使ったことない

anond:20230710121219

卓球タイムアウトコーチ相談とかできるけど、テニスはそういうの全然ないんじゃなかったっけ

それがラケットを壊すことの正当性につながるかはともかく、他競技よりも孤独感が強いのは正しいんじゃね

2023-07-07

anond:20230707002241

どの時間帯でも100%タイムアウトになる気がするけどみんなそうなの?

2023-04-05

https://ossan.hatenablog.com/entry/2023/04/05/044022

素人でも思いつくようなことは対策されてるなんてウソだぞ

最近タイムアウトロックが外れた時に前の人の処理をクリーンアップしてないので、次の人が前の人のファイルを読んじまう」システムトラブルを見たぞ

不死通だかっていう会社らしいんですけども

2023-03-29

ゲオオンラインストアセール

事前にチェックして待機してはじめて買えたわ

ツールなんか使ってない

普通に手動と目視

めっちゃ重くてまじやばかった

最後最後クレカの決済のレスポンスゲートウェイタイムアウトになってダメだったかなーと思ったけど、

注文完了メールがきたからまじうれしかったよねー

まあ今回はそこまですごいものが安いってわけじゃなかったんだけどさ

2023-03-23

人間 vs AI 対決

https://chat.openai.com/chat

ChatGPTへの質問

楽しくも面白くもない私の愚痴や悩みのためなんかに彼氏時間を奪い、ネガティブ不快な姿を見せ続けるのが「向き合うこと」なら私は絶対嫌です。

本気で好きなら…って言いますけど、本気で好きだ人からこそつらい気持ちは隠したいし見られたくない、明るくて楽しい私だけを見せたいってそんなにおかしいですか。

https://anond.hatelabo.jp/20230323213438 より)

 

ChatGPT先生からの回答

あなたが感じている気持ちはとても理解できます自分自身ネガティブ気持ち不快な姿を相手に見せるのは、たとえその人が彼氏であっても、誰でも嫌なものです。

それでも、「向き合うこと」は恋愛関係において非常に重要なことです。彼氏が本気であなたを愛しているなら、あなたが抱える悩みや不安を共有することは彼にとって大切なことです。しかし、彼に聞いてもらう前に、まず自分自身解決策を模索することができます。もしくは、悩みや不安を抱えていることを彼に伝える際に、彼が気を遣わせないように自分自身で整理してから話すと

network error

 

なんだろね?

無料版だと1回目の回答は途中で途切れるように設計されているんでしょうかね?(猜疑心

 

ChatGPT先生からの回答(2回目)

あなた気持ち理解できます恋愛において、自分自身の悩みや不満を相手にぶつけることは、しばしば負担となります。また、あなた楽しい時間を過ごしたいと望むのは自然なことです。

しかし、恋愛には相手との共有やコミュニケーション重要です。一方的相手から受け取るだけでは、健全関係性を築くことができません。あなたが抱える悩みや不安相手と共有することは、関係性をより深めるために必要なことです。

もし、彼氏あなたの悩みや不安を聞いてくれないのであれば、それは彼氏が本気であるかどうかを考える必要がありますあなた感情や考えを受け止め、共有することができる相手でなければ、あなたが望む健全関係性を築くことはできないでしょう。

しかし、あなた彼氏自分気持ちを伝えることで、彼があなたを支えてくれることができるかもしれません。彼があなたの悩みや不安を聞いてくれ、共感してくれるようであれば、関係性がより深まることが期待できます

最終的に、あなた自分自身を守り、心地よい関係性を築くことができるように、あなた自身が望む方法彼氏と向き合うことが重要です。

2回目はタイムアウトにならず、最後まで回答文が出力されました。

でもさー、元増田さんはこのChatGPTの回答を見てどう思う?

