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はてなキーワード: 英会話教室とは

2024-11-09

「人は変わらない」? そんな茂木氏の言葉に、俺は一言言いたい。

結論から言おう

他人を変えようとするな。他人に変えられるな。自分は好きにしろ。変わりたきゃ良い仲間を見つけろ。以上。

世の中には「変える」ことに執着する奴らがいる

左翼右翼の頑固さにイラつき、右翼左翼啓蒙しようとする。自分正義を振りかざして他人を変えようとする連中だ。

SNSを見ていると、そういう奴らが溢れかえっている。「Aを支持するやつはバカだ」とか「Bを知らないなんて勉強不足だ」とか、偉そうに言ってくる。

他人時間を奪う「アドバイス」には要注意

俺も自称データサイエンティスト自称プログラマーに「KaggleやAtCoder基本情報勉強ぐらいはやっとけ」なんて言われて、時間無駄したことがある。やってみりゃわかる。Kaggleなんて、データセットと実行環境が使えるだけで、コンペのモデル実用性なんてない。ただのオンラインゲームだ。

こういう「アドバイス」をする奴は、他人時間価値を全く理解していない。

「変われるのは自分だけ」は正論だが...

茂木さんの言う「変われるのは自分だけ」ってのは、確かに正論だ。アダムグラントも似たようなことを言っている。謙虚に学ぶ学習者」が一番貴重で、その対極にいるのが「主張の激しいカルトだってな。

でも、盲点がある。謙虚学習者は洗脳されやすい。ちょっとリベラルな考えに触れただけで「なるほど」って受け入れちゃう自分意志じゃなく、流されて変わっちまうんだ。

変わるには他人の影響が必要

かといって、完全に自分だけのアイデアで変わるのも難しい。変わるには新しい情報や刺激が必要で、それは他人からもたらされる。つまり他人の影響なしに変わるなんて無理なんだ。

結局のところ

現状に満足してるなら、変わる必要なんてない。倫理的問題があるなら変わった方がいいかもしれないが、倫理なんてどうでもいいと思ってる奴が自分から変わるわけがない。

セル・オートマトンから学ぶこと

ある種のセル・オートマトンシミュレーションでは、セル同士のコミュニケーション範囲によって空間の様子が変わる。たくさんコミュニケーションを取らせると均一なグレーになる。逆に少なくすると、強い白、強い黒、グレーが混ざる。

まり、「他者から学ばない」姿勢は、極端に良くも悪くもなる可能性がある。社会圧力に屈すると均一なグレーになって、自分判断基準を失う。

「強い白」になるための戦略

「強い白」、つまり良い方向に向かうには、「少数の良い人間関係」が必要だ。これは「エコーチェンバー」とも言えるが、社会の雑多な悪影響を減らすのに役立つ。

具体的な戦略

1. やりたい趣味を見つける

2. その趣味仲間の中から良い人を見つける

例えば、ボードゲーム趣味なら地元の愛好会を探す。英語趣味なら興味のある国の人が教える英会話教室に参加する。こういう人間関係は「良い」と言える。

SNSの罠

SNSダメなところは、処理しきれない大量の意見に慣れてしまうこと。斬新な意見も含めて全てに慣れて、思考がグレーになる。繰り返しの情報は「ウザい」と切り捨てるようになる。そうやって均一化されると、気づかないうちに洗脳され、他人に変えられてしまう。

要するに、自分の頭で考えろ。でも、良い仲間は大事しろ。それだけだ。

 

ソース: https://www.youtube.com/watch?v=2deo1l_f6nc

2024-10-08

anond:20241007221603

アムウェイに誘われたり英会話教室に入ったり他のローンとかも含めて職場借金電話がかかってくるようになって結局辞めて債務整理してどん底人生だったけど、返済中にできた彼女に振られる覚悟借金の話したら残り全部払ってくれて結婚して子供も生まれ幸せになったので俺に逆転ボタンはあったと思ってる

