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はてなキーワード: 文部省とは

2022-08-06

anond:20220806072158

そもそもこれまでの批判意見って、

「『何度も何度も』文部省担当官が却下してきたが、2015年になって『突然』名称変更がなされた」って話だったけど、

実際は97年に前川申請をやめさせた(これ自体違法臭い)、ただ一回きりだった、ってことだよな?

そんな安倍統一教会懇ろなら、なんで第一安倍政権や第二次安倍政権の2013年2014年名称変更を却下したん?って思ってたけど、

やっぱり(正式な)申請は1回しかなかった、申請があったのに現場却下した実例なんて存在しなかった、ってことだよな

2022-07-25

anond:20220725101322

文部省調査結果から拾っているので「より成果を高く見せたい」数字である可能性は否定できない

1.7パーセント男子に限った話なので、学校教育が軽視されていた女性もっと低かった可能性もある

2022-05-21

anond:20220520232121

サッカーくじ」に反対なのはなぜ?

〈問い〉 大学ゼミで「サッカーくじ」について勉強しています日本共産党は反対の立場にあるそうですが、なぜですか。(東京大学生)

〈答え〉 日本共産党Jリーグギャンブル対象にする「サッカーくじ」の導入が、青少年のすこやかな成長をゆがめるとともに、スポーツ健全文化として発展させていくうえでも重大な問題はらんでいるとして、九四年五月三十日に反対の見解を発表しました。

 それは、Jリーグ十三試合の「勝ち、負け、その他」を予想するサッカーくじは、スポーツにたいする見方について、「勝ち、負け」にこだわり、試合の結果のみに関心を傾ける風潮を助長するからです。

 Jリーグは「スポーツ文化としてのサッカーの振興」や「フェアプレ精神尊重」などを理念に掲げていますが、サッカーくじはその精神に照らしても、まったく相いれないものです。

 同時に、気安く購入できるサッカーくじは、青少年金銭をめぐる新たなトラブルに巻き込み、生活環境の悪化をまねくものです。日本共産党は、政治が介入して環境悪化に手を貸すことは論外であり、中止を呼びかけています

 サッカーくじを推進する政党文部省は「スポーツ予算が増やせないから、『サッカーくじ』の収益スポーツを振興するのはしかたない」と、導入を肯定していますしかし、多くの国民スポーツ団体スポーツ振興のために求めているのは、サッカーくじをむりに導入することではなく、スポーツ振興予算の増額のために積極的に働きかける姿勢です。

 日本共産党は、大型開発中心、スポーツ福祉教育切り捨ての逆立ち政治を切り替え、スポーツ振興策の充実をはかるよう求めています

 サッカーくじは法成立から十カ月がたちました。現在販売業務などを担当する金融機関の選定がおこなわれています。父母や教育関係者らはギャンブル販売所をあちこちにつくらせてはならないと運動をすすめており、コンビニエンスストアでの販売をやめさせる力になっています。(勝)

〔1999・3・27(土)〕 

https://www.jcp.or.jp/faq_box/001/990327_faq.html

サッカーくじ廃止国民の願い

「4年目の実施にあたって」

2004年3月12日

 日本共産党は12日、スポーツ部名で「『サッカーくじ』4年目の実施にあたって」を発表し、サッカーくじに「見過ごすことのできない深刻な事態が進行している」として、「早期の中止、廃止」を強く求めています

 売り上げが激減しているサッカーくじは、昨年のコンビニエンスストア販売に続き、今年から当せん金の最高額を従来の1億円から2億円に引き上げ (賞金繰り越しの場合)、競技販売にも踏み切りました。「実施にあたって」では、政府文部科学省が「射幸心をあおらない」「当面、コンビニエンススト アでは販売しない」としてきた言明を「一方的にほご」にしていると指摘し、「率先して射幸心あおり、…ギャンブルに巻き込んでいる責任はきわめて重大で す」としています

 また、スポーツ団体への助成額が大きく落ち込む一方、文科省スポーツ予算が3年間で163億円削減されていること、日本スポーツ振興センターアンケートでも「購入しない」派が8割を占めていることなどを指摘。「国民から支持されていない『サッカーくじ』の販売をこのまま続行することは、“百害 あって一利なし”」とし、「国民と共同して『サッカーくじ』の弊害とたたかう」としています

日本共産党の発表 (全文)

 「『サッカーくじ』4年目の実施にあたって」の全文は次の通り。

(略)

新たにスタジアム販売――さら青少年ギャンブルに近づける

(略)

激減する収益金とその分配――スポーツ振興をゆがめ新たな障害

(略)

百害あって一利なし――反対世論に耳をかたむけるべき

https://www.jcp.or.jp/web_policy/2004/03/post-272.html

2021-12-07

anond:20211207135511

東京京都併置論などもこの頃提案された。

明治政府は、東京遷都ということを公式には表明していない。宮中公家京都の町衆の強い反対を避けるため、政府公式位置

けをわざとしないまま、なし崩し的に東京遷都実施したと言える。なお、明治維新正史とも言える文部省維新史料編纂事務局編『維

新史 第5巻』(1941年)でも、「遷都」ではなく、単に「都を定める」ことを意味する「奠都」(てんと)が使われている。

2021-12-03

中国みたいに民間の塾を禁止にするか

文部省指導要領を超えた内容を勝手に教えるのを禁止したらどうなるか。

2021-10-15

ワクチン接種の副反応休みたい時は学校休みどうなるの

新型コロナウイルスワクチン接種

当方大人なんだけど、副反応がつらかった。

2日くらいグッタリした。

未成年者にワクチン接種が始まったらしいけど、

つらい時に休むと普通休みの扱いなの?

文部省とかその辺り検索しても見つけられないんだけど、

誰か知りませんか?

もしかして公立学校運営自治体によるの?


全然違うけど

新型コロナウイルス= SERS-CoV-2

新型コロナウイルス感染症= Covid-19

それなら

新型コロナウイルスワクチン

= SERS-CoV-2 vaccine ?

= Covid-19 vaccine ?

英語強い人教えてええぇ

2021-10-11

これのソースって雑誌

5chに連投コピペで貼られてたんだけど、ググっても元の文章が出てこない。

すぎやまこういち×植松伸夫


すぎやまこういち1931年東京都生。作曲家日本バックギャモン協会会長

植松伸夫1959年高知県生。神奈川大学外国語学部英語科を卒業後、TVCM等フリー活躍し、1986年スクウェア入社


(要約)


すきやま:

だんだんドラクエ関連のスケジュールだけで1年終わっちゃうみたいな有様になってきちゃって、

あんまり他のことができなくなってきてるんだよね。困ったもんだよ。

ドラクエやると、やれCDブックだアニメときて、レコードブラスバージョンエレクトーンバージョンピアノバージョンが出て、

そうなると色んな出版社ピアノ譜やエレクトーン譜を出す。そんなことやってるから1年潰れちゃうもんね。


植松

そんな忙しい中で「半熟英雄」やって頂きましたからね(笑)


すきやま:

どうしても大変だと思いながら、「このゲームが好きだなあ」ってことになるとついね


植松

まさか本当にやって頂けるとはね。言ってみるもんだなとつくづく思いましたよ(笑)


すきやま:

でも楽しかったね、あれは。FFVも大変だったね。やっと僕も上がったんですけどね。

植松君は働き者だなとつくづく思いましたよ。何曲あるの、あれ?


植松

60近くはあるかもしれないですね。


すぎやま:

60曲あのゲームの中にあるということは、実際作った曲はその裏にもっとあるでしょう。何曲ぐらい?


