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はてなキーワード: 動機づけとは

2021-11-22

主人公ヒロイン復讐するタイプの陵辱エロゲエロ漫画

なんか「主人公ヒロインに見下され酷いことをされた」という動機づけが下手だと

「この女ムカつく!犯っちまえ!」みたいなのよりも「この時点では主人公は何一つ非がないのにこんなに突っかかってくるって、この女は頭がおかしいんじゃないだろうか」

ってなってエロい気持ちに集中できなくなるからもうちょっと設定頑張ってほしい

2021-11-14

2021年最もシコれたエロゲ

トラトリトル。これいっぱい出た。さっきも出した。

11月に入って良いのが来たね。

回想開放せずに全キャラエンドまで楽しめたわ。

主人公魔法強制的思考を変えられるというのもショタエロくなる動機づけとして良かったね。

回想に入ってないちょエロベント結構多いのが残念だったけどね。

 

でも俺は今年はまだ来ると睨んでんねん。

めぞパンプキンの新作NPCエロゲを心待ちにしてんねん。

作者がTwitterで今月中位には出せそうみたいに言ってんねん。

前作からボリュームをかなり上げたと言うが、正直それには一抹の不安がよぎる。

でも俺はひたむきに待ってんねん。

2021-10-16

anond:20211015010702

水無田 気流氏の講演に行った時だったかな、スウェーデンなんかがかつて世帯課税していて、それが女性たちの労働意欲を奪っていた。

今は夫婦別々に所得税を課せられるので男性に気兼ねすることなく働けるようになったみたいな話をしてたんだよな。

その講演では日本でも配偶者控除をなくしてそれに近づけたのでよかったみたいな話をしてた。

配偶者控除があったころはセレブ主婦労働抑制があったと思うんだけれど、それを撤廃したら労働の分配という点では悪くなっただろうなぁと思う。

セレブ主婦青天井お金を稼ぐ動機づけを与え、そうじゃない人から抑制するんだから

2021-10-09

ミリシタはイベントがつまらない

はじめに

ミリシタについて思うところがあるので書きなぐっていく。すべての文末に「(※個人の感想です)」が省略されている。

かい部分をいちいち説明することはしない。わかる方に伝わればいい。別に伝わらなくてもいいけど。

 

ミリシタはイベントがつまらない

先ごろミリシタにてイベントダイヤモンド・クラリティ』が開催された。

ざっくり言うと今年から新たにテコ入れされたはずの比較的大きめなイベントだったわけだが、これが酷かった。

2M効率とか報酬地図とか要求ポイントとか、言いたいことはいろいろあるが、個人的に一番疑問だったのは、

 

運営はこのイベントユーザーに何をさせたいのか?」

 

という点。これが本当にわからない。

まことに失礼だが運営アホなんじゃないか? というのが率直な感想

 

ダイヤモンド・クラリティ』、楽しい

ダイヤモンド・クラリティ』では、イベント限定衣装を含む報酬コンプするためにはアホほどリズムゲームライブと呼ぶ)を回すことを要求される。

その救済措置としてか、大量にオートライブPASS(ご丁寧に期限付き)が配布された。オートライブPASSというのは操作しなくても放っておくだけでライブクリアできるよ、というアイテム

 

まり運営の想定通り大量のオートライブPASSを使ってアホほどライブを回そうとするとどうなるか?

ユーザーはただひたすら画面を眺めるだけ、という素敵ゲーム体験になる。

厳密には1曲2~3分ごとに何回かタップする。次の曲をまた眺める。配布オートライブPASSで足りない分は自分プレイする。

アプリバックグラウンドにするとライブは一時停止されるので、プレイ中は端末が占有されることになる。

 

……楽しいか?

運営はこのゲーム体験(と言えるのかすら疑問だ)がユーザーにとってポジティブものだと思っているのか? 自分らでテストプレイしてる? 楽しかった? 正直に言ってみ?

 

ダイヤモンド・クラリティ』以外のイベント楽しい

ダイヤモンド・クラリティ』に限らず、ミリシタのイベントははっきり言ってつまらない。

結局のところ周回するだけ。毎回同じ。

ついでに美咲ちゃんのやべーレベルのクソデカ独り言社長に呼ばれてたことを思い出す流れも毎回同じ。(これはどうでもいい)

あと去年の誕生日の「〇〇、ここにいたのか」っていうなぜかアイドル屋上で待機してるやつも毎回同じ。(これもどうでもいい)

 

ミリシタのイベントにはカタルシスがない。イベントならではの工夫、イベントを楽しんでやる動機が薄い。

動機づけとして思いつくのは①イベコミュアナザー衣装称号スコアタぐらいだが、

基本的にすべてのイベントを走るガチ勢以外だと担当のイベぐらいしかまり走る魅力がない。

(ここでの"走る"とはスパドリや石を使うという意味で、3万pt程度は普通に元気を消費していれば達するので走るとは考えていない)

最近イベント報酬ユーザーへの圧を強める方向で調整されているっぽいので、そのうちますますライト層の客離れを招くんじゃないか危惧している。

 

ミリシタのイベントに足りないものは何か?

例えばイベント間中のみイベント曲をプレイすると何かしら特別演出が出るだとか、特殊ノーツが落ちてくるだとか、あるいは特殊ギミックがあるとか、いまそこでしか味わえないゲーム体験提供するべきだ。

そういう意味真夏ダイヤのしょっぼいビンゴ方向性としては近いが、もちろんいろいろと改善余地がある。テンポとか報酬とか、そもそもあれをビンゴと呼べるのかとか。

できればライブ後ではなくライブ中の特殊演出として考えるべきだ。ノーツが次々落ちてくるライブならいくらでもやりようはあるんじゃないかと思うが……。ノーツをいじると視認性の問題がめんどくさいんだろうか?

 

もしかしてこのところ実装曲が体感難しくなっているのはこの点を考慮してのことだったりするんだろうか?

ライブ難易度底上げしてしまうとリズムゲームの不得意なユーザーが離れてしまいかねないので、あくまイベント期間限定で考えるべきだ。

例えばイベント期間を通じてステータスを積み上げていき、そのステータスに応じてライブで得られる報酬スコア加速度的に大きくする、など。

あるいはイベント限定でOMを超えるようなふざけた難易度を用意してミニゲーム的にコンボ数を競わせるとか。フルコンスクショSNSが盛り上がるかも。上述の「目新しいゲーム体験」にも通じる部分が大きい。

 

イベントに限らずライブ報酬そもそもしょぼい。ドレスリップ何千個もいらない。現状ライブ報酬機能していない。

例えば複数集めることで好きな衣装レンタルできるアイテム実装して、イベント中はそれが落ちやすくするなど。

 

その他

ミリシタに関しては他にもいろいろと言いたいことがあるけど(例えば触れ合いがいちいちめんどくさくてつまらんしあざといというか狙いすぎというか「小悪魔キャラという設定だったはずの美希が言うならともかくこのアイドルにこんなセリフ言わせる??」的な不快感にも近い飽きがあることとか、今更感すごいけどドレスアップルームでポット操作するのにそんなパンツ見せるようなかがみ方しなくていいから……っていう呆れ嫌悪とか、3Dモデル歌織さんの胸でかくしなくていいからとかそういういたずらにエロに寄るのやめてくれる?っていう感情とかちなみにわたし男性ですけど)もう疲れたのでこれぐらいで勘弁してやろう。これまで少なくない額課金してきたしミリシタがより良い方向へ発展していくことを祈ってます運営さん。

2021-10-02

責任能力がないか無罪」がよく分からない?

俺は裁判ってのは

見せしめとして犯罪者人生破壊する

・人に危害を加えうる猛獣調教を施す期間や殺処分の可否を設定する

国民に信じさせたい正常世界の濃度を調整する

って機能を持った精度だと思ってる。

そして、このどれに当てはめても責任能力がないことが無罪になる理由がわからない。

見せしめとして犯罪者人生破壊するという観点で考えるなら

起こしてしまった犯罪という行為に対して「狂ってたから仕方ないんです」では犯罪者予備軍たちに「狂ってるふりすればいいだけじゃん!!!」という動機づけをしてしまう。

犯罪予備軍度が低い人に対して「でも狂っちゃったら裁かれるならもう頑張って生きても結局裁かれるかも知れないしバレない程度に犯罪してこ」と感じさせる部分はあるかも知れない。

だがそれだって「もしも狂っても犯罪をしない内に病院に行ったり、犯罪をしないように普段から距離を置いていこう」と考えさせる効果もあるはずだ。

危険予知運転の基本として教習所で「速度を低めにする。かも知れない運転はしない」と誰もが教わっただろうが、それらを道交法以外の部分にも応用していく。

狂ってしまった瞬間の自分の瞬発力を予測し、日頃から犯罪との距離をとり、そして近づいていると感じたら早めに病院に行く。

キチガイ無罪否定はそういったことへの動機づけになるはずだ。

人に危害を加えうる猛獣調教を施す期間や殺処分の可否を設定するという観点で考えるなら

有罪判決によって懲役死刑を課する目的本質は、犯罪者無辜なる者達が暮らす社会から遠ざけることだ。

そして、戻ってきても再び犯罪をさせないように調教を施すことである

調教に失敗した場合リスクを考えると生かしておくこと自体不適切判断した場合はもはや殺処分しかない。

犯罪者に対する処置保健所による害獣指定と大枠は変わらない。

実刑判決を受けた人間人権の何割かを奪われ、そのへんのペットよりも悲惨階級生物となる。

さて、それでは気が狂っていたか責任能力がないとされた人間はこの調教を逃れる権利を与えられるべきなのだろうか?

与えられるべきではないだろう。

狂ってしまたからといって犯罪を犯しておきながらキチンと処罰を受けなければ、犯罪に対しての価値観が歪んでしまう。

さながら某アーチスト過去障碍者イジメをイキりながら自慢したように、歪んだ価値観からは歪んだ行動が生まれるばかりなのだ

歪み始めた価値観矯正するためにも治療と並行して刑務所での調教も施すのが本人のためではないだろうか?

もちろん、一時的狂気によって外れたと思われるタガが殺人と行った禁忌にまで及ぶのならば殺処分検討していくべきだ。

国民に信じさせたい正常世界の濃度を調整する

ここだけは少し悩ましい。

裁判とは人類による人類のための人類によるシステムだ。

まり裁判とは需要に対して齎された供給なのだ

その需要とはなにかといえば、究極的に「悪いやつは裁かれる。正しいやつは裁かれない」というシンプル勧善懲悪論の肯定だろう。

人類全体の教養レベルが向上したことで、現代人の道徳観は昔ほどは短絡的でなくなったにしろ、未だに基本的な部分はこのシンプル理論に基づいている。

そして、裁判というシステム需要はこれによって支えられている。

裁判においてキチガイ無罪が成立すべきか否かとは「キチガイ故に犯罪をしたものは悪いやつなのか?」という命題に置き換えられる。

悪いやつという曖昧定義の中身に「実際に犯罪をしたら悪いやつ」「望まずに犯罪をしたのならギリ正しいやつ」といったものが含まれている。

これらの衝突によって生まれた歪の間でキチガイ無罪は宙に浮いている。

時代によって変わっていく価値観によって、最近社会では多少人間として欠落していても許していくべきという方向で世界はまとまっている。

が、それでもなお「人に大きく危害を加えないなら」という注釈がつきがちだ。

そしてキチガイ無罪に対して考えるべき点は、「現代精神医療を持ってすれば多くのキチガイが治るキチガイである」ということだ。

強い薬の服用によって元の人格が歪むリスクや様々なホルモンバランスが崩れる可能性もあるが、それでも治せるキチガイの数は非常に多い。

そうなると現代価値基準では「人に危害を加える前に病院に行く選択肢もあったのに、チンケなプライドや我が身可愛さにそれを忌避した時点で悪いやつ」となるのではないだろうか?

道徳観が進歩たからこそ多様なあり方が肯定されたが、同時に医学進歩したことキチガイで有り続けるという愚行権行使が許されにくくもなってきている。

ロボトミー手術を受けろと行っているわけでもなく、単に1日3錠のカプセルを服用しろというだけのことを嫌がって、人に迷惑をかけることが、現代道徳では許されるのだろうか?

