「2010年代」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 2010年代とは

2020-11-13

最近プログラマーがどんな感じか

2018年スタートアップピークに到達したらしいんだけど、どっかに書いてたっけ?

あんまりそういう記事目にしなかった気がする

新規ビジネスITというのは、2010年代はセットで語るべきものだったと思う

2010年まではアレだよね、SIとかシステム導入の文脈が強かった

それが鳴りを潜めて(と言っても規模で言えばSIの方が圧倒的で、単に成熟したと言うだけ)、これから新規ビジネスだみたいな流れが合ったと思う

でもそれが上手く行ったのは2015年くらいまでかな

単純にネタ切れしてきた

それでも世界的に金が余ってて、投資額はどんどん伸びた

おかげで2015年〜は投資家の顔色を伺って、話題性重視で動いていたと思う、体感だけど

それも落ち着いて〜ってあたりが2019年だったのかな

正直ここ5年はどこも苦しんでたと思うんだけど

そんで2019年に少し落ちて、今年がコロナで、来年はその波及だから2022年までは「新しいこと」がガクッと下がる

するとどうなるかと言えば、コードレガシー化してくる

前任者たちの手垢塗れのクソコードを追加改修していくことになる

それが最近の、あとこれからプログラマー宿命になると思う

これはWeb系に限らず、他でも似たような状況なのではないかな?(既にずっと前からそうだと言われそうだけど)

ちょうど住宅リノベーション流行ってるけど、アレとにた感じじゃないか

こうなると仕事は安定するが色々夢のない事が起きてくる

新しくなにか作るということがないから、そういう経験を積める環境が減る

新人はなかなか成長できないし独り立ちもしづらくなる

クソコード毎日向き合わなきゃいけなくて苦しい思いをする

プログラマーはアホだからそれをコーディング解決しようとする、すると余計にクソコードが生まれやすくなる

正直キラキラ感はないし今後もっとなくなると思う

それが最近プログラマー

2020-11-10

anond:20201110194317

へうげもの史書じゃなく娯楽だから楽しめればそれでいいし、じっさいそれなりに楽しめた。アニメもよかった。

おれはというと、途中で読むのやめた。史実からの離れっぷりが壮大すぎて、さすがについていけなくなったw。

ただあのマンガが契機で茶湯や焼き物が好きになった人もけっこういるし、個人的には「へうげ十作」がすごいと思った。



追記

id:kash06さんはじめまして

なんか盛り上がってますねー。びっくりです。盛り上げてくれてありがとうございます

へうげ十作の現代作家さん、おれもみんな好きですよ。

古い記憶をたどると、大江憲一先生の粉引き茶盌、瀬戸黒茶盌はよかったな。大江先生2010年代とは作風かわられましたね。

あとは栢野紀文先生の粉引き彩文重箱と菓子器や皿。楽しい

水垣千悦先生山田浩之先生もよかった。

多治見加藤先生の青白磁食器が好きです。角皿は菓子器にも花器にもなるし。あとスパゲッティ食いたい。ベーコンガーリック春菊パスタ

金理有先生オブジェは、露地の結界とか燭台に使わせてほしい!

kash06さん好みの伊藤先生寺田先生穂高先生。おれもいいと思います。色や柄は写しあり独創ありでそれぞれですが、長次郎型、織部型、黄瀬戸向付型、みんな茶盌として定着した型です。つまりお茶を点てやすく取り回しやすく飲みやすタイプ。ここをはずしたら茶陶じゃないw。篠原先生は、茶陶よりも平安期の古信楽意識した大作がかっこいいと思います。でも、写しから脱却した自由なかたちの皿のほうが、ほんとうは好きかも。

ただへうげ十作のすごさは個々の作品だけではなく、それを全国、とき海外からも持ち寄って一座建立をじっさいにやってしまたこと。そこには制限境界もなく徹底的に自由だったこと。つまり文化を構築する作業だったこと。そこがすごかったし、いまでもすごいと思っています

2020-10-27

俺のビブリオデッキが勝てなくなってきた

タタール人砂漠

地下室の手記

ファウスト

NHKにようこそ

それから

銀河鉄道の夜

負け組ビターエンドで2010年代は割と勝てたんだが、最近流行りだしたはなろう系と日本スゲー系相手に弱すぎる。

なにを入れ替えたらいいか教えてくれ。

とりあえず色があってる異世界系入れようと異世界風俗嬢コネチカットヤンキー入れたんだが勝率めっちゃ落ちたんで行き詰まってる

2020-10-09

2016年に僕が見ていた特撮TVアニメ作品一覧その1。

anond:20201008200533

に続き備忘録として簡単感想と一緒に当時見ていた作品を書き記してみたい。anond:20201009122752に続く

2016年

アクティヴレイド -機動強襲室第八係-

谷口悟朗監督の手掛けるお巡りさんが戦うパワードスーツ物。

一期のラスボスが二期で意外な活躍を見せる所が面白かった。キャラデザイメージに反して意外と皆真面目な公務員なのも地味に面白ポイントだったり。

島﨑信長さんが演じる黒崎さんと櫻井孝宏さんが演じる瀬名さんがバディを組んで、大川透さんが演じる船坂さん達がそれを支える展開に某ロボアニメを連想してニヤリとしたり。

亜人

亜人佐藤さんが大暴れするアニメ。以前劇場版アニメも作られていたそうだけど、TV放送版とは内容が異なるらしい。

不死身の体と目に見えない幽霊操作する能力を持った亜人達が戦いを繰り広げる作品で、とにかく佐藤さんのキャラが強烈だった。大塚芳忠さんが演じる壮年のおじさまは本当に強い。

宮野真守さんがEDの曲を歌っていたけど本当に歌が上手いんだなと思った。

アルスラーン戦記 風塵乱舞

アルスラーン戦記の第二期。コミック版の内容を追い抜いてしまったので、漫画ではなく小説を参考にアニメ化されていた。ラストはアニオリ要素が強かった気がする。

藍井エイルさんの歌う主題歌「翼」が本当に良い曲だった。放送から何年か経ったけど今後続編が作られる望みは薄いだろう事は残念。

ALL OUT!!

高校ラグビーを題材にした漫画アニメ作品。2クールOPの生者ノ行進という曲が泥臭くてカッコ良かった。

内容は真剣ラグビーをやっているんだろうけど、キャラが妙にもじもじしていたのが気になった。多分原作者雨瀬シオリ氏は女性だと思う。

orange

少女漫画原作青春作品。他の作品でも思ったけど高橋優さんの手掛けたOP曲が爽やかで良い感じだった。

未来自分から送られてきた手紙を読んだ主人公達が過去を変えようと頑張る話だけど、どうやって未来人間過去手紙を送ったかは詳しく説明されていなかった気がする。そこは気にしなくてもいいかも。

キズナイーバー

TRIGGERが送るSF青春アニメ個性豊かなキャラクター達が恋をしたり友情を結んだり好きな相手を巡って喧嘩したりとかそんな作品だったような気がするけどあまり覚えていない。

岡田磨里さんが携わった作品だけど、最初から主人公好意を向けていた女の子が振られて、最終的に皆それぞれ良い感じの相手とくっ付く展開を他に見た事あるような気がする。

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ

二期の放送終了からそろそろ4年経とうとしているけど未だに良く話題に挙がるガンダム

全体的に破滅へと繋がる暗いノリが続く。1クール目の終盤からは最終的にどういう展開になるのか読めないという点で本当に先が気になった。

終わってみると僕は賛否両論のどちらかで言うと賛側の人間だったので、今となっては特に不満は無い。そういう展開TVガンダムでやれるんだ…と感心してしまったくらい。

機動戦士ガンダムUC RE:0096

OVAで展開していた作品TV放送用に編集したアニメ。一部作画の描き直しなどが行われていたらしい。

僕はUCOVAは2巻くらいまでしか見ていなかったので新鮮な気持ちで見る事が出来た。番組の中で視聴者から送られてきたハガキなどが紹介されているのを見て、小さい子でもガンダムを見るんだなと驚いた。

副音声原作者福井晴敏さんも出演されていたけど、実はZZUC原作執筆を始める一年ほど前に初めて見たと仰っていて驚いた。Zの後ZZ飛ばし逆襲のシャアを見る人が多いという話は本当だったんだ。

逆転裁判 〜その「真実」異議あり!〜

ゲーム逆転裁判アニメ作品逆転裁判体験版で触れた内容くらいしか知らないけど、それでもゲームの要素をアニメに取り入れて作っている事は伝わってきた。

梶裕貴さんのナルホドくんは意外なキャスティングだと思ったけど、終わってみれば合ってたと思う。第一EDの「Message」を主題歌も好きだった。アニオリっぽい雰囲気の話も好きだったな。

くまみこ

人の言葉を話せる熊さん中学生巫女さんが田舎暮らしてる話。放送終了後に最終回のアニオリ展開がどうとかで非常に荒れてた覚えがある。

僕はヤンキーっぽい人が登場したあたりで何かこのアニメ怖いな…と思ったけど、最終回はそこまで荒れるような物だとも思わなかったので炎上した事が非常に不思議だった。まちちゃんが可愛かった。

クロムクロ

灰は時を超え夢は遥か彼方へ向かうロボットアニメOPGLAY担当した事で僕の中で話題になった。アクエリオンロゴス放送時期が近かったような気がする。

ロボットアニメなのにロボット戦闘する回より学園生活描写した回の方が多かった記憶がある。モブっぽい人達が敵に結構残忍な殺され方をしていたのが非常に印象深い。

いかにも悪人っぽい外見の人が実は最後まで良い人のままだったり、色々とお約束を外しに来ていたのが楽しかった。女性陣を始めキャラデザも良い感じだった。好きな作品

甲鉄城のカバネリ

吸血鬼ゾンビ中間のような怪物カバネと日ノ本の侍達の戦いを描いたスチームパンク物。美樹本晴彦さんのキャラクターデザインはまだまだ現役で通じるという事を知らしめた作品だと思う。

監督進撃の巨人を手掛けた荒木哲郎さんで音楽ガンダムUC楽曲担当した澤野弘之さんだったり何とも豪華な作品。その後劇場版が公開されたって事は評判も良かったんだろうか。

ラスボスを務める悪役美馬様を始め終盤の展開に色々文句を言われていた記憶があるけど、僕は最後まで楽しんで見ていた。僅かな描写父親への複雑な愛憎が感じられる美馬様は個人的面白キャラだと思った。

最近主人公生駒の声を担当した畠中祐さんとヒロイン無名ちゃんの声を担当した千本木彩花さんが現実結婚された事は記憶に新しい。

この素晴らしい世界に祝福を!

大人異世界コメディ雨宮天さんといえばお馬鹿キャラの声というイメージはこの作品から広がったような気がする。

主人公カズマの声を担当した福島潤さんもこの作品のヒットから仕事が増えるようになったとか。良い事ですなぁ。

この美術部には問題がある!

