はてなキーワード: TSFとは
輪姦AVが好きだ。
たくさんの男に美少女系AV女優が蹂躙されているのを見るのが好きだ。
だが、自分は竿役の男の側ではなく女優の方に感情移入している。どうせなら可憐な女の子になって、こういう目に遭わされたいと思うことすらある。
見たいとか触りたいとかではない。チンコのない身体というのはどういうものだろうという興味だ。
幼稚園に通っていたくらいの年頃、寝るときにパジャマとパンツの間にタオルを挟んでいた。こうすると股間になにもなくなったように思えたからだ。その上から手で触ると不思議な興奮を覚えた。
やがてそれが親に露見するときが訪れたが、親は「おしめが恋しいのだろう」くらいに捉えていたようである。もっと倒錯的な意図には気づかれずに済んだ。
性自認は間違いなく男性であり、肉体との違和感を覚えたことは一切ない。男性としてのエロティシズムに対する感性を備えたまま、女性の身体で振る舞いたいといったところだろうと思う。
友人が小遣いをつぎ込んでいた「藤子不二雄ランド」に収録されていた「バケルくん」を読ませてもらったとき、こういう技術がほしいと思った。宇宙人から託された大量の人形。その鼻を押す(だったかな)と、その人形に乗り移って意のままに動ける。その中には当然女の子の人形もあるのだ。藤子・F・不二雄の漫画には手塚治虫ほどではないにしろ、ほんのり倒錯要素の感じられる作品があるが、これもそうだと思っていた。当時は言語化できるほど理解もしていなかったが。
そんな嗜好が強くなってきたのはおそらく「女性のセックスは男性のセックスの10倍気持ちいい」という話をどこかで読んだか聞いたかして以来だと思う。
そんなわけであるから、ある時点から増えてきたいわゆる「トランスセックス・フィクション(TSF)」は自分のために描かれた物語ではないか、とさえ思う。女装ではなく、ある事件(謎の薬物や身体の変調など)によって突然女性の身体になってしまう、という筋書きは本当に自分もなってみたいという妄想を満たしてくれる。新堂エル「TSF物語」などは同人誌まで買い求めた。
需要がなければ供給は増えないので、自分のような嗜好あるいは指向の持ち主はそれなりに多いのだろうか。
そして、今日も自分は妄想する。年端も行かぬ少女になった自分を。
見知らぬ男に捕まり嬲られ、早すぎる性の目覚めに導かれる自分を。
華奢な身体を蹂躙される恐怖と苦痛に喘ぎながら、歓喜に打ち震える肉体に困惑する自分を。
朝起きたら女の子と魂が交換されていたことも、気が付いたらTSFしていて美少女になっていたことも、金輪際経験していない生まれてから男歴を連続更新し続けている男だけど、エッチなゲームは主人公が少女のやつが好きだ。
女性主人公。そこには無限の可能性がある。(一部の肉食系を除いて)エッチなことは縁遠い少女が、すけべ? そんなのこの世界<ゲーム>に存在しませんけど? と徹底的にエロを排除した歴史(通称処女プレイ)をたどるのもよいし、誘蛾灯に惹かれる夜の虫のように昏い闇に引き釣りこまれて転がるように身持ちを崩していくのもよい。
エロハプニングを通して成長していくエロステータス。性は遠い存在であり清純そのものだった少女がその身に刻んだ体の歴史。たった一度だけの想い人との大人の経験に興奮を覚えるのも、性経験の数字を雪玉のように膨れ上がらせるのもプレイヤー自身の采配の行方次第なのだ。
心。樽を調べるとた〜るというように、世界<ゲーム>とプレイヤーの橋渡しをしてくれる翻訳機としての主人公。輝かしい友情を見つけた時の瑞々しい煌めき、やりきれない悲しさを抱えた時の痛み、エッチなイベントを経験したときのうぶな気持ち、身も心も擦れきってしまいサンドバックのようになってしまった時の痛々しさ。高品質なテキストで描き出される万華鏡のように変化する多感な少女の心は、0と1で造られた世界に艶めかしい彩りを与える。
妊娠への恐怖。ただ種を撒くだけの男と違い、十月十日の間、自分の命の危険と引き換えに子をお腹の中で育てることへの本能的な警告。愛する相手への気持ちがその危険を乗り越える助けとなることもあれば、生活の足場を失い墜落していく中で残された一時の快楽に溺れた結果であることも。往々にしてERORPGでは妊娠はバッドエンド=ゲームオーバーであることもあるが、中には家族計画もゲームシステムに織り込まれているものもある。
何処へ行き、何を経験して、何かを得たり失ったりする。その心境は赤裸々なテキストで綴られ、変わっていく少女の軌跡がステータスとセーブデータに刻み込まれる。