私はこの答えには満足できませんね。

当たり障りのない八方美人みたいな回答で、問題本質的解決には迫っていないと思いました。

なので、AIよりもまともな回答を人間である私が検討してみますAI(ChatGPT)よりも人間(私)の方が的確なアドバイスをしていると思ったら人間の勝ちです。

 

人間による回答

まず最初に「バーナム効果」の説明から

バーナム効果バーナムこうか、英: Barnum effect)とは、星座占いなど個人性格を診断するかのような準備行動が伴うことで、誰にでも該当するような曖昧一般的性格をあらわす記述を、自分、もしくは自分が属する特定の特徴をもつ集団だけに当てはまる性格だと捉えてしま心理学現象

これから述べることは、仕事恋愛などの一般論であり、元増田さんだけに当てはまる話ではありません。従って、当てはまっていてもハズレていても一喜一憂する必要はありません。

 

プロファイリング

つらい気持ちは隠したいし見られたくない、明るくて楽しい私だけを見せたい

この一文から、「他人から良く思われたい」というタイププライドがある方だと判断しました。

そして、このタイププライドは多くの人が持っているはずです。

 

プライド落とし穴

これからプライドメリットデメリットプライドの使い方について考察します。

 

他人から良く思われたい」というプライド重要視すると、他人目線他人価値観を気にし過ぎてしまい、自分価値観よりも他人価値観を優先してしま状態に陥りがちです。

例えば、自分はロングヘアーが好きで普段美容院でロングヘア―にカットしてもらっているのに、好きな人ができて彼がショートヘア―の女性が好きだった場合相手ストライクゾーンに入るためにロングヘア―をやめてショートヘア―にしたとします。その結果、見事に彼の好みの容貌になって彼から告白されて付き合うことができたとします。好きな人をゲットできた反面、自分の好きな髪型ができなくなって不満を抱えてしまったとします。貴方はロングヘア―(自分価値観)とショートヘアー他人価値観)を天秤にかけて、自分価値観を捨てて他人価値観に基づいて生きることを選んだことなます。これは、価値観選択に関する一例に過ぎませんが、自分価値観よりも他人価値観に基づいて生きてしまう事例は、髪型以外にも多々あります

自分価値観から他人価値観に乗り換えるとき、不満が一切なくて納得しかなければ問題が起きないかもしれませんが、妥協や抑圧をしていた場合は不満が積もっていきます

自分価値観ではなく、他人価値観に基づいて生きているとき妥協や不満が積み重なっている場合、ある段階から我慢できなくなってやがて暴発します。

 

あなた彼氏さんから「よく思われたい」「自分を好きになって欲しい」と思っていますか?

その一方で、実は彼氏価値観で納得できない部分が、多少なりともあるのではないですか?(全てにおいて完璧人間ほとんどいないので、普通好きな人でも欠点に見える部分もあるはずです。)

仕事ストレス愚痴を吐くのは嫌だから」「自分の情けない姿を見せたくない」という理由彼氏との別れを考えている、とのことですが、本当は彼氏のことが好きではなくなって、別れる言い訳をひねり出しているだけなのではないですか?

それなら、彼氏に直して欲しい欠点彼氏価値観で嫌なところなど)を伝えて再教育してみるべきでしょう。それでも彼氏欠点改善してくれなさそうなら、彼氏貴女を本当には愛していないのかもしれません。

また、彼氏に気に入られたいからとあざとく振舞っていたのをやめて、ありのまま自分自分価値観で生きている本当の自分髪型の例なら彼好みのショートヘアーではなく、自分好みのロングヘア―の自分)をさらけ出して、自分価値観彼氏が合わせてくれるのか?を確認してみる作業必要でしょう。

 

自分価値観よりも、他人価値観を優先して生きていると、自分の心を抑圧し過ぎて、他人からの指示待ちロボットのような悲惨人生になってしまます

なので、「他人から良く思われたい」というプライドには欠陥があることに留意して、ちっぽけなプライドゴミのようなものだと思って捨てましょう。

他人から良く思われたい」という気持ちをいったんストップして、ありのまま自分価値観)をさらけ出してみて、それでもお互いに好きな部分が残っていれば、付き合いを継続しても良いし、好きな部分が全くなければ、お互いの将来を考えて、付き合い方を見直すべきかもしれません。

本当はお互いに別段好きというわけでもなかった、何となく付き合っていただけ、という事実が発覚してしまったとしても、価値観ギャップをお互いに確認し、どこが同じでどこが違うかのすり合わせ=答え合わせを行ないましょう。

お互いに良く見せるための嘘をつく必要がなくなれば、もしもお互いに好きではなくなって、別れてしまう結果となってしまったとしても、むしろ二人の関係性=関わり方は改善された、とみることもできますね。(無理矢理なポジティブ思考?)

