はてなキーワード: 一定の評価とは
(今回ついにやべー増田筆頭が交代。もちろん例のあいつです。→前回の【幕内】・【十両以下】)→【今回の十両以下】)
ひたすらひらがなと全角スペースまみれの愚痴ポエムを垂れまくるメンヘラ系増田。別名の「統失ITおじ」はITネタが多いことからの命名で、「自分のプログラムに勝手に手を入れられ、成果を横取りされた」旨の投稿を延々と続けている。
いつかどこかにガソリンをまいたりしないか、非常に心配な存在。
自称「日本3位(新人戦)のプログラマー」「神に選ばれた男」「コロナで2度クビになった」など数々の自分語りも繰り出すが、真偽はかなり疑わしい。あと自分をジャニーズの一員か何かと勘違いしている。
さらには「ヨシヒコ」「オーシャントリコ」「マットアッシュ」などと、本人以外には全く意味不明なネタ(他にFFネタやFateネタも多いが、怪文書なのは同様)を連発する他、話題と関係のないクソリプを乱発し、そこへ一人で自演ツリーを伸ばしまくる。
昭和時代やイオン、女装子などの例外を除き、森羅万象を罵倒する増田。自身の経歴からか、特に法や裁判所を目の敵にしている。
何度も削除を食らっては毎回戻ってきており、かつての安倍botや低能先生に劣らぬ危険人物。
ここ最近は投稿頻度が若干低下しており、ついにやべー増田筆頭の地位を譲り渡した。
もっとも自分語りの内容によれば、殺害予告による二度の逮捕歴に加え、今なお各所でトラブルを起こしまくっている模様。仮に事実ならリアルでの迷惑度ではこちらの方が数段上回る。
文頭をスペースで空けるため「字下げ増田」と呼ばれる(ごく稀に空けないこともある)。得意技は怪文書じみた判決文と精神鑑定。あと数学にもちょっとうるさい。
無駄に長い語りに過剰な自意識を挟んだクソエモ長文増田。ひとつバズると便乗して同じような長文が次から次へと湧いてくる、まさにゴキブリのような存在。
何の話題でも強引に新自由主義叩きを展開し、毎度おなじみの長文を投下する。さながら青汁のCMのような増田。いい加減しつこいので大関昇進。
こいつも話題に関係なく「でもキモくて金のないおっさんは……」と、KKOに対する差別や無関心を訴えようとする増田。活動は長いが、相変わらず共感されている様子はない。
パンティー
同カテゴリー参照。厨二臭い上に意味不明なSSをひたすら垂れ流すクソ増田。無駄にキャリアが長い割には成長している様子もない。質より量を体現する増田の三峯徹的存在。でも正直なろうかどっかでやってほしい。
左翼・フェミ叩きに対して憎悪を燃やす超ベテラン増田。「711」「R30のところにコピペしないの?」「いつもの地ならし」「○時まで寝ていたんだ」「見つかりそうか」「ということにしたいのですね」「おばさんはいいんだよ」などと、意味不明なクソリプばかり飛ばす。
「R30」というのは大昔のブロガーのことらしいが、ブログは2008年に更新が止まっている。仮にこの人物であった場合、粘着歴の長さはもはや言語に絶する。そしておばさんというのはどこの誰なのか。
また「プライベートで○ブクマwww」「自演ツリー」などと、むやみやたらに自演を疑うのも特徴。
左右問わずこの手の人物にありがちだが、「自分の気に食わない奴は全員同一or特定の人物」という思い込みが非常に激しい。
id:Ereniおよびid:iteau両氏の名前を出すことも度々あり、本人の脳内では毎回特定の相手に粘着しているようだが、実際には明らかに政治や思想と無関係な増田に因縁をつけることも多く、結局のところ噛みつく基準は謎。
「女性は下方婚しない」を筆頭に様々な持ちネタを操る反フェミ系増田。キャリアも長く、反フェミの中ではおそらくこいつが最大勢力と思われる。
「ガイを○○するのはガイ」という定型文トラバを繰り返すクソリプ系増田。多様なバリエーションがあるあたりは昔の「ゴミを貼るな」に似ている。
こちらも「非モテの女は『いないこと』にされている」というのが大好きな青汁増田の一人。同様の主張をしているidがあり、現在もはてブで活動中。
ナニがきっかけでそうなったか知らないが、男叩きや特定個人の誹謗中傷を目的としたTogetterのまとめを作っては、増田やはてブで必死に拡散しようと企む某ツイフェミ。
すでにTwitter/Togetter/はてブのいずれにおいても凍結や垢BAN、404化を経験している札付きの悪質ユーザーで、処分されるたびに別垢を取り直して復帰し、
ビョーキの人特有の執念深さを発揮している。まさにヘイトモンスター。ここまで足取りがわかりやすいのには理由があり、「Twitter」「Togetterのコメント」「ブコメ」「トラバ」
のそれぞれで一字一句全く同じ文章を使い回すという、なんともオマヌケな習性があるため。一時は自分のTwitterの男叩きをそのまま増田に垂れ流し、ツイ垢を特定されていた。
はてブでも前述の通り、複垢利用で404化を食らった前科がある。その後戻ってきて暴れてはまた消されという流れを経て、合計4つのはてブidが空に消えた。現在の動向は今のところ不明。
「KDDIで詐欺事件」という内容の怪文書を何度も投稿している増田。「拡散希望」とのことだが、おそらく今のところバズったことはない。
めぐみんに罵倒されたい増田。他にも低能先生の語尾をパクりつつドM性癖を披露する「低能ドM先生」など、この手の奴が妙に多い。
突然現れては規約違反を厭わずブクマカや増田をグッサリ刺してくる、通り魔のような増田。超長文で口も悪いが、文章のキレに関しては一定の評価を得ており、出てくるたびにブクマを稼いでいる。
うっかり変なブコメをすると長い追記で晒されボコボコにされるため、全く油断ができない。
なお、中の人は某idとの噂。実際、この増田と同様の主張をしているブコメがいくつかある他、近頃は増田への書き込みを公言する、おそらく本人と思われる増田に無言ブクマを残すなど、あまり隠す気もないようである。
3点リーダー2つ(「……」)を多用し自分語りを垂れ流す増田。内容も「初カキコ…ども…」コピペを彷彿とさせる中二っぷりであり、兎の糞のような奴。
こいつも横綱の糖質同様、いじめか何かでメンタルがおかしくなったらしく、かつて「いじめっ子死ね」を連投して消された増田と同一人物の可能性がある。
教師からの性暴力を犯罪に。『地位・関係性』を利用した性被害の刑法改正、なにが論点? | ハフポスト
これを読んでひさしぶりに思い出した。自分の身近な人間が、以前TOSSという教師サークルに入っていたことを。もう10年以上前になるだろうか。
いまでは活動を目にする機会もすっかり減ったとはいえ、TOSSもそこから分派したサークルもいまだに活動しているようで、ネット記事などで目にする機会がある都度、吐き気がする。
TOSS自体には宗教的だとか、保守的だとか、疑似科学を広めているだとか、当時からさまざまな批判があった。
そういった批判があることは承知していたが、新人教師として壁にぶつかっていた彼女の助けになればと思い、多少の毒は見過ごしていた。
だが自分が巻き込まれたのは、それとは少し違った、男女関係のトラブルだった。
おそらくTOSSという団体に限った話でも、教師という職業に限った話でもない、どこにでもあるおっさんが若い女を騙したというだけの話だ。
当時30代後半の中堅どころが、教師なりたての20代前半を手玉にとるのは、さぞかし簡単だったろう。
ましてやTOSSの中で一定の評価をうけ、講師として県外にも呼ばれていたような人間であれば。
TOSSは泊まりがけのイベントで、大学生よろしく朝までアルコール片手に議論をするような土壌が当時あると、しばしば聞いてもいた。
「大半の性暴力は教師という信頼を利用され、警戒心を持たせないばかりか、教師の言うことが正しいとさえ思い込まされるので非常に悪質である。教員という立場が性暴力に利用されている」
「孤立している生徒に、教師が地位を濫用して近寄り、恋愛と思い込ませることは容易にできる」
記事にあったような、地位や関係性を利用する手段は今なら簡単に見抜けるが、当時の自分にはそこまで考えが至らなかった。ましてや、医師とともに特別支援に関する分科会をたちあげるような熱意のある(と聞いていた)人間がそんな下衆だとも。
結果として「職場の人間は不勉強で、自分が勉強できる場はTOSSにしかない」というような刷り込みをおこなっている場において、「サークルで発言力をもった人間に気に入られたい」というような弱い心がつけ込まれてしまう残念な結果になった。唯一の(と思い込んでいる)勉強の場を失いかねないという恐怖が背景にあり、おっさんと彼女の性的な関係はだらだらと続き、洗脳を解くには長い時間がかかった。
だが、それは加害者のおっさんや、黙認していたサークルの周囲の人間には、露ほども理解できていなかった。大人同士のことでなにを大袈裟な、と被害者面さえしていただろう。
