はてなキーワード: 接頭辞とは
〇〇ガチャ\月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 合計 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
親ガチャ | 4 | 3 | 8 | 3 | 7 | 22 | 9 | 8 | 455 | 143 | 49 | 19 | 730 |
子ガチャ | 1 | 1 | 3 | 1 | 48 | 11 | 15 | 2 | 82 | ||||
国ガチャ | 2 | 2 | 1 | 1 | 1 | 19 | 10 | 4 | 40 | ||||
因子ガチャ | 15 | 5 | 2 | 1 | 23 | ||||||||
環境ガチャ | 2 | 1 | 1 | 1 | 3 | 5 | 5 | 18 | |||||
子供ガチャ | 2 | 2 | 9 | 3 | 1 | 17 | |||||||
遺伝子ガチャ | 2 | 2 | 1 | 3 | 6 | 2 | 16 | ||||||
連ガチャ | 2 | 2 | 4 | 3 | 1 | 3 | 1 | 16 | |||||
上司ガチャ | 2 | 1 | 2 | 2 | 2 | 1 | 2 | 2 | 1 | 15 | |||
性別ガチャ | 10 | 3 | 1 | 14 | |||||||||
配属ガチャ | 1 | 4 | 2 | 2 | 1 | 1 | 1 | 12 | |||||
自分ガチャ | 1 | 10 | 11 | ||||||||||
課金ガチャ | 1 | 1 | 2 | 1 | 1 | 2 | 1 | 9 | |||||
時代ガチャ | 1 | 5 | 2 | 1 | 9 | ||||||||
無料ガチャ | 1 | 1 | 1 | 3 | 2 | 1 | 9 | ||||||
限定ガチャ | 1 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 8 | |||||
人生ガチャ | 1 | 4 | 1 | 2 | 8 | ||||||||
精子ガチャ | 1 | 5 | 1 | 1 | 8 | ||||||||
確定ガチャ | 1 | 1 | 1 | 1 | 3 | 7 | |||||||
出生ガチャ | 3 | 1 | 1 | 1 | 1 | 7 | |||||||
職場ガチャ | 1 | 4 | 2 | 7 | |||||||||
生まれガチャ | 1 | 1 | 1 | 3 | 1 | 7 | |||||||
地域ガチャ | 1 | 6 | 7 | ||||||||||
家ガチャ | 2 | 1 | 1 | 2 | 6 | ||||||||
会社ガチャ | 1 | 3 | 2 | 6 | |||||||||
隣人ガチャ | 2 | 2 | 1 | 1 | 6 | ||||||||
おはガチャ | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 5 | |||||||
医者ガチャ | 1 | 2 | 2 | 5 | |||||||||
自治体ガチャ | 3 | 2 | 5 | ||||||||||
ウマ娘ガチャ | 1 | 1 | 1 | 1 | 4 | ||||||||
案件ガチャ | 1 | 2 | 1 | 4 | |||||||||
遺伝ガチャ | 3 | 1 | 4 | ||||||||||
嫁ガチャ | 1 | 2 | 1 | 4 | |||||||||
家族ガチャ | 1 | 1 | 1 | 1 | 4 | ||||||||
教師ガチャ | 1 | 2 | 1 | 4 | |||||||||
現場ガチャ | 1 | 1 | 1 | 1 | 4 | ||||||||
子どもガチャ | 2 | 1 | 1 | 4 | |||||||||
就職ガチャ | 2 | 1 | 1 | 4 | |||||||||
新ガチャ | 3 | 1 | 4 | ||||||||||
体質ガチャ | 2 | 1 | 1 | 4 | |||||||||
担当者ガチャ | 1 | 3 | 4 | ||||||||||
旦那ガチャ | 1 | 2 | 1 | 4 | |||||||||
地ガチャ | 3 | 1 | 4 | ||||||||||
彼女ガチャ | 3 | 1 | 4 | ||||||||||
夫ガチャ | 4 | 4 | |||||||||||
奥さんガチャ | 3 | 3 | |||||||||||
結局ガチャ | 2 | 1 | 3 | ||||||||||
結婚ガチャ | 1 | 1 | 1 | 3 | |||||||||
住人ガチャ | 1 | 2 | 3 | ||||||||||
出身地ガチャ | 1 | 2 | 3 | ||||||||||
常設ガチャ | 1 | 2 | 3 | ||||||||||
世界ガチャ | 1 | 2 | 3 | ||||||||||
