「天変地異」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 天変地異とは

2021-08-19

なんか数字インパクト実数釣り合わない。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/data-all/

2020年の全国に緊急事態宣言を出した時の感染者は576人

今日現在感染23,000人

なんか色々意見だったり立場かめーーーっちゃいっぱいあると思うんだけどとりあえず

そういったのを全てひっくるめて

なんでやねん!!!

と言いたい。関西人では無い。

まず、500人ぐらいの時に「国家存続の危機じゃ!」ぐらいのノリで急にだされた緊急事態宣言

現在20000人オーバー出してて、自分の住んでるエリアも明らかに1日の感染者数がモリモリ上がってきている段階で

「とりあえずマンボウで!」ってな感じな事に違和感

別に自分は「緊急事態宣言」を出せ!と声を荒げるそうではないんだけど、普通に数字インパクトで言ったら今緊急事態宣言だろ?!


自分の業種はちょいと特殊で、いつでもテレワークやっていい・できる仕事なのに

お上が停止しない限りテレワークという判断が出来ない業種なんだよ。

※上の人間が「お上のせい」にしないとテレワークと言えないっていう責任感のなさもあるけどね。

というわけで、昨年の時の数倍も一日に感染者が出てて、リアル危機感感じるのに

マンボウッ!!」ってな具合で普通に出社してる。

あと、もう一つの違和感は「医療崩壊」っていうワードについて。

入院受け入れ先が見つからず、若い母親が亡くなって…っていうニュースは本当に気が滅入る。医療施設がやばくなるっていうのは本当にそうなんだと思う。

なんだけど

昨年の緊急事態宣言の時から言ってた「医療崩壊」と今の「医療崩壊」はどんぐらいなんだよっていう。

数字インパクトで言うなら

日/500人で医療崩壊ならば

日/20,000人の医療崩壊はもうそれは天変地異級だろ。

でもテレビでもネットでも何かしらのメディアは「このままでは医療崩壊が本当に起きる」をずっと言い続けている。


どっちなんだぃ!ってなる。きんにくん。

ワクチンを打ったか感染しないわけではない、重症化しないだけだっていうのは分かったんだけど

ワクチンがあってもこんだけ数字的にインパクトあるなら、ワクチンってなによ。

これも自分が反ワクチンって事では無い。すでに1回打ってる。逆に反ワクチンのヤツの方がイレギュラーだと思ってる。

でもこの数字インパクトと、実情の乖離みたいなのが本当にしっくりこない。ワクチンってなんやねん。

近親者に早期に打ってもらいたいんだが、接種後の妊娠への影響とかが怖いとってなかなか受けてくれない。

受けてほしいんだけど、自分自信もワクチンっていう謎のもの絶対打て!とは強く言えないかまごまご

2021-08-13

天変地異みたいな狂騒にも慣れてきたよな

こんな日常平和と見間違ってしま

2021-08-01

気絶中の記憶こと夢です、

かつて人類と言われていた種が極めて稀有存在となった事に気がつかず、団子などを食らってのほほんと過ごしていた我々に人類あぶり出し駆逐する為に造られた天変地異が襲いかかる、激しく揺れる大地にできた亀裂が我々団子の兄姉妹弟を分かつ、我々がきゃつらを討つ日まで、「まずは自分の身を護り息長らえること」と圧制迫害を逃れるのに水の中は都合がよかった、不思議なことに日々過ごす内に私の体は水中での生活能力を獲得した、どれ位の時が経ったのだろう、旧時代の遺構を水中から見物する私に地上から付きまとう子ども達が私に声をかける、「よう、久しぶり」、再開した兄姉妹弟は時の高校生へとその姿を変容していたのだ、驚くべき事に地上へと戻った私も同様の外見を獲得し水生の機能は退化しつつある、討つべき敵も我々がこんな姿となっていては我々の事には気が付くまい、しかしながら我々は致命的な事に気が付いてしまった、我々が討つべき敵は戦うべき敵は一体なんであったのか、我々はそれをきれいさっぱり忘れてしまっていたのだ、否忘れたのではない、そもそもこの姿でなんの問題もなく過ごせてしまっている以上何事かをする必要もない、我々はひとまず日常を過ごすこととして団子などを食らっている、

仕事から帰り惣菜を貪り気絶をしていたら以上の夢を見て凍えておきました、もう一度寝ます

2021-07-29

anond:20210729162326

さっきから何かと例えが下手な意見が目立つんだが同じ人か?