以下では二つ、おすすめの女主人公のRPGを紹介したい(両方とも現在DLsiteにて50%オフで販売中)
ダウザー見習いのレリィが、相棒のシエルちゃんと一緒に一人前のダウザーになるべく駆け回って、見識を広め、挫折を知り、そして大切なものを見つける物語だ。とにかく前向きで明るいレリィを見ているだけで元気をもらえるような爽やかな作品になっている。ゲームの難易度も高くなく、非常に丁寧に作られた良作である。
明るく楽しい掛け合いに、ぷにぷにコミカルなグラフィック、そしてドキドキするようなちょっとエッチなイベント。R18パートが無くてもこれだけで十二分に面白い作品だと言えるのだが、本作の真骨頂はそんなレリィがふと路を踏み外してしまうところを丁寧で端正なテキストでこれでもかと表現しているところだ。
自分のことよりも他人のことを優先してしまう優しいレリィは、裏を返せば自分の軸をもっておらず、流され、捨鉢になって、他人に判断を委ねてしまう。そしてダメな自分・悪い子な自分をそこに見出す。何もかも台無しにすることで自意識の存在を確かめる「悪い子」だ。この、明るくて元気な娘が、ふと日常にブレを見出してしまい、堕ちていく様。表にレリィの明るい冒険があればこそ、裏の路地裏に導かれたレリィの曇り様が浮きだつ。
知り合いの子供に懐かれて一緒にお風呂に入っていたら性の目覚めをされて〜親切心から絵のモデルを引き受けただけだったのに〜おじさんと話していたらパジャマの裾から胸チラしてた〜などなど多くの導入がドタバタのエロハプニングから始まる本作において、筆者のお気に入りはそれらの真逆を行く情報屋のおじさんとの再開だ。再び会いに行ってはならないと分かっているのに、気持ちを聞きたくて行ってしまい、老練な話術により心を丸裸にされ、自ら進んで幸せを感じるために言いなりになってしまう。作者による容赦のないテキストにより、レリィの心が壊れておじさんの都合の良いように均されていくいく様がまざまざと描写される、本作きっての救われないイベントである。いや、エロいんすよ、何もかも放り出して目の前の気持ち良いに溺れる女の子を端的に描写している絵も文章も。
レリィ・ナビゲーション、明るくて楽しい(エロ)RPGを気軽に遊びたいなーって人に超オススメ。逆に乳がでかい女しかダメとかモンスターの子供を産むことが出来ないとダメとか女の子が精神的に肉体的に追い詰められてないとダメなんて人には、そこまで響かないかも(いや、レリィの精神の追い詰められっぷりはすごいんだけど)。
加藤梢という、どこにでもいるような平凡な女学生となって、仲間たちと日々交流しながら、約一年かけて街に起きる謎の神隠し事件の謎を追うという現代伝奇作品。ぶっちゃけ○ルソナ(4)の直球のフォロワー。なのでワンモアとかプレスターンとか知ってる人はすんなり遊べるだろう。膨大な差分により自分の好むシチュエーションがいくらでも生み出せるのが本作のストロングポイントだ。
本作を一通り遊んで、二週目に行き、また違ったロールプレイをしたときに気がつくのが、本作に盛り込まれた膨大な差分遊び。ほぼすべてのスケベシーンに主人公と仲間たちの服の着せ替えと髪型の変更が反映され、過去に経験したあれこれで様々な場面のテキストが変化する。例えば、主人公のエッチシーンの一つを取っても、現在のエロステータスに応じたテキスト×現在の髪型(7)×着用している服(制服5、シーズン毎の私服3〜6、その他10程)×着用している下着(5)がほぼ差分として存在する。また弟と関係を持った後に父とも関係を持つと専用の棒比べセリフが追加されるなど、過去の経験もテキストに反映される。NTRに優しいあったら嬉しいサービスもバッチリだ(?)。
本作はオマージュ元と同じく、ゲーム内のスケジュールがカレンダーで区切られているため、普通の(エロ)RPGには無い時間的制約が生まれているのだが、逆にその制約を上手く活かしているのがこの作品を白眉たらしめているところだ。この月のこの週には海水浴イベントがあり、あの週には修学旅行という決まったスケジュールは学生時代の制約のある自由をプレイヤーに思い出させ、梢の学生生活にのめり込ませる効果がある。ただ、これだけだとオマージュ元の単なる転用である。本作のもうひとつの特長が、カレンダーに妊娠システムを組み込んでいることだ。
