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2020-09-04

精神的に不健康作品コンテンツについて考えてみた

アブラハム・マズローの書いた『完全なる経営』(日本経済新聞出版 大川修二訳)という本を読んだ。

その中では、精神的に健康人間というものが語られている。平たく言うと、自己実現できる人のことだ。

自己実現とは、本に書いてあった内容によると、こんな感じの人だ。

・今の状況をありのままに捉え、不確実な状況でも耐えることができる

創造的やユーモアがある

自分自分に関わる人間幸福を願う

・夢中になれる物がある

自分能力を惜しげなく発揮している

この対極にあるものとして、精神的に不健康人間についても述べている。

本文の中で、精神的に健康人間と不健康人間が対比されている描写は以下の3つだ。

相当高い発達段階にいる人間は、破壊よりも創造を好むものだ。創造する喜びは破壊する喜びよりも大きい。

ただし、破壊する喜びは確かに存在するし、そのことは看過されるべきではない。とりわけ破壊から強い喜びを得るのは、発達段階の低い人間、つまり神経症患者、未熟な人間衝動コントロールできず無意識的に行動を起こす人間サイコパスなどである。 P.63

彼は予想外の事態に直面しても怖れる気配を見せない(強迫観念にとらわれた硬直した人間は、予想外のできごとを怖れる)。創造的な人間にとって、計画とは先に進む道を探すための足場以上のものではなく、それゆえ、後悔や不安をともなうことなく、やすやす放棄することができるのである。 P.319

どのレベル動機づけによって生きているかを判定するには、さまざまな方法がある。たとえば、どのようなユーモア面白いと感じるかによって判定するというのも、その一つだ。低いレベルで生きている人間は、敵意のこもった残酷ユーモア――老女が犬に噛まれる話や精神遅滞の子どもが他の子たちにいじめられる話など――を面白いと感じる傾向にある。リンカーンが示したようなユーモア――哲学的教育的なユーモア――は抱腹絶倒するような類のものではなく、むしろ微笑を誘うものであるが、これには敵意や征服といった意味合いがまったく込められていない。このようなレベルの高いユーモアは、低次の欲求レベルにとどまる人間からは、まったく理解されないものである。 P.367

この3つの中で、一番下が気になった。

精神的に不健康人間は、残酷作品が好きらしい。

それって、どんなコンテンツだろうか?自分もこれまでに楽しんだことがあるのだろうか?

気になって考えてみた。

以下は、私の主観で選んだ『精神的に不健康人間が好きなコンテンツ』だ。

あなたが好きな作品があったらごめんなさい。



漫画

1980年代後半~1990年代前半までのCLAMP作品

 この頃のCLAMPトンガっていた。今の作風からは信じられないほど『精神的に不健康コンテンツ』だったといえる。個別作品ネタバレはしないので安心してほしい。

 人間の手足が千切れる、〇〇の頭部をもぎとって〇〇に見せる、これまで信頼していた人が裏切って主人公ボコボコにして作品完結だったり、自分部族が皆殺しになるのを割と涼しい顔で眺めている〇〇がいたりと、今に比べれば殺伐とした作風だった。(※もちろん例外はある。「CLAMP学園探偵団」「20面相におねがい!!」「学園特警デュカリオン」など)

 このような作品商業誌で描くということは、当時のCLAMP精神的に不健康人間の集まりだったのか?と私は思った。

 そのとおりだと思う。

 CLAMPに関する情報を集めれば集めるほど確信を深めるようになった。どんな情報を集めたかは言わない。彼女達の名誉を傷つけるおそれがあるからだ。あの〇〇〇〇〇〇を作った奴はどこのどいつだろう。訴えられればいいのに。

 CLAMPが今のように精神的に健康コンテンツを作るようになった境は、『魔法騎士レイアース』『カードキャプターさくら』の辺りだと思う。

 この頃からCLAMP作風が急に丸くなる。魔法騎士レイアースシリアスな場面が多いが、これまでの作品に比べれば緩い。ギャグも多いし、家族同士の愛情恋愛もしっかり描いている。

 ※もちろん今でも殺伐とした物語を描くことはある。BLOOD-Cが好例だ。

 作品内容がジェノサイドな方向に行ってしまうというのは、何もCLAMPに限ったことではない。他の有名漫画家にしてもそうだ。それは雁屋哲だったり、板垣恵介だったり――眉月じゅんのような若い作家でもそうだ。

 初期の作品というのは、どうしてもそういう方向になってしまう。それは、自分がこれまでに受けた苦しみや、社会への恨みや、一発当ててやるといった決意がそうさせるのだろう。

 漫画家として食っていける人間というのは、若いうちは苦労しがちだ。サラリーマンに適合するタイプ人間ではないので、学校で仲間外れにされたり、いじめられたり、日陰の存在になりがちだ。

 そんな環境の中で作品を描く力を磨き上げた人間というのは、自分を虐げてきた社会に対する不満を創作活動を通してブチまけてしまうのかもしれない。

 あくまで推論に過ぎない。デビュー作品も、今の作品殺伐とした雰囲気が少ない作家もいる。大御所だと高橋留美子だ。あの人の作品は、初期の物も今の物も人間愛に溢れている。

 一般的には、一山当てて名前が売れたり裕福になったりすると、作品内のグロテスクな傾向は薄まっていく。

 精神的に不健康状態から精神的に健康状態になるのだ。

 名前が売れると承認欲求が満たされるし、印税が入って裕福になれば、食事旅行ファッションに、いろいろと楽しみ放題だ。

 「恒産無き者は恒心無し」という故事があるが、まさにこれを地で行くのが人間の性だと思う。

 以上は、ほとんどの創作者に当てはまる傾向だ。若い頃に殺伐辛辣ジェノサイドを描いていた人が、有名になるにつれて人間同士の繋がりを大切にした作風に変化していく。

アカメが斬る!

 ここでは個別具体的な作品を扱う。ネタバレはしないが作品の感じは伝わってしまうだろう。

 2010年から月刊誌で連載が始まった作品で、2014年アニメ化された。原作タカヒロだ。

 この物語のいったいどこが『精神的に不健康』なのかというと、

グロテスクなシーンがよくある。身体の欠損や理不尽な死は基本。

②読者に残虐なシーンを読んでもらうことを目的とした話がある。特別編の3人娘など。

グロ以外にも人権を軽んじる描写多数(特に女性田舎者に厳しい世界だ)

 こちらのタカヒロ氏は、ほかに勇者であるシリーズex結城友奈は勇者である)を手掛けている。この作品も、真面目でいたいけな少女を痛ぶることで読者や視聴者プレイヤーを楽しませることを目的ひとつとしている。

 人は、一体なにが原因でこのようなコンテンツを考えつくのか?

