はてなキーワード: ハイコンテクストとは
すごい評判良かったからやったけど、本当に微妙というか何も残らなかった。選択肢がストーリーに影響を与えることがアドベンチャーゲームとしてそこまで画期的なのだろうか。あんまりやったことないからわからないんだけど。
こういうのの良さって一生分からない気がする。中高生くらいから、男はダークソウルとかバイオハザードといったちょっと暗い系のゲームに手を出し始めて大学生〜社会人になるとインディーズゲームとかやりだす。でも俺はいつまでも直球勝負のどストレート任天堂ゲーしか楽しめない。でもそんなひねりもない展開ばかりにも飽きを感じていて、たまにこういったインディーズゲームに手を出す。Inscryptionとか。あれも本当に面白くなかった。
なんか、ハイコンテクスト(ぶってる)ゲームが全く気に入らない。アンダーテイルとかはもう序盤で辞めてしまった。漫画家の稲垣理一郎が漫画家にはアーティストになりたい奴とエンタメを作りたい奴がいるみたいな話をしていて、俺がハマれなかったタイプは全部アートなゲームじゃねぇかと。
よく分からないハイコンテクストなゲームは、よく分からないから、何らかの理解できなくても感受できる良さが必要なはず。それが無いと誰も遊んでくれないから。TwitterやSteamのレビューを見ると、この作品からみんなは何か受け取ってるみたい。俺は何も無かった。無いを受け取った。はあ
この増田というかこれについた反応やブコメを見て思ったんだけど、適当な定義で強い言葉を振り回してる人間多すぎ
「人間扱いしていない」 だぞ?
人間扱いしていないっていうのは、ためらいや罪悪感を持たずに人をぶっ殺すとか、人身売買とか、完全な無視(存在の否定)とかそういうのだろ
人間扱いとは
だの
だの
若い女性に初対面で「おっぱいおっきいね。何カップ?」とか「彼氏いるの?」とか聞いちゃうキモいおっさんだって相手をセックスの対象としてみてるんだからこの上なく人間扱いしてるだろ。
逆に、電信柱とかカクレクマノミに対してナンパしたりセックスしたがるやついるか?
なんで性欲向けたら人間扱いしてないことになるんだ?
初対面のおばあちゃんと話すとき、そのおばあちゃんがどこからどうみても一般庶民おばあちゃんだったときと英国の女王だったときで対応変えないやついるか?
変えないやついたらそっちの方がやばいだろ。
相手の属性で振る舞い変えるなんて日常のあらゆる場面で誰でもやってるし、それは「人間扱いしてない」ことにはならない。当たり前の話。
美人(イケメン)と不細工で態度変えないやつはいても、そいつが常に相手の属性で態度を変えないわけじゃないってこと。
いや大抵の場合、相手の人格を無視してようが軽視してようが否定してようが、人間としては扱ってるだろ
人格を無視してたとしても、相手を目覚まし時計やオムライスのように扱ってるわけじゃないんだから
相手の人格の存在そのものを認めていなければ、人間扱いしてないと言えるかもね
ここまで読んで「ごちゃごちゃ屁理屈こねんな。そういうことじゃないんだよ」って思ったやつ。
もう一回よく考えてみて
なんでこんな攻撃力高い言葉を自分の都合で勝手にハイコンテクストな定義をつけて、あまつさえそれを他者に向かって投げつけてんの?
そっちの方がよっぽど醜悪だろ。
「性欲を向けない」でも「属性で態度変えない」でも「人格を尊重」でもいいけどその定義はどこでコンセンサス取ったの?
いいか?
「若い女性というだけで性欲の対象として見る」 ことは 「相手を人間扱いしてない」 ことではない
「性別や年齢や国籍、美醜など、相手の属性で態度を変える」 ことは 「相手を人間扱いしてない」 ことではない
「相手の人格を尊重しない」 ことは 「相手を人間扱いしてない」 ことではない
「相手を人間扱いしてない」 って言葉の意味は 「相手を人間扱いしてない」 ってことなんだよ
わかった?
