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2019-06-06

anond:20190606174655

3/31まで卒論研究室にしばりつけられてて4/1から新人研修なのにこんな悠長なことやってられるか

新人女性パンプスをはかせたくない理由

そういえばあったわ。語るべき体験が。25年も前だけど。

 

パンプス履いて霞が関合同庁舎まで毎日歩いて新人研修うけにいってたら

2ヶ月位で右足薬指骨折してたらしく

そのあとどうしても腫れが引かないかおかしいとなってレントゲンとったら

あるはずの関節が一つなくなってずれてくっついたとこが骨のトゲになってたわ。

 

治療法?ない。との説明うけて労災で訴えられませんかっていったら医師が無理ですっていってたかあきらめたけどね。

そのあと妊娠出産した先輩が職場に置きパンプスして通勤スニーカーにしててああ~ってなった

なんで新人女性からまわりのいうとおりにしちゃったんだろうと後悔した

こんなネットもなかったよもちろん

 

あと正月に振り袖着てくるとかいうへんな風習もあった

サリンもまかれた電車のろせんなのに霞が関保育園の開設も聞いた

路上タバコ禁止されるまえに大手をふってあるく喫煙者に合皮のカバンかすめられてやけこげつけられたし

電車でてすぐ吸う(しか匂いからしてホープピース?)おじさんたちの後ろ歩いてるだけで喘息発作になりかけてた

混雑電車スーツケースのささくれをぐいぐいおしつけられて伝線したストッキング代もだれもはらってくれない

痴漢も締切守られず提出されない書類さがしもだれもたすけてくれなかった

  

ほんと東京ってどういう動物園だったんだろうと今でもおもってる

まあ田舎男女平等なんて念頭にないけど話し合えばわかってくれるのにね

2019-05-19

復帰新卒の子産休届け出してきた

新人:3年前に新卒入社して12月産休、今年3月から復帰。新卒扱いで新人研修

私:社会人5年目。上記ともう一人新卒教育担当

3年前、研修を終えてうちの部署に来て、色々と頑張ってくれてたが、急に産休という事で居なくなるも、まあ部内は頑張ってな〜程度の軽い気持ちだったと記憶している。

まれた後も、度々子供見せに来たり、差し入れ?持ってきたりと復帰する感あったので、復帰後はブランク取り戻すのと、時短勤務と言う事で研修やってもらう事になり、私が担当となる。

が、どうも覚えが悪いというか、細かいミス検討が足りないのが目につく。穿った見方をするとやる気を感じない。(この時点で気が付くべきだった)

まあ子育てあるし大変なんやろな〜、出来る感じでええよーと、良く言えば放任、悪く言えば期待しない対応してきた。

(年下の新人の子との対応密度の違いがあったのは認める)

でも質問やら提出物チェックは自身作業を止めて、出来る限り注力してきた。とは言え自分仕事が減るわけでもなく、、この2ヶ月終電間際でヘロヘロ毎日GWなければリカバリー出来なかったと思う。

で、先週金曜日に突然産休届が私はもちろん部長すら通り越して総務へ提出される。

(まあ事務ルート上は正しいけどさ…)

んんん?妊娠3ヶ月て事は、この3,4月は何だったの??研修しなくて良かったんじゃない??

そして、何故か部長とセットで呼び出されて、新人研修コストの話やら、教育方法問題があったのではないか?と1時間も詰められる。(かなり怒ってる空気

どうやら、研修が嫌でつい妊娠してしまった、計画的ではない、仕事はしたいといった内容の報告があったとの事。

幸い、適当仕事が無くてブランク取り戻してもらう、そもそも前の産休ほとんど仕事していなかったので、現場ですぐに受け入れられないと総務含めてネゴってあった部長が庇ってくれたのと、もう一人の新人の子が優秀過ぎて問題無かったのと、指摘内容を全てOneNoteに残っていたから、復帰新人個人的な都合という結論で終わったが、、、

下手したら私のパワハラやらマタハラ辺りが疑われてたって事??

もし、何もなかくて、1体1だったら勝ち目無かったかもと思うと身震いが…

結論

新人担当の人は、指摘事項とかは極力残すように、指摘も会議室密室では無く、周りに人が居る自席でやろう。

そして、中の上の男以外の担当にはならない方がイイ。なった場合は最悪を想定しておく事。

理由

優秀過ぎるのは大抵3年で消えていく。色々と教えて戦力になった辺りで。

ポンコツなのは、苦労するだけで成長なんてしない、もう遅い。無理だ。あいつを新人教育したのはあの人だと、要らぬレッテルが貼られる。

普通の女は、産休で消えていく、下手したらマタハラとかの危険ある

私のGW返して…

2019-05-06

anond:20190505195013

この増田、何がひどいって、いまメーカー勤務の新入社員はきっと新人研修中で、これから配属ってときにこんなの目にしたらきっつーだよなーってとこ

2019-04-23

会社の人と話せなくなってしまった

思い返せば学校生活から、人とうまくやるのが苦手だった。育った環境特に劣悪でもなく、23区のあまり裕福ではないほうで、いじめを受けながらも、それなりに義務教育を終えた。ただし、いじめを受けると、それなりに人付き合いが苦手になるが、現在そのことが影響を深く与えているとは考えにくい。

その後勉強のできる都立高校に進んだ。校則が一つもない学校で、当然服装やら髪型規則もない。しいて言えば、ちゃん学校にある程度来ることと、補導されないこと、それと校内では下履きに履き替えることくらい。友達とさぼって映画を見に行ったり、年齢制限をゆるく見てくれるお好み焼き屋に行ったり、近所の公園浪人生に逆ナンパされたりと、人生初のリフレッシュができた。図書館で山ほど本を読んで、週3回剣道をして、ようやく人生軌道に乗り始めた。