 ストレスにほかならない。生きていることが苦しかったり、面倒くさかったり、人が憎いと思ったり――そんな観念が繰り返し脳裏に浮かぶ度に、その邪悪な何かを外に出そうとする。あるいは、他者を自らの仲間にしようとする。

 タカヒロ氏のインタビュー記事可能な限り読ませてもらった。記事内では、常識的言葉作品をPRしているように思える。しかし、毒がある。不満であるとは言明しないものの、コンテンツに関する何かに対して、さりげなく毒を吐いている。

 さりげないから目立たないだけで、さりげなくない表現を使うとコンテンツ関係者ケンカを売っていることになる。そんなインタビューひとつ以上あった。

 精神的に不健康コンテンツを作るのは悪いことではない。それが面白いという人がいる限り、価値あるものだ。

 私も昔は、そういうコンテンツが好きだったと思う。でも、大人になるにつれて、社会で果たす責任が大きくなっていくにつれて、精神的に不健康コンテンツよりも、心を健康してくれる、浄化してくれるコンテンツが好きになっていった。(一例として、のんのんびよりニコニコ動画再生数を見てもらえれば、私の言っていることが伝わると思う。ニコ動で一番売れている有料アニメだ。あれから一時的無料期間があったので今は判然としないが、当時は少なくとも1話あたり3000再生は売れていた)

ゆっくり虐待

 精神的に不健康コンテンツの最たるものだ。

 2010年代の前半辺りが最盛期だったと思う。当時は、ふたばチャンネルニコニコ大百科pixivなどにゆ虐のイラスト漫画を上げる絵師がいたり、ゆっくり虐待小説を専門に投稿する掲示板があった。

 このコンテンツにおいて示唆されている行為は何なのか?ゆ虐の作品を何度も覗いたことのある方ならお気づきだろう。

 人間虐待だ。

 ゆっくりというのは、愚かな人間メタファーだ。そのメタファーを痛めつけたり殺したり、漫画という形で傍目から眺めることで精神的に不健康人間欲求を満たしている。

 精神的に不健康人間はこういったコンテンツを好む。一言でいえば、人権侵害をテーマにした作品や論評や意見を好む。

 同じ時代でいうと、mixiニュース引用日記だ。ニュース引用して記事を書くことができ、投稿すると下にある引用記事一覧に載る。

 今は廃れた光景だが、障がい者生活保護受給者ホームレスタクシー運転手教師公務員などを扱った内容がmixiニュースで取り上げられる度に、心無い誹謗中傷を述べた日記投稿するのを楽しみとする人たちがいた。

 障がい者事件を起こすと「殺処分せよ」、生活保護受給者不正問題になると「貧乏人は死ね」、タクシー運転手が客とトラブルになると「タクシー運転手社会の最底辺」など、差別の例としては完成され尽くした日記投稿する層が一定数いた(しかも彼らは連帯を組んでいる。反論コメント徒党を組んで煽ったり馬鹿にすることで潰す)。

 一番ひどい例だと、東日本大震災が起こった際に、携帯電話絵文字津波に流される人々をアスキーアート風に表現した日記投稿する人がいた。その人自身も、心に問題を抱えているように思える文調だった。

 mixi運営も、一定数の通報が集まるとそういう日記を削除し、ユーザーアカウントも凍結していたようだが、さほどの効果はなかった。

 こうした人権侵害を行う人に共通しているのは、「社会に恨みを持っている」ことだ。

 私が観察したところ、上記mixi日記の数名の投稿者は以下のような環境にあった。

・幼少期に親から虐待を受けている

・夢に破れて外国から帰ってサラリーマンをしている

いい大学を出ていい会社に入ったものの、嫁が公然浮気をしていて、でも子どもいるか離婚できないという葛藤を抱えている

 とにかく強いストレスに晒されている人たちだった。



アニメ

・該当する作品について

 公衆放送アニメでは該当がひとつもない。

 ※後日追記 強いていえばBLOOD-Cだが、あれはどちらかというとシュールギャグアニメなのでは・・・?という印象がある。

 なぜかといえば、公衆放送なので当たり前なのだが、人権侵害コンテンツなど流せるはずがないからだ。

 上記で挙げたアカメが斬る!についても、だいぶマイルドになっている。

 アニメ企画する会社や、アニメ制作スタッフらが自主判断グロシーンをマイルドにしたり、描写自体をなくしている。

 あの3人娘は死なない。むしろ最終回生存描写がある。この改変には痺れた。原作者が精神的に不健康人間であっても、スタッフには良心があったのだ。

 CLAMP作品もそうだ。初期の作品である『X』には、地震ビルなどが倒壊し、多くの人が犠牲になるシーンが幾つかある。グロシーンも多数だ。

 こういう描写問題になり、漫画版のXは最終回を迎える前に編集から強制ストップがかかった(もちろんCLAMPは続けたかったらしい)。

 アニメ版はだいぶマイルド描写になっている。残酷なシーンはあるが、気持ち悪さを感じるほどではない。放送コードの力は偉大だ。

 ※劇場版は見ない方がいい。比較にならないほどグロいので。

 昔のアニメだが、まだ配信されている。興味のある方はぜひ。

 今回はこれくらいで。

 需要があるようであれば続きを書きます

 小説編と、ゲーム編と、あと何かを予定している。

2020-08-04

自分が思ってる自分創作に対するスタンスと、実際の自分創作スタンス齟齬がある気がしたから整理する。

個人的な話で読んでもなんのためにもならない。


私……生まれた時は夢豚だった腐女子夢小説デビューは某ジャンプ漫画。腐デビュー某国漫画

   昔からマイナーが好きになりがち。国漫画推しカプは露×冬将軍。ここから茨の道は始まっていた。

 小学生時代個人サイトで某ジャンプ漫画夢小説を連載してた。このころ閲覧者は0~2人くらい(多分)

 中学時代:見切り発車の連載だったから連載夢の着地点がない事に気づき始める。サイトで男同士の小説も書き始める。この時は腐という存在を知らず。

      →中2か中3の時にサイトを閉める。

  このころ位までネットの向こうに人がいるっていうのをあまり意識していなかった気がする。だから純粋小説を書いてサイトに上げるって行為を楽しんでた。

 高校時代支部活動を始める。(おそらく)初めて投稿した小説ブクマ12くらい。非公開だけど作品一覧に残ってる。

  このあたりでツイッターを始めてネットの向こうに人がいるって感覚が強くなったと思う。

 現在支部活動しつつ、時々同人誌を出す。今の主ジャンル(Aとする)で初めて同人誌を出した。20冊捌けないレベルの弱小サークルものによっては10冊でも半分くらい余ってる。

    Aの最新作のブクマは5くらい。最盛期はブクマ400は超えた。


私が小説を書くのが下手ということに関してはまったく異論がない。

でも、たまにメジャージャンルにハマった時はランキングの後ろの方にくらいは入るし、ブクマ1000を超えることもある。つまり、目も当てられないほどではないはず。

ブクマ数閲覧数はハマったものの規模の差でしかないと思って、今まで気にしていなかった。と思っている。

ここからが本題。

最近、超でっかいジャンル(Bとする)の小説息抜きに書いて上げた。そしたら長らくAで考えられなかったくらいブクマされた。

コロナで外出を自粛してるのもあってここ半月くらいでハイペースで色々上げたからそれのブクマ数、文字数コメント数を一覧にしてみる。

・Aの腐(約5000字)…ブクマ約5、コメント0(5日で)

・Bの夢(約1万字)…ブクマ約150、コメント1(1日で)

・Bの腐(約8万字)…ブクマ100、コメント7(1週間で)

参考に

・Aの腐(約6万字)…ブクマ約50、コメント0(半年で)

Bの夢>Bの腐>Aの腐って順に需要があるんだなって気づいた。

あとは8万字は長すぎて読む気が起こらないのかもなとも思った。でも、感想はたくさんもらえた。普段はもらえないのに。

二次創作関係なくジャンルだけで考えるとAの方が好き。やっぱり主ジャンルはAだと思う。

でも、次回作を書こうと思うのはB。


私は書いて投稿するだけで満足するタイプだと思っていたけど、そうではないっぽい。厳密にはそうではなくなったらしい。

中学のころまでは見られるとか評価されるとかは考えた事がなかった。

でも、今は評価されて感想までもらえるBの方を書こうとしてる。ジャンルのものはAの方が好きなのに。

しかも、8万字書いてブクマ100のBの腐ではなく、1万字でブクマが150もらえるBの夢の方。夢は腐ほどピンとこない。ピンと来ないのに手軽に褒めてもらえるから書こうとしてる。

