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はてなキーワード: 競争率とは

2024-03-18

流石に駅から徒歩20分とかいうクソロケーションなら応募者少なくて俺が採用されるんじゃと思っているがどうだろう

人手不足上流階級のことで弱者ができる仕事競争率はえげつない

2024-03-11

名古屋悪口ばかり言っているのでたまには良いことも言う

名古屋不本意移住して1年、

365日のうち350日は不快な思いをして暮らしている。

悪口については散々言ったし、調べると無限に出てくるので1年記念ということでたまには褒めてみる。

飯が安い

味については触れないが、量に対する値段で言えばトップクラスの安さだと思う

考えてみれば激安業務用卸業者(ス〇ャータやポッカ〇ッポロなど)の本社名古屋近辺に多いし、スガ〇ヤという激安ラーメン屋やコ〇ダなど量と安さを売りにするチェーン店名古屋発祥の店がかなり多い。

名古屋名物とされるメニューあんかけスパ煮込みうどんなど腹にズッシリ来る割に安い。観光価格ではなく適正価格でみれば手羽先味噌カツもとにかく安くて腹が膨れる。

接客の質が高い

普段名古屋住民の質の悪さから想像つかないほど接客態度がいい。低すぎるくらいに腰が低い。特にタクシー運転手はハズレがかなり少ない印象がある。

喫茶店が多い

ちょっとお茶しようの文化がめちゃくちゃ浸透している。喫茶店といってもカフェ流行りのレトロ喫茶店みたいな感じではなく、汚くてタバコ新聞臭いがするいわゆる昭和喫茶店という感じ。

(見たことある人はジブリ風立ちぬに出てくるような雰囲気喫茶店な感じと言うと伝わるかも。そもそも名古屋喫茶店が多い理由工場ちょっとした会議のために使ったからと言われているらしい。)

ちょっと座りたいなとか、封筒宛名だけ書いちゃおうみたいな場面ですぐに空席のある喫茶店が見つかるのは便利。

観光客が少ない

これは観光価値がないという点の裏返しでもあるが、観光客が少ないため迷惑行為が少ない。

京都北海道なんかはアジア系観光客がどっさりいて騒いだり汚したりと好き放題暴れている。旅行ハイになった大学生なんかもかなり目障りなことがあるが、名古屋では滅多に見ない。

今どきここまで人口が多くて発展した地方都市でこんなに観光客が少ない場所はめずらしいと思う。小さなストレスがないのは案外快適だと思う。

求人数が多い

東京には敵わないが比較ホワイト企業求人がかなりあるので、いい勤務条件で勤務するハードルが低い。東京だとその分人口も多く、レベルの高い求人競争率が高くなるが、名古屋ならそこまで高くもない。工業発展都市からこその利点だと思う。

キャッチ宗教勧誘が少ない

誰彼構わず声をかけどこまでもついてくるあの迷惑人間がかなり少ない。大阪なんて本当に酷いけど、名古屋心配になるレベルで声をかけられない。警備を徹底しているのか、そういうお店が少ないのか理由はわからないが快適。

道端でメルトダウンした酔っ払いあんまり見かけない。お酒あんまり飲まないんだろうか?

電車で叫ぶ人がいない

東京大阪が多すぎただけか?なんかあんまり見かけない。精神障害っぽい人もあんまり見かけない気がする。身体障害者普通にいる。雪も降らないし、暮らしやすそう。

愛嬌のあるおじさんが多い

名古屋は外面だけ良くて見栄っ張りと言われるが、世の中外面すら気にしないおじさんばかりなので見栄だとしてもニコニコしてくれるのはありがたい。

まとめ

嫌いな場所だけどまぁ住む理由もわからなくはない。外から来る場所じゃないけどここで生まれしまったらもう出られないのかもしれない。共感はできないが理解はできた。しかしやはり今日も車に轢かれかけたのではやく名古屋から出たい。

2024-03-08

anond:20240308141658

世田谷区在住だけど、ボロ安アパートとか家賃の安い賃貸ほとんど外国人が住んでるよ。

日本語読めないかゴミ出しルールも守らない。

コンビニファーストフードなんかは外国人店員が多いしUberEatsも通称グエンと呼ばれるベトナム人が多数。

小池都知事はただでさえ競争率の高い都営住宅能登被災者ウクライナから避難民に解放

想像でモノを言ってぜんぜん現実が見えてないの可哀想やな。田舎に住んでたら仕方ないけど。

2024-03-02

anond:20240302092734

食品だろうが金属だろうが樹脂だろうが紙だろうが、基本的工場作業は重いもの持たなきゃいけないし、暑い寒い我慢しなきゃいけないし、気を抜いたら死ぬか手足がなくなる仕事ばかりだろ。

