はてなキーワード: 対象性とは
それぞれの強みを活かしつつキチンと天下三分の計するならコレしか無いと思う。
少なくとも仮面ライダーは単品ヒーロー路線にしないと立ち位置が不透明になる気が。
主人公が元怪人で同じ立場の怪人と戦うことの苦悩って初代のコンセプトを伸ばすなら必然バトルロイヤルになるんちゃうかなと。
009しかりキカイダーしかり漫画日本経済入門しかり石ノ森ヒーローは「敵と味方が同じ技術や儀式を起点とした力を持ちながらも精神的に対立する」という構造が基本だからな。
その精神を受け継いでいる仮面ライダーにおいて「正義として生まれた存在がいる。生まれついての悪がいる。絶対的にお互いは違う」では物語の作りが変わってしまうではないか。
行政法学において、許可、認可などは明確に別のものとして定義されてるけど、実際の法律では許可、認許、特許、免許、承認、認証などなどの語が出てきて、厳密に使い分けられてはいないから勘違いしちゃったのかな?
勘違いしてない。党派性もまったく入っていない。行政手続法の立法経緯の議論と極めて分断化された建付けをちゃんと確認していないのは皆さんの方でしょう。(あなたが一番知識がありそうなので、代表してあなたに回答しておきます)
処分とは、公権力の主体たる国・地方公共団体が行う行為のうち、その行為によって直接国民の権利義務を形成し、またはその範囲を確定することが法律上認められているものをいう。法令上、許可、認可、免許その他名称の如何を問わない実質概念である。
ただし、この先が細かい。今回の議論に関係しそうな部分だけ指摘すると、
要するに行政手続法は行政手続の一般法ではない。対象を極めて限定している。もっとも、一般原則としての適正手続の要請に配慮して、行政主体が自発的に審査基準(法5条)や標準処理期間(法6条)を事前に定めることが禁止されるわけではない。したがって、実務の運用で審査基準、標準処理期間を定めている例があるから、行政手続法の対象になるはずという逆推知は機能しない。(長野県のくだりに対する回答)
これらを踏まえて、宗教法人法について考える。申請はそれに続く認証に利益を付与する処分としての性格が認められなければ、行政手続法にいう「申請」には該当しない。そこで規則の認証の性格が問題となる。認証それ自体は、一定の行為や文書の成立・記載が正当な手続によってなされたこと(事実)を行政が確認する行為に過ぎない。直接国民の権利義務を形成し、またはその範囲を確定するわけではない。したがって、原則として処分には該当しない。
もっとも設立手続の認証(宗教法人法12条1項)は、法人として権利能力が認められるのに事実上必須の手続といえるから、直接権利を形成すると評価し得るかもしれない。一方、名称の変更の認証(宗教法人法26条1項)は、宗教法人の権利義務を直接形成するわけではない。また、いずれも処分性があると評価し得るとしても、申請に対する拒否処分に過ぎないと考えるなら、適用対象外とされる。
以上より、宗教法人の名称変更の認証が、行政手続法にいう処分に該当するとは考えにくい。もちろん終局的には裁判所の判断を仰がなければ、誰にも断定できないわけですが。(註2)
行政手続の透明性という利益だけに着目すれば、文化庁のやり方が好ましいものとはいえない。実際、1997年の時点で統一教会が不受理を違法として裁判を起こしていたら、(抗告訴訟か国賠訴訟かという問題もあるが)国の不受理は違法と判断された可能性もあると思う。そこを強調するのもひとつの「リーガルマインド」だろう。
しかし、悪徳商法まがいの献金集めで多数のトラブルを起こしている宗教法人が、その悪名を隠すために名称変更をしようとしている場合、国民をさらなる被害の拡大から守る必要性がある。名称変更申請の不受理が一義的に違法とまではいえず、他に阻止する手段が存在しない。このような必要性と許容性が認められる条件下で、統一教会の名称変更の利益と国民が霊感商法から守られる利益を比較衡量して考える。これだってひとつの「リーガルマインド」じゃないかな。
以上、細かい知識は大切だと思います。「リーガルマインド」などという薄いマジックワードに頼る論証では、学部の定期試験すら厳しいのではないだろうか。頑張ってね。