内的動機づけがいつの間にか外的動機づけに変わってるのだ。


外的動機づけデメリットは主に二つ挙げられる。

①設定した目標に対して手段を選ばなくなることがある。

目標を達成した時に満足してその先がない。

もう既に①に陥っている。大好きという理由じゃなくて手軽に評価がもらえるからという理由で書いている。

目標特にいから②はないかもしれないけど、評価をもらえなくなったら筆を折るかもしれない。もしくは175みたいな存在になってしまうかもしれない。今はギリギリ、好きだけど一番ではないジャンルを書いているで収まっているけど。

この先も健全同人活動を続けるにはこの状態をなんとかしなければ危ない。


ずっとメジャーできゃっきゃうふふできるんならいいんだろうけど、私が好きになるのは大体マイナーから外的動機づけを求めると絶対につらい。楽しいのはたまたまメジャーにいる今だけだ。

BですらハマってるCPはBの中のマイナーCPだ。他のPCと比べると圧倒的に作品数が少ないし、ランキングでこのCPはほとんど見たことがない。

やっぱり今の状況ヤバいよなーという客観視ができたところで結論とする。

2020-07-30

anond:20200730122523

んじゃ実際金以外の動機づけでうまく機能してる例はあるのか? って言ったら今のところないわけなんよ。

そういうのは「金欲しくないですか?」「いらねぇ」って人間国民過半数超えてから言えって話でも有る。

2020-07-25

anond:20200725161601

お前が思う普通反論方法じゃないからって文句言われてもな…

人権無視とか言ったって、本人だって人権なんてことはわかっていて、非常に稀な素質を持つ有益人間について人権を停止してもいいんじゃないかってところから始まってるんだから人権重要性をいくら指摘したところで平行線だろうよ。

「どの業界でも遺伝子トップを決める」と思っていて、かつ、「国が配偶者を決めることで遺伝子コントロールできる」と思っていて、かつ、「国にとって有益天才配偶者を決める事は許される」の3つがそろって、初めてああいう考え方になる。 最後の、許されるかどうかの倫理的問題については指摘しやすいからみんな誤ってると指摘してるが、それ前の2点についても誤りだからね。

3つとも誤ってるので、野田洋次郎理論おかしさに反論するためには、一つ一つ反論していかないと。

業界トップ人間は才能もあるが努力動機づけが果たす役割も大きいという研究もあるし、国が配偶者を決めたところでうまく次世代にその分野の天才が生まれて来るとは限らない。

2020-07-13

anond:20200713164308

投票お小遣いくれる制度を作って維持してるのは現政権

次の政権が同じことをしつづける保証はないか

政権投票する動機づけになるじゃん

2020-07-09

承認評価二面

はじめに

最近創作主に感想を送るか否か、送られてどうだったか、送られなくてどうだったか、そんな感じのテーマについて語る増田が多い気がします。

というか、この手の話題創作活動をする人にとって極めて身近なものなんじゃないでしょうか。現に、増田で見かける前、Twitterでも何度か見かけた内容だったから。

エロ絵は伸びるのに、他が伸びないと嘆く萌え絵描き。一次創作をメインでやりたいけれど、どうしても版権の方が伸びがいいことに悩む創作主。

ジャンル覇権・あるいは王道カプだったときと現ジャンルでの反応のギャップ

多分、男女問わず評価多寡は気になるところなのかもしれない。個人差はあるけど。

でもなにより、ギャップダメなんじゃないかって私はにらんでいます

創作主は一度自分がたくさんの人(主観)から評価され、承認されるという経験を果たし、それ以降何故だか筆が乗らなくなる。

評価が得られそうにないジャンル作品はどれだけ好きであっても描(書)くのがおっくうになる。

前作の評価を超えられないんじゃないか、期待に沿えないんじゃないかと、全く文章が、構図が作れなくなってしまう。

ああ、これアンダーマイニング効果だ。風呂入りながら、ふと思い当たることがあったんです。

アンダーマイニング効果とは

これを説明するにはまず、人が何故行動に移すのか、その原因についてお話しする必要があります

人が行動に至るための動機づけは大きく分けて二つ。

一つは、内部から沸き起こる興味・関心を満たさんとする内発的動機づけ

二つ目は、外部環境から与えられる報酬を求めて、あるいは罰を避けようとする外発的動機づけ

具体例として勉強を使わせてもらいます

内発的に動機づけられて行われる勉強というのは、勉強の内容そのものに興味を持っている状態ですね。

人体ってこうなっているんだ!この公式使うとなんですぐ解が出るんだろう。昔の人の考えることを知れるって面白いなあ。

内発的動機づけは非常に有効動機づけでして、高い意欲をもって行動に取り組むことができます

結果、それがよい成績に繋がったり、広く深い知識の獲得に至ったりするでしょう。

一方、外発的動機づけというのは、良い成績取るとお小遣い上がるから先生に褒められたいから、悪い成績をとると怒られるから、恥ずかしいから……etc.

結果行動に至れば悪くはないかもしれません。しかし、意欲は低いです。だって勉強のものに対する意欲より、報酬や罰に意識が向いているから。

アンダーマイニング効果とは、もともと内発的に動機づけられていた人に外的報酬を与えてしまうことで起こる現象です。

例えば好きで勉強をしていた人に、~位に入ったら欲しがっていたゲームを買ってあげると約束します。

無事、その順位以内に入り彼は念願のゲームを手にします。両親にとっては、いつも頑張る彼に対してご褒美のつもりなのです。

しかし、そういったやりとりが繰り返されるうちに、彼の中にあった勉強への興味関心は薄れていきます

勉強をすることは良い成績をとるため。良い成績をとることで好きなものが買ってもらえる。勉強は彼にとってほしいものを得るための手段に成り下がります

内発的動機づけがもともと高かった人に安易に外的報酬を与えてしまうことは、本来の内発的動機づけを低める効果があるのです。

振り返ってみると

最初は確かに楽しいだけで、書(描)きたいだけで周りの目なんか気にせずやってこれた。

多分この時期の人って評価の数なんか気にならないんですよね。

仮に評価数少なくても、拙作をこれだけ見てくれた人がいるんだなあって思えるんですよ。あるいは、次はもっと頑張るぞ!とかね。

この時点でもすごいんですよ。大体周囲を見渡せば才能に満ちた人ってたくさんいるわけじゃないですか。

自分と比べては、勝手に自滅していく人も多いから。はい。私もそのタイプでした。

でも、ある時転機が訪れるんですよ。たまたま、一気にどーんって評価がつくんです。

あれ?何かの間違い?ってくらい。感想とかももらえちゃったりして。

そしたらふつうすっごく嬉しいですよね。でも思えばきっと、これが魅力的な外的報酬だったんでしょうね。

彼ら・彼女らにとっては、その時点まで確かに、絵を描くこと・文章を書くことそのものが好きなはずだった。

でも、その魅力を上回るほどの評価承認経験し、味をしめてしまった。

創作はもう、その人たちにとっては、評価を得るための手段になってしまっているのかもしれない。

そのことに気づきながらも、戻りたくて、戻れないのが現状なのかなと、それは苦しいなあと、ぼんやり思いました。

最後

いつだったかな、Twitterで誉め言葉は塩水だって言ってる方がいました。

自己肯定感が干上がって乾いた心に、水はすごく沁みますよね。けれど、その水に塩が含まれていたら、またすぐに心は渇いてしまう。

次の水を、誉め言葉を求めます。けれどどんなにもらったって、心が本当に潤うことはなく、ずっと満たされない心を抱えることになってしまます

これは趣旨から逸れたかもしれませんが、増田に対して「そんなに承認もらっておいて贅沢言うな」みたいなことを言ってる人を見るたび、薬にばかりにはならないよって思うんです。