それほど頭は悪くなかったようで、そこそこの大学英文科に入ることができた。映画サークルに入り、何本か映画を撮ったり出演したり、地味だったがそれなりに楽しく生活できていた。

兄弟が4人もいたので、アルバイト高校生のころからちょくちょくしていた。多少を家計の足しに、それと自分物欲のために。高校生のころコンビニで2年弱、大学からファミレスで1年、塾講師で3年。

多分、今に至るきっかけはファミレスのころにうまくいかなかったことに起因している。そして大学生活にも一因がある。

ファミレスでは、厨房ドリンクデザートを出す仕事をしていた。厨房内では仲良く働いていたが、何となくエイターウエイトレスの人とうまく話ができないまま1年が経ち、そこから人と話すのが苦手になっていた。同じくらいの女性とどんな話題を共有すればよいのか、向こうも話しかけてはくれないし、こちらも話すきっかけがない。

厨房の人がとても優しかったのは今でもいい思い出だ。一緒にワカサギ釣り旅行に行ったのが懐かしい。釣ったワカサギを持って、お店で揚げて食べたのもいい思い出。

大学1年生の性欲やらが多感な時期に、自分の口下手と話題のなさが鬱屈を与えたのだろうか。

カート・ヴォネガット短編小説チャールズ・ブコウスキー、初めて英語で読めた小説の「クールミリオン」、高校生から好きで読み漁っていたアメリカ文学自分サークルで作った映画、鉄男や小沢健二Number GirlマイケルジャクソンクラブでかかっていたNirvanaStrokes軽自動車で行ったフジロック、そんなものは誰の興味にもならないと決め込んでしまった自分がよくなかったのだろう。

1年経って結局そのファミレスが潰れてしまったが、「あの人の日とか失敗、つまんないし」といったようなことをぼそっと聞こえるように言われたのが今でもフラッシュバックする。

その後、3年弱塾講師アルバイトをした。個人指導塾で、入って3日目に、「この研修に行くと5000円がもらえる」と言われて行った研修一言発言できなかったことを思い出す。

自分が抱える生徒の多くは、本指名から外れてきた子が多かった。成績もみんなそれほど良くなく、自分にも人を教えるスキルが足りなかった。結局浪人させてしまった生徒のことを時々思い出す。本当に悪いことをした。一人で赤本を解いて、わからないことを聞きに来るというスタンスを取らせればよかったのに、自分無駄に介入してしまたことが悔やまれる。

そのバイト先で覚えたのが、お酒に頼ることだった。安い居酒屋終電まで飲んで、げらげら時間を共有できる。それが社会人になってもコミュニケーションの核となってしまう。

文学部ながらも、BBS簡単アプリを作ることができたので、ソフトハウス就職できた。2年半いたが、デスマーチで体調を崩してうつになり、結局辞める。

新人研修のころやその後の付き合いもお酒が基本だった。キックオフ、とりあえずリリース、最終FIX、とかのタイミングでようやっと胸襟を開いた話ができる。それまでは、ほうれんそう以外の会話もなく、とにかくメールに頼るようになっていた。

時々生意気意見を言ったり、人のプログラム勝手リファクタリングしたこともあった。

記憶がないなか、帰巣本能で家に帰るのもよくあった。タクシー代を貯めていれば相当の金額になっていたのではないかと思う。

少し休んで、プログラマとして別会社に復帰した。総務と経理以外はほぼ男性会社で、よく飲んだ。

その会社でようやっとまともな生活を取り戻すことができ、結婚もできた。

3年ほどプログラマをしていたが、目の前に座っているおじさんプログラマの1/10しか生産性がないことがわかり、社内異動で説明書ライター転職する。

車好きやキャンプ好き、バイク好き、元ミュージシャンが異様に多い会社で、よく泊まりで出かけていた。自分よりも年上が多いから、みんな自分の事を話してくれる。お酒どうこうもなくその人を知ることができる、いい機会だった。ある人が定期購読していた、日経ソフトウェア数年分を借りてJava以外のスクリプト言語自分Python)を学ぶBoot Strapとして使わせてもらったり、ほんとうに幸せな日々を送ることができた。

その会社は、株式公開に伴う人員削減で、半数以上人がいなくなった。自分も窮屈なライターを続けるのが辛くなって辞めて、割増の退職金をもらった。以降半年近く、妻以外の人と話すことなく、引きこもりながら割増退職金に付随する給料をもらっていた。働かずに給料をもらえるのがこんなに苦痛だったのか。

いい加減引きこもりにも飽きて大会社転職するチャンスをもらった。その間に障碍者手帳をもらい、障碍者枠での就職活動をすることにした。

大会社大会社だった。エリートエリートで、二級以下の低級労働者自分は、その程度の扱いしか受けない。大学ランキングを引きずる社内で、

自分はまず

学歴劣る

・それまでの成果は劣る

健康状態劣る

白髪ばっかり目立つ

・とにかくあいつは劣る

という状態になった。

新卒指導をしても、まるで彼が改善しない。自分を責め続け、ぎっくり腰になった。みんなが、「彼はそうだから」と言ったが、彼をある程度に育てることができず、結局リリースした。リリースしたらとたんにぎっくり腰がよくなった自分無責任さにびっくりした。

