はてなキーワード: 自責の念とは
迫りる朝
眠れないことへの自責の念
将来への不安
生活の悩み
などなど…
ちっぽけなことが少しずつつ溜まって、
溜まったのを無視しているとある日突然、やつはやってくるんですよね。
希死念慮。
死ねばすべて解決する!という元も子もない論理を武器に、頭の中でありとあらゆるポジティブを抹殺してゆく…
残りの1割はNetflixでぼんやり眺めているアニメに食いついて、悩みがどうでも良くなったときだ。
つまり何が言いたいのかというと、なかなかの強敵だということだ。
戦うのには骨が折れる。
今日はどうしようかな…
こうやって文章を考えてる間に諦めて帰ってくれないかな…と淡い期待を寄せる。
八百万の神様。今だけは味方になってください。
「やらかした、またお前はやらかした、なんて愚かなんだ、人に対してこんなデリカシーのないことを言って、誰もお前を愛さない」
などと自責の念で頭がいっぱいになってしまい、本来やるべき、失言をリカバリーするためにどうすべきかを考えることができなくなってしまう
冷静に考えられていれば失言をいくらかつくろう発言をして傷口をある程度抑えられるのだろうが、
それができずにただただ落ち込んで思考停止に陥ってしまうので傷口も広がり放題になってしまうばかりだ
それで後になって「あの時せめてああ言い足しておけば多少は誤解も解けてましな流れにできたのに、誰もお前を愛さない」と余計にしんどくなってしまう
あのさ、中学生とかが性的暴行受ける事件とか実際心が痛いじゃん?
娘が居たら心境変わるんかね?
流石にリスク高いし、自責の念に耐えられるメンタルはないから実行に移すことは永遠にないが、本能的な部分で中高生といかがわしいことしたい気持ち、お前らは皆無なん?
あああ。もういやだいやだいやだ
この気持ち誰に吐き出せばいい?
困難から「辞める」という形で逃げればいいよ。今後困るのは貴女だよ。
いままでありがとうございました。時間を返してください。と言いたい。悔しい。悔しい。
たくさんのことが重なってくる。一気にくる。
いま大変なんじゃないの?また同じ道に進むの?
相談する人には、自分の心の苦しいものを少し負担させてしまう、っていう自覚がほしい。
ああ。もう逃げたい。けど死にたいとは思わない。ああ。引きこもって自分の世界に入れば楽だろうけど、しばらくして後悔して
今さらルックバックの話なんだけど、ファンの人が感動しているポイントに自分はまったく感動できなくて、逆になんで感動するの?と思ったので、教えてほしい
藤野と京本が小学校の卒業式で出会い一緒に漫画を描くことになった世界(世界A)では、二人は数年一緒に活動したのち道を違えることになり、美大に進学した京本はキャンパスに侵入してきた通り魔に襲われて死ぬ
藤野は、京本が自分と出会っていなければ美大に進学することもなく、ひいては通り魔によって命を落とすこともなかったと思って自分を責める
一方卒業式で出会わなかったほうの世界(世界B)でも京本は世界Aと同じ美大に進学し、同じように通り魔に襲われるが、たまたま藤野に助けられる
藤野は小学校ぶりに漫画を描くのを再開したと京本に話し、雑誌に連載することができたらアシスタントになってくれと彼女に頼む 二人の友情がここから始まることを示唆して世界Bのほうのエピソードは終わる
藤野と京本が卒業式で出会っていようといまいと、いずれ京本は引きこもりを自発的にやめて美大に進学して通り魔に襲われていたのだから、藤野が自責の念を抱く必要はない、という結論はわかる
しかし、それと同時に、卒業式で出会っていようといまいといずれ藤野は漫画を描いていたし、二人は出会って友情を育んでいた
「藤野は漫画を描くことになった」「二人は友達になった」はどっちも藤野の人生にとってトップクラスに重要な出来事
世界Aと世界Bのどちらでもその二つの出来事は起こる ただし世界Aでは京本が死ぬ
だったら世界Bの方がよくない?
