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はてなキーワード: 二元論とは

2019-05-09

男が憎い男の自分をやめたい

男が憎い。俗に言うミサンドリーというやつだろう。

最近はましになったが、酷かったときツイッターに男はみんな死ねばいいと本気で呟いていた。

携帯の変換予想に、男といれれば死ねとか殺したいとかが出てくるような、そんな感じ。よくいる酷いツイフェミ言動だと思えばいい。

しかしよくいるその人たちと違うところがある。私は男だ。

多分、自己嫌悪がそのまま世の中の男に向いているのだと思う。

性犯罪ニュースを知ったり、セクハラ現場を目撃したりすると、「自分もこの加害者になるかもしれない、男だから」と感じてしまう。

自分を慰めるためにジェンダー論もあれこれ勉強した。それこそ学生の独学としてはかなり本格的に。

もちろん、そうやって勉強している以上、「男が加害者となる性別である」と論じることがいか馬鹿げてることなのかは理解している。理屈として。

まあ、酷いツイフェミと呼ばれる人たちはそれを理解してないのだろう。普通に怖い。そもそもその態度はフェミニストの立場から大きく外れる。

少し話がそれた。とにかく、自分理屈おかしいことは当の昔に理解している。それでも、自分性別を憎むことをやめられない。

性器を切り落としたいとよく考える。ひげが生えてくると気持ち悪いと感じる。

幸い、そこまで男性ホルモンが分泌されない体質なのか、一般的男性に比べて体毛は明らかに薄いし声も高い。

これで体毛が濃かったら毎日それを剃りながら狂ってしまうだろうと本気で思う。

救いを求めて仲間を探すこともした。ミサンドリーという言葉を初めて知ったときは感動したのをよく覚えている。これ以上私のことを適切に表現してくれる言葉ない、と。でも、そこに仲間はいなかった。希望絶望へと成り変わる。

ミサンドリー検索して出てくるものはいつも、男VS女の構図ばかり。男を嫌う女はいても、男を嫌う男の話はほとんどしていない。

そんな私にも、最近救いがあった。パートナーができたのだ。女性の。

彼女はすごい。僕の昔の言動を知った上で一緒にいてくれる。

じゃあなぜこんなものを書いているのか、というとそのパートナーともミサンドリーが原因で大喧嘩してしまった。別れる寸前だ。

もちろん、他の原因もたくさんあるのだけれど、ここでは都合よく脇に置きたい。これはネットの海にほおりこむ都合のいい懺悔から

交際をするにあたって、とにかく私はオラオラ彼氏になることを恐れた。DVするようなあんなやつになりたくない、マンスプするようなあんなやつになりたくない。

なりたくない像はたくさんあったけど、こうなりたいというものが思い付かなかった。

その結果、何かあるごとに相手にどうしたいか聞くようになった。恐らく、かなり過剰なほどに。

「男である自分意思は罪であり、「女である相手意思尊重することが良いことだとどこかで思っていたのだろう。

こんなことで上手くいくわけがない。

いつも私に聞くばかり、お前はどうなんだと泣かれるまで、そんなことにすら気づけなかった。

一番差別っぽいものに敏感で、憎んでいるであろう自分が、酷い差別をしていた。

私は、このあまりにも稚拙で極端な二元論的な思考をどこに置いていけばいいのだろう。どうすれば満たされるのだろう。

パートナーに対して申し訳なく思いながら、それをよく考えている。

2019-04-28

フェミニスト女性トランスジェンダー女性MtF)のバトル、公衆浴場だのトイレだの問題矮小化されてるけど本質はツイフェミY染色体憎悪でしょ

MtFは生まれたくもないほうの性別に生ませられて幼少期からいじめだの身体への嫌悪だのなんだので辛い人生送ってきて、それでようやく性別移行できる段になってもフェミニスト()からMtFは多様な男性のあり方の問題です」とか「MtFへの差別男性たちが解決すべき問題」とか言ってくるんでしょ

持って生まれたくもない性染色体を偶然持って生まれしまい、そのことが原因で体験したくもない性別二元論に基づく養育を施され、そうやって人生からひたすら疎外された極めつけがそのあなた方の言う「持って生まれ性別責任を持て」ってこと?やっぱり絶望しかなくない?

そりゃ自殺がやたらめったら多くもなるよ。命の値段がそれだけ軽いんだろうね。こういうこと言うと「死ぬ死ぬ詐欺?」とかまた言われるんだろうけど実際に自殺した話はそれだけよく聞くんだよ残念ながら。

2019-04-21

もちろん世の中を二元論で分けられるわけでもない

しかジェンダーを語る時は実はジェンダーだけを語っているのではなく、ジェンダーを語る裏に、能力主義自己責任論やリベラリズムパターナリズムをどう捉えるかがあるということを忘れると意外なところから批判が起きる

2019-04-15

[] ドラッグ禁止本質的目的は、「唯物論」と「一神教」の保護

ドラッグによって認識される対象

  1. ある種のドラッグLSD等)を服用すると、「自分」と呼んでいる存在が、
    1. 肉体(物質)ではなく
    2. 意識精神であることが分かる。
  2. そうなると、唯物論が間違いであることに人々が気付く。
  3. そうなると、生きている間が全て=お金で贅沢することが最高の人生、という価値観崩壊する。
  4. そうなると、人々を労働者として使い、社会運営することができなくなる。(経済崩壊する)
  5. そうなると、地球支配者が困る。人間唯物論洗脳しておくためには、人々に魂の存在を知られてはいけない。
  6. さらにいえば、宗教も嘘がばれてしまうので、宗教ドラッグ禁止している。(人間創造した神はいない。「神の正体=人間」というグノーシス主義が正解であることが人々にばれてしまうので、教会権威消滅する)

これがドラッグ禁止されている本当の理由

彼らは本音と建前を使い分けている。利害関係をよく検討してみよう。

自己存在認知

ドラッグによって経験することは何なのか?を理解するためには、デイヴィッド・チャーマーズの「情報の二相理論」が参考になる。

まり、「自分」と呼んでいる存在が何なのか?を理解しておく必要がある、ということ。

 

