はてなキーワード: 昭和時代とは
(1)東京武蔵野病院は東京でもきっての大病院であり、有名であり、様々な患者の病状を補完するとして昭和時代から有能として名をはせている。
(2)最初に薬殺しようとしたのは、なんといっても宮崎県日向市の水野メンタルクリニックというクソ病院であるが、精神安定剤であるクエチアピンを100ミリ出して
(3)母親はかき氷と延岡でとれたぶどうを出すことで去勢しようとしてきた。
(4)平成26年7月22日に富美山に移った時に、下坂がスパコン作動させて自殺に追い込もうとした。よってなんらかのスパコンであるように見せていると思われる。
(6)荒川河川敷は、あるように見えるように様々な偽計を用いている。結局やっているのは警察である。
(7)平成25年から警察のスパコンが有能なのに対して、西村ひろゆきは何も対抗できない無能のカスである。しかし、ひろゆき&ホリエモン&GLAYなどはそれを知りながら何もできない。
(8)最初に明白に薬殺するという言動があったのは立野玄一郎である。それ以前に肥後からも、ロナセンを処方すると言って同様の言動がみられた。その後もスパコンが動いているのではないか
(9)門川で、MMKが、これは全部わたしの自作自演で裏でパソコンが動いているということを某日に言ってしまった。しかし、MHは、直接そういうことはないし、つつけばいうけど言わなかったら
言わない
東京大学法学部の特質は偉いことなどにはない。初等中等教育において、幾何学、整数論をはじめとして多くの演習問題を行い、人類生活には様々なルール的な技術があることを
体験した者のうち、全国模試などで成績優秀な者が採用されるだけ。法学部では、幾何学などで体験した知見や技術に基づき、社会に関する様々な法則を学び、人類社会の技術や
美しさ、人類が公共社会においてどのように住まうべきかを勉強する。東京大学法学部が昭和時代から社会をけん引し、現在の高度な社会を形成してきたことに間違いはないが、その特質は
偉大であるなどということではなく、現在のような社会で生活する技術などを学ぶだけの学部である。しかし現在の国民にはその意識が欠損しているし、文系のやる気のなさは見るに堪えない。
令和3年8月25日 年金機構提出用診断書作成。 広汎性発達障害。よく分からなかったからでたらめ書いた。顔面障害だから自宅療養を勧める。
俺の見解
平成10年ごろから突然勉強すると言い出すようになり、昭和天皇のように猛勉強、中学校での成績はばく進し、延岡西で井上修二の指導の下に英語の成績がばく進、
平成12年からは、二三さんのように延岡市のウエスタンヒルでZ会の添削に没頭し、書きまくった。しかし、平成13年頃から延岡西のカリキュラムでは東大などいけないと
嘆くようになり、現役不合格、平成14年に北予備に進学し猛勉強、東大模試で、AAABBB判定の順に出て、平成15年試験で東大文Ⅰに合格。駒場での授業も終えて
法学部進学、卒業後からおかしくなりうやむやになった。平成24年1月11日に奥秋に拉致され、黒羽刑務所での出役を経て別人になった。平成26年ー30年までは
延岡を猫のように走っていた。平成30年3月29日に生活保護に採用されるも、11月6日に篠原が付け火をしてから段々と精神憎悪が悪化。
最近の症状
団藤重光とか面白い人が大量にいた昭和時代は希望があったけど、お前がバカで犯罪者だから何も希望がない。 戦争は、30代以上の老人や弱者などの支持者対策と
地方再生、 若くて筋肉粒々、延岡市の河で遊んでいるようなウェーイを喜ばせるという結論しか出さない。
エロスポーツ店で買った短パンを履いているけど、ガタイがでかく全然可愛くもないし、いわゆる美少年でもないので、無効
またここで言う戦争、 武器を用意して何かの命を奪うというのを、拡声器を用意して運営に撃ち込み自分にとって都合のいい平和を勝ち取るなどの趣旨に理解しても
長谷川と森脇と奥秋を含めた犯罪者が存在するという全ての諸問題の相互関係等を考慮しても、白根真理雄などの層にとって、戦争をして得られるものは何もないと解される
また、最高裁大法廷首席調査官の男が戦争をした場合にも何も得られるものはないと解される。
確かに金員がどうといっているが、金員を支払い宿泊した施設の鍵をしめていれば、下坂行雄の催眠制御を絶対排除できるなどの事実もない。また、ここで自分が欲しいものは種種雑多
あるけれども、武器を用意し欲しいものを得ようとしたところで社会全体における人間の行動その他をみても、ぼーっとしている人がほとんどで、そのような問題を考える実益がない。
今から60年前の昭和時代には、その当時の延岡警察署の警察官が延岡市民から信用されていたため、現在の特殊状況下においても、そのようなものを出せるだろうという予想は