なんなら本人でさえ、これが性暴力だったということを認識できたのは、時間がたってからだった。自分が馬鹿だったと認めることよりも、加害者と被害者の関係であるということを認めることの方が苦痛が大きかったのかもしれない。その点でも、信頼を利用する性暴力の悪質さがある。
信頼を利用した性暴力の対象になるのは、子どもだけではない。まだ悩める段階にある若手や、子育てに悩める保護者ですらも、信頼や立場を武器に近寄られると、抗うのはとても難しい。
自分がぼんやりと思っていたそんな気持ち悪さが、記事によって言語化してもらったように感じる。
当時の自分がこの記事くらいロジックに落とし込めていれば、もうすこし踏み込んだ対応ができたかな、という後悔とともに、少しの吐き出し。匿名でしか書けねぇよ。
私は地方公務員の女だ。関東圏のとある都市の市役所で働いている。
私立の大学で文系科目を修め、リーマンショックの時期に冗談抜きで大手民間企業100社に祈られ、ほうほうの体で公務員になった。だから、私は民間企業を知らない。営業職が何をするのかも、経理に経費を精算をしてもらうまでのやりとりも、接待も海外出張もテレワークも何もかも知らない。
「公務員は9時5時でやる気がない」「公務員はノルマがないヌルい仕事」「公務員は民間では全く役に立たない」という世間の評判に翻弄されながらも、サビ残を厭わず、クレーマーにも笑顔で耐え、上司の無茶振りにも嫌な顔をせず、地獄のような霞ヶ関出向からも生還した。
公務員としてはよくやっている方だと自認しているし、一定の評価ももらっている。しかしながら、私の心の中はいつも「私は民間を知らない」というコンプレックスに苛まれていた。私の苦労は民間の社員の苦労に比べたら大したことはなく、私の仕事っぷりは民間では全く歯が立たないと、信じていた。
そんな私だが、最近、民間企業の同年代の女性社員たちが参加するマーケティング系のワークショップに、縁あって参加した。
私のグループは私を含めて4人の参加者がおり、彼女たちが働く企業は、みんな私が志望しては玉砕した大手企業だった。私はただ1人のノルマを知らない公務員というだけでなく、彼女たちが勤める企業に採用されなかった劣等生でもある。私は初めから彼女たちに対して卑屈な気分になっていた。
グループの女性たちは、みな堂々と社名を名乗り、民間の総合職の女性らしい華やかさだった。グラデーションカラーの髪や、テレワーク中で、と照れ笑いするスウェット姿は、私が普段暮らす役所の中ではついぞ見かけない。彼女たちはzoomの画面越しに自己紹介した私の顔を見て、
と聞いてきた。私は微笑み、
「公務員って聞くとそういうイメージあるよね。でも私は企画部門だよ。経営戦略を立てるところ」
とできるだけ丁寧に答えた。彼女たちはよくわかっていない様子だったが、そうなんだ、と明るく答えた。
ワークショップのテーマは地方創生だった。私の本分である。私はみんなの意見を聞き、地方創生の実態や課題について話すのがいいのかな、と自分の中で役割のあたりをつけ、議論に参加した。
1人の、某携帯キャリアのマーケティング職の女性が口火を切った。
「地方は元気がないから、地方に元気を与えるような、そう、例えば都心の子供と地方のお年寄りを繋ぐサービスはどうかな?」
「もしそうなったら素敵だね。そうしたら、そのサービスで、どんな地方の課題が解決できるのかな?どんな価値が生まれる?」
私が尋ねると、マーケティングの彼女は考え込み、代わりに引き受けたのはインフラ系企業の研究職の女性だった。
「地方のお年寄りはやることもなくてきっと寂しいよ。それに、自分の知っている地域の遊びとかを教えれば、子供も楽しんでくれるし嬉しいんじゃない?そうだ、忙しいワーキングママの代わりに子供の面倒を見てあげられればいいよ!ねえ、そういうの、いいんじゃない?」
「確かに高齢化が進む地域は子供が減ってるから、寂しいと感じる人もいるかもね。共働きのお母さんも仕事に家事にで忙しいもんね。じゃあ、そのサービスは、どうやって収益を出すの?」
私が再び尋ねると、今まで微笑んでいるだけだった自動車メーカーの広報担当の女性が、やや苛立った様子で言った。
「そんなの地方がお金を出すんじゃない?だって、『地域が元気になる』んだよ?」
残りの2人も、私を非難する目つきで見、メーカーの彼女に続いた。
「そうだよ、お年寄りが元気になれば、地方も助かるんじゃない?」
「やってみないとわかんないんだし、まずはこれで話を始めようよ。細かいこと言ってたら、始まらないよ」
みんなの表情には、ありありと「だから公務員は頭が固い」「民間のスピード感が分かっていない」と書いてあった。私は弱々しく笑い、
「地方の自治体も、慈善事業じゃないから、何のために地元のお年寄りと都心の子供を交流させるか分からないと、お金は出せないと思うよ」
と答えるのがやっとだった。
その後、私と彼女たちは噛み合うことなく、それでも私たちのグループは地方のお年寄りと都心の子供をマッチングさせ、zoom上で昔ながらの遊びを教えるプラットフォームを製作する企画書をまとめた。ステークホルダーは、地方のお年寄り、子供、子供の面倒を見てほしい親、そして地域活性化を目指す自治体であり、「地域活性化」を目指す自治体が出資するシステムである。「民間のスピード」に、私は口出しをすることができなかった。
私は民間企業を知らない。就職活動をして、100社から断られたからだ。新卒で市役所に入った。出向していた時期もあるが、それも霞ヶ関でだったので、結局はお役人の仕事しか知らない。根っからの公務員だ。なので、民間企業の社員に激しいコンプレックスを持っている。私の知らない、私なんかには絶対に成し遂げられないことをしている人たちが、羨ましくて恐ろしかった。
だけど、地方の年寄りがzoomで見ず知らずの子供の子守りをするサービスの企画書に、いらすとやのイラストを貼り付けながら、私は一体何に怯え、何に憧れていたんだろう、と思った。公務員はぬるくて、民間企業は厳しい。公務員は劣等、民間企業は優秀。でも、そんなの会社によることだろうし、優秀か否かだって社員によって異なるだろうに。
ワークショップは淡々と進み、私たちの班の企画書は、講師から「このサービスに本当にお金を出せるのか、今度どこかの役所に聞いてごらん」という感想をいただいた。まあその通りなんだけど、と私は内心で下唇を突き出した。それでも、彼女たちは一様に満足げであった。私以外は東京の企業に勤めているので、週末リアルで会うそうである。私に対しても、礼儀正しく「東京まで会いに来ないか」と尋ねてきたが、私は真面目な公務員らしく、緊急事態宣言中を理由に断った。
この増田は東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の会長である、森喜朗氏の問題発言についての所感である。
多くの人がこの問題に対して擁護や批判を述べているが、その中で、最も興味深い話は下記の記事にある経団連会長である中西宏明氏の話だ。
https://mainichi.jp/articles/20210208/k00/00m/020/164000c
この発言の興味深い所は「本音の部分での考え」と「本音に対する評価」が混じっている所にある。こういった本音であるという事自体がけしからんと思う人がいる一方で、事実としてこういった本音があることを認識しているのは、現状分析としては正しく、その部分においてのみ一定の評価をしている人もいるだろう。
(尚、私は中西氏の発言についてはこの記事しか読んでいない事はお断りしておく。)
私はこの発言を通じて、性差に関して言えば、本音に対しての評価が正しくとも、決してそれを吐露してはいけないという事を改めて感じた。本音がどうあれ、先ずは本音を隠して、形式的な振る舞いをする事が大事なのである。そして、形式的な振る舞いをするにあたっては、様々な困難もあるわけだが、その困難は絶対に限りなく近い相当程度、受忍されるべきである。
「三つ子の魂百まで」という諺もあるように、私は、人の持っている潜在的な感覚や価値観というのは、一度ある程度構築されてしまったらそれを変えるのは容易ではないと思っている。
先程の本音に対する批判にも様々なものがあるが、その批判が本音の是正を求めるという意味であった場合には、本音では女性軽視の気持ちがある人に心からのジェンダーフリーを求めるのは不可能なので、全く無意味な批判となる。
批判の対象は本音を出してしまった事に対して向けられるべきで、私なりに批判してみると、
といったところだろうか。
私はタイムマシンに乗ったことが無いので想像であるが、もしも明治、大正時代にタイムスリップして当時の人に「100年後には女性に参政権がある」という話をしたら、さぞびっくりされるのではないだろうか。