情報の二相理論
チャーマーズの考える情報の二相理論。この世界本質的な所には、ビット列のようなもの構成される抽象的な情報空間がまずあり、その情報空間物理性質現象性質という二つの性質を持つ、という考え。中立一元論一種

そして以上二点の原則についての考察から重要であろうものとして情報に注目する。

そこから情報の二相説(double-aspect theory of information)を可能性として提唱する。

これは実在に関する形而上学立場で、世界の究極的な実在Ultimate reality)を情報(inforamtion)とし、その情報物理的な性質現象的な性質を持つのではないか、とする立場

 

この立場は心身問題伝統の中で中立一元論(または性質二元論)と呼ばれる立場にあたる。

中立一元論とは世界の究極的な実在として、物理的でも心的でもない、何か別のものを考える立場である

チャーマーズはそうした何か別のものとして、情報を考えている。

 

情報という言葉は、広い範囲意味もつが、チャーマーズ情報定義として、グレゴリー・ベイトソンの「違いを生む違い」(a difference which makes a difference)を引く。

 

情報を究極的な実在とするアイデアは、物理学者ジョン・アーチボルト・ウィーラー哲学に大きい影響を受けている。

ウィーラー量子力学に関する考察の中から世界の究極的な実在情報と考え、それを "it from bit"(それはビットから)という標語であらわした。

 

チャーマーズは、情報を外側から見ると物理的、内側から見ると現象的、とする。

 

まりビット列のようなもの構成された抽象的な情報空間がまずあり、そこから物理状態および現象状態が、それぞれ実現されているのではないかという形而上学

この形而上学を一つの参考としつつ精神物理法則模索すべきでないかとする。

この考え方の利点の一つは、情報空間共通項として存在するため、物理状態現象状態の間での直接の因果関係仮定せずとも、物理状態意識との連動を説明できる点である

 

 

ピエール瀧逮捕されてワーワー言ってる人も多いが、結局、何が悪いと思ってる?

2019-04-08

情報リテラシー弱い人多すぎ問題

割と面倒なのは、何か告発してる人が言ってることのうち3割位間違っていると言う時

こういう時、野次馬はその3割を気にしてしま

野次馬リテラシーが弱いので、人間は間違ったことを言う人か正しいことを言う人化の二元論脳になってしまいがちだ

 

リテラシー弱い人が多い問題

ぶっちゃけそれを受け入れるしか無い

正しい主張と、誤った主張を切り分けた上で、事象ベースで話をする

この時人の責任や行動の正しさにフォーカスを当てると話がごちゃごちゃになるから注意が必要

 

ちなみにこういうのは会議でも似た状況が生まれ

2019-03-24

この手の傍観者も罪人って理論

いじめ問題(2000年)あたりから流行ってるけどいまだに意味分からん

いや、分からんことも無いんだけど、思考があまりに潔癖すぎてついていけない。

結局「自分傍観者で何もできなかった」っていう罪の意識をすでに持ってる人を追い詰めるだけで

傍観者であった」という意識を持たない人には何にも意味がないんだよな。


二元論で多くの人を殴るための武器として使われてるだけだわ。

anond:20190324040152

2019-03-23

anond:20190323133911

正義とか悪とか 単純な二元論では割り切れないのが世の常

アンパンマンもそう

食べ物は生きるために必要であるが、傷んだ食べ物は毒になる

毒になりえるからといって食べ物を拒絶することはかなわない

せめぎ合うふたつの勢力狭間でつかの間の平穏享受すること

その尊さ

そういうことを考えました

2019-02-15

マイノリティからこそ雑な二元論を見たくない

雑な二元論差別正当化している人を見るとこの人賢くないなあと思う

雑な二元論差別反対名目暴言攻撃正当化している人を見るとこの人大丈夫かなあと思う

2019-02-01

1ビット思考から離れたい

はてなツイッターも敵と味方だの男と女だの加害者被害者だのと二元論や二分法を大声で叫んでいる人が目立ってばかりでそういう人の声に支配されたくない

しかろうと誤っていようと、二分法から離れたい

2019-01-27

逆に政治的主張排した物語なんて不可能だろ

西洋ファンタジーもの

 

 男の (男性優位主義)

 主人公が (民主制をまず否定する政治的主張)

 王様に見出され (主従文化肯定)

 勇者魔王を (善悪二元論)

 倒して (協議妥協を試みない暴力肯定)

 女の (男尊女卑)

 お姫様を助ける (王政容認)

 二人は沢山の子供をもうけ (人口抑制否定)

 みんな幸せ暮らしました (功利主義)

 

  

現代物語は、過去政治的主張から形成されてるに過ぎない

 

結局のとこ、今の作品に対して「政治的主張やめろ!」とほざいてる連中は

純粋作品を楽しみたいわけではなく

単に自分政治的主張とそぐわないか駄々をこねてるだけ

2019-01-26

醜い自意識から解放されたいよ!!!!!

私は、他人から批判や拒絶を恐ろしく思います自分の考えや行動や書いた文章などを、否定されたり批判されたりすることが怖いと感じます

論点がずれている」「言っていることが支離滅裂」「論理的でない」「理解に苦しむ」「根本的に間違っている」「幼稚だ」「思考停止だ」「どうかと思う」……

自分がそう言われるのはもちろん、他人がそう責められているのを見るのさえ辛く感じます

ひどいときには、例えば路線バスの中で人間と目があうだけで恐怖を覚えます

何かイライラさせたのかしら、何か無礼なことをしたかしら、と思ってしまます

なぜ批判や拒絶が怖いのでしょうか?

それは過剰な自意識と、過剰に二元論的な考え方が原因だと考えています

小学生の頃から、「大人(主に親や教師)にウケが良いかどうか」を「善悪」(→過度の二元論!)の基準にして生きてきました。

学校に成績はつきものであり、良い成績は「しばしば」良い将来につながる、と「考えられて」います

成績とは日々外から見られてつけられるものです。それで、自分のより良い将来を目指すために、いつも「見られている」「評価されている」という意識を欠かしませんでした(→過度の自意識)。

実は今この文章スマホで打っている瞬間もその意識あります!!!!!懺悔するぜ!なるべく賢く思われたいという思いで必死で打っとるぜ!バカって言われとうないし!アホだよね!?なんなんだよニゲンロンテキとかナントカって、気取ってんじゃねーよダメ人間ゴミカス!アホなくせに悟ったふりすんじゃねえよ!(過剰な自意識!)