註1 適用除外の場合でも、行政運営における公正の確保と透明性の向上を図るため必要な措置を講ずる努力義務が規定されている(法46条)。しかし、法が適用除外とした趣旨から、法を下回るレベルの手続条例が定められても、当然に違法となるわけではない。その意味で手続法は、いわゆるナショナルミニマムを定めたものではない。(塩野宏)
註2 仮に違法と判断されるとしても、その根拠が、行政手続法、憲法、法の一般原理いずれに違反すると考えるかは論点となる。元官僚を名乗る元増田は、行政手続法違反と主張している。
テレビ番組のモニタリングやせっかくグルメは男性向けでも女性向けでもない。
というかテレビ局側でこの番組は男性向けですとか女性向けですとか事前にアナウンスしているようなのを見かけること自体ほぼない。
NHKなんか民法と違って自社CMしかないんだからその枠で番組について説明する暇があるはずだが、そこでも対象性別についての説明はない。
漫画は性別を意識して作り、性別を意識して広告などをターゲティングすることに効果はあるのか。
ライトな読み手が大半で、ライトな読み手は広告のだいたい言いなりだろうから、女性向けとタグづけされた作品は面白くないだろうという先入観で男性は読まないだろうし、逆も然り。
そういうのをなくせば、つまり少し不便ぐらいな方が、いろんな作品を漁るようになって、各々が読もうと思う対象の間口が広がる結果、個人個人が読む漫画の総数が増加し、業界全体の収益も上がるのではないか。
漫画業界はより巨大な資本で動いているテレビ業界のやり方を少しは見習うべきだと思う。
そもそも性別で分けるとか「男性に『も』人気」なんていう性差があることを前提とした広告の打ち方は、ポリコレにもジェンダーレスにも合ってない。漫画業界を支配するブレイン側の頭が古すぎるのだと思う。
イケメンの性的まなざされの可視化もされたので、外見のみで性的対象とできるレベルの相手に対しては男女年齢差問わずに性的なまなざしが発生するのはよく理解されたのではないかと思うが(ジャニーズとかそうなってただろって指摘はあったが無視されてたね)
自由に恋愛を行うってことは自由に性的目線で見合って、外見含めた要素で合意のとれた相手と交際する話で
合意の見込めない相手からのアプローチの可能性っていうデメリットを了承した上で参加するってのが大前提なのにデメリットだけ切り捨てたい都合のいい人が多すぎるよ
アプローチに非対象性があるって文句があるだろうけどそれは男女の差異の問題でどっちが良いって話でもない。
男性は評価点のうち外見の占める割合が高い人がすごく多く簡単にアプローチ基準に達する
女性は評価点のうち外見の占める割合が低く超イケメンでもないと外見のみで合格にならない
これのどっちが良いかは評価次第だし(恋愛のみ、将来の結婚まで視野に入れるとかでも正しさは変わる)
対象性を挙げられないなら木島死刑囚が先の文中において何の例にもなってない件について。
あとその論法だと俺が君が知ってるような普遍的に著名なカップルを挙げた時点で例外中の例外なわけで、俺しか知らないようなカップルを挙げてもここでは何の意味もないよね。
パートナーが不細工なカップルの男女比統計みたいなピンポイントでセンシティブなデータはないし証明するのは手詰まりだ。もともと俺の個人的な所感でしかないわけで。
・結婚する意思のある未婚者が結婚相手に求める条件としては、男女とも「①人柄」を考慮・重視する人が最も多いが、「⑥家事・育児の能力」、「⑦自分の仕事への理解」も大多数の未婚者が考慮・重視している。
その他、「④容姿」、「⑧共通の趣味の有無」は男女ともに考慮・重視する割合が高いことに加え、女性では「②経済力」、「③職業」を考慮・重視する割合がこれらよりも高い。
しかし、近年では、男性でも「経済力」、「職業」を考慮・重視する割合が増加している。
って感じで女性の方が容姿以上に経済力や職業を重視する割合が高いとされ、近年は男性も重視し始めてるよって感じ。
内閣府の平成26年度版「結婚・家族形成に関する意識調査」では
・全体では、「価値観が近いこと」(75.6%)が最も高く、次いで「一緒にいて楽しいこと」(74.5%)、
「一緒にいて気をつかわないこと」(73.5%)が高い。
・男女別にみると、男性では「価値観が近いこと」(72.2%)が最も高く、女性では「一緒にいて楽しいこと」及び「一緒にいて気をつかわないこと」(ともに 80.0%)が最も高い。
・「容姿が好みであること」、「家事や家計をまかせられること」が、女性に比べて男性では高い。
