はてなキーワード: スタンプとは
coke onアプリってのがあって、コカ・コーラの自販機でキャッシュレス決済できたりスタンプためて15個で1本無料になったりする。
で、コカ・コーラ製品のペットボトルの裏蓋にあるコードを読み込ませるてポイントためて、抽選でミセグリの写真が入ったオリジナルタンブラーがあたったりミセグリが出演するCoke STUDIOライブなるものに招待されたりするキャンペーンやってたんだが、7月25日付けでようやくミセグリが消えた。
グッズはLINEポイントに変更、ライブの出演者は未定だそうだ。
“ユニバーサルミュージック合同会社と協議を重ねた結果”で、“ライブの出演者は8月5日(月)以降、順ご案内”だそうだが、クビにするにも随分時間かかるもんなんだな、という印象。
昔のライブハウスは問答無用で再入場不可が多かったが、昨今のライブハウスは再入場可能な場合がある。
ドリンク代が再入場するたびにかかることもあれば、かからないこともある。
再入場の管理は半券、手にスタンプなどそのライブハウスによって様々だろう。
バンドファンは少ないが、アイドルファンの中にはチケットを共有して不正入場をする不届きものがいるため半券(電子でも)での判断はリスクがあるため、それを危惧した箱はだいたいスタンプでの再入場の形を取ってることが多い。
ライブハウスに慣れていても不慣れでもほとんどの客は再入場したい場合は受付にその可否を尋ね、その箱のルールに則って行動してくれる。
しかし中には帰るような顔をして受付を素通りをし、当たり前の受付を素通りして勝手に入ろうとする人がいる。
帰る客には「ありがとうございましたー」と声をかけているので、そこで再入場しようと思ってた大抵の人間はその言葉を聞いて「もう一度入りたいんですが」と申告してくれるが、それも無視して素通りして帰ってくる人。
一体お前は誰なんだ。
本当にわからない。
https://anond.hatelabo.jp/20240721230541
ジジェクは道を誤った / メラニー・ゼルMelanie Zelle [スワースモア大学の学内新聞『スワースモア・フェニックス』の編集者] ※削除済
ttps://web.archive.org/web/20230303073524/https://swarthmorephoenix.com/2023/03/02/zizek-has-lost-the-plot/
私が哲学に興味を持つようになったのはスラヴォイ・ジジェクのおかげである。
彼の著書『終焉の時代に生きる』と『パララックス・ヴュー』に偶然出会い、中学2年生の私が苦労して読み進めたこの本が、
ジジェクの文章は、彼が即興でする賛美のすべてにおいて、素晴らしく説得力があると私は感じた。
本棚に積まれた1000ページにも及ぶ矛盾の山に憤慨しながら『Less Than Nothing』を読み通したのは、高校時代に果たした偉業だった。
私は、ジジェクの長編作品の論旨を理解できるかどうかで、自分の知的価値を測るようになった(現在はほとんど理解できないが、以前はまったく理解できなかった)。
それだけに、現代の政治文化に関する最近の記事で、ジジェクを非難するのは心苦しい。
しかしある意味で、ジジェクと私の関係は、彼が何について間違っているのかだけでなく、
なぜこのような著名人が、あのように明らかな知的陥落にはまることができたのかを理解しようとする上で、
有利なポジションに私を置いていると感じている。
私の怒りの主な対象は、先週発表されたばかりのジジェクのエッセイである。
そのタイトル「Wokeness Is Here To Stay」は、たぶん私がそれほど警戒するものではなかったと思う。
ジジェクの哲学は、ヘーゲル、ラカン(そしてフロイトも)、そしてもちろんマルクスへの愛着から、オーソドックスな、ほとんど伝統主義的なものと特徴づけうる。
他方で世間一般におけるジジェクのペルソナは、意図的に培われたものだと私は主張したいが、ディオゲネス的挑発者であり、象徴破壊者であるが、自分勝手なものではない。
ジジェクのこうした面が、彼の論文や公開講演会、そして彼の知的活動への、より親しみやすい影響を及ぼしているようだ。
したがってジジェクが、クリックした人々が眉をひそめるようなタイトルを選んだことを読んでも、私は驚かなかった。
私は、ジジェクのお気に入りのトリックのひとつである、正式な哲学的分析の範囲外と考えられている文化の側面を選び出し、
喜びを感じながらそれを切り裂くことに慣れてしまっていた。
(ある講義では、カンフー・パンダについて論じており、また別の講義では、ヨーロッパ各地のトイレの特殊な構造が、
ポストイデオロギー的なポストモダニズム世界の概念に対する究極の反論となっている)。
ほとんどの場合、ジジェクの指摘は最終的に重要であり、さらに重要なのは、彼の広範な哲学のいくつかの要素について、面白おかしく、
しかし(おそらく結果的に)効果的に紹介者の役割を果たすことである;
そして一見したところ、"Wokeness Is Here To Stay は同じ公式に従っている。
トランスジェンダーの権利をめぐるスコットランドの政治的混乱から始まり、他の現代政治問題にも触れ、最終的にはフロイトとラカンへの言及で締めくくる。
表面下に潜む構造的な違いを無視しても(これについてはまた述べる)、この作品には、ジジェクのいつものトーンとは正比例しがたい苦渋が感じられる。
これは、私の最大の関心事である彼の議論の内容については言うまでもない;
ジジェクは、スコットランドにおけるトランスジェンダーの権利をめぐる、最近の政治論争をめぐる議論について、記号論的な分析を行っているわけでもなければ、
正確に他の多くのことと結びつけているわけでもない。
結局のところ、ジジェクは皮相な哲学的手法とともにただ単に政策論争に参加しているだけであり、遺憾ながら完全に間違っている。
ジジェクは、過去10年間にリベラルな知識人全体に伝染した観を呈するトランス医療をめぐるパニックに陥っている。
ジジェクのいつもの懐疑論は、ここではいつもの懸念荒らしconcern trollingの再現に留まる。 ジジェクはこう書いている:
「思春期ブロッカーは、タヴィストックでの診察に送られたほぼすべての子供に投与された。
その中には、性的指向がはっきりしないという誤診を受けた可能性のある自閉症の若者や、問題を抱えた若者も含まれていた。
言い換えれば、医学的な性別移行を望むかどうか判断できる年齢に達していない脆弱な子供たちに、人生を変えるような治療が行われていたのだ。
批評家の一人が言ったように、『性別の悩みを抱える子供には時間とサポートが必要である。あとになって後悔するかもしれない医療措置に進むよう仕向けられるべきではない』 」。
この一節は疑問を投げかける。ジジェクは、その知的能力において、思春期ブロッカーが何であるかさえ知っているのだろうか?