あと、それほど多く飲み会がない。飲んでも自分のような飲み方は誰もしない。場をわきまえ、何となく優しくやっている。

一杯、二杯多めに人より頼んでしまたことを後悔する。

なんで、しらふで天気の話ができないんだろうとか、自分の好きなことを少しでも話せないんだろうとか、毎日悲しくなる。

行動をしないと、周囲も変わらない。一か月以上、挨拶仕事の最低限のやりとり以外はしていない。たかだか席替えでこんなに弱ってしまうとは。派遣の期限がきてしまう子がいなくなってしまうことにこんなに心が揺さぶられてしまうとは。

ごめん。こんな人間は、やまゆり園の加害者気持ちでは必要のない人間だったんだろうね。でも、家族と過ごす時々の時間を過ごしてもいいのかな。

義理の父はあまり長くないだろうし、せめて少しだけ社会荷物福祉必要人間は生きていていいのだろうか。

2019-04-09

新卒で入った富士通を9ヶ月で退職しました。

前提。何を語るのか。

2018年4月入社した富士通を同年12月退職したので、順を追って経緯を説明する。

昨今さまざまな問題が浮上している企業ではあるが、大変お世話になったことに違いはないため、最大限の敬意を払いながら語りたい。

3月入社に至ったきっか

キーワードは3つだ。①新卒採用パンフレット、②メジャー感、③人の良さ。

まず、富士通新卒採用パンフレットの出来がよかった。大企業ながらも新しいことに取り組んでいく姿勢ヒューマンセントリックという標語SIer実態とはかけ離れた煌びやかさ。(当然ではあるが)新卒者が入りたいと思うような仕上がりになっていた。いま振り返ると、自分視野があまりに狭かったと反省するばかりだが、当時は純粋パンフレットを読んでワクワクしていた。

また、会社メジャー感も入社の大きな決め手となった。富士通には、大手企業ならではの採用における露出の多さや安心感があった。「最初はやっぱり大企業だよな...」社会の右も左も分からぬ中、大手企業以外の選択肢自分にはなかった。

最後に、人の良さも入社する理由となった。老婆心忠告しておくが、企業を「人の良さ」で判断するのは悪手だ。採用担当は「人が良い」に決まっているし、何より社内の人間は流動的で、いつ誰が辞めていくかもわからない。

とにかく、このような理由入社することとなったが、数ヶ月後にミスマッチだと気がつくことになる。

4月8月新人研修

富士通では、約4ヶ月にも渡り研修が行われる。自分にとっては、良くも悪くも学びの多い期間だった。

最初の数週間は、富士通という組織について学ぶ。会社歴史文化を知るだけでなく、タグラインである「shaping tomorrow with you」を、単語レベルで分解し意味咀嚼していったりもした。この研修で、自分富士通が大好きになった。というよりも、自分所属する組織に誇りを持っていたかった。事実から目を背けようとしていたところもあったかもしれない。いずれにせよ、自分は至る所で「shaping tomorrow with you」と意味もなく吹聴して回った。普通に死にたい

5月に入ると、プログラミング研修が始まった。使用する言語Javaだった。初めてのプログラミング不安もあったが、本当に楽しく学ぶことができた。「変数とは、配列とは」という基礎レベルから手取り足取り教えてくれる企業富士通くらいのものだろう。文系出身自分プログラミング第一歩を踏み出せたのは、他の何でもなくこの研修のおかげであり、いまでも本当にありがたく思っている。

そして7月プログラミング研修が終わった頃、富士通に対する不安、というよりも漠然とした恐怖感を覚えた決定的な瞬間が訪れる。新入社員全員で、社内のとある講演を聞いていたときのことだ。前後文脈は省くが、講演者の方がこのような発言をした。

「私がam I shaping tomorrow with you?と訊くので、皆さんは全員でYes! I am shaping tomorrow with you! と答えてください。am I shaping tomorrow with you?」

その後、新入社員一同が起立し、

Yes! I am shaping tomorrow with you!」

という声が響き渡った。

場内は盛り上がっていたようだが、自分は「Yes! I am shaping tomorrow with you!」と言えず挙動不審にあたりを見回していた。「shaping tomorrow with you」というタグラインはいまでも大好きだが、あまり画一的で、どこか宗教的な様子に一歩引いてしまったのだ。この瞬間から、「この会社自分に合わないのかもしれない」という確信めいた気持ちが生まれていた。

8月12月。待ちに待った配属、そして実務。

8月中旬。当然のように配属は希望通りにならず、長年運用が続くレガシーシステムに携わることとなった。使われている言語は、当然のようにCOBOLJavaアプレット新卒パンフレットとは全然違うじゃないか!とは思わなかった。その頃にはある程度SIer現実を知っていたからだ。だから、何とか楽しくやっていこうと思った。興味のない分野かつ、レガシー環境だったが、自分の周りだけでもハッピーにしていくつもりだった。それに研修でも「置かれた場所で咲きなさい」と教わった。(ある種の教え込みだったのかもしれない)

しかし、その意気込みは数週間しか保たなかった。

業務に関して詳細を語ることは控えるが、自分のメインの仕事は「コピペ」だったのだ。EXCEL方眼紙で作られた手順書の通り、文字通り、ctrl+Cとctrl+Vを交互に押していくだけの簡単お仕事。一日中コピペを繰り返していると、指が変になりそうだった。また、ディスプレイは貸し与えられないため、いくつものウィンドウを小さなラップトップで開き、何とかやりくりして捌いていた。