植松

1コーラス作ったという感じで言ったら100曲ぐらいいってるかもしれないですね。


すぎやま:

働き者だなあ(笑)


植松

数撃って当てようという方向でいってますから(笑)

曲数が多いというのも一既にいいとは言えないとも思ってるんですよね。

1曲1曲のイメージが薄らいじゃいますからね。


すぎやま:

それはあるよ。IVときのがVより曲数少なかったでしょう?


植松

そんなでもないんですけどね、それでも10曲ぐらいは少ないかな?


すぎやま:

そうでしょ。やってる時はこの曲面白いなと思うんだけど、終わったあと覚えてる数が少ない感じがしたね。

その原因は何だろうと思ったんだけど、多すぎるというのがあるのかもしれないな。

でもやっぱりどんどん意欲が湧いて、ここはこういう曲にしちゃおう、ここはこうしようっていうのが出てきちゃうものだよね。


植松

作ってる方としてはまだ足りないんじゃないかという気もするんですよね。完成したあとに自分でやってみますよね。

そうすると、こことここの音楽変わってないやっていうところがいくつかあるんですよ。

から作った本人は全部曲覚えてるから別に問題ないんですけど、

自分以外の一般の人にとっては多いかなとは思ってるんですけどね。

30曲に抑えようとしたんですよ。IVときちょっと多いと思ったんです。

今回は絞り込んでやろうと思ってたんですけど、欲が出てしまますね。


すぎやま:

僕も曲を絞り込むとき断腸の思いでね。切る作業が大変ですよ。

前にも言ったと思うんだけど、むこうのミュージカルなんかを見ると本当に曲数少ないんだよね。

でも植松さんのやり方でいいなと思うのは、1つの曲をシーンに応じてアレンジを変えて出すケースが多いでしょう。

それでカバーしていくともっと絞り込めるかもしれない。


植松

なんであんなに増えちゃったんだろう(笑)


すきやま:

働き者なんだよ。FFVの曲は植松さんの趣味趣向がはっきり出てるから

それがある意味でいい個性になってていいなというのがありますね。

スコットランド民謡をはじめとして、民族音楽への傾斜というのがあるでしょ。


植松

今回そのアイルランドリールっぽい曲を入れたのって初めてなんですけど、あれを入れます

ユーザー意見なんかのハガキに「アイルランド行ってきて帰ってきたらもうこれだ」というのがあるんですよ(笑)

別にアイルランドから帰ってきて、その影響受けてやってるわけじゃないんですけど。

以前から凄く民族音楽に興味がありまして、入れたかったんですけどファミコンときとかって難しいじゃないですか。


すぎやま:

ちょっとやりにくいよね。


植松

いつかやってやろうと思ってたんですけど、あんまり興味本位民族音楽好きだから

入れるというのも安っぽく見えてイヤかなと思ったんですけどね。

先日、すぎやま先生がうちの職場にいらした時にお話ししたんですけど、今トルコ音楽を習いに行ってまして、

そういう教室へ行くと民族楽器かいっぱい売ってるんですよ。


すぎやま:

なんか君の部屋に不思議楽器が置いてありましたよね。


植松

日本人だったら日本音楽ルーツとして民謡とかがあるはずだと思ってるんですよ。

日本に昔からある音楽自分の血の中にあるはずだって自分では思ってるんですけど、

一度「雅楽(古来の宮廷音楽総称)」の“ひちりき”(雅楽用の竹製管楽器)を習いに行ったことがあるんです。

そうすると自分の中に流れている血というよりも、逆にそれがすごく新しい、

ブライアン・イーノシンセサイザー音楽に近い印象があったんですよね。


すぎやま:

笙(雅楽用の管楽器)のハーモニーなんかは音の響きが非常にシンセサイザー的な新しさがあるよね。


植松

そうなんですよ。だからこれはものすごく面白いけど、自分にとっての血ではない気がしたんですよ。

雅楽朝鮮からのものですけどね、そういうルーツみたいなものを考えていったら、

逆にヨーロッパ民族音楽がすごく自分にピンとくるものがあったんです。

だったらそんな日本人のルーツかいってないで

自分にとってピンとくるものを追っかけていく方が面白いんじゃないだろうかと思って、

最近自分日本人だから日本古来の音楽をどうのこうのという考えはなくなってきてるんですよね。


すぎやま:

僕ら日本人で日本の文化の中で暮らしていると、いつかは三味線音楽や琴の音楽が耳に触れてるわけ。

和風喫茶レストランエアラインなんかでもいつの間にか聞こえてくる。

アメリカで生まれ住んでるとそれは耳に触れないで大人なっちゃうでしょう。

僕らは耳に触れてるから、知らない間にそういう音感は身についてると思うの。


僕が植松さんの音楽でこの人やっぱり日本人だと感じたのは、

町の音楽「ミーファー」ってメロディがいくときに、もう1つの声部が「ミーミー」とそのまま引っ張って、

ミとファが平気でガチャーンと使ってるのがあるでしょう(トゥールの村などの音楽)。

あれって西洋音楽で育った人では絶対やらないことなんですよ。


植松

バッテンなんですよね。


すぎやま:

植松さんはあれにある種の美しさを感じるからやってるわけでしょう。

で、僕も日本人だから聞いて「あ、ここいいな」と思ったんですよ。

「ソーミーファー」というのと「ソーミーミー」というところでミとファがぶつかっているのは、

西洋音楽エフメジャーセブンの中のミとファのぶつかりの意味とは全然違う意味のミとファでしょ。

それは江戸時代三味線や琴の音楽しょっちゅうやってることなんだよな。

ラファミミファミミファファミ」といってるときに、1は「ミミミ」といってミとファがぶつかってるという、

そういうテンションに美しさを感じるという江戸時代音楽家らの伝統みたいな感覚の流れがあるんだよね。

あの部分を聞いて植松伸夫もやっぱり日本人だと思ったんですよ。

で、僕もアレをイヤだと思わずに、あぁこれいいなと感じて、僕も日本人だなと再確認したんです。

意識的にやらずに自然にやったんでしょう?


植松

僕はフラットナインのぶつかり具合とか、

ミとファの半音メロディ伴奏が平気でぶつかることがしばしばあるんですよね。

自分でもああぶつかってるな、クラシック音楽テストなら絶対バツだなと思っても、

その響き欲しいしと思ってそのまま残すこともあるんですよ。


すぎやま:

それが間違いか間違いじゃないかというのは、感覚的にそのぶつかりが許せるかどうかなのよ。

いいと思うかどうかなのね。だから西洋音楽なんかも近代音楽以降はガンガンぷつかるでしょう。

それが前後関係音楽全体の姿からいって、感覚的にこれが美しいと思えるものはマルなのね。

ミとファのぶつかりあいが美しいと思える感受性があってやったものであれば間違いじゃないんだよ。

ただそれが自分一人でいいと思ってるだけで、世の中全員が気持ち悪いと思ったら

これは単なるひとりよがりしかないんだよね。


植松

難しいですよね。音楽学問にした人というのは、かなり強引だと思ってるんですよ。

どうやって音楽の点つけるんだろうって未だに僕思ってるんですよね。

中学校を通して音楽というもの学校教育に取り入れて100点取った人は偉い、

50点取った人はしっかりしなさいという教育を受けてるから

大人になって楽器を手にしなくなっちゃう人が多いんじゃないでしょうかね。


すぎやま:

