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2020-04-30

anond:20200430110716

ブコメトラバ役所の特徴って指摘かなりあるけど、公絡みの共同体ってなんでこうなるんだろうね。

行事部活を死に物狂いでやり切ったうえで大学受験に臨む」って伝統があるいかにも爽やかな校風の県立名門高校出身だけど、在校生同士の人間関係元増田職場に近かったわ。

地元大人世間からイメージは「あそこに通う生徒は文武両道コミュ力抜群、キラキラ輝く主人公体質の集まり」、崇拝に近い勢いだったけどね。

2020-03-10

お前ら都会人は地方の名門トップ進学校幻想抱き過ぎだ

なんか知らんけどこの手の高校を「ザ・健全人間力最強の主人公養成所」みたいに思ってる奴結構いるよな?

行事部活も全力投球!

そのうえでスマートに難関国立に受かることに価値がある!

旧制中学ルーツの県下NO.1共学!

高校までに恋愛経験積むの当たり前!

政財官界のみならず芸術分野でも著名なOBOG輩出!

かくいう俺の高校はまさにこんな感じの校風進学校地元県の誇りみたいに見なされてたけど、ぶっちゃけると都会の伝統私立ドン引きするほどの管理教育やってたぞ。

なんでか自己を強く持ち、多様性を重んじる生徒が多いってことになってるけど全然そんなふうには思えなかったね。

例えば、将来日本画で食うんだってことで東京芸大一本で目指す奴は周りの同級生から応援されてたけど、大学受験せずに高校卒業したらラジオ局バイトしながら放送作家の夢を目指すって奴は「あいつ終わったな笑」と冷ややかな目で見られてた。

田舎だったからかも知んないけど実像はすげえ体制的で権威主義だぞ。

極端な話、アスリートナチュラルに見下すけど東大卒は大尊敬するみたいな感じの。

2020-01-10

過敏性腸症候群わたし

からお腹が弱く、今思えば物心ついた時から過敏性腸症候群だったのではないかと思う。

小さい頃、小学校5年生くらいまで外食をするのが怖かった。なぜなら落ち着いてトイレへ行けないから。

から(2.3歳の頃から)便秘下痢を繰り返し、お腹を壊すとなると1時間以上はトイレで苦しんでいた。

もし出先でお腹が痛くなったらどうしよう、という不安が余計に腹痛を煽る。お店へ着くや否やトイレへ駆け込み、一回の外食で3.4回はトイレへこもっていた。(だが、そういう時はお腹は痛くなるのに便は全く出ない)

トイレへ行くたび両親からはまたか大人しくしろと怒られる。それも相まってさらに私のお腹は痛くなるばかりだった。

だが、小学六年生からは親へ口答えもできるようになったり、自律神経が整ったのか外食へ出かけても腹痛を起こすことがほとんどなくなった。相変わらず便秘下痢は繰り返していたが、昔ほど酷くはなくなった。

だが、中学3年生の冬。卒業間近に悪夢が襲った。

ある授業を受けている時、突然強烈な腹痛が私を襲った。我慢しようとしたがシャーペンを握る手が汗でビチャビチャになりノートが濡れた。これはやばいと思い恥を忍んでトイレへ向かった。

だが、トイレへ向かっている途中で腹痛はすっと治った。

あれ?と思い再度教室へ戻り席へついた瞬間また猛烈な腹痛。

全身尋常じゃない汗が流れた。少しでも気を緩めば屁も身もでる、全身をガッチガチに硬直させ奥歯が割れるほど食いしばった。

だが、十数分も待たずして再度トイレへ。またしても廊下を歩いている途中で嘘みたいに便意がなくなっていく。

その日から地獄の日々が始まった。

幸い、卒業間近だったこともあり登校日も少なくなっていたのだが、試練は終わらない。

友人とバスで出かけようものなら1人だけ途中離脱。親と車に乗ってどこかへ行くこともできない。静かな場所や人が大勢いてなおかつトイレはすぐ行けない場所密室にいると強烈な腹痛に襲われた。

そのくせトイレへ向かう途中やトイレに座った途端すっと腹痛が何処かへいってしまう。

私は発狂しそうだった。というか発狂した、泣いた、わめいた。

ご飯を食べなくなり下剤を多用した。整腸剤も飲みまくった。

出すもの出せば仮にお腹が痛くなってもでるものがないと思ったし、食べ物を食べなければ便が作り出せないからだ。

そんなある日、私はこの腹痛の病名と出会った。

過敏性腸症候群

お前か!!!!!お前だったのか!!!とめちゃくちゃ感動した。

その頃はおそらくあまりメジャーものではなかったが、いろいろな情報ネットから手に入った。心療内科へ行き診断もしてもらった。

からお腹が弱いというのも原因だったのもあるが、私の場合は厳しい親も原因の1つだったようだ。

怒るとなるとかなり厳しく、また、小さい頃は虐待じみた教育を受けていたこともありよくお腹が痛くなっていた。

成長するにつれ親も私が手がかからなくなり昔より穏やかに接するようになり、私も生意気にも口答えができるようになったのでストレスが少しずつなくなってきたから腹痛の症状が出なくなったのかなと思う。