ジジェクの引用の使い方は、この作品の中で頻繁に行われていることから特に明らかであり、すでに示唆されていることを裏付けている。
実際、彼が引用したガーディアンの記事を読んでいれば、上で引用した段落を修正できたかもしれない。
ジジェクが引用した記事の上の行には、"異性間ホルモンは16歳からしか処方されず、専門家によれば思春期ブロッカーは不妊の原因にはならない "と書かれている。
したがって、このスロベニア人に知的怠惰の恩赦を与えることもできない。 これは純粋で単純な不誠実さであり、危険な形態である;
さらにひどいのは、ジジェクが記事の冒頭で取り上げた最初の文化的分析対象である。
『コンパクト』編集部がありがたいことに、ページをスクロールすると引用文が表示されるようになっているのだ(まだ彼の論調を十分に理解していない人のために)。
それはこうだ: "女性だと自認する人物が、ペニスを使って2人の女性をレイプしたことを我々は知っている"
“We have a person who identifies itself as a woman using its penis to rape two women.”
ジジェクが言及しているのは、アイラ・ブライソンの事件である。
この有罪判決は、スコットランドにおいてレイプで有罪判決を受けた史上初のトランス女性となり、
トランスの人々に対する「懸念」を持つすべての人々にとってのロールシャッハ・テストとなった。
ここでジジェクは、基本的な事実認識が間違っている。ブライソンの性別移行の時系列を誤って伝えているからだ。
さらに問題なのは、読者を煽動するために、本質化するような言葉を使い、さらに誇張していることである
(「ペニスを持ったレイプ犯が、囚われの女性たちと刑務所にいる」という表現が思い浮かぶ)。
ブライソンを「彼he」、そしてさらに厄介なことに「それit」と、ジジェクが性別を間違えて表現することに固執するのは、
ジジェクがトランスのアイデンティティを尊重することを、裁量に任された、善行次第のものだと考えていることを示唆している。
ジジェクはこの論文で、控えめに言ってもトランスフォビックtransphobicだ。
しかしそれ以上に、ジジェクは退屈で、独創性がなく、不誠実で、怠惰である。
彼はトランスの人々について、『ガーディアン』紙や『ニューヨーク・タイムズ』紙の同様の記事からは得られないようなことを何も書いていない;
この時点でようやくジジェクが哲学について語るかもしれないと思うのも無理はないが、残念ながらそれは間違いである。
記事の次の部分はさらに長く、さらに面白くない。『コンパクト』誌に掲載された別の記事の宣伝である。
(中略)
で、どういうこと? なぜジジェクはこんなことを書くようになったのか?
その答えは、対立的でありたいという彼の誤った願望にある。
彼は、この作品の中で他者が陥っていると彼が非難する事柄に陥っている。すなわち、自分を悩ませる他者を、自分自身の中で勝手に思い描く罪を犯しているのだ。
The answer lies in his misplaced desire to be oppositional. Ironically, he is guilty of the thing he accuses others of falling prey to within the piece, that of envisioning for himself an Other that haunts him.
[ジジェク]「要するに、ここにあるのは、政治的に正しい突き上げと、金銭的利益の残酷な計算との最悪のコンビネーションなのだ。 」
思春期ブロッカーの使用は、[ジジェクによると]"目覚めた資本主義 "のもうひとつの事例であるとされる。
ここでジジェクは、ジャニス・レイモンドの1979年の『トランスセクシュアルの帝国』に端を発する、トランスジェンダーの人々が選択する様々な処置や療法は、
製薬企業にとって重要な経済的利益をもたらすものであるという、一見したところ長年にわたる議論に訴えかけている。
そうすることで、救命医療へのアクセスを容易にするべきだと主張する人々を、自分たちの身体をめぐる現実の物質的な対立のために戦うのではなく、
資本の側、つまり極悪非道な個人の側にいる人々として捉え直すことができる。
バトラーやフーコーを読んだことのある人物が、このように書くことができるのは、こうした運動が誰のためになるのかという、権力についての混乱がジジェクを盲目にさせているのだ:
[ジジェク] 「性的混乱に「異常」なことは何もない。「性的成熟」と呼ばれるものは、長く複雑で、ほとんど無意識のプロセスである。
それは激しい緊張と逆転に満ちている。自分の心の奥底にある「本当の自分」を発見するプロセスではない」。
作品全体と同様、これはジジェク特有の哲学的プロセスといううわべに包まれたいつもの本質主義と、トランスフォビアtransphobiaである。
この最終的な帰結は、英米でトランスジェンダーの物質的な生活にすでにダメージを与えているヒステリーhysteriaの波に、ジジェクがお墨付きのスタンプを押したということだ。
ジジェクは、社会の変化に懐疑的なジャーナリストや知識人の瘴気miasmaの中に紛れ込んでしまったかのようだ。
これはポストモダンの懐疑主義に非常に批判的な人物から出た究極の皮肉である。
過去の思想家からの豊かな引用を悪しき議論の隠れ蓑に変え、気まぐれさを苦味に変えてしまう。
私たちにとって悲しい日であり、多くの意味でジジェクにとっても悲しい日である。
ジジェクは豊富な理論的な著作の中で最高のパフォーマンスを発揮し、ここでは最悪のパフォーマンスを発揮している。
このエッセイを読むと、あなたは感じ取るだろう。少なくとも少しは彼がそれを自覚していることを。
[終]
夜寝る前に女体を削っている。