転生ガチャ | 2 | 1 | 3 | ||||||||||
部下ガチャ | 2 | 1 | 3 | ||||||||||
別ガチャ | 1 | 2 | 3 | ||||||||||
母親ガチャ | 1 | 2 | 3 | ||||||||||
野菜ガチャ | 3 | 3 |
3回以上使われたもの
筑波大学の先生が書いたエッセイの影響は大きかったようで秋から親ガチャが急増した。
増田では「親ガチャ」は2018年5月には使い始められ(anond:20180529234324)、2019年の4月下旬から5月にかけてプチブレイクしていた(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20190430024649 の前後)。
「『日本語の原郷』についての論文を読んでみた」(anond:20211121124146)を書いた増田です。思ったより多くの反応があって嬉しいので、調子に乗ってはてブの反応に対して補足説明みたいなのをしてみます。
そもそも言語学では分かりようがないところを考古学と遺伝学の視点からも補正したっていうのがあの論文の眼目だと思うので、言語学の面だけ否定しても…
こういう意見がみられましたが、少なくとも考古学や遺伝学の成果からは言語については何もわからない、ということを強調しておきます。
極端な例を挙げると、100年前にアメリカに移住した日本人の子孫で、ご家庭でも英語しか使っていない日系アメリカ人のことを考えましょう。彼もしくは彼女は遺伝的には日本列島に遡ることができます(おうちを探すと日本列島由来の品が出てくるかもしれません)。では言語的には? 彼もしくは彼女が話しているのは英語であり、英語というのは印欧語族ゲルマン語派西ゲルマン語群アングロ・フリジア諸語に分類されるイングランド発祥の言語であるわけです。どれだけ遡っても日本列島には行き着かない。「この人は遺伝的には日本列島の出身なのだから、英語の起源も日本列島にあるんだ!」なんて話はおかしいでしょ?
古代にどのような人口の変動があったのかはわかっていません。移民や同化が起きたのかもしれない。婚姻によって遺伝子が混ざりあった可能性もある。その場合、遺伝子の伝播と言語の伝播が異なるルートである可能性もあります。遺伝子はヒトの移動について詳しく教えてくれるけど言語の移動についてはなんも教えてくれないんですよ。せいぜい傍証になるだけ(「言語学の観点からは○○語は××地域あたりが原郷だと思われるが、遺伝学で調べてみたら××地域からの大規模な人の移住があったっぽいので、このときに言語も広まったんだと思われる」みたいな)。
様々な仮説があるのはいいけど、定説化とか定説がエビデンスによって覆されたとか以外はニュースバリュー無いと思うんだが、なぜ報道されたのか。
いやー、Natureにマックス・プランク研究所の研究者が載せた日本に関する斬新な論説をニュースにするな、という方が無茶じゃないでしょうか……
正直、これメディアを責められないと思うんですよね。実は著者のロベーツさん、去年オックスフォード大学出版会から『オックスフォード版トランスユーラシア語族ガイドブック』なんて本を出してるんですよ(Robbeets and Savelyev 2020)。天下のオックスフォードUPから『~語族ガイドブック』なんて出てたらその語族の実在は学界の定説になってるって勘違いしちゃうのも当然っていうか……これ、今回は日琉語だから気づけたけど、パプアニューギニアの言語とかでやられたら引っかからない自信ないです。
なおその『ガイドブック』には辛辣な書評が出てます(Vovin 2021)。掻い摘んで批判の内容を紹介すると、「分析されてるのが現代語ばっかりやんけ」「系統関係があるって言うなら明確な対照表を示してみろや」「中期朝鮮語の再建がおかしいけどちゃんと韓国語の先行研究読んどるんか?」「“leading international scholars”が書いたガイドブックって謳ってるけど著者のうち6人は院生じゃねーか」みたいな感じです。さらには、
We move now from the bad quality of research to the realm of science fiction in Table 39.1 that is supposed to present core Koro-Japonic etymologies. But there is at least one mistake and/or data fabrication on every line. (Vovin 2021: 126)
これは元増田でも書きましたが、大野晋は、少なくとも日本語の起源という点については完全にトンデモです。