評価承認も、自分を認めるためのツールの一つであるのには間違いありません。

感想をもらえることで、次への創作の意欲にしてくださる方もいらっしゃいます。(私は完全に衝動のまま感想を送ってしまう側の人間なのでそのスタンスはとても有難いです)

ただ、評価承認感想も、そういったものを歪みなく受け取るには、その人の土台あってこそです。

完全に蛇足

蛇足ですが、エンハンシング効果というものもあります

こちらは、内発的動機づけの低い人に対して外的報酬を与えることで内発的動機づけを段々高めていく現象です。

まあ、好きな人につられてスポーツに打ち込んでいたら、いつの間にかスポーツのものを好きになっていたみたいなやつです。

結局、評価承認も、使いようってことです。

こういう普遍的現象にきちんと名前がついているのを見るとなんだかうれしくなります。蛙化現象という名前を見たときと同じような快感がありました。

まるで視界が開けるような。昔の人、すご~~~~~~~~い!!!!!!

2020-05-29

行動変容の摂理

“増税でなく景気回復による税収増を” 麻生副総理兼財務相 | NHKニュース

西欧システムしろ自然環境しろ

かに自分適応させるのは得意でも

自然もつ理不尽さ、体制の不合理さに抵抗して

新しい世界提案し、システムを構想するのは苦手。

ここに、この社会の特徴がある。

西欧社会は、なにがなんでも特定ウイルスターゲットにしたワクチン開発だという発想。

本庶先生がこないだNHKBSのテレビで討論していたときに、

ああ、ものすごい日本人的な発想だと思うような発言をしてなるほど~と思ったのは

根本的な抵抗力をつけていく、そういうワクチンの考え方もありうると。

討論会では一蹴されて誰からフィードバックがなかったけれどね。

東京都ファックス感染者数カウント間違うとか、

オンライン申請、結局中の人が手作業なので、挫折とか

日本はICT20年遅れているのを痛感する日々だったが、

根底にあるのは、不条理発見して対処方法を考えようとする姿勢が欠けているんだと思う。

カミュ小説ペストで描かれる、あの圧倒的な【不合理に抵抗する我々】の感覚。ああいうのは日本には全然ない。

日本ロックダウンに踏み切れないのは、法制度だけの問題じゃなくて、

そもそも抵抗する気がないという動機づけが大きい。

自然災害とも疫病とも摂理として付き合ってゆくしかないというところで落ち着く。我慢強さもそこからまれる。

疫病とハザード、似た言葉でも全然違うんだろう。

2020-05-21

anond:20200521134942

結果論としてやむなしと思うが、本来は前々から出すことがわかってる奨学金に成績順で出す金額についての条件を付けておくべきだとは思うね。

前々からわかっていれば奨学金を取るために勉学に励む。3割だったらしっかり勉強すれば狙える点数だから留学生全体の底上げにつながる。日本人大学奨学金は3割ぐらいは学費無料+少し生活費支給するぐらいにするべきだと思う。

今回のは不意打ち気味なのが良くなかったとは思う。不意打ちだからその奨学金を取るために成績向上を狙うという動機づけが働かない。

ただ今回は「苦境状態にあることを救う」だから全員に出しても良かったんじゃないかとは思う。

2020-04-25

anond:20200425151246

そういう動機づけがなくても日常的にスクワットやるような人じゃないと買ってもすぐに部屋の肥やしになる

2020-03-30

オーバードーズ自分意識を消す魔術

なにか自分に都合が悪いこと、直面するのがとても恐ろしいことが起こった時。私たちはそれに対峙するか、逃げるという選択肢を採ることができる。

たとえば自分不祥事当事者になった時に、周囲からの追及を逃れようとして、雲隠れしてしまうことも逃避の一種だ。

だが、どこにも逃げ場がなくなった時にはどうすればよいか

自分自身を消せばいい。

より正確に言えば、自分自身の意識を消せばいいのだ。

河井案里参院議員救急搬送 薬を多量に服用

https://mainichi.jp/articles/20200330/k00/00m/040/093000c

自分自身の力で世界を変えることができないのなら、怖れの苦しみを逃れる手っ取り早い方法は、それを感じる意識を消すことだ。

どこにも逃げ場がなくなって、服毒自殺を図ったり、睡眠薬等のオーバードーズを起こすということは、自分自身の情動をやりくりするための戦略だ。それは魔術じみた子供だましに周囲からは見えるかもしれないが、本人にしてみれば、立派な戦略なのだ

そんなことを言ってた哲学者がいなかったけか。サルトルだったと思うんだが。

誤訳してたらスマ

La multiplicité des conduites émotionnelles

Suivant les formes prises par l'émotion, la transformation revêt des formes différentes : l’anéantissement des objets (et parfois de la conscience) pour la peur, l’uniformisation de la structure du monde pour la tristesse passive. Le moteur de l’évasion est l’impossibilité de confronter un objet dans le premier cas ou d’adapter les moyens face à la disparition d’une des conditions de l’action dans le second.


情念的な行動の複数

情動が採る形態によって、変容は異なる形態をおびる。怖れにたいして、対象の無化(時には意識の無化である)、受動的な悲観にたいして、世界構造の画一化といったように。逃避を動機づけているのは、まず、対象対峙できないこと。さらには、行動するための条件が無くなってしまった状況に適応する術を失ってしまうこと。

http://www.cnam.fr/servlet/com.univ.collaboratif.utils.LectureFichiergw?ID_FICHIER=1295877018192

2020-02-28

わーわー言うとりますが

玉川

早期検査をするメリットですね。

まず一番。

いまおっしゃっていただきましたけども重症化を防ぐという。

今回取材をしてわかったんですけれども、例えば、いまアビガンって言う薬が注目されてますね。

インフルエンザの薬というふうなことで、限定的な認可された薬なんですけど。

ちょっと副作用心配等があるので他の(抗)インフルエンザ薬が全部効かなくなった時には使いましょうと。

インフルエンザ薬がもう無理だ」ってなったときに使いましょうってことで備蓄されてたんですけども。

このアビガンっていう薬もやっぱり早期、軽症の段階で使うということだと、軽症者を治す効果があるんじゃないかというふうに今言われてて。

で、これから治験が始まるのでまさにこのアビガン使うとしても軽症の段階で使わないとやっぱり意味が薄れてしまう、というようなことですね。

それからレムデシビルなんですけど。

これも中国なんかではもういま治験が始まっているんですが。

これはもう一つその肺組織の損傷を改善させるっていう効果もどうもあるらしいということなんですが。

しかするとやっぱりこれも軽症から使ってもいいかもしれないんですよね。

で、でどういい人を軽症から治療対象にしなければいけないかというと、ハイリスクグループ ですよね。

から高齢者だとか、それから基礎疾患を持っている人。

これウイルス治療)の鉄則ですよね?岡田先生

岡田

あと、妊婦さんとか。

まぁ妊婦さんはアビガンダメなんですけども。

やはりそういうハイリスクの方になると思います

玉川

そうですよね。

からやっぱりその薬を使う、これから候補になってくる薬を使う、という意味でも軽症から始めなきゃいけない。

で軽傷から始めるためには軽傷で判らなければいけないということなんですね。

それともう一つメリット

検査をして感染を確定させることで感染者を自宅待機させて他人への感染拡大を防ぐと。

例えば今政府が言ってるのはなんかちょっと熱があるなとかそういうような段階は病院に行かないで家に入ってくださいって言う。

4日間というの話ですけど、これがそもそもをよくないんじゃないかって僕ずっと思ってたんですけどこれどうですか?

