はてなキーワード: 二元論とは
なんていうかこういう分類も二元論しか理解できないサヨクっぽいやり方だからやっぱ良くないわと思ったのでもうちょっと分けてみることにした。
フェミニズムの言っていることが本当かどうかは気にしないことにしてみる。所詮は一種の信仰でしか無いからだ。
自分の信じているフェミニズムが何であれその原理に従ってきっちり生きているフェミニストだ。
多分日本にはいないだろうが、個人的にはこういう人たちは尊敬に値すると思う。信仰に人生を捧げるわけだからな。
ラディカル・フェミニズムを信じているなら家父長制なんていうのに付き合わないから結婚しない、もしくは家族を一切捨てて離婚するっていうくらいに覚悟が決まっているようなフェミニストだ。
そう考えるとマルクス主義フェミニストとか、そういう分類ごとに女性のあるべき実践ってどういう感じに定義されてるんだろうな?
フェミニズムを受け入れたいが覚悟が決まらないフェミニスト。多分フェミニズムについて勉強して「え、ここまでやんニャきゃ駄目なのの?」となってビビり散らかしているタイプで、この辺はある意味クソフェミ臭がするだろうが、一貫性はあると思うし対話も可能だと思う。
ラディカル・フェミニズムを勉強して家父長制のせいで私の人生がといつも文句言っているタイプだ。
なんかフェミニズムっていうのがあってそれさえやってりゃ男に対してどんなに傍若無人に振る舞ってもOKになるらしいYO!くらいの頭の悪さを平気で発揮している人たち。
この辺は結構問題だと思う。本当に達成したい目的は別にあるのにさもフェミニズムのように振る舞って人々を扇動しまくっている人たち。
多分この辺に駄目フェミニストが引っかかっていると思う。
例えば本当はマルクス主義に基づいた共産主義革命がしたいのにフェミニストですと言っているような人たちっているじゃんか?しらない?もっと勉強したほうがいいぞ。
多分いちばん厄介、本質的にその問題はフェミニズムの範疇ではない、例えば単なる個人的な恨みとか、過去の虐待のトラウマを無理矢理に男のせいにしてフェミニズムだと言い張っているが、単なる未サンドリだろと突っ込まれているような人たちだ。
この辺を焚き付けているのが嘘フェミニストだと思う。ただ、駄目フェミニストはコイツラとすこぶる相性が悪い気がする。パリピとインキャみたいな感じだろうか。
正義と悪という二元論こそが、正義と悪を生み、人々を戦争へ導くという批判は置いておいて、いったん話聞いてくれる?
第二次世界大戦の正義と悪、勝者と敗者と聞いて真っ先に誰が思い浮かぶ?
みんな正義で勝者がアメリカ、イギリスと悪で敗者がドイツ、日本を考えるんじゃない?
もちろんアジアではアメリカと日本という認識でいいと思うんだけど、ヨーロッパはどう?
そっちもそんな認識じゃない?
でも実際はロシアが多大な犠牲を払ってヨーロッパをナチから救ったってのが正しくない?
なぜか米英仏辺りが英雄面してるけどさ
みずからの血でもってナチを倒した、という自負をロシアが持つのも当然じゃない?