2024-09-17

英文学科を選ぶ上での一つの視点

予備校勤務の立場から、「英文学科で後悔しない視点」をまとめた。

関東限定で、多少厳しめに書いたが、これらをクリアすれば楽しい学生ライフが待ってると思う。

1.就活対策のメッキに惑わされない

多くの英文学科が、TOEIC受験必須にしたり、観光メディアも学べるコースを配置して、受験生の親に「就活対応していますPRしている。

しかし、注意して欲しいのが、英文学科の学びの中核は、「イギリスアメリカ文化を学ぶこと」であって、TOEIC対象としているビジネス英会話も、オーストラリアシンガポールカナダと言った国々の文化も中心ではないことだ。

対策

メディア観光業界に惹かれるなら、それらの要素が強い学科検討しよう。専門にする国を時間をかけて選びたいなら、国際系学部もあわせて検討しよう。

2.シェイクスピア演劇や、映画が好きか?

英文学を専攻するにあたり、演劇映画の授業はついて回る。演劇映画専攻ではない、文学部での演劇映画の学びは独特であることを理解しよう。

演劇映画専攻の場合、実際の創作や演技がカリキュラムに組み込まれており、他の大学生協働して作品を作り上げる。それぞれの嗜好や制約の中でロジカルに考え、ベストを尽くす経験は、色々な業界に行っても役に立つ社会人基礎力が得れる。しかし、英文学科の場合、学ぶのは一人で行う批評であり、これが得意なタイプの人もいる。

対策

高校生のうちに、シェイクスピア演劇複数回観て、観客か、提供者側のどちらが向いてるかを考えよう。関東場合さいたま芸術劇場(今度やる真夏の夜の夢は18歳以下無料!)神奈川芸術劇場(今度やるリア王高校生以下1000円!)シェイクスピアカンパニーなどが公演をやっている。観劇前に無料ミニレクチャーがあったり、劇場の裏側見学ツアーもセットになってるのも楽しい

アニメゲームに関心がある場合作品づくりという点で演劇映画専攻のほうが興味に近い場合もある。

3.キャンパスの立地を意識しよう

これは持論で恐縮だが、文学部の学びは、キャンパスの立地が重要だと考えている。

理想京都洛内のような、面積あたりの知識人職人割合が多く、学生に優しい街だ。

東京場合、ふらっと行ける帰り道に、映画館や劇場があることや、寝床が近いことが重要なのではないかと思う。文学部の学びは、偶然の作品との出会いや、夜通し学友と語り明かしたりすることを通して洗練化されるので、通学時間が長かったり、郊外生活が完結してしまうのは少し難しいと思う。

対策

•これは少しズレるが、大学の四年間、「週五日、オンライン英会話教室を続け、年に6回、演劇を観にいく」と仮定してみよう。それを差し引いて学びたいことがありそうかを、志望学科教員の専門から探してみよう。

大学教員と楽しく話せそうな目処があることが、中退留年を防ぎ、大学生活を楽しむ上で特に重要だと思う。

ちな、自分文学部演劇専攻。大学舞台があり、学生公演では照明などを担当し、卒論では某有名漫画ストーリー分析した。

演劇学科は、クセ強が揃ってて笑い転げることが多く楽しいぞ!

2024-08-13

ネトウヨだけどネトウヨが無理

xで仲良くなった人がネトウヨ関係悪くなったんだけど、やっぱ無理だなぁ

そりゃネトウヨの話は聞いてて自尊心くすぐられるけどさ、そんな話信じて痛い目みても誰も責任とってくれないよ

ネトウヨだったからわかるんだ

リアル日本すごい韓国カスいとか言ってたし、なんなら一時期滞在したマレーシア英会話教室でも言っちゃってたよ

みんな困った顔してた

うちの母はそれを真に受けてまだ時々バカチョンが、とか言ってるよ。本当にごめん

 

ネトウヨの困ったところは、ネトウヨ側の主張が自分をつよく補完してくれるのに対して反論側はそのモチベーションがないことなんだよね

そんなこと言ったら外国人に失礼だよ… みたいな、動機が弱いか積極的に論戦しようという気にならない。

子持ち VS 独身とかとは違う。

外国人他人が失礼こうむろうがべつに気にならんもんね。英語SNSだったら違ったんだろうけど。

 

