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2024-07-18

野党はなぜ学ばないのか?

政治とは暴力の無い戦争だ。ウィトゲンシュタインが言うところの言語ゲーム世界だ。

から、はたから見ると意味不明なやり取りに思えることが多々ある。

戦後自民党ほとんど選挙で勝ってきた。そして、保守という立場上、横綱相撲をしている。野党攻撃に対してもあまり反撃をしない。

なので、自民党不祥事スキャンダルが出ると途端に弱くなる。そして、不祥事が続くと政権交代危機になる。これは歴史証明してる。

もう一度言うが、政治言語ゲームだ。受け身横綱相撲を続けていると致命的になる。

そこで有効になってくるのが、政権与党保守にも関わらず野党攻撃に対して過剰に反撃するという手法だ。この手法を使うと絶大な人気が出て長期政権になりやすい。

その手法を使ったのが、小泉純一郎安倍晋三だ。

疑問なのは野党議員はなぜこの手法を使わないのか?

国民投票行動感情に左右されると分かっているのに、なぜか使わない。

日本野党バカなんだと思う。

2024-02-16

anond:20240216124331

それ数学というより哲学だな。

「語りえぬものについては、沈黙しなければならない。」で有名な哲学ヴィトゲンシュタインが言う、言語ゲーム元増田の考えてるようなことを主題にしている。

2024-02-11

↓なんかchatgptっぽくね?

ゲーデルの第1不完全性定理は、形式的論理体系内での数学特定命題に関して「証明できない」ということを示しています。この定理によれば、ある論理体系内で自己言及的な命題を含む場合、その命題が真か偽かを証明することはできないということを意味します。

まりゲーデルの第1不完全性定理は、「この命題証明できない」という命題を考えた場合、それが真か偽かを判断できないことを指摘しています。したがって、特定命題が「証明できない」ということは、その命題現実には真か偽かになっているかどうかを示すものではありません。

ゲーデルの第1不完全性定理は、形式的論理体系の限界を示すものであり、数学論理学の基本的性質理解する上で重要な結果です。しかし、この定理特定命題の真偽を示すものではないため、その命題現実に真か偽かを判断するためには、他の手段情報必要です。

ウィトゲンシュタイン思想ゲーデル不完全性定理には、いくつかの類似点があるかもしれません、それぞれ異なる観点から論理数学アプローチしています

ウィトゲンシュタインの「論理空間」の概念は、言語記号による表現の枠組みや制約を強調し、言語論理限界について考察しています。彼は「言語ゲーム」という概念を導入し、言葉文脈の中での意味理解に注目しました。ウィトゲンシュタインの主張は、言語論理使用特定文脈ルールに従って行われることを強調し、その文脈ルールから外れた場合意味崩壊する可能性があるというものです。

一方、ゲーデル不完全性定理は、数学的な形式的論理体系に焦点を当て、その体系内での命題証明可能性について論じました。この定理は、特定命題がその論理体系内で証明できないことを示し、論理体系の限界示唆しています

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13286033693

2023-09-03

空気を読むとかその場限りの言語ゲームなんて簡単すぎてつまらない

それができるってだけで自分たちが健常者だと思い込んでる、それ以上踏み込んだことを何も生産できない頭の悪い落ちこぼれ集団と会話するの苦痛すぎる

我々は増田のBである

自尊心はまだない。

親譲りのアスペルガー子供の時からヒトモドキをしている。

何でも小学校の頃からイジメられていて死にたい死にたい言っていたことだけは記憶している。

他人の言った言葉をなんとなく真似て組み換えてきただけで、未だに他人が何をどういう意味で喋っていてどう考えているのかが分からない。

ウィトゲンシュタインコミュニケーションとは子供の玉蹴り遊びの延長であり、その場その場で生まれてきたルールが連綿と連なってきたものにすぎないと語っていたとツイッターで誰かが言っていたように思う。

まさに私が苦手としているのはそのような、持って生まれついた世間一般的共感能力空気を読む力によって、その場に発生するルールの力場を正しく掴んでいく言語ゲームなる遊びそのものなのだ

一流の声優は「あ」という言葉で100通りの表現ができると言うが、私はそういう人間コミュニケーション曖昧さが本当にもう耐えられない。

明確で論理的で常に同じ意味言葉が扱われることは、法律世界においてさえ存在せず、裁判所弁護士裁判官がアレコレ言い合った挙げ句に出てくる判決などの中でさえ、アレヤコレやの曖昧ものがその場限りの意味解釈を持って無数に絡み合っていると知った時は、もうこの世界には私の居場所なんて本当にないのだと絶望したものだ。

