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はてなキーワード: ボイストレーニングとは

2024-11-20

ユニコーンや後方腕組Pは「金」と「人脈」を手に入れるべきという話

前提として、私はとある女性Vの「ユニコーン」であり「後方腕組P」で、いわゆる「厄介オタク」です。

推しには絶対男性Vとはコラボさせませんし、配信内容について「あれが良かった」「ここはダメだった」「次はこうしてほしい」といったフィードバックを送る、典型的なド厄介オタクです。

本来であれば排除されるべきコッテコテの厄介オタクである私ですが、推しの転生前を含めると約5年間、配信サイト収益推しバイト代を上回った今でも応援させてもらえています

そんな私が推しにやってきたことをつらつらと書いていこうと思います

最初にやったことは、推しの夢である歌ってみたを出す」「オリジナル曲を出す」の2つを叶えることでした。

楽曲制作ボイストレーニングレコーディング動画制作などを知識が無いなりに調べ、用意しました。

まり、あとは推しが「歌うだけ」で済む環境を私一人の「金の力」で整えたのです。

こうして「歌ってみた」を毎月出し続けられるように用意しました。

しかしながら、7本出した歌ってみたはどれも1000再生程度であり、あまり良い結果ではありませんでした。

また、最初オリジナル曲は、公開してから転生までの約半年間でわずか500再生という拙い結果でしたが、それでも、推しが初めてオリジナル曲を公開したときものすごく喜んでくれたことは今でも鮮明に覚えています

しかし、私はドの付く厄介オタクです。

「私の愛する推しはこんな低レベルではない」

と、解釈不一致を起こしました。

そこで次に取り組んだのが「人脈作り」でした。

解釈不一致を解消するためには、その辺に転がっている安い素人クリエイターに依頼するだけでは私の推しの魅力を引き出すことが出来ないと考え、プロに依頼することが必要だと結論づけました。

当時、ちょうど転職活動をしていたので、推しのためにアニメ系のコンテンツを出しているエンタメ業界会社転職しました。

幸い、事務系のスキルがそれなりにあったおかげでスムーズ転職でき、生活も豊かになりました。

その後はひたすら仕事に励み、社内外のイベント飲み会にも積極的に参加することで、サウンド系や映像系の技術者イラストレーターなど、技術で飯を食えるクリエイター達と公私共関係を築きました。

まりハイレベルかつ、個人的な依頼を受けてもらえる環境が整ったことで、よりお金を掛け、クオリティの高い作品制作できるようになりました。

その結果、投稿したとある歌ってみたは、たった2日で1000再生を超えました。

100、200、500、と再生数が跳ねるように増えていくごとに、推しと一緒になって喜びました。

このように、私が「金」と「人脈」を得たことで、厄介オタクとしての欲求を満たせるようになりました。

ここからは、後方腕組P、ユニコーンとして満たせる欲求についてより具体的に書いていこうと思います

まずは、後方腕組Pとしての「満足感」です。

エンタメ業界転職したことで、トレンドを常に追えるようになりました。流行ゲームやバズっている動画ネット時事ネタなど、推しコンテンツになりそうな情報リサーチし、即座に推し提供できます

これにより、推しが枯れることなく、次のコンテンツを出せるのです。

そして、私が「これやってみよう!」と提案したコンテンツが伸びる度に、今よりも誇らしげに腕を組むことができます

次に、ユニコーンとしての「安心感」です。

推し活動を辞めたとしても、転職した今は私一人で推しを養える程度には稼げるようになりました。

さらに、信頼できるクリエイターたちで推しコンテンツを作れるため、某MIX師やらかしたような推し毒牙に犯されるようなこともありません。

また、出会った当初は半ニートだった推しでしたが、今では外に出られるようにもなり、

リアルのご家族から感謝されるようになりました。

特にお母様から推し情報を得られるようになったことで、変なリスナーが涌いたとしても圧倒的な情報マウントの力で角をピッカピカに保つことが出来るのです。

以下、まとめに入ります

そもそも推し推してくれる人がいるからこそ活動を続けられます

なので、誰よりも推し応援したいという気持ちは間違ってはいないんです。

それが力無き戯言から

推しの夢になり得ないから、

一人の女の子不安にさせてしまうから

厄介オタクと言われ忌み嫌われるのです。

厄介オタクは「金」と「人脈」を手に入れましょう。

「金」と「人脈」を使って推しの夢を実現し続けられればどんな厄介オタクだったとしても推し推し続けられるのです。

まあ、推しが私のことをどう思ってるかは分かりませんが。

私のやってきたことが今を生きる厄介オタク達を救うきっかけになれば嬉しく思います

以上。


P.S.

推しは光だ。推しは星だ。

俺らは輝こうとしてはいけない。

夜空を見上げ、星を見る人々はその後ろにある闇を認識できない。

推しがそこに居られるように、俺らは夜のような底知れぬ深い闇でなければいけないんだ。

2024-02-01

暇空茜は実際に歯に深刻な症状を抱えているのではないか

先日、暇空茜はコレコレの配信に出演した

その際に暇空の声質や口調が「歯抜け」「歯がない」と揶揄された

暇空出演以前から、「歯抜け」はコレコレのコメント欄では頻出語句である

コレコレは主にネット上のインフルエンサーゴシップタレコミを取り上げるYoutuberで、関係者らがよく出演する

一歩間違えれば糾弾され処刑場ともなる場なので、出演者は緊張し上手く話せないことがある

そもそも日頃からまり人と話していないんだろうなという話し慣れていない者もいる

そういった、しっかりと話せない者が「歯抜け」と称される

歯が抜けているから変な声や話し方になってしまうんだろうと

暇空が歯抜け扱いされたことは大いにネタにされたが、いやネタにしてもいいのか?