何て言うか直接的なシーンは少ないんだけど雰囲気エッチアニメだった記憶がある。確か水樹奈々さんがOPを歌っていた。恋する女の子ってエッチなんだなぁと思った。その雰囲気に惹かれて見てました。

ゼロ放送時期が被っていたお陰で声が小林裕介さんのスバルくんってキャラが同じクールに二人も居るのが面白かった。

坂本ですが?

OPCOOLCOOLER!COOLEST!ってフレーズだけは何年経っても忘れられないし本編もそんな感じで滅茶苦茶濃かった記憶があるスタイリッシュコメディアニメ

坂本くんはもう他の声が想像出来ないくら緑川光さんの声がハマっていた。坂本くんに憧れる不良くんの声は杉田智和さんだった。全体的に声優さんが豪華なアニメだったのかな。

3月のライオン

このOPひょっとしてBUMP OF CHICKEN?と思ったら本当にBUMP OF CHICKENだったそんなアニメ。これまた主題歌がどれもこれも全部好きなアニメだった。

河西健吾さんは鉄血のオルフェンズ三日月の印象が強かったけど零くんの声が河西さんって事にスタッフロール名前を見るまで気付かず雰囲気の違いに驚く。

その零くんの身近に声が櫻井孝宏さんの林田先生や声が細谷佳正さんの高橋くんが居るのは某ロボアニメと放送時期が近かったのもあって妙にニヤニヤしてしまう。

プロ棋士生き様が題材の話なんだろうけど、どうも学校での女子生徒のいじめの話とか将棋関係ない話も多くて見ていて暗い気持ちになる事も多かった。後何年かしたらまた続編が作られそう。

12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ

はっきり言いますタイトルに釣られて視聴しました。「12歳。大人でもない、子どもでもない微妙なお年ごろ」ってキャッチフレーズ12歳って子供じゃんって突っ込んだ僕は甘かったです。想像の何十倍12歳は進んでいました。

この作品に登場する王子様役の高尾くん、本当に何でも出来ます能力成熟した精神も完全に子供の物ではありません。僕はこのアニメを見ていて自然と彼の事を高尾様と呼ぶようになり度々黄色悲鳴を上げていました。

主人公綾瀬ちゃん高尾くんのカップルは正に安定した恋人のもので見ていて安心感を得られますが、もう一人の主人公結衣ちゃん桧山くんのカップルはそうは行きません。一難去ってまた一難の連続です。

そしてどちらのカップルの方が見ていてドラマティックかと言われると、それは間違いなく結衣ちゃん桧山くんの二人です。彼女達は仲良くなったと思ったらまたちょっとした事ですれ違ったり、その後また仲良くなったりの繰り返しです。

彼女達の恋愛模様はまだ完全な大人の物ではないかもしれませんが、完全に子供の域を逸脱しています。正にキャッチフレーズの「大人でもない、子どもでもない微妙なお年ごろ」の通りでした。

12歳。小学6年生の内に濃密な恋愛体験してしまった彼女達がこれから中学生高校生と成長すれば一体どうなっていくのか…とても末恐ろしいですが、恐らくそこまで描かれる事は無いのでしょう。ちゃお作品ですから

シュヴァルツェスマーケン

大人恋愛アドベンチャーゲームマブラヴ外伝小説アニメ作品2010年代になって鈴村健一さんが主役を演じた珍しいロボットアニメだと思う。

原作はかなりハードコア描写がある小説らしく、アニメでもそれを匂わせる描写があった。CV田村ゆかりさんの悪役キャラ最後まで強かった。

昭和元禄落語心中

メインを張る声優さんがめちゃくちゃ豪華でしかも皆落語精通しているという凄いアニメ落語も凄いけど人間関係のドロドロっぷりも凄い。

ファン人達による最終回考察を見ると主人公与太郎が一番可哀想だなって思う。主人公八雲師匠の方かもしれないけれど。本人は幸せそうだから良いのかもしれないけど、数年経った今でも与太郎可哀想で仕方ない。

ジョーカー・ゲーム

詳細はよく覚えていないけれどスパイの話だったと思う。CV堀内賢雄さんのボスが滅茶苦茶カッコ良かった。D機関所属する諜報員は一人も例外も無く超優秀で凄いなって思う。

現実にもこういうスパイ人達実在したのかもしれないと考えるとロマンがある。D機関一方的ライバル視する風機関って組織とそのメンバーは今でもカルト的人気を誇っているらしい。

ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない

初めて見たTVアニメジョジョだった。一部~三部はそれまでのゲームアニメキャスティングされた理由が好きという理由でどうしても見れなかったけど、これまでメディアミックス化された事の無い四部なら…という理由で見始めた。

原作を読んでいるから先の展開は全部分かっているのにそれでも面白いというのは不思議感覚だった。OPはやっぱり3つめのGreat Daysが好きかも。ジョジョアニメジョジョ好きな人が作ってるのは伝わって来て良い物です。

双星の陰陽師

ジャンプSQで連載している和風ファンタジーバトル漫画アニメ作品月刊連載で原作ストックがそんなにある訳ないだろ!と思っていたけどやはり思っていた通り3クール目くらいからはもうほぼアニオリ展開オンリーだった。

声優さんキャスティングはハマっていたと思うしイトオカシの楽曲も好きだった。時々異常に作画が良い回があるのもstudioぴえろ作品って感じ。一部アニメ先行で出したキャラ原作漫画ちゃんと出てくるのも良かった。

アニオリのデスラップキャラにはアニメを置いてけぼりでぽかんとさせられた。アニメ終了後原作にそのキャラ逆輸入されたけど、未だにそのぽかんとした時の思い出が蘇る。

タイガーマスクW

2016年にもなってタイガーマスクってマジかよ!って思ったらマジだったアニメ実在プロレスラーも出てくる。OPEDも本当にカッコいいんですよこのアニメ

田中亮一さんと柴田秀勝さんが半レギュラーで出てるアニメとか嘘でしょう!?と思ったら旧作のタイガーマスクから続投のオリジナルキャストなんだとか。多分オリジナルタイガーマスクを知っていればもっと楽しめただろうと思う。

島田敏さん演じるイエローデビルってヒールレスラーが強くてカッコイイの何の…終盤ザ・サードって三人目のタイガーマスクになってから弱体化した?と感じてしまった。何か最終回付近女子プロの話だったような気がする。

タイムボカン24

2クールからだけどやっぱりKinKi Kids楽曲は良いなあ…と思ったアニメ。昔から思っていたけど僕はジャニーズタイアップで歌うアニソン結構好きだったりする。皆歌が歌って踊れるアイドルから歌は上手だし。

作品のノリは「実は今教科書で教えられている歴史は全て嘘だったんだ!」という一期より「歴史上の偉人と仲良くなってアイテムを譲ってもらおう!」という二期の方が好きだった。ツボに入って笑った回も結構あった気がする。

ホリさんの滝口順平さんの物真似とかキムタクの物真似とか、CV三宅健太さんのスズッキーってキャラがミヤッケーって弄られたり、放送ネタでヒロアカオールマイトネタやったり、声優さんを使ったネタは出てくる度に笑っていた。

だがしかし

駄菓子を題材した漫画アニメ作品ほたるさんもサヤ師も可愛かった。一期は尺が長すぎて大変そうで、二期は尺が短くて見てるこっちは何か物足りないという、帯に短したすきに長しなアニメ化だったような印象がある。

田中くんはいつもけだるげ

細谷さんってこういう淡々と冷静に突っ込むキャラ向いてるよなーって思ったアニメだった覚えがある。女の子の中に1人空気が読めていないようで実は誰が誰を好きかとか瞬時に見抜く観察眼を持ってる子が居たような気がする。

田中くんと太田くんって名前爆笑問題から取られたって話は有名だけど原作者さんは爆笑問題好きなんだろうか。そういえばあの二人モンスターズ・インクアイス・エイジ吹き替え声優さんしてたなぁ。

チア男子!!

テガミバチ浅田弘幸さんがキャラクター原案を担当したアニメだった。

けれど尺の問題なのか、肝心のチアリーディング描写が少なくて消化不良だったような?小説原作らしいけど、そっちだと違うんだろうか。

ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?

皆でネトゲしていたアニメだったような気がする。

ハイスクール・フリート

最初はいふりってタイトル1話ラストハイスクール・フリートタイトルが明かされたんだっけ?女の子達が軍艦に乗って戦うアニメだったと思う。

放送中にやたらと叩かれていた記憶があるけど、現在でも作品の展開が続いているという事は間違いなく人気はある。キャラ可愛いし割と満足しながら見ていたけど、この作品に海のガルパンを求めていた人達が居たみたい。

灰と幻想のグリムガル

細谷佳正さんが少年役として主人公の声を演じる珍しい作品だった記憶がある。異世界転移?物らしいけどアニメを見ただけではどういう状況でああなっていたのかは分からなかったと思う。

ゴブリンスレイヤーより先にひたすらゴブリンを狩っていたアニメとして時々語られていた気がする。二期は…今のところは無いんだろうな。

ばくおん!!

キャラクターは覚えているし割と最後の方まで見た筈なのにあまり内容を覚えていない。

女の子達がバイクに乗るお話で、 声が三木眞一郎さんのお父さんが居た気がする。それとヘルメットを被って顔が見えない人も。

2020-10-05

anond:20201004173050

そもそもこのはてなでさえ数年前、実名で顔出しでネット基地外煽ってお金稼いでたHagexのようなエンジニア

白昼堂々滅多刺しに刺殺されて死亡とかいう、法治国家日本普通に暮らしている人間ではありえない死に方してる時点で

IT業界がヤベーやつしかいないってのはわかるだろ

なんだよ基地外顔出しで煽ってたら講演会上に向かう途中で煽られた基地外に滅多刺しにされて殺されましたって、字面だけ見たら2010年代日本の話には思えねーぞ

2020-09-18

かわんごっていまどうしてるの?

