はてなキーワード: ブラックジョークとは
「アニメは原作の展開を省略しまくってるダイジェスト版だけど漫画版は作者のロボ愛が凄いぞ!」
とかそういう売り文句か何かでこの人がナイツマファンに持ち上げられまくってたんだったかな
ロボットだけ描ける人・人間だけ描ける人は多くてもその両方を描ける人というのはあまり居ないから凄い人だなと思った
漫画家さんだけど漫画を描いてる息抜きに趣味の絵を描くとか、Ex-Sガンダムを資料を見ずに描けるとかとんでもないエピソードも聞いた
とにかくロボットの事が好きで堪らない、ナイツマの主人公エル君をそのまま漫画家にしたような人、みたいな存在とナイツマファンに言われていた
そんな凄い漫画家さんがこの世に居て、そんな人にコミカライズを担当してもらえるナイツ&マジックは小説家になろう発の作品の中でもトップクラスにラッキーな作品だと思った
その加藤先生が趣味でロボットを題材にしたギャグ漫画を描いてる、という話もナイツマ関係の話題を追っていると当然目に入った
無料で公開している、という事で読ませてもらったんだけども…割と早い段階であれ?と思った
本人も後に訂正しているんだけど、ロボットアニメが大好きで堪らない!というキャラが「新機動戦記ガンダムX」という新機動戦記ガンダムWと機動新世紀ガンダムXのタイトルを混同して覚えていた
そこを不思議に思ってナイツマファンに聞いてみた所、どうも加藤先生は世代的に富野ガンダム直撃世代の層なので平成のアナザーガンダムに詳しくなかったのではないか?という解釈を聞かされた
その時は「ふーんそんな物かな…」と思ったけど、もしこれが宇宙世紀作品なら加藤先生はタイトルを誤らなかったんだろうなーとか、ロボアニメが大好きで詳しい設定のキャラがそんな凡ミスをして良いのか?とか悪い印象を持った
決定的に加藤先生に対して不信感を持ったのは、Gの泉の女神様・その39の事だった
https://twitter.com/isiyumi/status/1089097269800914944
機動戦士ガンダムSEEDの劇場版がいつまで経っても公開されないね!という、ガンダムシリーズファンにとってはまああるあるネタの一つを取り扱った回なんだけど
これ以前のGの泉の女神でこういう「ロボットアニメを題材にしたブラックジョーク」は一つも無かったので、「え?SEEDではこういうネタやんの?」と正直驚いた
実際ガンダムSEEDは古くからのガンダムやアニメのファンには受け入れられてるとは言い難い作品だったのは事実ではある
ファンのマナーが悪い、スタッフの口が悪い、予算ばかり掛けた割に内容が破綻しているなどといった話はこの20年間絶えず耳にしてきた
島本和彦先生、長谷川裕一先生など古くからガンダムに関わってきたクリエイターや、スーパーロボット大戦、Another Century's Episode、ガンダム無双などゲーム作品からもSEED本編について思う所があるのは伝わってきた
別に加藤先生が特別SEEDについて何かを思ってる訳じゃないだろうし、これもまあ…ガンダムファンあるあるネタの一つに過ぎないんだろう、と思っていた
最近、ふと何を思ったのか加藤拓弐先生の名前と「種死」(*ガンダムSEED DESTINYの略称。蔑称的な意味合いも含まれる)でTwitterを検索してみた
すると、「ああ、この人ふつーにSEEDの事嫌いだったんだなあ」って昔の呟きがヒットした。ナイツ&マジックのコミカライズが始まるずっと前、2010年頃の呟きだった
今ではその呟きは削除されて見えないけど、一応スクリーンショットは撮っておいた。つい最近まで見れたのについ最近何故か消してしまったらしい
https://i.imgur.com/mdxgL4G.jpg
あのロボットアニメ大好きな加藤先生にここまで言わせた種死の方が悪いと言うならそれもまた事実だとは思う
加藤先生は他のロボットアニメは大体好きというかここまで言う事は無いし、Gの泉の女神様でも他の作品をああいうネタにした事は無かったから
たださ、名前を間違えたりするくらい興味無い作品があったり、わざわざ作品の中でコケにするくらい嫌いな作品があるなら「自分はありとあらゆるロボットの事が大好きです!」みたいな面をするのはやめろよって素直に思った
ナイツマのエル君もロボット大好き!ってキャラでありながら「ロボットを破壊して良いのはロボットだけなのです!(怪獣など非ロボットがロボットを破壊するのは許さない)」ってちょっと狭量な思想だったけど