漁業が成り立たなくなるぐらいに海が干上がる天変地異なんて起こったらたぶん人類滅亡に近いシナリオになってるから全く例えとしておかしい。

海の例えでいうと、「最近ここの海では一部の魚に寄生虫があるせいで人が病気になってる」という状態の方が近く、そこで「医療科学を使ってその検知や治療をしていこう」と考えるか「じゃーもう一生我々は魚は食べるのやめよう、海水浴という文化も完全になくそう」と考えるかの違い。

2021-07-21

ルックバックと反対の作品「も」生まれてほしいな

第一印象では「気持ちはわかる。が、私はここまで自分事件京アニ放火事件)に加担してないと割り切ることができない」と思った。

私は美術を専門として学んだこともあるし絵や漫画も描いていた。ファイアパンチは読んだけどチェンソーマンは読んだことない。藤本先生のことはあまり知らない。

ルックバックがどれくらい京アニ放火事件に向けて描かれているのかはわからない。でも内容、公開日からして意識せずにはいられない。

素晴らしい作品を生み出した人たち、これから生み出す人たちが失われたことへの驚きや悲しみややるせなさはわかる。怒りも。

世代的にオタク市民権がなかった時代も生きてきたし、オタクであるクリエイターであるというだけで連帯感がある感覚もわかる。

ただ、事件があまりにも天災事故のように表現されているなと思った。まるで事件が起きたことは自分たちとは全く関係ないと思っているのかと思った。

京アニ放火事件犯人事件病院治療してくれる人たちの優しさを感じている、といった報道がされていたと思う。その優しさを、人の温もりを、事件前に少しでも彼が感じていたら、あの悲しい事件は起きなかったのではないか。彼を孤立させ追い詰める社会を作ったのは我々に他ならない。

放火事件殺人事件テロ行為も、加害者突然変異バグなんかじゃない。私たちの一部だ。起きる前も起きた後も私たちは関わり続けているし、少しでも違う社会だったら食い止められたかもしれない事件だ。逆に私だっていつ「あっち側」になるか分からない。そのぐらい紙一重だと思っている。

だってそう思わないと救いがないじゃないか天変地異のように、地震のように、いつ来るかわからない暴力に怯えるしかなくなってしまう。それよりは我々の努力次第で無くせた、無くせる事件だと思いたい。

そりゃ目の前で声かけられたか?お前に救いの手を差し伸べられたか?と問われたら言葉に詰まるよ。でも目を逸らしちゃいけないだろ。個人じゃできない社会問題解決するのが政治福祉役割だろ。その主権を握ってるのは私たちだろ。

犯人のことを擁護しているわけではない。罪は罪だし、怒りは感じるし、罰を受けてほしいと思う。犯罪としては情状酌量余地なんてない。でもどうにかして反省して人生を立て直してほしいとも思う。被害者や遺族からしたら理解できないかもしれないけど、私はそういう社会であってほしい。

ルックバックのような受け取り方が、あの事件について考える時の救いになる人たちもいるんだと思う。そこは否定しない。

でも加害者立場に立ったとき、あの漫画を読んだらきっと追い詰められるだろう。社会に行き場がないと感じるだろう。

ルックバックを不適切だと断罪するつもりはない。たくさんの複雑で大事感情が描かれた素晴らしい作品だ。

ただ願わくば、少しでも加害者側の視点や寄り添う気持ちがある作品も生まれてほしい。自分を含めたいつかそっちに行ってしまうかもしれない人たちに、希望や、立ち止まるキッカケになるかもしれない作品も生まれてほしい。そういう思想多様性文化社会を豊かにしてくれるんだと思う。