あるが、哲学上の超難問で、現状のものでは不可能であると思われている。理由は色々あって、まず、腐れしかいないこととか、法律は道徳ではなくテクニックなので、数学の勉強から開始しないと
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警察官や、松本恵介が法律を変えられないのはブサイクだからではなくて、負けていて弱者で残酷で、なおかつブサイクだからである。昭和時代のように勝っていた頃はブサイクでも
いくらでも臨機応変に法律を変えて使用できていた。しかし現在では負けているのでそんなことはしてられなく、変えたら負けるから変えられないだけのことである。だからお前はくだらない
のである。それからまた、平成時代において、ブサイクは常に負けていたから、平成時代においてずっと変えられなかったわけではなく、変えていた時代もあった。しかし平成26年から
施行されている法律は戦争に用いているので、弱者のブサイクはそれを変えられない。何もいいところがないとはこれのこつである。
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(最高裁大法廷判決昭和22年(れ)第123号、昭和27年(あ)第324号、昭和36年(し)第81号等)
警察官とは警察法により設置されたものであるけれども、その警察官には拳銃が貸与されており、具体的な個別的事案に対して、例外的な事情があるときは、その拳銃を取り出して
撃つことが出来る。この際に、警察官が所持している拳銃それ自体はただのものであって使用されていないときには哲学的にみても朽ち果てたものであり何の魅力もないけれども、それが
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本件は、警視庁に勤務する26歳の巡査が、都内の某所において、100メートル先から、包丁を振り回している20代男性が5名で接近してくるので、ホルスターから拳銃を取り出し
撃鉄を起こして5名の者に5発のたまを撃ち出したというものであるけれども、それ自体を日本共同体が見ていない以上、クソである。
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絶対にゆわんちゆうかよ、ものすげもんでよ、構成がよ、虚数やらば大量につこちょるかいよ、まあうそばっかりですげもんでよ、はるおがよ、コリヴァンフラッハ法で絶対にいわんかいよ、そりで完成
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か
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原始人の祈りのポーズに関する情報をアップデートする方法はいくつかあります。
小学生が夏休みの宿題でレポートを書く際には、以下の方法を試してみると良いですよ。
最新の考古学や人類学の本やウェブサイトを調べて、原始人の生活や宗教に関する新しい情報を見つけることが大切です。
地元の博物館や大学に連絡を取ってみて、専門家の意見を聞いてみると良いでしょう。
今も生きている原始的な文化を研究したり、その文化を持つ人々にインタビューして、祈りや宗教の方法を知ることができます。
図書館に行って、考古学や人類学に関する本を探してみてください。
インターネットで原始人の祈りや宗教に関する記事やビデオを探してみることもできます。
信頼性のあるウェブサイトやオンライン博物館を利用しましょう。
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とかすら言わないし。
いたばし花火大会が開催されたがその特徴などについて以下に記載する。
(1)通常の日は存在が確認できない、存在するはずがない、一般的に公営団地などから、弾丸のように大量の人が出現し、「いるはずがない」ような昭和のような人が大量に出てくる。
(2)座り込んで焼きそばを食べる若者、 シートを引いて弁当を食べている、 自宅の前で、バーベキューをする一戸建ての家族などがみられる。
(3)行きも帰りもとにかく大量となるが、でかぺちなどの警察官が、自転車から降りてくださいなどの大声がきかれる。
(5)その人並みの特徴として、自分たちはインターネットなんかしていないしみていない、といった強いオーラが出ているが、それがどこから来るかは分からない。基本的には警察主導。
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(7) 花火大会は、哲学的形象に訴えかけ、驚愕的な音とともに天空に打ち上げられる花火として成立するものの美をみることで1年おきに板橋区民を啓発する趣旨である。