本当に歯に問題があって、お前らは病気の人を揶揄しているのでは?と疑問を感じた

暇空は自分チャンネルしょっちゅう配信をしており、話し慣れている

それなのにずっとあの話し方だ

また気になる点がある

暇空はヘルシオでの調理にこだわり、食材をなんでもくたくたにやわらかくして食べる

魚卵のような、対して噛み砕かなくても食せるやわらかいものを好む

これは高齢者など、歯が弱い人に見られる特徴だ

歯に問題、あるんじゃないのか

もし歯に問題があるとしても暇空は大富豪なので、すぐに治せるはず

少し過去ツイートを探ったら、200万円かけて歯科矯正したとの報告があった

だがその歯科矯正の内容、銀冠をすべて剥がしセラミックに変えるというもの

セラミックは銀冠以上に多くの歯を削り、神経近くまで削り、本来の歯の寿命を縮める

神経が痛むようになったので神経を抜いた結果、話しづらくなったという体験談がよくある

そしてまた気になる点

暇空はかつて歯科衛生士女性交際していたという

その割にその女性とのエピソードはほぼない

本当に付き合っていたのか

自費診療セラミック治療を受けてくれそうな金持ちの男に点数稼ぎのため一時的接待してくれただけじゃ……

暇空はその元カノから聞いた情報として「歯科衛生士専門学校は2年制」と語る

歯科衛生士専門学校はかつては確かに2年制だったが、2010年以降は3年以上かかるようになっている

2年制時代免許を取った元カノ、そんなに若い人ではないようだ

歯科衛生士離職率が高く若いうちにすぐ別の業界転職する人が多いというが、元カノは辞めずに同じ医院にずっといるのかもしれない

短期間だけの付き合いであったらしい元カノとの思い出を温めている暇空は、治療に失敗しても元カノ迷惑をかけられず病院を訴えたりしなかったのだろう

暇空の話し方の特徴は、セラミック治療失敗による深刻な問題だと認知プロファイリングして納得のいったことがある

暇空は堀口英利という人物と揉めており、彼の実家歯科医だという説をよく当て擦っており、実家とされる場所晒し行為などしていた

堀口を批判するのであれば堀口自身言動ネタにすればいいだけであり、親が歯科医だの医院がどこだのどうでもいいだろうと不思議だった

歯医者で失敗した体験から歯科医憎悪に陥って、非常にどうでもいい歯科医ネタへのこだわりが生まれたのではないか

究極的には、堀口の親に歯科医説がなければ暇空はここまで堀口にこだわることさえなかったのではないか

暇空は6億円裁判の時には出頭して本人尋問を行い、弁舌を振るった結果巨額の富を得たという

トークに自信があった人こそ、長所を折られた時のショックは大きいだろう

かつての裁判の時のように話せないとわかっていたからColabo裁判には出られなかった

自由診療で人を騙して大金を儲ける歯医者が、そうやって得た金で息子に海外留学をさせているなんて許せない、堀口家にそんな逆恨みがあったのではないか


単に話し方がおかしいのであればボイストレーニングにでも通えばいい

だが本当に歯に問題があり、回復困難であるなら、それはもうどうしようもない

顔出しをしていて「歯抜け」ではないと確定している人相手ネタで言うならともかく、ガチで困難を抱えている可能性がある人への歯抜けネタ洒落にならない

2023-10-25

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

2023-10-16

anond:20231016031323

カラオケ

ずっとカラオケ嫌いだったんだけど、ふとしたことで好きになった。

毎週ヒトカラしてるんだけど、うまくはない。自分の声を録音して聞くとイヤになる。

なので月1~2回ボイストレーニングに通っている。

少しずつ上達はしているんだけど、まだまだ先は長い。

あとジモティーカラオケサークル見つけてワイワイやってる。

2023-10-06

siriおにぎりって言ったらおにににって表示された

滑舌良くするボイストレーニングでもしたほうがいいかもしれない

2023-09-09

コミュ力ってまじでどうやって養うんだ…

相手にも楽しんでもらいつつ自分も楽しめる会話がしたいと思い

自然体でリラックスして話せるように自分に自信を持つ(仕事勉強ボイストレーニング筋トレスキンケアなどを頑張る)

ラジオテレビyoutubeを見て会話のテンポや抑揚を学ぶ

・場数を踏む、色んな人と喋る

など頑張ってるけどあまり上達が見られずただただコミュ障を撒き散らしてるだけなような気がして鬱

どうしたらいいんだほんと…

2023-06-16

anond:20230615192053

ボイストレーニングを受けてみるとか?

歌の練習ボーカルトレーニング)がメインのイメージあるけど、喋り方の教室をしてるとこもあるみたいだよ

2023-01-31

anond:20230131143315

今の時代顔面ゴミでも声が良ければ配信業でどうにでもなる

ボイストレーニングだけやっていればいい

2022-10-04

演技指導しても駄目なら外すべきなんだよ

リトルウィッチベタの話。


ゲームcvVtuberなんていう演技のド素人を起用するなら、演技指導は徹底しろって言いたい。

徹底しても改善されないんであれば、それは才能が無いか経験不足なんだから商用するのが無理だってことを認識しろと。

そういう所がはっきりと決断できないで強行するから、いざ発売されたら棒読みでやる気失せる出来って言われるわけで、

やっぱさ、プロを使わないんならそれ以上に演技指導って必要なわけ。

瞬間的に売れればいいやって後先考えずに売るのは構わないけど、次回作以降の期待感は全く感じられなくなるのでクリエイター企業としても悪イメージしかならないことに気づいてほしいんだわな。

そもそもVtubercvに起用するのは、根本的に間違ってるんだよ。

アイツラは自分配信という土俵じゃないと相撲が取れない素人集団なんだからさ。

いくらアイツラがボイストレーニングをしても、それは自分土俵相撲を取るためのもので商用として売れる世界の話じゃないんだよ。

プロはそこを考えてるからプロなんであって、素人Vtuberがその世界踏み込むのならプロがやってきた以上に演技の勉強をしなきゃならんわけなんだ。

それが出来ないぽっと出の素人棒読みで声当てたら、そりゃ失望感が酷いんだよ。

作り手側はその辺しっかり認識して作って欲しいんだわ。

宮崎駿声優を使わないで作品を完成させるけど、やっぱ演技が微妙な人っているわけ。

だけど、あれはそれなりに演技指導を行って修正した結果なんだろうなって思う。

棒読みじゃないようにセリフを言っている感じがするし、声の抑揚をなんとかつけようとしている努力が感じられるし。

そういう所、ホント大事だし、そういう所をやってるから宮崎駿作品成功しているんだと思う。

まじね、素人を出すなら演技指導はきっちりと多すぎるくらい厳しすぎるくらいにやんないと駄目だと思うよ。

2022-06-09

vtuber配信者好きな方力を貸してください

女性ライバーの方で

・喋り方自体は基本落ち着いている(むちゃくちゃハイテンションではない)

仕事の場でもおかしくない感じの声のトーン(声質というより抑揚?テンション??)

面白い(話のテンポが良く構成が上手)

こんな感じのおすすめの方いませんか?