そしてそれを生み出すのがこの漫画を読んだ人なのだとしたら、やはりルックバックは素晴らしい漫画なんだと思う。

2021-06-04

anond:20210604123111

まぁ天変地異まで喰らってるから多少のことは目を瞑ってくれるやろ

2021-05-22

「他の動物でも同性愛はある!」を根拠にしてヒトの同性愛肯定するのもキモいけど(他の生物根拠にしなくてもそこに存在している以上肯定されるから)、

一方で「種の保存」も気持ち悪いな…と思う

そんなこと考えて子供産んでる人いるか

種の保存は「子供産めない男も女もそこにいる」という多様性の上で成り立つというか

もちろんその人たちは子孫繁栄に貢献できない一代限りの存在ではあるけれど、今生まれ子供が30年後に子供を産むかはわからないし、一代も二代も変わらない

コロナ禍で引きこもり好きだった人が適応しているように、天変地異明日起こった時「一代限りでも」生きていられる多様な個性がその時揃っていることが大事なのであって

未来のこと考えてるやつなんかいない気がする

2021-05-11

天変地異自分に降り掛からなきゃ娯楽じゃろ

ニュースで数分見てほぇーすごいなぁって終わり

2021-04-21

anond:20210420175545

お墓は残された人が亡くなった人を思い出すためのアイテムなんだよ。一定時間その人だけのことをじっと考えるのは何もないと難しい。

から仏壇や位牌でもいいけど、火事引っ越しで紛失しないように、天変地異で破損したりしないように素材、サイズ、立地がああなった。

本体は壊れにくいけど、汚れや雑草などのメンテ必要なのも死者のために何かしたいという欲求を満たせるし、その作業もちょうどいい難易度になっている。

2021-03-03

anond:20210303122246

天変地異は助けるけど氷河期世代は見捨てますじゃあキレる人はキレるよなとは思うな

anond:20210303120052

コロナという天変地異が無ければ本来稼げた分を補填してるんだから不公平ではないんじゃない?

年収300万の人が本来500万円稼げるだけの仕事をしていたとしても、それはコロナや(最低賃金が守られているなら)行政関係なくてどこかが補填すべき話でもなくて、労働組合が取り組むべき問題からな。

2021-02-26

Googleさんと戦うと、天変地異がおきるから嫌なんだよ。

穏便にいこうよ

コークスクリューで吹き飛ばされるのは、いいかんげんしてほしい。(反省はしていない)

anond:20210226085500

天変地異が起こって母子が閉じ込められたら数日はなんとか無事に生存できそうやな

ママさんたちも缶ミルクカロリー補給してもらおうやで

2021-01-28

オリンピック契約書に不可抗力免責の記載がないと話題になってたけど

よく考えたら弊社が請けてる業務委託契約も同様ではないかと思って見直したらやっぱりそうだった。

こりゃ他人を笑えない。

疫病や戦争天変地異が原因で納品できなくなる可能性はゼロではないのだから、次からちゃん記載してもらうようにしよう。ついでに振込手数料を引いて振り込んでくるクソ客対策もしよう。

2021-01-23

X日後に死ぬ

◎前置き

X日後に死ぬことが分かっているとしたら、僕は残された日々をどう過ごすだろうか。

いくつかの仮定を置いたうえで思いついたことを書き連ねてみる。

・X日後に死ぬことは確実であり、僕はその事実を受け入れている

 この前提がなければ、僕は何とか生き延びる手段を探すだけで、残りの時間を使い切ってしまうかもしれない。

死ぬのは僕だけである仮定しよう。

 何か災害天変地異で多くの人が死ぬわけではないということだ。僕以外の人々や環境は、僕の死以外は何一つ変わらず日々が続く。そのため、他の人を救うために時間を費やす必要もない。

 この2つの前提を置くことで、僕は残りの時間純粋自分が満足するためだけに使うと想定する。

◎1日後に死ぬ

 平日なら、仕事を休まなくてはならない。仮に大事仕事があったとしても、何かと理由をつけて休むだろう。残念ながら、僕にとって今の仕事は、24時間しか残されていない状況で時間を割くには及ばない。事情説明して別れを惜しむほど、会社の面々とは親しくない。みな僕の死を知ったら驚くだろうと思いながら、事務的部長有休申請を行うまでだ。

