はてなキーワード: ほうほうの体とは
最近思ったことがある。多くの生き物って、人間にとって見た目がいいように進化している気がする。
哺乳類とかだったら、人間にとって気持ち悪いやつはあまりいないだろう。爬虫類とか両生類とか、特に昆虫類だったら気持ち悪いやつがけっこういる。
今回思うところがあったから、4つほどエピソードを語らせてほしい。
去年の秋頃だったか、近所の裏山に登って、入会地の傍にある栗林で農作業をしていたのだが、そこにひょこっとアナグマが現れたのだ。アナグマというのは……約10年前にやってた「のんのんびより」のEDだったかな。「あれってハクビシンとか、タヌキとか、アライグマとか、イタチですよ」とか、そういう歌詞があったのだが、だいたいそんな生き物だ。
アナグマはイタチ科の動物で、体長1m未満のずんぐりしたイタチみたいなやつだ。顔はハクビシンに似ている。※ようつべで検索するとすぐに出てくる。
で、そのアナグマだが、栗林で農作業をしていた私の方に寄ってきたのだ。まだ若そうな個体だった。当方だが、農業林業はこれでも10年以上やっている。これまで、数多くのイタチ・キツネ・アライグマその他の小動物が箱わなに引っかかり、漁師や地元住民に殺処分されるところを見てきた。
正直、あまりいい印象はなかったが、半径数メートル以内まで寄ってきたところで、「けっこうかわいいな」という印象が支配するようになっていた。このあたりにはアナグマが少ないのもある。あと、私が育ててるのは栗だから、こいつらには盗まれんだろうという感覚もあった。
そういえば、小学校高学年だった姪っ子が、同じようなシチュエーション(農地の中)で、狸っぽい生き物にポテトチップスやコンビニのホットスナック(ファミチキ)をあげていたのを思いだした。あれは遠目からだったが、やはりずんぐりした見た目だった。
結局、栗林に来たアナグマは、その辺りをちょっと掘り返しただけで山の中に帰っていった。もう二度と出会うことはないだろう。例えばもし、私が育てているのがイチゴだったとしたら、確実にその場でクワなんかを握りしめて、ヤツを叩き殺そうとしていただろう。
実際、うちの畑でサルを見かけた時は、全力で追い払うようにしているし、タヌキやアライグマだったら石を放り投げてぶつけた後、スコップで殴り殺したこともある。蛇とかだったら、毎年20匹以上は駆除してる。長靴で踏んづけて、もう片方の足裏で頭を叩き潰すのだ。ジャンボタニシだったら、毎年夏になると百匹以上は生き埋めにしてる。イノシシは……あれはプロの量子さんの領域である。農家は手を出さない。
私はこれでも専業農家である。大切に育てた農作物を捕る生き物は憎くてしょうがない(人間まで含めて)。蛇足になるが、農業従事者は漁師率がけっこう高い。昔の農家は、田植えや稲刈りの時期を除いては、鶏を育てたり、山に入って鳥獣を捕っていた。今でも、狩猟免許がある人もない人も、山でイノシシとか鹿とかを捕って食料にしている例はある。
私の祖父もそんなだった。私がまだ小学生の頃に、鶏小屋がキツネかタヌキかアライグマかはわからないが、そういうのに襲われてしまった。非金属のネット小屋だったから、鶏が何匹かやられてしまっていた。祖父は悔しそうな顔をしていた。
或る夜に、実家で夕食を食べていると、鶏が騒いでいる声が聞こえた。祖父と親父はすぐに実家を飛び出して、鶏小屋に行くと、キツネのようなものが鶏小屋のネットを破ろうとしていた。なぜか、祖父よりも自分と父の方が早く鶏小屋に着いていたっけ。