頭使ったり肉体使ったりと言うのとはまた違う能力必要というか、適度に集中しながら同じ作業を何時間も繰り返す能力っていうか。

最近ブランド化や工場見学に力入れてる会社工場環境もかなり良好なのでやりたいならそういうところに入ればいい。

競争率は高いからまぁ面接に受かるかどうかは知らんけどな。

おっとその前に求人なんか出てないんだった。

著名人受精した瞬間に死んだら著名人の子供に転生できる理論

競争率激しそう

ギリギリを狙って失敗したやつらが蚊や蝿の幼虫に山ほど生まれて、そしてまた死んでそして、すぐ次の輪廻に行きそう

2024-02-29

anond:20240228190945

反応が多かったので長くなるけど追記してみる。

結婚相談所にも魅力的な人はいるけど、増田が会えてないだけ 。

結婚相談所にも魅力的な人や相性がいい人は極少数いて、会える確率が非常に低いのでガチャを回し続けよう

下手したら100人単位ガチャになるから、相当に意志が強くないと氷河期就活みたいにメンタルやられるよね

そうなので、メンタルを維持して他責にならないためにも理論戦略必要になる。

IBJが出している成婚白書に実際の数字が載っているので見てほしいけど…

という、お見合いを何十回もしている婚活難民からすると信じられないような数字が載っているので、実際にA子のようなタイプは多いのだろう。

これを「自分残飯から結婚できないんだ」と見るのではなくて「ガチャでA子のような人を引き当てれば成婚できる」と見るべき。

もう少し細かく見ると、A子の婚活は次のような流れを辿ると思われるので…

  1. 入会後1週間: お見合いを申し込んだり、申し込まれたりする
  2. 1ヶ月目: 実際にお見合い相手と会う
  3. 2ヶ月目: 何人かと仮交際に進む
  4. 3〜4ヶ月目: 1人を選んで真剣交際に進む
  5. 5ヶ月目以降: 成婚退会する

活動期間は5ヶ月あっても、男性からA子を観測可能なのは真剣交際前の2ヶ月だけで(真剣交際以降はプロフィールが見えなくなる)、申し込みが成立する可能性のあるウィンドウさらに狭い1週間しかない、ということになる。(なので、申し込みを断られても気にしないこと)

男性場合相手身長が高くてもOK、(女性場合相手身長が低くてもOK

賢明相談所なら削れと言われる。

コンプに直結しやすい内容だから、何様?みたいに思われる可能性がある。

男性で「身長高い人が好き」ならいいけど、低身長でも構わない場合はそぐわない。

自分場合過去に背の高い人と付き合ったことがあったので「相手身長は気にしていない」旨を書いて、実際に背の高い人ともお見合いをしていた。

女性場合、160cm台だったらプロフィールには書かなくて検索条件で工夫すればいいと思うけど、180cmくらいあったら「背は高いですがお相手身長は気にされていません」と仲人PRで書いてもらうのはアリじゃないかな。

男性場合自分の)姓を変えてもOK

賢明相談所なら削れと言われる。

女性が姓を変えるのが当然ってこと?って思われる可能性があるから

かといって「姓を変えたいです!」はポジティブな印象抱かれない。

女性研究者のように姓を変えることに切実なデメリットがある相手だと刺さるんじゃないかな?

これも、女性が「なるべく姓を変えたくない」とはプロフィールに書きにくいので、男性が「姓を替えることを気にしていない・事実婚もあり」と書く方がマッチやすいと思う。書き方の問題だと思うけど、仲人Tさんだったらどうするかな?

競争率が低そうな人」は完全に私見なんだけどさ。

異性のプロフィールはいくらでも見られるわけで、それを見て

カジュアル写真

・短いプロフィール

プロフィールに悪条件を記載

を続けてる人はやばくない?と思っちゃう。何十年も一緒にいることを想定して活動してるんだし。

結婚相談所場合プロフィールちゃん添削しない仲人問題であって、本人は天然でいい人だったりするので(実際にそうだった)、そういう人を逃すのはもったいないし、お見合いの日程調整でグダったりするのも結婚相談所が原因の場合もあるので、会う前にダメだと判断するのは早計。

婚活バトルフィールドに慣れすぎると、婚活バトルフィールド最適化された行動をとっていない相手を「やる気がない」とか判断しがちなので注意しよう。

プレゼント持ってこられて嬉しいか

まだそんな確かな関係でもない人から「夢に出てきました」と言われるのは魅力的なんだろうか?