2010年代前半に持ち上げられて

後半に一気にネット民から嫌われて

最近まったく見なくなったね

浮き沈みの激しい人生たいへんそう

2020-09-17

2010年代ってさ

訳あって2010~2012年くらいの色々な映像

見返してるんだけど、今とほぼ変わんないよね。 

画質もHDだし、ファッション音楽なんかも今と差はない。

手元見るとまだちらほらガラケーの人が居るくらいか

2010年から見た2000~2002年

2000年から見た1990~1992年とかって

もっと色々変わってたような気がするんだよな。

あー、こんな〇〇流行ってた!みたいな。

これは単に俺が年取っただけなんでしょうか。

それとも社会成熟して移り変わりが少なくなったのかね。

2020-09-16

ORESAMAドラマチックという歌が渡辺美里みある

タイトルが全てなんだけど一応補足するとさ、「写真の中」の「んのなか」のとこが特に渡辺美里パクリとかそういうこと言いたいんじゃなくて、渡辺美里空気がここに! というただそれだけなんだけどさ。まあでも他にも「ドラマチックな恋」という歌詞がすでに2010年代というよりバブルっぽい。MVイラストバブルっぽいというか、こっちにはわたせせいぞう空気を感じる。基本的には2010年以降な曲なんだけどさ、所々なんか懐かしい。

2020-09-13

anond:20200913035706

俺は長年の田中芳樹ファンだけど、残念ながらその頃と今回とでは「当たり前の批判」の社会的意味が違うんだよ。認識アップデートしてよ。

タイトルの通り増田20年来の銀英伝ファンですが、私が銀英伝を知りネット掲示板個人サイトなどを見始めた当時からファンによる「銀英伝女性キャラステレオタイプ過ぎる」とか「田中芳樹女性を描くのが下手」みたいな批判は当たり前のものとしてありました。今回炎上した冒頭のツイートもそれと同系統のものであり、作品内の女性の扱いに対する感想としては見慣れた内容で特に違和感はありませんし、個人としての違和感を述べたうえでリメイクにあたってのアップデート希望するものであって、それ自体問題があるものとは思えません(なお、「Die Neue These」はリメイクではなく「原作の再アニメ化」なので、その点は事実誤認なされているものと思います

うん、銀英伝ファンあいだでは「あいつ女を描けてねーよな」みたいな評は普通のものだったよね。そういう意味で、例の社会学者氏のツイート認識はごくありふれた銀英伝認識を示したものだといえる。それだけを切り取ってみれば特に叩かれる要素はない。

でもさ、

ことと、

こととでは、社会的意味が違うんだよね、残念ながら。

twitterという、簡単に支持者を社会運動に動員できるプラットフォームで、これまでさんざんコンテンツを燃やしてきた社会学者っていう属性の人が、表現の内容を変えるべきだと口を出したら、単なる批評の域を超えて作品へのバッシング煽動してるようにしか見えないんだわ。

ジェンダーがどうこうというのも、そういうバッシングの際によく使われる常套句からね。

「あっ、この状況、キズナアイバッシングで見たことある!」って思っちゃうんだよね。

実際にそれらの描写を変更すべきか否かはそれぞれで判断が異なるのは当然としても、こうした意見に対して「現代にそぐわないから変えろって言いだす社会学者やべえ」などと嘲笑するのは原作者のスタンスを含めて明らかに論点を見誤っていますし、「銀英伝を燃やしに来た」などと反応するのは過剰です。挙げ句社会学者というツイート主の職業フォーカスしてその職業全体を否定するような言説まで行うのははっきり言って異常だと思います

もちろん、昨今のネット社会学バッシングはどう考えてもおかしい。一部のおかし社会学者存在で以て学問としての存在意義まで否定されるべきではない。

ところで、「すべての男がそうじゃない」みたいな言い訳をする男に対してノットオールメンって言ってきたのってどういう人たちでしたっけ?

文系のはしくれとしてはノットオールソシオローグスと言いたいところなんだけど、フェミニズム同調して社会問題に口を出してきた社会学者がそれを言うことは、まあ論理的一貫性問題惹起するよなあ。

本件もそうですが、ポリティカル・コレクトネスを巡る議論においては「過剰なポリコレ押し付けるな!」などと主張する批判側にも個人意見に対して過剰かつ攻撃的な言動を繰り返す「反ポリコレを旗印に個人を抑圧するネット憂国騎士団」みたいな存在も目立ってきており、まともな議論が成立しづらい状況になっているように思います

マトモな議論が成り立ちにくい環境を作ってきた責任を反ポリコレの側「だけ」に求められても困るんですが。

ポリコレが高邁な理想としての側面しか持ち合わせていなかったのであればともかく、実際には他の表現を抑圧する棒として使われてきていたという前史があった上での反ポリコレ側の過剰反応でしょう。

つい最近起きた騒動にだけ目を向けても、ジェンダーを専門とする社会学者によってキズナアイバッシングされ、フェミニズムを掲げる弁護士研究者によって献血ルーム攻撃され、「ミカンはお母さんが買うもの」などと宣うフェミ学者たちがラブライブ農協コラボを焼きに来た、といった話があって、その上で今回の社会学者氏の感想への過剰反応があるわけ。

ポリコレ棒でヒステリックに殴られてきた側がちょっとでもポリコレっぽく見えるものヒステリックに反応するのは自明の理では?

悪いけど、ポリコレ棒を振り回して暴れ回ってきたポリコレ憂国騎士団の皆様にはもうウンザリしてるんだよ。

からといってこちらも憂国騎士団ムーブをしていいことにはならないけど、ポリコレ側の憂国騎士団ムーブのことを棚に上げて反ポリコレ側だけを憂国騎士団と言われても困惑するほかないんだよね。トリューニヒトみたいな詭弁やめろ(憤怒)

ブコメに応答

実際問題2013年の人工知能学会表紙事件以降、表現特にオタクコンテンツ)をネットで叩いて社会問題化し、金と名声を得るというのは、社会学者定番になってる。最も顕著だったのが宇崎ちゃん献血ポスター騒動

社会学者の人、名誉はともかく金は得られてないと思うよ。

いや、ネット表現を燃やしたところで影響力とか声望とか自尊感情とかはともかく金は得られんよ(少なくとも学者世界では)。金目当てで彼らが動いているというのは被害妄想がすぎる。そりゃ有名どころのレーベル新書とか書けばまとまった金は入ってくるかもしれんが、彼らは現段階ではtwitterで吠えてるだけで別に一般向けに売れそうな本を書いているというわけでもないし。

この界隈Twitterさえ見なきゃ起きてない論争多くない?ほぼネットそれもTwitterしか社会学者」を知らなそうな人多くない?

そりゃ、多くの人には表現を燃やしに来る「社会学者」の姿しか見えてませんし……

アカデミアあるいはそれと近いところにいれば、社会学といっても色々あって、ハマータウンの野郎どもを研究する人もいれば聖なる天蓋を論じる人もいて、ジェンダーオタク文化に関心を持っているのは一部であり、表現を燃やしに来るのはさらにその限られた少数に過ぎず、もっと言えば社会学者といっても博士課程の院生から誰もが参照すべき大御所まで「権威」に勾配があることくらい理解しているだろうし「社会学者」を十把一絡げに論じるべきじゃないっていうのは自明の理なわけだけど、燃やされた被害者からはそのごくごく一部の姿しか見えないので。

アカデミアと縁のないそのへんのオタクにとって、哲学者数学者工学者や物理学者言語学者文化人類学者なんてろくずっぽ知らないのが「普通」でしょう。普通の人は良かれ悪しかれそんな学問について詳しい知識は持ってないんだよね(漠然としたイメージは持ってるかもだけど)。だからtwitterオタクがロクに社会学者について知らないってのもある意味当然なのよ。

そんな学問についてよく知らない一般大衆は、まあ、自分たち表現を燃やしに来た一部の社会学者の姿を見て「社会学者」のイメージ形成ちゃうよね。

もちろん「そんな社会学者ばかりじゃない」という異議申し立てはどんどんやればいいと思うよ。「そんな男ばかりじゃない」と同程度には正当性のある反論だろうし。

昨今の風潮でいちばん納得がいかないこと

ムーラン』と『銀河英雄伝説』が同時並行で話題になってホッテントリに出まくってるのに誰も『風よ、万里を翔けよ』の話してないのおかしくない!?

2020-09-07

GAFA株は間違いなくバブル

だって顧客最適化で業績を伸ばすフェーズから株で株を儲けて経営者が太るだけになっとるやん

ここ5年位、へたしたら2010年代の彼らの企業活動顧客もっと使ってもらおう、もっと便利になってもらおうっていうストイックさを感じることがあるか?もっと儲けようむしり取ろう、業績をあげて株価釣り上げようって意図しか感じないだろ

流れでテキトウに開発リソースを割いてるだけのことばかりじゃん。遅いし

2020-09-04

精神的に不健康作品コンテンツについて考えてみた

続き

https://anond.hatelabo.jp/20200911202150

アブラハム・マズローの書いた『完全なる経営』(日本経済新聞出版 大川修二訳)という本を読んだ。

その中では、精神的に健康人間というものが語られている。平たく言うと、自己実現できる人のことだ。

自己実現とは、本に書いてあった内容によると、こんな感じの人だ。

・今の状況をありのままに捉え、不確実な状況でも耐えることができる

創造的やユーモアがある

自分自分に関わる人間幸福を願う

・夢中になれる物がある

自分能力を惜しげなく発揮している

この対極にあるものとして、精神的に不健康人間についても述べている。

本文の中で、精神的に健康人間と不健康人間が対比されている描写は以下の3つだ。

相当高い発達段階にいる人間は、破壊よりも創造を好むものだ。創造する喜びは破壊する喜びよりも大きい。

ただし、破壊する喜びは確かに存在するし、そのことは看過されるべきではない。とりわけ破壊から強い喜びを得るのは、発達段階の低い人間、つまり神経症患者、未熟な人間衝動コントロールできず無意識的に行動を起こす人間サイコパスなどである。 P.63

彼は予想外の事態に直面しても怖れる気配を見せない(強迫観念にとらわれた硬直した人間は、予想外のできごとを怖れる)。創造的な人間にとって、計画とは先に進む道を探すための足場以上のものではなく、それゆえ、後悔や不安をともなうことなく、やすやす放棄することができるのである。 P.319

どのレベル動機づけによって生きているかを判定するには、さまざまな方法がある。たとえば、どのようなユーモア面白いと感じるかによって判定するというのも、その一つだ。低いレベルで生きている人間は、敵意のこもった残酷ユーモア――老女が犬に噛まれる話や精神遅滞の子どもが他の子たちにいじめられる話など――を面白いと感じる傾向にある。リンカーンが示したようなユーモア――哲学的教育的なユーモア――は抱腹絶倒するような類のものではなく、むしろ微笑を誘うものであるが、これには敵意や征服といった意味合いがまったく込められていない。このようなレベルの高いユーモアは、低次の欲求レベルにとどまる人間からは、まったく理解されないものである。 P.367

この3つの中で、一番下が気になった。

精神的に不健康人間は、残酷作品が好きらしい。

それって、どんなコンテンツだろうか?自分もこれまでに楽しんだことがあるのだろうか?

