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2020-01-05

anond:20200104141902

あれって若者自分が知らないだけで昔にはよくある光景だったりするんだろうか

オウフwww いわゆるストレート質問キタコレですねwww

よかろう、本コメント補足委員長立候補いたすwww 無事当選、九頭龍閃wwww コポォwwwwwwwww

まず、増田氏は「ロマンポルノ」という単語を使っておるが、それだと「日活ロマンポルノ」だけを指してしまう気がすなるwww

そこで、「ピンク映画」の使用を推奨したいwww

この定義なら、大手以外の映画製作会社によって作られたポルノ映画全体のことを言えるのでまほろ駅前多田便利軒www

はい、ここで増田シナプスに注目ゥwww 彼のシナプスは「大手映画」という単語キャッチしたことにより分子レベルで疑問が浮かんだでござるな?www な?www なあなあ?wwwwwww

ピンク映画流行る前の1960年頃、日本映画製作大手映画会社5社(松竹東宝大映新東宝東映)が牛耳っており、五社協定というものが結ばれていた。

ドプフォwww つい五社協定なんていうマニアック単語が出てしまったwww 五社協定というのは、専属監督俳優らに関する協定のことでござるなwww 他社所属監督俳優の引きぬきや貸出は禁止ですというモノwww ま、これぐらいのボキャブラリィ存じ上げておったかwww スマスマヌwww

なんでそんな協定ができたかwww 当時は多大な需要を満たすために、スター俳優を中心としたシステムを作り上げて大量の本数を作っていたのじゃwww

そうなると、客を呼べるスターを引き抜いちゃえばいいじゃんと泥沼の戦いになってしまうとwww



ところが、1960年代後半になると、日本における製作本数のうち半分近くがピンク映画になった。(ピンク映画自体製作本数も桁違いに増えた)

はいクエスションwww その原因は何でしょうか?www




正解はテレビでしたーwwwwwwwwwwww ブフォオッwwwwwwwwww

テレビの浸透によって映画館への客足は鈍り大手五社製作本数も激減www 五社協定新東宝倒産し、日活が加入)は1971年をもって消滅www

まりですなあwww 映画文化自体は残りつつも、製作予算の安いピンク映画に流れたというわけでござるwww

から増田の言った「昔にはよくある光景」っていうのは正解かもしれないwww 

正直、拙者は資料しかからないけどwww フォヌカポゥwwwwwwwwwwwwwwww

ちなみに、ピンク映画は「低予算かつ女の裸が映っていれば何でもいい」という思想があるwww そのため、敷居が低いことから作家性が強い作品も多いwww

浜野佐知のように一般映画では稀有だった女性監督ですら存在したwww

現在商業映画で有名な監督にもピンク出身の人は多いwww

最近の若者も知ってそうな人だったら、「愛のむきだし」の園子温や「カツベン」の周防正行などなどwww

そんな感じで由緒あるピンク映画界隈だけれども、最近は廃れつつあるらしい。

ちょっとググってみたのですが、かつて200本以上の製作本数を誇ったピンク映画ですが、2010年には50本近くになってしまったとか。

ことなく漂う昭和の残り香は消えゆく文化残滓。跡をたどって、DVDなどで新しい世界を覗いてみるのもオツなものかもしれません。(「成人映画館」自体はかなり敷居が高い印象・・・

以上、いっちょかみですが大変失礼致しました・・・・・・

2019-12-12

anond:20191209170111

まり軍隊舞台or兵器が出てくるけど戦わない話」だろ?