なので「じゃあ藤野ちゃんはなんで(漫画を)描いてるの?」という京本の問いかけから始まる一連のエモいシークエンス(はっきりと言葉にされるわけではないが、「京本に読んでほしかったから」という藤野の気持ちが表現されている)も萎えでしかなくない?
世界Bでは「京本に読んでほしい」というモチベーションがなくとも漫画を描いているのだから、世界Bの話を挿入することは、世界Aにおける「京本に読んでほしかったから漫画を描いてきたし、これからもそうする」という決意を感動的なものにするどころか「え、じゃあ出会ってなくてもいずれは漫画描いてたし、京本が通り魔に襲われた時点で藤野が漫画家になってなかったら京本は死んでなかったんじゃん、後味悪〜」と思わせるだけなのでは
少なくとも自分はそうだった
みんなあれの何に感動したの?
風当たりの強い面接官にビクビクしながら何十回と面接に落ち、「心が折れた」と増田に書き込み、条件を妥協しようとすると両親からバッシングを受け、また何十社と面接に落ちて、「もうメンタルがボロボロ」と増田に書き込み、ようやく条件を落としたところでやはり就職できず、「何のために空白期間を作ってまで資格を取ったのか」と自責の念に苦しみ親からも責められ、運良く就職できたとしても即戦力などあるわけもなく、新卒と同じように教育に手間がかかるのに新卒に比べてバイタリティも知能レベルも劣っており、職場のみんなから疎ましがられ、能力の低さから試用期間で契約解除され、「もう二度と社会復帰できない」と増田に書き込み、誰からも見放され、自殺する勇気もなく、ただただ精神的にも社会的にも落ちぶれていく。
だが、失敗したのはどこだったかと模索するのは「逃げ」ともいえる。
現状を自分たちが過ちを犯した結果だと捉えるのでなければ、米国よりはるかに巨大で長い歴史を持つ中国が1970年代に鄧小平の下で開放を進め始めた以上、世界で(再び)台頭するのは必然だったと認めることになるからだ。
中国がWTOへ加盟しようがしまいが、長期にわたり封じ込めてはおけないほど巨大で野心的な国だということを認識している人ほど、中国を深刻に捉えている。
アメリカの政治学や近代・現代歴史クラスタでちょっと気になる動きがある
向こうでもっぱら話題なのはやっぱり中露の横暴についてなのだが「我々はどこで歴史を間違えたのだろうか?」という話題になったときに「やっぱり第二次大戦で日本を叩き潰したのがまずかった」「連合国が日本を負かすために中国共産党に肩入れしたのが元凶だった」「中国・朝鮮半島・ユーラシア大陸東部あたりまで日本に任せておけば今のような事態にはならなかった」というような主張がちらほら増え始めている
そういう声もあるし、それに反対する声もある
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO78836870Y1A221C2TCR000/
チーフ・USポリティカル・コメンテーター ジャナン・ガネシュ
(中略)
20年前の12月に中国の世界貿易機関(WTO)加盟を承認していなかったら違っていたのではないか。
米国の歴代政権が中国政府を相手にかくも甘い考えでいなければ違っていたのではないか。
多くの失敗を重ねてきたが、1949年(編集注、蒋介石が国民政府を率いて台湾に撤退した)にまで遡り、あの時、手を打っておくべきだったのではないかとまで考えている。
実際、米共和党員の中には今でも中国を共産主義に「奪われた」と思っている者がいる。
(中略)
だが、失敗したのはどこだったかと模索するのは「逃げ」ともいえる。
現状を自分たちが過ちを犯した結果だと捉えるのでなければ、米国よりはるかに巨大で長い歴史を持つ中国が1970年代に鄧小平の下で開放を進め始めた以上、世界で(再び)台頭するのは必然だったと認めることになるからだ。
欧米はある程度、犠牲を払えば中国台頭を遅らせられたかもしれないが、その台頭は必然だった。
己の無力を認めることは、罪を認めるよりもつらい。
米国以外の西側諸国も、中国台頭を阻止できないと認めるのは米国と同様にできていない。
(中略)
こうした薄っぺらな強硬姿勢の問題は、そもそも中国には自力で繁栄する力はないと言いたげな点だ。