こうやって自嘲すんのも他人から批判を未然に防ぐためやろ!ほんまに汚いカスみたいな人間やな!こうやってカスみたいとかゆうのも他者から攻撃を未然に防ぐため!アホやな!こうやって自嘲するのも他人から(ry


このような強すぎる自意識から脱出したいと、切実に思っています

具体的な方法として今考えていることが二つあります

ひとつは、カビ臭い近代主義気味かもしれませんが、人間としての自分社会的使命を考えることです。

この社会には、さまざまな不幸が溢れています

人間はみんな幸せな方がいいに決まっています

なるべくよりよい社会を作ることを人生目標にすれば、つまらない自分意識に関わりあっている暇は無くなるでしょう。

もうひとつは、自分のワクワクを追求することです。

私はワクワクを感じるとき、この世界の素晴らしさを感じます。例えば冬の澄み切った青い空、美しく咲く梅の花家族や友人との楽しい時間ステキ芸術作品に対する感動、世界の果てしなさに対する好奇心、一人一人の人間が持っている(持っていた)物語

こういうものときめいたとき、まだ世界に留まっていたいと、心から思います

クワクは希望です。

私は、このワクワクと、よりよい社会の実現とを結びつけられたらいいなと思っています

今は漠然としてはっきり言えないのですが、「よりよい社会の実現=ワクワク/心のときめき」という関係が、可能なように思います

自意識との戦いは今も絶え間無く続いていて、非常に苦しいものです。

しかし私は、考え続けることをやめたくない。

今の私はもう23歳です爆笑、、、、他の人は中学生くらいでこういうことに気づいてんだろな。

他より遅い目覚めだったかもしれませんが、誠実に生きていきたいと思います

何か良いアイデアアドバイスがあれば、是非教えていただきたいと思います

(ところで私はなぜ、過剰な自意識を「醜い」と感じるんだろう。

なぜそこから脱出したいと思うんだろう。)

2019-01-22

追記したよ  人は悩む、人は学ぶ、でもダウン症はみんな堕しているから私も。※1

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190120-00010000-yomidr-sctch

この記事についてるトップブコメ

地獄への道を善意で敷き詰めるナチが集っており、酷く嫌悪感を覚えたため当事者として筆を取りました。

先に結論だけ書くとダウン症理由中絶しなければならない世間を産んでいるのは

「一生支援できない人は、他人のこの種の決断に口出ししないでほしい。」

などとのたまう人達、君らだよ

おわり

さて、この問題当事者として言わせてもらうが「障害者は殺せ!」と声高に叫ぶ人の方がまだマシです。

今の時代はこの手の手合いはなぐり返しやすい、そりゃ理想を言えば0人になってほしいけどさ、そういう人いなくならないでしょ。

無視するなり、黙らせるなり、距離を置くなり、説得するなりできる。

しろね、最高に悪辣なのって、私は理解者ですよ、といった顔で障害者の淘汰に加担してる偽善者

つの時代もお前らが一番数多くの人間を不幸に陥れてる

あのなあ、一生支援できる人なんていねえよバーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーカ

もう本当にバカすぎる、バカ選手権があったら、優勝候補だよ、それは寿命のある個人でやることではなく、寿命のない国や行政法人しかできない事だよ。

そして国や自治体法人でやるためには、数が必要なんだよ、障害者の数が。

それなのに、障害を抱えているから〜、そんな理由で堕してりゃそりゃ障害児減るわ、あったりまえじゃん、理解者の顔で親を追い詰めてるのは、そこのスターつけてるお前らだよ

おまえら障害児を減らし、

国の支援を先細らせ、

障害児の親の数を減らし

情報を先細らせ

病院くらいしかケアできる施設がなくなり

そうして障害児を授かった親が将来に悲観して、堕胎を選びやすくなる、障害児への淘汰圧を産んでいるのは、偽善者の皮を被ったおまえらだよ。

一応確認だけど「誰もが安心して子供を産み育てられる環境があるべき」

とおもっていないってこと?それなら仕方ない、きちんと悪意で地獄への道を舗装していたなら、

おまえら善意を信じすぎた私の勘違いだ、謝罪する

けど、もし違うなら「誰もが安心して子供を産み育てられる環境があるべき」

と思っているなら、一応言っといてやる、健常児を安心して産み育てられる環境ってのは

いわんや障害児をや で考えなきゃ本当に一握りの特殊な人しか子供産めなくなるだけだぞ

( いわんや〜 がわからないひとは 親鸞聖人検索してね)

そんな世界へ加速させる言説はお控えなすってお控えなすって、私はおまえら善意地獄行きたくない

さて、ついでなのでダウン症児を持つ先達として、役に立つ情報もついでに書いておきます

ダウン症に限らず障害のある子を産んだら速攻でコープ共済の告知不要コースに入りましょう、入院予定が無ければ入れます

ほけんの窓口的なところを数件回って調べてみましたが、コープ共済以外で障害児が0歳から入れる医療保険はありません。

うちの子は年に3、4回入院するので現時点でも100万円くらい帰ってきてます

子供医療費無料ですが、子供は付き添い入院必要になるため、どちらかが仕事を休む事になり、大抵の場合収入が減ります

あと無料と言いつつ、なんだかんだで数万とかとられます(期間によりますが)子供の付き添い入院は親の収入保障保険なんて使えないので入院指示がでるまえに、なる早で入りましょう。

すでに入院指示が出ている人も、退院一定期間たてば入れますので検討にはずっといれておいてください、障害児は5歳までコープ以外の保険無いです。

ちないに付き添いといってもやることはありません

しょせん点滴のチューブ首に絡まって死なないように見てるだけのお仕事なのでたんぽぽ置くより簡単です

次に訪問介護をしてもらえないか主治医相談しましょううちの子は0歳からきてもらってますが週に数時間でも時間が開くのは助かります緊急時お金積めば日中みてもらえます、身内の葬式とかあると非常に助かります