今では女性に参政権があるというのは当然だと思う人が、ほぼ全てと言って良いレベルで殆どだろうし、もっと言えばあまりにも当然すぎて、当然を当然と思うことすら無いだろう。
我々の行うべき事は現在を変えるというよりも、未来を変えること、それに尽きるのだと思う。先人が努力した様に、我々も努力をし、未来の礎となり、未来の人にとって男女平等を当然とさえ思わせないようにする事である。
そのためにはどうするか。
先程の女性参政権を例に挙げれば、我々がこれを当然と思っているのは生まれてきたときから女性に参政権のある国に生まれ育ち、女性参政権に対して反対する声を聞くことの無い環境にあるからではないだろうか。(世の中色々な人がいるので、女性参政権に反対する人も中にはいるだろうが、少なくとも私は聞いたことが無い。多くの人も同様ではなかろうか。)
少し話が逸れるが、女性参政権を例に出したのは、若干不適切だと思う。実際に権利を手にしたわけであって、純粋に「形」だけでは無いのがその理由だ。ただ、私が伝えたいことがより伝わると考えて、あえて例に持ち出した事をご承知いただきたい。
話を戻す。
この事から考えると、我々が出来ることは「形から入る。そして、その形が自然になるまで根気強く待つ。」これに尽きるのでは無いだろうか。
根気強く待つ期間が世代を超えるかもしれないので、その間に傷つく人も相当数いるであろう。
もちろん、今の犠牲を甘んじて受ける事は無い。むしろ、今大いに抗うことがより良い未来に繋がる。
もう一度言う。
女性蔑視発言をした者が会長職にいるのは、形として相応しく無い。この一言に尽きる。
余人を持って代えがたい等々、様々な擁護と会長を続けるための理由が出ているが、これこそが前述した、形式的な振る舞い、ここでは森氏が会長を退く事にあたっての困難であり、「調整力」「これまでの実績」程度の事ではお話にならない。残った者で何とかならなくても何とかしなければならないのである。
スピード違反をしたドライバーが普段どんな運転をしているのか、どれくらいのドライビングテクニックがあるのか、その様な事は関係なく、ある一定のスピードを超えたら違反は違反である。
所感は以上。
蛇足になるが、別な側面から考えると、森喜朗氏を擁護する面々も、あえて氏を批判する必要は無い事を付記しておく。
失言の是非や氏の思想に対して批判したく無ければしなくても良い。形から入るという考え方に立てば、失言をしてしまったので会長職を退くという形が重要なので、氏のこれまでの実績や、(擁護する人から見た)人柄を否定しなくても良い。
先程、スピード違反の例を出したが、ドライバーがどの様な人間かは関係ないので、そのドライバーに対して「素晴らしいドライビングテクニックだ!」「普段は安全運転をする人だ」などの感想があっても良い。
私は本音の発露は良くないとしているが、感情が湧き出ること自体を否定しているわけではない。
まず始めに。私は空の軌跡からのファンである。そして、私は本作を数十分ほどプレイしてこのシリーズに”ようやく”見切りがついたつもりだった。ライターの紡ぐテキストの非常に強い癖が全く変わっていなかったからである。
「はは」「ふふ」「くく」を、まるで接頭辞の如く頭に付けて応酬される会話には、もはや嫌悪感さえ抱いていることをハッキリと自覚してしまったのだ。ここまでしつこいと、もはや冗句の領域である。
また、「寿ぐ」のように書き言葉と喋り言葉の区別がついておらず、辞書を引いて気に入ったから多用しているでは、と疑うほど拙さを感じる用い方は、逆に語彙が少ないからだろうとしか言いようがない。キャラの個性として利用されているのであればもちろん有効な手法ではあるが、作中ではまるで流行り言葉であるかのような扱いである。この点に関しては創では大幅に減ったとはいえ、やはり健在ではあったのだ。
流行り言葉のように使われていると言えば、「届く」もまた同じだ。これは武人の共通認識なのであろうが、いくら何でも多用しすぎである。ピンポイントで使えば閃の軌跡シリーズ特有の味にも思えるだろうが、現状ではあまりにも軽く、鼻につく言葉になってしまっている。
現状を打破する論理的な道筋を立てる前に、とかく精神論を展開するのもいい加減キツいものがある。精神の未熟な少年少女ならまだしも、リィンやロイドはそれぞれ教官、警官といったいい大人だ。既にそれが許されるような立場でも年齢でもないだろう。こういうのは要所でやるから響くのであって、常にそのような”醜態”を晒すのは見るに堪えないものがある。
このような価値観がまかり通るのは、全ての物事を主人公であるリィンやロイドを中心に考えているからこそだろう。その歪んだ価値観は新・旧7組という言葉に端的に表れている。登場人物は皆、何故か新・旧と呼び分けているが、本来であれば現7組以外は7組という括りで呼ぶ必要はないのだ。もっと言えば、現7組の人間に対し、新7組と括るのは無神経というものであろう。リィンさん。あなたはこの子らの担当教官なのですよ、と言いたくなってしまう。
原因は既に述べたように、世界の中心をリィンだと思っているからである。リィンから見れば彼の生徒は新であり、級友は旧なのだから、確かに彼が世界の中心であれば皆そのような呼び方をするだろう。そして、それが実際に行われているのである。だからこそ登場人物はライターの操り人形にしか見えない。リィンが好き過ぎて彼個人に設定が堆く盛られていくのも、書いていておかしいと思わないのだろうか。
これを強力に補強しているのが好感度システムだ。これはあらゆる関係性を主人公にのみ閉じる呪いである。サブにも何かしら関係性が見えるのは空からの登場人物ばかりなのは本当に酷い。これは何も皇子の結婚やアガットとティータのような恋愛模様だけを指しているわけではない。紆余曲折を経て家族になったレンとカシウスの微妙な距離のように、時と共に関係性が進んでいるのはシステムとライターの作り出した価値観により雁字搦めになっていないキャラに限られているのだ。
リィンの級友、または教え子達の横の繋がりなど、あってないようなものなのは既プレイ者なら分かることであろう。端々に会話が交わされている場面は申し訳程度にはあるが、誰と誰の仲が良いのか、などというのは全く感じられない。リィンを通してしか付き合いがないのではないかと疑うほどである。例外はシステムの軛から抜け出せているユーシスとミリアムぐらいであろうか。
展開のワンパターンさ加減にもうんざりである。ゲーム後半で、敵に援軍を呼ばれる。そこに駆けつける意外な仲間。という展開があるのだが、これをきっちり3ルート分やるなど正気の沙汰ではない。しかもその意外性というのが、全てあえて敵側に潜り込んでいたというものなのだ。そう、3ルート分全てである。ここでは本気で頭痛を覚えたものだ。プレイヤーを馬鹿にしているのかとも思えたのだが、一体どういうつもりでこういう展開にしたのであろうか。素で燃える展開だと思っていたのだろうか。是非聞きたいものである。
さて、ここまで読んだのであればお察しの通り、無事投げ出さずにクリアまで遊べたのだがその理由はCルートの存在に尽きる。決まり切ったテンプレ展開と、森羅万象が主人公に収束する精神論ありきの価値観に支配されておらず、真っ当に面白いものだったからだ。テキストの癖も完璧に抜けている。危うく完全に積んで、今度こそ本当にシリーズにも終止符を打つところだったのだが、せめてCルートまで進めてからコントローラーを置こうと予め決めていたのが幸いした。
あからさまに下敷きに某アニメを使っているし、何処かで見たような要素が目白押しではあるが、上手くミックスして、さらにルーファスのキャラを壊さずに馴染ませてある。いつものライターが書いていればやはりルーファスにしか矢印が向いていない関係性しか作れなかっただろうが、このルートは別のライターが書いているためそのようなことは一切ない。
このルートはウェットすぎないのが心地良い。印象深いのが、人形達の中から本物のラピスを見つけるという場面だ。まるで直感や奇跡のパワーで分かったかのように思わせておきながら、実は発信器を付けていたから分かったのだというのは(本当であっても照れ隠しであっても)ルーファスらしいし説得力もあって非常に好感を持った。ライターのセンスにだ。
惜しむらくは、他の2ルートにリソースを吸われて明らかに尺が足りていないところだ。人形の中から探す場面も、欲を言えば一緒に旅をしたという体験をプレイヤーと共に積み重ねてこそより輝いたはずである。これは最終局面に至るまで響いている。また、スウィンとナーディアにはしっかりとした背景が設定されているのが読み取れるのだが、尺の都合でそれが披露されるのはかなり限定的なものになっている。思わせぶりな台詞だけで半ば放置に近いと言って良いだろう。積み重ねさえあればもっと良いシーンになったはずだという箇所が多く、惜しい気持ちで一杯である。