なぜ米国はそこまで警戒心を募らせて軍備増強に走るのか。
中国が100年前から超大国となることを目指していたというなら、自由貿易主義者らの思慮の足りなさで誤って誕生させた産物などであるはずがない。
中国がWTOへ加盟しようがしまいが、長期にわたり封じ込めてはおけないほど巨大で野心的な国だということを認識している人ほど、中国を深刻に捉えている。
なんだかいつもと様子が違かった。大きなベッドが2台ある暗い寝室で、男と私と、もう一人の同い歳くらいの女がいた。私達はこの部屋で長い時間カーテンも締め切ったまま、電気もつけず同じ部屋にいたので、時間感覚がなくなっていた。実際には、今は夜だった。しかし、外からの光で、部屋の中は夕方くらいの薄ぼけた明るさは保っていた。「今は夜なの?」と私が聞くと、「今は夜だよ。でもこんなに明るいのはおかしいけどね」と男は言った。カーテンの縁から漏れでる昏い光が天井にぼんやりとした陰影をつくっていた。
私達はなにか焦燥感にかられて森に向かった。森の様子も何がとは言えないのだが何かがおかしかった。すると、男が動物のフンをみつけた。男は野生動物に詳しいらしく、どの動物のものか分かるらしかった。さらに、普通とは形状が変わっており、動物たちの間でもなにかが変わっているのはたしかなことからしかった。すると、オレンジ色と水色と黒の極彩色で彩られたクリオネが群れをなして上空を飛んでいるのを私達は見た。そして、そのクリオネの群れから外れた一匹が、木の根本の付近まで降りてきた。どのような原理かまったくわからない仕方で浮遊していて、水中を泳ぐ魚とはまるで比較にならないくらいに滑らかに、宙に留まったり進んだりしていた。私は一瞬、その光景を携帯電話で撮影したい衝動が駆られたが、神秘は神秘のままであらねばならないと直感して、携帯電話を取り出す手を止めた。私達はしばらくそのクリオネを眺めた。男からしても、クリオネが出てくるのはおかしいことだったようだ。彼が言うには、クリオネからの何らかのメッセージらしい。
違和感を抱いたあの後からも相変わらずなにかがおかしい気がしていたが、それでも依然として日常は日常としてあった。私が乗りたかった路面電車が、ちょうど少し先の停留所を、私が走ってもギリギリ間に合わない速さで通過してゆく。路面電車はゆっくりとした速さで進んでいくので、また次の停留所まで走れば間に合いそうだった。私は次の停留所まで走っていったが、またギリギリ間に合わなかった。その次の停留所までまた走って、今度はようやく路面電車に乗ることができた。車内はとても広くゆったりとした造りになっていて、何両編成にもなっていた。座席のシートは旅客機のようなレイアウトになっていて、たくさんの座席があった。しかし、見渡す限りではどこも人で埋まっていて、私は空いている席に座るために、車両の奥へ奥へと歩いていった。次の車両の扉を開けると、皇族の方々とその付き人たちが車内に座っていた。そして、私がどこにも座るところがないのを見かねると皇族の一人が「こちらがあいておりますよ」と、私を彼らの席の隣に案内した。畏れ多さに戸惑いつつも「ありがとうございます」と言ってそこに座った。私の隣に座っていたその子女の方と意外にも話が弾んだ。彼女が私と年齢の近かったことや、私の旧友と似ていて懐かしい気持ちになったのもあったからだった。すると、今夜開かれるパーティに招かれることになった。これは後で知ったことだが、私と彼女が仲良くなるのも全て計られたものらしかった。私は、彼女がそういう全てを作りこまれた日常に対して辟易しているというのを、彼女の感じからわかっていた。なので、私は周囲からの頼まれごとを拒否するという形で、なんとかその予定調和を壊して、彼女と心で通いたく思っていた。
ディナーの円卓に私も座った。この会場は大きな窓から外を展望できるようになっていた。ショーが始まると、窓の外に国が保有している戦闘機が次々とアクロバット飛行をしながら、何機もやってきて着陸した。着陸した戦闘機は綺麗にラッピングされ、磨かれ、そこに描かれた国旗も美しく、空間一体が高揚感に包まれた。私の近くには大使館の人々や、とある兵器の開発計画に携わっていた人も座っており、皆そのショーに興じていた。ある外交官がその計画者に、ふと思い立ったように話しかけた。「あなたの名前はX、、そう、XXX XXXですね。」 と言うとその計画者は動揺し「Oh... I'm sorry... I'm sorry... 」とただ申し訳なさそうに謝るのを繰り返していた。どうやら彼はなにか自責の念があるらしく、自分が名指されると、ただ謝っていた。