最近昇進したんですが喋る機会がものすごく多くなり

喋るの苦手だし自分の話し方録音したらキモすぎるしで泣きたくて、話し方を改善する方法みたいなのを調べて

ボイストレーニング受ける

・話がうまい人のモノマネをする(声質とかではなくテンポなど)

の2つを頑張ろうと思うんですが

どの方を参考にしようか迷っています

vtuber配信者の方なら「楽しませる」という点において長けてらっしゃるかなと…みなさん努力されてるでしょうし…

よろしければおすすめの方教えてください

2022-04-02

どもりでニチャニチャしてる吃音声帯弱者リモートワークもゲーム配信業も信頼構築の雑談もろくにこなせず人権がないので声優専門学校ボイストレーニングするのが21世紀のつぶしが効く処世術だと思うのですがどうですか

2021-06-19

anond:20210619090842

悩んでいるようだから、あえて大変に身も蓋もない話をすると、

女性にとって大切な外見は、歯並びとおっぱいだよ。

次に、外見といっていいかからないけれど、声だよ。

これらに加えての中身だよ。

顔なんて、どんなかわいい子でも、電気消してしまえばおんなじなの。

目をつぶればおんなじなの。

バックですればおんなじなの。

何が大事かって、

抱き心地・触り心地がいいかだけなの。

キスして心地いいかだけなの。

あえぐ声が心地いいかだけなの。

これらに加えて、性格が合うか、話していて楽しいかなの。

綾瀬はるかさん夏帆さんとか、決して美人じゃないけれど、まさにこれだよね。

あ、おっぱい巨乳大事という意味じゃないよ。

おっぱい性格と同じ。

相手の好みに合うかどうかだから

新垣結衣さんなんかも、決して美人じゃないし、おっぱいもそんなになさそうだけど、

あの程度を抱き心地がいい、触り心地がいいと感じる人はいっぱいいるから。

なので、歯並びを矯正するのはおすすめするよ。

目や鼻はどうでもいいよ。

ボイストレーニングをして声のバリエーションを増やすことはおすすめだよ。

いろいろ書いたけれど、全部無視してもいいよ。

本当に一番大事なのは自分に自信を持つことだよ。

そして、「私を好きにならない方がおかしい」って思い込むことだよ。

鏡に写った自分を見たら、泣くのではなく、にっこり笑いかけるといいよ。

そうすると、鏡の自分もにっこり笑うでしょう? その子、とってもかわいいよ。

一重をチャーミングと感じる人はたくさんいるよ。

歯並びが悪いことをチャーミングと感じる人もたくさんいるよ。

低い鼻をチャーミングと感じる人もたくさんいるよ。

でも、顔に勝手劣等感を持って周囲と比べて卑屈になる性格チャーミングと感じる人はいないんだよ。

そうだ、大事なことを一つ書いておくよ。

もし劣等感とか卑屈さとかをチャーミングと褒める奴がいたら、

そいつ詐欺師か、人をコントロールしたいだけのクズだよ。

もう一回書くよ。

もし劣等感とか卑屈さとかをチャーミングと褒める奴がいたら、

そいつ詐欺師か、人をコントロールしたいだけのクズだよ。

劣等感とか卑屈さとかは、そういう奴を引き寄せることにか働かないよ。

から劣等感とか卑屈さとかは、これを捨てるか、

持ち続けるのだったら、人との交わりを捨てるかのどちらかだよ。

人は中身だよ。

人は性格だよ。

中身と性格が良ければ、あなたのことを大好きな人、大好きになる人は、たくさんいるよ。

ここでたまたま見かけただけではあるけれど、俺もあなたのことを心の中でずっと応援するよ。

2021-06-17

何者かになりたかった自分が経てきた趣味一覧(横増田場合

はじめに

 『何者かになりたかった自分が経てきた趣味一覧』(anond:20210614025554)がめちゃくちゃ刺さってしまい、しんどいお気持ちを供養したくなったためこの文章を書いている。おそらく十番煎じくらいだろう。気づいたらとても長くなってしまったが読む価値はまったくないことをあらかじめお断りしておく。


続かなかった主な趣味

ギター

 ある日突然父親が買ってきたのを触らせてもらっただけなので、自ら強い興味を示したわけではないが一応リストに加えておく。典型的なFコード挫折した組である

 今でも不意に「弾けたらいいのにな」というお気持ちが襲ってくるがこの時の経験のおかげで衝動買いに至らずに済んでいる。ちなみに父親もすぐ飽きた。

ドラムカホン

 その昔ドラムマニア(初代)という音ゲーを始めたことがきっかけで本物のドラムにも興味を持った。マイスティックはそんなに高価でなかったしゲームにも利用できたためあっさり購入した。

 ドラムのできる友人としばらくスタジオに通ったがそこまで本腰が入ることはなく音ゲーから気持ちが離れるとともに練習へのモチベーションも薄れていった。

 先ほどと同様、ふと「叩けるようになりたい」という感情がむくむく湧いてくることがあるため、家にはスティックと小さいカホンだけ存在している。いつか代々木公園ピクニックに行って友達と酒飲みながら何かしらを演奏したいとか考えながらしか練習はしない!

ピアノ

 ピアノにも憧れた。高校生の時バイトして貯めたお金電子ピアノYAMAHA P-250)を突然購入し両親を驚かせた。それと同時に地元島村楽器ジャズピアノクラスに通った。序盤の単調な訓練にモチベーション継続できず、おそらく半年くらいで挫折したと思う。

 その電子ピアノはなかなかに高額だったため、その後一人暮らし同棲結婚ライフステージが変わっても処分することができず(いつか時間ができたら再挑戦、みたいな気持ちもある)今も手元に置いてある。妻がピアノを弾けることがP-250君にとっての唯一の救いであろう。

DTM

 音ゲーBEMANI)で色々なジャンル音楽クラブ系に寄っているが)に触れる中で音楽への関心が高まっていった。さらに当時はBMSという自分で作った曲をBeatmania形式で遊べるようにする二次創作同人的なアクティティも一部界隈で盛り上がっていたため、それが自分作曲できるようになりたいという思いを強化した。

 典型的な形から入るタイプギアにもこだわった自分は、当時おそらく最新だったDTM音源モジュールYAMAHA MU1000を手に入れるも、独学では進め方がまったくもってわからず、文鎮と化すのにそう時間はかからなかった。

音楽理論

 上と関連するが都内音楽理論を学ぶ塾みたいなところを見つけて大学生時代に通っていた。歌が好きだったため音感を良くしたいという考えもあった。

 説明はとてもわかりやすいし、どうすれば上達するかという道筋もきちんと見せてくれるところだったが、理解することと身につけることとの間には大きなが隔たりがあり、大学アルバイトとの両立も当時の自分には難しかったため、志半ばで解約するに至った。