ちなみにうちがお世話になっているところは赤ちゃん介護我が家だけなので誰が行くか取り合いだそうです。赤ちゃん可愛いからね、そりゃそうだ。

次に療育手帳を早めに取る計画を立てましょう港区話題児童相談所で取ります

おまえらー、ここメモしとけー、療育手帳とかとるとこなんだぞー

度合いによって療育手帳は、将来二十歳前の福祉年金になります。二十歳前障年金は、子供自身年金保険を「一度も納めたことない」のに降りる給付なので普通の老齢年金より要件が厳しくなっており海外居住すると出なくなったりします、まあそこは20歳以降なのでおいおい調べよう

まずは市役所にいって療育手帳はどこで申請すればよいですかー?と聞きましょう、多分最寄りの児相電話してねとか言われます

児相ごにょごにょ言ってきたら嘘でもいいので保育園に早く入れたくてーなどと言えば、何歳くらいから来ていいか教えてくれます手帳あると保育園も点数アップするよ)

他の障害は知りませんがダウン症だったうちの子を診てもらっている病院では、3歳まで取らないスケジュールで当初は説明されました

が、別に病院市役所連携しているわけでは無いので、さっさと市役所いきましょう。うちは満一歳で速攻予約して取りました

療育手帳を取ると、特別児童扶養手当がでます、なお、手帳なしでも特児は申請可能ですが、あった方が出やすいので取れるならさっさと取るべきです。

なんと月に3万〜5万。子供手当てとは別にます。おっと収入が800万超えると出なくなるので、自営業の人はちゃんと調整しましょう

振込先は、親名義の口座なので、メイン口座とは別の口座に振込ませて貯めておきましょう、振込手数料自治体もちです。毎年一月になったらお年玉という事で、たまってる分を子供の口座へ移動してから子供NISAへ入れましょう。特児は20歳までずっと出るので全部投資に回せばうちらが欲しかった不労所得子供以下略

閑話休題

療育では子供の成長度合いもちゃん定量化して教えてくれます。この定量化がすごく良い。この成長率をベース保育園では、現在3歳なのに1歳児クラスで見てもらってます

ダウン症児の話をしますがダウン症は成長が遅いです。生まれる前は知能発達だけが遅くて、体は成長していくから

力はあるのに心の成長が遅くて他害とかこまるんだろなーなんて思っていましたが、全然違いました、なんと体の発達も遅いです。といってもうちの子ダウン症用の成長曲線すら割り込むくらいなのでダウン症の中でも悪い方だけどね、三歳の現在で一歳半程度の成長率。

身体的には少し歩く程度、身長体重も一歳半程度、言葉ママ、パパ、マンマバイバイあとはダーダーとかぱっぱっぱっぱぱーみたいな破裂音やほぼ喃語みたいなものしか言えず、やっぱり一歳半程度。

ちなみに、歯が生えるのも遅くて一歳なっても生えませんでした。一歳半年でやっと1本という状態、歯くらいふつうに生えてくるんだろうと思っていたので、以外でしたね。

お金に関しては正直かからないどころか増える一方で、むしろ悩みは教育に関して

の子は両方とも大学附属の私立に入れたのでしばらく悩まないで済むのが救い(地方都市受験倍率も低く、習い事都内より安いか教育的に楽です)

ダウン症末っ子は成長段階が遅いだけで順次進んでいるから成長段階にあわせた学年で学べれば何も悩むことはないし

本来的には健常児であれ障害児であれ発達障害児であれ子供の成長にあわせて学年は選んであげるべきなんですけどそんな柔軟性は行政にありません

まあそりゃそうだ、はてな村進歩的を気取った人たちが

男と女 、老人と若者、健常児と障害

単純化した二元論しか見れていないもんね物事には濃淡があるのにさ

こんな文章最後まで読んでくれたはてな村のみんなには、くっだらない二元論世間に加担していないか、今一度自己を振り返って見てもらえれば幸いですよ

そして、腐敗臭漂う二元論は、今年度に置き去りにして新しい元号をお迎えしてもらえればなーと思うわけです。






質問は歓迎しますが、特定に繋がる内容は無視しますのがご容赦を

前述の記事のような状況なので、県×年齢だけでも一桁に絞られ、市内x年齢だけで一人に絞れてしまうので、あしからず

Q タイトル何?

A タイトルコピーメカさんで作成しました (http://www.copymecha.com)

Q 出生前診断したの?

A しました、何かしらの障害があった場合情報を集めて準備するためです

>生存者バイアスじゃねえか

という言及をもらったのですが、消されてしまったのでこちらに、追記

生存者バイアスっていうなら、子供がいること自体がもう生存者バイアスだよね

でも、なぜ健常児なら、まだなんとか育てられると思える人がいるか

元々私が嫌悪を抱いたブコメでも言われてたが

支援する気のない人は文句を言うな

みたいなこと書いてあったよね

健常児にはね、情報があるから判断することができる、コントロールすることができると思えるからじゃないかな?と私は思っている

足りない足りないとは思ってるけど、どんな支援があり、どんな保険があり、どんな教育を選べるか

情報は向こうからプッシュ通知でくるくらい、情報はある。

なぜ健常児には情報が取捨選択できるほどあり、障害児にはないか

結局数だよ、国の支援も、法人から支援も、NPOから支援もすべて、支援されるべき人の数がポイント

例えばね、うちではダウン症などの知的な子への早期教育としての歴史を持つモンテッソーリを受けさせたかたから、近所調べたけど健常児でうまってるわけだ。

そこで、親である私達がモンテッソーリ教師になればいいんでね?と思い、先生になるためのスクール通うことも検討したんだよね

でも嫁さんから、親が教師だとどうしても子供にとっても難しいとの懸念が示され、それならば先生になりたい人を集めて、団体作れば?まで検討はしたんだ

けど残念なことにビジネスするにはパイが足りない

から断念した。多少のサイズがあれば、助成金もだせるって市役所と話し合いまでしたんだけどね。

人は集団生活する社会性の生き物でさ、社会形成できる数がいないと、支援すらろくに行き渡せることができないんだよね

そう思わない?