別のFFさんは旦那さんが突然ネトウヨになって、四六時中日本がどうだそれ以外はどうだと言ってくるようになったかノイローゼになって離婚したって言ってた

無理すぎる

ネトウヨにならない人と仲良くなったほうがいいのか

外国に住んでる人、人文系学生はならないっぽいけど

きちー

2024-08-06

anond:20240806161804

英会話教室の入会や原画展でカラーコピー契約させる時によく聞いたのが「1日缶ジュース1本分」

月にしたら4000円だから十分高いんだけど騙されて契約するのがいるから使われる言葉なんだろうな

2024-07-10

ポケモンを1日30分週2回でやらせる親

小学4年生男子

公文英会話教室水泳全部頑張ったからご褒美に誕生日スイッチと最新のポケモン買ってもらったんだってさ。

そんでそのお母さんが「うちの子供がゲームばっかりしたがる。ゲームはやっぱ依存性があって怖い。夏休みもずっとやりたがりそうで嫌だ」って深刻な顔してるからあーポケモン嬉しくて寝る間も削ってやってるんかな?って思って何時間くらいやってるんです?って聞いたんだわ。

したら、「週2で一回30分だよ〜」とか言ってて。

聞いた瞬間笑いそうになったよ、どんなパーティー作ろうかなぁってボックス漁っても10分くらいたつでしょ…

友達に俺もポケモン買ったんだーって嬉しくて報告しただろうに、いつまでも進まなくてこいつ本当に持ってるの?って感じじゃん

でもそこの家、代々医者やってる家でお金持ち。

このお母さんも実家お金持ちながら頭はそんなよくないんだけど(都市にある名前書けば誰でも入れる私立短大入ってる)うまいこと15歳年上の旦那さんと不倫からデキ婚して地元戻ってきたら人でやり手。(中学校同じだから知ってる)

うちは夫も私も地方公務員貧乏暇なしって感じ。

から普段意見しないけど流石にそれは無理があるって突っ込んでしまったわ。

私はずっとゲームしてきた人間だけど、お金持ちお母さんってゲームこんな知らないんだなってびっくりしたわ

2024-07-09

進路相談:この先輩の職業観は正しい?

私は理系修士1年。

将来は博士課程に進学し、博士修了後は海外研究機関へ行こうと考えている。そのため週一回英会話教室にも通っている。

しかし、その英会話教室である先輩(男)に出会い気持ちが揺らいでいる。

先輩は社会人一年目。博士課程を中退し、国家公務員キャリア技官となった。

先輩は色々と私の進路にアドバイスをしてくれる。

博士課程は教授奴隷」「博士取っても就職口なし」「博士就職してから取ればよい」と博士に厳しい。

からから就職活動をして修士就職せよと。

さらには公務員世界は「天国」のような環境であり、自分のしたいことができる「夢のような世界」だと私に会うたびに誇らしげに語ってくる。

先輩の職場最初の1年間は研修期間で、その間は付属工場で働くとのこと。1年たてば希望部署に行けるらしい。

そのため、私に修士就職して「早く俺のような楽しい世界に来いよ」と国家公務員をすすめてくる。

先輩はなぜ博士課程を中退したのか、なぜ国家公務員になったのか、どんな仕事をやっているのかについては、聞いても具体的には教えてくれない。

この先輩の言っていることは正しいのでしょうか?信じてよいのでしょうか?