すぎむらしんいち『右向け左』

 ヤンキー自衛官のしょうもない日常マンガ

 美少女キャラとか出ないし絵柄もオタ受けしないから挙げる者はおるまい

大友克洋気分はもう戦争

 連作短編形式で、前線で戦ってるキャラもいるが

 地方自衛隊基地の下っ端の1日とか

 義勇兵に志願した中二病の末路とか、直接戦闘しない話も多い

大西巨人神聖喜劇

 軍隊内でえんえん規則議論をしてるだけで話が終わる

アメリカ映画の『愛と青春の旅だち

 士官学校の話だが鬼軍曹に訓練を受けるシーンばかりで実戦場ゼロ

 実質的にただの学園スポ根映画

速水螺旋人の一連の「軍隊役人マンガ

 軍隊だけど戦闘しない事務員みたいなのが話の中心のやつ

岡本喜八肉弾

 大戦末期の下っ端兵士日常が話の大部分

 主人公は話の最後最後で出撃するけど敵と戦闘しないまま終わる

岡本喜八英霊たちの応援歌

 学徒動員された大学野球部員の話

 戦時中だけどえんえん野球ばかりしてる

 主人公らは特攻機に乗るけど戦闘シーンはラストのホンの数分だけ

新東宝映画人間魚雷回天

 これも大戦末期の軍隊日常が話の大部分

 終盤のホンの数分で主人公が出撃するけど特攻失敗でデッドエンド

渥美清主演の『拝啓天皇陛下様』

 戦前軍隊に入ったド貧乏田舎者の話

 「軍隊は三食メシが喰えて嬉しい」とか言ってるだけで戦闘シーンはほとんどないな

渥美清主演の『続・拝啓天皇陛下様』

 続とついてるけど主人公は別人で、軍用犬飼育係の話

 やっぱり戦闘シーンはほとんどなくて、しか戦後復員してからの話が大部分

――こういう「戦わない軍隊兵隊もの」って結構あると思うんだがな。タイトル忘れたけど、昭和の後期にも航空自衛隊整備士マンガとかあったよな。通信兵とか衛生兵とか伝令とか戦わない部署って結構あるし

2009-11-03

http://anond.hatelabo.jp/20091102172308

例えばエロとかグロとかアクションとか、とにかく下世話な大衆の求める欲望に忠実な、芸術性とはほど遠い低予算映画エクスプロイテーション映画とかグラインドハウス映画とかジャンル映画とかプログラム・ピクチャーって言いますよね。日本じゃVシネマヤクザものやギャンブルもの、それからアダルトビデオみたいなヤツですよ。新東宝ポルノとか。場末の、大阪だと新世界東映とか飛田シネマみたいな薄汚くてションベン臭い小屋で3本立てで適当にかかってるような。看板は当然手描きの泥絵の具なんかでね(笑)平日の昼間からおっさんがワンカップ持って映画そっちのけで呑んだり寝てたり、オカマの発展場みたいな場所になってたりするような。そういう場所にこそふさわしい作品でありジャンルであり、それに特化した内容ですよね。出てくる女はみんな犯される、とか(笑)

逆に言えば、こういう後ろめたいものだからこそ、多種多様な表現方法が可能なわけでしょう。エロゲーだの萌えで括られるものも同じですよ。表現規制の多い一般向けより、エロとかそれっぽい描写さえ出しておけばアナーキー自分創造意欲を満たすことができますし、専用のワークステーションがなくともフツーのPC環境があれば誰でも低予算で作れるんですから。

こういう状態なので、中には目を引く作品もあるかもしれません。しかし、いくつもの条件付で評価したり酷評しなくちゃいけないジャンルなのだ、と思いますね。

2008-12-28

カンパニー松尾AV世界(前編)

www.midnighteye.comより、雨宮まみの「弟よ!」経由。

長いので二つに分けました。

カンパニー松尾AV世界

ヨハネス・シェーンヘル

<日本AVとは>

日本アダルトビデオ、略してAVと言われているがそれは驚くべき多様性の世界でもある。もし欲情を喚起するためにセックスを描写し、売り物にするのがポルノグラフィの定義なら、どこからどう見てもそれはポルノなのだ。AV安価日本中至るところで目にすることができる。この国のどんなビデオショップに行ってもこのジャンル商品はたいてい、大きな棚を占めている。

しかし、日本映画表現が欧米で多くの信者を生み出す一方、アダルトビデオはほとんど顧みられていない。日本の得意とする怪獣もの、アニメをはじめとする全ジャンルに関する日本映画フェスティバルヨーロッパ北米で花盛りだが、AVはどこにある?もちろん、日本ポルノは性器を直接描写できないという問題を抱えている。それらは処理画像の向こうにあり、欧米視聴者にとってはいささか奇異に映るものだ。にもかかわらず、AVは魅力的な分野である。

