はてなキーワード: 編集プロダクションとは
「次にくるマンガ大賞」を見たけど、弱小漫画出版社はいらないよね?
この賞が大手の独壇場として先鋭化してきている。
芳文社や少年画報社みたいな弱小漫画出版社は出版業を廃業して、編集プロダクションに転身したほうがいいんじゃない?
ブランド力の高いジャンプやマガジンとかに年貢を納める会社としてやっていくんだ。その方が誰にも読まれずに終わっていくより数百倍マシだと思うよ。
弱小出版社は作家に迷惑を掛けていると自覚したほうがいい。その出版社で連載している時間はたいてい無駄になるから。
青年向け漫画の編集者をしていた。といっても若い頃の話だ。都内にある編集プロダクションを辞めて田舎に帰ったのが36の時だから、おじさんの入り口に立った頃か。今では完全なるおじさんである。
働いていた会社というのは、講談社とか小学館とか秋田書店とか、そういう大手出版社ではない。あくまで編集プロダクションである。出版社と編プロがどう違うのかって……ざっくり言うと元請けと下請けだ。出版社が出版事業(今回だと青少年向けの漫画作りや商業展開)の企画をして、漫画家が作品そのものを作って、編プロは雑誌本体を作って、その制作過程で印刷所やデザイン事務所といった専門集団と関係することになる。
イマイチな説明になってしまった。一般社会の例で説明する。民法でいうところの委託(準委任契約)に当たる。公共建築の分野でいうと、公共機関の建築技師が新しい建築物のマンガ絵を作り、建築事務所が基本設計~詳細(実施)設計をして、出てきた成果物を元に大手建設会社が施工監理し、地元にある中小事業者が実際の土木建築作業をする。
自分が勤めていたのは、この例でいうところの建築事務所だ。受益者(国民=漫画読者)の希望に応えたい組織があって、そこから依頼を受けて動いている関係会社のひとつ。そういうアナロジーだ。
出版社との役割分担は、そこまで分離しているわけでもない。漫画編集者といえば、昔の手塚治虫ほかの自伝みたいに、漫画家とアツいやり取りをしているイメージがある。ああいう、企画経営と制作現場の間にあるような仕事は、出版社の社員が直接することもあれば、編プロが出版社(編集部)のオフィスを間借りして行うこともある。
前者の例だと、マガジン、サンデー、チャンピオンなどだ。コンビニや書店にほぼ必ず置いてあるレベルの漫画誌。大手出版社に総合職コースで入社した人が、(編集、取材、制作、資材、宣伝、マーケティング、総務経理人事その他事務)といった多くの部門のひとつである漫画編集部に割り振られて其処に居る。
後者の例だと、大手出版社が出している漫画誌でも、あなたが聞いたことのないやつもけっこうあると思う。そういうのは、編プロが出版社(編集部)の仕事を丸ごと請けて実施していることが多い。自分は、そういう会社で働いていた。職場自体は大手出版社の中にあるが、いわゆる委託先の社員だった。別の言い方をすると、親雑誌に対する子雑誌の関係。
ほかの長文増田の記事を見るに、あまりたくさん書けない仕様のようである。何文字までかは知らないが、文字数制限があると思う。本当は何万字でも書きたいのだが、あくまで自分が書きたいだけであって、あなたが読みたいとは限らない。一万字以内になるよう心掛ける。以下に、自分が関わった漫画家を2人だけ紹介しよう。最後に所感を述べて終わりにする。
その2人(A先生とB先生。どちらも若手)と私は、分水嶺のような関係(追記;わかりにくい表現ですいません。ブクマカのBuchicatさんのコメントのとおりです)だった。ある日、私が担当していた漫画家のA先生が新作の企画提案に来ていて、同じタイミングで別の編集者のところに持ち込みをしたのがB先生だった。その別の編集者が不得手なジャンルだったこともあり、A先生との話が終わった後で、私も一緒にB先生の作品を読んだ。
その後、編集部の責任者を交えた会議で、私が引き続きA先生の新作の担当者に決まった。新人であるB先生の担当になる可能性もあったが、そうならなかったのは、今の漫画界の一界隈にとって幸運なことだった。
A先生は、雰囲気が暗めだった。人間性まで暗いというわけではなく、心を開くと明け透けになるタイプだった。モードに入ると饒舌になる。
弊誌では、読み切りを何度か掲載したことがあった。アシスタント経験あり。小さい賞を取ったことがある。ヒット作はないが、若き漫画家としてはキャリアがあった。
画力が抜群だった。小学校や中学校で、学習ノートにフシギダネの絵とかをソラでゲームパッケージそのまんまに描く子がいただろう。とにかく天賦の才を持っていた。最小限の画量で、それでいて迫力と感情に溢れた1枚1枚を描く。そういう人だった。
難点は、マジメすぎるところか。少し前にやっていたアニメだと、チェンソーマンに登場するアキくんか(少し前……?)。とにかくマジメだった。いや、やはり『直向き』に訂正する。
A先生は、少年誌に見合わない重たいテーマに挑むことがあった。今でもそうだ。彼のマンガには『緩さ』がない。それもいいところなのだが。私は好きだった。はっきりいって。が、読者の傾向に合っているかは微妙だった。
子どもの頃から漫画が好きだったらしい。中学生の頃のイラストを見せてもらうと、俄然キャラクターへの愛に溢れる作画を見ることができた。中学生らしい、プロには程遠いクオリティなのだが、しかし見ていて違和感がないというか、自然にくっきり入ってくる。
私という人間は、具体例で物事を説明する癖がある。上の「中学生らしいイラスト」を別の事例で表現すると……「うるせ~!!知らね~!!FINALFANT ASY」(短縮URL:https://x.gd/L5cc4)だろうか。以前、いつぞやかのid=pptppc2さんのブックマークコメントがきっかけで元ネタを知ることになった。
あの時のA先生のイラストは、ベルセルクのセルピコだったと思うが、力強い表現だったのを覚えている。セルピコがファルネーゼを抱きかかえて、
「申し訳ありません 道案内を頼まれまして 少し席を外していましたもので」
と言うシーンの模写だった。
さて、そんなA先生だったが、ある時これまた重量級のテーマで描きたいものがあるという。先ほどの、編集部での新企画提案の話だ。
その際、A先生からプロットをもらい、私のデスクで拝見させてもらったところ……うちの雑誌では持て余しそうだった。作品の質が低ければ普通に打ち切りになりそうで、作品の質が高くても――弊誌の売上規模だと会社グループ全体の機会損失になりそうだった。私の前でパイプ椅子にかけているA先生は、不安げな面持ちだった。
内部の話で悪いが、例えば「甲」という雑誌の亜流の「乙」という雑誌があるとする。ビッグコミック(オリジナル、スピリッツ、スペリオール)みたいな感じだ。この時、甲と乙に明確な上下関係があった場合、乙誌に掲載された漫画が甲誌に引き抜かれることがある。その際、甲誌の編集部から言われるのが、
「なぜうちの編集部に見せなかった?」
という意見だ。これは、ストレートに言われる場合もあれば、暗に言われる場合もある。だが、事前に上流の雑誌に見せていたとして、多くの場合は玉虫色の返事があるだけだったりする。
話を戻そう。この時の自分は、編集部の自分のデスクのあたりでA先生の次回作を見せてもらっている。確か缶コーヒーを飲んでいた。
自分としては、A先生のマンガを弊誌に載せたいと思っていたが、先ほど述べたとおり、後ろ髪を引かれる思いもあった。社会派の少年漫画というのは扱いが難しい。その作品が「あしたのジョー」の影響を受けているのは明白だった。「A先生であれば、きっと面白い作品にしてくれるのだろうな」という期待はあった。
うーん、大いに悩むところだ。どうしよう。思いあぐねていたところで、別の編集者から声がかかった。要約するとこんなところか。
「持ち込みに来た人がいる。私の専門じゃないので判断が難しい。門前払いにするレベルではないので、あなたの判断を仰ぎたい。上の人間は今出かけている」
要するに、自分の専門外なので判断できないよ、と言っている。ここも会社なので、編集者の上には当然上司がいる。その人達がいなければ同輩に相談するのが基本だ(余談だが私は後輩だった)。こういう原則は一般の会社と変わらない。
その『別の編集者』というのは、儚い感じの純文系が得意なタイプだった。一番わかりやすい喩えは……『はちみつとクローバー』みたいなやつだ。ああいうのが得意な人だった。
その時は、A先生との話が終わったら行くと告げた。それで、しばらくそのまま話を続けた。
「この作品はいい意味で重たいね。ちょっと考える時間がほしい」
と言って、その日は解散した。A先生は、「お願いします!」と言ってパイプ椅子を立ち、そのまま帰っていった。いつもだったら喫茶店でご飯をおごっている。
A先生は、『いい子』だった。あまり感情は出さないけれど、人間に対する愛を持っている。そういう子だった。私が当時、A先生にご飯を奢って、彼がおいしそうな表情で食べている時、私は幸せだった。A先生が幸福だと、自分も幸福だと思えた。A先生が漫画という手段で自らを表現している時、まるで自分もそれに劣らぬような喜びを得ていた。
ヘンな表現かもしれないが、例えば読者がA先生を褒めている時、自分とA先生との区別がなくなっているというか。彼のことが、自分のことみたいに嬉しかった。これは愛なのだろうか。
持ち込み部屋に行くと、別の編集者と、持ち込みに来た子が対面で座っていた(ちょこんと挨拶をしてくれた)。自分が座る席には作品が置いてあった。綴じられていない原稿用紙がある。ページ数にして30枚ほどだった。もっと多かったかもしれない。記憶があやしい。
実際、B先生の作品は面白かった。コテコテの学園ものかと思いきや、登場人物それぞれに適度な制約があって、キャラクターも立っていた。これまでのキャリアを聞き取ったところ、作品が雑誌に掲載されたことがあるようだ。アシスタント経験もある。