だが、受験シーズンになり、推薦で高校が決まっていた私は勉強をしていなかった。仲のいい友人は勉強に追われていたが私はのんびり過ごしていた。そんな私に友人は八つ当たりをよくしてきていた。

今思えば自分が行きたいと選んで塾へ行き、自分が行きたいと選んだ高校なのだから黙って勉強しろよとは思ったのだが当時の私はその子八つ当たりを頑張って受け止めていた。

また、入学予定の高校では部活で進学したのだが、今じゃあり得ないくらいの暴力蔓延している部活で、これからそういう環境に身を置くことに対しても強いストレスがあった。いくら覚悟を決めていても無意識に心に負担があったのかもしれない。

いろいろなストレスが少しずつ私を蝕んでいき、一番弱いお腹負担がかかったのだと思う。

卒業式の日は前日から絶食、お守りがわりに整腸剤を持って挑んだ。隣の席の友人には病気のことを話し、式中はずっと小声で話し合っていたおかげでなんとか乗り切ることができた。

高校入学後も、事前に学校側へ事情を話しており、なおかつ校風自由で友人みんなに病気のことを話したり、テストは別室でうけたり、本当に申し訳ないが授業中は寝ることによってお腹から意識を逸らした。(教室にいることもとても辛かったが、皆んなが病気を受け入れてくれているという安心感や、申告なしでトイレへ行ってもいいと学校から許しをもらっていたので、安心感が大きく眠りにつくこともできた)

高校一年生の夏、期末試験の時、初めて教室テストを受けた。

担任から「受けてみないか」と提案があり、無理ならすぐ保健室へ行ってもいいと言ってくれた。

テストが始まった直後、教室は一気に静まり返った。

心臓が痛いくらバクバク鳴っていた。手汗が出た。お腹も痛くなった。

だが、我慢できる。

それどころか、少しずつ、少しずつ腹痛が治まっていく。

気づいたらテストが終わっていた。

その日から私は腹痛で保健室へ行くことは無くなった。

あれ以来、普通の人よりもお腹が痛くなることはやはり多い。映画館で腹痛になり、楽しみにしていたメリーポピン●は1時間しか見れなかった。居酒屋へ行きすぐにトイレから出れなくなることもあった。

けれど、昔より悲観的じゃない。大人になるってこういう時とても便利で楽だなって思う。

昔みたいにビクビクしながら外へ出ることがなくなったのはとても心地いい。もちろん痛くなったら絶望的にはなるが。

あの高1の期末試験体験が私の勇気となっている。あの日、目の前がとてもキラキラして見え、あ、もう大丈夫だと心から安心したことは忘れない。

2019-12-12

https://anond.hatelabo.jp/20191212232249

本当にそう思う。校風が合わないという時点で専門に切り替えるなどするのが最善の選択だと思う。

俺は周囲に合わせる事に気付いて、何とか卒業出来たけど。人間不信けが残った。

元農水事務次官の息子と同じ中学出身だが

元農水事務次官の息子と同じ中学出身かつ同世代だが、何故かASDにはすごく厳しかった。

進学校男子校からもっと自由奔放なのかと思ったが、他人と同じであることを強く求められる校風なんだよな。

いじめられたか家庭内暴力というのは許されないと思うが。

2019-11-24

大学進学時、東京京都のどっちにするか迷ったが東京に行った

おれはおっさんなのでこれはもう前世紀の話になってしまうのだが、

当時合格した大学がそれぞれに一大学づつしかなく、どっちも同じような社会的位置づけ、校風学部だったので、純粋にどっちに住んでみたいか?という観点での選択となり、少し迷ったがあっさり東京を選んだ。

人が多いし町も大きいし現地に知ってる人も少しいるし、東京の方が京都よりは実家に近いというのも理由だった。

他に同じ立場に置かれた人も多くが東京を選ぶのだろう。

東京一人暮らしをする大学生)という、ある意味での多数派になったという実感があった。社会の流れにうまく潜り込んだような感覚があった。

卒業後もしばらく東京で働いて何年か後に地元に帰った。地元転職先での人間関係違和感があった。地元の人たちにはおれが東京暮らしいたことをやっかむ感じがあるようだった。そうだときづくのに少し時間がかかった。