私は、このショーで沢山の飛行機を見ることでかえって、段々に国の保有する戦闘機が少なすぎるのではないかと感じるようになってきた。もし有事の事態になった場合にまるで足りないではないか、外部からの資源供給が途絶えた場合、作れるのはあと何機なんだろう、それを保管する倉庫も足りないのではないか、という考えが次々に浮かんできた。「そうだね、戦闘機は何機あってもいい。あればあるほどにいい。」と老年の男が話かけてきた。私は鉄の板は単に鉄の板ではなく、丸めて翼をつけて操縦者がいれば即ち戦闘力になり、ただ飛行機はとても燃料を消費するのでいかに燃料を賄うかが問題なのであって、そうなった場合、地上で燃料を消費してしまうのは戦闘機に使われるべき燃料を無駄遣いするのと同じであって、地上で必要なエネルギーは原発なりなんなりを使えばいいんだ、と思った。
誰にも話せないのでここで吐かせて欲しい。
32歳既婚女。
子供2人いるのにいつまでも自分が幼稚で自活力のない人間だと感じる。
過去の自分の決断に後から後悔してくよくよするところがあるのだが、今色々なことが重なって「そもそも生まれてきたことが間違いだった」と感じてる。
自分の決断に責任を持ちたくないし、人に決めてもらいたいと思ってる。
自分でも性格悪いし幼稚だなぁと思うけど、後から「あのとき私が決めてしまったから」と自責の念に駆られて消えたくなるからできるだけ避けたい。
あとは考えも甘いなぁと感じてる。
今、過去の自分の甘い考えで決断したことに大きな後悔をしていて、周りの大人と比べて自分に足りないところってなんだろうって考えた。
生い立ちを書くと、
幼少期はDVの祖父と、怒ると周りが見えなくなって家中を徘徊する叔母と、怒りっぽい祖母と、母と同居してた。
小学校ではいじめられてて、ストレスによる腹痛で朝起きることが多かったけど
「仮病使うな!」と祖母にキレられ小学校6年間は皆勤賞だった。何にも嬉しくなかった。
母の気に入らない選択をすると不機嫌な態度を表してきて(言葉には出さないけど不機嫌な顔になりため息をつく)、そうするとその場に立っていられないほど目の前が真っ暗になってめまいがしてた。
でも母は病弱だったので自分が支えてあげないといけないと思ってた。
子どもが産まれた後、何故か「これからはあなた(私の子供)が一番可愛い。お母さん(私)は2番目」と順位付けされたり、
第一子出産後に不思議と幼少期を思い出して、母親に「子どものころもっと一緒にいたかったなぁ」と話したら「そんなこと今更言われても仕方ないからあなたの家庭で頑張ったら」と言われ泣いた。
そのあとも突然「あなたは人に厳しいのに自分に甘い」と言われたり、
出産後に一度同窓会があり、母に子供を預けて22時半ごろ帰宅したら
「子ども置いてこんな時間まで出歩いて母親失格!」と言われたこともあった。
それまでは母に言われるがままに「なんて自分はダメなやつなんだろう」と思っていたけれど、
こういうことが積み重なってようやく「そんなに言われるほどなのかな?」と思うようになった。
いとこも親戚も疎遠で他の家庭を見る機会が無かったので、結婚後に夫の姪っ子を見て「小学生ってこんなに明るいんだ」と驚いたこともあった。
母親と離婚した父はデキ婚だったので、なんか私のせいで人生狂わせちゃってごめんねとも思うし、育てられないなら生むなよって怒りでぐちゃぐちゃになる。
いい歳してまだ親のこと言ってて恥ずかしいけどこんな感じ。
上記のことを何度も自分で昇華しようとしたりカウンセリングも行ったけど、未だに許せない自分は幼稚だなぁと思う。
子どもは責任もって育てるけどこんな母親なのに慕ってくれて申し訳ない気持ちになる。
こんな自分でも自分の人生に責任持てる日は来るのかなと思ったり、周りの人たちはどうやって大人になってるのか気になる。
憂鬱な気持ちになったときに過去を思い出して育ちのせいにしてしまう自分と、育ちは関係なく自分がダメ人間なだけなのか分からなくなる。
