はてなキーワード: 駄菓子とは
だから周りの人に理解されず、気持ち悪がられるし、恐怖されるし、人との付き合いも自然に無くなり、人生も生きづらくなる。
「弱者男性たちの求めるものがそこからは伝わってこない」っていうのも、彼らの言語化能力の低さから来ていると思うね。
「追い詰められて完全に狂ってしまい、自分が求めているものすらわからなくなっている可能性」というのも考えられるけど、実際は内心では何を望んでいるのか本人は分かっているけど、それをうまく表現して交渉して手に入れることができないというのも考えられるよ。
子どもがお腹をすかせたときに、「お腹すいた!」って叫んでるのと同じだよ。
大人が「お腹すいた!」って叫ぶことしかやっていなかったら、「何この人? 自分で料理するか外食にでも行けばいいのに」って思うよね。
大人になったら、だいたいは、「昼ご飯でも食べに行かない?」とか、もし財布を忘れていたら「ごめんだけど、今度返すからおごってくれない?」とか言葉が続くよね。
彼らは具体的にどうしてほしいのか言ってない、もしくは社会に属している大人とは思えない非現実的な要求ばかりしてるよね。
あと人間関係の基本はギブ・アンド・テイクっていうことも理解してないように思う。
家族や学校の先生になにかしてもらってあたりまえみたいな感覚が抜けてなさそう。
何かを得たいなら何かを与えないといけないんだよ。親にお小遣いをもらって駄菓子をむさぼり食う子どもじゃないんだからさ。
「自分たちを抑圧する存在に対して抵抗してはいけないと学習させられてきたため、代わりに社会的弱者であり反撃してこないと思われる女性を攻撃対象に選択している可能性」っていうのは、もちろんそれもあるかもしれないけど、多分彼らの中では、親とか学校の先生とか会社の上司とか社会とかが、とにかく自分の思い通りにならない存在として認識されているんだと思うよ。
それで抑圧されているように感じているのかもしれないね。
でも実際には彼らは、「こうしますから(何かを与えますから)、こうさせてください(代わりにこれをください)」っていう基本的な交渉もできていないんだよね。
いつも「こうさせてください」しか言っていない。これでは相手が自分の思い通りに動くことはほとんど無いよね。
それに、これは何か嫌なことを要求されたときの断り方にも通じるよ。
「これはできませんけど、代わりにこうさせてください」ってね。「できません」ばかり言ってたら子どもみたいだよね。
彼らは言語化能力も低いし、交渉能力も無いから、それまでの人生で自分の思い通りに事が運んだという経験がほとんど無いんだろうね。
私も、彼らのこうした特性をまざまざと見せつけられると、放って置くしか方法はないんじゃないかと思ってしまうときもあるよ。
追記:これに対する返答も要領を得ていなかったり、印象論に終始していたり、説得力が無かったり、ひとことふたこと吠えてみるだけだったり、まあそういうことだと思うね。
さっきスーパーで買い物をしてきた。大した買い物もしていないのに4千円を超えた。
この「大した買い物していないのに・・・」の感覚は、ここ2年ほど前から始まっている。
2年ほど前は、「大した買い物もしていないのに、2千円を超えてしまった」だった。それが今は4千円である。あくまで感覚だが。
子供に安い駄菓子(うまい棒など)を買うのを許可したら、その中で高額(といっても120円ほど)のものが混入していて、お菓子だけで500円を超えた。
そんなことで、帰りの車の中で子供を怒ってしまった。自己嫌悪だ。
私は介護職である。ここ2年で給与は微増した。国は、処遇改善などで介護職の給与アップに上っ面ではやっているように見せているが、肝心要の介護報酬を底上げするつもりはないので、ベースラインでの上昇は見込めない。
同僚は事業所の経営陣が搾取していると思っているが、介護報酬と利用者の実費での支払いを計算すれば、入りがだいたいわかる。
あの程度の売り上げでは搾取しようにもしようがない。
概算してみたが、私の事業所の給与は妥当か、ちょっとマシなくらいだ。
むしろ経営陣はお金の面でも人間関係の面でもよくマネジメントしている方だと思う。ハッキリ言って彼らは、才能を無駄遣いしている。介護の分野でなければ経済的にも地位的にももっと上に行けただろう。分野の選択に失敗したのだ。戦術レベルで優秀であっても戦略が間違っていれば逆転はとてつもなく難しいことが彼らを見ていてリアルに理解できた。