許されないことのほうが多いだろう。

やはり、キチガイ無罪は通らないな。

少なくとも現代社会においては。

2021-08-17

anond:20210817122124

ワクチンを打つ動機づけにはなるよな。ワクチン接種が概ね終わって重傷者を社会が受け入れられる段階になったら廃止したらいい。永久のものではない。

2021-08-03

anond:20210803233912

なんていうか「作品が好き」なんじゃなくて「内容が気になる」なんだよな。

その作品自体エコシステムとか作者の人格かには興味ないっていうか。

まあでもソシャゲーで「推し」とか言ってるタイプオタクなら上手く動機づけさえしてやれば作品のものを盛り上げてくれるんじゃないかな。

2021-08-01

anond:20210801020932

野党のものもまあそうなんだけれども、現在活動が活発な支持者たちも問題ではある

野党普段委員会質問や、支持者たちのSNSコメントが基本政府逆張りポピュリズムぐらいしかない。

加えて何故かいつも「国民は」と言うので本人たちの主体性が見えづらいのと、勝手意見代表されてるのでどんどん心証が悪くなる

というか勝手集団意見のふりして出される意見がおよそ真逆だったりすることが多いと敵意が強くなるから、最低限「国民は」って言うのやめて、アンケート調査お気持ち以外の理由づけや動機づけをするだけでも風向き変わると思うんだけどなあ……

2021-07-20

小山田圭吾氏と「公正世界信念」と「防衛帰属」(7/19 Session #ss954)

荻上チキ・Session | TBSラジオ | 2021/07/19/月 15:30-17:50 https://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20210719160547

荻上チキ氏)

この小山田圭吾氏が過去に行っていた、いじめに関する露悪的なまぁ、発信。

1回のインタビューでぽろっと答えたということではなくて、複数回インタビューで詳細にそのいじめの中身を語って、しかも悪びれる様子がないというような様子というのは、Web上でも20年以上前からたびたび話題とはなっていたわけです。

そうしたようなことがずっと棚上げされたまま、今回オリンピックパラリンピック楽曲提供をするという風になった際に、この名前がでてきたことに対して、これは明らかにちょっとミスマッチだろうというような非難さらに盛り上がり、また今回の報道などによってその出来事、そういった発言過去にしていたということを初めて知ったという方も多くいると思うんですよね。

90年代音楽などに触れている人などにとっては、コーネリアス小山田圭吾氏というのはとてもあの馴染みのあるミュージシャンだと思うんですけれども、でも日本全体でどれだけの認知度かというと、そこはちょっと分からないところがあるので、むしろ今回の件で小山田氏を初めて知った人にしてみれば、オリンピックなどで楽曲提供しようとしていたけれども過去にとんでもない犯罪的な差別を行っていた人物だったっていう情報だけ与えられると、当然ながらそんな人物不適格でしょ、となるのはこれまた当然ということになりますよね。

この件っていうのは、過去にじゃあ行っていたいじめ加害が発覚した場合に、その人の仕事までキャンセルする必要があるのか?というような問題として理解される向きも一部あるんですけど、その問題とこの問題は別だと思うんですよね。

今回のは、過去いじめ加害というのが何かのきっかけで「発覚」した事案、ではないんです。

そうではなくて、小山田圭吾氏が繰り返し過去インタビューの中で攻撃的、露悪的な仕方でいじめ手法というものを赤裸々に語っていた、それを読んだ人たちに対して当然不快感を与えるかもしれないけれども、それを一つのエンターテイメントとして味わって欲しい、読んで欲しいという感覚文脈で内容を提供しているということになるわけですよね。

そうすると、いじめとか差別というものを軽視するような発信というものを、アーティストになってから行っていた問題ということが、ここに関わってくるわけです。

過去いじめ加害という点でいうと、国立教育政策研究所データなどだと、小学校から中学校の間にいじめ加害を行っていない児童というのは1割程度しかいないんですよね。

やはり誰かしら、何かしらのタイミングで、誰かに否定的あだ名を呼びかけたりとか、誰かを無視したりとか、誰かを叩いたりとか、そうしたようなことを一定期間行うということはしてしまうところがある。

ただそれが持続的にどこまで行うのか、何年間も行い続けるのか、ずっと行うポジションにいるのかということで見ると、どんどん数が絞られていって、継続的加害者になっていくという人はその中でもまた一部になっていくっていう状況があるわけですね。

ところがこの小山田氏の様々な発言というものは、そのいじめ文脈というものを超えた、性暴力でもあるし、障害者差別でもあるし、いろんな問題を含んでいるわけです。

インタビューの中でも紹介されている加害行為というのは(先程「たまむすび」の中でも少し紹介されたりしていましたけれども)たとえば人前でマスターベーションすることを強要するとか、あるいは女子達が見ている中でわざと服を脱がして人前を歩かせるであるとか、あるいはぐるぐる巻きにしてバックドロップをしたり、あるいはまた大便を食べさせたりとか、そうしたようなことを繰り返していたんだということを言ってるわけです。

他にも様々なダウン症児童などに対する侮蔑的発言というものを仲間内で繰り返していたことなど、いろいろなことを自ら発信されてるんですけど、インタビューの中だと(笑)とかそうしたような文言を用いて、非常に露悪的な仕方で発信されていたということになるわけですね。

こういったような事態というものは、このインタビューを読んだ人たちに対しては大変なストレスを与えることには当然なるわけですね。

なぜこれがストレスなのか、ということも改めて振り返っておきたいと思うんですけど、僕がたまに紹介している概念で「公正世界信念」という概念があります。「公正世界仮説」と呼ばれることもあります

これはどういうことかというと、「この社会というのは、正しいことをすれば報われるんだ」というような考え方、これが公正世界信念ですね。「この世界は公正にできていて、人々が適切に振る舞えば、世界はそれに応えてくれる」という一つの信念というのがあって、多くの人たちはこれを内面化しているんですね。

内面化するからこそ「努力は報われる、だから頑張ろう」というようにモチベーションを維持することができる、動機づけを保つことが出来るわけです。

逆に言えば「正しくないことをすれば懲罰を受けるよ」というような考え方でもあるので、これがまた社会から逸脱をするのではなくて適応しようというモチベーションに繋がるところがあるんですね。

良くも悪くもこういった信念を持っているという人はとても多いんだけれども、ただこういった信念が揺らぐような悪いニュースというのがしばしば飛び交ってくるわけですね。

そうすると「あれ?今起きた事件って公正世界信念を揺るがしてしまうじゃないか」誰かが例えばいじめられていた、誰かが性暴力を受けた、そうしたような、バッドニュースが入ってきた時に、人はとっても不安感を抱くわけです。

その不安感は、要は「もしかしたら自分努力しても報われないこともあるかもしれないし、気をつけていても被害に遭うかもしれない」っていうこと、ってなるとすごいストレスなんですよね。

その時に取られがちな手段が二つありまして、そのうちの一つというのが「被害非難被害者が悪いというんですね。

どういうことかというと「これは公正世界信念が揺らいだのではない、世界は変わらず公正だ、と。だけれどもあの被害者に落ち度があったから、あの被害者は適切に努力してなかったからそうした目に遭ったんだ、つまり過去に正しくない事をしていたからその懲罰として被害にあっただけなんですよ」っていうふうに矮小化をする。

こういったような仕方で、貧困当事者を叩いたり、被災した方を叩いたり、性暴力被害にあったことを叩いたりということで、むしろ弱者を叩くっていう方向で解消しようとしてしまうのも、公正世界信念のもたらす現象なんですね。

でも、同じく公正世界信念が揺らぎそうになった時に起きがちな方略のもう一つが「加害者に対するバッシング加害者に対する過剰な懲罰や"悪魔化"ということになるわけです。

要は加害者に対して因果応報というものをもたらしたい、因果応報をもたらすことによって、このモヤモヤした感覚をなんとか治めたい、って感じるものなんですね。

この感覚のものはとても重要ではあるんだけれども、場合によっては「加害者がまだ謝ってないじゃないか加害者はきっともっと碌でもない奴だ」っていうことで、悪魔のような存在として描かれるようなことがあって、そうなるとどう対処してもこの信念が回復されないっていうことになってしまうわけです。加害者がどれだけ謝罪をしても、なかなか対処が困難だということにもなりうるわけですね。

一般的にこうした公正世界信念というものは、人々にとても重要動機づけを与えるし、社会適応しようという努力を与えるものではあるけども、しばしばそれがコントロール不能攻撃に向かうような側面というのも当然あるわけです。

ただ、こうしたような「被害非難」とか「加害者非難」が全部悪いのかというと、そう単純に語れないというところもあるんですね。

加害者非難」などに通じることによって、一定の抑止効果かいうのを社会拡散したいという人もいるでしょう。いろんな動機がそこにあるわけなんです。

今回の件についてはどうなのかというと、明らかにやっぱり小山田氏が発言していたことが明らかになったら、大変多くの人達不愉快に思うし、また非常にこの世界を不公正だという絶望感を味わうことになる。だから何かしらな仕方で公正さを回復したいと思う。ここまではもう多くの人たちの望むところだと思うんです。

ではその回復手段がどうすればいいのかというと、今回のようなケースって、回復手段ほとんど難しいんですね。

例えばすでに被害を受けていた当事者はいて、その人はその後いろんな後遺症とか様々なものを味わって生きてきたかもしれない、それを例えば今更謝罪たからといって回復できるとは限らない、つまり加害者被害者に謝罪をすればそれで治まるような案件ではどうも無さそうということも分かっている。

一方で社会に対して、多くのこの不公正があったことについて、あるいは不公正があるということをアーティストとして発信したことについて謝罪すればそれで治まるのかというと、なかなか治まらないでしょう。

少なくともパラスポーツとかオリンピックなどのテーマソングを書くという役割は適任ではないということは言えると思うんですね。

一方で別に小山田圭吾氏に今後ミュージシャンとして二度と活動をするな、みたいなことを言ってるわけではない。

そこはあの今後どういう風にやって行くのか、今後小山田氏の振る舞いとか応答責任を通じて、多くの人たちが「なるほど、まあそう言うんだったら」という風に安全感覚を取り戻せるかどうかにかかっています

から今回のペライチで出した謝罪文で多くの人達が納得できるというわけでは当然無いわけなので、今後の様々な発信において、その問題にどう取り組んでいくのか、どう向き合っていくのか、その姿勢を見せ続けることによって、人々の「加害者避難」でも「被害非難」でもない、ある種の「修復的公正」と言うんですけど、公正感覚修正されていくというか、取り戻されている感覚というものを、ひとりの発信者としてもたらすことができるかどうか、それが小山田氏に問われてるポイントひとつになるわけなんですよね。

で、これはとても難しいことではあるんだけれども、アーティストとしていじめ加害の手法などについて露悪的に語って、それが障害者差別などをさら助長して、なおかつ多くのいじめ被害者に対しても二次加害をインタビューを通じて行った、という点について、同じアーティストとしてどういう風にその後自分責任を取るのかということはこれからも出てくると思うんです。

から今回テーマソングを作るか作らないか、これは作らない方がいいと思います。そしてその仕事を降りた方がいいでしょう。

ただその後二度と活動するなという話ではなくて、それに対して活動者としてどういう風に向き合っていくのかということを多くの人たちが見ていきますよ、ということに応答責任というのが出てくるということになるわけですね。

これ、見ている側もやってはいけないのは、「防衛帰属」という言葉があるんですけど、何かの問題をどこに帰属させるか、どこに責任所在をおくかっていうのが、その人達の考える倫理観とか道徳観とは別に、その人の考える将来の損得で左右されるところがあるんです。

例えば今回小山田氏を擁護してる人がいるんですね。たとえば「そんな過去の話」とか「その当時はいじめを露悪的に語るのが当然だったんだ」みたいな仕方で擁護する人たちがいる。

それを見ると、結構典型的な「防衛帰属」だなって思うわけです。

どういうことかというと「彼が悪いことになると、自分も悪いことにさせられてしま可能性がある。だから『彼が悪くない』っていう風に言うことによって、自分が叩かれるリスクを下げたい」。つまり自分防衛するために、責任所在を「彼ではない」「ここではない」「そこではない」というふうに位置づけたがるということなんですね。

そういうふうに、どこに責任帰属させるのかっていうようなこと自体が、人々にとって損得を左右されるような問題になってるわけです。

からネット上などでも、実はその、小山田氏のあり方というもの擁護する声というのも、まちまちあって、しばしばあって、そうしたかたちを見ると、たぶんその自分の振る舞いとか、自分メディアの振る舞いとか、90年代表現かいものまで堀り返されると問題だなっていう風に思われると色々発表がしにくくなるとか、そうしたようなことが場合によっては関わってくる可能性もあるわけですね。

そういうような「防衛帰属」を繰り返していると、結局、今回どうすればいいのかっていう議論が前に進まないことになるんですよ。

そうして「自分が叩かれたくないから、この人は擁護しとこう」みたいな損得勘定議論されてしまうと、結局、「被害感情にはどうすればいいの?」とか「こういったものを再発しないためにはどうすればいいの?」っていう議論が出てこないことになるんですね

ちょっと遠回りした言い方になりましたけれども、今回インタビューによって多くの人たちが非常に不公平世界だっていう感覚を突きつけられた、それに対してなんとか回復したいっていう強烈な動機に突き動かされているという状況がある。

それをやったのは何かの暴露とかではなくてミュージシャン本人のインタビューの中での発言だったから、ミュージシャン本人として今後の発信などでどう応答するのかということは当然問われてくるだろうと。

それが行われてない現段階においては、このオリパラテーマソングを受けるというのは不適格だことに当然判断されることにはなるだろう、と思うわけですね。

ではその後どうするのか。

これ一朝一夕に本人が反省しましたって言って何とかする話ではないでしょうし、反省云々ということするためには基礎知識かいろんなことが必要になりますよね。

どう誤っていたのかを言語化できないと、応答はできないということになるので、今回の本人のメッセージ云々でおそらくなかなか納得しがたいようなところがある中で、どうそれに向き合っていくのかということが問われていくのかな、という風には思います

いろんなものを浮き彫りにした一件でもありますよね。

80年代90年代当時というのは、特にいじめ対策というものは今より脆弱でした。今は随分といじめ対策で、科学的に何が必要なのかということもわかってきました。

今回、多くのメディアがこのいじめ問題を取り扱うのであれば、いじめ対策として今どういった知見がより重要で、よりどういった教育こそが必要なのか、という話も、いろんな現場に広げてきてほしいなと思います

2021-07-15

p. 75

彼は次のように書いています。「もちろん、私の嫌な奴は動揺していました。それは私を傷つける以上に助けになりましたか?私はそうは思いません。結局、私の父は正しかったです。でも、自分の才能や何かに頼ることはできませんでした。」

マッケンローが怒りを抑えきれなかったことが、1984年全仏オープン決勝でイワンレンドルが2セット差をつけた後、「私の人生で最悪の損失、壊滅的な敗北」と呼んだ重要な要因だったと彼は信じています。 。 「私は怒ってフランス人にあまりにも多くのエネルギーを浪費した」と彼は最近自伝説明した。

その経験は彼に一時的宗教を与え、彼はこの新しい理解を彼の次のトーナメントであるウィンブルドンにもたらしました。 「最初から

オールイングランドクラブでの試合」と彼は言います

ローランドギャロス(のサイト

全仏オープン)」確かにマッケンローウィンブルドンで優勝しましたが、そうではありませんでした。

偶然にも、彼はトーナメントを通して彼の気性をコントロールしました。

ポジティブ感情がより効率的個人の高性能を促進する場合

また、組織に大きな影響を与えますインタビュー

マネージャーとその従業員の大規模なサンプルであるギャラップ組織は、直属の上司との関係ほど従業員生産性を明確に予測する要因はないことを発見しました。

より具体的には、ギャラップは、

従業員には、上司または職場の誰かが世話をしていると感じるかどうかが含まれます過去7日間に表彰または賞賛を受けたかどうか。そして、職場の誰かが定期的に彼らの成長を奨励しているかどうか。別の言い方をすれば、常に前向きなエネルギーを伝える能力は、効果的な管理の中心にあります

何年もの間、ロジャーB.自身重要仕事動機づけられていました

上司が彼を気遣い、信じていたという気持ちもあります

支えとなる風を背負って、彼は自分価値に自信を持ち、他者へのアプローチに前向きになり、最終的にはセールスマンとしてより成功しました。成功はそれ自体を養う傾向があり、

そもそもパフォーマンスを刺激する前向きな感情。逆

真実です。上司が利用できなくなり、目に見えてサポートが弱くなったとき

ロジャー仕事での楽しさと安心感は低下し、彼の自信、関与のレベル、そして最終的には彼のパフォーマンスも低下しました。

彼の感情的なエネルギーが非常に否定的になると、ロジャー

上司と同じように直属の部下に意気消沈する影響を与える

彼には注意が足りなかった。ちょっと立ち止まって考えてみてください

2021-06-28

この田野大輔って先生大丈夫なの?

新書役割――「ナチスは良いこともした」と主張したがる人たち

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/84256

違和感しかないんだけどなんなんじゃこれ。

 

 

  

1.「良いこともした」と「いや絶対悪」って会話になってなくね?

ナチスが「絶対悪」であり、未曾有の災禍の元凶であることは、今日では常識となっている。

だがインターネット上ではむしろ、「ナチスは良いこともした」と声高に主張したがる人が増えている。

例えば冒頭のこの二行からしてまともな人間の書く文ではない。

強いてジャッジすれば、一行目(筆者)と二行目(twitterあたりの浅はかな人達)なら二行目の人達の方が「まだ正しい」。 

 

というよりそもそもこの二行は全く嚙み合っていない。

twitter民?「ナチスは良いこともした」

筆者「ナチス絶対悪である!これは今日常識となっている!」

これは会話になってねえし、筆者の方がアホではないだろうか?

 

絶対悪」というのは宗教とかイデオロギー概念であって

ナチスが1個でも良いことをしたかどうか」のような事実を争う話への反論たり得ない。 

そういう分別がない以上、筆者は明白なアホである

 

 

2.「悪行が知られている」と「良いこともした」って衝突しなくね?

戦争ホロコースト引き起こしナチスの悪行はよく知られているはずなのに、なぜこのような主張をしたがる人が多いのだろうか。

意味が分からない。

ある政権戦争ホロコースト引き起こしたことは

その政権の全ての施策が間違っていたとする根拠になるだろうか?

 

この文も筆者が道徳的評価とその範疇外のこととの区別が付けられない機能の良くない脳味噌の持ち主であることを露呈しているだけに見える。

 

 

3.「悪の権化」ってなに?

多くの人々はヒトラーを「悪の権化」と決め付ける「教科書的」な見方に不満を抱き、

ヒトラーが招いた禍が甚大であることを率直に認める立場から見ても

「悪の権化」という文学的表現には違和感しかない。

  

絶対悪」だの「悪の権化」だのという変な匂い言葉をやたらに好むこの筆者は一体何を専門とする先生だろうか?

はっきり言ってここまでですでにまともな学問の人に見えない。

  

 

4.「絶対悪」ってポリコレ? 

筆者のツイートに寄せられた批判的なリプライ動機づけているのはおそらく、

ナチスを「絶対悪」としてきた「政治的正しさポリコレ)」の専制

学校を通じて押し付けられる「綺麗事」の支配への反発である

絶対悪」という幼稚な概念は本当にポリコレなのだろうか?

絶対悪」が問題なのはきれいごとからではなく内容不明からだ。

 

文系学問で軽々に「絶対」なんて言葉使う人間バカとかアホ以外でなんかいるだろうか。

そもそも何がどう「絶対」なのかわからない。

どういう基準で「絶対」とされたのかわからない。 

筆者に聞いてもよくわからん回答しかできないだろう。

 

このように使っている言葉の内容を怪しむことは揚げ足取りではなくむしろ話の根本だ。

 

 

5.「正義」「良識」っていったい何を指してんの?

彼らは自分たち言動を制約する正義」や「良識の信用を貶め、その「抑圧」からの脱却をはかっているのである

どんどん内容不明な虚ろな言葉が飛び出してくる。

正義」とは?

良識」とは?

何を指してるのがいちいちわからない。

 

考えてほしい。

これほど空疎言葉ばかり並べたてる人間で、アホと詐欺師以外になんかいるだろうか?

 

個人的に「正義」や「良識」などという意味不明言葉に抑圧を受けた経験はないが

もしそんな概念やそういう概念を得得とした顔で振り回す筆者のような間抜けから抑圧の気配を感じたら

そのときは猛然とそれらを殴り倒してやらねばならないだろう。

それが自分の知性と良心に恥じない為の義務だと思う。

 

6.なんで中国共産党の話が不都合なの?

事実、筆者に寄せられた批判なかには、中国人権問題などを持ち出して、ナチス戦争犯罪を相対化しようとする主張が数多く含まれていた。

ナチス批判するのに中国批判しないのはおかしい、ダブルスタンダードではないか」というわけだが、

中国いかに酷い弾圧を行っているからといってナチスの悪行が免罪されるわけではなく、両者はあくまで別個の問題である

この種の詭弁に満ちた主張には、善悪基準を攪乱しようとする歴史修正主義的な意図が見え隠れしている。

これまたものすごーーーく不思議理解不能な話だ。

ナチスの話に中国共産党の話を引き合いに出されて何の不都合があるのか?

 

まして筆者は非常にシンプル判断基準をすでに提示している。

田野大輔式判定法はこうだ。

戦争ホロコースト引き起こし政権絶対悪であり、自動的にその政権の他の政策も全て間違っている」。

 

それに照らすなら中国共産党政権の判定も2秒で終わる。

中国共産党政権絶対悪であり、自動的にそのすべての政策も間違っている」。終わり。

 

ナチス絶対悪」「中国共産党絶対悪

ヒトラーは悪の権化」「習近平は悪の権化

田野大輔式は実にシンプルで、明快で、文学的で、「善悪基準の攪乱」など1ミリも起きない。

であればいったい何がそんなに不都合なのだろう?

 

  

7.「価値観の話」と「事実の話」の混同

学校的な価値観への反発が「教科書に書いていない真実」への盲信に直結している。

それが「価値観への反発」なのか、

価値観事実関係の区別もつかねえ頭ユルユル自分ではモラリストのつもりの思考が雑なマヌケへの反発」なのか、

田野大輔氏には見分けがつくのだろうか?

 

 

8.欲求事実混同

自分欲求偏見合致する情報だけを集めて作られる独りよがり「真実」の行き着く先は、「すべては仕組まれている」とする陰謀論である

アメリカ大統領選で「不正選挙」のデマ拡散した「Qアノン」の信奉者たちの言動は、その種の陰謀論いか危険破壊的な影響を及ぼしうるか如実に物語っている。

その手のタイプのアホどもと

絶対悪」とか「悪の権化」なんて言葉をしらふで好んで使う教員

ど~~~~~見ても脳味噌の型がそっくりに見えるのは気のせいか

 

事実の話に自分の好みや感情がグイグイ入り込んで混ざる、区別が付けられない、という点で大変よく似ている。 

 

 

9.「良いこともした」と「人種主義があった」は衝突しなくね?

こうした危惧すべき状況は、「売らんかな」で出版される一般書のセンセーショナリズムによっても助長されている。

その種の書籍では、「ヒトラーのすぐれた経済政策を見習うべきだ」とか、「ナチスはこんなすごい発明もしていた」といった人目を引く主張が行われているが、

ナチス戦争目的人種主義、噓や不正と切り離した「先進性」の評価はあまり一面的、とうてい学術検証にたえるものではない。

から常にこうやって話の種類の区別がつかないボンクラ議論が延々と続く。

 

ナチスに何か一個ぐらい優れた政策があったとか、なにか凄い発明があったとか、

仮にそういう事実があったとしてもナチス人種主義虐殺正当化しない。

そもそも全く別の話の筈だからだ。

逆に言えばそういう事実があったとかなかったとかの与太話には何も問題はない。

ユダヤ人虐殺したのは良いことだったんだよ」とか言い出さない限りどうでもよろしい。

 

ここまで見てきてわかるように、

田野大輔はどうやら自分自身が「ナチス道徳的にとても悪い面」とそれ以外の「凡庸に悪い面」と「悪くなかったかもしれない面」の区別がうまく付けられない。

感情論理が混ざり込む曖昧システムのおつむだから

別々の話が「切り離されて」論じられることに何故か不満を持ってしまう。彼の中では区別がつかないため。

 

しかしその感性を人に押し付けるのは大きなお世話だ。

自分の頭のハエを追った方がいい。相当大きなハエが止まってるんだから

 

10.何がどう「ナチスの免罪」なの?

ナチスの免罪につながる不正確な情報の氾濫をくい止めるためには、専門知識もつ研究者によるチェックが欠かせない。

だが研究者仕事基本的には論文を書くことなので、いつまでも一般書の質保証に関わっているわけにはいかない。

ほらこんな感じだ。

ナチスが何か良い政策も打ってたとか、良い発明をしてたとか、それが何故ナチスの免罪になるのか。

 

それらの事実はいくらあってもナチスの免罪に繋がらない。

別の話だからだ。

 

ここまで見たように田野大輔の非論理的でハチャメチャな主張は全てこの

「別の話が常に混ざってグチャグチャであること」という独自ベースの上にのみ成り立っている。

これは別々の話の区別がつく人間にとっては寝言のような無内容な文字列しかない。 

 

ナチスの免罪に繋がる情報と言うのは例えば

ユダヤ人が先に毒ガスを作ってて戦後賠償で弱ったドイツ人絶滅させて国を乗っ取る計画だったんだよ!」「なんだってー!」のような情報だ。  

 

そういう闇のMMR以外の、「ナチスには良い政策もあった」という程度の主張や本に「ナチスの免罪だ」は言い掛かりもいい所。

なぜこんな無理のある言い掛かりをするのかの理由は二通り考えられる。

 1.頭が悪くて論理理解できず本当に話の区別がつかない

 2.無理矢理大袈裟問題として騒ぎ立てることで「それに対抗する自分」のプレゼンスを高める

たとえば社会学者の一部はしばしば後者インセンティブらしい行動を見せるが…

 

 

11.「ナチスは0点」のためのインチキジャッジ

この関連でよく言及されるアウトバーン建設についても、

それがヒトラーの独創ではなく以前からあった計画を利用したにすぎなかったこと、

えっ

以前からあった計画採用して成功したら、それは政権の加点でいいんじゃないの?

「利用しただけだからダメ」?

そんな恣意的ルールで「ナチス政権得点0」って言ってるの?

 

つーかトップの独創じゃないかダメってどんなルール

北朝鮮とか毛沢東みたいに首領霊感で斬新な農法思いついて指導しないと得点と認めないってこと?

単なるイカサマジャッジじゃん

 

その雇用創出策としての効果一般に考えられるよりはるかに小さかったこと、

小さかったてことは0やマイナスじゃないってこと?

じゃあ「良いこともした」で合ってんじゃん

 

総じて新政権の積極姿勢を印象づけるプロパガンダ的な性格の強い事業だった点が強調されている。

えっ

プロパガンダ的な性格が強かったら得点ゼロ」ってどういうルールなの?

 

  

もーさー、

別にナチスにもヒトラーにも親戚いないけどお前のそのジャッジが話にならないズルなのはわかるわ

 

お前が言ってるのは

スリリンは悪いやつの寮なのでマイナス150点。今学期もグリフィンドールの優勝じゃ!」と同じなんだよ。

そんな見え見えのズルジャッジしないと成り立たないような主張なら最初からやるんじゃねえ。

 

なにより、そういう冗談みたいなズルしなきゃいけなくなってる理由

ナチスは良いことを一個もしてない」「ナチス絶対悪という

感情価値観事実関係とを混同するバカ特有思考法のせいなんじゃねえのか?

  

 

12.次々出てくる独自ルール

また、ヒトラー政権の成立については、「選挙で勝ったか首相になった」「世論の支持を得て政権に就いた」という俗説の限界が指摘され、

ナチ党政権獲得以前の国会選挙での得票率が最大でも37%強にすぎず、政権獲得の鍵はむしろ保守勢力との政治的提携にあったこと、

えっ

得票率が37%だと選挙に勝っても無効になるの?

からその次々出てくる恣意的ジャッジやめてくんない?

 

政治的提携があるのも当たり前じゃん?

新しく出てきた政党がいきなり単独政権取るって相当やぞ

バカじゃなければ既存政党のどこかと一旦組むだろ

それがあったら政権奪取無効なの?

どんだけ次々独自ルールが出てくるの?

 

 

13.田野大輔先生って何者なのか

正直この紹介されてる新書別に変な本でもなさそうで

とにかくこの記事の筆者、「ナチス絶対悪」田野大輔先生論理展開が強烈に胡乱なのよね。

悪いんだけど頭が良い人には全く見えない。

 

本当に大学先生なのだろうか。 

いったい何を専門にした先生なのだろうか。

 

ヘイWikiperia

田野 大輔(たの だいすけ1970年 - )は、日本社会学者

あっ… 

 

ファシズム体験授業

権力後ろ盾があればいとも簡単に、社会的に許されないことができてしまう[4]」ということを学生に考えさせることを目的として、所属である甲南大学ファシズム体験学習授業を行っている。学生が同じ服装ナチス式敬礼や糾弾などを体験することを通して「集団心理暴走することの怖さ[5]」を学ぶというものである。この取り組みは、アメリカ合衆国でおこなわれた「サードウェイブ実験」を描いた映画ザ・ウェイブ英語版)』に田野が触発されて開始した[6]。

あっ… 

あー、ふーん。

  

いやまあ、わざわざこの先生の授業とる子は

シラバス全く読んでなかった先輩情報皆無だったとかを除けばこういうの望んで行くんだろうからあいいんだよね

個人的にはこれが学問なのかどうかよくわっかんねーけど

まあ、うん…

追記

cinefuk

田野の挙げた本を読んでから反論すれば良いのに。増田が信じる「ナチ善行の大半は、搾取による利益の付け替えだったり、NSDAP及び残党による誇大広告プロパガンダ)の結果。楽天モバイルの謳い文句信じていそう ドイツ ウヨサヨ 増田

2021/06/28 リン

はあ?

あのさあ、まずナチスは良いこともした」と主張してるのは増田ではないですが。

対立してんのはTwitter民VS田野先生って書いてるよね?

そんでTwitter民に与さなくとも田野先生論法おかしいてって指摘は出来るの。

個人的ナチスなんか興味ねーわ悪いけど。

 

ついでにいえば、紹介されてる本の内容に異議ないってこともはっきり書いてるよね?

なんで本の内容の威をかってイキってるの?

 

なんだろう、問題文も読めないボンクラが回答するのやめてもらっていいですか?

   

  

この増田で書いてるのは一点だけ。

「○○は絶対悪であるから○○がひとつでも良いことをしたというのは誤り」という田野論法おかしくね?学問じゃなくね?

これだけ。 

 

ついでに言えば君ですら

増田が信じる「ナチ善行の大半は

と書いちゃってる。

争点は「ナチに良いとこが一個でもあったかなかったか」なので君は田野先生の敵サイドだね。

その点では紹介されてる本の筆者も田野先生の味方になれるか怪しいだろうよ。

 

 

password1234 氏が懸念しているのはナチスは良いこともしたという言明自体の正否ではなく、それをわざわざ声高に主張するという行為にひそむ底意だと思う。ネオナチ思想を持つ者による「小さく産んで大きく育てる」戦略という

2021/06/28

田野先生の文はそういう風に書いてはいないけど、忖度してそうだとしよう。

それなら「そりゃナチスにも良い部分はあったかもしれんわ、けどそれでホロコースト免罪にはならねーから!別の話を混ぜないように!」でよくね?

増田がまさにそういう風に書いてるつもりだけど。何度何度も、別の話を混ぜずに扱えって話を。

ナチスに良いとこがあったとしても免罪にはならねーだろよと。 

 

さらに言えば、田野先生はそういう区別をつける知的能力になんらかの不自由をお持ちであるために「絶対悪」なる概念必要としてんじゃねーの?と。

 

mukudori69

絶対悪」という言葉に「世の中に絶対悪なんてないんじゃないですか〜」という反論してるの、そもそもあの議論の出発点さえ共有してないと思う。「社会学者」に「あっ…」で味方を得られると思う時点で底が知れる

頼もしいお方がきた。

絶対悪」はどのような学問のタームなのか

絶対悪」はどのような要件認定されるのか

これだけ答えてみてよ。

 

きちんと答えてくれたらあんたに一目置く。

それだけ吠えといてこれすら答えられずに逃げたら笑う。

予想しておくとまあ逃げるだろうな。

 

 

Permalink | 記事への反応(25) | 07:51

2021-06-18

anond:20210618034000

3年、いや2年、1年でいいかな。四季が全部回るととりあえず会社が1年に何やってるかがわかるでしょ。

それだけ働いてみて、本当にくだらないと思ったらやめたらいいと思う。

就職すると会社での生活仕事もさることながら、給料として自分自由に使えるお金があること、月給取りという社会的地位がとりあえず与えられる。

1年やってみて、そのどれもが下らないと思うなら辞めたらいいと思う。

でも、自分生活する収入を持たないことにはそれなりに不自由がある。

自分の親は何かとあれば札束で頬を叩くような人だったので、収入を得て親の金に屈さな生活が欲しかったけど、増田の親がそうでないならそういう動機づけはないよね。

2021-06-16

シナリオゲーと抜きゲ

シナリオゲーが好きな人間に対するコンプレックスってどうしたら解消できる?

刹那的快楽の瞬間最大風速をもっと高めてくとか?

いや、別にどうでもいいか

暇だからどうでもいいこと考えてるだけでした

かったるいなあ

追記

いろいろ分かった

基本抜きゲーでいつのまにかシナリオも読まされていているようなやつだと罪悪感無くて良い、さっき好きなエロ漫画見て思った

楽しく学ぼう的なやつ、動機づけまでしてくれてるようなやつ

そこまでしてもらわないといけないほど脳の回路って脆いと思うし、そういった技術があるなら頑張って欲しいし頼らせてほしいし、自分でそういうように仕向けていかないといけないんだな

2021-06-11

弱者男性本質的に救うには男女平等を徹底的に推し進めるしかない

弱者男性論はフェミニズムへのカウンターミラーリングからまれ概念で、だからこそカウンターミラーリング以上の社会的意義を持たないし目的もないというのは正しいと思うし、そのカウンターとしての意義すら見失ってしまった「あてがえ論」や「女性教育社会進出制限」などという時代錯誤意見は論外だと思う。

そういった過激思想を取り除いたとしても弱者男性論は結局の所かわいそうランキング向上運動しかなく、弱者であるから優遇されるべきだ、弱者なんだから強者女性)への攻撃正当化されるといった外部への責任転嫁に終止してしまい、その「成果」を得るためにますますかわいそうランキングを向上しようと自身弱者性をアイデンティティにしてしま矛盾に苛まされることになる。だからこそ、弱者男性論に解決すべきイシューはなく救いようはないという意見反論もわかる。

そうは言ってもフェミニズムという性別による差別に戦ってきた先輩の方法論に学び、弱者男性という階層集団発見され名前がつけられたことは意義があったんじゃないだろうか。名前があることで初めて対象考察できるようになる。弱者男性存在を頑なに認めない人もいるが、課題があることを認めることはそれを即時解決しなければいけないことを意味しないし、ましてや解決していないからと咎められることもない。人間できること・やれることには限界がある。まずは「弱者男性」という概念があることだけでも認識されれば十分な気がする。

そんな非モテ弱者男性を本当に救うのは、あてがえ論や女性社会進出制限など女性の権利を押さえつけることではなく男女平等を実現することではないかと思い至ったので簡単に書き下してみる。この増田では上でも書いたとおり特に非モテフォーカスした非モテ弱者男性論について書くので低収入等については考慮しない。一般弱者男性モテの話が切り離せない理由弱者男性論が女性に向けられる理由も同時に書こうと思う。

男女の所得格差

フェミニズムや反女性差別本丸の一つは間違いなく所得格差だろう。具体的な数字もありわかりやすく、女性社会進出指標としてよくあげられる。実際のところ、正規雇用社員において女性所得男性の75%程度に留まると言われており、男性と同一の労働でありながら女性であるからという理由所得格差がもたらされているとすればそれは差別的と言える。

たとえば、統計的女性20代後半から30代の離職率が高いので女性という属性によって雇用を渋ったり昇進を阻んでいるとしたら、それは犯罪率が高いという理由男性保育士雇用を渋るのと同様に差別的だ。

グラフデータはほしい結論仮定して読むと見誤る。女性所得が低いのは女性差別されているからというのは本当だろうか?女性自体が高い所得を望んでいないとしたら?日本女性幸福度男性幸福度に比べて著しく高い。目的手段を取り違えてはならない。大金を手にすることが目的ではなく幸せに生きることが本質的であり金はそのための手段に過ぎない。日本女性は稼ぐ必要に迫られずとも幸せになれるからそもそも稼ぐ必要がないということはないだろうか?逆に男性は「稼がされていて」それゆえに不幸で、女性労働から解放されていて「稼ぐ必要がない」ゆえに幸福なのではないだろうか?

仮に実際に稼ぎたかったとしても女性は稼ぐ努力をしているだろうか?非モテ弱者男性悲鳴を上げているとき真っ先に投げかけられる「モテ努力をしていないのでは?」「だからモテないんだ」という言葉、そのまま返ってくることは考えなかったのだろうか?まさかキラキラ文系キャンパスライフみたいなことをしてなんの学も積まずそれゆえに「パンプスを履かされる」ような労働しか選択肢がないことを差別などといっているのだろうか?低い職業能力しかいか容姿が問われるような目にあっているというぐらいの想像力もないのだろうか?女性性を求めず、責任に伴って高い給与を与えてくれる仕事なんていくらでもある。

シンプルな話として、そんなに稼ぎたいならなぜ女性理系を選ばないのか?少なくとも稼ぎたい女性であれば実際的に稼げる能力やそういったキャリアパス投資すべきだろう。理系修士博士女性の知人友人なら年収1000万程度かそれ以上も珍しくない。

成果物を求められる仕事成果物こそが全てだ。愛想笑いでは機械は動かない。そういった世界では性別なんてものは些末で、結果を出す人間こそが正義だし高い対価も支払われる。なぜそれを目指さないのか?「稼げる努力をしていないのでは?」「だから稼げないんだ」と言われても仕方ないのではないだろうか?

女性性的客体化

フェミニズムや反女性差別文脈で特徴的な表現女性性的客体化や性的消費というものがある。性的客体化はものすごく簡単にいえば「女性をモノとして扱うこと」「女性主体性を認めないこと」である

女性に限らずだが同じ人間人間として認めずモノのように扱うのはまったくもって不当であるし、そういう風景を見るのも不快に感じる。そして女性がそのような人間的でない、男性の性欲を満たすためのモノ扱いを受けるといったシーンは見たり聞いたりする。そういった加害者と戦うべきだ。書くのも嫌だがいわゆる「ヤリ捨て」といった言葉などにもあるように、モテ強者男性女性をモノのように扱うような話は枚挙にいとまがない。ではフェミニスト女性モテ強者男性と戦っているだろうか?

これはトートロジーではあるがモテ強者男性女性モテるのだ。すなわち、なぜかフェミニスト女性は自らを性的客体化するモテ強者男性攻撃しない。それどころかモテ強者男性に群がっているのだ。つまり女性性的客体化を積極的に支持しているのは女性自身という矛盾が生じる。そしてなぜか女性には触れることも会話することも早々にかなわない非モテ弱者男性攻撃するのである

フェミニズム文脈ではこの性的客体化の不自然適用がしばしば行われる。いわゆる二次元女性に対して「これは女性性的客体として扱っており、そのような表象女性の累積的な抑圧経験の強化につながる」と。たしかにこういった表象男性ATMに例えたり年収評価するようなことを公の場で発言することで直接的な男性経済的客体化・モノ化と同様抑圧的かもしれない。

このような過激な言説は一部の極端なフェミニストの行動であり大半の女性はそのような攻撃的なことは行っていないと思うかもしれない。しかし様々な研究で明らかになっている通り女性男性の上位2割程度にしか魅力を感じず、そして魅力を感じない非モテ弱者男性8割についてはその行動の如何に関わらず不快だと感じる。席替え非モテ弱者男性が隣の席になったからと泣く女性がいた場合加害者はどちらだろうか?

このような非モテ弱者男性積極的排斥しようという女性本能欲求が、相手を求める男性の「正(+)の性欲」に対して相手排斥しようとする女性の「負(-)の性欲」と表現されたことは記憶に新しい。

この負の性欲と「女性不快と思ったら加虐」とされるセクハラ性的消費という概念の組み合わせは非常に強く、何をやっても女性不快と思われかねない非モテ弱者男性女性の気分を少しでも害したらセクハラだと指弾され社会的抹殺されかねない。

女性男性に対して身体的に弱いため男性が近くにいると恐怖を感じるという話と同じように、非モテ弱者男性女性から中傷セクハラ指摘ナイフによっていつ刺されるか常に怯えながら生活しているのだ。悪いことに、暴力を振るえば逮捕は免れないが、セクハラ指摘なら非モテ弱者男性社会的に殺してもなんの罪にも問われない。

これが弱者男性論が非モテと不可分であることの理由であるモテの量は女性感情的加虐からの盾であり、非モテであることは女性から加虐を受けることを直接的に意味する。そしてその意味において現代日本男性ほとんどが弱者男性であり、結婚していても「本当に結婚たかった男」にはなれずATMとして扱われたり旦那デスノート罵倒されたり托卵されたりなど被虐される立場にあるのだ。あてがえ論は女性人権制限するという意味でもまったくもって荒唐無稽であるが、同時に弱者男性の救済にも値しない。

男女平等弱者男性を救う

ここまでだらだらとフェミニストの主張や女性差別について考察してきた。端的にまとめると現代日本では一般的に女性理性的に行動ができず本能を抑えることができない野蛮で怠惰状態にあるということが言えるかと思う。そしてそれが非モテ弱者男性という女性加虐される被差別階級を生み出している。

しかしここで短絡的に「だから女が悪いんだ!女はダメなんだ!」と思った方々は少し落ち着いてほしい。これは上記あくまでごくごく僅かな例から一般化した話であり、女性のすべてがそのように振る舞うということを意味しない。今短絡的に怒りに飲みこまれあなたより遥かに理性的で、高い成果を上げ人類に貢献してきた女性はそれこそ星の数ほどいるだろう。すなわち「女性であること」は「理性が弱く本能を抑えることができない野蛮で怠惰状態」の必要条件でも十分条件でもない。つまり弱者男性論に散見される女性叩きではなにも解決しない。そうではなく、現代日本女性がそのような野蛮で怠惰な振る舞いをしてしまいがちな構造的な問題があると考えるべきだ。

そしてその構造問題を解消できれば、女性理性的主体的になり男性同様本能を抑えられるようになることが期待できる。そしてそれは非モテ弱者男性にとって本質的な救いになりうる。

社会男性本能抑制するように要請することで近年の社会秩序の発展と女性地位向上がなされてきたように、女性本能を理性によって抑制できるようになれば女性による非モテ弱者男性への中傷排斥加虐が抑えられ、何度も訴えられてきた非モテ弱者男性の消耗した自尊感情社会とのつながりの回復も期待できるだろう。

では、女性本能を理性で抑制できず野蛮になってしま構造問題とはなんだろうか?おそらくそれは男女の不平等だろう。

男女平等を推進するには

未だに「女性高学歴だと結婚できない」「男性自分より所得の多い女性結婚したがらない」「女性家事愛嬌」といった女性に対する社会的抑圧は残念ながら存在する。そしてこのような女性教育社会進出を推奨せず結婚して扶養されることこそが幸せだという価値観の押しつけは女性教育社会進出を阻害するだけでなく、そういった過程で培われる理性的思考主体性女性から奪ってしまう。同時に女性に「私は社会から抑圧された」という言い訳を与えてしま努力するモチベーションを失わせて堕落させてしまう。こうして本能のままに弱者男性攻撃排除被害者面をしながら強者男性に媚びを売る怠惰女性構造的に発生してしまう。繰り返すが彼女らにその責任はない。構造問題構造的に解消されるべきだ。

ではこれらの慣習を打破し、男女平等を実現して女性理性的になってもらうにはどうしたらよいだろうか。高度化した現代では教育の水準がある程度強く所得に影響しており、経済的事由によって教育を受けるインセンティブを設定できる。すなわち女性が「稼がねば」と自ら思うような状況を生み出すことで、必然高い教育を受け理性が鍛えられ本能抑制できるようになることが期待できる。

ではどうやったら女性が「稼がねば」と思うようになるだろうか?わかりやすいのは婚姻制度にメスをいれることだ。しばしば「女性婚姻制度で楽をしている」「理解のある彼くん」と批判されるように、女性男性収入依存する構造女性怠惰堕落させ社会進出を阻んでいる。ひいては最初に上げた所得格差などを温存する結果となっている。

そのため女性男性収入依存できないようにし、女性自身必死に「稼がねば」と思うように法律修正するのが効果的なはずだ。たとえば

このように、女性男性収入依存するための多くの法律制度存在する。基本的にこれらの法律修正をしたとしても「一人暮らしが二人」の経済状況とは変わらないため、女性がきちんと社会進出労働し稼げている限りにおいて女性が極端に不利になることもないはずだ。にもかかわらずこれだけ「女性男性収入依存せよ」というシグナルが法律にまで入り込んでいるのはグロテスクに感じる。女性社会的制度によって強く婚姻男性依存して堕落することを動機づけられてしまっているのは異常だし、社会活躍たかった・できたはずの多くの女性にとって悲劇と言えるだろう。フェミニストとしても解決したい課題のはずだと思う。

もちろん女性出産に伴うフォローのための法改正も同時に必要になるだろう。これだけは男性にはどうしようもない。1年間の法定産休・育休と休職間中給与保証などの大胆な支援策もあるべきだと思う。フェミニストのいう結果平等はこういった形で強力に推進されるべきだろう。

出産後に男性経済的支援があるならとパートタイム等の責務の軽い・時間の短い仕事に移ってしま女性も多いと聞くが、上記婚姻制度改革によって男性依存を断ち切ることで改善が期待できる。男性のように「働かなければ・キャリアを失ったら死ぬ」という緊張感があれば成長意欲も刺激されるだろうし離職率も下がって「女性は30代になると離職するから」などという理由採用・昇進を渋られることもなくなっていくだろう。

このような先進的な男女平等の実現・婚姻制度解体によって女性男性同様社会に参画し、男性に求められるよう女性も理性によって本能を抑え他者への加虐性を抑制することで、弱者男性は初めて「弱者男性」としてではなく「弱者」として男女平等な救済の道に進めるだろう。弱者男性本質的な救済は男女平等推し進めることにあるはずなのだ

2021-05-05

anond:20210505195211

完全雇用になると人の奪い合いで賃金が上がっていくよ。

完全雇用をまず目指すというのはJGPには同意する。

しかし、非自発的失業者というのは様々なケースが有る。とくに子育て中とか精神が病んでしまったとか。

とすると、賃金が上がるが、このあたりの人ならなんとか使えると、使いこなすよう努力をして使いこなすように仕向ける必要があると思う。例えば子育て中であればヤクルトレディみたいに事業所保育所を設けて勤務体系を整えるとか、

精神が病んでしまった人は対人がない軽い単純作業をさせるとか。

仕事をさせる側も使おうという動機づけ必要だと思う。それこそ金やるからいいだろみたいな感じで穴掘りみたいなこととか、強引に割り当てられた仕事にいけみたいな形でブラック自治会派遣されたりとかある。

JGPで強引に割り当てる形だと、ブラックだとしても逃げられない。基本ブラック職場への対処転職やすいようにして転職するというのがいいとは考えている。

から失業をなくせというのは理解するだが、あくまで軽いインフレ労働需要を増やして対処するのが望ましいと考えてる。何よりせっかくなら供給寄与する仕事のほうが経済成長につながる。

貨幣論としての問題ではなく、仕事やらせるのはどういうことかという方向から観点だ。本当にどう仕様も使えない人向けのJGPはあり得るが、最後の手段ではないかと思う。

2021-03-16

コロナワクチン安全神話原発安全神話

https://anond.hatelabo.jp/20210315160051 を受けて。

暴論アナロジー椎名林檎みたい)という自覚はある。

福島以前の原発事故リスクについての議論と同様に、コロナワクチンの長期リスクについて、感情論議論にフタがされすぎではないかという点について。

共通点

1) 社会的要請が強い
2) リスク専門家判断する
3) 一部のリスクは「科学的に」対処されている
4) 一方で、未知のリスク存在する
5) 専門家には、利害関係があったり、圧力がかかる

原発はどうなったか

アメリカ原発安全基準日本へ導入された。

しかし、日本環境地震津波)に合わせた災害対策は十分に行われなかった(「地震津波が同時に来ることは想定していなかった」)。

電力会社等の専門家には、利害関係からリスクを十分に調査する動機づけがなかった(リスクが見つかれば原発が止まり、採算が取れない)。

福島以前に、「原発には本当にリスクがないのか」という問題提起をすれば、下記のような議論が行われていた。

このため、「原発には本当にリスクがないのか」という問題提起論点がズラされ、日本国民は、「原発災害対策が不十分である」という本質にたどり着くことができなかった。

原発安全神話化された結果、地震津波により、原発事故が起きた。

コロナワクチンはどうなりうるか

海外治験実験を終えたワクチンが輸入された。

専門家会議は、ワクチンの長期リスク判断するように求められるが、当然、長期の治験実験をやる時間はない。

日本は、諸外国経済活動再開に遅れを取るわけには行かない。

専門家会議は、おそらくあっても僅かであろう長期リスクには目を瞑り、「コロナワクチン安全である」と発表する(させられる)。

結果、長期リスクや、ワクチン流通オペレーションミスについての議論にはフタがされ、リスク徴候は見過ごされる。

可能であったはずのリスク管理がなされず、大規模な事故が起きる。

コロナワクチンには長期リスクがないのか」という問題提起をすれば、下記のような議論が行われる。

コロナワクチン安全神話化され、必要リスク対処ができず、事故が起きる。

何をするべきか

原発事故の原因は、専門家意思決定過程にあった。

まり専門家からといって、利害関係者が意思決定を行ってしまっために、リスクが見過ごされた。

実際、事故反省として、原子力規制委員会経産省から分離・設立された。

アナロジーで考えるなら、日本国民は、まず、コロナワクチンリスク評価が行われている意思決定過程を改良するべきだ。

現在組織構成では、専門家会議が、その内部で、集団免疫獲得と経済活動再開の両方のバランスをとりながら意思決定を行っている。

妙な話だが、コロナワクチンリスク可能な限り科学的に評価すべき組織が、同時に、日本経済活動再開の責任も担っている。

経済活動再開を停止することは目に見える損失であるため、経済活動再開ありきで、コロナワクチンリスク過小評価した意思決定に陥りやすい。

例えば、コロナワクチン政策に対する批判的な立場責任組織を作り、専門家会議との議論国民に公開することで、真のリスク対処し、事故を防ぐことができるのではないか

2021-02-28

anond:20210228070751

中小企業支援が手厚すぎるからって話をどっかで見たのを思い出した。

中小企業支援が皆無だと、大きいところに買われたり、合併して大きくなって数の力で何とかするという動機づけが生まれるけれど、中小企業支援が手厚いので一定以上大きくしない方向に動機づけがなされる。結果、従業員数50名以下の企業国内で大量にひしめき合うことになる。

サイズが小さいと一人休んだ場合の影響が大きいので、自由に休めないという空気が生まれいくら国が旗を振ったところで有休消化率が今一つになったり、育休取得率が今一つになったりする。

企業のできることも人数と予算制限されてしまって、余裕がないとできないような研究開発や実験的な試みが難しく、イノベーションも生まれにくくなる。

また、余裕があれば多少の失敗は目をつぶってどんどんチャレンジさせるという方針も取れるが、余裕がないのでどうしても減点主義になり、さらイノベーションから遠のく。

...と書きながら思ったのだが、独占禁止法の各国での運用はどうなんだろう?

アメリカEUは大きくなるまで放置したうえで、市民巨大企業に対する怨嗟の声が抑えられなくなったところで、独占禁止法で鉄槌を下してぶっ壊すってイメージがある。

日本は寡占状態を避けるようにそもそも運用されているのか、巨大寡占企業独占禁止法鉄槌を下すというイメージがあまりない。

戦前日本史を見ると同業小企業競争し、強い方が弱い方を買うというのをまあまあ見るんだけれど、ここ30年くらいそんなことが起きているイメージがない。

...いや、メルペイがオリガミ買収したくらいはあったけれど、それを手掛ける企業資本に守られているのか、なんとかpayはそれ以上は統廃合が進まなかったな。

それを言えば、なんでそれら企業はその辺で蓄積した技術もないのに自分でやっちゃうんだろう?例えば、7&iと郵政グループオリガミの買収を巡って争ってもよかったと思うんだけど...アメリカだったらSoftbank楽天メルカリ買収みたいなルート普通にあるだろうと思うのだが、なぜかそういうことって起きないよね。

2021-02-20

どさくさ紛れに族滅に理解を示すはてなリベラルwww

corydalis 中国一族誅滅なのは子供に美田を残すことが悪事動機づけになっていたからで、これだけ政治屋地盤看板子供に受け継がせ資金団体脱税賄賂でも知らぬで免罪と、子に罪は及ばないとかお人好しにも程がある。 自民党の悪政 大人とは 世も末 老害 犯罪 これはひどい あたまがわるい

2021/02/20 リンク yellow21yellow

その理由なら財産没収追放で十分じゃねーか。

三族九族皆殺しなんてやってたのは行き過ぎた加虐心・残酷趣味見せしめに他ならない。

あとは何より、それをやる施政者側の、いつか復讐されるのが怖いから根絶やしにしようという怯えだよ。

 

 

ウヨが言ってるならまだしも仮にもリベラルとかサヨを騙る奴が言うことかねこれが。

「誅滅」なんていう字面自体に凄まじい傲慢さを感じ取って吐き気を催すのが反権力センスというものだろうに

こんな言葉理解示すような文脈で使うってとんでもねえことだぞ。

 

ぶっ殺してやる家族も皆殺しにしてやるこれは罰だ誅だという、

施政者目線どころか独裁者目線加虐心で興奮するこいつ。

こんなんもはやはて「サ」と呼ぶのも憚られるわ。

2021-02-12

話題独身税たっぷり触れてます。【移民と置き換わり、消滅しゆく日本人への「逆説の少子化対策」】

https://yt3079.hatenablog.com/

日本人は毎年数十万人単位で急減の一方で、移民外国人住民)は毎年増加(コロナ渦で数年はずれるが)を続ける

日本人移民人口比逆転は時間問題「40年後の40才以下の3人に1人は移民?」

出生率に変化がなければ、将来の人口動態もほぼ推計通りになる) 

◎約90年で人口が半減するスピードしか子供が少なく老人が多い)。人種単位の持続性の観点では有事であり、危機非常事態。それなのに対策は後手後手

→例えば、ウイルス蔓延現在進行形悪化スピードが早く、人権制限してでも効果的で思い切った対策をとる機運も生まれやすいが、少子高齢化ダメージ時間スピードが遅いために、切迫感が低く、結果、対策が「常に」後手に回る。

◎現状の育児支援中心で自由意志に期待した少子化対策は30年以上、毎年失敗の連続政府自治体対策対象世帯である「産みたくても産めない人。結婚したくてもできない人」はどれだけ存在するのか。被害者感情に流される対策効果が出ていないのが現実

→本当はお金ではなく、大変だから子作りをしたくない。面倒だから結婚したくない。だから育児支援保育所いくら作っても、育休を増やしても結婚に結びつかず、子供は増えない。(平均年収の倍で待機児童のない東京都千代田区出生率は全国平均以下)

出生率低下の要因は未婚率の上昇と多産の減少。その原因とされる「格差拡大説」はどこまで正しいのか。

独身低所得者が多いのは「原因ではなく、結果」。1970年代までは、低所得者年収200万円以下)でもほぼ結婚して子供がいたが、現在戦時中よりもはるかに低い出生率日本を含む先進国生活多様化しており、コスト要因の結婚必要性優先順位の低下により、低所得者から結婚回避するようになった。

◎子作りしたい人への環境支援ではなく、子作り「したいと思っていない人」に子作りを促す対策重要

→既婚者の完結出生児数は約2人であり、現実として子作りをしたい人は支援関係なく、子供を作っている。問題出生率低下の要因である未婚者の急増であり、結婚を諦めている人、意欲に乏しい人にどう働きかけるかがカギ。結婚個人自由だが、その自由により、社会の持続性を大きく損ねている。

動機に働きかけ効果だけ求めた少子化対策は次の通り。「3大義務同様に子作りの努力義務化の指針」「第3子以降に1000万円超など、多産ボーナス」「子作り負担のなく福祉を受ける40才以上の独身増税実質的独身税)」

→早婚に金銭メリットが生じて、相手理想ハードルが下がり、これまで結婚できなかった層も結婚相手対象に。育児放棄など社会問題の増加より、少子化放置で起こる社会問題の方がはるかに深刻。消費性向の高い育児世帯と若年人口が増えれば内需が復活。

少子化対策の失敗は、効果でなく倫理的視点(受け入れられやす育児支援のみ)で選ぶから失敗する。本来負担の大きい子作りに対し、反発のない対策効果も期待できないはず(作用反作用法則)。先祖の多大な負担があったからこそ、現代人が存在する。現代人が身勝手倫理モラル負担回避正当化すれば、将来世代は先細りの一方。

目的少子化解消)は手段人権問題があるが効果を見込める対策)はを正当化するのか。メリットデメリットを上回れば導入すべき(人が減り続ける悲惨社会になっても、子供を作らない自由意思尊重大事なのか? 倫理観や同義性の遵守より、手段が受け入れ難くても「問題解決を優先」すべき) 

★本稿のポイント

少子化対策の「思い込み=(人権モラル少子化解消よりも重要)」を解消し、少子化対策にの人権モラル我慢すれば、効果的な対策を実行でき、少子化問題解決可能。昔の子沢山を成立させていた周囲のプレッシャーや後継、労働担い手などの子供が生まれる要素が無くなった現在、「法律一本の施行」で制度を作り、子作りに動機を与えて出生率の上昇に繋がる具体策を提案する。それを実行するには、いかにしてハードルとなる人権倫理観を我慢してもらうのかの説得が少子化対策本質にして、本稿の最大のテーマだ。少子化が解消し子供が増えれば、内需が復活し日本経済回復する。本書では、このままの少子化状況が続いた場合日本人に訪れる悲惨運命とそれを回避するための、効果を優先した対策提案解説する。

〜〜〜〜〜〜

近代社会学の祖オーギュスト・コントは「国の未来人口構成で決まる」と見抜いたそうな。人口を減らしながら常に高齢者が多い逆ピラミッド状の人口構成では、衰退は避けられません。合計特殊出生率1.36(2019年)と低迷を続ける日本。このまま人口が減り続ければ、国の発展以前に現日本人が将来的に存続できなくなります。存続できない可能性が高いのではなく、日本人出生率が2を切り続ければ将来的に存続できなくなるのは物理現象です。それに対し、どこか他人事日本社会政治問題意識を投げかけたいと思います

問題解決するより、発見する方が困難です。個人組織も、自ら気づかない潜在的問題により、傾いていきます少子化問題は極めて深刻な問題にも関わらず、政府少子化対策関連予算先進国の中でも総予算に占める割合が低く、口では声高に危機感を高めていると言っても、財政支出観点からは本気度が極めて低く、問題視していないレベルと明確に言えるでしょう。2019年末に決まった26兆円(真水4.3兆円)の経済対策でも少子化関連には1円も使っていません。使い先は電線の地中化など。。

現状の少子化対策育児支援など環境整備の観点しかなく、30年間も同じような方向性政策しかとられておらず、改善兆しが全くないのに、「地道にやるしかない。環境整備が大事だ」と言い続けています。一方、日本人が減り続ける中で、近年の政府実質的移民政策に大きく舵を切りました。100年後の日本列島は日本人移民の混在する国になっていますさらに、それ以降も出生率が大幅に回復しない限り、容赦無く日本人は減り続ける一方で移民割合は増え続け、その時の日本国籍のルーツ海外由来になっている可能性が物理的に極めて高くなります公用語中国語などに変わっている可能性も十分あるでしょう。

そうはならない為の少子化対策。現状の育児環境改善策以外にも、視点を変えれば効果のある対策はあるはずです。出産育児個人権利に関わる問題ですが、残念ながら環境支援だけで結婚、子作りの有無を自由意志に委ねた現在少子化対策では増えていない現実があります。それを改善するためには、より、子作りの動機付けに導く政策必要であると考えますしかしそういった対策は、個人自由意志に反する可能性のある対策であり、モラル倫理観の問題で実行に大きな障壁がありますしかし、動機付けの対策有効性があって少子化改善される可能性があっても、現代人のモラル人権を優先すべきなのでしょうか。その優先順位がどうあるべきか、問題提起したいと思います

少なくとも現状の育児支援中心の対策より、効果が見込めそうな対策を、モラル現代人の自由権利理由放棄してもいいのか。現代人のモラル価値観はその人種の存続や持続性以上に重要価値観なのかーー。

このように、少子化対策の具体策だけでなく、タブー視される少子化対策問題に対し、「どう向き合って、どう考えるべきか」。そういった観点を問いただすような内容になります現在出尽くしている対策論点とは違った観点と具体的な対策提案し、実効性のある少子高齢化対策に繋げたいと思います

【要点・トピック

現状の少子高齢化改善しないまま、実質的移民外国人労働者を受け入れ続けると、いずれ日本人移民が「人口比で逆転」する事になる。日本人の為の日本ではなくなり、多民族国家に変わる。日本人外国由来の国民住民人口構成逆転に繋がる現象はすでに進行しており、人口構成比の逆転は時間問題。不可逆になる前に手を打つべき。

政府自治体育児環境支援ばかりの少子化対策は結果が出ておらず、失敗との結論けが必要国民自主性に任せれば、少子化は進行する一方。少子化構成要素である未婚率の高まり少子化現象の原因ではなく結果。日本を含む先進国が直面する少子化の原因は文明化による価値観多様化で、結婚と子作りの優先順位が下がった事による晩婚化、非婚化が進んだ影響。現状の育児支援中心の対策方針を「大幅に変えないと」今後もさら日本人は減り続ける。子作りの動機付けをアメとムチの両面でやるくらいでないと解決は難しい。効果的な対策を打てば「翌年から出生率は著しく反応する事が過去の事例からも分かっている。子供が増えだし、出生率が2を越えれば、日本の将来は明るい。

モラル倫理観、自由意志を優先して、負担感のある少子化対策をせず、現状の効果が上がってない対策をなおもやり続け、その結果このまま滅びるか、逆にモラル人権をある程度我慢して、有効性のある対策を実行し、安定した持続性のある社会にするかーー。

続きは以下にて

https://yt3079.hatenablog.com/

ーー第一部//「現日本人が少数派になる日」ーー

第一章・日本人が少数派になる日

◆このまま人口が減り続けると、どうなるのか

政権関係なく、労働や消費の担い手不足という現実問題対応するため、政府経済団体は、外国人労働者という形態で、実質的移民国連定義では1年以上住む外国人)の受け入れをさら推し進めるようになるだろう。実際、2018年の「骨太の方針」でも外国人労働者受け入れ拡大の方針が決まり、2019年4月には改正入管法施行された。彼ら外国人高齢者になった時、どうなるか。もちろん追い返す事はできず、いずれは外国人移民高齢化問題も出てくる。

このまま、日本人人口減少分を外国人で補おうとすると、コロナ渦で数年はずれ込むだろうが、基本的には時間の進行とともに、日本人外国人比率が相反し、やがて逆転することになる。この点ははるか先の未来の事として、ほぼほぼ論じられていない。このままでいいのだろうか。すでに東京都内ではかつて外国人が多かった街は新大久保観光地くらいだったが、今や主要繁華街で昼夜問わず、その割合は静かに増え続けている感がある。

出生率数字は「人口が減っていくかもしれない」危険指数ではなく、数値が2.0を下回る状況が続けば「いつまでに人口ゼロになるか」の確定年数を導ける指数内戦中のシリアアフガン北朝鮮より先行きが危ない少子化日本

出生率を人に問うても、いまひとつ危機感が薄い。出生率低下と言っても、「人口ゼロになる事は無いだろう」「単なる警告信号のような数字だ」と、漠然認識する人は多い。しかし、出生率の1.41という数値は男女2人の親から約30年後の次の出産サイクル時の出生数は1.41人しかまれてこない計算だ。これを分かりやすく1人に置き換えると約0.7人になる。1年間の出生数が87万人(2019年出生数)だとすると、この世代が、第一子を生む頃の30年後は87万×0.7の約60万人、その30年後は約42万人。その30年後は約30万人とどんどん減り続ける。そんなバカなと思うかもしれないが、実際、第二次ベビーブームの1973年は209万人の出生数で、彼らが出産適齢期になった30年後の2003年あたりは不景気の影響もあって、出生率が1.26程度まで減っており、その結果、113万人と親世代の半分程度の出生数に落ち込んでしまった。団塊ジュニア世代就職氷河期世代不況と重なる運の悪さがあったが、現実的に、出生率が2を切ると、容赦なくその数値の割合だけ、出生数は減り、人口が減り続けるのである

この危機感の無さには、「出生率」と言う単語にも問題があるのではないか。2018年に国会を通過した「働き方改革」も「残業代カット改革」なら法案は通らなかっただろう。それほど名前大事だ。言葉は悪いが「人口半減期」のような数字で、出生率人口が「半減する期間」で示した方が分かりやすいのではないか。例えば、今の出生率が続くと人口半減期はおよそ80~90年だ。つまり、2100年ころには日本の総人口は6000万人に半減している計算だ。今の出生率が続いた場合に、半減するまでの期間を書いた方が、危機感は伝わり易いだろう。

内戦シリアアフガン独裁政権下の北朝鮮はいずれも出生率が2を上回る。いくら内戦政治不安経済状態が悪くても、それにより大規模な内戦に発展しない限り年間1万人も死亡する事はない。しかし、日本では団塊世代平均寿命を迎える2030年頃は年間170万人程度の人口減を経験することになる。そして、今後70年かけて日本の総人口が6000万人に減少すると予測されている。結果的に早く滅びる国がいい国と言えるのだろうか。

◆現日本人外国人実質的移民)に徐々に置き換わり、日本人はやがて少数派に転落して、いずれゼロになる・・・100年後に純粋日本人消滅へ。アメリカではすでに16歳未満で白人過半数割れ

移民が来ても、混血化するから日本人の血は残るはず」というのは大きな誤解である出生率が2を割っていれば、人口減少は続き、その減少を補うために、時間の進行とともに、外国人移民が入り続け、日本人の血はゼロになるまで混血化しながら希釈化され続けていく。

2020年6月には国勢調査局の統計を基にAP通信がまとめた情勢によれば、アメリカではすでに16歳未満で白人人口が初めて半分を割ったという。流入が急増するヒスパニック黒人アジア系に対し、白人人口が増えなかったためだ。アメリカでは1990年に75%だった白人割合は2020年現在は60%に急減。たった30年で約20%も人種割合が低下したことになる。さら2045年までに白人人口が半分を割るという推計がある。白人出生率が2を切り続けて増えず、白人人口ゼロに向かい減っていく一方で、ヒスパニックアジア系流入がその穴を埋めているためであるアメリカ出生率は2を上回っているが、それはヒスパニックを中心に移民出生率が高いためである現在アメリカ多民族国家だが、そのうち白人が減り、やがて黒人ヒスパニックだけの国になり、逆に多様性は少なくなっていく可能性が高い。

日本は今のPermalink | 記事への反応(1) | 02:50

2021-01-27

テーマ動機付け

https://note.com/shodamiwa/n/n65b84888f562

ヒント1

「旅の始まりたる動機づけ」と、「旅の終わりたるテーマ昇華」。

このふたつを、一緒くたにしないこと。

ヒント2

動機づけは、基本最後まで同じ形で引っ張るもの

入口と出口が、そこそこ一致するもの

ヒント3

テーマは、基本最後まで様々に揺れ動くもの

動機づけたる目的を求める道中で、自由に描いていけるもの

2021-01-08

世界ピクニックアニメ微妙だった

世界ピクニック原作が好きだ。洒落怖が好きだし、百合も好きだ。勘違いだと分かっていても「私のために書かれた」と思えるくらい自分の好みにストレートだった。

コミカライズも好きだ。『スパイラル』、『天賀井さん』の水野英多だ。さすがに原作に比べると……と思いつつも、おおむね満足できるものにしてくれている。

なので、裏世界ピクニックの評判を下げたいという意図はない。

この先はただただアニメ版の内容について罵倒しているので、どうか原作を5巻まで買ってから読んでほしい。というか、原作だけ買って、この日記は読まないでください。

プライムビデオ

https://www.amazon.co.jp/dp/B08RHTTWFD

GYAO!

https://gyao.yahoo.co.jp/title/5fe5aa72-7dda-40e2-8b9b-d79a5f694f5e

原作電子版の1~4巻の合本が1月17日まで1375円(1冊340円!)なので今すぐ読んでください。

https://www.amazon.co.jp/dp/B08QCS76K1

アバン

空魚と鳥子の初接触

空魚が「人間!?」と口パクで喋る。何かおかしいな、と思った。

原作に当たると、“不意を打たれて、言葉が出なかった”とある別に原作一言一句まで覚えているわけじゃなく、「声を出して反応ならぬ反応をする、しかもその際頭が動く」というシーンに違和感があった。心理ネーム口パクで処理するのはアニメ的な演出ではあるので、目くじらを立ててとやかく言う場面ではないけど。

人間です」というおうむ返しも微妙。人語を介しているなら人間だし、あるいはそうでなかったとしても判別はできないので、原作のとおり「生きてます」の方が自然

くねくねの見た目

私はなんとなく、人間かかしヒトガタ・ニンゲンムーミンの「ニョロニョロ」辺りを混ぜたような見た目を想像していた。が、アニメだと『ハルヒ』の神人のようなデザインになっている。

自分解釈が唯一の正解だ、などと驕るわけではないのでそれ自体別にいいんだけど(神々しすぎて田んぼにいそうじゃないなとは思うけど)、『ガンバ』のノロイみたいになるのが残念すぎる。くねくねの怖さって、「不思議ものがいる」「不意に見てしまい、見続けてしまう」「その結果、壊れる」というものであって、「攻撃的な見た目の『敵』に攻撃される」というものではないと思う。『不安の種』みたいな「気持ち悪い」であって、「怖い」ではあってほしくなかった。

見返していると、冒頭から違和感に気付く。1カット目が「ウルトラブルーなのだくねくねに当てられたファーストカットは、無力なまま死んでいくことへの恐怖が描かれているはずだ。それを「裏世界の深部」と表現するのは誤っている……というか、情緒理解していない。

空魚がくねくねに呑まれるシーン

ここもひどい。原作にはこうある。“止まらない目眩の渦に呑み込まれるように意識が落ちていく。”

アニメでは、水たまりが突然深くなり、そこに溺れていくさまが描かれる。溺死ではなく、地面に足がつかず溺れるような描写はまだ、イメージ映像として理解できるけど、その次のカットが鳥瞰で、水たまりには誰もいない。つまり、本当に「落ちた」と表現している。

鳥瞰のカット鳥子がいないのは、カメラ的に丁度切れているんだろうけど、切る意図が分からない。目の前で沈んだのなら助けられるけど、人がいることが見えないまま水たまりに呑み込まれても、動けないだろう。

鳥子嘔吐

このシーンは、完全なギャグだ。原作だと、「うえっ」と言い、舌を出すにとどまっている。今まさに敵に襲われている、という場面で、二人して背を向け、四つん這いになって吐き真似をしている(もしくは、ギャグ的な演技だが実際に吐いている)。リアクションが大げさすぎて、真実味が削がれている。

OPCHiCO with HoneyWorksであることからも、また「ハヤカワ・ジュニア・ブックス」という新レーベル原作1巻を刊行することからも、子供向けアニメとしての側面があることがうかがえるので、この「翻案」を悪いと言ってしまうのはよくないのだろう。

モノローグが少ないのもこのためと思われる。『鬼滅の刃』がアニメであそこまで子供から人気を得たので、子供向けに焦点を合わせるという売り方は間違ってはないと思う。それが裏世界ピクニックでやることなのかは疑問だけど。

ラスト鳥子が足を滑らせるシーン

これは原作を読み返して気付いたのだけど、原作だと水たまりに嵌りそうになっている。これは最初から嵌っていた空魚との対比であり、ある種、「助け合うことでイーブンになった」と読み取れる。

アニメでは崖から落ちるよう改変されている(一応、その下に水たまりはあるのだけど)。何故こう改変したのかというと、「滑る」「滑り落ちる」ことを分かりやすビジュアル化したかったのだろう。子供が見ると定した場合アニメ版描写の方が分かりやすいだろうし、これに関しては一概に悪い改変とは言い切れない。

Aパート

冒頭

ちょっと絶望的な始まり方だった。まんま原作と同じ流れだ。小説受け手想像力に依存するのである程度場面を飛ばしても問題がないけど、映像化するのならその辺はちゃんと補完してほしかった。

前述のとおり(というのは私が勝手に思っているだけなので見当違いかもしれないけど)、モノローグが大幅にカットされているので、余計に理解しづらくなっている。

六面体のアップ→OP→走る二人という唐突な場面転換ののちに、埼玉大宮ロケーションが映し出されるが、不自然に人がおらず、そこが表世界なのか裏世界なのは判別がつかない。無意味に確定できない情報視聴者不快にさせるので、アバンからAパートをまともに繋ぐ気がないのなら、せめて人の営みを描写してほしかった。

怪談くねくね』」という紹介

私が1話で一番引っ掛かったのはここ。そもそも私は「くねくね」を「怪談」だと思っていない。実話怪談洒落怖)については原作自身単行本で記しているので譲るが、少なくとも、「怪談くねくね』」と演目のように言うようなものではないと思っている。

リッチアニメだったなら、くねくねの紹介の際にイメージカットではなく、書き込みをそのままアニメ化とかしてくれたのだろうけど、それを望むのは贅沢すぎか。

六面体について

空魚は「私たちだけ映っていない」と述べる。

アニメでは、アバン最後とこのシーンで二回、六面体を描いている。その二つの場面で模様(?)が違うので、映像的に語れたと判断したのだろうけど、「鏡面なのに私たちだけ映っていない」くらいは言ってもよかったのでは。ほんのり光っているし、CGを貼りつけて背景を描画し続けているわけでもないし、一見して鏡面だと分かるのかな。「自分たちが映っていないことを除けば何の変哲もないキューブ」と原作から読み取っていたので、ちょっと違和感があった。

鳥子が扉を開けるシーン

緊張感がない。空魚は棒立ちで、ゲートに無頓着。そのまま次のカットに移るが、今度は空魚が茫然自失で立ち尽くしている。アニメなのだから、ここは「大慌てする空魚」と「扉が開いて=ゲートが消滅してしま憮然とする空魚」で対比させてもよかったのでは。

扉が開いても、前述のとおり商店街に人がいないので、現実世界に引き戻されたという絶望感もない。

空魚のモノローグが削られているので、この時点で裏世界が空魚にとって特別ものだったと、視聴者には分からないのに、次のカットはいきなり鳥子が空魚を慰めている。極力モノローグ排除したいのなら、ここでこそイメージカットを使うとか、原作どおりに進行させるのではなく回想なりを入れるとか、空魚に鳥子に対して語らせるとかしてもよかったのでは。ただ原作をそのままなぞってアニメにするのは、誠実な仕事とは思えない。

空魚のスマホ文字化けしているシーン

アップで画面を映して、点滅しているだけなので、「ちょっと調子が悪いときスマホ」くらいにしか見えない。もうちょっと引きで撮るとか、平常時の画面をフラッシュバックさせるとかしないと、どんな異常が起きたのが分かりづらい。

六面体もそうだけど、裏世界のもの・裏世界に触れたものをやたらと発光させるので現実味がなくなってしまっている。日常侵食されていくふうには演出できなかったのかな。

大学構内でカラテカが二人の会話を聞いていたというアニオリ

うーん。いやあ、まあ、そういうこともあるだろう。「こいつ、後の話で出てくるんだぜ!」って、知ってたら自慢できるだろう。オッドアイ前の空魚と偶然出会っていた可能性もあるだろう。これは……ねえ。別にそんな、全然あれじゃないんだけど。遊び心だし。なんか、変に必然なっちゃったというかさ、ねえ。

鳥子勧誘シーン

金銭についての会話が丸々カットされている。あくまで空魚は打算で動いた、という建前があるからこそ、二人の関係は成り立っているのではないか

終電、なくなっちゃったね」は別に事実を口にしているわけじゃなくて、「帰りの足がなくなったから、ここで泊まるのも仕方ないよね」ということだ。大金に目がくらんだからあの危険な裏世界にまた行く、初めて会った人間と行動を共にする、そういう言い訳があるから空魚は動いたんじゃないのか。

アバン授業料奨学金の話をしているのに、ここでリアリティのディティーである携帯電話の修理なんかをカットして、主人公動機づけができていないのは問題だ。

エレベーターでの会話

「空魚ならそんな話、聞いたことあるんじゃない?」に対して、原作では返答しているが、アニメでは無言で、頷きもしない。くねくねについての知識があるのなら、ここでも語るのが自然……だけど、モノローグを使いたくないか無視させたのかな。

5階で乗り込もうとしてくる人物は、くねくねビジュアル以上に残念。このシーン……というより類話の怖さというのは、「何の変哲もない人間」というのが肝だと思っている。あくま日常範疇に、怪異存在侵食している、というのが怖いのであって、発光して明らかにお化けですって面した化け物が走ってきても、それは全く怖くない。

心霊写真だ、と言って渡されたのに骸骨が浮かんでいたら笑ってしまうだろう。一見すると普通の人なのによく見たら首が180度捻じ曲がっていた、という不和が怖いのだ。

Bパート

くねくね考察カット

個人的に、怪異同士や無関係神話群を結び付けて考えるのが好きなので、ここがカットされたのは悲しい。私は裏世界怪異たちを「人間意識をハックした結果、最も効率的に恐怖を感じさせるもの洒落怖だったので、そのテキスト抽出し、対象に見せている」だと思っているので、その場合だと「くねくねの正体」なんかを考えても何にもならないから、カットしても問題ないんだけど。

くねくねとの戦闘

くねくねのせいで目眩や倦怠感がある、ということだと思うんだけど、アニメでは空魚が銃声に驚いて身をかがめ、鳥子は銃が効かないことでへたり込んだように見える。くねくねと「目」が合った瞬間に空魚をアップにするとか、くねくね特性を分かりやす描写したカットが欲しかった。

現状把握のシーンでは、二人にくねくねが迫ってくる。くねくねって別に直接的な接触攻撃してくるわけじゃなくて、「遠目で見ていたらいつの間にか気が狂っていた」というものであって、原作にある遠近感が狂うというのも、アリス症候群的な話なんじゃないのか。悠長に二人で会話している間に攻撃的な見た目のくねくねが直接襲ってくるという、よく分からない絵面になってしまっている。

「分かる」シーン

原作を読んだ限りだと、オカ板の書き込みと「わかった! わかった! わかった! わかった!!」は、空魚が実際に声に出している。アニメではどこまでが心理ネームでどこから発声しているのか分かりづらい。

ただ、ここは私が原作特に気に入っているシーンなので、過剰に意識しているだけかもしれない。錯乱した感覚、脳を内側から侵食されていく不安定さが、テキスト表現されているのが好きだったので、映像化するとその辺の演出が変わってしまうのはしょうがない。

ラストカット

鳥子の「打ち上げってしたことないんだ」がアニメではカットされているが、冴月-鳥子-空魚という関係性で鳥子処女性を描いているので、百合的にはここがカットされたのは残念。

次回予告

打ち上げギャグとして処理されてしまっている。非日常である世界との対比として、表世界リアリティを保たなければならないのだけど、商店街のシーンといい、配慮が足りていない。

OPでは普通作画打ち上げが描かれているし、「ファイル5」では中間領域のために必須の場面なので、おまけとして、意図的にギャグで崩しているのだろう。

前述のように子供向けアニメとして作られたという私の読みが正しかった場合、このコーナーの存在理解できる。『鬼滅の刃』も本編とは関係のないギャグ風の次回予告をしているからだ。

その他

引きの絵がCGなのは何も言わない。『ラブライブ』はライブシーンで作画CGを組み合わせていたのが特徴的だったし、『裏世界ピクニック』もそういうアニメ、ということなのだろう。

アニメ監督の川崎逸朗氏によると“2021年アニメ新番組(中略)その全てがコロナ禍で作業されてきたもの”とのことなので、何なら、今後もこういった形式アニメは増えていくのだろう。

https://twitter.com/itsuro_k/status/1346667359788879874

空魚と鳥子、声逆じゃない? 別に不満とかではないんだけど、空魚の方が高音で鳥子の方が落ち着いた感じだと思ってた。そりゃまあ、オーディションりあるわけで、そこで逆パターンもやって結果こっちになったんだろうけど。これは完全に私の好みです。

いいところ探し

OPCHiCO with HoneyWorks

さすがに私でも知っている。ティーンのことはよく分からないけど、これはいいことなのでは。

オフィーリアと土佐衛門

オフィーリアと土佐衛門はいいアニオリだと思う。ただ、汚い例を先に出して、「オフィ―リアと取り繕ってみたけど本心では土左衛門呼びしている」の方がよかったと思うけど。

子供原作を読ませている

ウダウダと書き連ねてきたけど、アニメ化に際してこうやって実際に子供原作を読ませているだけで満点なんじゃないかな。子供ネットロア知らんでしょ、と思ってたんだけど、どうやら普通に知っているようでよかった。「日本おかし現代妖怪図鑑」なんて本も出ているらしく、妖怪都市伝説と同じくらいの認知度があるんでしょうか。

https://www.hayakawabooks.com/n/n194591ad11e3?magazine_key=m109bc51b7ac7

原作を読んでいるので不満が爆発したけど、初見だと楽しめるのでは。洒落怖ベースにした創作なんつーものを広めていいのか(面白さが理解してもらえるのか)とは思うけど、アニメ化で間口が広がるのはいいことだと思う。

所詮私はツイッターで騒いでる人なので、全然、みなさんは原作読んだりアニメ見たりしてください。裏世界ピクニックは最高に面白いので。

2020-12-05

anond:20201205214255

私はバイトwebアプリを作っていたので、そちらの方に行きたいと考えてます

ただ、だいたい面接で「webアプリ作る上で好きなことはなに?」と聞かれるのですが、上記の通り別になんでもいいのです。

たまたまバイトプログラミング系で、他業種よりは有利にすすめるだろうと思ってこの業種にしてます別にどこでもいいと個人的には思ってます

ただ他の業種にするともっと動機づけが無くなってしまます

主人公ガチで悪い話ってないんか

ワンピースなんかは主人公一味が反体制勢力チンピラだけど、なんやかんやで弱きを助け強きを挫くみたいな感じで悪さが足りない

というか世に溢れるピカレスクものみたいなやつ大概そう 法には反するけど義には反しない、みたいな生ぬるい話が多すぎる

もっとこう、ただ力を楽しく振るって罪もない人らを殺しまくるような話ってないのか?それだと面白くないのかな 面白くなりそうな気もするんだよな

デスノートなんかも結局基本的には犯罪者殺してばっかだし、もっとガチの悪さが欲しいんだよな

復讐とかこの世への絶望とか、そういう動機づけ萎える 能動的に悪くあってほしい

超能力に目覚めた主人公国家転覆(よりよい世界を作る!みたいな理想はなく、ただ転覆させるだけ)をはかって力をつけていく…みたいな話はないのか

2020-10-21

anond:20201021203724

単純にどっちの人もいるだろうなーって思った。

やる気を出してバリバリしたら出世して給料が上がるという未来がある程度描けていたらそういう動機づけはあると思うけれど。

まあ、そういうのを求めるよりも気楽に生きたいという人もいるだろうし。

2020-10-15

anond:20201014153508

悟り というのは、執着を捨てることでしょ。最終的に捨てるのは自らの生命への執着かな。

この文章途中までしか読んでないけど、例として出た「ある子供を助けるために自分の命を捨てられるか」、ってのは、悟りに到達できない人の考え方じゃないの。「ある子供の命を助けたい」って、めっちゃ煩悩じゃん。

なんらかの現世の価値観による動機づけがあるのは、悟りって言わんだろ。

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