絵の方は、自分がこういうのも大変失礼だが、上手な方ではなかった。どちらかというと、脚本や設定、キャラ作りが得手のように映った。当人が情熱を注いでいる箇所はすぐにわかる。キャラ絵が有名漫画家の影響を受けているとか、キャラクターの台詞回しがハリウッド映画風とか、背景や小物を手を抜くことなく全部描いているとか、そんな具合に。
光るものがある作家だった。これを見抜けないようなのはモグリ――そんなレベルで輝いていた。
私は作品を読み終えた後で、「ちょっと待ってね」と自席に戻り、少し残っていた缶コーヒーを飲み干して、思案を重ねつつ持ち込み部屋に戻った(どうするのが最良かわからないケースだった……)。
それで、テーブルではこういうやりとりをした。
私「イイ作品だと思います。特に、セリフ回しにセンスを感じます。掲載ができるとかここでは言えないけど、話は通してみますね」
B「ありがとうございます」
私「それで、担当はね……縁なので。あなたがするのがいいのでは?」
編「私よりもほかの人がいいと思います。もっと才能を引き出せる人が……」※小さい声で
私「いや、でも恋愛描いてるよ。エンタメだけどいいんじゃない」(こいつ、作家の前でアホなこと抜かしよって)
編「難しいです」
私「でもこれ、縁だよ」(意識が低すぎる……)
編「ほかの作家さんも抱えてるので。いっぱいいっぱいです」
私「わかりました」(トラブル回避のため後で編集長に説明しとこう)
B「すいません。僕の作品はどうなるんですか?」
私「後日連絡しますね。必ずしますから、それまでは他誌への持ち込みは待っていただけますか」
B「あの、はい。できればですが、早めでお願いします。一週間くらいでなんとかなりますか」
私「なんとかしてみます」
作品そのものと、作家プロフィールと、付属資料のコピーを取らせてもらって、彼には外で缶コーヒーを奢った。ビルの入り口まで送ったところまではいい気分だったが、正直、身に余る事態だった。
持ち込み作家の才能がありすぎるのも考えものだ。嬉しい悲鳴というやつ。誰が担当に付くかで今後の雑誌の売り上げに影響がある。重大な意思決定ということになる。
最悪、『進撃の巨人』の時みたいに優れた作家を逃してしまう可能性がある。あれも、実際は諌山先生は門前払いではなく、週刊少年ジャンプの担当が付くか付かないかの微妙なラインだったらしい。それで、誰が担当になるかを押し付けあっている間に諌山先生が他雑誌に持ち込んでしまった、という話が業界団体の公的な飲み会で囁かれていた。
B先生についてだが、一週間後に担当編集が決まった。「別の編集者」でもなく私でもない。当時、若手のひとりだった20代の子が任されることになった。編集部のトップを交えてB先生の原稿のコピーを読んだのだが、「若い感性が光る。年齢が同じくらいの人と組ませる方がいいのでは?」という結論になった。
その20代の子は、上の組織からこっちに出向してきている子で、いわば武者修行の身だった。一流大学出で、本社のプロパー社員。いわゆる総合職である。
最初は、私に選択権があった。B先生の担当になる道もあった。だが当時の私は多忙であり、月に何度も会社に寝泊まりするレベルだった。新人は抱えるべきではない。しかし、才能のある子だから迷いがある。
A先生のこともあった。彼のあの作品を世に出してやりたい。もっと有名にしてあげたい。そんな想いがあった。
私が悩んでいるうちに、例の20代の子が手を挙げたのだ。私としても、彼のやる気と知性と直向きさは買っている。諸手を上げて賛成した。
今思えば、正しい選択だった。もし私がB先生の担当になっていたら、面白い恋愛エンタメを楽しめる読者の数は減っていただろう。これでよかったのだ。
以後のB先生は、例の持込漫画のブラッシュアップを続けた。翌年には、晴れて弊誌に第一話が掲載されることになった。さらに以後は、担当編集とともに二人三脚で躍進を続け、イケイケドンドンの勢いを保ったまま、一度も息切れすることなくスターダムに上り詰めた。今では漫画家として世に知られている。
上で挙げたA先生の意欲作は、読者層に合っていなかった。それでも、高い画力とシナリオ構成の上手さがあったのだろう。その意欲作は、連載期間を積み重ねる度にファンの数が増えていった(業界的には、Amazonの第一巻のレビュー数が人気の代替変数になることが知られている)。
今では、A先生は親雑誌で連載を勝ち取るまでになった。去年だったか。彼の作品をコンビニで立ち読みする機会があったのだが、やはり突き抜けた画力だった。週刊連載であそこまでの画力というのはまずない。
2024年現在、私は東京を離れて田舎で暮らしている。地元の町役場にUターン就職して、実家の農業を手伝いながらスローライフに近い生活を送っている。
実は、編集者だった当時、働きすぎて病気になった。ある日、下腹部の辺りに違和感を覚えて、血の塊のようなものが血管を這っている感覚があった。病院に行くと、「遅くても明日中に入院しなさい」という医者からの指導があった。
それなりに重い病気にかかってしまった。一応は死亡リスクもある。数か月ほど入院した後、どうしようかと考えて、考えて、考えて……編集部に復帰後は、労働を最小限にしつつ転職活動をスタートした。
A先生については、幸いだった。彼の意欲作とは最終回まで付き合うことができた。私が退院した後、無事完結を迎えることができた。あしたのジョーに比べればハッピーエンドだった。
入院中に、A先生とB先生がお見舞いに来てくれたのを覚えている。ほかの編集仲間も来てくれた。A先生は、テンションが低めで、何を考えているのかわからないこともあるのだが、人間への基本的な愛というか、思いやりがある人だった。
もう40才を過ぎている。はてなユーザーの中では平均的な年齢か。思えば齢を重ねたものだが、当時の日々は今でも夢の中に出てくる。
若い頃から編集者をやってきた。身体を壊さなければ続けていたのかというと、多分そうだろう。でも、今の生活も悪くないと感じている。自分語りはここまでにして、締めにしよう。
もしあなたが、Webでも紙媒体でもいい。気になる漫画作品を見つけたとする。面白いものを見つけたと感じたら、ひとまず買ってみるのがいい。Webだと1話単位で売っている。
ひとかどの漫画家というのは、自らが産み出すモノを本気で高めにいっている。あなたのフィーリングが合ったのなら、ひとまず1巻だけでも読んでみる方がQOLが高まると思う。ハズレを引くことはあるだろうが、アタリだってちゃんとある。人生は運試しである。
これは仕事で疲れ切っていた若くて馬鹿な私が、云年越しの真実に打ちのめされる話かもしれない。
どこか嘘かもしれないし全部本当かもしれない。ただただやりきれない気持ちだけで書く。
この日記を一行でまとめると下記の通りだ。
業務時間外に書いた云十万字の小説の権利が、一切自身になかったことを知った話、である。
* * *
学校卒業後に就職したのは小さな小さな編集プロダクションだった。執筆も編集者がやるタイプの編プロだった。
ニッチな界隈の本を細々と出していた会社で、今はもう存在しない。
好みの分野を扱うことが多かったので仕事自体は楽しく、担当していた界隈がにわかに盛り上がったときは激務に次ぐ激務だったがかなりのやりがいを感じていた。
編集者のいいところは、自分の関わった商品が本屋という身近な場所に陳列されて、しかも奥付に自分の名前が載ることだと思う。
「私はこれを作ったんだ」という実感は激務を忘れさせるほどの麻薬だった。
+
会社にはいろんなタイプのオタクがいて、コミケにサークル参加するような同人作家も在籍していた。
スタッフが創作者であることは仕事に生かされ、それが会社の強みにもなっていた。
私もそんな創作者のひとりだった。小学生のころから二次創作小説を書いていたような、生粋の創作する側のオタクだ。もちろんコミケにサークル参加したことがある。会社でも小説を書くことは隠していなかった。
前述したとおりいろんなオタクが集まっているのはこの会社の強みであり、取引先からも面白がられていたので、何かとそれは話題にあがった。「あなたは何のオタクなの?」という感じの雑談から、私が小説を書くオタクであることは取引先にも知られていた。
+
ある日、上司に呼ばれて席まで行くと、「小説を書いてみないか」と言われた。
とある人の半生が面白いので、脚色を加えて小説にする企画があるのだが、書き手(ライター)が見つからない。
そういえば御社に小説を書く人がいたよね? ――と、取引先からお声がかかったらしい。
素人の思い出話を物語として成立させるには、筆力のほかに構成力も必要になってくる。
小説が書けて、編集者の視点も持っている人にお願いしたい、というのが私が選ばれた大まかな理由だ。
「人生何が起きるかわかんねぇな」と思いつつ、正直先方の正気を疑ったが、特に断る理由もないので「自分でよければ」と答えた。
そして、企画が動き出した。
+
当時私は中堅の社員で、後輩の教育も任されており、わりと大きな継続企画も抱えていたので、まあそこそこ忙しかった。
そこそこ忙しくはあったが、後輩に任せられることは任せ、溜まりに溜まっていた有休を無理くり使い、執筆作業に当てた。
徹夜もよくしたし、午前中にネカフェで執筆して午後から出社、終電後まで働くみたいなことも多かった。
執筆はすべて業務時間外にしていた。これは単に会社にいると仕事が降って来るので落ち着いて書けないし、原稿料をもらうからには切り分けねばと思ったからだ。
会社を空けることが多くなり、雑用や確認作業が頼みにくいと上司からはよく嫌味を言われた。
+
通常の仕事に加え、睡眠時間を削りながらの執筆、「自分で書くのだから」と資料作成・装画周りにも関わり、とんでもなく忙しくはあったがやりがいも楽しさも感じていた。
初稿が上がり、大勢の人の目が入り、製作も大詰めというときだった。
上司が、軽い調子でこう言ったのだ。「著名は原案者だけにするかも」と。
反射で「私の名前が載らないってことですか?」と尋ねると、「そういう案も出ている」と言われた。