 明日死ぬと思って毎日を生きよう、そんな格言を聞いたことがある。そう思うことで、本当に望むことに取り組むことができるという意味だそうだ。しかし、本当に1日しか残っていないとしたら?できることはあまりに少ない。選択肢はとてつもなく刹那的になってしまいそうだ。僕には好きな友人や家族はいるが、特別日々を一緒に過ごす類のパートナーはいない。仮に恋人や妻がいれば、最後の1日を普通に過ごして見送ってもらうだけで終わるかもしれない。だが、そんな相手はいない以上、個人的に満足に過ごす方法を考える必要がある。

 僕はきっと24時間を一人で過ごすだろう。もうすぐ死ぬことが分かったうえで、友人を呼びつけて一緒に過ごしてもらう気まずさには耐えられそうにない。両親との関係は悪くないが、この状況では会うには気が引ける。そんなことができる距離感相手なんて、それこそ恋人か妻か子供ぐらいしかいないのではないか。残念ながらそんな相手はいない。誰かに電話くらいはするかもしれない。でも、友人には普段電話などしないので、何か問題ごとでもあるのかと勘繰られてしまいそうだ。何かの用事にかこつけて、母親の声でも聞ければそれで十分だろう。

 最後の1日を刹那的快楽のために使うか、何か意味のあることに使うか、悩むところだ。刹那的快楽を得るならば、とにかく美味しいものを食べるとか、綺麗な景色を見るとか、性欲を満たすとか、そんな過ごし方になるだろう。できるなら最後食事は美味しいものが食べたい、でも一人で食べるなら何でも一緒に感じてしまう気もする。そもそも残り時間を考えれば、栄養にもならない食事時間と労力を割くのはもったいない食事に限らず、もう何も思い残すことがないと思えるほどの快楽なんてあるのだろうか?どんなに刹那的快楽を満たしたとしても、最期の1分1秒には、どこか虚しい気持ちになってしまうのでは?

 そうだとしたら、死ぬ瞬間に満たされた気分になる1日の使い方とはなんだろうか。やはり「善いことをした」「この世界に良い影響を残した」と思うことで、自らの人生肯定できるようになることではないか。残念ながら、僕が仮にこの文章を書いている今この瞬間に死ぬとして、僕は何かこの世界のために役に立ったのかと問われると、自信をもってイエスとは言えない。たいして他人迷惑をかけずに生きているという自負はある。しかし、周囲との干渉が少ない故、特別人助けをしているわけでもない。仕事だって給料に見合う働きを提供するだけの等価交換で、社会に対してプラスを与えている気はしない。そんな認識を塗り替えるようなことが、24時間で成し遂げられるだろうか?

 一つ、すぐに取り組めそうで最も「自分が」やる意義がありそうなことは、近しい友人たちに手紙を書くことだ。僕は29歳で、同年代の友人たちの多くは、若くして死ぬということに実感がないと思う。僕自身もそんな実感はない。そんな友人たちに向けて、身近にいる人間として、心を込めたメッセージを残せば、きっと彼らは限られた生を実感して、より有意義に過ごしてくれるのではないか。そう思いながら昇天するのは悪くない気がする。

 一応、死因は自殺ではないことが皆に分かるように手配しておきたい。僕の世代の死因に占める割合自殺が多いはずなので、事情を知らない人には勘違いされる可能性もある。僕自身はこの際どう思われても構わないが、勘違いのせいで周りの人が嫌な思いをしてしま事態は避けたい。

◎1か月後に死ぬ

 1か月は新しいことを始めるには短いが、1か月はちょっと長い。休まず有意義に使い切ろうとしたら息が詰まりそうだ。それでも、1日でも労働に費やすのは惜しいと思ってしまう。やっぱり仕事は無理やり辞めるしかない。お金必要でないのなら、働かないに越したことはない。そもそも現状で何故僕は、嫌だと感じている労働に多くの時間を割いているのだろうか。