気になって考えてみた。

以下は、私の主観で選んだ『精神的に不健康人間が好きなコンテンツ』だ。

あなたが好きな作品があったらごめんなさい。



漫画

1980年代後半~1990年代前半までのCLAMP作品

 この頃のCLAMPトンガっていた。今の作風からは信じられないほど『精神的に不健康コンテンツ』だったといえる。個別作品ネタバレはしないので安心してほしい。

 人間の手足が千切れる、〇〇の頭部をもぎとって〇〇に見せる、これまで信頼していた人が裏切って主人公ボコボコにして作品完結だったり、自分部族が皆殺しになるのを割と涼しい顔で眺めている〇〇がいたりと、今に比べれば殺伐とした作風だった。(※もちろん例外はある。「CLAMP学園探偵団」「20面相におねがい!!」「学園特警デュカリオン」など)

 このような作品商業誌で描くということは、当時のCLAMP精神的に不健康人間の集まりだったのか?と私は思った。

 そのとおりだと思う。

 CLAMPに関する情報を集めれば集めるほど確信を深めるようになった。どんな情報を集めたかは言わない。彼女達の名誉を傷つけるおそれがあるからだ。あの〇〇〇〇〇〇を作った奴はどこのどいつだろう。訴えられればいいのに。

 CLAMPが今のように精神的に健康コンテンツを作るようになった境は、『魔法騎士レイアース』『カードキャプターさくら』の辺りだと思う。

 この頃からCLAMP作風が急に丸くなる。魔法騎士レイアースシリアスな場面が多いが、これまでの作品に比べれば緩い。ギャグも多いし、家族同士の愛情恋愛もしっかり描いている。

 ※もちろん今でも殺伐とした物語を描くことはある。BLOOD-Cが好例だ。

 作品内容がジェノサイドな方向に行ってしまうというのは、何もCLAMPに限ったことではない。他の有名漫画家にしてもそうだ。それは雁屋哲だったり、板垣恵介だったり――眉月じゅんのような若い作家でもそうだ。

 初期の作品というのは、どうしてもそういう方向になってしまう。それは、自分がこれまでに受けた苦しみや、社会への恨みや、一発当ててやるといった決意がそうさせるのだろう。

 漫画家として食っていける人間というのは、若いうちは苦労しがちだ。サラリーマンに適合するタイプ人間ではないので、学校で仲間外れにされたり、いじめられたり、日陰の存在になりがちだ。

 そんな環境の中で作品を描く力を磨き上げた人間というのは、自分を虐げてきた社会に対する不満を創作活動を通してブチまけてしまうのかもしれない。

 あくまで推論に過ぎない。デビュー作品も、今の作品殺伐とした雰囲気が少ない作家もいる。大御所だと高橋留美子だ。あの人の作品は、初期の物も今の物も人間愛に溢れている。

 一般的には、一山当てて名前が売れたり裕福になったりすると、作品内のグロテスクな傾向は薄まっていく。

 精神的に不健康状態から精神的に健康状態になるのだ。

 名前が売れると承認欲求が満たされるし、印税が入って裕福になれば、食事旅行ファッションに、いろいろと楽しみ放題だ。

 「恒産無き者は恒心無し」という故事があるが、まさにこれを地で行くのが人間の性だと思う。

 以上は、ほとんどの創作者に当てはまる傾向だ。若い頃に殺伐辛辣ジェノサイドを描いていた人が、有名になるにつれて人間同士の繋がりを大切にした作風に変化していく。

アカメが斬る!

 ここでは個別具体的な作品を扱う。ネタバレはしないが作品の感じは伝わってしまうだろう。

 2010年から月刊誌で連載が始まった作品で、2014年アニメ化された。原作タカヒロだ。

 この物語のいったいどこが『精神的に不健康』なのかというと、

グロテスクなシーンがよくある。身体の欠損や理不尽な死は基本。

②読者に残虐なシーンを読んでもらうことを目的とした話がある。特別編の3人娘など。

グロ以外にも人権を軽んじる描写多数(特に女性田舎者に厳しい世界だ)

 こちらのタカヒロ氏は、ほかに勇者であるシリーズex結城友奈は勇者である)を手掛けている。この作品も、真面目でいたいけな少女を痛ぶることで読者や視聴者プレイヤーを楽しませることを目的ひとつとしている。

 人は、一体なにが原因でこのようなコンテンツを考えつくのか?

 ストレスにほかならない。生きていることが苦しかったり、面倒くさかったり、人が憎いと思ったり――そんな観念が繰り返し脳裏に浮かぶ度に、その邪悪な何かを外に出そうとする。あるいは、他者を自らの仲間にしようとする。

 タカヒロ氏のインタビュー記事可能な限り読ませてもらった。記事内では、常識的言葉作品をPRしているように思える。しかし、毒がある。不満であるとは言明しないものの、コンテンツに関する何かに対して、さりげなく毒を吐いている。

 さりげないから目立たないだけで、さりげなくない表現を使うとコンテンツ関係者ケンカを売っていることになる。そんなインタビューひとつ以上あった。

 精神的に不健康コンテンツを作るのは悪いことではない。それが面白いという人がいる限り、価値あるものだ。

 私も昔は、そういうコンテンツが好きだったと思う。でも、大人になるにつれて、社会で果たす責任が大きくなっていくにつれて、精神的に不健康コンテンツよりも、心を健康してくれる、浄化してくれるコンテンツが好きになっていった。(一例として、のんのんびよりニコニコ動画再生数を見てもらえれば、私の言っていることが伝わると思う。ニコ動で一番売れている有料アニメだ。あれから一時的無料期間があったので今は判然としないが、当時は少なくとも1話あたり3000再生は売れていた)

ゆっくり虐待

 精神的に不健康コンテンツの最たるものだ。

 2010年代の前半辺りが最盛期だったと思う。当時は、ふたばチャンネルニコニコ大百科pixivなどにゆ虐のイラスト漫画を上げる絵師がいたり、ゆっくり虐待小説を専門に投稿する掲示板があった。

 このコンテンツにおいて示唆されている行為は何なのか?ゆ虐の作品を何度も覗いたことのある方ならお気づきだろう。

 人間虐待だ。

 ゆっくりというのは、愚かな人間メタファーだ。そのメタファーを痛めつけたり殺したり、漫画という形で傍目から眺めることで精神的に不健康人間欲求を満たしている。

 精神的に不健康人間はこういったコンテンツを好む。一言でいえば、人権侵害をテーマにした作品や論評や意見を好む。

 同じ時代でいうと、mixiニュース引用日記だ。ニュース引用して記事を書くことができ、投稿すると下にある引用記事一覧に載る。

 今は廃れた光景だが、障がい者生活保護受給者ホームレスタクシー運転手教師公務員などを扱った内容がmixiニュースで取り上げられる度に、心無い誹謗中傷を述べた日記投稿するのを楽しみとする人たちがいた。

 障がい者事件を起こすと「殺処分せよ」、生活保護受給者不正問題になると「貧乏人は死ね」、タクシー運転手が客とトラブルになると「タクシー運転手社会の最底辺」など、差別の例としては完成され尽くした日記投稿する層が一定数いた(しかも彼らは連帯を組んでいる。反論コメント徒党を組んで煽ったり馬鹿にすることで潰す)。

 一番ひどい例だと、東日本大震災が起こった際に、携帯電話絵文字津波に流される人々をアスキーアート風に表現した日記投稿する人がいた。その人自身も、心に問題を抱えているように思える文調だった。

 mixi運営も、一定数の通報が集まるとそういう日記を削除し、ユーザーアカウントも凍結していたようだが、さほどの効果はなかった。

 こうした人権侵害を行う人に共通しているのは、「社会に恨みを持っている」ことだ。

 私が観察したところ、上記mixi日記の数名の投稿者は以下のような環境にあった。

・幼少期に親から虐待を受けている

・夢に破れて外国から帰ってサラリーマンをしている

いい大学を出ていい会社に入ったものの、嫁が公然浮気をしていて、でも子どもいるか離婚できないという葛藤を抱えている

 とにかく強いストレスに晒されている人たちだった。



アニメ

・該当する作品について

 公衆放送アニメでは該当がひとつもない。

 ※後日追記 強いていえばBLOOD-Cだが、あれはどちらかというとシュールギャグアニメなのでは・・・?という印象がある。

 なぜかといえば、公衆放送なので当たり前なのだが、人権侵害コンテンツなど流せるはずがないからだ。

 上記で挙げたアカメが斬る!についても、だいぶマイルドになっている。

 アニメ企画する会社や、アニメ制作スタッフらが自主判断グロシーンをマイルドにしたり、描写自体をなくしている。

 あの3人娘は死なない。むしろ最終回生存描写がある。この改変には痺れた。原作者が精神的に不健康人間であっても、スタッフには良心があったのだ。

 CLAMP作品もそうだ。初期の作品である『X』には、地震ビルなどが倒壊し、多くの人が犠牲になるシーンが幾つかある。グロシーンも多数だ。

 こういう描写問題になり、漫画版のXは最終回を迎える前に編集から強制ストップがかかった(もちろんCLAMPは続けたかったらしい)。

 アニメ版はだいぶマイルド描写になっている。残酷なシーンはあるが、気持ち悪さを感じるほどではない。放送コードの力は偉大だ。

 ※劇場版は見ない方がいい。比較にならないほどグロいので。

 昔のアニメだが、まだ配信されている。興味のある方はぜひ。

 今回はこれくらいで。

 需要があるようであれば続きを書きます

 小説編と、ゲーム編と、あと何かを予定している。

2020-09-02

現金給与を配った話

令和ではもう存在しないと思うけど、7・8年前に2回ほど現金給与を配ったことを思い出した。

かなり記憶曖昧だけど残しておこう。

当時いた会社はそれはそれは大きくて多方面に支社や関連施設があった。支社一つで田舎だったらその地域一帯の雇用経済に大きく影響するほど。

俺はその一支社の会計部署にいた。支社といっても敷地面積はだだっ広い上にいくつもの部署が混在している。

そしてある日、同じ敷地内に別の部署トップが「新人給与のありがたみを知って貰えるように初任給現金配布したい」と言い出したらしい。

当然うちの部署は大騒ぎだった。2010年代に口座振込以外の給与配布なんて完全なるレガシーで、コンバインドローンのある時代農家が千歯扱きをいれるようなものだ。

尤も、法的には現金配布が基本で口座振込が例外に近いため、断る理由がない。

問題は人数と金額。地方支社のたった一つの部署案件ではあるモノの、抱えている新人職員が多いことで知られている。詳細を伝えられないがアタッシュケースがいくつかと警備員必要な量だ。地方銀行にとってもいきなり用意できる現金ではない。

封筒や紙の明細書も人数分を用意しなければいけない。部署トップが直接新人に手渡しで配布する(!)ということなので、そのための場所を確保してもらい、そこに現金封筒を持ち込んで人海戦術で封詰めする必要がある。1円でも狂ってはいけない。金種があわなくても問題だ。

結論をいえば問題なく配布はできた。金種の事故もなく紛失等もない。

なんなら翌年も同じことをしたし。

正直もうあんなことはしたくない。あのときは一部署だけの話だったけど、あれが支社全体、会社全体、日本全体で行っていた時代があったのが信じられない。

現金を直に取り扱うことに抵抗がなくて、集計・運搬・配布に時間と金人員を割ける時代でなければ不可能だったんだろうな。といっても、銀行振込が一般化したのはそういうことがとてつもなく大変だったかなのは想像に難くない。

2020-08-30

国民の反安倍感情保守思想だった

ここで言う保守とは「現状維持(≠戦前復古)」

そういう意味での保守にとって疫病の蔓延

現状に対する(悪い意味での)新しい変革となる

好ましくない意味での新しい変革に直面した場合

保守的な民衆が取る反応は2通りだろう

・変革を無視して存在しないものと見なす正常性バイアス

・一刻も早く変革を元に戻して従来の現状が戻ることを期待

たぶん保守的な国民には前者も多かったはずだ

実際に「コロナはただの風邪だ派」も一定存在する

ところが早期段階で皆がマスクをするようになったのに加えて

たまたま花粉症シーズンかぶっていたのも影響?)