岡田

もしもほかの病気だった場合重症になるかもしれませんし、「コロナかもね?」ぐらいだってちゃうかも知れないところがあると思います

玉川

そうですね。

から例えば自分のこととして考えても、「あれ、ちょっと風邪がもしれないな」と思ったら、言うほど外へ出ない動機づけにはならないと思うんですよね。

だけど診察をして「あなた新型コロナウイルス感染してますよ」って言われたら、これは人にうつしちゃダメだっていうのが人情ですから、やっぱり家にいるっていう動機づけにもなるし、会社にも言いやすいですし、あらゆる意味でその感染を広げない、っていう意味でその軽症の段階で診断をしなきゃいけない。

からこの(メリットの)1番、2番、両方とも十分なPCR検査体制がなければいけないわけですね。

今では全然足りないです。

こんなことできない。

さっきその例えばある一定地域を限ってこの地域の人全員にPCR検査をしてどれぐらいの感染率なのかを調べる。

これだって例えば100とか200、PCR検査必要なわけですよね

岡田

万、万。

玉川

万ですよね。

そういう意味で言うと全然足りないんです。

で、聞きました私厚生労働省に。

そのどうなってるんですかと。

もうやっぱり厚生労働省聞かなきゃいけないな、というふうなことで、なんでこんな増えないんだろうと。

なんで保険適応できないんだろうっていうのを聞きました。

そしたらこれ回答。

「より多くの検査可能となるよう力を尽くしています

検査実施していない民間検査会社にも検査受託の働きかけを行い PCR検査用キットの配布を進めています

また大学病院PCR検査のできる病院にも同様に PCR検査用のキットの配布を進めて…」

僕ね、もうすでにここで疑問なんだけど。

なんで国からこれキット配布しなきゃいけないのかと。

別に入手できるものだったら民間独自にやればいいと思うものを、国がこれを配ってるってこと自体が僕はもう意味がわからないですね。

もうすでに。

羽鳥

これ国は配んなくても別にいいんですかね?

岡田

あのプライマー設計っていうのがあるんですけど、それも多分民間でもできますし、プライマーだけやってあとはあの民間でって言うんでもある程度できると思うんです。

ただ精度管理だけ1回やればいいかなって思います

玉川

から最初だけ、その助走のとこだけ国がやったらあとは民間で十分できるはずなんですね。

それをずっと「配る、配る」と。

厚生労働大臣民間レベルが上がらなきゃいけないとか言ってるんですけど。

まあ従前から行っているように民間レベルは高いです。

でこの後

「…今後感染状況の推移を踏まえながら、PCR検査保険適用について、必要対応臨機応変に行なっていきたいと考えております

あの厚生労働大臣もその僕は順番が逆だって言ったんですね。

その準備が整ったら保険適応を考えますと。

そうじゃなくて増やすために保険的をすると、保険適用をすれば自律的に増えていきますよ、ということずっと言ってるんですけど。

そこは岡田先生どうでしょう

岡田

もっともだと思います

大谷医師

私、おととい保険会社検査会社の方に聞いたんですけども、もし保険が通ったらオーダーがいっぱいてるでしょうからPCR機械別にまた今ももちろんあってフル活用すれば1000件以上できるんですけど、もう一台買ったっていいですよね、ぐらいにおっしゃってました。

そしたらもっとできるってことですね。

玉川

それはその発注が来ると見越してことですね。

大谷医師

発注が来ればもっと買います

玉川

そういうことなんですだから民間ということはやっぱりちゃん投資したらそれに見合う利益が出ないとダメですからね。

2020-01-23

anond:20200122235134

かに初回は腕、足がいてて、でしたがやっていくにつれて平気になってきた。

運動動機づけとしては良いと思う。

自分はfitboxing 20分 & リングフィット 20分ぐらいでやってる。 NINTENDO SWITCH漬け。

SWITCHのいいのは運動できるところへ持っていけるということ(画面小さいのでアイテム見落とすけど)

2020-01-12

子育てって難易度高すぎるよね?

彼女いない歴=年齢です。

はてぶの人気エントリー子育て関連の記事が目に入るからちょくちょく覗いてるわけなんだけど

一人の人間を育てるのにこんなに気を使わなきゃいけないの?って思いが日々強くなってる。

子供は泣くのが仕事だし自分勝手に動き回るし騒ぐ制御できない生き物なんだけど

それに対して理性的対応して理詰めで諭したり、頭を使って動機づけしていこう

って記事めっちゃ多い

これ理論上はそうかも知れないけどすげーきついでしょこれ

結婚してないからわかんないけどみんな「正しい子育て」をできるの?