 別にかに命令されるわけでもなく、僕は自分意志一挙一動選択してきたはずだ。その積み重ねで生きてきたはずなのに、何故不本意な結果となっているのだろうか。僕は必要に駆られて働いているのであって、労働から精神的な充実を得られると期待するのが筋違いなのかもしれない。とはいえ身の回りを見渡してみれば、仕事を楽しんでいる人はそれなりにいる。今の職場就職した理由に思いをはせると、僕は仕事の内容や会社の状況について多くの誤解をしていた。さらに言えば、自らが求めているものもよく理解できていなかった。分からないものが多すぎたので、正しい選択ができていなかったのだ。そして、今も自分が求めているものはよくわからない。

 1か月もあるのなら、できるだけ面倒を残さないように、いろいろな手続きを済ませておきたい。仕事を辞めて、部屋を片付けて、もろもろのサービスを解約しておけば、あとに残された人も困らない。ついでに恥ずかしい日記処分しておこう。あと、年に1度ぐらいしか帰省はしていなかったが、顔ぐらいは見せておこうと思う。

 口座に200万円はある。これを一体何に使えばいいだろう?1週間で使い切るとすれば、なかなかの贅沢ができる。どうせならぱーっと使ってしまいたい。僕の貯金社会に影響を与えるには雀の涙すぎるし、このお金寄付するほどの聖人ではない。それに、個人的に残してあげたい相手がいるわけでもない。しいて言えば、会社勤めをしながらイラストレーターの夢を追う弟にはちょっと残してあげてもいいだろう。全部残すと重たいし、あぶく銭は彼のためにもならないかもしれない。残高を気にせずに、旅行したり、いいものを食べたりして、残った分は弟に渡すくらいでちょうどいいかもしれない。

 僕はかねてから死ぬ前に一度バンジージャンプに挑戦してみたいと思っていたが、1か月のうちの半日ほどを費やすに値するほどではなさそうだ。リストに入れるべき項目は、手紙を書くよりは重要でなくて、バンジージャンプよりは重要なことにしよう。残り1か月があるなら、無理を言ってでも友人たちに会って、直接思うことを伝えることができる。

 そういえば、残り24時間しかない場合を考えているときは、お金のことには思い至らなかった。僕にとってお金は最優先事項ではないのかもしれない。ある程度長い期間生きるとして、なくてはならないものであって、それ以上のものではないのだろう。少なくとも、残されたお金の使い道を考えながら死にたくないとは思う。

◎1年後に死ぬ

 1年残っているなら、少しはきれい仕事を辞めてもいいかもしれない。2週間ぐらいは引き継ぎに費やしてもいいし、そのほうが残りの1年間をすっきりした気持ちで過ごせるだろう。残りの期間で仕事関係者に出くわす可能性が上がるので、あまり気まずい思いをせずに済ませたい。これくらいの長さがあると、「将来のために今は多少我慢をする」といった発想が生じてくる。

 きっと、仕事を辞めた理由を誰もに聞かれるに違いない。親しい人たちには正直に話すほうが良さそうだ。残り1週間ならともかく、1年間あれば段階的に別れを受け入れることができる。何度か会ったとしても、そう重苦しい雰囲気にならずに済みそうだ。でも、どうやって伝えたらいいのか分からないし、伝える瞬間の気まずさに耐えられなさそうだ。Twitterにでも書き込もうか。

 貯金を取り崩すだけでも、何とかやりくりして生きていけるだろう。まず、会社に行かなくていいなら、家賃はできる限り節約しよう。決して余裕があるわけではないので、計画を立てて、慎重にお金を使っていくことになるだろう。食事だってそんなに贅沢はできない。それでも、僕にとってはお金よりも時間のほうが大切であって、贅沢をするためにより長く働こうという発想にはならない。

