はてなキーワード: 隔世の感とは
中1の技術の教科書が「通信プロトコル」や「TCP/IP」、サイバーセキュリティについてなど学ぶ内容で隔世の感「これITパスポート取れるだろ」 - Togetter
https://togetter.com/li/1869660
「学校でTCP/IPについて聞いておくだけでも将来役に立つ」みたいなコメ多し。
いやいやいやいやいやいや。
「あー、教科書でTCP/IPについて習っておいてよかったな~」となる日なんて、絶対に、誰にも、永久に、来ないから。
そもそもTCP/IPの知識が必要になるような人間は、自然に知識を得てる。
学校で習わずともネットやってれば自発的に調べて頭に入ってる。
その教科書で1年かけて学ぶことを、数日で頭に入れてるよ。
もちろん深くまで理解してるかどうかじゃないよ。
「その単語を見聞きしたことがある」というレベルで良ければ、わざわざ教科書で教えるようなものではない。
もっと言えばITパスポートなんて普通の知性ある人がネットを1~2年使ってれば誰でも合格できるレベルの内容でしかない。
マンガのほうは「なかよしにCLAMPという同人絵柄ゴリゴリの作家が来た!」という意味で、絵柄が保守化してた低年齢向け少女マンガの作風の全体の転換を推進した、90年代初期の転換点のいくつかある一つだったと思う。
けどそんなのはどうでもいい。本当に革命だったのは、セガサターンで出たRPGレイアースだ。
90年代のセガはアニメにけっこう金を出してた。エヴァンゲリオンやナデシコが有名だが、おもちゃも作ってたし、ゲーム原作としても期待してた。
そのセガスポンサーのアニメとしてゴールデン枠に殴り込みをかけつつ、さらに次世代機競争で「セガサターンはスーファミやPSと違って2Dアニメーション処理が凄いぞ!」という宣伝の役割も与えられたのが、セガサターンで発売されたレイアースだ。
まず、モニター全画面を使ってTVアニメと全く同じ画質(当時レベルで)のオープニングが見られた。
こんなことはスーファミやPCエンジン、メガドライブでは不可能だった。処理能力の都合で全体の50%以下のサイズでアニメ処理し、黒縁取りのほうが面積が圧倒的に多かった時代からは隔世の感があった。一方、同時代のPSではPCエンジン並みのアニメがまかり通っていて熱暴走しまくってた。
ドリームキャストの宣伝でサクラ大戦3のOP動画がそこらじゅうにばら撒かれ、アニメのクオリティに度肝を抜かれたのを覚えてる人も多いと思う。サターン版レイアースのOPアニメの位置づけは、ちょうどあんな感じだ。
さらにレイアースはOPアニメだけじゃなかった。ゲームの本体部分でも流麗なアニメーション処理が随所に適用され、「これが次世代機の力か!」とストーリーを追うごとに驚愕させられた。細部へのこだわりがものすごく、現代のPCゲームだとやらない・やれないような丁寧なアニメ処理によってマンガ・アニメ原作の流麗さを当時ほぼ再現させていた。ドット絵アニメと次世代機の処理能力の幸福な結合を実現させた、数少ない例がサターン版レイアースだった。
ストーリーもよく(ゲームオリジナル)、アクションRPGとして難易度も適切で、攻撃魔法がキャラクターごとに特性がありそれを使って障害をクリアしていくちょっとしたゼルダ要素もある、キャラゲーとしても通常のRPGとしても、ほぼ完ぺきな内容だった。
ただキャラゲーは売れなかったが。当時は特にセガ信者の勘違いした自称硬派がギャルゲーキャラゲーを見下す風潮があったから少女マンガ原作なぞ話題から外されてたが。バーチャファイターやってないやつはサターンで何をやるの? みたいな扱いだったし。だからセガは(略
数年前はシンプルなロリの自慰行為エロ漫画だった気がするんだけど、徐々にロリレズ自慰になっていった。(うめっこ堂の表現で言うところの「絶頂」は自慰行為で得て、攻めのロリはオナサポ)
その後、ロリだけじゃなく、肉体的にはかなり成熟しており「おねえさん」と呼ばれる女性(言動などはこどもっぽく年齢不詳の観はある)が登場するようになり、「絶頂」も攻めである他人が直接的に与えるものに変化。
手マンが出たときも驚いたが、直近ではクンニ描写まで入ってきて、隔世の感があるなと思った。
まだ性的なことを知らない幼女が偶然自慰の味を占める…みたいな話の展開だったその昔は、登場人物の幼女は「絶頂」のことを「なっちゃう」と表現してたんだけど、最近では普通に「イく」って言ってるし。
購読者に飽きられないようにということなんだと思うが、このままエロ描写が進んでゆくとどうなんるんだろう。
以前、作中作(ロリが偶然エロ漫画を読んでオカズのある自慰に目覚めるっっていう話)で、拘束されてじらされるような描写があったので、ひとまずそっち方向に行くとして、その次はもう玩具等、なにがしを膣に挿入する、果ては異性の登場になってくるしかなくなさそうなんだけど、それって単独のロリ自慰漫画とか読んでた作者のファンのツボにはまるんだろうか?