一般に(エロ)RPGでは妊娠システムというのは人気のある要素ではあるが扱いが難しい。妊娠期間をどうするのか、出産をどうするのか、生まれた子供をどうするのか。多くは妊娠はバッドエンドの一つとして取り入れているが、中には本気でシステムを構築している作品も存在する。本作はその一つであるといっても良いだろう(なんでDLsiteのタグに入ってないんだろ)。通常のRPGと異なり作中時間がリニアに経過する本作では上記の問題点に対して、妊娠するとそれ以降のゲームサイクルを妊娠しっぱなしにするという力技で解決をしている。5月に妊娠しましたー、はい、では以降のイベント、定期試験・海水浴・修学旅行などは妊娠状態で行われまーす、と。これにより、女学生の梢となって現代の学生の生活をシミュレートするというゲームストーリーとまったく破綻すること無く妊娠システムを取り入れることが可能になっているのだ。
そして前述の膨大な差分というのはこの妊娠の有無にも掛かっている。特に主人公の梢は妊娠していない・しているけどお腹は目立たない・外からも妊娠が分かる、の三状態ですべて差分があり、それらの状況に沿った心情を吐露するため、シチュエーション好きにとっては夢のシチュを大量に実現できるのだ(なお、仲間キャラも一人?を除き妊娠差分がある)。
例えば、ラブラブだった弟に正式にカノジョが出来たからとフラれて、ヤケになって売春するが、実はそのお腹には既に命が宿っていた、とか、敵に負けてしまったことが原因で全員妊娠してしまうのだが、実は生徒会長の先輩だけは先月の副会長との生徒会室での秘密の情事ですでに妊娠していた、とか出来るのだ。(ちなみに主人公の梢は危険日だと専用の差分セリフがあったりする)
なお、筆者が一番好きな差分は、修学旅行に行って、男子に誘われて男子部屋で遊んでいたら先生が見回りに来てしまい、急いで布団に隠れたら男子と一緒に閉じ込められてしまい、なんやかんやあってしまうイベントでの妊娠差分。男子生徒にとっては、実はずっと目をつけていた地味可愛い女子である梢と同衾してしまうラッキーイベントを引き当てるも、実は彼女はずっと前から他の男のモノだった、というあわれが実に響くものがある。
サンプルを見て、梢ちゃんかわいいーってなった人は、本編では梢ちゃんと美羽ちゃんをはじめとする仲間達のもっといっぱいかわい(くてエロ)いところ見られるのでおすすめ。着せ替えはいいぞ! 乳はあふれんばかりにでっこうないとな…って人は、まあ隠れ腐れオタクで残念美人の白鷺先輩で我慢しておくれ(あと隠しキャラ二名も)。
⁉⁉⁉⁉⁉ メリークリスマス ⁉⁉⁉⁉⁉
特定の性癖のみをまとめた雑誌じゃないのに、その描く漫画にイマラチオとかスク水とかtsfとか黒ギャルとかそういう特定の属性を必ずぶっこんでくるエロ漫画家ってどういう理由でそうしてるんだろうか?
自分が考えたのは三つでそれはさらに二つの方向性に大別できた。
・「スク水といえば○○先生」みたいな感じのイメージが形成され読者の記憶に残ることを狙ってる。
・その属性を描くのが一番得意で評価が高くなるものを描けると思ってるあるいは生産性が上がるから。
単に自分がその属性が好き。読者に属性を押し付けてでも立場を乱用してでもその属性を描きたいから。
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実際どういう理由が多いんだろうね。
、TSF、異類婚姻譚などなどあるがとにかく何でもいい。私は人の恋愛模様をひたすら見ていたいのだ。それも特にイチャイチャ度数高めだとかなり助かる。
適度なイチャイチャでも、終わり方がハッピーな明るい雰囲気で終わってくれるのも好きだ。
みんなそんなオススメの作品を教えてくれ。ドメジャーな作品ですら見たことないような増田だ。遠慮なく教えてほしい。
とにかく恋愛小説というものにはからっきし縁がなくて、昔の文学小説ばかり読み漁るという自分の読みたいジャンルの本ばかり見てたらこんなザマになっちゃったよ。
とにかく基本的には漫画が多いのだが時折ツイッターで流れてくる恋愛模様を描いた作品にとにかく癒やされて興奮して何か満足感のようなものに満たされる。
>女の体に興奮してるだけなのを萌えるシチュみたいな扱いしてるのがキモいし
心は男なのに親友に興奮されて、内心キモいと思いつつ「しょうがないなぁ」ってヤラせて上げてるTSF側に萌えてるんだよ。
女体化した途端男好きになるシチュが嫌いなのは同意。女の身体の快感を覚え込まさせる描写は絶対に欲しい。同人誌といえども段階は踏むべき。
トランスジェンダーがそれがMtFにしろFtMにしろ、肉体的性とは異なる性を選択した際、ジェンダー議論の中で定義されるステレオタイプ的な振る舞いを好む/忌避し自らの社会的性を確立しようとしたとして、それは性別二元論批判と対立するか?
例えばMtFが化粧をし、ハイヒールを履き、スカートを好み、それが社会的に女性として扱われるためだとしたら?