無料で使える画像編集アプリのスタンプツールを使って、ちまちまと。
画像はアプリでセックスした相手のうち、運よく写真を撮らせてくれたひとの。
だいたい、国道沿いの古いラブホテルで、そういうところは日差しが入らないように窓を塞いでいるけど、木製の建具を開くとすりガラス越しに昼間の太陽が入ってくる。
それで、相手はいつも裸で、寝転んでもらったり、ポーズをとってもらったりして写真を撮る。
そうやって撮った写真を使って、画像編集アプリを使って少しずつ身体を消していく。
真っ先に消すのは頭。てっぺんから消していく。肩の僧帽筋が作るつるりとした稜線が、あたかも最初から首や頭なんてものは無かったように見えるのが理想だ。
大抵、腕も消す。指先から二の腕、そして肩。肩が一番難しい。自然に見えるよう消すのにはコツがいる。
鎖骨や肩甲骨はある、けど上腕骨は最初からないように見えるとうれしい。
脚はほとんどの場合残す。脚はあった方が、完成した時、なんか良い。
少しずつ身体のパーツを消しながら、いちばん良い状態になるまで身体を削っていく。
場違いな自然光が射し込む古いラブホの部屋で、ただ性的なオブジェとして削られた女体がそこにある、という画像が出来上がる。
妻に見つからないよう、パソコンの奥深くに完成した画像を隠す。
そうするとよく眠れる。
●はじめに
これは相手に向けて書いたものではなく、相手を批判する意図はない。
もしこれを読んで相手を批判しているように思えたのならそれは私の表現力の乏しさによるものである。
また、フェイクを入れずに書いているので、両者の友人知人は「もしや」と感じるかもしれない。
だとしても二人に触れずにそっとしておいてほしい。
以上のことを踏まえて、了承していただける方のみ先を読み進めてほしい。
●登場人物
私=筆者
一次創作をする。
絵と文章を嗜む。
A
この文章は、Aとの出会いから別れまでの備忘録と私自身の反省のためのものである。
●Aと私の関係性
そして縁が切れたのが我々が28歳になる年の2月ごろ。
薬10年を共に過ごしてきた仲だった。
間違いなく、一番仲が良かった友人だった。
高校3年間はクラス替えもなく、いろいろな話をして、真剣な話もして、時には喧嘩をしたりすることもあったが、それも乗り越えてきた。
大学は別々の道に進学することになったが、それでも毎日のようにLINEで会話を交わし、時々二人で遊びに行っては日が暮れるまで話し、解散後も夜が明けるまでLINEで話をしていた。
私が新卒で入社した会社の研修で2か月東京に行くという話をしたときはとても寂しがってくれたことを今でもよく覚えている。
Aは絵を描くことが好きだ。
絵を描くことが好き、と一概に言っても色々幅があるが、私から見ればAの「絵を描くことが好き」とはAのアイデンティティであり、Aの人生そのものなのだと思っている。
自分の気持ちを言葉にするのは少し苦手のようだったが、感情を絵に込めるのは大得意でAの描く絵には喜怒哀楽様々な感情が乗せられていた。
私も少し絵を描けるが、どちらかといえば絵を描くことは好きではなく自分の描く絵は好きという難儀な性格をしている。
そんな私と比べると、Aの絵に対する思いは尋常じゃないものなのだと思う。
私の作ったキャラクターやお話のファンで、この世のキャラクターの中で一番、私が作ったキャラクターが好きとまで言われたこともあった。
そのキャラたちしか描いてないのではないかという時期があった程度にはたくさん。
Aが絵を描いてくれることが嬉しくて、私はAにたくさん自分の創作の話をした。
●事のあらまし
Aと私は今までの一次創作の積み重ねを本にしたいという話になった。
私が書いた小説や、私から聞いた話をもとにAが描いた漫画の断片はいくつかあれど、それらを本という形に残したくなった。
そこで一次創作の同人誌即売会を調べ、Aと私の二人で本を出すことになった。
私は今まで書いた小説を集め、書き下ろしの話を追加した短編集などを3冊作り、Aは私が文章で書いていた短い話を漫画の本にした。
ところが肝心の即売会は諸事情で中止となり、半年後に延期になってしまった。
頑張って作った本たちはひとまず通販に置いて、Twitterのフォロワーを中心に頒布することができた。
半年後になってしまった即売会を待つ間、Aと私は喧嘩をしてしまった。
Aが私の地雷を踏みぬき、私が苦言を呈したことがきっかけだった。
私としてはその場で謝罪をもらって、それで終わりで良かった。
喧嘩をしたつもりはなかったのだが、思えばAの様子が変わったのはそこからだった。
多分おおもとの原因はここなのであろう。
Aの様子が変わり、Twitterにも出てこなくなったことが心配で、私はAに手紙を書いた。
仲直りをしたときの電話で、数か月後に迫った即売会の話になった。
「せっかくまだ少し時間もあるし、もう一冊本を作りたい」とAに伝えた。
Aもそれに賛同してくれたので、私は本の攻勢について説明した。
前に話していたネタで、漫画の本を作りたい。長くなりそうで作画が大変だから、今回は私が全部作画をする予定で、と。
Aは「あの時のネタか」と喜んでくれ「すごくいいね」と言ってくれた。
その会話の中でAが言った。「その漫画読みたいな、何なら私が描きたいくらい」と。
しかしどうにも作画コストがありそうなので、Aに全部描いてもらうのは申し訳ない。
だがAがそこまで言ってくれたのが嬉しくて、Aにも制作に参加してもらえたらと私は返答した。
結果、表紙と人物紹介ページの立ち絵だけAに作画を頼み、あとは全て私が自分で描くことに落ち着いた。
そして私は自分が描く予定で考えていた表紙のラフや、キャラの立ち絵のポーズのイメージを送り、Aに制作をお願いした。
私は今までAが描いてきたファンアートに対して何か対価を支払ったことはなかった。
強いて言うなら「新しくお話を作ること・考えること」を対価としていたのかもしれない。
だが先の喧嘩のこともあり、好意で描いてくれたものに対しても何かお返しをしたいと感じていた。