忙しくて頭の回っていなかった私は、ただただ「そんな話が出ているのか」とショックで、会話はそれで終わりになったと記憶している。
(デスクに座ったまま、ぽろっと言われたくらいのノリだったように思う)
その日の夜になってようやくだった、「いや、私の名前が載らないのはおかしくないか?」と怒りが湧いてきたのは。
+
前述したとおりこの本は、とある人物の半生を脚色して小説化するというものだ。
当然、この「脚色」は私の創作である。些細な話題を膨らませてドラマチックにしたり、つなぎになるエピソードを創作して物語を盛り上げた。
たとえば登場人物の紹介をするのに、設定にある特徴から勝手にエピソードを作ったりした。
こうした追加エピソードについては、原案者からも「まるで本人を知っているかのような描写で驚いた」とお褒めの言葉をいただいている。設定から妄想を広げるのは二次創作同人屋の得意分野だ。
そう、この小説は相当私の「創作」が含まれているのだ。それなのに何故、ゴーストライターにされてしまうのか。
+
怒りのまま、とはいえギリギリビジネス文章に落とし込んだ形で、私は上司と出版社の担当者にメールを書いた。
個人のアドレスから送ってやろうかと思ったがそれはやめた。不審なメールとしてはじかれたら元も子もないからである。
要は「私の名を出さないのなら、創作部分をすべてカットする」という内容だ。原案者が著者なら創作部分は生まれなかったはずだから、という理論だ。
私のガチギレぶりにめんどくささを感じたのだろう。私のペンネームは原案者と併記されることになった。
ガチギレメールについて上司から小言をくらったが知ったことではない。私のやることなすこと気に食わない上司の文句などすでに聞き飽きていた。
今思えば原案/著で記載されるべきだったのだろうが、この後の出来事を考えるとこの時からすでに事は動いていたのかもしれない。
+
発売後、今度は社長に呼び出された。社長と総務の前へ、何事だろうと寝不足の頭で棒立ちになっていた。
私個人と出版社の契約でなく、会社と出版社で契約を結び、入金された印税の中から褒賞として私に支払う形にする、という通達だった。
当時二十代半ばの私は、この言葉の意味をよく理解しないまま、印税がもらえるならいいかと了承してしまった。
ここがすべての間違いであったのだが、そんなことは当時の私が知る由もない。
その後、若い私にとってはそこそこの額の執筆料をもらったが、当然のことながら重版などかからなかった。
なんやかんやあってその数年後、いろいろ限界を感じた私は逃げるように辞職した。このままでは飼い殺される、という危機感が一番強かった。
同じ家に暮らす家族から「最近顔を見ていないけど元気?」とメールが来るような日々だったのだ。
それなりに「できる社員」として取引先にも認められていたので、おかげで再就職は比較的スムーズに進んだ。
* * *
それから結構な時間が過ぎたころ、なんと前述の本のメディアミックスが決まった。
私がそれを知ったのはネットニュースでだった。
起き抜けのTwitterTL巡回中、見覚えのあるタイトルが目に入って一気に目が覚めた。それは結構な規模のメディアミックスで、有名な人も参加するプロジェクトだった。
スタッフクレジットの「原作」欄には、原案者の名前しか書かれていなかったのだ。
とはいえ、今も同人活動をしている身としてはあまり名が売れてほしくない思いもあり(商業活動をしているわけでもない)、それについてはそこまで怒りも湧かなかった。
何よりかにより私が衝撃を受けたのは、原作欄に掲載された書影から私の名が消されていたことだった。
ぱっと見た瞬間、変だと思った。画像の一部に雑な加工の跡があったからだ。何故加工されているのか、よく見たら名前が消えている。そういう順番での認識だった。
なんだかんだ長く出版界隈に居座っているので、画像加工については見慣れている。本職デザイナーの手にかかれば、あたかも初めから存在していなかったような「画」を作れることも嫌というほど知っていた。
その書影の加工は、どこから見ても素人仕事で、スタンプツール連打したんだろうなって感じのものだった。私でももっとましに作れる。
加工者が誰であれ、私の名は意図的にその画像から消されたという事実に変わりはなかった。
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少し前に好奇心から知財の本を読んでいた私の頭には、人格権、翻訳権、氏名表示権などなどいろいろな言葉が浮かんでいた。名を消されたことに関する影響も危惧していた。
それと同時に、ずぅっと謎だったけれど、見ないふりをしていた疑問も浮かんでいた。
私の印税ってどうなっているんだろう。
前述したとおりこの本はほとんど広告が行われていなかったため、重版など夢のまた夢だと思っていた。だから、それまで考えないようにしていた。
メディアミックスされるとなると話は別だ。
この時私は打算的にものを考えていて、名前を消した理由を尋ねるところから入り、この本に関する私の権利について確認を取ろうと思っていた。
正しくない書影を掲載したという非が向こうにはあるので、多少強気でかかって話を引き出せると思ったのだ。
微々たる額でも印税がもらえたら御の字だなと考えていたのだ。なんたって印税契約をしていた会社はすでに倒産していた。
担当部署に直で聞くのが手っ取り早いが、権利に関する問題であるし、内々で片付けられても困る。よそを巻き込んで大事にしてやろうと思ったのだ。
結果、私は惨敗することになる。
なんと、当時の担当者がライツ部に異動になっていたのだ。こんな偶然があるのだろうか。
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この本が出たのはもうずいぶん昔の出来事で、だから、当時を知る人がもう社内におらず、だから、私と連絡が取れず、だから、書影から名を消していたのだろうと、そう思っていた。
問い合わせのメールには、連絡が取れないから名前を消したのだろうか、だとしてもこんな雑な方法で消すのはどうなのか。何故名前を消したのか理由を知りたい。権利にかかわる問題をはらんでいる恐れがあるためライツ部に連絡をした。製作時も記名に関してひと悶着あったというのに残念だ。そんなようなことを書いた。
当時を知る人がいない前提の文面だ。
だというのにどうだ。その担当者は私が転職したあとも仕事のやり取りがあり、だから、私の連絡先は知っていた。なんなら携帯番号も知っている。
連絡しようと思えばいつでもできたはずだった。
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返信には、非常に軽い調子でこう書かれていた。
「先方に間違った画像を送ってしまった(入稿前のものだったのかも?)。今正しいものを送ったので即時修正されるはずだ。今後の重版に関しても名前が消されていることはないので安心してほしい」
製作に関わっていた私が、そんな画像が存在しないことくらい知っているだろうに、そう、本当に軽い調子で書いていた。
誤魔化すつもりなのだ。公式サイトに私の名を記載しないが故、書影との差異を出さないように雑に消したのだろう。バレないとでも思っていたのだろう。これだけ対応が早いということは、この人が本件に関する責任者なのだろう。
つまり、あの時私の名を本から消そうとしていた担当者が、私の名を表紙から消したのだ。
+
大事にしたかったのにならなかった。この時点でもう打つ手はないなと感じつつ、「当時を知る人がいるとは心強い!」とよいしょしながら、本書の権利について尋ねた。
念のため最初からメールの署名からは電話番号を消していた。電話では余計なことを口走ってしまう可能性があるし、丸め込まれる恐れがあるからだ。諸々のことを文章として残しておきたかったのもある。
この時点ですでに、職務著作という言葉が頭をよぎっていた。簡単に言うと、業務で制作した著作物の著作権は会社に帰属するというものだ。
わざわざ業務時間外に小説を書いていたが、契約を会社に委ねてしまった時点で私は著作権を放棄したことになっているのだろうなとほぼ確信していた。
とはいえ契約先である会社はすでに倒産しているわけだし、そこはどうなっているのだろう。この際だからという気持ちでいろいろ疑問をぶつけてみた。
会社在籍中は印税の一部は会社から支払われることになっていると聞いたが、という話も伝えていた。
(誤魔化そうとしているのは明白だったので、雑な加工については「画像の送付間違い」ということで流した。一応修正前の魚拓は保存している)
+
結果、分かったことは以下のとおり。
・著作権は原案者のみが所持、会社とは業務委託の契約しか結んでいない。
+
はあ、つまりだ。
職務著作どころでなく、はじめっから私の権利は知らんところで放棄されていたのである。
ずいぶん話が戻るが原案/著表記にしなかったのは、こうすると私が著作者として確立してしまうからだったのでは?みたいな気持ちもある。
こんなめんどくさい人間を絡めるといろいろやりにくいと思われたのだろう。事実暴れてしまった前例もある。
そしてこの本がいくら売れようと、印税が入るのは案件ノータッチの元社長の懐だ。
結局、知識のある人間が得をするのだ。悪いのは無知な私だ。目の前の仕事で目を回していて、いったん持ち帰るということができなかった、仕事に疲れ切っていた若くて馬鹿な私なのだ。
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いろいろ教えてくれたことに感謝はしつつ、とはいえ雑に私の名を消した恨みは募っていたので、最後っ屁のつもりでやり取りの最後はこう締めた。
「本来の書影に書かれている名が意図的に消されていると、『この消された人物は何者なのか』と無為な詮索にさらされる危険性がある。それが一番の懸念だった。もう二度とこのようなことが起こらないよう留意してほしい」
