・ユースビオの納品は問題なかった(ゴミ混入したのは伊藤忠と興和の妊婦用マスク)
・当時でさえ布マスクの効果を否定する論文はなく、さらに今では布マスクでも効果があることがわかっている
Gotoはクソだと思うし、ハンコ議連のIT大臣とかPC使ったことないサイバーセキュリティ大臣みたいな人事、
黒川レートとかクソだったと思う
なんか、出てくる女性みんな「母と娘」に拘ってて笑える。
憎い男の子供でも「子供に罪はないから〜」? 本人が言うならまだしも、他人にそれを諭されるの気持ち悪すぎでしょ。中絶は悪ですかそうですか。
水浴びする女たち。ガヤガヤと喧しい女たち。結局美少女か老婆しか出てこないし。テンプレ女性表象のオンパレードで胸焼けしてきた。
いやアクションは良かったけどね! 素直に「アクションが良かった〜」って褒めればいいのに。
言いたいことはわかるよ? 「男が支配する男社会の中で、物扱いされてきた女たちが反旗を翻す」話だもんね。でも正直、「ほーん、で?」としか思えない。こんなんでも無理やり「フェミニズム映画です」ってこじつけられるなら、異種族レビュアーズでも「フェミニズムアニメです」ってこじつけられそう。(適当)
ツイフェミが褒めてる作品ってこんなんばっか。今度こそ、って期待したんだけどなぁ。
あと、「怒りのデスロード」って副題にケチつけてる人もいたような気がするけど、「fury road」の和訳として妥当も妥当じゃんと思った。
ネットで不満を騒いでそれがバズれば
たとえば、ブラック企業告発、保育園に入れない(子育て問題全般)、セクハラ告発、パワハラ告発、飲酒運転などアルコールによる諸問題への規制、増税への反発、増税への反発、増税への反発、などなど(政権の人気に関わる)
2020年のwithコロナ以降も、国民がネットでごねたらお肉券は現金10万円に化け、水商売関係者(水商売で大儲けしてる奴なんて一部、他の仕事に就けない奴が多数)への給付金支給排除も撤回された
生活保護バッシング(弱者への嫉妬)だって、ネットから火がついて片山さつきみたいな議員が動いた結果広がって、いつの間にか国政の一大テーマみたいになってる
でも同性ですら初対面から半年〜1年くらいないと打ち解けられない、そもそもコミュ障だから新しいコミュニティに飛び込めない。
出会い系アプリとかはどんなにお友達探しなどと謳われていても、結局ヤリモク男しかいないんだろう?という偏見がある。
一生叶わぬ願いだ…
最近覚えたと思ったけど覚えてなかったやで
免許を取得したての頃、親を乗せていたら、信号のない交差点での右折タイミングや信号のない交差点での合流タイミングで「私なら今曲がっていた」「早く曲がれ」みたいなことを言われることがあった。
自分は教習所の頃から運転に苦手意識があり、他車との距離は相当とって右左折をしていたので、そうした発言は多く受けた。
そうして言われ続けた結果、親を乗せて運転していると、別に何も言われていないのに早く曲がらないといけない気分になり、かえって運転が危なっかしくなった。
場合によっては一人の運転でも想像上の親が言ってきそうな気がしてくる。
同様のことは料理を作る際にもあり、親や兄弟の料理を作っている際に「私ならこうしていた」という発言を受けたことを思い出し、かえって中途半端なものが出来上がる。
「私ならこうしていた」という発言は、発言者の能力を前提としての話であり、その人と異なる能力の人がそのまま受け入れるのは中々どうして難しい。
そのくせ言われた経験だけは色濃く残り、要所要所で思い出して行動を縛るので厄介だ。
🐷イキナリ何❓
10年以上フィギュアを集めた私が、今回フィギュアを売るにあたって、自分の気持ちを整理するためにフィギュアに対する想いを長々と綴った。
業者さんに送った文をほとんどそのまま投げる。業者さんの名前は出していいかわかんなかったからとりあえず空白にした。
自分でも今後読み返せるようにしておく。あと誰かに読んでほしかった。
ーーー
今から十数年前。高校最後の年に友人から食玩フィギュアをもらったのが、私とフィギュアの出会いでした。
あのころはガチャガチャ・食玩フィギュアが多数存在しており、小さいながらにそのキャラクターの特徴が捉えられていました。ゲームばかりしていた当時の私に多大な衝撃を与えてくれ、自分のオタク趣味の世界が少し広がりました。バイト代をガチャガチャにつぎ込み、クローズド食玩フィギュアの中身を数少ないフィギュア仲間とトレードしていました。
翌年進学してすぐ、自分へのお祝いとしてショップで初めてのスケールフィギュアを購入しました。マックスファクトリーのアル・アジフです。この頃はフィギュアの購入者層も限られており、ギャルゲのフィギュアが圧倒的に多かった時代でした。
