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はてなキーワード: アカデミーとは

2021-04-23

anond:20210423154842

netflixtwo different strangersって短編ループ物で、アカデミーノミニーでって期待してたのに、実際見たらBLMムーブメントに乗ったカッスカスイデオロギー映画SF的になんの説明もなくそれでいて、ね?不条理でしょう?それが今黒人が直面してる不条理さなんですよ。みたいな説教くささ爆発でとても腹が立った話とかしたいわ

2021-04-20

アカデミー作品賞

駄作が多すぎる

受賞作のうち3本中2本はつまんないと思った方がいい

芸術性が問われるよりもあれはアメリカホルホル映画大賞

2021-03-20

行政書士って割とやばい業界なのかな

これ見る限りは限られたパイを取り合ってるけっこうヤバ目の業界という感じがするがどうなんだろう

税理士のほうがプライドもってそうなイメージがある

いろいろ未知の世界があるなあ

主だった士業の間で、行政書士以外に「ヒヨコ食い」があるという話を、管理人は聞きません。行政書士にのヒヨコ食いが横行する原因は、ひとつには行政書士試験が実務と全く関係ないこと、もうひとつには経験ある先輩のもとで実務に接する機会があまりにも少ないことによると思います

行政書士試験合格して、期待を胸にハローワークへ向かいます行政書士求人を探しますが、それ自体が大変少ないことに気づくまでそう時間はかかりません。履歴書職務経歴書を、書いては郵送しを繰り返し、疲れ果てて、何とかならないかインターネット検索をかけまくっているうちに、引っかかってしまうのが「実務研修」であったり「アカデミー」であったりするわけです。仮にこれで引っかからなかったとしても、実務経験営業ノウハウもないのにいきなり開業するしかないのか、と決めて開業し、案の定仕事は取れず、営業の仕方もわからず、手持ち金は先細り、焦るところにSEOだの広告コンサルティングだのという話が舞い込むことになります

ヒヨコ食いが横行するもうひとつ理由があるとすれば、行政書士業務がはっきりしていない上にマンガドラマの影響で行政書士試験受験生大量発生してしまった事があると思います。よく調べないまま「法知識を用いてほとんど弁護士のような活躍ができるが、その割にハードルはあまり高くない資格」というイメージが出来上がってしまいました。行政書士試験合格率制ではなく、合格点制です。300点満点中180点取れれば合格なのです。結果、毎年合格者を排出し、市場は完全に飽和状態です。

認可申請代理入国管理書類作成行政書士の独占業務で、行なってもどこからも待ったがかかりません。ですがその市場規模を考えれば、明らかに現状は行政書士が飽和状態だというべきでしょう。そうなると有利なのは以前から顧客を抱えている古参行政書士です。新人行政書士は、なにか自分にできることはないか試行錯誤した挙句、非司行為や非弁行為に手を出すのです。そして非司行為や非弁行為で急成長した「成功した新人」が純然たる新人ターゲットにしたヒヨコ食いをするケースが目立ちます

非司行為や非弁行為でもいいから、業務を行なって成功したいと考える人いるかもしれません。しかし、そう考える方は今が「士業戦国時代であるということを心のどこかに留めておいてください。サムライ業が増えすぎ、これまでは業際問題的に考えると行政書士に行わせておいてはいけない行為であっても「まあ、周辺業務だし」で許されていたところ、本来資格を持つ人から「それは我々の仕事だ」といつ主張されてもおかしくない時代なのです。例を挙げますと、グレーゾーン金利撤廃によって、借金をしていた人は一定の条件のもと払い過ぎ金利を取り返す事ができるようになりました。いわゆる「過払い金返還請求」です。この業務最初に見つけ出したのは司法書士です。従ってはじめは司法書士の間でこの業務は人気業務となりました。しかし、弁護士としてあまり儲けていなかった人が、この業務弁護士仕事だと言って手をつけ始めると、あっと言う間に司法書士弁護士駆逐されることとなりました。

行政書士は、弁護士司法書士税理士公認会計士弁理士社会保険労務士など、主だったほとんどの士業との間に業際問題を抱えています。そして、法律を素直に読む限り、ほとんどのケースで行政書士は不利です。仮に利益が上がるようになってもいつどこから「それは我々の仕事だ。出て行け」を言われても文句は言えないと覚悟をする必要があります

2021-02-05

図書館で働きながらこっそりメモ帳に書き留めた気になる本と作家(うろ覚え)

タイトルと表紙だけ見て判断したので悪しからず。モノによってはキーワードだけ

現代語裏辞典

ひみつのカレーライス

水鏡推理

セザンヌスーラ

私を食い止めて

ウイグル無頼

笑韓でいきましょう

質屋探偵

水ってなんじゃ

かんどうかんくろう

にしかわたく

魔女カフェ幸せメニュー

創竜伝

僕僕先生

ニャン氏の事件簿

どんぶりアンソロジー

独りでできるもん

常連めし

新型ウイルスサバイバル

日本不思議建築物

描かれた歯痛

前野ひろみ

あやかし算法帳

マンガでわかる猫背は治る

アキカン!