沖縄の焦土作戦、本土空襲、原爆、硫黄島やインパールの玉砕、魚雷、帰れない飛行機
こういうものを支持して成立させたのは当時の頭の悪い体育会系の陸軍
今だってスポーツ選手を議員にしようとか言ってるアホや頭のわるい元ラグビー部員が政治家やってる
こういう反知性主義者たちのトップダウンが吉本やakbに数十億も助成金出させたりしてる
知性、洗練されたもの、勉強、成長を促すもの、アート、音楽、ハイコンテクストな何もかもを嫌い、
わかりやすい道化とポルノを好む連中がトップに立ち続け、そういうのを支持してるのがこの国の国民である。
しかもそのスポンサーのエセ右翼の老人はまだ戦前回帰だなどと抜かし、軍拡なんて言ってる
ミサイルを高額で買わされ、お隣の国にはODAやら宗教団体への献金やらパチンコ利権で金を流す
何でか?
「おもしろいミステリとは何か」を語るなら、まず「ミステリとは何か」を定義する必要がある。私は以下のように定義をしている。
「倒叙ミステリ」のように犯人側が殺人を犯す心理を描いていく作品もあるのだが、本エントリではとりあえず上記の定義を厳密に適用し、倒叙ものはミステリではないとする。また東野圭吾『容疑者Xの献身』のように、犯人側と探偵側の視点が入り混じり、その構造自体が読者へのサプライズになるような高等テクニックを用いた小説もあるのだが、こういうものも一旦ミステリではないとする(古いミステリファンならご存知だろうが、実際に『容疑者Xの献身』が本格ミステリなのか否かで、大議論が起きましたな)。
ミステリとは〈謎を追う構造を持つ物語〉である。その謎には、大きく分けて二種類がある。〈人間の謎〉と〈トリックの謎〉だ。
ブコメでも出ているが北村薫の「私」シリーズは典型的な前者で、日常の中で発生する何らかの謎を解いていくと、その謎に関わった人間のドラマに突き当たるという構造を持つ(ざっくりと説明しているので、多くの例外を切り落としている)。ストーリーにミステリの構造が使われていて、サプライズも用意されているものの、最終的には人間ドラマを描くことが主眼の小説と考えていい。
翻って「トリックの謎」というのはいわゆる〈本格ミステリ〉と呼ばれるジャンルで、絶対に不可能な方法で殺人などが行われ、犯行に使われたトリック自体の面白さで読ませるものと考えればよい。綾辻行人『十角館の殺人』はもろにこちらに当てはまり、実際にトリック自体が斬新で衝撃があったため、名作としていまに至るまで読みつがれている。
ミステリを巡ってしばしば問題になるのが〈人間が描けていない〉という件だ。平たく言うと、トリック小説は人間ドラマとの相性が悪いのだ。人を殺すならば夜道で後ろから刺せばいいだけで、わざわざ密室を作ってその中に閉じ込めたり、アリバイトリックを仕掛けて警察を欺いたり、クローズドサークルの中で大量殺人にチャレンジしたりなど、コスパの悪い行動を取る必要はない(実際に、現実世界に本格ミステリのような事件は存在しない)。トリック小説としての面白さを作り込めば作り込むほど「こんなことをする人間がいるわけないやん」という問題が浮かび上がり、リアルな人間ドラマからは遠ざかる。これは構造的に仕方のない問題であり、謎解きミステリが文学賞レースで弱い理由もここにある。
増田は〈トリックの謎〉に特化したミステリに対し〈キャラクター描写やストーリーを偏重〉する読みかたをしており、こう読まれるといかに名作といえどつらいものがある。アダルトビデオを見て「ストーリーがめちゃくちゃじゃないか」と言っているようなもので、〈トリックの謎〉系の小説を読む際はモードを変えなければならない(とはいえ『十角館の殺人』が小説として稚拙すぎるというのは私も同意するところで、いかにトリックが斬新であろうともこんなもん評価できるかという増田の主張は、理解できる面もある)。