音楽教育というのがどうあるべきかというものは、これはもっと考えなくてはいけない問題で、

文部省現場教師の考え方に反省点は多々あると思いますよ。


植松

すごい話してますよね(笑)文部省がどうだって


すぎやま:

笛を吹いたことについて点数つけることよりも、笛吹く楽しさをわからせるのが大事だよね。

音楽の楽しさを感じてもらうというのはとても大事なことでね。

からファイナルファンタジーとかドラゴンクエスト音楽というのは大事なんですよ。


植松

最近音楽全然興味ない子供達でもゲームとかで遊んでて、

ドラゴンクエスト音楽が好きになってコンサート行きますよね。

すぎやま先生なんかのコンサートはフルオーケストラでやってらっしゃるでしょう。

それはものすごい影響力だと思うんですよね。

子供オーケストラを生で聞くチャンスが普段あるかというと、少なくとも僕は子供の頃そんな経験はしてないんですよ。

そうすると、ある意味ですごく羨ましいんですよね。小学校2-3年という頃に、N響の音が年に1回、生で聞けるわけでしょう。


すぎやま:

他のオケなんかのコンサート数えると、20-30回やってるよ。全部ドラクエじゃないにしても、1コーナーとかね。

から、あちこちに頼まれて棒振りに行く仕事もやってます。それは大事なことだからね。

ドラクエの棒振りは何はなくとも行くようにしてますけど。


植松

教育の一環ですよね(笑)


すぎやま:

しかし、いつもゲーム音楽作るときに、昔の大作曲家作品聞くじゃない。

とてもかなわないなと思うことが多いね


植松

すぎやまさんがそんなこと言ったらこちらの立場はどうなるんですか(笑)


すぎやま:

昨日久しぶりにバレエ見ようと思って神奈川県民ホールに「くるみ割り人形」見に行ったの。

チャイコフスキーのド天才めって感じだよ(笑)。とんでもない天才だね。


植松

チャイコフスキーは僕もすごく好きですね。音楽は誰が好きなんですかなんてインタビューとかであるじゃないですか。

そのときは一番最初チャイコフスキーを挙げますね。


すぎやま:

とんでもない大天才だよね、あの人は。

あの時代20世紀の音楽家が考えて書くようなヴォイシングやってたりするわけよ。オーケストレーションうまいこと。


植松

この前、西田敏行ロシアに行ってチャイコフスキー足跡を辿るという番組テレビでやってたんですよ。

僕もチャイコフスキー好きだから見てたんですけど、チャイコフスキーホモであるというのを聞いて、

「ああ良かった」と思ったんですよね(笑)


すきやま:

その良かったというのはどういう意味なの?


植松

どこかプラマイゼロじゃないとダメということです(笑)

チャイコフスキー人間だったんだなというね。ま、噂なんですけどね。


すきやま:

モーツァルトなんか完全にいってるよね。大天才でも大欠点があるという。


植松

チャイコフスキーしろモーツァルトしろメロディが非常にわかやすいんですよね。

クラシックって難しいから嫌いという人が多いですけど、そんなことないと思うんですよ。


すきやま:

ベートーベンとかブラームスあたりはみんなそうだよ。いいメロディもってるよ。


植松

やっぱりメロディなんじゃないかという気がするんですよ。


すぎやま:

くそうだと思いますよ。


植松

からドラクエなんかはオーケストラでやっても子供が聞けるんですよ。


すぎやま:

ドラクエにしてもFFにしてもメロディ大事にしてるからそこに強みがあるでしょう。

他にもFFでは民族音楽的なのがありましたな。デデンッデデンッ…てやつ(笑)


植松

民族音楽というか黒魔術の呪術音楽のようなやつですね。


すきやま:

からそのうちトルコも出てくるぞ(笑) FFでは吟遊詩人というジョブがあるじゃない。

吟遊詩人マップの中のトルコアイルランドみたいなところへ行ったりするとそこの音楽を覚えて、

それを戦闘中に唄うと何かが起こるみたいなことがあれば面白いんじゃない。


植松

また曲数増えちゃいます(笑)


すぎやま:

増えるね(笑) でも吟遊詩人というジョブがあるから使えそうな気もするね。


植松

一度何かに絡めてやってやろうと思ってるんですけどね。

どうしても容量がそういう余分なところまで回らないんですよ。


すぎやま:

他を減らさなきゃならないからね。町の音楽全部一緒にしたり。


植松

でも町は2個だけですからね。マップの曲も3つだし。


すぎやま:

ダンジョンも違う?そんな気もしたんだけど。


植松

いや、ダンジョンという曲は1曲しか用意してないんですよね。他で使ってるのを使いまわしてるんです。


すぎやま:

でもなんかすごく多い気がしたな。


植松

実際多いんですよね。飛空艇は1曲ですし、チョコボは2曲だし。


すぎやま:

チョコボはまた面白いね。あの音楽と動きを見事にシンクロさせてて良かった。


植松

あそこらへんはプログラマなんかと楽しんで作ってましたよ。


すぎやま:

ピアノお稽古面白かった。


植松

あれも最後は何の曲にしようかということで、うちの坂口が、

ヘタクソなやつが最後コンサートピアニストぐらいにしてくれと言われたんで、

最初メトロノームにも合わせられないようなところから始めて、最後ドビュッシーまで弾けちゃうんですけど、

あのドビュッシーの曲(月の光)をみんなあんまり知らないんで、ガッカリしちゃったんです。


すぎやま:

グリークとかチャイコフスキーピアノコンチェルトみたいな方がコンサートピアニストみたいな気がするからね。

僕に相談してくれれば良かったのに(笑)


植松

そうですよね。最後のが弱かったのが残念だったな。


すぎやま:

でもああいう遊びの部分も楽しかったよね。


植松

息抜きというやつですね。でも結構一生懸命やっちゃうんで、息抜きできなくなっちゃうんですけど。


すぎやま:

作ってる本人はいいんだよ。遊ぶ方は息抜きできるんだから植松さんはドラクエは上がったの?


植松

実は最後ダンジョンの手前でFFVアレンジCD仕事に入っちゃいまして、まだなんですよ。


すぎやま:

上がってないの!?


植松

申し訳ないっす(笑)

今日までに終わらせるつもりだったんですけど。


すぎやま:

僕は対談頼まれときに、12月中だと聞いてそれまでにFFVを終わらせる自信ないって言ってたんだけど、

元祖プロゲーマーを称してるからには面目にかけても上がろうと、しゃにむにやって上がりましたよ。

途中でやんなっちゃゲームだと上がれないけど、やってて楽しかたから相当寝不足になりましたよ。


植松

今回はアマチュア勝利ですかね。スクウェアメンツって、単独独立して音楽で食っていけるか、

絵で食っていけるか、企画で食っていけるかという連中がまだ1人もいないんですよね。


すぎやま:

植松さんは大丈夫じゃない。


植松

いえいえ。平均年齢がまだFFチームでいうと25ぐらいなんですよね。


すぎやま:

ドラクエチームもそうですよ。皆さん若い。僕1人だけ飛び抜けてるんだ。


植松

結局若い、何かやってやろうという奴らが集まってるんですよね。

そいつらが泥まみれになって一緒くたになって限度知らずの頑張りをするんですよね。

全てのプロの人がそうというわけじゃないんですけど、中にはお金と割り切って仕事をする方もいらっしゃいますよね。

そうするとある程度から先の気力とか頑張りを越すというのは難しいというのがたまにあるじゃないですか。

そういうことが5のチームには無かったんですよ。

とにかく最後最後まで、〆切のマスター任天堂に送る朝まで、どこまでできるかということをみんながやったので、

そこらへんの適当プロの人を集めて作っても、ああい気合いの入った作品は出来なかったんじゃないかなと思うんですよ。

今になってやってみると、あそこをこうした方がいいというのはうのはいっぱいあるんですけど、

終わった時点ではもうこれ以上はできない、とみんなが思ってるんですよね。僕もあのときはそうでしたしね。


すぎやま:

結局世の中を見てると、FFにしてもドラクエにしてもそうだけど、

好きで好きでとことんまで頑張るという人が集まってるところのゲームがヒットしてるんだよね。


植松

その気合いみたいなものが通じるんですかね。

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2021-09-08

学問国境はない」わけないだろ

こないだまた日本研究者中国に高給で引き抜かれたわけだけど、それに対して「金を出さな日本が悪い。科学者人類全体への奉仕を考えるので金を出してくれる環境に行くのは当たり前」みたいな擁護が多くされていた。

まず断っておくと、根本の原因が「日本政府学術研究に金を出さないこと」なのは間違いないし、それは否定出来ない。この点について政府文部省は完全にカス自民党バカ代議士が「50%国の責任」とか言ってたけど100%国の責任だと思う。


でも、その結果として中国に金貰って研究するのなら、「人類への奉仕のため」「科学国境はない」みたいな御託は完全にウソでしょ。

だって中国なんだぜ。

香港民主主義を叩き潰し、ウイグルチベット民族浄化現在進行で続け、冗談みたいなスピード軍拡を続けて世界民主主義勢力対峙しようとしてる国なんだよ。そのパワーの根源にはテクノロジーがあるわけなんだけど。

中国の金で研究するってのはこういう巨大なならず者国家に貢献するって事なんだよな。そこから目を背けるのはおかしいよ。


たとえば1930年代にどこぞの国の科学者が「研究待遇が良いから」という理由ナチス招聘されて毒ガスだの核兵器だのの研究従事してたとしても「科学国境はない」とか言って擁護されたのか?あり得ないでしょ。

現代中国ナチスに例えるのはもう全然大げさじゃないよな。民族浄化を断行し軍拡に走る大国なんだもん。そういう国に言って金を貰って研究するんだから、せめてそれが「自分の関心のある分野での研究ができれば世界がどうなるかとか一切興味ない」という意思表明であることは解ってくれ。

2021-08-24

中学美術時間に「風の谷のナウシカ」を見せられたんだが

あれは何の意味があったのだろう、と未だによくわからないことを思い出した。

文部省推薦とか、美術的に価値があるという扱いだったの?

1985年頃の話。

2021-08-19

anond:20210819103152

国立公立学校なら文部省から通達出せば簡単

だが、民間企業でやると「私権制限ガー!」っていつもの人達が騒ぐんやろがい!バカナノ?

2021-08-06

anond:20210730114325

 ひろい意味でいえば、宣伝とは、ある事実思想を、文書ラジオや講演などを通じて大衆に知らせる方法である。だから、一つの目的をもっておおぜいの人々を感化し、大衆をそれにかなったような行動に導くための報道は、すべて宣伝であるといってよい。しかし、前にも言ったように宣伝は、きわめてしばしば悪用される。そういう悪い意味での宣伝とは、利己的な目的をわざと隠して、つごうのよいことだけをおおぜいの人々に伝え、それによって自分たち目的を実現するための手段なのである

 たとえば、ある種の雑誌新聞がある政党特別関係を持っているとする。それらの雑誌新聞がその党から金を出してもらっているという事実を隠して、この党の主張に有利なような論説や記事を載せるとする。その場合、それらの新聞雑誌はこの党の宣伝の道具になっているのである。そのほか、おかかえの弁士大衆の考えを変えさせるために派遣されることもある。多くの資金を投じて映画や芝居や小説を作らせ、それを見、それを読む国民が、しらずしらずのうちに一つの考えだけをほんとうだと思いこんでしまうこともある。

 日本国民に大きな悲劇をもたらしたあの太平洋戦争でも、政府軍部権力と金とを使って宣伝したために、初めは戦争をしたくないと思っていた人々も、だんだん戦争をしなければならないという気持になり、戦争に協力するのが国民の務だ、と信ずるにいたった。実際には負け続けてばかりいたのに、まことしやかな大本営発表などというものにあざむかれて、勝ちいくさだと思いこんでしまった。戦争が済んで、これほどまでにだまされていたのかとわかっても、あとのまつりであった。宣伝の力の恐ろしさは、日本国民骨身にしみるほどに知ったはずである

 それは、国民めくらにし、権力者が宣伝機関を独占する最も危険なやり方である言論機関に対する統制と検閲こそ、独裁者の用いるいちばん有力な武器なのである

 だから民主国家では、かならず言論出版の自由保障している。それによって国民政府政策批判し、不正に対しては堂々と抗議することができる。その自由があるかぎり、政治上の不満が直接行動となって爆発する危険はない。政府が、危険と思う思想を抑圧すると、その思想はかならず地下にもぐってだんだんと不満や反抗の気持をつのらせ、ついには社会的政治的不安を招くようになる。政府国民世論によって政治をしなければならないのに、その世論政府が思うように動かそうとするようでは民主主義精神は踏みにじられてしまう。

 政治真実に基づいて行われなければならない。しかも、その真実自由な討論によって生み出されるということこそ、民主主義根本原則なのである。甲の主張と乙の立場とを自由に討議させる。甲は宣伝によって国民の心をひきつけ、選挙でも多数の投票を得て、乙に対する勝利を占める。しかし、もしも甲の宣伝真実でなかったならば、その勝利はいつまでも続くだろうか。国民真実発見する能力を持たなければ、真実を言った乙の立場はいつまでも浮かぶ瀬はないであろう。これに反して、国民にその力さえあれば、甲の人気はやがて地に落ちる。そうして、少数だった乙の立場の方が有力になってくる。いや、もしも国民がほんとうに賢明であるならば、初めから甲の宣伝にのせられて判断をあやまることもないであろう。

民主主義文部省より

2021-07-30

anond:20210730071634

競争が推奨され、勝者が讃えられるという社会構造

というよりは、学校現場政治闘争最前線であった時代後遺症というべき(現在進行形かもしれんが)

文部省教育委員会統治と、教職員組合支援党派との抗争は、弱い立場児童・生徒のストレスとなって波及し、最も弱い立場いじめられっこがスケープゴートとして黙認されてきたというのが真実

右派左派も、政治目的の追求のためには子供の人権なんて後回しにされる

悪いことに、日本教育関係者右派左派も、みんな仲良く集団生活という共同幻想を捨てられないんだ

いじめは今後もなくならないよ

2021-02-26

anond:20210225124344

t-tanakaです。気がつくのが遅れました。

別人が答えてくれたのを私の返事として反論されているようなので。私も書いておきます

文部省定義は確かにそうかもしれませんが,いじめ本質集団行動であり,単なる犯罪行為集団理論肯定される状況である,というのは多くの教育学者や社会学者が指摘しています。たとえば,内藤朝雄著「いじめ構造―なぜ人が怪物になるのか」とかがわかりやすい本なので,このへんに興味があるかたはおすすめです。

これが事実であることは,多くのイジメ被害者体験談を聞いていただければわかると思いますいじめられていることそのものよりも,誰も助けてくれなかった,特に先生が助けてくれなかったことに傷ついた,というのを多くの人から聞けると思います