空き家

あるかしら書店

海の百階建ての家

不思議ナイフ

アルデラミン

闇と暮らす

365まいにちペンギン

ベストオブ谷根千

フローラとパウラ妖精の森

オラクルブック

宗教学事典

マツリカ・マハリタ

フェイブルの海

時間整理術

ミカサフミフトマニ

近松よろず始末処

旦那FBI

もし富士山噴火したら

ジャップ・ン・ロール・ヒーロー

英雄達の食卓

包丁

ルート66

静おばあちゃんにおまかせ

陰陽課

ハナモゲラ

ぴんとこなーす

べてるな人々

黒い報告書

三人にせ金作り

怪盗レッド

ピカソになりきった男

ヤクーバとライオン

おおきな木(絵本)

愛しき駄文

一日昔話

コナン 無重力

ものぐさドラゴン

動くな、死ね、よみがえれ!

おばけのパン屋さん

やだ!!(絵本)

マイケルディラン百人一首

世にも奇妙なマラソン物語

グレッグの駄目日記

バラダ門

まどかは神かもしれない

ID-0

ゆうれいコレクター

獺祭(野口卓)

すべてはモテるためである

イギリスうえだまり

押し絵と旅する男

明和義人

うそうそ(畠中)

ガタスタ屋の矜持

日常の偶然の確率

小道モコ

精霊の王

金枝篇

グリーンマン

特上添乗員

ウチら特権

ボクらの消えた学校

マンガ解析学超入門

焼き上がり五分前

深淵のガランス

いみちぇん

ぼくらのデスゲーム

タフタ研修医

デパ地下激戦区で働いています

世界が認めたニッポンの居眠り

マンガ実践資産運用

変形菌図鑑

ドラゴンスレイヤーアカデミー

あやかし

陰陽課

どこいったん(絵本)

岡本

深い闇

薬売りの独り言

子育て戦線

猫とエトワレ

元気に�なるシカ

銀河不動産

地図に無い駅

笑う回文教室

%(このはなさくら)

悪ガキ7(セブン)

一日なぞの生き物

ポチ小屋

入れ子の水

サノマリナ

しないことリスト

みやたけ外骨

数学ガール

かわなべきょうさい

キルリスト

コンピューターのふしぎ

唯識の読み方

怪盗レッド

マジックツリーハウス

フランス料理エスコフィエ

チームガリレオ

雑草ルデラル

ウスケバローロボーイズ

ニンジントロイア戦争に勝つ

うつまま日記

幻都廻楼

かまってちゃん社員の上手なかまいか

天国に一番近い会社

ドル

聖なる怠け者

ハラコカレー

ひだごはん

ヒラマツオ

投書狂

中国開城

もう一つのMONSTER

スノーデンファイル

ゴリラのけいこく

スタープレイヤー

地球生きものアドベンチャー

サバイバルレース

ヘッテルとフェーテル

ピカソになりきった男

こしょう息子

つ村きく子

リンカーンとさまよえる亡霊

記憶破綻

江戸奇品解題

ヘンテコノミクス

ぽよぽよザウルス

のら犬とりで

スズメ事務所

十才までに平家物語

1年1組(DVD)