それが何週間にも渡って続き、9月中旬には退職を決意していた。

しかし、そんなすぐには会社を辞められるはずもなく、当面は転職のための勉強を続けながら働くことになった。

念のため言っておくと、富士通での仕事は決して悪いことばかりではなかった。メインの業務は相変わらずコピペだったが、トレーナー不憫に思ったのか、マネジメントや社内ツール作成にも携わる裁量を与えてくれた。残業ほとんどなく、毎日定時で帰ることができた。それでも自分がたったの9ヶ月で退職をしたのは、「今のままではマズイ」という本能的な危機感だった。コピペEXCEL方眼紙業務では何のスキルも身につかないし、たとえ開発に携われたとしても言語COBOLだ。自分未来果たしてどうなるのか?ひたすらに頭を捻った。自分人生について、初めて本気で真っ正面から考えた。

...可能な限り早い段階での退職。それがベストな答えだと悟った。

12月末〜。その後。

退職するに当たって、一切の問題は発生しなかった。退職の旨を伝えた際、引き止められることはあっても理不尽なことはなかった。手続きも大変スムーズであり、非常に感謝している。

自分はこれからWebエンジニアになることが決まっている。結果として、富士通での9ヶ月は「自分が本当にやりたいこと、実現したいことは何か」に気づくための期間となった。周りよりも一手遅れてしまったが、とにかく、富士通での業務自分にとって必要ステップだったのだと思う。昨今、富士通に対するネガティブ記事が数多く出回っているが、富士通をはじめとするSIerは決して悪ではない。そこにはただ「合う合わない」があるだけだ。誰もが自分に合う職場で、ハッピーに働いていければそれでいいと思う。苦い経験ではあったが、富士通での経験無くして今の自分はいないということを忘れず、これからハッピーに働いていきたい。

2019-03-30

増田に姿を現さなかった1カ月間

就活をしていた

そして来年からの働き口が見つかり、晴れて社会復帰

まず雇ってくれる会社が見つかったのはラッキーだった

年齢的には新卒と変わらないけど、自分引きこもり期間が長かった分、できないことも多いと思う

新卒と一緒に新人研修を受けることになるが、人一億倍勉強しないとやっていけないかもしれない

でもようやく長い引きこもりから片足出したんだ、やれるだけ頑張るつもりだ

2019-03-24

ブラックIT企業を辞めました

新卒で入った会社を辞めました。

自分ブログもあるものの、退職日記はてなに書こうと思っていたので、書いてみます

みんな大好き、ブラック企業レポートです。

地元独立系SIer中小企業という表現が、この会社に最適な表現だと思います

売上のほとんどは、地元本社がある大企業が「地元を使う」という方針により案件をくれることで発生しているものでした。

私には「その大企業システム開発をしたいな」という希望があったため、入社しました。

まぁ、ブラック企業だったんですよね。

残業代が出たら1年目で年収1000万を超える」と表現したら、見事に言い表せていると思います

だいたいは日付が変わっていました。入社日はとても優しかったので、23時という早い時間に帰らせて頂くことができました。

番長い日では6時から4時まで働いており、1時間だけ気絶してから出社するという感じです。もちろん残業代は完全ゼロです。

それだけの時間入社したばかりの新人が一体何をしているのか。

そこまで仕事が多いわけがない、お前の仕事が遅い、無能ではないのかと思う人もいるのではないでしょうか。

それがですね、仕事と言えるものは何もしてないんですよ。

仕事、開発をしているならまだマシだったろうなと思いますね。

現実は、新人研修を受けて学んだことに対する「報告書」を延々と書き続ける、ただそれだけです。新人研修の内容は、外部の研修に放り込んだ方が圧倒的に先進的で実践的なスキルが身に付くであろう、非常に退屈なものでした。

文系出身プログラミングのプの字も知らない人向けに、C言語ハローワールドを書こうとかそんな感じの内容が新人研修ですね。

報告書の報告先は、社長です。

毎朝社長相手に報告会をします。

この社長は少しでも気に食わない内容があるとブチギレるため、研修担当社員新人1人につき担当1人)が怒られないことを目的に、徹底的に書き直させ続け、日付が変わります

社長のこういったお言葉によりこういった気付きがありました、本当に有難うございます」と、意味不明なことを書いたりしていました。

とは言えこ社長、その日の気分で言うことが180度変わるし、知識もイマドキのIT大好き大学生以下です。

報告書の内容に正解など存在せず、どんな内容のものでも理不尽にブチギレます。そのために研修担当社員は、見えない正解を目指し、少しでもマシになるよう、延々と書き直しを命じます

私はこの書き直しにゴールが存在しないことを察し、「ずっとスマホ弄って遊ぶ」という抜け道を見つけました。

残業代が出ないのですから仕事ではない、つまりサボりではありません。担当社員限界を感じたら帰宅OKになります。他の同期入社はずっと頑張って書き直していたように思えます(もしかしたら私同様に抜け道を見つけていたかも知れませんが)。

また社長性格も非常に陰湿で、新人のうち1人にネチネチと粘着し、クッソどうでもいいような内容にひたすら突っ込んできます

良く言えば、気に入った人をより成長させようと頑張っているのかも知れません。でも現実はただのパワハラいじめ状態ですね。

これでも孫が生まれたことで温厚になって来たらしく、「昔は怒声とともに灰皿が飛んでいた」という話を、30代40代社員からはよく聞きました。

私はこれ、孫の存在関係なく、時代が変わったことで流石に手は出せなくなっただけなんじゃないかと思っていますケド。あ、私はターゲットになることはありませんでした。

同期のうち、やたらとやる気あるタイプが2人いたので、社長はそっちに気を取られていました。ちなみに社員による社長あだ名は「キムジョンイル」です。

私の1年あとに入った世代だと、胃に穴を開けて吐いて辞めた人がいました。しかも気の毒なことに女性だったと思います

"思う"というのは、新人はほぼ全員3ヶ月以内に過労で辞めるので、穴が開いたのが誰かあまり覚えていないからです。もしかしたら、同時期に辞めた別の男性が穴を開け、女性普通に過労で辞めただけだったかもしれません。確かなことは、入社3ヶ月以内で1人、穴を開けて辞めた人がいることです。