彼氏アサーティブ(対等)なコミュニケーションを図れるようになったのであれば、彼氏の前で良く思われるための演出・演技・嘘が必要なくなるので、気分的には楽になるはずです。

 

向上心の燃料としてプライド活用

どうしても「他人から良く思われたい」というプライドが捨てられない場合は、プライド自分にとってプラスに働くように利用するべきでしょう。

他人から良く思われたい」→そのために身の丈に合わない無理(嘘・演技・演出妥協など)をするのではなく、自然体のままでもスゴイと言ってもらえるように、もっと自分を磨く/努力する方向へと邁進するモチベーションにすることです。

プライド向上心の燃料として使える場合は使ったら良いと思いますが、その場合でも他人比較プライドを満たすのではなく、過去自分との比較プライドを満たす方向に持って行くべきでしょう。

他人との比較採用した段階で、他人価値観の混入が避けられず、やはり自分価値観よりも他人価値観を優先してしまうという罠に陥る可能性があることに注意してください。

 

長くなったので、ここでいったん文章を切ります

結論を言うならば、人間心理的問題に関して、まだ人間AIに勝てるということです。

2023-02-04

卒園の贈り物、取りまとめめんどくせぇ

みんなで先生への贈り物するんだって。一人のママが言い出したのが12月。ただでさえ忙しいのに、誰が取りまとめやるんだって話になり、一人っ子の私のうちと言い出しっぺのママともう一人の3人でやることになった。

この二人のママときたらマジで仕事したことないんじゃないかってくらい段取りが悪い上に、仕事が忙しいアピールばかり。そのくせ、卒園式の後に合唱したいだの、記念品園児似顔絵描かせたいだの、一向に話が進まない。普通にお菓子渡すだけでいいじゃん!なんだったら個別にやってもいいんだよ!

そんでね、なんだかんだ記念品お菓子段取りできたんだけど、園児一人当たりの会費は790円なんだと。雑費も入れて800円にしましょうって言ったんだけど、多めに取って余らせたくないので!お釣りの無いように言います!…とか訳のわからんこと言ってる。小銭じゃらじゃらは用意するも数える方も面倒なんだよ!ばーかばーか

卒園式の合唱はまだ何にも決まってないけど、もう二月。とりあえず未読スルーしとくわ。そのうちタイムアウトだろ。

2023-01-10

anond:20230108114700

描写から読み取るしかないところなので異論はありそうだけど、たぶん木暮と(桜木以外の)レギュラー4人に相当な実力差がある設定なんだよな

疲れてる三井>>木暮なんだろう

あと桜木花道は素人バスケットボールIQが低いから適宜タイムアウトとったりベンチに下げたりしつつ明確に役割を絞って指示を与える必要がある

2022-12-20

映画 THE FIRST SLAM DUNK 感想

中学高校バスケ部、下手くそ全然試合出れずずっとベンチ、スラダン全巻保有人間感想

以下ネタバレ

オープニングの湘北が1人ずつ歩いてくるやつ、かっけ〜!!テンション爆上がり。音楽もよい!

山王メンバーもかっけ〜!!

試合臨場感やべ〜!!

山王応援めっちゃいたことあるやつ〜〜!!

めっちゃテンション上がる〜〜!!

(一本、そーぉれ一本!ピッピー!とか、ディーフェンス!ディーフェンス!とかそういうやつ)

試合の合間にコートの隅にいるモッパー(モップ係。選手の汗が落ちてると踏んで滑るから拭きます)の猛ダッシュ懐かっし〜!!リアリティがやべ〜

オフィシャルも懐かしいよ〜ファウル数えたりタイマー止めたりタイムアウト言われて試合止めたりすんだよ〜あれ他のチームが順番にやってんのよ、試合出ない人が。(全国大会は違うかもしれぬが)