シンプルに名前が消された怒りもあるが、この危惧もあった。メディアミックスに際して名を消された著者。もし、私がこのペンネームで商業活動をしていたとしたらどう思われるだろうか。
消されるだけのことをしでかしたのではないかと思われる危険性は高い。これは信用問題になってくる。
それに、今のネットの「面白そうなおもちゃ」に対する残虐性は認識しているつもりだ。自分が掘り出した“真実”を喧伝し、当事者を炎上させる。何かあったら嫌だ、と身構えるのは致し方ないと思われたい。
とはいえ、これを読んでいるような人なら理解してくれるだろうが、出版社のこの手の人間には理解されないだろう。
それでも、もう二度とこんな雑に人の存在を消さないでほしい、という訴えは届いてほしかった。
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この件に関して、私は別に詐欺にあったわけでも、法を犯されたわけでもない。ただただ無知で、己の権利に鈍感だっただけだ。
手痛い授業料だと思っている。このエントリーは半ば逆恨みだし、書いてすっきりして忘れたかったのかもしれない。炎上させたいわけではない。
自分の無知で痛い目にあった私ができるのは、二度と同じ過ちを犯さぬよう、そして後進たちが同じ轍を踏まぬよう努めることだけだ。
提案は一度持ち帰って調べろ、即決するな。とくに寝不足のときは危険だ。
教訓として、とりあえずこの一連についてはいたるところで語っていきたい。
なんせ、私と出版社は(ついでに元社長も)、なんの契約も交わしていないのだから。
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ほんの少しだけよかった話をする。なんと印税をもらえたのだ。
印税契約を譲渡した元社長の現会社から連絡があり、お小遣い程度の収入を得た。夢にまで見た不労所得である。
連絡をくれたのが元総務の人だったので(元の会社の上層部がそのまま現会社に移っていた)少し話をしたのだが、出版社の担当者の話題は一切出てこなかった。私とその人がやり取りしたことは知らないようだった。出版社から入金があったので粛々と対応した、という感じだった。
献本は送られてこなかったので自分で買った。初版と第二版の年月日を見比べると渇いた笑いが漏れた。ずいぶん長い時間がかかったものだ。
メディアミックスについてはとくに興味も湧かず、とはいえ周囲から話題を聞くこともないので、爆死も盛況もしていないのだろう。
おパ島は支払がいい人説 twitter.com/chika_tilo/status/1446680063974412293 をみて35回うなずいた。
こういうサポーターというか、編集プロダクションのような作業のできるツイッタ上の知人さんは本当に創作を促進してくれてありがたいものだ。
自分で全部やるのにも限界があるから創作者に仲介以外のサービスも提供する職業として編集者がいたわけだし、それは今もつづいている(ジャンプ編集部なんか有能な東大ばっかりだもんな)。
あ~でも、感情労働でもあるし、本当にほぼ無料(好意)ベースでこの緻密な同人生態系が組みあがってる(現実で)ということに感嘆せざるをえない。
印刷屋さんもブースも中古同人やさんもびっくりするほど手数料などが安い。
そして人を踏みつけにしてはいきていけないから自然と尊重するようになる(まあ学級会もある)。
のだが、まあうまくいかないとかなめになってるおパ島の感情がこじれて去ってしまってアンソロのでない寂れたジャンルになってしまったりするのよな。
お金がつきたり、なにかのいざこざでやる気が尽きたりしやすいのでおパ島さんにも自己メンテをよろしくおねがいしたい。
原作も生き物だし本当に難しいな・・。
メンションもない愚痴ツイートに公式が自分から絡んでいくのもヤバいが、長文DMの締めに「死にたくなりました」
というキモすぎる絡み方の岩田編集長、DM晒された上に映画秘宝が存続の危機になってる今が一番死にたいんじゃないかな。
でも死ぬな。
映画秘宝の創立者の爪の垢煎じて飲めよ。いくら進撃ディスられても元気だぞ。
今も秘宝ファンに冷静になるように、被害者凸しないようツイートしているぞ。トランプとは大違いだな。
それが映画秘宝存続につながるからだってさ。本末転倒のいじましさ、味わい深いよね。
さて、キモDM被害者から双葉社への電話クレームを、映画秘宝編集部に回してしまったことで、結果的に加害者から被害者への
でも考えてみてください。
お客様窓口が
「大変ご迷惑おかけしました。担当部署に確認をして折り返し連絡させていただきます。」
とクレーム受け付けて
と担当部署に回したら、部署のトップが問題の張本人で直接コンタクトをとるまずい事後対応してしまう。
絡んだこともない公式ツイッターからおかしなDMが来たというクレーム、その公式ツイッターがなりすましでなく本物かどうか、
DM投げたの事実かどうか、担当者はだれか、とかゼロから双葉社の方で調べていくのはまあ無駄でしかない。
雑誌の編集プロダクションとか、TVの番組制作とか、別会社のお仕事のクレームはそっちに投げて調べてもらう。普通でしょ。
最初から、秘宝編集部はあそこなんかヤバい。クレームそのまま回したらまずい事態になる、双葉社本体側から調査を入れよう、
なんて発想できるなら、そもそも捨てられた秘宝を拾ってしまうわけねえよなあ。
たまたまトップが個性的な変人だったので犯人に探偵役をお願いする形になりおかしくなったけど、普通これで上手く回るわけだし
出版社側も高度な対応できるほどのコストもかけられないだろうし、経営的旨味はないのにリスク大きい雑誌の発行はやめようか
みたいになるので、秘宝ファンは冷静になって被害者凸するなよ、と町山ツイートしちゃう状況なわけです。
結論から先にいうと、本を印刷したものを売る、買いに行く(イベント含めて)はもう死に体だ。
初版から電子化。これは二次創作でも韓国同様に許されるべきである。という話。
いままで「二次創作は紙で」とこだわるヒトがおおい。これは「営利じゃないから(印刷代だけだから)みのがしてくれる」という自主規制言い伝えのせい。電子には「印刷費用」というめだった経費がない(実際は電気代、パソコン代、画像加工系ソフトのサブスクリプト代、それになにより制作しているヒトの給与報酬などがかかるが、償却などの考え方ができないわけではなく言い訳や建前として弱いとおもってるだけ)
ただしこのモデルには欠点が多々ある。最初からじゅんじゅんにせつめいしよう。
1.営利じゃないからみのがせは日本の法律では全く根拠無い。アメリカのコモンロウであるフェアユースの考え方。アメリカでも伝説レベルってこと。日本の著作権法に営利じゃなければやっていいとはひとこともかいてない(権利制限規定の30~47条あたり参照)
2.そもそも日本の編集者や原作者がふりかざす版権(著作財産権)ってほぼ複製権でしかないんで二次創作と全く関係ない。ちなみに二次的創作物の権利は骨子そのままの(新規創作部分のないような)たとえばメディアミックスに物申す権利であってこれも勝手に恋愛化ケモ化女体化男体化などして全く新しい創作やってる二次創作とほぼ全く関係ない。
どうしても批判も陵辱的二次創作もイヤだってわがままいうなら本来は「モノの肖像権」だしてこないとなにも法的根拠がない状態。
でも遅筆田中yしきの「なら新作かかないからね」でみんな困ることが知れて行き渡っちゃった。これはまあしょうがない。これこそ法律とびこえた正当なるお気持ち脅迫。創作神のおこころのままに。
3.結局、二次創作で得するくせに法律ちらつかせて文句いう編集プロダクションのお気持ちに二次創作者全員おどらされてるだけ
4.ただし編集プロダクションなり原作者なりが著作権(版権)をテケトーな建前として乱用したくなる気持ちもわからなくはない。というのは学級会でシメないとコンピューターと印刷所を手にした素人がなんでもやらかすから。MMDでアニメ化より早く踊らせる。グッズでアクスタつくって売る。子供向けサイトにエログロ出しっぱなしにする。商標権侵害。編集プロダクションや商標トロールによる商標権独占。雑誌早バレ。紙原稿紛失からの盗難物オークション。それらをド素人に説教してまわるには編集者というオトナの説教人を雇わなければいけないし費用がかかるんだ。でもそれは法律に強い編集者を選ばなかった原作者の負け。二次創作畑とは全く関係がないというか二次創作でも下手すると編集プロダクションより現実的対処ができるヒトがごろごろいる。
5.結局、費用回収できたらピクシブとかで再録でーすなんて挙げてだだ漏れにしてるんだから作品作ったのなら二次創作でも電子で初版から売り買いできるってのを通常にしてこうぜ、コロナを押してまで集まる必要ないし、地方から移動時や買い物時の感染リスクをまるかぶりしながら買うほどのものでもない。生活というか命がけなんだよ地方民にしてみれば。もともと新幹線代のほうが購入書籍代より高いとこに住んでるやつからしたら今更ってことだけどね。
6.大手二次創作の作者が「イベントないから売れないから本を作れない」って文句いうのっておかしくね? そろそろおまえらは経費(さっきいった作業費用、サブスク代、マシン代金など)を印刷物から回収しようとおもわず正直に経費回収できる電子にしてくれねえか?初版からでいいんだよおねがいだよ貢がせてくれ そしたら子供にへんなもの目にさせる心配もなくて安心してもっとドエロ書けっていえるし隠し場所気にせず買えるんだからさ 韓国はもうそうやってるよ
原作コピペ配布して二次創作いうやつもたま~~におるけどそれこそ編集さんに告げ口してきつくお仕置きしてもらってもとまらないやつおるんやけど
※以下の駄文は「天気の子」のネタバレを含みます。ネタバレが嫌いで、「天気の子」をまだ観ていない方は読まないでくださいね。