2024-06-08

水原一平yotuberしよう

英会話教室お金稼げるってば。

裁判所で役立つ英単語10

いける

2024-04-13

自己投資の基本

若者投資なんかせずに自己投資しろ

NISAするより自分投資した方が断然有利」

なんて偉そうなことを言う奴が多いくせに

じゃぁ自己投資をどうやってすればいいのかを誰も教えていないか

自分過去経験を踏まえて自己投資について解説したい

拡張自我に対して自己投資する

拡張自我とは、要するに自分身の回りにあるモノを自分の一部だと認識する心理学のこと

自分の使っているペンを褒められると嬉しいし貶されると怒る

それは自分自身を褒められたり傷つけられたりしているのと同じだから、という感覚

本当に自分自身に対して投資をすると基本的に不可逆なので取り返しがつかない

ところが拡張自我は失敗すれば捨てれば良いのでリスクが少ない

なので基本的には拡張自我に対して投資をしよう

腕時計

一番簡単な例は「腕時計」だ

ロレックスとかデイトナとかそういうのでしょ?」

と思われるかも知れないが、Apple Watchで良い

ただし、一番高いApple Watch Ultraを付ける

Ultraはデカくて物理的にどうしても無理ならノーマルで良いがバンドHERMESにする

とにかく背伸びしてでも高いものを身につけることで

自分自身の価値簡単に高めることができる

自分にとってそれが値段相応価値があるだろうか?」

などと考える必要はない

ただただその価格が付けられている(そして値下がりしない)のであれば、投資額として相応であるから

株式投資をする際も、投資先の企業に対する価値自分基準で計ったりはしないように

自己投資する場合投資先に対して自分基準価値判断しない

ちなみにAppleユーザーでないならGarminでもなんでも構わないがとにかく考え得る一番高いものを身につけよう

衣服

服も同様に簡単拡張自我を高められる

「オーダーのスーツとか?着る場面がないけど」

という意見も良く聞くが、たまにしか着ない衣服の値段を高くしても自己投資にならない

たまにしか着ないので拡張自我として認識していないからだ

拡張自我として投資するなら「普段着」に対して投資する

例えば下着靴下価格を高めにし、一足千円の靴下を常用する

シャツパンツアウトレットでは買わず、新作を率先して買う

デカデカブランドロゴが入っているようなモノは高くても「下品」と思われるリスクはらんでいるため

割とおとなしめのロゴなどが入ったものを選ぼう

衣服消耗品なのでコスパが悪いように思うが

経験上、高い衣服はかなり長持ちする

らくだ無意識的に洗濯に気を付けているからだと思う

食器

茶碗、皿、カップ、箸、スプーンフォークなどの食器もできる限り高級な食器を使う

これも食器棚に眠らせて

記念日に使う大事食器

というようなことはしない

普段使いする食器として高いモノを使う

ちなみに食べるモノはなんでも良い

パスタ冷凍でもレンジでチンでも全然構わない

ただし食器は必ず高級なモノを使う

例えばグラスのボールカット野菜と安物ベーコンを放り込んでドレッシングで混ぜるだけでかなり高級サラダになる

ワインなんてコンビニの600円のワインで良いが

バカラワイングラスで飲めば十分高級ワインとして楽しめる

住居

住居はできる限り高額なところに住む

賃貸か購入かは死生観に基づいて勝手に決めれば良い

ただし自己投資としては最大額を突っ込むレベルで高額なところに住む

住宅ローンを借りる場合限界まで借りる

投資大原則はレバレッジをして損切りすることなのと同様で

限界まで借りた上で売却価格に目を光らせるのが良い

そして住居の中でも拡張自我に関する部分に最大限投資する

例えば風呂は良ければ良いに決まっているが、拡張自我としてどうか、というのを自問自答する

人によっては風呂好きな人がいるのでそこに投資するのは間違いではない

他にもキッチンリビング拡張自我としてどうか、をよく考える