タミル語はドラヴィダ語族というインド南部の語族に属する言語ですが、大野は「日琉語族とドラヴィダ語族はより大きな語族に内包される」というありえそうな穏健な主張ではなく「日本語の起源はタミル語である」という主張をしています。しかし「なぜドラヴィダ語族全体ではなくタミル語と比較するのか」「ドラヴィダ語史がまったく考慮されていない」「語義の解釈がおかしい」「サンスクリット語からの借用語に気づいていない」などのツッコミに対して有効な反論ができていない上、ツッコミを受けた箇所をしれっと書き換えたりツッコミを入れた人たちに人格攻撃を加えたりしています(長田 1998;児玉 1996;山下 1996; 1998)。やり口がもうきちんとした学者のそれではありません。
大野の語源論が誤っている一例として、amarar「不死なる者」という単語について挙げておきます。大野はこれを日本語「あま」と関連付けて「天上界の人」の意だと解釈するのですが、これはサンスクリット語amara「不死の」からの借用語です。これはさらにa-maraと分解でき、a-は否定の接頭辞、そしてmaraの語根mrは英語murderやmortalとも関連しています(つまり、印欧祖語に遡る語ということであり、どう考えてもタミル語起源の単語ではない)(山下 1996: 204–205)。
日本祖語から琉球語、もう片方の枝が本土語と八丈島語に分かれた系統図を覚えてたんだが、あれからずいぶん研究が進んでるんだなあ。/20年前に既にずいぶん版を重ねた本で得た知識だから当然か…。
五十嵐(2021)の説は発表されたばかりなので「定説」といえるほどではないですが、きちんとした分岐学的手法に基づいて系統解析してるんで個人的には信用してます。
で、従来説における八丈語の位置づけですが、正確には、「上代東国語の唯一の生き残りが八丈語」というものです。つまり、「本土日本語派」がまず上代日本語(OJ、奈良など当時の首都で使われていた言語)と上代東国語(『万葉集』の東歌と防人歌に痕跡が残る)に分かれ、後者が八丈島(&青ヶ島)以外では滅んだ(=上代日本語に同化された)ため、現代では八丈語が日本語と対立するひとつの語派を形作っているということです。
系統樹にするとこんな感じ(樹形図をどう書けばいいのかわからないんでとりあえず「うんこするの?」の樹形図からコピってきたんですが、見づらかったらすみません)。
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この樹形図から絶滅した言語を取っ払って現代語にのみ注目するとこうなります。
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├─八丈語
それに対して、五十嵐(2021)は、上代東国語は滅びたわけではなく、表面上は関西からの影響を受け続けたものの、現代の関東・東北地方の方言として生き延びていると主張しています。つまりこういうことです。
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八丈語が際立って特殊に見えるのは、この言語が失われた東国語の唯一の生き残りだからではなく、他の東国語の末裔(茨城弁とか)と比べて中央からの影響が少なかったため東国語の特徴が保たれたおかげだ、とするのが五十嵐説です。
要するに、「東国語は滅んだ(=東国語話者が完全に同化された)」のか(従来説)、それとも「東国語は生き残っている(=東国語話者は中央からの影響を受けたけど完全に同化されはしなかった)」のか(五十嵐説)、という違いです。個人的には後者が妥当じゃないかなーと思うんですが、どうでしょうか(だってそんな大々的な言語置き換えはどうやって起きたの? ってなりません?)。
なお、五十嵐(2021)だけでなく、元増田でも言及したローレンス(2013)も、八丈語には他の東日本の諸方言と共有される要素が見つかり、それは西日本の諸方言には見られず、したがって八丈語は東日本の諸方言の内に位置づけられる(=八丈語と本土日本語が対立する系統であるとする旧来説は誤り)と主張しています。
”日本語に興味のある&研究手法を学んだ”素人には、この論文の言語部分はとても怪しい。増田の指摘以外に日本語の粟を他言語の大麦の借用としたり、味噌(未醤)を漢語ではなく朝鮮祖語からの借用にしたりしてる。
実は増田もそれを見たとき「えっ……?」って思ったんですが、否定できるほどの根拠を持ってないので書きませんでした。確かに先行研究では意外な言葉が朝鮮語からの借用語だとされてることがありしょっちゅう驚いているので(たとえば「つち」とか)、「味噌」が朝鮮祖語からの借用というのをありえないと即断することはできないんですが……。
いちおうここで論文の内容を紹介しておくと、『鶏林類事』に[mitsu]という語があって、そこから朝鮮祖語*micuを導き、平城京の木簡にみえる「末醤」から上代日本語の*misoあるいは*misəを再建し、それは朝鮮祖語*micoもしくはその交替形*micʌからの借用である、という議論になってます。これだけじゃ門外漢の増田には当否がわからんのですが国語学的にはどうなんです?