審判の「オフェンスチャージング!」の身振りの大げささとか、「バスケットカウントワンスロー!」の力の入れ具合とか懐かし〜!あのグレーの審判服も懐かし〜!審判、人によっては動きがコミカルだったり、やたら力入ってたりとか面白いんだ。

冒頭の湘北のアリウープ漫画だと結構ギャグシーンだけど映画だとサラッとやっててよかった。

桜木ゴリカンチョーして殴られるのとかはやるけど、魚住大根桂剥きは無かった。別に無くていいけど。

途中の桜木の成長振り返りシーンで一瞬牧とか仙道とか出てくるのもテンション上がるわ〜

リョーちんの生い立ち、プライベートシーンは普通に泣いた。

絵が上手すぎるんだよ。絵の演技がすげぇよ。

台詞じゃなくて絵で語ってた。

ちゃんのカラッとした感じがよかった。

やさぐれる前のミッチーキラキラ感やさぐれ後との落差で笑えるほどだった。

ミッチーとリョーちん、こんな関係性だったのか。よかった。

見終わった感想としてはめちゃくちゃ良かったけど原作未読の人は多分意味分かんないんじゃない?と思ったんですが、原作読んでないけどよかったと言っている人がいたのでそんなことないのかもしれない。

原作読んでなかったらあのキラキラボーイがミッチーだとは分からない気がするが、どうだろう。

ミッチーがかつてもたらした混乱も映画だけだと分からんしな。

映画本も買った。

単行本未収録のリョーちんの沖縄時代エピソードが載っているというやつ。

全然映画と違う話だった。

もっと映画元ネタみたいな話かと思ってた。

チラッとは映画エピソード出てくるけどさ。

井上雄彦インタビューが載っててよかった。

映画を作るのがどれだけ大変だったかという話。

漫画自分一人のフィーリングで描けるけど、映画を作るには大量のスタッフ意図を伝えるために言語化をせざるを得なかった話とか、

漫画なら小さいコマでチラッと載せられるエピソードも、映画は全コマ見開きみたいな感じで難しい話とか。

苦労が伝わった。

マジで映画作ってくれてありがとうだよ!

ありがとう!!!

2022-11-06

ポケモンgoで「ジム攻撃する側」への嫌がらせをする方法を編み出したwww

妨害への嫌がらせって金ズリの無限だけだったじゃん。でもこれってジリジリと金ズリ投入の限界までの時間耐久で、どちらかというと攻撃側が有利だった。

この状況に対して、防衛側でさら抵抗する方法を編み出した、という話です。簡潔に書くと、攻撃側のバトル中でタイムアップを誘発することができます

まず、前提条件:ジムに置いているポケモンのチームとは別のチームのアカウントを1つ用意してください。

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ジム攻撃されているときに、自分の別チームアカウントをバトルに参戦させます自分邪魔したいプレイヤージム攻撃しているのが見えますが、バトルをすぐに抜けます

バトルを抜けたら、すぐに新しくバトルを開始します。この時は、前回のバトルには入らずに、新しいバトルが始まります攻撃をせずにじっと待ちます

すると50秒くらい経ったら、「自分邪魔したいプレイヤー」がこのバトルに参加してきます。参加してくることには、そのプレイヤー+10秒の時間でバトルを開始することになります自分プレイヤーは、すぐにバトルを抜けて、次のバトルを開始します。このように、先回りしてバトルを開始しておくことで、攻撃側の下処分時間を減らしてタイムアウトをおきやすくすることができます

おわり。

2022-10-11

LINE画像が横スクロールするカードタイプメッセージかいうアレ

2枚目でタイムアウトして3枚目以降画像が表示されないことがよくあるので広告効果ゼロだと思う

2022-10-01

竜とそばかすの姫は欧米だと新しい御伽噺として賞賛されてるんだな

DeepLで翻訳

デイリー・テレグラフ

ベルは、私たちオンラインオフライン二重生活について、美しく観察され、まばゆいばかりのアニメーションで描かれたSFおとぎ話である

タイムアウト

細田守監督サイバー童話は、基本的に壁一面の大作で、その背景には仮想世界が広がっており、

ウィリアム・ギブスンの目が飛び出るほど緻密で壮大な世界観の波が押し寄せます

オースティンクロニクル

細田氏は、誰もが秘密を持っていると考えており、インターネットは、それらを処理し、傷を癒し

自分自身から私たちを救ってくれる人を見つける能力役割を果たす可能性がある.