このジャンルのありとあらゆる物が大好き!ってキャラクターを売りにしてる人物が、一部の物だけは蔑み嫌ってる所を見ると幻想が壊れるというか、当たり前だけどこの人も人間だったんだなーって気付けるようになった
とりあえずそういう事があってからナイツ&マジックコミカライズ版の作者加藤拓弐先生の事が俺は嫌いで嫌いでたまりません、という日記
【追記】
加藤先生も嫌いだけど、そのリプ欄で加藤先生に追従するように十数年前から変わらないやりとりでSEEDを貶してる所謂種アンチ的な連中も大っ嫌いだなって思った
【追記2】
Gの泉の女神様・その39に登場する闇の女神というキャラは「劇場版SEEDが公開された時に封印から解放される」という設定のある種一発ギャグ的な設定のキャラなのだけど
劇場版SEEDの制作・公開決定が改めて報じられた去年の5月から現在に至るまで加藤先生はこの闇の女神とSEEDについて一切触れていないので、
「この人は今後絶対に公開される筈がない劇場版SEEDをネタにしたかっただけで本当は公開を待っていた訳ではないんだな」と解釈して改めて加藤先生の事が大嫌いになりました。終わり
ウィル・スミスがどうこう以前に
毎年アカデミー賞で披露されるコメディショーはブラックジョーク、出演者はネタにされることを覚悟してる(怒らないのがルール)
これが糞だわ
・ウィル・スミスが配偶者に対する侮辱的なブラックジョークを言われて報復で相手をぶん殴る → 「やったことは悪いが気持ちは分かる」「相手が先に言葉による暴力を仕掛けてきたことは良いのか」
・幸福の科学が団体への事実確認すらなく名誉毀損行為をされたため、口頭で抗議をし、取り下げさせる → 「表現の自由への不当な圧力に集英社が屈した」「宗教に対しては批判すら許されないのか」「不当なクレームを無視する仕組みが必要」「幸福の科学は反社」
ブラックジョークが慣例で怒らないのがルールとされているのがそもそもおかしくない?
ほかの人には面白くても言われた本人は絶対いやな気持になるじゃん
一人が笑いものになるのを我慢するのがルールなのは普通にいやだからモヤッとボールみたいなのを用意してぶん投げまくっていいルールにしないと
https://anond.hatelabo.jp/20220329212048
https://miyearnzzlabo.com/archives/80196
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/5909563.html
このへんを読んでの感想。
どうやら、アメリカ国内では「ウィル・スミスが悪い」という論調が圧倒的多数らしい。
それは、アカデミー賞やウィル・スミス自身の反応を見ても明らかだと思う。
その背景として、アカデミー賞では慣例的にブラックジョークが披露されていたこと、出演者はそれを受け入れていたことなどが言及されている。
また、「妻を馬鹿にされて暴力を振るうのは悪い男性性の発露である」といった解釈もあるとのこと。
ここで、外部の目線として「そういった慣例や解釈自体がおかしい」という評価はできると思う。
しかし、重要なことは「事実としてアメリカもしくはアカデミー賞ではそういったコード(規範)があり、ウィル・スミスは当然それを熟知していた」ということだろう。
例えて言えば日本で育った日本人が他人の家に土足で上がり込むようなもので、外国人が「家は土足で入るものだから日本のコード自体がおかしい」と言ったところで、「日本のコードを熟知している人間が日本の家に土足で上がり込むのは非常識である」ということは変わらない。
要するに、物事を捉えるときには前提となる背景やコードの理解が必要だし、(上記の記事に書かれているコードが概ね正しいとすれば)コード自体を批判することはできてもウィル・スミスを擁護するのは無理じゃない?と、そんなことを思ったりした。
・以前から妻は不倫を公言、ウィルもその当てつけに他人と不倫してることを公言してる
・夫婦仲は冷めきっており、愛情から怒ったのではなく妻へ向けたパフォーマンスで暴力をふるったと見る人が大多数
・毎年アカデミー賞で披露されるコメディショーはブラックジョーク、出演者はネタにされることを覚悟してる(怒らないのがルール)
・ビンタ時点ですでに妻へのジョークは終わって他の話題に移ってた。あれは「守った」のではなく「言葉に対する暴力による報復」
・妻がネタにされるまでウィルは他の出演者がアルコール依存をバカされるネタ等で大笑いしていた(ダブルスタンダード)