釣り

 小学生の頃、グランダー武蔵という漫画を読んで主人公と同じギアを買った。

 ブラックバスがいるという県内の沼に一度行ったが根がかりばかり起こすしまったく釣れないためすぐに飽きた。

一眼レフカメラ

 またまた父親唐突レンズセットを買ってきて一緒に使わせてもらったのがきっかけでハマった。当時はCanon EOS Kiss Digital10万円台になりデジタル一眼レフ一般人にも手が届きやすくなった最初のころだった。それでもまださほど普及していなかったため、大学カメラを向けると「おぉ、本格的なやつだ!」と周りの注目を浴びた。それに気をよくし、いつでもどこでもカメラを構えていたらいつの間にか金田一少年の佐木のようなポジションになっていた。それでも役割が与えられた気がして楽しかった。センスはまるでなかったが基本的なしくみや構図は身につけたので何も知らない人から見たら上手だと言ってもらえた。お金もなかったので安い単焦点だけは買ったがさほどレンズ沼にはハマることはなかった。

 やがてスマホカメラの性能が上がってきたこと、SNSの台頭ですぐにシェアできることが重要になっていったことなどからスマホカメラシフトしていった。余談だが初代GoProも輸入して買ったが大して使わずに人にあげた。

キックボクシング

 後述する筋トレとほぼ同時期に始めた。理由筋肉がついていく中で、強くなる技術も身につけたいと思ったのと、なんとなくカッコよかったから。三十路を過ぎてここまでくるとさすがに自分性格は把握しており、そう長くは続かないだろうと一年だけと決めて始めた。

 基本的フォームを覚えて生徒同士でミットの打ち合いをするのは楽しかったがスパーリングになると打たれるのも打つのも怖くて、一年限定にしておいてよかった、と思った。


なぜ続かないか自分なりの考察

 書きながら自分ダメさ加減にさらにしんどくなっている。なお、趣味ではないが公務員試験公認会計士試験税理士試験米国公認会計士試験課金しながら挫折した。「才能のない怠け者」というトラバ見ておっしゃる通りですごめんなさいって泣いちゃった。

 楽器系は序盤の基礎中の基礎みたいなところでモチベーションを保てなくなってしまっていた。スモールステップ大事最近は「初心者100日継続した結果」みたいな動画をよく見てる。

 資格試験も授業聞いて分かった気になるものの実際に問題に取り組むと全然解けない。反復練習大事

 あとは「選択と集中」も苦手だ。いろんなことに興味が出てしまい、できもしないくせに同時進行しようとしてしまう。二兎追うものは一兎も得ず!

 関係いかもしれないけど何か一つのことを突き詰めるスペシャリストよりは、いろんなことを器用にできるマルチな芸達者に憧れがち。 DonDokoDonぐっさんとか。

 もう一つ、他の増田も指摘してたことだけど、一緒に頑張る仲間を作ろうとしなかったのも挫折が多い原因だと思った。どうしても人知れず練習していつの間にかできるようになっていたいという気持ちが出てしまっていた。寂しがり屋のくせになんでそん時だけ一匹狼しぐさきめるんだバカものが。

 次何か始めるときは仲間探しから始めたい。


続いている趣味もある

・歌⇒カラオケ

 これを書きながら思い出したが昔は歌手になりたいと思っていたのだった。年を重ねていく中で自然と諦めがついて忘れていた。ボイストレーニングに通っていた時期もあり、人前で歌うとそれなりに褒めてもらえるくらいにはなった。カラオケは安いしどこにでもあるため、いつでも気軽に楽しめる大切な趣味ひとつになっている。

筋トレ

 ずっと痩せ型だったのに、ある時雑誌Tarzanの脱げるカラダ特集の表紙の読者モデルを見て筋トレに目覚めた。正しいフォームを教えてくれる先生が近くにいたり、通いやす場所ジムがあったりと環境が整っていたため、初心者状態からベンチプレス自分体重と同じ重さを挙げられるようになるまではあっという間に成長した。今は訳あってジムには通えていないが家で自重トレーニングを続けている。

美容/身だしなみ/ファッション

 趣味と言えるか微妙だが細く長く興味を持てている分野。昔は毎月ファッション誌買ってブランドセレクトショップも行ってたけど今はほとんどユニクロ無印。オシャレと言われるより洗練されてると言われたい。その願望は達成できていると感じる。

 最近レーザー脱毛をした。こういうのの良いところは課金さえすれば努力なしで昨日とは違う自分になれるところだ。そんなに歯並び悪いわけではないが次は歯列矯正をしたいと考えている。


さいごに

元増田に乗っかってこんな読む価値もないお気持ち長文を書いてしま今は反省している

2021-05-04

君もアイドルプロデューサーになって、最強の11人を選べ ~PRODUCE 101~

増田(30代半ば)は現在、PRODUCE 101 JAPAN SEASON2に激ハマリしている。

PRODUCE 101とは?

101人の男の子で競い合うオーディション番組

最終的に11人のアイドルグループを結成することを目的に進行する。

元々は韓国で始まり日本版2019年シーズン1が放送開始。

GYAOで全編無料で視聴できる。ありがてえ。

https://gyao.yahoo.co.jp/episode/606eb318-ef6d-439b-88df-7a56d40e7809

シーズン1で選ばれたメンバーは、現在「JO1」として活動している。

世代諸氏にはASAYANみたいなもの、と言えば分かりやすいだろうか。

この番組も、候補者(番組内では「練習生」と呼ばれる)たちが合宿ボイストレーニングダンストレーニングを受ける様子にカメラが密着して、

彼らの悲喜こもごもが映し出される。

ASAYANとの最大の違いは「投票システム」だ。

視聴者は、WEB上の投票ページから、好きな男の子を毎週11人選んで投票することができる。

翌週順位が発表され、下位の男の子番組を去ることになる。

人数は101人→60人→40人→20人→11人と、どんどん絞られてゆく。

投票できる人数も減ってゆき、最終的には自分イチオシしか投票できなくなる。

順位は累計ではなく、毎週リセットされるので、

意外なダークホース順位を上げてきたりするのが面白い

男の子たちには様々な課題が与えられ、

ソログループで歌ったり踊ったり、

たたいてかぶってジャンケンポンなどのゲームで奇声を上げたりして自分の魅力をアピールする。

デビューできるメンバーは、最終週で上位11位に輝いた男の子たち。

芸能事務所音楽プロデューサー意向関係なく、

視聴者投票のみでメンバーが決められる。

そのことから視聴者番組内で「国民プロデューサー(通称・国プ)」と呼ばれる。

現在4週目まで放送されていて、残っているのは60人だ。

増田おすすめポイント

友情努力勝利

番組内では個々の戦いだけではなく、グループで競う場面が多々ある。

そのグループ内で生まれ友情がアツい。

ダンスができない子にダンスを教えてあげたり、自信がない子を励ましてあげたりして絆が深まってゆく。

以前は敬語を使って話していた子が、タメ語になったり、お互いを呼び捨てしていたりする変化に気づいてニヤニヤできる。

講師先生たちにボロクソに言われて悔し涙を流し、寝る間を惜しんで練習した結果、

前評判が良くなかった子が本番で大化けしたりするのを見るのも楽しい

戦いはあれど、あくまスポーツマンシップに則った振る舞いが推奨されており、

あんまりバチバチしていなくて爽やか。男の子たちは、常にお互いを讃え合っている。

ホモソ感なし

男の子大人数集まれば、悪しき男子校感が出そうなものだが、

ほとんどそんな場面はない。(あっても編集で切っているのだろう)