 1年もあるならば、全く新しいことを始めたとしても、何かを成し遂げられる気がする。果たして僕は特別に何か成し遂げたいことがあるのか?と考え始める。そして、今までの日常の延長線上でしか考えられないことに気づく。思うに僕は無趣味なのだ無趣味な故、急に働かなくてよくなったら、何をして過ごしたらいいのかわからなくなる。働きながらだって休みはあったけれども、寝て体力を回復したり、家事をしたり、友達遊んだり、ランニングしたり、漫画アニメをダラダラと見たりしていたらあっという間に時が過ぎた。漫画アニメを見るのは好きだが、あと1年で死ぬとしてずっとそれに時間を費やしたいとはあまり思いつかない。それはリラックスを兼ねた娯楽であり、積極的に取り組んでいるというよりは、消去法的な時間の過ごし方だった。

 もともと、人生を捧げられるような対象が欲しいと思っていた。しかし、そんなものは見つからず、とにかく生活のために労働し、疲労と惰性で考え事をするのもままならず、暇な時間ができたら途方に暮れる有り様だ。そんな対象がなくても、愛すべき人がいて、その人と過ごすだけで楽しく満ち足りた日々になるなら、それまた幸福だ。しかし、1年しか残されていないのが分かっていながら、新しく親密な関係相手を探すのは残酷めいている。残される相手のことを考えると、残り1年で愛すべきことを見つけるなんてハナから期待すべきでない。

 愛する人もいないし、やりたいこともない。そんな自分の現状は不甲斐ないが、ないものはないので仕方ない。とにかく何がしたいのか考えてみよう。かといって急に机に向かって考え始めたからといって、何か思いつくわけではない。12か月もあるのだから、1か月ぐらいは思い切って、考えるために時間を使ったっていいではないか。いったん、何もかも放り出して、どこか海沿いの旅館にでもこもって何をしたらいいか考えることにしよう。それ以上のことは今は思いつかない。

10年後に死ぬ

 10年間生きるならば、すぐに仕事を辞めるわけにはいかない。自分がやりたいこととは別に生活費を稼いでいくということを主軸に据える必要がある。仕事をどうすべきか、という問題に正面から向き合わなくてはならない。この問題については、大きく二つの方向性を考えることができる。一つは、多忙でもハードでも、とにかく給料の高い仕事転職してお金を稼いで、一日でも早く仕事を辞めようとすること。もう一つは、仕事をしている時間無駄と感じずに済むくらい、意義のあるものにすることだ。残念ながら、現状の仕事はどちらにも当てはまらず、ただ金を稼ぐため、辞めて履歴書に傷をつけないために惰性でぶら下がっている状態だ。よって、残り10年間を前提とするならば、すぐにでも転職活動をして、より有意義時間を過ごせるようにしたい。

 例えばかなり無理をして、3-5年間ハード場所で働いて、残りは働かずに暮らせるのなら、悪くはない。この選択肢は、どう転んでも仕事をすることは苦痛なので、とにかく短期間で済ませるという考え方に基づく。貴重な10年間のうち多くの時間を割くに値するような労働はあるのだろうか?そんなものが見つかりさえするのなら、すぐにでも飛びつきたい。そもそも、そんな仕事があれば、残り10年とか関係なくやってみるべきなのではないか

 10年あれば、適当理由をつけて別れることを前提に、恋人を作ってもそこまで罪深くはないだろう。すべてを語るような深い関係にはならないかもしれないが、一人で過ごすよりは日々に彩りが生まれそうだ。それとも、ふとした瞬間に虚しい気持ちになるだろうか?

◎30年後に死ぬ

 10年ではなしえず、30年かけてしかできないものというのはそう多くはないはずだ。仮に僕が職人か何かで、同じことを一筋やり続けるのであれば、その時間の差は歴然となって現れるのだろうか。そんなことを考えると、今すぐ何かの道に入門して、極めてみたいものだという気持ちが湧くが、僕は飽きやす人間であることをすぐに思い出す。僕はタイムマシンがあればすぐに30年後に行って、知識経験の蓄積による果実を得たいと思う怠惰人間だ。その蓄積の過程自体を楽しみ、こなしていくことができるなら、とっくに僕は何かを身に着けているはずなのだ

 残念ながら職人道を極めることはできなさそうだが、それでも少なくとも2つほどは新たな可能性が思いつく。まず、結婚して子どもを育てることが選択肢に入る、30年あれば、子どもが成人するまで面倒をみることができる。そして、家を買うかどうかも真剣検討する必要がある。