なお、該当箇所に、
...This fragment preserves the following inscription: 御末醤一石二斗, i.e. HON-“bean paste” reads as miso. The Wamyoshō, a Chinese to Middle Japanese dictionary compiled in the mid Heian period has the same kanji (末醤) glossed as miso (美蘇)...
とあるのですが、「一石二斗」の部分いらなくね? とか、転写するならWamyōshōじゃね? とかはケアレスミスの範疇だろうから突っ込まない方がいいのかな……
マイルCS、グランアレグリアが有終の美を飾ってくれて最高でしたね……あとはコントレイルがジャパンCで有終の美を飾ってくれれば……実はまだ「三冠馬が勝つ」ところを見たことがないので、一度は見ときたいなぁと(にわかですいません)。
本当に素人なんだけど何でみんな信じてくれないんです……?
心理学とか建築学とかが大学という接頭辞を冠することはないでしょ。
だから逆に「大学」とついてる学問は、大学で学ぶことが尽きちゃうって印象がある。
もちろん「高校」数学との対比としての意味以上のものはないのかもしれない。この場合大学数学とは高校までに扱わない数学全般を指していて、大学とはそれを教授する施設の代表に過ぎない。
でもそれならたとえば国語には大学国語はあるか?ということになる。国語学というものはあるけどそれは大学国語とは呼ばれない。
経済も高校では政経倫理とひとまとめに呼ばれることがあるだけで、高校経済も大学経済も存在しない。
こういうことから心理学とかに比べても数学は底の浅い学問ではないかという印象さえ持ってしまう。
むろん新規性を前提とした論文という点から考えれば、数学という学問の蓄積は決して底が浅いものであるとはいえないはずだ。
私が言いたいのは、研究するための道具立てとしての知識は、大学で教わることで一通り揃ってしまうのではないかということだ。
今この瞬間も数学的事実は新発見されているだろうし数学が厚みのある学問であることは自明だ。
しかしその発見のための研究に必要な知識自体は大学あるいは院で習うことで出そろってしまうのではないか。
それに比べ経済学は最近もMMTなんてものが発表されたように体系としての分野が新しくでてくるわけで、大学を出たあとも研究テーマによっては独自にそういった体系を学んでいかなければならないということがある。心理学とか医学だってそうだろう。
で、JavaScriptの記事とか上がるじゃん?