だけどそれは、ない人がそういうのを羨む感覚があったとしても、あったらあったでけっこうどうでもいいものだと段々思うようになってきた。

もし京都を選んでいたら一体どうなっていたのか全く想像がつかない。

まず出会う友人も全く違っているだろうし、影響を受けることも目指す職業就職先も全く変わってしまっているはずだ。もう全くの別人生である

だがもし、大学受験前にもっといろんなことをよく勉強していれば京都行きを選んだかもしれない。

東京親権力 京都=反権力

というイメージがなんとなくあり、自分のことを知れば知るほど反権力志向というか、メインストリームよりわざとオルタナティブな方を選ぶような、みんなが右と言ったら左と言いたくなるような素直じゃないようなところみたいのが根っこにあるというのが生きていく中でやっぱりあるなというのがわかってきたので。

ホント多数派であることなんて特に価値のあることなわけじゃない、というか。

2019-11-13

anond:20191113231752

自分の周りの別の女子校出身者にも割とあるあるで通じたか一般的なことかと思ってたけどそうじゃないところもあるんだね 校風の差かな

2019-10-11

anond:20191011014237

正直、進学率や偏差値の高い学校より

いたこともない宗教系の学校のほうが

現状だとずっとまともで安全なんだよな・・・

宗教系が100年の歴史ある進学校宗教があっても形骸化してる)よりまともだったっていったいどういうことな・・・

子供が二人三人いるなら入ってみてから口コミ自由末っ子にあう校風まで選び治せるけどさあ

2019-10-05

医者がそんなに嫌なら今すぐ医学部中退すればいいのに

中学受験をやらされて校風の合わない厳しめな中高一貫進学校に打ち込まれた私は自分で決めて中退しましたけどね。

でも研究者を目指したかったのは変わらなかったから、ちゃん自分で独学で努力して旧帝大工学部博士まで出て、不安定だけどポスドクで頑張っとるよ。

あの増田は、己の人生において何が自らの命を規定する価値なのか、よくわかってないんじゃないかなあ。

医学部に行けるなんてさぞかし賢そうだし、普通に物性物理とかやればよかったのに。実験系でも医学部ほどキツくはないでしょ周り見ても週何回も徹夜してるわけでもないし。

それとも、高給と医者としての名誉は手放したくないのに気に入らない働き方は拒否したいだけなんかな。ガキならまあしかたないけど。

何のために生まれてきたのかもわからない人間受験マシーンなんかに仕立て上げてしまうと、ああいアンバランス人間が出来上がるみたいでよくないね

まあでも、こちらみたいに被爆3世ながら思うところがあって原子力系の学科に進むもいきなり東北原発が爆発したり、とかそういう生まれ自然災害やら訳わからん不可抗力でいろいろ捻じ曲げられてるじゃないでしょ、自分で状況を変えられるだけの僥倖は手にしてるじゃん。

それでも医学部絶対に辞めたくない、でも医者の働き方をやるのもやだ、さあこのような人間世間はどれほどの生温い視線を注いでくれますかね。

どんな社会派気取りで世間にご高説垂れたところで、にじみでる吝嗇を取繕うような態度はただ己が怯懦を直視したくない弱さの現れにしか見えないなあ。まあそういう卑怯者のつぶやきでも匿名でタレ流せるのが増田の魅力だけど。