後ろでカチャッ、という音が聞こえた。祖父が目の前に出てきたと思ったら、パアンッ!! という音が聞こえた。※祖父が散弾銃を撃ってた。
キツネのようなものは、その場で転がって痙攣しながら逃げようとしていた。親父が、祖父に鍬を手渡していた。それで、祖父が走り出して、ほうほうの体で逃げるキツネに追いついて……後は、何度何度も鍬が振り下ろされた。ぐちゃ、べちゃという音が聞こえて、狐は何度か鳴き声をあげると……多分絶命したのだろう。※近づいてわかったが、縞々のしっぽだった。アライグマである。
祖父は「このバカタレが、バカタレがぁ、アアッ!!」って叫んでたっけ。愛鶏(?)を殺されたのがショックだったのだろう。とにかく狐に凄まじい恨みを持ってた。あの時の自分は、「すげー。銃かっこいい!! 撃たせて」って祖父にねだってたよ。それくらい衝撃的な体験だった。私にとってのエポックメイキングだった。
「なに、お前も撃ちたい? 大人になったら警察行って免許がとれるど!」
「わしはもっとらん。ひいじいちゃんはもっとった。でも、わしは撃てるけえええんよ」
「俺も撃ちたい」
「○○くんが撃ったらいけん。捕まるよ」
平成初期の話である。当時はおおらかな時代だったのだ……。今だったら普通に逮捕される。絶対にマネしないように。
さしもの私も、祖父の遺品である銃剣類は所持しているが、自らの敷地内であっても使おうとは思わない。なにしろ、狩猟免許もってないからな。ほかの地元民と同じく、鳥獣の駆除行為はひっそりとやりたい。
話があっちの方にいってしまったが、私は基本的に、うちの農地に入ってくる鳥獣類は殺そうとする。苦労して育てた農作物を食われるのは絶対に嫌である。しかし、たまに殺さない例もある。それが上の例でのアナグマだった。
その状況で見逃したのは、なんとなくという理由が強い。農場内でメシを食ったばかりで、ゆっくりしたかったのもある。しかし、珍しくこっちに寄ってくるアナグマが「かわいい」という感情もあったのだと思う。うちの地域では、アナグマが珍しかったのもあるかもしれない。しかし、不思議な体験だった。
今度は市街地での話だ。
まだ若いころ、農業者じゃなくてサラリーマンだった時代に、とある国道沿いの飲み屋街にいた。最初の一軒目を探していたのだ。ふわふわと路地をさまよいながら、国道に出たところで、そいつに出会った。
歩道の上に、もぞもぞと動く物体があった。よく覗いてみると、コガネムシだった。背中の色が特殊で、なんとベージュだった。限りなく白に近い真珠色といってもいい。レア甲虫である。いとおかし!! いとおかし!!
その真珠コガネムシは、あまり元気がなかった。しかも車道に向かってもぞもぞと進んでいた。このままでは自動車に轢かれて死ぬだろう。ぐしゃ、という音がするのだろうな。昆虫類が車に轢かれると、意外と大きい音がする。
私は、そいつの目の前に人差し指を延ばした。するとそいつは、六本の足でガシッと私の指を掴んで、勢いよく私の手を昇り始めた。
土の中から出てきたばかりのカブトムシとまではいかないが、元気な様子で私の手指を昇っていた。そのまま徒歩で飲み屋街に移動して、レストラン沿いの並木を見つけた。おそらく欅だったろうか。樹の表面にコガネムシをくっつけると、また元気そうにどんどん昇って行った。
どうしてあの時、コガネムシを助けてやったのだろう。そういえば、小学生の頃は甲虫が好きだったような気がする。懐かしい気持ちになった。
今でも、夏場で路上に転がってるセミとか見つけると、拾って助けてやる。すぐ近くにあるクヌギかコナラにくっつけてやる。
これは私じゃなくて、息子の話だ。当時は小5だったかな。夏休みだった。