なので今回の制作に対しても「お礼をする」とAに伝えていたのだった。
Aの作業も私の作業も少し進んだころ、二人で遊びに行く機会があった。
そのときに私はAに「お礼として晩ご飯ご馳走するよ」と伝えた。
Aはそれを聞いて少し渋い顔をしたあと「じゃあ2回分で」と答えた。
Aの返答に少し違和感はあったが、私は2回分の晩ご飯をご馳走することを了承した。
だがしばらくした後、Aから「晩ご飯2回分と、表紙・立ち絵を描くことは釣り合ってないと思う」と言われた。
もともと私が全て描くつもりで考えていたものを、Aが描きたいと言ったから急遽参加してもらうことになったのだ。
つまり、好意で描いてもらうものに対して、私も好意でお返しをするという形だったはずだ。
どちらかと言えば同じサークルのメンバーで1つの本を共同制作する形に近い認識であった。
だから「"依頼"に対しての"対価"が釣り合ってない」と言われたことは、私としては違うと感じたのだ。
しかし、自分の描きたい絵を後回しにして人から頼まれた絵を描くことは大変なのは私にも分かる。
「じゃあ、何なら釣り合うと思う?」とAに聞いてみた。
Aは「考えておく」と一言。この話はこれで一旦おしまいになった。
Aから"対価"の話はされないまま、その後もお互い制作を進めた。
とうとう絵と漫画は完成し、本が出来上がった。
私は刷り上がった本を一冊と、同時に一人で制作していたグッズを合わせてプレゼントした。
本を開き完成した漫画を読み、楽しそうにリアクションを取るAの姿は、無理をしてそのように演じているように見えた。
長い付き合いなので、Aが気持ちを抑えてそれらしく振舞う癖があること、しかしそれが下手でバレバレなことは私にはわかっていた。
Aはそのときも、何かの感情を押し殺してそれらしく振舞っていた。
そのまま迎えた即売会当日。
その日はたまたまAの誕生日でもあり、私は今回のお礼と誕生日プレゼントを兼ねていくつかプレゼントをした。
細かくは覚えていないが、確かお土産菓子と、Aが一番好きな私のキャラのイメージ香水。
それからAは自分へのプレゼントとしてiPadを購入していたので、1000円ほどの有料のイラストアプリを入れてもらおうとiTunesカード1500円分をあげたのは覚えている。
iTunesカードは突発的な思い付きで、昼ご飯を買いにコンビニに買いに行ったときにふと目についたのだ。
「昼ご飯買ってきたよ。あとこれはい、あげる」と、さらっと渡したのだが、Aのリアクションは
「はあ……」と言ったものだった。
即売会も終わりに近づいた時刻、Aから「そういえばお礼の話だけど」と話が始まり「いろいろ考えたけど、1万円で」と告げられたのだった。
……イラストの有償依頼で、表紙(カラーイラスト)と立ち絵数名分を依頼した、となると確かに1万円は破格だろう。
友人同士の"共同制作"ではなかったのだろうか。
"共同制作"ならAが「印刷費をいくらか出した方がいい?」と聞いてきた際に頂いておいたほうがよかったのだろうか。
私は1万円を支払わなかった。
その代わり1万円分のお礼はすると伝え、今回渡したプレゼントはお礼も兼ねていることと、今日のご飯代、打ち上げのカラオケ代で1万円くらいになりそうだから、それでどう?と言った。
続けて「もし対価としてお金を要求するなら、それは話を引き受けるときにするべき話で、後から1万円でと言われても了承はし難い」と伝えた。
「今回はお互いのすり合わせがちゃんとできてなかったから、それは両方の責任だと思う。お礼に関してはあくまで好意で渡している。もし足りなかったら今後遊ぶときに代金持つよ」とも伝えた。
Aは最後まで納得がいかなそうな顔をしていて、頑なにカラオケ代を受け取ろうとしなかったが、私はそれらの代金を全て押し付けて、その日は解散になった。
あくまで私の価値観として、金銭が発生するやり取りは"契約"だと思う。
"依頼"を受ける"対価"として「これくらいの金額で」と提示し、双方合意の上で契約が成立するものだと思う。
「描いてもらいたいんだけどいい?」「描くよ」「ありがとう。お礼はするよ」
そこに金銭のやり取りが発生するとどちらも言わなかった。
私はこのやり取りのことを友人同士の口約束だと捉えていたのだった。
Aはその後、即売会の後処理や事務的なやり取りを私と交わし、私と連絡をすることはなくなった。
またもや大変長くなったが、ここまでが事のあらまし。
●縁切りに至ったきっかけ
約1年、Aと会話をしなかった。
そんなことは今まで初めてだった。
しかし連絡がなかったとは言え、TwitterやLINEは相互のまま。
まだ縁が切れたわけじゃなかったのだ。
Aが私に対して思うところがあるのは嫌でも分かった。
まだ友人関係を続けるなら清算が必要だし、縁を切るならそれはそれも仕方がない。
迷ったが、Aの誕生日に「おめでとう」と送った。約1年ぶりに発した言葉だった。
そのときのやり取りは消してしまってもう残っていないので、事実とは異なる可能性がある。
ぽつりぽつり、とぎこちなくやり取りを交わしたが、かつての親友を歓迎する雰囲気は全くない。
まだ怒っているか尋ねたところ「そうだね」と返事が来る。
「私のことが嫌いになったならもう現れない。あなたの前からいなくなる」と縁を切る提案をした。
とてもとても時間が空いて、Aから「嫌いとか、勝手に決めつけるのやめてほしい」と返事が来た。
『なんだその返事は。どう考えても「お前もう無理」が態度ににじみ出てるんだよ』
『そもそもお互いちゃんとすり合わせができてなかったことが原因だからどっちも悪いところあったんじゃないのか』
『なんで私だけが悪いみたいな態度を取られなきゃいけないんだ』
『謝ろうにもそっちの意見を聞かない限りは本当の謝罪なんて無理だろう』
私のこのときの率直な思いだ。
しかし、まだこれなら修復ができるかもしれない。
「私は今でもまだ友達だと思っている」と伝えると「私も同じかな」と返ってきた。