からすればマインスイーパーの最後の数クリックのように50:50の運任せになってしまったようにしか見えない状況を、別の人間から見れば明白に99:1でほぼ正解と言えるほうが当てられるらしいというのだから恐ろしい。

恐ろしいのは、その99:1が出来る人間割合が95:5の95の方であって、私のような人間こそが異常として扱われていることだ。

いつからそのことに気づいていたのか分からないが、なんとなく分かっていて、でもそれが未だに確信を持ちきれない所がある。

きっとこれは色盲と同じような物なのだろう。

彩度いっぱいに5色で塗り分けられているはずの戦隊ヒーローの何人かが誤差でしかない状態を幼少期から強いられてきて、それを当たり前だと感じた人間は、その僅かな誤差を見出し必死に見分けている状態が実は異常であるを薄々勘づきながらも確証を持てず、その病名と共に他者との違いを伝えられてもそれを認知することが出来ないのだ。

犬笛の音を聞き分けられないことを「そんなはんずがないだろう」と誰かに言われたら、何回までその言葉に耐えられるだろうか?

ふざけているわけではない。

色盲にとっての戦隊ヒーローであり、人間にとっての犬笛であるものが、私にとって人の語る言葉機微なのである

これはもう大変に厳しいことだ。

きっとこの文章を読んでいる人は「そうは言うが君はちゃん文字をかけているではないか。それなのに言葉がわからないんなんていうことがあるのかね?」と思うだろう。

だってそう思う。

だが分かっているつもりで分かっていないようなのだ

これはもう自覚のないアンドロイドがある日チューリングテストにかけられて「貴方は実は人間ではないのです」と告げられても、全く自分にはその自覚が持てないかのように全く分からないのだ。

今これを書いている私は共感能力をフルに稼働して自分と似た状況にある人間の姿を思い浮かべているように見えるだろうが、実際にはある種の論理的パズルを解くような気持ちで相似している事象を探してきているに過ぎないのである

普通の人が心によってやってみせるようなものを、私はただひたすらに論理的にやってみせているのを、そんなことをする必要があると思わない人間が、私も同じように共感能力によってこれらの考えに辿り着いていると勘違いしてくれているわけだ。

こうやって勘違いしてもらうのは私にとってはある意味で都合がいい。

何故なら、実際にはそうではないことが分かると途端に私は人間扱いされなくなり、ヒトマネの上手なロボットであるかのように扱われるだけだから

なんともしんどい人生だ。

これもそれも親から譲られた遺伝子が生まれつき現代社会と上手く折り合えていないのが悪いのであり、私が悪いわけでも親が悪いわけでも周囲が悪いわけでもないと分かってからは、割り切ることで楽になった部分と一生終わらない牢獄の中にいる自覚とで心はより有耶無耶になってきている。

私に出来ることといえば、とりあえず今までのようにヒトマネを繰り返して何とか自分を生き延びさせつつ、同じような気苦労を持つ人間を増やさないようにヴァージンを守ったままでこの人生を終わらせて見せることぐらいだ。

行き詰まった人生方針を求めて性格診断や適職診断なんかをやると、いつも「小説家芸術家になりましょう」「発明家研究者に向いてますよ」と無責任言葉が返ってくる。

実に下手くそに「貴方社会不適合者なので、象牙の塔なり自分アトリエなりに引きこもって居てくださるのがお似合いですよ」をオブラートに包んでくるものだと、自覚のない悪意なのか、純粋善意によっての社会から排斥なのかも分からないものをぶつけられたことを感じ入る。

その度に、「ああ、やはり自分はまともに生きるのは諦めるべきなのだ。だが、特別生き方を出来るほどの力はない。だからまともなフリをして今日迷惑をかけながらこの社会に張り付くのだ」と自己憐憫に浸るのだ。

これはもう精神的なリストカットしか言いようがないわけだが、同時にソレはある種の瀉血でもあるように感じる。

私がこの社会に望むのはもうベーシック・インカムの導入ぐらいだ。

もうこれ以上社会の中で「私は貴方達と同じように働ける人ですよ」と偽って暮らすのはしんどすぎる。

いい加減疲れた

人生の先行きのなさが、生来まれ持った脳の作りから始まっていると突きつけられ、まだなんとか自暴自棄にならずにいるのがすでに奇跡のようなものだ。

これ以上我々を責めないで欲しい。

責めるべきは、我々のような人間人間のフリをして社会に紛れ込まなければ生きていくことさえ出来ないこの社会の仕組みの方ではないか

本当に、ベーシックインカムが導入されれば、我々はそれを頼りに暮らし、もう二度と社会の表側で「私は給料分の仕事ができますよ。何故なら普通人間なのですから」と心にもないことを言ったりしないで済むのだから