お見合いして仮交際をしている相手=好きになれそうな人、なので嬉しい。

たとえ婚活テクであっても、お金や手間をかけて好意を示してくれていることが嬉しい。

相手がウケが悪い趣味を持っている(例: (女性の)海外旅行” え!?そうなのウケ悪いんだこれ…

自分は気にならないけど、一般的にはそうらしい。↓ここらへんを見て。

そのせいで、海外旅行が好きだったり、海外駐在経験のある人でも(おそらく仲人添削で)プロフィールには書いていないこともあり、逆に男性から海外旅行好きを見つけるのが難しかった。

ウケが悪い趣味を持っている(例: (男性の)バイク) /バイクってそんな特筆すべき悪い趣味筆頭なのかな…

人にもよると思うけどウケは悪いらしい。↓ここらへんを見て。

こんなとこで結婚相手探すより普通に恋愛結婚した方が早いと思うんだけど‥何でワザワザみんなエクストリームモードプレイしたがるのかな?

自然恋愛場合

必要になって時間と手間もかかるし、同じコミュニティ複数の人に声をかけるのは難しいので、短期間で恋愛対象にしてよい相手にたくさん出会える、という点で結婚相談所タイパは良かったよ。

現実を知らないと言われるだろうけど、「美人投票では上位に来ないかもしれないけど、自分の好みのタイプ」って難しそう

比べてしまうと、より綺麗な方に惹かれてしまうので難しいのは確か。

メンクイの場合対策については、ここらへんの動画が参考になるかな。

2024-02-28

anond:20240228190945

結婚相談所にも魅力的な人はいるけど、増田が会えてないだけ 。

結婚相談所にも魅力的な人や相性がいい人は極少数いて、会える確率が非常に低いのでガチャを回し続けよう

 

要するに結局しんどいですよっていう話で、しんどさを紛らわすために書き込んでるんだと思うよ。

新規さんでも受け身が基本だし、婚活歴が長いか受け身が抜けてきた人もいるし、ガチャなのは変わらん。

 

あと相談所のプロフィールって、ポジティブな印象を与えて間口を広げるのが基本戦略。

自分プロフィールアピールするのは意外と難しいんだよね。

 

男性場合相手身長が高くてもOK、(女性場合相手身長が低くてもOK

賢明相談所なら削れと言われる。

コンプに直結しやすい内容だから、何様?みたいに思われる可能性がある。

男性で「身長高い人が好き」ならいいけど、低身長でも構わない場合はそぐわない。

 

男性場合自分の)姓を変えてもOK

賢明相談所なら削れと言われる。

女性が姓を変えるのが当然ってこと?って思われる可能性があるから

かといって「姓を変えたいです!」はポジティブな印象抱かれない。

 

ほかも同じ感じ。

 

競争率が低そうな人」は完全に私見なんだけどさ。

異性のプロフィールはいくらでも見られるわけで、それを見て

カジュアル写真

・短いプロフィール

プロフィールに悪条件を記載

を続けてる人はやばくない?と思っちゃう。何十年も一緒にいることを想定して活動してるんだし。

 

から息抜きしつつガチャを回し続けて、自分婚活コンテンツ見ながら勉強改善を続けるのが正解になると思う。

まあ婚活コンテンツ見て自分磨きし続けても、いい人見つかるかは別軸だからしんどさも増すけど。

結婚相談所にも魅力的な人はいるけど、増田が会えてないだけ

最近のここらへんの投稿が気になったので、40代結婚相談所に入って成婚できた経験も踏まえて書いてみようと思う。

積極的で魅力的は人はい

自分があった中ではこんな人がいたかな。

かに消極的な人もいたけど、そういう人とはお見合いより先に進まないことが多いのであまり印象に残らないというのもあったとは思うけど。

積極的で魅力的は人は、すぐに成婚してしまうので出会えない

例えば次の3人が所属している結婚相談所を考えてみる。

3人中2人が成婚しているので、成婚実績は66%ですごく良い。積極的で魅力的な人が33%もいる。

ところが、相手の男の立場から見るとお見合い積極的なA子に出会える確率は4/76なので5%ちょっとしかない。20人に1人の確率になる。だから会っている人の印象としては、たまに積極的な人がいるけど、ほとんどの人は消極的か、こちから好きになっても選ばれない、となるのだと思う。

実際に例にあげたような積極的な人はすぐに真剣交際ステータスに変わっていたので、あっという間に成婚してしまったのだと思う。

ではどうすれば良いのか?

