はてなキーワード: 公務員叩きとは
防衛大は入った時点で自衛隊に就職できることがほぼ確定している。
同じように、旧帝大の学生は入学した時点で公務員(準公務員も含む)になれることはほぼ確定。
みたいな感じにしてやったらいいと思うんだけどどう?
県庁の総合職、技術職、(もうちょい待遇を上げた上で)国公立小中学校・高校の教員、国公立図書館司書、国公立美術館・博物館の学芸員など
これらには、よほど成績が悪かったり素行が悪かったりしない限りほぼ確実になれる。
旧帝大に入れる時点でそれなりに性格も真面目で地頭もいいだろうから、仕事は務まると思う。
もちろん公務員になるには旧帝大じゃなきゃいけないってわけではなくて、他大卒用の採用枠は用意する。
あと旧帝大に入ったら絶対公務員にならなきゃいけないわけでもなく、民間就職したければしてもよい。
いや、なんというか、
能力的には申し分ないんだから、さっさと国が雇って、国のために働かせればええやん。
芋っぽくて大人しいけど真面目で優秀な彼らには公共の仕事がうってつけでしょ。
なにSPIで小学生レベルの算数解かせてんねん。コミュ力とか容姿で落として自信失わせてんねん。
嘘のエントリーシート書かすな。
そんで「就職できなかったらどうしよう・・・」ってビクビクさせるんだろ?
あと、優秀層の囲い込みという意味もある。
旧帝大でも垢抜けていてコミュ力抜群なやつはいるけど、結局、そういう層は外資に取られてんじゃん(特に東大)。
外資に取られるくらいなら、日本で公務員やってくれた方が良くない?
大学で研究して新技術を開発したり、歴史・文化の保護をしたり、地域のために働いたり、子どもの教育に携わったり、
そうしてくれた方が良くないか?
学歴社会叩きとか公務員叩きとかあるけど、そんなの全部嫉妬じゃん。
ちゃんと社会全体で優秀なやつを持ち上げて(上手いことおだてて)、安心して活躍してもらった方がええに決まってるやん。
変に引き摺り下ろそうとするから、民衆に敵意を抱いたり、自分の利益しか考えなくなったりするんや。
旧帝大生の人生を保証してあげることで、安心して国の発展のために働いてもらう。
だと思うんだけど、どう?
【追記】
別に低学歴をいじめろとか一言も言ってないのに、みんな意地悪やな。
完全にダメー❌
マジでアホすぎる。
お前が本気で「公務員に腰掛け」をしたいなら、2年以内に辞めろ。
2年だ。
2年までなら大丈夫。
「入ってすぐに違和感を感じて、1年間様子見して転職活動をすることを決めました」のストーリーで2年目に本格的に動き出して、周りからどう言われようが「うるせー!こっちは人生かかってんだよ!」で逆ギレしながら意地でも転職先を見つけろ。
「危機感があった。違和感を覚えた」って言葉を使いこなせば、公務員の大幅マイナスなイメージを逆に利用してちょいプラスぐらいまで持ってけることさえある。
PCがオンボロでマクロもまともに使えない事務員とか、アホみたいな所内規則に雁字搦めでハンコリレーばっかとか、先輩の仕事を手伝わされて書類にひたすらペン書き作業とか、朝早く来て事務所の雑巾がけとか、ゴミみたいな仕事ばっかさせられたって経歴さえも1年目ならまだ許される。
第2新卒までなら公務員というイメージのおかげで「最低限のマナーは身についてるだろ」と思ってもらえることがプラスに働くけど、そんなの社会人3年ぐらいになったら持ってて当たり前すぎて価値が0まで落ちる。
一つ言っておくが、筆記試験で点が取れることの価値は公務員以外の世界では「筆記試験で点が取れる」以上でも以下でもないから。
公務員の世界で筆記試験が重視されているのは、公務員試験が誰にでも門戸を開くって前提の元にやっている中で、本当に口先だけで知能ゼロのアホを叩き落とすための手段がそれぐらいしかないから。
公務員なんぞにまともな面接能力はないのは公務員自体も分かっているので、全ての面接官がポンコツだった時の保険として筆記試験の比重をやたら高くしてるってだけだ。
無能な面接官だらけ、無能な奴を学歴フィルターで弾くことも出来ない、この2つの要素を解決するための銀の弾丸として筆記重視の風潮があるが、他の会社はそんな異常な状況じゃない。
なぜなら学歴フィルターによって馬鹿は最初から弾けるし、面接担当者も何人かそっち方面のプロが混じっていてアホは落とすようになってるから。(注:中小企業は知らん。まあアッチは「ウチの事務所に馴染めるか」だけで決定していいような狭い世界だからもうそれで採用決めちゃっていいんだよな)
最後に、一つだけ言っておく。
公務員の筆記試験で点が取れるなんてのは、ニッコマレベルの大学出てる奴でさえ皆クリア出来る条件だ。
あんなセンター試験にちょっとしたIQテストを足しただけの代物、ニッコマに受かる程度の連中がガチれば皆普通に点が取れるようになるよ。
あんなので点が取れたことを根拠に「勉強できるんスよね―」とかかましてくるアホ、社会じゃ相手にされん。
皆が頑張って面接と自己分析と卒業論文に時間を使っている間、資格試験の勉強もせずに訳分からん参考書に必死にマーカー引いてたってこと自体がアホの証明みたいなもんなんだよ。