からはてな記法よくわかんないんだけど、Markdownでいう > ってどーやんの?

障害児が減ったら障害児へのケアが先細るって、増えてる高齢者ケアは先細ってるんだけど。。。

箱も施設急ピッチで増やしてるよ

ただこれも実はわかりきってる問題があって

最盛期がわかっていて、その後減ることが明確にわかってるからだよ

今の数に合わせて箱作っても維持できない

モンテッソーリ教育ってめっちゃ金かかるって聞いてるんだけど、検討できるぐらい増田のとこ稼いでるのか気になる。

モンテッソーリ取り入れてる保育園が市内にあってそこ入れたかったんだよね、次の10月から消費税増税無料化される予定なので、私のお金はあまり関係がないよん

id:hark-k

こちらこそ、コメントくれてありがとう

2019-01-16

動物好きに悪い人はいない。とか真顔で言う人と関わり合いになるのが

動物好きな人に悪い人はいないとか、どういう理屈だよって思う。

動物病院にくる客の何割かは、痛い人だ。

捨て猫保護するのは良いことだからペット禁止マンションで猫を飼うのは悪くない、くらいのことを言う。

生活保護じゃペットを飼うなと言うのか」要するに「安くしろ」みたいなことを平気で言う。

生活保護費の枠の中なら、ペットを飼おうがパチンコに使おうが勝手ですけど、離婚してシングルマザーのはずなのに、旦那さんも一緒にくるのって、認定通るための擬装離婚ですよね?

それはどうかと思いますよ。

さて、デリケート話題だけど、殺処分ダメゼッタイ!みたいな風潮、どうなんですかね?

殺処分ゼロを目指して、結局できなくて過密飼育動物虐待になった団体あるじゃん

里親を探すったって、無理なもんは無理、見つかんないものは見つかんないでしょ。

見つかるまで冷凍保存、くらいのことが出来るならとにかくとして、飼えなくなるタイムリミットがあって、それまでに見つけられなかったら、処分しかないでしょ。

獣医だったら里親探しに協力してくれて当然、みたいなこと言う人いるじゃん。

いやあ、協力するのも躊躇するよ。

人によっちゃ、里親に興味があるなんて言った人の家まで押しかけるじゃん。

もっと酷い人だと、「獣医さんが飼って」くらいのこと言うじゃん。

普段から、「動物虐待する人を法が裁けないなら、俺が裁く」みたいなことを言うヤバい人だったけど。

なんで、殺処分が良いかいか二元論なんですかね。

二元論で考えるのをやめて、全てのことは時と場合による、と考えられるようになれば、世界紛争の1割くらいは減ると思いますよ。

100歩譲って、二元論で生きててもいいさ、他人押し付けなきゃ。

殺処分ダメゼッタイでも、かわいい動物保護すべきでも、どんな神を信じてようが、どんなポリシーだろうがいいけど、他人押し付けるのはやめたほうがいいと思うんだ。

なんかもっと、例えば、選挙に行くとか、そういうのでひっそり世界を変えて下さいよ。

2019-01-13

オタク同士なら仲良くなれるかと思ったらみんなパリピだった件

オタク文化の大衆化に少しだけがっかりした話

上記エントリを書いた増田であるチラ裏のつもりで書いたのに反響が多くて驚いた。しかし己の気持ち文章で伝えることがいかに難しいかということも実感した。何点か補足・追記したい。

何人かの方が、昔VS今という文脈文章を読まれたようだ。それは少々違う。昔に戻るかと聞かれれば私は否と応える。豊富コンテンツが溢れる現在オタク生活は最高だ。十分に楽しんでいる。しかコンテンツ方面問題はなくてもコミュニケーション方面では多少齟齬があるという話だ。タイトルに書いたように"少しだけがっかり"であって"大いに絶望"ではない。あまり二元論的に捉えずに頂けると有り難い。

ライトオタクに対するディスだ、と反応された方もいる。私は思う。ライト層をディスって気持ちよくなれるならとっくにそうしている。ライト層を見下し異物として切り離すことが上手くできなかったからこそここで長文を書き散らしているのだ、と。

私が「今のオタクほとんどはオタクコンテンツを嗜むだけの一般人である」と書いたのは、オタク気質のある人だけがオタクだとアピールするためではない。大げさに言えばそのように認識しないと精神を安定させられなかったためだ。ただの苦肉の策だ。

異国の地で日本人に会うとなぜか親近感や安堵を覚える。同じ日本人という共通言語文化常識などの背景の文脈を共有できると思うからだ(その文脈がどの程度共通しているのかはさておき)。オタクという言葉にもそれと似たような作用があると思う。相手自分オタクだと紹介してきた場合オタクという言葉に含まれ文脈を背景として共有できるものだと思っていた。それは研究熱心さ、多少変わった人であること、後ろ指を指されがちであること、また劣等感であったり、周囲に馴染みにくいことなど、ネガティブな側面とポジティブな側面を雑多に含めたイメージだ。オタクであることを隠して生きてきた私にとって、相手属性ひとつオタクがあるということは安堵を感じさせる要素だった。同じオタクの前では自分を過度に虚飾しなくてもいい、劣等感を感じることなく己のコンテンツへの造詣を語っても構わないという安心感だった。

その感覚を抱いてSNSを始めたのが良くなかったのだろう。相手オタクだと名乗ると、オタクとしてのもろもろの背景を相手も共有しているだろうと勝手に期待してしまった。そこから先はお察しである。もはやオタクネガティブニュアンスなどなく、皆パリピだった。

私は自分オタクに対する認識アップデートする必要に迫られた。彼らをオタクである、と認識すると勝手に同一視して期待してしまう。期待することをやめられない。ならば彼らはオタクでない、オタク趣味を嗜む一般人である定義したほうが勝手な期待をせずに済む。しかしその定義には副作用もあった。同じ文脈をひとり共有できていないという孤独感をもたらしたのである。なので一抹の寂しさを感じていると書いた次第だ。