最初に、日本におけるポルノ映像の区分けにふれる必要がある。

まずは、ピンク映画。これは1960年代初頭から制作されている。小林悟の「肉体の市場」がおおまかにいってこの分野のさきがけといえよう。性への大いなる情熱、そして時には理由なき暴力や変わった性的ファンタジーまで描写する一方、ヌードシーンは一部に限られ、疑似性交が主を占める。

そして裏映画訳注日本語ではブルーフィルムがより的確な表現だと思います)、こちらはさらに映画史の初期にまでさかのぼることができる。こちらは本番ありの無修正、たいてい8分から10分の短い映画だ。白黒映画時代に欧米存在したブルームービーは時には手の込んだプロットを開陳していたが、日本のはたいてい伝統的な畳の部屋で性交にいそしむ男女を描写するにとどまっている。裏映画が上映されるのは、だいたい温泉街であった。男の客にとっての温泉街でのくつろぎは、しばしば買春と結びついており、そうした街の赤線地帯では法律で固く禁じられている裏映画ショーを楽しむことができた。今日では裏映画裏ビデオに取って代わられ、そうした未修整のポルノビデオビデオショップで信用のある客にのみこっそり売られている。

ビデオデッキの普及に伴い、アダルトビデオ1980年代初頭に成長をとげる。家庭で映画を見る習慣が広まり、そしてもちろんビデオデッキ接続されたテレビセックスを鑑賞することを人々は望んだ。初期AVは、東映新東宝といった大手ピンク映画会社により支配された。撮影済みの映画ビデオ化し、自宅向け市場へと流したのだが、短いバージョンであることもしばしばだった。市場の急速な拡大につれ、それらの映画会社ビデオ専用の映像制作するようになった。これらの映像は直接ビデオで撮影されているにもかかわらず、ピンク映画伝統踏襲し、ピンク映画ルール・制限に固執した。

ピンク映画会社制作するAVは、高額な費用をもって制作され、ほとんどの場合有名女優を主役にすえていた。しかし新世代の野心あるポルノ映像作家ビデオという形態安価であり、あらゆる種類の新しい可能性を提供してくれることに気づき始めた。つまり機材取り回しの容易さ、無限ともいえる長さの尺をとてつもなく低コストで撮影できるということである。

これらの新しい可能性を最大限に生かした最初の監督が、かつてピンク映画監督だった代々木忠である。「ドキュメント・ザ・オナニーシリーズ80年代初め)にて今日AVにて見ることのできる根源的要素を彼は取り入れた。本番の導入、そして素人俳優採用によって秘められた日本セックス事情ドキュメンタリースタイルで描写したのだ。

ドキュメント・ザ・オナニー」は驚くべきヒットを記録し、映像に関心のなかった投資家連中という新しいグループの注目を引くことになった。裏本ビニ本業者はAV制作会社を設立し、金鉱とも思えるそのビジネスに飛び込んでいった。

少額の予算ピンク映画会社に勝つために、本番は彼らの切り札となった。こうした決断大島渚の刺激であるともいえよう。著名な日本人監督である大島フランス資本で撮影したアートシアター系映画である「愛のコリーダ」(1976年)は、命がけの悲しい情熱を最大限に表現するために実際のセックスをいくつものシーンにおさめた。一方で、非合法である裏映画からの強い影響も見てとれる。裏モノである「洗濯屋ケンちゃん」が一躍注目を浴びることになった。いつ、誰が作ったのかは現在に至るまでまったく不明である。しかし多くのフィルムが出回り、それらはビデオコピーされた。主要雑誌はこの映像について書き立て、大きな話題となった。裏映画の直コピーの常として、「洗濯屋ケンちゃん」はもちろん非合法なものであったが、新しい本物のセックスという報道記事によって、どんなにお金をかけても得ることのできない宣伝性を得ることになった。

もちろん、新しいAVにおけるセックスは本物であったが、いぜん審査されていた。セックスシーンでは役者の全身はおろか、クローズアップも映し出されていた。しかし、性器とヘアーAV業界でいうところの「モザイク」と呼ばれる電子的処理画像に隠されていた。処理画像がある限り、スクリーン上のすべてが許された。精液が処理画像から飛び出して、非処理画面に映る女優にかかってもおとがめなしである。ピンク映画では役者のモチモノは家具植木鉢をレンズとの間に置くことによって隠されていたが、いまや自由な撮影が可能となった。編集の段階でモザイクをかけ、ぼかすだけでいいのである。