女性では、「金銭感覚」、「経済力があること」、「恋愛感情」が続く。また、「家事分担」、「職種」、「学歴」なども重視され、全般的に、結婚相手に求める条件が多く挙げられている。
って感じでやはり女性に比して男性の方が異性に対して求める要素として容姿を重要視してる感。
まあ社会的に成功したブ男が女にモテるのはこうした統計的には納得できるのかもしれない。
外見的魅力より経済的魅力、職能的魅力が勝るのが女性で、経済的魅力や職能的魅力は生得的な要素でない以上、女性は男性より人間の内面を評価してると言える、というのは言い過ぎだな。
自分は一部の少年漫画に見られるセクハラ描写に違和感を覚えます。なぜなのか可能な限り客観的に分析してみました。
長文・乱文です。
はてな匿名ダイアリーを使うのは初めてなので、マナー違反や使い方の間違いが等あるかもしれません。
前提条件として
b 風呂を覗く・覗こうとする
男女問わず電車で痴漢に合ったことがある人はいるだろう。無理矢理体に触られたことがある人や性的ないやがらせをされた人もいると思います。そういった自分の体験を思い出す、だから嫌悪感を覚える、という流れです。
②かつ、それがギャグになっている
自分にとって一番大きいのはここだと思います。テンプレ的少年漫画のセクハラギャグの流れとしてセクハラする→殴られる→両成敗、のような流れがあります。
まず、それはギャグにしていいことなのか、と思います。相手にとって嫌だと思われる犯罪行為をして、殴られたから終わりなのか。窃盗や殺人がギャグで済まされるのだろうか?ともやもやする。いじめ・いじり的な発言やからかいについても同様。
次に、セクハラされたときに殴ることは自分には出来ない。痴漢されたときも後々面倒とか、冤罪じゃないかと言われるんじゃないか、と思い言うことが出来ない。なにより怖い。自分が少年漫画のヒロインのように滅茶苦茶に相手を殴ることが出来たならまた違ったかもしれないが、少なくとも今は無理だ。大体犯罪者だからって殴っていいのかって話だし。
いわゆる徹底した「悪」として描かれている敵が行うものならそれは魅力になりうるものかもしれません。
が、一般的に主人公や主人公サイド(読者が感情移入する側)がセクハラを行うのは違和感を持たずにはいられない。
あと、その描写がなくても作品の魅力を損ねないのでは、と感じるものも多い。もったいないなあ、と思う。
ファンになったかもしれない人やその親がセクハラ描写で読むのをやめたり、読ませないようにするのは作者にとっても損が大きいように思える。あるいは意図的に読者を選別しているのかもしれないが……。
大体これで説明できるが、思い付く反論に対しての自分の意見も合わせて述べておく。
それは読者一人一人が決めることです。あなたに命令される筋合はありません。
反論② 少年漫画は暴力で解決したり人殺ししてる、セクハラぐらいなんだ
また、セクハラはしたいと思った人間としたいと思われた人間がいたら成立するが、少年漫画の暴力は様々な力(魔法でも異能でもなんでも)や現実の世界には存在しない何かがあり、攻撃してきたり主人公サイドにとって理不尽と感じる敵が存在する、という前提のもとに暴力や殺人がある場合が多いと思います。
さらに言えば悲しいことに自分にとって性被害は身近なものですが、有り難いことに暴力や殺人は身近なものではないことも関係していると思います。
つまり、漫画世界の暴力的解決と現実世界の暴力的解決の文法には差を感じかつますが、漫画世界のセクハラと現実世界のセクハラの文法には違いをあまり感じません。だからこそギャグになることに違和感があります。
あと人を殺さないスポーツ漫画にもセクハラのシーンはあります。
また、自分は表現を規制しよう、したい、と考えてはいませんし、セクハラ描写そのものというよりはその前後の文脈があまりにもおかしいものが多いと感じています。
読む人が読者なのであって、全ての描写を楽しめる人だけが読者ではないと思います。
好きな漫画だからこそ違和感があるのです。真に勝手ながら、友人に堂々と薦められる漫画であって欲しいのです。
いくつか有名な作品を挙げさせていただきます。作品を貶めるつもりはありません。ご了承下さい。
ワールドトリガー※、七つの大罪、名探偵コナン、マギ、シティハンター
※アニメ版にて削除
勿論漫画は創作物でありフィクションです。それでも気になる点があり、それを指摘しているだけです。