志村けんがお亡くなりになった影響で

正常性バイアスはあまり機能しなくなった

***

となると後者を求めることになる

幸か不幸か欧米先進国のみと比較すれば日本感染者数は少ない

それでもいつまで経っても「非常時感」が消えない

2011年311の時は非常時感が国民の結束を促す方向にも働いた

しかし今回は正義募金ボランティアの出番は要求されず

隣にいる同じ日本国民潜在的な脅威(感染者かも?)とされてる

これでは国民が美しく一致団結するイメージも成立しにくい

しろお上から萎縮せずバンバン消費しろと言われる事態

マスク2枚配布もGoTo焼け石に水

「悪い変革を元に戻す」感は乏しかった

となると「保守的」な大衆にとって

安倍政権は「悪い変革」を放置しているように見えても仕方ない

コロナウイルス蔓延以降、欧米先進国のみと比較すれば

感染者があまり増えなくても、内閣支持支持率の下落が

ほとんど回復できなくなったのは

こういう国民感情が反映されていたのではないか

***

ちな、「大衆保守現状維持(≠戦前復古)」という観点に立てば

憲法改正したり教育勅語みたいな戦前価値観を広めることも

戦後70年以上続いたレジームに対する変革である

そして保守的な大衆には性急な変革は(復古的な変革でも)望まれない

安倍政権の8年間、なんだか結局、憲法改正も、北方領土返還

竹島奪還も、拉致被害者奪回も、とりあえず口にしているだけで

心底から本気そうには思えなかった

それも結局、現状維持という意味での保守だったのだろう

しろ安倍首相戦後10年近く過ぎた1954年まれ

松任谷由実と同じ歳である

大学生のころには1970年代には、すでに大学レジャーランドと呼ばれ

ユーミンのようなニューミュージック流れる消費文化のまっただ中

嫁さんの昭恵はさら1962年まれ松田聖子と同じ歳

2010年代になっても嬉々として「私をスキーに連れて行って」ごっこをしてる

1980年代で頭の中が止まったバブルである

安倍晋三にとって保守したい(取りもどしたい)日本とは

間違っても、チャラチャラした軟派は怖い鬼軍曹にどつかれる戦前日本ではなく

バブル感溢れる1980年代日本だったのではないか

2020-08-27

コロナウイルスがもたらす日本人文学危機

コロナ人文学ヤバい

といっても哲学とかそういうのじゃなく、歴史学とかがヤバい

もうちょっと言うと、日本史とか日本文学とかはぜんぜん大丈夫なんだが、西洋史とか東洋史とか、要するに外国のことを調べる学問ヤバい

今はまだ大丈夫だけど、じきに破綻する。

なぜかといえば非常に単純な話で、研究を進める上で必要資料アクセスできないからだ。

歴史学根本は、オリジナル資料(=一次史料)にあたることにある。一次史料には色々な形態があるわけだが、歴史上の出来事の背景とかを実証的に調べようと思ったら、公文書館にある史料を使うことが不可欠だ。

そして公文書館というのは行政機関なので、日本国立公文書館外務省外交史料館東京にあるように、あるいはイギリス国立公文書館キューにありアメリカ国立公文書記録管理局ワシントンDCにあるように、当然ながらそれを管轄している国や地方自治体に設置されている。

そう、公文書館に行けないである

コロナが2~3年で過ぎ去り、その後はすべてが元通りになるなら、その数年を耐え忍べばいい。数年が過ぎればまたヨーロッパなり世界の他の国なりに行けるようになる。当然、歴史学も元通りだ!

でも残念ながら、中東諸国の割安の航空券ヨーロッパ渡航できる日々は、もう戻ってはこないかもしれない。航空券が割高になるだけではなく、全世界的に航空産業が縮小し、これまでであれば容易にアクセスできていた史料アクセスできなくなるかもしれない。

明治維新以降、政府が雇ったお雇い外国人たちによって、ランケに始まる近代歴史学日本に持ち込まれた。だが初期の日本歴史学はあまりにお粗末なものだった――現在の水準からすれば。

オリジナル史料を見ずに、西洋人の書いた歴史書を読んでそれを日本語で紹介して論文を書き、吾は教授でございと偉そうな顔をしている。英語フランス語ドイツ語の文献だけを読んでヨーロッパ史全体を講じるなんていう無謀なことが平気でまかり通っていた。

けれど、そのような稚拙な「論文」も必要だったのだ。日本歴史学が独り立ちするためには。

やがて、それらの先人たちの業績を踏み台にして、きちんと史料集(=オリジナル史料を集めてまとめた本)にあたって論文を書く人や、英仏独だけではない色々なマイナー言語習得して研究する人が増えてくる。そして、交通技術の発展に伴って海外旅行安価になるにつれ、国外文書館アクセスして論文を書く人が増え、英仏独以外の言語を学ぶ人が増え、留学して現地で学位を取る人も増え、日本歴史学レベルはどんどん上がっていった。

2000年代から2010年代にかけての日本歴史学界で生み出された外国研究レベルの高さは誇るに値する。もはや横のものを縦にしただけではまともな論文とは見做され得ない。現地の言語を読めることが最低条件で、その上でどのようにオリジナル面白い研究成果を積み上げるか。多くの研究者たちが競うように優れた論文や著書を生み出してきた。

そこをCOVID-19パンデミックが直撃したのだ。

留学の予定も史料収集計画も、すべてが白紙になってしまった。

分野によって違うと思うが、外国史を学ぶ者は多くの場合修士課程博士課程で留学をする。これは現地で史料収集したり、現地で言葉勉強したり、現地の研究者と触れ合ったりするきわめて重要プロセスで、修士卒ならともかく博士号を獲ろうと思うなら避けては通れない。多くの研究者はだいたい1年から3年くらいの留学を経て、外国歴史に興味がある若者から若手の歴史研究者へと成長する。

COVID-19直撃世代は、この留学経験を持てない。彼らは外国研究者として足腰を鍛える機会を奪われることになる。

2~3年でコロナ禍が終熄するなら、この世代が数年間のハンデを背負うだけで済む(たとえば、留学することな博士課程の年限が来てしまったとか、在学を引き伸ばす羽目になり学費が余計にかかったり就職市場に参入するのが遅れたとか、せっかく学振DCを取ったのに海外調査をすることな任期が過ぎてしまったとか、そういう悲劇が量産されることだろう――外国研究者は学振研究費のかなりの割合出張費に充てている)。

けれど、コロナ禍が終熄しなかったら、あるいは終熄後に海外調査ハードルものすごく高くなってしまっていたら、日本外国研究は大きな打撃を受けるだろう。

そりゃ、留学終えてる組は今すぐに困るってことはない。彼らはもう現地語ペラペラだし、これまでの現地滞在史料たっぷり集めてるだろうから、当面はそれを消化しながら外国研究者とオンライン会議すればいい。

でも、これから留学しようとする人たちは、現地に長期滞在して外国能力を鍛える機会を奪われ、史料を集めることもできず、中途半端研究能力しか持てないままに博士課程を終えざるを得ないことになる。

もちろん、先行世代よりマシな点もある。デジタルアーカイブの発展によって、従来は現地の図書館に行かないと見られなかった古書や古新聞が自宅にいながらにして読めるようになった。中には所蔵している史料ウェブで見せてくれる親切な公文書館もある。外国雑誌だってオンラインで入手できるし、何なら研究書をkindleで読んだっていい。そういえば友達ドイツ語学術書kindle版で引用していた。

から研究の水準が明治時代に戻るということには、おそらくならない。

ただし、その方向性限定される。

どのような種類の史料必要かは、結局研究テーマに左右されるのだ。もしも「ドイツにおける日本人のイメージ歴史」を調べたかったら、古書や古新聞を徹底的に調べればそれでいい。けれど、「1960年代における西ドイツ政策決定過程」みたいなテーマを扱おうと思ったら、公文書館史料を見なければお話にならない。

現代日本で考えてみればよくわかる。「安倍首相メディアでどう扱われているか」と「安倍内閣の内側ではどんなふうに物事が決められているか」とでは、立論に使うべき資料全然違う。前者は新聞ネットを見ればそれでいいが、後者情報公開請求必要だし、『朝日新聞』や『週刊文春』だけを見て後者を論じたら手抜きだと謗られるだろう。

そして歴史学とは「昔のことなら何でも扱う学問」であり、内部には表象を論じる研究から外交政策を調べる研究者まで色々いるのだが、後者のような人たち――つまり研究のために文書館史料必要とする人たち――の研究はずいぶんやりにくくなるだろう。外国研究において、思想史文化史古代史の割合が高くなるかもしれない。

(いやでも、ガチ思想史文化史をやろうと思ったら文書館史料を見ないといけない局面も割と出てくるので、思想史なら文書館行かなくてもいいでしょ、という話にはならないんだよな……明治時代知識人留学先の国に出かけてその国の文書館史料使って明治期の思想についての本書いた人とかいからな……逆にある程度昔の外交史だと関係する史料ほとんど翻刻されてたりするし……)

逆に、先行世代よりも悲惨な点は何か。

それは研究レベルが上がってしまたことだ。

ネット上で読める範囲古書や古新聞だけを史料として使って「18世紀におけるドイツ諸邦の外交」みたいな研究をまとめたとして、明治時代ならこんな多くの一次史料を使うなんて素晴らしい研究だと大絶賛され東京帝大の教授になれるかもしれない。でも現代では、研究レベルが上がってしまった現代では、「新聞しか見てないじゃん。文書館史料使ったの? え? 使ってない? レベルいね」と一蹴されてしまう。論文英訳なり独訳なりして海外ジャーナル投稿しても、それなりのレベル雑誌からは軒並み落とされるだろう(というか、国内でも有力学術誌の査読を通過できるとは思えない)

ふんだんに文書館史料を使う質の高い研究に慣らされてしまったら、今更横のものを縦にすれば教授になれていた時代研究水準には戻れないのだ。

ハードルを下げる?