どちらにせよ、この世代(私より1年あと)は、1年経つ前に、1人を残して皆過労で辞めました。

また毎朝始業前に「会社駐車場ポールを下げる」とか「掃除(中も外も)」とかも新入社員仕事でした。もちろんサービス出社です。

中小企業と言えども、地元大企業地元のよしみで仕事をくれるため、売上はそこそこ安定しているようで、小さいながらも自社ビルを建てることができました。

ビル管理会社を入れる規模ではないため、メンテナンス新入社員仕事になったわけですね。4時にポールを上げて6時にポールを下げるその行為に何か意味があるのか、私には理解できませんケド。

私は同期入社がいて、なぜかみんな1年では辞めなかったので、週交代にすることでかなり負担を軽減できてマシでした。

多くの世代では「自分以外みんな辞めた」という状況になるため、サービス出社の頻度が高くて大変そうです。

1人辞めると連鎖反応でドドッと辞めますよね。全員辞めて絶命する世代がいないのはわりと不思議です。

私は毎日出退社時刻を分単位ノートメモし、特に帰社時には親へ「今から帰る」とメールすることでデジタル証拠も残し、辞める時は全部請求するんだと同期と話をしていました。

同期はこれにより私を「ヤバい奴」と認識したらしいのですが、法的・権利的には、私は正しいことをしていると思います

こんな会社をなぜすぐに辞めなかったのか。結局、時間と金ですね。

大学には奨学金を借りて行ったので、すぐに仕事を辞めてしまうと本当にお金に困ってしまうわけです。買いたいものも多かったですし、せめて1年は耐えて少し貯金を作ってからと思っていました。

あと、これだけの時間サービス残業していると、新しく就職活動する時間がないというのもあります。仮に時間があったとしても「もう就活はやりたくない」というのもありました。

一般的によく言われる「3年は続けろ」は、あまり気にしていませんでした。

「すぐ辞めると、すぐ逃げると思われる。3年頑張ることで、逃げる奴ではないと評価される」と言えば、たしかにその通りかもしれません。

でも「さっさと見切りつけて辞めろよ、貴重な時間を3年も捨てるな」というのも、やっぱりその通りです。人によって考え方が変わります面接官がどう思うかなんて、運ですよ。

さてさて。

1年は耐えようと言いつつ、3年以上も勤めました。具体的に何年かはあえて割愛します。

それだけの期間なぜ続けることができたかというと、会社仕事をくれる大企業に「客先常駐」で出向となったのです。

日本中小IT企業あるあるの、合法的人身売買ですね。そろそろ辞めて転職活動するかなと思っていたところで出向を命じられ、その出向していた期間が丸3年です。

その大企業の人はとても優しく、楽しく働くことができました。

また自分で言うのもなんですが、私は有能な人材だと思います。その大企業内でとても重宝してもらえ、少しではあります経営戦略の手伝いなどもさせて頂き、配属部署には、転職して社員にならないかとの声もかけて貰えました。

が、人事部が「取引からの引き抜きはダメ」「どうしてもするなら会社許可を得ること」と言ってしまいました。

一応、ダメ元で社長許可を得ようとしてみましたが、ボーナスが劇的に減らされました。

これにより転職の決心がつき、転職エージェント登録し、転職活動。結果、超大企業転職しました。東証一部上場企業には、その中にも格付けとして、Topix Core30とかLarge70とかの指標があるみたいですが、そのあたりです。相当な規模の会社に入ることができました。

新卒時では、学歴フィルターで落ちていたと思います。そして私の社会人としての経歴は、大企業へ常駐してやっていたことが全てなので、この出向がなければ大企業へ入ることはできなかったでしょう。

そう考えると、出向を命じた前の会社のおかげとも言え、少し感謝もしています

この感謝気持ちがなければ、社名を出していました。

ブラックエピソードに戻りますか。

とは言っても、異常を極めた新人研修を耐えた後は、実業務のプロジェクトに参加し、そこからは極めて普通ブラックIT企業です。

ひたすら設計と開発で、毎日22~23時には帰ることができました(残業代はありません)。

が、頭おかし新人研修を乗り切ってしまったせいで、この時間苦痛と感じなくなっていました。

苦痛と感じなくなったと言っても、これがブラック労働であるという自覚はあったので、労働基準監督署にタレコミを入れました。

その結果、労基の監査が来たのですが、強制力がある監査ではなかったらしく、社長が追い返しました

「労基の監査がありましたが、問題なしという結果になりました」という感じの社内報があり、目玉飛び出るかと思いました。確かに、追い返したか問題ありではないな!