お互いに何の臆面もなく「かわいい!」と褒め合ったり、

みんなでメイクの本を読んでキャッキャしたりしている。

講師陣も、ダンサー仲宗根梨乃さんの一人称が、ごく自然に「俺」だったり、(字幕でも「私」等に修正されない)

菅井ちゃんこ菅井秀憲さんが「アタシ~なのよ!」って喋ってたり、

全体的にジェンダーどこいった?感があっていい。

余談だが、練習生の1人、飯沼アントニーくん(17)の一人称は何故か「ワイ」だ。

単なる人気投票ではない

イケメンでキャーキャー言われる子が上位で固まるかと思いきや、意外とそうでもない。

国民プロデューサーたちは、結構メンバーバランスを考えて投票している。

練習生たちがグループを組んで対決するライブイベントが時たまあり、会場で投票が行われるのだが、

あんまり人気がなくても、歌が素晴らしかったり、ダンスで魅せたりすると大量票が入ったりする。

もともとアイドルの完成度を重視する韓国企画からか、

スキルの高さがかなり命運を左右する。

シーズン1では、2週目の投票で85位だった金城碧海くんが最終週では10位でデビューしていて、

今は下位のメンバーでもどうなるか分からないドキドキ感がある。

増田ハイライト

現時点での見所は、何と言っても「I NEED U」対決だ。

先日、練習生60人を10グループに分け、課題曲を披露してバトルするイベントが行われた。

課題曲は5曲。

同じ課題曲を選んだグループを1班と2班に分けて対決させ、

どちらのグループが優れているか投票によって決めてもらうというもの

このグループ決めの方法がかなり残酷だった。

くじ引きメンバーを決められる権利を得た子が、好きな5人を指名する、という方法

当然、人気があったりスキルが高いメンバーから売れてゆく。

課題曲にBTSの「I NEED U」を選んだ1班は、一番最後メンバーが決まったグループ

まり、他メンバーから全然指名されなかった「余りもの」だらけ。

しかも対戦相手の2班は、投票上位メンバーが多く、

さらダンス世界大会で優勝した子までいる。

1班は未経験の子ほとんどの中、

ダンス経験1年の子メンバー指導して戦いに挑まなければならなかった。

ところが、この1班、

歌がめちゃくちゃ上手だったのだ。

ボーカルトレーナー青山テルマさんに歌を絶賛され、

それまで完全に心が死んでいた1班は「もしかして勝てるかも……?」という希望を抱き始めた。

そして迎えた本番。

どんなに誤魔化しても心が君を求めてしまう……という切ない歌詞世界観を、

1班は透明感のある歌声としなやかなダンスで見事に表現した。

その対決の行方は――。

ゼヒこの動画を見て確かめてほしい。

https://gyao.yahoo.co.jp/episode/PRODUCE%20101%20JAPAN%20SEASON2%E3%80%80%EF%BC%833%20%20Part.4/60811993-36b8-4bbc-85bb-353d25dcf3e4

増田が気になる子たち

今のところ一推し(1picと呼ばれる)は

藤牧京介くん(21)。

歌が!上手すぎる!

まあ、まずはこの動画を見てくださいよ。

https://www.youtube.com/watch?v=MearCGzV5e4

練習生の中には元アイドルだったり、歌やダンスの訓練を受けていた子もいるのだが、

藤牧君は未経験者とのこと。

それでこれだけ歌えちゃうの凄くない??

以前からtiktokで顔を隠して歌を投稿し、フォロワーが19万人いたらしい。

練習生SNS禁止というルールなので、そのアカウントを削除して

オーディションに挑んでいる。その心意気も買いたい。

あと気になるのは……

尾崎匠海くん(21)。

の子も歌上手いし、オーラがある。

藤牧くんと同じチームで歌ったときに声の相性が抜群だった。

https://www.youtube.com/watch?v=CO8P_vwaGLA

福田翔也くん(23)

ダンスが美しすぎる。

グループを一段上のレベルに連れて行ってくれる子だと思う。

面倒見よさそうなのでリーダー枠。

https://www.youtube.com/watch?v=UPw4LP8IxnY

小林大悟くん(19)

ふだんボーッとしてるのに、

ステージの上でいきなり色気がぶわーって出て別人になる。

https://www.youtube.com/watch?v=nZXSXoEi8t0

寺尾香信くん(17)

実家がお寺の寺尾くん。覚えやすっ。

現在ファンの子たちが「寺尾香信を寺に帰すな」を合言葉に奮闘中。

まだ高校生なのに妙に落ち着いて達観してる雰囲気

https://www.youtube.com/watch?v=9QmjS1aoHNw



以上。どこにも出かけられない連休で暇に任せて書いてみた。

これで少しでも見たい!と思ってもらえたら増田は嬉しいよ。

ちなみに増田普段ハロヲタです。

2021-04-19

アラフォー独身おっさんの居場所

どこか仕事以外のコミュニティ所属したいなと思って色々探した。

ボランティア

大学生新社会人しか場所が無い。年配の人は基本的に専門知識のあるプロしか求められていない。

ランニングサークル

若い男女の出会い場所だった。

ロードバイククラブ

ガチ勢が多い。週末だけで300kmとか走る。

楽しいけどショップ殆ど買い物しないので居心地悪くて辞めた。

メンバー1020万を小銭のように使う人ばかり。

ボイストレーニング

唯一続いてる習い事基本的マンツーマンレッスンだけど

定期的にカラオケ大会がある。巧すぎる人ばかり女性ばかりなので参加しなくなった。

2020-06-26

大好きだったアーティストが大嫌いになった

タイトル通りです。

学生の頃ひょんなことから譲り受けたCDを聴いて曲のかっこよさに一目惚れ、ジャ◯ーズや〇〇48のような規模ではないけれど当時それなりに大きな市場でそれなりの地位確立していたのもあって、テレビにもたまに出ることがあった。そのテレビでの演奏トークに感動してアーティストのものが大好きになった。

進学先で友達が出来ず、気づいたら保健室にいる奴みたいな自分の支えだったのもこの人たちの曲だし、ブログ更新されるたびにワクワクして雑誌が出れば角がボロボロになるまで読んだ。