近年の者はなんのためにこれをしているのかが分からないと思われるが、結局は、驚愕的な手段によって天空に花火を打ち上げ、そこに成立する美をみて、生活上の科学の成果を
披露する。
(8) 花火大会をみる一般人が大量に湧き出てくるときだけ、これらの者が善良な一般人として固定的に認識される一方で、このような一般人が大量に湧き出ているときだけ、
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生活をするというのは一定の場所から法則的に資源を公共社会に供給するという昭和54年頃から細々と続いてきた社会の思想のように思いますが別にこの40年かたそれしかなかった
わけではなくて色んなことがあったので、その思想に加担したくない人は自殺したりしているので別にその思想が社会を絶対支配しているわけではない。社会には何も生活する以外にも面白い
ことは色々あるわけなので。若者の間では、オウム真理教など、超能力を信じる人も多い。オウム真理教は、万事が万事、金もうけでうまく行くとは思わなかった精神的空虚感の広がりを満たす
ために出現した宗教団体です。昭和54年からの経緯をみてみますと私は58年の生まれなので、あまりよく知りません。生まれたときは地域に、Vセンターとか丸一などのスーパーがあったり
百貨店があったり色々なテレビゲームなどがありましたので、逆になんていうんですか、勉強をして資源を一定の場所から抜き取りだすために働くと言うような思想は浸透していなかった。
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ドラクエ5という画期的なのが出て、平成7年までに、6が出尽くして出がらしとなった。最後の命題は、まぼろしの大地とかそういうのではないか。ハッサンとかミレーユとかが活躍する。
平成8年に加藤周一はそういうことをいって一般的には実際主義しか残存しないといってそれの意味内容は金もうけになるといったんですが実際そうならなかったんですね。なんかあまりにもその
生活のための金もうけとですねそれ以外の遊びの間の魅力の間隔に愕然とするというかもう相当前から食べてるだけですよね。でも30代以上の世代ではそれを言ってはいけない空気があり、それに
愕然としますね。プレイスタシオンのこともいったらいけないし、ドラクエのことも言ってはいけない。それが最近の東京だったり痴呆だったりする。とにかく誰もいない。
東京都板橋区は昭和時代の価値観や能力を根拠にして出来上がった街なので、やたらと無駄なところに知力を注いでいるよく分からないところである。その街区が科学の正解かどうかも分からないし
経済に適合しているかも分からない。それだけ板橋区って無駄に調子に乗ってるところがあるっていうんですか、昭和のヤンキーっていうか、幾何学で中学生でも解ける奴を意図的に複雑にやったりする
ようなね、いうのがあるんですが、東京って結論は一緒でも無駄にでかくするようなところがありますよね、だから、同じ結論で無駄にデカいのが板橋区であって調子に乗ってるだけだからそれいいのか
どうか分からない。これが理想的な街かというと疑問なしとしない。板橋区はある種の愛情とか現実性とか、おかしみはあるかも知れないが、無駄におかしい街ですね。
(例のクソコテがBANされて休場したため、他の古参を昇進させました。おそらく異論はないものと思われます)→前回の【幕内】・【十両以下】 →【今回の十両以下】)
昭和時代やイオン、女装子などの例外を除き、森羅万象を罵倒して回る増田。自身の経歴からか、特に法や行政、裁判所を目の敵にしている。
何度も削除を食らっては毎回戻ってきており、かつての安倍botや低能先生に劣らぬ危険人物。
自分語りによれば、殺害予告による二度の逮捕歴に加え、今なお各所でトラブルを起こしているらしい。
文頭をスペースで空けるため、「字下げ増田」と呼ばれる(ごく稀に空けないこともある)。別名フミさん、まーさん他。
ナニがきっかけでそうなったか知らないが、男叩きや特定個人の誹謗中傷を目的としたTogetterのまとめを複垢で作りまくっては、それを増田やはてブで拡散しようと企む某ツイフェミ。
すでにTwitter・Togetter・はてブで凍結や垢BAN、404化を経験しているにも関わらず、すぐ別垢で戻ってくる札付きの悪質ユーザーである。ただ「Twitter」「Togetterのコメント」「ブコメ」「トラバ」
のそれぞれで文章を使い回す上、噛みつく人物もネタも同じ(共同親権・ヴィーガン・絵本作家「のぶみ」・龍神・はるくもなど。最近では案の定、暇空に粘着している)。たまに特定idのブコメと同時刻に全く同じ文面のトラバがあり、別人の仕業だとすればずいぶんタチの悪い粘着である。