2019-09-30

anond:20190930195953

いたことないけどそんな会社あるのかな

メーカーの他社乗用車を買うのは推奨しないって雰囲気ぐらいならわからないでもないが

解約まで要求してくることってあるのかな

車のキー持っているだけで解約まで要求してくる学校意図が全くわからん

無免許運転していた現行犯とかでもない

ただ単に「子供のくせに車なんて生意気」という大人嫉妬のような

どっちにしろ次にどんないちゃもんつけてくるかわからん高圧的な校風みたいだし

学校側の要望通りに退学して転校するのが吉では

2019-09-29

anond:20190929174046

地域性校風によって幅があるから常にイケメンが大勝するわけじゃないというのはそうだと思うけど

そもそも見た目がよくない時点で内面を知ってもらえるほど関わってもらえないという空気場所も多いか

イケメン有利というのは揺るがないと思う

2019-09-27

中学時代同級生に謝りたい

中学の頃、仲の良かった男友達がいた。

学校部活動で汗を流した後は毎日のようにI君の家に寄った。

当初は仲良しグループPS2N64で遊んでいたのだが、金持ちのI君の家にVAIOフルタワーがやってきてから一変した。

I君の家には高速なケーブルテレビ回線があった。

I君は勉強ができ、部活動も熱心に取り組んでいる優等生だったのだが

俺がWinMXWinnyエロ動画の落とし方を教えたせいで、彼をオナニーモンスターにしてしまった。

MMORPGなどのネットゲームには興味を示さなかったのが不幸中の幸いだった。

I君の家を訪れるたびに、得体の知れないIEアドインが生えていて、得体の知れない.exeを踏んだ跡が沢山あった。

HDDを持ち寄ってたくさんのエロ動画を交換した。

そんな頭の悪い中学時代受験期に差し掛かり、交流が少なくなってしまった。

地頭の良いI君は都会の有名な進学校へ行った。

俺は地元の三流高校へ行った。

高校卒業あたりで深夜のコンビニで偶然にもI君に会った。

全寮制でエロ動画収集オナニーも満足にできず、堅い校風が合わずに退学したという。

大検を取り、早稲田だか慶應だか覚えてないが、大学に行くと聞いたのが最後の会話だった。

I君が俺のようなろくでもない悪友を持たず、オナニーモンスターになっていなければ、どんな人生を歩んでいたのだろうか。

元気にしてるかなぁ。ごめんなさい。

2019-07-25

anond:20190724234317

ただ、校風が他と比べても自由大学出たけど、あれはあれでどうかなと思う感じやったぞ

2019-07-06

anond:20190706132051

子供には労基署うごかないのが問題だろ

大人がいったってろくに動かないのに)。

 

ハリーポッターにも描写されてるけど中学生ならまだ義務教育範囲内だけど

高校生に体力と時間無限にあるとおもいこんでる教育者が多い。

夏休み冬休みにまで「補習」と称してボロボロクタクタになるまで子供を使い果たして実質休息日が3日しかない学校がある。

親が校風あわないからあわてて転科(文転など)や転校させたくても「制度上無理です」。

体調くずして休むと教科書さない上でテスト受けさせるいじめみたいな場合もある。

モーレツ社員募集したブラック企業じゃないんだからせめて連携とって整合性をとれと思う。

 

暇で大人人口がない田舎高校生なら

自分原付免許くらいはとったりしてくれる。

(=すきなところにいかせるのに親の送迎をつけなくていい)

自主的になにかやろうと思う暇をこどもにつくれよまず。

2019-06-17

anond:20190617010424

中学生にもなると学校祭とか大人が見てるところでは下品言葉使わないか校風なんてわかんないよ

うふふおほほご機嫌ようみたいな私立ならガイジなんて言う人はいいかもしれないけど

そうでもなかったらどこにいってもそういう奴は一人はいるし、一人いると感染していく

ガイジって言葉を使う子がいるかどうかより、下品な子でも付き合わないとクラス内のカーストが云々の状況をどうにかしたほうがいいよ

anond:20190617010043

まり校風によるとしか言えない。

望ましい校風選択するとなれば、やっぱり私立に行くしかない。

2019-03-29

一言で言えば「それな」で済む話

https://anond.hatelabo.jp/20190328015628

リファレンスのやり方あってるかわからないけどいいか

この人が本物かどうかと聞かれたら、私は多分本物だろうと答える。多少フェイクは入れてるだろうけど。

なぜなら、少し似ているからだ。私と。

まあうちは普通サラリーマン家庭なので、ブランドの話はよく分からないし、小学校公立だし、大学は家から通える国立にしたけれど。でも、同じように御三家と呼ばれる女子校を出たものとして、その屈折した感情はある程度自分のものとして理解できる。彼女と同じ学校かは分からないが、多少の校風の違いはあろうとも御三家か、同偏差値帯の私立中の生徒の傾向は大まかに同じと言って良いと思う。彼彼女らを私立中に出荷するための生産拠点は等しくSAPIX日能研等の大手中学受験塾だからだ。大手中学受験塾は大体3年間で2,300万円かかる。それぐらいの学費を払え、かつ子供学習サポート出来る家庭というのはおおよそ似通ったものになるのは想像に難くない。と、いうか大体似ていた。レアケースがあることも否定はしないけど。

私は医学部志望では無かったのでその辺の事情には明るくないが、医学部を目指す子はやはり親が医者のケースが圧倒的に多かったように思う。そして、医者になるという目的があるからか、中学の頃から鉄やSEGに通って着実に受験に備えていた子が多かった。これは素直に尊敬してた。まあそれと同時に、塾で医系数学とかの授業を取ったりする過程で、この人の周りが更に私立中高一貫医学部志望医者家庭へと純化されていってたんじゃないかなとは思う。

それはさておき、単純に私が少し似ているなと思った部分についてつらつら書きたい。

まずバイトについて。この部分でひょっとしたら他校かなとも思った。周りにバイトをする高校生は誰も居なかったのは同じだが、そもそも高校生バイトをするという概念現実感を伴っていなかったので、バイト禁止だったかどうかも分からない。禁止じゃ無かったとしても多分そんなに歓迎されなかっただろう。親も親でバイトするぐらいなら塾に行ってくれた方がいいと考えている人の方が多いのは確実だ。