初めて行ったライブでも目の前に本物がいる…!いつもiPodで聴いてる曲を演奏してくれてる…!って嬉しくて大泣きしてしかもそれが本人達にとっても最大規模のホールだっただけに、途中からついてきた身だけどおめでとう!応援してるよ!これからも大好きだよ!って気持ちでいっぱいだった。

その後も給料が出れば関東圏内だけだけれどライブイベントに行くのに使って、毎回現場で会う友達みたいなのも出来た。友達いなかった私にも友達出来たって実感した時もう二十歳過ぎてたけどそこでも泣いた。

けれどアーティストもずっと売れ続けるのは難しい、ってかほぼ無理だと思う素人でも分かる。だんだん現場に来る友達が減ったのだ。理由は様々だけれど

新曲が好みじゃない」

だんだん値上がりしてくからついていくの厳しい」

推しの見た目が好きじゃなくなった」

「昔の方が良かった」

「そろそろ貯金しなきゃ」

「他に趣味ができた」

運営方針変わってから不備が多い」

みんないろんな理由で離れて行った。理由は分からないけど毎回地方から来てたような子すら来なくなって、この時の私はたいへん馬鹿なので「そんな理由で冷めて離れてっちゃうなんてなんて冷たい人なんだろう」って思ってた。

でも後から知ったのは、他にも理由は色々あって、現場で会う友達同士の揉め事が原因で行きづらくなったとか、よくあるアーティストの異性とのお付き合いや交友関係が水面下で広まってしまっていて、推し被りNG派な人やガチ恋、リアコ勢はそれに耐えきれなくなって離れて行っていたこと。そして、界隈としての規模が少しずつ萎み始めていながらも、次の売れっ子アーティストが出始めたことによってみんなそっちに流れて行ったりしていた。

私は絶対に冷めたりしない、また昔みたいに大きなホールで…推し武道館行ってくれたら…なんて思いながら推し事に没頭した。仕事で行けない公演、遠征が出来ないなんて普通だったけどその当時は行けるだけで嬉しかった。

辛かった時を支えてくれたアーティストを裏切っちゃダメだ、だって好きなんだからって自分自分呪いをかけてた。そりゃもう無意識に。しかしそんな時私自仕事に耐えきれず体を壊してしまって、仕事を辞めた。病院先生からは「好きなこと好きなだけして見なさい。今まで我慢して頑張りすぎたんだよ。」って言われて、職と引き換えに得た時間で初めて遠征もした。

握手会とかのイベントあんまり何度も行くのは迷惑かなと遠慮してたまにしか行かなかったけれどいわゆる「積む」ことを覚え、握手会等のイベントにもたくさん行った。おかげでだいぶ元気にもなり、前職より楽な仕事に就いて自分のペースで遠征も含め楽しめるようになった。この時点でCDを譲り受けた出会いから10年。

10年もこの人たちに支えられてたんだ…!と嬉しくなった一方で段々と自分の中にも不信感が芽生え始めた。

まずアーティスト側が活動を始めてから運営方針が変わった時、内部でのことは分からないが

CD盤面や新着情報に関するメール誤植の多さ

公演翌日に行うイベントの告知が7日前と急過ぎる(遠征予定の人はホテル交通機関の手配が済んでしまっているので行くのを諦めざるを得ない)

◯月に続報を出しますと銘打った告知も約束の期日から半年以上の遅延、それについての謝罪は無し

1000人ちょっと入るホールで前列を定価の5倍で販売

ファンクラブ先行チケット転売複数名義を作り保険をかけたり余った先行チケットも非会員が手に入れられさえすれば入場できてしまファンクラブ制度杜撰運営取締りの甘さ

会場で配られるはずだったファンクラブ特典が配られず「不備があったので郵送します」とレターパックを渡され、二ヶ月後に汚い字で内容物の記載がされた特典が送付されてくる

イベント配信遅刻常習犯メンバーがいるうえにそれを謝らず交通機関の乱れや機材トラブルと嘘をつく

ネットでは一切告知せずコラボ店舗に出向いた一部のファンにだけこっそり高額なコラボブランド品の販促をし、購入特典にイベント開催

書き出してみると本当に酷いなあって溜息が出るのですが、最初運営体制が変わったばかりで不慣れだから仕方がないとみんな目を瞑っていた。しかしこれを3年、5年、とやられたらどうです?普通モヤモヤ案件

そして、自分で好きという呪いをかけ続け信者でいた自分が一番我慢ならなかったのが、仕事も慣れてきて遠征増やそう!と張り切った年のツアーしかモヤモヤもあったので今年が最後かなあとも思いながらチケットを取ったら定価6倍商法が取られている会場以外見た事もないくらい良い整理番号。純粋に嬉しかった。

けれど公演が始まると代表曲やこれまで節目でやっていたような曲で肝心のボーカルが音を外したり声が出なくなったり歌詞を間違えたりする事がどの会場でもあって、えっ…?調子悪い…?と不安でいっぱいになる。

そんな中、本人の口から出たMCでの言葉は「エモいとねー声が出なくやっちゃうんだよね。」と。エモいって何?ちなみに私はボーカル推しでした。だから余計に意味からなかったし、他の演奏してくれてる楽器陣たちにも失礼なんじゃ…とすら思った。

まり理解できない内容と好きな曲が本人達の手によってめちゃくちゃにされた気分と、あと個人的メンバーがお立ち台のぼってペットボトル投げただけで後ろから突進してきた人達の圧にいい加減耐えられなくなってしまった。

それでもツアーが終わった後、チケットを取ってしまっていた公演が1つだけあったので行くことにしたけれど、やはりセットリストはあまり声が出なくなる曲は入れない守りに入った曲目、MCでダラダラ喋る短い本編、そしてやっぱり声は裏返って歌詞は1番と2番逆にしてる…ほんとに自分で作った曲だったんですか?それとも私の知らないうちにボーカルさん世代交代しました?っていう違和感

そしてそのライブの翌週、ボーカルSNSにはボイストレーニング行くの辞めて海外アート学んでます!との投稿。え?ボイトレしないの?あんなに酷いツアーしたのに?一回の公演で私たち6000円くらい払ってるんだけど…あれが6000円のパフォーマンスだったの?と悲しくなった。

更にはその酷い公演を安くない値段で見せられたファンが見ているアカウントから副業を始めたことを発信し始め、中身を除くとお金ビジネスと中にはすべてとは言わないが鵜呑みにしたら危なそうな美容法…。

そして挙げ句の果てに「ただ練習して発表してれば良かった」「前の運営体制は安月給だった」ミュージシャンアーティストとしての仕事やそれを生業にしてきた人を応援してきた自分を、当人によってとことん馬鹿にされた気分になり、すべてのコンテンツSNS登録を解除した。私の好きな人はただの怪しい人になっていた。