トランス(やX・Qジェンダー)の幼少の体験としても、男の子のおもちゃ、女の子のアニメといった言葉は見られる。社会的性の選択と社会に構築された性観念は密接で、それに則り社会的性を構築するのは当然のことでもある。しかしてそれは既存の性観念(性規範と言っても良いかもしれない)を積極的に肯定することになるのか?
そもそも、選択をする時点で社会的性差を一定以上認めているのではないか?性差がないと考えるのであれば、性規範のみを批判すれば事足りるのではないか?
自身を内的に肉体的性と異なる性を持つと思うだけでは満たされず、社会的承認を以って初めて社会的性の構築と捉えるのであれば、何らかの見本が必要であり、それがジェンダーステレオタイプであり、社会的な性差なのではないか?例えば#kutooのようなジェンダーステレオタイプの押し付けを批判する概念と折り合いをつけることはできるのか?
ステレオタイプが完全に破壊され、誰しもが自分のしたいように自由に振る舞える時、個々人の肉体的性との不和は本当に解消されるのか?誰もが社会的に認められるとして、そこに各社会的性の承認はあるのか?そもそも不和が生じるのか?
そこにあるのはMaleでもFemaleでもなくただの個人で、それ以上でもそれ以下にもならず、究極的には社会的性が失われるのではないか?これは男女共同参画に対するバックラッシュの中で論じられた「中性人間」と通じるかもしれないが、ミソジニーに基づく政治的な主張などではなく、社会的性の存在に関する純粋な疑問であると自負している。
性的嗜好とも関連する。男性という性自認(=ジェンダーアイデンティティ)の下、男性という性自認をする人を嗜好することと、オス(=セックス)がオスを嗜好することは異なることである。
性自認が男性でも肉体的にはメスで、性転換手術を受けていないかもしれないし、そのオスの性自認は女性かもしれない。これらもやはり社会的性に関わるが、社会的性無しに線引きできるのか?
ステレオタイプ的に振る舞う個人が悪なのではなくそれが肉体的性を理由に押し付けられ、個人の自己実現が抑制されることが問題と見做すとしても、ではステレオタイプから大きく逸脱する振る舞いを採る人間は承認されるのか?外見上オスに見え、性転換手術も行っていないが性自認は女性のレズビアンと主張する人物を我々はどこまで信じられるのか?
フェミニズムも一枚岩じゃない。出発は政治・社会における男女の力の不均衡であるが、その後の歴史展開の中でホモフォビアや性別二元論への考え方などにおいて分類ができる。上述した#kutooも決して全体の思想ではない。「ジェンダー」というフレーズはフェミニズムの中でも用いられる語句だが、その多義性から一部のフェミニズムと一部のジェンダー概念って場合によってはとんでもなく対立しうるのではないか?
もちろんこの増田は同人に関しての話だと思うからそっちに絞るけど
最近は紙媒体なら「NTR」とか「TSF」とか「リョナ」とかアイコンで表示されるようになってきたね
勿論書いてなかったり、電子だとタグ付けが不十分だったりってのもあるけど
やっぱり学級会にあげられることってなかったと思う。
とにかく「隠れないと叩かれる」みたいな意識があってその延長線上+SNSバブルによる同調意識の強化な気がする。その割に学級会でクッソ目立ってるけど
昔はカプごちゃまぜアンソロとか普通だったのでなんで今こんなに細分化して争ってるのかはよくわからない。気にする人がいるなら配慮しましょうでどんどん細分化したのかな
狭くてもいいからその中では自由にできる空間を作るために壁をいっぱい作っててそれを邪魔されたり壊されたりすると怒る感じ?完璧な棲み分けなんてできないのにそれを目指してるのかなと思う
「検索よけしろ」であり「この世界からなくなれ」ではないところが寛容と言えなくもないのかな……?という気も時々するがよくわからない
男のオタクはなんでも許容できるのだろうか、っていうと主語がでかいけど実際男性オタク界隈で何か問題があった際の対応事例があれば見たい
Windows 10の時代に日本語入力に使っているATOKなどのソフトウェアはIMEでもFEPでもなくTIPと呼ぶのが正しいらしい。でもほとんど使われていない。
テキストインプットプロセッサの略で、従来のIME(インプットメソッドエディタ)との違いはIMEがIMM32 API(インプットメソッドマネージャーAPI)を使うのに対し、TIPはTSF(テキストサービスフレームワーク)を利用する。
これはWindows XP以降標準で採用されるようになった。Windows 8以降に現れたストアアプリではTIPを使わないと日本語入力ができない。
https://docs.microsoft.com/ja-jp/windows/win32/tsf/text-services-framework
"Text Input Processor"の名称が使われているドキュメントは多くなく、これくらい