俺には無理絶対無理だってムカつくもんはムカつくし怒鳴りたいときだってあるもん

2020-01-01

100分de名著シリーズバックナンバー約100冊を読破したら人生変わった

補足書きました

思った以上の反応を頂いて驚いてます

コメントへの返信など、追記しようかと思ったのですが、長くなったので別記事しました。

興味あったら見てください。

https://anond.hatelabo.jp/20200102201209

はしがき

釣りっぽく書いたけどほんと。

結構色んな意味読書知識というものに関する意識が変わったので、なんかアウトプットしたくなった

なお、名著そのものを知ったことに関する感銘とかは今更私が言うまでもないので省きます

書きたいのは100分de名著シリーズ対象にした読書を集中して実施したことに関するメタ効果に関して。

ちなみに、読破したと言っても読破したのはあくま解説本。

スペシャル版とか、ブックス版はもう少し厚いけど。どれも約120ページで、読書慣れしてる人なら2-3時間で読める量だと思う。

いやそれじゃ読んだことにならないだろ原典あたれよ、って思うよね。私もそう思っていた。

から最初20冊くらいは解説本を読んで、原典にあたって、と繰り返していたけど、以下の2つのことに気づいて一気に解説本を読む方向に転換した。

原典を読むのは、それが終わってからでも遅くないと感じた。

本の解説で繰り返し取り上げられる要素(人名思想歴史上の出来事など)があることがわかった

勉強とか、何でもそうだと思うんだけど、繰り返し出てくるものって記憶に定着しやすくなる。

さらに、その要素が「影響を与えられた」もの解説として出てきたり「影響を与えた」もの解説として出てきたりする。

何でもそうだと思うんだけど、流れというか構造の中にある知識って単発の知識より遥かに定着しやすくなる。

なので、バックナンバーの中で関連のありそうな同時代、同地域、同分野の本をグループ化して間開けずに読んでいくのが効果的に思えた。

原典が全16巻とか(おまけに明治時代の訳だったり)あるものがあった

まぁ要するに、それを読むだけで半年とかかかりそうなものがチラホラあったということ。

そこに突っかかっているうちに飽きて来ることを懸念した。

実に20年ぶりくらいに読書エンジンがかかっていることを実感していたので、これに水を指したくなかった。

約1年かけてバックナンバー読破して効用として感じていることは、、、


文系学問価値理解できるようになった

ちなみに私は理系出身

よく「文系は作者の気持ちでも考えてろ」と言われるけど、「本気で作者の気持ちを考える」ってのは実に尊い活動だと考えられるようになったこと。

今みたいにリアルタイム意見のやり取りが出来るわけでもないのに、驚くほど人間の考えや意識ってのは「繋がって」いることがわかった。

ある偉い人がいいことを言うに至った過程を忘れてしまうのは人類の損失だなと。というか、理系と一緒なんだよね。

アインシュタイン相対性理論だって洞窟暮らしていたアインシュタインがある日突然思いついたわけじゃない。

それに、曖昧さを嫌い、論理にはもととなる論理が明確に存在する理系学問「ですら」そうなんだけれど、

現時点の主流見解は現時点の正解ですらなくて、考え直しが迫られるのはよくある。

そういうとき、どこから間違っていたかどこから考え直すためにも歴史的な思考の経緯は絶対に失わせてはいけない。

文系学問の究極の目的は、新しい思考を生み出すことと思っているけど、新しいものを生み出すために今までの流れを知ることも必要だ。

果実を生み出すのがポンと生まれてきた天才的な作家哲学者だけれど、

天才誕生を待つ間その過程を丁寧に残すのがむしろ普通文学者役割で、

アカデミズムとしての文系学問の真髄はそちらにあるのかもしれないと思った。

これ、理系ブレイクスルーを起こす天才待ちと同じ構図だよね。

天才、と呼ばれる人間自身の業績についてちょっと違う視点物事を捉えただけ、とかちょっと違う組み合わせを思いついただけ、と語るのはよくあることだ。)

大学教育意味について捉え直せた

バックナンバーの消化も終わりに近づいたことろ、私は思った

「かなりいい勉強になった」

大学生の頃にこういうことをやっておくべきだった」

「というか大学でこういう講義あってもいいのに」

「あ、でもこんな事やってたらそれだけで四年間終わっちゃうか?」と。

そこで計算した。

100分deというくらいなので上記解説本一冊は、約100分の映像となる(補足説明踏めると1-2割、解説本のほうが情報量多い気がするけど)。

以下、とても雑な計算だけれど。

大学はだいたい15時間講義で1単位とされる。

まり900分だ。上記解説本でいうと、9冊。

100冊なら、約11単位計算してみて驚いたが、たったそれだけ。

一般的大学生は1年に20-30単位取得するだろうし、卒業には120単位程度必要だ。

定義サボり気味の大学生の半期分程度の勉強しかしていないことになる。

嘘でしょ?

驚いたついでにもっと攻めた想定をしてみる。

こんなことを意識している大学生はほとんどいないと思うけど、15時間講義には、30時間の事前学習と30時間の事後学習が想定されているらしい。

http://www.ohshiro.tuis.ac.jp/~ohshiro/univlaw.html

1冊辺り6時間程度の読書時間が追加で想定できるわけで、

原典には上記したとおり全16巻あるものもあれば、100ページもないものもあるから、慣らすとだいたいそれで読めてしまうとする。

するとつまり大学とは本来

「最も頭の冴えた4年間に」「専門家が選んだ良質なテキストを」「専門家解説付きで、必要なら質問し放題の環境で」「1200-1300冊読んで理解する」

場所だ、ということだ。

ああ、確かにそれをこなせば立派な「学士様」になれたろうと思う。

私は修士を持っているが、この10分の1も学士になれた気はしない。俺はなぜあん無駄時間を、、、

可能なら、放送大学なりでもう一度大学生をやってみたいと思う。

叶うなら今度こそ、学士になりたいものだ。

読書習慣と、読書をする体力を取り戻せた

なんというか、これから実施していきたい諸種のおもーい本を含む読書に挑む筋トレというかジョギングと言うか、基礎体力を作ってくれた感ある。

活字を追う体力、意味を捉え続ける体力みたいなのがないと、ほんとうの意味読書趣味にすることは出来ないと思った。

ていうか、楽しむ余裕がない。

スポーツと一緒で、やる気と勢いだけでやっても続かないと言うか。

この1年やってきたことは運動部の1年生が実施するような、練習をするための練習。これがまず必要だったとろこで、その役割果たしてくれたと思う。

練習のための練習として、この「解説読破」が有用だったと思う理由は以下の2つ

2-3時間で1冊終わること

週末、朝と夕方に一時間読む気でいればその日のうちに「また1冊読めた」と思って寝れる。

平日でも、風呂に入ってる30分で読めば25%終わり、はっきりと進んだ位置しおりを挟んで寝ることが出来る。

進捗が目に見え、さらにすぐ終わりが見えるというのは精神的に楽だ。

無駄足にならないこと

価値保証されている書物を、その書物についての深い理解があることが保証されている著者が解説する本であるということは、

読んでいた時間無駄になることはない(たとえ激烈につまらなくても3時間で終わるし、つまらなければ原典を読む必要はないという判断ができるということだ。)

という確信を持って取り組めるということだから、これも精神的に楽だった。

つらいだけのうさぎ跳びとかしたくないのよ。

今後読書を続ける動機づけになった

いろいろな本の中で語られていたことだが、

日々「モヤッと」してることはたいてい昔の人も同じこと感じていることがわかった。

下手の考え休むに似たりではないが、自分程度が疑問に思ったことはきっと昔の頭の良い人が一生かけて考え抜いているので

自分の中で結論出そうとするより同じ疑問を持っているであろう偉人の著書にあたったほうが

考えを前進させる上でコスパが遥かに良いことが芯から理解できた。

実はこれが一番の収穫だと思っている。

これから

というわけで、これから年末にかけていよいよ原典にあたっていこうと思う。

の前に

山川日本史世界史を買った。

解説読破の中で出てきたいろいろな付随知識、これがまとまりそうで纏まらなかった。

これをまとめてからの方が、今後の知識吸収速度が格段に上がりそうな気がすると思って、適切な本を暫く求めていたが結論まさか高校教科書だった。

今読むととんでもなく面白い本だ。まさに私の求めていたものだった。無論完璧じゃないが、知識統合がすすむすすむ。

なぜ俺はあん無駄時間を、、、と思うけど、おそらく解説読破と順番が逆じゃだめだったろう、OKOK。

さて、年末山川をやっつけたあと、原典の中で特に気になっていたものを30冊ほど買った。解説本で実施した筋トレ効果で読むスピードが上がっているが、

途中で気になった関連書籍とかその年気になった本とかをはさみつつ、100冊(巻数でいうと200近い)読み終わるのは3年後くらいの想定だ。

来年シリーズは続いていくので、積ん読もどんどん増えるだろう。

やりたいことが増えていくともっと若くからやっときゃよかったと思うことばかりだけど、

何もすることが無いよりはいいか、、、

とりあえず、今買った30冊とプラスαくらいは、今年の年末までに読み終わっておきたいところだ。たぶん出来る気がする

2019-10-18

【読まないと死ぬ確率アップ】災害時役立つ!最新科学による家族を守

最近研究によると、人間不安を強く感じると「動けなくなる」習性があるそうです。

動物として遺伝子に組み込まれた仕組みなのでどうこう言ったところで変えることは難しい状況です。避難者をこのまま増やすことは物理的に不可能です。

台風などで大きな被害が予想される場合、早期に避難所に向かうことに「うれしいメリット」を避難者に与えるようにして下さい。報酬系という脳の回路が刺激され強制的自主行動が促されます成功したPayPayの100万円プレゼントキャンペーンもこの原則を利用しています

命を守るためですから現金をばらまいても良いですし、とにかく誰もが欲しがるもの、コト、サービス等を提供して下さい。報酬性的ものでも法の許す限り構いません。食欲は少し動機づけが弱いかもしれませんがアイデア次第でしょう。

このような取り組みは行政がすべきことと思いますが、お役所の方々の仕事スキル常識観では最新の科学的知見に準拠したクリティカル対応不可能と思われます

NPOベンチャー関係者の皆様はどうかこのような事実と策が数多くの命を救える手段として存在することをSNSつぶやきでも構いませんので教えてあげてください。今回助からなかった方々の死を無駄にしてしまわぬように。自分自身や大切な家族をも将来守るために。

ちなみに、人間の行動理解についてはノーベル賞にもなった行動経済学書籍が参考になります。大変興味深い事実が明らかにされています。早速図書館で探す等、ぜひ一度ご覧下さい。

2019-08-26

自民党投票した奴は文句言わないでほしい」論

多数決だぜ?