南河物語

おばけのラーバン

築地の門出

ジーヴスの世界

ちび竜と魔法の家

絶滅危急季語辞典

金色機械

怪盗探偵山猫

ぼくはイエローホワイトで、ちょっとブルー

うみの100かいだてのいえ

かまどねこ

アイヌ人物

就活の神さま

から森が降ってくる

ファミアンドリー※1

きのこリウム

ローマンウィリアムス

夢もまた青し

世界クラブ

IQ探偵ムー

緑色ウサギ

でしょ115%

無言館

星から来た船

マガーク探偵

ナノハテノガタ

本棚探偵

エグチヒサシ step

手話で生きたい

南の島※2

チオベン※3

マンキ漫画を完成させる力

絵でわかる感染症

やさしくわかるアサーション

ふしぎな出前

宇宙に期待しない

早朝始発の殺風景

世界ピクニック

くどうなおこ 「いる」じゃん

バウハウス

夏のうた

フューチャー

挫折しない微分積分

世界一優しい会議教科書

世界の夢の動物園

~~~~~~~~~~~~~~~

※1詳細不明

※2島田紳助

※3詳細不明弁当屋の本?どの本かはわからない

2021-01-30

anond:20210130145023

今日NHKFMアニソンアカデミーMinamiの「君の中の英雄」が2回流れるという珍事があった。

1回目に流れてる途中で、しょこたん江川紹子じゃない方のしゃべり声が混ざってしまったのが原因だった。そういう理由でもう一回流すってのもすげえなって思ったけど、2回目を流し終わったあとは何事もなかったかのように番組が続行されていた。

好きな曲だったから単純に2回聴けたのはラッキーだった。

https://www.shazam.com/track/54629898/君の中の英雄

2021-01-26

世界まともそうな政界女性リーダー

ドイツ メルケル首相 66歳

 東ベルリン科学アカデミー 物理学博士号

 

アメリカ イエレン財務長官 74歳

 イェール大学 経済学博士号

 元ハーバード大学経済学助教授

台湾 蔡 英文総統 64歳

 ロンドンスクールオブアカデミー 法学博士号

 元国立政治大学及び東呉大学教授



個人的に興味があって調べてみたけど

みんな女性初、みんなアカデミア出身なんだな

博士号って大学行って大学院で修士2年やって博士3年やって論文通ってとれるんだっけ?すごいな

他にもこの人すごいよ!とかいれば教えてほしい

2021-01-24

duolingoより楽しい英会話学習アプリを作ってくれ

スタディサプリもabceedもゴガクルもはっきり言ってつまらん。

クイズマジカアカデミーみたいな、何万円も課金させるソーシャルゲームのような、かつての脱衣麻雀ゲームで成人男性を虜にしたような、どんな手を使ってもいいのでユーザーを飽きさせない英会話学習アプリを作れないか

これなら、どんなに射幸心を煽ろうが、後ろ指を刺されることはないぞ。エロに関してはもう無理かもしれんけど。

課金ユーザーからお金を搾り取る方が儲かるかもしれんけど、ここはひとつ社会貢献だと思って頼むわ

2021-01-20

anond:20210120151725

女性に見捨てられ

政治に見捨てられ

アカデミーからも見捨てられ

かわいそう

2021-01-15

anond:20210115075520

事件当時ロマン・ポランスキー監督は不在で(映画でもその通り)、犯人たちに襲われていない。

現在も存命で去年も作品を出している。(少し昔の作品だが、戦場のピアニストはかなり話題になった作品

殺されたのは妻で女優シャロン・テートと、友人。

しか殺人犯とは何ら関わりがなく、以前に引っ越した住人と勘違いされて彼女らは殺された。監督らの素性は事件関係がない。

この映画が救ってみせたのは監督ではなくその妻、シャロン・テートだ。

今でも語り継がれる悲劇女優だ。

劇中でも説明される通り、当時売り出し中の女優で、監督の子供を妊娠中だった。

この映画ではシャロン・テートの魅力的な姿が何度も描かれ、しかし最終的にディカプリオが彼女の家に招かれる場面ではインターホン越しでのみ会話し、ディカプリオと同じフレームには映らない。

とても誠実な描写だと思う。

この映画が憎んでいるのはマンソンファミリーだ。

実行犯殺害を指示したチャールズ・マンソンは額に鉤十字タトゥーを入れているが、タランティーノ過去イングロリアス・バスターズで憎きナチの額に鉤十字を刻んだ。(ちなみにこのナチ将校役の俳優ポランスキー監督映画おとなのけんかで主演してる)

そしてイングロリアスバスターズでは「映画を使って」ナチどもを焼き殺したように、この映画でもマンソンの手下を「映画小道具を使って」焼き殺す。

イングロリアスバスターズの隊長は、ブラッド・ピットだった。

1969年は「ロックが死んだ年」ともいわれ、アメリカにとって大きな節目だったことには違いがない。

しか監督タランティーノは「ハリウッド監督」ではないし(アメリカ映画ハリウッド映画ではないのがややこしい)、彼はハリウッドアメリカなどメインストリーム以外の映画も浴びるほど見ていて、それこそ中国香港日本などアジア映画に多大な影響を受けた人間である

デビュー作も香港映画オマージュなくらいだ。

キルビルが急遽テイストの違う二本立てになったのも、チャイニーズオデッセイという香港映画の影響である。(チャイニーズ~は一作目がコメディで、二作目が恋愛もの

(タラオールタイムベスト一位に挙げている続・夕陽のガンマンイタリア産マカロニウェスタンアメリカ映画ではない。ちなみに監督セルジオ・レオーネが撮ったワンスアポアタイムインアメリカも長いけど大変な名作。セルジオ・レオーネ監督の大ファンでもあるし、タイトルからもわかる通りタランティーノはかなり影響を受けている。~インアメリカについては、ラストデニーロの微笑みの解説を見ると、また味わいが増す)