2022-09-14

anond:20220914155248

個人個人言葉意味が違っても会話は成り立つ、むしろ会話の中で言葉意味は確定されるのだ、というのが言語学における「言葉定義」の本質です。

学問的な定義はそういう言語ゲームからある程度離れたところにあるけどね。

anond:20220912182117

から一般的言葉」なら言語ゲーム範疇なんだからテロと言ってもテロと言わなくても本人の勝手なんだって

俺はテロと言うし増田テロと言えばいいが、テロと言わないのも別にどうでもいいだろ。

テロと言わない動機テロと言わないことによる不利益を指摘してそれを批判するなら別にいいが、ある事象を「一般的言葉」でテロと言うかどうか自体に、正誤があるわけねえんだよ。

正誤の話をしたいなら「学問的な合意から外れている」みたいなモノサシが要るんだよ。

2020-10-28

戦争責任者東京やら京都やらに特定の仕方で隠れている言語ゲームを行っているのであるのかも知れない

駄目という語句禁止に近づく意味を含みつつ我々の中身をヒドく傷つけつつその態度を改めさせたい時に肯定辞とともに送られがちな種類の言語ゲームであるのかも知れない

2020-06-09

さかなクンなどもそうだけど、高い専門智をわかりやすい形で楽しく翻訳して真摯に伝える人すき

良い意味で開けた表現なんだよね

専門に対して真面目だからこそユーモアを足してキャッチーにかみ砕いているのかな

自分たち言語ゲームだけでは決して届かない層に関心を持ってもらいつつ、理解できる人にちゃんと伝える方法論として非常にスマートだとおもう

2020-05-12

anond:20200511081541

一般はもちろん、オタク界隈でも大ブームになったとは言い難いはずだよな?

エロゲ一定の評価を受けたのはゼロ年代ネット空間における、評論においてではないか

ここら辺のルーツはまず、西洋人を真似て芸術評論してみようとした

浅田彰らの批評空間が、ベースにあるはずでそこの影響を受けて、大塚英志東浩紀オタク文化評論をしてる。

一方で別の文脈オタキング同人誌における作品評論もあって、

彼らはフロイト精神分析民俗学を用いて(解説書・新書レベルだが)、評論を行っているので近親交配のように

批評空間の流れに合流していると思われる。

指摘しておきたいのは、上述の流れは偏差値65以上の人たちと50~65の人たちが合流しているのであって

50未満のオタクたちは、かなりのボリューム存在しているであろうに取り残されている。

(こういった背景が、なおざりにされているので、質アニメvs美少女動物園という対立軸

最近オタクルーツを探らない論に通じてしまっているのがあると思う)