汚点と考えろ。
公務員叩きしてる奴らに読ませたい
仕組みのせいなのにそのことに気づかず、現場の人間を嫉妬ついでに叩く風潮があるよね。
わかりやすいのは公務員叩き。給料が上がらないのは仕組みのせい。公務員叩いたところで何か変わるの?変わらないよね。
子育ての面では先生も叩かれがちで、先生がどれだけ今激務なのか知らない人ほど自分の子どもをしっかりケアしてもらっていないと叩く。多忙すぎて物理的に無理なんだよ。幼稚園保育園とか更に薄給だしな。
仕組みのせい。仕組みはどこで調整されるのか。それはもう政策なんだよ。個人の力ではどうしようもできない。
暴力を許さず抵抗する活動を私も続けているが、今回のような事件が起こりうる社会を作ってきたのはまさに安倍政治であって、自民党政権ではないか。敵を作り、排他主義で、都合の悪いことは隠して口封じをし、それを苦にして自死した人がいても自身の暴力性に向き合わなかったことはなくならない。
https://twitter.com/colabo_yumeno/status/1545410438724079618
弱い立場にある人を追いやり、たくさんの人を死にまで追い詰める政治を続けてきた責任は変わらない。「誰の命も等しく大切」と多くの人が言う今、人の命の重さは等しくないんだなと感じさせられてしまう。
https://twitter.com/colabo_yumeno/status/1545410440280150017
安倍政権に上記のような問題点が皆無だったと言うつもりはないが、やはり正当な評価とは言えない。自分は護憲平和主義者なので安倍自民に投票したことは一度もないが、やはり肯定的に評価したい気持ちが強い。功罪を比較すれば、やはり功績のほうが大きい。
そもそも「敵」をつくって排撃するような政治は安倍政権の特徴ではなく、それ以前の小泉政権から民主党政権にかけて強くみられたものである。2000年代の政治では、「構造改革」「既得権益の解体」「税金の無駄遣いの撲滅」の名の下に、公共事業と地方土建業者、霞ヶ関官僚、公務員人件費がバッシングされた。「税金の無駄遣い撲滅」政治の行き着く先が2012年の生活保護バッシングであったのであり、これついては自民党はもちろん旧民主党系の野党もまさにど真ん中の当事者であって、無責任であってはならないだろう。
2012年12月以降の安倍政権では、こうしたバッシングの政治から完全に決別した。安倍元首相は「改革」「既得権打破」などとはほとんど口にせず、「アベノミクスで経済成長」を掲げた。税金の無駄遣いより、成長による税収増を目指すようになった。連日のように公務員叩きや生保受給者叩きを行っていたワイドショーの内容が、一気に「アベノミクスとは何か」の解説へと変わっていった時のことは、鮮やかに記憶している。
安倍政権にも確かに問題点が多くあったが、少なくとも公務員や生活保護へのバッシングには決して加担しなかった。既得権叩き、無駄遣い叩きではなく経済政策で解決を、という方向に大きく舵を切る役割を果たした。既得権者や税金の無駄遣いを叩く、ギスギスした陰鬱な政治から、まっすぐ成長をめざす明るい政治へ転換した。このことは安倍元首相の功績として、高く評価されるべきだと思う。
過激な公務員バッシング政党だった「みんなの党」はいつのまにか消滅し、一時は全国的なブームだった橋下維新も大阪以外では支持を広げられなくなった。新自由主義が政治の世界からなくなったわけではないが、表向きそれを扇動しようとする政治勢力は安倍政権期に退潮した。左翼やリベラル派の人たちについても、民主党政権下では政治的な立ち位置が迷走していたが、安倍政権ではわかりやすく元気に反政権・反体制のポジションをとれるようになったと言える。
安倍政権のせいで悪化したとされる中国・韓国への感情にしても、時系列データを見ると、大幅に悪化したのは民主党政権の時期であり、安倍政権期は横ばいか、7年トータルでは逆に若干改善している。これだけではなく、安倍政権の時期の大幅に悪化したとされるデータを探すのは難しい。たとえば貧困率は小幅の改善で、自殺率は大幅に改善している。安倍政権で日本社会が大幅に悪化したかのようなリベラル派の議論は、ネットでいくらでもデータを検索できる時代において、支持者を減らすことはあっても増やすことはないだろう。
いわゆる『非正規公務員』の話題になると、国民が悪いんだー国民が公務員叩きをするから悪いんだー、国民が公務員を減らせと言ったせいだー、
そもそも国民は誰も「公務員を減らせ」なんて言ってなかったと思うよ?(いや、もしかしたら少しはいたのかもしれないけれどけして主流派ではない)
「公務員叩き」をしていたとされる多くの国民は寧ろ、公務員の数を増やしてって言ってたんだよ
公務員がほぼ首にならない身分保障と各種手当てに恵まれ、年功序列で高賃金が得られる事に反発していた国民は、
公務員の「数を増やして」「一人あたりの過剰な好待遇を改めて」「特権を剥奪して」って求めていたんだよ、数を減らすのとは真逆だよ
給与を下げて、その分人数を増やしてくれってのが国民の主張だったでしょう?