これはオタク論のような大きな話ではない。パリピになれない陰キャの悲哀とでも述べた方が正しいだろう。そしてオタ気質人間/そうでない人間のすれ違いもそれと並列に存在している。この話にオタク関係ないと看破したブクマカがいたが、素晴らしい洞察力だ。ネガティブ気質文脈として共有しないと他者に対して自由に振る舞えないというコミュ障の話でもあるのだ。そしてオタク文化大衆化する前は文脈の共有が容易かった。

何人かの方からは、気の合う人間とだけ付き合えばいいというアドバイスを頂いた。正論だ。しかし私の場合、絵を通じて人と関わることも多いのでなかなか難しい。私の絵が好きだと言ってくれる人を気質が違うから関わるなと門前払いすることはどうにもできそうにない。私は彼らのことが嫌いではないのだ。ただ寂しさを感じるだけだ。しかし昔オタ趣味に耽っていたころは一人が当たり前で寂しさなど感じなかった。SNSを始めた途端に寂しさを感じ出したというのはなんとも皮肉ものだ。

それでは各自楽しいオタクライフを!

2018-12-25

anond:20181225184632

いやむしろ、「Aの敵はBだけではない、CもDもEも敵になり得る」みたいな話がしたいのだが

そして、貴殿が言うように二元論図式を説くのならば「フェミ敵対するオタ男性はヤリサーや男尊女卑経営者共闘しよう」という話になるが、元増田である俺はそんなの断固絶体拒否する、むしろ一緒にするなと言いたい

anond:20181225184528

そういう「敵VS味方」と言う雑な二元論が幼稚過ぎてオタク外相手にしないだけでは…

2018-12-19

リスク管理が下手な人

リスク管理が下手な人は、リスクが有るか無いか二元論しか考えないと言う特徴があるんだよね。そしてコストデメリットに見合わなくてもリスクゼロ選択肢を取りがち。稀に何かのキッカケで「リスクを犯さずリターンは帰ってこないナリ」と説き出すケースも観測されるけど、大抵のソレはその後胡散臭い投資話にオールインして爆死する。

2018-12-11

見た目か中身かの二元論

どっちも大事じゃん!肉も野菜バランス良く食えよな!

ただしイケメンに限るとか、キモくて金のないおっさんは叩かれるんでしょ?とか、ファミマコーヒーメーカーデザイン叩くのとか、見た目に対するコンプレックスがすごいよなはてなって。

2018-11-25

anond:20181125002810

黒か白か

右か左かの二元論になって多様性否定されている時はそれが仕組まれものだと疑うべき

2018-11-17

あらゆる二項対立(二元論)は「雑魚(モブ)」を表舞台に上げてしま

どんなに取り柄のない無能場違い阿呆でも、必ずどちらかの陣営には「属する」ことができるから

逆に言えば、ルサンチマンを抱えた[無能クズ]や[小利口なバカ]にとっては、一世一代

イキれる場所が【左⇔右】【新⇔旧】などの「二項対立(二元論)」が発生する場所だということ。

更新厨」もこのパターン

2018-11-03

anond:20181103141310

それは間違いない あと404かどうかの議論を「『すべての環境で404』『すべての環境で正常に見られる』のどちらが嘘吐きか」って足りない二元論に落とし込もうとして苦しんでる奴も馬鹿

2018-10-20

千田氏の問題提起説明してみる

はじめに

 キズナアイNHKウェブサイトにおいてノーベル賞解説記事に登場しておりましたが、そのことをきっかけに、千田有紀氏などが指摘をし、さまざまな方面から千田議論に対する批判が寄せられ、さらには社会学のものに対する批判もされているところです(これらをキズナアイ論争と呼びます)。

 ですが、そのざまざまな批判を読んでいると、「これって実はコミュニケーション不足で、伝わっていないんじゃない?」と思うことが多くなりました。いろいろあって社会学を学んだ人間として、それはちょっと悲しいなという思いがあったので、千田氏の問題提起ちょっと分かりやすくお伝えできればと思います

筆者の立場

 筆者は、社会学修士号を得ています。今は大学から離れているのですが、離れてそう長くはありません。専門は千田とも重なる領域家族ジェンダー)もありますが、教育メディアでした。

本稿のスタンス

 あくまで、千田問題提起がどのようなものに基づいて行われているのかを解説するもので、その意見妥当性とかは議論しません。私個人としては、千田立場に立てば理解でき一理ある議論ではあるが、だからといって、それは多くの人の理解を得る話法ではないし、その背景事情を一切踏まえていないのは、学術的に一定ポジションにある人のする作法としては疑問を感じているというところです。また、千田学術的貢献はいろいろな批判があるようですが、私は一定程度は評価しています

 なお、アカデミック作法は基本呼び捨てですので、ここでも、基本千田として書かせていただきます

千田氏の問題提起について

 キズナアイ論争のはじまりは、千田投稿記事です。https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181003-00099158/]

 ちなみに、現在10月13日)、追記もなされており、社会学者にはそれなりに分かる文章にはなっているのですが、一般の人はなおのこと分かりづらいことになっています。後に公表された、『「表現の自由」はどのように守られるべきなのか? 再びキズナアイ騒動に寄せて』記事による補足を踏まえて、まず、千田議論の要点をまとめてみましょう。

 (1) キズナアイNHK解説記事において「相づち」をする役割となっている

 (2) 「相づち」をする役割は、従来から女性が担ってきた役割である

 (3) 従ってキズナアイ解説記事における役割は、従来の女性が担ってきた役割を担っていることになる

 (4) そのことは、理系と呼ばれる分野で活躍する女性などに対して、好ましい状況を生むようなものになっていないのではないか

というところに整理できるかと思います

 社会学特にジェンダーフェミニズムを学んだ人だと、この4つの間を頭の中でこうかな?と繋ぐわけですが、普通の人はフェミニズムを体系立って勉強するわけでもないと思うので、「はて?」となるわけです。更にいえば、一つ一つの要点が「え?!」という感じになるかと思います