次に、暗黙のルールについて。確かに即物的なというか、実際の生活に関わる色々な数字は、同じ学校の生徒であるという点で=にされて不可視化されていたと思う。でも認知されていなかった訳でもなくて、ベールに覆われたように大まかに認識していたが、敢えて可視化しようとしなかっただけだろう。これは学校の態度の影響もあるかもしれない。私の知る限りでは、御三家には一斉に模試を受けて学校偏差値管理したり、成績を壁に貼りだしたりして、生徒同士の差を意識させる学校は無かった筈。加えて、これはこれで問題だと思うが、うちの学校では少なくない教師受験だとか偏差値だとかをまるでハリポタの「ヴォルデモート卿」と同じような、ゾッとする単語として捉えていた。

最後自己認識世間一般との差について。これは同じような環境で成長した人達と接していると、気付かないし、別に気付かなくても生きていける。でも、自分と違った環境で育った他者と接する時に切実な問題として浮かび上がってくる。私も、世間ではエリートコースと呼ばれるだろう経歴にはなったが、別に自分のことは頭が良いとは思ってない。小学校の頃も塾では一番上のクラスの下の方で、中高では結局真ん中より上の成績を取れなかった。ずっと自分より上を見上げるばかりだった。

から大学地方出身の「まっすぐ」育って来たんだろうなぁと感じられる子の万能感には相容れないものを感じる。万能感は自分人生で真っ先に失われたものの1つだからかな。

あと、自己認識がどうであれ周りからは期待されちゃったりするからそのギャップが正直キツいというのはあるんじゃない。

まあ長文並び立てたけど単純にそれなと思っただけ。最初共感した所だけ書いて去ろうと思ったけど思うところがあり過ぎて長くなってしまった。多分元記事の人はちゃんガス抜きできる人だからしっかりとした医者になれると思うよ。

広いインターネットで似たようなこと思っている人がいたのが嬉しかったけど、ひょっとしたら狭い世間の知り合いかもね。

2019-02-14

学校が荒れてるかどうかなんてよっぽど校風が定まって固定化してるような一部の場所以外はただの運だと思うよ

2019-01-08

コミュ障初恋片思い6年間の一部始終

コミュ障婚活マッチングアプリ出会い別れるまでの一部始終」(anond:20190106214218)という日記を書いた者です。

前回の日記を通じて、自分経験文章に落とす作業をしている間はすごく気分が晴れるということに、生まれて初めて気づきました。文章を褒めてくださる方もいらっしゃったので、調子に乗ってもう1本、投稿してみます(読み手を選ぶ内容なので、さほどブックマークはつかないと思いますが)。また、前回の日記では、あたかも僕が恋愛経験コミュニケーション能力以外の点において完全なる真人間であるかのような印象を与えてしまったので、ちょっと彼女に対してアンフェアだったな、という懺悔の思いもあります

僕が中学生高校生時代に、人生で初めて好きになった方の話をしたいと思います

僕が通っていたのは、中高一貫男子校でした。所謂進学校で、有名大学進学率がKPIになっている、勉学を重んじる厳しい校風でした。

中学校の登校初日入学式を終えた新入生は、疲れた足取りで初めて行く自分教室へ向かっていました。殆どの生徒はお互い初対面なので、会話もまばらでした。1人で居ても目立たなくて良いな、ずっとこのままなら良いのに、などと思いながら、僕は人の波から少し外れたところを歩いていました。

廊下の角を曲がった時、僕は斜め前を歩いていた同級生の1人に気づきました。サラサラストレートの髪に、小さな顔、大きな瞳、長い睫毛。人生で見たことのある誰よりも格好良い男の子が、そこには居ました。

これが、一目惚れか、と、冷静に思ったのを、はっきりと覚えています

彼と僕は同じクラスでした。彼は、才色兼備な人でした。文武両道で、サッカー趣味。優しい性格で、愛嬌があり、話は面白く、友人も多い。笑顔キラキラしていて、王子様のように見えました。過去を美化し過ぎだと言われるかもしれませんが、アイドルグループ所属していてもおかしくなかったと思いますクラス文化祭に出店した、大して美味しくない割高なタコ焼きも、彼が声を掛けた女子学生は全員買ってくれました。

僕は、絶対に彼には自分の心の内を明かさない、と決めていました。傷つくのが怖かったのもありますが、彼の人生劇場の登場人物として、僕はあまり分不相応だと思ったからです。僕は、彼が僕を抱きしめ、名前を呼びながら優しく髪を撫でてくれることを想像し、時に嗚咽しながら床に就きました。僕の人生は泣いてばかりです。今思えば、この時の涙の理由自己憐憫でした。努力放棄し、自分自分のことを追い詰め、思考停止して悲劇のヒロインを気取り、自身を慰めて、精神的な安寧を得るのが日課になりました。幸せと虚しさが入り混じった複雑な気持ちで、彼と時空間を共有できない夜をやり過ごすことしか、できませんでした。

