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はてなキーワード: 神は死んだとは

2021-10-08

anond:20211008034145

彼は、神は死んだと言ったのだから、正しくは、 生きとったわ だろうなw

2021-08-22

anond:20210822175330

いいなーうちは1店舗しかない

スマホ1つで出てきたから近所のスマホ決済できないスーパーで買い物できんし、もう踏んだり蹴ったりや。神は死んだ

2021-08-02

anond:20210802011323

自分よりも性的な魅力で勝っている相手正攻法寝取られる」とか、「心の隙間につけこまれてやや強引に関係を持つことになったものの、主人公よりも経験豊富間男の振る舞いにヒロインがほだされてしまう」とか、「クズ男の善良な外面にまんまと騙されてヒロインが食われてしまう」とか、そういうのが好き。

キリスト教は良い。なんと言っても「神がマリアを寝取った」うえに、処女受胎という告知を「わざわざ大天使まで」使って本人は出向かずに、神は「その責任すら取らずに」結婚継続させて、しかも「ヨセフ自覚した上でイエスを育てた」という NTR人類は信じている姿は本当に尊いニーチェは「神は死んだ」と NTR嫉妬したのもわかるし、ヒトラーNTR再現するために第三帝国を作ろうとしたのも納得だ。そりゃ、ルシファーが堕天したのも NTR が嫌いな人がいるから仕方なし、って思うとキリスト教が好きになるだろ。入信はしないだろうが。

2021-07-28

anond:20210728004650

プププ。まだお前、世界二元論で語れるという幻想かられているの?キリスト教ゾロアスター教の始祖『ツァラトゥストラ』が生み出した、アーリマンアフラ・マズダ二元論はニケーア公会議アタナシウス派勝利で4世紀には人類は克服してるの。ドイツ人は本当に不勉強で困る。ニーチェが「神は死んだ」とか嘆く以前に、キリスト教は「精霊」という存在を生み出すことで二項対立を防ぐ方法あみだし、ドイツ人のいうアウフヘーベンすることができちゃうことを発見したの。アメリカ人信心いか聖書を真面目に読んで、真面目に聖書を読めば避けられた問題を「科学する」なんて言わずに、嘘が見破られるの。不勉強理由に「科学する」なんてものを持ち出すからエリート共産主義者)は負けるんだよ。おバカちゃん

2021-05-31

反出生主義と神とフロイト

まとめ


デカルトから始まる近代的自我

デカルトといえば有名なのが「われ思う故にわれあり(コギト)」。ここから近代的自我が始まった。

あらゆるものを疑ってかかったとしても今思考している自分のこの思考自体存在否定できない。

よって思考している自分存在している。



自我というもの存在確立したデカルト三段論法西洋に影響を与えまくったが、特に注意しなくていけないのは神の存在を使わなくても自我存在規定できるという点だった。

でも実際のところデカルト自体はコギトから神の存在証明を行っている。神の存在証明する時代要請があったのだけれどそれについては後で触れる。

フランス革命と神の死

時代は流れてフランス革命が起こり国民国家誕生する。国民国家誕生すると神が死ぬ

どういうことかというと、それまでの王による国の支配がどういう理屈正当化されてきたのかということを説明する必要がある。

王権神授説」というやつだ。それまでの王族による支配権は神が王に与えた権利だった。

神がこの世界を作って人間も作ったのだから神には人間支配する権利がある。王は神に権利を与えられたので国民支配する権利がある。



中世神学者たちが大真面目に神の存在証明に邁進した理由がこれでわかるが、

彼らは頭の体操をしていたのではなく、国家の礎として必要公共事業として神の存在証明し続ける必要があったのだ。ご苦労さま。

ところが、王が打倒されて国民自分たちの代表によって自分たちを支配する国民国家が生まれると、神は必要なくなる。

これがいわゆるかの有名な「神は死んだである

そして神に変わったもの国民自我と理性のみとなり、国民は唯一絶対ものであるそれらによって自分自身の足のみによって立つことになる。

これにて「近代的自我」いっちょあがりだ。

神と反出生主義になんの関係が?