ITfInputScope2 interface
https://docs.microsoft.com/ja-jp/windows/win32/api/inputscope/nn-inputscope-itfinputscope2
基本的には「半年に1回くらい読み直したくなるページ」をブックマークするのが多い。言論には加わるつもり全くなし。スターも基本付けてない。
じゃあある程度ジャンル別に分けたから以下どうぞ。当然俺しかブクマ付けてないのでニッチなもの多数。
一つの記事に全部入れると反映されないみたいだから、3つに分けた。
みんなも自分しかブクマしてない良ページ挙げよう。俺も挙げたんだからさ。
バランスポリシー あるいはTSFが持つ暴力性に対する一考察 - 送りバントブログ
…俺もバランスポリシーはTSFの最高傑作だと思ってる。秘密基地に行く回とか、すごく好き。
佐藤太志 - 全ジャンル主人公最強議論スレまとめ@wiki - アットウィキ
…俺達のデブジさん。真面目に強さ議論してるレスで笑う。「催眠術使ってイケメンからヒロイン寝取りたい……せや!イケメンに催眠かけて心を女にしてイチャイチャしたろ!」という発想は未来に生きてる。
【咲-Saki-】 県予選 決勝 清澄(長野)vs龍門渕(長野)vs鶴賀学園高等部(長野)vs風越女子(長野) 得点収支MEMO
…数字だけで見ても楽しめる咲-Saki-県予選決勝。むしろ数字だけにしたことで「ここまでヤバかったのか……」ってキャラが結構いることに気づく。
nerdy World order キルミーベイベーの魅力~初級の続き・アニメの魅力編~
…前後の記事はそこそこブクマされてるけど、俺はこの記事が一番好き。「アニメには原作にはなかった「時間の流れ」が生まれている」という指摘には唸らされる。
勝手に読書伝説Vol.14 久住昌之・水沢悦子インタビュー&『花のズボラ飯』ガイド | ひかりTVブック
…久住昌之と水沢悦子のインタビュー。2ページ目以降の水沢悦子パートが男らしくて好き。「ダメ出しをされるたびに「うるせえ、このアマ!」とか「細けえんだよ小娘!」とか本当によく思ったものです。」
【4月1日追記】「進化の可能性感じた」“ポケモン”イーブイが新日本プロレス入団!デビューはEVIL(イービル)戦 | 新日本プロレスリング
…イーブイが新日本プロレスに入団するエイプリルフール記事。かわいい。退団の経緯好き。
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R23JUKGU13V8TP
…ウイニングポスト9のAmazonレビュー。面白い上にレビューとしても要点が伝わってわかりやすい。俺の中でのオールタイムベストレビュー1位。
世の中には誰でも知っている物語をこんな風に汚れた目で見ている奴もいる。
物心付いた頃から、世の中に存在する数多くの人魚姫の絵本に対して、言いようのない困惑を抱いていた。
人魚姫、それは様々な子ども向けの読み物の中で唯一、女主人公が読者の目に全裸を晒す場面のある物語だった。
幼少期の俺にとって、魚の尾鰭が人間の女の下半身にすげ替わった直後の人魚姫の描写は、あまりにも衝撃的だった。
人魚達には人間のように、動きにくい服で生身の体を覆い隠す文化がない。
ほとんど生まれたままの体に装飾品をつけ、自由自在に海の世界を泳いでいる。
しかし、直前のページまで「人間ではない空想上の生き物」として許されていた人魚姫の姿は、人間の下半身と接続した途端、突然「子どもが見てはいけない生々しいもの」に変質する。
人魚姫が人間になろうとして、何もわからないまま「なり損ねた」ぶざまで痛ましい姿が、あの裸身なのではないかと俺は考える。
実際、アンデルセンによる原作には、王子に姿を見られた人魚姫は、自分が何も身につけず裸であることに後から気づき、慌てて長い髪で体を覆い隠したという描写がある。
この恥じらいの描写は、人魚姫が目を覚ますまで、無言でその場に突っ立って彼女の姿を眺めていた王子の態度と併せて考えると、両者の間にいたたまれなくなるほど明確で圧倒的な力関係が最初からあることを示しているように思える。
特に海外の絵本の挿絵にその傾向があるが、高貴な衣装で身を固めた王子が、恥ずかしそうな表情と共に髪や海藻で乳房や下腹部を隠している裸の人魚姫を見下ろしている構図は、見ていて心の奥がザワザワするほど暴力的だ。
かつて王子の命を救った尾鰭を自ら手放した今、高貴な人魚の姫はもはや空想上の美しい生き物などではなく、恥や罪や裏切りや支配のある人間世界の一員、何も身を守るもののないか弱い全裸の小娘に堕ちてしまった。
人魚姫の絵本で初めてオナニーを覚えてしまった幼少期から、こんなことを数十年間悶々と考え続けている。
正直恥じらいの描写だけではなく、人間の枠に収まるべきじゃなかった存在が、無理矢理人間に変身させられてしまう理不尽さ自体が性癖なんだと思う。