5年前に中古で一軒家を購入した。今思えばまだよかった時期だったがローンはたんまり残っている。
家に帰ったら、工場の派遣のチラシがポスティングされていた。パソナが噛んでいるのに、こっちのほうがよっぽど条件がいい。
大したものを買っていないのに4千円も使ったし、こんなことで怒ってしまうし、それが自己嫌悪になるし、円安だし、金利は上がるし、政治には期待できないし。
せめて、給与が物価の高騰と同じ程度で上がっていって欲しい。2年前ぐらいの物価と給与の水準であれば不満はあったけど、ここまでは苦しくなかった、ここまでのイライラも不安もなかった。
もう、介護職は辞めようかな。
世の中にはディズニーはただの子供を連れて行くだけの義務的イベントだと思っていて
その中でも最悪レベルの施設だと感じてる人が「割と多い」ことを知って欲しい
「憧れのディズニー!」
以下に嫌いな理由を書いてく
なぜか大人でも楽しめる施設、みたいなプッシュをされているけれど
冷静に考えてどう考えても子供向けの施設なので大人にとっては全然楽しくない
大人になってもディズニーの映画やアニメが好き、というのは全然分かるし自分も観る
だが好きだからといって等身大のファブリックなキャラクターが出てきても全然会いたいと思わないし
「中の人はどんな人なんだろう」
アトラクションも長蛇の列に並んでヘトヘトになって5分で終わってしまうので微妙感が半端ない
子供にとっては新鮮味があるだろうけれど大人になるとこの手のアトラクション・アクティビティは各地で体験したりしてきてるので
という余計な推測をしてしまうのでちっとも楽しくない
シーならレストランで酒が飲める、とか言われても
別に海が見えるわけでも無ければ山の上でも無くて
しょぼい作り物の施設を観ながら酒を飲んでも何も新鮮味はないし
ただただ高いだけの店でメシも全然美味しくない
大人が楽しめる要素はゼロで、まだ4DXの映画観てる方が楽しめる
それこそ昔はエレクトリカルなパレードは新しさがあっただろうけれど
昼間のパレードなんてただただ暑いか寒いかのどちらかの印象しか残らない
ショーもプレミアムチケットのくせに内容スカスカで全然面白くない
おまけに自分の好きな作品の舞台を見れるんだからわざわざ興味の無いディズニーのショーなんて見なくて良い
子供にとっては面白いと思うが、やっぱり大人ならまだ4DXの方が面白い
上記のような人でもそれほど混雑してないなら楽しめると思う
例えばレゴランドとかレゴに興味なくても混雑してないので楽しめる
おまけにそんな人混みに行くのに高い金を払わされるし
おまけに飲食関係は全てが高額、お土産もクッソしょうもない駄菓子にプリントしただけで高額
アホらしくて二度と行きたいとは思わない
街の外れあたりから山の方に向かう白い道がある。この道の存在には以前から気付いていたが、今まで一度もその行き先について意識したことはなかった。今日初めてそこへ足を踏み入れたのはほんの気まぐれからである。
しばらく道なりに進むと、沢を渡る橋の工事現場にさしかかった。工事は途中だが作業員の姿はどこにもない。もしかしたらもう何年も前からこの状態で放置されていたのかもしれない。橋を渡ってさらに先へゆくと、どこまでも広がる草原で、小一時間ほど歩いてようやく小さな建物がひとつ目に入った。
建物に近づいてみると、どうやら中は古書店のようであった。疎らな棚に僅かばかりの本が並んでいる。あまり期待せずにいくつか手に取ってみると案外良い本もある。しかしこんな辺鄙な場所に客が来るのだろうかと余計な心配をしてしまう。しばらくしてふと棚の一番左下の奥から引っ張り出した本を開いて驚いた。自分が若い頃の写真が大量に貼り込まれたアルバムだったのだ。近しい友人か家族の持ち物だったはずだ。詳しく話を聞こうと店主のところに持ちこむと、奥の部屋から店主の家族らしき老婆や少女がぞろぞろと出てきた。来歴を尋ねてみたが誰も知らないという。まあいい。とにかく買って帰るしかない。だが値段を尋ねると2万円だという。財布を見ると6000円しかない。近くに銀行はないし、電話も通じない。当然カードも使えないようだ。宿まで取りに戻ろうかとも考えたが、間もなく営業終了だという。明日の営業時間を尋ねると定休日とのこと。旅程は明日までである。次回来るとしたら来年になってしまう。仕方がない、手持ちの現金で買えるだけのページを破り取ってもらうしかない。しばらくして老婆が品物を用意してくれた。端数の埋め合わせのつもりなのか、袋の中には要りもしない駄菓子が大量に混ざっている。細かいことには目をつぶってそれを受け取ると帰途についた。