神が存在すると反出生主義は成り立たない。

なぜなら人間が生まれてくるのは神が「産めよ、増えよ、地に満ちよ。」といったからだし、日本で言えばイザナキ神が妻ともめて「いとしい妻よ。あなたが千人殺すなら、私は、一日に千五百の産屋を建てよう。」といったためだからだ。

これには同意意志確認も入り込む余地がない。

神様が決めたことだから仕方がないのである

なので神がいる前提だと反出生主義は成り立たない。

フロイトによる無意識発見


更に時代は進みフロイトが登場する。

フロイトといえば精神分析だが、あとで精神分析手法全然間違ってたということがわかったせいで、その功績についても一般的には忘れられている気がする。

フロイトの偉大な功績は2つあって、1つ目は「精神科学まな板の上に載せたこと」それ自体

2つ目は今回話題にしたい「無意識発見」。

フロイト夢分析過程人間が表層意識には浮かんでいない、既に忘却している過去トラウマに影響されて現在の行動を選択していることに気がついた。

患者自身自分理性的に考えて選択した結果だと思っていても実は意識に登ってきていない「無意識」によって人間の行動や症状が変化する。

これはすごい発見だった。それまでは人間の行動は意識、つまり自我コントロールしているとされていたのだから

フロイト無意識の例で言うと、チャップリンの「ライムライト」という映画がある。

あの映画オチヒロインは忘れていた過去トラウマを思い出し、それを乗り越えることで身体的な症状も克服する。

これはフィクションだし、ちょっとフロイト的すぎるので、もっと卑近な例を出すと、

犬が苦手だなあと思っていたら、実は記憶にないくらい小さな頃に犬に噛まれたことがあった、とか

梅干し写真を見たら、「梅干しをこれから食べよう」と意識しなくてもつばが出るとか(パブロフの犬)。

映画映像の途中で肉眼では認識できないように一枚だけコーラ写真を入れておくと映画館でコーラの売上がのびるだとか(サブリミナル効果)。

こういう感じで無意識人間の行動に大きく影響を与えるということは、今では常識にまでなっているけれど、これを言い出した始めの人がフロイトというわけだ。

フロイト原始的欲望とかが無意識の正体だと考えてなんでもそれで説明しようとして失敗したわけだが、(夢分析の本とか何でも性欲で説明しようとしていてやばい)。フロイトの後続の研究者たちは無意識概念さらに発展させていった。

不随意運動からエス

表層意識に上らないのに人間の行動に影響を与えているもの、といえば「不随意運動」だ。

たとえば、眩しい光みたら瞳孔が小さくなるとか、膝を叩いたら足が上がるとかが有名だけどそれだけじゃない。

心臓が動くのを意識して止めたり動かしたりできる人はいいから鼓動も不随意運動には入る。

呼吸も意識すれば止められるけど意識しなくても止まるわけじゃない。意識しているとき随意運動意識していないとき不随意運動といえる。

表層意識には上らないのでこれらも無意識だ。

ところで人間意識は脳の一部である大脳新皮質で起こっている反応であることもわかってくる。

脳のその部分以外で起こっているこのと大半も無意識下で行われている。細胞代謝とか。

さらさらに、全ての行動に当てはまるわけじゃんないみたいだけど、「人間がある行動をとろうと表層意識で考える一瞬前に、既にその行動を取るためのニューロンが発火している」なんて話も出てくる。

さてそうすると、どうなるかというと、人間自分意識自分の体をコントロールしているという考えは実は間違いで、人間活動の大部分は無意識コントロールしていることになる。

意識が肉体(無意識)をコントロールしているという従来の主従の逆転がここで起こっている。

ここまで来ると「無意識」を拡張しすぎて「無意識」ってなにって話になってしまう。細胞代謝のことを「無意識」という言葉でまとめるのは違和感があるから

ここでいいたいのは「表層意識下に上らないすべてのもの」みたいな意味であり、一般的言葉の「無意識」とはちょっと違うものになってしまうので哲学者はこれに「エス」とかい名前をつけた。

なんでコギトが間違ってるのか


意識ではなくエス人間の行動を決めるのである。というか人間が何を考えるのかもエスが決めているといえるのだとするとコギトがおかしなことになってくる。

「われ思う故にわれあり」ではなく、「われ思わされているゆえにエスがある。われはあるかどうかわからない」に修正しなければならない。

反出生主義は全てを理性で説明しようとしすぎる


反出生主義の理屈を雑にまとめると、

「生きるのは苦痛である苦痛でない場合もあるが生んでみないと分からないのでいわばギャンブルである

「生まれる際に両親は子に生まれてもいいかという同意を取っていない」

「よって生むのは無責任であり生むべきではない」

理屈の通った三段論法に見える。

しか人間の9割は無意識下の存在であることを踏まえて見ると、見え方が違ってくる。

第一登場人物である「子」は産まされるという受動的な立場ということになっているが、同意を取るべきタイミングには意識存在しない。つまり無意識である

無意識相手に無理やり生まれることを強制するのかと反出生主義者はいうのだが、これまでの議論無意識エス)こそが人間の大部分であることをこれまで延々と説明してきた。

で、重要なことはその「エス自体は生まれてこようとする方向性を持っている、ということである

今だに現代人は意識がなければ何も決定することはできないと思っているが、むしろ無意識が先にあって意識が後から形付けられたといえる。そして人間の肉体の不随意運動は生き残ろう、という方向で行動を起こす。