僕は「好きな人の好きなものを好きになる」タイプでした。彼があるアイドルファンだと聞けば、プロフィールを暗記し、出演するテレビ番組を観ました。彼がよく口ずさんでいた洋楽アーティストCDは全部借りて聴き、歌詞まで覚えました。そうして仕入れ話題で彼に話しかける勇気もないのに、です。

ある日僕は、彼と彼の友達教室の窓辺で繰り広げる雑談に聞き耳を立てていました。彼は、塾で出来た初めての彼女ファストファッション店に行き、お揃いのトレーナーを買ったと、少し恥ずかしそうに、しかしとても楽しそうに話していました。僕は彼に彼女ができていたことさえ知りませんでした。完全に狼狽しました。彼は彼女のことが好きで、僕が知ることのできない存在であるその彼女は、僕の見たことのない彼の表情を知っているのです。結局、その日は何もやる気が起きず、トイレに籠って残りの授業をサボってしまいました。泣き腫らした顔を誰にも見られたくなくて、放課後、日が沈んだ頃に個室を後にしました。親には怒られましたが、何も言えませんでした。

でも、サボってばかりいたわけではありません。むしろ勉強には必死で取り組んでいました。彼と同じクラスになるためです。入れ替わりの激しい特進クラスを6年間ずっとキープし続けたのは、とうとう彼と僕だけでした。彼は文系コース、僕は理系コースでした。本当は彼と同じコースに進みたい気持ちもありましたが、無理して高い授業料を払ってくれている両親の顔を思い浮かべると、人生を棒に振る可能性のある決断をする勇気は出ませんでした。それでも、少しでも多く彼と同じ空気を吸っていたくて、受験必要のない文系科目まで、教頭に頼み込んで時間割の許す限り履修していました。ただ、残念ながら僕の学力は彼に遠く及ばず、別の大学に通うことになるのは自明でした。最終学年になって勉強モチベーションを失った僕の成績は、急に翼を失った鳥のように落ちてゆきました。教師全員にひどく心配されたのを良く覚えています

高校3年の1学期の席替えで、僕の席が彼の後ろになりました。夏休みまでのたった数ヶ月だけですが、世界中の誰よりも彼と一番物理的に近い場所占有できる喜びで、胸がいっぱいになりました。居眠りの振りをして机に突っ伏し、いつの間にか仄かに甘い香りを纏うようになっていた彼の背中に近づきました。息をするたびに、彼と一体化してゆくような、幸せ気持ちが溢れました。放課後、憶えた匂いだけを頼りに、彼と同じ香水を探しました。塾を休んで、お店を何軒も梯子しましたが、結局見つけることはできませんでした。

ある授業の小テストで、僕が酷い点数を取ったことがありました。回収の号令が掛かり、自己採点した答案用紙を、前の席に座る彼に恥ずかしそうな顔で差し出すと、彼は僕の眼を見て「可愛い」、と言いながら、優しい笑顔で受け取ってくれました。どういう意味を持つ言葉なのか、しばらく理解できませんでした。その声色は、今でも耳にこびり付いています。辛いことがあった時に、何度も、何度も心の中で反芻して、その度に涙を流し、頬から耳まで真っ赤に染めました。

彼が僕の気持ちに気づいていたのかどうかは、卒業するまで、ついに分かりませんでした。

この日記は、彼の好きだったEric Claptonを聴きながら書きました(この日記では固有名詞を一切出さないという自分縛りがあったのですが、これだけ例外にさせてください)。自分の中で強く記憶に残っているエピソードを集めてみたのですが、結果として完全なる狂気という印象になってしまいました。常にこのような変態行為に走っていたわけではないことだけ、申し開きをさせてください。この時期にできた数少ない友人の一人とは、年に一度、母校の文化祭に行く間柄を保っています

彼とは、高校卒業以来、一度も会っていません。大学に進学すると、僕は別に男性が好きだったわけではないのだということに気づきました。ただ、6年間、彼という重いアイロンを掛け続けた心の折り目はなかなか消えず、随分とひねくれたまま大学生活を送ってしまいました。

客観的に読み返すと、僕は本来的には恋愛依存体質で入れ込みやすタイプなのかな、と思いました。これをコントロールできるようにしないと婚活中に精神病みそうですね。

この日記をどうしても書きたくなったもう一つの理由は、前の日記の「彼女」が、3次元ボーイズラブ小説執筆をこよなく愛していたからです。彼女は、本当に親しい人にしか言えない秘密だと言って、4度目のデートで僕にその趣味を打ち明けてくれました。彼女に僕の経験を伝える機会はついにありませんでしたが、あの時僕が彼女の良き理解者として振舞えたのは、中高時代の彼との思い出があったからこそでした。

