はてなキーワード: 学術用語とは
基礎教養だと思うけどね
1984は有名ですが基礎教養ではないですね。一応私も名前やキーワードは一部知っていましたが通して読んだことは無いですし?
あなたが特殊な界隈にいるオタクなだけです。自分の知識は相手の知識ではないのです。自他境界を適切に引いてもろて。
自他境界 - https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%8B%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%A2%83%E7%95%8C%E7%B7%9A
喩えと置き換えってあなたの頭ン中(だけ)では明瞭にわかれているのかもしれませんが、
独自ルールで評価されて「まあそこまでの頭ってことよ。」とか言われても・・・
私も世間の人間もあなたではないので、まず自他境界を引いていただいて・・・
自他境界 - https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%8B%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%A2%83%E7%95%8C%E7%B7%9A
あなたの独自ルールで「そこまでの」がどこまでなのか全くわからないし尺度も指標も無いので、そんな評価を押し付けられても困るだけですね・・・
しかも、おそらくあなたの準拠してそうな「定量評価可能な値に落とし込めるか」という考え方を採用したとしても
「正の性的選好性」と「負の性的選好性」みたいな(脳内物質の分泌量や、属性と婚姻率などで定量比較可能な)学術用語とは別に
それらは"俗に" 「(正の)性欲」と「負の性欲」と呼ばれる、あるいは「俗に性欲と呼ばれるものに近い」とか、そういう考え方って理解できませんかね?
「俗にいう」っていう捉え方がどうもできてなさそうですね
・・・で、話戻すと、
ニュースピークじゃんw
どうやったらこの書き込みが出力されるんですかね?唐突な「喩えと置き換え」という切り口から思考の一端は開陳していただいたものの、ニュースピークとの類似性については語られていないようなのですが・・・
一回寝て早朝出勤前にさわやかな森通ってリスも見て最高って一瞬なっても昼過ぎてもまだ怒り収まらなかったので名前は伏せるけど
登場人物の口から二言目に生活保護バッシングとか発達障害に関するネットスラングとかが出てきてもまったく驚かないドラマだと思った
弱いものが夕暮れさらに弱いものを叩くって言葉や状況がぴったり
ネットでよくみるスカッと系漫画の広告あるじゃん?あれの具現化と言うか安易な実写化というか令和の金品も人品も卑しく貧しいインターネット時代を象徴するようなドラマ
巨悪の陰謀でも公権力の腐敗でも知性の狡猾でもやむにやまれぬ状況や人間同士の関係の縺れで起こってしまう闇・あわい・曖昧なもの・悲喜こもごもその他…でもなく自分よりちょっと頭が弱くて愚かな人間を袋叩きにしてスッキリするドラマ
まあ上に書いたような犯人像こそ古いしやりつくされたよと言われればそれもそうだしあえてそれらを徹底的に排除してるのか?とも思うけどそれにしてもあまりにも「気持ちよく誰かを論破したい!」という欲に応えた健常者向けスカッっとドラマ
いかにも特性もちでその特性によってそう振舞ってしまった結果起こってしまった事件について故意犯でもない人間を設定しておいて「愚か者!」って集団で説教してみせるシーンヤバすぎた
心理分析のプロという設定の人が取って付けたような学術用語を犯人につきつけて解説してみせてだからあなたの感情はまやかしで無駄なものなのよ?キリッって本当に言い放つところはいやネット民かってなった
いやいやいやそれ以前に分析できるところあるだろそいつにはよ、一言も言及なしなのすごすぎるよネット民か
1話もだったけど犯人側にはそういった属性はあっても人格がなくてただただ愚かさを背負わされてるだけ
しかもその断罪をやっぱりいかにも特性もちに行わせてるの(お前と同じでもがんばっている人間もいるんだから甘えるな!とばかりに描くが一方ではその不器用社会不適合ぶりも同時に描きまくってそれでも唐突に熱烈にイケメンに惚れられる主人公/この唐突さになにか過去の因縁とか含みがあるのかも?とか期待する方がおかしいのだろうかあってくれよ)さらにヤバくてまともな健常者は結局高みの見物って感じが本当に気持ち悪いわ
いかにも現在のインターネット社会を象徴してるよこれで爽快です!って言ってる奴正気かな?ヤフコメ民かさもなくばはてブ民かな
こっちも苦しいことあるけど頑張って生きてんだよ!っていうたくさんの人が、インターネットで確実に叩ける自分より下で自分より愚かな人間を叩けるだけ叩いた後あーすっきりしたって言ってなんの罪悪感もなく楽しくメシ食ってるみたいなドラマ(実際そのように描かれている)そういう人間は気持ちよくみられるだろうなっていうドラマ
そういう辛辣で痛烈なスカッとをやらせる側の主要登場人物に理不尽な家族に振り回される設定やシングルマザーの苦労を付与してひとりの人間・小市民感出して末端とはいえ公権力側の強さや嫌味さをそいではいても旭川の件でまさにその末端のあれこれが露呈した後でのこの描写はもはや皮肉でしかない地元最高!の方が10000倍リアルに感じてしまうバグが起きる
そういう人間を皮肉ってあれをやってるならまだいいけどそうじゃないなら邪悪と露悪の地獄のミックスジュース
被害者側もちょっと…みたいなちょっとざらっとしてひっかかりのある描写もあったり犯人のおぼつかなさ周囲の見えなさ等々についてあれだけはっきり描いておいて、これで以降なにがしっぺ返しやどんでん返しがおこって実はこれはインターネットで正義のツラして実際には謗りの限りを気楽に尽くすあなた方の姿なんだよ…と主人公側の方が痛い目や苦い目を見る顛末をやらないとはさすがにとても思えないけど本当に広告スカッとマンガドラマをやりたいだけなのかもしれない
そうだったらびっくりしちゃうね
以降見続けるのは苦痛だからもうやめるけど結末まで本当にこれでつっぱしったらすごいわ
犯人側が起こったことを飲み込めなくて混乱して慟哭するとも単に愚かでザマアwされてひたすら悔しがるともとれるシーンをあれだけねっとり描いてるとやっぱりそうなのかな…と思ってちょっと絶望するような気分
本当にこのドラマ見た人胸糞悪くなってないのか?
似たような意見の人は3人くらいは見たけどタグ検索まではしたくないな、嫌すぎて
「自分と違う人・属性・愚かでまともでない普通がわからないクソども」の描き方距離の取り方が無理すぎた
まともでまじめな人間の生活は常にバカで愚かで無駄なクソどもに脅かされているんだ、連帯して排除しようみたいな気分を強めるよねああいうのって 自分はあいつとは違うって
タイトルのように表現しておいてその実とてもせまい「まとも」側からの視点で描かれていてこの矛盾わざとなの?素なの?ってかんじ
そこまで深く考えてないように見えるカジュアルでライトな仕上がりがほんまに怖い
いやほんま素なの?わざとなの?
本当にところどころ被害者の描き方や主人公側の物事の受け取り方等の描写がざらつくとこがあるので上記の感覚全部どこかでひっくり返してくれるようなポイント今後出してくるのかもしれんけどもうワシは知らん
…って感じのドラマ!!
文化資本と言うのをやめたほうがいいよ
「社会資本」といったほうが近い
文化資本とは、社会学における学術用語(概念)の一つであり、金銭によるもの以外の、学歴や文化的素養といった個人的資産を指す。
社会資本とは、人間文化から生まれるプラスの成果を指す。プラスの成果には、有形・無形があり、好意、有益な情報、革新的なアイデア、将来の機会などが含まれる。社会資本は、個人によって保有されるものではなく、個人間のネットワーク(社会)に潜在的に現れるものである。
いや、おれも知らん。
文化資本(英語: cultural capital、フランス語: le capital culturel)とは、社会学における学術用語(概念)の一つであり、金銭によるもの以外の、学歴や文化的素養といった個人的資産を指す。フランスの社会学者ピエール・ブルデューによって提唱されて以来、現在に至るまで幅広い支持を受けている。社会階層間の流動性を高める上では、単なる経済支援よりも重視しなければならない場合もある。
wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B3%87%E6%9C%AC)
フランスの社会学者ピエール・ブルデュー,P.(Pierre Bourdieu, P.)とジャン=クロード・パスロン,J-C.(Jean-Claude Passeron, J-C.)が考案した概念で,人間の知識技能を資本として捉えたゲーリー・ベッカー,G.S.(Gary S. Becker, G.S.)の人的資本概念を文化領域に拡張し,貨幣や財の経済的側面のみならず,教育や文化の面において財が相続・生産・蓄積・投資される過程を説明する。文化資本は言葉遣いや立居振る舞いなどの身体化された様態,書物・絵画などの文化財所有による客体化された様態,学歴・資格によって制度化された様態からなり,それらを教育や就職など,経済的には「市場」となりうる「場=界(champ)」に投資することで,再生産戦略を可能にする物質的・象徴的な利益を引き出す。それは幼少期の家庭から相続継承され,学校教育を通じて中立的な能力証明へと変換され,社会的な地位や権力の再生産に結びつく。この概念によって,一見利害関係なく実践される文化慣習行動を,貨幣経済より広範な「象徴交換の経済」に取り込んで分析することが目指される。
コトバンク(https://kotobank.jp/word/%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B3%87%E6%9C%AC-377212)
小難しいがようするに、
という前提があって、
・金だけでなく、文化的素養や学歴、スキルなどの見えない資産も子に受け継いでいるんだ!
ということなんだな。
で、その受け継ぐ過程で使われる個人的資産(=投資のもとになるもの=資本)を文化資本というらしい。
てことは、美術館それ自体は文化資本ではないやんけ!(個人資産じゃないから)
おいおい、「文化資本」という言葉もまた、はてなーたちの反知性主義によって意味が捻じ曲げられているじゃないか。
「なんか語感がかっこいいから、意味はよくわからんけど使ってみました」じゃねーんだよ。
美術館そのものではなく、「親が美術館によく行く習慣がある」とか、そういう「家のなか」の話なんだよ、文化資本てのは。
しかも資産や社会的地位の再生産に結びついていることが前提なのであって
庶民が「お、、おれはモネの展覧会とかよく行くし?」とか「いやー、声優の舞台挨拶が家から近くていいっすわ!」とかホクホクしてるのは文化資本じゃないんだよ。単なるエンタメ消費だそれは。アホか。
「親父が社長やってたんで、起業は自分にとって自然な選択肢でしたね」ってやつだよ。
あれこそ文化資本だよな。
・・・と、こうやって知らない言葉の意味の確認すら行わない、知的誠実さ皆無のお前らが親からたいした文化資本を受け継いでいないのは明白。
地方民は「美術館いってまーす☆文化資本文化資本☆」とかなんとか自慢してるスノッブどもを見下していいぞ。
・適当に調べたり考えたりしてみる感じ、居住地域に美術館だとかいい学校があるだとかは社会資本の話な気がするわ
・文化資本て、「親の語彙の豊富さ」とか「親同士の会話の知的水準の高さ」とか「親が教育資格を保有していて、知的水準の高いフィードバックが日常的に得られる」とか、「社会的地位の高いオトナとの会話機会の豊富さ」とか、そういうものなんじゃねーかな
・「文化資本の定義を都市や地域に援用」とか言ってるやつ、文化資本て社会階層の再生産を説明するロジックで生まれた言葉らしいから、「都民=殿上人、地方民=下層民!」的な東京の選民思想を前提に生きてるってことになると思うんだが、大丈夫そ?
・つーか、東京のなかでも当然ながら格差や階層があるわけで、そのなかでざっくり「もとの定義は家の話だけどぉ、都市に援用すればぁ」っつってるやつは、東京の内側で生まれている格差にはどう説明をつけるんだ?東京にいるだけで文化資本の恩恵を享受できるなら、東京の内側の社会格差はその他の地域と比べて小さくないといけないはずだろう。まずはそれを示してくれ
・いい学校とか文化施設へのアクセスを高めるために東京に住む、はたしかに「その判断能力があったり意思決定をする家庭である」という意味で文化資本があるといえそう。ただ、その意思決定の内実が本当にそうなのか?というのは問いたいところではあるな。なんとなく東京で就職したとか、職場が東京だからそのまま住んでますとか、そっちが主要因なやつも多いんじゃないの?
・いくつかブコメ読んで、格差を批判する文脈でなら都市間に援用してもいい気がしてきたが・・・仮に「都市の文化資本」という概念が成り立つ場合、以下が疑問。詳しい人おしえて
1.文化資本の枠組みだけで考えると、いい学校、いい美術館などは「客体化された形態の文化資本」に分類されるはずだが、そもそもこれらは社会資本ではないか?どう整理するのか?「ハビトゥスを形成しやすい環境が東京の文化資本」と言ってるやつもいるが、わざわざ"援用"せずとも「東京は社会資本が充実してますなー」で済むんじゃないか?
2.もとの定義に照らすかぎり、文化資本=経済的な格差・階層の再生産に結びつくものなので、「他地域よりも東京を経済的・社会的に特権的地位たらしめている、東京に特異的な文化慣習行動」が「東京の文化資本」ということになる。それってなに?そんなんある?
3.ここまで考えて、いわゆる「ユダヤの商法(ほんとにあるのかしらんが)」はユダヤ人の文化資本といえそう、つまり都市という地理的な要素よりは特定の価値観を共有する集団内においてなら、文化資本という概念は家を超えて援用できそうと思ったんだけど、どうなん?
「フランスの社会学者ピエール・ブルデューによって提唱された社会学における学術用語の一つであり、金銭によるもの以外の、学歴や文化的素養といった個人的資産」
とのこと
東京には個々人が様々な文化資本=教養や体験を積める場所が多くある。以下例を挙げると
A. 一流大学で行われる授業や研究、一流の文化人が講師を務める講座、芸能人が集まるテレビスタジオ、クラブ、
日本のリーディングカンパニーの経営者が集まる会合、大型書店の専門書・洋書コーナー、
B. 野球・サッカー・コンサート等が頻繁に開かれる球場、美術館・博物館、かつては若者文化の発信地だった渋谷原宿、オタクが集まる秋葉原、金と欲望と暴力の歌舞伎町・六本木
デートも観光も釣りも野宿もできるお台場、マルチ商法の詐欺師がカモを連れ込む新宿の喫茶店、外国人と話ができるカフェやバー、瀟洒な議員会館の威容
また、一流大学や一流タレントだけでなく、準一流大学やアイドルの卵など、場は階層も深い
資格や教養が無いと参加できない場もある(主に上記Aで挙げた場所)し、誰でも参加できる庶民の場所もたくさんある(上記Bで例に挙げた場所)
"24/1/28 「生成AIの『学習』は学術用語だ」ということをそろそろちゃんと説明した方がいい"
https://saize-lw.hatenablog.com/entry/2024/01/28/210053
いまだにこのレベルの内容がバズってるのを見ると少し辟易させられるが
考えてみると、ちゃんと技術を理解してる人間すらこのレベルのことしか書けないのは
対話の場がなくお互いの言葉尻をとらえてる状況が悪いと思うので少し整理して書こうと思う。
・著作権をめぐる法理が日々変化しつつあることが理解されていない
という二重の難しさにある。
単に概念的に難しいというだけではなく、日本においては法制度の実装レベルですでに混乱が生じている。
とくに生成AIと著作権を語るにあたっては「フェアユースという発想に賛同するか否か」という観点が必要不可欠なのだが
一足飛びに機械学習だけ著作権法30条の4によってフェアユース的発想が導入されているという
非常に奇妙な状況になっている。
フェアユースとは何か、というのは非常に難しい。
「一定程度の公正さがあれば具体的な類型を列挙しなくても著作権を制限できるという考え」
とでも要約できるが、これだけでは意味不明だろう。
英国にフェアディーリングというものがあるが、こっちの「公正さ」はわかりやすい。
「非営利かつ研究や教育目的、批評、報道などの場合は著作権は制限される」ということ。
たとえばこれがなければ公営の学校や図書館は莫大な支払いに追われ成立しえない以上
「公正さ」のために著作権を制限してよいという発想はわかりやすく
近代以降の文明国でこれを否定するような法理はまず存在しえないだろう。
フェアディーリングそのものではないが、EUの情報社会指令第5条なども同じように
「公正さは基本的に非営利や少なくとも公益目的、かつ具体的にあらかじめ列挙される」という発想である。
「営利でも、今までに判例がなくても、抽象的な議論で公正さを主張できれば新しく著作権を制限できるケースを創れる」
ただし、元の著作権者の利益を「不当に」害さない範囲で。何が不当か?それはよくわからんので最高裁まで争いましょう。
一見すると無茶にも思えるが、現代人の多くはこの法理の恩恵を受け、著作権を制限することで利益を得る側だ。
フェアディーリングの発想だけでは、検索エンジンのサジェスト機能すら著作権的にアウトということになる。
それを「フェア」にしたのは、米国著作権法に組み込まれたフェアユースの発想なのだ。
サジェスト機能だけでなく、情報技術を用いた新サービスが興るたびに多くの裁判が発生している。
ただし問題点は、それがフェアユースだと認められたとしても、EUの法理で「いや、この機能は著作権的にアウトだ、金払え」ということも現時点ですら可能であるということだ。というか実際にそういう判決はそれなりの頻度で発生している。
だってフェアユースはあくまで米国を含む一部の国でしか確立していないのだから。
しかし、現実問題として、それなりに有用なwebサービスを立ち上げようと思えば、まずフェアユース的発想に頼らざるを得ないだろう。
そこでいわれている「引用」は基本的に紙媒体で実名の人物が著作で相互引用する低速で静的な状況を想定しており
インターネットでアルゴリズムやボットを含む様々なエージェントが高速で動的に情報をやり取りする状況は考慮外だ。
もちろん、法の運用上はそれらに解釈を加え、少しずつ判例を積み重ね、法的に許される状態を少しずつ拡張していくわけだが
その結果が「サジェストは権利侵害です」となるのと、「フェアユースなので許可」となるのとでは、新サービス市場の発展速度が圧倒的に違う。
これらは基本的に著作権侵害であるが、訴訟を起こす利益などが小さすぎるため放置されているに過ぎない。
しかし例えば、訴訟が大幅に簡素化・自動化され、二次創作やミームが不可能となる社会を人々は望むだろうか?
究極的には、「どちらを選びたいか」という話になってくる。
もちろん、自分でどちらかを選びたいからと言って、それが自分の国の法理として実装できるかというと、大抵はそれは別問題だ。
フェアユースの発想を頑として認めない米国民がいたとして、如何なロビー活動の天才でも、死ぬまでに合衆国法典第17編第107条を改正するにこぎつけるのはまず不可能だろう。
逆に欧州の新進気鋭の政治家がEUの現状を憂い情報社会指令第5条を全面撤廃・改正してフェアユース的発想を導入できるだろうか?
全政治生命を賭したとしても、やはり死ぬまでにやり遂げるのは無理だろう。
すでに著作権法30条の4が存在しているというのがそれを端的に示している。
しかもそれほど政治的な紛争もなくぬるっと成立した、としか言いようがない成立過程である。
これは「元の著作物に表現された思想又は感情の享受」以外なら、営利目的でも無許可で機械学習を行っていいとするものだ。
ただしここにはやはり「フェアさ」は必要で、その条件は「元の著作権者の利益を不当に害さない」という抽象的なものだ。
現時点では確固たる判例はないので、大型の訴訟が起きてから決まることになるのだろう。
前述したとおり、日本の著作権法にはもともとフェアユースの発想はない。
それにもかかわらずいきなりこれがぬるっと成立するというのは、ある意味特殊な日本の政治状況、法体系の面白さというほかない。
ぬるっと成立した以上、ぬるっと撤廃されることだってありうるのだ。
ともかく、日本においてはいろいろロビー活動の余地、法改正の可能性、政治闘争で結果が変わる余地が多分に残されている。
だが以下は整理しておくべきだろう。
・フェアユース的発想を認めたとして、生成AIの利用はどのような具体的なケースでどうフェア・アンフェアなのか?
これは非常に難しい問いだと思う。私が答えるなら
(1)
フェアユースは認める。そもそもインターネット時代にそれ以前の著作権法を解釈と判例でそのまま運用する発想は無茶。
二次著作物の利用や検索エンジンなどのwebサービスを「基本はアウトだが、訴訟コストが支払えないから事実上セーフ」という現状はいびつすぎるのはもちろんのこと、訴訟コストが簡素化されてそれらが制限される状況が公正とも思えない。
(2)
生成AIにおいて元著作物と生成物の市場での利用形態が完全に競合する場合はフェアユースを認めたとしても「不公正」といえる。そもそもフェアユースはあくまで「新しい市場の開拓」という米国的な大義名分があって初めて成立する。
イラストを売っている販売元と同じようなプラットフォームで再販売するような場合は市場拡大していないし不公正だろう。
逆にそうではないケース、元データの市場と新データの市場がバッティングしない場合にはフェアユース的発想で公正とされると思う。
というあたりになるだろうか。
まず、三大ポイントという要件から考えると、最初に挙げられた「ラグランジュ=ポイント」は不適当です。
人名でもなくダブルハイフンを用いるほど複雑な名詞構造でもないので=を置く意味がわからない非常にユニークな表記がされていることを好意的に無視して、「ラグランジュ・ポイント」のことだとしてもNGです。
ラグランジュ・ポイントは、日本語では一般的にラグランジュ点と呼びます。
「ラグランジュ・ポイント」表記が一般的でない証拠として、固有名詞による単語のオーバーライドが挙げられます。
Google検索結果の2件目には、ラグランジュポイントというゲームのタイトルがヒットし、
3件目には、LAGRANGE POINTという法人名がヒットします。
中にはApple Inc.のようにそのモノを表すために最もよく使われる表記を社名として乗っ取ってしまうトンデモ企業もありますが、
一般的にはその言語圏で最も良く使われる表記とは少しズラした表記がブランドネームとして採用される傾向があります。
これが固有名詞による単語のオーバーライドです。これにより逆説的に「ラグランジュ・ポイント」表記が一般的ではないと分かります。
ただし、その単語が意味する一般的用法(この場合は学術用語)ではなく、ゲームやアニメ内の用語として類似観念を指して「ラグランジュ・ポイント」表記が使われ、その作品が人気を博した場合など、Google検索結果では「ポイント」表記の方が多く見られるケースも起こり得ます。限定的用法の成り代わりです。
増田の書いたものが「・ポイント」表記であれば、そちらの作品内用語として三大に挙げるレベルに認知されていると好意的に解釈することも可能でしたが、残念ながら増田の表記は「=ポイント」ですので、限定的用法の成り代わりを指すとは考えられません。また「=」表記による限定的用法が使われていた形跡も見当たりません。
仮に「"ラグランジュ・ポイント"」のことだとしても、Googleヒット数はわずか約 237,000 件です。
結果として、この1つ目の項目を挙げる設問として差し上げられる評価点は30点中の10点です。
「ヴァニシング=ポイント」の方に関しても同じような評価となり、10点です。
3つ目は挙げていないので0点です。
三大~と提起しておきながら2つしか挙げない手法は、テンプレのように認識している人もいますが守る必要はありません。
3つキッチリ挙げたとしても、2つだけ挙げたとしても、レス乞食のアンケート増田としての吸引力に大差はありません。
なぜなら、この手のクリックベイト力のすべてはタイトルに凝集されているからです。
本文によって読み手がよりツッコミをしやすい土壌を整える必要があります。
なので、4つ以上挙げるとなると冗長と感じられることが多くなるため慎重に判断すべきですが、3つ程度までであれば、読み手へより方向性を伝え、発想を促すメリットの方が大きくなります。
よって3つ目にも取り組む価値があり、30点分の配点がありましたが、あなたはふいにしました。
最後の10点分は、記事全体としての芸術力です。創意工夫の余地にあたる部分です。
簡潔であることも一種の美徳ですが、それはタイトルおよび本文が秀逸であった場合にのみ価値をもつ美徳です。
よってここも0点です。
模範として、より三大ポイントとして妥当な可能性のある列挙をするための考え方を一つ示します。
いきなり最強のものをぶつけるのです。
そこで、ポイントの前につく字数として2~4文字が多かろうと適当にあたりをつけて、
○○ポイント、○○○ポイント、○○○○ポイントを検索するのです。
URLで言うと、http://fuseji.net/○○ポイント
それぞれ多い順に一覧が出ますが、各最上位は、ワンポイント、スリーポイント、チェックポイントとなります。
面白みがなくて誰も反応しないかもしれませんが、最強なのであなたは優勝です。
仮に反応がついたとしても、すでに勝っているので読む必要もありません。
DQNアスペが「学問用語?学術用語じゃないの?」とアスペらしき揚げ足取りをしてきたので、用例を列挙しておく。
あたシコ欲という学術用語がある
「母性本能」ですって…? いいえ、これは違います/子育てしたら白目になりました
https://ddnavi.com/serial/867718/a/2/
ホントこれ。
同意できる。
内容としては
・自然界に存在しないオムツの替え方がDNAに組み込まれているとは思えない
・母親が子どもの泣き声が分かるのは経験を積んだから。(覚えたから)
ということで、「母性本能」は今のところ存在しないと考えられる。
ここからは私が言いたいことだが父親と母親の育児能力や親としての資質は殆ど同じ。
ここからは話がそれていくが。
男女の脳の違いに言及されることがあるが、男女の脳の性差(男性脳や女性脳)は疑似科学に過ぎない。
ほかに育児ホルモンのオキシトシンを図る研究などもあったそうだが、女性の優位性は見つからなかったそうだ。
https://with.glico.com/coparenting/trouble/report.html?number=44655
ジェンダー平等への反発なのか母性は実在するとか、母性と父性は違うのように説くコメントを見かける。
ここでいう「ラテン語」というのは古代ローマで使われていたものではなく「中世ラテン語」なんだよ。
中世ラテン語(ちゅうせいラテンご、英: medieval latin)は、中世にカトリック教会で文語として用いられたラテン語である。
現代におけるラテン語と同様、あくまでも第2言語として使用されたものである。
各使用者は必ず別の言語を母語としてもっており、そうした諸言語の特徴が、音韻・文法両面で、中世ラテン語に大きく影響している。
現代でも学術用語として似非ラテン語を使ったりするけどそれに近い。
つまり中世ラテン語としての「sectio caesarea」というのは一種の造語なんだよね。
そして、だからこそ由来がはっきりしてないわけ。
「リアス式海岸」が「リアス海岸」と表記されるようになったのはなぜですか。
「リアス(rias)」とは、スペイン語で入り江を意味する「リア(ria)」の複数形です。スペイン北西部のガリシア地方には入り江が多く見られ、「リアスバハス海岸」とよばれています。この「リアス」を由来として、山地や丘陵の谷に海水が浸入してできた入り江が顕著に連なってみられる海岸地形のことを、「rias coast」(英語)というようになりました。この和訳として「リアス式海岸」という表記が昭和30年代以降使用され、定着してきました。しかし、「リアス」そのものが入り江の地形を表す語であるので、あえて「式」を入れる必要はなく、地理学・地形学の学術用語としては「リアス海岸」という表記がより適切であるとされるようになりました。
地図帳・教科書でも、長らく「リアス式海岸」と表記していましたが、こうした近年の学界等の動向をふまえ、平成20年度用のものから「リアス海岸」に表記を変更しました。