精子の蠕動だって不随意運動だし、卵子排出だって不随意運動なのでこれらはエスである

胎児は産道を通るとき自分の体をねじって頭蓋骨を変形させながら外に出てくる。生まれてこようとする意志がそこには感じられるが、もちろん意識自我もない。

だがそれらの反射が自分自身ではない、というのもおかしな話である

それらはエスであり、自分自身である


それらが全て生まれてこようという方向に方向付けられているのに、「本当は生まれてきたくなかった」というのはどういうことなのだろうか。

自意識肥大化


自意識、理性を過大に評価するのが現代人の病巣であってこれは単に、いまだにデカルト呪いがとけていないのだと思う。

「生まれてこないほうがよかった」という人間だって、それはそれで大変な状況なのは間違いないのだけれど、ひざを叩けば足が上がるし、急に熱いものに触れられたら自分を守るために手を引っ込める。

生きたくないとか言うけど呼吸は止められなければ、心臓勝手に動いている。

体中の細胞栄養を取り込んで代謝をせっせと行っている。

どう見ても肉体は生きようとしている。

やっていることと言っていることが違う。

でも不思議なことは何もない。自意識なんて人間のほんの一部でしかいかである

自己境界定義自我から少し広げることをおすすめする


自己定義自我に狭めるべきではない。それは単にその方が精神衛生上いいというだけの話ではなく間違っている。

エス定義自意識に上がらないすべてのものと書いたが、哲学者によるとこれはつまり自我」以外の「世界全て」のことを指すらしい。

流石にそこまで悟ることは難しいが、自己定義自分不随意運動、や無意識の習慣程度にまで広げておけばデカルトの作った罠にはまらないで済む。


哲学やっとこうぜ


若いうちに哲学やっとくといいよ。

滅亡した理由が分かっていない古代文明って

文化的精神理由で滅亡したのかも知れない。

セックス禁止教が流行ったりとか。

誰もが近親相姦するように強制されたりとか。

神は死んだと信じるようになって、住民絶望したとか。

2021-05-18

ツイッターオタクども「お客様は神様です」のネタ何回コスったら気が済むねん

やれ「そもそもお客様は神様ですというのはお客様が言う言葉ではない」やら

やれ「神は死んだ」やら

やれ「神様ならお願い聞いてください。帰れ」やら

何周同じこと言っとんねん

もう出がらしじゃこのネタ

anond:20210518002422

神は死んだ ニーチェ

紙は死んだ ジョブズ

髪は死んだ ...

いいオチがにゃいが。

よくわからんが、アンチなんちゃら

自体宗教で(右翼左翼みたいな)

大学会社は、そういうセクトカルト的でないものだと思う。

アカデミックであり、宗教的(ひとつ価値観押し付け集団)ではない。そして、ある程度、そう言うものとの距離感ある。(強くは否定しない知的分析するみたいな)

2021-04-10

anond:20210410151229

神は死んだ」とか言ったニーチェさんは自殺しちゃったみたいに、

一度は信じたもの文化宗教をかなぐり捨てて生きるということは人間にとっては酷なことなのではないだろうか。

2021-01-04

神は死んだニーチェは言ったが

今になって振り返るとそれで人々が合理的科学的になるわけでもなく、むしろ死んだ神の代わりに人間一人一人が神のごとく正義を求め互いに争う悪夢のような時代が来るだけだったな。

結局のところ無神論者の方がよほどルサンチマンが強いのだ。

善悪問題を神に丸投げ出来た時代の方がまだ残った頭で合理的に考えて生きることが出来たのではないか

2021-01-02

初詣コロナ終息祈願してきた

こんだけ世界中で祈られてるのに

いつまでたっても終わらないって事はやっぱり......


神は死んだ!!!!!!