 僕は子どもが欲しいのだろうか?正直、残りの人生の期間について考えなければ、そんなことをまじめに自分に問う機会もなかった気がする。具体的に結婚するような相手ができて初めて、欲しいかどうかを考えればよいと思ったのだ。しかし、成人するまでは面倒を見ておきたいという条件を付ければ、残された時間結構短い。相手ができたとして、すぐに子どもができるかどうかだってからないのだから、30年のうちの最初の5年くらいで、一連の仕込みを済ませておく必要があるだろう。そのような前提を置くと、恋愛結婚は残り時間から逆算したうえで、極めて計画的で無駄のないプロセスで行う必要がある。そう考えると窮屈に思えてきたが、女性であれば出産できる年齢が限られている故、同じような考えを持つのだろうか。一通り考えを巡らせたところで、そもそも子どもが欲しいかどうかすら分からないことに気づく。別に、残りの30年を考えたうえでそれが最優先事項というわけでは無ければ、窮屈な思いをしてまで計画的に「仕込み」を行っていく理由もない。

 30年もあると考えると、途端に今すぐには現状を変えなくても良いかという思いが芽生えてくる。僕は現状の生活に満足しているわけではない。それなのに、変えなくてよいと思うのはなぜだろうか?変化にはきっかけとエネルギー必要なのかもしれない。そこそこのストレス孤独があるにせよ、安定しており、ある種の均衡状態となっている僕の生活を変えるには、何らかの外的なショックが必要なのだろう。

◎53年後に死ぬ

 今29歳の僕は、52年後に日本人平均余命といわれる81歳になる。すなわち、52年後くらいに死ぬという前提は蓋然性が高く、それをもとに人生計画を立てることはひとつ筋が通っている。しかし、正直なところ、年老い自分がどう過ごすかなんて、今から計画を立てるのは馬鹿げている。そこに至るまでの不確定要素が多すぎる。

 とはいえ、一つ考えるに値することは、日本にずっと住み続ける前提で人生を考えるか?ということだ。何せ、この時期までに日本人口は2-3割くらい減る推計になっている。今だって社会保険料と所得税消費税が大きな負担になっているが、今後ますますその負担が増えることは間違いない。5-10年先の未来だけ気にすればよいのなら、別に自分にとっての影響は大きくない。でも、より長い期間を考えると、例えばまともに医療が受けられなくなったり、預金没収されたりするリスクだってあるかもしれない。少なくとも、今現在高齢者が受け取っているのと同等の価値年金をもらうことは全く期待できない。

 僕は家族や友人たちがたくさん住んでいて、最高のアニメ漫画を生み出す日本が大好きなので、できることな日本に住み続けたい。しかし、生活があまりに苦しくなるようなら、泣く泣く国を離れるというのは、世界中のどこにでもある話だ。かといって今すぐに海外移住することが賢明というわけではない。とにかく英語くらいはできるようになっておき、いざとなればよその国でも食べていけるような能力は身に着けておく、それくらいの「投資」は残り53年くらい生きるなら、多少今を犠牲にしてでもやっておいたら老後の安心に繋がるかと思う。

あとがき

 現在僕は、感染症が広がり外に出られない状況で、友人と会う機会も減り、社会とのつながりが徐々に切れていく感覚を味わっている。もともと、仕事に追われて、生活のために生きているような感覚を覚えていたが、そこから抜け出すことを難しく感じていた。一日中家で仕事をして、終わっても何もしたいと思えることがない。あまり空虚自分生活一種絶望を感じている。

 そんな中いつものようにTwitter目的もなく眺めて時間をつぶしていると、「友人は少なくていい、3か月後に死ぬとしたら一緒に過ごしたいと思えるような相手さえいれば十分」というような記事にたどり着いた。そこから着想を得てふと自分生活を振り返ってみると、3か月後に自分死ぬのならやらないであろうことであふれていた。短い間に自分死ぬことを考え出すと、僕は気が楽になった。これは僕自身にとってのセラピーになった。ある種のミニマリズム断捨離に近い感覚で、「3か月後に死ぬのであれば不要」と思えることを生活から切り捨ててみる。例えば僕はいつか読んでおこうと思っていた大量の本をその基準に従って捨てた。すると、僕の人生は前よりも少し方向性が定まったように感じたのだ。