ある日、家の庭の中にある小道(※田舎だから家が大きい)で、息子が「トカゲ見つけた」と報告してきた。「捕まえたの?」と聞くと、「捕まえてない」と言う。
現場に行ってみると、小道の上でトカゲが2匹、それぞれ離れたところに倒れていた。お腹を上に向けて。瀕死だった。おそらくだが、野猫にやられたのだろう。お腹に爪で引っかかれた跡があった。
息子がそいつらを触ったところ、1匹だけはまだ息があった。残り1匹について、「よい旅を」と私がその場に埋めてやっていると、息子が生き残った方に落ち葉や土を被せてやっていた。どうやら、回復を待つつもりらしい。「これ、おうち」と言っていた。
好きにさせるべきだと思った。息子に対して、「日光に当てないように木陰を作る」「できるだけ触らないように」「1日に1回は霧吹きで水をかけてやるように」「餌はやらなくていい」など最低限の指示をした。
私はトカゲが1日以内に死ぬと思っていた。木の棒で突いても、片方の足が全く動いてなかったし、どう見ても虫の息だったからだ。早い話、移動能力を失っている。
その日から、息子は毎日トカゲのところに足を運んでいたっけ。水やりは欠かさなかったし、日光を浴びて体がのけぞっていたりすると、木陰の位置を調整してやったりする。
3日が経って、私が現場を見に行くと、どうやらまだ生きていた。土くれと落ち葉を払いのけると、少しだけ体が動いた。体にはまだヌメリが残っていた。片足だけを動かして、体をのけ反らせて私から逃れようとしていた。「シャー」みたいな感じで、口を開けてこちらを威嚇している。少し気の毒になって、植物用の霧吹きをしてやったのと、一応、ミルワームを顔の近くに寄せてやったが、無反応だった。やはり餌は不用のようだ。
次の日だったか、息子が飛んできて、「トカゲが動かない」という。現場に行ってみると、そこには……「おうち」から出てきたところで静止しているトカゲの姿があった。口には小さいミミズのようなものが入っていた。目は閉じていた。
「餌をあげてしまったの?」
「うん。お腹すいてると思って」
「そうか。たぶん、びっくりして死んでしまったんだね」
「うん」
「……どう思った?」
「わかんない」
「うん」
そんなやり取りをしたかな。
そのトカゲは、結局何時間たっても動かなかった。生命活動を停止したのだ……。推測だが、ミミズが喉に詰まって息ができなくなったのかもしれない。放っておいても、数日中には死んだだろうが。
息子にとっては、トカゲがかわいかったのだろうと思う。私は、あまりそうは思わないが。大人になると、高速で動くトカゲはちょっと苦手だ。だがまあ、カナヘビはまだかわいいと思える。トカゲと似ているが、比較するとあまり動かないのもある。
先日、県道を車で運転していたところ、路側帯を走っていた自転車が急に停まった。その彼女はアスファルトにゆっくりと降りて、自転車を端に寄せると、足先でなにかを小突いていた。
ちょうど信号待ちになったので、その様子を眺めていると、どうやらそれはひっくり返ったセミのようだった。彼女が小突く度に、「ジジッ」という音でセミは鳴いていた。死んではいないようだ。
その子は、セミに向かって指先を伸ばした。セミは指を樹木だと思ったのか、ホールドした。その子の指に乗ったセミは、一緒に自転車でまっすぐの方向に進んでいった。
次の信号で、彼女に追いついた。自転車を降りて、民家の入り口に生えている樹にセミをくっつけようとしていた。指で押してやると、セミは樹にくっついて、もぞもぞと枝を張っていた。彼女はセミをちょっと撫でたかと思うと、また自転車に乗って県道を走り抜けていった……。