ブルース・リーの話が出てきたが、タラキル・ビルでは死亡遊戯衣装を真似し(何の説明もなく出てくる「カトーマスク」も、グリーンホーネットブルース・リー演じるカトーがつけていたマスクのこと)、主人公ブライドの使う技はブルース・リーワンインチパンチで、必殺技は(ブルース・リーに影響を受けた)北斗の拳の技のようだ。オーレン石井へ敬意を示す闘いは、ドラゴンへの道のチャック・ノリス戦を思い起こさせる。

キルビルで描かれる復讐暴力の虚しさは、燃えよドラゴンブルース・リーが奇妙な泣き顔で表現したのと同じものだ。

そして敵役ビルには、ブルース・リードラマ企画を奪った俳優デヴィッド・キャラダインを配している。

キルビルはある種、ブルース・リーを主演に見立てているのだ。

タランティーノは、そういう監督なのである。ちなみにブルース・リーの主演が叶わなかったドラマ企画が、ちょうどワンス~の時代の頃の出来事でもある。

ちなみに、キルビル前後編になった元ネタチャイニーズオデッセイの主演はチャウ・シンチー少林サッカーが有名)であるが、彼もまたブルース・リーマニアだったりする。(ドラゴン怒りの鉄拳パロディや、少林サッカーカンフーハッスル等、ブルース・リーネタ多し)

少し脱線するが死亡遊戯という映画もまた、「ブルース・リーという俳優の死後に、彼が生きているかのように撮られた」特別作品で、その点がワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッド共通している。

(すでに香港ではスターだったが)ブルース・リーハリウッドでの売り出し中にこの世を去った人なのだ。(ワンス~劇中でシャロン・テート自分映画を見るシーンがあるが、ブルース・リー燃えよドラゴンの公開やそのヒットを目にすることがなかった)

ちなみに作中で喧嘩していたブラピ本人もブルース・リーおたくである。楽しかっただろうなあ。(ファイトクラブでの物真似が彼のアイデアというのは有名)

あとワンス~作中のブルース・リー調子こいてるのは、実際の彼がああいキャラだったためでむしろファンとしては大喜びするポイント。(ブルース・リーの物真似をするときは、顎をしゃくって半目で相手文字通り見下したように眺める。服のセンスも、実際にああいチンピラのようなダサいファッション

何より、タランティーノは「超」がつく映画狂で、大げさではなく映画から人生のすべてを学んだような人間だ。

あらゆる映画を吸収し、現実にはモテないスーパーボンクラだったくせに、(映画から知識だけで)玄人好みの渋い「中年恋愛映画」すら物にしてしま監督である

落ち目だった俳優を「自分が好きだから」という理由で起用し、劇的にカムバックさせたりと、フィクションの力で現実を変えたこともある。

(※ネタバレ注意:この俳優とはジョン・トラボルタのことだが、タランティーノの好きな某映画ではヒロインを救えず、せめて「映画の中だけで生かす」ことを選ぶ。言うまでもなく、ワンス~を思い起こす)

(というよりもともと映画のものが、亡くなった俳優の生きている姿を見られるタイムマシンのような装置なのだろう。そういう評論はよく見る)

そして、前述のイングロリアスバスターズではユダヤ系の、ジャンゴではアフリカ系の観客の心を、荒唐無稽フィクションで熱く揺さぶった。

ヘイトフル・エイトでは差別主義者と黒人和解をそれこそ「フィクション」という小道具を介し、素晴らしい形で描いてみせた。

日本ではネタにされがちなキルビルも実に真面目な女性映画である。「五点掌爆心拳」などという冗談のような技で、男女の歪な恋愛関係を誠実に描いたのだ。この映画では男はみな弱くて使えず、女性は強く逞しい。

タランティーノは「強い女性」を描く監督としても有名だ。殺人鬼変態スタントマンが、女性スタントマンたちにボコボコにされる映画デス・プルーフも撮っている)

タランティーノフィクションの虚しさも当然知っているだろうが、同時にフィクションの力を強く信じている人間でもあるのだ。

虚構の無力さをただ嘆く監督ではないと思う。

(ちなみにデス・プルーフの主演であるゾーイ・ベルキルビルユマ・サーマンの「スタント」をしていた女性で、ワンス~にも出演。例の「ブルース・リーとの喧嘩」で車を壊されたひと。死亡遊戯キルビルワンス~と考えてみても面白い)

(ディカプリオについては、ある種かなり本人に近い役。若手時代から演技力が高かったのに、レヴェナントで受賞するまでアカデミー賞からは長年ずっと無視され、色んな人に揶揄されてきた。アカデミー無視されてきたのはタランティーノも同じ)

もちろんワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッドは、ハリウッドやその他の「アメリカ黄金時代」への郷愁が詰まったお伽噺ではある。

しか元増田は表面的な考えで映画を語っていると思う。

歴史を描いた作品理解するには、ある程度の知識必要だ。

2020-12-19

知的水準劣化すれば社会は分断されないか無問題漫画のような話だが本当の話である

最近は、textを扱うどこのサーヴィスでも「お金があればこれができた」と「お金があればここに行けた」のオンパレードである日本も本格的にこの文句が踊るようになってきた。大学入試に関する限り、あと30年ほどはこの文句はどうやっても消えることはないだろう。