会う約束をすることになったのだが、いろいろあって実際に会えたのはさらに半年後だった。
ちゃんと話し合おう、主観で悪かったと思うところは謝って、相手の口からもきちんと思いを聞いて、
粗相があるなら謝ろう。誤解があるなら解けるまで言葉を交わそう。
そう思っていたはずなのに、久しぶりに会って私の口から出るのは、薄っぺらい近況話や中身のない話だった。
その日の私とAは、傍から見ればいかにも友人っぽかったと思う。
私に至っては。もはやAのご機嫌取りに近かったのかもしれない。
いかにも友人っぽい二人は、大事な話もできずにいかにも友人っぽいまま解散してしまった。
その日を境にTwitterなどでやり取りは再びするようになったが、心理的距離は変わらないままだったと思う。
それでも私の誕生日には簡単なイラストが贈られたので、私もAの誕生日にイラストを贈った。
私はその年、結婚式を挙げる予定があったため、Aのことも誘ってみたのだが
Aはその日どうしても外せない予定があったらしく、申し訳なさそうな顔をして断られた。
しかし祝福はしてくれていて、Twitterに載せた前撮りの写真にもコメントをくれたり、
行くことはできなかったけど、祝福はしているという雰囲気であった。
年末、式に招待した人たちに年賀状を出そうとリストを作っていたところ、
招待したけど来られなかった人にもお礼状として年賀状を出そうと考えた。
AにLINEで住所を聞いた。Aの一人暮らし先の住所は知らなかった。
Aからは「正月は帰省しているので実家に送ってほしい」と返事が来た。
私は過去の年賀状のファイルを実家に置いてきていたため、再度実家の住所を聞き、送った。
送った年賀状は「あて所に尋ねあたりません」のスタンプが押され、返ってきた。
Aに聞くと「省略した住所だったからかな?これが正式な住所だから送ってみて」との返事。
住所を訂正し、切手を貼り直し、再度送った。
再び、スタンプが押され返ってきた。
原因はどうやら転居届を出していたことだと分かった。
Aに「一人暮らし先の住所教えて。それか、直接渡すからどこかで遊ぼう」と伝えた。
Aは「年賀状のためだけに会うのは申し訳ないし、仕事が忙しくなりそうな予感がしてるから
しばらく遊ぶのは無理かも。何か手間かけない方法で……局留めとかできないかな」と返信した。
……私はもう疲れてしまった。
「年賀状のためだけに会うのは申し訳ない」はどう考えても「会いたくない」の言いかえだと思う。
局留めなんて提案もバカバカしい。住所を教えたくないだけなのがよく分かる。
「分かった。じゃあ会わなくていいから、どこかで話をする時間がほしい」
私はそう伝えたが、これは仲直りだとか謝罪だとかのためではない。絶縁のための話がしたかった。
話したくないことはよく分かったがそうも言ってられない。
LINEがブロックされたのかと思い、確認してみたがそんなことはない。
ただただ、無視をされていた。
数日経って、AがTwitterでスペースに参加しているのが見えた。
別のフォロワーがホストのスペースにスピーカーとして参加しているようだった。
よく見てみると、スペースに入る際に匿名で聞く機能が追加されているのが分かった。
盗み聞きのような気分だったが、そういう機能があるのだから使ってみることにした。
他愛のない会話。Aは楽しそうにしていた。
私はAに追加でLINEを送ってみることにした。
目につきやすいように、短文で3件ほど。
わざと気を引くような言葉も選んだと思う。
スペースで何か反応があることを期待したものだった。
しばらく待つと。案の定Aはその件について触れ始めた。
「まあ、私(A)の中ではね、友達としてはね、もうあのときで終わってるから……」
これだ。私が聞きたかったのは。
鍵アカウントの方へ移行していった。
Aからもらった絵も、渡すはずだった年賀状も、一緒に撮った写真も何もかもすべて。
Aの魂のこもった絵を処分していくのはさすがに心が痛んだが、私にはもうすでに必要のないものだった。
実家を出て、新居に必要なものだけ持ってきたはずだったのに、やたらとAの痕跡が多かったことを私は忘れないだろう。
(余談……事務的な手続きをやり残したまま処分を始めてしまったため、後始末に少し苦戦した。
他人も巻き込んでしまったためここは大いに反省すべき点だと思う。)
タイムマシンがあったら戻るか?と聞かれても、私はもう戻ることはない。
やりなおしたいわけではないが、自分の行動のどこがまずかったのかは今でも考える。
私はあのとき、ポンと1万円を支払っていればよかったのだろうか。
そもそも、お礼に何をするかを前もってすり合わせておくべきだったのか。
いっそのこと、自分の本なのだから他人に絵を描いてもらおうなんて思ったこと自体が間違いだったのか。
……恐らくすべての点で間違っていたのだろうと思う。
Aはきっと、私に対して「自分の絵(=自分の人生そのもの)に対して1万円の価値もないと思われた」と
感じているのだろう。
もちろんこれは断固否定するが、そんなことは決してないし、Aの絵と絵に向き合う姿勢にリスペクトしていたつもりだ。
私の思いはAに伝えたつもりだが、その通り受け取られなかったのなら、それは私の言葉や表現方法が悪い。
そもそも受け取ってもらえなかったのはきっと今までの積み重ねもあるのだろう。
私の信用は、もっと前には既になかったのだろう。
Aが私に対して「許せない」と感じているのはもう仕方がない。
許されないことも仕方がないと思っている。
しかし、今でも私はきちんとした謝罪ができなかったことを悔やんでいる。
Aは私の謝罪を必要としていないのかもしれない。だが私が謝罪をしない理由にはならない。
人間として、相手のことを本当に大事に思うのならば、きちんと謝罪をするべきだったのだ。
ない頭を振り絞りAの立場に立って考えたつもりではあるが。本心はAにしかわからない。