総務省のお堅いページに、各種のクラウドやらの商品名が載るというだけでも隔世の感があり、かなりの前進だと思う
あとTeamViewerとかヤバイ中国発のやつが地味に省かれててちゃんと理解してるなと思う
Zoomもヤバいんだけど、いまのところはしょうがないか・・・
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/cybersecurity/telework/
設定解説資料は、手引き(チェックリスト)の内容を具体的な環境で実施する際の参考資料として、テレワークで多く利用される製品を対象として補足的に作成している資料です。
○設定解説資料(CiscoWebexMeetings)PDF
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(設定解説資料は、特定の製品の利用を促し又は避けるよう勧めるものではありません。また、記載内容の正確性等を総務省が保証するものではありません。)
もともと女性一般から広くモテたいとか、誰でもいいからセックスをしたいとかさせてほしいとか、社会から魅力的な男性として認められたいといった願望はない。俺が惚れた女がたまたま俺に惚れてくれないという状況がン十年続いているだけだ。しかし世間一般ではその状況こそ恋愛弱者とされているのだろう。俺からしてみれば弱者という自覚などないしこうした現状を特に気に病んでもいないが、うるおいのない人生であることもまた事実だ。たしかに人生はパサパサだ。顔は脂でネチョネチョしているが。さて、独り身の男がうるおいのない人生に慰めを見出すとしたら? もっとも手軽な手段は読んで字のごとく自慰である。というわけで、ここから先はオナニーの話をします。恋愛弱者論は出てきません。お引き取りください。
100%イマジネーションだけで登頂できる程度にはまだ元気な私だけれど、もちろんよいおかずがあればそれに越したことはない。私の世代の男性はさまざまなおかずで食事をしてきた。うつろいゆくエロメディアの変遷をすべて経験してきた。いや、ピンク映画は経験してないか。まあいい、それはさておき、自宅の電話線に通信モデムが接続されるまでの長い長い間、私の主食は紙媒体だった。エロ本、エロ小説、エロマンガである。劇画タッチの暗くて薄汚いエロマンガに代わってアニメ調のかわいらしい絵柄の美少女エロマンガ雑誌が続々登場し、それに夢中になったりもした。アダルトビデオもすでに文化としては大輪の花を咲かせていたが市場的にはレンタル専用の位置づけで、日々の主食とするにはコストがかかりすぎるごちそうだった。どんなに気に入った作品でもレンタルは返さなければいけないし、セル用VHSともなると1本が1万円以上したのだ。
こうしたおかず環境はインターネットの登場で激変し、通信環境やパソコンの処理能力の向上でもう一度激変した。このあたりの変遷はくだくだしく振り返る必要はないだろう。かつて、何世代ものダビングを経て裏か表かすらよくわからなくなった飯島愛のビデオに目をこらしていたことを考えると、常時接続のネット回線からフルハイビジョンの無修正動画が無料でドバドバ降ってくる現代の状況は「隔世の感」などという月並みな言葉では語り尽くせない感慨がある。「この世の春」が少し近い。