外国最先端研究成果がワンクリックで手に入るこの時代に?

つい去年まで史料調査のために渡航するのが当たり前で、今アラサー以上の人たちは研究水準が高かった時代を身を持って知っているのに?

コロナ禍の影響が数年で収まるのなら、業績の不足で苦しむのは直撃世代だけで済む。だが、もしもコロナ禍の後遺症が何十年も続くのであれば、外国史を研究する歴史家たちは困難な撤退戦を強いられることになるだろう。

それはより史料入手の容易なテーマへの撤退戦であるかもしれないし(政治史ハードルが高いから、表象歴史とかを研究しよう)、より史料入手の容易な国への撤退戦であるかもしれない(○○国と比べて××国の方がデジタルアーカイブが充実してるから、○○史じゃなくて××史をやろう)。

ともかく、これまで日本歴史学が積み上げてきた多様性は、徐々に失われていくことになるだろう。

日本外国研究にとって、冬の時代が迫っているのかもしれない。

まあそうは言っても史料さえどうにかなれば研究はできるので文化人類学記述言語学よりはまだマシ。これらの学問では現地に長期間滞在して現地人の間に分け入って調査する必要があるので、現在レベル渡航制限が長続きすると文字通り危機に瀕する。これらの分野では伝統的に外国に関する研究が盛んで、オセアニア島国アフリカの奥地で調査してきた日本人が何人もいるのだ。今後、外国舞台にした文化人類学記述言語学は消滅し、国内対象として細々と生き延びるほかなくなるのかもしれない……

(まあ、国内伝統文化方言を保存するために、一度外国文化言語記述するのに使っているエネルギーを全部日本に関する研究に注ぎ込むのもアリかもしれない……でもCOVID-19で次々と伝統的なお祭りやら寄り合いやらが中止になっているし、うかつに都会の大学修行する若手研究者が離島山村に出かけてお年寄りのインフォーマントと接触するのもはばかられるよなぁ……)

ブコメにお返事

日本だけの問題では無さそうなのでよりデジタル化したりオンラインで閲覧する仕組みが出来そうだけど

デジタルアーカイブの発達はうながされるだろうけど、そんなに急速には進展しないだろう。それには2つの理由がある。

第1に、単純にデジタル化はすごい大変なのだマトモな国なら行政の作った公文書は破棄されずに何十年にもわたって保管されているのが普通で、それらすべてをデジタル化するのは労力がかかるというのは納得してもらえると思う(国だけじゃなく地方自治体にもその自治体公文書集める公文書館があったりするからね。連邦制の国だと連邦レベル・州レベル・市レベル文書館が別々に設置されていたり)。優先順位をつけてやっていくほかないけど(「まずは外交関係公文書を先にデジタル化しよう。環境保護関係は後回しだ」)、優先順位の低いテーマ研究しようと思ったらそれでは困る。

第2に、困るのは外国研究者だけで、本国研究者はそんなに困らないのだ。

日本人がイギリスドイツ調査に行けなくなっても、イギリス人やドイツ人の歴史家は何も困らない。彼らは渡航制限など気にせず自国にある公文書館アクセスできる。これは日本のことを研究する日本人の歴史家にとっても同じだ。仮に外務省外交史料館から外国研究者の姿が消えたとして、いったい日本研究者になんの不都合があるのだろう?

(ここでは「外国人」と書いたが、厳密には、外国拠点を置く研究者と言った方がいいだろう。日本大学で教鞭を執っている中国人日本史研究者はなんにも困らない。逆にうっかり日本学の専門家として英米大学就職しちゃった日本研究者は大変だ。また、日本研究する歴史家がなにも困らないというわけではない。日米関係歴史研究しようと思ったら当然アメリカに行かなければいけないし、国内政治だけを研究する場合であっても、日本政府公文書管理がザルすぎるせいで重要史料日本じゃなくアメリカにあるみたいな状況もありえるので……)

まり世界的に、自国研究する研究者にとってはあんまり困らないが、外国研究する研究者はめちゃくちゃ困る、という状況が訪れると思われる。外国研究者への配慮が、果たして自国公的施設デジタル化への強い圧力となるだろうか? 正直疑問だ。

資料を集めたり読んだりするのはその国の研究者に依頼する、というのはダメなの?現地に行く必要性がよくわからなかっった。

第1に、それ本国研究者に何のメリットがあるの? お金を払ってやってもらうとして、その人件費渡航費よりも安上がりだとはとても思えないんだけど…

第2に、史料の山に埋もれて色々探していく中でお目当ての史料を見つけるコツとか時代ごとの史料の特徴を見分ける目とか崩し字の読み方とかそういった歴史家としての技倆が養われるので、単純に他人に任せればよいという話ではない(「時代ごとの公文書形式の違い」みたいなのも当然論文テーマになるけど、これ書くためにどのくらいの史料読む必要があると思う?)。

ていうか、なんか勘違いされてるフシがあるけど、読んだ史料が全部研究に使えるわけじゃないからね。目録面白そうな史料があったか地方文書館に足を運んで閲覧してみたけど期待ハズレで全然使えませんでした、とか、膨大な史料の山を探しまわってようやく使えそうな史料の一群を見つけました、とか、何気なくパラパラめくってた史料の片隅にさり気なく重大なことが書いてありました、とか、そういうのあるあるなので。お目当ての史料だけ外人コピーしてもらえばいいじゃん! なんて夢物語しかない。

第3に、そもそも論としてなんで自分研究オリジナリティの源泉たる史料の入手を現地人任せにするのか。現地の文書館に通って現地人がちっとも注目してないけど重要史料を発掘したなんてこともあるわけだけど、そんな史料を現地の研究者にコピーさせられるわけないだろ、常識的に考えて……論文で発表するまで史料存在をひた隠しにするわ……(現地人が自力でたどり着く分には止められないけど、わざわざここにこんな重要史料がありますと教えてさしあげる必要はどこにもない)

日本史であっても一次史料海外にある日本キリシタン史では、史料アクセスハードルが以前から言及されていたのを思い出した。

なおアジアアフリカの旧植民地ではそういう状況がデフォルトの模様。日本史研究する日本人の歴史家は日本国内研究を完結させられる余地があるけど、インドネシア史を研究するインドネシア人の歴史家がオランダに行けませんとか、インド史を研究するインド人の歴史家がイギリス(ryとか、台湾史を研究する台湾人の歴史家が日本(ryとか、そういうのはマジで研究に支障が出るよなあ……

そもそも論だが、「日本人が」イギリス政治史とかドイツ経済史とかを研究する意義が不明。「現地の研究者に任せる」だと何故駄目なのか?

それな! ぜひ同じことをドナルド・キーンロナルド・ドーアケネス・ポメランツイアン・ニッシュJ・ヴィクター・コシュマンブレット・ウォーカーにも言ってきて!

2020-08-24

10年前、高校情報の授業でGIMPの使い方を教わった。

レイヤー概念を知り、とても感動した。

家のパソコンGIMPは入れられなかったので、代わりにPict Bearでめちゃくちゃコラ画像などを作りまくった。楽しかった。

次の単元で動画作りを教わったはずなのだが、そこの記憶は全くない。音声の速度の調節の仕方と、動画カット方法を教わったような記憶があるが、具体的には全く思い出せない。

当時の家のパソコン2010年代にもかかわらずwin98で、YouTubeニコニコ動画もとても見られるスペックじゃなかったし、動画には興味なかったのだろう。

今のwin10なら多分大丈夫だし、動画編集とかやってみたいなー。ニコ動とか見ていると自分でも上げてみたくなる。

せめて授業で用いていたソフト名が分かればいいのだが、ちっとも思い出せないし当時のテキストは捨ててしまった。

そもそも動画編集ソフトは何があるのか名前すら知らない。AviUtl だけ聞いたことある

調べるか。

2020-08-12

anond:20200812110948

ああなった原因ってやたら持ち上げてた人たちにあると思う

もちろん本人の資質もあるんだけど

宝くじ当たった人は金銭感覚おかしくなって人生が狂うみたいな

いやちょっと違うな

パパ活若い女に贅沢させて金銭感覚を狂わせてその後の人生が狂っていくのを見るのが楽しみーみたいな話ちょっと前にあったじゃん、あれよ

ブログ絶賛して承認を過剰に与えすぎちゃったせいで本人の承認欲求感覚を狂わせちゃったんじゃないかなあ

んで調子に乗っちゃって書かなくてもいいことまで書いちゃってああいうことになった

いまはもう普通承認では満足できない体になってるようなそういう感じを受けるよ

でそれって誰のせいっていうと持ち上げてた人たち全員のせいなんだよね

じゃあどうすればよかったのって言われると個々人の行動としては間違ってないから(いい記事を褒めるのは普通だよね)

どうしようもなかった気もするけどさ

川上量生とかもそんな感じだったよね

2010年代前半はネット全体好意的賛同を集めてたからそれで勘違いしてああなってしまった

過ぎたるは及ばざるが如しということなのかねえ

たんに器の問題かも

2020-07-28

最近未来って何年?

昔の未来って2010年代が多かったイメージだけど、2020年以降の未来が描かれた作品を見てない気がする

2020-07-20

オリジナルです」しか誇れるものがなかった

ずいぶん長い間一次創作文章活動をしている。

だいたい創作界隈というのは二次創作の方が賑わってて、同人誌と言えばエロ二次漫画というイメージの人も少なくない。その中でもイラスト漫画じゃない一次創作ときたらそれはもう手に取って貰いづらい供給過多のジャンルで、ちょっと検索すれば「小説同人誌は読んで貰えない」「小説同人誌は不人気」系の話題はぞろぞろ出てくる。

そんな界隈でファンタジーSF世界観活動してきた。これまた供給過多のジャンルだが、狭い界隈には狭い界隈なりの交流とか面白さがあって自分なりに楽しんでやってきた。別にプロになりたいわけじゃなく自分の書きたいものを書いて形として残すのが楽しいだとか、売れるかどうかじゃなく自分の頭で一から考えた世界作品にすることに意味があるだとか。

そりゃもちろん人気が出ればそれに越したことはないから、負け惜しみがなかったとは言わないが。人気絵師さんに挿し絵描いて貰ったりウェブ小説を見ていた編集者の目にとまったりとか妄想したことがないとは言わないが。

さて、オリジナル小説は読んで貰いにくいという話を最初にしたが、そんな状況は最近ではずいぶん変わったと感じる。オリジナル同人誌即売会と言えば40年近い歴史のあるコミティアだったが21世紀に入って文学専門の文学フリマが始まり2010年代から東京だけでなく日本各地で毎年開催されている。なろう・アルファポリス・エブリスタ・カクヨムなど小説投稿サイトも多数登場した。