簡単判別方法は、上司に叱られたときに「でも俺の家は檜風呂だしな」と思ってストレスがなくなるなら拡張自我である

この投資は部屋に置く家具などにも当てはまる

住居の家具を全て高価なものにするととんでもない額になるので

拡張自我として最も強い部分の家具を高価なものにする

よく寝室や寝具に投資する人がいるがオススメできない

「1日のうちで一番長時間を過ごす」

などという触れ込みが多いが、大半は意識が無い状態なので拡張自我としては希薄である

動機付けとなるもの投資する

例えば英語学習することで昇給や昇進、転職約束されているような状況であっても

日々の英語勉強する人は一部の人に限られる

これは

英語勉強すると利益がある」

という動機があるのにも関わらず

英語勉強する」

という行動に移せない状態になっているためで

動機から行動に移すには「動機付け」が必要となる

この動機付けには「内的動機付け」と「外的動機付け」がある

内的動機付け自発的内面から出てくる動機付けのことで、よく「やる気」「モチベーション」などと言われる

一方で外的動機付け他人から怒られたり、英会話教室の案内が届いたりするようなことが当てはまる

これらの動機付けに関するもの積極的投資することで、高いリターンを期待できる

拡張自我価値向上による自己価値ギャップ

上の節で説明した拡張自我に基づいた自信への投資自己価値向上に繋がっている

ただし、自分自分に感じている価値Apple Watch価格が見合っていないと感じると、そこがギャップになる

そして人はそのギャップを埋めようとして自己価値を高めようという「内的動機付け」が完成する

新入社員に「高いペンを買え」などという指導が昔は良くあったが

要するにこの理論実践しているに過ぎない

基本的に成長や成功のチャンスは何度でもあるのだが、内的動機付けができていないとそのチャンスを逃す

自己投資によるリターンを得るためには内的動機付けをしておくことは必須である

英会話教室資格試験講習会ジム

自己研鑽としてこの手のものが多いが注意したいのは外的動機付けに繋がるかどうか、である

例えばジムに通うときに高い年会費を払うと、それがそのまま外的動機付けになる

他にも週に一回のヨガを予約すると、行かざるを得なくなる

これが「安い」「いつでも気軽に」となると外的動機付けにならない

安物買いの銭失いと同じである

基本的には投資額が高い方が外的動機付けになりやすいが

そもそも得られるリターンが投資額に見合ったものであるのかはよく考えた方が良い

(単に趣味としてやるなら投資ではないので気にしなくて良い)

機会創出に対する投資

チャンスはいくらでもあるとは言ったが、増やせるなら増やした方が良い

例えば古い友人関係大学関係の付き合い、旧職場の付き合いなどには積極的投資する

これは何も金銭に関するものではなく、時間を消費するという投資も含まれ

ただしチャンスが増えそうにないのであれば投資する必要はない

こういうとき

あいつは目ざとい」「付き合いが悪い」

などという話に付き合う必要はない

もちろん本当に友人関係として大事なら話は別だが、ただの職場関係でチャンスも増えそうにないなら無視して良い

極端に言えば同じ職場の同じメンバー飲み会などは無視してよく、知らない人との飲み会などは積極的に参加するべきである

2024-03-10

昔のそろばん教室位置づけって今の英会話教室だと思う

どっちもコンピューターもしくはAIによってなくても困らないものになるという

2024-02-27

anond:20240227160927

来月頭までに休学か退学するからそこまでに英会話教室滑り込めばセーフなのか?

学割チャンスって色んな場面であるけど勉強してない通信制大学学生証出しづらすぎて全く活用しなかったな…

遊びでカラオケ行った時とかも人前で学生証出しづらくて普通料金払ってたし本当に…

気が狂って昨春通信制大学入学したが何も勉強せず学籍更新を迎えた今

25万くらい金ドブしたけどまだ少ないほうだよねと慰める

もう少し貯めて英会話教室に行ったほうが仕事で使うので直近の実りあったぜ うう!