もっとも、この変化はあくまでも量的な変化に過ぎない。ガビガビの飯島愛とフルハイビジョンの七沢みあの違いは、端的には解像度と入手性だけであり、メディアとしての質的な差はないと言える。どっちも同じ動画だ。そこには、かつてエロ本(静止画)に代わってエロビデオ(動画)が登場した時のようなパラダイムシフトはない。作品の内容についても同様である。80~90年代のAVに比べると現代のAVは内容がめちゃくちゃに高度化していて、とんでもない美人がとんでもなくエロいことをとんでもない演技力でやってのける時代になったが、これとても地道に連続的に向上していった結果であり、その間に何か飛躍があったわけではない。
この先もこういう線形な向上がひたすら続くんだろうな、と俺は思っていた。モデルはますます美人になり、エロ演出はますます洗練され、解像度は4K、8K、16Kとますます向上し……そのうちテレビも買い換えなきゃだな、と。この先に非線形な、飛躍をともなうパラダイムシフトが起こるとは思っていなかった。
ところが2016年になってそれは起こった。アダルトVRの登場である。
それはまさにパラダイムシフトだった。静止画が動画になったあのパラダイムシフトさえ超える革命だった。初めてアダルトVRを見たとき、「これは今までのAVとはまったく異質なものだ」と私は確信した。
VRゴーグルをかけて再生を始めた時、自分は行為の「当事者」になっていた。それまでのAVでは(一人称視点モノであっても)自分はあくまでも「傍観者」だった。見慣れたハウススタジオで繰り広げられている知らない誰かと誰かの性行為を神の視点で眺めるだけの傍観者だ。男優の求めに応じて、あるいは自発的に女優が行う行為の淫靡さ大胆さ、背徳さや不潔さ、それを傍観して興奮するのが従来のAVだ。AV嬢は裸になるのが当たり前だし、裸になるまでのチンケな三文芝居など早送りするしかない。
しかしアダルトVRはそれとはまったく違った。なぜか間取りをうっすら知っている家の中に自分はいて、目の前にはめちゃめちゃきれいな女の子がいる。冬服に変わったばかりで今タンスから出してきたようなブレザーの制服を着ている。樟脳のにおいがしてきそうだ。その子がこっちを向いて「うふふっ」と笑う。こちらもつられてつい笑ってしまう。「ンフッ」 今までAVを見ていてそんなことがあったか? 俺はなかった。画面の中で何が行われていても、握力と緩急の調整こそすれ、表情は真顔のままだったと思う。
驚くべきは女優たちの演技力だ。アダルトVRは基本的に「女優の一人芝居」である。自分役の男優はいるがただの木偶であり、ストーリー進行はすべて女優の演技に任されている。女優たちはこれを見事にしてのけるのだ。イッセー尾形とまでは言わないが、正直私はAV女優たちがここまでちゃんとしたお芝居をするとは思っていなかった。また、そのくらいアダルトVRは女優の演技力が重要なジャンルなのだった。棒読み学芸会の芝居だとまったく白けたものになってしまうのだ。結果として、ただかわいくてスタイルがいいだけの女優ではなく、きちんとお芝居のできる女優が日々発掘され、適性が見いだされ、人気を得て活躍していくようになった。
一人称AVというジャンルは古くからあるが、久しくマイナージャンルであった。しかしここへきて一人称AVは突然業界のどセンターに据えられることになったのだから世の中わからないものである。
一人称という形式により、2Dでは早送りしていたような行為前後のたわいもないドラマシーンががぜん意味を帯びてきた。この女性は下宿の美人管理人さんで、俺はしがない浪人生。この女性はかわいい妹で俺はモテない兄貴。この女性は神待ちJKで俺は一人暮らしの冴えないおっさんリーマン。2Dではわりとどうでもよかったそんな設定がいちいち重要になってきた。その設定に没入すればするほど、目の前の女性が服を脱いだ時の衝撃と興奮が大きいのだ。もし美人教師やかわいい看護婦さんが「現実に」目の前で服を脱ぎだしたら、誰だってびっくりするでしょう?