人に、相談ができない。
多分相談ができない人の多くは、なんとなく話しかけづらいとか相手に迷惑をかけやしないかといった配慮が強い人、というのが多い気がする。
自分も、そんな思いやり溢れまくり人間だから相談ができないと思っていた時期もあったのだが、そういう人は自分のことを思いやりあると思っていなさそうなので違うなと気づいたのが大学に入った頃だ。
これは、何を相談したいかを整理するのが大変とかともまた違う。気がする。
今大学院生なのだが、研究上の相談は全然できる。それは、相談しないと怒られが発生するのを知っているからだ。
そういうときの私は、きったねぇ数字の羅列となっているエクセルを、部屋に踏み入った特殊清掃員が吐くレベルから初めてお泊りにきた彼氏が玄関先で愛想笑いを浮かべて帰るくらいのレベルに整理して相談にもっていくわけだが、そこに申し訳ないとか自責の念はまったくない。
どんなに私がカスのしぼりクズみたいなスカスカの相談をしても、研究室の人は大変ひとが良いのでなんとかなるよう協力してくれる点にはbig感謝である。
まぁもしかしたら秘密裏に呪われており、藁人形で臓物のあたりを執拗に叩かれているのかもしれないが、あれだけデータ整理を手伝ってくれるなら内臓のダメージ程度惜しくはない。
自分の身に関することについては特に相談しなくても怒られない。つまり、相談というクソだるだり作業をする外部要因がなくなるわけだ。
割とよくあるのが、遊びの予定に打ち合わせが被ったことを当日までいわないとかだ。わざとじゃないし怒るような相手でもない。2、3人なら日程の再調整を相談しても良いものだろうがなぜか前日ぐらいに39度の熱がでたことにしてしまう。相談するのがダルいからだ。
進学や進路相談でも特に相談というものをしてこなかった。これは金銭的に進学自体を危ぶむ必要がなかったことを親にまず感謝すべきではあるが、それにしても進学先も学部も親しい友人はもちろん家族にも一切相談せず、行き先だけ伝えた。
就活でも面接で等身大に悩んでいると印象よさそうという打算から、就活で悩むことベスト10みたいなランキングをメモって特に悩んでいない今後のキャリアプランを聞いてた気がする。
周りは相談しない私のことを意思がちゃんとしてそうとか自立してそうとなにかをオブラートに包んで評してくれるが、相談しないのはカタブツとか頑固とかでもない、ただひたすらに怠いだけだ。
自分の適正を見極めず、進路方向間違えてめっちゃめちゃになっても、別に怒られは発生しないのなら、私は相談せずにアクセルを踏み抜いてそのまま日本海に落下したい。ただそれだけなのだ。
実際進学先の大学の学部は死ぬほど肌に合わなかったのとコミュ障なことも相まって、4年生まで話せる知り合い0人だったが、それも特に誰に相談するでもなく、グループワークもほぼ初対面の同級生と組んでなんか卒業した。留年して学務に相談する羽目になるなら一人で卒業するほうが怠くないからだ。
一人でやっていけるほど能力的に有能でも鋼のメンタルを持っているわけでもなかったので辛い夜もあった気がするが、それでも何もしなかった。相談するのが本当になにより怠かったからだ。
そういえば高校時代には逆に、同級生にややヤバめのストーカー(同性)がいた。そしてそれも特に誰にも相談しなかった。ここで話すのが初めてだ。
ガラケーにメールが日に50通くらい来て、パケット通信料が心配にはなったがそれよりなにより周りに相談するのが怠かったのでしなかった。夜の10時に呼び出され、ナイフを突きつけられたときは流石にこれで死ぬのは嫌だ〜となったが、普通に家まで送ったあと誰に話すでもなく帰って寝た。
思い返せば結構あれだったが、渋谷駅のコンコースで5時間くらい立ちっぱなしで私に進路の相談をしていたので、相談上手という意味では彼女に軍配が上がるかもしれない。
こうして振り返ってみると、自分の周りのことについても相談した方が結局面倒がなかったと思われることが多い気がするが、それでも今あのときに戻れたら誰かに相談していたかと聞かれると間違いなくしていないと思う。
これでしょ
男やオタクに罪悪感を植え付けてどうしたいの
そこまで男やオタクに罪悪感を植え付けてどうしたいわけ?