まとめると、ミステリには二つのタイプがあり、それぞれ別の軸で評価しなければならないということだ。〈人間の謎〉を描くタイプのミステリでは、ミステリとしての驚き + 最終的に描かれる人間ドラマの深度が評価ポイントとなり、〈トリックの謎〉を描くタイプのミステリでは、ミステリとしての驚き + トリックの面白さが評価ポイントとなる。「面白いミステリ」とは、その作品が属するジャンルで高いポイントを得たものといえるだろう。両者をごちゃまぜにして測るべきでない物差しで測ってしまうと、価値を見誤る。
『殺戮に至る病』は読んだのが昔なので覚えていないのだが、構造的にはサイコ・サスペンス + ラストに驚きがあるという作品だったと思うので、ここではミステリとしては扱わない。
上述の通り。
〈キャラクター描写やストーリーを偏重〉するのであれば、〈人間の謎〉を主眼に置いた作品を読むのがよいかと思う。とはいえ『十角館の殺人』以降、綾辻行人はぐんぐん小説が上手くなった人なので、例えば代表作『時計館の殺人』なんかだと、あくまでトリック小説ではあるのだが、小説としてのエグみは『十角館』よりもだいぶマイルドになっており増田も楽しめるかもしれない。
米澤穂信はミステリの構造を使いつつ、それを深みのある人間ドラマと融合させていくことに長年取り組んでいる人で、『王とサーカス』は代表作のひとつでもある。2001年のカトマンズで起きたとある政変がテーマとなっているが、殺人事件の謎を主人公の女性記者が追っていくにつれ、〈報じるとはなにか〉という現代的なテーマが浮き彫りになる。磨き上げられた体温の低い文体も素晴らしく、読んでいる最中カトマンズの街を旅している気分になる。
〈人間の謎〉と〈トリックの謎〉は相反するというようなことを書いてきたが、それをムリクリ融合する試みも過去何度も行われており、島田荘司はそれを最高レベルで達成した作家のひとりである。『奇想、天を動かす』では作中で大トリックが使われているものの単なるトリック小説ではなく、読むにつれ戦後日本という巨大なテーマが立ち上がってくる。
連城三紀彦は〈人間の謎〉を描くことに主眼を置くタイプのミステリ作家で、吉行淳之介を思わせる優れた文体をもっているのだが、そういった文芸調の作品にやけにハイコンテクストで作り込んだミステリの様式を持ち込むあたりがユニークな作家である。『宵待草夜情』はいずれも重厚な人間ドラマが描かれつつ、そこに作り込まれたミステリの要素が投入されていて大変面白い。最高傑作と呼ばれる「花虐の賦」も収録されている。
『スパイダーマン:スパイダーバース公開前』と『スパイダーマン:スパイダーバース公開後』ってレベルでアニメ史に革新を起こした作品の続編も
非常に素晴らしかった!!!!!100点満点💯!!!!!はなまる💮!!!!
ただ、せっかくだからこの革新的な映像は4DXで味わいたかったなぁ・・・・・・時間はあったはずなのにダラダラしていたら間に合わんかった
スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバースも、ハイオクリティーの3DCGとアニメーターによる手描き効果+特殊エフェクトが素晴らしい
その技術については、YouTubeやブログで詳しく語られているので省略
映画館で観た感じはどうかというと、めちゃくちゃに攻めたアングルとレイアウトで、
まるでリアルのジェットコースターやVRでドローンシミュレーションをしているかのような臨場感があった!!