ちなみに私はガチ恋でもリアコでもなく、本当にただ辛かった時期を支えてくれた恩人であり応援した続たい人として見ていたので、今こういうガチ恋やリアコと呼ばれる人達はこの変わってしまった「怪しい人」のことをどう見ているんだろう。

他にも腹が立った発言や、前述の通り異性間の交友関係暴露や今話題の匂わせなどもあり、「もうこの人はこのバンド音楽をやりたくないんだな」「新しいビジネスお金を稼いで音楽副業でいいんだな」という気持ちが前面に見えてしまって、これまで集めた雑誌CDやグッズ、いろいろなもの処分しながら今も泣いています

大嫌いになった、と言ったけれど好きっていうのは強い呪いから自分では簡単に解けないらしい。(推し武道で見た)

今私はこのアーティストが、1番好きで心の支えだったボーカルが大嫌いです。でも、好きな反対って無関心なんですよね、もうこういうブログ愚痴を書かなくてもいいくらい無関心になりたい。









本音を言うならこのまま舐めたアーティスト商売してバンドめちゃくちゃにするくらいなら早くバンドも辞めてくれたら気持ちが晴れるのかもしれない。

2019-12-01

子どもスクールカーストの上位にするマウント教育方針

スポーツ

スポーツは他を差し置いて一番重要だ。

球技をさせる

特にバスケサッカーなどをさせる。陸上水泳など一匹狼系の種目と違って、バスケサッカーなどができるほかの子友情を育み、逆にできない子に対して優位なマウントをとることができる。

(もちろん、持久力も重要で、体力テストなどでマウントは取れるが、バスケサッカーをしていれば自然とつくのでコスパが良い)

さいころから子どもと遊ぼう。ただし、親のどちらかができなければ、大した効果は得られないので、きちんと結婚相手を考えるべきだった。

筋トレ

最低限の喧嘩に対して防御の意味でつける。殴られても落ちなければ、いじめられてもそのうちいじめられなくなるだろう。

中学生以降では、筋肉を見せるためにつける。

喧嘩

喧嘩になった場合に備えて、喧嘩のしかたを学ばせる。相手重篤けがをさせない範囲で、歯向かう気をなくす程度の強さを習得させる。空手柔道ボクシング合気道有効

身長

これは生まれからはどうにもできないが、高いほうがよく、まずは結婚する人から考えるべきだった。

勉強

勉強は上位30%くらいに位置できれば、最低限でよい。

勉強マウントをとることもできるが、まずはスポーツを優先すべきだ。スポーツマウントがとれており、勉強が極度にできないのでなければやる必要はない。

逆に、上位5%程度をキープできれば、いじめなどに合う確率は低くなるが、「がり勉」とされて体育系でマウントをとっている人たちの輪に入るのは難しい。

頭の回転

勉強より重要で、あまり遅いといじめられる場合が多い。

そもそもここが悪ければ喧嘩スポーツもできない。

幼少期からきちんと自分で考えさせる教育をすべきだろう。また、結婚相手を考えるべきだった。

交渉術

子ども給食デザートを入手したりするのに有用。逆に、防御にもなる。

論破力を高め、絡まれてもいなすことができる。

話術

バカにされても逆に笑いをとったりすることができる。逆にダメージを返すこともできる。

発表などの際、内容が伴っていなくてもごまかすことができる。

声の大きさ

声の小ささはいじめに直結するので、声は太く大きく発声できるようにボイストレーニングする。

無意識のうちにマウントがとれる隠れたポイント

マナー

マナースクールカーストには全く無関係で、むしろ逆の相関すらあるので、教えなくてよい。

しろ悪い方向で演技をするような教育必要だろう。

とくに口のきき方は悪いほうが良い。

流行

流行を追わせる。芸能YouTuberゲームを教え込む。

逆に新聞や本などの活字不要だ。

ゴシップなどは話のタネになるので、積極的週刊誌などを読ませる。

ゲームコンソールソフトは広く多くそろえておく。

家、車

子ども自身ではないが、ほかの子や親に対してマウントを取る意味では高級なほど良い。

家は広さと庭が重要。ほかの子を呼んだときに、噂を通じてマウントをとることが可能

団地は論外。アパートよりはマンションマンションよりは一軒家が良い。

特に車は送迎において露出が多いので、高級なものにすること。

外車とまではいかなくてよいが、最低でも3000ccクラスの高級ラインから選ぶこと。

毎週洗車すること。

スマホ

子どもiPhone(できれば最上位が良い)を持たせる。

ヒビが入ったらすぐに修理すること。

LINEインストールスタンプ自由に買わせる。

子どもAVなどを見ても叱らない。

性教育

最低限妊娠する・されると困るので、その程度の知識はつけておく。

経験は早いほうが良いことを教えておく。後々中学高校でのマウントがとりやすくなる。

子どもは取り入れた知識をひけらかすので、できるだけ子どもたちにとってインパクトのある表現や、事例を取り入れて話の輪の中央位置できるようにネタ提供する。

2019-11-10

anond:20191110125557

ググりました!

宮子あずさ

明治大学中退後、東京厚生年金看護専門学校入学。同校を卒業1987年より東京厚生年金病院に勤務。内科病棟を経て、神経科病棟および緩和ケア病棟看護師長を歴任する。

小林光恵

茨城県鉾田第一高等学校在学中は地学部やチアリーダー活動をしていた。1982年東京警察病院看護専門学校卒業後[1]、看護師編集者などの経験を経て、著述業となる。

宮内美沙子

国立療養所宇多野病院付属高等看護学校卒。都内看護婦として働く[1]。夫は新聞記者の柴野徹夫。1987年に『看護病棟日記』を刊行して話題となり、数冊の著作をなした。

山中利子

日本児童文学作家詩人。元看護師[2]。

室園孝子

久留米医師会看護専門学校卒業後、聖マリア病院へ勤務、並行して音楽専門学校にてボイストレーニングを重ね、バンド活動等を経験。 二児の母になったのをきっかけに執筆活動を始める。

十津川光子

北海道まれ慶應義塾大学医学部付属厚生女子学院(現・慶應義塾大学看護医療学部卒業後、看護婦となる。

真杉静枝

1911年に一旦日本に戻ったが、再び台湾に戻り、台中看護婦養成所を卒業して1916年から看護婦として台中病院に務める[1]。

弥永英晃

看護師として救急救命外科内科整形外科脳外科・終末期医療訪問看護精神科経験病院・クリニックの心療内科精神科児童思春期外来病院カウンセラーとして勤務。独立し「心理カウンセラーメンタルトレーナー作家」として活動