で、重要なのは芸術評論というのは、実は人文エリートの中でもトップクラス作業領域

実家が太くて、曾祖父の代やそれ以上から文化資本潤沢な、文化貴族のやるもんなんだよ。

西洋で言えば、フロイトやT.S.エリオット、W.H. オーデンみたいな人たちね。

こういう人らは学術用語ぶん回して評論するとかしなくて、すごいハイコンテクスト

「青、いいよね」をさらに嫌らしく発展させたような、言語ゲームをばりばり行う人たちなので

上述の浅田彰等々でもくらいつくのは、すごく難しい領域なんだな。


でも、一応は日本人としてもそれを真似してみたいという欲求はあるわけだ。

ここで登場するのが、大塚英志東浩紀薫陶を受けたポストモダン

この哲学思想において、これまでメジャーとされた文学価値観より

マイナーとされた文学価値観も光るものがあるぞ!って流れが強く打ち出された。

こうして、評論したい欲求マイナーから価値抽出してやるぞって意気込みが合わさって

エロゲーを評論しようって流れが、一時的とは言えど生まれたのだと俺は考えている。

2019-06-13

anond:20190613165816

なんだよ言語ゲームに負けたなら負けましたって言えよだせーな

俺の脳内干渉される筋合いじゃねーってのは最初からわかってるだろ、バカ相手に楽しんでるだけなんだからちゃん負け犬らしくひっくり返って腹出しとけ。

2018-09-27

anond:20130721234333

古い増田だけど、これ3は言語ゲームじゃなくて論理実証主義とか呼ばれるもので、4がむしろ言語ゲームに近いよなあ。

色々言い訳してるけど、この間違いを放置したまま言語ゲームを続けるのはかなり難しい。

2018-09-17

わたしは、単純に言語ゲーム相手を黙らせることに興味がないんですよ。

対話が成立するようにお互いが言いたいことを理解して、それを組み込んで社会形成することに興味があるので。anond:20180917031034

あなたは凄くいい。こんな気分になれるなら朝から増田みるのも悪くない。

俺はこの問題ゾーニング派 v.s. 反ゾーニング派 の論戦とみていて、あなたと似た感想を抱いている。反ゾーニング派の論説に面白いものがない… 反論はするのだが基本的受け身で、相手の論の不整合を指摘する、という攻撃に終始しがちだ。全体としてゾーニング派が優勢っぽいのが気になっている。昨日の増田でのアンケート? みたいなものでも反ゾーニングの人は現れなかった。

ここいらでマジに反ゾーニング派の為のステロイドを生成する必要がある。「ビックリして傷つくというが、子どもはいろんな事にビックリして成長する!」というのはどうだろうか。パターナリズムにはマッチョイズムで対抗だ。いやちょっといか… 何にせよ議論できる土台を作らにゃ

anond:20180917024745

元増田です。

恣意的基準排除されないような言説作ればいいのにって言ってるんですが。

あの表紙の女性が、例えば「自らの身体を誇張して生きることを選んだ」とかそう言う根拠があれば、

話が変わってくるでしょう?

規範を強化するように描かれた身体を見ると女性自分を同一視してしまう、という主張に対して

わたし疑義がある

anond:20180917010740

と書いていますので、無視はしていませんよ。

わたしは、単純に言語ゲーム相手を黙らせることに興味がないんですよ。

対話が成立するようにお互いが言いたいことを理解して、それを組み込んで社会形成することに興味があるので。

2018-08-20

anond:20180820122434

じゃあお前は現実がどうだか知ってるの?結局、白人がどうなのかなんて主語でかすぎて決定できない、喋ってる人間ストーリーに従って言語ゲームするしかないんだよ。

そのゲームに乗らないなら黙ってろよ。

白人がどうだか知らないのに議論に持ち出すなよ

それはゲームでもなんでもない、ただのアホだよ

anond:20180820122043

じゃあお前は現実がどうだか知ってるの?結局、白人がどうなのかなんて主語でかすぎて決定できない、喋ってる人間ストーリーに従って言語ゲームするしかないんだよ。

そのゲームに乗らないなら黙ってろよ。

2018-06-14

インターネット4周目くらいでネット初心者を名乗る愉しみ

最近味わっている。

とあるコンテンツの大ファンになったんで、

そのファンコミュニティみたいなものに参加した。

「不慣れなことも多いけど、どうぞよしなに」

みたいなことをプロフィールに書いている。いかにも初心者っぽく。

まあ、嘘をついているわけではない。

俺はファンコミュニティのお作法みたいなのを知らないままここまできたから。

そういうコミュニケーションに関してであれば初心者だ。

深夜、泥酔した勢いでそのコンテンツに対するありったけの妄想をぶちまけると、

なんか、なんとなくややウケみたいな感じになる。

みんな俺のことをどう思ってるんだろう。

からない。

まあ、よくわからんが俺は俺なりのポジションが与えられているみたいだ。

アイコン画像ももらったし。

今までの人生インターネットでズタズタになってきた。

オフ会などから、残念ながら俺は肯定的ものを引き出すことができなかった。

特に社会学とかやってるやつは最低だった。

そいつらがお望みの言葉で言えば、そういう身振りがマウンティングとして機能する、そんな言語ゲームを俺は信じていない

という感じだった。

これはあくまでも俺の観測範囲内の話で、学問一般的な学徒を貶す気はまったくないが。

ともかく今、その傷口から子供が生まれた。

そんな気がしている。

2018-04-23

anond:20180422233623

>けど事務次官話題になってるセクハラってようは同意確認言語ゲームでしょ?

って本気で言ってるの?違うよ。

違わないというなら自分が本当に落としたいと思う女性に対してできるかどうかよくよく考えてみたら?

もしかして呼吸をするようにセクハラしてる人?