そうした映像処理は、海外映画審査起源を発している。ヌードシーンはこれまでカットされることはなかったが、俳優の性器は黒塗り、もしくは白のぼかしで隠されていた。この和らげられた映像が、ある程度本来のイメージを知る、手がかりになったのである。

こうした規格を確固たるものにし、政府の取り締まり・警察逮捕といった危険からAV産業を守るため、AV会社により自主審査団体が設立された。映倫ピンク映画制作する業界により審査委員会が運営されている)をモデルとしたビデ倫が設立された。業界トップは、AV監督アナーキー連中の集まりであることを正確に把握しており、最初から強い手段をとることにした。ルールを守らせるための必要な権威づけのために、ビデ倫審査委員会警察官僚役人天下りを呼び寄せたのだ。

現在ではAV業界は一大産業を形成している。しかしその内訳はさまざまである。ピンク映画会社が今もなお重要な役割を果たす一方、無数の小さな会社があり、世には知られぬ顧客の嗜好を満たすべく特異化をはかっている。とはいっても、AVには二大分野が存在する。つまり、「単体」と「企画」である。単体ものはふつう、大きな会社が扱うが、大予算とひとりのスター女優に焦点を合わせるところに特徴がある。美しい女の子を起用し、なるだけソフトに、かわいく作られる。一方企画ものでは4、5人の女優が一本のビデオに出演する。彼女たちはかわいくもなく、見た目がイマイチであるのは決して珍しいことではないが、カメラの前での行為は大胆不敵である。企画ものはセックスについて変わった側面を取り上げることが多く、小さな会社制作している。企画ものの方が予算が安く済むからだ。単体女優はスターであり、一本につき100から200万の金を手にする。企画女優はというと、10万から20万といったところだ。にもかかわらず、ふたつのやり方は相互補完的だ。多くの男性視聴者女の子にふたつのことを望む、つまり可愛らしさと変態さだ。

日本では魅力的な若手女優が必要とされており、単体の女の子はスターでありアイドルでもある。企画女の子はというと、タレント的であり、それはアマチュア意味する。こうしたタレント募集のやり方はまさしく日本的だ。モデル事務所タレント事務所は多くのスカウトマンをかかえている。スカウトマンは若い男連中であり、ファッションに敏感な若い子でにぎわう東京一角に、前途有望な娘を見つけるべく徘徊している。彼らは若い女性に声をかけ、音楽ファッション業界仕事をもちかける。実際、ファッションモデルテレビエキストラになる場合もある。レコード会社が特定の容姿を歌唱力より優先させたい場合には歌手になることも。一部の女の子たちは、スカウトマンから声をかけられ、そうした仕事に着くことを夢見ながらおしゃれして渋谷原宿の通りを歩く。しかし多くの場合、モデル事務所AV仕事をもちかけ、そして多くの女の子が「いいですよ」と答える。街角からリクルートされたタレントたちの登場するAVの信じられない本数が示すように。彼女たちはたいてい手っ取り早く金を稼ぐためにAVに出演する。もしくは冒険や遊び心、モデルキャリアへの道を見いだしているのかもしれない。

企画もののスタイルジャンルを一覧にするにはいささか数が多すぎる。しかしその中で最も重要であり、かつ一般的なものをあげるとしたら、ピンク映画の時代から続く、ずばりそのものの異性間セックスが最初に来るであろう。教師・女生徒看護婦といったちょっとした嗜好を交えたり、レイプAVでは一大分野だ)・緊縛などの暴力の一形態を伴うこともある。しかしAVビデオならではの特異なジャンルも拡大しつつある。ブッカケ(集団男性女性の体に射精する、顔がより好まれる)や密着ドキュメンタリーの特殊なケースであるハメ撮りなどである。

<ポルノ日記>

ドキュメンタリー的手法は日本AVの多くに見られる。しかしハメ撮りほどドキュメンタリー的なものはないであろう。手短にいうと、ハメ撮りはポルノ日記の一種である。それは男性(たいていカメラマン監督である)の主導のもと、タレント女優フィルムに収める作業である。カメラ片手にしゃぶってもらったり、テーブルに置かれたカメラ性交を記録したり、時には行為中にずばりそのものにカメラを向ける。こうしたやり方がたぶん、映像にじかの力を与えているのだろう。キャストなし、クルーなし。ただふたりがやって、その男がまさしくそこでセックスをしている、非常に個人的な視点を視聴者はまっすぐに見せられる(原注:残念ながら、筆者は女性による女性の視点からのハメ撮りにお目にかかったことがない)。