吉見マサノヴ

看護師の傍ら作家を目指し、2002年 ファッション情報誌CROWD」にて恋愛コラム連載開始が作家デビュー

大森兄弟

大森兄弟(おおもりきょうだい)は、実の兄弟2人による日本小説家コンビである

兄は1975年まれ成城大学法学部卒、看護師

ルイーザ・メイ・オルコット

1860年にオルコットは「ジ・アトランティック・マンスリー」(The Atlantic Monthly)誌に作品を書き始め、また1862年から1863年にかけて六週間ほど、ワシントンD.C.ジョージタウンにある合衆国病院看護婦を務めている。

アンナヤンソン

1997年家族コンピュータを買ったことをきっかけに小説を書き始める[2]。この時、看護師になって20年が経っており、まだ看護師という職業が好きだったが、何か新しいことを始めてみたいと思っていたという[1]。

テレサ・マデイラ

21歳の時に処女作上梓作家になる前は看護師をしていた。

エリザベスバー

米国作家で、元看護師

ヴィッキィ・バウム

また、第一次世界大戦の間には看護士としても働いた。



いかがでしたか

2019-07-03

KKOモテるためにやったこ

・月1で美容室に行く

眉毛を整える

・髪の毛を染める

ワックスを使う

毎日髪を洗う

・服は流行ブランドものにする

身体を鍛える

ヒゲ脱毛をする

ボイストレーニングに通う

・会話では女の子をイジる

恵比寿駅の近くに住む

2019-05-11

anond:20190511141941

からだが

木嶋佳苗っていう反例がある

顔がブスでもお尻を鍛えるとかできます

ボイストレーニングしてかわいい声にするとかできる

男の場合

身長顔面が壊滅的だと逆転不可だから

2018-01-27

猫背で声が出しにくい人、腹から声出せない人、ぜひ読んでくれたまえ

普段の声でもいい、歌うときでもいい

猫背の人はまず姿勢を治さないと、いくら小手先腹式呼吸とか意識しても無意味だよというお話

姿勢、超大事!!

お腹に力を入れるの意味が分かりましぇん、、、って人にも役立つと思う。

ちなみに俺はそういうボイストレーニングとかの専門家でもなんでもない、ただの一般人ね。

から色々な用語使うけど、「」付けとくから、それについては各自ググって見識を深めてほしい。


まず、こういう人が注目すべきは猫背よりも首がどうなってるか。腰が(骨盤が)どうなっているか



首がストレートネック気味だったりすると普段よりも顔が上を向いていたりすると思う。こうすると首に負担かかるし、「声帯閉鎖」が弱くなる。

声ってのは、息+実声成分で成り立ってるんだけど、声帯閉鎖が弱く息漏れしてると、無駄な息を使うし、声の輪郭もぼやける。歌においては致命的。

一生懸命歌ってるのに、マイクの通りが悪すぎる人はまず声帯が開いてると思う。ただ、これを無理に閉じようとすると、喉に力が入った状態になるからその辺は各自調べてほしい。



それから猫背気味の人。普段猫背で「骨盤」が傾いてしまってるぶん、立ってる時は背中は反り、お腹に力が入らずに体の支えが効かなくなってる。

よく、お腹に力を入れろ、おへその下の「丹田」に力を入れろというけれど、よく意味が分からないんじゃないかな??

この力を入れろというのが、厄介。力の入れ方としては、前に張るんじゃなくて、後ろに凹ませるイメージ。そして猫背による反り腰を正すイメージ

よく分からなければ、立った状態でへその下を押しながら、そしてその部分を凹ませながら声を出してみてほしい。支えがあるからとても声が出しやすいはず。


俺はヘルニアからストレートネックダブルコンボで、ずっと通らない、息っぽい、不明瞭な声に悩まされてきた。

あくまでも大事なのは姿勢腹式呼吸とかの”ボイトレ”系は二の次。ああいうのは、正しい姿勢を前提としてる。

繰り返すけど、姿勢は超大事小手先ではなくまずは姿勢を疑ってみてほしい。じゃないといくら発声練習とかしても喉潰すよ。

2017-12-26

anond:20171226155149

でも声が届かないなら仕様がないじゃないか

ボイストレーニングでもするか?

兎角上司の近くまで寄れ。

「聞こえない!」って言われたくないのだろう?

2017-10-23

anond:20171022113705

10年以上様々な地下アイドル推しているオッサンなので不覚にも涙腺にキた。現在アイドルと呼ばれている子も卒業した子も膨大な数なので、元増田まさか私が過去推していた子ではあるまいとは思うが、もしかしたら見たことぐらいは有るかもしれない。いや、推していたどの子にも「今普通に幸せだ」と言ってほしいと言う希望的観測だ。

今更説明するまでも無いことだが、地下アイドルと呼ばれるような売れていないアイドルたちは、現役時代引退後も闇が深い。リスカメンヘラ、枕は当たり前で、突然消えたと思ったら、しばらくして2ちゃんねるに「どこどこのデリヘルでヤれる」と書き込まれる。アイドル本人が勿論一番大変なのだが、我々ファンにも闇に疲れてファン活動を辞めてしまう者が多々現れる。あるいは、常に新しい地下アイドルを追い続けて、消えた子のことは考えないようにするしか無い。

書かれている通り、「〇〇さんみたいな女優さんになりたい」「△△さんみたいなシンガーソングライターになりたい」と言うアイドルは割と存在する。しかし今のところ、自分推しているアイドルがそういったステップアップの夢を叶えたのは見たことが無い。大人に騙されていると感じることは多々ある。実際のところは知らないが、事務所所属していても、ボイストレーニングダンスや演技のレッスンには多額のレッスン料がかかり、アイドルとして活動すれば割安で受けられるという話も聞く。叶わない夢を人質にとって、アイドルとして搾取している面は否定できないだろう。

元増田現在幸せであるのは、勿論本人の意思判断力ゆえだが、周囲の大人に恵まれていたのではと想像する。アイドルが売れるか否かも、壊れるか否かも、運次第の部分が非常に大きい。

ブクマコメントを見れば、淡々とした文章からでも元増田の人柄というか、内に秘めた輝くもの琴線に触れている人が何人かいる。こういった、普通女の子なんだが、少しだけキラリとしたものを感じさせて、どことなくイイなぁと応援したい気持ちにさせるのが、アイドルと言う生き物なのだ。その輝きを見たくて追い続けているのに、彼女たちの夢は叶わずどこにも行けず、不幸になるだけだとしたら、一体自分は何のために応援しているのだろう。

売れないアイドルをやっていたことが、プラスになってほしいとまでは言わない。せめて元増田のように、全てのアイドル卒業後にプラスマイナスゼロで新しい人生を送ってほしいと心から願う。

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