2021-01-18

anond:20210118161557

文部省文句言えよ

やつらが世界各国にマウント取るために進学率あげた結果なんだし

2021-01-15

anond:20210115183829

しろ、いま、試験内容がかわっているからな。

万有引力を2回微分できる以上の物理必要か?というとき

プログラマーでもできないと困るが、

それ以上は必要がない。

他方ハードウェアエンジニアには必要だろう。

まり物理専行 化学専行では、IT系には不足

物理化学50%専行というのがソフトウェアエンジニアには適切 不適切テスト方法高得点を取れるというのは、適正がない

 

君を待っている。僕たちの後輩にならないか

毎年点数を調整するのが下手くそな後輩のために教授謝罪しに文部省に行く伝統も、令和では打ち切ろう。

配点書いてあるから

算数はできてくれ。

 

まいとし、算数ができない後輩を救済するのが大変なんだよ

2021-01-01

anond:20210101104834

文部省科学技術庁を一緒にして文部科学省にしてしまったのが致命的

文部官僚は傘下の教員に引きずられて多分にイデオロギー的でアンチビジネス反日的

ゆとり教育なんかが典型的

省庁再編でポストが少なくなったから、国立大学独法化して天下りポストを作ることしか考えてない

選択と集中文系官僚の筆先三寸で右にも左にもできる

経産省経産省1990年代小沢をバックに大蔵省の首を取りに行って金融庁を分離させ名前財務省に変えさせるところまでは行ったけど返り血も十分に浴びてしまって財務省の協力はもう得られない

安倍政権事実上経産省支配だったみたいだけど科学技術の現状はよくなっていない

いっそのこと日本科学技術防衛省の所管にしてしまったほうがいいくらいだと思う

2020-11-03

人権教育管理教育主権者教育

90年代前半。自社さ政権のもと、日教組文部省和解する直前で、日教組にまだ力があった時代

(今の日教組にはほとんど政治的な力は残っていない。徹底的に弱体化された)

自分の住んでいた地域中学校では、人権教育が盛んだった。

人権教育の内容は、同和差別に関するものほとんど。

毎月のように、活動家の講演を聴いて、映画橋のない川を見たり、ビデオを見たりして。

しかし、人権の尊さを説きながら、実際の公立中学では人権制限されていた。

入学した時は丸刈り校則が残っていたし、校則校則に書いてない指導は、学校外も含めた生活に隅々にまでわたり管理教育のものだった。

教師は生徒の人権を認めていないのに、人権の尊さを説いていた。

から、数年後、小林よしのりの『ゴー宣』が右展開し、「サヨク欺瞞」を主張したとき理屈ではなく実感として理解することができた。

最近主権者教育という言葉が盛んである

しかし、現在主権者教育は、地域という言葉は使っても、学校民主化については問わない。

ブラック校則で生徒を抑圧している教師が、平然と「君たち国民には主権がある」と説く。

生徒には学校生活についての主権がないのに。

から、今の主権者教育を受けた人たちも、素直に国民主権者だとは思わないだろう。

2020-10-17

anond:20201017234323

それわしら増田関係ある?

教師たちや文部省などでの話じゃないの

2020-10-07

天才が見たい 1/2

幼いころの記憶は、2歳ぐらいから残っている。初めて乗った三輪車、初めていった遊園地でのヒーローショー、流行に乗って買ってもらったローラースケートファミリーコンピュータ。皆覚えている。

幼稚園の頃には、既に自分他者とは異なる存在であることを認識していた。

幼稚園でやることは何もかもが退屈だった。何度同じことを教えてもらっても文字を読めない、たとえひらがなであっても自分名前を書けない。そんな同い年の園児達に辟易していたし、先生の言うことも最終的に言いたい・結論の読める、そんな通り一辺倒の話しばかりで、毎朝幼稚園に通うバスに乗る時には苦痛を感じていた。

ある日、そんな苦痛の発生源から「近所の公園落ち葉拾いをして、その落ち葉ちぎり絵を作りましょう!」と言われた。他の園児たちは落ち葉をかなり細かくちぎって、造形でギリギリ判別できるかどうかの「おさかなさん!」「おはな!」「おかあさん!」といったの作品を作って先生に持って行っていたが、俺は「いやいや、落ち葉で作るんだから落ち葉である事を活かせよ」と思い、少し捻くれた形をしたカエデ落ち葉を1枚と、他にも大量の落ち葉を拾って、「人喰いおおかみをやっつけた人が、その証としておおかみの右手バイクに積んで村に戻っているところ」という作品を作った。

作ったちぎり絵先生に見せた時、「これは・・・バイク・・・・・・手?」という反応をされたので、それは人の手では無く、怖くて悪い人喰い狼だと説明した。その際に俺は「これは他の人間にも説明必要だな」と何故かひとり勝手確信し、画用紙に黒のクレヨン物語を描き始めた。最初は延々と文字だけで説明していたが、文字だけだと寂しいので、余白に挿絵もつけた。

「悪くて怖い人喰い狼が現れて困っている村人たちのところに、腕利きの猟師がやって来て・・・」という、何とも陳腐な筋書きではあるが、画用紙を10枚以上使ったと記憶している。

俺のちぎり絵物語幼稚園話題になり、その年のお遊戯発表会の題材にもなった。先生は「やっぱり主役の猟師役は増田君がやるべき」と言ってくれたが、主役はガキ大将のS君に決まった。かけっこなどの身体を使う類いのことはからっきしだったので、俺はそれで良いと思った。

発表会は結構うまくいったようで、いつの間にか俺の「作品」達は、「画用紙に書いた物語と一緒に区役所に飾ろう」という話まで出て来ていた。

その事で幼稚園側と区役所側の担当者が何度か話し合いを持ったようだが、結局絵だけ飾る事になった。


区役所に絵を飾る事になるまでの一連の話を幼稚園から説明された両親は、たいそう喜んでくれた。

両親は平凡だった。見合い結婚し、中庸であることを良しとし、毎日を善良に暮らし、一人息子である俺にもしっかりと愛情を注いでくれる。そんな両親だった。

ただ、そんな両親が、幼稚園側が区役所絵画の話を交えつつ、「増田君は本当に優秀です。才能があります小学校は是非とも私立を考えられては・・・?」と強く推した途端、「いえ、結構です。ウチは公立小学校に行かせます」と、頑として譲らなかった。理由はわからない。金銭的な問題だったのかもしれないし、中庸を良しとする生き方に反していると考えたからかも知れない。

俺は単に「人間関係をリセットして、見知らぬ土地でまたイチからやり直すのは苦痛である」などとぼんやり考えており、小学校地元公立のほうが良いように思えた。

幼稚園の中に友達と呼べるような存在はいなかったと思うし、毎朝の通園バス苦痛ではあったが、それでも何とか周囲の人間為人を把握して対応方法ほぼほぼ確立していた矢先の話だった。小学校とやらに行く事になれば、公立でも私立でも「周囲の人間の数」は増えるのだろうが、私立ゼロから再構築するよりは公立のほうが幾分マシだろうと思っていた俺は、そのように両親に伝えた。


両親と俺の希望が一致していたので、当然小学校地元公立小学校入学することになった。

小学校に入っても、特に自身の変化はなかった。小学校に入ると本格的に「勉強」というカリキュラムがはじまったが、先生が言っている事を聞いて、板書をして、家に帰ってから宿題を済ませた後に復習・予習をしていれば、テストの点数は取れた。