彼が古典的おとぎ話の豪華な SF 味のあるバージョンを通じてそれを行うことは、

単なるおまけではありません (これらのコンポーネントだけで、ヴィルヌーヴ時代を超越した物語記憶に残る新しいバージョン作成されたはずです)。

これは、ぎこちない修正主義ではなく、再文脈化の重要行為です。

ロサンゼルスタイムス誌

扱いにくい物語の複雑さにもかかわらず、細田運動と静止の巧みなバランスを達成し、最終的には教訓的なものにした。

https://www.metacritic.com/movie/belle-2021/critic-reviews

日本だとファンタジーだという批判があるけど海外だとむしろそういう風に観ているからここまで国内外評価真逆になったんかなあ

2022-08-08

https://k-tai.watch.impress.co.jp/docs/news/1430835.html

この記事ひどいなぁ

楽天ペイアプリEdySuicaキャッシュの3つチャージ先があるのに

テキスト本文にチャージ先が書いてない

画像を読み込まないと楽天キャッシュへのチャージだとわからない

クソ重な楽天モバイル回線だと画像タイムアウトして表示されないわけだし配慮してほしい

2022-08-04

anond:20220803122230

NFLではわざと傷んだふりをして時計を止める戦法ができないようにとっくの昔にルール改定されてる

2ミニッツ過ぎたら怪我人が出たチームのタイムアウト没収される(残りタイムアウトがない場合10クロックが進む)

2022-07-18

UNIX 哲学」についていくつか

名著「UNIXという考え方 - UNIX哲学」は本当に名著なのか? 〜 著者のガンカーズは何者なのかとことん調べてみた - Qiita

この記事はよく調べてあるなぁと思う反面,事実関係の間違いも多く当時の空気感など欠けていると思う部分がいくつかある。事実関係に関しては追い切れないので参考文献を挙げるにとどめておくが,空気感のほうはいくつか書いておく。なお当該記事の「当時と今では状況が全然違うんだから安易に『UNIX 哲学』とかいうな」という主旨には大賛成である

参考文献

初期の UNIX歴史について興味がある向きには次の書籍お薦めする。

Peter H. Salus『A Quarter Century of UNIX』(1994, Addison-Wesley Publishing)

和訳の『UNIXの1/4世紀』(Peter H. Salus, QUIPU LLC 訳, 2000, アスキー) は絶版のうえ訳も微妙なので薦めづらいが,原書The Unix Heritage Society (tuhs) で PDF が無償公開されているので,英語が苦にならないのなら読んでみるといい。

また同じく tuhs で無償公開されている Don Libes and Sandy Ressler『Life with UNIX』(1989, Prentice Hall)を読めば80年代終りの UNIX の状況(XENIX についてもしっかり言及されている)や利用者目線での雰囲気もある程度判るだろう。

哲学

記事で一番気になるのが「哲学」という語の捉え方。この言葉の強さに引きずられているように読める。でもこれ,当時は設計基本的な考え方くらいの意味でわりとよく使われていた言葉なんだよね。たとえば米 BYTE 誌のアーカイブを “philosophy” で全文検索するとこんな感じ。

https://archive.org/details/byte-magazine?query=philosophy&sin=TXT&sort=date

ほぼ毎号のように出現していたのが判るだろう。

もっとも猫も杓子も「哲学」を振りかざしていたわけではないし,UNIX開発者たちが「哲学」の語を好んで使っていたのも間違いないように思う。傍証の一つが AT&T定期刊行物『The Bell System Technical Journal』の1978年7, 8月号だ。元記事言及されているマキルロイの Forword の初出がこれで,ネットのアーカイブから PDF が入手できる。