はてブでも複垢を悪用し、404化を食らった前科持ち。現在もこいつの関与が疑われるはてブidが多数あり、「idが違うのになぜか文面が全く同じ使い回し」のブコメまで存在する。
なお、これら疑惑idと同名のツイ垢があり、他人のハンドルを借用している可能性もある。さすがにツイの方まで同一人物というオチはなさそうだが。
🍙
左翼・フェミ叩きに対して憎悪を燃やす超ベテラン増田。ネームド増田の中ではおそらく最古参。
「711」「R30のところにコピペしないの?」「いつもの地ならし」「○時まで寝ていたんだ」「見つかりそうか」「ということにしたいのですね」「おばさんはいいんだよ」「女子大生の設定では」「プロパンガスの専門家でしたっけ」などと、意味不明なクソリプを飛ばしてばかりいる。
また「プライベートで○ブクマwww」「自演ツリー」などと、むやみやたらにセルクマや自作自演を疑うのも特徴。
「自分の気に食わない奴は全員同一・特定の人物」という思い込みが非常に激しく、最近では無関係な他の増田をしきりに「番付作成者」呼ばわりしているが、
彗星のごとく現れたガチめの陰謀論系増田。最初の投稿はたぶんこれ。
この増田も字下げや以前のピアノマン同様、自分の経歴らしきものを頻繁に披露している。
「女性は下方婚しない」を筆頭に様々な持ちネタを操る反フェミ系増田。
パンティー
どういうわけか発達障害を「ハッタショ」、氷河期を「ヒョーガキ」呼ばわりし、異様に憎む増田。
「イスラム国行け」「大使館に駆け込んで『僕をスパイにしてください』って言え」「B型作業所でハナクソ入りのパンとかクッキーでもこねてろ」などの表現がなんとも厨二臭く痛々しい。
こちらもハッタショ増田同様、発達障害・セクマイ気取り系の増田をターゲットとしたクソリプ増田。
過去に投稿した長文トラバから、大量のリンクを貼ってくる過去からの追跡者。
以前はコロナに関する話題でも同様のトラバを繰り返しており、どうやら医療や教育に相当コンプレックスを抱えている様子。
わかりましたね?
突然現れては規約違反を厭わずブクマカや増田をグッサリ刺してくる、通り魔のような増田。
無駄に長い語りに過剰な自意識を挟んだクソエモ長文増田。ひとつバズると便乗して同じような長文が次から次へと湧いてくる、まさにゴキブリのような存在。
同類として「汗臭」だの「アロマ」だのと自称し、やたらセクマイを気取りたがる長文というのも多い。
おーぷん2chやまとめサイトから、おそらく他人の投稿を勝手に転載している増田。
他の増田にいらすとやへのリンクを貼る増田。URLだけ貼ると反映されない仕様のためか、「(^^)」という顔文字も添えられている。
以前は「コモンビート」という、ピースボートかそこら系のNPOのURLを添えていたこともあったが、これが規約に引っかかったのか、投稿が全て消えたことがある。
再投稿ネタを指摘する増田。複数人おり、微妙に仕事ぶりが異なる。
ただご存じの通りブクマカはトラバも本文も読まない上、過去の再放送ネタにも平気で釣られて伸ばすダボハゼなので、あまり意味がない。
既存の単語を微妙に並べ替えした変な検索をしている増田。検索の件数らしき数字もあるが、どこでどういう検索をしているのか不明。
消えたと思ったらまた現れた。まあ夏ですもんね。
その名の通りタイトルつきの長文トラバで様々な話題に首を突っ込む増田。
やたらと尊大な割にはChatGPTを堂々と使い倒しており、知能の程も知れている。
特定の日を不謹慎扱いする世間の風潮にぶち切れ、だったら他の日も全部不謹慎にしてやろうか、と企む世も末な増田。
詳しくはこちらを参照。
幾何学でもそうだが、今月の、Newtonに、パスカルの定理が掲載されていたのをちらとみた。パスカルの定理とは何かというとそういうものであって証明技術ではない。しかし、同定理が
証明技術それ自体ではないからといって、別の問題を証明するときにパスカルの定理が出てくることが驚愕的な論法であると幾何学者の間では言われているので、パスカルの定理はものである
とともに技術に使用される定理である。ところで法律学においては単に一般に法令が交付されるだけで、そこに書いてあることがどのような技術であるかは一般的に語られることもないし、
2ちゃんねるの法学板、司法試験板、霞が関の基本書などからも説明が消滅した、遺跡のような学問である。では、裁判官や検事がなぜ実務法律学の技術を説明できないかといえば
簡単なことで、40年くらい前に朽ち果てて誰も理解できないからである。ちょうど、現在の東京大学経済学部、医学部でやっていることが意味不明なのと同じように、判例六法は存在していても
そこに書いている技術が高度過ぎて理解できないからである。経済学部や医学部でやっている研究が過激なのと同じように、法学部でやっている研究が小学生でも理解できるなどと言われる