10代の頃から、ネット上で見つかる限り、世界中の人魚姫の絵本の画像を保存している。特に人魚姫が人間に変身した直後の場面の挿絵を執拗に集め続けた。
動画サイトに上げられている、この童話をモチーフにした国内外のアニメ作品(プロアマ問わず)のスクショもそこには含まれている。
この物語が時代や地域を超え、世界中の人に愛されている証拠だ。
去年、最近の人魚姫の絵本が萌え絵に寄ってきているとか、そもそも30年前から書店で売られている定番の絵本の画家は当時活躍していた有名なアニメーターだとか、そんな議論がネットの一部界隈を騒がせた。
俺にとっては今更な話だ。
子ども向け絵本に相応しい絵柄というものは時代によって変わるのだとか、特定の画風や表現に目くじらを立てる大人の方が歪んでいるのだとか、どちらも冷静で健全な意見だと思うが、上記の葛藤を長年抱えている俺個人にとっては疎外感しか湧かない。
絵柄がどうであろうと、この世で作品として表現された多くの人魚姫に対して、俺は欲情するし、ポルノのように見なしてしまう事実がある。
絵本を生み出し子どもに届けることを職とする人々には、こんな読者がいることを心から申し訳なく思う。
しかし、原作の内容からして、やはり人魚姫は初めから人の心の後ろめたい部分を刺激する歪さを含んだ物語だったのではないだろうか。
人間への変身を遂げた直後の人魚姫の肢体を、露わに描くことの是非は正直わからない。
わざと扇情的に描くこともないんじゃないかと思う。そんなことをするせいで俺のような変な人間が出てしまう。
あくまで自分の体感だが、実は2010年前後から、子ども向けの読み物における人魚姫の挿絵の表現に変化が現れつつある。
2010年代(ゼロ年代からそうだったかもしれない)の人魚姫達は、痛ましい裸体を王子や読者の目に晒すことが前よりも少なくなった。
浜辺に倒れて気を失っている人魚姫は、何も着ていないのではなく、鱗が変化したと思われる可憐なドレスを予め身に纏って描かれるパターンが増えている。
俺は正直、その傾向にものすごく安堵している。
もう欲情しなくて済むし、後ろめたさを感じなくてもいい。
そうすれば人魚姫の清純さ、可憐さ、儚さ、気品は十全に表現される。
さっきまで被服の概念のない無垢な世界で生きていたせいで、自分を愛さない男の目に一糸纏わぬ裸体を晒す、愚かで無知な少女はいない。
俺は間違いなく、おそらく意図的にこんな理不尽で無垢で蠱惑な物語を歴史に残したアンデルセンを、良くも悪くも一生恨み続けることだろう。
追記:
向こう見ずで愚かな少女の憧れが、最後に宗教的に高尚な愛と犠牲の境地に昇華していく話だというのは理解しているんだけど、なんかそこに至るまでの過程に、清純になりきれないエグみやエロさが含まれているような気がする。
個々の絵本やアニメのような派生作品には、言いづらいけどオカズを探してたはずなのに純粋に芸術性の高さに圧倒されてしまうような素晴らしいものも多い。特に東欧の絵本とかすごい。
どちらかといえばアンデルセンだけじゃなくて、数年周期でよくネットで「人魚姫の絵本がエロい」と騒がれる絵(30年前からおそらく今に至るまで日本で1番手に入りやすい人魚姫の絵本が出典)を描いた高橋信也さんにも複雑な気持ちを抱いている。
エロ目的で描かれたものじゃなく、社会で広く受容されているし文化的にも高い評価を受けている作品を幼少期からずっとオカズにしていることは、とてもじゃないがこの先なかなか打ち明ける場がないだろうと思ったので、一度言葉にしてみたかった。
これを投稿して16時間後の今、「王様の耳はロバの耳」の床屋のような気分でいる。肩の荷が降りた感じだ。
訂正すると、画像が2000枚あると書いたのは多少不正確だった。
人魚姫関係以外の非三次元のオカズ(MtFのTSFとか)も合わせてまとめたフォルダの画像の総数が2500枚程度だった。
実際にあの場面の画像を今まで確認・収集できている人魚姫派生作品の数は、300前後になる。1作品から複数の画像を保存する場合が多いのでこうなるんだろうな。
基本的に俺は変身前の人魚姫の姿で抜くことができず、本当にピンポイントで人間になった直後のあの場面だけに欲情してしまう。なので人魚の姿での画像は集めていない。
加えて、子ども向けとはいえ裸の少女が描かれている微妙な場面の画像が、人魚の姿での明るい表紙絵や、華やかなドレスを纏った終盤のシリアスな場面の挿絵に先んじてわざわざネットに上がる頻度は、やはり少ないと言っていいだろう。
こんな目的意識を持ってネットの海を長年徘徊していると、海外の人魚姫好きが日本の東映が昔作った長編アニメ映画とディズニー版を比較したレビューを書いていたり、ディズニー版はディズニー版で色々な(俺のようにおそらく性の目覚めを奪われてしまったのだろう人間を含めて)ファンがいたり、ニコ動のボカロ曲がアンデルセンの原作通りの筋書きを教えてくれる作品としてyoutubeの投稿者の間で何年も根強い人気を持っていたり、simで人魚姫の物語を再現する動画投稿者が定期的に現れたり、各国で様々な人魚姫が作られている様子がわかったりと、とにかく色々な受容のされ方を目にする。