登場人物がバカばかりで、最高だった。家出して、捜索願まで出されているのに、東京でバイトを探す十六歳少年。バカだろ。そんなバカを雇うオカルト編集プロダクションの代表。バカだろ。その十六歳少年と仲良くなる「十八歳」少女。履歴書にウソを書いてバイトしている本当は十五歳の少女。母親は死去、小学生の弟と二人暮らし。普通に児相案件だ。バカだろ。ゴミ箱の拳銃を拾って持ち歩いている十六歳少年。バカだろ。それ故に警察に追われる十六歳少年の逃亡を手助けする編プロ代表の姪。バカだろ。このご時世にコンプライアンスのカケラもない。お前ら、最高だ。
極めつけのバカはやはり十六歳少年だ。雨に沈む東京を救おうと人身御供になることを決めた十五歳少女を助けようとする。そして、助け出す。東京なんて、水没していい。好きな女の子がいれば、それでいい。バカは世界を救わないが、でも好きな子を救う。そうだ、それでいいのだ。
正しい世界を取り戻すために、誰かが犠牲にならなくちゃいけないなんて、間違っている。間違っている世界でも、好きな人が犠牲にならなければ、好きな人がいてくれれば、それでいい。
この「世界」に、色々なものを代入する連中がいる。「会社」であったり「国家」であったり。ブラック企業で頑張っているきみ、国家のために何者かと戦っているらしいきみ、そんなことしなくていいよ。きみはそんなものを無視して、好きな人と好きなことをして生きることだけを考えればいいんだ。
世界を救う魔法少女や戦闘少女、勇者や剣士にならなくていいんだ。セカイ系のセカイは、きみたちとは関係なく、勝手にセカイをやっているから、きみたちも勝手にきみたちをやっていればいいんだ。
点数をつけると100点満点で50点ぐらいなんだけど、主人公の兄貴分にあたる須賀はちょっとおもしろい。
須賀はいわゆる新海主人公の末路として措定されている。過去に起きた、いまさらどうしようもないことに拘泥し、時を止めてしまったキャラクターだ。
須賀は愛した女性を過去に失っていて、そのことをずっと引きずっている。そしてその忘れ形見の娘がいるものの、義母にその父としては不十分と見られており一緒に暮らすことが出来ていない。大人になれない須賀の象徴として一緒に暮らせていない娘がいて、その原因は最愛の女性を過去に失って時を止めてしまったことにある。
須賀が帆高に言う「もう大人になれよ、少年」というセリフは、大人になりきれない須賀自身に向けられたものとも言える。
そしてそんな須賀と主人公の類似性が夏美によって指摘される。「昔の自分を見てるみたいでほっとけなかったんでしょ」。須賀もまたかつて地方から東京へやってきた人間だ。そして東京で愛し合う女性が出来、しかし失ってしまった。須賀は陽菜を助けることができなかった帆高でもある。
ボロビルで帆高を止めようとする須賀はそういうコンテクストの上に立っている。帆高と相対する須賀がやけに物分りのいいことを言うのは彼が大人になろうとしているからだ。警察という社会的なものに取り入ろうとしたり、1人が犠牲になって社会全体が良くなるならそれでいいと嘯いてみたりするのは、娘がいて尚、大人になれない彼が大人になろうともがいているからだ。
帆高はそんな須賀に向かって「俺はただもう一度あのひとに会いたいんだ!」というようなことを言う。それを聞いた須賀は帆高ではなく帆高を止めようとする警察に襲いかかる。
このシーンはけっこうぐっとくる。大人になるってのは社会の論理に馴致されることじゃない、後悔や本当の願いに向き合うことだ、という作品なりのアンサーになってると思うから。だからいい。
明確な描写がないからただの想像になるけど須賀はかつて最愛の女性を失った時、こうしたいと思うことがあったにも関わらず出来なかったのではないか。そのことをずっと悔いているのではないか。だから時をとめてその場に立ち尽くしたままなのではないか。もしそうであるなら、警察に襲いかかる須賀は、帆高のためではなく、かつての自分のためにそうしていると言える。
事件の数年後、須賀が小さいながらもちゃんとした編集プロダクションを構えているのは彼が心に抱えた傷を乗り越え、大人になることができた証だ。往年の新海ファンとしては、やっと踏切の向こうに明里を見送った貴樹のその先を見れたような気さえする。
惜しむらくは帆高がそれをまったく理解していないことだろう。
面白い物語は論理的に分解したとき、ちゃんと構造化がなされているものだ。
ラストバトルはただの殴り合いじゃない。主役と敵役それぞれの正義がぶつかり合う、積み上げたコンテクストが激突するから映える。『天気の子』は、主人公と主人公の影(須賀)が対決し、その結果、影の呪いが浄化され、いっしょに真の敵(警察)と対決するという構図を描くところまでは良かったのだが、「影の呪い」を主人公が理解していないため観客にもそれがちゃんと伝わらずシーンの強度がかなり減じてしまっている。それはどう考えてももったいない。
『天気の子』はそういった練り込み不足が目立つ。帆高が家出して東京へ来たのは「帰りたくない」ぐらいの何かがあるからなのか、「あの光の中に入りたい」からなのか。あるいは陽菜が「天気の子」をやるのは、弟を養うため早く大人になりたい気持ちの象徴であると理解しつつも、母への想いはそこに乗っていかないのか、そこに何かもうワンパンチないのか。そういうブレや要素が浅いのはやはり残念だった。
ちと遠いけど歩いていける距離にある体育館が開票所になっているとしって、ちょっとのぞいてみようと思ったのである。
いったことなかったし。
テレビで夜八時ちょうどの議席予測をみてから、ぶらぶらと散歩しながら、体育館に向かったのだ。
夜の体育館からは、こうこうと明かりが漏れていて、駐車場にはタクシーも何台かとまっていて、案内係の若い人もいて、「こんばんは」と声をかけられてしまった。
「開票見に来たんですけど」と警備員に聞くと、「正面の階段を登って突き当たりを左です。係のものがいますから」という。
“係のもの”は、大学生アルバイトといっても通りそうな若い男女二人組だった。
見学にきた旨をつたえると、「こちらにお名前と住所を書いてください」という。
身分証明書くらい必要なのかとおもったら、それはいらないらしい。
時節柄、“宮迫博之”とか書いたらどんな顔するだろう?とか一瞬思ったが、そんなことはせず、正直に本名と現住所を書く。
ーー写真、とってもいいですか?
「あの、写真はご遠慮いただいておりまして…」
ーー公開はされてるのに、なんで写真はだめなんですか? あの人写真とってません?
「あちらは、報道陣の方でして」
(じつは、写真をとっていたのかは定かでなかったのだが、スマホを持っている人が目に入っただけ。あとで分かったのたが、報道陣はカメラを持ってなかった)
ーーどんな決まりがあるんですか?
別に若い二人をいじめるつもりはなかったのだが、よく分からんものはよく分からん。
「とりあえず、写真は撮らないので、あちらで見ながら待ってていいですか?」と聞くと、どうぞどうぞ、というので、観客席に移った。
体育館の二階の観客席の一番前の列がビニールのリボンで区切ってあって、立ち入り禁止という張り紙がある。
その前に10数人の報道陣がいて、双眼鏡で開票の様子を見守っている。
みんなラフな格好で全員が腕章をしている訳ではないので、推測だが、おそらくNHKが5人、共同通信が5人、TBSが2人。
NHKは指示するお姉さんと男の子4人組といった風情で、もしかしたら男は大学生かなんかのバイトかもしれない。
対する共同通信は、編集プロダクションに勤めてそうな中年男女5人組といった雰囲気。
一般人は自分ともう一人のおっさんだけか…など観察していると、“担当の者”がやって来た。
ーーわざわざすみません。なんで写真とってはいけないんですか?
ーーどういう理由ですか?
ーーどういう決まりですか?
ーー投票の秘密? ここから見ても、誰がどこに投票したかなんてわかりませんよね?
「はい…。」
ーーここから普通に写真とっても、投票の秘密を犯すとは思えないんですけど。
「……。」
「ええ、まあ、それくらいでしたら」
なんなんだ、一体。
禁止するなら、もうちっと理論武装すればいいものを、投票の秘密とは笑わせる。
まあ、ものすごい望遠レンズ持ち込んで撮った投票用紙の筆跡鑑定でもしなければ、投票の秘密を犯すなんて無理である。
というわけで、何枚か話のタネに写真をとってきたのだが、開票作業はみてて楽しくもなんともない。
報道の皆さんは、双眼鏡を熱心に覗き込みながら、投票用紙の山がどの候補に投じられたものなのか判別しては数を数えていたけれど。
初心者が見ても、まあ一斉に投票用紙をまとめていたり、計数機がせわしげに動いていたり、「疑問票担当」なんて席があったり、退屈そうに立会人が開票の様子を見つめていたりするのは分かるが、どういう手順で票を数えているのかは判然としないし。
まあ、実際に目にすると、「やっぱり機械でも記号でもマークシートでもいいけど、もう少し効率的に数えられる方法とりいれたほうがいいよね」とは思ったけど。
あれだけの人数の公務員に、休日手当てやら残業代やら払うの持ったいなさすぎる。
「観客席」には係員や警備員がいるわけでもなく、勝手にスマホで写真とってもなにも言われなかったのではないかと思わないどもないが、勝手に写真をとるのは良いことではないですね。
あと、入るのに持ち物検査とかあるわけじゃないので、本気で混乱させてやると覚悟を決めた人がよからぬことを考えると、けっこう色んなことができてしまいそうな気がした。
写真撮影を禁じる前に、やっぱり身分証明書くらい確認したりした方がいいような気も。
というわけで、だらだらと1時間ほど眺めてきたけど、あまりに退屈なので帰った。
人にはおすすめしない。
家で選挙速報でも見ていた方がましたが、「市民が開票の様子を見守れる」というのは、理念としては大切だとは思うので、もうネット配信でもしたらとうだろう?
あ、それから、あの入場の時に名前かいた紙は、どうなるんだろ? なんか「めんどくさいやつが来た」とか記録残るんかな?