2020-10-05

神字書きをブロックした

 まずはじめに、私はあるジャンル二次創作をしているオタクである名前はほぼ無い。

 タイトルからわかる通り、私のジャンルには神字書きがいた。(ここではAとしておこう)

 彼女アニメ放送されていた時から活動をしており、Twitterアカウントには質の高い考察解釈があった。そんなAが生み出す小説は一文字文字きらきらと輝いていて、まるでダイヤモンドダストのように綺麗だったことを覚えている。

 Twitterではしばらく私の片思い状態、いわゆる相手方からフォローはされていなかったのだが、そんなある日私はAにフォロバされた。神のように尊敬するAに認知されたのだ。その時の私は純粋に嬉しかった。

 その時はちょうど某通話アプリサービスが始まったこともあり、タイムライン上ではフレ募集ツイートが溢れかえっていた。そのアプリ友達登録の画面に相互自動的に表示するので元々誰かと交流するのも好きだった私はとりあえず今のジャンルで繋がった相互申請を送った。あまりよくは覚えていないがAと通話アプリで繋がったのもこの頃な気がする。

 数日後、私の推すジャンルオンリーイベントにAが参加表明をした。私はAの本を買いに行く決意をした。

 それからというものの、原稿作業用としてAがよく通話部屋を立ちあげるようになったため私はAの通話部屋に行っては彼女解釈を語り合ったりお互いの作品感想を伝えあったりした。今思うとこの頃が一番幸せだった。

 歯車が狂い始めたのはイベント直後のことだったと思う。最初違和感を感じたのは差し入れありがとうございますという文面で上げられた一枚の写真。数々のカラフルな小包の中に私が差し入れものが写っていたこと。ここだけ聞くとどこがおかしいのかと思うかもしれない。しかしその投稿をした者には私は差し入れをしていないのだ。私が差し入れをしたのはA。Aは私の差し入れを別の者に横流ししていたのだ。…と、まあこれだけならアレルギーや苦手なものがあったのかなと済ませられた。

 しか彼女の粗野な側面はこの後どんどんあらわになる。この頃からAの通話には愚痴のようなものが見受けられはじめたのだ。それは聞くに耐えないものだった。例えば「○○さんの本は落書きみたいな本だった」とか「△△さんの作品地雷を踏んだ」だとかそういう陰口めいたものだ。

 またAはその頃、発売された公式アンソロジーについても言及していたがそれに関しても酷いものだった。「公式アンソロジー女体化するなんて信じられない」「外伝を読まないで書くなんて信じられない」「(カプ名)を逆にするなんて」挙げればきりがない程だ。しまいにはAは「金を払ったのだから物申す権利はある」と言い出しAmazonレビュー欄を荒らし始めた。そこにもはや神の面影は感じられなかった。

 その後何回か会う機会はあったが、もうこの頃には神として尊敬する気持ち微塵も残っていなかった。神は死んだのだ。通話アプリ友達も解消し、私は神として尊敬していたはずのAをブロックした。

 コロナ次第だが今度のオンリーで私は彼女とまた会うことになるだろう。席番はまだ出ていないがAとは隣になりたくない。そのためには徳を積まなければ。

あーー明日から毎日原稿の合間にジョギングして近所の神社にでも参拝しようかな。

クソしんどい

2020-07-05

底辺絵師は神絵師を乗り越えられるのか?

底辺絵師お気持ち表明です。

最近、なにかと話題のおけけパワー中島ですが、あの作中に出てくるキャラクターの実力は中堅以降クラスで私みたいな底辺から見ればクラスカーストの奴らの内輪話じゃん、というような感想しかなりませんでした。

勿論、主人公の七瀬、そして先日出てきた新キャラの友川においても最初底辺だったのかもしれないですけど結局(努力もありますが)実力をメキメキと身につけ、ある一定の評価基準まで到達しています

この真田さんの漫画において提示されているのは、『神に到達するなら自分も神同等の実力を身につける』という手法で、底辺は神へ接近・接触できるということです。同人界隈は特にこの傾向が強いと言ってもいいでしょう。

ですが、現実ではどうでしょうか。ここで、ジェームズフレーザーの金枝篇より王殺しを引用してみます

森の王と呼ばれる祭司がいた。逃亡奴隷けがこの職につく事ができるが、「森の王」になるには二つの条件を満たさねばならなかった。第一の条件は金枝を持ってくる事であり、第二の条件は現在の「森の王」を殺す事である

このように、実際に神との原始的宗教的体験というものを考えると、寧ろ神殺し底辺な者にこそ与えられていたパワーでしょう。

しかし、同人界隈というのは、いいねRTといった数的なものが良さに変換するプロテスタンティズム的な考えが主流であり、例のようなカトリック的な神それ自体神聖から神聖であるというような考えとは異なります。すると、ここで二つに考えが分裂します。