つーか自分支持政党に票入れさせる動機づけとしては消極的過ぎるし、嫌味ったらしくてお前の事嫌いになるわ。

2019-08-15

妻のセミ恐怖症をなんとかしたい

うちのマンションはよく廊下セミが落ちてるんだけど、妻がセミ恐怖症。

とにかく生理的にだめらしく、セミが落ちてると僕の袖を掴んで歩いたり

2歳の息子と二人だけのとき玄関の前にセミが落ちてたときは、泣いて近所に助けを求めたほど。

まあ、妻だけなら正直別にいいんだけど

妻の影響で息子も同じ様になると今後の長い人生で生きづらいと思う。

なんとかセミ恐怖症を克服させる方法はないものだろうか。

克服する方法の前に、克服する動機づけが既に難しそうだからそれも含めて。

2019-08-09

成果へのプレッシャーがあると

あせって動機づけに失敗することがある。

2019-07-26

anond:20190726210826

すごい適当なこと言うけど、発達障害でも、

精神病の薬で、自傷他害を動機づける激しい感情

緩和されることもあると思う。

2019-05-18

anond:20180310110315

1. 無料で読めるマンガ体験させる。

2. UIと広告の煩わしさを体験させる。

3. 違法サイトへの動機づけ

4. サイトブロック法案導入の下準備

2019-05-03

妹の姉はありかなしか

話題になっている読み切り漫画の「妹の姉」

https://shonenjumpplus.com/episode/10834108156652911821

これに対しての感想話題になっているのがこれ

http://lty.hatenablog.com/entry/2019/05/02/135439

要はコンプラ的にどうなのよという事なのかもなーとも思うけども。以下ネタバレですが最初自分結論から言うとこれはアリだと思ってます

作者のテーマ的にヌード重要ではなかったと思う

妹と姉の関係イチャイチャ)を描きたかっただけであり、それ自体がやや気持ち悪い偏執的なものだとしてそれはまた別の話、ともかく必要だったのは姉の動機づけで。

姉の事が異常に大好きな妹と、その妹に絵の才能であっさり抜かれた事で傷ついた姉のプライド。2人の間の溝は妹が異常なほど無垢で鈍感なので姉が自分解決するしかない。

姉が動くしかないのだけど姉には妹の絵に対抗するための強い動機付け必要だった。それは公に妹に対してムキになってる自分を認める素直さは持ってないから。単純なライバル視ではない別の理由必要だった。

でここで設定としてヌードと校内への張り出しというのが出てくる。自分ヌード玄関にドーンと飾られる、それは恥ずかしいか自分の絵でそれを塗り替えてやるとう動機づけさらに言えばこの展開により、妹よお前の脳内で美化された私ではなく、本当の私をちゃんと見なさいという意味も含まれることになり、この辺は妹への愛情表現と姉自身の成長も一発でかましていてすごい効いてる。正直これを思いついた時点で作者はよっしゃと思ったんではないだろうか。

じゃあヌードなかったら話にならないからやっぱ重要じゃん、というのはそうだけどヌードでなくても成立はするのだ。例えばこれがヌードじゃなくて普通の着衣座り絵とかだとしても、その才能に嫉妬自分の絵を描くという展開はできる。むしろそれならよりストレートに感動的になったと思う。ただその厚みをつけるには読み切りではややページが足らず少なくともドラマ構成前後編くらいにはしないと難しいと思う。

この作品に全体的にややコミカルな軽いノリが残されてるのも、カウンターパンチ的に最後オチテンポよく持って行きたかたからだと想像する。

じゃあ手放しで良い作品なのか

手放しで絶賛していいかと言われると自分ちょっとどうかなと感じた。

その違和感ブコメにある「アフタヌーン感」や「四季賞っぽさ」というのがすごくよく表してると思う。

単純明快な良い話の端々になにか作者自身精神みたいなのが見え隠れする感がある。少年誌なら作者の顔なんてまったく見えないくらい徹底して娯楽的なものにする場合が多い。実のところ少年マンガというのは青年誌にあるマンガとかよりずっと「大人な」マンガなんだよなと改めて感じた。

なのでこの作品少年マンガのように万人受けするタイプとはならないとは思うんだけど、どちらかというと手放しせずに大事にされる系のマンガだと自分は感じた。

きれいな姉の絵を描く妹、その絵が高く評価される、そして姉は(妹の絵ではなく)自画像を描く~という展開が素晴らしすぎる。

これがヌードでなかったらもっと良かったのになともったいない気持ちもある。ヌードのほうがインパクトがあるけどやっぱ安易になってしまうからだ。まあそれを差し引いても自分は色んな人が読めばいいと思った。

沙村広明ならどう描いたか

ついでだけど一番書きたかたこと。

絵のタッチ含めてなんとなく香る沙村広明臭。ではこの方が同じ話で描いたらどうなっていただろうかと想像した。

たぶん、ヌードの絵は容赦なくエロい絵になる。なんなら姉が妹のヌードを描くシーンは妹の頬を赤らめさせ吐息すら漏れさすだろうと思う。絶対にやると思う。

しかしながら、全方位的に言い訳しながら描いてると思う。なんなら小さいコマで姉に「お前なんでそんなエロいんだよふざけんなよ」とか言わせてると思う。

そういうノリツッコミ的な細かい描写を必ず入れることで「許してね」と言う確かな技術沙村広明にはあるのだと思う。これはいわゆる第四の壁破壊というやつでこれは扱いがとても難しい。へたに入れると一気に白けて作品世界に入り込めなくなる。極端な例としては「いや読者が引くだろさすがに」みたいなのを登場人物に言わせちゃうやつ。「妹の姉」はやや軽いテンポはありつつも基本はシリアスなのでこの手はあまり使いたくはないだろうと思う。ただなんとなく登場人物ご都合主義な設定に対して軽いつっこみを入れておく、くらいはできたんじゃないだろうか、沙村広明ならそれは入れてきそうだなと感じた。

といっても沙村広明版の「妹の姉」ならあーおもろかった、で終わっちゃいそうな気もした。それくらい軽く、しかテーマ性は感じさせることができれば一流なのかもとも思うけど。

2019-04-12

anond:20190411235625

外的動機づけアンダーマイニング効果に繋がるため注意が必要ではあります自分の中で結論が出ているのならとくに何も言うべきことはないでしょう。

2019-03-28

anond:20190328105401

わかる。

お金もそうなんだけど、単純に旅行に行く動機づけが弱いためにプランが立てられない…難しい…

「あれ見に行こ!」「あれ食べたい!」みたいなシンプル動機から旅行全体を楽しむプランニングの肉付けをしていくのだと思うんだけど…

自分場合、別の趣味があって「遠征」という形で宿を取ったりして、実質的には、目的趣味より出かけること自体を楽しんでいる旅行っぽい面はあるんだけど、それでも趣味抜きで単に旅行に行く!ってならないんだよねえ。