この頃になると、自分状態客観的に捉えた上で、自身についての考察ができるようになっていた。

俺は結論として、「俺は天才である」と考えた。井の中の蛙どころの騒ぎではない。加えて、空の青さも知らないとなればもはや滑稽を通り越して害悪であるが、俺の周囲には俺より優れた学力を持つ者も、俺を諫めようとする者もいなかった。

言い訳がましいが、物差しが少ない小学生の時分である。「学力」という物差ししか持っていなかった俺は増長し、慢心し、周囲を哄笑した。将来は俺のような人間が、東京大学のような「賢い一流の大学」に入って、「でっかい一流の会社」に入社して、いずれは社長になって世の中を動かしていくと、本気で思っていた。

何より、公立小学校毎日がヒマだった。普段から見下している同級生とは、恐ろしいぐらいに会話がかみ合わなかった。俺にコミュニケーションスキルがあれば、「会話をあわせに行く」「自分の会話ができる場を作る」といった芸当も可能だったかも知れないが、ご多分に漏れず俺はコミュ障だったし、そもそも会話を合わせるという発想もなかった。

「名のある企業に入れる」「いずれは社長になる」などと思いこんでいるような人間コミュ障というのは、その時点でもう既に色々と破綻しているような気がしないでもない。

ともあれ、この頃の俺は毎日退屈な授業とかみ合わない会話をする為だけに、日帰りの監獄に通っていた。全国の小学生がこの地獄を味わっているとするなら、文部省は滅ぼさなければならないと本気で思っていた。その為に文部省に入って俺がこの国を変えてやるんだと、鼻息けが荒い小学生だったと思う。


─────「良い会社」に入るには「良い大学」に行かないといけないらしい。

─────日本一大学東京大学というところらしいが、真の天才であるならば京都大学に行くらしい。


そんな情報を入手したのは、忘れもしない、小学4年生の秋頃であるいかにも小学生摂取しそうな、狭い世界のテキトーな話である。だが俺は何故か純真無垢にその与太話を信じた。つまり、「将来は絶対京都大学に入ろう」と思った。

そこから俺は色々と京都大学情報収集しはじめた。「学部」など、小学生の俺の辞書には登録されていない概念に触れる度に興奮しつつ、どうやったら京都大学に入れるのか?という情報を求めて方々に聞いて回った。まず一番初めに、俺にとってもっとも身近な「大人である両親に「どうやったら京大に入れるのか?」と尋ねたところ、「知らん」と言われて会話を打ち切られてしまった。仕方なく学校先生などに尋ねたりしていたが、小学生調査能力などたかが知れており、当時はまだインターネットなども普及していなかったので、俺の京都大学情報収集はかなり早い段階で終止符を打たれることになってしまった。

しかし、京都大学に入れたとしても、大学入学までは今からでも約8年かかる。京都大学に入る方法とは別に、一刻も早くこの日帰り監獄から抜け出す方法はないもの・・・模索していたところ、どうやら「私立中学」というところに通えば俺の退屈な生活におさらばできるようだという情報を得た。

日帰り監獄の看守たる先生も、たいそう熱心に「増田君は灘中学東大寺学園に行かせるべきです。」と言ってくれた。特に小学6年生時の担当看守だったK先生は熱心で、何度も両親と懇談して、俺を私立に行かせようとしてくれた。

だが、ここでも両親は「ウチはあまり裕福ではなくて・・・。本人は成績も良いので、公立中学から北野高校にでも行ってくれたらいいと思っておりまして・・・。」と、俺を私立中学に進学させることは明確に拒否した。

看守は

給付型の奨学金制度などもある」

経済的に難しいと思っておられるなら、公立中学以下、なんなら増田君の学力ならおそらく無料で通える」

増田君には質の高い教育を受ける権利がある」

などと食い下がったが、両親は「もう公立に決めてますので・・・」と固辞した。

この頃になると、小学生の俺でもさすがに両親の言動に疑問を覚えるようになった。両親は「経済的に困窮しているか私立は行けない」の一点張りだったが、看守は「困窮していても通えます」という。イヤさすがにそれはちょっとヘンだろ、矛盾してるだろと思っていたが、当時の俺はそこまで頑なな両親を説き伏せてまで日帰り監獄から抜け出したいとまでの強い意志は持ちえなかったし、天才秀才・英傑達と机を並べて学びたいという願望も希薄だったし、それらの一連の俺の態度が招くであろう結果も、特に深くは考えてはいなかった。


当時の両親の真意が奈辺にあったのか、今となっては分からない。草葉の陰から、声は聞こえない。


そうして地元公立中学校に入学した俺は、特に変わり映えのしない日帰り監獄生活を送っていた。そんな俺だったが、中学生活の半ばに差し掛かろうという頃・・・具体的に言うと全国模試を受けたあたりで、「んん?あれ?・・・どうも俺って天才じゃないな、これは・・・」と薄々感づき始めた。全国模試偏差値が出るからである

そりゃもちろん、俺の偏差値は全国平均より遥か上には位置しているのだが、自分なりに努力をしてみても、偏差値的に灘高校にも東大寺学園高等部にも届かないという事実を突きつけられた。これは結構俺にとってはショックで、小学校の頃は「余裕で入れる」と言われた灘にも東大寺にも入れないという事実は俺に重くのしかかった。「このレベル高校が無理なら、こりゃ京大東大なんて夢のまた夢だろ、どうしよう・・・俺の人生、どうなるんだろう」と、本気で思い悩んだ。

悩みぬいた俺は中学2年の夏、両親に「塾に行きたい」と言ってみた。しかし結果はやはりというか順当というか、頑強に拒まれた。曰く

「成績がいいのに何故」

「塾はお金がかかる」

「家でも勉強はできる」

などなど、様々な言葉で塾に通うことを拒否された。

小学生の頃の俺なら諦めていただろうが、中学生になっていた俺は己の目標を達成する為に食い下がった。模試の結果を伝え、行きたい大学がある事、だが自分の今の成績ではそこに至ることができない事、自宅での自己学習には限界がある事などを説明した。

また、塾が無理なら定性的定量的評価可能代替案の提示をせまった。塾の代金は高校に行ったら必ずバイトして返す、なんなら今から新聞配達をして払うと、土下座までして塾に行かせてくれとせがんだ。

結局、中学3年の春から、塾に行く事を許してくれた。

半年ほど前に未亡人となった母はなんだかやつれて見えたが、当時の俺は塾に行けることが嬉しくて嬉しくてしょうがなくって、あまり母親のことを注意深く見ることはできなかった。今思えば、当時の母は様々な事に疲れ切って倦んでいたのだと思う。塾に行く許可も、根負けというよりかは思考放棄といったように俺には映った。

そんな母を尻目に意気揚々進学塾に入った俺は、成績順のクラス分けで上から2番目のクラスに入れられた。正直、体が震えた。自分よりはるか勉強ができる人間が、天才が、焦がれる存在が、今まさにすぐひとつ上のクラスにいるとリアルに感じられるのである。そして、その人間たちと同じ程度の授業を、自分も受けることができるのである。これがアニメだったら俄然燃えるBGMが聞こえてくるようだった。実際、あの時の俺には、何かが聴こえていたのだろう。俺は一心不乱に机に噛り付いた。机に歯形があるんじゃないのってぐらいには噛り付いていたと思う。