でも実際に行われた事は真逆だよね
既存の公務員の高給は据え置きに、採用の人数を絞って非正規で賄うようになった
公務員の数を減らしたのは国民の声を聞いたからではなくてその反対
https://anond.hatelabo.jp/20210504201554
政権与党が強くて野党が低迷しているのは、政治家が多く出演する政治報道系の番組が激減したのが一つの理由。
2000年代後半は、与野党の政治家が積極的にテレビに出演していた。「サンデープロジェクト」「太田総理」「TVタックル」など。しかし2010年代になってから、「サンデープロジェクト」「太田総理」は消滅し、「TVタックル」も政治家がほとんど出演しなくなった。「朝まで生テレビ」ですら、政治家の出演はかつてに比べて激減している。(ちなみにこれらの政治系番組は報道としてレベルがあまりに低く、劣悪きわまりない公務員叩きと歯の浮くような民間企業礼賛が多かったので、減ったこと自体は非常に喜ばしいことだと思う。)
小泉政権の頃は、野党はもちろん自民党も、テレビに積極的に出演して支持を拡大するという方針があった。しかしそうした番組が野党を利することに気づいた自民は、政権復帰後に議員のテレビ出演を極度に制限するようになった。また懐柔と圧力を巧みに使い分けて、野党議員だけの一方的な出演を許さなくなった。与党政治家が出演しなければ、野党政治家が出演して政策理念を訴える機会も自然となくなっていき、国民の多くが野党政治家の顔と名前もわからない状態になっていく。それに加えて、希望の党の時の離合集散や維新の会の分裂などで、余計に野党の状況がわかりにくくなってしまった。
そのように、野党が好き嫌いというより、野党の何を支持したらいいのかがそもそもわからないのである。選挙公約における政策自体は、与党もそれなりにまともなことを言っており、むしろ野党の公約には「消費減税」など現実性が低そうな政策が並んでいるなど、野党への投票を躊躇してしまう要素が多い。
国会や官僚への合同ヒアリングなどで、かろうじて野党政治家がメディアに映るときもある。しかし、それがさらにイメージを悪化させている結果になっている。そこでの野党政治家の質疑はしばしば詰問調だが、現在の世の中では否応なく「パワハラ」を連想させてしまう。首相や閣僚相手はともかく、正面から言い返えせない感染症の専門家や官僚相手にも同じことをやってしまっている。パワハラに敏感になっている若い世代には、「野党の人たちはなんか怖い」というイメージが強くなっている。野党支持者たちのツイッターの、「政権与党は無能でやる気がない」という一方的で攻撃的な批判も、「怖い」というイメージを増幅させている。テレビ出演機会が多ければ、人間的に柔らかい部分も出せるのだが、その機会が奪われてしまっている。
(追記)
サンプロや太田総理は民主党政権の時期に終わったはずと言うコメントがあったが、これは重要なポイント。こうした番組で政権交替直前に喧伝していた、「増税しなくても無駄遣い削減だけで可能なマニフェスト」を結局実現できずに内輪揉めを繰り返したことで、同時に民主党の政治家が大挙出演していた政治系番組も、視聴者に愛想をつかされた。結果、民主党は野党に下った後もテレビに出演する機会がなく、民主党の政治家は「未熟」という印象だけを残したまま、急速に世間から忘れさられて今に至ってしまっている。その後、田原総一朗の「主張」をぶつけ合う番組はなくなり、池上彰の「解説」に徹した番組ばかりになったのも必然だろう。田原総一朗も少しは反省してほしいところだが・・・。
今をときめく(皮肉)総理が主になって、政治家による官僚支配を進めてきたことの弊害が、問題となりつつある。公文書の廃棄・偽造から総務省の接待問題に至るまで、この数年の政権の腐敗問題は全てこれに端を発していると言って過言ではない。
だが忘れてはいけないのは、これは全て
…といった過程を経て、官僚支配こそ悪の根源とばかりに公務員叩きを執拗に繰り返す政治家に喝采を送ってきた国民自身の選択の結果だということである。ここで勘違いしてほしくないのは、「公務員を叩いて弱体化したから政治家が暴走している、公務員の力を復活させよ」と言いたいわけではないということだ。