Aの本心を聞けなかったこと、強引な手段でしか本音を聞けなかったことも非常に後悔している。
何にせよ、もう私たちは戻れない。二度と戻ることはできない。
Aが私を許せないのと同じくらい、私もAのことが許せないのだ。
かつての親友であっても、二人の共通の友人とは今は関わりがほぼない。
共通のコミュニティに属していない以上、時間とともに価値観の相違は生まれるものだ。
Aも私も、少しずつお互いにずれていっただけなのだと思う。
Aが使っていた「ばかたれ可愛い」という語彙がなんとも下品で嫌いだった。
家に招いたとき、部屋中に飾った好きなキャラのグッズやぬいぐるみを見て
「ちゃんと定期的に埃とか取らないと汚い」と言ったことが許せなかった。
言いたいことをはっきり言わずに態度に出まくりなところが本当に嫌だった。
誰が聞いてるかもわからないオープンな場所で人の悪口を言ってる姿が情けなかった。
「もうとっくに友達じゃない」と思っていたのならさっさと切ってほしかった。
「友達として終わってる」なら私の結婚関連の祝いの言葉は何だったのか。
これらは全てAが悪いのではなく、私の価値観に合わなかっただけである。
それでも私はAを許さないと思う。
流れの速いコメント欄で意味のあることいっても誰も読まないし無駄だろ
定型文やスタンプを貼るのは観客席で歓声を上げてるのと同じ行動だよ
逆に観客席でぶつぶつ喋ってる奴の方がゲエジやん?
コメントするのって全体の1割くらいらしいんだよね
これずっとモヤモヤしてる
きみらほんとはゾンビなのでは?って
はてなーって多分この割合がガラッと変わって、残りの1%の人が結構集まってるイメージなんだけど
まあそれでもスターしか押さない人の方が多いだろうし、スターすら押さない人は多分もっといるんだろう
1000レスあって、書き込んでるのはだいたい200人くらい
画像とか貼るとView数が2000弱くらいだから、ざっくりROMが9割なんよ
就活の時、説明会に参加した30人くらいの中で発言するのって大体自分含め3人位だったと思うんだけど、あの残りの27人がそいつらなのかなあ
自分の見えている世の中って発言する1割、なんなら定型文を言わない1%のみで構成されてるんじゃないかと
そういう今どきの哲学的ゾンビを考えたりする
____
こんにちは。4月入社の方はもう3ヶ月たちましたが元気にやっていますか?
出世したいかどうかはさておき、人生の中で多くの時間をかけるのであれば、穏便な人間関係の中で働きたいと思う人は多いのではないかと思います。穏便な人間関係をもつためには、先輩や同僚の性質によるところも大きいですが、じつはあなたの振る舞いによっても変わります。
自然とそんな振る舞いができる方も少なくないですが、これまでと違い、年の離れた人たちが多い環境では、あえて教えてくれる人も少なくできない人はいつのまにか失敗してしまい穏便な人間関係を持ちにくい方もいるでしょう。
そんな方々に、上から目線で恐縮ですが、数点テクニックを授けます。コメント歓迎です!
メールだったりSlackだったりであなた宛てになにかを頼まれることがあります。
そのとき、気付いたときに返事をしたり、リアクション(スタンプ)をとって、受け取ったことを依頼者に伝えると依頼者は安心します。
それがなければ、依頼者はあなたが依頼を見逃しているのか、困っているのか判断できず気にし続けることになってしまいます。
依頼に対して、不明点を訊いたり、対面(もしくはビデオチャットや電話)での意識合わせしたいであったり、見込みの所要時間を伝えるとなおよしです。
予定がないにもかかわらずチャットでのメンションに3時間以上対応ないことは基本ないようにする。
例えば集中モードに入るとか研修や客先訪問があるのでSlackはみません、というときはあらかじめ宣言しておくかステータスを更新しておいてほしいです。
※ 突発した打ち合わせやなんらかの対応があった場合は仕方ないですがその場合は、そういう事情があった、と「言い訳」してほしいです。
労務的には勤怠管理ツールで申請するだけでよいのですが、これだと上長しか把握できません。チームのいるチャットなどでも共有してもらえないと、チームはあなたがいない理由がわからず困ります。Slackでしたらステータスを設定しておくと便利です。
また、体調不良なら仕方ないですが、それ以外で、例えば明後日休みます、というときはその日にあなたが主要な参加者となる打ち合わせを調整してください。小規模の打ち合わせであればリスケを依頼するか、議事録を読んでおくと宣言するなどあるとチームメンバーもフォローしやすくなって一緒に働きやすくなります。
出社したときにおはようございます、と言ったり、退勤するときに、おつかれさまですといったり、お先に失礼します、というだけでちょっと信頼感があがります。何も言わずにいなくなると不審に思われます。
あいさつなんて儀式的なものが社会でいらないと思うかもしれませんが、先輩方も人間で、人間は複雑です。単純接触効果で声をかけるだけでも信頼感は増えます。
※ 多くの人間が長時間残業している職場であれば定時に帰ることにひけめがあるかもしれません・・・
声をかけられたときに、パソコンに向かいながら話を続けると、話を聞いてくれていないと信頼を失いやすいです。
すぐに手を離せない場合は「この返事をするので少しお待ち下さい」であったり「あとでそちら行きます」などと伝えるなどしてください。
誰でも失敗します。そして組織での失敗の場合は、チームの責任でもあってあなただけが悪いわけではないです。
というのは前提なのですが、失敗のフォローをしてもらっているときには、すみませんでした、もしくは、ありがとうございます、など一言声をかけるだけでも印象は違います。
以上です。ほかのテクニックを見出した方がいれば、はてなブックマークでコメントするか、右下の「言及する」をクリックしてはてな匿名ダイアリーでお知らせください。