これは偏見かもしれませんが、当時学生だった私のオタク趣味の中でスケールフィギュアというものは、とても高額でありかつガチオタが楽しむものだとされており、とてもハードルが高いものでした。友人間でも冗談で「そっち(スケールフィギュア)に踏み込んだら終わり」という謎の感覚が浸透していたので、ショップで会計をしているときは心臓が早鐘を打っているようにうるさく、とても緊張したのを憶えています。大きい袋を持って帰路につき、自室の机でさっそく開封して台座に立たせました。まずはその圧倒的な存在感。ガチャガチャ・食玩と比べてその大きさもさることながら、それまで手の届く範囲にあったものとは圧倒的にクォリティが違いました。こんなすごいものがあるんだと、いろんな角度から夢中で眺めました。
そしてここからズブズブとフィギュア沼にはまっていきます。私はすっかりフィギュアの持つ魅力の虜でした。
この頃はメーカーによってフィギュアの出来に大きく差がついており、好きなキャラクターが出ても購入意欲がそそられないものもある時代でした。そのため私は自然と、知らない作品のキャラクターでもクォリティが高ければ買うという、造形買いをし始めます。
初めは大手メーカーのものから買い始め、原型師さんによっての造形の違いが分かるようになってくると、好きな原型師さんが作っていれば買うという原型師買いもし始めました。
社会人になると使えるお金も増え、より多くのフィギュアを手に入れられるようになりました。そうすると飾る場所も考えなければなりません。ガラスケースを購入し、大きな部屋に引っ越しするなど、更に管理のために室温なども考えるようになりました。
そうして現在、多くの素晴らしいフィギュアがリリースされる時代になりました。有名なキャラクターはほとんどがフィギュア化され、ハイクォリティで360度眺められます。その分値段が高くなりましたが、メーカーから比較的安価のものも出ており、可動やデフォルメ、プライズも素晴らしい出来で世に出ています。フィギュアの世界はこの十数年で大きく広がったなあと思っています。
そんな時、ふと自分の部屋を見回すと、未開封のフィギュアが積まれているのが目に入りました。いえ、今まで目を背けていただけで、本当は分かっていました。今の現状を、アル・アジフを買った当時の私が見たら罵倒されるでしょう。今の私は、惰性でフィギュアを買ってしまっています。
私の家にはガラスケースが3つあり、そこに100体ほどのフィギュアが飾られています。一年前くらいからそこに入りきらなくなってしまい、仕方なく積んである子達です。いつか飾るからね、と思いながらどんどん積んでいくフィギュア達。同時に作ってくれた原型師さんやメーカーさんにも申し訳ない気持ちが積み重なっていきます。
ケースを追加して飾ることも可能ですが、必ず限界が来ます。フィギュアの管理は箱から出して空気に触れさせた方が良いと言われていますが、あれだけ管理面にも気を付けていたのに今の私はそれすらできていません。さらに物を捨てられない・売ることができない物欲の塊の私は、どうしたらいいのかわからず悩み始めました。
こんな思いを引き摺って数か月、答えが見いだせないまま、近々引っ越しをすることになりました。今まで通りなら当然フィギュアも連れて行くのですが、悩んでいる自分が今まで通りでいいのかと言ってきます。今が引き際なんじゃないかと。
まず友人に譲ることを考えましたが、当時のフィギュア仲間はほとんどおらず、今の友人もだいたい同じものを持っていました。また、量が多いので個別に送るとなると手間もかかります。そうして私は、思い切ってネットでフィギュア買い取りを検索し始めました。そして見つけたのが「 」さんです。
決めてはこの「愛情買取」でした。先に買い取り依頼をした方の愛情紹介を読んだ時には、私と似た状況の方もおり、正直泣きそうになりました。
よしここで売ろう、と決めて買い取りオーダーをしましたが、やはりまだフィギュア達には未練があります。自分が惚れ込んで買った子達なのに、飾ることができなかった状況がとても悔しくて申し訳なくて悲しいです。でも私の手元にあったのではこの子達は輝けない、他の人の手に渡ることによって輝けるなら、それが一番いいんじゃないか。売ることに対して引っ掛かりを感じていましたが、こうして文章にして自分の想いをまとめると少し心が軽くなったような気がします。
「 」さんでは「娘を送り出すようなもの」と書かれていましたが、私の友人間では昔からフィギュア達のことを「養子」と呼んでいました。大げさかもしれませんが、まさに子を送り出す親の心境です。
私はダメな親だったけど、みんなに魅力がなかったわけじゃない。それぞれの造型美に惚れ込んで、迎え入れた時の気持ちは本当でした。これからは新しい家で存分にその魅力を振りまいて、きらきら輝いてほしい。みんな、幸せになってね。さようなら、ありがとう。