明治維新によって、日本にもヴァイオリンピアノ演奏会が始まりつつあった時も、聴衆のほとんどはこのように感じていたのだといわれている。しかし、当時の日本人は、西洋との格差を感じつつも、西洋文化をかつての中国のように否定はしなかった。明治を抜けて、大正昭和時代になってさえも、首都圏に限ってはゴドフスキープロコフィエフ来日した。アンリ・ジル=マルシェックスも来日し、ストラヴィンスキー日本初演して帰っていったことは梶井基次郎の「器楽幻覚」でわかる。海外との絶望的な生活水準格差を感じつつも、「格差を感じるのでこの作曲家は嫌だ」ということを日本人は言わなかった。追いつけ追い越せなので文句は言えなかった。「名人芸披露したところでは客が拍手をした」としっかり、プロコフィエフ日記に書いており、日記に何でも付けた彼のことだからまるっきり嘘ではないだろう。

令和はどうだろう。

田舎地方ですらもピアノ電子オルガンによる教育が浸透し、ポップカルチャーの中のピアノニコ動ですらもキーワードになり、挙句の果てにはどこの大学にもピアノクラブがある。ジナステラピアノソナタ第1番は東大生によって日本初演され、リゲティ練習曲集第2巻は元京大生の手によって日本初演された。昭和田舎サルゴリラ動物園で騒いでいた時よりも、平成から令和期にかけての状況は良いではないかという主張をする者さえいる。しかし、今の東京藝大ですらもレベッカサンダースやオクサナ・オメルチュクを招聘できるほどの体力はコロナ禍で残されていないだろう。

アカデミアの中核が、「格差を感じるのでこの作曲家は嫌だ」と言い出しているのである

はっきりと、「お金があればこれができた」と「お金があればここに行けた」が飛び交うのは名古屋だといわれている。何の同人イベントを行っても成功しない名古屋名古屋人は受験勉強には強くても、ほかがさっぱり、というのが平成常識であったが、令和になったら変わるのだろうか?愛知平成期にオーケストラを4つも持っていたが、戸島美喜夫にオーケストラ曲を委嘱することはほとんどなかった。単に、個人怨嗟で終息するのなら問題がないのだが、同調圧力とでもいうのだろうか、市民のまとまった声になるのだといわれている。

かつてストラヴィンスキーメシアンブーレーズCIA支援していた(グリフィスのModern Music And Afterを参照のこと)昭和期の日本では、海外からようこそいらっしゃいましたという敬意で満たされていた、と、されていた。事実は実は違っていた。招聘して喜んでいたのは首都圏身の回りだけで、田舎地方はそのような情報すら一切入手できなかった。田舎では、ピアノを床に置くスペースで演奏会を行う風習すらない。つまりベートーヴェンの「熱情」すら生で聞く演奏会がない。地方ではラヴェルスペイン詩曲すら聞けない。これが1980年代日本であった。

2020年代日本は、主に田舎地方居住者によって、格差証言されることが増えた。まだまだクラシック音楽現代音楽を専攻する人間に向かって「金の無駄遣いだ」と言葉暴力を用いる偏見は残っているが、奨学金で600万円も借金する学習障碍者が増えたおかげで、音楽アカデミアに集う人間への攻撃は減った。もう、音楽アカデミアで勉強する人間よりも、ほかの人間のほうが金を使うことは珍しくなくなった。中学勉強で躓くと、地方ならあっという間に私大文系コースだろう。そちらのほうの教育が高額になってしまうのである

こうして、底辺教育費で底上げされ、アカデミアへの偏見は全体としてへっているというのに、アカデミア自らが「格差を感じる」ので大物の招聘が少なくなっているのである。かつてはジャンカルロ・カルディーニだろうが、ヘルベルト・ヘンクだろうが、ティニー・ヴィルツだろうが昭和日本では交流会と称して招聘ができたのである。ところが、1990年代からなぜか変わってきた。「インフルエンザ休みます」というファックスを送付したのはハンス=ユルゲン・フォン・ボーゼであった。各種イベントに「非来日」という書き添えが加えられることが多くなったのである日本経済難を指摘する音楽評論家は多いが、ただ単に個人招聘することくらい地方自治体でもできる。地方自治体が、「もう知的進化することを放棄」したのが目立って増えたのが1990年代であった。

知的格差自己責任になってしまったのである1980年代昭和時代まではこうではなかった。知的格差を埋める人材山本直純芥川也寸志のようにいた。田舎地方教育は相変わらず公立に丸投げで、大卒組と非大卒組でしっかりと会話が分かれていた。「お金があればこれができた」という声があっても一瞬で黙殺できた。女性はまだ一方的男性に殴られ、中傷されていた。殴られた現場を見ているので間違いがないのである東京黙殺すれば、それが常識にすらなったといえば言いすぎであろうか?

東京地盤沈下は進んでいた。杉浦の解析入門を一行も理解できない東大生が増えたのは1990年代であったと聞いている。このことは、当時東から遠く離れた私の耳にまで風のうわさで入ってきたので、結構有名なことだったのだろうか。1990年代東京はもうどうしてよいか、さっぱりわからなかったのではないか知的格差を埋めるために行った政策も、ほとんど功を奏さなかった。作曲コンクールもかつては30分も自由に書けて3管編成で30段以上で攻めることができたのに、少しづ演奏時間オーケストラの規模の縮小が始まっていた。「お金がないので、この編成で我慢しといてね」とアカデミア自らが言う羽目にまでなった。

そのうち、NHK電子音楽スタジオというものがなくなった。ドイツアカデミー・シュロースソリチュードマスタークラスがつぶれた。今、知的格差を埋める国家プロジェクトといえばIrcamのCursus1か2ではないだろうか。「あとは自分でやっといてください」と教育者が放言するのである。これも、誰かが言った現場を目撃した。ネット時代なら、この男は失職したのかもしれない。