一つは、神絵師はいいねRTが多い人間であるというテーゼです。これはツイッターpixivにおいても閲覧数が多い方が神(結局上手なのだから見られる)というような考えであり、主流なものです。しかし、(閲覧数が高いから・売れているから)素晴らしいというのは、権威主義ともはや同じです。

そして二つ目に、その絵それ自体神聖であり作者は尊いのだという考えです。こちらもある程度支持する人はいるかもしれないですが、いいね1の絵を神なんだと言ったところでその当人にとってしか神でないというような話になってしまます。それでは、神としての効力というのは非常に弱いです。

では底辺絵師持っている力とはなんでしょう。それは数字神聖さもないということです。このようなペシミズムが、サド遺言のように誰にも作品を見せずこのまま消えてしまいたいというような感情へと移行することができれば、その時ついぞ神絵師を殺すことができるでしょう。

ここでなぜ神絵師神聖さを持つのかを理解することができます。すなわち神絵師とは、絵が上手い・閲覧数あるといったことではなく、多くの人間創作活動へと導いてきた人間であるから絵師なのです。

ですから底辺絵師は神絵師を殺す時がなければいけません。それは数的なものでなく神絵師思想を乗り越えるといった形式において考えられるべきでしょう。

友川は毒マロという形式を用いましたが悪手でしょう。本来ならば創作という土俵で、つまりA×Bの作品で表すべきだったはずです。

そして神絵師が神である以上、神は気まぐれであり何をしても許されるからあなたが信じた神だったのです。それをもう許せないのならあなたにとってはもう神は死んだ状態であります

我々底辺ペシミズムが神絵師を揺さぶる時、初めて神絵師との合一ができるのです。そしてそれを乗り越えて神を超越することができるというのが、底辺の強みです。神絵師になってしまったら神同士の馴れ合いしかありません。

結論として、底辺努力絵師天才絵師古典的王殺しレズが次の話として来るのではないかという予想です。

2020-05-24

神は死んだ

スーパー行ったらクレーマーいたんだけど

お客様さっきぶっ壊すっておっしゃいましたよね?何をですか?何をぶっ壊すんですか?」

って店員に激詰めされてた。

2020-01-10

[] #82-11「壱弐参拝」

≪ 前

「我々もそうだが、この国の人間ほとんどが信仰心を持っていない」

「そりゃあ、そうだろ。現代人の不平不満を神様解決してもらおうなんてのは時代錯誤だ」

昔の偉い人は「神は死んだ」なんて言っていたらしいが、俺たちから言わせれば、そもそも生きていたかどうかすら怪しい。

三種の神器』だとか言うのもあるが、あれだって世代ごとにコロコロ変わって安定しないだろう?