2024-02-25

[] 2024-02-25

最近SNS断ちをしていますTwitterFacebook、Bluesky、Mastodonなどを使わないようにしているのです。

それだけではなく、スマホにはブラウザさえ入れていません。これは、オフラインアクティティもっと充実させた方が良いと思ったからです。

そしてSNSには舌の罪が付きまといます。もちろん匿名ダイアリーもそうですが、特に短文投稿型のマイクロブログ軽率発言が増えてしまうのです。

箴言には舌の罪についていくつかの教訓があります。以下はその一部です・

1. 偽りを言う舌:主が憎むものとして「偽りを言う舌」が挙げられる。

2. 悪口を言う舌:「そしりを口に出す者は愚かな者である」と述べられている。

3. 制御できない舌:「言葉が多ければ、とがを免れない、自分くちびるを制する者は知恵がある」と述べられる。

4. 乱暴言葉:「優しい舌は命の木である乱暴言葉は魂を傷つける」と述べられる。

また、愚か者も何も言わなければ賢いと思われるとか、愚か者理解よりも意見を発することを好むとも書かれています

箴言の「愚か者」について学ぶたびに、完全に愚かさを排除した人は「精神的なスーパーマン」だとさえ思います

ソロモン自体が「しくじり先生」で、一時期忌み嫌われる偶像崇拝をしたらしいです。

よく日本人アニメの中で神の存在を「白髭の生えた老人」を描きますが、そうやって神を特定の形として表すことが偶像化であり、罪なのです。

さて、SNSを使う際に舌の罪を犯さないためにはどうするべきでしょうか。

まず真実を言うべきです。情報や誤解を招く可能性のある情報を共有しないようにします。情報を共有する前に、その情報が正確であることを確認すべきです。

そして攻撃的または侮辱的な言葉遣いは避け、尊重理解を示す言葉を選ぶべきです。他人プライバシー尊重し、許可なく個人的情報を共有しないようにすることも重要です。

建設的なフィードバック提供し、他人サポートし、肯定的な会話を促進するべきです。フィードバックを得たら、自分投稿他人にどのような影響を与えるかを定期的に反省し、必要に応じて修正するべきでしょう。

といっても無理に発言する必要はありません。最も良いのは、発言をしないことなのです。

私も匿名ダイアリー発言しなくてもいいように、紙の日記帳を買いました。それなのにこうやって発言してしまっているのは、まったくネット中毒というのは厄介だと思いますが、休日にしたいと思うアクティティがまだ見つかっていないのです。

両親は私に「結婚しろ」と言いますが、本当に結婚をするべきでしょうか。統合失調症の私の遺伝子を残して、子供が苦労するだけではないでしょうか。

最近英会話教室に行くのもやめてしまいました。節約のためです。

趣味のためにお金必要であるという発想が嫌なのです。お金を使わずにできる趣味が、今の私には必要です。

そしてその趣味は、善悪という点から見て善の側である必要がありますオンラインで発信するというのは、どちらかと言えば悪の側だと思うわけです。

そうですね...休日図書館勉強をするとか、部屋の中でヨガをやるとか、散歩をするとかが良いかもしれません。

積読結構あるので、図書館勉強すれば捗るに違いありません。

2024-02-14

婚活の思い出

俺:年収500万33歳。

相手年収非公開30歳。

年収については真剣交際後、と言われ地雷臭はしたものの他に仮交際中のお相手が居なかったので真剣交際へ。

いざライフプランの話になると年収が200万であることを告げられる。英会話教室先生らしいが、フルタイムでなく、不定期なのでそんなもんらしい。

「例えば生活費が月30万としたらいくら出せる?」と聞くと「私の収入あなたの二分の一だから配分もそれくらい」と10万を希望してきた。

その図々しさに少し引いてしまって

「俺からするとキミの2倍も払わないといけないんだけど、キミはフルタイムで働いてるならまだしも、そうでないのに俺がそんなに払ってくれるって、どうして思うの?」と、つい聞いてしまった。

お金目当てで結婚するんだ!」と逆ギレされてその交際は終了となった。

こっちのセリフだよ

2024-02-11

意図せず人の気持ちを害すること

英会話教室で、アメリカ人英語講師が「好きなスポーツある?」と聞いてきて、

スポーツ全般が苦手」と答えたんだよな

そんで「スケートボードも?」って聞かれたから「そうだ」と言った

ただ、このアメリカ人スケートボード趣味として楽しんでいる方だったらしく、

俺の発言が少し傷つけちゃったっぽい

人間社会は難しい😓

2023-12-20

anond:20231220173335

セレブ向けのとことならいざ知らず

普通のところだとどこの英会話教室も大差ない

植民地にされてた国の人ばっかり

2023-11-27

anond:20231127193818

ありがとう

個人でやってる英会話教室ね、探してみようかな。

英語勉強って思うから苦手意識持って伸びないのかな?TOEICスコアを伸ばさなきゃって一心だったよ。違う視点から英語の取り組み方を教えてくれてありがとう

anond:20231127190559

近所の英会話教室に行けばいいよ。個人がやってるとこ。赤ちゃんに教えるやり方で教えてくれると思う。音のパターンに慣れると文字でも理解できるようになる。あと「英語勉強」と考えるよりは眼の前の個人理解しようとするほうがはるかに覚えが速い。