風呂上がりでバスタオルを胴に巻いただけの妹が俺のほうに上半身をのり出してきて、急にまじめな顔になって聞く。「ねえおにいちゃん、そらのおっぱい見たい?」俺はあまりのことに声も出せずただブンブンと首をタテに振るしかできなかった。「ほら!」バスタオルの前が勢いよく開かれた。椎名そらの、いつもAVで見ていたあこがれの椎名そらの、あの白くてすべすべしてふっくらとまろやかで、ぷにぷにと弾力のあるかわいい乳房が、俺の目の前でぷるんと揺れた。「あっ、あっ…!!」人は感極まるとカオナシみたいな声が出てしまうことを知った。「興奮する?」「うん…する…する!」思わず答えていた。
目の前に素敵な女の人がいて、自分を信頼して親密に身を寄せてきてくれるあの幸福感が脳を満たす。「幸せ物質」みたいなものがあるとしたらそれが体中を駆けめぐる感じ、2DのAVでは決して味わうことのないゾクゾクする感じがアダルトVRにはあった。もちろん相手が生身の女性だったらその歓喜はもっとずっと大きいはずだが(長いこと感じていないのでどのくらいか忘れてしまった)そんなことはもうどうでもいい。少なくとも2Dにはそれがなく、VRにはそれがあるのだ。
心通じ合うパートナーがいなければこの先ずっと得られないと思っていたあの歓びを、わずかでも擬似的にでも感じることができたし、ゴーグルをかければいつでも感じることができる。そしてこの先まだまだVRゴーグルの性能は向上するし、きっと動画の解像度も上がっていくだろう。素晴らしいじゃないか。コロナにおびえながらキャバクラや風俗に通わなくてもいい。俺はもう、大丈夫だ。これさえあれば、アダルトVRさえあれば大丈夫だとわかった。生きていける。
元『映画秘宝』編集部員の秋山直斗(ナオト)さんにも読んで確認してもらえるよう、引き続き頑張ります。前回と同じく、出典は『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判』(2002年、洋泉社)、発言者を「町山」及び「柳下」と表記します。記述形式は
[ページ数]
です。
なお、問題発言だけでなく「今から見返したら『味わい深い』」と云う発言も有ります。
〈警告!〉「同性愛者に対する差別発言」などの引用が多数含まれるため、読むと気分が悪くなる可能性が有ります。
[p101]
柳下:淀川さんって本当に肉体派でしたね。好きな俳優はシュワちゃんにスティーヴン・セガール。
町山:あとチャールズ・ブロンソンとか、現場労働者タイプ(笑)。シュワちゃん、ジャッキー、ヴァン・ダム、セガール、それにドルフ・ラングレンの映画は『日曜洋画劇場』の独占状態だった。淀川ハーレム。
町山:とにかく男、男、男の映画。淀川さんって自分の欲望に忠実だったねえ(笑)。
【※】相手が死去して反撃してこないのをいいことに揶揄する。景山民夫の時と同じ。そもそも町山智浩に「欲望に忠実」と他人に言う資格は有るのか?他人の女性パートナーの胸を揉んだりキスしたりするのに。
【※】続いて『ゴッド・アンド・モンスター』の話題に移る。これは、’31年版『フランケンシュタイン』の監督ジェームズ・ホエールを主人公とする伝記映画。
[p102]
町山:そもそもさ、フランケンシュタイン博士はなんで怪物を作るんだと思う?
柳下:え、そりゃ自分の手で生命を生み出すためでしょ。神への挑戦として。
町山:でも、それだったら別に男じゃなくてもいいじゃん。男なら普通、まず理想の女から作らないか?
町山:いやいや、フランケンシュタイン博士には男を作る方が自然だったんだよ。なぜかというと博士はホモだったから!