そこに行けば「オリジナル小説を読みたい!」という読み手が確実にいるのだ。もちろん今でもオリジナルは読まない・読んでも漫画だけ・二次創作でも小説は読まないなんて人はいっぱいいるんだろう。でもウェブ小説オリジナルの)を読んで貰える場所は確実に広がった。小説投稿に特化しただけあって読みやすい&使いやすい&検索やすい&感想フィードバックやすい優れた環境が用意される時代になった。

そういう恵まれ環境がある時代素人ウェブ小説投稿きっかけにプロデビューするのが妄想ではなくなってきた。だって実際にデビューしてるし。書籍化タグがついた作品は本当に紙の書籍になって店頭に並ぶのだ。あの有名絵師さんに表紙とカラーイラストと挿し絵を描いて貰えたり漫画化やアニメ化されたりすることが本当にあるのだ。

そうやってウェブ小説というジャンルメジャーになっていくとその中にも流行があるのが見えてきた。中世ファンタジーが人気で純文学は不人気だろう、というようなイメージではなくもっと具体的に「平凡な俺が異世界に転生したがスキルを生かして英雄になる」とか「乙女ゲーの悪役令嬢に転生したので破滅エンド回避したい」が人気らしい、とか。その逆を張った「異世界に転生したけど一市民として平和に暮らす」とか「破滅エンドで追放されたか自由に生きる」も既に出現してる、とか。

流行ってる設定があるということは、同じような設定で書かれた作品がいっぱいあるということだ。いくつも読んでいくとこれ前も見たな……というシーンがどんどん目に付く。確かに登場人物世界観オリジナルでも流行ってる設定に乗っかって書くのに一次創作意味があるのか?と思った。

それがそのまま自分の身に返ってくることに気付いてしまった。自分の書いてるのは確かに流行パターンではない、でもファンタジーSFライト雰囲気冒険ものなんてこれまで山ほどあるじゃないか、と。流行り物に乗っからずに自分だけの世界を作ってるつもりでいながらオリジナリティなんて胸を張れるほどなかったんじゃないか、と。

正直、一次創作やってる人にはどこか二次創作を見下してる部分があると思う。あっちは他の人が考えたキャラ世界観を借りてるけどこっちは自分で全部考えた自分だけのキャラ世界観なんだぞ、と。どんなに稚拙でも売れなくても借り物じゃない自分作品なんだぞ、と。

でもオリジナル創作だって、すべてを一人で産みだしたわけじゃない。これまで読んできた作品の影響は誰だって受けているし、あん作品を創りたい!と思って創作を始めることは別に珍しいことじゃない。トールキンみたいにエルフ語自分作りましたなんて人は滅多にいない。

自分で考えた自分だけのオリジナル作品です!という看板には思ってるほどの権威なんてないんじゃないだろうか。どこかで見たような設定でも流行りまくってる二番煎じの設定でも読者は面白ければ読むし本は売れるし商業で出るしメディアミックスはされる。趣味から別に売れなくてもいいもんという話に戻るなら、大事なのはやってる本人が楽しめるかどうかだ。アマチュア自分の頭だけで一生懸命考えたつもりのオリジナリティなんて、そこでどれくらいの意味が持てるんだろう。

のもの借りてないからえらいなんてのは幻だったのかもしれない。

2020-07-16

anond:20200715223106

個人としての苦しみを語った元増田に対して

「無神経な部外者」「歪な自意識の強調」「下衆な魂胆」

思い込み憶測腐女子をはっきり攻撃してるよね。それに反撃したら「憎悪でぶつかっていくヤバい人」になるんだなあ。

そりゃ憎悪はあるよ、隠してもないし誰でも読み取れるでしょう。人をポリコレ気狂いか何かと勘違いしてんの?

もとは「( ´_ゝ`)フーン」と腐をかけたのが「腐~ん」だ

女性器呼びが発生したとすればそれより後のことだろう

「ま〜ん」の話はしてない。そっちは女性器呼びが広まったあとに作られたやつ(2000年代末期〜2010年代前半)。2000年代中期の同性愛板のログ見ればすでに「腐+女性器」で溢れてるから分かる。根拠も出さず「ことだろう」とか言ってないで調べるか、調べないなら絡んでこないでほしい。

もしかして「腐れ○○○」のことだろうか

追記をうけて)それもあるが、元の想定は違う。「腐○○○」で伝わるかな。こういう話題でその単語を書きたくないので分かりにくいのはこちらも悪かった。

IPアドレスでの追跡やら何やら色々あったんだよ当時は

IPアドレスと「追跡やら何やら色々」で腐女子かどうか分かる世界楽しそうですね。

はいはいルッキズムルッキズム

ああポリコレ気狂いはそっちだったかAV見る時とか大変そう。

そもそもゲイに絡みたがる~なんてどこから出てきたんだ?

あわよくば当事者の友人ができるかも、という下衆な魂胆もあったかもしれない。

女の投稿にばかり飛びつかずに元のゲイ増田も読んでやって。

大体ゲイが描いたゲイ向けのオカズ需要が集まっている

まさに数日前にゲイ雑誌が全滅してBLしか読むもんなくなったというゲイ側の一方的な都合でBLリアルゲイを出せと要求されてるんだわ。わざわざ同性愛板のBLスレまで出してるんだから都合の悪いことは見たくないなら議論に適さないから別の人と会話してて。

人気ランキングの類はすぐに腐女子が埋め尽くしていく

じゃあ腐女子よりもっと人目を引いて面白い投稿すれば?そっちと違って腐女子は男は増田から出て行けだのpixivから腐女子排除する運動だの一切やってきてないんだから。ってこういうやり取りも何度目かな。マイノリティは常に説明や訂正を強いられるってやつだ。

一部の?頭おかし腐女子自己主張激しすぎなんだよ

女性器呼びで殺害計画してても何も言われず、それに反撃したら「頭おかしい」「自己主張激しすぎ」という社会ならなくなってくれて構わないので今後も自己主張していく。


つかなんでこんな込み入った話に意気揚々ペラペラな俺理論だけを手に絡んでくるのかマジで謎。知識や知見があるならまだしもネット検索すらできないみたいだし。

元の投稿で私が書いたことそのまんまだよね。本質ゲイというよりヘテロ含めたミソジニー男性による女叩きで、女を見つけたら真っ先に涎垂らしながら近づいてきて構ってもらおうとするその性根なんだよ。ゲイ歴史的に被ってきた被差別属性という苦しみすら持ち合わせず、女を叩ける機会だからと無節操に乗り込んでくる、その性根。有害ゲイもムカつくが、一番の害悪は隙あらばゲイ腐女子も両方叩いて自分たち特権性に酔いしれてるヘテロ男性だよ。なにが人気ランキングだよ人権の話してんだよ舐めんじゃねえよ。

2020-07-12

anond:20200711005458

スローライフ系の流行もあっただろ。一時期題名が「〇〇ライフ」の作品ばかりがランキングに名を連ねた頃もあった。

ゼロ年代から2010年代はじめごろの話で、いわゆる書籍化ブームの少し前くらいだったので人気作品が数作書籍化したくらいであとは忘れられた感はあるが。

(人気作としてはネクストライフフリーライフドリームライフとか......)

2020-07-09

レジ有料化問題点

レジ有料化経済政策文脈で見たほうが良い。

バブルが弾けた1990年代から2000年代規制緩和時代で、民営化民間企業規制を解除することで経済活性化する時代だった。

それがネタ切れになった2010年代は逆に新しい規制や精度を作って新しい産業を生み出す方針

NISAなんかはその際たるものであるし、エコ環境産業もわかりやす名目が作れるので利用されがちだ。

レジ袋もその流れに乗ったものから環境がどうのというのは的外れで、少しでも消費を増やそうという流れの一貫。

--

ただ本来はもうそ時代も過ぎ去っていて、2010年代の失政によって経済が死に切った日本では消費だけを増やすのは更に追い討ちをかけているようなもの

世界的の潮流としても、新しい産業を生み出すための優遇政策や減税で市場を作っていくのが潮流なのに、いまだに時代遅れの新規規制経済を刺激できるなんて思っているからたちが悪い。

日本復活の芽はまだ、見えない。

2020-07-05

JK靴下の変遷

1990年代 ルーズソックス

2000年代 ハイソックス

2010年代 くるぶしソックス

こんな感じだろうか。

どれも良いが、またルーズ時代が来てほしい。

2020-07-01

anond:20200630233220

メディア文化最先端アメリカ人ハリウッドこそ至高という価値観ホルホルしてるところに、

実はJAP二次元特化で独自文化発展を遂げてたってところにぶったまげたのがブームだとして、

でも2010年代には既に出尽くしちゃったというのはJAP外人も感じてるだろね。

最近作品としてアビスや鬼滅、転スラ・ダンまち辺りはまだがんばってると思うけど、

ヒット・輸出が難しいエロゲはコアオタクの聖域又は遺跡になりつつあるね・・・ 

SF小説の表紙はなぜキャラ絵ばかりなのか問題について

論争の概要

 ・あるSF編集者自分担当したアンソロジー本(『日本SF臨界点』と『2010年代SF傑作選』)の表紙を掲載し、そのツイートが広くバズった。

 ・それを見てある読者が twitter で以下のような発言を行い、反響を呼んだ。


「なんでSF小説とかアンソロの表紙って漫画アニメ絵女の子ばっかなの?恥ずかしくて持ち歩けないんだけど。自らターゲット狭めてマーケット小さくしてる気がする。(中略)誰も彼も「売れるから」で思考停止している気がしてならない。」


それに対して当該編集者がfusseterで以下のような反論を行った。

・「女の子」に関して

 ・イラストレーターには『性別指定しない抽象的なキャラクター像』で発注したもので、『女の子』ではない,

 ・キャラクターであることそのものに対する違和感にしても、少なくとも現場ではそういうものにしようという意向ではなかった。


・「恥ずかしい」に関して。

 ・特に若年層ではキャラ絵が「恥ずかしい」と思う感性はあまりないはず。

 ・キャラ絵が想像力を狭めるということはなく、むしろ想像力喚起するもの


・表紙に対する意見について

 ・表紙を描くイラストレーターたちにも評判を気にして傷つくなどの感情はあるんだから、そういう人に届く危険認識したうえでSNSを使え。

 ・意見自体勝手にどうぞ


・「アニメ絵女の子ばかり」ということに関して

 ・事実として違う(SFマガジンの書評欄に見られる書籍の表紙を引き合いにだして)。


・今回の表紙の意図について

 ・なるべく広い読者層へリーチしてほしかった。


論点の整理と意見

二者間で応答された論点は以下のように要約される。

 1.なぜSF小説・アンソロの表紙はキャラ絵の女の子ばかりなのか

 2.キャラ絵表紙に対する「恥ずかしい」という個人的感情

 3.マーケティングとして、読者層を狭めてはいいか


1.は事実認識としては適当ではない。ただ、主観的不正確な感覚でも、その感覚が広範に共有されていればシーンに対する認識としては強度を持つ。

たとえば、読者の記憶に残りやすい「目立つ」コンテンツの表紙にアニメ絵率が高かった(ように思える)場合、多くのユーザーは「表紙にアニメ絵ばかり」という認識を持ち、関係するアクターやシーンの振る舞いもその認識に沿って動いていく可能性がある。