この日記を、「彼」と「彼女」に捧げます

《2019/01/10 追記

ブックマークコメントを読ませていただきました。「まともな人かと思ったらヤバい奴だった」みたいなことを云われるのではないか心配していたのですが、杞憂でした。お薦めしていただいた漫画面白そうなので読んでみようと思います。あと、「明治文豪が書きそう」とあって笑ってしまいました。読書量の少ない人間がそれらしく文章を書こうとすると、学生時代に読んだ著名な本にしか影響されていないことが透けて見えてしまものですね。僕は「こころ」が好きでした。この日記遺書にならないよう精進します。

2019-01-04

anond:20190102063518

面白そうなので私も書いてみようか。東日本公立学校卒→東大理Ⅰのケース。

・家庭環境

電車は通っている、程度の田舎町。父は高校教諭、母は学校事務員、同居する伯母は小学校教師。そういう家庭だから学業に対する意識は高かった。

田舎町なので私立中学校などというものはなく、受験高校から

小学校入学

小学校入学からそれなりに頭は良かった記憶がある。特に算数が得意で、数の理解も早かった。

両親が共働きなので、朝保育所に預けられて、放課後は母の知人が預かってくれていた。この養母のような方には今でも感謝している。

小学校

選択肢も何もなく近所の市立小学校入学国語算数理科社会はまあオール5。伯母の影響で音楽の成績も良好。体育は3。典型的頭でっかちで、いじめられっ子になるという定番コース大人になってから「ごく軽度のADHDだったのでは?」と言われたことがある。

うちの小学校には、4年生になったら全員部活に入ること、という不文律があった。男子ソフトボールサッカー女子ミニバスケットボール合唱しか選択肢がない。4・5年生の間はなんとか回避していたが、6年生では避けきれずサッカー部に入部。運動が得意じゃなくコミュ障な上に「6年生なのに新入部員」で、部のしきたりも知らずあからさまに浮いていた。今から思えば入るもんじゃなかった、のだが、そういう「自分には向かない世界」を早く知ることができたとも言える。

自宅近くにそろばん塾があったので、小1の時に親の勧めで入塾。かなりさくさくと習熟して、市内の競技会(というものが当時あった)では上位の常連だった。但し、それなりに上達してくると飽きる悪癖があり、塾も徐々にさぼりがちに。小6で辞めた。お山の大将になるのはそれなりに簡単でも、世の中にはもっと上の人がいる、ということを子供心に知らされる。

運動が苦手なことを懸念した父により、同僚が運営に携わっている剣道同好会へ入門させられる。中3までの間、道場には週2回真面目に通ったが、練習は不真面目で大して上達もせず。

中学校

選択肢(ry)市立中学校へ。成績は相変わらず。部活動のバリエーションは増えたが結局のところほぼ全部運動部で、剣道部に入って万年補欠。帰りに学校近くの駄菓子屋ゲームやって帰ってくる生活

英語塾に行った他には学習塾の類は行かず、自宅での勉強のみ。この頃までは「学校で課された科目」だけ順調にこなしていたと思う。

高校はいわゆる進学校しか考えてなかった。地方の常で、歴史ある県立高校偏差値的な意味トップ私立すべり止め扱い。模試では毎回トップ争い。

受験すべり止め無しで本番一発。直前に風邪を引いて親は心配していたが、合格圏内には入った。

高校

進学校なので、近隣中学校の成績上位クラスが集まってくるため、何でもありな小中学校とはかなり雰囲気が変わる。校風リベラルで、校長先生もその校風に沿ったユニークな方だった。

部活動は管弦楽部に入部。やっと運動部の呪縛から解き放たれる。管楽器中学校ブラスバンド経験者が占めているため、素人必然的弦楽器担当ヴァイオリンを弾くことになった。相変わらず不真面目に練習して、東大でもオケに4年間在籍したがその後はぱったり。


2年生で文系理系コース分け。私は理系クラスへ。成績は高校でも順調だったが、伸び悩みも出始める。そんな頃に、部活の1学年上の先輩からの勧めでZ会に入会。当時の地方在住高校生で、難関大志望の人は大半が入会していたと思う。教科書レベルを超えた難問・良問で鍛えられた。おかげで授業中は講義スルー、ひたすら問題集を解くことに集中。部活後に家へ帰って夕飯を食べたら深夜までZ会に取り組む生活が続いた。

科目としては数学化学は得意で、トータルでは学年トップクラスだったが、物理が苦手で平均点+α程度。これはまずい、と対策…した筈なんだが具体的な中身を思い出せない。結局教科書に沿って、一番最初力学から復習したんだっけかな? 3年生になる頃までには苦手意識も解消。