急なご都合展開や設定の矛盾や引き延ばしが気になる人がいるように、自分はセクハラ描写が気になります。
反論⑦ 少女漫画にもあるよね、BL漫画にもあるよね、百合漫画にもあるよね
少女漫画にも無理矢理キスする、などの描写があります。自分は今まで無理矢理キスするようなセクハラ自体は少女漫画で見たことがあり、キャラの感性や行動に現実味を感じないことはあってもそれがギャグになっているところは見たことがありません。なので自分の感性ではそれはちょっと非現実的な描写、漫画的表現だな、で終わります。勿論流せない人もいると思いますが。
少女漫画にもセクハラをギャグとする描写があると思いますし、同じように嫌悪感を抱きますが、何分見たことがないので範囲をいたずらに広げたくなかったのです。
あなたの意見や感性を否定するつもりはありません。ご了承下さい。
多くの読者が望んでいるから描く、というのは正しいことなのかもしれません。それでもやはり自分には納得し難いものがあります。
言葉足らずだったかもしれないけれど、造形的美しさと、生殖的な美というか魅力は、必ずしも一致しないことが多いので、造形的に美しい形だからと言って必ずしも生殖に有利とは限りませんね。
多くの種において、左右対称性はきわめて重要な身体的美しさの指標である。42の種を含む約65の研究が、異性を惹きつけてパートナーを獲得するのに身体の対象性が重要な役割を果たすことを示している。通常は左右対称になるモノが非対称になる要因は、発達の過程で食物の量や質の不足などといった環境的要因が働いたことにある。つまり左右対称であるということは、その個体が発達の過程でそうした悪影響を受けなかったことを証明しているのだ。
「俺がそこにいた!」
初期ナンバガの歌詞を振り返るとこういう文体が多い
『omoide in my head』の「17歳の俺がいた」もそうだ
これは一人称の文に見えるが、実は三人称だ
俺“は”ではなく俺“が”と書くためには
「俺」という登場人物を第三者視点から見る必要がある
つまり三人称視点で登場人物としての「俺」を描写していることになる
だが、この三人称の語り手は客観的ではない
いた、ではなくいた“!”と主観をむき出しにする
語り手もまた“俺”であることを忘れてはいない
まとめると語り手「俺」が登場人物「俺」を主観的に記述した三人称、となる
自分自身を物語内の登場人物として捉え直すのは、メタ的だ
向井は映画監督を目指していたそうだが、
カメラのファインダーという隔たり越しに登場人物を描写する手法もうなづける
だが、メタ視点から正確に写そうとすればするほど、対象からは離れてしまう
その対象が持っていた熱や存在感、当事者性はどんどん薄まるだろう
そのメタ的な隔たりによる当事者性の薄まりを向井は冷たいと感じた
そういった客観性の集合体こそが「冷凍都市」であり
それを攻撃するための当事者性の象徴こそが「性的衝動」となる
語り手の俺が登場人物としての俺や少女を描写する、という二重性
正確に描写しようとカメラの精度を上げるほど当事者性が薄れるジレンマ
こうした二重性を自覚した上で破る矛として性的衝動を用いたのが
初期ナンバーガールの詩の原理なのではないか
ではザゼンだとどうなのか
カメラの技術が進化すれば、もはや人の目で見ているのと変わらなくなる
そうした現在において「メタフィクション批判」はもう古い、リアリティもない
向井秀徳のカメラ技術もこなれてしまった
だが、世間の当事者性は弱まるばかり、性的衝動を用いて復権させなければいけない
(よみがえる性的衝動)
性的衝動は二重性を攻撃することでこそ、その強さを示せるのだ
だから語り手/登場人物という入れ子構造を使わずに二重性を作らなければいけない
そこで向井はリフレインに注目する
同じ場所で言葉を何度もダブらせることで、反復が差異を生む
フィルムの一コマ一コマを切り分けるのと同じだ
(繰り返される諸行無常)
こうして場所を移すことなく二重性を生み出すことに成功した
ナンバガ時代の二重性が
登場人物としての俺を乖離させることで生み出す客観的二重性だとすれば、
ザゼン以降の二重性は、単独で生み出せる主観的二重性といえるだろう
向井はカメラのシャッターを切らず、
ただ自分の目のまばたきでフィルムを切り分ける方法を見つけたのだ
とはいえこの主観的二重性は『omoide in my head』の時点で芽生えている