この号は二部構成になっていて第一部が Atlanta Fiber System に関する論文12本(全172ページ),第二部が UNIX に関する(Preface や Foreword を含む)論文22本(全416ページ)となっている。さて前述の PDFOCR されているので “philosophy” で全文検索してみると8箇所見つかる。これが見事に全部 UNIX論文なのだ。もちろん論文性質もページ数も違うからこれだけで確定的なことはいえないが「日常的に使っていたんだろうなぁ」という推測は成り立つだろう。じつはマキルロイ哲学とされている部分は “Style” であり “philosophy” の語は一切使われていないというのもちょっと面白いUNIX開発者たちがなぜ「哲学」という語を好んだか正確なところは判らないが,それまでにない新しい考え方に基づいた OS を開発しているという意識があれば,そういう言葉を選ぶのが自然時代だったことは間違いない。

UNIX認知され拡がっていく過程で「哲学」も知られるようになっていった。自分が好むものの良さを他人にも識ってもらいたい,あわよくば他人もそれを好むようになって欲しいという布教活動は今も昔を変らないわけで「哲学」はその便利なツールとなったわけだ。元記事ではガンカースの著作を「外部の人間が後から打ち立てた哲学」と表現しているが,そんなたいしたものではない。マキルロイ論文に影響を受けた布教のためのああい説教は到るところにあった。たとえば前掲の『Life with UNIX』にもしっかり Philosophy の項がある。また日本最初期の UNIX 解説本のひとつである村井純井上尚司・砂原秀樹『プロフェッショナル UNIX』(1986,アスキー)には冒頭次のような一節がある。

オペレーティングシステムは,コンピュータを使うものにとっての環境形成する基盤であるから,そのうえで生活する者の個性尊重し,より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェアでなければならない。この主張こそが,UNIXオペレーティングシステムとしての個性ではないだろうか。

 

    プロフェッショナル UNIX村井純井上尚司・砂原秀樹,1986,アスキー)p 3.

「より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェア」とはテキストを入出力フォーマットとする単機能コマンド群のことで,これらをパイプでつなげたりシェルスクリプトでまとめたりすることで「そのうえで生活する者の個性尊重し」た「より良い環境へと作り上げて行く」ということだ。こういった説教はありふれたものであった。たんにそれを「哲学」の語を用いて書籍にまとめたのが,たまたまガンカースだったというだけのことである

そしてじつは UNIX場合布教活動とはべつに「哲学」を広めなければならない切実な理由があった。これを説明するのは非常に面倒くさい。当時と今ではあまりにも環境が違うのだが,その違いが判らないと切実さが伝わらないからだ。マア頑張ってみよう。

UNIX の利用環境

UNIXPDP というミニコンピュータミニコン)上に開発された。このミニコンを使うためには専用の部屋に行く必要がある。その部屋は,もちろん場所によって違うわけだが,マアおおよそ学校教室くらいの大きさだ。長机が何列か並んでおり,そのうえにはブラウン管ディスプレイキーボードを備えた機器が等間隔に置かれている。壁際にはプリンタが何台かあるだろう。通っていた学校コンピュータ室などと呼ばれる部屋があったならそれを思い浮かべればだいたい合ってる。ただし置かれている機器コンピュータではなくコンピュータ接続するための端末装置ターミナル)だ。端末装置キーボードで打った文字コンピュータに送られコンピュータが表示した文字がそのディスプレイに表示される。現在 UnixOSCLI を使うときターミナルとか xterm という名のアプリケーションを用いるがこれらは端末装置エミュレータで,もともとは実体のある装置だったわけだ。

さてコンピュータ室にたいていは隣接するかたちでマシンルームなどと呼ばれる六畳くらいの部屋がある。窓ガラスで仕切られたこの部屋には箪笥洗濯機くらいの大きさの装置が何台か置かれている。これがコンピュータ本体だ。もっとコンピュータが何台もあるわけではない。この箪笥CPU でそっちの洗濯機ハードディスク,あの机に置かれているタイプライタ管理コンソールといった具合に何台かある装置全部で一台のコンピュータになる。どこが〝ミニ〟だと突っ込みたくなるかもしれないが「六畳で収まるなんて,なんてミニ!」という時代お話だ。