私は軌跡シリーズで紡がれる政治劇には、多角的な視点を持たずに作品自体がクロスベル独立こそ正義だと一方的に主張すること以外は一定の評価を与えているので、大まかな流れ、つまり起きた事件はこれで良いのだが、実際に描くのはCルートだけであれば間違いなく良作になっていただろうと確信している。
3つのルートが合流すると、あからさまにいつものライター節になってしまっているのも良くない。Cルートの残滓など欠片も残らず吸収されてしまっている。合流後のルーファスなどもはや別人である。本来の彼が再び顔を出すのは本当に最後の最後の局面だけだ。
全体を通した部分で改善したと思えるのはロボット大戦の大幅な抑制だろうか。いや、むしろまだ完全撤廃を諦めていなかったのかとも言えるのだが、極々限定的になったのはありがたかった。システム的にもお話的にも全くもって面白くも何ともない要素で、あまりにも邪魔すぎるのだが、この設定は次回作にも持ち越すつもりなのであろうか。せっかく作ったモデルを(次回作ではエンジンやモデルを一新するので)最後に活用したかっただけだと信じたい。
不満は多々あれど、Cルートに見た光明でまた見限ってしまうことが出来なくなってしまったのは良かったのか悪かったのか……。ただ一つだけ言えるのは、もう予約買いをすることはないだろうな、ということだけである。
(今回は数々のやべー人力増田を尻目に、スパム増田が文句なしの優勝。おかげで新しい増田を拾う気力もかなり低下しています。→前回の【幕内】・【十両以下】)→【今回の十両以下】)
昭和時代やイオン、ぷちくらちゃん(女装子らしい)などの例外を除き、森羅万象を罵倒する増田。自身の経歴からか、特に法や裁判所を目の敵にしている。
何度も削除を食らっては毎回戻ってきており、かつての安倍botや低能先生に劣らぬやべー増田筆頭。
文頭をスペースで空けるため「字下げ増田」と呼ばれるが、ごく稀に空けないこともある。
「子供に虚を突かれて殺された」という、確認されただけでも2015年の増田まで遡るフレーズを用いることから、実はかなりのベテランだった説がある。
得意技は怪文書じみた判決文や精神鑑定。その文体と自分語りの内容から、****で**された****である可能性が極めて高い。前述の通り、なぜか女装子にご執心。
ひたすらIT関連と思しき意味不明な愚痴ポエムを垂れまくるメンヘラ系増田。「自分のプラモデル(=プログラム?)に勝手に手を入れられ、成果を横取りされた」旨の主張を延々と続けている。
THEクソ増田。自己顕示欲とイキりだけはいっちょ前だがユーモアが全く追い付かず、「増田のチンフェのような存在」と称される。「ポリコレ」ではなく「パリコレ」が正しいと勝手に主張し、文中に「ポリコレ」が含まれた増田に「パリコレ」とトラバを繰り返すのが名前の由来。
他にも「エビデンス→エビでやんす」「フェミ→笛民」など意味不明な言い換えを提唱するがどれも根拠はなく、「ゾーニング→ゾーサイス」に至っては「ネトゲでムカついた奴の名前を挙げただけ」というただの私怨。
この他にも猛虎弁・トラバ誘導など、他人のパクリも含めた様々なネタを操る(以下の増田もこいつと同一人物と思しき奴がいる)が、やることなすこと面白くない生粋の荒らし。技のデパートならぬ技のバッタ屋。
文字通りのスパム。ひどい時には最初のページがスパムで全部埋まるほどの勢い。一応後で消されてはいるのだが、こんな状況下で増田を発掘しなければならないブクマカたちの苦労は察するに余りある。
そういうわけでどのやべー増田よりも猛威を振るい、スパムの分際で優勝をかっさらってしまった。
しかしこいつが消えたら消えたでやべー投稿が目立つのが増田であり、ある意味増田の業を浄化する存在なのかもしれない。
主なスパムにpdfスパム・フォーラムスパム・スポーツスパム・robuxスパム・ハリポタスパム・他人の投稿をパクってこっそり文中にリンク追加スパムなどがあるが、そんなんどうでもいいから早くなんとかしてください。
無駄に長い語りに過剰な自意識を挟んだクソエモ長文増田。ひとつバズると便乗して同じような長文が次から次へと湧いてくる、まさにゴキブリのような存在。『同人女の感情』最終回の感想や二次創作への「呪い」など、相変わらず変なクソ長文が多い。
その他の動向としては、鬼滅の刃終了による呪術廻戦へのシフト、また来年放送予定のヘタリア新作アニメを早くもポリコレの観点からブン殴ろうとする動きなどがある。放送開始の際にはさらなるクソ長文を呼び込む可能性が高く、今のうちからうんざりさせられる。
その名の通り句点2つ「。。」を多用する増田。以前増田で大暴れした「句点増田」に酷似しており、本人も同一人物と主張している。
パンティー
「でもキモくて金のないおっさんは……」と、KKOに対する差別や無関心を訴える増田。活動は長いが、相変わらず共感されている様子はない。
同カテゴリー参照。厨二臭い上に意味不明なSSをひたすら垂れ流すクソ増田。無駄にキャリアが長い割には成長している様子もない。質より量を体現する増田の三峯徹的存在。でも正直なろうかどっかでやってほしい。
左翼・フェミ叩きに対して憎悪を燃やす超ベテラン増田。「711」「R30のところにコピペしないの?」「いつもの地ならし」「○時まで寝ていたんだ」「見つかりそうか」「ということにしたいのですね」「おばさんはいいんだよ」などと、意味不明なクソリプばかり飛ばす。
「R30」というのは大昔のブロガーのことらしいが、ブログは2008年に更新が止まっている。仮にこの人物であった場合、粘着歴の長さはもはや言語に絶する。そしておばさんというのはどこの誰なのか。
また「プライベートで○ブクマwww」「自演ツリー」などと、むやみやたらに自演を疑うこともあった。
左右問わずこの手の人物にありがちだが、「自分の気に食わない奴は全員同一or特定の人物」という思い込みが非常に激しい。
id:Ereniおよびid:iteau両氏の名前を出すことも度々あり、本人の脳内では毎回特定の相手に粘着しているようだが、実際には明らかに政治や思想と無関係な増田に因縁をつけることも多く、結局のところ噛みつく基準は謎。
とにかく自衛隊を叩きたいらしい増田。「国民の敵」が口癖。某議員の件がよほど癪に障ったらしく、何度も何度も蒸し返してくるのが特徴。他にははだしのゲンの町内会長をやたらと持ち出してくる。
男女の産み分けを提唱し、「産まれる男を減らすべき」という主張を執拗に続けるフェミ増田。前から見かけてはいたのだが、最近活動がやたらと増えている。
「女性は下方婚しない」を筆頭に様々な持ちネタを操る反フェミ系増田。キャリアも長く、反フェミの中ではおそらくこいつが最大勢力と思われる。
文字通りの💩リプ。特定の増田に限らない増田ミームの一種。数々のバリエーションが生まれては消えており、最近は「どうでもうんち」が主流のようだが、以前に比べると勢いは落ちた。
なお、この増田自身も↓のミソジニー連呼増田など、他のクソリプ増田から粘着を受けている。同様のミームに、死にたい増田を励ます「しゃぶれよ」などもあるが、意図が通じているかは不明。
「日本の医師と専門家は飛び抜けてレベルが低い」という謎の使命感にかられ、医師免許更新制などを唱えている増田。コンプでもあるのだろうか? 一時は新型コロナにちょっとでも関係する増田に無差別トラバを飛ばし、もはやコロナの大先生と化した。
最近では「日本人は教育に社会選別以上の価値がないと思っている」という持論を振り回し、同様に日本の教育界を叩いている増田がいるが、手口が似ており同一人物と思われる。やっぱりコンプでもあるのだろうか。
これらの増田に共通する要素として、「あまり関係のない増田でも隙あらば自分の長文トラバに誘導してくる」癖があり、この増田も同一人物の可能性がある。わかりましたね?
何の前触れもなく「ワイは~」と誰も聞いてない自分語りトラバ爆撃を繰り返すなんJ臭い増田。横綱・パリコレ増田も同じネタを使うことがあり、元々この増田をパクったと称している。よって正確には何人いるのか不明。
こちらも「非モテの女は『いないこと』にされている」というのが大好きな青汁増田の一人。同様の主張をしているidがあり、現在もはてブで活動中。
反フェミ・反リベラル増田の一人。名前の通り以前はTogetterのまとめを引用していたが、現在はその他の記事にリンクを貼ることが多い。
フェミやリベラルを目の敵にするが、現政権や自民党の熱烈な支持者でもない。特に山田太郎議員や赤松健氏などは頻繁に叩いていた。いわゆる表現の自由戦士としては一貫している?