自分に見えている側からしか断言的なことは言えないので、あくまで限定した意見でしかないが、行政については「叩かれたから弱くなる」なんていうことは特にない。その結果大幅に予算と人員が減らされ権益が低下すれば別だが、どうせ誰かがその仕事をやらなくてはならないなら、金も人もそうそう減らせないのは自明のことだからだ。
ただ、「自分たちを叩いて人気が出る人を喜ばすのは嫌だな」ということだけははっきりしている。ならば、なるべく叩かれないよう外面を整え、偉そうに指示する人に責任を被せられるような体裁に仕立てて、その上で自分たちが力をふるう余地だけは確保することに最大限の労力を使うのが最善ということになる。そして、そのためには「政治家に正しい情報を提供しないこと」が重要になってしまう。こうして、膨大な労力が、極めて無駄なことに投下され続ける現象が生じる。
人気取りをする人に正しい情報を提供しても、それを人気取りにしか使われないなら害にしかならない。だから、情報の隠蔽は政官いずれにおいても重要な課題となる。政官は同床異夢とは言いながら、国民に対しての振舞いにおいては似た姿を見せる。ところが、情報公開から得られる利益の規準が異なるため、あるとき官僚が突然「正直に情報を公開」して政治家が「慌てる」ように、両者の仲は特によいわけではない。ただし、そうやって事態が表に出る段階では、すでに手打ちが始まっている。事態は国民の眼には見えないところで、収拾されてしまい、その構造は温存され続けるのだ。この構造、結局誰も得をしていないのではないだろうか。
もちろん、政と官の間には、緊張関係は必要である。ただ、個人的には、それが空転するような無駄な労力の投下にならないでほしいと願っていて、そのために重要なのは政治家の選び方を変えるべきでは?ということだ。現状の問題の大きな部分は、この高度に複雑化した社会において、「官の人材の能力」に比べて「(二世、三世頼りの)政治家人材の能力」が非常に劣っていることにあると思う。その原因は、官と対等に議論できる政治家でなく、毛並みがよかったりむやみに官を叩いて人気を博すれば二選・三選できる現状の「選挙」が糞システム過ぎるのではないかということなのだ。考えてみてくれ。最近の政治家の顔ぶれを。あれが本当に「国民の代表」として、厳しく選抜された能力者集団である官僚とまともに「議論」が交せる人だろうか? なんで政治の世界が「人脈」とか「長老支配」とかが跋扈する体育会系の世界で、自浄能力がないのか。なんで日本の政治家だけあれほど「発信力」がないのか。もちろん、似たことは世界中で起きているわけだから、日本のシステムが悪いとか出羽守をしたいわけではない。ただ、選挙制度をアップデートできれば、上記のような問題はかなり解決に向かうんじゃないか(言い換えればそれは即、政治家の顔ぶれをかなり挿げ替えることにつながるわけで、決して簡単な話ではないのだが)ということが言いたかったのだ。
これが難しいとすれば、第二案は「党の勢力に比例した内閣の大臣ポスト配分の義務化」言い換えれば「一定以上の勢力の政党全て与党化」策だ。これだけで、国会の効率化と活性化、情報の透明化、権限の分散と国民の政治関心の高まりを全て実現できるナイスアイデアだと思っている。もちろん、閣内の意志統一が難しくなるなどの問題は想定でき、たとえば国難の際にどうするか、などの問題も考えられるが、それは現在の自公政権でも同じであるし、そもそも国会自体が多数政党により運営されていながら日本と言う国家が安定的に運用できているのだから、言うほど現実的には問題ないと思う。何より、国対政治よりもはるかに政党同士の駆け引きは「見える化」するし、現実の国の施策として各党の主張も「見える化」されるわけだから、国会における白々しく無駄な論戦もかなり減らすことができ、官僚の負担も大きく減るのではないか。ぐちゃぐちゃ政策に文句を言われ続けるくらいなら、予算を与えて省庁を一個任せればよい。えんえんと言い逃れの無意味な答弁書を作成させて誤魔可し続けるより、ずっと効率的で透明である。