しかし、ハメ撮りの売り物はセックスだけではない。セックスと同じくらいの興奮を呼び覚ますのが、ふつうの、一般的な女の子がどうやって「演じる」かという点だ。彼女たちは朝、地下鉄であなたの隣りに座っていたかもしれない、夜にはビールを運ぶウエイトレスだったかもしれない…夢みたまえ。ハメ撮りが売るもの、それは夢であり、日本の男たちが望むけど実現不可能な、あるいは現実には十分に得られないような性的出会いがあるかもしれない、という夢だ。でもそのイメージリアルである。それこそ手に取れるくらいリアルだ。

<カンパニー松尾: ハメ撮りの達人>

今日のようなハメ撮りを作ったのが、カンパニー松尾だ。ハメ撮りという生まれたてジャンルを親密な映像体験に仕立て上げた。彼の代表作である「オークション01」「オークション02」は2004年制作された。これらの作品デジタル撮影され、DVDにて販売されている)は松尾が出会ったさまざまな女性との個人的な出会いを多く収録している。

たいてい松尾レディースコミック広告を掲載し、彼と会う勇気を持ち合わせた女性募集する。作品の各章は彼女たちが実際に電話をかけるところから始まる。松尾は彼自身が電話を取り、待ち合わせ場所を決めるシーンをカメラに収める。次に私たちが見るのは、松尾彼女のいるところに向かって移動するところだ。松尾はおおいに旅を楽しんでいるように見え、それを日記スタイルで撮る。いろんな駅のシーン、車窓からの眺め、日本日常光景は常に導入部分となり、彼の行き先を示す。最終的に彼は女性が指定する場所で面会する。その場所は彼女の住む町だったり、リゾートだったりする。女性はときに彼をからかう。居場所を推測させたり、行き先の張り紙を残すこともある。しかしたいていの場合、駅などの待ち合わせ場所に彼女たちは素直に現れる。松尾は非常におだやかに話す、好ましい感じのする男だ。こうした資質がものごとをうまく進める理由であるに違いない。しかし最初から明らかなのは、彼女たちはお金を受け取っていて、なにやらセックスのようなものがこのふたりの参加者のあいだで始まることだ。

まず第一に、松尾女性のことを知りたがる。彼らはしゃべり、冗談をとばし、お互いが容易になじめるみちすじを探す。そしてすべてはカメラに記録される。今回の出会いに至った動機、いつもの生活、そして夢。ついに彼らはホテル彼女の自宅へと向かう。

この段階において、視聴者はすでに彼女について十分知っている。とても親しく感じられる。ある娘たちは積極的にセックスに至ろうとするし、渋々な娘もいる。なんであれ、松尾は撮影する。彼女が「だめ」と言う時でさえ、松尾ありのままカメラにおさめる。驚くべきことは、女性たちは作品の中では自らについてとてもあけすけで、その多くがセックスの段になっても決してシャイではないことだ。日本女の子が実際にどうやって考え、何を求めているか知りたければ、多くの洞察がここから得られよう。

松尾1965年日本の中央に位置する愛知県に生まれた。高校時代から、松尾テレビ業界希望していた。専門学校卒業すると、松尾音楽番組制作会社に入った。この仕事には彼は大いに失望させられた。音楽のことを考え、バンド内面映像化するかわりに単調な台本を追う日々だった。ひょっとしたら意外でないかもしれないが、会社はほどなく倒産した。失業した松尾は飲み屋で昔からの友人に会う。友人はAV世界への参加をもちかけた…ここからは彼自身の言葉で語ってもらうとしよう。

2006年の2月に私は東京のファッショナブルなエリアである原宿にある、新しく広々とした松尾オフィスで彼に会った。ちなみに原宿日本若者文化の先端を行くホットスポットとして知られている。

http://anond.hatelabo.jp/20081228015206 に続きます。

 
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