対立の原点ってそういうところにあるんじゃないの
人類は、有史以来、男女という2つの性別を定型として社会を営んできた。
今の男女を定型とする社会設計を維持したまま非定型である性別違和を感じるマイノリティの社会包摂をするには、男とはなにか。女とはなにか。性別移行する必要がある人はどういう条件を持つ人か。という『トランスジェンダー』の定義が必要になる。
だが、例えば視床下部のホルモン値を測定して判定できる客観的指標ではない自認主義を掲げてしまうと、トランスジェンダーの定義は極めて困難だ。解釈によってはススキノ殺人事件の被害者のレイプ犯女装男も含まれる。ましてや、このTwitterで問題発言の多いアコという人がトランスジェンダーでないとする説明にはかなり無理がある。
(性同一性障害は医者による診断という一定の客観性が保たれるが、主流のトランス運動家は、性同一性障害という診断を受けた人、受けたい人への攻撃も行っており、性自認は病気ではないという主張をしている。)
一方、今のLGBTQ思想が、性は自認で時系列で変遷するものなので今の社会の男女という二元論的な区分事態を廃止しようという考えならば、二元論前提の性区分スペースの利用にこだわらず、誰でも使えるスペース等の拡充を求めるのが筋で、MtFが女性トイレに入れないのは差別だという主張は成立しない。社会認識の変遷期に、旧来の二元論で運用する社会システムと新しい考えの性自認主義で運用する社会システムは併存するものだろうが、一方が一方の存在を否定することは包摂ではない。
ただし、自分は従来の男女二元論社会システムの否定は、女性差別を透明化すると危惧している。
定型的な生物学的女性だけ、望む望まないにかかわらず、生まれつき妊娠出産授乳する機能を持っており、その能力は、物理的な腕力を持った生物学的男性から搾取され差別を正当化する理由として使われてきた。
産まないという選択をした女も、男と同じ労働時間と労働量をやってみせても、生物学的女性だからという理由で差別をされてきた。
女装しているから女言葉を使うから差別されてきたわけではない。
女性差別の緩和のため、いくつかのアフォーマティブアクションが始まったのはつい最近のことだ。
自分は、クオータ制が導入された政策決定委員会の女性枠がMtFで埋まる状態や、女性スポーツの奨学金や賞金の受賞者リストがMtFで埋まる状態を望まない。
かつ、性犯罪被害者が社会に被害を訴えてもバッシングされまともに取り扱われない状況は今も続いているのに、性被害による妊娠のリスクを抱える生物学的女性専用のスペースが減らされる状態も望まない。
この物語は、優れたメッセージを伝えている一方で、いくつかの批判の余地があります。まず、ギリアンのキャラクターは非常にステレオタイプ化されており、彼が「嘘つきの男」として描かれている点に問題があります。キャラクターの深みや動機づけが不足しており、単なる悪役としてのステレオタイプが強調されています。
また、エリナのキャラクターもあまりにも完璧で、彼女がすぐにギリアンの陰謀を見抜き、録音装置を使用して真実を暴露する点が現実味を欠いています。キャラクターには弱点や課題がある方が、物語はより興味深くなり、読者は感情移入しやすくなります。
さらに、物語の結末があまりにも理想的で、ギリアンが完全に打ち負かされ、村人たちがエリナに感謝するという展開は少し都合が良すぎます。現実の状況では、人間関係や社会の複雑さがもっとリアルに描かれるべきです。
最後に、物語があまりにも道徳的で教訓的であると感じられるかもしれません。キャラクターが善と悪の二元論的な役割に分かれているため、読者に対してあまりにも強制的なメッセージが伝わる可能性があります。
これらの点を考慮すると、物語のキャラクターやプロットに深みを与え、より複雑でリアルな描写を心がけると、読者はより引き込まれ、物語のメッセージもより効果的に伝わるでしょう。
"要件" として「主体的にその服装を選択している」かどうか、はもちろんそのこと自体に何ら問題があるわけないけど、
「現実に存在する女性は主体的にその服装を選択している」という言い切りの "前提" を書いてる、
要するに「現実世界でその要件が100%実現されている」という言い方になってしまってるから、
「いや100%そうだなんてことありえねーだろ」って返してるだけなんですよ。
で、そのあり得ない前提をベースにフィクション側を批判する構造を取ってるから、なおさら。
> 女性の服装も、ある程度は「社会的要請」や「第三者からの視線」を想定して選ばれているのでは?
と、グラデーションあるよね?と(最初から)申しておるわけで、現実的にありえない前提を置いて話を進められても困惑しまっせ、というだけの話。