戦略としては次のようにすると良いと思う。

新規の人に申し込む

積極的で人を好きになりやすタイプの人はすぐに成婚してしまうので、新規会員から積極的に申し込む。

世間一般ではウケが悪くても自分にとっては気にならないポイントを探す

例えば次のようなもの。これは、相手プロフィール検索するときの条件にするだけでなくて、自分プロフィールにも書いておくといいと思う。

競争率が低そうな人に申し込む

プロフィール写真カジュアルな人、プロフィールが短い人、プロフィールに悪条件が書いてある人などでも、実際に会ってみたら良い人はいるので、気にならなければ積極的に申し込む。

わかりやす美人に申し込まない

何も考えずに写真を見て申し込むと美人ばかりに申し込みがちになるので「美人投票では上位に来ないかもしれないけど、自分の好みのタイプ」というのを意識して申し込む。

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追記

https://anond.hatelabo.jp/20240229162852

2024-02-25

新しい派遣先が決まらないっぴ

今までコールセンター勤務だったが喉が壊れて話すのが辛くなったのであまりさな仕事を探してる

それが競争率高くて全く決まらない

非正規ばかり渡り歩いてる30歳無資格Fラン卒に暮らせるだけの金をくれるデスクワークってほぼ喋る仕事ばかり

30歳って微妙な年齢だよな

生活保護を受けるには若すぎるし、正社員になるにはちと老けている

3月中に仕事まらなかったら生活保護前向きに検討しよう

生活保護が無理だったらコンビニ強盗のふりして捕まるしかないな

2024-01-14

anond:20240114124613

良い男の条件はさておき、

婚活中の良い男はすぐに相手が決まるので、競争率が高くて不利。

なのは事実なので、婚活していない良い男を狙うのは、戦略的に賢い。

2023-12-12

弱者男性ってどうして普通女性恋愛したいの?

これ前々から気になってたんだけどさ。

弱者男性弱者男性のまま恋愛したいならさ。

どうして普通女性を狙うんだろう。

自然界と同じ弱肉強食なのが恋愛市場なんだから強者男性勝負して勝つには強くならなきゃじゃん。

でもニッチを狙うって戦略もあるでしょう。

年齢の高い女性とか、普通の男の人がターゲットにしないような競争率の低い女性を射止めれwin-win なんじゃないの。

弱者男性恋愛で窮困してるのは、そう言う戦略を取ろうとはしてない結果だよね。

煽りとかじゃなくシンプル疑問符。なんで?

anond:20231212095809

追記

レベル上げにゴブリンを狩るとゴブリンが傷つくし失礼

でもゴブリンレベルも上がるよね。

恋愛を通じてコミュニケーション能力とか恋愛力をお互い上げて、それぞれ別の相手を探す、でもいいんじゃない? 上手くフィットしたなら、もちろん添い遂げてもいい。

お互いを相手として選ぶのだから平等だし、2人ともステップアップするんだったら、やっぱり win-win でしょう。

2023-11-29

(追記した!)おれが主夫になるためにした努力を聞いてクレメンス

追記

ぬるっと家事終わらせて見に来たらたくさん読まれてて嬉しい。婚活は大変だったけど学びもあり、あのままブラック労働を続けるよりよっぽど良い人生&良い人間になれた気がするよ。書ききれなかった学びと自分語りを書いた。誰かの参考になれば幸いだし、おれはいつでもお前らの婚活成功を祈ってる。

https://anond.hatelabo.jp/20231130215545

 

(ここから本文↓)

10年前、新卒入社したブラック企業で心身削られ心底思った。働きたくない。

その年の末、帰省した際に5歳上の姉から婚約者を紹介された。婚約者国家公務員で、姉は専業主婦になるという。羨ましすぎて狂うかと思った。

 