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ホントまじふざけんなよ。
御多分に漏れず、リモートOK。社内のコミュニケーションツールはSlackという最近流行の感じの会社。
ウチの会社はこのSlackの運用ルールがかなり緩くて、プロジェクトのチャンネル以外にも、趣味サークルだったり突発飲みだったりのチャンネルを立て放題だった。
俺は同期だったりプロジェクトで過去絡んだ人だったりの雑談チャンネル作って、愚痴ったり不満言い合ったりしながらのほほんと仕事してた。まぁ、今回これが災いしたんだけど。
事の発端は数か月前の月一の全社会議に遡る。ちょうどその頃、アサインされてずっと雲行きが怪しかったプロジェクトがとうとう炎上し始めた頃だった。
何処でもそうなんだろうけど、ウチの全社会議では会社の経営状況と、各部門の案件状況の説明、その他全社連絡事項的なことが語られる。
で、プロジェクトが絶賛炎上中だった俺はイライラしながら話を聞いていた。
要するにこういう事だった。
…。わかる…。わかるさ…。それが大事なことはわかる。なんなら新卒だって大事だと思うだろう。
しかし俺は我慢できなかった。なんてったってPMがスケジュール管理も技術選定もロクにできなかった結果、俺のプロジェクトは炎上し、終わらぬ残業と休出で疲れ果てていたのだ。
俺は救いを求めて俺の立てた雑談チャンネルを覗いた。案の定メンバーから不平不満が書き連ねられていた。
俺も俺の思いの丈を暴露しよう。そう思ったが、その時ある名案が浮かんだ。
俺は社長が全社会議で語った内容をそのまま、チャンネルに投下した。ただし、下記のようにして。
∩ _ ∩ 人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人 / \ / \ < プロジェクトメンバーはプロジェクトに責任感と使命感を持たねばならない。 > | (゚)=(゚) | < PMに責任を押し付けず、積極的に業務に取り組んでほしい。 > | ●_● | < より技術的に挑戦的な業務に挑んで欲しい。 > / \ < > | 〃―――-ヾ | < > \___二___/ < > YYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY
はたして、投稿したポストに瞬く間につく「草」のスタンプ。チャンネルでは大受けだった。なんてったって天下のカバオAAである。
俺は味を占め、プロジェクトや顧客への鬱憤をぶつけるように、全社会議がある度に社長や上長、果ては顧客のセリフをカバオAAに喋らせることに心血を注ぐようになった。
俺は、「昇進か?それともプロジェクト移動か?」と呑気に会議室に入った俺に、上長は会議室備え付けのモニターで俺の雑談チャンネルに投稿されたカバオAA達を淡々と見せつけてきた。
上長は元々感情をあらわにする方ではなく、正直怖いと思ったことはなかった。だが、俺のカバオ作品達を見せられてヘラヘラしていた俺に、「笑ってる場合じゃないよ?」と吐き捨てるように言い放ち、俺は事の重大さを自覚した。
・今後個人でのチャンネル作成は上長の認可を必須とすることにした。
会議室から出され、自席に戻った俺を待っていたのは、同僚からの冷たい目線であった。
「お前のせいで面倒くさいことになった。」皆、そう無言で訴えていた。
かくして俺は今週いっぱいで社内ニートが確定した。俺の後釜にはピアスのイケメン新卒が入るらしい。なお、そいつは炎上案件に突っ込まれる要因となった俺のことをボロクソ言ってるんだそうな。
というか、俺のクソレス監視するなら炎上案件のスケジュールとかについて管理しろよ。意味わからん。
自分は東京都民じゃないし、岩下の新生姜の社長も暇空茜もどうでもいいんだけれど、キャラクターのイワシカが好きでよくLINEスタンプを使っていた。
でももしあの騒動を知っている人にイワシカのスタンプを送ったら、相手に意図しない感情が生まれるかもしれないとか思うと少なくとも今は使えないなと。
ある意味これも不買運動になるのだろうかなんて思ったりもした。LINEスタンプは購入済みだけれど笑
そもそも世間の大多数は知らないだろうし、興味もないだろうから気にしなくてもよいのかもしれないけれど、リスクは考えないといけないと思う。たかがスタンプ、されどスタンプ…。
ミャクミャク様しか知らなかったんだけど各国のキャラもすげえ。
https://www.yomiuri.co.jp/expo2025/20240618-OYO1T50050/
◯ミャクミャク(日本)
ご存知命の輝き。
大阪万博は興味ないけどミャクミャクは好きって人も結構いる印象。ファンアートも結構多い。
◯レネー(チェコ)
ミャクミャクの友達という設定に違和感がない外見を持つチェコガラス製のキャラ。
この二人?の公式での写真や、ファンアートもあったりなど万博内での相棒のような存在。
ミャクミャクで慣れてるからか評判もよい。
どう見ても人間じゃないキャラが多い中で普通の人間がいるという逆に特徴的なキャラ。
イタリア要素と日本要素をミックスしてされていてとてもかわいいのだが、ミャクミャクとレネーに囲まれて困惑する扱いを受けがちで不憫で可愛い。
見た目だけだとドシンプルなゆるキャラだが、循環経済が達成された世界というゆるくない設定から思想が強そうな扱いを受け一部のネット民に人気になってる。
わかりづらいがどうも体色はグラデーションで左側は黒い部分もそういう扱いを受ける要因になってる。
和と循環をかけてたり、バウムクーヘンが好きなど日本リスペクトもある。
メールだったりSlackだったりであなた宛てになにかを頼まれることがあります。
そのとき、気付いたときに返事やリアクション(チャットツールによってはスタンプ)をとって、受け取ったことを依頼者に伝えると依頼者は安心します。
それがなければ、依頼者は依頼を見逃しているのか困っているのかやきもきします。