そこで起きている現象を自分しか知らないままでいるのは何となく惜しいような気がするので、具体的にこの派生作品のここがエロいと感じてしまうという懺悔を含めて、ろくなものにならないだろうが雑な考察をまたいずれ投稿するのもありかもなと考えている。
4/18 再々追記:
ブコメの中に池田浩彰さんの名前が挙げられていたので回答します。
あの本は確か残念ながら絶版になっていたはずだけど、小学生の頃に図書館で見た時はかなり動揺した。
人魚のデザイン(知らなければ画家の名前でググってほしい)もそうなんだけど、画風の美麗さといい、しっとりと柔らかそうな人体描写といい、一度見たら忘れられないような印象の強さがある。唯一無二。普通に絵画として好きだけど、色々な気持ちになる。
この投稿を読んで実際どんな派生作品があるのか調べてみたくなったというブコメもいくつか見かけるけど、個人的には「little mermaid andersen」とか「人魚姫 絵本」とかに色々な単語(legsとか裸とか)を加えながら、グーグルやyoutube、あとピンタレストでもずっと黙々と検索していた。
英語もいいけど、youtubeだとフランス語やスペイン語、あとイタリア語とかで「人魚姫」を意味する言葉を検索しないと辿り着けない動画も色々ある。正直その辺の検索ワードはウィキペディアの人魚姫の記事の各国語版を参照しながら、読めなくてもスペルがそれっぽい単語を勘で拾って打ち込んだりしていた。
いつのまにか性癖の話は脇に置いてでも、一つの童話に対してあれほど多様で豊富な派生作品が存在する様子を誰かに知ってほしい気持ちが湧いてきた。
実際に集めた画像を見てみたいというコメントもあるけど、しかし、その多くはそもそもエロ目的なんかじゃなく純粋な作品紹介のためにネットに上げられたものが大半なんだ。
匿名にかこつけて性癖の話をぶちまけます。扱う話が話なので、不快に感じた瞬間に読むのやめた方がいいです。
皆さんは知ってますかね、『TSF』っていう性癖。正式名称は『Trans Sexual Fiction』といいます。数年前に比べれば知名度も上がり、耳にしたことくらいはある人も居るんじゃないでしょうか。
最近(といってもニ年前のことですが)流行った作品の中では『君の名は。』などが該当作品に当たります。要は読んで字の如く、フィクションの性転換モノって意味です。
「えっ、TSと何が違うの?」って方も居るでしょう。分かります。『らんま』とかのアレでしょ? みたいな。若干違います。
この辺りは暗黙の住み分けがされているだけで、明確な基準は無いように思うのですが、TSは自分→自分の性転換で、TSFは自分→他者の性転換の作品にタグ付けされることが多いです。その中でも入れ替わり、憑依、他者変身、皮モノ、脳移植などにジャンルが分けられます。
入れ替わりは皆さん何かしらの創作で触れたことがあるでしょう。ここでは男女間の肉体の入れ替わりを指します。
憑依は、男性が幽体離脱をして女性の肉体に取り憑いて、肉体の主導権を得ます。当然、逆のパターンも存在します。フィクション様様ですね。この時、乗っ取られている身体の持ち主は意識の消えているものが多いです。その状態でR-18な行為に及ぶわけです。基本的にめちゃくちゃやります。自分の身体じゃないですから。昨今、女性の権利問題で騒がしい世の中、見る人が見れば烈火の如く怒りそうですね。
他者変身はポケモンのメタモンとかを想像してください。ちなみにメタモンは他者変身界のレジェンドです。敬ってください。
皮モノは異性を皮にして着ます。凄い発想だ。
長い説明も終わって、ここからが本題です。一つだけ説明が長いのありますよね。憑依の項目です。
私は基本的にTSFでしか興奮できない性質でした(過去形の理由は後述します)。特に憑依が一番好きです。異性の肉体を合意なく略奪し、自分のモノにしちゃうという背徳感。元の肉体との差異が大きければ大きいほど興奮してしまいます。何を言ってるんだと思われるかもしれませんが、私だってこんなこと書きたくありません。ただ説明に必須なんです。決して性癖を晒すタイプの自慰とかではないです。
そして憑依の設定に多い要素として「乗っ取った肉体の記憶を読みとれる」というものがあります。もし仮に憑依が実在していたら、もう世界は終わってそうですね。なんでもアリじゃん。話は若干逸れますが、憑依が存在する世界の割りにはカウンター役である正義の霊能力者などは存在しないことが多いです。幽体離脱はある世界なのにね。フィクションだから作者の匙加減です。
それでその「記憶を読みとる能力」を使って本人に成りすましたりする描写があるともう背徳感でお腹いっぱいです。満足度10000000億万パワー。背徳感だけで城建つ。
しかしここで疑問が浮かびます。何故それらで興奮するんでしょうか?
