はてなキーワード: 替え歌とは
(十両以下は特に新顔が見当たらないため、今回は割愛とします。ご了承ください)→前回の【幕内】・【十両以下】)
昭和時代やイオン、女装子などの例外を除き、森羅万象を罵倒して回る増田。自身の経歴からか、特に法や行政、裁判所を目の敵にしている。
何度も削除を食らっては毎回戻ってきており、かつての安倍botや低能先生に劣らぬ危険人物。
自分語りによれば、殺害予告による二度の逮捕歴に加え、今なお各所でトラブルを起こしているらしい。
文頭をスペースで空けるため、「字下げ増田」と呼ばれる(ごく稀に空けないこともある)。別名フミさん、まーさん他。
ナニがきっかけでそうなったか知らないが、男叩きや特定個人の誹謗中傷を目的としたTogetterのまとめを複垢で作りまくっては、それを増田やはてブで拡散しようと企む某ツイフェミ。
すでにTwitter・Togetter・はてブで凍結や垢BAN、404化を経験しているにも関わらず、すぐ別垢で戻ってくる札付きの悪質ユーザーである。ただ「Twitter」「Togetterのコメント」「ブコメ」「トラバ」
のそれぞれで文章を使い回す上、噛みつく人物もネタも同じ(共同親権・ヴィーガン・絵本作家「のぶみ」・龍神・はるくもなど。最近では案の定、暇空に粘着している)。
はてブでも複垢を悪用し、404化を食らった前科持ち。現在もこいつの関与が疑われるはてブidが多数あり、「idが違うのになぜか文面が全く同じ使い回し」のブコメまで存在する。
なお、これらidと同名のツイ垢が存在し、「彼らに依頼してブコメをコピペ投稿してもらっている」説が浮上している。……というのも依頼の文面まで丸ごとコピペしてしまったアホなブコメがあるため。
🍑
左翼・フェミ叩きに対して憎悪を燃やす超ベテラン増田。ネームド増田の中ではおそらく最古参。
「711」「R30のところにコピペしないの?」「いつもの地ならし」「○時まで寝ていたんだ」「見つかりそうか」「ということにしたいのですね」「おばさんはいいんだよ」「女子大生の設定では」「プロパンガスの専門家でしたっけ」などと、意味不明なクソリプを飛ばしてばかりいる。
また「プライベートで○ブクマwww」「自演ツリー」などと、むやみやたらにセルクマや自作自演を疑うのも特徴。
「自分の気に食わない奴は全員同一・特定の人物」という思い込みが非常に激しく、最近では無関係な他の増田をしきりに「番付作成者」呼ばわりしているが、
「女性は下方婚しない」を筆頭に様々な持ちネタを操る反フェミ系増田。
こちらもハッタショ増田同様、発達障害・セクマイ気取り系の増田をターゲットとしたクソリプ増田。
過去に投稿した長文トラバから、大量のリンクを貼ってくる過去からの追跡者。
以前はコロナに関する話題でも同様のトラバを繰り返しており、どうやら医療や教育に相当コンプレックスを抱えている様子。
わかりましたね?
パンティー
突然現れては規約違反を厭わずブクマカや増田をグッサリ刺してくる、通り魔のような増田。
投稿頻度が不定期に増えたり減ったりしているが、例のテンプレと文体を使っていないだけで、普通に潜伏している可能性もある。
あとnoteにも進出している模様。NZ・ピアノマン・寿司ギャルと、あっちに行った増田は反応が得られないのか投稿が途絶える傾向にあるが、
無駄に長い語りに過剰な自意識を挟んだクソエモ長文増田。ひとつバズると便乗して同じような長文が次から次へと湧いてくる、まさにゴキブリのような存在。
おーぷん2chやまとめサイトから、おそらく他人の投稿を勝手に転載している増田。
日々ウクライナに対するネガティブキャンペーンを繰り広げている増田。
こんなところで頑張って何の意味があるのか。
BingAIにイラク戦争やイスラエルの行為をジェノサイドと認定させたいらしい、AI虐待を趣味とする増田。
それにしても全く同じ内容を何度も投稿するのはどうかと思う。
自称ストックホルム貴族と戦う陰謀論系増田。検索した限りでは他のサイトで活動している様子はなく、どこから来たのか不明。
前回の番付発表後行方不明となり、11/25に復活した模様だが、その後の投稿はない。
他の増田にいらすとやへのリンクを貼る増田。URLだけ貼ると反映されない仕様のためか、「(^^)」という顔文字も添えられている。
レスバトルになると乱入し、漫画「タフ」の語録を投下していく増田。
そもそも原作でタフの主人公が猛虎弁らしい口調なので、元ネタを知らなければ猛虎弁増田と区別がつきにくい。
一時の流行で終わるかと思いきや、なんだかんだで定着しつつある。
以前は「コモンビート」という、ピースボートかそこら系のNPOのURLを添えていたこともあったが、これが規約に引っかかったのか、投稿が全て消えたことがある。