一応、セミもかわいい部類には入るのだろうか。丸っこい見た目だから好きな人もいるかもしれない。当方はどちらともいえないが、今度セミがひっくり返っていたら、死んでいるか小突いて確認してみようか……と思った。新しい世界が開けるかもしれない。
話は長くなったが、結びにしよう。
大昔から、それこそ多くの生き物がいたのだろうが、人間にとってかわいくない種の生き物がどんどん淘汰されていった。それで、今みたいに哺乳類や鳥類は可愛いのばかりが残った。
それは、全然定かではない。でも、かわいい生き物はというと、殺される場面でも殺されないことがあったのではないか。大昔から。よって、醜い種に比べて生き残れる可能性が高かったのではないか。と、先日『利己的な遺伝子』を読み終えたばかりの私は感じた。
あなたはどうだろうか。生き物は、やっぱりカワイイ方が生き残れると思うだろうか。しかるに人間の場合は、かわいげがあって、みんなに好かれる個体ほど早死にする傾向があるように思えるのだが。
いちおう元増田の主張(設定)に沿うなら、
ほうほうの体でスレッドを去って、後日絶対そうだろうと思いながら大人しく検査を受けた。
ビンゴだった。ほらみろ。
ほんで、
とのことなので、疑いの段階で書いたこと叩かれたのが気に入らないって主張(設定)やな
指摘受けてる通り、診断出るまでは健常者なのでなんで書いたんやろ?としか思わんが
自分は診断済みADHDなのだが、5chのADHDスレに以前書き込みをしたことがあって、そこで奇怪な目に遭ったことがある。
「ADHDかもしれないから検査しよう、と精神科の主治医に言われた。自分はADHDかもしれない」と書き込んだ。
するとくるわくるわ批判の嵐。
「本当のADHDは苦しいんだ!」
「俺たちの苦しみも知らないくせに!」
等々。
前をたどっても、自分もそうかもしれないという人にはみんなそんな態度のやつばかり。
自分で危機感もって診断を望んだ訳じゃなくて、頼んでもいないのに主治医の方から検査しようと言われたんだぞ?
みるからに怪しいってことだろうに。
ほうほうの体でスレッドを去って、後日絶対そうだろうと思いながら大人しく検査を受けた。
ビンゴだった。ほらみろ。
あのなー。最初は誰でもADHDなんじゃないかというところから出発するのに、同族候補を叩いて何がしたいんだよ。
他にも、自分のIQ検査結果の低さについて数値を話したら、IQの自慢合戦になったりもした。
また気に入らないやつを追い出そうとして「語尾に『…』をつけてるのが変だ」「三点リーダーでごまかすな」と、どうでもいい句読点や記号にしつこくこだわって、数レスに渡ってうざがらみする者がいたりと、今までにない目撃をした 。
心底いやになってスレに行かなくなった。
それ以来、同族と顔を会わせるときは「検査済み」と明言するようにしてるが、そんなにこだわることなのかと未だに思う。
他人から「発達障害かもしれない」と相談されることも多いが、自分は「そうかもしれないね」と受け入れてから話を聞くようにしている。
私は地方公務員の女だ。関東圏のとある都市の市役所で働いている。
私立の大学で文系科目を修め、リーマンショックの時期に冗談抜きで大手民間企業100社に祈られ、ほうほうの体で公務員になった。だから、私は民間企業を知らない。営業職が何をするのかも、経理に経費を精算をしてもらうまでのやりとりも、接待も海外出張もテレワークも何もかも知らない。