婚約者が帰り、両親が眠った後で姉と2人きりになった。酒の勢いもあって「女は主婦になれていいよな、俺も養われてぇ〜〜〜」と愚痴ったら、「じゃあお前もなれよ、そのための努力しろ」と言われた。姉からアドバイスを忠実に実行し自分なりにも試行錯誤を繰り返した結果、今では主夫の座を得て週2の趣味みたいなバイト以外は家でネトフリ見ながら家事をしている。今日主夫希望男性やいわゆる弱者男性に向け、おれの主夫までの道のりをシェアハピ!します。身バレを防ぐため、ちょっとフェイク入れるのは許して。

 

1.経済力のある女性に選ばれるために

当たり前だが主夫になるには一馬力で家族を養える女性パートナーに選ばねばならない。そして高収入女性の周りには当然高収入男性が多くいるため、彼らとの競争に勝つ必要がある。また一馬力で家族を養える女性は1人なら何も気にせず贅沢に暮らしていけるため、家族を養う=金銭的な自由を手放しても、こいつと結婚したいと思われる必要がある。いいか高収入でも年増のブスは結婚できるなら誰でもいいんだろwwwいから俺を養えよwww」などという考えは捨てろ。高収入女性はお前を養うくらいなら1人で楽しく生きて行く。

悔しいけど、女性学生時代友達とずっと仲良かったり、いつでも新しい友達を作れたりで男より人間関係に恵まれやすいのよね。それで金まであるとくれば…。

 

初めに姉に「お前のアピールポイントは何?」と聞かれた時、おれはもごもごと口ごもった末に「や、優しさ…?」と答えた。不正解だった。姉曰く、成熟した人間にとってある程度の優しさは標準装備だ。自分長所を問われて1番に優しさとのたまう男女は、それ以外のアピールポイントがないと言っているのと同じ、とのこと。あと自分他人より優しいと思う根拠は何?と言われてぐうの音も出なかった。

では何ならいいのか。例えば家事スキル有効だ。仕事から帰れば片付いた部屋でうまい飯、というのは男女問わずバリバリ働く人間には効く。他にも聞き上手、ケア能力、可愛げ、あとは最悪顔でもいい。何か最低ひとつ武器として持っていないと話にならない。

 

俺は家事スキルに振った。前から料理は好きだった(当時は激務でほとんどしていなかったが…)から、女ウケする低カロリーで美味しい料理研究に励んだ。掃除洗濯もそつなくこなせる。

また、意図して可愛げも伸ばした。主夫になりたいくらいなので元からプライドが高くなく、優秀な女性と張り合う気持ちがないこと、尊敬気持ち好意を素直に表現できること、仲の良い姉がいて女性が好む話題がわかること、察する能力が男としては比較的高いこと…などを長所とし(この辺りは姉と相談した)、高収入男性と競合しないブランディングを目指した。

 

あと転職した。ブラック企業給料だけはそこそこだったが俺の幸せはそこにはない。主夫を目指すと決めてから収入が下がっても週末は休んで婚活できる仕事を選んだ。婚活ガチ勢

 

2.高収入女性出会うために

ほぼ就活。そして当然ながら年上好きじゃないと厳しい。

俺は非正規ヒモではなく、ちゃん結婚して主夫になりたかった。不安定派遣ではなく正社員になりたい気持ちに近い。ということで婚活アプリを始めた。女性なら若ければ若いだけ申し込みがくると言うが、おれの場合は当時24歳低収入だったこともありビビるほどマッチしなかった。いかにもヒモ狙いっぽくて怪しかったのかもしれない。おれは主夫でかつある程度余裕がほしかったので、それなりの収入を求めると相手の年齢は、少なくとも5歳は年上になる。基本女性共働き・あるいは自分仕事セーブする想定なので、高収入女性ほど高収入男性を求める傾向にある。男性を養う想定がない。

サービス趣旨的に双方結婚前提のはずなので、ミスマッチを防ぐためプロフィール主夫志望であることを明記し(それが誠実さだと思っていた)、料理写真なども載せた。だがほとんどの申し込みは断られ、さすがに傷ついた。唯一会ってくれたのは12歳年上の女医だがずっと値踏みされ疑われている感じが辛かった。なんとかデートを終え、向こうからはまた会いたい(限りなく会ってやってもいい、みたいな感じ)と連絡があったが、おれのほうが無理で断りを入れた。

 