再投稿ネタを指摘する増田。複数人おり、微妙に仕事ぶりが異なる。
ただご存じの通りブクマカはトラバも本文も読まない上、過去の再放送ネタにも平気で釣られて伸ばすダボハゼなので、あまり意味がない。
既存の単語を微妙に並べ替えした変な検索をしている増田。検索の件数らしき数字もあるが、どこでどういう検索をしているのか不明。
こちらもブクマのついた増田に対し、タイトルを適当に並べ替えたクソトラバを残していく増田。正直荒らしやスパムと区別がつかない。
KANの訃報を聞いて、「ああ、またあの曲がメディアで流れるんだろうな、……やだなぁ」と即座に思ってしまった。
なぜそんなに『愛は勝つ』が嫌いなのか、それは、もう大昔の話だけれど、大好きだった彼女が創価学会員で、当時創価学会は『愛は勝つ』の替え歌を作って、よくわからないけど「勝つ!勝つ!」とやっていたからだ。
私は、創価学会が大嫌いな父の下で育った影響が大きくて、父はテレビや新聞で創価学会の話題を見たり聞いたりするたびに、創価学会へのヘイトを私の目の前で繰り返す人だった。
今は亡き父が生きた昭和の時代、創価学会のあまりにも強引な布教・勧誘活動は当時は知らない人がいないくらいのレベルで、社会問題にすらなっていたようだ。
当時の創価学会員は、強引に勧誘しようとしている家に入って、大勢で仏壇をその家から運び出し、近くの川へ投げ捨てた、だなんて話は父からよく聞かされたものだった。
実家のすぐ裏に面していた隣の家は、熱烈な創価学会一家で、毎日、あの団扇太鼓の音が聞こえていたものだ。
特にその家とトラブルになっていた話は聞いたことはないが、母は私の幼い頃「絶対にあの家の中に入ってはいけない」とだけ私に何度か言っていた記憶がある。
彼女が創価学会員だと知ったのは、付き合い始めて二ヶ月ほどだったように記憶する。
私は最初はそのことを軽く考えていて、いざとなったら創価学会など辞めさせればいい、くらいにしか考えていなかった。
だから、そのまま半年ほどは彼女が創価学会員であることは出来るだけ気にしないように付き合っていた。
だが、これはずっと後になって知ったことだが、彼女の方はそうではなかった。
私に創価学会員になってもらわないと困る、と考えていたらしかったのだ。
それは、あまりにも厳格な彼女の両親(特に母親)から、一刻も早く脱出したかったからなのだと。
そのためには、「この人なら」と思える人に創価学会員になってもらうことが絶対条件だったのである。
何故なら、彼女のご両親は、創価学会員以外との結婚は絶対に許さなかったし、結婚を理由とする以外に家を出る方法がなかったからだった。
何せ、彼女の父親は公明党所属の地元自治体議員であり、母は地区の創価学会婦人部長だった。
だから、彼女の工作活動は、彼女が創価学会員であることを私に告げたその時から始まった。
「これ読んで」
とその時手渡されたのは、仏教入門なる、創価学会の本だった(結局数ページしか読まなかった)。
一人暮らししていたからよかったが、聖教新聞も強引に取らされた。私の両親が知ったら激怒は間違いなかったろう。
様々な創価学会のイベントにも「私をどこそこまで送って行って」と付き添い運転手として連れて行かれた。
『愛は勝つ』の替え歌は、それらのイベントで頻繁に聞かされていた。学会員たちはほとんど絶叫レベルで、「勝つ!」の部分を歌っていたのが今でも強烈にそのイメージが残っている。
私は何度も彼女に歌うように促されたけど、絶対に歌うことだけはしなかった。
当然ながら、よくある話ではあるけれど、信仰の壁を越えることはできず、彼女とは別れるしかなかった。
ほんとにめちゃくちゃ大好きな彼女だったので、死ぬことを考えるほど別れは辛かったけれど、私自身が創価学会員になるなんて、当時はほんとに考えられないことだった。
今はもうアレルギーなんて全くないので、創価学会員になることなんて別に屁でもなんでもないが(笑)
テレビではKAN氏への追悼と称して、『愛は勝つ』で東北大震災の時救われた人が大勢いたとか、その曲の偉大さを讃えてはいるけれど、私にとっては車のラジオから聞こえてきてさえ、すぐに他の局へ切り替えるほど大嫌いな曲であり続けた。大嫌いというか忌まわしいというか忌々しいというか。
後年、彼女と再会して、彼女もまた『愛は勝つ』が大嫌いだったと聞かされて、大笑いしたものだ。
だって。
KAN氏もメッケル憩室癌だったという。
ガンってまだまだ怖い病気だなぁ。
続き
(さらに続く)
以下は、自分が把握している範囲の裏紅白歌合戦2023元ネタ。面白さを解説しているものではないことに注意。
(続く)
喝落とせ 笛鳴らせ パンティナイ
吐こう ライ ライ ライ みんなで踊れ!