しかも、あれらは全て人間が作った物なのが明らかだ。

「人々の信仰心が薄れるのは、技術経済が発展した国では珍しくない。資本主義の晩期は、特にそれが顕著だ」

まあ、さっきの教祖みたいなイレギュラーもいるにはいる。

けれども、それが何で俺たちと似ているって話になるのかが分からない。

生活教にも信者がいるらしいが、あれだって大半が面白半分ネタ半分でやっているだけだ。

誰も信仰心なんてものは持ち合わせちゃいない。

不思議だと思ってな。そんな我々が、こうして初詣といって神社に参拝するのはなぜだろう、と」

ウサクの言葉に俺たちはドキリとした。

かに、そう言われてみると変な話だ。

初日の出のために夜更かしをしたり、祈る神も分からず拝む。

そんな非合理な慣習を、俺たちは何の疑問もなく受け入れている。

初詣に限った話ではない。夏祭りなどでは神社などの宗教施設を使い、自治体含めて多くの人間がそれを後援している」

宗教自由があるとはいえ、いつだって自由”はリソースとの相談だ。

俺たちはそのリソース宗教的なことに割いているって意識が今までなかった。

信仰心の欠片もないのに、事実上積極的に参加している。

ハロウィンとか、クリスマスも元々は宗教的なものだっけ」

「なるほどな、ある意味で俺たちは宗教にどっぷり浸かってるわけか」

「なーんか……変な感じ」

俺たちは軽く身震いした。

それは決して気温の低さからくる生理現象ではない。

上手くいえないが、ゲーム画面が暗転したら自分の顔が映った時みたいな感覚だ。

「改めて考えてみると、何とも奇妙な社会だな」

ここにカジマやタイナイがいたら、陰謀論だとかに繋げるだろうな。

あいつら、都市伝説特番とか好きだから

「ん~、確かにアニメ漫画とかでも、登場人物たちが神社とか行くシーン多いよなあ。葬儀も大抵は仏式だし」

そう思っていたら、誰かが藪から棒に喋りだした。

バイト仲間のオサカだ。

まるで最初からたかのように話の輪に入りこんできた。

次 ≫

2020-01-02

神は死んだのに、学者けが神でいられるわけねえだろ

昔々、あらゆる世界には神様がいて、とにかくそつの言うことには黙って従えという時代があった

父親だったり村の偉い人だったり、もちろん大学教授もそうだった

医師方針には絶対服従だし、演出家が灰皿ブン投げてきても文句ひとつ言えない

そして神はもう死んだ、そんな時代過去のものになった

なんなら昔は本当に神扱いされてた一族のゼニの使い道にすら、今や堂々とケチをつけられるようになった

今でも日曜の朝にやたら偉そうにしている神様がいるが、たぶんそのうちいなくなるだろう

もちろんそれはいいんだよ、そういう世の中の方がいいに決まってるんだから

でもそれはみんなが例外なく裸にフラットになることであって、学術権威にしたって同じはずだ

既存権威を軒並み破壊しておいて、なぜか自分たち権威だけはそのまま残る、そんなわけないだろう

引き続き偉そうにし、黙って言うことを聞かせられ、おまけに税金も好き放題に使える、そう思う方が間違いだし思い上がりってもんだろう

特に社会学者、てめえら新しい神にでもなるつもりか

2019-12-24

神は死んだ

狭いコミュニティに、小さな宗教があった。

青少年時代絶対的な、神のような存在がいたならば、縋りたくなるのかもしれない。

それとも単に流されていただけかもしれない。

逃げ出すことをしなければ、洗脳され、崇拝し、盲目的になり、排他的になる。そうしてますます絶対感が増し、信仰心高まる

部活動顧問と、生徒の話だ。

あれは、まごうことな宗教だった。

私は神のことを信じられず、けれどとある理由から逃げることも出来なかったので、そのコミュニティに身を寄せていた。

クソガキという異分子だった私は狭い世界で浮いていた。

からは集中攻撃に遭い、背後から信者に刺される。そんな日々だった。

結果という形で力を持っていた私は立場が低いわけではなかったので、一人で異分子派として居座っていたけれど。

いいや、何人か異分子はいたのだ。

しろ表面上は私と同じように振る舞う人間が多かったように思う。肩身が狭い中、彼らは仲間だとは思っていた。

一度、事件が起きた。

神がその立場追放される、そんな歴史的な日があった。

実に晴れやかな気分だった。荒れた土地の整理は面倒だなあと思ったけれど。

裏腹に、困ったのは信者たちだ。

流されるままに生きてきた彼らは、憐れな程に狼狽え、悲しんだ。

やがて、神を戻すべきだと立ち上がった。

分子だと思っていた人間とともに。

そう。真の異分子は私だけだったのだ。

これには裏切られた悲しみよりも、面白さの方がやって来た。

まず初めに鎖国して、国交を断裂した。卒業まで半年の頃だった。

ニセモノの異分子たちは、正式に神の信者になる者と、異分子ですが?という顔をしてこちら側に来た者に別れた。

卒業までそれは続いた。私は鎖国したまま、しれっと卒業した。

私は卒業してから一度だけ礼儀として挨拶に来たが、それ以降そのコミュニティに顔を出すことをしなかった。

信者や、ニセモノの異分子たちは、仲睦まじく傷を舐め合うような関係を保っていたようだけれど。

解放されて少しして、神が死んだと連絡が来た。

重大なそのニュースは、後輩である信者の、恋人から知らされた。

どうでもいいと思って聞き流した。

けれど、少しだけ連絡のとっていた信者確認したところ、連絡が来ていないというのだ。

信者たちだけで形成された連絡手段があるというのに、だ。

信者の後輩が私の友人でなければ、私も知ることは無かっただろう。

使える僅かなツテで、各地に散っている信者に連絡をしろと伝えた。

お前たちの神なのだから最期は見届けるべきだ。私は見届けないけれど、役目を果たしたのだから十分だろう。

もう奇跡の復活はない。

神は死んだ

何も出来ない愚かな信者だけを残して。

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