 千田議論理解するためには、とりあえず(1)は正しいものとして引き受けておいてください。そこが正しくないとなると、そもそも議論の前提が崩れてしまい、議論そもそも成立しなくなってしまうので、ご理解ください。

千田議論理解するための知識

千田議論理解するためには、いくつかの知識必要となります。一つは、千田の専門でもあるフェミニズム、もう一つは会話分析というものです。順に簡単に紹介しておきましょう。

社会学とは

 社会学は、社会対象とした学問です。といえば、早いのですがそれではよく分かりませんよね。社会学は、社会がどのように成り立っているのか、つまり社会の秩序はどのような形で形成されているのかを探求する学問です。例えば、古典的社会学特に日本戦後社会学では「農村」が特に注目されました。農村における人々のネットワークや、家族の在り方、そういうものに関心を持っているのが社会学です。

フェミニズムってそもそも

 フェミニズムを正確に定義することは困難ですが、フェミニズムを雑にまとめると、「女性地位を向上させようとする取り組みであったりそれを支える理論」というような言い方ができると思います歴史的には大きく2つのターニングポイントがあったとされています。それが「第1波フェミニズム」と「第2波フェミニズム」です。

 第1波フェミニズムは、1900年代ごろ、19世紀から20世紀へ移りゆくタイミングに起こりました。西欧諸国で主に婦人参政権を獲得する運動が中心に展開され、1920年代にはイギリスアメリカで実現をすることとなります。(ちなみに、日本はというと戦後婦人参政権が認められるようになるのですが、新婦協会青鞜社運動は同時代運動です。)

 第2波フェミニズムは、1960年代頃、社会運動が盛んになった時期に、女性らしさへの問い直しが運動として行われます代表例ではキリスト教社会では長らくタブーとされていた中絶合法化が挙げられます。また、この時代には女性が自らの自由に性を語るということが積極的になされるようになります

 いずれにせよ、その理論根底には、女性男性と同等の状況にないという認識に立っているということがあります

 第1波フェミニズムで焦点化されたのは、法律社会制度というものでした。第2波フェミニズムはというと、法的制度平等であっても、職場ではお茶くみに甘んじてしまっているし、男性と同じように性を語ることはできないというような、日常性差別特に焦点を当てていくようになるわけです。

 現代は第2波フェミニズムの延長線上にあります。#Metoo運動を始めとして、第3波フェミニズムがやってきているというような主張も時折みるのですが、第2波フェミニズムより後のフェミニズム運動について、多くの社会学者が納得しているような分類はまだ確立していないのが現状です。

マルクス主義フェミニズム

 上野千鶴子理論などを理解する上で重要キーワードが、マルクス主義フェミニズムです。そういう立場だと、だから上野千鶴子はそういう立場なのね、と理解できます千田議論もとりあえず、マルクス主義フェミニズム解釈すると、理解がしやすくなると思いますので、こちらを説明します。

 (フェミニズムにはさまざまな立場があります。ラディカル・フェミニズムリベラルフェミニズム等です。フェミニズム一枚岩ではないと、理解しておくと良いでしょう。)

 マルクス主義フェミニズムとは、先ほど、フェミニズム女性男性と同等の状況にないという認識に立っていると説明しましたが、そのような社会状況を生み出しているのは、今日資本主義社会システムなのであるといいます。で、これを理解するためには家父長制というキーワード理解しないといけないのですが、本題より長い解説になるので、そこら辺は上野千鶴子の『家父長制と資本制』をとりあえず参照してください。

上野理論を厳密に言うと、上野は、従前のマルクス主義フェミニズム教条的であるということで、それを乗り越える必要があると、主張をしています。)

 シンプルにいってしまますと、そのシステム資本制)の成立と密接に性差別を生む家父長制制度が続くため、性差別再生産(半分マルクス主義用語ではありますが)されていくということになります

会話分析

 会話分析というのは読んで字のごとく、会話を分析するというものです。まずは、社会学会話分析がなぜ重要になってくるのかをエスノメソドロジーというワードを使って説明したいと思いますそもそも社会学社会秩序はいかにして可能かを明らかにする学問です。そこで出てくる問いの一つにこの社会生活を営む人びとがやっていることを、研究者はどのように理解できるのかという問題です。

 この問題に答えたのが、ガーフィンゲルという人です。ガーフィンゲルエスノメソドロジーという手法提唱しました。エスノメソドロジーというのは、日常生活している人々が言動をどのように理解し、成立させているのかを、日常生活している人々の視点に立って記述するという手法です。

 エスノメソドロジーは、私たちの当たり前が、いかに「うまいこと」成立しているのかを見せてくれます。例えば次のような実験は非常に有名です。

A(被験者)「おはよう! 調子はどう?」

B(実験者)「調子ってなんだい?」

A     「いや、元気かどうかってことだよ。」

B     「元気かどうかって? どういうこと?」

こんな調子で話されると、本当に調子おかしくなりそうですが、こういう実験します。ここで浮かび上がってくるのは「調子」という言葉が、体調や近況を意味しており、それをお互い分かっているという「期待」をもって、Aは会話をしているということです。このような形で、秩序が形成されており、それらは記述可能な形で示すことができるとするというのがエスノメソドロジーです。

 会話分析の多くはこのエスノメソドロジーの考え方を踏まえて行われます。つまり、先ほどの会話のスクリプトのようなものを読んで、そのなかで、AとBはどのような「期待」をそれぞれ持っており、そこにどのような秩序があるのか? ということを考えているわけです。

千田議論を振り返ろう

 冒頭で、千田議論を強引に4点にまとめました。ここまでの道具を用意すればある程度説明ができます。それぞれの項目ごとにみていきましょう。

(1) キズナアイが「相づち」をする役割となっている件について

 そもそも実在人物は「先生役」とNHKサイトでも記載がありますように、ここで想定されているのは「先生」と「生徒」というコミュニケーションです。したがって「生徒役」となるキズナアイ基本的に「相づち」をする役割に当然のことながらなるでしょう。そもそも「生徒」の方が詳しいというのなら、「先生」が「生徒」の役割を担うことになるはずですし、「先生」と「生徒」という形で双方「期待」をもっていることは分かります別にこれが、男子生徒であろうと、まあこういう会話になるだろうなという感じではありますよね。