いや、どうしたいわけって聞いておきながらいちおう分かってるよ、罪悪感によって彼らの加害行動を自制させたいんだろう。
でもその結果はどうよ。
罪悪感と自責感を植え付けられた奴らが、結局その罪悪感をかかえかねて、それに現実人生にも適応できなかったりして、ミソジニーとかフェミ叩きとかに行っちゃってるじゃん。
そんで、自分に罪悪感を植え付けた奴らから抑圧され続けてきたって気持ちを抱いて、オタクvsフェミだの、弱者男性vsフェミとかやらんでもいい対立構図を男やオタが考えちゃって、考えちゃったから半ば実現してる。
お前はダメな子だ、悪い子だ、常に反省と自責の念を持ちなさいって育てられた子供が、メンがヘラって人生ブチ壊れたあげく親をめちゃくちゃ憎悪してる、毒親問題と似たようなもんだよ。
フェミの人らがオタや男たちに対して「私たちはお前らのママじゃない」って言うけど、ある意味ママなんだよ、「毒母」なんだよなあ。
自分たちの好きなものを守るために、住み分けやゾーニングやマナーを真剣に考えてる
そっちでも書いてるけど学級会に明けくれたり排他的になったりのしんどさに結びついてるっしょ。
あれは世間(もちろん男・男オタも入る)という「毒父」「毒母」に抑圧されて、そしてそれを内面化した腐女子は次の「毒母」となり新規腐女子に自重しろ隠れろとうるさく言って抑圧を遺伝させ、内紛起こして学級会やってアカ消ししてマナー問題で引退してジャンル変更で人間関係切って、それが嫌になった奴が極端な解放を叫んで女オタ内からもそれ以外からも燃やされて、の非常に生きづらそうな光景になってるわけ。
そういう、「毒親」に抑圧された女が育って「毒母」になり、それに育てられてまた「毒母」になってきたのが、男やオタクにも毒を遺伝させようとしてるのが現状。っていうのが俺の認識。
車の後部座席に落ちてました。
もう見付からないと思って諦めて井上陽水さんの歌を歌いながらその勢いで文房具店に飛び込み前転して入店して
そのときね、
2本同時に無くしたの。
なんか2本同時ってメッセージ性強くない?
誰かがペン立てから持って行っちゃったのかな?って思っていたけど、
車の後部座席に落ちてたわー。
探すのをやめたときに見付かることもよくある話しとはよく入ったもんよね。
まさにそうだわ。
1本ならなにか気まぐれでどこかに置き忘れたとか落としたとか、
2本同時ってのがどうも怪しかったのよ。
無くしたものを見付ける一番の最適解は
なくした物の探し物のことを一瞬で忘れることなのかも知れないわ。
そうすると
秒で探すのをやめた瞬間に探し物が秒で発見されるって法則じゃない?