それから普通マッチングアプリに切り替えた。こちらは結婚前提のアプリではないが、結婚願望が強く相手サポートしたい気持ちがあることを明記した(主夫という言葉は使わなかった)。条件が合う人にひたすらいいねを送り続け、返ってきた人にマメ対応し、デートにこぎつけた。ちなみにおれの求める条件はこれ

40歳以下

年収500万以上、年収記載がない場合専門職大手企業など

仕事が好きそう

結婚願望あり

・最低限の見た目

見た目はあまり重視しなかったが、流石に太りすぎていたり清潔感がなかったり、写真がない(あるいは重加工で原型を留めてなさそう)な人はパス

主夫志望の男性諸君に言っておくが、働かない男性を喜んで養う28高収入川口春奈美女存在しない。いたとしても養いたいのは芸能人級のルックスと甘い言葉を操れるホストみたいな男だろう。そんな女性結婚したければ、むしろ高収入イケメンを目指した方がまだ可能性がある。それができないおれたちは高望みしている場合じゃない(ただし見た目に関しては高収入30代はけっこう綺麗な人が多い印象もある)。

 

自分が25〜28歳くらいまでは仕事を続けながら数人の彼女交際した(もちろん1人ずつ。同時並行したわけじゃない)。相手は5〜10歳年上だ。普通に上手くいかない場合もあったし、仕事への熱意の差もあり尊敬できない…と言われてフラれたこともあった。また、28歳で同棲した彼女は激務で余裕がなく、ヒステリックにあたられるのが辛くて俺から別れを告げた。37歳のコンサル美人だったけどモラハラがひどかった。逆説的だけどそういう人とすぐに別れられたのは、自分仕事をしていたからが大きい。同棲時点で家賃その他は彼女持ちで、あなた仕事を辞めていいとも言われていたが、あの時生活の全てを彼女に委ねていたらと思うとゾッとする。

 

結局、コンサル彼女と別れてガチ結婚相談所に登録した。適齢期だし以前より少しだけ収入が上がっていた上、容姿もある程度コントロールできていたからか、以前よりスムーズマッチングできた。そのうちの今の妻と出会って半年結婚した。偶然だが、姉の夫と同じく妻は国家公務員。おれは主夫やらしてもらってます

 

3.主夫になるため必要もの

家事スキルケア能力

・ある種の割り切り

ストライクゾーンの広さ

清潔感容姿チューニング

主夫になる!という強い気持ち

・めげない、あきらめない

主夫になったと言うとけっこう羨ましがられるが、ぶっちゃけ自分普通に働いて、特に高収入でもない共働き奥さんもらう方が簡単じゃね?と思う。今の生活は最高だし妻も好きだが、ここに至るまでの努力や苦労は仕事とは異なるヤバさがあった。何度も挫けかけたが、絶対に働きたくないでござる!という強い気持ちで乗り越えられた。

 

女性ハイスペ婚からの専業ルートに行くには高い競争率を勝ち抜くため、若さ武器容姿を磨き上げる、またはハイスペと出会うため自分ハイスペになり、相互信頼を勝ち得た上ですっぱりキャリアを捨てる必要がある(姉は後者)。

男性の専業ルートはそこまで容姿重要視されないが、高収入女性自分を養うメリットを全力アピールしなくてはならない。まずは視界に入る努力からだ。

 

そこまで重要視されないと言っても、容姿が『普通』の範囲にいることは最低条件だ。おれはイケメンじゃないし太りやす身長も平均に満たないが、脱毛食事管理し、安くてもいいから着古してない服と靴を身につけた。要は減点材料を減らせばいいのだ。ニコニコとよく笑い愛嬌アピも忘れなかった。ありのままを愛してくれ、なんて気持ちは捨てましょう。

 

デートの際も、相手を楽しませるという気持ちが大切。こちらは就活気持ちだが、相手はおれを採用する必要はない。たくさんの女性と会って、モテる人ほどホスピタリティが高いと言うか会話が上手いしちょっとしたことを褒めてくれ、気持ちよく話させてくれるなと気づいた。ただし、それでこちらが調子に乗ってベラベラ喋ると次はない。デート恋愛)の主導権は楽しませた側にあるのだ。

 