ま、悪いことをしたつもりはないから、いいけどさ。
極論すれば、ライターと刷った名刺を配り歩けば、その時点からライター。
とは言え、それで食っていけるかは別問題。
ネットから始めるのは、よほどの得意分野が無いと厳しいかも。例えば、中国のeコマース事情でも、全国のご当地アイドルでも、電子回路の設計でも、特定のテーマに詳しくて最新動向をネットで発信していれば、原稿の依頼も来るかもしれない。しかし、身辺雑記みたいなエッセイ書いてても、仕事に結び付けるのは難しいやね。
あと、発注側としては、紙の成果物ある人の方が、編集会議を通しやすいってのはある。よく、名刺代わりって言葉があるけど、名前の入る紙媒体に書くと、それを実績として次の売り込みに使いやすいんですよ。
ライターへの成り方としては、いきなり独立ってのは今の時代になかなか難しいと思う。業界の流儀も知らん訳だからね。まして今は出版不況。サラリーマン編集者としては、面白そうだけど実績の無いライターで賭けに出るよりも、無難なライターで手堅く失点を防ぎたいところ。
最初は、紙でもネットでも編集プロダクションに入ってから独立する人も多い。個人的に最近見てて思うのは、地方の新聞社からスタートするのもアリかな、と。大手紙に入れれば良いけど、そこまでの能力が無い場合、第二県紙以下の地域紙だと、案外簡単に入れる。(ただし給料も安い)
なんだかんだ言って、新聞社は、公的資料の使い方やファクトチェックなんかを一から教えて育ててくれる。ライターとして独立後も、発注側としては「元○○新聞記者」って経歴がある人には、基礎トレーニングは出来ているものとして仕事を頼みやすい。
あと、オールドメディア出身だと、政治経済のいわゆる硬派ものを書けるのが強み。
流行のスイーツだの芸能ゴシップをネット情報でまとめたコタツ記事だの軟派ネタは、未経験の新人でもとっつきやすいし量産しやすいけど、参入しやすいってのは体力仕事だから、すぐに若手に追い上げられる。
これが、衆院選インサイドとか、米中貿易問題で○○業界への影響は、みたいな政経ネタ書けると、取材経験=人脈が財産になるし、年取っても食っていける。このジャンルを取材執筆するフォーマットが身につけられるのはオールドメディアとか、経済分野だとアナリストとかなんだよね。
なんだか編プロ(編集プロダクション)の話が出ていたので思い出を語りたくなった。
そんじょそこらのブラック企業も顔を真っ青にして逃げ出すブラック企業がのさばっているのが編集プロダクションの世界だ。
業界が古い、仕事内容が特殊、憧れる人間が多い、縁故で仕事が発生する、単価が安価……などなど、ブラックになりやすい背景はゴマンとあるのだが、業界論を語れるほど偉くもないのでこの辺の理由は飛ばす。
私が編集プロダクションに入社したのは2000年ごろ。社員は10名未満の小さい会社で、だいたい3〜4社から仕事をうけており、常時5〜6媒体の案件があった。記事単体のものもあれば、雑誌まるまる一冊を請け負うこともザラ。
逮捕歴のある社員が在籍しているほか、アル中で仕事中にビールを飲んでいる人もいた。専門学校を卒業した私は新卒で入社することとなる。
環境は以下のとおり。
きっかけは今日仕事中に聞いていたFMラジオで、「こんな理由で謝罪文書きました」という体験談を募集していたことだ。
っていうかその謝罪文書いたあげくでその会社やめたな…とふと過った。
一体なんでそんなことになったんだっけ。
思い出せないのだ。
これが。
謝罪文書くなんてそうそうないことなのに、しかもそのせいで仕事をやめまでしているのに、何を謝らなければいけなかったか思い出せない。
これから書くのは、大体10年くらい前に働いていた零細企業に対する恨み言だ。
これを世に放つことに何らの建設的な意義はない。
ただ、社会人をはじめて十年を数えて思うんだが、
理不尽にたいして「理不尽だ」と考え、適切に怒ることには、知性と経験値が必要なのだと思う。
どちらも足りていない私は、こうして何年かあとにじんわりと怒ることしかできない。
それでも、次に待ち受ける理不尽に対抗するために、私は私の怒りを書きとめ理解しておこうと思う。
目次としては
会社のこと
である。
思い付いた順にむかついたことを書くのでものすごく長くなると思う。
ほとんどが零細で人が足りなくて激務で、即戦力以外を雇う余裕はない。
だから、未経験者を雇ってくれる会社なんて貴重だった。私は飛び付いた。編集の仕事がしたかったのだ。
よそで編集を学んできたやつは素直じゃないから、未経験の若いやつを育てるのだ、という話だった。
社長がPCを使えないので、社員がPCで仕事をすることはあまり好まれなかった。
それらはなるべく避けるべき手段とされ、
(余談だが、そこをやめてスキャナつき複合機に触れたとき、便利すぎて涙が出た)
机の回りにはいつも紙が溢れ、複数の案件を進行しているとすぐになにがなんだかわからなくなった。
でも社員は全員その環境で仕事をしていたので、これは私が能力が足りなかっただけかもしれない。
確かどっかの転職サイトを通じて応募したんだが、
エントリーシートに大学の在籍ゼミのテーマ、という欄があった。
私は素直に書いた。社会学部の出身で構造主義を中心に学ぶゼミで、卒論のテーマはこれこれでした。
そしたら面接の場で、構造主義とはなにか説明しろ、と言われた。
私は一瞬言葉につまった。
どこからどう説明したらいいんだろう?構造主義のあらましを知りたいんだろうか、考え方を知りたいんだろうか?
そんなことを探り探り喋ったので要領を得ない話し方になった。
ただ、そしたらそこからブチキレられた。
雑居ビルのワンフロアで、仕切りもなにもない打ち合わせスペースみたいなところで、
社員みんなが聞き耳をたてているなかで怒鳴り散らされた。
バカの癖にいきがるんじゃない、その利口ぶった精神が気にくわない。
そのくらいのこと俺はわかる、教えてやろう構造主義というのは~~で○○で××だ!
みたいなことだった。
ちなみに~~で○○で××の部分は、あとでわかったがウィキペディア丸写しだった。
今ならわかるんだが、要するにエントリーシートに偉そうに小難しいこと(?)を書いたのが気にくわず
私の鼻っ柱を折りたくて、わざと答えにくい質問をし、わざと怒鳴り、
事前に用意しておいた丸暗記の知識を捲し立てたのだと思う。
ともかく社員が自分の知らないことを知っている、のが許せない人だった。
ただ、その時はわからなかった。
バカだったし、まだ就職氷河期の残り香が漂っている頃だったし、編集者になりたかった。
すらすらと説明できなかった私が悪いし、中途半端にしか理解していないのに偉そうにエントリーシートに書いた私が悪い。
そう思ってしまった。
もちろん裁量労働制()だったから残業代という概念はなかった。
○○~、ちょっとこ~い、といって。
呼び出されていくと、近くの店でおしることかハンバーグとかを奢られた。
ありがたいようだがそれで一、二時間はゆうにつぶれたし、そのぶんの時間は深夜まで働いて埋めるしかなかった。
聞かされる話は益体もないものだった。
キャバクラのおねえちゃんは学費を稼ぎながら大学にも通っていて偉いんだ、俺がバッグを買ってあげたら喜んでいた。
スナックのママに褒められた。俺はどうもそこら辺のおっさんとは違うようだ。
俺は百人切りを目指しているんだ、あと何人だ。
ほんとにこんな話ばっかりだった。
勤めて一年かなにかのとき、お祝いだと言ってつれていかれた焼肉屋で、
あと高校の同級生に半陰陽の人がいて、性器を見せてもらった話とかもしてた。
ここまで書いてふと注釈の必要に気づいたが、エロ本の会社ではない。
当時まだ30半ばだったが社長になれと言われて会社の株を買わされていた。
見た目は好青年風であり人当たりが柔らかかった。
だが、その実態は、上には媚びへつらい下には無理をさせる、社長のイエスマンだった。
少し話が遠回りをするが、私には同期入社の同僚がいた。
なんだか惚れっぽい女の子で、入社一ヶ月後には次期社長に心酔していた。
はじめから無理とわかっているスケジュールの仕事を、次期社長はなんの調整もせず経験一年にも満たない彼女に投げた。
悪いことに彼女は実家住まいで、片道二時間弱くらいかけて通っていたため終電が早かった。ますます彼女の仕事は進まない。
私は気の毒に思い、帰れない日はうちに泊めてあげていた。
もちろん仕事を手伝わされた。
その子は次期社長に心酔していたぶん、采配が甘く助けてもくれないことがわかると怒りもひとしおで、ずーっとうちで次期社長の悪口をいっていた。
彼女が辛い立場なのはわかっていた。でも私は一人で眠りたかった。
ある日、「悪いがどうしても無理だ、なんとか今週末は一人にしてくれ、家に帰ってくれ」と彼女に頼んだ。
本当に限界だった。
しかし彼女は彼女で、それは困るなんとか手伝ってくれと食い下がった。
「私の家に泊まれる前提で」「休みの日は私が手伝う前提で」仕事のスケジュールを組み立てていた。
待てと思った。
百万歩譲って同僚の彼女は仕方がない。
彼女の立場では、次期社長にそういわれてはそのスケジュールに間に合わせるしかない。
だが、次期社長は。
その対策を講じるどころかそれを利用して、
しかも次期社長自ら言うのでなく同僚の彼女にその交渉を任せて、
それで社長には「仕事は進んでますよ、でも彼女も新人ですから」なんて言っていたのだ。
そうして社長にはいい顔をし続け、部下への嫌な交渉は部下にやらせていたのだ。
私はこの人が大嫌いだった。社長も大概くそだが社長より嫌いだった。
長くなったので続く。
もともとは作者と作品てのは同一人物のようなもので、創作は一人で完結し得るもの。
自分が終わったとおもえば終わり、やっぱり続けられるとおもえば続く。
もちろん、ネタがなくなった、飽きた、一般にいう「オチ」での終わらせ方がよくわからない(作風として起伏のないストーリーしか描写したくないタイプ)で読者に続編を期待されたけどもう自分の中では完全に終わった、といった自発的要因で終わらせるものもある。
でも、アニメ化とマルチメディア化は過酷なことをやらせてあたりまえ。
同じ創作者でも全く使う脳やスピード感が違うアニメーターと付き合わさせ、枠にはめる部分がどうしてもある。
それを知っていて編集部がアニメ化・マルチメディア化作品をずっと探しているのも事実。