中学生の頃からパソコンで遊んでいたので、大学最初東工大第5類を考えていたが、周囲からの「行けるなら上行っとけ」というプッシュで東大理Ⅰを目指すことにした。Z会にも東大コースがあるのでそちらを開始。模試は毎回A判定なので、これならいけるかなと。

センター試験自己採点は720点ぐらいで、足切りクリアできただろうと。当時の東大入試は、1次と2次の成績が1:4の比で加算されるので、ぶっちゃけ1次は足切りさえクリアできればオーケーレベル。(理Ⅲは知らん)

2次試験は、前期は東大理Ⅰ、後期は東大理Ⅰの出題形式ちょっと特殊なので、トラディショナル形式京大工学部受験することにした。大学受験私立すべり止め無しの舐めプ

初日に、得意な筈の数学で大問6問中1.5問しか解けず「これはやべぇ」と焦る。理Ⅰ合格ラインは2.5〜3問。残りの化学物理英語で取り返すしかないので、宿に戻って総復習。幸い2日目は好調普段よりよく出来た感触。かつて苦手だった物理もきっちり得点源にした。

結果、現役で一発合格

・その後

地方お山の大将は、東大生の一部であるスーパーマンを見て我が身の程を知るわけで。いろいろあってどうにか卒業就職してエンジニアやってます

受験生の人は、なんだかんだ言ってもやはり王道は反復練習なので頑張って。大学に入るとがらっと世界が広がります

2019-01-03

京大受験までの思い出

https://anond.hatelabo.jp/20190102174908

自分のことを思い出した。

もう20年前の話。

親の仕事の都合で引っ越しの多い幼少時代だった。そのせいか内向的で、休み時間には教室に置いてある児童文庫学習漫画をよくよんでいた。地球太陽の周りを回っていると書いてあったから、影が1日の間で移動する理由テストで問われて「地球太陽の周りを回っているから」と書いたら、正解は「太陽が動いているから」だと言われた。テストでは僕の答えも丸になっていたが、動いているのは地球の方で太陽は動かないはずだと僕はずっと首をかしげ続けていたと、母親保護者面談先生から言われたそうだ。なぜか母親にとってそれは自慢話のネタらしい。

中学受験に向けて猛勉強する同年代の子どもたちの映像テレビで見たことをよく覚えている。そのときは僕は「ずるい」と感じていた。みんなが学校で同じように平等勉強の機会を得るべきで、塾で勉強するのは抜け駆けをするずるだと感じたのだ。そのせいか僕は塾に行くことな大学受験まで過ごすことになる。

親は放任主義というかのんびりしているというか、子どものすきにさせるというスタンスで一貫していた。ファミコンをどんだけやっても怒られないし、勉強しろと言われたことは一度もなかった。そのせいか、どの高校大学を受けるかにあたって僕が出した唯一の基準は「自由なところ」だった。

高校県内でも自由で名高い公立を選んだ。私立優位な地域だったので、東大京大に受かるのは3年に1人くらいの高校だった。そんな高校で僕はずっと学年で「2番」の成績をとり続ける。どんなに頑張ろうと常に2番。1番の子は一体どんなやつなんだろうと思わないでもなかったが、実は顔も知らない。1学年10クラスもあって、どのクラスにいるのかを探すのも大変だったのだ。

高3に模試を受けてみると、京大合格圏に入らないでもないくらいだった。調べてみると京大は、自由のもの校風ではないか。それなら受けるしかない。塾には行ってなかったが、通信教育は受けていた。コース京大向けに変更して、家で課題を解き続ける日々。子どもの頃に中学受験をずるいと感じたくせに、大学受験ではそのど真ん中に身を投じているのだから勝手なもんだ。つまり自分認識すらできない時点で人生に差をつけられてしまうようで、抵抗を感じていたのだ。

受験の当日、母親ホテルについてきた。「私は観光してくるからあんたは受験頑張りね」と。どこに観光してきたかは知らないが、そのとき写真お土産ひとつもなかった。どこにいたんだろね。

試験はよく集中できた。何問解けたのかはよく覚えてない。目の前にある京大らしい問題に、自分知識と知恵で格闘した。いつも通りの自分でいられた気がする。

合格発表は新幹線に乗って見に行った。

自分の番号を見つけた瞬間の感想は、あーそっかあという安堵のようなものだった。ここに受かるということは、親元を離れて暮らすということだ。その新しさへの不安と期待が少しずつだった。

噂によると、学年でずっと1番だった彼も京大に受かったらしい。が、いまだに会ったことも話したこともない。全く自由というか無頓着なのだろう、2人とも。

あれから20年経ち、僕も親になった。

僕も親のように、人生の岐路になりうる場に子どもを平常心で立たせてあげることができるだろうか。まあきっとできるだろうと、ポケモンをやり続ける子どもを見ながら思うのだ。

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