思うに、福岡時代は当事者性=性的衝動の強さを無根拠に信じていられたのではないか
カメラを手にしたばかりの少年にとってはどんな景色も自分のものに思えるように
だが東京に来て、描写の対象性という問題に直面して当事者性を鍛え直す必要が生じる
そうして鍛え上げた結果、福岡時代のような信頼を取り戻しつつあるのが
現在のザゼンボーイズでの素朴な描写に至るのではないか
ブログもツイッターもやってなくて書く場所も聞いてくれる相手もいないのでここに
誰かツッコミ入れてくれ
コメントにもあったけどこれも大きいよね
(でも、妊娠出産などの女性にマイナスな点だけは過剰に性差をアピールするけどw 醜いダブスタ)
はてなフェミ婆は「女性のほうが被害がー!」とわめくだろうけど
それは団塊世代の傲慢なジジイに耐えてきた奥さんたちがメインであり
それ以降のバブル以降の専業フェミ寄生虫は当てはまらないのは多いんだよねw (もちろん全員ではない、人それぞれw多様性w 主語が大きいとゴミがうるさいから一応フォローw)
さらに夫にも分担させて
家庭内で偉そうにしてる「ハズレ」は
圧倒的に女のほうが多いよ(もちろん全員ではない、人それぞれw多様性w 主語が大きいとゴミがうるさいからw)
もちろん、自分が加害者であるはてなフェミ婆は認めないのはわかってるけどねw
今の時代は男性はそもそも女性を得るのが大変(若い女はセックスだけで価値があるから・・・これを自分の魅力だと勘違いしてる馬鹿女が多すぎw)
得られてもフェミ洗脳と都合の良い男女平等で傲慢でヤリマンが多すぎw
「当たり」が少ないw
なかなか得られない
得られてもハズレが多い(はてなフェミ専業寄生虫なんてハズレどころか「大凶」レベルw)
それと増田はブス女だろ
それを逆手にとって障害児が多い!ってことにして
障害者ってそんなに多くないだろ
フェミに染まってる女は「生まれつき脳に障害がある」と思うけどさw
まず、これも男女の非対象性で
男のひとまずのゴールはセックスなんで
セックス後に態度がひどい男は避けたほうがいいよ
男でそこまで結婚願望の強い男は少ないので
(鈍感な馬鹿はたまにいるけどw)
(女のゴールは結婚、出産、その後、子供を味方にして家庭内を支配、だから猫をかぶる必要性が大きいんだけどねw)
(バブル以降はフェミ洗脳がひどいので)異性を見る目を養ってその後の地獄を回避すべきなのは圧倒的に男なんだけどね
全然違うぞ。
RPGのキモは蓄積だ。お金や経験値や技能を積み重ね、組み合わせ、キャラクターを強化していく所に快楽がある。
この辺を理解せずににわかにゲーム性なんかの議論に首を突っ込むと、劣化ストラテジーや単純なパズル性をゲームらしさとして認識する愚を犯すことになる。
そして対象性の強い均等な力関係での戦闘が理想とされる対人ゲームと、不均等な力関係を前提としたRPGの戦闘は別のジャンルだ。味気のあるなしはバランス調整や仕様次第であって、対人ゲームには強キャラやゲームを荒らす行為が得意な勢力やキャラクターが嫌われ、場合によっては試合自体むなしいと言われることがあるだろう。
そういう当たり前の事が分かってるから戦闘がしたいなら対人ゲームをやれなんていう馬鹿はいないわけだ。探索ゲーにしたってアイテムを収集したり、隠し要素を見つけて難所を越えるのを楽しんでる側の人間だからな。
◆ブラジルW杯第1日1次リーグA組 ブラジル3―1クロアチア(12日、サンパウロ、サンパウロ・アリーナ)
「主審が勝利を奪った」「(クロアチア代表は)勇敢に戦った」。サッカー・ワールドカップ(W杯)の開幕戦でブラジルに敗れたクロアチアでは、
代表チームをたたえる一方で、決勝点のPKをブラジルに与えた西村雄一主審への不満が爆発した。
クロアチア代表のコバチ監督は地元テレビに「われわれはベストを尽くした。あれが(PKの)反則なら、サッカーなんてしない方がいい」と強調。
「主審は試合のレベルに達していない。恥だ」と酷評し、怒りをぶちまけた。
地元メディアも「チームはホスト(ブラジル)相手に燃え尽きるまで戦った」と健闘を称賛したが「主審はブラジルの肩を持った」と非難した。
↓
I hope Croatian people don't hate Japanese people after their unfortunate match against Brazil today...