おれは金がないから大したところに連れて行けないが、その分相手の話をよく聞き、褒め、また会話の内容を覚えておくことでちょっとしたサプライズを用意したりした。例えば、チョコレートが好きだと聞いたら、デパートで嘘みたいに小さいのに800円くらいするチョコを買って、次のデートで「思い出したから」とあげるとか。800円のチョコ普通に高いが、「覚えていて喜ばせようとしてくれたんだ」という驚きは1万円くらいの効果を発揮すると思う。おれはデートの後に話したことを思い出せるかぎりノートに書いてたよ。相手の好きはともかく、苦手なものもなるべく把握した。「これ苦手だったよね?やめとく?」なんて気遣いも喜ばれる。

 

専業主夫への道は意外と険しいことがわかってもらえたら嬉しい。男性も頑張れば全然主夫なれるぜ!という気持ちと、ほとんどの男性主夫になる努力より普通に働く方が楽だよなぁ…という気持ちが半々。おれは組織労働より、少人数(家族)のパーソナルケアが性に合ってる。

妻に出会うまでたくさんの女性と会ったが、おれと合う合わないを別にすれば7割以上は常識があり良い人と言えた。ただしとんでもないモンスターモラハラ気質の人もいるため、人を見る目は超大事結婚したらパートナー雇用主だから。ただコンサル元カノは、同棲まで猫かぶっていたしあれは見抜けなかった…もはや運なのかも。

おれは妻が帰ってくるま家事をしながらアニメを見るから、お前らは仕事をがんばってね☺️

2023-11-24

anond:20231124231244

学者数 微増

進学希望者数 減少 (人口減少が原因)

進学率 = 進学者数/進学希望者数 増加

競争率 減少

では?

2023-11-20

anond:20231120092432

現に弱者を喜んで引き取る強男がいるんだから同性婚法制化してもろて喜んで引き取る強男を弱女と奪い合えばいいじゃん 強男はたくさんいるんだし

強女に行ってもいいけど強女は数が少ないかもっと競争率高いんじゃないかね がんばれ

2023-11-11

ロシア人ウキウキを守った

オンラインゲームで知り合ったロシア人に「日本外国語学部ロシア語学科希望が多くなったと聞いた。うれしい」と言われたのでうんうんと返したが

ワイも外国語学部卒だから分かるけど、ランク高い大学卒業したいという理由でその大学マイナーor不人気言語学部をわざわざ選ぶというやつはわりと多く(英語学科とか中国語学科とかは人気で競争率高い)

今はロシア不人気やろと判断されて受験者数が増えたんだろう

ワイもその手法であまり努力せず旧帝大に入ったし

大人からそのロシア人には言わなかったが

2023-11-09

男の未婚率が高いのは男が若い女にこだわるせいだよ

令和5年の日本の年齢別人口がこれか

https://eleminist.com/article/2174

まぁところどころ逆転してたりはするけれど概ね下の世代になるにつれて数が減っていっている

この表だと35歳の人口が、男71万1000人、女68万2000人。

40歳人口は男77万3000人、女75万1000人。

30歳の人口は男64万4000人、女61万3000人。

35歳の女性が5歳上の40歳男性を狙う場合人口が約9万人多いのでそれだけ競争率は低くなり、成功率は高い。

一方、35歳の男性が30歳の女性を狙う場合人口10万人近く少ないのでそれだけ競争率は高く、成功率は低くなる。女性のように5歳上の異性を狙えば4万人多いので全然いけるのに…。

まぁ年齢が上がる程既婚率も増えるだろうが、成人ともなれば未婚だとしても交際中の人も多いだろうから比率はそんなわらないだろう。

男性の未婚率が高いというのなら、それだけ競争率が高く不利な選択をしているからなんだろう。

2023-10-25

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

2023-09-28

anond:20230928084102

男は年上への許容度も高いのでニッチを狙うって単に競争率が高くて困難な道なだけなんだが

2023-09-14

anond:20230914001503

へー医師嫁って普通に貧しいブスでも狙えるのか、競争率高そうなのにそうでもないのね。

2023-08-23

anond:20230822112831

知ったかぶり甚だしいけどJRAの馬に携わる仕事馬術部に枠なんてないぞ

必須経験として牧場勤務ってのがあって、本当に馬漬けだから馬術経験なんて1年2年で追いつかれるし、自分を殺せる生物を扱う3Kまりないワナビーでは絶対に耐えられない過酷環境から本当に情熱がないと絶対に脱落する