それ以降、残業をつけるなという命令が厳しくなったようです。書類上は定時退社がより徹底された感じでしょうか。

他にも、座っている時間が長すぎて重度の慢性前立腺炎になり、金玉まで炎症が広がり、早退して病院へ行き、早退した分給料引かれたりと、地味なクソエソードはあります

毎日ずっとサービス残業してるのに、所定労働時間に足りない分給料を減らすって、お前脳髄液でもお漏らししてんのかと思いましたね。

またブラック企業あるあるの、週休完全二日制です。

祝日があると週休3日になってしまうので、土曜を出社日とし、そこを会社指定有給とするという制度です。法律上従業員自分指定できる有給を5日残せば、それ以外は会社側が指定して使わせることができます

これによって1年頑張って有給を残しても、次の年の土曜への充当で有給を使わせて、5日以下の場合法律対応で増やす、つまり有給が年5日な上に、残しても溜まらない」という感じでした。

2年目の時、頑張って残した有給蒸発していることに気づいて総務部に乗り込んだら「使い切らなかったお前が悪い」という回答を得ました。

世の中のブラック企業ってこれですからね。ブラック企業実態を知らない政府が「有給年5日以上使用義務化!働き方革命!」とか言ってますが、現実これですからね。

あ、一応、勤続年数1年ごとに有給支給日数が1日増えるので、年間有給支給日数が、年間祝日数より5日以上多くなれば、そのオーバー分が溜まるようになります

辞めるかな~と思っていたら前述の出向で3年も社外にいたので、その間のトンデモブラックエピソードはなかったりします。そのため、一気に直近のエピソードに移りたいと思います

この会社には、全社員出席の忘年会があります

2018年末の忘年会では、直前になって社長が「バンドを聞きたい」と言い始めました。忘年会の2週間くらい前だったらしいです。

慌てて社内でギターやらドラムやらを扱える人を探し、忘年会の会場に許可を取ったりと、幹事は非常に大変な思いをしながら準備したそうです。

社内だけでは足りなかったため、外からバンドメンバーの知人にヘルプに来てもらったりしたのですが、忘年会には席がないため、演奏時以外、隅っこでぼ~っと座っている姿を見かけました。しかも、楽器類も全てを自分たちで持っているわけではないので、レンタルのものがあったらしいのですが、会社お金を出しておらず、自腹のようです。扱いが酷すぎますね。

それでもバンドはなかなかいい感じに盛り上がりました。

私は音楽のことはあまりからないのですが、素直に楽しめるバンドだったと思います

選曲も、社長の年齢を考慮した内容でした。

社長もこれには満足でしょう。

社長「うるさい」

忘年会の後、幹事社長に呼び出され、激しく叱られていました。

社長が求めていたものが何だったのかは不明です。

バンド要求し、そのバンドにうるさいとクレームを入れる人間は、相当なレアモノ、希少種だと思います

また年明け、バンドに参加した社員の一部は会社を辞めていました。

まり理不尽さにキレて辞めたのか、社長が辞めさせたのか、もともと辞める予定だったかは分かりません。流石に、辞める予定だったと信じたいです。

私は年明けに「辞めます」と会社に連絡(客先常駐ですから電話で)。

法律では退職日の2週間以上前で、一般論では1ヶ月以上前マナーでしょうか。

私は2月末の退職を年明け連絡ですから、ほぼ2ヶ月ですね。十分にマナーを弁えた連絡でしょう。が、「就業規則では何日前連絡か知ってるのか?」という言葉が向こうから出てきました。

私は入社からこの日のためにずっと労働基準法を調べまくって来ました。退職絡みの労働基準法は全て覚えました。

そのため「就業規則なんて知らないが、法律は2週間前なので、十分に余裕がある連絡です」と言ったところ、「法律なんて知るか、就業規則は~」でした。

こんな反論になっていないセリフを堂々と、しかも怒鳴って出すことができるその知能レベルには辟易しますね。法律は「知らなかった」では通用しない世界なので、ぜひ覚えておいて頂きたいところです。

まぁ、転職先がもう決まっているため、これは辞めるという確定事項に基づく事務手続きです。辞めようと思っている相談ではありません。

知識がなくても、この状態ならば「辞めます」の一点張り突破は誰でも余裕でしょう。



3月ももう終わりが近づき、4月から新しい人生を歩む人がたくさんいます

私のようなブラックIT企業に入ってしまった人は、「3年耐える」と「すぐ辞める」で悩むことになるでしょう。

どちらも同じくらいのメリットデメリットがありますブラック企業に入ってしまった、人生終わりだと絶望することなく、自社の分析をし、どちらが良いか考えましょう。まだ巻き返せます。いえ、うまくやれば、新卒時には考えられなかったルートへ進むことだってできますソースは私。

私のように耐えるのであれば、その耐えている期間で、転職先に売り込む武器となる経験スキルを身につける必要があります

何もせずただ時間が過ぎるのを待つだけでは、人生の貴重な時間ブラック企業養分として捧げるだけです。

何も身についていないまま歳を食ってしまったら、企業新卒を取ります

この企業で耐えても時間のムダだと思ったならば、すぐに辞めましょう。

即辞めて2年目の新卒として活動すれば、リセット可能です。

少子化により人手不足が叫ばれる世の中、新卒と2年目新卒とでは、差はありません。

ちょっと浪人したり留年したりすれば、年齢なんて同じですから

前職をすぐに辞めた理由をうまく説明できれば、むしろ判断力に優れた人材であると思わせることもできるでしょう。

2019-03-13

上司の方に「君とはヴィン-ヴィンの関係になりたい」と言われた

新入社員です。期末面談ということで会議室で二人っきりの場で言われました。

まり個人的に話した事の無い40代上司の方で、既婚とお聞きしています

目つきも手つきもなんだかいやらしかったし、

新人研修ガイドラインにも「部下に個人的関係要求するのはセクハラ」とあります

初めての事で戸惑っているのですが

これってセクハラですよね...?