端末装置それぞれからUSB のご先祖様の)RS-232 という規格のアオダイショウみたいなケーブルが伸び,マシンルームに置かれたターミナルマルチプレクサと呼ばれるスーツケースに台数分のアオダイショウが刺さってコンピュータとの通信を行う。コンピュータと多数の端末装置を含めたこれら全体をサイトと呼び,root 権限を持って管理業務を行う人をシステム管理者あるいはスーパーユーザと呼んだ。

結構上手に説明できたと思うのだが雰囲気は伝わっただろうか。ここで重要なのは一台のコンピュータを数十人が一斉に使っていたという事実だ。洗濯機とかアオダイショウとかは,マアどうでもいい。

自由不安定OS

当時の UNIX評価一言で表すと〝自由不安定OS〟となる。メーカお仕着せではなく自分好みの「より良い環境」を作りあげる自由さらに他のメインフレームミニコンOS に比べると一般ユーザ権限でできることが圧倒的に多かった。そしてその代償が不安定さ。今では考えられないが UNIX のその不安定さゆえにプロOS ではないと考える向きは多かったし「でも UNIX ってすぐ落ちるじゃん」というのは UNIX アンチ定番ディスりだった。UNIX の落とし方,みたいな情報がなんとなく廻ってきたものだ。

こういった雰囲気を鮮やかに伝えてくれるのが,高野豊『root から / へのメッセージ』(1991,アスキー)だ。当時アスキーが発行していた雑誌UNIX MAGAZINE』に連載されていた氏のエッセイ1986年11月から1988年10月掲載分までをまとめた書籍である。著者の高野氏は勤務先の松下電器1980年ごろから UNIX サイトスーパーユーザを務めており,日本では最古参の一人である。この本の中で高野氏は繰返し UNIX自由さと不安定さに言及している。すこし長くなるが,その中の一つを引用しよう。

CPU は,システムにとって重要な共有資源であるが,この CPU実質的に停めてしまうことが UNIXはいとも簡単にできる。たとえば,cc コマンド10個くらい同時に走らせてみたらよい。VAX-11/780 といえども,同時に実行できるコンパイルはせいぜい3つか4つである。それ以上実行することも当然可能ではあるが,他に与える影響が無視できなくなる。つまり,てきめんに viカーソルが動かなくなる。あるいは,すこし大きめなディレクトリ上での ls コマンドの出力が表示されるまでに煙草を1本吸い終えてしまったり,タイムアウトログインが撥ねつけられたりといったバカげた現象が起きだすのである。こういった状態になると,UNIX破壊されたに等しい。真夜中,独りで VAX を占有して使っているのなら何をやろうとかまわない。しかし,20人30人と多数の人間が使っているとき勝手をやられると非常に困るのである当人仕事が遅れるのは自業自得だとしても,そのとばっちりで他のエディタまで止まってしまうと,もはやどの仕事も進行しなくなる。

ディスクについても同様なことがいえる。UNIX では,ファイルシステムを使いはたすまで大きなファイル自由に作ることができる。したがって,自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュアが使うと悲惨なことになる。ディスクを使いはたすと,コンソールタイプライターにエラーメッセージが出力されるが,夜中にそれが発生して,コンソールタイプライターが一晩中エラーメッセージを打ち続け,朝マシンルームに行ってみると紙を一箱打ち尽くしてしまい,ピーピーと悲しげな声を上げて人を呼んでいた光景を私は何度も見てきた。こうなると,それをしでかした本人のプロセスは当然のこととしても,同じディスクで走っている他のプロセスも先に進めなくなってしまう。すこしでも負荷を夜間にまわそうとする善意は逆転してしまい,わずかでも仕事を先に進めようとする意図完璧に打ち砕かれてしまうのである

 

    root から / へのメッセージ高野豊,1991,アスキー)pp16-17.