できたら、依頼に対して、不明点があるかとか、対面(もしくはビデオチャットや電話)での意識合わせしたいこととか所要時間を伝えるとなおよしです。
予定がないにもかかわらずチャットでのメンションに3時間以上対応ないことは基本ないようにする。
例えば集中モードに入るのでSlackはみません、というときはあらかじめ宣言しておくかステータスを更新しておいてほしいです。
※ 突発した打ち合わせやなんらかの対応があった場合は仕方ないですがその場合は、そういう事情があった、と「言い訳」してほしいです。
労務的には勤怠管理ツールで申請するだけでよいのですが、これは上長しか把握できないので、チームのいるチャットなどでも共有してもらえないと、チームはあなたがいない理由がわからず困ります。Slackでしたらステータスを設定しておくと便利です。
また、体調不良なら仕方ないですが、それ以外で、例えば明後日休みます、というときはその日に入っている打ち合わせを調整してください。小規模の打ち合わせであればリスケを依頼するか、議事録を読んでおくと宣言するなどあるとチームメンバーもフォローしやすくなって一緒に働きやすくなります。
出社したときにおはようございます、と言ったり、退勤するときに、おつかれさまですといったり、お先に失礼します、というだけでちょっと信頼感があがります。
※ 多くの人間が残業している職場であれば定時に帰ることにひけめがあるだろうので仕方ないかもしれない
声をかけられたときに、パソコンに向かいながら話を続けると、話を聞いてくれていないと信頼を失いやすいです。
手を離せない場合は「この返事をするからちょっとお待ちを」とか「あとでそちら行きます」などと伝えるなどするとよいです。
そんな小手先のテクニックを使って職場で認めてもらい、楽しく働いてお金を稼いでいきましょう!
その他のテクニックあれば教えてください。
LINEで相手にブロックされているか、確認する方法は以下のとおりです。
「ひとこと(ステータスメッセージ)」やプロフィール画像を確認する
LINEで相手にブロックされているか確認したい場合は、LINE電話やトーク、スタンプなどを送ってみて、既読が付くかどうか待ってみましょう。
数日間、しばらく経っても既読が付かない場合は、ブロックされている可能性があります。
なお、相手がブロックしていないときは、送った内容が相手のLINEに表示されます。そのため、ブロックされているか確認するためにLINE電話やトークを送るときは、行き違いによる誤解を防ぐために理由を考えておくとよいでしょう。
LINEの「グループ」とは、複数の友だちと同時にやり取りする機能です。友だちリストに入っている人を選択して「招待」を選ぶと、相手に招待メッセージが届き、相手が参加を選択したらグループリストに名前が表示されます。
しかし、相手がブロックしている場合、招待メッセージが届かなくなるため、グループを作成できても相手の名前が表示されません。
そのため、相手にブロックされているか確認したい場合は、グループを新規作成して、相手を招待してみましょう。
なお、相手にブロックされていない場合は、グループ作成の通知が相手に届くため、グループを作成する理由を考えておくとよいでしょう。
相手がすでにアイテムを持っている可能性もあるため、複数のLINEスタンプや着せかえ、絵文字を贈ってみるのも手段のひとつです。
手順
3.LINEスタンプや絵文字を贈るなら「スタンプ」、着せかえを贈るなら「着せかえ」をタップする
2.プレゼントしたいLINEスタンプや着せかえ、絵文字を選択する
アプリで贈る場合、有料のLINEスタンプや着せかえ、絵文字の購入時にLINEコインが必要です。
スタンプを贈るときに「コインが不足しています」と表示された場合はブロックされていないため、LINEコインが少ない状態で試してみましょう。
上記までの方法で相手にブロックされているか確認できない場合は、「ひとこと(ステータスメッセージ)」やプロフィール画像を定期的に確認してみましょう。
相手にブロックされていても、LINEアカウントのプロフィールを確認できます。
「ひとこと(ステータスメッセージ)」やプロフィール画像が更新されているのに、送ったLINE電話やトークに既読が付かない場合は、ブロックされている可能性が高いです。
努力だの、肉体だの、心だの、そういったものは全て技術のための手段であり、目的は格闘のための技術でしかない。
そして格闘のための技術もまた、人間を破壊する、もしくは破壊されないようにする、ひいては「壊される前に壊す」という目的のための手段である。
試し割りが結果として、「何年もかけて鍛えなくても、コツさえ掴めば素人でも人間を壊せる」ということを証明しているなら、それは空手という技術の価値を証明していることに他ならない。
空手は別に「毎日頑張って鍛錬をして、物凄く頑張っているから凄い」というものではない。
そんな「ラジオ体操スタンプシート100枚埋めたぜ!」のような所に空手の目指すものはない。
空手の目指す究極とは「ついさっきコツを教わったばかりのチビが、大男をいとも簡単にやっつける」にある。
肉体という格差、鍛錬の時間、そういったものを如何に容易にひっくり返せるのかという部分にこそ技術の価値は宿るわけだ。
試し割りというある種の手品が見せているのは、「空手家はこんなに頑張って鍛えているから頑張っているんだぞ」ではないのだ。
試し割りという姑息なトリックの目指すものは、「物を壊すのに必要なテクニックについて俺達は日夜勉強しているんだ」という研究成果の発表なのである。
10枚20枚の瓦を一度に叩き割るのは、師範代が腕立てをしまくってムキムキになったことを自慢しているのではなく、「瓦の数が増えた所で、空手にとってはちょっとした応用問題にすぎないぜ(ただしある程度の鍛錬は要するものとする)」というパフォーマンスなのだ。