私はそのような教育者の怠慢があっても、なんともなく一冊づつフルスコア図書館文字通り「積んで」勉強したのでノーダメージなのだが、私のような人間がほかにいるのだろうか?他の人間憎悪と怒りで満たされ、やる気をなくすのではないか教育者が、これに気が付いたのはここ数年であろう。性差という観点から考慮すると、女性への人権向上が始まったと同時に、日本国内ではアカデミアの怠慢が始まっている。これは女性の手によってアカデミアのレヴェルが下げられたのではない。なんと、女性気持ち悪がられるのを男性が恐れ、知の最先端放棄しているのが東京なのである

最先端ピアニスト作曲家って誰なんだろう。そういう会話はもう日本では行うことは不可能である。できるのはドイツオランダくらいかアカデミアの中核にいる男性を、赤の他人女性が難なく受け入れるということはきわめて難しい。首都圏人同士だと、女性から難なく受け入れたケースがあるのは知っているが、これが首都圏地方人だとそうではないことがほとんどのはずである首都圏の人にとって、首都圏以外の人間アカデミアに乗り込んでくるのは、本音では嫌だろう。それと同じことが男女関係にも及ぶ。アカデミアに触れた男性赤の他人女性が受け入れるということなどあるのだろうか、という問題は、今後切実になってくると思われる。これは男女を逆にしても成立する。田舎地方では「アカデミアに触れた男性は、一般女性と会話が合わないので気持ち悪い」「アカデミアに触れた女性は、一般男性と会話が合わないので気持ち悪い」というのが真相ではないのか?

そんなことはないという日本人は多いだろう。しかし、少子化と出生数が裏付けている。後進諸国ではアカデミアと大衆が切り離されているので、日本韓国のようなタイプの急激な人口減などという問題には遭遇していない。しかし、日本を含む多くのヨーロッパの国々は「お金があればこれができた」と「お金があればここに行けた」が盛大に飛び交って少子化しているのであるフォーミュラ1アレクサンダー・アルボンは、莫大な資金援助で一年半だけレッドブルに乗ることができた。リオ・ハリヤントですらマノー半年乗れた。「お金があるのでこいつはドライブできる」という声はタイ人インドネシア人からは聞かれない。タイは確かに少子化したが、まだまだアカデミアと大衆は交わらない。交わらない国家から刺激的な作曲家が次々と出てくるのは、性の限界を示している。交わった国家けが衰退しているのである

2020-12-13

anond:20201212191830

反知性という言葉反知性主義意識して使っているならちょっと意味合いが違う。

これはアカデミーという象牙の塔批判するために自己批判的に使われる言葉であり

知性を否定することではない。

2020-11-16

anond:20201116110333

今時月9ドラマとか言いたがる辺りで年齢層が透けて見えるけど

その歳になって月9ドラマはつまらない、アカデミー級なら面白い、とか考えてるとしたら幼稚過ぎて

実際の年齢層が分からん増田だな

anond:20201115023607

まあそれを感じさせないように描いてるのが素晴らしいストーリーというものだ。

お前の言うフィクションっていうのは、素晴らしいストーリーなのか?

例えば毎週の月9ドラマが楽しめなくなったっていうなら、あれらはそんなに優れているわけじゃないから無理もない。

オールタイムベストアカデミー級の世界的な名作みたいなやつ摂取しろよ。それも面白くなかったらいよいよ重症だ。

2020-11-11

久しぶりに知〇袋を眺めていたら、変なものを目にした。

ハローワークが開催しているアカデミーがあり...ITパスポートか、CAD勉強をしたい...」

という、この人何をやりたいのだろう、と。

ITパスポートって国家資格みたいだけど、回りから酷評されてる。

実際IT関連に就職したとしても、殆ど意味の無い資格

CAD勉強って、CADの使い方身に着けても図面描けないでしょ、

図面の描き方知らないと。

ただ単に手当てが支給されて、受講できるから習いに行きたいと思ってるみたいだけど、

IT連行きたいなら、VB++でもPHPでも何でもいいか言語勉強した方が

よっぽど役に立つと思うけどね。

そんなのより、土木施工管理士とか建築施工管理士とかを目指す方が

(必ずしも資格取得じゃなくてもいいんだよ)、

そういう職に就いた方が前向きだと思うんだけどね。

こういう人が負のスパイラルに陥るんだろうな。

自分が何をやりたいのか、何をやらなければならないのか。

あ、ごめん、ニートの俺が言っちゃダメか。

 

2020-10-28

子ども〉のための哲学永井均)を読んだ感想 前半

理解」をどう考えているか、これについての私の根幹(基礎)はオートポイエーシスに準じている。

オートポイエーシスの詳しい説明は省くが、神経細胞情報伝達を行う際、シナプス行為理解しない。ひとつ作業を行うのみであり、結果のための行為連想しない。シナプスにとっては、「物質を伝達する」という行為目的であり結果となり、それらが組み合わさって何が起こるかを理解しない。

まり、最終的に現れるもの(たとえば人体の中で起こりうる結果反応など)はすべて、「行為副産物」としてしか存在し得ないということ。これは非常に重要事実である

本来理解」というものもそのように行われるべきである。一番重要なことは「わからない」ことである。わからない、を通過しない限り、「理解(と呼びたくなるようなもの、それに準ずる、付随する周辺のものもの)」を得ることはできない。

これについては同授業を受け持っていた河本英雄の「飽きる力」なんかを読めば少しわかると思う。