いざ新人採用となると編集部は著作権法にあわない独占契約をまずさせる(サインした覚えがないのに契約があるといわれる漫画家もいる)。
不公平な独占契約をさせて縛ったのだから、逆にいえば創作者(作品)の意に沿わない表現なり仕事のやり方がなされたらすべての責任者は編集者でなければならない。
http://moretsu.exblog.jp/17405608/
もちろんツイッターで雑誌にも乗らない情報を早バレする人とか転売ヤーとか作者に苦労をかける社会現象はたくさんある。
編集プロダクションはそれらの取り締まりも手伝うから作者にとってはとてもありがたい存在だ。
でも、それはまず何も知らない新人さんに対して出版権をまるごと独占した以上、すべて編集の責任。
医者は患者を殺して(=命を救えない体験をつんで)一人前になるんだというけれど、
編集者も「現代のスピード感」にあわない作品を殺してスピードのある人だけを救ってしまっている。
氷河期世代の大卒の女だけど、自分は就職活動はしなかったけれど、友人の様子や愚痴を見聞きする限りでは、
女性の採用は総合職事務職ともにゼロの会社も多かったから倍率がすごかったと聞く
氷河期卒で東京出身で人から羨まれるレベルの大学に通っていたし、友達たちもみんな優秀だったけど、就職活動をしていた人たちは皆ヘロヘロに削がれてた。
私は就職活動をまったくしなかったけれど、大学の名前だけで、こちらからはノーアクションでも会社説明会のお誘い、なんてものが届いたりはしたが、
届いたのは、大手金融の”営業レディ(歩合)”と、大学名だけでやみくもに送られてきたと思われる某公共放送局のディレクター職の募集案内の2つだけ。
バブル世代のしっぽに引っかかっていた3つ上の兄(アホ大卒)のところには、段ボール4箱分の会社説明会DMが来てたのに。
リーマン後は、中小企業は人手不足だったから選ばなきゃ仕事あるだろ、みたいな論調も一部のバカからはあったけど(個人的には選ぶのが当然だと思ってるが)
氷河期時代は中小企業は資金繰りが壊滅的で倒産するところもたくさんあったし、20年も前のことで「大卒の女なんて怖くて雇えない」みたいな偏見もあった。
自分は、一つ上の先輩も氷河期で酷かったので、そもそも、こんなに人外な扱いを受けてすり減るなら就職活動するもんか、と一切就活しなかった。
結婚でもしようかねーと思ってたところに、大手のメディア系企業に入社していた大変出来の良い友人から誘われてバイトして
バイトでそれなりに乗れたのでその後、2回転職して、ようやくまともな待遇のポジションを得た。
職歴ゼロだったことを考えると、今の仕事に就けたのはひとえに、最初に誘ってくれた友人が優秀で親切だったというごく個人的な幸運でしかなくて
氷河期世代って自己責任じゃね?自己努力が足りなかったんじゃないの?という疑惑は、バカが知識無く下衆の勘ぐりしてるだけだと感じる。
幸運もあったとはいえ、転職1社目では待遇は超絶劣悪で体も壊し夫との子を流産するという取り返しのつかない不幸な目にもあった。
あの頃は、社会全体も私自身も、今よりもずっと労働環境への意識が低かった。我慢して働かないと次の仕事が見つかる保証がない、
生きていけない、という空気も今よりもずっと濃かった。
私の場合で言えば、夫(同級生)もあまり良い労働条件ではなかったので、なおさら仕事を辞めるのは勇気がいることだった。
同級生で就職活動失敗して、上記の金融系歩合営業(要するに生保レディ)に仕方なく就職したけど、1年持たずに心を病んだ子とか、
編集プロダクションに潜り込んだけど激務で身体壊した人とか、流通系に就職はかなったものの激務とリストラ恐怖で宗教ハマった人とか、
金融系の総合職に入社1年目でエグい不良債権処理担当させられて2年ちょっとで身体壊してやめたとか、そういう例はいくらもある。
エンジニアから見たSIerがクソな理由 - 負け犬プログラマーの歩み
↑の記事を読んでいて、SIerってそんなにヤバいのかなぁと思い、衝動的に書き連ねている。
SIerと出版社中心で就活していて、それぞれ1社ずつから内定をもらい、出版社のほうを選んだ。
SIerはSE職で内定をもらっていて、出版社では入社以来編集者をしている。
SIerの方(仮にA社とする)は社員数4ケタの元請けSIerで、毎年新卒が100人ほど入るらしい。
一方、弊社はA社の数十分の1の社員しかいない専門出版社で、新卒が入らない年すらある。
はてなにいるとSIerの話がよく出るので、就職した後もA社を気にかけることがあるのだが、果たして自分がA社に入っていたら、どんな人生が待っていただろうか。
◎給料
大手SIerの給与ランキング。平均年収は800万円前後か : IT速報
ここのランキングに載ってるのが正しければ、あまり変わらなさそう。
ちなみに出版社と言えば三大(小集講)の給料がバカ高いことで有名だが、弊社含むそれ以外の中小出版社は大したことないことが多い。
出版社は、一般に刊行周期が短いほど激務になる傾向がある。週刊誌編集部はそれこそ過労死レベルの激務と聞くが、弊社のような書籍メインのところはそこまででもない。
所定労働時間はA社は7時間半、弊社は7時間なので、時給換算だと弊社のが若干有利かもしれない(出版社は実働7時間のところが多い)。
あと、A社だと夏休みを有休で取ることになってるらしいから、有休消化率は高くなったかも。
弊社は有休とは別に夏休み(=ひと夏で消える有休)があるので、本来の有休までなかなか消化し切れない。
◎仕事内容
期間はA社のほうが長そう。さすがに2年目の今頃には現場にいるだろうが。
A社だと多少コーディングに携わって、その後は進捗管理とクライアント折衝が中心だろうか。
いきなりということは無いだろうが、やがて何十人以上のプロジェクト管理やることになりそう。多数の協力会社(はてな用語では下請け)の人と共に……。
出版社で現場に入って最初にやったのは、校正・校閲(本の誤字脱字・内容チェック)。
そこから先輩の指導で本を1冊担当し、編集プロダクション(編プロ)の人と共に本を完成させた。今は、何冊かを同時並行で制作しているところ。
編プロはうちの業界の場合ライター兼編集者が集まった会社で、編プロに書いてもらった原稿を自分ら出版社の人間がチェックする。
まとめると、↓に書いてあるのと近いが、編プロが筆者を兼ねている場合がままある。
http://anond.hatelabo.jp/20150212124233
SIerと違うっぽいのは、SIerは人月で仕事を投げているのに対し、出版社は1ページいくらで編プロに原稿料を払っていること。
なので、出版社の編集者が、編プロから出てきた原稿に何度ボツを出しても、出版社が払う原稿料は変わらない。
優秀な編プロならボツも少なく、彼らにとっても割がいい仕事となる。
一方、そうでない編プロだと「今回のボツで、先方の時給が最賃以下になったな」と同情することもしばしば。
でもボツ原稿を出版するわけにはいかないので、頑張ってもらうしかない。それを応援するのも仕事のひとつ。
あまりにひどい原稿が出てきて、かつ時間がない場合は、自分らで原稿に手を加えざるを得ない。たまに「自分は赤ペン先生かな?」と思う時がある。
裏を返すと、技術力(文章力や専門知識など)は日常的に磨かれるので、フリーのライター&編集者として独立する元同業者は割と珍しくない。
◎やりがい
動くカネの量や成果物を使う人の多さは、A社のほうが大きいと思う。実際「大規模プロジェクトを動かすプロマネ志望!」と言いまくって内定をもらった。
自分のプログラミング能力は皆無に等しいが、技術力を活かすより多くの人に影響を及ぼせる仕事がしたい気持ちの方が強かったので、A社でもそれなりに楽しめるのかもしれない。
弊社は専門出版社なので、想定読者数がそもそも少なく、動くカネも少ない。ただ、読者にとっては確実にニーズがあって、人様の役に立っているという実感は味わいやすい。
専門の人らのブログとかで、自分らが携わった本を褒めてくれていると素直に嬉しい。
◎会社の将来性
A社はじめSIerは受注産業なので、仕事していれば食いっぱぐれることはないが、逆に言うと仕事し続けないと儲けられない。
一方、弊社はじめ出版社はメーカーの側面があり、成果物の著作権は自社にあるので、当たれば労なく稼ぐことができる。
(逆に言うと、どんなに頑張って商品を作っても、売れなければ儲からないということだが)
それなりに続いている専門出版社の場合、その道の人が必ず買ってくれる本というのがあって、そういうのが利益を下支えしている。
◎自分の将来性
A社のほうが業界的に転職が多そうだが、プログラミング能力がないまま転職できるのかという不安がありそう。
弊社はフリーになる道もあり得るが、原稿料商売では弊社にいるより稼げないのは目に見えている。
起業して編プロの社長になれば儲かるかもしれないが、社員をこき使うことによる良心の呵責で死にそう。
元請けSIerも出版社もプロマネがメインという点では共通しているし、磨けば他社でも通用する汎用的なスキルだと思うが……業界知識の壁があるか。
出版社に入って「自分らが権利を持ってるって強いなぁ」と実感しているので、将来独立するならば、自前のコンテンツでご飯が食べたいと思う次第。
でも自分の幼さを実感する日々で、仕事で一人前になるのも、結婚するのもはるかさきだと感じる。
働くのは編集プロダクションなのに上司が70代前で、現代風の出版物を出したい顧客と上司との板挟み。
取引先には見下してくる女もいるし、見下されるのに対して正面から反抗してしまうから、よけい反発されて、なんのために働いているのかわからなくなる。
おもしろい本をつくりたかったはずなのに、ぜんぜんつくれない。
自信をもってなにかを提案することができないし、ストレスから会話のテンポも遅くなっている気がする。
うまくいかなさをすべて自分の幼さのせいにして、自己啓発やらを読み漁ってみたりする思考になるものの、どこかでそんなところに出口はないとわかっているので本気になれない。
でも出口を見つけるには自分の思考が足りないのもわかっていて、立ち往生してしまう。
ぐだぐだぐだ書き連ねたけど、二十代後半の女子は第二の青春ともよぶらしい……。
そういう時期なの?