「公務員は9時5時でやる気がない」「公務員はノルマがないヌルい仕事」「公務員は民間では全く役に立たない」という世間の評判に翻弄されながらも、サビ残を厭わず、クレーマーにも笑顔で耐え、上司の無茶振りにも嫌な顔をせず、地獄のような霞ヶ関出向からも生還した。
公務員としてはよくやっている方だと自認しているし、一定の評価ももらっている。しかしながら、私の心の中はいつも「私は民間を知らない」というコンプレックスに苛まれていた。私の苦労は民間の社員の苦労に比べたら大したことはなく、私の仕事っぷりは民間では全く歯が立たないと、信じていた。
そんな私だが、最近、民間企業の同年代の女性社員たちが参加するマーケティング系のワークショップに、縁あって参加した。
私のグループは私を含めて4人の参加者がおり、彼女たちが働く企業は、みんな私が志望しては玉砕した大手企業だった。私はただ1人のノルマを知らない公務員というだけでなく、彼女たちが勤める企業に採用されなかった劣等生でもある。私は初めから彼女たちに対して卑屈な気分になっていた。
グループの女性たちは、みな堂々と社名を名乗り、民間の総合職の女性らしい華やかさだった。グラデーションカラーの髪や、テレワーク中で、と照れ笑いするスウェット姿は、私が普段暮らす役所の中ではついぞ見かけない。彼女たちはzoomの画面越しに自己紹介した私の顔を見て、
と聞いてきた。私は微笑み、
「公務員って聞くとそういうイメージあるよね。でも私は企画部門だよ。経営戦略を立てるところ」
とできるだけ丁寧に答えた。彼女たちはよくわかっていない様子だったが、そうなんだ、と明るく答えた。
ワークショップのテーマは地方創生だった。私の本分である。私はみんなの意見を聞き、地方創生の実態や課題について話すのがいいのかな、と自分の中で役割のあたりをつけ、議論に参加した。
1人の、某携帯キャリアのマーケティング職の女性が口火を切った。
「地方は元気がないから、地方に元気を与えるような、そう、例えば都心の子供と地方のお年寄りを繋ぐサービスはどうかな?」
「もしそうなったら素敵だね。そうしたら、そのサービスで、どんな地方の課題が解決できるのかな?どんな価値が生まれる?」
私が尋ねると、マーケティングの彼女は考え込み、代わりに引き受けたのはインフラ系企業の研究職の女性だった。
「地方のお年寄りはやることもなくてきっと寂しいよ。それに、自分の知っている地域の遊びとかを教えれば、子供も楽しんでくれるし嬉しいんじゃない?そうだ、忙しいワーキングママの代わりに子供の面倒を見てあげられればいいよ!ねえ、そういうの、いいんじゃない?」
「確かに高齢化が進む地域は子供が減ってるから、寂しいと感じる人もいるかもね。共働きのお母さんも仕事に家事にで忙しいもんね。じゃあ、そのサービスは、どうやって収益を出すの?」
私が再び尋ねると、今まで微笑んでいるだけだった自動車メーカーの広報担当の女性が、やや苛立った様子で言った。
「そんなの地方がお金を出すんじゃない?だって、『地域が元気になる』んだよ?」
残りの2人も、私を非難する目つきで見、メーカーの彼女に続いた。
「そうだよ、お年寄りが元気になれば、地方も助かるんじゃない?」
「やってみないとわかんないんだし、まずはこれで話を始めようよ。細かいこと言ってたら、始まらないよ」
みんなの表情には、ありありと「だから公務員は頭が固い」「民間のスピード感が分かっていない」と書いてあった。私は弱々しく笑い、
「地方の自治体も、慈善事業じゃないから、何のために地元のお年寄りと都心の子供を交流させるか分からないと、お金は出せないと思うよ」