 とはいえ、それと同時に、自分空虚さを改めて実感するきっかけにもなった。自分寿命の想定をどんどん伸ばしていくほどに、可能性は広がっていくはずなのにやってみたいと思うことが思いつかないのだ。まるで、遠方ほど霧が濃くなっていくような感覚だ。この問題は僕が、「いつかは役に立つだろう」と思われる仕事資格勉強時間を費やしがちだったことと関係があるかもしれない。その時々に自らの欲求に耳を研ぎ澄ませてこないできたら、欲求をとらえることができなくなってしまっていた。

 平均寿命から想定して、老後の安心や家庭を持つ可能性なども考慮した貯金やらライフプランとやらをある程度は考えなくてはならない。それでも、僕のようなタイプ人間は、3か月後に死ぬというぐらい過激な想定をしてでも、素直に最もやりたいと思えるようなことを考えていくべきでは、というのが今のところの結論だ。

 僕の文章は思いつきを並べただけでまとまりのないものになってしまったが、もっと多くの人にこの思考実験をやってもらって、その結果を読んでみたいと思う。ぜひこれを読んだあなたも試しに3か月後に死ぬとしたら何をするか考えて、記事を上げてみてほしい。

2021-01-15

anond:20210115205547

もちろん大したことではあるけど、自粛しないといけないほどの天変地異ではないということ

戦後初めて東京が不利になってるよね

戦時中東京大空襲以来の快挙だわ。

それまでは東京は「天気が崩れにくい」「交通の便がいい」「なんでもある」「給料が高い」「家賃を除けば生活費が安い」「テレビ東京TVKチバテレビが全部綺麗に入る」とあらゆる部分でひたすら有利だった。

まさに無敵の土地

だけどそこから一転して今は日本で最も危険な街になってる。

初めてだろ。

東京全面的ナンバーワンじゃなくなってんの。

都民マジでパニくって正常性バイアス鎌足担ってるのも納得だわ。

天変地異からさえ隔離された奇跡土地で未曾有の大災害が起きてるから

2021-01-04

ドラクエ11がやっててつらい

流行り病で誰も外出しない街とか、魔王天変地異日常激変で荒廃とか、これまでにもよくあった描写のはずなのだが、やっててつらい

2020-11-28

anond:20201128173454

コールドスリープ第1号として飼い猫とともに50年間の冷凍睡眠に入った増田

しかし目覚めてみれば誰もおらず荒野わずかに文明痕跡が残るのみであった。

突然の天変地異によって人類の大半が死滅してから500年の時が流れていた……。

2020-09-27

anond:20200926160033

キモオタ結婚できない方の一生独身男子だけど俺もも天変地異が起きてどこかの女性が俺のことを選んでくれたとしたら同じような回答するかも

2020-09-16

anond:20200916182914

ニーチェ思想の根源にあるものは、

人間は生きてるだけで素晴らしい。」

という生に対する絶対的肯定なんだよ。

2020年現代は、天変地異、疫病、少子高齢化予測不可能社会の変化に晒されていて、

多くの人間幸せになる道筋を見失っている、そもそも、どうなれば幸せなのか分からないまま生きている。

そのような状況下で、いや、あんた生きてるだけで十分幸せなんだよ。と囁いてくれる思想家がいたら、

こころに刺さる人がいても当然かなと、おっちゃんは思うね。

2020-09-02

anond:20200902205214

天変地異が起きて人類平均寿命40歳くらいに縮んだ結果、ちんたら教育してる暇はなくなり成人年齢と第二次性徴年齢がほぼイコールになったりとか

逆に技術進歩して平均寿命150歳になったら学ばなきゃいけないことも爆発的に増えて、義務教育期間が大幅に伸び成人年齢が30歳になったりとか

いくらでもパターンはありそう

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