2019-01-23

おかしいなあ

28歳ってもっとちゃんとしてると思ってたんだけどなあ

普通に仕事して、ある程度実力もついて

なんなら結婚して子供がいてもおかしくないのになあ

留年浪人警察にお世話になったこともないのになあ

ちゃん勉強して、テストでそこそこの成績とって

恥ずかしくないくらいの学校に通ってたんだけどなあ

学校から言われたとおりにバイトもしないで勉強して

それなりに行きたかった大学に入って

ちゃん講義出て、ノート作って、レポートかいて、研究発表してさあ

きちんとやってきたのになあ

会社に入ってからちゃんとやることはやっていたのにな

新人研修読書感想文も、分厚い本を何冊も読んでちゃんと書いたのに

読まずにネットで調べて書いたって言ってたやつのほうが、結局は優秀だったんだよな

かなしいなあ

作業だけやって、休憩時間も終業後も先輩と話さないおれは

外国人研修生と同じだったんだろうなあ

日本語喋れて大学も出て五体満足なのに

なんでこんなにかなしいんだろうなあ

2018-11-25

中小SI屋の弊社の新人研修言語、今はなんなんだろう

COBOL→C→JavaPHP

と変遷したはず

今はC#あたりだろうか

2018-10-04

anond:20180129221550

新人がまずぶち当たる壁、それは「電話に出たくない」だ

それを社内からの問い合わせで慣れさせる意味はある

毎年のことなら「おっ新人だなー」ってみんなわかっててやってるんだろ

元増田にあるとおり「新人研修の一環」なんだから、これでヘルプデスクプロを育てようっていうんじゃないんだろ

2018-08-31

anond:20180830123708

コピペ

どなたか相談に乗ってください。

社会人2年目25歳。増田でディスられがちな某大手SIer新卒プロパーとして入社しました。以来毎日Excel方眼紙COBOLバイナリエディタを弄っていますネタじゃないですよ。

大手SIerに行ってもプログラミング力が身に付かないことは、就職から十分知っていました。しかし私はそれでも良いと思っていました。何故なら私は頭が良くないからです。プログラミング仕事にしてしまうと、常に勉強し、最新の技術キャッチアップしなければいけません。そして腕を磨いて転職を繰り返さなければ年収は中々上がらないと聞きます自分には到底そんな生き方ができる気がしませんでした。自分無能なので、大手ぬるま湯に浸かってのんびり高収入を得ることが出来るならそれが一番いいと思っていたのです。さっさと人生アガって、早く楽をしたい。大手SIerはそんな自分にとって、ぴったりの職場だと考えていました。

しかし、大きな誤算がありました。大手SIerでの仕事が、想像を絶するつまらなさだったのです。まず大規模基幹システムというプロダクト自体に興味が持てません(学生の頃は、社会的影響力の大きいプロダクトに携われば興味なんていくらでも湧くだろうと安易に考えていました)。また、大規模で複雑なシステムというのは、考えているだけでも結構疲れます。というか未だに理解できてない部分も多く挫折気味です。そういうものに今後一生向き合っていく仕事なのだと思うと軽く絶望してしまます。どうせ勉強するならDelphi言語仕様とかの方がまだ楽しそうな気がします。

人間関係も上手くいきません。思った以上に周りのSE体育会系が多いです。一応メーカー企業でもあるので、入社前はもっと地味な理系っぽい人達のんびりアニメの話が出来ると想像してたんですが全く違いました。職場のおじさん達は、キャバクラいかに派手な飲み方をしたかなどの話を毎日しています。全く価値観が合わずコミュ障自分は勤務中もほぼ話しません。

それでいて出社時間に厳しいなどかっちりした社風も息苦しいです。残業結構あります

そんなわけで、将来的な転職先としてWeb系のメガベンチャーに憧れています面白いサービスを作っていて、コアタイムが緩くて、フリーアドレスで仲良い人の近くで働けると最高です。

ですが今の自分プログラミングがほぼできません。簡単文法くらいなら分かります。ヘボ大学の授業でCの文法単位は取りましたし、会社新人研修Java講義も受けました。progateやN予備校の内容くらいなら理解できますSQL簡単select文なら書けます。〇〇入門みたいな勉強会にも週末たまに参加していますしかし、文法が分かるといっても、ポリモフィズム理解してるかと言われると怪しいレベルです。アルゴリズムちゃん勉強したことがありません。

例えばRailsでなんか作ってみようと思っても、railsコマンドrakeコマンドの違いや、db:createとdb:migrateの違いが分からなくて何時間もググったりして、あんまり進捗がありません。適性がないのかも知れませんね。平日に残業したあと帰宅して勉強をしていますが、自分でちまちまやるだけでは圧倒的に量が足りず、効率も悪いと感じます若い今のうちにさっさと未経験可のWeb系に転職転職を繰り返し、最終的に自社サービスを扱うメガベンチャーへのキャリアアップを目指した方がいい気がしています

こんな感じでWebメガベンチャーに憧れていますが、こんなにだらしない自分に、果たして本当にWeb業界が向いているのか考えると不安で仕方ありません。自社サービス開発のWeb企業教育も弊社ほど丁寧でなく、即戦力個人努力によるキャッチアップが求められ、個の力が重視されるというイメージがあります。それが本当に私にできるのか、自信がありません。私のような人間は、このままぬるま湯に浸かり続けるのが正解なのでしょうか。長い文章をここまで読んで下さった皆さん、ありがとうございました。どうか所感をお聞かせ願います