と答えるのがやっとだった。
その後、私と彼女たちは噛み合うことなく、それでも私たちのグループは地方のお年寄りと都心の子供をマッチングさせ、zoom上で昔ながらの遊びを教えるプラットフォームを製作する企画書をまとめた。ステークホルダーは、地方のお年寄り、子供、子供の面倒を見てほしい親、そして地域活性化を目指す自治体であり、「地域活性化」を目指す自治体が出資するシステムである。「民間のスピード」に、私は口出しをすることができなかった。
私は民間企業を知らない。就職活動をして、100社から断られたからだ。新卒で市役所に入った。出向していた時期もあるが、それも霞ヶ関でだったので、結局はお役人の仕事しか知らない。根っからの公務員だ。なので、民間企業の社員に激しいコンプレックスを持っている。私の知らない、私なんかには絶対に成し遂げられないことをしている人たちが、羨ましくて恐ろしかった。
だけど、地方の年寄りがzoomで見ず知らずの子供の子守りをするサービスの企画書に、いらすとやのイラストを貼り付けながら、私は一体何に怯え、何に憧れていたんだろう、と思った。公務員はぬるくて、民間企業は厳しい。公務員は劣等、民間企業は優秀。でも、そんなの会社によることだろうし、優秀か否かだって社員によって異なるだろうに。
ワークショップは淡々と進み、私たちの班の企画書は、講師から「このサービスに本当にお金を出せるのか、今度どこかの役所に聞いてごらん」という感想をいただいた。まあその通りなんだけど、と私は内心で下唇を突き出した。それでも、彼女たちは一様に満足げであった。私以外は東京の企業に勤めているので、週末リアルで会うそうである。私に対しても、礼儀正しく「東京まで会いに来ないか」と尋ねてきたが、私は真面目な公務員らしく、緊急事態宣言中を理由に断った。
半日程度でしたが気が狂うかと思うほどの環境で、家にいた場合の浸水等の不安とどっちがマシだったのか分からないぐらいの場所でした。
障害者の方や認知症を患っていると思われる方々が不明瞭な言葉を結構な声量で発し続け、何かの医療器具が頻繁かつ不定期にアラートを鳴らし、恐らく自力での排尿・排便が困難な方から悪臭が漂ってくる。
帰宅後、ホームレスを受入れ拒否した避難所があった事を知りました。
前述の環境をほうほうの体で抜け出してきたすぐ後だったので、あれに加えて長らく入浴していないような人が近くにいたら、率直な気持ちで嫌だなと思いました。
でもそれは、この緊急時に絶対にあってはならない差別なのです。
頭では分かるのです。
衣食住が足りてようやく礼節を知る。足りてないとそれどころではない。
それどころではない人はそれどころではないので、それどころではない人を差別者にしないように公こそがちゃんとして欲しいなと思う吉宗なのであった。
昨今時短とか言って手を抜いて料理するのが流行っているみたいですけど、私も料理は嫌いです。
正直言うと手間がかからなくなったのもあってちょっとは、料理を楽しむ心意気みたいなのは芽生えてきましたけど、どうせなら他人に作らせたいところ。
でもそんな富豪みたいなことできないですよね。
そういう人って最近だとホットクックとか使うんでしょうけど、ぶっちゃけホットクックの蓋とか混ぜ混ぜるるようわからんパーツをバラして洗うのはもっとたるいんじゃ!わかってるか!室温5℃になる部屋で水仕事なんかアホらしいんじゃ!
まぁでかい食洗機も変えばいいとか言うやつも出てくるかもしれんけどよ!5℃になる安普請のどこにそんなものを置ける場所があるんだよ!答えろお前の番だ!