いわれはない。当然、難しいに決まっている一方で、若い世代が誰も理解できないのを知っているから老人が黙っているわけである。数学の定理がそういう結論であり、証明は、公理系を用いて
その結論を導出し、支持する作業であるのと同じように、法律の場合は、ものや技術が複雑に込み入っている。しかし、例えば、集合債権譲渡担保の問題のように、それのものや解釈技術などが
どのようなものであるかについて詳細に解説している法学者はいない。かつては、都立大は、民法学のおけしゃ、東大では、森田宏樹、等の他、判例百選に評釈を書いていた学者が多くいたが
法学部生はそれを読んだというだけで何が書いているのか分からない。流動債権譲渡担保の制度は、60年前からあったわけではなく、平成に入ってから編み出された構成であり、様々な民法学者
が論文を書いている。しかし数学者と違い、法学者は、どの制度がどのようなものであるかについて一般に説明することもないし、遊んでいる者が理解できるように書かないのが一般である。
しかし民法判例百選に限って言えば、そこの文章に、「この判例を契機に華々しい議論が陸続した」などと書いていることから、背後に何らかの技術的思想を隠しているものとみられる。
東京大学法学部は一般に昭和時代からの伝統として、幾何学をしないような者は入れないところであるので、民法学の内田貴、江頭憲治郎などの先生も、自分たちはちゃんと一流高校で
幾何学をやってきた貴族であるくらいの顔をして講義をしていたのを、わたくしが法学部にいて授業を受けた時代に覚えている。さすがに内田貴先生はパスカルの定理には触れなかったが、刑法の
西田典之先生は、わたしは先日風邪をひいて驚愕しました、という言葉を最後に死んでいった。西田典之先生は平成18年の講義で、まあ今時こんな授業を受けている者はいないでしょう
などといっていたが、商法の友厚にしても、自分たちは知能指数が高いとか、文化性があるとか、数学を全部知っているという自慢がすこはかとなく凄かったようには思う。
このように、東京大学法学部は、開成、灘、ラッサールなどでちゃんと幾何学をやってきたし知能指数も高くこれからの霞が関高級官僚にならんという自慢の凄い学部であったとは思う。
しかし、警察官僚の小笠原ぺちちのように、東京大学法学部は、ぺちちわら和美がいくようなところではないので、わたしの時代は、なんというかもっと、そこの学生は、灘、開成、ラッサールで
育てられた特別な人間というオーラが凄かったので、そういう学生に囲まれてじぎょうを受けていた時代は幸せだったというか誇らしかったが、確かに、東京大学法学部は、真面目で、幼少時から
英才教育、特別に育てられてきたという意味で若い者に自慢にはなっていたが、平成19年にハーバードから帰ってきた佐藤の言っていることは自慢にも何にもならない。
フェルマーの大体系で、n=4のときのフェルマーの証明がもっとも要点を得ていて、なおかつ、無限降下法という以後に一般的に知られる驚愕的な技術を編み出したと言われているので
フェルマーのしたn=4における仕事がもっとも多産であったと言われている。フェルマーは全部のnに対する証明は難しいと言われているが、4のときが構成されたため、4の倍数では全て
証明され、25%の自然数で証明されて多大な利益を獲得した。これに対して、オイラーのn=3における証明は、同じように無限降下法を用いているが非常に進捗のないものだった。
18世紀になると、クンマーが、理想数という独自の見地から61%の素数で証明を達成したが、本質的でなかった。特段に体系的な利益が得られなかったため、志村谷山は、複素関数
モジュラー性から迫ろうとしたところ、現代数学界に多大な進捗がみられ、コホモロジー理論など実りのある一般理論を多く生み出した。代数的サイクルやエタールコホモロジーなどについて
一般的な著作をものしたのは、今年で定年退官になる斎藤秀司教授である。他方で、初等研究は、n=4で行き詰まり、n=3.5の証明ではとりかかった各数学者の独自の領域にとどまり
何らの応用のある着想も出てこなかった。x^p+y^p=z^p以後、ソフィージェルマンは1つの定理を発表したが条件付きのもので以後なんらの進展もしていない。
戦後の東京社会ないし工場の研究状況であるが、昭和天皇は、共同研究による経済的効率性を優先して徹底してやったことから戦後30年の時代には様々な学問分野で生産の沃野
を獲得することができた。そのきっかけは、とにかく工場で共同知見で行えば一人でやるよりも多くの結果が出るだろうという考えで実際に戦後30年で日本国民の平均余命は40歳から70歳
80代まで一気に爆増した。昭和時代における数学の書物によくみられる表現として、そう考えるのは自然である、自明である、といったものである。昭和天皇は、哲学を徹底的に研究し