2018-08-05

anond:20180804234512

よく分からないと保険をつけた上で書くけど

普通はそういう「扱いやすさ」を新人各自に身に付けさせる、つまり企業風土になじませるのも新人研修の役目であり時間的猶予じゃないのか

どの段階で使えない人間という評価ルートに入ったかにもよるし、マネージャ側の適応性が低いと言える場合もあるけど

誰かが翻訳機になるわけにもいかないだろうし、現場問題解決としては新人側に「扱いやすさ」を身に付けてもらうか去るか以外ないだろう

2018-06-23

嘘吐き卑怯者…そういう悪い子供こそ、本当に悪い大人の格好の餌食になる

という仮面ライダー鎧武の名台詞がある。まあ確かにそれはそうだと思うんだが逆に大人の言うことに一切疑問を持たず盲従するような素直すぎる子も結局そういう大人の餌食になってしまう気もする。実際あの作品だって紘汰達だって途中までユグドラシルモルモットとしていい様に利用されてたわけだし。

と、現実に行われている洗脳紛いの新人研修とか社会人教育の話とか、某カルト教団元幹部証言とか聞いてると思う。

2018-06-14

仕事を8ヶ月で辞めた話

私は新卒入社した会社を8ヶ月で辞めた。

理由簡単人間関係

地元に根ざしたスーパーマーケット

ゆくゆくは本社勤務になって商品開発に携わりたい。

期待を胸に入社した。

新人研修昭和のど根性スタイル。辞めろ、使えない、死ね罵倒は当たり前。人格否定無駄に大きな声を出させて社訓唱和。社歌斉唱上司の言うことは絶対

そういうことを1週間叩き込まれた。

研修をなんとか乗り越えた後は店舗に配属。研修よりよっぽどマシだった。

しか仕事に対する期待や情熱なんてものはとっくになくなっていた。それでも仕事を覚えようと頑張った。

全く仕事は出来なかった。

効率よく動くことが出来ない。時間通りに作業が終わらせられない。入社してすぐにいきなり出来るわけがないのはわかる。それでもアルバイトをしていたのだからこなせると思った。

今思えば人目を気にしすぎていた。

仕事の早い先輩社員、先輩社員より長くいるお局パート、中途入社ながら売上の良かった主任

叱られることが怖かった。人格否定されてるように思えていた。どんどん自信をなくしていった。毎日辞めたいと家で泣いていた。

ある日、大量注文の特注品を作る関係早出することになった。前日は休みだったが緊張でなかなか寝付けず。起きたら出社時間だった。

急いで主任に連絡した。「終わりの目処が付いたからいつも通りの時間で」と言われた。新人は居ても居なくても一緒なんだな、そりゃそうか。居なくても仕事は順調なんだ。上司の言うことは絶対。いつも通りの時間で出社した。結局は遅刻に変わりなかった。

この日からお局パート無視され始めた。

主任からは「いつも通りの時間でと言ったけど、早く来るもんじゃないの?」と言われた。研修では「上司命令に逆らうな」と言われ続けた。何を信じればいいのか分からなくなった。

潮時だと思った。

ことが起こった月に退職届を提出。表向きは「仕事を続けていく自信がない」として押し切った。他の部門の人には鬱病で辞めたと噂されていたらしい。翌月末には退職たから伝聞でしかないが。

自分が大きなミスをしたということを頭の中では理解している。

正社員というプレッシャーに押しつぶされてしまったんだと思う。

それを踏まえた上でも劣悪な環境分煙がなく副流煙が漂う共同休憩室、サビ残サビ早出セクハラパワハラの横行、人手不足のために半休でしか休みが取れない主任接客業にも関わらずガムを噛みながら店内で作業する副店長雀の涙程度のボーナスなどなど)に長く身を置かなくて良かったと心底思う。

その後、短期アルバイトをいくつか経験したが、そこでの仕事というか作業については評価して貰えていた。覚えも早いと褒めて貰えた。 今は小売業量販店フルタイム勤務のアルバイトをしているが、そこでもバイトリーダーのような立場になっている。バイトから仕事作業をこなせているのかもしれないが、正社員としてもう一度頑張りたいという思いは消えない。現在職業訓練受講を視野に入れて再就職を目指している。

時間を戻せるなら就活をやり直したいとさえ思うが、そんなことは出来ない。新卒失敗したら終わりだとネットで散々見てきたけど、転職再就職のための方法は必ず何かある。

あまちゃんな私も生きていけるのだ。

仕事をしている人全て、無理をしないで仕事をして欲しい。

2018-05-19

anond:20180518184020

10年ほど前に横浜駅で駅員をしていました。

増田マッサージしたのは他社線だろうなと思うけど。

講習受けてます。たぶん増田が受けたのと同じものです。新人研修消防施設に行って教わりました。

AED、新しい職場についたら場所確認して上司にどこにあったか報告するということも研修の一貫でやりました。

一ヶ月に数人はなんかしらで救急車を呼んでたとおもいますので、駅は対応慣れしてました。

なので、駅の対応は「まじかよ」という感じです。バイトの多い会社だとあまり勉強させないのかもしれませんね。

また、当時駅員が心肺蘇生をして救急から表彰されるということがありました。たまたま電車で移動中に倒れるお客様がいらっしゃり、行ったそうです。

なので、救急対応にも「まじかよ」という感じです。…人によりけりなのでしょうか。

増田表彰もののすごいことをしたと思いますよ!

2018-05-04

アホな新人研修

ちな、おれはアラフォーな。

新入社員に筆ペンで書いた決意表明を各所で大声で叫ばせてんだわ。

やる方も馬鹿だが、やらせる方も馬鹿だな。

おれは中途組だからやらんかったが、新卒だったらすぐに辞めていたわ。

2018-04-24

林修子供教育費を負担させるべきと言ってネット

共感多数という記事を見たが、これ共感してる人、

新人研修新人教育費を負担させるべき」

にも勿論同意するんだよね?

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