2018-04-22

セクハラってそんなに重大な問題か?

上下関係によってセックスに持ち込もうとするパワハラセクハラ問題

抱きつくやボディタッチなどの強制わいせつ問題

性犯罪はいわずもがな犯罪

けど事務次官話題になってるセクハラってようは同意確認言語ゲームでしょ?同意がある男女関係セクハラにあたらないのはみんな知ってる

同意確認としての質問が許されなかったら男女関係自体幻想になる。ようは適切な文脈形成するコミュニケーションをとれとか年齢差を考えろとか言ってるわけだけれど

そのデュープロセスをとらないこと自体は完全に悪なの?人格として問題があるというのはよくわかるけどそれは単にコミュニケーションが下手な人と認識すればいいだけじゃないの?

事務次官は抱きしめていい?と聞いたけどそれはそれで気持ち悪い。けどそのこと自体問題とされる社会って窮屈すぎねーか?

おっさんはありとあらゆる男女関係をはじめないのが「適切」な大人ってことだろうけどその適切はけっこうディストピアだと思うわ。

実際に若い男女でのセクハラなんて聞いたことがない。おっさん恋愛至上にはいってくるのがきもちわるいんでしょ?

性犯罪上下関係を利用したパワハラセクハラ強制わいせつは明らかに問題だが適切かどうかまで問うセクシャルコミュニケーションまで問題とするとおっさん若い女性アプローチしてはいけないにまでなりかねない、

事務次官発言問題だという理由がなにか社会一般の問題metooとして考えられてるけどそこまで普遍的問題としてとらえるのはどうかと思うわ。

単に女性きもちわるいおっさんセクシャルな話をされるのがきもちわるいんでしょ?

その動物感情をなにか理性的知的リベラルな態度としてとらえるからなにか違和感がある。

きもちわるいならきもちわるいに脚色しないでそのままきもちわるいって言えよ。セクハラするおっさん動物ならそれを気持ち悪いと思うおまえの感情動物的なんだよ。

2018-02-07

吉野家コピペって要は「言語ゲーム」だよね

言語ゲームの簡潔な説明はこれがわかりやす

https://anond.hatelabo.jp/20130722013200

ここで言う吉野家コピペとはTwitter吉野家コピペ貼ったらマジレス飛んできたと言う話題に対してである

https://togetter.com/li/1195871

これって別に今の若者吉野家コピペ知らない、といった局所的な現象として捉えられるのではなくて、抽象化して捉えると要は言語ゲームだよね、と。

そこら辺にサッカーボールが転がっていれば足で蹴る、手は使わない「サッカー」をやるように。

で、一人だけサッカールール運用方法がわからず、手で持って投げたら当然イエローカードなわけですよ。

まり、「昨日、近所の吉野家行ったんです。吉野家〜」から始まる言葉を見た時に、吉野家コピペという対象に対し、過去運用されてきた言葉の交わし方のルールに対する共通認識を持った人間ゲームをしてるわけで、そのゲームルールと違ったことをしたら叩かれるわけですよね。

何が言いたいかって言うと、吉野家コピペというルール形成されている以上、一連の現象の中で言われている「インターネット老人」という主体が「知ってるのが当たり前」と思ってるのは当然なんだよね。ルールから

これってどうなんでしょうね?

2017-04-02

けものフレンズ考察を装ったアニオタ批判

自分ブログに書くとなんだか炎上しそうなのでここに書くことにする。

けもフレ人気が各地で大爆発を起こしているが、さすがに褒められすぎ、評価されすぎ、持てはやされすぎである

この作品はどう評価しても100点満点中あげられるのはせいぜい30~50点くらいである。

アニオタ界隈のけもフレを評価する声として「安心してみていられる」「脚本がよくまとまってる」「やさしいキャラが魅力」などという言葉が交わされているが、これらは全て嘘っぱちのように聞こえてならない。

こんな薄い言葉表現される毒にも薬にもならない作品は、「よくできましたね」くらいの評価を得ることはありえるが、猛烈に人を惹き付けて心を揺さぶる名作にはなりえない。

本当に人の心をガッツリと射貫く作品というのは、たとえガタガタでブサイクな出来だとしても、何か一つくらい魂に響く「核」のようなものがあるはずだ。

「けもフレ」に心を揺さぶられた人間などきっとほとんどいない。そう言っている人間がいたとしたら、熱狂的な空気につられて思い込んでいるだけなのだ

その証拠にきっと「けもフレ」はすぐ忘れ去られる。あと一か月もしたら、おそらくこの作品には誰一人言及しなくなるだろう。

***

「けもフレ」人気のインフレーション理由は、基本的ネット空間における「極性化現象」であるといえる。

アニオタコミュニティという空間の中では、アニメ評価を巡ってぐるぐると再帰的な「言語ゲーム」を続けていく内に、しだいに表現に尾ひれがついて妄想が膨らんでいく傾向がある。