こちらも(自分で作ったと思しき)Togetterのまとめを増田やはてブで拡散しようとするツイフェミ。以前は「全員同じような文体で」「同時に同じ人物ばかり叩く」3つの複垢を使いこなしていたが、TogetterでBANを食らい、全て使用不能になってしまった。
複垢利用・誹謗中傷・個人情報晒しなどのうち、いったいどれがあっちの規約に引っかかったのかは不明。それでもしつこく別垢でまとめを作り続けているが、さすがにコメント欄で暴れるのはやめたらしい。
前述の通りはてブでも活動しており、日々男叩きばかり垂れ流すことに定評のある「某柑橘系フェミid」とほぼ間違いなく同一人物と特定済み。というのも「Togetterに書いたコメントや増田に書いたトラバと一字一句同じ文章を、なぜか自分のブクマにも書いてしまう」という、
なんともおマヌケな習性があるため。現在も自作と思しきまとめに誘導するブコメを量産しており、中の人を隠す気はないらしい。
なお、はてブでも複垢利用で404化を食らった前科があり、確認されただけでも2度の転生を経験している。即日戻ってくる上、文体にもこの手口にも全く変化がなく、すぐ足がつくのだが。
うんちトラバを見かけるや「ミソジニー」云々という定型トラバをせずにはいられない増田。自称フェミ男らしいが詳細不明。うんちを求め増田を彷徨う姿は哀愁を誘う。
というかKKO増田ですら一応微妙にトラバ元の文章に合わせてくるのに、こいつは延々と同じ内容のコピペしかしない。なんとも不気味な奴である。
なお、実際には男性と思しき増田にうんちトラバがついている例も多々あるのだが、やはりそれにも雑な認定を下してくるあたり、おそらくミソジニーの意味を微妙に理解していない。
疑問形の増田を嫌い「ママに聞け」という言及を繰り返すクソリプ系増田。たまにママ以外も登場する。かつて引退宣言の後に姿を消したが復活し、当番付に対し4000字超の謝罪文を要求するという意味不明な行動に出ている。やるわけねえだろ。
めぐみんに罵倒されたい増田。他にも低能先生の語尾をパクりつつドM性癖を披露する「低能ドM先生」など、この手の奴が妙に多い。
突然現れては規約違反を厭わずブクマカや増田をグッサリ刺してくる、通り魔のような増田。超長文で口も悪いが、文章のキレに関しては一定の評価を得ており、出てくるたびにブクマを稼いでいる。
うっかり変なブコメをすると長い追記で晒されボコボコにされるため、全く油断ができない。
なお、中の人は某idとの噂。実際、この増田と同様の主張をしているブコメがいくつかあり、近頃は増田への書き込みを公言するなど、あまり隠す気もないようである。
また同一人物と思しきnoteも発見されている。村外の人間を攻撃対象にした増田はすぐ消されるため、そちらで書くようにした模様。
自称「知恵袋で有名なdorawii」または「Yahoo! 質問士」。その名の通りヤフー知恵袋(他にニコ百の掲示板や読書メーターでも暴れている)のユーザーだが、あちらでは悪い意味で有名らしく、垢を作りまくってはクソ質問を量産していたらしい。
さらに「艦これりあん」なる謎の造語を流行らせようとするなど、かなりのパリコレ気質の持ち主。どうしてやべーやつというのは互いに示し合わせたわけでもないのに、こうも似通ってしまうのだろうか?
こいつも自分を「注目を受けるに値する特別な人間」と思い込んでいるが、やはり異常な自己顕示欲と自己愛に何もかもが追いついていない。
増田でコテハンを自称する(現在はやめたらしいが)、5chで教えて君をやってウザがられてはその顛末を恨みがましく増田に投稿する、自分のブラウザのブックマークを公開する(が、反応がなく愚痴る)など隙あらば目立とうとしているが、
行動がことごとくどこかずれており、文章も怪文書じみている。なお本人曰く「増田」とは呼ばれたくないらしいので、お望み通りつけないでおいた。
3点リーダー2つ(「……」)を連打する句点増田の亜種。内容も「初カキコ…ども…」コピペを彷彿とさせる中二っぷり。兎の糞のような奴。
>だって職場に18禁BL同人誌を描いてるって言った場合の不利益は計り知れない。
不利益は計り知れない、というような、当人の損害の有無程度の話で終わっちゃうものなの、これ?
一時的なものではなく何年も継続してきており、一定数のファンがいる(頒布が継続できる)、つまりその界隈では一定の評価を受けている存在である、
という話に限りなく近くね?というか性別入れ替えただけなんだけど。
その塾にそういう趣味をお持ちの先生やスタッフがいたら、その塾を選ばせますか、という質問立て。
どう答える?
いや、オタクである私/俺は別に気にしないよ、先生は別に犯罪犯していないし、
って割り切れるの?割り切れるものなの?
じゃあ、追加で。息子や娘の同級生の保護者が同じように考えると思う?
相手が女性教諭であっても、描いているBLの中味、キャラがショタではなくover18キャラであっても、私、嫌だよ。
私の息子とか娘とか(いないけど)、通っている学校や塾の先生が、
自分の娘・息子大丈夫?クラスメートのあの可愛い◎◎ちゃん、○○君、目をつけられてない?まさか盗撮(資料用かオカズかはともかく)とかない?
くらいは連想するし、警戒するよ。
男の先生じゃない、女の先生だからそんなことある筈ないよ、大丈夫だよ、
私は無理だ。
子供産んでればもうその子が成人していてもおかしくない年齢だっていう程度の期間はオタクをやっている私でもそう思うよ。
犯罪にならない程度に子供達が何かのネタに使われていないか、くらいは警戒する。
ここで言うネタってのはまあ別に直接的なゴニョゴニョのものではなくて、
創作時のキャラ造形に使われる(名前を借りるとか子供の発想や発言、子供との現実のエピソードを使うとか…モブであっても)ってことも含めて。
アマチュアとはいえ、エロ本に使われるとしたら、嫌だと、私は思ってしまう。
まーBLは守備範囲じゃないから、たとえそういう事実があったとしても一生知ることはないとしても。
でも、嫌なものは嫌。
今回は、
女性教諭だから、児童らにエロ本まがいのことをすることはないだろうけれども、でも趣味が18禁だし、ねぇ、どうしましょうねぇ、うーん……
というところじゃないの。
であれば、このラインの処分はむしろ温情じゃん。ものすごーく。
誰かが悪意を持って垂れ込んだのかどうかも本当には分からない範疇のことだけど、
そういうタレコミする同人者の内面はどうでもいいよね、そこに子供を通わせている保護者にしてみれば。
非オタの親御さんにしてみたらもう「エロ本」作りが趣味って人が教員やっている、ってだけでパニックものじゃないの?
その「エロ本」が商業か同人か、あるいは抜き本じゃなく18禁描写は僅かで関係萌えがメインの……なんてことも、あんまり意味を持たないよ、きっと。
それと元増田こめん、
〆の、
と、バレた当人のダメージは心配していても、その周囲のダメージをまるで想像していない辺りが、なんか同人というか二次創作界隈というかの
視野狭窄を感じるんだ、ごめんね。
こういうところの同人だとか二次創作界隈の感覚ってなんか、「一般」とものすごくずれていると思う。
描き手や同人者たちの身の振り方や世間からの当たりには共感を寄せても、
その描かれたものやそれをたまたま目にしてしまった関係の無い人たちの受ける被害を結構後回しにしてしまったり、あるいは影響力を低く考える辺り。
初めて長文をネットに投稿するので、不備があったら申し訳ありません。また細かい部分は匿名性の保持のため一部改変してる可能性があります。
タイトル通りですが今年の9月に某国立大学を中退しました。現在24歳です。大学には理工学部に5年半在籍していました。1回生、2回生までは普通に進級できたのですが、3回生でつまづき(後述)、そこから休学を挟んで3年半3回生を繰り返して最終的には中退しました。
幼少期から勉強は非常にできる方でした。勉強するという点においては他の子と比べてあまりに要領が良かったのだと思います。勉強時間はそんなに取らずとも吸収力はすさまじいタイプでした。両親の学歴はともに平凡でしたが教育熱心で幼稚園から公文などの学習を始めていました。小学校4年生から学習塾に通い、中学受験もして難関中高一貫私立校に合格、入学しました。
ただ私自身は勉強自体が好きだったというよりはゲーム感覚で解けるのが楽しかっただけでした。そして中学受験までは良い大学に入って良い企業に就職するということが当たり前の幸せ、人生の目標といった感じでなんの疑いもなく勉強していました。しかし入学後にその考え方は複数の理由で消え去りました。この「良い大学に入って良い企業に就職する」という考え方は、後に両親が一種の洗脳に近い考えを私に植え付けていたのだと感じました。もちろん前述のようなレールに乗っかる人生設計は社会的に成功する可能性を高めてはくれるので他の人から見れば贅沢の浪費だと考える人もいるかもしれません。しかし当時の私はそうは思えませんでした。
中学入学以降私の成績は落ちていきます。中高一貫校に入ったおかげで高校入試もなく、生徒の自主性を重んじる校風もあり強制されて勉強させられることもありませんでした。自由な時間が増えたので私は遊ぶことに費やしました。テレビゲームだったり部活仲間とのカラオケ、ボウリングなど、一般的な中学生でした。成績は落ちたと言っても有名私立校で真ん中くらいの成績でした。これは高校3年生まで変わりませんでした。勉強時間も日頃は宿題をやる程度でテスト前だけ範囲分おさらいするくらいでした。
しかし、勉強好きだった(ように周りからは見えていた)私が勉強しなくなった一番の理由は、周りの圧倒的な天才集団を目の当たりにしたからでした。もちろんそれは一部の生徒でしたが、数学オリンピック金メダリストだったり、論文コンテスト最優秀賞だったり、とにかく次元の違う天才がゴロゴロいました。もちろん彼らも類稀なる才能の他に血のにじむような努力はしていたに決まってるのですが、当時の私はその才能に嫉妬し、「とてもじゃないが敵わない」と感じ、トップオブトップを目指すのをやめてしまったのです。そこから勉強するのが苦痛になりました。「どうせあいつらには勝てないのになんで勉強する必要があるんだ」と。
その結果勉強の方はなあなあで高校3年生まで過ごしてしまいました。それでも一定の学力は維持していたので効率よく勉強する才能だけはあったようです。
とにもかくにも高校2年生になった私は自然と大学受験を意識し始めます。将来の夢もそれのために行きたい大学もなかった私はとりあえずどちらかというと得意だった理系を選択します。大学受験しないという生徒は周りに1人もおらず、仕方なく周りに合わせて大学受験する、といった感覚でした。
高2のときは一応東大を目指していましたが本気で勉強しないで行けるほど甘くはなく、高3の夏にはランクを落として某国立大学を目指すことになります。その大学ですら日本ではベスト10に入る有名大学で、企業からも高く評価されている大学です。「この大学にならほとんど勉強せずに入れるぞ」と感じ、それでいて社会的に一定の評価を得られると思ったのです。
実際高3の夏以降の平均勉強時間は、平均1日5時間もなかったと思います。
そんな舐めた私ですが、センター試験、2次試験ともに無事終了し、結果は合格。
世間一般の受験生からすればほとんど勉強せずに有名国立大学に入って「しまい」ました。自分の受験に対する計算がぴったり合っているくらいの小さな努力とそれなりの結果の相関があり、割と満足してました。
大学は自宅から通える範囲ではなく、ひとり暮らしをはじめました。大学生になってからは自由を得たこともあり、誇張なしに全く勉強しませんでした。1回生、2回生まではほとんど単位を落とすことなく進級できましたが、そのあたりで異変に気づきます。「授業についていけない」と感じることが多くなってきたのです。大学の理系科目の高度な授業を勉強せずとも理解ができるほど私は天才ではありませんでした。同級生に過去問などをもらったりして単位を拾ってはいましたが次第に大学の授業に出られなくなりました。最初は自分が怠惰なだけだと思っていたのですが次第に大学に向かうだけで動悸、めまい、嘔吐などの症状が出始めました。これはもしやと思い心療内科に行くと案の定うつ病と診断されました。
これだけ見ると「何だこいつ甘えてるだけじゃないか」と言われそうですが私は自己分析していました。メンタルの弱さと完璧主義です。
もともと完璧主義者のようなきらいがあった私はできない事があるとすぐ嫌になってしまう性質がありました。小学校の頃は図工や家庭科などの副教科が苦手でうまくこなせないと授業中泣いてしまうことも多々ありました。周りの子に主要教科では負けたことがないのにです。また中高時代の天才に出会ってからトップオブトップになれないという挫折を引きずっておりそれが数年たって限界に達したとも考えました。
私は4回生にあがれず留年しました。2度目の3回生を始める4月に休学をして、2年間大学に行きませんでした。その間将来に対する不安が募りました。大学すらまともに行けず、しかも自分の努力不足であるという自己嫌悪に陥り、社会人としてやっていける自信もなくなっていたのです。死にたいと思ったことも何度もありました。
しかし大学から離れたことでうつ病の症状は緩和され、バイトを始められるまでになりました。
そのバイト先で評価され社員にならないかという打診を受けて、大学を中退し今年の10月から社員になりました。大学にこれ以上在籍しても勉強・研究する気は全くないし、自分の将来にプラスになることはないんじゃないかと思い思い切って中退しました。現在は後悔は全くないです。
長くなりましたが一応まとめを書きます。この話から皆さんに伝えたいことは人生は辛いことから逃げていいということです。
私自身いわゆるエリート街道を歩んでいましたが、挫折し、レールからは外れました。少年時代描いていた未来とは大きく異なっています。高卒ということで今後大企業に就職できる可能性は大きく減りました。昔ならそれに耐えきれませんでしたが今は非常にポジティブに生きています。
しかもイレギュラーではありますがコロナ禍の現在、就職できただけでもありがたいと考えていますし、現在の仕事にやりがいも感じています。人生一度きりだし後悔のないように楽しく生きる。これが今の私の人生観です。
(例によって今回も分割しています。両方載りたいとかそういうわけではなく、単純にやべー増田を挙げていくと文字数が足りないだけなのです。→【今回の幕内】)
再投稿ネタを指摘する増田。複数人おり、微妙に仕事ぶりが異なる。ただご存じの通りブクマカはトラバも本文も読まない上、過去の再放送ネタにも平気で釣られて伸ばすダボハゼなので、あまり意味はない。
プロテインの「ザバス」をなぜか「サバス」であるとしつこく主張する、高速道路逆走系増田。一応おすすめのプロテインとして挙げてはいるのだが……。この他にもパリコレや「ADHD」を「AC/DC」に訂正しようとする増田など、増田には同様のしょうもないネタが多すぎる。
(こちらも「GSOMIA」ではなく「GOSMIA」が正しいと主張する逆走増田。増田によれば新聞社も政府高官もみな間違えているらしい。んなわけあるかい。
突然現れては規約違反を厭わずブクマカや増田のダブスタを暴こうとする、やたら血の気の多い増田。超長文で口も悪いが、文章のキレに関しては一定の評価を得ており、出てくるたびにブクマを稼いでいる。
「ヤベーブクマカ」の動向をウォッチし、増田にレポートを投下している増田。↑とはたぶん別人。増田ブクマカ以外もカバーしており勉強になるが、やはりidをモロに出しており、いつ消えるか不安になる。
こちらも文字通り変な増田を挙げている増田。せいぜい数行の説明に留まる当番付に比べると、内容は概ねあちらの方が充実している。特にパリコレ増田のヤバい自分語りを押さえていたのはポイントが高い!
標準語に親を殺されたらしき関西弁派増田。標準語は「ジークジオン弁」みたいなものらしい。他に武士道批判なども行っているが、よく見ると同じ内容を何度も投稿している。
回文になっていない回文から始まる増田。水曜日以外もすいすいようび。超長文だが日に二度以上の連投は行わず、概ね無害で愉快な存在。しかしあの文体とテンションは別の意味でヤバい。
車を負債とみなし叩く増田。出現頻度は低いが、一度出てくるとしつこく連投するのが特徴。これも同じ主張のidおよび同名のツイ垢があるが活動停止中。🍏
「40歳以上はインターネットを使うな」と主張する増田。趣味は盆栽やゲートボールや登山、ボランティアしか許されないらしい。意図が謎だが、本人らしき投稿によると、なんと過去の性被害が原因らしい。えぇ……?