だから潔くここは探していることをためらいもせず
即諦めるってのが鉄則ね。
よく諦めたらそこで終了です!って台詞が有名なシーンがあるけど
あれも物は言い様で
ああいう場合は即試合終了させて探すものを探す大会にピリオドを打って
秒で探し物が見付かる可能性の方が
探すものを探すことを忘れる大会で優勝する方がよっぽど重要だし
文字通り記録に残るより記憶も残さないレヴェルで忘れちゃう方がワールドレコードだし
新記録も期待できるのよね。
でさ、
私のよくなくす物で探し物をやめたときに出てくる選手権での順位は
二位牛すじ!
一位タマゴ!
そうじゃなくて、
私の良くなくしてしまいそうで見付けることを辞めた瞬間にで出来るモノ選手権では
二位ハサミ
一位は自信!!!
そんななくし物をよくしてしまう私は一番に自信を無くしてしまうわ。
だから何回も言うけど
探し物をしているときこそ即探し物のことを諦めて忘れてしまう方が
探し物が即見付かって発見できるって
本当にマーフィーの法則大辞典に載せて欲しいほどそう思うのよね。
それでさー
なくし物をしてもスマホで秒で見付かるようにって電子的なタグがあるじゃない。
あれさー
それはそれで逆張りとして、
無くしても良いと思ってもその電子的なタグを探し物発動機能を使いたいがために気にしすぎて
がま口財布と車のキーにそれつけた途端に
全くなくすことが無くなって、
もうこればかりは逆井上陽水さん現象と言って新しく提唱してみたい機会を与えるべきだと思うわ。
うふふ。
朝はそうね、
ほとんど買ってきていただくことが多いことに今気付いたわ。
あんまり優雅に朝ご飯を目玉焼きを焼いている場合の時間はないのよね。
半熟が好きなんだけど、
そう言うこと気にしすぎ?
冬時期になっても麦茶ウォーラーは結構美味しくホッツでいただけることに気付いたので、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
けど、どうやら同じ吹奏楽部のBとイザコザがあり、幼馴染のCやDを含むグループからハブられたり陰口を言われたりしていたらしい
夏休み明けから1度も教室に来なかったAだけど、10月くらいには保健室登校で作業療法をするようになっていた
同じクラスの幼馴染で唯一Aの味方だったEは休み時間ごとにAの世話を焼きに行っていた
部外者の私は、CやD(内申目当てで生徒会Cは生徒会副会長、Dは学級委員だった)が物置代わりにしていたAの机から、画用紙や何やらを教卓やロッカーに移動させていた
そんなある日、CとDはAが保健室で作業療法をしていることを知ったらしい
すこぶるご機嫌が斜めだったのか、教室のど真ん中で大声で話し始めた
「学校もずっとサボっていたのに」
「ズルい」
誰のせいだよ、と思ったけど、チキンの私は口に出せなかった
止められない不甲斐なさとか怒りとか悔しさとかで泣きそうなのをこらえていた
「そういうこと言うの、やめろよ」
と彼女たちを止めた
興ざめしたのかひるんだのか、彼女たちはそれ以上何も言わなかった
そのあと、私はAに関わることを決意して、Eの他にも味方はいることを伝える手紙を、E経由で渡してもらった
3学期にはAも少しずつ教室に戻ってきて、進級を期に完全に復帰したらしい
3年生の時はクラスが分かれてしまったけど、卒業時にお礼の手紙をもらった
ちなみに、発端になったBは、CやDの言動やAが不登校になってしまったことに自責の念を抱いていて、こっちはこっちで情緒不安定になっていた
で、私がお礼を言いたいのは、CやDを止めて、私に勇気を出させてくれた男子
名前は覚えているし、何なら母親同士に交流があって、地元で消防隊に入ったこともしっている
でも、彼はもう当時のことは忘れているだろうし、そもそも私のことすら覚えていないかもしれない
なので、自己満にここでお礼を言っておく
あなたのおかげで私は勇気が出せたし、CやD以外のクラスメイトのことを信じでみようという気持ちになれました
今でも人を信じていられるのは、あなたのおかげです
転職活動中。先日、最終面接まで行って落とされた会社への未練が断ち切れない。
業務内容に興味があり、これ以上ないほど労働条件が良いという千載一遇のチャンスだったのに落ちてしまった。
面接で明確にこの受け答えをミスったなという点がいくつかあるので余計にやり切れず、自責の念に苛まれる。実力不足というか、実力を出し切れなかった。それも含めて実力なんだろうけど。どうしてもっと面接対策をしなかったんだ。
転職は続けているが結構な頻度で、ああ、あの時受かっていればと落とされた会社のことが脳裏によぎり、本当に気持ちが落ち着かなくて困っている。これ程までに後悔したことって人生でないんだ。
転職なんて縁と運。受け答え関係なくスペック的に自分より優れた人がいたのかもしれない。反省はしても自責するのは時間の無駄だ。分かっているけど、そんなことばかりしてしまう。
それこそ小学生のころから性欲が強かった.頭の中はエロい妄想ばっかりの青春だった.