それにそうやって場当たり的に継ぎ接ぎみたいに家電を買っていたら、ガラクタで部屋が埋まってしまいます。
そこで私がおすすめするのは三菱電機のジタングっていうレンジだ。
こいつは安くても5万円以上するっていう高級オーブンレンジなんだけどよ、私は好きです。
三菱電機はなんか社員を働かせまくってるヤバい会社なんだけど、そういうブラック企業がこんなに良い製品を出してるのは皮肉ですね。
まぁぶっちゃけジタングができることは、レンジー>グリルを自動でやるっていう機能なんだけど、そんだけの機能(オーブンも使えるけどまぁ使わねーよ。予熱とかめんどくさい)これが想像以上に便利すぎる。
具体的にこれでどうやって調理するかって言うと、朝出かける前に、耐熱皿に冷凍しておいたご飯、冷凍野菜、冷凍魚の切り身を乗っけて、冷蔵庫に放置してでかけます。
くったくたのカラッカラになってほうほうの体で帰ってきたら、これににんにくチューブを少し追加して、レンジー>グリル でオート調理。
大体7分-10分くらいで終わるので、できたてほやほやの物体にドレッシング的なのかけて食うだけです。
は?食洗機は持ってるよ小さいやつをな。でかい食洗機はおけないけど、耐熱皿を洗えるくらいの小さい食洗機は必要だろ?室温5℃になるんだぜこの安普請は。
自分の感覚だとそれはあり得るような気がしてしまうのだけれど、凄まじく政治に無関心なのは自分の世代だけなんじゃないかという気がしないでもない。
地元の市議会だよりに、議会を傍聴しに来た一般人の年代が円グラフにまとめられているんだけど、僕の年代(30代~40代)は0人だったりする。
人生のうちで一番忙しい年代だから仕方ないのかもしれないけど。僕自身だって行ったことないしなぁ。20代以下の傍聴者は結構いるんだが、どうせ学生だろう暇なんだよって事?だったらいいけどいや別によくはない。
話は脱線するけれども、僕の世代は子供の頃から安定して意欲が低くて大人しい。
技量が低いとか以前にまず出席率が異常に悪い。何かをしない・出来ない言い訳をする時は驚く程口が回るのに、何か発言を求められると完全に沈黙。人の為に何かしようという気は更々ないし、自分の為にも何もしない。とにかく受け身で、お口に誰かが美味しいエサを入れてくれるのを待っているだけ。
そういう自世代の謎の特性をとりわけひしひしと感じたのは大学時代。ちょっと卒業するのが難しい学科だったので、僕が一年生の時は同学科の留年しまくってる先輩達がサークルに沢山いた。
歳の離れたOBや上級生と僕らを比較すると全然様子が違っていた。先輩方は元気でパワーに溢れていて活動的で、常に何か面白い事をやろうとし、サークル活動でも業績を残すし、論文はすごいのを書くし、留年にだってもっと勉強したいからとか何かしら明確な理由があった。期末試験前には皆で助け合って単位を取ろうとしていた。
僕の同期は皆目が死んでた。勉強もせずバイトもせず、かといって遊びもしない。皆それぞれ自分の部屋に引きこもり、長期休暇は丸々実家に帰って過ごす。そんな人達ばかりだった。
何か、楽しい事をしようとすれば、別にこちとら強要どころか誘ってもいないのに、足を引っ張る発言をされる。課題はやってない前提、休日は一日中寝て過ごし何もしていない前提の会話に、こちらまでエネルギーを吸い取られる気がした。
あの同期達の淀んだ空気感が僕は嫌で、同期達には極力寄り付かず、講義の無い時間は自分の部屋で黙々と勉強し、アルバイトにも精を出し、学外で知り合った異性と遊んだりもした。
別にすごくキラキラした大学生ライフを送りたかった訳ではないんだけど、あのどうせ何やっても無駄っていう、どんよりと淀んだ空気は本当に辛かった。
今僕は危機感を覚えている。社会人になってからは、ずっと年上の上司や先輩達にもまれてほうほうの体で過ごして来ていたので、僕の世代の体たらくを忘れがちだったけれど、そろそろ僕達もそれなりに責任あるポジションに着いていかなければならない頃合いだ。
けれども、やっぱり同期やほぼ同年代はこの間の選挙前、「選挙なんて行かないでしょ?」なんて言っていた。僕らは相変わらずやる気がなくいろいろな物事に無関心で無責任で、黙って動かずにいても誰かが何とかしてくれると思い続けているのではないか?
僕達の代で世の中はすごく悪くなってしまうのかもしれない、という事はさすがにないか。一つの世代だけで世の中を引っ張る訳じゃないし。ただ僕達は先輩からも後輩からもあきれられ軽蔑され、居ない者として静かに忘れ去られるだけだろう。