(2) 「相づち」をする役割は、従来から女性が担ってきた役割である

 これは、先ほどのフェミニズム議論が役に立ちますお茶くみとかの補助業務に当たっていたということは、先の説明でもしましたが、今日でも、「相づち」をする役割は、女性となっていることが多いです。例えば、新春の、一体誰がみるのかよく分からない県知事が語る!みたいな番組がありますが、あのとき大抵女性アナウンサーが話を聞いたりしていないでしょうか。このとき女性アナウンサーは、多くは男性である知事に対して、その発言がしやすいようさまざまな配慮をしながら、質問を重ねていきます

 そこでは、主役はあくま知事です。アナウンサーが主役となって、知事いじめていくというような内容になっていないでしょう。これが、でも、田原総一朗との対談だったらどうでしょう。一気に様相が変わってきますよね。また、地元財界知事の対談だったらどうでしょう。そこに「相づち」はあっても、「相づち」をする役割知事の対談者は決して担っていないと思います。会話の主体になっているわけですね。地元財界の人が女性でも、この場合だと「相づち」の役割はまあしないかと。

 ここでポイントになるのは、知事一方的に語るというような形式を取る時には、女性アナウンサーがその役割を担うことになり、他方、双方共にしゃべる場合には、女性活躍機会が途端に減ってしまうというということです。これは、私たちイメージレベルでも大体共通しているのではないでしょうか。(もちろん、個別具体で違う話も多く、徹子の部屋黒柳徹子をどう評価するかは難しいところですが。)

 もちろん、これは、女性知事と同等の立場役割を担っている機会が開かれていないから、そのようにならざるを得ないという側面も当然ありますが、男性アナウンサーがそうそうなっていないということは、一つこのことを証明するものであるとも言えます

(「相づち」をする役割も高度な役割であるということは決して忘れないでください。)

(3) 従来の女性が担ってきた役割キズナアイ

 ここで、議論はもどってきて、キズナアイは「生徒」役ではありますが、「先生」の発言を引き出すという意味で「相づち」をするということで、記事トップにも出てくる主役のはずが、補助的な業務を担わされていることになります。このときキズナアイ女性と見なすと、これまで女性が置かれていた立場女性積極的に前に出られる環境制度上はなっているにもかかわらず、結局はそうはなっていないという状況と重なる部分はあるでしょう。

 再び、徹子の部屋黒柳徹子イメージすると良いかも知れません。徹子の部屋における黒柳徹子は独特の立ち位置で、徹子の部屋を見て黒柳徹子は単に「相づち」をうつ役割だけではない、ということが理解できるでしょう。なんなら、黒柳徹子の方が目立っていたりします。対談の形式が、黒柳徹子お客様を招いて話をしてもらうというホストであるためであり、従属的関係になっていないというところに、このキズナアイ対談と徹子の部屋の決定的違いがあるのだろうと思います

 そうして比べてみると、キズナアイ女性役割再生産するということになったというわけです。これは、性別役割分業を進めていくものであり、女性にとって活躍の機会が減ってしまうというのがフェミニストたちの主張と結びつけて考えることが可能なのです。

(4) 活躍する女性への影響

 この時、女性は従たる役割を担わされるわけで、その期待が持たれます。そうなると、女性は、主たる役割を担える存在なのにもかかわらず、その期待から、従たる役割を担い続けなければならない、そういった状況にはまってしまうのです。そして、そうした悪循環から脱却しなければならない、というのがフェミニズム基本的な主張です。

 このような女性観で考えられると、女性にとって好ましい立場ではないという千田の主張はそう的外れものではないということは理解できるでしょう。

千田氏の議論の失敗

 千田議論をするという状況を作り出したことでは成功していると評価できますが、その議論の中で、自らの論理妥当性を提示し納得してもらえたかというとそうではないと思います。後の対応によるところも多いのですが、それは、実は最初きっかけともなった記事の一番最後文章であると私は考えます

なお10月3日、9時の時点で、スマートフォンから見ると、キズナアイバストショットしか見えない(パソコンでは、へそなどの下半身が見える)。

 この一文が最後にあることで、キズナアイの見た目(容姿)を問題にしたいのか、と思ってしまう人も多いと思います千田氏は、後の議論でも、キズナアイ役割に焦点を当てており、容姿問題にしていないといっているのですが、冒頭の太田氏の議論あいまって、多くの人が混乱したと推察します。そもそもキズナアイってあくまAIであって性別を超越した存在なはずなのに、性別二元論に回収されちゃうのって、なんだかなと。

 さらにいえば、表現問題に回収してしまったのがかなり難しい問題にしています表現問題にすると、結局妥当表現は何かということに行き着き、その線引きは複雑になってしまい、誰も理解できなくなるため、神々の審判でも仰がなければ、なんとも言えないと思います

 まあ、この発言が全てのオチかと思います

本人が個人的に自説を語るのは「自由」の範疇だが、それを公共空間に置いたらどんな意味もつのか、少しは配慮すべきだったのでは?

https://twitter.com/chitaponta/status/1051615591004438529]

2018-10-02

障害児は不幸な子供

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASL9Z6JVVL9ZPIHB00H.html

不幸と断言したくはないけど、

障害児を年中世話できないので普段は養護施設に預けられ、

家族と離れて生活している(休日などに家庭に帰る)というような障害児は少なくないから、

幸せなのが多数派というのも心苦しい。

そういう子供が全く幸せじゃないかというとそうでもないけど、

不幸と言われることへの反発として、幸せだとか不幸ではないとかの声を安易に大きくしてしまうことに不安がある。

重い障害をもった子供がどういう辛さを抱えているかについてももう少し理解されてほしい。

漠然とした幸不幸の二元論は、障害者にとって良い世の中を作らない。

私の弟は幼い頃、養護施設に行く直前になるとしょっちゅう泣いてました。

施設での生活が楽しくないということはなかったようですが、家族と離れることは不安と寂しさを彼に与えていました。

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