ハヤカワは伊藤計劃の『ハーモニー』『虐殺器官』の文庫化の際に、伊藤計劃作品アニメ映画キャラデザを務めたredjuiceを起用した。ちなみに表紙に、ではない。本をすっぽり覆うタイプのオビにイラストを反映させたのだ。実質的には「アニメ絵の表紙になった」とみなされても仕方がないし、事実そのように勘違いしている人も散見される。


シライユウコイラストレーションに対するファンダム記憶伊藤計劃百合SFと密接に結びついており、2010年代の「気分」を確実に決定づけていた。

シライユウコが表紙を描くこと」は他のイラストレーターキャラ絵寄りであれそうでないであれ)が担当するより確実にある種の指向性を帯びやすい。

どういう指向性か、と問われるとなかなか言語化しにくいが、このイラストレーター伊藤計劃の『ハーモニー』の単行本版の表紙を担当したこと、伴名練のデビューである少女禁区』の表紙を担当したことライトノベル作家短編が多く採られた『ゼロ年代SF傑作選』の表紙も担当し『2010年代SF傑作選』がその「再登板」でもあること、百合SFブームを決定づけた『SFマガジン』の百合SF特集号の表紙も担当していたこと、等々から鑑みて、「百合SF」に代表される近年のSF代表するイラストレーターとみなされうる、といったところだろうか。

もちろん、シライユウコ上記以外にも多くのすばらしい仕事を残している。ヤングの『時をとめた少女』など『2010年代SF傑作選』よりも「少女性」が強い絵も描く一方で、円城塔の『エピローグ』(単行本版)やヴァーリイの『逆行の夏』などのようなさほど「少女性」が目立たない絵もある。

しかし、世間でのイメージを決めるのは結局バズった仕事だ。

そうしたイラストレーターが表紙を担当することで、某評論家のいうように様々な出自トーンを持つ収録作のイメージを一つのカタにはめることになるのは否めない。それはイラストレーターの罪ではない。


日本SF臨界点』に関して言えば、伴名練が編纂するということで『なめらかな世界と、その敵』での「キャラ絵の人物がアップになっている表紙」が文脈的意識されているのだろう。

『なめらかな世界と、その敵』の収録作はジュブナイル的な色彩を帯びた作品が多く、表紙の選択はかぎりなくマッチしていたと思う。だがその文脈を発表年代も書き手バラバラアンソロに持ち込むのは(表紙を決めるのは編集者なので作家ではなく編集部として)作品群を「私物化」、あるいは領土化する行為として糾弾されてもしかたがない。


とはいえアンソロジー編集するのはひとつ創作活動でもある。DJのようなものだ。どんな作品を選ぶか、どんな順番で収録するか、といったことが作品個々の印象や読み味を大きく左右し、「一冊」のイメージを決める。その点で、表紙を「私物化」するのも表現の一部であるかもしれない。増田個人意識としてはアンソロの表紙もまた(アンソロ自体のコンセプトにもよるが)「私物化」されるべきと考える。

ハヤカワは伴名練という作家に過剰な文脈を背負わせすぎなきらいもあり、それはあまりよろしくないと感じるが、『日本SF臨界点』は伴名練の作品批評ひとつとして見なすべきではないか

アンソロ編纂するということはそのくらい暴力性を孕んだ行為なのだ。「埋もれた作品を発掘する」などといった無邪気な善性だけで成り立っているものではない。作品について一切指向性を持たせたくないのなら、表紙をつけず、amazon あたりで短編単位ひとつずつ売るしかない。


2.に関しては編集者の反応があまり噛み合っていない。「恥ずかしい」と感じることはどこまでも個人的感情なので、「若者には違和感がない」と反論してもあまり意味がない。発端となったツイートで「恥ずかしい」に続く文がマーケティングの話なので、マーケティングの話をされていると思ってもしょうがないというか、増田普通に読んでればそう取ると思うが。

また、編集者立場としてはイラストレーターを守りたい気持ちで「いや、恥ずかしくないんですよ」と反論したくなるのもわかる。表紙についての議論をすることに対してやや脅迫的ともとれる言辞をしているのも、そうした仲間を守りたい意識のあらわれだろう。その判断編集者として間違ってはいない。


ともあれ、その人が「恥ずかしい」と感じたならば「恥ずかしい」のは仕方がない。また、読者や作家にもそうした感覚共感する人々が一定存在するようなので、そうした心情を斟酌しないのはいかがなものかと思う。最低でも文面の上ではそうした消費者感情に向き合うふりくらいはしておくべきではなかったか

Twitterではよく「表紙が恥ずかしくて買えないとかガキか」という意見が目にされたが、そういうマウントの取り方もよくないと思う。


3.については(元の発言者は重要視していないとしているが)完璧に食い違っている。片方は「キャラ絵にすることでターゲットを狭める」と主張し、もう片方は「キャラ絵にすることでターゲットを広げる」と主張している。百合SFブームを仕掛け成功させたことや、この論争がそもそも2010年代傑作選』と『日本SF臨界点』が"バズった"結果生じたものであることを踏まえると、(編集者もまたマーケティングプロではないにしろ編集者側に理があるように思える。

SFというものキャラクター文化親和的なのだから、そっち方面から開拓の読者を拾った方がよいと判断するのは筋が通っている。「キャラ絵で買わない新規消費者」より「キャラ絵がついてることで買ってくれる新規消費者」ほうを多く見積もっているのだ。興味を持ってくれる読者層を有効開拓してこなかった業界の怠慢を一挙に巻き返そうとしている節はあるにしろ


ある一定の方向へ突出しすぎている表紙を出すことでそれ以外の読者を切り捨ててしま可能性はある。たとえば、ライトノベルの表紙絵はキャラ絵を好む読者以外へのリーチをハナから諦めている。キャラ絵を用いてる点では『臨界点』と変わらないが、よりパラメータがいわゆるオタク寄りに調整されている。最近スニーカー文庫ハルヒ角川文庫から再発されるにあたり、有名ないとうのいぢの表紙から実写を用いたいかにも一般向けの表紙へ切り替わったことがあった。これは「キャラ絵を切り捨てる層」への訴求を試みた例だろう。

ハルヒのメインターゲットであった層を掘り尽くしたので、本来ターゲットにしていなかった層も掘る余裕が出てきたのだ。メガヒット作ならではの展開といえるだろう。


キャラ絵を用いた表紙と、写真を用いた表紙。

間口を広く取れるのは後者だ。特定の層により訴えるのは前者だ。

どちらを取るかは出版社戦略次第だ。ハヤカワが大手より体力の低い中小出版社であることも考慮にいれるべきかもしれない。


だが、特定の層に訴えるマーケティングときにその層に含まれていないと感じた消費者への疎外感を生じさせる。そのことには出版社自覚的であるべきだろう


より個人的感想

個人的感想をいえば、シライユウコ絵が「マンガアニメ的絵」だという意識はあまりなかった。林静一から中村祐介に至るイラストレーター系譜(もちろん彼らにくらべたらややまんが的ではある)に連なるような存在として認知していた。

臨界点』のイラストもそこまでキャラ絵として意識していなかった。「恥ずかしい」と感じられるキャラ絵とは、それこそライトノベルの表紙絵くらいのレベルだと思っていたのだ。

たとえば、『臨界点』がライトノベル的な表紙であったら、増田も「切り捨てられた」と感じたことだろう(それはそれとして本を買いはする)。

こんなことを萌え絵に対して不感症になっている典型的日本人の謗りを受けそうであるし、実際そういう面も否めないのだろう。増田はよくTwitterで論争になる公共の場所で広告に使われる萌え絵について「恥ずかしいだろ」と(その是非とは別のレイヤーで)思ってしまう人だ。本当に「恥ずかしさ」の基準はひとそれぞれだなと思う。

今回話題になった表紙が即女性に対するオブジェティフィケーションにつながるとは思わない。

一方で、キャラ絵を用いたSF小説の表紙が女性という表象にまったく何も背負わせていないとも思わない。本人たちが意図するしないにかかわらず、文脈的には「百合SFムーブメントを作り上げた編集者」が、「伊藤計劃百合SFSFマガジンの百合特集号の表紙を描き、百合イメージが強いイラストレーター」や「百合SFムーブメントの一翼を担った新進作家」と作ったものなのだ。人はそこに「少女」を見る。その「少女」は私たちの築き上げてきた「少女」のイメージを背負っている。そこに無自覚はいられない。

私たちはどのレベルの「恥ずかしさ」で合意するのか。SFという貧しく狭い領域マーケティングコンプライアンスをどう天秤にかけていくのか。

今はまだ問いの出ない問題だ。作家しろ編集者しろ読者にしろ、一個人ではどうにもならない問題でもある。

だが、他人の感じる「恥ずかしさ」を「時代遅れ」と切り捨てることなく、あるいは読者同士で向き合うことで、ある方向へ流れていけるかもしれない。そこから先は、未来の話だ。作家たちの語るべき領域だ。


余談。あるミステリ作家が「消費者意見に対して真剣に向き合わず、味方を囲い込んでる」と例の編集者にキレてブロックしたことについて。むしろ、fusseterの文面ではTwitterでの論争の不毛さに触れているように、犬笛にならないように注意を払っているように感じた。よくやるように擁護ツイートRT連発みたいな行為にも走っていないし。

個々のフォロワーたちが発言したり群れたりするのは止められないだろうし、それを「味方を囲い込んでる」ように見えたとすれば、多分に先入観が強い。

意見に向き合え」というのはその通りだと思う。本人がおそらく可能な限り真摯に向き合っているつもりなのはfusseterで重ねられるエクスキューズからも読み取れるが、だとしても人はどこかで何かから目を逸らしてしまものだ。当事者になればなるほど防衛機制は強まる。ただ例の編集者自分に対して意見を言ってくる人を尽く敵と見做して戦争しかけるタイプには見えないし、あの作家の言うことなら無碍にはしないはずなので、ブロックする前に意見交換を行なって互いの認知を均したほうが幾分有益であったはずだ。

この問題については意見を出してる作家業界関係者でさえ恐る恐るというか、批判しろ擁護しろ通り一辺倒のことしか言っていない印象がある。

その穏当さが党派的な対立を強めていはしないか業界トピックとして捉えるなら、公の場で作家同士でもっと突っ込んだ話し合いを行うべきではないのか。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん