はてなキーワード: 学習塾とは
近所の子供たちから、気持ち悪いと言われたり、草や泥で作ったものをご飯だと言って口の中に押し込まれたりしたこともある。
お金を持ってきたら一緒に遊んでやると言われて、親に理由を言ってお金が欲しいと言ったら、親が相手の子供に抗議してくれたが、親も気持ち悪いとか、チンパンジーの親子だとか言われて馬鹿にされた。
小学校に入った時から、自分は有名人で、「近づくと〇〇菌がうつる」と言われて、友達もできなかった。友達がいないので、一人で遊ぶしかないのだが、一人で遊んでいるとますます気持ち悪がられた。
近所のスーパーの駄菓子コーナーでお菓子を物色していると、同級生が親子で買い物に来たことがあった。その同級生が「あ、〇〇菌がいる」というと、その親に「汚いから〇〇が触ったお菓子とっちゃだめよ」と言われたこともある。
学校では、上履きを隠されたり、机の中のものを全部出されてトイレに捨てられたりしたこともあった。体操服の入った袋をとられて、校庭でサッカーボールのように蹴られて遊ばれたこともある。こともある、というかよくあった。
当然、両親も自分がいじめにあっていることは知っていて、学校に相談したりしてくれたが、全く解決できなかった。逆に、〇〇君は勉強をしっかりしていないので、家でしっかり勉強の面倒を見てあげてほしいとか親が責められたこともある。だって、いじめられてて学校が嫌なのに、勉強なんてするわけないよ。
そんな時、母親が2つ離れた市にある学習塾に通ってみるかと提案してくれた。小学校5年生になった時だ。離れた市なら知り合いもいないし、塾の先生に事情を話したら、市外の子でも大丈夫と言ってくれたそうだった。
小学校の授業は、今でも記憶にないくらい何を教えてもらっていたのか覚えていない。当時も学校に行きたくなかったので、授業も全く聞いていなかったと思う。自分は馬鹿だと思っていたので、塾なんて無理だと思っていたけど、子どもだし親に言われるがままにその塾に行ってみた。
最初に受けた算数の授業の内容、今でもよく覚えている。今でも衝撃的なその瞬間を覚えている。
勉強が分かる。楽しい。多分、自分の人生が変わった瞬間だったと思う。
それから、塾の勉強に一生懸命取り組むようになった。塾のテストで成績が上がると、先生はいっぱい褒めてくれた。うれしかった。
他の生徒も、自分のことを知らないのもあったのかもしれないけど、知らない子がいる程度の感じで、気持ち悪がったりすることはなかった。ただ、友達はできなかったけど。
小学校では相変わらずいじめを受けていたけど、塾に通うようになってから、前よりも辛く感じなくなっていた。
ただ、中学に入ってから、いじめがよりひどくなった。中学1年の時に、クラスの女子が、〇〇に痴漢をされたと触れ回ったことだ。当然、痴漢はしていないし、話したことも触ったこともない。
その後3年間、机や教科書には痴漢魔と落書きされ、上級生がわざわざやってきて、痴漢魔への制裁といって、毎日頭をはたかれたり、後ろからいきなり蹴り倒されたりした。
今でも忘れられないのは、中学2年の時に、休み時間が終わると(その時はいじめられない図書館に逃げていた)自分の机の上に、何か液体が入った小瓶がおかれていて、その中身がどうやら精子だったことだ。
誰かがそういういじめをしようと計画したのだろう。いじめをしていた男子が女子の方にその瓶近づけると、女子たちは悲鳴を上げて逃げていた。最後には、その瓶の中身を机の上に出された。
拭くものがなかったので、落書きされた教科書やプリントで拭うと、周囲からまた悲鳴が上がって、本当につらかった。
それでも、塾には通い続けた。その時は親と相談して高校は県外の高校を受けることに決めていた。
またその時は、塾以外に打ち込むものもできていた。10歳年上のいとこがバドミントンをやっていて、社会人のバドミントンサークルに誘ってくれたのだ。
ただ、サークルで使っている体育館は、家から車で1時間半くらい離れたところにあった。毎週土曜日の夜に、父親が送り迎えしてくれた。
塾も市外で遠いところにあって、ほぼ毎日母親が車で送ってくれていた。
塾は高校の部もあったけど、県外に進学したので通えなくなって辞めたとき、両親と塾に挨拶に行った。
塾の先生はよかったな、と泣いてくれた。先生を見て両親も泣いた。
バドミントン部に入って、友達もできた。その友達とは、大人になった今でも付き合いがある。
高校3年間は、とても楽しかった。男子校だったが、クラスでちょっと悪そうで遊んでるような、中学だったらいじめをやってそうなタイプの奴でも、ものすごくいいやつで、そいつとそいつの彼女との色々な話を聞くのが楽しかった。
誰も外見とか性格とかで差別しなかったし、勉強も部活も文化祭や体育祭も全力で楽しめた。
大学に入ってからもバドミントンは続けたし、部活の関係でバイトを紹介してもらった。
大学でもバイト先でも、自分のことをいじめたり、気持ち悪がったりする人はいなかった。
ただ、女性に対しては、中学の時の痴漢騒ぎを引きずっていて、苦手だった。結局、高校・大学と恋愛とは無縁な学生生活だったけど、とても楽しく、充実したものだった。
大学は大学院まで行き化学系の研究室で研究を頑張った。大学院での研究大変だったけど、それでも乗り越えられたのは勉強の楽しみを教えてくれた塾のおかげだと今でも思っている。
その後、希望していた化学系のメーカーに就職することができた。
就職してからも、仕事のために勉強しなければいけないことが無限で、終わりがない。
でも、勉強はかならず答えを与えてくれる。やればやるだけ成果が出る。結果が出る。自分にとって勉強は最強の武器だと思っている。
そして、こんな自分にも出会いがあり、結婚することもできた。バドミントンは今でも続けていて、社会人のバドミントンサークルで出会ったのが奥さんだ。
奥さんには申し訳ないが、自分のような女性と縁のない人間が女性と出会えたのは、やはりしっかりした仕事についていることが信頼されたことが理由だと思っている。
勉強ばかりしてないで、たくさん遊べとという考え方の方が普通だし、その方が楽しくて幸せな人生を送れるのかもしれない。
それでも、勉強という、自分の中で揺るぎない武器があることが自信につながったし、今の幸せも勉強が与えてくれたものだと思っている。
うちの奥さんはSIerから学習塾社員を経て看護師さんになったのだけれど、確かにそれぞれの職業で文化も求められる特性も違う感じはする。
ただ、看護学校時代からいままで泣いてるのは見たことがないし、周りで泣いてる人がいるという話も特に聞かない。
勤務先の病院も規模や科で雰囲気が色々と違うようで、NICU(新生児集中治療管理室)にいた頃はちょっとしたミスでも命取りになるので諸々のチェックや確認も厳密にしてシステマチックにきびきびやってたけど、転居に伴い地域の中規模病院の成人病棟に移ったら結構まったりした感じになった。
時間的にも気持ち的にも随分余裕が出てきたらしくシフトの空いてる日は有料老人ホームの看護師のアルバイトもしてる。
と、いうことで、まずは「精神的に追い込まれすぎてどこに行ってもつらくなる」状態になる前に何度か環境を変えてみるのもよいかもしれない(既に何回か変わっているようだけれど本人の性向として無意識に同じ系統の病院を選んでしまっているのかもしれない)。
職場環境に左右される要素が多い(し、他の職種でも同様のケースがあり得る)ので「看護師を辞める」という職種自体の変更は早計であるように思うし、本人としても人生における失敗体験としてその後の人生で「できるやつ」に戻れない瑕になりそうな気はする。
もし勉強等が得意なのであれば一定の実務経験が必要になるけど特定看護師を目指すという手もある。
すごくメリットがあるとは言い難いのだけれど、看護師の中では分かりやすく差別化できる部分だし、それなりに長い研修期間なので転職の理由にもし易い。
なお、話を読み返してみると本人は看護師に前向きかつ「泣くのは職場として当たり前」と考えていて増田がそれに過剰反応してしまっている可能性もある。
テンプレートがあったので書いたぜ
共働きだが妻の収入は知らない、妻は安定した職業なので年収400万ぐらいだろうか?
少し他との違いがあるとすれば子供が3人と現代では多いほうなことぐらい。
年収ほど贅沢はしていない、というか贅沢出来るような年収でもない。
子供が大きくなったら部屋の数が足りないことが気がかりだが、今のところ何不自由ない住環境だ。
貯蓄は子供用の10年積立の学資保険300万をそれぞれに入っている。
児童手当は全額各人の貯蓄にまわしているので、一人あたり500万は確保出来る予定だ。
学資保険は10年積立なので子供が10歳になるころには積立が終わって税金の控除が受けられなくなる場合がある(計算してない)ので、積立が終わってもまた別の学資保険積立をする予定でいる。
500万では理系や芸術系の学費には足りないので妥当な計画ではないだろうか?
子供がいることによる臨時収入(出産、節句、入学祝いなど)も貯蓄にまわしているのでこれらも含めると+50万ぐらいになるかもしれない(家計簿にはつけているけど、具体的な数字は記憶していない)
小学校4,5年生あたりになったら学習塾に通わせるぐらいが子供にしてあげられる課金ブーストだと考えている。
中学、高校は公立を考えているが子供がどうしても私立に行きたいという要望を出してきたら副業でもするかーと雑に考えている。
子供用の貯蓄とは別で以下の貯蓄もしている。
・積立NISA 3万/月
・iDeco 2.5万/月
・投資 1万/月
財布は妻とは完全に別で運用していて、
俺は固定費(家賃、保険、水道光熱費)やイベント事の出費を出すことが多い。
子供が金のかかりそうな遊び(キャンプとか)がしたいときは祖父母にそれとなく言うと喜んで支援してくれるのでそのあたりで助かっている面はある。
それなりに貯蓄しながら、生活に特に不自由を感じることなく、ハーゲンダッツを買うと贅沢だなと思いながら躊躇することなく買うことは出来るというのが年収600万のリアルだ。
俺は裕福層ではない、まぁ当然だが。
年収1000~のリアルを読んでいると、年収によって持ち得る知識が異なってきているように見える、
年収1000万ならそれに見合った節税方法なんかを覚えたり、子供の進学に合わせて課金方法が変わったり。。。
年収の違いは多分自分の周囲に対してかける金額に変動があるのであって自身が感じる生活レベル自体は600~1000万だとそこまで変わらないんじゃないかと思うのだけどどうだろうか?
年収の違いで争うことはやめよう。
水泳の授業の後は数人のいじめられっ子が全裸で廊下をさまよっている
廊下歩いてる女の先生を数人で囲んでボコる。助けに来た体育の先生もまとめてボコる
いろんな用事でお金を持って登校する日は校門前でカツアゲしてる。教員は談笑しながら遠くで眺めてる
始業式や終業式では、生徒が壇上に乱入しないよう、壇の前に男の先生10人くらいがズラッと並んで通せんぼしている
保険の先生が「みなさん同年代の平均よりも虫歯が多いですよ!」と毎年言っている
道徳の授業で「シカトは存在を無いことにする最悪のいじめです!みんなどう思いますか」と先生が言い、毎日ボコられてるいじめられっ子が「ぼくもそう思います」と答える。みんな爆笑してる
授業が進まないので教科書が最後まで終わらない。中1の数学は円錐の体積の求め方を教わらずに終わった(ぼくは学習塾に行ってる子にやり方を教えてもらった)。しかも中2でフォローもなかった。中3の因数分解は「宿題のプリントでやっといて」で終わった
3年の春にすごく体が大きくて体罰しまくる先生が赴任してきて、しばらく不良が大人しくなったが、その先生と不良がなぜか仲良くなって夏頃には元通り荒れ放題になる
男の先生が女子生徒の尻を撫でて捕まる(これは流石に一度しかなかった)
定期テストの答案が強奪されて、一クラスみんなの成績が前回のテストと同じ点数になる(これも一度しかなかった)
合唱コンクールで男子が誰も歌わず、伴奏してた子が泣き出して中断になる
修学旅行でいじめられっ子を木刀でしばきまくる。そのための木刀はいじめられっ子自身が選んで買う。
ポケモンごっこでは「10万ボルト」や「冷凍ビーム」を出せない子が後でボコられる。そのためいじめられっ子たちは「シュババババ」と効果音を出したりポージングの創意工夫で10万ボルトを表現してる
授業中にポケモンごっこが始まり、机の上で"はねる"よう命令する
先生が授業中いきなり泣く
インフルエンザの学級閉鎖がおわっても半分くらいの子は2、3日休んでる
バスケの授業ではいじめられっ子同士で1on1させる。下手なので笑ってる。
野球の授業でピッチャーとキャッチャー以外の全ポジションをいじめられっ子一人に担当させてアホほど走らせる
給食の牛乳パックの口を開けて、下級生の教室に投げ込む(投げるとき爆弾だー!と言って投げる)
自分が"担当"してるいじめられっ子の陰毛が一番最初に生えると、大人を"担当"していじめてるからすごいという理屈で、皆から尊敬される(いや、これは小学校の思い出だ)
昼休みの教室は中から鍵をかけてイジメ部屋にしてる。先生も、中に入れないことを知っているので、昼休み明けの授業は少し遅めに来る
頭いいやつが3人転校して出て行ったけど、みんなのちに医者になった(親が偉い)
知的障害持ってる子へのいじめ日記が爆サイで実名で連載されている
卒業式はOBのバイクが20台くらい校庭に入って爆音鳴らしてる
いじめられっ子の卒業アルバムを破る。破れたページをみんなに配って共有の思い出の品にする
茨木のり子の「自分の感受性くらい」を習ってから3ヶ月くらい、不良が「ばかものよ」と言ったらいじめられっ子がところ構わず「はい!」と叫んで返事する遊びが流行った
複数のいじめられっ子の誰が早く・大きく返事できるか競うバリエーションもあった
市が有名な詩人の出身地であることから、教科書に載っていない色々な詩を教わったり、生徒が詩作する授業が月イチくらいであった。あるときぼくの詩が学年で一番になって、不良になんとなく目をつけられてる雰囲気になったので、次の授業から手を抜いた
家庭科の授業では壊れたミシンが異常に多くて、4人で一つを使う(今思い出すと、"壊れたミシン"もなぜかきちんと棚に収納されていた。先生が、指導しやすいように、あえて少数のミシンしか出さなかったのだろうか?)
近所の知らない家の庭に教科書を捨てすぎて苦情が来る
不良が彼女のためにいじめられっ子を10人くらい集めてポルノグラフィティの「アゲハ蝶」を合唱させる
朝の十分読書の取り組みが始まるが、雑談してる生徒が多すぎて自然消滅する
いじめられっ子の双子(別々の部活に所属してる)がいつの間にか入れ替わってる
たくさんのチンパンジーと触れ合えた濃密な三年間でした。
最近の子供への給付がどうこういってるのを横目で見ていて、思ったことがあるので言いたい。
すでに大人になった高卒の人が、「やっぱり大学に行って勉強したい」と思った場合の補助がない。
これは大問題で、高卒で家庭の事情でやむなく就職した人が救われる道がない。
また、産業の大転換をしたいということになったときにリカレント教育が進まないきっけかにもなる。
例えは悪いが自動車業界がテスラの台頭で、大転換するといわれている。
そうなったときに、過去の技術の優秀な技術者の能力が無駄になってしまう。
大学に行きなおし、改めて学ぶ機会を誰にでも与えるべき。
そう考えると、国立大学を無償化し、学びなおしをするきっかけを提供し、
進級を難しくし、ふるい落とす仕組みを作っていくのがよいと思う。
様々な年齢の人がそれぞれ学ぶようになることで活性化する。
変に高額な学習塾にいれて幼年から投資しないと大学に行けないというシステムより
いろんな人を入れて、ふるい落とす仕組みが適しているのが大学だと思う。
ど田舎の民間の塾で小学生の時は週3で国語と算数の日、国語とパソコンの日、算数と英語の日みたいな感じだったな
こんなに安いのはこの先の中学生向けのクラスがメインだったから囲い込み的な意味もあったのかも
中学生向けだと月2万とかで、入塾試験も月次テスト別のクラス分けとかもあって、3クラス中1クラスが地元最優秀高、残り2クラスが2番手の高校に受かるみたいな感じ
塾自体も地元の中学校より人数多いくらい通ってたから全然違う校区なのに小学校からの顔馴染みがたくさんいる状態で高校入れて友達も早めに確保できて助かってた
高校からは予備校とかもたくさんあるし、地元国立なら学校の授業だけで受かる子も多かったから塾の人数は減ってたかな
自分が通ってる間に通信制高校とかも開校してて地元じゃ手広くやってる老舗塾って感じだったけど、ど田舎だとこういう塾わりとよくあるみたいで他県の人とも地元の老舗塾の話で盛り上がったことある
https://anond.hatelabo.jp/20220331130032
それ以前に、多くの科目の教師がかなりいい加減で、授業の8割が無関係な雑談を一方的に喋ってるだけだった。それなのに中間・期末テストも高校受験も容赦なく迫ってくる。授業が崩壊しているのに家で予習復習など自主勉ができるはずもなく。
やる気無さすぎな教師どもにも腹が立ったが、まず不満だったのが教科書。教師が解説をするのが前提の造りになっているから、解法とか載ってない。例題、練習問題、応用問題。それらが広々とした余白の中にたゆたっていた。
ところで小学生時代のある年度始め、担任が新しい教科書を配る際にミスって教師用のも配布してしまい、それが私にあたった。家に帰ってから、記名する前に中身を確認してみたら、余白であるべき部分に赤字で色々書かれていた。問いの答えと、教える際のポイントのようなことだった。その時は、ヤバいこれは先生のだ。自分が持っていてはいけないやつだ。と思い、手垢をつけないようすぐ閉じて、ソッコーで学校に引き返して担任に渡して自分が悪いわけでもないのに深々と頭を下げて謝罪し、生徒用の教科書と交換してもらった。真面目すぎか。
そんなことがあって、教科書というものは知りたい事に限って書いていないものなのではないか? という発想というか疑問というかを懐いたものの、すぐに忘れた。
で、中学に上がってから教科書ガイドというものの存在を知った。きっかけは同じクラスの友人だった。そいつは学校の授業や宿題や教師の監督がない時の小テストでズルをするために教科書ガイドを使っていた。こっそり机の引き出しに忍ばしておけば、授業中に指名された時にいいよ、といってそれを私に見せてくれた。
教科書ガイドは教科書と同じ内容が書いてあったが、問題の答えが書いてあって解説も書かれていた。教師用の教科書とは違うのかもしれないが、これさえあれば教師要らなくね? と思った。
帰宅して私は母親に教科書ガイドを買ってくれろとねだり、本屋に連れて行ってもらった(当時の我が家はお小遣い制ではなく、親戚から貰ったお小遣いも全額親に没収されていたので、私は自分の金を持っていなかったのだ)。だが母親は平積みされていた教科書ガイドをパラパラめくって中身を確認して一言、
「ズルだからだめ!」
それより数ヶ月前に学習塾に入れられそうになったのを全力で拒否したのもまずかった。あんなに勉強するのを嫌がっておいて、今度はこんなズルい手を使って更に勉強をサボろうというのか! と母親をカンカンに怒らせて終わった。
言い訳をさせてもらえば、塾に入るのを拒否ったのは、塾に通っている同級生が皆授業中に睡眠補給をしているのを見ていたからだ。彼らは夜遅くまで起きて塾で勉強をし(?)「塾の宿題があるので出来ませんでした」といって学校の宿題をサボっていた。当然、成績は芳しくない。テスト当日の朝の挨拶は「勉強した? 俺はやってないw」
そんな奴らと同じ塾に行って成績が上がるか馬鹿野郎。むしろ全力で足引っ張られて沈むわ。
そんなこんなで教科書ガイドを入手するのを断念した私は、それでもなんとか別の手(通信教育と学校配布の問題集と参考書)を使って勉強して高校受験でしくじるのは回避出来たが、今でもあの時教科書ガイドを買って読んでいれば、あんなに遠回りしないで済んでいたんじゃないかと、ずるずる根に持っている。
けど、教科書ガイドを使って勉強して成績上がったとかいう奴には会ったことがないから、実際使えるのかどうか疑問だ。誰か使ってよかったよっていう人おるん?
俺は表現の自由戦士なので、誰がなに言ってもいいのが前提だと思う。
フェミニスト議連も山田議員も発言すること自体に問題は無い。そういう意味ではセーフだ。
しかし表現の自由とは全く別の軸で、議員ならばその表現のどこがどう悪いのか具体的に指摘し公に議論すべきであり、公職者としての権力を国民に見えない形で使うべきではないと思う。
そのような意味で、フェミニスト議連の件よりも山田議員のポプラディア(教科書じゃないよ)や学習塾に対する圧力の方が悪質であり、政治家として不適格だと考える。
フェミニスト議連の所属議員に投票することはあっても山田議員や彼が所属する自民党に投票することはないし、山田議員には歴史的・政治的観点から批判が加えられるべきである。そういう意味ではアウトだ。
http://blog.livedoor.jp/lalha/archives/50568929.html
親子で楽しく一つの目標に進むってたしかにそれ自体が得難いゲームだよなと思いつつ、最近うちでも似たようなことがあったので書き殴り。
子どもを預けている学童保育はちょっとした学習塾のような要素も兼ねていて、毎日日替わりで漢字や英語、算数などのカリキュラムがある。また、算数検定や英語検定、漢字検定などもカリキュラム内で受験させている。
うちの子は算数についてはそこそこ得意なものの国語が苦手で、学校で行われたテストなどを見ても漢字についてかなり苦手意識を持ちながら過ごしているよう。
そんな中先日、漢字検定を受けるのに先立って子どもが過去問題を学童で受けてきたのだけれど、合格点には程遠い点数となってしまいがっかりした様子だった。
試験自体に落ちるのは仕方ないとはいえ、自信がなくなってしまうのはよくないよなと妻と話をしていたのだけれど、次の日妻がノートに漢字検定の問題を写し始めた。そして帰ってきた子どもと一緒に、そのノートに写した問題をつきっきりで解き始めた。
そうして数日経つ頃には、別室でリモートワークしている自分の所に「今日はこれだけ漢字答えられたよ!」と嬉しそうに子どもがノートを持って入ってくる様になった。頭をなでてやるととても誇らしげに笑っていて、子どもは続きの問題を妻にせがむ声を上げながら部屋を出ていく。そしてオンライン会議中の同僚に笑われる、そんな日々を過ごしていてやがて昨日。また漢字検定の過去問題を学童でやってきたと、笑顔で子どもから報告があった。
結果は間違いが2問だけ。とても悔しそうにしているものの、嬉しそうでもあった。
子どもを思い切り褒めてあげて、妻にも感謝を伝えた。妻は頑張ったのは子どもであって自分は何もしていないと言っているが、まんざらでもなさそう。
今回のことでは自分は何もできなかったけれど、これからいくらでも機会はあるだろうと思っている。
学校へ出かけるとき、試験合格できるかなと心配そうにしていた子どもだが、これまで頑張ったんだから同じように楽しむといいよ、頑張ったのは間違いないから結果はついてくるよと励まして送り出した。
転職成功して数年経った今、なんか唐突に当時のことを色々思い出したため、実名出すのもアレだし匿名でかき捨て。不採用記録なので基本的に嫌な思い出が多いです。増田は管理部門系事務職です。相手のセリフは記憶を基にした意訳で口調は盛ってます。
焼肉業界でまあまあ大手の上場企業。人事担当者と採用予定部署の管理職二人で面接。志望動機とか前職退職理由とかそういう通り一辺倒のやり取り後、管理職氏が
「非上場の事務職出身者が上場企業のウチの事務ちゃんとやれると思ってるんか? 甘く見てるんちゃうか?」
的なことをいきなり言い出す。いやだったら書類(職務経歴)で落とせよと言いたい。流石に上場企業だけあって終始にこやかな表情・口調ではあったが面接後半で言ってることは何気にめっちゃ無礼だった。見込みがないならさっさと切り上げて帰らせてほしい。お互いに時間は有限だろう。当然不採用。もう2度とあそこの焼肉屋には行かねえ。なめた対応しやがってクソが。
「サビ残クソ多いけど平気? 学生さん相手だから遣り甲斐はめっちゃあるよ! 若い子から好かれるの楽しいよ!」
的なことをいきなり言い出す。あまりにもドストレートに言われて正直絶句した。思いっきりビミョーな反応をしてしまったせいか当然不採用。
「悪くはないけど特に良いところもなかった」
という理由をわざわざ伝えてくれてどうもありがとうございましたファッキュー。
学習塾運営。地方ではまあまあ大手。なんというかちゃんと「会社」している雰囲気であった。
何を話したのかあんま覚えてないけど役員面接に進むことになった時点で他が決まったので辞退。
応対してくれた人が総じて親切だったので悪い印象は無い。塾だけに定時がやたら遅いことだけがネックだった。
鉄鋼系。面接官は採用予定部署管理職。転職動機を言ったところで
「( ゚Д゚)ハァ? その程度の理由で転職するんすか?」(原文そのまま。マジで)
などとコメントしてきやがった。学生時代の新卒就活も含めてこれほど失礼な面接官はこいつだけだ。採用予定部署の管理職を出してくることを悪いとは言わないが、だったらせめて最低限の面接研修的なやつを済ませておけと。
本当はその時点で切り上げて帰ろうかなと思ったが、これもある意味場数というか訓練だと言い聞かせて面接の最後まで付き合う。帰宅するなり即こちらからお断り。地味に今の通勤路上にこの会社の事務所があって毎日見るたびに嫌な気分になる。
指定された面接時間に営業所を訪ねたら、応対してくれたパートさん(多分)がめっちゃ困惑しており、面接官氏が不在で、今日面接とは聞いていないとのこと。そんなはずはない間違いなく指定の日時だとメモを見せる(ここだけ電話連絡だったのでメモしかなかった)。
事務所の片隅で待たされたところ、遠くの方から「〇〇さん忘れてたみたいだけど昼休憩入っちゃったから待ってもらってだってー」とめっちゃ聞こえてくる。
とのことだが色々聞こえていたので台無し。しかもそっから40分は待たされた。忘れてた癖にめっちゃゆっくり昼休み取りやがったなー。
と、面接前の悪い印象が強すぎて面接の内容はちっとも覚えていない。やっぱ□□“□はクソ。
流石の会社規模だけあって応対でイラッとさせられることはなかった。面接もまあまあ良い感じだと思ったのだが
「他にもっと良い人がいたので」(意訳)
なんか管理職氏には面接の場でまあまあ好感触だった感じなのだが、最後に何かありますかと話をふられた支店長氏が
「いや俺はもういいよ」
とのことで、お察しせざるを得なかった。当然不採用。まあ他にいくらでも良い人がいたのであろう。
自動車メーカー下請け系。面接官というか採用担当の人がこっちをめっちゃ評価してくれてぜひ来てほしいとアピールいただく。
諸々の内情等も聞き、まあこれくらいなら許容範囲だなとかなり前向きになっていたのだが、役員のスケジュール調整に向こうが手間取ったらしく、役員面接の日程が決まった時には他に決まっていたのでお断り。こっちを本当に欲しがっていたのであればもうちょい早く進めて欲しかった。
総じて悪い印象は無いが、「偉い人が夜型なので会議とかがいきなり19時とかに設定されたりする」という「偉い人が夜型ゆえに残業になる」て、その偉い人の意識一つで即座に改善できることをやってないのは大丈夫かと言いたくなった。