2019-03-11

anond:20190310214530

やり取りをみてて、ひとつ思ったこと。

表現の自由を守りたいという意見は、それを原則論として語りつつも、背後にある危機感はなんだろう。

ようするに、「快不快」によって表現流通が左右される社会が是か否か、ということが動機のように思えた。

そうであれば、すごくよくわかる。いや、わかるというのは、同意しているわけじゃなくて、なるほどな、だから日本表現の自由ってふわっとしてるんだなということ。

振り返ってみる。

日本表現規制の有り様は、戦前エロ・グロ・ナンセンス発禁にあるように、当局国民の大多数が不快と思うであろう「不健全」で「公序良俗」に反する表現対象としてきた。

そう、「健全」これこそがキーワードなんだな。たぶんね。

まり、割り切った言い方をすれば「健全」と戦っているのが表現の自由戦士だというふうに思える。

でも、ひとたび、「表現の自由」の思想的な出発点をヨーロッパアメリカ歴史から振り返ってみると、戦士動機づけとしてはあまりにも心もとない。

表現の自由とひとことでいっても、思想的な背景は、それぞれ背負っている歴史が異なる。

ここで、それを動機づけという視点比較してみる。

例えば、アメリカ合衆国。日本憲法がお手本とした国だ。

この国の憲法憲法判例が示してきた表現の自由は、ヨーロッパのそれとはかなり異なる。

17世紀にアメリカ最初に渡ったピルグリムファーザーズの世代特に、当時のヨーロッパプロテスタントに対する不寛容被害者であった。

メイフラワー号の協約に象徴されるように、お互いに異なるFaith信条)を持つ者同士が、どちらが正しいとして糾弾することなく、社会を構築しようという、社会多様性の確保が原点だ。

1970年代には、ヘイトスピーチを巡ってさまざまな紛争連邦最高裁まであがり、不協和音こそ社会の強さとまで判決意見で述べているものがある。

当時の裁判官のたとえを援用すれば、空気浄化しようとするやつが社会の敵なのだ

人間は不完全なのだから、正しいものなど、最初から先験的に決められない。ということから、この国では、思想の自由市場などという言い方も生まれてくる。

一方、大陸でも、表現の自由は大切な価値とされている。

しかし、他方で伝統的な価値観や習慣もそれなりに強い。いやかなり強い。

そういう土地柄では、動機づけとして、多様性の確保というのは、正直、あまりピンとこない。

しろ、彼らの原点は、教会から弾圧された経験であり、その反動としての「神を冒涜する権利」だ。

伝統的にカトリック教徒でありながらアンチクライストを叫ぶ、そんな権利を求めている。

とくにフランスでは、公共空間設計するにあたり、真理の判断権を持つかのように振る舞う教会がとてもまずい存在だった。

権力をふるいたがる教会に口出しをさせないことが重要テーマだった。

それゆえ、その解決のため、一方では、表現の自由というコンセプトで権利宣言し、他方で、政教分離という原則確立して、公共空間設計のための理論武装をしていく。

からイスラムスカーフ公立学校から排除しようとしたりする動きが起きるし、

ひとたびムスリムの神を冒涜するような表現したことで、襲撃を受けたりすると、社会は「涜神の権利はいずこに」とがぜん盛り上がるわけだ。



アメリカにしても、フランスにしても、それぞれ動機づけは異なるものの、表現の自由を守ろうとする信念というか確信の力は、

極めて強い。テロがあったり、社会情勢の変化で揺れ動いたりするものの、いざ事が最高裁までいくと、

じゃあ、国づくりの原点に戻ろうじゃないかという話になって、17世紀の悲惨経験が思い出として蘇ってくる。

その動機づけの強さにこそ、新大陸にしても、旧大陸にしても、表現の自由を将来に渡って確保しようとするエネルギー再生産があり、いわば持続性がある。



翻って、日本

健全なるものとの戦い、かぁ。うーん。

不快のような勝手基準で決めつけられたくはないよね、誰しも。

でも動機づけとして、やっぱり弱いんだよね。

ここで、仮に、日本は、アメリカ式の表現の自由を真似っ子しているのだ、としようか。

でも、日本社会は、アメリカほどには、多様性を求めてないでしょ。むしろ移民なんか大嫌いでしょ。

多様な意見なんか、どの組織でも出てこないでしょ。会議でも右に習えでしょ。

普段から多様性を確保しようというマインドベースにあって成り立っている社会とは全く違う。

そんな社会では、エロい表現ときだけ急に表現の自由だのと盛り上がるのは、歯が浮くような思いがする。

公共空間におけるエッチものの取扱なんて、はっきりいって、社会合意していればどっちだっていい。

じゃあ今度は、大陸が17世紀に経験した熾烈なコンフェッショナリズム、この思想的な背景を

表現の自由として日本憲法が参照している、と仮に想像してみる。

この場合仮想敵は、いってみれば、国家神道ファシズムかな。

(*ところで大河ドラマの「いだてん」って、健康ファシズム視点でみると面白いらしいね。みてないけど)

「国によって右へならえを強制され続けた結果、自分たち戦争に動員されてひどい目にあった思い出」とでもいうべき動機づけは

定期的に思い出す機会があるかぎりは、ある程度は持続的たりうるのかもしれない。

でも、第二次世界大戦を思い起こしてみると、国民国家キャンペーンに煽られて動員させられる、というのは、

なにも敗戦国ドイツ日本に限った話じゃないし、アメリカ含め、あちこちの国でウイルスのようにファシズム蔓延しかけていたのが現実

またファシズムコントロールできた国もない。その意味で、真の意味ファシズムに抗し切った国はないように思う。

表現の自由っていったところで、自然の摂理かのように、神がバランスをとってくれるわけじゃないんだよね。

流されるときは、人は流されちゃう。常在菌みたいなもの

そうすると、いざ日本にとって対外的な脅威(例えばアジアの隣あたりの国らへん)が増せば、

表現の自由なんか、どうでもよくなっちゃう程度のものなんじゃないか

他国の脅威に比べればファシズムのほうがマシだろ!みたいな。

このあたりの感覚は、動機づけとしては重要なんだけど、日本場合ちゃん思想として、自分たち言葉自分たちを守る武器として昇華してないんだよね。

敗戦で混乱していた時期にすかさず、日本憲法戦勝国からもらった、というところで思考停止になった、という面はあるかもしれない。

もらったもので、とりあえず勉強して運用してみよう、という時期が最初はあってもいいかもしれない。

でも、戦後30年、40年、とりいそぎ運用していたものが定着していく、という過程

例えば「思想の自由市場」ってよくよく考えてみると、日本社会では、あまりピンと来なくね?みたいな気づきがあっても良かった。正直、「思想の自由市場」って日本社会じゃ、なんの役にも立たない理屈だと思うんだよね最近

また、フランス公立学校でのムスリムスカーフ論争。大方の日本人は、何あれ?状態。背景となる歴史が違うんだから

歴史を知らないと理解できるはずがない。

それを知らずに無理やり、政教分離って憲法に書いてあることを適用しようとしてきて、実は消化不良を起こしているんだけど、

日本人は雑食なもんでなんとかなっちゃうという。。。

そういうことがよくわかったという話。

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