その上でアホほど競争率の高いJRA試験を通過する必要があるから勉強地頭できている大卒の方が有利ってだけの話

2023-08-06

anond:20230804214149

女のかわいいのほうが競争率激しく寿命も短いやろ

男のかわいいギャップで来るものから可愛さ全振りの女のかわいさとは根本的にべつもんや

2023-07-20

不誠実な増田

この増田(https://anond.hatelabo.jp/20230718231526#)がいちばん誠実

バイトする

契約社員になる

正社員になる

経験した上で特に大事だと思ったのは、社会から見た自分能力価値理解して「多くを望まないこと」です。

 

ちなみにネット求人必然的競争率が高くなるのでハロワで探しました。ハロワ以外でとおっしゃってますが、求人調べる場所としてはなかなかありです。というのも、能力無視して雇ってくれる競争率の低いブラック企業が充実しているので自分達にあっています。(ハロワの人は受けたいと言うと「あなたの経歴だと、うーん、、」などと難色を示しますが、応募するのは自由なので受けてみるといいです。「びっくりするぐらい応募がなくてとりあえず人がほしい」とか会社側のタイミングにより意外といけます

 

余談ですが、まだ人生は終わらないので機会があれば転職しようかと考えています。同年代より低くて、今より少しだけいい環境に。

 

ただ、最初就職でも、給与安いけど、無茶振りしなくて、ちゃんと育てる気があって、120日以上休める企業職歴がアレでも受かることはあるので、

ブラック以外も応募はするだけしといたほうがいいぞ

大企業とかは障害者雇用でもないと難しいが、中規模企業までだとオーナー採用担当者部門・チームの責任者の一存で決めれるので

2023-07-18

anond:20230718202505

無職です。

私はこの3ステップ正社員になりました。

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契約社員になる

正社員になる

経験した上で特に大事だと思ったのは、社会から見た自分能力価値理解して「多くを望まないこと」です。

周りをみると同い年でたくさん稼いで自由暮らしをしている人は多いですが、自分のだらだらと費やしてきた時間努力しなかった日々を考えれば肩を並べられないのは当たり前です。

理想より給料が安くて労働環境もそんなによくない職場を目指すのがひとまずのゴール地点だと思います

以降は自分語りです。読みたかったら読んでください。

まずは社会人間たちと関わる状態を作ろうとバイトをはじめました。応募するまでに時間がかかりました。恥ずかしさや緊張もありましたが、働き始めてあわなかったらどうしようとか、年下ばっかりではぶられたらどうしようとかそういう不安があったからです。ですが、毎日毎日考えていたら急にどうでもよくなってサクッと応募できました。人間はよくわかりませんね。

普通に落とされつつ受かったところで働きました。久しぶりのバイトはめんどくさかったですが、人間との関わりを学んだり思い出したりしながら働く空気感を覚えられたのはよかったです。

ある程度続けたら、小さな会社契約社員を探し応募しました。このときフルタイムかつ固定給という制度に慣れることを目標に、とりあえず自分を雇ってくれそうかどうかだけで選びました。

ちなみにネット求人必然的競争率が高くなるのでハロワで探しました。ハロワ以外でとおっしゃってますが、求人調べる場所としてはなかなかありです。というのも、能力無視して雇ってくれる競争率の低いブラック企業が充実しているので自分達にあっています。(ハロワの人は受けたいと言うと「あなたの経歴だと、うーん、、」などと難色を示しますが、応募するのは自由なので受けてみるといいです。「びっくりするぐらい応募がなくてとりあえず人がほしい」とか会社側のタイミングにより意外といけます

無事受かりましたが未経験歓迎!とうたっている給与も低く休みも少ないお察し企業です。しかし言われた時間会社にいれば固定給が入るというだけでありがたく、とりあえず働き続けました。

ある程度続けてから正社員求人を見始めました。前回同様にハロワです。社員と名の付く雇用形態で働いたお陰か、少しだけ自信がついていました。そんなこんなで少しだけ休み給与が増えるかたちで正社員になりました。ここもまあまあブラックですし、同年代に比べるとお値打ち人材として雇われています。思い描いてた未来とは言えないですが、自分のツケかなとある程度納得して生きています

余談ですが、まだ人生は終わらないので機会があれば転職しようかと考えています。同年代より低くて、今より少しだけいい環境に。

以上が私の正社員までの道のりです。参考にならないと思いますが読んでくれていたらありがとうございますあなた人生に幸あらんことを。

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