(でもマジでぐるんぐるんするので、3DCG酔いしやすい人や体調の優れない人は、配信やDVD待ちをした方が良いかも・・・)
ストーリーは前作を見ていることを前提としていて、見ていない人は少し置いてけぼりになるかもしれない
日本での前作の興行成績はイマイチだったのに、本作の公開を決めた映画館は勇気あるなぁ・・・(しかも2部構成だぞ)
ただ、お話の内容は、スパイダーマンのマルチバースを描きたいが先行しているので、すごいアニメが観たいが主目的の人は前作を見ていなくても楽しめると思う
お話の内容は、ティーンエイジャーの自立/家族/いつものアメコミなので不快な要素はない
ただ、家族の描写は同じいつものアメコミでも『シャザム!』の1作目の方が良かった
『アクロス・ザ・スパイダーバース』の両親は非常に物分かりの良い親で、良いことは言ってくれるけど、すべてを言葉で片付けてしまうので、めっちゃハイコンテクスト、
(『シャザム!』の1作目は、ようやく探し当てた生き別れの母親が『そもそもあなたを愛していないのよ』『10代の私にとってあなたは負担だった』って言うめっちゃシビアな展開)
この映画を観て、パヤオがいなくなった後も、このようなアニメーションが作られるのであれば、今後も劇場アニメーションが楽しみだなぁって思った
日本もジブリ(パヤオやパクさん)に頼らない形で革新的なアニメ作品が作られる環境があればいいなと思った・・・・
ーーーーが、『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』も、監督の無茶振りで100人以上のスタッフが離脱の超過重労働だった模様wwwww
まぁここまで徹底したアート作品作ろうとすると、やっぱブラックになっちゃうのかも知れない
バカも含めて客扱いしないと食いつなげない業界構造になっちゃってるんだよね。
NHKが金の話か、という文句は分からんでもないが、NHKだって予算に限りはある。
どの企画を選ぶかの指標に企画者の過去案件の視聴率が用いられるのは仕方ないと思う。
ハイコンテクストなコンテンツは客が減っちゃうから、太いパトロンを探すか、残った客が減った客の分も負担するかどちらかしかない。
しかしながら、ハイコンテクストなコンテンツを求める客が高い金払ってくれるかというと、そうとも限らないのが大変なんだよな。
ハイコンテクストなコンテンツを求める金払いの良い客に上手くリーチ出来る手段を見つけられたら業界構造が変わってバカを客扱いしなくてもいい時代が来るかもね。
ってよく考えたらかなりハイコンテクストな文だな
生徒の「先生トイレ」という発言に対して先生が「先生はトイレじゃありません」と返すことで伝えたかったことは何でしょう?とか聞かれたら配点高い問題だろうなと思う
もちろん「先生≠トイレ」とか「先生∉トイレ」とかいうことは生徒も知っているし、そのことを先生も分かっている
生徒の「先生トイレ」という発言の意図を先生が理解できなかったとか、一般に「先生トイレ」では意図が伝わらないことが多い(と先生が考えている)とかいうことも考えにくい
したがって、他人(あるいは目上の人)に対しては丁寧な言葉づかいを心がけましょうという指導を先生として行っていると考えるべきなのだろう
自分もグレーゾーンだったんだと思うけれど、親からの「普通にして」が本当につらかった記憶しかない。
就職してからの指導員的な社員からの「課長だったらどう考えるか考えて...」みたいなのも何を言っているのか全く理解できなくてつらかった。
結果、学生時代の先輩が働いていた自分と似たような奴が多そうな会社に誘われて、転職して、今に至る。
社内の仕組みもそっちに合わせて作ってあるからそれなりに快適。
...というか、前職はハイコンテクストカルチャー過ぎてこちら側の住人にはきつかった。
言わないでもわかるだろが多すぎて、何をやってほしいのか全く分からないし、それを察せないと怒られるという理不尽さ。
ローコンテクストカルチャーは一から百まで説明して当たり前だし、オーバーコミュニケーションのほうが良しとされているから、そういう理不尽さはない。
https://twitter.com/___yami1028/status/1650801417739984896
@___yami1028
「え、私36kgだよ〜」って平然と言っててもはや恐怖を感じた
なんかの疾患を抱えているなら申し訳ないけど、36kgって小学5、6年生くらいの体重じゃん、普通に考えておかしいよ
なんも知らない頃は「心配してくれてるんだ、ええこやなぁ」で終わってたけど、
「女は誰かを叩いたり虐める時は『心配系』で追い込む」と聞いてからこういうの見るとゾっとするようになった。
確かに誰かの体形を普通に考えておかしいとか疾患抱えてるとか言わないわな