その甲斐あってか、入塾後すぐのクラス替えで、あっさりと一番上のクラスになれた。ここで俺は生まれて初めて、圧倒的な勉学の才能をもった人間、すなわち「天才」と直に出会った。それも一人や二人ではない。そんな輝ける才能がひとつ教室に雨後のタケノコのようにポコポコ存在している、そんな環境で学べるという喜びにも出会った。

毎日がただ楽しかった。自分天才ではないのかも知れないけど、努力すればちゃん数字が、成績がついてきてくれた。

幼少の頃、毎朝幼稚園に行くバスの中で感じていた苦痛や、小学生の頃に感じていた疎外感は、もう無かった。


高校公立北野高校というところに入った。維新橋下弁護士とか、日本マクドナルド創業者藤田田ふじたた、ではなく、ふじた・でん)とか、漫画家岡田あーみんとかが通っていた高校である

本当は東大寺学園に行きたかった。学力模試偏差値は足りていたと思う。赤本自己採点でも余裕で合格圏内だった。だが、中学3年時に入塾した際に母親と交わした「高校絶対公立高校にする事」という約束を守った。その約束をした時点では「受験までにどうやって説得するか・・・」などと考えたりもしていたが、塾での公立中学では考えられない授業スピードについていけたことや、並み居る才能たちと交わした会話の中で、「公立高校からでも京都大学は狙える」という感触を、俺は確かに掴んでいた。

中学の頃はあまりよく理解していなかった奨学金制度は、高校に入ると同時に申請した。家計理由に俺の私立進学を拒んだ母親は、中学時代に俺の奨学金申請していないこともその時に知った。俺はそんな母親を信用せず、奨学金申請手続きを自分自身で済ませた。

北野高校の授業の質は高いと思った。だが俺は油断せず、予備校にも通うことにした。私立中学入学組の連中は、少なくても俺より3年は早く走り出している。そいつらに追い付くには、そいつらと同等、いやそれ以上の勉強必要であると思ったからだ。

俺は詐欺師丸出しの口調で「高校学費が浮いたんだから、もともと払うつもりだった学費予備校に回してほしい。予備校バイトを完全両立させるのは時間的に難しい。学力的に、俺は中学までの借金がある状態プラスに転じるには積み上げるしかない」などと母親に申し入れたところ、すんなりと受け入れられた。

この頃になると、奨学金申請だけでなく、家の中の一通りの事は全て俺がやっていた。

自分でできるようになったから」というのももちろん理由としてはあるが、母親が炊事・選択家事全般を筆頭に、日常生活の様々な事をほぼ全て放棄してしまっている事のほうが、より比重の大きい理由だった。母親予備校行きを認めたのも、「認めた」というよりは「俺が『予備校に行きますよ』と報告した」といった表現のほうが正しいように思う。

俺が小学生中学生の頃には確かに存在していた、「理由なぞはよくわからないがとにかく自己の主張を持って論陣を張る頑強な”母”たる人間」は、もういなかった。朝起きて、TVをつけて、ご飯を食べて、夜眠るだけの人間がそこにはいた。

家計ほぼほぼ俺が全部見ていた。入ってくるカネと出ていくカネを計算して大幅なマイナスにならないと言う事だけを気にしていたので、一般的家計管理よりはラクだった。現に、今つけている家計簿よりは簡単だったように思う。父親の遺した資産が多少あったので、その管理も俺がしていた。

高校生活は楽しかった。学力差のある人間を十把一絡げにして地域ごとに押し込める日帰り監獄では味わえない切磋琢磨がそこにはあった。同程度の学力を持つ者同士が集まった結果としてのシナジーがあった。今までは暗い色で塗りつぶされていた「学校での生活」に色が付き始めた。毎日学校に行く事が楽しかった。対照的に、毎日家に帰るのが億劫になり、やがてそれは苦痛に変わり、それに伴い、家の中が暗い色で塗り潰されていった。

昔、母を名乗っていた人間は炊事もしないので、学校帰りは毎日スーパーに寄り、食材を買い、俺が晩ご飯を作った。予備校のない日は二人で食事をするようにしていたが、食事中に会話のようなものはなく、TVから流れるバラエティー番組の下らないやりとりだけがBGMだった。ご飯の味はしなかった。たぶん、母だった人も、ご飯の味はしていなかったと思う。


しかすると、家から目を逸らそうとして、無理に高校での生活が輝いていたんだ、良かったんだと自分自身に言い聞かせているだけなのかも知れない。我が事ながら、この頃の記憶は妙に混濁している。

大学入試は当然のように京都大学一本にした。学力模試結果も問題無いと判断したし、何より俺には京都大学以外の大学に通う価値を見出せなかった。入学できるまでは何浪でもするつもりだったが、幸いにも現役で合格することができた。

大学合格したこときっかけに、京都に引っ越す事にした。

ひとり身になったから身軽だったし、しばらく大阪から京都大学に通ってみたものの、さすがに京都の外れまで毎日通うのはちょっと辛いなと思った。何より、暗い色で塗り潰された、大阪のあの家に帰るのは嫌だった。もうTVの音は聞こえなくなったけど、あの家で目をつぶって眠るのが、怖かった。

大阪での様々な残務を片付けると、それらの結果や、これからの事、感謝気持ちなどを両親の墓前に報告して、俺は京都に移り住んだ。


後編に続く

anond:20201007170042

2020-09-20

文科省解体して地方分権しろ

文科省軍国主義ゾンビ文部省の生き残り。ghq解体しとくべきだった。ファシズム教育しかなってない。地方分権予算の完全なブロックグラント化、権限委任コミュニティ重視の教育政策を推進し、日本民主化に役立てるべき。

2020-09-16

漢字にまつわるあれこれにイライラする理由に気付いた。

俺に無断で俺を含めたみんなの物事勝手に決めるんじゃない______。

学校でよくある話だが、声のデカい奴らの意見クラスの総意のように扱われることがある。

わかったわかった。お前らが団結したのはわかった。B組の絆もわかった。だけど、それを俺にも押し付けるな。

そんな感覚。あ、ちょっと違うかも。

とにかく、私には嫌いなことがある。

1つは、花言葉を“語られる”こと。

もう1つは、今日は〇〇の日だという“話題を振られる”ことだ。

花言葉は嫌いじゃない。〇〇の日という記念日も嫌いじゃない。

だが、さも当然、私もそれに納得するものだという前提を持ったまま、その話題を振られるのがなによりも嫌いだ。

当然だが、花は誰のものではないと同時に、誰のものでもある。

例えば、日本園芸協会みたいな、とにかく花言葉管理している団体(知らんけど)が、バラ花言葉が“愛”や“美”であると決める。そうか。勝手にやっていてくれ。

だが、誰かが私に対して「バラ花言葉は“愛”なんだよ」と話しかけてくる。

私はそれに同意していないし、私がバラに対して持っている権利、否、すべての人間バラに対して等しく持っている権利を、団体という一部の人間によって侵害された気分になる。