建物の出口は二つあったが、どちらも扉の向こう側が滑り台になっていた。なんて面倒な構造だ。荷物もあるのでできるだけ緩やかに見える方を吟味し選択する。だが実際滑り降りてみると思ったより傾斜はなだらかで、どうにか転倒せずに外に出ることができた。見覚えのある草原だ。目印になるものが何もないので、どちらに進めばいいのが見当がつかず、しばらく立ちすくんでしまう。眺めているうち遠くに例の工事現場を見つけた。歩きながら手に持っていたゆで卵を食べる。これも先ほどの店で貰った品物のひとつだ。それどころかよく見ると袋の中身はどうでもいい食料品ばかりで、肝心のアルバムのページなどひとつも入っていないじゃないか。すっかり騙された気分で、アルバムのことなどもうどうでも良くなってしまった。
子供の頃、交通公園(これ伝わるのかな)が家の近くにあり、そこの隣に駄菓子屋があった。
学校帰りに友達と、もしくは学童でみんなと一緒に交通公園に行った時に駄菓子屋によく立ち寄った。
学童の時は1人100円渡されて、何を買うかとても悩んだものだ。
紐がついていて、くじ引きのように引っ張るフルーツ飴が私は特に好きだった。
しょっぱい系だと、餅太郎、ラーメン太郎、よっちゃんとかかな。
そういえばきなこ棒を数本買って当たりを出し続ける遊びもあった。
いまは大人になり、駄菓子を手にする機会がめっきり減ってしまったけど、たまに思い出すあの懐かしさ。
ちょうど暖かくなる季節だし、そのまま散歩も楽しそうだ。
昔、ぬ〜ぼ〜って駄菓子あったよね
俺が小学校の頃、公園と林の中間みたいな公園の大きい植木の中にいい感じの空洞があって
そこで仲間と秘密基地作って遊んでいた事がある。
基地って言っても1.5畳くらいの空間で、今思えば色々汚いけど、
自販機の下漁って手に入れた小銭を貯めて駄菓子とか買い溜めしてそこに備蓄したり、
読まなくなった漫画本(週刊誌とか)を持ち寄って皆で読んだりしていた。
学校で「チクリ魔くん」って呼ばれてたクラスメイトがいたんだけど
そいつがある日、基地の噂聞きつけて入れてくれって言われたけど、当然断ったの。
どうせ仲間に入れたら先生にチクるだろうって。
そもそもチクらなくても一緒に遊んで面白くないから勘弁だって。
で案の定、そいつがホームルームの時間に基地のこと全部バラしやがった。
先生が基地まで来てお菓子とか漫画本も没収されてかなり説教された。
学校の仲間の遊びに加わる権利があると思います!仲間外れはイジメです!僕はイジメられました!
って主張してたけど、子供ながらに「コイツガキかよ」って思っていた。
自分の思う通りにならないからぶっ壊してやる!ってヤツはワガママなガキでしか無い。
当然それからもチクリ魔くんは皆から相手にされずぼっちだった。
構って欲しいそぶりだけはする誘い待ちで、話もやる事も面白く無く
人の悪口ばかりが多くて他人を不快にさせる様な事ばかり言ってて
その癖相手にされないと全力で被害者面して大騒ぎして場を壊そうとするヤツ。
その手の人間を見かけたり、遭遇する度にうんざりさせられるけど
ガチで友達いなさそうなヤツってのは色んな意味で「おかしい」と痛感させられるよね。
酷い偏見だと思うけど、チクリ魔くんみたいなヤツにコミュニティ壊された経験ある身としては素直に笑えない。
そりゃワガママなガキのまま成長してない様なヤツとは誰だって深く付き合いたく無いし
友達がいないのは当然を超えた当然なんだけど、
孤独でますます構ってちゃんも悪化しておかしくなっていくのだろう。
悪循環なんだけど本人は嫌われ者だから敢えて救いたい人間もいない。
大人の「チクリ魔くん」は、どうしたら救われるのかまるで分からない。
放っておいて害が無ければ放置で良いけど、そういう訳でも無いからなあ。
勝手にウザ絡みしてきては思った様に構ってくれないとキレて騒いで