・一般人が舞台に上がりロックを殴ったら逮捕されるのにウィルスミスはされてないのがおかしい
・アメリカでは暴行は刑事事件であり被害者の被害届の有無は関係ないため逮捕されるべき案件
・気に入らないジョークに対して暴力を振るって良いはずがない、反論するなら口でやれ
・女性のハゲはネタにしてはいけないのに男性のハゲはネタにしていいのか、性差別ではないかとの意見大多数
・病気を笑ってはいけないならAGAも駄目なはずなのに過去にウィルはハゲネタで笑っている
https://twitter.com/TomoMachi/status/1484766107533594624
町山氏が、引っ張ってきた「男性皆殺し協会」なる謎ワードについて、整理してみる。
大本は、ヴァレリー・ソラナスが書いた"SCUM Manifesto"なる文章。SCUMはSociety for cutting up man.直訳すれば「男を切り刻む協会」だろうか。過激なフェミニストの宣言に読めるだろう。確かに、そういう意図もある。一方で、SCUMというのはクズという意味でもある。
もし男を切り刻むことを崇高な正義であると考えて真面目に主張するなら、その団体の頭文字をクズにはしないだろう。つまるところ、これは風刺であり露悪、自虐を含むブラックジョークなのだ。
ウィキペヂアでも、この宣言は、a satire or parody(風刺あるいはパロディ)とされている、と、書いてある通りである。
もちろん、風刺、ネタなら何を言っていいというものでもない。上記文章に対するツッコミなり批判なりは当然あるだろう。その上で、この文章は1967年の文章であり、現代のフェミニストが、これをそのまま信じてるかというと、そんなこともない。書かれた当時から風刺であり、現代ではなおさら真に受けるもののいない宣言文を、今、持ってきて「喧嘩をやめて」と嘆いて見せるのは、的外れもいいところだが、そこには、どういう意味があるのだろうか?
町山氏が持ってきた「方法論的女性蔑視」は、雁林氏であり、雁林氏の誹謗中傷を巡って対立していたのが、北村氏。上記文章は、この北村氏が翻訳したものである。つまり、雁林氏の主張である「方法論的女性蔑視」と、北村氏が翻訳したにすぎない「男を切り刻む」を対立させたわけだ。
言うまでも無いが、過去の文献を訳して紹介するのは、過去のことを知るために意義があることであり、「差別的な文献を訳したから差別者だ」というのは、いいかがりも甚だしい。
ちなみに北村氏は、SCUMを「男性根絶協会」と訳している。それがなぜ「男性皆殺し協会」になったかというと、以下の記事に詳しい。
https://b8270.hateblo.jp/entry/20210327
要は、北村氏の発言を切り貼りして、北村氏が、「去勢におびえる男性陣がびびるだろうね!楽しいな!」と言っていたかのように誘導しているデマ記事である。そのデマ記事が「男性皆殺し協会」という訳語を使っていたということだ。
そうしたデマ記事由来の用語を使いつつ、北村氏の名前はあげてないから関係ない、というのが、町山氏の主張だが、非常に信じづらいし、もし本気でそう思ってるなら、誤読を招く文章であり、反省すべきだ。
https://twitter.com/tamai1961/status/1485418191333457923
風刺文のタイトルを、文字通りの意味で真に受けて、かつ、訳者がそれと同じ思想だと信じ、それによって、教員として絶対に許されない差別をすると決めつけている。
サンリオはいま会社としてキャラクター通してみんなともだちになろうというポジティブなメッセージを発信しているし、キティちゃんもYou Tubeでジェンダー問題を取り上げていて、何年もかけてそういう企業ブランドを築いてきてサンリオとそのキャラクターのファンたちもその理念に賛同してキャラクターを愛してるところがある。
そういう企業メッセージからはずれた10年以上前のアニメのセリフ出されて言ってること(企業メッセージ)とやってることが違うじゃねえかとなってるところも大きい。あのセリフはアニメ放映当時でも毒舌、ブラックジョークの扱いでしかなかったしピュアにマイメロ好きな人からはマイメロちゃんのイメージを貶めるなと反発もあった。
それに実際、女の敵が女かというと、女が権利を求めて立ち上がったとき性被害を訴えたとき、それを叩いて黙らせようと必死になってるのって女じゃなくて男なので敵はほぼ男。つまり事実にも反したセリフなんだよな。