2023-10-25

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

2023-06-29

子供適当英会話教室に通わせるくらいなら自宅でサブスク英語アニメ映画見せて

言いたいことはタイトルの通りです。

それ以上でもそれ以下でもありません。

英会話教室すべてが悪い、というわけではなく

私が働いていた会社から見た英会話教室感想です。

大切なお子様を英会話教室に通わせてほしくない理由として、①会社ブラック②月謝と身につく英語力が合わない③教室が汚いの3つがあります

正直100%のレッスンが提供できていません。毎日疲れていて、カリキュラム通り進めることだけに集中しています。本当に申し訳ないです。

教育業界なのでサービス残業当たり前です。私が働いていたところは、給料はレッスン時間しかでません。お昼ご飯10しか取れなかったり、そもそも食べる時間がなかったりするので、お昼休憩をそう入力すると月末調整の時点で何故か魔法がかかって毎勤務日しっかり1時間お昼休憩を取ったことになっています。あら不思議。お休みの日もレッスンの後も、レッスンに必要ものを買ったり作ったり、出勤すればレッスンの合間に保護者対応をしたりしてます。レッスン以外のやることが多すぎて、ちゃんとしたレッスンを届けられません。ごめんなさい。

保護者の方は、決して安くない月謝と教材費を払って、いつも送り迎えまでしてくださってるのに。

上に繋がる話ですが、英語なら、英会話なら、都市部であればもっと簡単習得できます。親御さんがネット会社地域のつながりで英語スピーカーの信頼できるお友達を作って、家族絡みで仲良くなれば子供はあっという間に話せるようになります費用交際費のみです。そのご家庭からちゃん英語を学ぶことになればある程度お金は渡す必要が出てきますが、疲れ切っている講師から教わるよりインタラクティブ楽しいですよ。

自分英語話せないから無理と思った保護者様、その気持ち子供にも確実に伝わっています子供も同じように英語英語を話す人に苦手意識を持ちます英会話や塾に通って英語をやっていても)。

教室はめちゃくちゃ不潔です。教室備品が全て古く、私が経験した2教室掃除機が壊れていました。他の講師に聞くと何年も前から壊れていて、新品のリクエストを出しても通る気配がないそうです。私も出したけれど、なあなあにされて終わってしまいました。

消毒はかなり気を使ってしていましたが、たかが消毒です。出勤する毎にコロコロや使えない掃除機を使って、なんとか掃除をしても教室はとっても汚い場所です。そんなところに大切なお子様を連れて行かないでください。

汚い教室で過ごす数時間に、何万円も払って、ボロボロ講師から適当英語を教わるくらいなら、Netflixとか ディズニープラスに入って英語作品を家で流しっぱなしにしたら子供の柔らかい脳みそと耳には充分です。

アウトプットの機会はお家でしゃべるとかお友達と話すとか、保護者の方が用意してあげてください。

英検とか考える年齢になったら、学習塾相談してみてください。学習塾ブラックなところがあるので、よく調べてみてください。


もう一度書きます

英会話教室すべてが悪い、というわけではなく

私が働いていた会社から見た英会話教室感想です。

個人経営のところとか、マンツーマンカリキュラム組んで教えてくれるところとかは素敵だと思います

一概にどう、とは言えないけれど。

大切なお子様の将来のために英語力が必要からといって、絶対に「近所だから」「安いから」「会社がなんとなく信頼できそう」で通わせないでください。

自分子供だったら、どんな先生がいるところに通いたいかをメインに、採用情報見ながら決めると外れないと思います

2023-06-04

医者家系落ちこぼれ

両親が医者兄弟2人が医者であり私は医者にはなれなかった

開業医大学病院勤務、バイト

私立中高と進み大学は三年浪人医大には進めずバイト生活

幼少期は毎年海外旅行家族で一回以上は行っていた

両親は英語など堪能であるが私は英会話教室に行くも日常会話をまともに話せない

そんな私は落ちこぼれなのだろうか

バイト生活ではあるが車は父親から譲り受けたベンツ(父親は車の収集癖があり何台も所有している)

家はマンション11階の部屋を貰ったので一人暮らしをしている(周囲の目もあり両親は同居をしたくないのだろう)

収入バイト以外に金融資産があるのでそれで口座にはお金が入ってきている(お金お金を産むという奴だ)

ただただ私は医者にはなれなかった

医者になりたかったのになれなかった私は辛い生活を送っている

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