その中では、凡百のストーリーが「絶巧の脚本」になり、平坦な芝居が「神演技」になり、チープな謎が「深遠な哲学」になる。

このような現象は、ネット炎上などでよく観測されるメカニズムである

ちょっといたずらをしただけの大学生や、何気ない発言をしただけの女性が、集団極性化した暴徒によって糾弾されまくる構図は、ネット上で毎日のように見られる風景である

ネット上の言語ゲームというのは、往々にしてこのような「過剰」に至るのだ。

***

基本的アニオタというのは、他者媒介しないと何も考えられない、何も感じられない存在である

どんなアニメ面白いのか、どんなアニメ自分が好きなのか、そのアニメ自分にとってどういう価値を持つのか、一人では判断がおぼつかず何かを基点としないとリアリティを感じられない。

人間とは多かれ少なかれこういう側面を持つ動物だが、アニオタはこの性質がむき出しの形で露わになった存在である

アニオタは、基本的自分欲望することを欲望している。アニメを楽しみたいというよりは、アニメを楽しんでいる自分を楽しみたいのである

なのでアニオタにとって重要なのは作品のものではなくてその作品を取り巻く「人々」や「言葉」や「その評価」、いわば「アニメコミュニティ」という場そのものである

この「場」に埋め込まれることによって、アニオタは初めて作品に対して欲望を抱くことが可能になるのだ。

このことは、アニオタを語る上で押さえておきたい重要ポイントである

***

アニオタたちが「けもフレ」を担ぎ上げる理由、「けもフレ運動」の意図を強引に深読みしようとすれば、次のようにも解釈できる。

昨今のランキング市場は狂っている。

そこで上位を占めているものは、メディアSNSを通じてステマ的に人気を煽りブーストを仕掛けた「張りぼて」の作品ばかりと言っていい。

アニオタたちはこのランキング市場にどっぷりと身を浸し、どっぷりと依存しつつもキレている。

メディアに対してももちろんキレているが、それにまんまと乗せられている自分自身にもキレている。

その鬱々と溜め込んだ感情が、今回突発的に「けもフレ」を通じて連結した。

「けもフレ」という作品は、徹底的に薄味で、徹底的に無難で、徹底的に空っぽであり、「本当に売れたいのか?」と問いかけたくなるような、いかにも「ステマーケティング」と縁のなさそうな装いをしている。

神輿は軽いほど良い」という言葉があるが、「けもフレ」こそはアンチステマ運動アイコンに相応しい空虚作品であった。

アニオタたちは「けもフレ」を神輿として担ぎ上げて、自分たちを操縦しようとするランキング市場のかく乱を目指すための意味不明舞踏を開始した。

これは江戸時代流行したとされる「ええじゃないか運動」を彷彿とさせるものである

アニメ評価をかく乱せよ」

アニオタたちの目論みは、自分たちに向けられた圧力を全く同じ方法相手オウム返しにすること、「張りぼて」に対して「別の張りぼて」を擁立して推し上げることであり、これは俗にいうミラーリング作戦というものである

この作戦は幸か不幸か一定の成果を上げていて、アニメ関係者や一部のマーケッターたちは、なぜ「けもフレ」がこれほどまでにウケているのかを理解できずに、困惑の表情を見せているという。

真実などどこにもない。ウソを倒すのはまた別のウソ

ポスト真実時代の戦い方が、まさにここにはある。

***

アニオタたちがもし上記の行動を「自覚的」にやっているのだとしたら、それはいかにもオタクらしく捻くれていて、しかし少々のユーモアも感じさせる、気の利いたいたずらのようにも思える。

しかしもし無自覚的・無意識的にそれをやっているのだとしたら、それは鬱々とした大衆の暗い感情病理的に発露してしまたかのような、なんだかこれから先が心配になってしまう「症状」だともいえる。

このような運動は秩序を打ち壊しカオスしか生み出さない。

このような運動アニメ界隈を通じて別の空間に波及してしまわないことを祈っている。

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