そこでの目玉みたいな機能にasync/awaitってのがあるのよ。
asyncで宣言すると裏で動く関数作れるんだけど、呼び出すときにawaitを頭につけるとその処理が終わるまで待つのよ。
で、async = asynchronous(非同期)、aの接頭辞でsynchronousの否定ね。
で、await=待つ。waitの形容詞化する接頭辞aがついてんだ。
つまりさ、同じコンテキストで使われるのに否定と肯定のaの接頭辞から始まってるわけ。分かりづらくね?ずっとなんでawait(waitの否定かと思ってた)で待ってるんだと思ったね。
非常に的をえた(射ただっけ?)考察だと思う。
いわゆる昭和以前の日本人の民度レベルであり、この令和の時代にまだ残っているのが残念である。
昭和以前の民度というのは、つまり「うちの家内ってェのはろくでもねェやつでして・・・」
「うちのできのわるいバカ息子はまったく手ェを焼いておりやして・・・」っていう、
ネットやITやモバイルが普及する以前は、そうした言外のパフォーマンス、接頭句というのは効果があったと思う。
家族ぐるみ、終身雇用を前提としたメンバーシップ型の護送船団経営であったからである。
しかしそのような経営方式はジョブ型雇用に置き換わろうとしている。
つまり、部下=子供、上司=親のような不平等関係はなりたたなくなり、
1社員であろうとも1個人=才能として尊重する姿勢が必須となってくる時代である。
つまり「うちの部下ってェやつぁデキが悪くて、いっちょ私めが皆様に模範を見せてやりてェとこでして・・・」
みたいな、しょうもない昭和の寸劇をする必要性がなくなってきているというわけである。
どうしても茶番がやりたいなら「ここでこう言ってね」と前置きがあれば
こちらも心置きなく「おおー凄いですね!」と褒め倒すが。
個人的にこれは「親が人前でまるで謙遜するみたいに子どものことを下げて
まず始めに。私は空の軌跡からのファンである。そして、私は本作を数十分ほどプレイしてこのシリーズに”ようやく”見切りがついたつもりだった。ライターの紡ぐテキストの非常に強い癖が全く変わっていなかったからである。
「はは」「ふふ」「くく」を、まるで接頭辞の如く頭に付けて応酬される会話には、もはや嫌悪感さえ抱いていることをハッキリと自覚してしまったのだ。ここまでしつこいと、もはや冗句の領域である。
また、「寿ぐ」のように書き言葉と喋り言葉の区別がついておらず、辞書を引いて気に入ったから多用しているでは、と疑うほど拙さを感じる用い方は、逆に語彙が少ないからだろうとしか言いようがない。キャラの個性として利用されているのであればもちろん有効な手法ではあるが、作中ではまるで流行り言葉であるかのような扱いである。この点に関しては創では大幅に減ったとはいえ、やはり健在ではあったのだ。
流行り言葉のように使われていると言えば、「届く」もまた同じだ。これは武人の共通認識なのであろうが、いくら何でも多用しすぎである。ピンポイントで使えば閃の軌跡シリーズ特有の味にも思えるだろうが、現状ではあまりにも軽く、鼻につく言葉になってしまっている。
現状を打破する論理的な道筋を立てる前に、とかく精神論を展開するのもいい加減キツいものがある。精神の未熟な少年少女ならまだしも、リィンやロイドはそれぞれ教官、警官といったいい大人だ。既にそれが許されるような立場でも年齢でもないだろう。こういうのは要所でやるから響くのであって、常にそのような”醜態”を晒すのは見るに堪えないものがある。
このような価値観がまかり通るのは、全ての物事を主人公であるリィンやロイドを中心に考えているからこそだろう。その歪んだ価値観は新・旧7組という言葉に端的に表れている。登場人物は皆、何故か新・旧と呼び分けているが、本来であれば現7組以外は7組という括りで呼ぶ必要はないのだ。もっと言えば、現7組の人間に対し、新7組と括るのは無神経というものであろう。リィンさん。あなたはこの子らの担当教官なのですよ、と言いたくなってしまう。
原因は既に述べたように、世界の中心をリィンだと思っているからである。リィンから見れば彼の生徒は新であり、級友は旧なのだから、確かに彼が世界の中心であれば皆そのような呼び方をするだろう。そして、それが実際に行われているのである。だからこそ登場人物はライターの操り人形にしか見えない。リィンが好き過ぎて彼個人に設定が堆く盛られていくのも、書いていておかしいと思わないのだろうか。