一人称の語り手がTSF的性転換をする作品も好きなのですが、他者がTSF的性転換をする作品も好きです。そしてどちらにしても、性交相手の精神は男です(肉体百合のパターンもありますがここでは話題に挙げません)。男×男が主流です。精神BLです。頭の中であの刃牙のキャラクターが「ホモなのでは?」って指くるくるさせてます。俺の頭から出ていけ。
でも語り手が女体化する作品も好きってことは、その語り手に共感を抱いて興奮を覚えている訳です。おそらく、というか確実に強烈な変身願望と女体化願望が存在します。性自認を間違えている可能性も出てきました。何かのはずみでタイに行って玉取っちゃうかもしれません。現状、そんな気はありませんが。
もう不安になってきて、性癖を知られている友人に「俺あのコラ画像が言ってた通りホモなのかな」と真剣な顔で相談したりもしました。こう文字にすると相談内容ヤバいな。
そんな悩みを抱えながら毎日生活していたのですが、ある日、一つの発見がありました。
「あれ? 女性同士の入れ替わりでも興奮する…………」
世紀の大発見でした。ここに来ての意外な展開!!!!!!! TSF以外の性癖を発見!!!!!!! いや、別に意外ではないか。意外ではないな。すいません。
ここでも差異が大きければ大きいほど興奮します。基本的に貧乳と巨乳が入れ替わってほしいし、身長差や年齢差はあればあるほど良い。ありすぎると嫌ですけど。
でも、そうなってくるといよいよ分かりません。"性別の異なる他者の肉体になる"ことで興奮してると思ってた訳です。もしかして違う肉体になる描写さえあれば、何でも良いのか? そう思った私は男同士の入れ替わりモノを見ました。ノンピク(ノーチンコピクリの略です)でした。感情が何も湧いてこなかった。
男性の肉体が好きという訳では無さそうです。同時に、自分が好きなのは女性の肉体だけだという可能性が浮上してきました。しかも変身願望が強い。とんでもないな。
例えばほら、憑依って肉体の持ち主への性交渉は無く、勝手に性的な行為を行う訳じゃないですか。そんなのほぼ形を変えたレイプでしょ。いや、フィクションに何言ってんだって話なんですけどね。要は肉体しか見てないんじゃないのって話です。
もしかしたら今はTSFという性癖に落としこまれているだけで、本当はもっと恐ろしい真の性癖が潜んでいるのかもしれません。プラトニック・ラブの欠片も無いような、現実で行動すれば即タイーホ案件の性癖が。それが恐ろしいです。だいぶ妄想入ってますけど可能性はあると思います。自分にはもう女性と話す権利なんて無いようにも思えてきました。
私は何に興奮してるんでしょう。肉体が変化する登場人物に感情移入して興奮している? 肉体を支配する行為に興奮している? 女性の精神性より男性の精神性が好き? もっと酷い性癖が潜んでいるかもしれない? 性行為の際、相手の精神は無視しても構わないと思ってる?
そんなキモいアキネーターみたいな自問自答をしています。「部分的にそう」か「分からない」を選ぶしかありません。トホホ。
特にオチなく終わりです。ずっと考えてたことを吐き出せてスッキリしました。
※追記
『「憑依した女の体で乱交して父親不明の子を妊娠させてその子の人生を壊す」って興奮する?それはさすがに可哀想?』
なんでこんな可哀想な話を書くんだ……クソッ! って思いながら興奮してしまいます。裸のまま外に出るやつとかも好き。あれ? 露出癖も潜んでる可能性あります?
『元の肉体の持ち主(女性)の屈辱を感じる精神描写とかは必要ないの?あと、エロコンテンツによくあるやつ女性が嫌なのに感じちゃう!悔ビク!とかそういうのじゃ駄目なの?』
必要ないし、駄目ですね。憑依の場合は、元の意識が残ってると若干萎えます。自分が気持ちよくなりたいだけなのかもしれません。自己愛も強いのか?
破壊衝動や支配欲が強い、というのはあるかもしれません。言われるまで気付きませんでした。それが変な形で表出して、ニュースとかになったら嫌ですね(他人事)。