自分なりの幸せを見つけられればいいとおもいながら、どこかで高望みしてんだろうな。
すてなさい?置かれた場所で咲きなさい?
そんなのわかってるんだ、わかってるけど感情がついていかないんだ。
編集だからって意味のある文章で昇華しようとしてたからだめだったのかな。
こうやって書いたらすこしすっきりした。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
文章を書いて生計を立てている。
しかし、半年前から文章を書けなくなった。ごまかしごまかし書いているが、どうにも気持ち悪い文章になってしまう。
文章を書こうとすると、言葉が脳内に溢れて、まとまらない。てにをはを結べない。文末の言葉が見つからない。
主題を整理していないからだと指摘されそうだが、原稿を書く前には骨組みを作り、文の流れと結論は決めている。それなのに、肉付けができないのだ。
良い文章を書かなければ、というプレッシャーが私を殺す。良い文章を書かなければ、WEB原稿だからPVを稼がなくては、エッジーかつキャッチーな文で書かなければ、編集サンの気に入る文を書かなければ、リズムを意識しなければ、誤字脱はどうだろうか、構成はこれで正しいのだろうか、言葉選びは最善を尽くせているだろうか……。
WEBの進化により、誰もが「ライター」時代となった。編集プロダクションや出版社などで先輩や上司に添削された経験のない人間ですら「ライター」を名乗るようになった。はてブでも、ひどい文章で書かれた記事がホッテントリするのは決して珍しいことではない。
WEBでは、文章の上手さを求められない。だから、文章にこだわるWEBライターの単価は上がらない。
紙媒体はコネがモノをいう慣習がいまなお強く根付いている。新規参入は難しい。
金が稼げないという悩みと、文章がかけない苦しさを混同させているのは薄々理解している。理解しているんだ。でも、苦しいんだ。苦しくてたまらない。
http://anond.hatelabo.jp/20150211201344
「編集者」とひと口に言ってもいろいろなタイプがいて、雑誌社で記者をやっている人が編集者を名乗っていることもあるし、雑誌編集部で編集長やデスクの使い走りしかやってない人や、編集プロダクション所属で実質はDTPオペレータという人もいる。書籍の編集者でも、作家様が執筆するような文芸書担当と実用書担当ではずいぶん仕事内容が違うし、漫画や写真集、辞書みたいな特殊ジャンルもある。さらに会社や個人によって仕事のやり方が違ったりするので、「編集者の仕事」を一概に定義するのは難しい。
ただ、あえて定義すれば「本や雑誌を作ること」で、ある程度抽象化した形でなら大まかな流れは紹介できるんじゃないかと思ったのでまとめてみた。以下は原則として版元所属の実用書系の書籍編集者の仕事を想定。文芸や漫画の世界はよう知らん。
企画は「思い付きを口走ること」でも「まだ世の中に存在しない何か」を探すことでもありません。満たされていない需要を探し出して、それを満たす商品の製作を計画することです。そのために常日頃から情報を集めつつ、有望なアイディアを見つけたら市場調査、著者候補をはじめとした関係者へのコンタクト、概要記述、目次案作成、仮タイトル考案、収支シミュレーション作成、プロモーションの概要計画作成などを行ないます。版元所属の書籍編集者にとっては、企画が一番重要な仕事です。
版元所属の書籍編集者なら、定期的に開催される「企画会議」で企画をプレゼンして経営陣や営業部門を説得して企画を進める了承を得ます。企画会議にかける前に編集部内で行なう編集会議にかけ、編集長の了承を得る必要があることもあります(書籍編集者は独立性が高いので不要のこともある)。企画を企画会議より先に進めるには、企画した編集者の過去の実績や根回しも結構重要だったりします。
本来は著者の仕事です。「てにをは」はもちろん、取材や権利処理も含めて原稿完成の全責任を負うのは著者です。本来は。しかし、実用書系の著者に商品にできるレベルの文章を書ける人はほぼいません。原稿は少なくとも再構成、場合によっては全面的にリライトしなければならないことがほとんどです。これを自身で行なうか、外部のライターなどに発注するかは編集者によります。刊行点数のノルマに余裕があり、著者が書けなければ企画をボツにするという編集者もいます。また、長年ブログを書いているなどと言って妙な自信を持っていてリライトなどに対して「一字一句変えるな!」などと言い出す著者もたまにいますが、こういう著者を説得(というか説教)するのも編集者の仕事です。言うまでもありませんが、たかだか2,000文字のブログ記事と、200ページ超の書籍のための文章はまったくの別物です。
原稿がある程度そろったら、紙面の形に組版します。版元所属の書籍編集者の場合は、ほとんどの場合外部の編集プロダクションへ発注します(単純な縦組みの文芸書などでは印刷所に依頼することもあるようです)。これらに関する価格交渉なども、編集者の重要な仕事のひとつです。
校正紙(組版された紙面)を目視で確認する作業です。校正紙を著者に送り、内容を確認してもらう「著者校正」もここで行ないます。修正の量にもよりますが、2~3回繰り返すのが一般的です。
装丁(カバーデザインなど)についても、外部のデザイナーに発注するのが一般的です。とはいえ丸投げで済むわけではなく、書籍の内容や競合の状況によってデザインの方向性を考え、それにそったデザインのできるデザイナーを探し、デザイナーに方向性を伝えるための資料を集め、文字原稿についてはすべて編集者側で用意した上で、デザイナーと複数回のやり取りをします。
組版や装丁の目処が立ち、ページ数も大体決まったあたりで印刷所に見積もりを依頼します。見積もりの額によっては、デザイナーに装丁の仕様変更を依頼することもあります。特色、UV、箔押し、型押しの使用は慎重に。必要な場合はここで印刷所に束見本(つかみほん)の作成を依頼することもあります。
ページ数が決まり、カバーデザインもほぼ完成したら、いわゆる「部決会議」(部数決定会議)にて部数、価格、発売日などが決定されます。営業部門などからの要望によって、タイトルやカバーデザインの変更を要請されることもあります。過去の実績や知名度によっては著者や編集者の無理が通ることもありえますが、これらの最終決定権は原則として資金的なリスクを負う経営者にあります。意見が通らなかった場合には、過去の不甲斐ない自分を恨みましょう。
部数や価格が決定したら、印刷所へのデータ入稿作業を行ないます。売上スリップやバーコードのデータを作成するのもこのタイミングです。印刷所からはプルーフや色校正が出てくるので確認します。ここでの確認漏れはそのまま印刷事故につながるので、売上スリップやバーコード、奥付などの最終確認は複数部署による回覧で行ないます。
入稿作業が終わると見本が出てくるのまで間に少し時間ができるので、著者との契約作業を進めておきます。契約書は出版社ごとに統一されているのが一般的で、タイトルや著者名、部数、価格などを書き込んで著者に送り、記名捺印したものを返送してもらいます。刷り印税がある場合には、支払伝票の起票などもこの段階で行ないます。編集プロダクションやデザイナーへの支払い手続きもこのタイミングで。
入稿作業後しばらくすると見本が届くので、まずは修正原本となる数冊を除いてから、著者をはじめとした関係者に数冊ずつ発送します。社内外へ見本を持参しつつ、挨拶をして回ることもあります。続いて雑誌社や有名ブロガーなどへの献本を行ない、書評を依頼したりもします。書籍編集者の通常の業務としては、これでひと段落ついたことになります。
書籍編集者が行なう通常の販促活動としては、いわゆる献本のほかにも、書店に配布する注文書の原稿作成などがあります。しかし、書店営業や広告に関しては原則として営業部門が主体となって行なうことになっていて、編集部側が勝手に進めることはできないのが一般的です。結果として書籍編集者が行なう販促活動は、営業部門のサポートや、著者によるイベントのサポートなどが中心となります。
実は世の中には間違いのない書籍というのはほとんどなく、それほど厚くない書籍の中にも複数の間違いが含まれていたりします。これを自分で見つけたり、著者や読者から報告を受けたときに記録しておき、増刷といったタイミングで修正するのも書籍編集者の仕事です。増刷時には、著者への報告や見本の発送、刷り印税なら支払伝票の起票といった作業もあります。さらに、刊行から時間が経ち、内容の更新をする必要がありそうな場合には、増刷の代わりに改訂版の刊行を企画することもあります。
以上です。改めて書き出してみると思っていた以上にやることが多かったと感じたのですがいかがでしょうか?また、原稿制作は重要であっても一部でしかなく、原稿さえあれば書籍が出るというわけではないということもおわかりいただけたかと思います。一般的な実用書の編集者は、この流れを同時並行して年間5~10点程度進めることになります。編集者が何の仕事をする人かという疑問解決の参考になれば幸いです。
>「反日上等」について――街へ出よう。 - アクティビスト/編集者・園良太の日記
http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/20090729/1248862247#c1248890526
なんだこりゃw 「アクティビスト」だとw
編集者って何の編集だよ、と思ったらやっぱどっかのクソサヨ系かw
http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/about
>07年8月から編集プロダクション「ワーカーズコープアスラン」で働いていました。
あの例の女子大生もこういう自称物書きにはなってほしくないなあ。
別に何の障害もないんだからとっとと帰化しろってのw