笑い事に聞こえるかもしれないが,ずっと苦しんで,悩みつづけていた.とくに女性を無理矢理襲うような妄想に興奮し,いずれ自分が実際にそうしてしまうんじゃないかととにかく怖かった.胸や尻をついつい見てしまって,そういうのはいけないことだとわかっていたから,とても自分が嫌いになってしまった.実際の女性に対して手を出してはいけないと自制して,それが実際の女性に対する恐怖にかわり,本当の女性とはかかわらないままずっと彼女もできず,今も独身で童貞のままだ.風俗も考えたが,1回でもいけば自分がストーカー化しそうで怖くいったことはないままだった.妄想と現実は違うことをわかっていても,自責の念をうんだ,
性欲が勉強の邪魔もし続けた.すぐに集中できなくなって,でも毎日何回も自慰ができるわけではなく,1回でも抜いたら体力を失って,その後は寝てしまってなにもできなくなるような人間だった.去勢したかった.進学校だったのもあって,とにかく受験に邪魔で,性的なことへの嫌悪と同じくらい,集中できないこともいやだった.誰にも相談できなかった.今から思えば,体育会系的,ホモソーシャル的なところに属し考えが普通であると思い込み,ミソジニーやマチズモを内面化できていれば自分は幸せになれたと思う.でもコミュニケーション力も人並み以下であり,ナヨナヨとした人間で,上手くはいかなかった.
大学に入っても変わらず,これだけが原因ではないがコミュニケーションに失敗して友達もできず,鬱になった.性欲だけはなかなか消えなかった.性欲に苦しみながらも勉強はして,なんとか卒業し,なんとか社会に適応して生きてきた.加齢に伴い性欲が少しずつ減ったことで,ある程度自分を受け入れることは出来た.女性は怖く恋愛経験もなく童貞のままだが,女性を憎んだりはしないでいられた.むしろ自分の男性性を否定するからか,フェミニストよりな考え方になった.
ところが,最近睾丸の病気になり,どうやら男性不妊になった.性欲が激減し,ほぼ勃たなくなった.
そうすると,世界が前よりもクリアになった.余計な考えが邪魔をすることがなくなった.やっと人生に向き合える気がしてきて,とてもうれしく感じている.
何らかの精神疾患を持っていること、実家住まいで他に借金もない様子なのに奨学金を返せていないこと、母の医療費というやむを得ない出費を滞納していること、納骨がまだであることからすると、元増田はほとんど働けていないんじゃないか?
父親の収入も元増田との生活費で精一杯か、悪ければ、父親が妻の医療費や葬儀費も出さないような自分本位な人間であろうと思われる。
元増田が、今後も働けない状態が続けば生活保護で生きていくことになるだろう。それは一向に構わないと思う。
問題は、一度贅沢な暮らしをしてしまうと生活保護受給後に落差や金を無駄遣いした自責の念で余計に落ち込んで、心の状態を崩しかねないということだ。
10年で使い切ってしまったら、年1000万の生活に慣れ切った元増田が無一文で世間に放り出されることになってしまう。
そこで、滞納金を返済する以外には、10年間はあまり金は使わずに、なんとか自分の勤労収入や金の運用益で暮らしていくと良いと思う。