町山:いたって正気。これ、ただの思いつきで言ってるわけじゃないんだよ。実は最近ジェームズ・ホエールの伝記が出て、そこでジェームズ・ホエールがホモセクシャルであることを明らかにしている。
町山:確かに『フランケンシュタイン』を観てると、博士の行動ってすごく変なんだよね。婚約者の美女がいるのに、ちっとも彼女にかまわないで、男の死体をいじってる。
柳下:要するにホモなのに結婚させられそうになって、死体でダッチワイフ作ってるってことですか。ワイフじゃなくてダッチボーイか(笑)。
【※】ここでも「女に手を出すことが『男の証』」という考え方と同性愛者を「異常者」扱いする姿勢が顕れている。
[p109]
町山:それって、『もーれつア太郎』の目玉のつながったお巡りさんだね。あんまりピストルを撃ちまくるから、ア太郎たちが警察署に苦情言ったら「そこ交番ないですよ」って言われるの。要するに勝手に警官名乗ってるキチガイだったんだよ(笑)。
柳下:でも映画版『ポストマン』にはそういうキチガイの部分がないんですよ。
【※】「キチガイ」もよく使う印象。
[p110]
町山:コスナーの人気が落ちたのは、カミさんに全部暴露されたからなんだよ。床屋に行けば床屋の女とヤッちゃう無差別爆撃男でだったんだよ。
柳下:他の俳優なら「しょうがないなー」で済むけど、コスナーは良識ぶってるから反感買うんだな(笑)。
【※】「良識ぶってるから反感買う」は今の町山智浩たちにも噛み締めてもらいたい教訓だと思う。
[p114]
田野辺:あんたら迷惑なんですよ。悪口ばかり言うから、僕らが映画会社に出入りしにくくなるでしょ。
【※】そりゃ、健康も崩すよ。
[p115]
【※】マーティン・スコセッシの『クンドゥン』に触れ、柳下が「ダライ・ラマの生涯を描いてチベット開放を訴える映画ね」と物語を説明した流れから。
町山:スコセッシは一般人に好かれようと思わないで、チビのキチガイが人殺す映画だけ一生作ってりゃいいんだよ!
柳下:チベット救済ってのがトレンドなんじゃない?昔の反原発みたいなもんでさ。チベット救済コンサートとかやってるでしょ。ロクなもんじゃないけど。
【※】「チベット問題」や「原発問題」に関する意識が今日からすれば隔世の感が有りますが、そういえば町山智浩は「天安門広場で死者は出ていない」と云う中国政府寄りの立場なんでしたっけ。
【※】その後、ニコラス・ケイジ主演の『8mm』に話題が移る。
柳下:おかしかったのはニコラス・ケイジの弟分になるホアキン・フェニックス。登場するなり「オレはホモじゃないぜ」って言うんだけど、なぜかケイジのために命を捨てる。やっぱホモじゃん(笑)。
柳下:ジョエル・シュマッカー監督(ゲイ)の自分へのサービスじゃない(笑)?
【※】ここでも「(笑)」を使っている。
[p123]
【※】監督スタンリー・キューブリック、出演トム・クルーズ、ニコール・キッドマンの『アイズ・ワイド・シャット』の話題
柳下:だから試写で、おすぎが「つまんない映画ね!」って言ってたよ。
町山:筑紫は見につまされたんだな。痴漢局長に乱交アナ、覗き記者に囲まれて『ニュース23』やってりゃムラムラくるって(笑)。「オレだって昔は女子大生にモテたんだぞ!」って。
【※】浮気願望といえば、少し前に○人疑惑が持ち上がった人がいた気がしますけど、誰でしたっけ?今日のお風呂は血の色です。
[p124]
柳下:道ですれ違った体育会系のガキどもに「オカマ野郎」って言われるシーンは、モロにトムのホモ疑惑をネタにしたギャグでしょ。
【※】同性愛を揶揄する時に「疑惑」という表現を使って「恥ずべきもの」というイメージを植え付けようとする。
(初出『映画秘宝』99年vol.13)