これを強力に補強しているのが好感度システムだ。これはあらゆる関係性を主人公にのみ閉じる呪いである。サブにも何かしら関係性が見えるのは空からの登場人物ばかりなのは本当に酷い。これは何も皇子の結婚やアガットとティータのような恋愛模様だけを指しているわけではない。紆余曲折を経て家族になったレンとカシウスの微妙な距離のように、時と共に関係性が進んでいるのはシステムとライターの作り出した価値観により雁字搦めになっていないキャラに限られているのだ。
リィンの級友、または教え子達の横の繋がりなど、あってないようなものなのは既プレイ者なら分かることであろう。端々に会話が交わされている場面は申し訳程度にはあるが、誰と誰の仲が良いのか、などというのは全く感じられない。リィンを通してしか付き合いがないのではないかと疑うほどである。例外はシステムの軛から抜け出せているユーシスとミリアムぐらいであろうか。
展開のワンパターンさ加減にもうんざりである。ゲーム後半で、敵に援軍を呼ばれる。そこに駆けつける意外な仲間。という展開があるのだが、これをきっちり3ルート分やるなど正気の沙汰ではない。しかもその意外性というのが、全てあえて敵側に潜り込んでいたというものなのだ。そう、3ルート分全てである。ここでは本気で頭痛を覚えたものだ。プレイヤーを馬鹿にしているのかとも思えたのだが、一体どういうつもりでこういう展開にしたのであろうか。素で燃える展開だと思っていたのだろうか。是非聞きたいものである。
さて、ここまで読んだのであればお察しの通り、無事投げ出さずにクリアまで遊べたのだがその理由はCルートの存在に尽きる。決まり切ったテンプレ展開と、森羅万象が主人公に収束する精神論ありきの価値観に支配されておらず、真っ当に面白いものだったからだ。テキストの癖も完璧に抜けている。危うく完全に積んで、今度こそ本当にシリーズにも終止符を打つところだったのだが、せめてCルートまで進めてからコントローラーを置こうと予め決めていたのが幸いした。
あからさまに下敷きに某アニメを使っているし、何処かで見たような要素が目白押しではあるが、上手くミックスして、さらにルーファスのキャラを壊さずに馴染ませてある。いつものライターが書いていればやはりルーファスにしか矢印が向いていない関係性しか作れなかっただろうが、このルートは別のライターが書いているためそのようなことは一切ない。
このルートはウェットすぎないのが心地良い。印象深いのが、人形達の中から本物のラピスを見つけるという場面だ。まるで直感や奇跡のパワーで分かったかのように思わせておきながら、実は発信器を付けていたから分かったのだというのは(本当であっても照れ隠しであっても)ルーファスらしいし説得力もあって非常に好感を持った。ライターのセンスにだ。
惜しむらくは、他の2ルートにリソースを吸われて明らかに尺が足りていないところだ。人形の中から探す場面も、欲を言えば一緒に旅をしたという体験をプレイヤーと共に積み重ねてこそより輝いたはずである。これは最終局面に至るまで響いている。また、スウィンとナーディアにはしっかりとした背景が設定されているのが読み取れるのだが、尺の都合でそれが披露されるのはかなり限定的なものになっている。思わせぶりな台詞だけで半ば放置に近いと言って良いだろう。積み重ねさえあればもっと良いシーンになったはずだという箇所が多く、惜しい気持ちで一杯である。
私は軌跡シリーズで紡がれる政治劇には、多角的な視点を持たずに作品自体がクロスベル独立こそ正義だと一方的に主張すること以外は一定の評価を与えているので、大まかな流れ、つまり起きた事件はこれで良いのだが、実際に描くのはCルートだけであれば間違いなく良作になっていただろうと確信している。
3つのルートが合流すると、あからさまにいつものライター節になってしまっているのも良くない。Cルートの残滓など欠片も残らず吸収されてしまっている。合流後のルーファスなどもはや別人である。本来の彼が再び顔を出すのは本当に最後の最後の局面だけだ。
全体を通した部分で改善したと思えるのはロボット大戦の大幅な抑制だろうか。いや、むしろまだ完全撤廃を諦めていなかったのかとも言えるのだが、極々限定的になったのはありがたかった。システム的にもお話的にも全くもって面白くも何ともない要素で、あまりにも邪魔すぎるのだが、この設定は次回作にも持ち越すつもりなのであろうか。せっかく作ったモデルを(次回作ではエンジンやモデルを一新するので)最後に活用したかっただけだと信じたい。
不満は多々あれど、Cルートに見た光明でまた見限ってしまうことが出来なくなってしまったのは良かったのか悪かったのか……。ただ一つだけ言えるのは、もう予約買いをすることはないだろうな、ということだけである。