Hate-Labo ピーポー 付けてよミリオンBookmark
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吐こう ライ ライ ライ みんなで踊れ!
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Hate-Labo, Q&A, Blog, antenna, haiku, Star… Hate-Labo!!
今を苦しみたいんだね Let's Hate-Labo!! Here we, Here UNKO!!
ヘイトJD! 煽れ hate hate hate 義憤情動↓↓の
呑もう ライ ライ ライ みんなで踊れ!
身にまとって踊り明かす がむしゃらなままで
喝落とせ 笛鳴らせ パンティナイ
吐こう ライ ライ ライ みんなで踊れ!
Hate-Labo ピーポー 付けてよミリオンBookmark
ヘイトJD! 煽れ hate hate hate 義憤情動↓↓の
呑もう ライ ライ ライ みんなで踊れ!
あ~ごめん3巻だったんか。
ゲドが最強の若者だったのに年老いてから師匠オジオンのように少女・少年をじっくり育成することで(うっかり若い自分が壊しかけた)世界をたちなおらせる償いの旅…
少女・少年にとっては表面だけみると最初シンデレラつか玉の輿っていわれて舞い上がるんだけど二人きりになってみたらおじさんの様子がなんかおかしい(BTFにおけるドクくらい偉業してるはずなんだが)不安…
メインストリームたるセケンにもどってみたら…ってのがほんとロマンなんだよ。
だから本来はそういう表現が上手なジブリでやる意味があったはずなんだよ…できてみたらどっかいってたけどさ
ここに替え歌師の話がある。蛇の物語、人々を嘲りの笑いに誘い込む罠の話である。
その時期に、子供向けのこのような歌があった。
その替え歌師は蛇の舌を持っている。次のように書き換えた。
子供たちはその変な替え歌の意味がわからなかったが、おかしかったので笑った。
こうして替え歌師の呪術がその歌に秘められ、この歌が広まった。
そして毒蛇とは、善人を悪と言ったり、人を悪に導く嫉妬者の喩え。
つまり替え歌師は、その嫉妬者を偉いと言い、善人を悪いと言った。
人々がまっすぐと信じていることに対して、巧みな舌を使い、疑問を抱かせる。
その疑問は善を悪へ曲げることばかりだ。
確かに、そのような疑問によって知性が向上しているようにも見えるだろう。
しかし子供たちは自分の吐いた言葉に混乱していることにさえ気が付かず、
その混乱は悪意を育てていった。
ある時、善に導かれた詩人が替え歌師が呪術を振りまいていることに気がついた。
しかし曲げられたものがあまりにも多かったため、下手な詩がかえって事態を悪化させるのではないかと詩人は考えた。
嫉妬心の強まった子供たちは、「これは善に基づいている」などといえば、「退屈だ、悪や闇に走ろう」などと言うだろう。
闇に走った子供たちは、その後に待ち受ける後悔について知識も知恵もない。
詩人は闇に走った者の末路を詩にした。
「これは闇に走った者の話である。
薬によって狂い、まっすぐと見ることすらできない。
その道で得たことは何一つない。
見よ、これが愚か者の末路であった。
愚か者は蛇の舌に狂わされているので、
その時は人は彼を救えない人であると見放す。
愚かで居続けることに対してかたくなになるな。
蜜蜂のように、善きことを仲間のもとへ運び込むことを学べ。
狂った人は、善きことと悪しきことの区別がつかないので、
悪しきことを運んでくるかもしれない。
あるいは善きことが運ばれているのに、それを捨て去ろうとするかもしれない。
地獄を望むものなど誰もいない、その蛇の言葉を正しい方法で浄化せよ。」
蛇たちはこの詩さえも曲げようとするが、これは試練である。
もし人々が善き道を見極めるのであれば救いがある。
しかし蛇が蛇を教育し、悪しき物語が広まるのであれば、忌み嫌われ、裁きの前に置かれる。
彼らがどちらを選ぶのか、将来のことなど誰が知ることができよう。