そして,こうした不安定さが「哲学」を必要としたのだ。自分が利用しているサイトに「cc コマンド10個くらい同時に走らせ」たり「自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュア」がいるとその累は自分にも及んでしまう。だからサイト利用者全員に UNIX設計基本的な考え方を理解してもらうことが,自分のために必要だった。UNIX伝道がより苛烈だった理由ひとつがここにあるのだ。

ミニコン UNIX終焉

ミニコン上で誕生した UNIX は 4.3BSD(1986)で最高潮を迎える。注意したいのはミニコン時代UNIX は Research UNIXCSRG BSD みたいな区別をせずにまとめて UNIX として扱われていたことだ。実際『プロフェッショナル UNIX』も『root から〜』も UNIX記述されてはいるが実際には BSD を扱っている。べつに当時の人が無知だったわけではない。なにしろ BSD を利用するためにはまず AT&T から UNIXライセンスを購入し,そのうえでカリフォルニア大学バークレー校(UCB)から BSD を入手しなければならなかったからその関係は当然広く知られていた。ベル研発明された UNIX を外部の人たちも含めみんなで改良し,それら全体が UNIX であるという考え方が自然だっただけである。『Life with UNIX』のような英語の文献によく登場する “Berkeley UNIX” という言い回しが当時の気分をよく表している。UNIX vs BSD みたいな捉え方は法廷闘争を経た90年代以降の感覚だ。

もっともそういう70年代風味の牧歌的風景ミニコン世界限定の話であった。BSDのものミニコンのものしかなかったが,そのコードを受け継いだ BSDUnixAT&T推し進める System V などがワークステーション市場舞台80年代中盤から激しく覇権を争うようになる。いわゆる Unix 戦争で,PCUnix であるマイクロソフトXENIX も当然参戦した。ミニコン世界牧歌的だったのは,ぶっちゃけていえば先のない技術だったからだ。ただ Unix 戦争あくまでも標準という聖杯を争う戦いであり,AT&TBSDUnixSun Microsystems が共同で System V Release 4.0 (SVR4) を作りあげたように後の法廷闘争とは趣が違う。

こうしたミニコン UNIX からワークステーション Unix への転変は Unixのもの文化にも変化をもたらした。まず激しい競争Unix の高機能化を加速した。商品として判りやす惹句が「あれもできます,これもできますなのは誰もが知っている。もちろん安定性を増すために quota のような利用者自由制限する機能も含まれていた。またワークステーション Unix現在UnixOS と同様同時に一人が使うものであり前述の布教必要性は大幅に減じた。達人たちのみの楽園から万人に開かれた道具に変ったのだ。こういった変化を体感したければ『root から〜』と水越賢治『スーパーユーザの日々』(1993,オーム社)を読み比べてみるといい。『スーパーユーザの日々』はワークステーション Unixシステム管理入門書だ。この本ではたんに知識を羅列するかわりに架空ソフトウェアハウス(開発会社)を舞台新卒社員が先輩社員からシステム管理を学ぶという体裁をとっており,そのおかげで架空の話とはいえ90年代前半の雰囲気が堪能できる。出版年でいえば『root から〜』と二年しか違わない『スーパーユーザの日々』の落差は “dog year” と称された当時の激烈な変化まで体感できるだろう。

UNIX 哲学背骨

当時はよくいわれたのに今やほとんど聞かれなくなったものがある。マキルロイ論文結論部分に書かれたそれは,1973年出版されたイギリス経済学者エルンストシューマッハー著作題名で,中学生英語力があれば十分に理解できる平明な一文だ。

Small is beautiful.

マキルロイは『人月神話』を引いて一定留保をつけてはいものの,これが UNIX 哲学背骨であることに違いはない。機能をありったけ詰め込もうとして失敗した “kitchen-in-a-sink” な MULTI•csアンチテーゼである UNI•x にとって,これ以上のスローガンがあるだろうか?

ひるがえって現在UnixOS をみれば,ブクブクと肥え太ったシステムコール,全容を俯瞰するだけでも一苦労するライブラリインターフェイス,一生使うことのないオプションスイッチまみれのコマンド群。UNIX仮想敵とした OSのものだ。そのことについてとくになにも思わない。ハードウェアは長足の進歩を遂げ,コンピュータの応用範囲は途方もなく拡がった。UNIX が変らなければたんに打ち棄てられ,歴史書を飾る一項目になっただけだ。ただ現在UNIX 哲学」を語るならそうした背景は理解していなければならないし,どれだけ繊細な注意を払ったところで〝つまみ食い〟になってしまうことは自覚すべきだ。

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