この文を書き始めた当初は、この前提を元に本文を整理していこうと最初は考えていたのだが、結局本文に「哲学哲学をしている瞬間にしか浮上しない」とはっきり銘打たれていた。だからもはや、一文を取り上げて「ここの箇所は〜」などと言語化することは意味を持たない。それ(ここでは〈哲学〉とする)が"それ"たらしめるやり方でのみ、発見できることであるならば、そう(そのやり方で)やる他ないと思うので、それに倣おう。

あとあちこちに書くのも煩わしいので、一度に留めるが、わたしが書いている内容について読み違えや相当しない批判(等)があれば、気づいた場合指摘してほしい。(それこそがきっと哲学なのだろうし。)

はじめに(5p)、から問いの合間に(125p)までを読んで

・〈哲学〉(「哲学」ではない)について

本文にあるようなやり方の〈哲学〉については実感がある。実感はあるが、しかしそれは子どもの時からすでに最初から青年の」〈哲学〉であったように思う。少なくとも、目の前に与えられた課題は年端のいかない子どもには大きすぎたし、それについて、しかし取り組む以外の選択肢を(子どもながらの純粋性ゆえに)持つことができなかった。だから最初から、なぜ〈他者〉がいるのか、という疑問は生じずに、〈他者〉と対峙するにはどうすべきか、をひたすら〈哲学〉し続ける時間が幼少期〜思春期であった。

からなるほど、やはり「疑念」が問いを生むのであり、疑念を持たないものは問いに遭遇しない。よく感じる違和感は、「問いを持たない人間」と(「問いを持つもの」と)の世界の断絶である世界には大きな断絶があるということを改めて実感したのだった。(断絶の是非はここでは問わない)

・〈ぼく〉という特別さの有無について

さて、書いたようにわたしは「なぜ〈ぼく〉が存在するのか」という疑念を持たなかったのでその問いに衝突していないし、そして付随する「〈ぼく〉という存在特別さとはいかなるものか」という問いにも当たっていない。しかし読み進めていくと、「特別さ」を論じれば論じるほどそれは「一般性」に落とし込められていくという矛盾が現れ、結局「言語での言い換えを繰り返すよりほかない」という結論(?)に達している。とりあえず本文の結論についてはさておき、わたし感想を書いておく。結果から述べると永井均認識論的傾向(95p)とは真逆であり、非存在論的(本文に即して使う)立場にいると言わざるを得ない。

まず78pに自分が二人に分裂した際に、もう片方をどう「認識」するかという問題。少なくとも、それが「〈ぼく〉であるか、でないかは、ワカラナイ」というのがわたし意見である。つまり意識としての〈ぼく〉が2地点に存在して、それぞれの思考でそれぞれを〈ぼく〉としない、という前提にどうしても立つことができない。

特別さの証明からは少し離れるが、「攻殻機動隊」という作品はこの独我論観点なしには見ることができない。登場人物たちは車を買い換えるようにボディ(身体)を換えることができ、脳(アニメ内では脳核と呼ぶ)に宿った意識アニメ内ではゴースト)はそのままで、新しい肉体を得る。しかしそれは本当に連続性を伴った自己なのか?確認するすべはない。

まあ結局、「確認認識)できるとしたら」という前提で論じている内容において、反駁することはない(できない)。なので、真逆認識論にたった時に、どのようにしてその「特別さ」を得るかというのを考えてみるとこうである他者認識できている限り、その「特別さ」を論じることはできない。理由はなんでもいいのだが、例えば「論理他者に向かって開かれている」ことは明白である。少なくとも、本書のように、本は他者が読むことを前提として書かれている。おそらく永井均としては「普遍化できない偶然性の問題」を「論理」立てることこそが〈哲学である、ということを言いたいのではないか、と思う。しかし、わたしの知る範囲ではそれは矛盾する。であればやはり(今の所は)前提を変えてみるしかないのである

ないことの確認はできない。つまりそれを鑑賞する他者がいないことを確認できない位置に移動して、ようやく「特別さ」が浮上するのではないか。そしてそれはすなわち、99pで引用されているウィトゲンシュタインの一節に他ならない。結局は「理解されない」ということを目指さなければ、少なくとも「特別さ」を論じることにはならない、ということだろう。

(余談だが99p9lの永井解説についてはまだ理解が追いついていない。いずれ何度か読み直してみよう)

言語言語性について

ウィトゲンシュタインの本を読んだことはないが、ウィトゲンシュタイン友達をつくらず、本当に人里を離れてたった一人で暮らしていたという逸話を知っていて、勝手に親近感を寄せているのであるが、それはともかく彼の主題命題)に「言語」があったというのは興味深い。

わたしは〈哲学〉についての興味をある時点である程度(完全にではないが)喪失した。それはそもそもわたし最初に向き合った命題が「他者」であり、自己ではなかったことなんかも関係していると思う。そして、「他者」を自分なりに〈哲学〉して18年くらいたったころに、自分なりの「納得」(102p)に到達してしまった。本来、〈哲学〉のみならず、人生だとか生きるだとかいうことは「満足」を永遠に避けることだと考えている。「得て」しまったらそこはゴールなのだ。ゴールっていうのは何にもない場所だ。しかし、「他者」に限っては、(とにかくわたしがそれを生きる上で最も苦手としているがゆえになおさら結論を得てしまった。そしてわたしは〈哲学〉する目的(あるいは理由)を喪失したのだ。