『友達とバンドをやってる』というタイトルの釣り増田。何度も何度もしつこく再放送されている、この手のネタの代表的な存在。
ただ初出は相当前らしく、元の作者がやっているのかそれとも別人なのかは不明。同様の釣りネタとしては、他に「ゲーセン増田」や「ゲームキューブ増田」などがある。
帰り際に「今日はブクマやトラバがつきませんでした」と報告してくる増田。ただしこの増田自体はブクマカからタグつきでウォッチされており、3桁ブクマを集めたこともある。これ以外の投稿については不明。
「そもそも日本は騎馬民族による征服者のトップであった天皇に従う者が~」という定型長文トラバを投下していた、今時珍しくノリが反日極左な増田。いつの間にか失踪し、いつの間にか復活した。
同カテゴリー参照。独特の用語を使いまくっているが要するに猫が嫌いな増田。1年以上の休場からまさかの復帰を果たす。ここから照ノ富士関のような復活劇を見せることになるのだろうか。
注目エントリには だいたい顔を出し すぐに消して逃げるという ピンポンダッシュで遊ぶ キッズじみた 自己顕示欲を 発揮していたが このところ 投稿が 確認されていない。
なお 人力検索はてなに 同様の書き方をする idが存在し 本人の可能性が 指摘されていたが 当該idが 前回の番付に対し 一時的に同じノリのブコメを 書いていたため 自ら答え合わせをする 形となった。
これも「うんち」同様、オリジナルの手を離れ増田ミームと化したワードのひとつ。彼(ら)の涙ぐましい努力にも関わらず、増田に毒親叩きの種が尽きることはない。
かつてはオリジナルの増田が存在し、「今日も女は○○」という、毒親ネタ以外にもTwitterの男女ネタなども拾うセルフパロディ的な何かを投下していたが、こちらは最近あまり見かけない。
再投稿警察に対して毎回粘着していた増田。しかしその執念深さから「お前の方がよほど人を刺しそう」と突っ込まれることも。4月を最後に登場せず。
e-Sportsの話題になるとやってくる、個人攻撃が大好きな御仁。言わばeスポ版低能先生。界隈の有名人「バカボット(Bakabot)」と同一人物説がある。現在は主にヤフコメなどで活動している模様。
うんちトラバへの抗議として「そうだね。うんちだね。💩」とトラバしていた粘着系増田。しかしこのポジションを新参のミソジニー連呼増田に取られてからは精彩を欠き、そのまま姿を消す。
同カテゴリー参照。名前からすると、消えそう・消しそうな増田を狙ってコピペしているのだろうか? ただ消えていない増田の方が多い。今のところ5月の投稿が最後。
同カテゴリー参照。「小説家になろう」の某作者。ここには進捗しか書かないが、その進捗から特定は可能で、タイトルのせいで他の増田にも捕捉されていた。5/11を最後に、連載もこちらの投稿も途絶えている。
「おーん?」という語尾を使い、他人を論破しようとする増田。語尾は「ぱおーん」になることも。これもどちらかというと増田ミームの一種である。
『パンドラ(禁后)』…2009年2月11日〜2010年3月17日
ざっと有名なインターネット怪談の投稿日まとめてみたけど、一番直近で2011年。もう完全に、インターネット怪談は死んでいる。
2chのオカルト板は細々とだが動いているし、オカルト系まとめサイトもまだ運営しているところもある。でも2011年頃以降、有名になるような、有名にならずとも一定の評価を得るような、飛び抜けた名作は誕生していない。有名な話の焼き直しか、面白そうな話でも板が伸びずに終わってしまっていたりする。
そもそもインターネット怪談自体、『千作くらいの駄作の中に十作くらい読めるのがあって、その十作の中の一作が傑作』みたいなものなので、人口が激減すれば質が落ち、そしてまた人口が減って消えていくのは当たり前のことである。全盛期の2000年〜2010年前半くらいまでの間も、廃れていくんだろうなみたいな感じはあった。ホラーテラーが閉鎖したときは、いよいよ終わりだなとも思った。でもまあ、ニコニコ動画のノリや投稿者が一部でもYoutubeに受け継がれたように、下火になっても一年に一作くらいは傑作が出て、Twitterなんかでもバズるんじゃないかな〜、Twitterやもしかしたらはてなとかも新しい怪談の場所になったりするのかな〜などと軽く思っていたのだが、現実はこうだ。南無三。
はてなに恐怖体験が書き込まれたのはほぼ0だし、Twitterでは巨頭オの看板見つけた騒ぎときさらぎ駅行っちゃった騒ぎの二件くらいしか起きていない。どっちも元怪談の焼き直しだし。
自分は駄作の中から面白かったり怖い話を探すことや、インターネット怪談特有の実況感や嘘臭さ、生々しさが大好きな人間なので、是非インターネット怪談には蘇ってほしいのだが、もうインターネットにその場所は残されていないような気もする。
『その場限りの付き合いが作れる匿名性があって、嘘をだと思いつつもノれる雰囲気があって、そこそこの人数が活発に活動している場所』なんてもうどこにもない。
したがって蘇れない。インターネット怪談はもう静かに遺跡になっていくしかない。せめて代わりになるような怪談の形があればいいなあ、と思うけれど、それも難しいのだろうか。SCPは怪談というより怪物を作るサイトだし、Twitterの怖い話を募るタグも、単発で終わるので掛け合いはない。せめて完全に廃れて消えてしまうまで、オカ板を覗き続けようと思うけれど、その日も案外遠くない気がする。
最近、なにかと話題のおけけパワー中島ですが、あの作中に出てくるキャラクターの実力は中堅以降クラスで私みたいな底辺から見ればクラス高カーストの奴らの内輪話じゃん、というような感想にしかなりませんでした。
勿論、主人公の七瀬、そして先日出てきた新キャラの友川においても最初は底辺だったのかもしれないですけど結局(努力もありますが)実力をメキメキと身につけ、ある一定の評価基準まで到達しています。
この真田さんの漫画において提示されているのは、『神に到達するなら自分も神同等の実力を身につける』という手法で、底辺は神へ接近・接触できるということです。同人界隈は特にこの傾向が強いと言ってもいいでしょう。
ですが、現実ではどうでしょうか。ここで、ジェームズ・フレーザーの金枝篇より王殺しを引用してみます。
森の王と呼ばれる祭司がいた。逃亡奴隷だけがこの職につく事ができるが、「森の王」になるには二つの条件を満たさねばならなかった。第一の条件は金枝を持ってくる事であり、第二の条件は現在の「森の王」を殺す事である。
このように、実際に神との原始的な宗教的体験というものを考えると、寧ろ神殺しは底辺な者にこそ与えられていたパワーでしょう。
しかし、同人界隈というのは、いいねやRTといった数的なものが良さに変換するプロテスタンティズム的な考えが主流であり、例のようなカトリック的な神それ自体が神聖だから神聖であるというような考えとは異なります。すると、ここで二つに考えが分裂します。
一つは、神絵師とはいいね・RTが多い人間であるというテーゼです。これはツイッター・pixivにおいても閲覧数が多い方が神(結局上手なのだから見られる)というような考えであり、主流なものです。しかし、(閲覧数が高いから・売れているから)素晴らしいというのは、権威主義ともはや同じです。
そして二つ目に、その絵それ自体が神聖であり作者は尊いのだという考えです。こちらもある程度支持する人はいるかもしれないですが、いいね1の絵を神なんだと言ったところでその当人にとってしか神でないというような話になってしまいます。それでは、神としての効力というのは非常に弱いです。
では底辺絵師持っている力とはなんでしょう。それは数字も神聖さもないということです。このようなペシミズムが、サドの遺言のように誰にも作品を見せずこのまま消えてしまいたいというような感情へと移行することができれば、その時ついぞ神絵師を殺すことができるでしょう。
ここでなぜ神絵師が神聖さを持つのかを理解することができます。すなわち神絵師とは、絵が上手い・閲覧数あるといったことではなく、多くの人間を創作活動へと導いてきた人間であるから神絵師なのです。
ですから底辺絵師は神絵師を殺す時がなければいけません。それは数的なものでなく神絵師の思想を乗り越えるといった形式において考えられるべきでしょう。
友川は毒マロという形式を用いましたが悪手でしょう。本来ならば創作という土俵で、つまりA×Bの作品で表すべきだったはずです。
そして神絵師が神である以上、神は気まぐれであり何をしても許されるからあなたが信じた神だったのです。それをもう許せないのならあなたにとってはもう神は死んだ状態であります。
我々底辺のペシミズムが神絵師を揺さぶる時、初めて神絵師との合一ができるのです。そしてそれを乗り越えて神を超越することができるというのが、底辺の強みです。神絵師になってしまったら神同士の馴れ合いでしかありません。
一般はもちろん、オタク界隈でも大ブームになったとは言い難いはずだよな?
エロゲが一定の評価を受けたのはゼロ年代ネット空間における、評論においてではないか。
ここら辺のルーツはまず、西洋人を真似て芸術を評論してみようとした
浅田彰らの批評空間が、ベースにあるはずでそこの影響を受けて、大塚英志や東浩紀がオタク文化評論をしてる。
一方で別の文脈でオタキングや同人誌における作品評論もあって、
彼らはフロイトの精神分析や民俗学を用いて(解説書・新書レベルだが)、評論を行っているので近親交配のように
指摘しておきたいのは、上述の流れは偏差値65以上の人たちと50~65の人たちが合流しているのであって
50未満のオタクたちは、かなりのボリュームが存在しているであろうに取り残されている。
(こういった背景が、なおざりにされているので、質アニメvs美少女動物園という対立軸や
最近のオタクはルーツを探らない論に通じてしまっているのがあると思う)
で、重要なのは芸術の評論というのは、実は人文エリートの中でもトップクラスの作業領域で
実家が太くて、曾祖父の代やそれ以上から文化資本潤沢な、文化貴族のやるもんなんだよ。
西洋で言えば、フロイトやT.S.エリオット、W.H. オーデンみたいな人たちね。
こういう人らは学術用語ぶん回して評論するとかしなくて、すごいハイコンテクストで
「青、いいよね」をさらに嫌らしく発展させたような、言語ゲームをばりばり行う人たちなので
上述の浅田彰等々でもくらいつくのは、すごく難しい領域なんだな。
でも、一応は日本人としてもそれを真似してみたいという欲求はあるわけだ。
ここで登場するのが、大塚英志や東浩紀が薫陶を受けたポストモダン。
この哲学思想において、これまでメジャーとされた文学や価値観より
マイナーとされた文学、価値観も光るものがあるぞ!って流れが強く打ち出された。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200424/k10012403771000.html
都に限らず大阪などを見ても、このような知事の毅然とした対応には一定の評価が上がっているが、しかし、私はこのパチンコ叩きは一都市の首長として相応しくない恥ずべき行為だと考える。
今の一部首長のやっているパチンコ叩きはハッキリ言って、目立つところを叩くことでイラだつ市民のガス抜きをし、コロナ対策してますアピールをする以上の意味はない、非常に非論理的な行為だ。
昨日や一昨日、街に出てみて実際に見てきたが、延長前の自粛期間である5月6日を過ぎて多くの娯楽施設が営業再開をしていた。
その中にはパチンコに負けず劣らずの感染リスクを持つ店も当然存在する。
少し前までならともかく、このような情勢下においてパチンコ店のみを名指しで叩くのはあまりに平等性を欠いている。
コロナ感染の原因になると晒し上げたければ晒し上げれば良いと思う。
ただ、もしパチンコを晒し上げるなら、同程度の混雑具合、不要不急具合の施設は全て晒し上げるくらいのことはやるべきだと思う。
明確な論理的基準を設けて、それに反するものは全て処罰するくらいでなければ、民主主義法治国家の行政に求められる公平平等性に著しく反しているだろう。
そのような当然のことさえせずに、少し悪目立ちをしていて、叩いても市民から反感を受けずらいからという理由だけでパチンコ店のみを批難するのは、行政の人間として余りにお粗末だ。
ちなみに、何百人も行列ができるようなパチンコ店は一部の人気店? 周囲に営業している店が他にないところ? だけであって、全てがあのような状態になっているわけではないということは言っておきたい。
(私はパチンコはやるが、原作知ってるアニメの台が出たら遊びに行くくらいで、ガチギャンブラーではないので、どういう店が人気になっているのかよく分からない。すまん。このあたり詳しい人がいたら教えてほしい)
私は都内に住んでいて、家のそばに二軒ほど営業再開していたパチンコ店があったので中を覗いてみたが、まあ平時と変わらないくらいの込み具合だった。
コロナ禍において好ましくない状態であることは否定できないが、他の業種と比べて特別槍玉にあげられなくてはならないような酷い状態ではなかったのは間違いない。
テレビで取り上げられているような人でごった返している店は休業した方が良いのではと私も思うが、全てのパチンコ店が極めて高い感染リスクを持っているというのは大きな勘違いであるということだけは認識しておくべきだ。
賃貸物件検索サイトを見ていて、よさそうだと思った物件の詳細を覗くと「女性専用物件」と書いてあることがかなりある。
男性全員が賃貸の部屋を滅茶苦茶に使うわけではないだろう。そもそも退去時に原状復帰費用を請求すればよいだけの話だ。
女性でも足の踏み場がないほど部屋にゴミを溜め込む人だっているはずだ。
不動産会社は大家の意向で「女性専用物件」を設定しているという。
言い訳は何とでもできる。
今の時代にこれほど大っぴらに男性差別がまかり通っているのはどうかしている。
(この点、LIFULL HOME'Sのアプリは「女性専用物件」を検索結果から排除できるチェックボックスがあり、一定の評価ができると思う)
社会人になって何年か経つが、母校の教授が記事に出ていて驚いた。
理系大学院生を就活疲れから救う 大学推薦制度を改良、1カ月半で就活完了 | 日経 xTECH(クロステック)
自分は途中から自由就活に切り替えて就職した身だが、本件に関して思うところが多くあるので書いた。
あくまで当時の話だが、制度の一番の問題点を偉そうに記事で語っていたので、あまり変わっていないのだと思う。
「良いところに就職できそうだから工学部」という高校生に向けて内情が伝わればいいと思っている。
以下長文。まとめだけ読んでも良い。
問題点に入る前に、東北大学工学部機械系の就活の特徴から話そうと思う。
学部3年生を過ぎると、落とすと即留年の実験や厳しい進級要件に追われ、研究室配属後は、平日休日の区別なく働かされる学生が結構な割合で存在する。
また、元記事の教授を始めとして、多くの教員はバイトやインターンや就活を快く思っていない。
講義やゼミを説明会や面接のために休ませて欲しいと言う申し出を認めない人も多い。
そのため、地理的な不利と相まって就活時期の動きが相当制限されるのが事実である。
ただ、そのような鍛えられた工学系大学院生の需要は高く、加えて地方ながら旧帝大の名前は一定の評価があるらしい。
実際、真面目に就活をしなくても無内定にならない程度には求人が来る。
推薦については、景気にあまり関係なく学生200人に対して毎年2倍以上の枠が安定して存在する。
動物のお医者さんという北大を舞台にした漫画に「人買い」のエピソードがあるが、学部内合同説明会はまさにあのような様相となる。
メーカー系だとCore30はもちろん、日本を代表する超大企業が揃っており、企業を選ばなければ就活には全く困らない。
例を上げると、
など、枚挙に暇がない。
ただ、業界に著しく偏りがあったり、大手子会社や中小企業も多数含まれているのも事実である。
この少子化と売り手市場において、そんな推薦に対して多少の物足りなさを覚える就活ガチ勢もいる。
大学推薦というと、研究室の学生を教授が知った企業にコネでねじ込む、といったイメージが強いと思うが、これは一昔前の話であり今は中々聞かない。
元記事にもある通り、大学推薦と言う制度自体を機械系全体で管理しており、各教授の推薦状の発行を制限しているため、基本的に抜け駆けは許されていない。
3,5で分かる通り、自由就活に比べてES選考やグループディスカッションの足切りはないが、人気の大手企業を狙う場合、ある程度頑張って学内選考および企業選考を勝ち残る必要がある。
ここまで書くと、大変さはあるかもしれないが世間一般から見ると恵まれているという意見が多数だろう。俺もそう思う。
問題点は背景で書いた以下の規定および、記事の以下の規定である。
https://tech.nikkeibp.co.jp/atcl/nxt/column/18/00138/013000472/?P=2
このような仕組みにおいて何が起こるのか?
企業「今年は採用目標を増やすので推薦枠を15人設けてくれませんか」
就職担当「一部の企業に学生が集中しすぎると他の企業が不公平になるからダメ。5人で。」
就職担当「推薦された学生が不利になる可能性があるからダメ。うちの学生を自由で取った事がわかったら来年から推薦枠なくすから。」
ト○タ、ホン○等の人気企業の推薦枠を競って学生数十人が争う。
枠からあぶれた人々は自由応募をすることを禁止されているため、泣く泣く諦める。
推薦を取り直そうと2次募集を見ても、人気企業の枠は1次募集で埋まっているため、行きたい会社が残っているとは限らない。
自由応募で別業界を狙うか、子会社や領域の違う会社で妥協することとなる。
完成車や重工等の花形業界を狙う学生は、小さい頃から車や飛行機に夢を持ち、必死で勉強してきた人揃いである。
そんな人達が、
大学に隠してでも人材を確保するぞという気概で、黙って自由応募を受け付けてくれる企業も存在する(した)。
しかし、昔からの長い付き合いがある人気企業は、大学の報復を恐れて受け付けてくれないことが多いのが現状である。
なお当時、就活担当職員(※1)に対して自由応募を認めてくれるよう必死に訴えかけたところ、非常に面倒くさそうに当時の就職担当教授につないでくれた。
ただ、件の教授は就活に時間をかけず研究に没頭することの重要性や、別の会社でもやりたいことはできるなどの一般論を説くばかりで、あまり話が通じなかったので諦めてしまった。
結局、自分は外資や推薦が来ていない業界に切り替えて自由就活を行い、最終的に複数内定を得ることとなった。
一言で言うと「学生の就職先平準化のため、大学が推薦枠を絞り学生の自由応募を禁止する」のが問題である。
これらが曖昧になり、抜け駆けや裏切りを許してしまうと、大学推薦制度に対する学生や企業の信頼がなくなり、制度が崩壊してしまうからだ
元記事のこの意見や、背景にも一定の同意はするが、学生と企業の希望を無視して推薦枠を意図的に絞っていることを言わないのはフェアでないと思う。
そもそも面接が何度もあり、落ちることがある時点で推薦制度の意義は崩壊しているのである。
進学先を就職と言う軸で考えている学生の一つの判断材料となれば幸いである。