日本人の西村主審がクロアチア人に憎まれたとして、なんでその憎しみを無関係の俺らまで受けなきゃいけないんだよwww
で、それを予防するために先回りして謝罪?
「お前は西村と同じ日本人だから差別するわ」っていう人たちの価値観を内面化してるんだよ宇多田は。そういう差別は許容してるんだよ宇多田みたいな奴は!
俺がよくわからないのは、ネガティブなことでは積極的にひとくくりにされようとする人々って、ポジティブなことではひとくくりにされたがらないよなwww
俺なら、ポジティブなことには積極的にひとくくりにされに行って、ネガティブなことは自分と切り離すわwwww
(文:masudamaster)
http://brazil2014.headlines.yahoo.co.jp/wc2014/hl?a=20140613-00000019-tospoweb-socc
追記:
しかし、女性の既得権であった「愛らしさを武器に、愛でられて養われる権利」を獲得しようとする男性は、
同性異性両方から"キモイ"という言葉を投げつけられがちな非対象性がある。
(略)
文化祭で目撃した人も多いと思うけど、女装の似合う男が妙に好きな女が居るんだよね。
特殊性癖持ちのオタ女とかでなく、一般人やリア充系の女子が、男子の女装に引くほど興奮してたりする。
だから、女性的な美を目指せば大勢の女子からの寵愛を受けることも可能なんだよね。
ただ、こればっかりは生まれつきの容姿に恵まれないと厳しい。
早い話がジャニーズ系枠ってことかな。
愛され男子の一つの完成形としてはアリだと思うがそんな外見があったらそもそもオタクこじらせない可能性高そう。
「女の既得権益」っていうけど要するにジェンダーよね、というのがすっぽり抜け落ちた感じが興味深い。脳みそ都合よすぎだろ。
女ジェンダーのレールに乗れば男性差別が解消して上手く行くと思ってるとしたら阿呆の極みだ。そのレールの敷石ですからね男性差別って、みたいな話じゃん。
いや文盲は君だよ。
このことから、「プロに徹しきる」というのは「対象性別の人間が真面目に読んで違和感や不快感だらけにならない漫画を描く」ということだと思われる。
でもその具体例
男向けの萌え漫画で可愛い子がわんさと一人のつまんない主人公男に群がって、n股かけられてるのに文句も言わないとかさ。
女向けの恋愛漫画で、だらしなくふらふらする主人公女を超凄いイケメンが奪い合って全肯定してくれるとかさ。
は、本当に「当然」なのか根拠がない。「しらふじゃ読めない」のかもわからん。根拠は元増田の個人的な価値観のみ。
それなりに生き残ってるのだとすればそれなりに売れてるということだから、少なくとも不快になってない人間はそれなりの数いるということになる。
「異性のテリトリーに浸食した」と言いきってるが、これも根拠が不明。
「異性のテリトリー」なんつーもんが元増田の個人的な価値観以上に普遍的なもんとして存在するかどうかなんてさっぱりわからん。
結局元増田の言ってる「プロに徹しきる」は「対象性別の人間が真面目に読んで違和感や不快感だらけにならない漫画を描く」ことではなくて、「元増田(や価値観を同じにする人)が真面目に読んで違和感や不快感だらけにならない漫画を描く」ということにすぎない。
もっとわかりやすく言うと、元増田の主張は
「漫画の絵は手塚治虫のような絵であるべきだ!現代の無駄に綺麗な絵は全く不快だ!漫画という文化を浸食している!」というのとほぼ同じ。