しか言語に関する関心が残った(に関する関心は重言だろうか)。本文でも「読み換えが無限になされる場所(98p)」について書かれているが、この点に関してわたしは非常に興味がある。物事表現が、「言語分野」に大きく偏っている人間社会面白いことに動物社会とは全く異なるらしい)において、その役割は異常なほどである言語をどのように理解し、駆使するか(論理思考など)、これを〈哲学〉とどう関連づけるか、というのも面白い命題である。例えば思考についていうと言語以外の役割が大きい。つまり「頭の中で考えたことを文章にする」というのは、その時点で「考えたこと」から抽出が起きているのである。おそらく永井のいう〈哲学〉は「考えたことまで全部」を含むはずであるから抽出された、アウトプットされた結果のみを受け入れる(ざるを得ない)という現状には実は即していなかったりするのではないかわたしは今の本業言語ちょっとだけ"学")なのであるが、こういった観点を与えられるのは、やはり読書(時には他者自分の内側に入れてみること)もいいなあと思った。

・世の人が平均的に上げ底を見ようとする世界は遠い

なんにしても、とにかく、「無駄」が必要である(115~116p)という、それこそが本質であるという点にはその通りなのでその通りとしか言いようがないし、やはりそうであった、という安心を再び得る。結局資本主義的な世界にいると、いつ何時も、寝ても覚めても視界に入ったものから、耳に入ったものから、全てにおいてから常に四六時中見張られ、「資本主義的な価値観に即して生きているか」を刷り込みをされ続ける(そしてこれはきっと死ぬまで終わらない)。おそらく、これは想像しかないが、哲学をやろうとアカデミーなかに駆け込んで、その中で安息を得たとしても、その「刷り込みから逃れることはできないのではないか。(数学者望月先生のように「数学を生きる」ことができるレベルまで達せられていればもしかしたら、刷り込みから逃れられているのかもしれないが、これもまた憶測の域を出ない)

〈ぼく〉という特別さの有無を求めるより圧倒的に明快で単純で本質的なこと(無駄を生きるということは)なのに、たまたま、悲しいことに、全くもって信じられないほどの不運な状況であるがゆえに、それが通用しない(しづらい)世界にいるのだ。それを嘆くことは10年くらいやって飽きたが、時折(残念なことに恒常的な機会を得ていない)こうして「本質」に触れることで「正気」を取り戻すというのは大事作業である

さて本文の(前半部分の)感想は異常であるが、2点反駁したい箇所があるのでそれも書いておく。

1箇所目(17p,9l)

あっさりと「哲学し続ける内的必然性をなくした」などと書いてあるから吃驚仰天である。内的必然性と引き換えに得ることができるものほど「瑣末な」ものはない。これでは魂を売ったのと同義ではないか。何度か他の場所でも書いているが、「価値観他者に阿るのは心臓他者に預けているのと同じことだ」とわたしは思う。他者自己存在理由にはなり得ない。少し引用を用いるが「心の哲学まとめWiki」より、一文。「〈私〉とは世界を開闢する場であり、そこから世界が開けている唯一の原点である」と考える(『〈魂〉に対する態度』p.123,p.187) 。

その原点である自己をなぜ切り売りできるのだろう?「欠陥を売り物にする方法で得た救い」なんていうチンケなものはさっさと捨てるべきである世界とつながる唯一の原点=〈私〉をもっと大事にしなさい。

2箇所目(111p,11l)

この人は政治政治議論をなんだと考えているのだろう。そもそも、少なくとも望むと望まざると関わらずに(生まれた時からすでに資本主義社会に生きているように)、法治国家に生まれしまったのだから、その国家の参画者である限り「政治を避けて」は生きれない。自ら国籍を捨て(例えばスノーデンのような)、亡命を図るなどの意図画策があれば別であるが、生きていれば必ず住民税がかかり、ものを買えば必ず消費税を払っているのと同様に、政治をせずに生きることはできない。酸素をなくして呼吸ができないのと同義だ。なのにこの人はまるで自分政治、または政治議論したことがないかのように宣う。しかし指摘したいのはそのアティテュードではなく、政治議論方法についてである

自分と同じ主張を別の論拠から擁護してくれる人は、最もたのもしい協力者だろう」とは一体、どうしたらこんな思想にたどり着けるのだろうか。圧倒的に間違っている。(これだから日本左派は無様なんだ)

はっきり言っておくが、政治議論はその主張の是非ではなく、その論拠にある。だから全く異なる人間政治家)を支持していても、その論拠次第によっては戦友となりうるし、同様に全く同じ政治家を支持していても論拠によっては一線を画する必要があるのだ。当たり前の話であるタイムリー話題したことだが、「マスクをつけないということは、マスクをつけたくないという人間擁護する態度を含意しない」。これは明白で、結果(マスクをつけない)が同じだからと言って論拠が異なる場合、それは全くもって「たのもしい協力者」なんかではあり得ない。

5000字も書いてしまった。後半は気が向いたらかく。

2020-10-11

anond:20201011135818

昔は、対象アニメキャラタイトル歌詞に含まれてるかどうか、という基準でわかりやすかったけど、昭和の終わりぐらいからそうでなくなってしまった。

あえて言えば、NHKFMアニソンアカデミーリクエストして流してもらえるか、ってとこかな

2020-09-25

anond:20200925215538

竹中平蔵一橋大学博士論文をはねられた恨みがあるだろうし、

ヒトラー美術アカデミーで2回落とされてるからね。

切られた側が恨みを持って行動するのは当然の結果なのでは。

2020-09-16

日本人社会学者

世界的に有名な人ってだれ?もちろんアカデミーでの業績で。

2020-09-11

anond:20200911200534

どうにもならない、どうすれば良いか誰もわからいからこそせめてアカデミー作品賞を受賞して欲しかった

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