学校の体育祭や球技大会、日本代表戦といった、「自分がいるところを応援しよう」的なムードにどうしても嫌悪感を感じてしまう。
理由はわからないが、否が応でもこの状況を見せられ、そういうことを強制されるような雰囲気になるのが受け入れられない。
ここでは、そのエピソードを紹介する。
小学校は赤白に、中学以降は多数の色に分かれて多くの競技より得点を競う体育祭。
士気を鼓舞すべく、組ごとに黒板に絵を描いたり有名歌謡曲の替え歌を作ったり掛け声を挙げたりで絶対優勝しようと騒ぐ。
私は、小学校のころから、なぜそこまでして優勝を目指したいのか、なぜ別に優勝などどうでもいいと考えている人まで巻き込もうとするのか理解ができなかった。
ここでは体育祭の話のみをするが、球技大会などその他チームを組んで競い合う行事すべてにいえることである。
時は流れ、何の因果か、私は教育実習生として、体育祭前の学校にいた。
生徒だけでなく教師も絶対優勝しよう的なことを言っていたが、ますます理解できなかった。
あまりに嫌悪感が激しいので、終業前の学活でこんなことを言った気がする。
「負けろ」だとか「優勝は諦めろ」みたいなことは言わない。
だが、優勝に固執したり、その結果他のクラスとの関係が悪くなったり見下してはいけない。
もしかしたら優勝できない、場合によっては最下位のこともあるだろうが、もしそうなったとしても「これでよかったんだ」と思えるようになってほしい。
自分より上位のクラスに対しても、下位のクラスに対しても、惜しみない拍手を送ってほしい。
他のクラスも「敵チーム」ではなく、同じ仲間だ。
その相手に対して負けろだとか自分のクラスが勝つだとか思わず、お互い応援しあって、楽しんで体育祭を終えてほしい。
それと、体育祭へのモチベーションは生徒によってさまざまだが、くれぐれも優勝しようというムードを強制するようなことはしないでほしい。
幸い内心は指導教員にはバレず、怒られたり大学にクレームを付けられたりすることはなかったが。
どこもそうなのかもしれないが、やはり生徒も教師も似たようなことを言っていた。
バカバカしいので授業の際に「あんまり無理すんなよ。優勝なんかより心身の健康が大事だから」的なことを繰り返して言った。
同じチームの教師からは「チームが優勝できるよう応援してください」と言われたが、ハイハイとだけ言って、あとは見守るだけに徹した。
2年に一度(夏季・冬季)のオリンピックに加え、ワールドカップやWBCその他において、日本代表というチームがあって世界各国の代表チームと試合を行う。
これはスポーツだけでなく、ノーベル賞など、日本人が参加するあらゆる競技や賞で起こる話である。
テレビ、新聞、インターネット…あらゆるメディアでこのことが取り上げられる。外出してもビルや電車の画面に映ってくる。
否が応でも見せられるのだ。
しかも、どのメディアも最初から最後まで口をそろえて日本側を応援する。一見中立そうに見えても最終的には日本側の勝利に言及する構成となる。
中には日本が負けそうになると中継を別の競技に変えたり、負けると(ノーベル賞の場合は日本人候補者が選外になると)軽く扱って次の話題にすることもある。
つまり日本に肩入れしない取り上げ方をしているところ、あるいは相手チームを応援しているようなメディアはないものか。
(日本の負けを望んだり、日本が負けて喜ぶのはまあいいとして、個人的にはそれで相手を全速力で煽るシバターみたいなのはいただけないが)
なぜ、そこにいるというだけで、同じところのチームを応援しないといけないのか、理解に苦しむ。
あくまでただ偶然彼らと同じところにいただけであり、彼らやチームとは何のつながりもない。それなのに、なぜ応援しなければいけないのか。
(別に愛着を持ってここにいるわけではないので、勤務条件や文化などでもっといいところが見つかればさっさと移住したいとも思っている)
自分がいるところ以外を応援してはいけないのか。一歩離れたところから傍観するだけではいけないのか。
なんというか、自分がいるところ(特に日本)だけを応援するムードが気持ち悪くて仕方ない。
どうすればいいんだろう。