私にそれを押し付けるな。

〇〇の日も同様だ。例えば2月22日ネコの日として盛り上がる。いいじゃないか

だが、私に対して「今日ネコの日なんだよ」と2月22日に話しかけてくる。馬鹿言え。私がネコに対して持っている権利侵害するな。私はそれを認めていない。

「みんなのもの」に対して「一部」が定めたルールを「みんな」に適用することが、非常に苦手なのである

前置きが長かった。本題に入る。

私は塾でアルバイト講師をしていたことがあった。基本的になんでも教えるのだが、特に国語の授業を担当することが多かった。

そうすると生徒に漢字に関するアレコレを言われることがある。

「ねぇ先生、一番読み方が多い漢字って知ってる?」

答えは、“生”もしくは“下”だ。純粋質問なら答えるし、自慢したい風ならば、わざと知らないふりをして生徒に言わせる。

だが、それは限定的な話だ。

これは「常用漢字表」に載っている漢字の話である

そして常用漢字表の“生”の音読みは「ショウ」と「セイ」が、“下”の音読みは「カ」と「ゲ」が載っているだけであり、ほかの漢字と大差ない。

まり、こいつらは「訓読みで読みの数を稼いでいる」のである

例えば“生”は、「苔生(む)す」と読めるが、これは常用漢字表にはないし、“下”は「ひく(し)」など、おおよそ“低”のような感じで読むことがしばしばある。

そして“生”や“下”以外にもそのように色々な読み方(特に訓読み)をできる漢字は無数にあるわけである

訓読みは「漢字日本語での意味」を出発点としているから、どこまでが訓読みでどこからが意読かは判然としない。

したがって、どの字が一番読み方が多いか、などというのは、そもそも成立しない質問なのである

多様な読み方ができるはずの漢字に対して、「文科省が設定した常用漢字」が、唯一絶対真実かのように、私に向かってくる。

これが嫌なのである

また、筆順の話もしておきたい。

筆順なんてもの文部省(当時)が設定したものであり、しかも、文部省ですら、参考であって絶対基準でないと明言している。

そもそも現代の筆順があるのは、単に「そういう順番で書くと伝わってきた」からである

字というよりも図のニュアンスが強い甲骨文や金文などから当時の筆順を判別することは難しく、また、仮に史料から筆順を解析できたとしても、一定基準があったかもわからない。

完全に推測なので根拠はないが、当時の人は特定の筆順を持たずに、その場その場で書き(描き)やすい順番で書いていたのではなかろうか。

日本において文部省(当時)が国語を教える上での筆順を策定する際には、流派によって筆順が違う字も多く論争があったというし、日中で筆順が違う漢字も多い。

また、常用漢字以外には筆順が設定されていないという現実もある。

もちろん、私は筆順が不要という論者ではない。

漢字を書く際の大原則(上から下、左から右、など)を理論でなく体で体得することは非常に重要で、それこそ教育漢字の筆順を習得することでその後の漢字自然な筆順で書くようになることができると思うし、

整った漢字を書く際には筆順は非常に重要な要素となってくる。

しかし、筆順の問題を出題するような学校や塾のテスト特にテレビクイズ番組本末転倒であり、無意味と言わざるを得ない。

多様であるはずの筆順に対して、「文科省が設定した基準」が、唯一絶対真実かのように、私に向かってくる。

これが嫌なのである

他、おまけのような話だが、字形問題もある。

漢字字形は思っているよりもはるかに“揺れる”。

いわゆる異体字というやつで、現代活字文化で目にすることは少なくなってしまったが、手書きではよく見られるものである

当然だが、文字絶対的に必要要件は、“意味を伝えること”である私たち本質的意味を伝えたくて文字を紡いでいるはずである

したがって、字形も当然“同じ字として認識できる範囲で”揺れていいはずである

もちろん、学校漢字の書き取りで異体字を書くのは勘弁してほしい。そこは国の定めた基準に従ってほしい。しかし、それ以外の場面で漢字基準と違ったとしても、とやかく言うのはどうにかしてほしい。

伝わることに意義があり、伝わったから正しい字形を指摘できるのだろう。じゃあいいじゃないか

文科省(ry

当然だが漢字漢字を使う皆のものであり、文科省が完全に管轄できる存在ではない。

しかし、子供たち(否、塾で対面するのが子供というだけで、大人の大部分もそうだろう)はそれを唯一絶対の真理として内面化している。

子供のうちはそれでいいだろう。一度型に嵌めて教えたほうが色々考えやすい(それでも筆順を徒に問うようなテストには反対だが)。

しょーもない漢字雑学本やら、漢字クイズやら、最近だと特にバラエティ系Youtuberクイズ企画/学力テスト企画に顕著だが、大人たちが無意識的にこの基準を唯一絶対の真理かのように誤解しているさまは、見ていて虫唾が走る

11月11日ポッキーの日これはいいポッキーグリコが完全に管轄しているから。

ながらくイライラしてるだけで理由について考えたことなかったけど、花言葉とか〇〇の日と同じなんだなって気づいた、だいたいそういうお話

ーーー追記あれこれーーー

〇その1

当たり前だが私は瞬間湯沸かし器ではないので、他人花言葉/〇〇の日の話題を振られたからと言ってブチ切れるわけがないし、たぶん不愉快な表情一つせず、無難な会話を続けることができる。

日常生活思想は別の問題

〇その2

誤読してほしくないが、常用漢字教育漢字否定をしたいわけではない。それが必要から存在していることはわかっている。ただ、それを“ただ一つの真実”かのようにすること、

まり“それ以外を誤りである”とするような態度に対して非常にイラついているのである。多数の正解を認められないことにうんざりしているのだ。

〇その3

花言葉は例が悪かった。バラが美の象徴であることは(記事矛盾しているが)私は実は了承している。漢字という伝統を受け継ごうという意欲を見せている私がバラ花言葉(というか花のもつイメージ)に反対しているわけがない。

もっとこう、バラがn本の時はこれこれこういう意味で~、とか、〇〇は色によって意味が変わってX色では~、とか、明らかにその品種伝統”がないよな?みたいな花とか、そういうタイプ花言葉を私は了承していないのである

了承していないだけなら問題がないが、そうした“話題を振ってくる”のが苦手なのだ

〇その4

この話題は、誰もが経験したことがある「お前の普通を俺に押し付けるな」という話題に決着する。

子供に顕著だが、自分常識他人にとっても常識だと思ってしまうことがある。子供は平気で友達名前代表される固有名詞説明なしに会話にぶち込んでくる。

これには理由がある。ピアジェの発達理論に従えば2~7歳の子供は自他の認識区別がつかないらしい。

からかくれんぼで目をつむれば他人から自分の姿が見えていないと思うし、自分の知っている友達は当然会話の相手も知っていると思っている。

子供ならかわいらしいが、大人にこれをやられると「自分への配慮蔑ろにされた」気がして腹が立つだろう。

界隈のスラングをさも当然かのように使ってくる奴にイラつくのと同じだ。

それと同じかもしれないし、漢字話題はまたちょっと別の話題かもしれない。

2020-09-01

事実を認めたがらない人は、なぜそうなってしまうの?

たとえば漢字の筆順なんてものはどうでもいい。歴史的に「正しい筆順」なんてもの存在せず、明治以降文部省が便宜的に決めたものに過ぎないことは、調べればすぐに分かる。

ところがどういうわけか、世の中には「漢字の筆順が重要である」と強弁したがる人たちが一定数いる。彼らはあれこれ理由こじつけて、客観的事実否定しようと試みる。

そりゃあまあ、たとえば自分の親戚が変な宗教に入ってるとか、性犯罪者であるとかで、それを隠さないと普通社会生活を送りにくいとかなら、事実を捻じ曲げたがるのも分かる。他にもたとえば、普段疑似科学なんか全く信じない人でも、いざ自分が癌とかになったら代替医療に縋る可能性もあるかも知れない。けど、漢字の筆順なんてほとんどの人類にとっては、それに意味があろうがなかろうが、人生に何の影響もない。

そういうものに頑なに拘る人というのは、一体何を考えているのだろうか。

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